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平和を実現する人々は幸いである youtube

イザヤ8:23b~9:5、マタイ5:9  2020.8.9

  

 今年は先の戦争が終わってから75年目の記念の年ということで、広島でもさまざまな催しが企画されていたと思いますが、新型コロナウィルスによる感染拡大という想定外の出来事が起きたため、どれも規模縮小を余儀なくされてしまいました。8月6日早朝の平和公園も例年だったらたいへんけたたましいのですが、今年は参加人数自体が少なく、一人ひとりの間隔は空けなければならないし、デモ行進のシュプレヒコールでも大きな声を出せないので、物足りない感じがありました。かりに、広島が訴え続けている「核のない世界」が実現に向かって大きく進展しているということで参加者が少なくなったのなら良いのですが、今年の場合、つもり積もった問題にさらにウィルスの問題が加わったということでしょう。

今も世界のどこかで戦争があり、戦火の前で逃げまどう人々がいます。しかしながら広島、長崎のあと今日まで、実戦で再び核兵器が使われるということは起こっていません。もう二度と核兵器を使わせないという力が、世界の中で働いているからです。戦争の持つ破壊力はたいへんなもので、またウィルスについても一刻の猶予も出来ないところになっていますが、神様がそれらとたたかう人々を導いて下さることを信じて、お話しいたします。

 

 わたくしごとで恐縮ですが、私には中学生の時から親しくつきあってきた友人がいます。しかしお互い住んでいる場所が違い、十数年会えない間に、思想的にまったく逆の立場になってしまいました。数年前に会って一緒に酒を飲んでいた時、特攻隊のことが話題になって、その時、彼が言ったのです。「もしも井上が、特攻隊員をイスラム国のテロリストと並べて、どちらの死も同じだというようなことを言ったら、俺はそこで席を立って帰ってしまおうと思っていた。」

 彼は、井上は憲法九条を守れなんて言うようなやつだから、祖国のために命を捧げた特攻隊員の崇高な死をあざ笑い、冒涜するかもしれない。そうなれば絶交だと考えていたのかもしれません。私はその時、特攻隊員は国の間違った政策による犠牲者で、一人ひとりは純粋な思いで死んでいったのだろうと言ったら、矛を収めてくれましたが。私の身辺でも、ひたひたと戦争の足音が近づいてくるように思った瞬間でした。

 評論家の白井聡という人がこういうことを書いていました。これまで日本人は日米安保条約に乗っかって、日本はアメリカに守られているから安全なんだとなんとなく信じてきたが、これからはそうではない。すでに沖縄では米軍基地を巡って重大なことが起きている、これからの日本はシビアーな国際政治の激動の中に放りこまれるのだ、と。

 これを信じてよいかどうかは皆さんのご判断にお任せしますが、それではごく最近の「敵基地攻撃能力」を巡る議論はどうでしょう。「敵基地攻撃能力」という言葉が露骨すぎるからか「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有」と言い換えられましたが、本質は変わりません。これを見て、自民党の一部がなんか戦争ごっこを始めたみたいだいう感想もあるようですが、私が6日の日に出席した平和集会の講師は、この議論が出てきたたしかな背景があるのだと言っていました。つまりアメリカと日本の同盟が中国・北朝鮮に対峙していく上で、日本の軍事化をさらに進めなければならないというところから出てきた議論であるというのです。(かりに台湾や南シナ海を巡って米中の軍事衝突が起こった場合、台湾に米軍基地はないので、日本の沖縄や岩国から戦闘機が出撃することが考えられ、そこが中国の攻撃目標となるとすると「敵基地攻撃能力」が出て来た理由がわかろうというものです。)

 もちろん、これらの論者が間違っている可能性はあるし、戦争を回避するための外交や市民同士による交流が大きな効果をあげる場合があります。日本の国民感情がどう動くかもわかりませんが、戦後75年、私たちの国が危険な道を進んでいくことがないよう、まどろむことなく、いつも目を覚ましていることが求められています。

 

 そこで主イエスからいただいた、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」ですが、これはたいへんに重い言葉です。

 主イエスはどのような人たちが幸いであると言ったのか。「平和を実現する人々」は、口語訳では「平和をつくりだす人たち」、文語訳では「平和ならしむる者」になります。‥主イエスはここでなぜ、「争いを好まない人々は幸いである」などと言われなかったのでしょう。そこにとどめて下されば、私たちはほっと安心したでしょう。しかしそうではありません。

「平和を実現する人々は幸いである」。これが私たちに与えられた言葉です。…争いのない所へ逃げ出してゆこうというのではありません。平和を待っていれば良いというのではありません。そうではなくて、平和を実現する人々が幸いなのだと主は言われるのです。命令形にはなっていないので、誰もがこのことをせよというのではないのですが、それでも、私たちが人ごとのように聞いているわけにいかない言葉なのです。

 それでは、主イエスはご自分を信じる人たちに向かって、具体的に何を言われているのでしょうか。平和という言葉は、その人の立場によってどうとでも解釈されることがあるので、注意しなければなりません。いちばん極端な解釈をお話しします。例えば町なかに貼ってあった自衛隊員募集のポスターに「平和を仕事にする」というのがありました。

平和を実現する、その最も手っ取り早い方法が自衛隊に入ることだと考える人がいると思うのですが、これは正しいのでしょうか。世界のこれまでの歴史の中で、自分は平和を実現するために軍隊に入ったんだという使命感をもって、戦争行為を行った人も多かったにちがいありません。特に自分の国が敵国に侵略されている状況下だと、銃を取ることは平和を実現するためなのだという逆説が生まれ、そこから、だから敵を殺してもいいのだという結論になるのですが、…これは難問で、今これ以上語ることが出来ないので、先に進みます。

 それでは平和を実現する方法とは、平和運動に参加したり、平和のために力を尽くすことでしょうか。実際、主イエスのこの言葉に背中を押されて、平和運動に飛び込んだ人がおおぜいいたしょう、特に広島においては。例えば被爆者で原爆の語り部になっている人たちは、自分では信仰を持っていないつもりであっても、主なる神の導きのもとにあるのです。神様がこのような人々を祝福して下さいますように。

 ただ、平和運動とはいっても、人間がやっている以上、しばしば大きな問題が生じます。そこに参加する人が、特定の政治団体の影響を強く受けることがあり、それが良いことなのか悪いことなのか慎重な判断が求められます。また、教会にとって大きな問題になるのは、平和運動に関わる人がそこに積極的に関与するあまり、魂の問題がおろそかになってしまうことです。何かの運動をしていて、その目標を達成することが最大の関心事になるために、教会は何をやっているんだと、教会でやっていることがまどろっこしく思えてしまう危険があります。信仰を離れて本当の平和運動はありません。信仰から出発した平和運動が、結果的に信仰をおろそかにしてしまうことがないように。…一方、これとは逆に、魂のことに集中するあまり、この世がどうなろうと関係ないというのも問題で、これについてはあとで述べます。

 

 さて、平和を実現する人々は神の子と呼ばれます。神の子という言葉は、通常は主イエスご自身について用いられます。平和を実現する人は神の子と呼ばれるほど尊ばれるのです。これはどのような意味を持っているのでしょうか。

 この時代に主イエス以外に神の子と称せられていた人がいました。誰だかおわかりですか。…ローマ皇帝です。皇帝は自分がこの名をもって呼ばれることを要求していました。

 つまり、こういうことになります。当時、「平和を実現する」者であるがゆえに「神の子」と呼ばれる人が、いなかったわけではないのです。実際にいたのです。……民衆は平和を望みました。戦乱が起こると命を奪われ、田畑を荒らされ、未来を奪われるのですから当然のことです。多くの人が、戦争をやめさせ、平和を実現するには、どんな争いにも勝てるだけの強大な力を持つ人の出現が必要だと考えました。

ちょうど日本の戦国時代に生きた人々が天下統一をなしとげてくれる人物を待望したように。つまり最大の力をもって世界を支配する人物こそ平和を実現する人なのです。神の子の名前に値したのです。

 力ある者、この場合、力とは軍事力や経済力ですが、…力ある者こそ神の子にふさわしい、人々がそう信じていた中で、主イエスは、皇帝だけにふさわしいと思われていた称号をご自分の前に座っている弟子と民衆に語られたのです。あなたがたも平和を実現する人々なのだ、あなたがたも神の子なのだ、と。

主イエスの前にいたのはごく普通の人たちでした。ローマ帝国の権力につながる人はいなかったでしょう。お金持ちでもなければ、特別頭が良いわけでもありません。お年寄りもいれば病気で悩む人たちもいたでしょう、そんな普通の人たちが平和のにない手として立てられたのです。ここに主の言葉の持つ新しさと激しさがあります。強さがあります。当時の人々の常識を引っくりかえしたのです。

 「ローマの平和」という言葉があります。パックス・ロマーナと言います。強大な権力によってもたらされる平和のことです。現代では、これにかけてパックス・アメリカーナという人がいます。なんだかんだ言っても、アメリカが強くなければ世界は平和でないという考え方です。しかし主イエスが世界に平和を実現する方法は、上に核兵器がぶらさがっているような力の平和では決してありません。

 

 イエス・キリストのもたらした平和を語る前に旧約聖書に少しふれたいと思います。旧約聖書を読んでゆきますと、誰もがそこに戦争の記事がとても多いことに気がつきます。聖書に戦争の話がどうしてこれほど多いのか、と嘆く人も少なくありません。

 しかし神は、戦争という人間の邪悪な行いを通しても、その救いの歴史を導かれます。戦乱の続く世の中で、神のみこころが示されたのがイザヤ書です。9章1節、「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」。4節、「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」。地上から戦争と争いを根絶しようとするのが神のご意思なのです。そのために神は何をなさったか。5節、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」。

 血なまぐさい出来事の積み重ねの上に、平和の君たるイエス・キリストが来られました。

主イエスは自ら剣を取ることはなく、戦争を克服する道を開かれました。その結果が十字架です。主の十字架の前には累々たる死体が横たわっています。戦争で死んだ人々の悲しみ、苦しみ、絶望……すべて人間の罪の結果です。しかしイエス・キリストはご自分の死によって、人間の心に巣くう争いと戦いへの思いを滅ぼしてしまわれたのです。

 主イエスの言葉に帰ります。「平和を実現する人々は、幸いである」。平和を願う人々ではなく平和を実現する人々と言われたことについて、もう少し掘り下げてみましょう。

 教会の中に、平和を実現するということに熱心な人がいるわけですが、それはしばしば政治運動と結びつきます。で、それを嫌う人は、教会は魂の救いを提供するところで政治団体ではないし、信仰と政治は関係ないのだから、平和運動に関わることは慎重であるべきだと主張し、それがいつも議論の種になっています。

 このことに関して、一つのエピソードをお話しします。これは、あくまでも判断材料として下さい。こんな考え方は認めないという方があっても結構です。

 私と友人たちは、カトリック信者であった井上ひさしさんらが書いた子ども向けテレビ人形劇(*ひょっこりひょうたん島)の台本を発掘してデータ化したのですが、そこにこんな話がありました。 

ある島で、みんなが楽しくパーティーをしていた時、ひとりの少年が仲良く談笑している二人の人物に余計なことを言ったのです。「あなたがたはご先祖の歴史を知らないんですか。あなたがたの先祖は敵同士で、代々決闘を繰り返していたんですよ。」これを聞いた二人はいきりたち、明日にでも決闘しようということになりました。少年はしまった、と思いましたが、時すでに遅しでした。

 一対一の決闘は勝負がつかず、次は馬に乗って槍で突く、大砲を打ち合い、さらに戦闘機まで登場しました。戦争が始まりました。このとき商売人は戦う双方に武器を売って大もうけ。そんな時、保安官が、世の中にいや気がさして、ひとり閉じこもって、聖書を読み、賛美歌を歌い、お祈りするという生活にはいるのです。戦争が激しくなっていよいよ破局的な状況になった時、この騒ぎを引き起こした張本人である少年が保安官を訪ねて告げます。「ぼくのように知識を振り回したり、あなたのようにいくら心を込めて祈っていたって世の中はべつに、変わったりはしない。大切なのは、戦争をやめさせるために行動することなんだ。」こうして二人が立ち上がって、戦争をやめさせたことで、ついにこの島に平和が訪れたのです。

 今から半世紀前、NHKがこんな話を放送していたのです。 

ここで考えていただきたいことがあります。この世は絶対ではありません。激しく移り変わる世の中から距離を置き、離れて、ひとり信仰の世界に生きるというのは立派な態度です。修道院というのがそうですし、また、これまで多くの教会が、世の中の動きとは関係なく、みことばをそのまま語る、時事問題には触れないということで伝道してきました。平和な時代だったら、それでも良いでしょう。しかし、戦争の時代においてはどうでしょうか。

たいへん大雑把ですが、第二次世界大戦時にファシズムの影響下にあった国々を見てみますと、ヒトラーとたたかい政治運動に踏み込んだ教会があった一方、政治にはふれずひたすらみ言葉を語り続けた教会があったのですが、後者の中にも、権力と対決する立場を貫いた教会と、信仰は政治と関係ないという教会がありました。また時の権力にすりよっていくことで生きながらえようとする教会もありました。平和な時代にはない究極の信仰的決断が求められることが起こるのです。

今はまだそこまでの緊急時ではなく、私たちは何となく今の日本の平和がこのまま続くように思っているかもしれません。そうであることを願いますが、たとえどのような時代が来たとしても信仰によって生きることを貫ぬいて行かなければなりません。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉をどのように受け取ってゆくのか、これはたいへん難しいものがあります。私たち一人ひとりがその言葉によって生かされ、悔いのない決断をすることが出来ることを祈り求めてゆきましょう。

 

(祈り)

父なる神様。今日は長崎の原爆が落とされた記念の日です。私たちをどうかみ子イエス様が打ち立てて下さった平和の中に、しっかり立たせて下さい。イエス様はご自分をののしり、殺そうとする者に対して「父よ、彼らをおゆるし下さい」と言われました。人と人との憎しみを十字架にかけて滅ぼされた主によって、私たちの心に平和とそれを実現する力を与えて下さい。

神様、宇宙から地球を見た人は、青い地球が一つのものであり、戦争などしてはいけないことを実感するそうです。私たちがそのような大きな視野を持ちつつ、ふだんの生活の中で小さくとも平和をもたらす信仰的決断を積み重ねてゆくことが出来ますように。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 来たるべき裁き youtube   

詩編84:6~8、使徒24:16~27  2020.8.2

 

 ローマ帝国の軍隊に身柄を確保され、エルサレムからカイサリアに護送されたパウロが、総督フェリクスの前で裁判を受けたところを学んでいます。パウロを訴え出た方の弁護士は、フェリクスに歯の浮くようなお世辞を述べた上で、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている「ナザレ人の分派」の首謀者であり、神殿さえも汚そうとしたので逮捕しましたと言うのですが、弁護士だったらもっと法的に厳密な言葉を言ってほしいものです。パウロはこれに対し、落ち着いて、理路整然と反論してゆきました。自分がエルサレムで騒動を引き起こした証拠はない、彼らから見たら「分派」だけれども、私たちも先祖から伝えられた信仰をとうとんでおり、正しい者も正しくない者も復活することを信じているという主張です。そして神殿を汚そうとしたという嫌疑に関しては、ここからが今日のところですが、私は同胞に救援金を渡すため、また供え物を献げるために戻ってきました、騒動を起こしてはいないし、目撃証人もいないではありませんか、最高法院でも私の不正を指摘できませんでした、私はそこで死者の復活のことを叫んだだけなのです、と言うのです。

 総督フェリクスはここで裁判を中断させました。彼は「この道についてかなり詳しく知って」いました。ユダヤ人の宗教をめぐる問題を知っていて、裁判が簡単に決着が着くものでないと判断したのでしょう。そこで「千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする」と言って裁判を延期しました。しかしフェリクスの総督在任中、千人隊長がエルサレムから下って来る機会は幾度もあったはずなのに、裁判は開かれませんでした。パウロはそれから2年あまり、監禁されたままだったのです。

 

 フェリクスがユダヤの総督でいたのは、紀元52年から59年までだということがわかっています。この人はローマ帝国の武力を頼み、強権的な支配によって治安維持をはかろうとしましたが、ローマ帝国に反対する勢力がたびたび蜂起するので、その治世は決して安定したものではありませんでした。…その後、カイサリアで混乱が生じ、フェリクスが多数のユダヤ人を殺害するなどしたため、ユダヤ人の代表たちがローマに行き、皇帝の前でフェリクスを訴えたので、そのために総督をやめさせられます。27節の「二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストスが赴任したが」、そこにはこのような事情があったのです。

 フェリクスが、「この道についてかなり詳しく知っていた」というのは、妻のドルシラの影響があったからでしょう。彼女はユダヤ人だと書いてあります。

それで良いのですが、正確にはイドマヤ人です。創世記に出て来るエサウから始まったエドム人がのちに消滅し、ユダヤ人と混血して出来たのがイドマヤ人、そこからクリスマス物語で有名なヘロデ大王が出ています。

