今週の説教 

日本キリスト教会広島長束教会

新しく確かな霊を授けてください 

詩51:12~14、Ⅰコリ12:1~11 2020.5.31

​■先週の説教は過去説教一覧no1にあります。

​■井上豊牧師が本を出しました!【高校生たち 安保闘争のなかの】2019 8.2

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子供クリスマス会が開かれました。12.14

​​■とうべい祭りに参加しました。11.16

■オープンチャーチが開かれました。10.27

あじさいコンサートが開かれました。6.30

​■日曜学校でキャンプに行きました。5.26

人生の失敗から学ぶ

☆ 人間の一生はたくさんの失敗でいっぱいです。あの時こうしていればこうはならなかったと思うことがあります。その時点での状況判断を間違ったためにお金をもうけ損なったとか、人と人の関係をつなぐ良い機会を逃したと思って、じだんだを踏むのです。これらはすべて自分の利益と直結した失敗です。

​☆ しかし、これよりもっと重大な失敗があります。あの時もっと勇気をもって行動すべきだったとか、この人を真剣に愛すべきだったというような失敗です。目前の利益のために自分が正しいと信じることを投げ捨ててしまったことで、何年たっても良心がいたむ、そんなことが人生には多いのではないでしょうか。大切な時に神様のことを脇に置いて自分の思いだけで行動するから、一生後悔するような結果になってしまうのです。

 

☆ でも、過ちを犯さない人生などありません。大事なことは、過ちを心の底に押し殺してさらに不幸な人生を歩むのではなく、過ちに気づいたら、すぐに神様に向かって謝り、心から悔い改めることです。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(イエス・キリスト)。

 

☆ 神様を信じることによって、本当の幸せをつかんでみませんか。教会は、すべての人に開かれています。

 

日本キリスト教会広島長束教会

〒731-0135

 広島市安佐南区長束3丁目-32-16
TEL・FAX 082-238-3459
         牧師 井上 豊

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日本キリスト教会広島長束教会紹介

歴史

1962年、大会伝道地として平田正夫牧師により、実弟の平田虎雄宅で伝道開始。

1964年、手島欣二郎が牧師に就任。南観音町の借家を伝道所とした。

1969年、中家 誠が牧師に就任。YMCA保育園を礼拝所とするが、 以後各地を転々とする。

1978年、この年の7月,長束の現在地に会堂が建てられた。

1981年、5月31日、広島長束伝道教会が建設された。

1989年、権藤国光が牧師に就任した。

1993年、5月に田代忠男が牧師に就任した。

2000年、田代忠男牧師の病気辞任に伴い、4月より翌年の3月迄、千谷裕子伝道師の応援を受けた。

2001年、9月に三輪恭嗣が牧師に就任。

2009年、井上 豊が牧師に就任し現在にいたる。

集会案内

教会はイエスに出会って救いを求める者たちが集まり、神様に礼拝をささげるところです。礼拝はどなたがいらっしゃっても良いのです。日曜日の礼拝が教会の働きの中心です。

私たちはそこで神の言葉を聞き、そこから世の中に送り出され、その中で力いっぱい生きてゆくのです。

どうぞ礼拝においで下さい。

なお教会は礼拝の他にも集会を行っています。

こちらの方にもどうぞご自由にご参加下さい。

​日本キリスト教会広島長束教会

定期集会

・礼拝   毎日曜日午前10時30分

・日曜学校 毎日曜日午前9時30分

・祈り会  毎水曜日午前10時30分

・祈り会  毎水曜日午後7時30分

              

この他,婦人会,青年会,聖書講座,ピクニック,クリスマスの行事など随時行っております。

2020 年 度 教 会 行 事 予 定

1月26日  ・・・2020年度定期総会

3月18,19日・・・第68回近畿中会
4月12日     ・・・イースター家族礼拝
          召天者記念礼拝
5月             ・・・家庭集会・ピクニック
                                あじさいコンサート
5月31日     ・・・ペンテコステ家族礼拝
6月             ・・・全体学習会 
8月2日       ・・・世界の教会を覚える日
8月 3,4日   ・・・中国地区日曜学校夏期学校
10月21,22,23日・ 第69回日本キリスト教会大会
10月             ・・・ピクニック
                                 オープンチャーチ(伝道礼拝)
11月21日     ・・・とうべい祭り・
12月12日    ・・・子供クリスマス会
12月20日    ・・・クリスマス家族礼拝 

動画はyoutubeのアイコンをクリックしてください。

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新しく確かな霊を授けてください 

詩51:12~14、Ⅰコリ12:1~11 2020.5.31

神様はおひと方だけです。けれど三つの顔を持っておられます。父なる神様と子なる神様、イエス様ですね、そうして三番目が聖霊です。せいは聖書の聖、そして霊ですが、幽霊の霊、こう言うとイメージが悪いのですが聖霊は決しておそろしいものではありません。なぜかというと、聖霊は神様だからです。