 使徒言行録12章20節以下にもヘロデ王が出てきますが、この人はヘロデ大王の孫で本当の名前をヘロデ・アグリッパといいます。ある日、この人が演説をすると、集まった人々が「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けました。「するとたちまち主の天使がヘロデを打ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた」と書いてあります。ヘロデ・アグリッパ王の死は、「ユダヤ古代誌」という古代の歴史書にも書いてあり、歴史的事実です。

その本の中に書いてあるのですが、ヘロデ・アグリッパ王には長男のアグリッパ、長女のベルニケがいて、三女にあたるのがドルシラなのです。父が死んだ時、6才の子どもでした。父は生前、ドルシラを異教徒の王子と婚約させていましたが、彼がユダヤ教に改宗する気持ちがなく割礼を拒むので婚約は解消されました。そのあと兄のアグリッパはドルシラを、割礼を受けることを承知したシリアの小国の王と結婚させました。彼女はたいへんな美人として有名でした。総督フェリクスはある時、ドルシラを一目見て、この人妻に情熱を燃やしました。そこで自分の友人で魔術師だという人物を彼女のもとに送り、夫を捨てて自分と結婚するようにそそのかしました。そこでドルシラは先祖伝来の律法に背いてフェリクスと結婚、彼の第三夫人の座におさまったのです。

 ドルシラという人はキリスト教と多くの関わりがありました。自分の父である王が使徒ヤコブを殺し、使徒ペトロを投獄したものの脱獄されてしまい、しかもその父親が非業の死を遂げてしまったからです。聖書のある写本では、パウロに会って話を聞きたいと頼んだのがドルシラであると書いてあるそうです。

 フェリクスとドルシラの道ならぬ結婚は、この時代では有名なことだったので、当然パウロの耳にも入っていたはずです。

 

 それでは、フェリクスとドルシラがパウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞こうとした時、パウロはどんな話をしたでしょうか。…相手は権力の頂点に立つ人で、こちらは一介の囚人にすぎません。かりに私が刑務所に入っていたとしてそこに日本の総理大臣がやって来て、イエス様の話を聞きたいと言ったとしたら、…そんな時に飛び上がって喜んで、総理、あなたは素晴らしい政治家です、神様があなたを祝福して下さいますなんて言ったとしたら、牧師としての資質に問題があると言わざるをえません。相手がどんなに偉い人であっても、言うべきことは言う、それがパウロがしたことでありました。

 

 パウロにも、暗い過去がある夫婦を前にして、「神様がすべて赦してくれますよ」と言うようにけしかける誘惑があったと思うのですが、それにひっかりはしませんでした。安易に救いを語ることはしません。そうではなく「正義や節制や来るべき裁きについて」話したのです。…すると総督は恐ろしくなり、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言って、帰らせました。26節に「パウロから金をもらおうとする下心もあったので」とあるのは、パウロがエルサレムの教会に救援金を持って来たことから、パウロが金持ちか、あるいは人々からお金を集める能力があるのだと思いこんで、釈放のための金を期待していたのかもしれません。しかし、その当てははずれたと思われます。「ユダヤ人に気に入られようとして」監禁したままにしておいたというのは、強権的で、残虐な支配を行っていたフェリクスは、ただでさえユダヤ人から恨まれていたので、パウロを釈放などすればユダヤ人との関係がさらに悪化すると判断したためでしょう。

 

 パウロはフェリクスとドルシラに、正義と節制という、彼らにもっとも足りないことを語ると共に、来たるべき審判についても語りました。この時のドルシラの反応は書いてありませんが、少なくともフェリクスは恐ろしくなった、彼の中にあって眠っていた良心が目覚めさせられたのです。しかし、それは長続きせず、「また別の機会に」ということで、脇に追いやられてしまいました。…このようなことはおびただしい例があり、良心がちくりと刺すのを覚えながら、それを封印してしまうとか、それとまじめに対峙することを先延ばしにしてしまうということが多くの人に起こります。そのために貴重な悔い改めの機会がつぶされてしまうのです。

 そこで、こうした危険に対して、パウロがどのように考えていたかを見てみましょう。パウロは16節でこう述べています。「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」

パウロは努力しています。責められることのない良心を絶えず保つように努めているというのです。ここでいう良心とは何でしょうか。 

 日本人には無宗教、無信仰の人が多いのですが、だからと言って道ならぬ行いをする人ばかりだと言うことは出来ません。もちろんそんな人がいないわけではないのですが。…それはすべての人に良心が備わっているからで、良心はその人が意識しているかどうかにかかわらず、神様が与えて下さったのです。

 日本語の「良心」を国語辞典で調べると「善悪・正邪を判断し、自分の行いを正しいものにしようとする心のはたらき」、漢和辞典では「各人が生まれつきもっている善良な心」と書いてありました。

 では「良心」を新約聖書で原語から調べるとどうなるか、「共に」という言葉と「知る」という言葉が組み合わさって出来ていることがわかります。つまり「共に知ること」を意味しているのです。これは欧米の言語にそのまま受け継がれていて、たとえば英語で良心はconscience(カンシャンス)です。con(カン)は「共に」、science(シャンス)は「サイエンス」と同じスペルになりまして、知るとか知識という意味があります。「共に知る」、ではだれと共に知るのか、それはどういう存在なのか、…日本人なら「もう一人の自分」という答えが出て来るかもしれませんが、パウロにとって、それは神なのです。パウロは23章1節で、「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きていました」と言っています。24章16節でも「神に対しても人に対しても、責められることのない良心」とあって、神と共にということが絶対条件なのです。何か悪いことをして、その現場を誰も見ていないとしても、神様はご覧になっていて、神の法廷でいつか判決が下されるという意識、それが良心の呵責なのです。

 パウロは、来たるべき裁き、神の審判を信じていましたから、「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めて」いたのです。総督フェリクスは、それまで暴虐な政治を行い、人妻を横取りしていたので、「来るべき裁き」を聞いて、恐ろしくなったのです。

 かりに「来るべき裁き」というのが全くありえないものだったとしたら、人は罪を恐れる必要はないわけです。徹底した無神論者であったマルキ・ド・サドという人は、著書で「良心の呵責は訓練によって克服できる」と言い放ちました。殺人事件を起こして法による裁きを恐れるということはあっても、法の網から逃れることが出来るなら枕を高くして寝ることが出来ます、神が存在せず、来たるべき裁きがなく、人が死ぬのが睡眠と何ら変わりないものだとするなら、何も恐れることはなくなってしまいます。しかし、そうではありません。

 神様がおられ、来るべき裁きがあるのです。だったら良心の呵責を感じながらフェリクスのように「また適当な機会に呼び出すことにしよう」というのんきな態度を取ることなどとても出来ないということがわかります。

「最後の審判」という言葉があって、それが遠い遠い将来のことに見えるかもしれませんが、人は必ず死ぬものであり、神様にとっては千年も一日なのですから、悪人はいうまでもなく、自分では善人だと思っている人であっても復活して神様の前に立つことを恐れるのは理の当然なのです。

 もちろん私たちの前には、イエス・キリストがすべての人の罪を背負って十字架にかけられたという、罪の赦しの福音が差し出されています。しかし、これは決して安上がりな恵みではありません。私たちが生きている間に大罪を犯すということはないでしょう。しかし小人閑居して不善をなすというのはありえると思うのです。神様がご覧になっておられることを忘れ、良心のとがめがあっても「その話はまたあとで聞くことにしよう」であるとすると、先が思いやられます。神様のなすことに本当に恐れを感じてこそ、救いの恵みの有難さが身にしみてわかるのです。今という機会を逃してはなりません。

 

(祈り)

 天からこの礼拝をご覧になっておられる神様、日本中でウィルスの感染が拡がり、危機的な状況になっている中、それでもこの教会で礼拝が守られ、今日もこうしてみ言葉を聞く恵みにあずかっていることを感謝申し上げます。

 パウロはユダヤの総督の夫婦に正義、節制、来るべき裁きを語りましたが、それは「またあとで」ということで退けられてしまいました。私たちも目の前の現実ばかりに心をとらわれ、永遠の世界のことを時おり思い出したとしてもそのままになっていることが多いです。神様、どうか私たちが見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ者にして下さい。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

 神様、考えたくないことですが、私はウィルスの感染次第では、また礼拝が中止になるかもしれないというおそれを抱いています。どうか、いま礼拝ができる間に、各自が来たるべき裁きと、自分と隣人の救いについて真剣に考えることが出来るようにして下さい。

 この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、み前にお捧げします。アーメン。

神に背いた民  youtube 

イザ1:1~9、Ⅰテモテ6:2c~8    2020.7.26

 

 今日からしばらくの間、イザヤ書から旧約聖書の説教をしてゆきたいと考えております。旧約聖書に収録された39の書物の内で、どれがより重要でどれがそうでないということはないのですが、イザヤ書がたいへん重要な書物であることにはかわりありません。イザヤ書には新約聖書に通じる、救いのメッセージが深く、豊かに語られています。例えばクリスマスシーズンによく読まれる「ひとりのみどりがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子が私たちのために生まれた」、これはイザヤ書9章の言葉で、それから数百年後に起こったイエス・キリストの誕生を預言しています。イザヤ書は新約聖書の土台となった旧約聖書の書物と言えるのです。…また、今日の箇所にも現れていますが、預言者イザヤが生きていたのは、イスラエル民族が軍事力と経済力でまさる強大な国家に囲まれ、翻弄されながら、生き残りのために必死にたたかっていた時代でした。そこで起こったことをそのまま現代日本にあてはめることは出来ませんが、いまアメリカと中国にはさまれ、ロシアがいて、朝鮮半島の2つの国とも難しい関係にある私たちの国が生きる道を考える上で、何かの示唆が与えられることになるかもしれません。

 

 はじめに時代状況についてお話しします。

エジプトで奴隷の民となっていたイスラエル民族が、モーセに率いられてエジプトを脱出し、カナンの地に帰ったあといろいろなことがあって、ダビデ王が即位したのが紀元前1000年前後とされています。ダビデのあとソロモンが王位を継ぎ、イスラエルは最盛期を迎えますが、ソロモン王の死後、北の王国イスラエルと南の王国ユダに分裂してしまいます。一つの国が分裂することで力を失うのは当然で、イスラエルもユダもそれ以後、細々と続くことになりますが、紀元前722年、イスラエルはアッシリアの攻撃の前に滅亡し、住民は連れ去られてしまいました。ここにおいてイスラエル12部族の内の10部族が歴史から消えてしまい、残された人々はそれまでのイスラエルが変じてユダヤ人と呼ばれるようになります。ユダヤ人にとって、同じ民族である北の同胞がいなくなってしまったことは大変な衝撃であったにちがいありません。

 南王国ユダはその後も細々と生き続けますが、紀元前586年にバビロニアによって滅ぼされます。信仰の拠り所だった神殿も破壊されて、人々は連れ去られます。バビロン捕囚です。紀元前539年、ペルシアがバビロニアを滅ぼしたことで、人々はようやくカナンの地に戻れることになりました。

 預言者イザヤが活躍した時代は、1章1節によると「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことで」す。ウジヤ王の治世は諸説あるのですが、紀元前790年頃に始まり、亡くなったのが740年頃です。

イザヤ書6章

では、イザヤの召命がウジヤ王が死んだ年に起こったと書いています。そうなるとイザヤは740年頃に預言者となり、ヨタム王、アハズ王を経て、ヒゼキヤ王の治世が終わるのが、これも諸説あるのですが690年頃とされているので、その間、50年ほど活動したことになります。

ただイザヤ書を続けて読んでいくと、紀元前690年よりあとの時代に語られたらしい言葉が出てきます。539年以降のバビロンからの帰還の時代の人々に向けて語られたらしい言葉も出て来ます。そこでイザヤが150年先のことを預言したのか、それともその時まで生きていたのか、という疑問が出てくるわけですね。そこでイザヤ書を分析してみると3つに分けられることがわかりました。1章から39章まで、40章から55章まで、56章から66章まで、その中で語られる預言の時代背景がそれぞれ違っているのです。そこで、これを全部同じ預言者が語っているのではないだろう、預言者は3人いたのだと、それぞれに名前をつけて第1イザヤ、第2イザヤ、第3イザヤと呼ぼうという考え方が出てきました。…しかし、これに反対し、あくまでも一人の預言者がイザヤ書全部を語ったと主張する人がいて、論争になっていますが、私はこのことについてはあまり専門的なことに立ち入るつもりはなく、皆さんが実際にイザヤ書を読みこんでいく中で自由に判断して下されば良いと考えています。

 

預言者イザヤが活躍した時代はウジヤ王が死んだ740年頃からヒゼキヤ王の治世が終わった690年頃までのことと申しましたが、今日の箇所は預言者イザヤが活動した初期のことではなかったと考えられています。それは7節8節から推測されます。「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ」という尋常でないことが起こっていますが、それは「異国の民に覆されて」と書いてあることから明らかなように、異民族の軍隊から攻撃されたからです。「そして、娘シオンが残った、包囲された町として」…。シオンとはエルサレムのことです。エレサレムは敵国の軍隊に包囲されてしまったのです。

紀元前701年、東からアッシリアが攻めのぼってきました。当時、北のイスラエル王国はアッシリアの前にすでに滅亡していました。イザヤ書36章1節はこう書いています。「ヒゼキヤ王の治世第十四年に、アッシリアの王センナケリブが攻め上り、ユダの砦の町をことごとく占領した。」この時の状況がイザヤ書1章に反映されているものと考えて間違いありません、

エレサレムは敵軍に包囲され、まるで風前のともしびのような状態でした。これだけでも重大なことですが、この時、アッシリアの王は重臣をヒゼキヤ王のもとに遣わして降伏を迫る屈辱的な言葉を吐かせましたが、その中には主なる神を呪う言葉もあったのです。王を初めとしてエルサレムの住人は誰もがふるえていただろうことが想像されるのですが、この時イザヤもエルサレムにいて、この状況の中で告げられたのがここにある神の言葉であったと考えられます。

ここには3つのポイントがあります。2節から4節までをもう一度読んでみます。「天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。わたしは子らを育てて大きくした。しかし、彼らはわたしに背いた。牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は見分けない。災いだ、罪を犯す者、咎の重い民、悪を行う者の子孫、堕落した子らは。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた。」

イザヤの預言は、神の懲らしめのメッセージから始まります。エルサレムが敵軍に包囲されている状況で、わらにもすがりたい心持ちでいただろう人々に励ましのメッセージではなく、もちろん気休めでもなく、神の裁きの言葉が届けられるのです。メッセージの中心は、神がイスラエルの民を、親が子を育てるように慈しんで育てたのに、イスラエルは背いてしまったということです。

このようなことは人の子の親になった人の多くが経験し、悩んでいることだろうと思いますが、神様の場合、量、質ともにスケールが違います。神様は世界の中でただ一つ、吹けば飛ぶようなイスラエルという小さな民族を選び、特別に愛して、千年以上にもわたって育てて下さったのです。神様とイスラエルの間には愛と正義に基づく契約が結ばれました。神はイスラエルの民を守り、民は神から頂いた律法を守るというもので、律法の中で最も重要な戒めは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」というものでした。

ところが、イスラエルの民は神様に対し、背反の罪を犯してしまったのです。牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っています。家畜が主人の家を出て、別な人のもとに身を寄せるということは考えられません。家畜よりひどいというのです。それはイスラエルの聖なる方、神様によって育てられた民が、そのことに耐えられず、にせの神々、石や金属などで造った偶像のもとに走ったことにほかなりません。

 

それでは、神に背いた民はどうなってしまったのでしょうか。5節は、「何故、お前たちは背きを重ね、なおも打たれようとするのか。」その結果、「頭は病み、心臓は衰えているのに。頭から足の裏まで、満足なところはない。」…神に逆らい、反逆に反逆を重ねた結果、体全体が弱り果ててしまったのです。

具体的には、「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて、荒廃している。そして、娘シオンが残った、包囲された町として。」

東の超大国アッシリアの攻撃によって北の王国イスラエルは滅び、南の王国ユダもただエルサレムだけを残して、すべて占領されてしまったのです。「ぶどう畑の仮小屋のように、きゅうり畑の見張り小屋のように」と言われています。これらは今でいうとビニールハウスのようなものです。

最近のビニールハウスはけっこう頑丈ですが、骨組みがしっかりしているとはいえないので、嵐が襲ってくるとひとたまりもありません。

そのようにエレサレムの都も、もはや見ていられないような状態になってしまったのです。

神が世界の民族の中からただ一つ選ばれたイスラエルの民がこれほどのみじめな状態になってしまったその理由は、彼らが主なる神をすてて、その教えをあなどり、別の神々に走ってしまったからにほかなりません。このことはイスラエル民族の自滅ですが、別の側面から見ると神のお怒りの現れです。

これはひとりイスラエルの民だけに起こることではありません。古来、多くの国が栄枯盛衰を繰り返してきました。その歴史を、勢いのある国は神様に祝福されていて、滅んだ国や衰えゆく国は神様に見捨てられたのだと機械的に判定することは危険で、単純化のそしりを免れません。歴史を長い目で見なければなりませんが、そこに何らかの神のみこころが働いていることは確かです。同じことはどのような団体においても、また一人ひとりの人間においても起こりうるのです。

 

それでは神様は、敵軍に包囲されたエルサレムの人々に滅亡を宣告されたのでしょうか。そうではありません。9節をご覧下さい。「もし、万軍の主がわたしたちのためにわずかでも生存者を残されなかったなら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラに似たものとなっていたであろう。」

神様はわずかな生存者を残されるのです。それは不信仰な人々の中で、それでも信仰を貫いて生きる人たちです。といっても、その人たちが偉いのではなく、神の憐みの中で守られた少数の人たちがいたのです。ソドムとゴモラはご存じのように神に滅ぼされた町です。エゼキエル書16章49節以下の記事を紹介します。「お前の妹、ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。」

神様は悪徳の都ソドムの町からロトとその家族を助け出しました。そのように、いま滅亡の危機の中にあるエルサレムにも少数の残りの者を確保されておられ、彼らを通してイスラエルが救われるようにはかっておられるのです。

 

  皆さんの目に、このことから何が見えてくるでしょうか。そうです、神様は今も少数の生存者を残していて下さるのです。いまこの世では不信仰が蔓延し、この国の人々の心が危ういところにある中、そこに襲ってきた異常気象やコロナ禍などによって大混乱になっていますが、神様は、その中にあってもイエス・キリストを通して救いのみ手を伸ばしていて下さいます。もちろん、罪の悔い改めのないところに救いはありませんが。

 

…ですから私たちは自分たちがたとえ少数であって力がないように見えても自信を失う必要はありません。たとえ一人、二人であっても、信仰の御旗のもとに集まる人々を神様は守り、この人々を通してみこころを成し遂げて下さることを感謝したいのです。

(祈り)

 イエス・キリストの父である天の父なる神様。新しい年2020年が始まった時、私たちはいまこんな中にいることを想像すら出来ませんでした。新型コロナウィルスの感染者が一旦少なくなりつつあった時、私たちは祈るような思いで、これで何とかおさまってくれるだろうと期待していたのですが、現実はこれとは違う方向に向かっているようです。しかし人類の長い歴史を振り返ってみると、平穏無事な時代はごくわずかで、大多数の人々が平和な生活を願っているにもかかわらず、現実には危機の時代が続き、嵐の日々を耐え抜いていかなければなりません。エレサレムの都が敵軍に包囲された中、生きた心地もしなかっただろう人々に向かって神様の言葉が届けられ、わずかでも生存者が与えられることが告げられました。私たちにもこれにつながる恵みが与えられて、厳しい時代の中でも生き抜くことが出来るように、自分たちの犯した罪を正しく見つめ、悔い改める心を起こし、これによってイエス様と以前にも増して深くつながる者として下さい。この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、おささげします。アーメン。

神の恵みに仕える者 YouTube 

イザ56:1~7、エフェソ3:1~13  2020.7.19

 

 先週は、幼い男の子の葬儀が行われ、私が呼ばれてお手伝いをしたのですが、悲しいという以上にくやしい思いでいっぱいです。重い気持ちがずっと抜けないままでこの講壇に立っており、この状況の中でなんで神の恵みが語れるのかという思いが頭をかすめるのですが、しかし家族の方々の苦しみに及ぶはずはありません。いま試練の中にある家族の方々が信仰によって慰められ、立ち直ってゆくことを願いたいし、このことを通しても教会の一人ひとりが信仰において何かをつかんで、前に向かって進んで行くことを願いたいと思います。ただ、そのためには教会で発せられるメッセージが神のみこころを正しく伝えるものでなくてはならないし、また、それが正しく受け取られなければなりません。…教会はそこに集まってくる人々をすぐに何らかの行動に促すような組織ではなく、さりとて気休めばかり語って魂を眠らせるようであってもいけません。このような問題意識を持ちつつエフェソ書を読んで行こうと思います。

 

 エフェソの信徒への手紙について、学者はいろいろな説を唱えていますが、伝統的にはパウロがローマから書き送ったとされており、それに従って話を進めます。

 使徒言行録の説教ではパウロはいまカイサリアにいますが、このあとローマ皇帝に上訴するために船で荒海をわたってイタリアのローマに向かい、そこで囚人となるのです。獄中にあって、皇帝の前で行われる裁判を待っていたのですが、だとすれば、自分をローマ帝国の囚人と言ってもよいはずなのに、1節をご覧下さい、…「キリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは」と言うのは、不思議と言えば不思議です。…パウロはおそらく、自分をローマ帝国の囚人とは考えていなかったのでしょう。自分は地上の権力に対しては全く自由な者だと。その一方、自分はキリストの囚人であるとみなしていました。それは、キリストのために、現実に苦難を受けているからです。しかし、それでもって自分の運命を呪ったり、キリストを恨むというのではありません。そのことは今日の箇所の最後の部分からも明らかです。パウロは13節でこう言います。「あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください」、なぜか、自分とあなたがたは、「キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができるからです。」従って、「この苦難はあなたがたの栄光なのです。」

こういう考え方は私たち凡人にはなかなか理解しにくいものですが、パウロの立場から見ると、自分が苦しみによってキリストとますます深く結びつき、それがあなたがた、つまり信者たちの救いと永遠の命につながるのなら、それは喜ばしいことだ、ということなのです。

ある人がこんなことを書いていました。「エフェソの信徒への手紙を読んでいくと、この世界を創造された神様の目的が示される。この世界の人々、全ての民、また全世界の全てが、主イエス・キリストの支配の範囲である。すべての被造物が、頭(かしら)である主イエス・キリストの体の一枝となり、主イエス・キリストの元に一つとなるのです」と。

 これを聞いて皆さんはどう思われましたか。もしかすると、言っていることはわからないでもないものの、自分とは遠い世界のことだと思われたかもしれません。パウロの書いた他の手紙の中には、信仰者の生き方の指針となるものが多いです。一人ひとりの人間の生き方を具体的に教えているのですが、エフェソ書はそれとは違っています。すでに学んだ1章では「教会はキリストの体である」、2章では「キリストはわたしたちの平和である」ということを学びました。そして3章では、9節に「神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画」という言葉があって、たいへん大きなことを言っているのはわかるのですが、それが自分となんの関わりがあるのかと思う人もいるわけです。

世の中には大言壮語するものの。自分の家で家事一つ出来ないという人がいます。小さな、と思われることを無視することは出来ません。しかし大きなことは小さなことに結びついています。ルカ16章10節は「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」と教えています。そのように、小さなことは大きなことに関連し、大きなことは小さなことに関連しています。だから、エフェソ書にある、神の秘められた計画のように、いっけん自分の生活に関係ないように見えることも、実はそうではないのです。

 

 エフェソ書は1章9節ですでに、神が「秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました」と言っています。これを受けて3章3節は「秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました」と告げます。「秘められた」なんて言われると何かと思って興味津々になる人がいますが、その答えが期待に沿うものかどうか…秘められた計画とは、キリスト以前の時代には知らされていなかったのですが、今や聖霊によって使徒たちや預言者たちに示されました。6節、「すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」

 秘められた計画とは何かと期待した人は、それが異邦人がキリスト・イエスによって救いにあずかることだと知って、何だそんなことかと思われたかもしれません。しかし、これは決して簡単なことではなく、パウロの時代の人々にとっては驚天動地のことだった可能性があります。

 すでに礼拝説教で何度もお話ししてきたように、ユダヤ人は自分たちが世界の中で神に選ばれた唯一の民であるということを誇りに思っていました。この時代、彼らは自分の国を持てずローマ帝国の支配に甘んじていましたが、それでもプライドは失われず、異邦人を下に見て、「異邦人は地獄に火をくべるためのたきぎ」だというまことにもってひどい言い方もあったそうです。そのために、パウロが異邦人伝道を始めた時、異邦人も割礼を受けてユダヤ人にならなければ救われないと主張する人がたくさんいたのです。

 しかし、こういう誤った考え方は歴史の中で克服されました。その結果、私たちも異邦人でありながら、こうして神の救いのみ手の中で生きているのです。ただ、古い克服された考え方はいつも頭をもたげようとするので注意が必要です。

 私事になりますが、私が前の教会にいた時、結婚して妻を連れてきたのですが、それが中国からだというので、教会は大騒ぎになりました。「どこの誰だかわからん人を連れてきて」と言われましたし、「中国の人ってみんな共産党員なんですか」と心配する人もいて、それは共産党の組織論から言ってもありえないことを説明しなければなりませんでした。

 自分たちの間に「よそ者」とされる人が入ってきたり、接触があると、そこでパニックになったり、排除しようとすることがどこにでもありますね。そのため日本を含めて多くの国が、国内の少数民族の問題や隣国との関係でも問題を抱え、そこにキリスト者も巻き込まれているのが現状です。こういうどこの国、どこの地域でも起こること対し、パウロは何と告げているか、「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」

 ここでは「一緒に受け継ぐ者」と言われていることも大事です。パウロの時代、誇り高いユダヤ人が、自分は一段と高いところにいて遅れた異邦人を導いてあげるのだという考え方もあったでしょう。そういうことは現代まで残っており、外国伝道を志す宣教師の中にもあったりします。…皆さんは、外国人宣教師が「自分は遅れた、野蛮な日本人を救うためにこの国に来た」という態度を取っていたとしたらどう思いますか。カチンと来るでしょう。でも、そういうことはよくあるのです。

民族と民族の間に上下関係はありません。他の民族に優越する民族も劣った民族もなく、優れた人が遅れた人を導くのが福音宣教ではありません。先に信じた人もあとから信じた人も、両者とも神のみ前では罪人(つみびと)であることにかわりはないからです。だから、共にイエス・キリストを仰ぎ、恵みを一緒に受け継ぐのです。そこではユダヤ人も異邦人もなく、日本人と他の民族の区別もありません。

…イエス・キリストは人と人の間を隔てるあらゆる壁をこわされます。そのことはやがて、人種の違い、男女の違い、年齢の違い、貧乏か金持ちかの違い、その他、能力の違いや、最近ではLGBTという言葉が表している性的指向の違いをも克服していく教えですから、これがどれほどすごいことであるのか、わかっていただけたら幸いです。

 

 それでは、今日の説教のタイトルにもなっている「神の恵みに仕える者」ということを見てゆきたいと思います。パウロは7節で言います、「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。」

 これもなかなか深遠な教えなのですが、やはり、「異邦人が…わたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となる」で言われたことと密接に結びついています。神の秘められた計画とは、決して自分ひとりだけがそれにあずかれば良いというようなものではないということがヒントです。一緒にあずからなければならないものなのです。

 パウロはご存じのように、キリスト教徒の迫害者だったのに、復活したキリストに会って、異邦人のための伝道者になった人です。彼はキリストに会って回心した時にこうは思わなかったのでしょうか。「自分はたいへん悪いことをしたけどイエス様に会って、罪を赦され、救われた。これで、それまでなかった平安が与えられた。もうこれで満足だ。さあ、行って休むとしよう」。…もちろん、そうならなかったからこそ、その後の彼の獅子奮迅の働きがあるのです。人がキリストを信じることで救われる、これは決して自分ひとりこの恵みにあずかればそれで良いというようなものではないのです。他の人と一緒にあずからなければ意味のないものなのです。パウロはだから宣べ伝えたのです。自分だけの救いで満足するよう人なら、監獄に放りこまれるようなことはなかったはずです。

 宗教を批判する言葉として有名なものに「宗教はアヘンである」というものがあります。これはマルクスの言葉で、かいつまんでいうと宗教の信者が世の中を良くするために能動的に働くことをしないで、信仰を現実逃避の手段として使っている、という批判です。もっともこういう批判はマルクス主義者ばかりでなく、市民運動に熱心な人やビジネスに打ち込んでいる人など、他の人々からも起こるのですが、しかしそれは本当のことでしょうか。

…少なくともパウロはキリストとの奇跡的な出会いによって救われ、神の秘められた計画を知らされた時、そこに逃げ込もうとはしませんでした。異邦人も救われるのですか、では黙ってみてみましょうということではなくて、このために私も働こうと、世界をまわって伝道したということは知っておかなければなりません。

ここにいる私たちももとはと言えば異邦人だったのに、こうしてキリストに会って救われました。神の秘められた計画を知らされたパウロの伝道の実りがめぐりめぐって私たちにも与えられたのです。…イエス・キリストへの信仰が心の慰めとなり、支えになることは信者に与えられた喜ばしい特権ですが、それは決して現実逃避の手段ではありません。そうではなくて現実をたくましく生き抜くための力であるのです。…パウロは神の恵みを受けて、この恵みに仕える者になりました。それが伝道という仕事だったのですが、私たちにもそれぞれ、神様から受けた恵みに応える生き方が用意されているはずです。…そのことを知ることから始まる人生は、たとえ誰からも評価されなかったとしても、少なくとも神様だけはご覧になっておられるのです。

 

(祈り)

 イエス・キリストの父である天の父なる神様。新型コロナウィルスによる感染が再び不気味に広がり始め、またこの教会に大きな悲しみがあった中で、神様がこの礼拝とみ言葉を通して私たちを支え、強めて下さっていることを感謝いたします。

 神様、この世界には不条理なことがいくつも起こりますが、そのたびに「神様がおられるならどうしてこんなことが?」と神様を疑っていては、ますます底なしの穴に落ちこんでしまいます。神様がいま忍耐に忍耐を重ねておられること、そして苦しみを克服するのがただ神様のもとにあるのだということを、どうか神様を疑う心の前に見せて下さい。

 私たちの中から神様の恵みに仕える思いが起こされ、それが言葉と表情と行動になって現れますように。

この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、おささげします。アーメン。

正しい者も正しくない者も youtube

ダニ12:1~3、使徒24:1~16  2020.7.12

 

先週、私たちは、エルサレムでローマ帝国の軍隊によって保護された使徒パウロがカイサリアに護送されて、ユダヤ人から暗殺されることを免れた次第を学びました。パウロを送り出した千人隊長クラウディウス・リシアは、カイサリアに駐在する総督フェリクスに、(パウロの)「告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと命じておきました」と伝えていましたが、はたして五日の後(のち)、大祭司アナニアが、長老数名と弁護士テルティロを連れて下って来て、総督に、パウロを訴え出たのです。この当時は、司法の独立というようなことはなく、行政の最高責任者が裁判も担当していました。私たちはここで弁護士テルティロの告発とこれに対するパウロの弁明を見て行きますが、ここから普通の裁判記録以上のものが見えてくることを願っています。

 

弁護士テルティロは、パウロを告発するにあたって、まず長い前置きから始めました。「フェリクス閣下、閣下のお陰で、私(わたくし)どもは十分に平和を享受しております。また、閣下のご配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私(わたくし)どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。」

総督に対して称賛の言葉を並べるのは、当時の裁判では普通に行われていたようです。しかし、この前置きが、テルティロの発言の中で半分近くも占めているということをちょっと変だとは思いませんか。総督をたたえる、歯の浮くような言葉をたっぷり述べる一方、パウロに対する告発は簡単にすませているように見えなくもありません。…実際、総督フェリクスの時代の政治は平和とはほど遠いものでした。「熱心党」と呼ばれる、ローマ帝国の支配に反対するユダヤ人の組織が力をたくわえ、反乱を起こすようになっていたのです。これがフェリクスの責任であるかどうかは一概に言えませんが。また、次回の説教で申し上げますが、フェリクスは評判の悪い人で、そのことを知らないはずはないのにほめそやすというのは、裁判を有利に進めて行こうとする下心のあらわれとだと疑われてもしかたありません。

弁護士テルティロは、長い前置きの後で、パウロへの告発の言葉を申し述べますが、それは事実の十分な裏付けがあるものではありません。

まず、「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人(じん)の分派』の首謀者であります。」、ここでパウロを「疫病のような人間」と断定していますが、弁護士ならもっと厳密な言葉遣いをしてもらいたいものです。

…パウロを悪意と偏見をもって見るなら、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしていると言えなくもないのですが、こういう言い方には注意しましょう。今日でも、社会の上層部にいて現状維持を望んでいる人は、平和主義者のふりをすることが比較的簡単に出来ますが、現状を変革しようとする人はしばしば平和を乱す者というレッテルをはられてしまいます。同じパターンです。

 「ナザレ人の分派」ですが、イエス様はガリラヤのナザレの出身で、「ナザレのイエス」と呼ばれましたが、これには「ど田舎から出てきたイエス」というような意味が含まれており、偏見がこもった言い方です。だから「ナザレ人の分派」も、辺鄙なところから出て来た危険なグループといった感じで、パウロがその首謀者なので放ってはおけないとなるわけです。

 「この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました」。…ここで「神殿を汚しました」と言っていないことに注意して下さい。数日前、アジア州から来たユダヤ人が、パウロが神殿の境内に異邦人を連れ込んで聖なる場所を汚してしまったとふれまわったために、怒った群衆がパウロを袋叩きにするという事件を起こしましたが、パウロはもちろんそんなことはしていません。明らかにデマであり、フェイクニュースだったのです。テオティロとしては、パウロが「神殿を汚しました」と言ってしまうと証拠不十分になってしまいます。そこで、神殿を「汚そうとしました」に言い換え、また、よってたかってパウロを殺そうとしたことをきれいに言いかえて、「逮捕いたしました」としたのです。