イエス様はあの最後の晩餐の席で弟子たちに、聖霊が与えられることをお告げになりました。次の日、イエス様は十字架につけられて亡くなられましたが、それから50日目のペンテコステの日、一同が集まってお祈りしている最中、天から聖霊が一人ひとりの上に下りました。するとみんな家の中から外に飛び出して、神様のすばらしさをいろいろな言葉で語り始めました。これを聞いて、イエス様を信じて洗礼を受けた人が三千人で、その日が教会の誕生日とされています。私たちは今しているのは、その記念礼拝なのです。

 

イエス様はご自分が天に帰られたあと、聖霊なる神様が教会を導いて、世界の人々を罪から救い出して下さることを教えて下さったのです。でも聖霊というのはわかりにくいです。形あるものではないので目に見えません。それなら、聖霊はないのか、そうではありません。聖霊なしに教会が発展して、世界の多くの人がイエス様を信じるようになったとはとても考えられません。じゃあ、どうやったら聖霊に会うことが出来るのかというのは、昔から今まで、イエス様を信仰する人々にとって大きな関心事でありました。

この問題は、いろいろな教会の礼拝のし方を見てみることがヒントになります。私たちの日本キリスト教会は、見ての通り、とても落ち着いた、静かな礼拝をしています。しかし、別なタイプの教会には、みんなが一斉に声を出して祈ったりするにぎやかなところもあります。「天使にラブソングを」という映画を見た方がおられるかと思いますが、その教会では現代的な、ノリのいい曲を歌っていました。…アフリカの教会の礼拝に出席した人が言っていましたが、そこでは賛美歌の時、みんな踊りだすのだということです。…まあ、それくらいまではいいのですが、こんな教会があります。例えば礼拝の間、みんな興奮状態になって立ち上がり、ワーとかキャーとか、またそればかりではなくわけのわからない言葉を語りだす、本当にそういう教会があるのです。…そこで、皆さんどうしたんですかと聞くと、聖霊が降ったのです、私たちみんなの上に神様がのりうつったのです、と言うでしょう。

昔のコリントの教会にもそういう人がいて、礼拝中興奮して我を忘れ、酔っぱらったような状態になるのです。しかも、これこそ聖霊が働いている証拠だ、ここまでならないと教会ではないという感じなので、心配した人がパウロ先生に相談した、そこでパウロが書いた手紙を私たちは今見ているのです。

パウロ先生はここで、こう書きました。「兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。」…コリントの教会の人たちは、イエス様を信じる前、ギリシア神話の神々を信じていました。神殿に像があって、たくさんの人がお参りしているのですが、神々の像は人間が造ったものですから何もしゃべりません。そこで人間の方からいろいろ語りかけるのですが、そうしている内にだんだん興奮状態になっていくのです。

このようなことは神様が選ばれたイスラエルの民にもありました。皆さんは金の子牛の話を知っていますか。昔イスラエルの人たちがエジプトを出て、荒れ野の旅を続けていた時、金で子牛を造って、これが私たちを導いて下さる神様ですと言って礼拝したのですが、その時、みんな羽目をはずして、乱痴気騒ぎになってしまったのです(出エジプト記32章)。本当の神様を見失うと、そうなってしまうのです。

パウロは、あなたがたは別の神様を信じていた時も本当の神様を信じている今も、大して変わりがないではないかと言います。実際、コリント教会の一部の人たちは、礼拝中に我を忘れ、酔っぱらったような状態になって、自分でもわけのわからない言葉を語っていたのですが、その中に「イエスは神から見捨てられよ」というのもあったのです。教会の中ですよ。イエス様を信じているはずの人がいくらおかしくなったとしても、言っていいことと悪いことがあるじゃないですか。…こんな言葉が出てくるようでは、とても教会とは言えません。聖霊が働いているとは言えません。…で、これとは正反対の言葉が「イエスは主である」です。主とはキリスト、救い主ですね。「イエス様は救い主です」という言葉が出るよう導いてくれるのが聖霊の働きです。人を救い主イエス様を告白する信仰に導かないところにたとえどんなにたくさんの人が集まっていても、それは教会ではありませんし、聖霊は働いておりません。

 

それでは4節5節の言葉を注意してみてみましょう。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」

ここにある賜物と務め、働きは別々のものではありません。一つのことを3つの言い方をしたものです。また「同じ霊です、同じ主です、同じ神です」、という繰り返しがありますが、皆さん、おわかりでしょうか。霊とは聖霊、主とはイエス様、神は父なる神様です。今日、お話の最初に一つの神様が三つの顔を持っていると言いました。三つで一つの神様が、いろいろなことをなさいますが結局は一つなのです。このことを覚えて頂いて、ここから霊の働きについてお話ししましょう。