 要するにこの告発は、パウロを一方的に断罪したもので、公平さが求められる裁判において信頼に値するものではありませんでした。

 

 これに対して、パウロは理路整然と反駁してゆきます。パウロは総督に対して当然はらうべき敬意を短く言い表したあと、自分がエルサレムで騒動を起こしたりなどしていないことを宣言します。

「私(わたくし)が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。」…パウロはエルサレムに到着したあと7日間、神殿での儀式に参加し、その最後の日に群衆に袋叩きにされます。翌日、最高法院で弁明、次の日の夜9時にカイサリアへと護送され、カイサリアに着いてから5日ののちに総督の前の裁判に臨みます。合計すると、私の計算では15日になり、12日と食い違うのですが、これは大きな問題ではありません。要するに、わずかな期間しかいなかったということです。…その間(かん)、「神殿でも会堂でも町の中でも、この私(わたくし)がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私(わたくし)を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。」

パウロがエルサレムに到着してからの短い間に、ローマ帝国の法に触れる騒動、この場合、暴動とか反乱ですが、これを準備することはまず不可能です。だいいち、パウロがそれに関連して誰かと論争したり、また人々を集めて演説したり、扇動したりするのを見た人がいますか、ということです。誰も見た人はいません。何の証拠もありません。だから、彼らが言っていることには根拠がない、ということです。

パウロは自分が何を信じているかということについてもはっきり証しします。「しかしここで、はっきり申し上げます。私(わたくし)は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」

パウロを告発する人たちは、パウロが世界中でユダヤ人の間に騒動を起こしている「ナザレ人の分派」の首謀者だとするのですが、それは偏った見方で、パウロは少なくとも、エルサレムで騒動を起こしたこともそれを準備したこともなく、その証人はいません。そうだとすると、彼らが「ナザレ人の分派」と呼んでいるのも、サドカイ派とかファリサイ派と同じような団体にすぎないのではありませんか。ローマ帝国の公認宗教であるユダヤ教の中で、サドカイ派もファリサイ派も活動を認められており、別に訴えられたり、摘発されたりはしていません。「私たちもそれと同じです」ということです。

ただパウロが言うことは、それにとどまりません。「私(わたくし)は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」、これは、この教えは異端などではない、先祖から伝えられた信仰をそのまま変えずに信じているのだという主張です。「律法に即したことと預言者の書に書いてあること」、これは旧約聖書の教えにそのまま重なります。パウロは、ユダヤ人が古来、神様から受け継いできたことがイエス・キリストによって成就したと信じて、各地で伝道していったのですが、パウロを告発する側は、それこそ先祖から伝えられた信仰を無残に破壊するものだという間違ったとらえ方をしていたのです。…なお、「神殿を汚そうとした」という告発に関して、パウロは、それが根も葉もないことであると17節以下で証言しています。これは次回の礼拝説教で学びます。

 

それでは、ここで15節の言葉を見てゆきましょう。「更に、正しい者と正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いています。」

あとの方、「この希望は、この人たち自身も同じように抱いています」から考えます。

この人たちとは、パウロを告発している人たちです。ユダヤ教ファリサイ派は復活ということそれ自体は信じていたので、パウロは自分の信仰はユダヤの伝統的な信仰とこの部分で一致する、と言ったわけですね。…相違点ばかり取り上げてことを荒立てるより、共通点を見出していくことが平和のために有効であるというのは、個人と個人の関係から国と国との関係まで、よくあります。

復活についてファリサイ派も信じているというのは、すでに旧約聖書にそのことが書かれているからです。ダニエル書12章の2節3節にこう記されています。「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々はとこしえに星と輝く。」

パウロは旧約聖書でも復活について語っていることを踏まえていて、「正しい者も正しくない者もやがて復活する」と言っているのですが、さて皆さんの中には復活するのは正しい人だけではないかと思っている人がいるかもしれません。ここらあたり、混乱しないよう努めながらお話しします。

人が死んだらすぐに、天国に行く人と地獄に行く人にふりわけられると思っている人がいます。また、これとは別に、人が死んだら眠り続け、誰もが最後の審判を迎えるという考え方もあります。どちらが本当なのかと言われても、自分で見てきたわけでもないのではっきりしたことは言えません。神様のなさることは人間の言葉ではとてもあらわせないことがあると思います。ただ、ダニエル書にも書いてあるように、人が死んだら眠り続けるというのが本当でしょう。それは長い長い期間だとしても、本人にとってみれば一瞬に過ぎないかもしれません。

人は必ず死ぬわけですが、終わりの日、最後の審判の時に、正しい者も、正しくない者も、すべて神の御前に立ち、裁きを受けるのです。この最後の審判について、ユダヤ教徒の間でもいろいろ研究されてきたとは思いますが、イエス・キリストによって新たな、決定的な啓示が与えられました。主イエスはヨハネ福音書5章28節以下でこう言われています。「時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。」また同じくヨハネ福音書11章25節では、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」とも言われているのです。

パウロは言います。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」パウロにとって、復活がなぜ希望なのでしょう。それは、自分が正しい者として永遠の命に入ること、また多くの人がこの恵みにあずかることを確信しているからだと思いますが、それは自分も他の人も初めから善人だったからではありません。パウロはキリスト教徒を迫害した人間です。本来なら地獄に突き落とされても当然の人間が、こうして救われ、世界中で福音を語るまでになっている、その理由は、このパウロの罪をも主イエスが担って下さって、十字架上で滅ぼして下さったからです。この方の十字架による罪の贖いを信ずることで、最後の審判の日は、恐怖ではなく希望となったのです。

総督フェリクスの前のパウロの弁明は、このように、十字架にかかり復活されて天に昇り、最後の審判の日に永遠の命に至る道を指し示して下さるイエス・キリストへのまったき信頼からなされた力強く、説得力のあるものであったのです。

 

(祈り)

 愛と正義に富みたもう神様。イエス様を主と信じる信仰は教会の中ばかりでなく、あらゆる時、あらゆる場所で語られなければなりません。パウロの法廷の中での弁明は、信仰の確信に満ちたたいへん力強い証しでした。私たちが少しでもこのような恵みにあずかり、言葉と行いでもってイエス様を証ししていくことが難しいことはわかっていますが、どうかその道を備えて下さい。信仰を厳しい現実から逃げる手段としてではなく、厳しい現実に立ち向かうための原動力として下さい。

 神様、先週は九州を中心に豪雨災害が猛威をふるい、これはまだ終わっていません。以前、やはり豪雨災害を体験した広島市民の私たちとしては、遠い世界のこととは思えず、胸をいためています。これ以上、災害がひどくならないように、また災害とたたかう人々への神様の力強いお支えを祈ります。

 すべてのいのちを支配なさる神様、私たちはいま、短い2年の生涯を閉じた

倉重結兜(ゆいと)くんのことを覚え、悲しみと衝撃をおさえることが出来ないでいます。神様、どうか結兜くんを神様にいちばん近いところにお導き下さい。ご遺族を顧みて下さい。結兜くんがこの世に生きた証しを彼を知るすべての人の心に刻んで下さい。この苦しみから救って下さるのが神様以外にないこと、その道を示して下さい。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

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エレ2:5~9、使徒23:23~35  2020.7.5

 

使徒言行録で私たちはいま、使徒パウロがテロリストたちに暗殺されそうになっているところを学んでいます。パウロにとってたいへん危ない状況でしたが、このことをパウロの姉妹の子が聞きつけ、パウロの耳に入れ、そしてパウロを保護している千人隊長に報告したので、大きな危険は去ったようです。とはいえ、まだ安心は出来ません。

私は、自分に脅迫状が送りつけられたこともなく、殺されるかもしれないという恐怖におびえたことはありません。皆さんのほとんどがそうだと思いますし、そうでないといけないのですが、中には、あの時、自分はもう少しで死ぬところだったという体験がある方もあるかもしれません。私たちがいま誰からも命を狙われていないこと、交通事故にもあわず、こうして教会での礼拝に出席出来るだけの健康と時間が与えられていることを神様に感謝したいと思います。…ただ、そうはいっても、私たちがいま安全であることが必ずしも良いことだとは限りません。身の安全より大切なのは良く生きることであるからです。

 

人が長く生きるのは良いことですが、実際には長くても実りの少ない人生というのがあります。何をもって実りが多いか少ないかは議論があるところですが。…逆に、若くして死んだ人であっても、長生きした人にはるかにまさる充実した人生を送る人もいます。…パウロについて見てみると、この時は暗殺をまぬかれたものの、その後の人生は安泰とは言えず、最後はローマで殉教の死をとげることになるのです。でもパウロは、こんな人生もういやだと世を恨みながら死んだのではありません。彼はフィリピ教会にあてた手紙の中で書いています。あなたがたは「神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無益でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」。そしてさらに、「たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます」と言うのです(フィリピ2:15~17)。自分が殉教の死をとげることを想定しながらも、しかし信仰において喜びの中に生きた人がパウロなのです。

パウロはイエス・キリストの導きの中で人生をかけぬけました。私たちもみなイエス・キリストの導きの中にいます。ということは、私たちも、パウロほどのスケールの大きさはありませんが、パウロのいだいていた喜びに同じようにあずかりながら、生き、また死ぬことが出来るということなのです。

私たちの中には、自分では、本当の神様を知らない世の人々とそう変わらない生き方をしていると思っている人がいるかもしれませんが、そうではありません。私たちはみなキリストの刻印が押された者たちです。

パウロは自分の行く道の向こうに殉教の死が待っていても、喜びの中で人生を生き抜きました。死に対する備えをしていたからこそ、命を大切にして、暗殺されそうになっても冷静にピンチを切り抜けることが出来たのです。目の前に起こる一つひとつの出来事にあたふたしない、そこに何が見えてくるでしょうか。

 

本日の聖書の箇所は、パウロが神の計画に従って地上の歩みの中で一歩前進したことを伝えています。……エルサレム神殿の境内で群衆に袋叩きになったパウロを助けだした千人隊長の名前がクラウディウス・リシアであることがあきらかになりました。彼はユダヤ人によるパウロ暗殺計画を知りました。40人以上のユダヤ人が、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てて、周到に準備をしていたのです。パウロを殺すまでは飲み食いしないというのは、もしそうでなければ神が私たちを呪われるようにということで、不退転の決意をあらわしているのです。

千人隊長クラウディウス・リシアは、パウロをすぐにカイサリアに駐留する総督フェリクスのもとに送って、裁きをゆだねることにしました。

カイサリアは地図をご覧になるとわかりますが、地中海沿岸にあり、当時、ローマ帝国によるユダヤ支配の中心地で、エルサレムを超える大都市だったのです。そもそもカイサリアという名前自体が、カイサル、つまりローマ皇帝から来ていて「カイサルの町」という意味なのです。クリスマス物語で悪名高いヘロデ大王は12年に及ぶ大改修工事を施して、ここに劇場や競技場、今に残る水道、皇帝を崇拝する神殿がある大都市を建設しました。…エルサレムからカイサリアまでは96キロほどあります。千人隊長リシアは、パウロに対する陰謀を知ったその日の夜9時に歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名にパウロをを護衛させて、出発させました。夜の内にアンティパトリスというところまで着くと、翌日、多くの兵士は帰り、パウロは騎兵70名だけに守られて出発し、カイサリアに到着したのです。エルサレムからアンティパトリスまでは40キロ、土地が起伏に富んでいて、またユダヤ人が住んでいて危険だったのですが、アンティパトリスを過ぎると平坦な土地になり、テロリストにとって待ち伏せには適さない土地だったので、警護の体制はこれで十分だと判断したのです。

千人隊長クラウディウス・リシアは、パウロを厳重に警護しました。パウロの護衛にあたったのは歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名で合計470名にもなります。千人隊長はその名の通り、千人を配下に治めていたとしても、ひとりの囚人に対してこれほどの数の兵隊をつけたことは驚かされます。パウロを襲撃しようとしていた40人以上のユダヤ人は手出しが出来ませんでした。

パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓ったこの人たちがどうなったかはわかりません。

千人隊長リシアがこれほどまでにしてパウロを守ったのは、この人が善人だったとか、パウロの語る福音を信じていたとかいうことでは決してありません。パウロはローマ帝国の市民権を持っていました。ローマ帝国は法制度がたいへん整った国だったので、市民権を持っている人を守らないと、逆に訴えられて裁かれるおそれがあったのです。パウロの身柄を保護することは、エルサレムの治安維持のために働く千人隊長の職務であったので、パウロが襲撃されでもしたら自分の責任になってしまいます。パウロに大勢の護衛をつけてカイサリアに送ったのは、職務上妥当な判断でありました。

千人隊長リシアはこの時、カイサリアにいる総督フェリクスにあてて手紙を書きました。使徒言行録の著者ルカがどうして手紙の内容を知っていたのかは謎ですが、これ以上ふれません。26節以下をご覧ください。「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」

ここにはパウロを総督フェリクスのもとに送った経緯が、手際よくまとめられています。パウロがユダヤ人に告発されている理由は、ユダヤ人の律法に関する問題であって、パウロをローマ帝国の法律に照らして死刑にしたり投獄したりする理由は何もないのです。無罪として釈放するのが本当だけども、この者に対する陰謀があって、これを許してしまうわけにはいかない、だからどうか閣下の方で彼の身柄を保護した上で公正な裁判をしてほしい、ということなのです。

ただこの手紙をよく読んでみると、千人隊長が自分にとって有利なように報告していることに気づかされます。それは、27節の「この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしたちは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることがわかったからです」というところです。千人隊長と部下たちは、たしかにパウロを救い出しましたが、それは神殿の境内で騒動が起きたら困るということであって、パウロがローマ帝国の市民権を持つ者であることがわかったからではありません。

千人隊長はその日、パウロを鎖でしばり、鞭で打って拷問しようとしたところ、パウロから「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」と言われて、あわてて取りやめたのです。…ローマ帝国の市民権を持つ者を救い出したように書くのは、パウロを助けたことを自分の手柄にしようとしたためで、この人をたたえるとほめすぎになってしまうのですが、神様がこの人を用いられたことは確かです。

パウロはこうして、ユダヤ人から襲撃を受けることなく、カイサリアに到着し、総督のもとに引き渡されました。

 

パウロのカイサリア行きについて、私ははじめ、ここからいったい何を語ることが出来るのだろうと思いましたし、皆さんの中にもそう思っていた方がおられたかもしれません。まるでテレビドラマの一場面のような話にも見えますが、ここにも神の見えざるみ手が働いているのです。

23章11節でパウロの前に現れたイエス・キリストは、パウロにローマでご自分のことを証しするよう命じておられたのでした。だから、パウロがユダヤ人によって殺されかけても、ローマに行くことはすでに定められていて、カイサリアへの旅はそのための第一歩だったのです。

 

人の一生はよく旅にたとえられますが、それははるか大昔から続く、多くの人々の歩みの上に乗っかっています。神は昔、エジプトにいたイスラエルの民を救い出して、約束のカナンの地へと導かれました。奴隷の身分から解放すると共に、罪の奴隷からも解放するためでした。神は忍耐に忍耐を重ねながらもその民を導かれ、そうしてついにイエス・キリストが与えられました。キリストは十字架上で死なれましたが、復活された最初の方となって、あとに続くすべての人々の先駆けとなって下さいました。それは、ご自分を信仰する人が死によってそのいのちを失うことなく、永遠のいのちを与えられ、天に導かれることでした。パウロはこのことを信じ、天をめざして人生の旅を歩み続けたのです。

宗教改革者のカルヴァンは、「われわれが、この世に生きる間は天国の栄光に入るある意味での準備をさせられているのである」と言います。

そして、「天上においてやがて勝利の冠を受けるべきものが、まず地上で戦いを引き受けるように、そして戦闘の困難さを克服して勝利を手に入れることなしに凱歌をあげることがないように、神は定めたもうた」と書いています。

パウロは天に迎えられるまで、いくつもの、私たちが想像もできない試練を乗り越えてゆきました。皆さんは、と言っても私も含めてですが、ただイエス様を信じているからと言って、簡単に天に迎えられるものではありません。天をめざして歩む道は相当に遠く、神様がもうそれで十分だと言って下さるまで死ぬことはないので、どなたもそうとう長生きすることになると思いますが、どうかその道を賛美の歌を歌いつつ歩んで行きましょう。

 

(祈り)

 愛と正義に富みたもう神様。神様が私たち一人ひとりの人生をたしかな目的をもって導いていて下さることを、今日、この礼拝で受け止めることが出来ました。

 私たちが自分の過ぎ越し方をふりかえった時、あの時ああいう経験をしたのは、このことのためだったのだと、あとになって気がつくことがあります。今、私たちもそれぞれ、いろいろな体験をしており、その中には、「神様、私をここから助け出して下さい」と言うしかないこともあるかもしれません。しかし、その体験があとから振り返って、得難い貴重な体験となって受けとめることが出来ますように。またこのような神様の導きの中で過ごす毎日の中に小さな喜びの積み重ねがありますように。時が早く過ぎ去ることをただ嘆くのではなく、心豊かに過ごさせて下さい。私たちの歩みが天に向かっての歩みであることを、悟らせて下さい。

 神様、いま東京を中心にウィルス感染が拡大し、職を失ったり、収入が激減したりして、どうやって生きていこうと叫んでいる人がたくさんいることを神様はご覧になっておられることと思います。九州を中心に水害の被害も拡大しています。特に、幼いいのちを救い出して下さい。主イエスを信仰している人はもとより、主イエスに出会っていない人の上にも、もっとも必要な霊による助けと肉の糧を与えて下さい。そしてそれを可能にするだけの人々の連帯を呼び起こして下さい。とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

愛の讃歌 youtube    

雅歌8:1~14、ロマ8:38~39  

2020.6.28

 雅歌はたいへんユニークな書物で、今日はじめてこれを目にした人がいたら、聖書にこんな話があったのかとびっくりしたのではないでしょうか。昔のイスラエル民族の間には種入れぬパンの祭りというのがありまして、雅歌はそのお祭りの8日目に朗読されていたということです。どこかで、むかし雅歌は子どもには聞かせなかったということを読んだ覚えがあるのですが、今回確かめることは出来ませんでした。もしもそれが本当だとしたら、今日このような礼拝するにあたって、大気くんも暁も慧子も一緒なのでどうしようかなと思ったのですが、まあこの子たちなら大丈夫だと判断したので、お話しいたします。

 

雅歌にはおもに三人の登場人物がいます。シュラムのおとめと呼ばれる若い娘と羊飼いの若者とソロモン王で、この3人をめぐって起こったことについて、いろんな人がいろんなことを言っていますが、私たちがここで正しいと判断したのはだいたい次のようなストーリーでした。

ソロモン王は紀元前10世紀に生きたイスラエルの王で、イスラエルはこの王様の時、最盛期を迎えました。イスラエルの領土はそれまでのどの時代よりも大きく、まわりの多くの国が貢ぎ物をおさめて服従したといいます。

このソロモン王がシュラムのおとめをみそめました。彼女は田舎でぶどう畑の見張りをしている娘さんでした。ソロモン王は国でいちばんの財産と力を持っている人で、すでにたくさんの女性と結婚していたのですが、この娘と結婚しようとします。しかし彼女が本当に愛しているのは羊飼いの若者でした。

ソロモン王はおとめを宮殿に連れて来ました。そして言葉を尽くして自分と結婚しないかと誘ったのです。彼女としても、王様と結婚すれば、一生お金に困ることはなく、ぜいたく三昧の暮らしだって出来るので、悪い話ではなかったかもしれませんが、ついに勝負がつきました。おとめは羊飼いの若者との愛を貫きました。さすがのソロモン王も彼女の心を動かすことは出来なかったのです。

 私は、とてもすてきなラブ・ストーリーだと思うのですが、今の日本ではこのような物語は現実離れしているように思われるかもしれません。いま結婚式場などのウェディング業界は困っています。結婚する人が少なくなってきているからです。もちろん結婚するしないは、その人の自由ですが、この国の場合、若い人たちが給料が少なく生活が苦しいので、結婚したくてもできないということがあります。これは政治の問題です。ただ、それとは別の問題もあるようです。いま、ひと昔前には想像も出来なかったようなことが起きています。

いちばん極端な例をあげると、先日、テレビでバーチャルアイドルの初音ミクと結婚した男性というのが紹介されました。バーチャルアイドルというのはコンピューターが作り出したアイドル、だからこの人が結婚したのは生身の人間ではありません。等身大の人形と一緒に結婚生活をおくっているのです。この調子では、いずれロボットと結婚する人が出てきてもふしぎではありません。

 繰り返しますが結婚するしないは個人の自由です。ただ、お金がないからといってあきらめてしまったり、現実の人間関係から逃げないでいただきたい。特に男と女の関係は、結婚するしないに関わらず一生続くわけですから、一人ひとり、神様が自分に求めているものは何かと考えながら、これを大切に扱ってほしいと思います。

 

雅歌に戻ります。少しさかのぼって7章12節を少し読んでみます。「恋しい人よ、来てください。野に出ましょう」。この部分は口語訳聖書では、「わが愛する者よ、さあ、わたしたちはいなかへ出ていって、村里に宿りましょう」と訳されていました。これはシュラムのおとめが羊飼いの若者と一緒にふるさとに帰ることになったのだと考えられます。

シュラムのおとめは美しい女性ではありましたが、貧しい家の生まれなので、王様から愛の言葉をささやかれた時に動揺して、どうしたら良いか悩みに悩んだことと思いますが、ついに貧しい羊飼いの若者との恋をつらぬき、結婚したのです。しかしその直後、二人の間にちょっとしたことでいさかいが起き、若者は家を出ていってしまいました。娘は若者を追いかけました。若者が、おこって家を出てしまったことに後悔していた時、娘は若者を探し出し、二人は仲直りしました。このあと二人は手に手を取ってふるさとの田舎に帰り、新しい生活をすることにしたのです。

8章2節、「わたしを育ててくれた母の家にあなたをお連れして、香り高いぶどう酒を、ざくろの飲み物を差し上げます」。娘は自分の母親の家に若者を連れてゆきます。ぶどう酒とざくろの飲み物はこの家では最高のもてなしでしょう。

8章4節の言葉は、エルサレムの都と王に対する別れの言葉でしょう。「エルサレムのおとめたちよ、誓ってください。愛がそれを望むまでは愛を呼びさまさないと」。

 

こうして愛というたたかいに勝った娘は、羊飼いの若者と共に生まれ故郷に帰ってきます。5節の言葉、「荒れ野から上って来る乙女は誰か。恋人の腕に寄りかかって」は、二人を迎えた村人の歌だと思います。私たちの村に若い夫婦が入ってくる!私たちと一緒に喜び、一緒に悲しみ、共に汗を流して暮らす、…この村にとって、本当に嬉しいことだったでしょう。

二人は村に入ってりんごの木の下に行きます。おそらくその木は二人にとって思い出の木だったのでしょう。「りんごの木の下でわたしはあなたを呼びさましましょう。あなたの母もここであなたをみごもりました。」

りんごの木の下は、若者のお父さんとお母さんが愛を語らったところです。こうして、あなたが生まれました。私たちもここで愛を語りあいましょう。この地で私たちは生きていく!…この村は先祖の人たちが愛し合い、子供を産み、育てていった場所。ここに私たちもつながり、新しい家庭を作っていきましょう、と。村の発展のために貢献したいし、赤ちゃんもほしい。…私たちはこの土地で、新しい歴史の1ページを開いていくのだ、という思いがあらわれています。

 

ここにおいて、愛の讃歌が高らかに奏でられます。「わたしを刻みつけてください。あなたの心に、印章として、あなたの腕に、印章として」。

女性が歌った歌です。印章とはハンコのことです。彼女は自分自身がハンコになって、夫の心や腕に刻みつけられたいと願っています。この時代、ハンコにひもを通し、首からかけていたそうです。右手に、指輪にしてつけておくこともあって、こういうところから今日の結婚指輪が出来たということです。…娘は自分をハンコにして下さい、あなたの妻は私ひとりしかいないのだから、と言うのです。愛はその本質において排他的です。彼女は夫の愛がほかの女性に向くことを絶対に許さない、そのことの確認でもあります。

その次、「愛は死のように強く」です。…誰が死に打ち勝つことが出来るでしょう。亡くなった人を愛する家族の涙も、友の悲しみも人を死から連れ戻すことは出来ません。死は自分が捕らえた者をしっかりつかみ、決して離そうとしないことを私たちは知っています。…この時、娘は、愛は、死と同じように強いと言うのです。これは死という絶対的な力が、愛によって押し戻された瞬間です。ここで愛は死と等しい強力な力を持つようになりました。私は、人類はここから出発して、このあと死よりも強い愛、死を超える愛を求めて行ったのだと思います。

「熱情は陰府のように酷い」。…熱情というのは、いわばねたみです。娘は歌います。「私はあなたに自分のまごころを捧げます。ねたむほどあなたを愛しています。私は決してあなたを裏切りませんし、あなたも私を裏切ることは出来ません」。

「火花を散らして燃える炎」、愛は燃えあがる炎です。それは、愛をさまたげようとするあらゆるものを焼き尽くします。だから、「大水も愛を消すことはできない。洪水もそれを押し流すことはできない」のです。

二人がこれから歩んで行く道には、さまざまな困難があることでしょう。何年か先、夫婦生活に倦怠感を覚える時があるかもしれません。

二人の幸せに嫉妬する人がいたり、二人の間に割って入ろうとする人が出たり、個人の力では太刀打ち出来ないような社会の理不尽な力に翻弄されることもあるかもしれません。しかし、そんなことで二人の愛が消えたり、押し流されてしまうことはありません。

愛を、お金で買うことは出来ません。「愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまされる」。ここに、ソロモン王のことが見え隠れしています。財宝ばかりでなく、家柄とか社会での肩書きなどによっても愛を獲得することは出来ません。愛には愛をもって応答する以外にはなく、この世のものと交換することは不可能です。これは、「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、わが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしには何の益もない」というパウロの言葉(Ⅰコリント13:3)にもつながっています。…りんごの木の下で、愛し合う二人の胸は勝利に高鳴り、二人の目は希望の未来を見つめていたのでしょう。

 

雅歌は、この愛の讃歌によってクライマックスに至ります。8節以降の部分は、特に説明はしません。言葉の美しい響きを味わって頂ければと思います。  

雅歌はまぎれもなく二人の男女の愛を歌ったもので、何千年も昔の歌であるにもかかわらず、現代人にも新鮮な驚きを与え続けています。この愛の歌を通して気がついたことをいくつかあげてみましょう。

第一に、この二人の愛において男女は全く同権です。昔は男性が自分の思いを歌う歌はたくさんありましたが、女性からというの多くないようです。そんなことははしたないとされていたからでしょう。そこから見ると雅歌の自由奔放さはきわだっています。

第二に、二人の愛は決してどちらか一方による支配と服従の関係ではありません。…2章15節で、おとめは「恋しいあの人はわたしのもの、わたしはあの人のもの」と歌い、雅歌全体の中で同じような言葉が繰り返されています。…愛する人は自分のものであり、そして自分は愛する人のものであると、そして男女それぞれが互いに相手の喜びの源になろうとしている、ここにこそ本当の愛と偽りの愛を分かつものがあるのではないでしょうか。

 

それでは8章の6節と7節、ここにある愛という言葉の上に「私の」という言葉をつけて読んでみましょう。「私の愛は死のように強く」、「大水も私の愛を消すことはできない」、「私の愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまされる」。…どうもしっくりきませんね。では、こうしたらどうでしょう。…「私の」ではなく「キリストの」という言葉をつけてみるのです。

「キリストの愛は死のように強く」、「大水もキリストの愛を消すことはできない」、「キリストの愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまされる」。これだと、ぐっと違いますね。「キリストの愛は死のように強く」だけは「キリストの愛は死よりも強く」にした方が良いと思いますが。

雅歌に登場する愛し合う二人がどこまで神の愛を知っていたのかはわかりません。しかし、彼らの愛が真実だったがゆえに、それは彼らの思ってもみなかったところではからずも神の愛を映し出すものとなっていたのです。男女の間の愛と神の愛は深いところにおいて、どこか相通ずる部分があるのだと思わされます。それは信仰の奥義でありまして、私もはっきりと言うことは出来ないのですが、このことを教えるために聖書に雅歌が収録されたのでしょう。

人は愛がなくては生きていけません。キリストにつながる者が、真実の愛にめざめて生きる者となるようにと、雅歌は教えているのです。

 

(祈り)

恵み深い神様。この世で神様のご支配が及ばないところはなく、神様は男と女の結びつきにおいても私たちの主となって下さいます。今日、雅歌を通して。男と女が愛し合うことの中にも神様の愛が宿っていることを教えられ、感謝いたします。どうか私たち一人ひとり、独身の人も、これから結婚する人も、いま夫婦生活を送っている人も、配偶者と死別した人も、神様の愛を確かめながら毎日を過ごしていくことが出来ますように。イエス・キリストによって、大水も消すことは出来ず、洪水も押し流すことの出来ない愛をよみがえらせて下さい。

とうとき主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

キリストはわたしたちの平和 youtube

イザ32:15~17、エフェソ2:11~22 2020.6.21

 

 今日の説教題は「キリストはわたしたちの平和」です。もちろん今日の聖書箇所から取ったものですが、キリストは私たちに平和を下さるというのではなく、キリストを信じると私たちの心が平和になるというのでもありません。そこにはもっと深く、広い意味が込められているのです。私はいま自分がこれを語るのにふさわしくないのではないかという怖れの気持ちでいます。というのは、私がうわっつらなことばかり語った場合、それがきれいごとにしか聞こえないかもしれないという心配があるからです。教会で語る言葉が厳しい現実と切り結ぶ力があるでしょうか。しかしながらイエス・キリストは厳しい現実のしかもそのどん底にまで下り、そこから勝利の内に復活されて、そのお言葉が真実であることを証明されました。だから、聖書から出てきた、いっけん力がないかのように見える言葉であっても、イエス様がなしとげたことにより、厳しい現実の中で生きて働く言葉となるでしょう。そのことを願いつつ、お話しさせていただきます。

 

本日の箇所は書き出しが「だから、心に留めておきなさい。」となっています。「だから」という以上、その前に書いてあることを受けているのですが、これを全部読むととても長いので、いちばん中心的な2章8節だけを読みます。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」

 エフェソの人々は神様の恵みによって、つまり信仰によって救われました。それはイエス様のものになったということです。具体的には教会の一員になったということです。エフェソの人々はそれまで信じていたたくさんの神々から解放されて、本当の神様の信者になることが出来たのです。

 エフェソの人々が昔信じていた神々というのは、語り伝えられたところによりますと、それは、人間たちが戦争をしている時、天から見物していて、「私ははこっちが勝つと思う」、「いやぼくはそう思わないね」などと言っているような神様でした。地上に降って行って、気に入ったひとがいたらさらってしまうようなとんでもない神様の話もあります。そんな神様を信じるような人の生活はどうなってしまうのでしょうか。当然いいかげんなものになり、いいかげんな人たちの世界が出来上がってしまいます。…しかし、そんな人たちがパウロさんに会ってイエス様のことを教えられて信じるようになりました。それまで知らなかった本当の神様に出会ったことで、新しい出発をしました。これは当然すばらしいことだったのですが、その時、新しい問題が見えてきたというのが今日のお話になります。

エフェソというのは、今のトルコの西海岸にありまして、その教会に集まっていたのは大多数が異邦人です。異邦人というのは外国人のことです。どの人たちに対して外国人かと言えばユダヤ人に対してです。

 神様は世界のあらゆる民族の中からまずユダヤ人を選んで、みこころを告げ、導かれました。アブラハムやモーセ、ダビデ王やソロモン王、そしてイエス様も弟子たちもみんなユダヤ人です。ユダヤ人の中でイエス様を信じた人がまずキリスト教徒になったのですが、キリスト教はユダヤ人の枠を超えて、異邦人の世界に広がりました。だからエフェソ教会の人たちの多くはユダヤ人でも何でもないのにキリスト教徒になったのですが、それは勇気がいることだったと思います。本当の神様を信じた時、家族や友だちから「あんたはなんで、ユダヤ人の神様を信じるんだ。どこの国の国民なんだ」と言われたにちがいありません。

 ただ、そう言われながら勇気をもって教会に入ったとしても、イエス様のことを教えてくれたパウロはユダヤ人だし、数はそんなに多くなかったかもしれませんがユダヤ人も礼拝に出ていて、それが問題になりました。というのは昔からユダヤ人と異邦人は仲が悪かったからです。

 この時代、エルサレムの都に壮麗な神殿があって、毎日神様に礼拝がささげられていましたが、この神殿に入るためにはいくつかの庭を通って行かなければなりません。最初が異邦人の庭で、ユダヤ人はそこから次の庭へ、そして神殿へと入ってゆけるのですが、異邦人はそれ以上進むことが出来ません。異邦人はそこからさらに中に入ってしまうと死刑になってしまうのです。そのようになっている理由は、ユダヤ人は神様が選ばれたとうとい民であるのに対し、異邦人は汚れた民だからだということです。最近の使徒言行録の説教で、神殿の庭に入ったパウロが人々に袋叩きにされる話があったでしょう。その理由は、パウロが、異邦人を入ってはいけない所に連れ込んで、神殿を汚そうとしていると思われたからです。

 この時代、ユダヤ人は異邦人を軽蔑していました。自分たちは神の民だけどあいつらは偶像を崇拝している劣った民族だ、汚れている、野蛮人だ、と思っていたのです。だからユダヤ人は異邦人と一緒に食事をしません、異邦人の家に入ろうとはしないのです。

 逆に異邦人からすると、ただ一つの神様を礼拝するユダヤ人に引け目を感じていたのですが、その一方で彼らを軽蔑し、憎んでいました。特にギリシア人になると、輝かしい古代文明をつくりだした人たちですから、知的レベルではユダヤ人なんかに負けないぞという自信がありました。