コリント教会の人たちの中には、うぬぼれて、自分のことを鼻にかける人がいたようです。…礼拝中、興奮状態になる人とそうでない人がいたとします。そうすると、興奮状態になる人がなっていない人を見下して、あなたは信仰が足りないのだと言います。…そればかりではありません。とても優秀で何でもできる人と残念ながらそうではない人がいたします。そうすると、優秀な方の人が、自分は神さまから賜物を頂いている、それに比べるとあの人は神様からうとんじられていると、口で言ったかどうかはわかりませんがそう思っているのです。弁舌に秀でた人は口下手な人のことを、かっこいい人はそうでない人をばかにする、それも自分は神様から大切に思われているけどあの人は違うみたいに思っている、こんなのってありですか。

パウロ先生は言います。「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」

自分は恵まれているけどあの人はそうじゃない、こんな人ばかり多くなってもなんのいいこともありません。全体のためになりません。ここで発想の転換が必要なのです。

ものごとを神様の眼で見なければなりません。“霊”の働きというのは、誰にも与えられています、ある人は、聖書の言葉を説得力をもって説き明かすことが出来ます。ある人は、みんなを一つにまとめるのが上手です。この人がいるとその場が明るくなるという人もいます。料理が上手な人も、力仕事なら任せてくれという人も、こわれたものをすぐに修理できる人もいます。

かりに料理が上手な人と力仕事なら任せてくれという人を比べて、どちらが優れているか決めることが出来ますか。出来るわけがありません。みんな違ってみんな良いのです。人それぞれ、自分の得意分野を一生懸命やることが教会全体をよくしていきますし、ひいては社会全体に幸せを呼び込むことになるのです。

ただし、そうは言ってもという人がいるかもしれません。“霊”の働きが誰にも与えられているなんてことはないでしょうと。「テレビアニメの「ドラえもん」では、「できすぎ杉君」のように何をやっても優秀な人もいれば、「のびた君」のように勉強もスポーツも出来ない人がいます。「できすぎ君」が「のびた君」をばかにしたり、「のびた君」が「できすぎ君」にやきもちを焼くのも当たり前じゃないか。何しろ神様は一人ひとりを不公平につくられたのだから。」

でも、そんなことはありません。その理由は、「できすぎ君」にない良いものを「のびた君」は持っているということが一つ。また、学校の成績のように同じ土俵で勝負するとしても、生まれつき与えられている能力より本人の努力の方が大事なのです。スタートラインでは「のびた君」にはハンディキャップがあるかもしれませんが、努力するなら、そのことは決して無駄になりません。

イエス様はタラントンのたとえを教えて下さいました。主人の留守中に5タラントン、2タラントン、1タラントンのお金を預けられたしもべの話です。5タラントンを預かったしもべはこれを10タラントンに増やし、2タラントン預かったしもべもこれを4タラントンに増やしましたが、1タラントンを預かったしもべはこれを土の中に隠しておいて増やさなかったので、主人に罰せられたという話です。

私たちの中に、神様から5タラントンもの特別な賜物を授かった人がいるかどうかはわかりません。頂いたものはたった1タラントンであっても良いのです。これを持ち腐れにせず、よく用いて、わずかであっても増やしていくことが大事です。このことはお金もうけに限りません。イエス様を目指して歩む私たちの全人生について言われていることです。聖霊なる神様の導きによってこそ、これがかなうのです。

神様、私たちの中に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けて下さい。聖霊の賜物は興奮状態になってあらぬことを口走ることではなく、イエス様は主であると言うところにあります。イエス様が主であるということは、自分が主人ではないということです。自分が、自分がということではなく、イエス様が主であるというところでこそ、一人ひとりが神様から頂いている賜物が花開くことになるのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。今日はペンテコステ、私たちは教会の誕生日を記念する礼拝に参加することが出来ました。むかしイエス様は天に帰られましたが、天から聖霊なる神様が降って、教会をつくって下さいました。だから私たちは、直接イエス様に会うことは出来なくても、聖霊によってイエス様と結ばれています。そうしてイエス様が私たちの祈りを聞いて下さることを信じて、感謝いたします。

 神様、どうか私たちに聖霊の働きをもっとよく見えるようにして下さい。そうして、ここにいる誰もが、イエス様は主であるという信仰に生き、一人ひとりそれぞれに与えられた霊的な賜物を感謝して受けとめ、大きく増やして行く

ことが出来ますように。

 神様、聖霊の働きによって世界と日本にある教会を強め、感染病とそれが生み出す人と人との心の分断に打ち勝たせて下さい。広島長束教会が元気になることで、ウィルスに対する勝利を広島の地で示すことが出来ますように。

 主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

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