自分たちが野蛮人だとみなしているユダヤ人から、なんで野蛮人だと思われなければならないのかということもあったでしょう。

 このようにユダヤ人と異邦人は互いに相手を嫌っていたわけですね。それなのにユダヤ人のパウロが始めた教会にたくさんの異邦人が入ってきて信者になったものですから、ユダヤ人と異邦人の間がしっくりこない、同じ神様を信じているのに仲が悪いということになったのです。

 皆さんは、こういう問題が自分たちに関係ないと考えてはいけません。いまこの場に、遠い外国から来た、肌の色も言葉も違う人がいたら、打ち解けて話をすることも出来ないかもしれないのです。

 最近のテレビ番組の中には「日本、すごい」ということをことさら宣伝するものがあります。麻生副総理は「日本でコロナの感染者が少ないのは、日本人の民度が高いからだ」と言っていました。こういうことと裏腹ですが、外国人をおとしめることばかり言っている人がいます。日本人は他の国の人々に比べ、格段に優れているという意識が多くの人にあるのかもしれません。…ただ、ひと昔前、こういうことがありました。スリランカの人が日本に留学したのです。国を出発する時は「日本はGNP世界第二位の国だ。どんなに素晴らしい国民なんだろう」と胸をふるわせてやってきたというのですが、いざ日本で暮らしてみての感想は、「全然大したことない。日本人はプロ野球の話ばかり」。…プロ野球のことも大事だと思いますが、これは日本人の多くが、人と人がぶつかって本質的な話をすることが少ないということでしょう。

 日本人が「日本人、すごい」と言っているだけでは、昔のユダヤ人や異邦人とあまり変わりありません。自分は謙遜にしている方がかえって外国の人からほめられることになるでしょう。

 

 ユダヤ人との間で心の壁を取り除くことが出来ない異邦人に向かってパウロが諄々と説き明かしているのが今日の箇所ですが、パウロがそこで第一に伝えたいことは、先ほど申しました。にせものの神様を礼拝していた者たちがイエス様と出会い、本当の神様に立ち返ったということですね。神様との関係が正常化されました。次に考えなければいけないのが人と人との関係です。

 異邦人とユダヤ人が仲良くなるために、いくつかの方法が考えられます。第一が異邦人がユダヤ人と同じになることです。ユダヤ人と同じ掟を守り、同じ食べ物を食べ、…でもこれは無理です。次がユダヤ人が異邦人と同じになることがこれも不可能です。それでは異邦人とユダヤ人を足して2で割ればいいのか、それも出来ません。解決策は、異邦人もユダヤ人も、自分がどこから救い出されたかを振り返るところから始まります。異邦人はイエス様と出会い、イエス様を信じて救われました。ユダヤ人もアブラハム以来の神様の導きの中にあったのですが、やはりイエス様と出会い、イエス様を信じて救われました。

異邦人とユダヤ人を結びつけるのはイエス様以外にありません。

 

こういうお話があります。昔、争いあう二つの家がありました。殺し合いをするほど仲が悪かったのですが、そんな中、一つの家のハンサムな若者ともう一つの家の美しい娘が恋に落ちました。ロミオとジュリエットですね。ふたりはひたむきに愛を貫こうとしたのですが、お互いの家同士がかたき同士なので何としてもうまくゆかず、そのために命を落としてしまいました。二つの家は大切な息子と娘を失った悲しみの中で、自分たちが争いあったために二人を死なせてしまったのだということを悟り、涙を流して互いにゆるしを請いました。こうして争いあう二つの家にようやく平和が訪れたのです。

 イエス様の十字架の死はこれとは比べようもありませんが、ヒントになると思います。イエス様という神のみ子であり、古今東西でかけがえのない方が人間の罪のために十字架につけられ、命を落とされました。イエス様が亡くなられた時、その場にいた百人隊長は「本当に、この人は正しい人だった」と言って神様を讃美し、見物に集まっていた人々も胸を打ちながら帰ったということが聖書に書いてありますが、ここからわかるようにイエス様の死が人を変えたのです。

イエスさまの十字架の前で、人は自分がこの方を殺してしまったという、取返しのつかない罪に直面させられ、そこから新しい生き方が始まるのです。だとすれば隣にいるのが異邦人だろうがユダヤ人だろうが関係ありません。見かけが違う、言葉が違う、しきたりが違う、なんでもかんでも理屈をつけて互いに壁を造り、争いあったその罪がイエス様を苦しめ、十字架の死に追いやったということを気づいてほしい。…パウロはそういう思いを込めて書いています。エフェソ教会の人たちはこれを読んで初めて自分たちの間違いがわかったにちがいありません。まさにイエス様が十字架につけられたということで平和がもたらされました。イエス様ご自身が平和なのです。異邦人とユダヤ人を隔てる壁が取り壊され、二つのものが一つになったのです。

 

皆さんの中で、外国の人を見たら心を閉ざしてしまうという人がいませんか。同じ日本人同士でも、ちょっと違ったら赤の他人で、打ち解けられないということはよくあります。そして今、新型コロナウィルスによる感染のために、人と人との距離がどんどん離れてしまっています。ソシアル・ディスタンスということで、人と人が近づきすぎないようにすることは大事ですが、心と心の間の距離まで広げることは必要ありません。むしろこの時期こそ、人と人の心と心がつながっていなければなりません。互いに助け合って、困っている人が一人でも少なくなるようにしなければならないのです。

イエス様は私たちの平和になって下さいました。イエス様はどこの国の人のためにもとうとい命をささげて、争いをしずめ、そのかわりに愛という最高のプレゼントを贈って下さったのです。これを使わないでいるという手はありません。

                                                                                  

(祈り)

 恵みといつくしみに富む天の父なる神様。新型コロナウィルスの感染がまだやまず、世界を見渡してもあちこちで不穏な状況が続く中、広島長束教会の礼拝を中心とする活動が少しずつ正常化に向かっていることを感謝します。今日もこうして、神様の恵みの内に礼拝を行うことが出来ました。ただし私たちは神様の恵みをすべて受け取ることが出来ず、取りこぼしたものが多いことをおそれます。日曜日にイエス様が私たちの主であっても、ほかの日に信仰についての無関心やお金やこの世の楽しみなど、イエス様以外のものが主であることのないよう、ふだんの日も心にたくわえたみ言葉によって養って下さい。

神様。この世界、特に東アジアの各地において、平和が脅かされるということが起こっています。平和のためにたたかっている人々が厳しい現実の前に心が折れてしまわないよう、どうかキリストが私たちの平和であることの意味をさらに深く悟らせて下さい。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをささげます。アーメン。

 パウロ暗殺の陰謀 YouTube 

詩編34:5~8、使徒23:11~22   2020.6.15

 

私たちは先週、パウロが最高法院のいならぶ人々で証しをしたことを見てきました。パウロはその場に死者の復活を認めるファリサイ派とこれを認めないサドカイ派がいるのを見て、こう言いました。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」するとファリサイ派とサドカイ派の間で激しい論争が起こって、その場が収拾できないほどの大混乱になってしまったのです。…これを見て、パウロは最初からそうなることを狙っていたんだ、なかなかのやり手だなあという人がいるのですが、私たちはそれよりも、パウロの、死者が復活することを訴えたかった、どんな人にもわかってもらいたかったという、渾身の思いをこそ受けとめたいものです。

パウロが最高法院で語り、行ったことは、ほかならぬイエス・キリストによって認められています。その夜、主イエスがパウロのそばに立って、こう言われたからです。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

もっとも、パウロにとって、これで危険がなくなったのではありません。エルサレム神殿に続いて、最高法院でも力強くイエス様を証ししたパウロに対して、ユダヤ人の敵意がめらめらと燃え上がりました。おそらくユダヤ人の中でもいちばん強硬な人たちだったと思いますが…。夜が明けると、その人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てたのです。

日本でも例えばお茶断ちと言って、何かの願掛けをした人が、それを果たすまではお茶を口にしないということがあるようですが、それにしても人を殺すまで飲み食いしないというのは激しすぎますね。これは一種の呪いだと考えられています。どういうことかと言いますと、「パウロを殺すまでは飲み食いしない。もしそうでなければ神が私たちを呪われるように」ということで、不退転の決意をあらわしているのです。

 これは明らかに法を逸脱した行為で、旧約聖書のどこを調べても、裁判の結果を待たずに人を、それがどんな悪人であったとしても、勝手に殺すことは正当化されません。この人たちに、なぜこんなことをしようとするのかと尋ねたとしたら、きっと「パウロは裏切り者であり、背教者だからだ」と答えたでしょう。しかし、かりにそれが本当だったとしても、人に命を与え、また取り去るのが神以外にありえないことは当然でありまして、だれも神様の代わりをすることは出来ないのです。

ユダヤ人たちは、祭司長たちや長老たちのところに行って、自分たちの企みを告げて、協力を求めました。この祭司長たちや長老たちというのは、おそらく最高法院でパウロに反対したサドカイ派かそれに近い人たちでしょう。人々の指導者として立てられているこの人たちまで、一緒にパウロ暗殺の企みに加わることになったのです。

ユダヤ人たちが考えたパウロ暗殺計画というのは、こうです。この時点では、千人隊長が部下の兵士を使ってパウロを保護しています。当時ユダヤの国はローマ帝国の直轄地なので、パウロを襲撃しようとすれば、ローマの兵隊と正面から戦わなければならなくなり、たいへん困難です。そこで祭司長たちや長老たちに最高法人と組んでもらった上で千人隊長のところに行ってもらい、パウロについてもっと詳しく調べたいからまた最高法院に連れて来て下さいと頼むようにしてもらうわけです。千人隊長がこれを認めたら、パウロにそう多くない兵士をつけて護衛させ、最高法院まで送り届けるだろう、その途中、40人以上の一団が現れて襲撃し、パウロを殺してしまおうという算段です。襲撃する方は、自分の正体を明かすことはありません。誰がやったかわからない中でパウロが殺されたということにすれば、関係者に捜査の手が及ぶことを防げるだろうと踏んだわけですね。…ということで、恐ろしいたくらみが進行していたのです。

 

 こういう事態の中で、パウロはどういう思いでいたでしょうか。パウロはこの二日前に神殿の境内で群衆によって袋叩きにされ、千人隊長の許可のもとに行った演説も「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」という声にかき消されてしまいました。次の日が最高法院で、彼の証しがもとで大騒ぎになっています。身の危険を感じなかったはずはありません。…皆さんの中には、パウロはもともと強い人だから、何があっても沈着冷静であったと思っている方がおられるかもしれません。しかし、そう言い切ることは出来ません。11節の主イエスの言葉の中に「勇気を出せ」というのがありますね。落ち込んでいたから「勇気を出せ」と言われたのです。パウロだって私たちと同じく弱さをかかえた人間で、それが何によって強くされたかということが大事なのです。

 皆さんの中で暗殺される危険に見舞われた方はおられないでしょうが、戦争の時代に自分の近くに爆弾が落とされたとか、自動車を運転している間に対向車とぶつかりそうになったなんて方はおられるかもしれません。人生何が起こるかわかりませんから、たとえどんな危険な状況におちいっても、「もうだめだ」とあきらめるのではなく、なんとしても生き抜こうとするのは当然です。

 カリブ海の島国キューバで長らく国家元首を務めたフィデル・カストロという人がいました。毀誉褒貶が激しい人で、この人がしたことについて評価は差し控えますが、なにせ超大国アメリカの目と鼻の先で革命を起こしてしまったのですから、ひんぱんに命を狙われることになりました。暗殺未遂回数は実に638回、この人を殺すために638回、あらゆる方法が駆使されたのですが、これを全部切り抜けて4年前、90歳という天寿をまっとうして亡くなりました。この暗殺未遂回数の記録はギネスブックに登録されています。それにしてもこれは、運が強いというよりはむしろ、何が起こっても生きぬこうとする強靭な意志のなせるわざだったのでしょう。こういうところは見習って良いと思います。なおカストロ氏は小児洗礼だけは受けていたようです。

話をパウロに戻します。パウロが、自分は殺されるかもしれないということで、始終、極度の緊張を強いられたのは間違いありません。そんな時に取り乱すことも、恐怖に打ちひしがれることもなく、事態を切り抜けるためには何が必要なのでしょうか。

パウロは結局、ここで殺されることはありませんでした。

使徒言行録には、ペトロが監獄から救い出された話があります。12章に書いてあるのですが、そこでは奇跡が起こっています、神様が超自然的な方法を用いられた結果、天使が現れて彼を救い出したのです。…さて今回、パウロが救い出された方法は、そこに書いてある通りです。パウロ暗殺の陰謀を聞いたパウロの姉妹の子がこれをパウロに知らせたので、パウロはこの若者を千人隊長のもとに連れて行ってもらって報告させました。「どうか、彼らの言いなりにならないでください。彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。」千人隊長がこれに応えて、パウロを守ることになるのですが、ここで注目したいことは神様が超自然的な方法を用いられなかったということです。神様なら奇跡を使ってパウロを救い出してもよいはずなのに、なぜそうされなかったのでしょうか。

ある人は、神様は昔はたくさん奇跡を起こされたが、時代が新しくなるにつれて奇跡を起こされなくなったのだと考えています。たしかに聖書を調べていても、古い時代には不思議な話が多いのですが、時代が新しくなるにつれてそういうことが少なくなっているので、その考えにも一理あるかもしれません。私自身、イエス様がその言葉によって病気の人をいやされたようなことを、自分の目で見たことはありません。

しかしながら、私は皆さんに伝えたい。それが奇跡であろうがなかろうが、神様の救いのみ手が働いていたということが大事で、その前にはすべての疑問が吹き飛んでしまうということを。

パウロを暗殺しようとした人たちが、その企みを誰にでもぺらぺらしゃべるということは絶対にありません。それなのに、どうしてパウロの甥御さんにもれてしまったのでしょうか。可能性として、陰謀を打ち明けられた祭司長たちや長老たちの口からもれてしまったことが考えられますが。…では、秘密が漏れたのは全く偶然だったのでしょうか。たまたま秘密がもれてしまったために、それがパウロの耳に届いて、千人隊長がパウロを守ろうとしたのだとすると、そこに神様の救いのみ手は見えません。パウロが殺されなかったのは全くの偶然だったと考える人がいるでしょうが、それは間違いです。というのは、イエス様はすでにパウロに告げていたのです。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」イエス様が、ということは神様のみこころだということですが、パウロに対し、ここで死ぬことを許さない、あなたは生きながらえてローマにまで行かなければならないということを言っていたわけですね。…奇跡が起こっても起こらなくてもそれは大きな問題ではありません。すべては神様の導きの中にあります。神様のみこころが、パウロはローマに行かなければならないということだったので、パウロは生き延びたのです。

 

旧約聖書の列王記下の6章15節以下に面白い話があります。

その時、イスラエルの民はアラムという国の軍隊と戦っていました。15節から読んでみます。「神の人の召し使いが朝早く起きて外に出てみると、軍馬や戦車を持った軍隊が町を包囲していた。従者は言った。『ああ、御主人よ、どうすればいいのですか。』するとエリシャは、『恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い』と言って、主に祈り、『主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください』と願った。主が従者の目を開かれたので、彼は火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た。」

敵の軍隊に囲まれているのを見て、どうすればいいのですかとおびえる召し使いの目が開かれた時、天の軍勢が山にいっぱいになっているのが見えた、つまり敵軍よりも味方の軍隊の方が強くて、多いのです。これははるか大昔の、おとぎ話でしょうか。妄想でしょうか。そうではありません。パウロは、これとはかたちが違うものの、神様が彼についているということを信じていたのです。殺されるかもしれないという恐怖に押しつぶされそうになったかもしれませんが、自分の味方は自分を殺そうとしている四十人以上よりもはるかに強く、数も多いことを知っていた、いや知らされていたのです。

神の守りが超自然的なものかそうでないかは問題ではありません。イエス様がお前はローマにまで行かなければならないと言われた以上、自分がここで死ぬことはないと信じたのです。甥御さんが来て「おじさん、危ないですよ」と言われても、おびえることなく、冷静になっていちばん良い方法を講じる、これがたとえ命が狙われるような絶対絶命の状況の中にあっても信仰によって生きるということです。

イエス様はマタイ福音書10章29節以下でこう教えておられます。「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽でさえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

一羽の雀さえ守りたもう神様が、私たち一人ひとりを守られないはずはありません。神様は皆さん一人ひとりを選ばれ、信仰へと導き、この人生でほかの人には出来ないかけがえのない役割を与えて下さいました。それをやり終える前に死ぬことはないのです。人が人生の中で遭遇する危険を切り抜けるのは運ではありません。運がいい、運が悪いで人生を決めてしまってはなりません。神様が共におられるということこそ何より大切であることを心に刻み、一日一日、与えられた日々を大切に用いて行く者となりましょう。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様の御名がたたえられますように。

いま、例外はありますが、多くの人がそれぞれの困難をかかえて神様の前に出ています。自分のこれまでのことを振り返って、子ども時代は人生ばら色だったけれども、成長するにつれてつらいことばかり多くなったと思っている人がいるかもしれません。いや、子どもだって大変なんだという声もあるかもしれません。私たちはパウロのように暗殺される危険はないと思いますが、老人は老人なりに、青年は青年なりに、子どもは子どもなりに悩んでいると思います。しかし神様は、誰に向かっても、逃げてはいけないと教えておられます。自分がどんなに力がなく、頭が弱いように思えたとしても、イエス様がおられて共に闘って下さいます。逆におごり高ぶった人に対しては、イエス様は目をさまさせて下さいます。神様、どうか私たちの心の目を開いて、100万の軍隊よりも頼もしい方が自分の救い主であることを見せて下さい。そしてこの恵みが、いま新型コロナウィルスと闘うすべての人々の前にもありますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名を通して、み前におささげします。アーメン。

力強い証し  youtube 

出22:27、使徒22:30~23:11   2020.6.7

 

日本のいろいろな教会の中に、証しということをとても重んじる教会があります。集会の中に証しの時間が入っていて、出席者が次々に、私はイエス様を信じたことで、こんな恵みを頂きましたと言うのです。日本キリスト教会には、証しの時間をもうけているところはないと思います。証しをあまり重んじていないからです。というのは、証しというのはしばしばおかしな方向にずれてしまうからです。そのため、証しを集めた本などもないようです。

例えばこういう証しがあったとしましょう。「私はイエス様を信じてから、家庭が円満になり、仕事もうまくいくようになって、お金もたまり、いまはとても幸せです。神様に感謝しています」これはご本人にとっては喜ばしいことですが、私たちはこれを素直に受け取って良いものでしょうか。幸せが来たことで信仰に目覚めた人は、不幸におそわれると簡単に信仰を失ってしまうということがよくあるのです。

こんな証しもあります。「私は学校に行かなきゃいけない時にお腹が痛くなってしまいました。でも、お祈りしたら痛みがなくなりました。」これは私が北京で留学していた時、日本人が主催する集会で実際に聞いたもので、本人は神様への感謝の思いでそう言っていたのですが、…私は疑問に思いました。

日本キリスト教会は、勉強を大事にしています。聖書から神様の言葉を聞いて、正しく理解することを第一にしており、証しはこれとは違うと考えているので、礼拝や祈祷会にわざわざ証しの時間を設けることはしていません。しかし私は一度これを体験したことがあります。横浜海岸教会にいた時、クリスマスの讃美礼拝に証しを入れようということになって、そこで誰にやってもらおうかということになりました。ある、信心深い中年の女性が候補にあがったのですが、私はこういう日は若い人がいいと、二十歳そこそこの、洗礼を受けたばかりで、スポーツインストラクターをやっている女の子を推薦し、やってもらうことになりました。あの子に証しなんてできるの、という声もあったのですが、いざやってもらったら、内容は忘れてしまいましたが、すばらしい証しをしてみんなに感銘を与えてくれたのです。

こうして見ますと、証しがすべていけないわけではありません。わざわざ証しの時間まで設ける必要はないと思いますが、時と場合によっては、とても立派な証しが出てくるのです。要するに、聖書から神様の言葉を正しく聞くことが根底にあってこそ、本当の証しが出てくるということです。…そこでさらに考えますと、礼拝で神様の言葉を受けとめた私たちの口を通して、教会の内外(うちそと)で発せられるすべての言葉が、大きな意味で証しという性質を持っているのではないでしょうか。

私たちの口から、何の考えもなしに出てきた言葉でさえ、良きにつけ悪しきにつけ私たちの信仰を語っているのです。そういう意味でパウロが最高法院で語ったことも、証しとみて間違いありません。                                                                                    パウロはエルサレム神殿の境内にいた時、群衆によって袋叩きにされて殺されそうになりましたが、この町に駐屯しているローマ帝国の千人隊長によって危ういところで助け出されました。この人は異邦人で、ユダヤ人ではなく本当の神様を知らない人でしたが、パウロを尊重して、彼がユダヤの人々に話をすることを許可しました。ところが人々はパウロが話している途中でかんかんに怒って、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と叫ぶのです。千人隊長の方はユダヤの言葉が出来ないこともあって、なぜパウロが人々からこんなに反対されるのかわかりません。そこで確かなことを知りたいと思い、最高法院を召集したのです。最高法院とは日本で言えば国会のようなところで、千人隊長がひと声発したところで最高法院を召集できるのかという疑問があるのですが、もしかしたら千人隊長が総督など自分の上司に頼んで、実現させたのかもしれません。

日本の国会でも時々、参考人招致といって、国会議員でない人を呼んで話を聞いたり、尋問することがありますが、パウロも同じことになったのです。その場にいたのは日本でいえば国会議員にあたる人で、大祭司、祭司長、ファリサイ派とサドカイ派の議員などでした。

私たちはこれから、パウロがいならぶ議員たちを前に語ったことを学びますが、ここは昔からたいへん議論のあるところです。…なんといいましょうか、ここでのパウロの態度を見て、おかしいんじゃないかという人がいるのです。おそらくその人たちには、クリスチャンならクリスチャンらしくとか、どんな時でも紳士的であるべきだ、という思いがあるのでしょう。しかし、この時のパウロのふるまいはそうではありません。相手を挑発したかと思うと、次の瞬間にはあっさり前言をひるがえす、議員たちが2つのグループに分かれているのを知ると、言い争いをするように持っていく、まるでみんなをもてあそんでいるんじゃないかと考える人もいるのです。

 そこで本当にそうなのかということを見ることにしましょう。パウロはいならぶ議員たちを見つめて、まずこう切り出しました。「兄弟たち、わたしは今日(こんにち)に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」

 どの人の中にも良心がありまして、悪いことばかりしている人の中にも良心のひとかけらがあったりします。いま日本の裁判では、証言する人は「良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」と言って宣誓しますが、パウロの場合、神様から与えられた良心に従い、神様の前で生きてきたということが重要です。

人の前で生きてきた人はたくさんいます。人の目を気にする、だから悪いことはしないという人がいますが、これがさらに進んで神様の前で生きるようになることが本当です。

 パウロが発言した時、大祭司アナニアという人が、パウロの口を打つように命じました。「この不信仰者めが、何を言っているのか」ということです。この時、パウロはこう言い返しました。「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従ってわたしを裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか。」

 白く塗った壁とは、今にもくずれそうなぼろぼろの壁を漆喰を塗ってきれいに見せかけただけのものです。強い雨でも降ってきたらたちまち漆喰がはがれて、醜い姿をさらすことになるでしょう。アナニアという人は評判が悪い人で、大祭司でありながら不正に手を染め、自分のじゃまになる人を暗殺したということが歴史書に記されています。裁判の判決が出ていないうちに被告を打つことも律法に違反していることですから、パウロは相手がどれほど偉い人であっても、臆せずにこう言ったわけですね。

 ただ、このあとのパウロについて、パウロらしからぬふるまいだと考える人がいます。パウロは「神の大祭司をののしる気か」という声があがるとすぐに態度を改めて言いました。「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに『あなたの民の指導者を悪く言うな』と書かれています。」大祭司は特別な服装をしていたので、パウロにわからなかったはずはありません。でも、パウロがうそをついたのではないでしょう。これは「あなたのような人が大祭司だとは」という、一種の皮肉だと思います。一方、「あなたの民の指導者を悪く言うな」というのは、初めにお読みした出エジプト記に書かれていたことで、パウロはこれを出して矛をおさめます。大祭司に向かって言うべきことは言った上で穏便にすませたのです。……私たちにもこのような賢さが必要です。地位の高い人に対して忖度して、言うべきことを言わない人が多すぎます。総理大臣でも誰でも、悪いことをしていたらはっきりと批判すべきです。しかし自分たちの指導者として尊ぶ姿勢は持っていなければなりません。

                                                                                                                               

 さて、パウロの言動ででもう一つ不思議なことがあります。パウロは議員の一部がサドカイ派で一部がファリサイ派であることを知ると、自分はファリサイ派ですと言いました。するとサドカイ派とファリサイ派が言い争いを始め、収拾がつかなくなってしまうのです。…これを見て、パウロは策略を使った、なんと悪賢い人間かと言う人がいるのですが、本当でしょうか。

 この時、ユダヤの国には、サドカイ派とファリサイ派、そして誕生から間もない、イエス様を救い主と信じるキリスト教徒がいました。ファリサイ派は皆さん、ご存じですね。サドカイ派というのはファリサイ派とは違うグループで、祭司はほぼサドカイ派、だから大祭司もサドカイ派、一方律法学者はファリサイ派と考えて間違いないようです。サドカイ派とファリサイ派はふだんは対立していましたが、イエス様とキリスト教徒に反対することでは共同戦線をはって互いに協力していました。だからこの日、サドカイ派もファリサイ派も一致協力してパウロをやりこめる手はずだったのですが、パウロの発言がこの二つを引き離してしまいました。

 皆さんお持ちの旧約聖書には全部で39の書物が収められています。サドカイ派はその中で最初の5つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記だけを信じていましたが、ファリサイ派は39の書物全部を信じていました。ほかにもいろいろな違いがあるのですが、一番大きな違いはサドカイ派が復活を信じないのに対し、ファリサイ派は信じていたことにあります。サドカイ派は人間、死んだらもう何もないのだというのですが、ファリサイ派の方は、人間は死んでも神様がいつの日か蘇らせて下さると教えていたのです。

 サドカイ派とファリサイ派を引き離してしまったパウロの言葉はこうです。「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」

 パウロはここで的を一つに定めました。ほかのことを取り上げたら、サドカイ派もファリサイ派も一緒になって自分を批判してくるに違いない、なら復活の問題を訴えようということもあったでしょうが、これはパウロが何よりも訴えたいことでありました。  

 皆さんは、イエス様がファリサイ派をさんざん批判したことは聞いているでしょう。ファリサイ派は真面目な人たちですが、真面目が行き過ぎておかしくなってしまうことがたびたびあったのです。それでも死者が復活することを信じていたのはこの人たちにとってたいへん良いことでした。もちろん、復活というのはなかなかわからないものです。しかしサドカイ派のように、死者の復活なんてありえない、人間、死んだらおしまいであとには何もないということでは、どこに望みがありますか。生きる望みがありますか。死んだらおしまいなんだから、生きている間はただ楽しく過ごせばいいということにしかなりません。これでは神様が与えて下さる救いが見えて来ないのです。こんなことを信じて、教えている人たちが祭司となって、神殿を牛耳っていたというのは全く情けないことでした。

 ファリサイ派も問題が多い人たちですが、サドカイ派よりはましでした。パウロはもともと熱心なファリサイ派で、そこからクリスチャンに変わったのです。ファリサイ派として死者の復活についておぼろげに信じていたことを、死んでよみがえったイエス様に会ったことで、それが確信へと変わったのです。

 もしもイエス様が十字架で死んだままよみがえらなかったとすれば、イエス様がすべての人の罪を背負って死なれたという教えがあっても、それは時が経つにつれてだんだん消えてゆくでしょう。しかしイエス様は復活された、これは天の父なる神様がイエス様の十字架の死を受け入れられたということばかりでなく、イエス様に続く数限りない人たちが死んでもやがて復活することを教えてくれるものでした。…パウロはこのことを、むかし自分もその仲間であったファリサイ派の人たちにもわかってもらえるよう願ったのでした。

 はたしてパウロの言葉は、ファリサイ派の人たちの心を動かしました。もしかして、この人が言ってるのは正しいのではないかという声があがって、サドカイ派の人たちとの間で激しい議論が始まり、その場が収拾できなくなったので、その日の話し合いは終わりました。この日のパウロのふるまいを見て、「パウロは策略を使った、なんと悪賢い人間か」と思っている人がいるのですが、それは間違っています。イエス様の教えに「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」というのがあるのですが、パウロはまさにその言葉通りに行ったのでした。

 その日の夜、イエス様はパウロのそばに立って言われました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」…これは、イエス様ご自身が、パウロの証しを認めて下さったことにほかなりません。

 

サドカイ派は「死んだ人間が生き返るものか」と言っていましたが、こんな言葉はもはや人を動かしません。「神様がおられ、神様は死よりも強い。イエス様が復活なさったことで、人は復活する、死んでも生きるのだ」ということこそ、力強い証しとなって人々を動かし、時代を前に進めて行くのですから、皆さんもどうかこのことを信じて、ご自分の人生の先に希望の光を見出して下さいますように。

 

祈り                                                                                                                             

 神様。パウロが最高法院で語った力強い証しが、どうか私たちの中でも大きな力となってゆきますように。

 私たちは程度の差はあれみな弱い人間で、自分が信仰を持っていることを周囲の人の前で隠すことがあります。まして死者が復活するという望みを語ることはまれです。これは、信仰が本当に身についていないからだと思います。

 神様、信仰がただのアクセサリーでないことを感謝します。私たちが信じているのが十字架で死なれたままのイエス様ではなく、死んで復活されたイエス様でありますように。イエス様を証ししつづけ、その恵みのもとでの人生をまっとうさせて下さい。

いま感染病と闘うすべての人々と教会を顧みて下さい。とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

新しく確かな霊を授けてください youtube

詩51:12~14、Ⅰコリ12:1~11 2020.5.31

神様はおひと方だけです。けれど三つの顔を持っておられます。父なる神様と子なる神様、イエス様ですね、そうして三番目が聖霊です。せいは聖書の聖、そして霊ですが、幽霊の霊、こう言うとイメージが悪いのですが聖霊は決しておそろしいものではありません。なぜかというと、聖霊は神様だからです。

イエス様はあの最後の晩餐の席で弟子たちに、聖霊が与えられることをお告げになりました。次の日、イエス様は十字架につけられて亡くなられましたが、それから50日目のペンテコステの日、一同が集まってお祈りしている最中、天から聖霊が一人ひとりの上に下りました。するとみんな家の中から外に飛び出して、神様のすばらしさをいろいろな言葉で語り始めました。これを聞いて、イエス様を信じて洗礼を受けた人が三千人で、その日が教会の誕生日とされています。私たちは今しているのは、その記念礼拝なのです。

 

イエス様はご自分が天に帰られたあと、聖霊なる神様が教会を導いて、世界の人々を罪から救い出して下さることを教えて下さったのです。でも聖霊というのはわかりにくいです。形あるものではないので目に見えません。それなら、聖霊はないのか、そうではありません。聖霊なしに教会が発展して、世界の多くの人がイエス様を信じるようになったとはとても考えられません。じゃあ、どうやったら聖霊に会うことが出来るのかというのは、昔から今まで、イエス様を信仰する人々にとって大きな関心事でありました。

この問題は、いろいろな教会の礼拝のし方を見てみることがヒントになります。私たちの日本キリスト教会は、見ての通り、とても落ち着いた、静かな礼拝をしています。しかし、別なタイプの教会には、みんなが一斉に声を出して祈ったりするにぎやかなところもあります。「天使にラブソングを」という映画を見た方がおられるかと思いますが、その教会では現代的な、ノリのいい曲を歌っていました。…アフリカの教会の礼拝に出席した人が言っていましたが、そこでは賛美歌の時、みんな踊りだすのだということです。…まあ、それくらいまではいいのですが、こんな教会があります。例えば礼拝の間、みんな興奮状態になって立ち上がり、ワーとかキャーとか、またそればかりではなくわけのわからない言葉を語りだす、本当にそういう教会があるのです。…そこで、皆さんどうしたんですかと聞くと、聖霊が降ったのです、私たちみんなの上に神様がのりうつったのです、と言うでしょう。

昔のコリントの教会にもそういう人がいて、礼拝中興奮して我を忘れ、酔っぱらったような状態になるのです。しかも、これこそ聖霊が働いている証拠だ、ここまでならないと教会ではないという感じなので、心配した人がパウロ先生に相談した、そこでパウロが書いた手紙を私たちは今見ているのです。

パウロ先生はここで、こう書きました。「兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。」…コリントの教会の人たちは、イエス様を信じる前、ギリシア神話の神々を信じていました。神殿に像があって、たくさんの人がお参りしているのですが、神々の像は人間が造ったものですから何もしゃべりません。そこで人間の方からいろいろ語りかけるのですが、そうしている内にだんだん興奮状態になっていくのです。

このようなことは神様が選ばれたイスラエルの民にもありました。皆さんは金の子牛の話を知っていますか。昔イスラエルの人たちがエジプトを出て、荒れ野の旅を続けていた時、金で子牛を造って、これが私たちを導いて下さる神様ですと言って礼拝したのですが、その時、みんな羽目をはずして、乱痴気騒ぎになってしまったのです(出エジプト記32章)。本当の神様を見失うと、そうなってしまうのです。

パウロは、あなたがたは別の神様を信じていた時も本当の神様を信じている今も、大して変わりがないではないかと言います。実際、コリント教会の一部の人たちは、礼拝中に我を忘れ、酔っぱらったような状態になって、自分でもわけのわからない言葉を語っていたのですが、その中に「イエスは神から見捨てられよ」というのもあったのです。教会の中ですよ。イエス様を信じているはずの人がいくらおかしくなったとしても、言っていいことと悪いことがあるじゃないですか。…こんな言葉が出てくるようでは、とても教会とは言えません。聖霊が働いているとは言えません。…で、これとは正反対の言葉が「イエスは主である」です。主とはキリスト、救い主ですね。「イエス様は救い主です」という言葉が出るよう導いてくれるのが聖霊の働きです。人を救い主イエス様を告白する信仰に導かないところにたとえどんなにたくさんの人が集まっていても、それは教会ではありませんし、聖霊は働いておりません。

 

それでは4節5節の言葉を注意してみてみましょう。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」

ここにある賜物と務め、働きは別々のものではありません。一つのことを3つの言い方をしたものです。また「同じ霊です、同じ主です、同じ神です」、という繰り返しがありますが、皆さん、おわかりでしょうか。霊とは聖霊、主とはイエス様、神は父なる神様です。今日、お話の最初に一つの神様が三つの顔を持っていると言いました。三つで一つの神様が、いろいろなことをなさいますが結局は一つなのです。このことを覚えて頂いて、ここから霊の働きについてお話ししましょう。

コリント教会の人たちの中には、うぬぼれて、自分のことを鼻にかける人がいたようです。…礼拝中、興奮状態になる人とそうでない人がいたとします。そうすると、興奮状態になる人がなっていない人を見下して、あなたは信仰が足りないのだと言います。…そればかりではありません。とても優秀で何でもできる人と残念ながらそうではない人がいたします。そうすると、優秀な方の人が、自分は神さまから賜物を頂いている、それに比べるとあの人は神様からうとんじられていると、口で言ったかどうかはわかりませんがそう思っているのです。弁舌に秀でた人は口下手な人のことを、かっこいい人はそうでない人をばかにする、それも自分は神様から大切に思われているけどあの人は違うみたいに思っている、こんなのってありですか。

パウロ先生は言います。「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」

自分は恵まれているけどあの人はそうじゃない、こんな人ばかり多くなってもなんのいいこともありません。全体のためになりません。ここで発想の転換が必要なのです。

ものごとを神様の眼で見なければなりません。“霊”の働きというのは、誰にも与えられています、ある人は、聖書の言葉を説得力をもって説き明かすことが出来ます。ある人は、みんなを一つにまとめるのが上手です。この人がいるとその場が明るくなるという人もいます。料理が上手な人も、力仕事なら任せてくれという人も、こわれたものをすぐに修理できる人もいます。

かりに料理が上手な人と力仕事なら任せてくれという人を比べて、どちらが優れているか決めることが出来ますか。出来るわけがありません。みんな違ってみんな良いのです。人それぞれ、自分の得意分野を一生懸命やることが教会全体をよくしていきますし、ひいては社会全体に幸せを呼び込むことになるのです。

ただし、そうは言ってもという人がいるかもしれません。“霊”の働きが誰にも与えられているなんてことはないでしょうと。「テレビアニメの「ドラえもん」では、「できすぎ杉君」のように何をやっても優秀な人もいれば、「のびた君」のように勉強もスポーツも出来ない人がいます。「できすぎ君」が「のびた君」をばかにしたり、「のびた君」が「できすぎ君」にやきもちを焼くのも当たり前じゃないか。何しろ神様は一人ひとりを不公平につくられたのだから。」

でも、そんなことはありません。その理由は、「できすぎ君」にない良いものを「のびた君」は持っているということが一つ。また、学校の成績のように同じ土俵で勝負するとしても、生まれつき与えられている能力より本人の努力の方が大事なのです。スタートラインでは「のびた君」にはハンディキャップがあるかもしれませんが、努力するなら、そのことは決して無駄になりません。

イエス様はタラントンのたとえを教えて下さいました。主人の留守中に5タラントン、2タラントン、1タラントンのお金を預けられたしもべの話です。5タラントンを預かったしもべはこれを10タラントンに増やし、2タラントン預かったしもべもこれを4タラントンに増やしましたが、1タラントンを預かったしもべはこれを土の中に隠しておいて増やさなかったので、主人に罰せられたという話です。

私たちの中に、神様から5タラントンもの特別な賜物を授かった人がいるかどうかはわかりません。頂いたものはたった1タラントンであっても良いのです。これを持ち腐れにせず、よく用いて、わずかであっても増やしていくことが大事です。このことはお金もうけに限りません。イエス様を目指して歩む私たちの全人生について言われていることです。聖霊なる神様の導きによってこそ、これがかなうのです。

神様、私たちの中に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けて下さい。聖霊の賜物は興奮状態になってあらぬことを口走ることではなく、イエス様は主であると言うところにあります。イエス様が主であるということは、自分が主人ではないということです。自分が、自分がということではなく、イエス様が主であるというところでこそ、一人ひとりが神様から頂いている賜物が花開くことになるのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。今日はペンテコステ、私たちは教会の誕生日を記念する礼拝に参加することが出来ました。むかしイエス様は天に帰られましたが、天から聖霊なる神様が降って、教会をつくって下さいました。だから私たちは、直接イエス様に会うことは出来なくても、聖霊によってイエス様と結ばれています。そうしてイエス様が私たちの祈りを聞いて下さることを信じて、感謝いたします。

 神様、どうか私たちに聖霊の働きをもっとよく見えるようにして下さい。そうして、ここにいる誰もが、イエス様は主であるという信仰に生き、一人ひとりそれぞれに与えられた霊的な賜物を感謝して受けとめ、大きく増やして行く

ことが出来ますように。

 神様、聖霊の働きによって世界と日本にある教会を強め、感染病とそれが生み出す人と人との心の分断に打ち勝たせて下さい。広島長束教会が元気になることで、ウィルスに対する勝利を広島の地で示すことが出来ますように。

 主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

2020,05,24 説教 井上 豊牧師
00:00 / 38:23

  雲の柱、火の柱  youtube 

出エジプト13:17~22、へブル12:1~3  2020.5.24

 

 初めに、新型コロナウィルスによって亡くなられた方、また今もこのウィルスと闘っているすべての方々のために黙とうしましょう。

 

この教会で一切の集会が行われない時が長く続き、今日やっと礼拝の再開にこぎつけて感謝しております。ただ新型コロナウィルスによる感染が終わったわけではありません。

 連日報道されていますから、皆さんもご存じのことですが、百年ほど前に「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが世界的に大流行した時は、第一波、第二波、第三波とあって、収束まで3年かかったということです。今起こっている事態が早くに収束してそのまま終わることを誰しも願っていますが、かりにこれが3年も続いたら、…今すでに世界も日本も大混乱で、さまざまな悲惨な、また予期しない出来事が起こっているわけですから、いったいどんなことになるのかと思います。

教会にも大きな変化が現れてきています。これまで教会は、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)と言われた主イエスの言葉に従い、共に集まって礼拝することを何より重んじてきました。しかしながら、感染病のために集まることさえ出来ないとなると、家にいながら送信される映像を見ながら行う礼拝も正式の礼拝になって、それが当たり前になるのかもしれません。ただそうなってしまうと、ひとりひとりの信者が孤立していくという心配が出てきます。

昨年の紅白歌合戦ではバーチャルの美空ひばりが出てきて歌いましたが、将来は自宅でバーチャルの長老の司会のもと、やはりバーチャルの牧師の説教を聞いて礼拝するなんてことがあるかもしれません。今後IT化が進むことで、いま目の前にいるのが生身の人間なのか、映像なのか仮想現実なのか、区別ができなくなるということも考えられ、そんな時代におけるコミュニケーションのあり方が問われることになるでしょう。現実がめまぐるしく変化していく中で、教会のあり方はどうなっていくのか、一人ひとりはどうやって信仰を維持していくのか。今後、暗中模索の時代が続いていくものと思いますが、このようなことは、起きていることは全く違っているものの、聖書の中にもありました。

 世界の諸民族の中で、吹けば飛ぶような小さな民族でありながら、今日(きょう)まで強靭な生命力を保って生き続けているのがイスラエル民族、ユダヤ人ですが、その長い歴史の中でも、紀元前12世紀後半に敢行された出エジプトは民族の命運をかけた、歴史的な出来事でありました。

この出来事のそもそもの発端は、カナンの地から奴隷としてエジプトに連れて来られたヨセフが、その兄弟たちと父親のヤコブを呼び寄せ、一族全員がエジプトに移住したことにあります。イスラエルの人々がエジプトに住んでいた期間は出エジプト記12章40節によれば430年でありました。日本の江戸時代が265年あったわけですから、それをはるかに超える期間、この地で生き続けていたことになります。

 初めはエジプトの地で平和に暮していたイスラエルの民ですが、やがてエジプト人の奴隷にされて苦しみぬき、民族絶滅政策も体験し、叫び、祈った末に神がその祈りに答えて下さいました。神は指導者モーセを遣わし、またエジプトに10の災いを降してこの民族を救おうとなさいました。

 10番目の災いは、神がエジプトのすべての家の初子を撃たれたというもので、さすがのファラオもこれにはもう持ちこたえることが出来ず、その夜のうちにモーセとアロンを呼び出して言いました。12章31節にこう書いてあります。

 「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい」。こうしてイスラエルの民は、エジプトを出てカナンの地に向かうことになるのです。

 

エジプト人は、イスラエルの民をせきたててすぐに出発させました。そうしないと、この先またどんな災いが起こるかわからないと思ったのです。

 イスラエルの民は急いで出発したので、十分な食料を揃えることが出来ません。イースト菌の入っていないパンの練り粉を鉢に入れたまま外套に包み、肩に担ぎました。羊や牛など家畜も一緒でした。先祖のヨセフの骨を持ってゆきました。ヨセフは生前、自分の骨を持って帰るようにと遺言していたからです(創50:24~25)。

 12章37節によりますと、一行は壮年男子だけでおよそ60万人だったといいます。これに女性や老人や子供を入れると200万人近くになりそうですが、そんなにたくさんの人が出発したとは考えにくく、学者は翻訳が違っているとか60万の数字に象徴的な意味があるなどと言っていますが、これ以上はふれません。いずれにせよ、大勢の人たちと家畜がその日、旅立ったのです。

 聖書に地図が載っている方は、出エジプトの道という地図をご覧下さい。イスラエルの人々はラメセスという町から出発しました。ラメセスはイスラエルの民によって建設された、ファラオの物資を貯蔵する町でした。

一行はラメセスを出てまずスコトに向かいました。それからスコトを出発して荒れ野の端のエタムに宿営したと書いてありますが、エタムの位置はわかっていません。地図に載っているバアル・ツェフォンは、エタムの次に宿営する場所です。

 聖書に、出エジプトの旅は40年かかったと書いてあり(民33:38他)、そこから荒れ野の40年という言葉が出来ました。けれども、皆さん不思議に思いませんか。エジプトからカナンの地まで直線距離をはかってみると270キロ程度です。一日に10キロ歩いたとしてもひと月もかかりません。どうして40年もかかってしまったのでしょうか。また、なぜ最短ルートを通らずに、わざわざ遠回りして南方のルートを選んだのでしょうか。

 そこでもう一度、本文を開いて13章17節を見ましょう。「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである」。

 ペリシテ街道というのは、エジプトとカナンの地を結ぶ最短ルートで、地中海に沿って東に向かうものです。17節の背後には、ここには記されていない神とモーセの会話があるはずです。イスラエルの民が北方の最短ルートを進んだ場合、遅かれ早かれそこに住んでいるペリシテ人に出会うことになり、衝突してしまいます。そうなると武力による対決になるでしょうが、その時イスラエルの民は「こんなことになるのだったら、エジプトを出るんじゃなかった」と後悔し、我れ先にエジプトに帰ろうとするだろう……、そう考えた神はこのルートを通ることを許しませんでした。

 この心配はもっともです。……しかしながら、人々がこわがるだろうからとルートを変更することは、神様らしくないとは思いませんか。

私は戦争体験がないので、以前ここを学んだ時、青臭いことを考えました。もしもペリシテ人が襲ってきたら、神様はイスラエルの人々を叱咤激励して「お前らそれでもイスラエル人か、戦え、戦え」と言えば良いのではないか。それでも負けそうになったら、神様なんですから奇跡を起して敵を打ち破ってしまえば良いじゃないか、と。…しかし神様は、ペリシテ人が強くて、この時のイスラエルの民が戦える相手でないことを知っているので、ずっと遠回りではあっても、戦う必要の少ない道へと導かれました。ここに私たちは、神様の深いご配慮を見るのです。それは第一コリント書10章13節が言っている通りです。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 神様は私たちにここに行きなさい、あそこに行きなさいと言われることがあります。私たちは神様のご命令なら従順に従うべきです。ただその時、まったく出来もしないことを命令されることはありません。神様から与えられる試練というのは、私たちの信仰の段階に応じて与えられます。神様は私たちが耐えられないような道には導かれません。「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩37:23)のです。それは訓練です。神様がイスラエルの民を遠回りな道に導かれたのには、無用な戦いを避けるという目的のほかに、この民を荒れ野の中で訓練し、その名の通り神の民にふさわしい人々にするためでした。イスラエルの民が、この訓練を終了するまで40年かかったのです。

 

 では、神様はイスラエルの民をどのように導かれたのか、21節に素晴らしいことが書いてあります。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされた」。荒れ野の40年の旅の間、イスラエルの民は雲の柱、火の柱に導かれて進んでゆきました。雲の柱と火の柱、これはおそらく一つのものです。昼と夜で違ったように見えたのでしょう。砂ぼこりがつむじ風のように巻きあげられたようなものではないかと思いますが、大切なことはそこに神様がおられたということです。

 雲の柱、火の柱はイスラエルの民の先に立って、彼らに進むべき道を示しました。それだけでなく、ある時には、民の後ろに立って、敵の攻撃から彼らを守りました(14:19~20)。民数記9章17節は書いています、「この雲が天幕を離れて昇ると、それと共にイスラエルの人々は旅立ち、雲が一つの場所にとどまると、そこに宿営した」。イスラエルの民は、いつ出発し、いつ宿営すべきかの指示を雲の柱・火の柱から受けました。彼らは神の命にしたがって進み、神の命にしたがって宿営したのです。

雲の柱、火の柱はいつもイスラエルの民とともにありました。神はその民と共に進んで行って下さいます。イスラエルを地上の他の民族と異なる特別なものにするのはこの事実です。モーセはこのあと33章15節で「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください」と祈っています。神が一緒に行かなければ、イスラエルは神の民でないし、そのとき、この民は何も出来ないからです。

 ここで起こったことは当然、神の民である私たちにも言えることです。いまこの世界は、何が起こるかわからない不安な中で右往左往しています。ウィルスによる感染拡大のために人と人との関係が以前とはまるで違ってしまい、どこに進んで行くのがいちばん良いのかもわからず、五里霧中の中をさまよっていますが、その中に教会も、また私たちもいます。…しかし確かなことは、神様が以前とは違った道に歩み始めた私たちと共に進んで行って下さるということです。

私たちが道に迷っても、神様は目に見えない雲の柱と火の柱によって私たちを導いて下さいます。もしも神様の導きがなければ、私たちも荒れ野のような世界の中で道を見失ってしまうでしょう。

 イスラエルの民は一緒に上って下さる神の命に従って進み、また宿営しました。雲がのぼる時はただちに出発し、雲が幕屋の上にとどまっている間は宿営し、雲が長い日数、幕屋の上にとどまり続けることがあるとひたすら待っていました(民9:19)。待つことを知っている者だけが、立つべき時に立つことが出来るのです。……私たちもある時は進みますが、ある時はその場所に留まり続けましょう。神の命にそむいて無理に出てゆこうとしてはいけませんし、また遅れを取ることがあってもなりません。

 それでは私たちは雲の柱、火の柱をどこで見つけたら良いのでしょうか。それは礼拝を中心とした信仰生活の中で行われる、救い主イエス・キリストとの不断の交わり、心の通い合いの中にあります。…今、この状況の中で、神様のみこころを聖書から読み取りましょう。私たちが見つめる先に死んで、よみがえったイエス・キリストがおられるのです。

何事においても主イエスが待てと命じられるなら、私たちは待っていましょう。しかし、主イエスが行けと言われる時には、すぐに立ち上がって進んでゆきましょう。イエス・キリストは時代と場所を超え、教会を通して世界を治めておられます。み言葉を語り続けていて下さいます。どうか広島長束教会に連なる人たちが荒れ野の中で一人も落伍することなく、人生の旅を最後までまっとう出来ますようにと願います。

 

(祈り)

主なる神様。あなたの深いみこころの中で礼拝が再開させ、私たちにみ言葉を届けて下さったことを、心より感謝申し上げます。

新型コロナウィルスによる感染拡大が日本ではおさまりつつあるとはいえ、まだ安心できません。神様、どうかこの状況の中で、ふだん脚光を浴びることはなくても社会にとってなくてはならない仕事をしているすべての人々に、天からの希望と勇気と健康を与えて下さい。また礼拝中止が長く続いている諸教会が一刻も早く正常な働きを取り戻すことが出来るようにして下さい、

神様、教会の歩みも私たち一人ひとりの歩みも、まるで荒れ野の中を約束の地を目指して歩く旅のようですが、その中で道に迷ったり、もといたところに帰りたくなった人がいたら、どうか雲の柱、火の柱を見せてあげて下さい。神様は私たちの限界を超えるほど厳しい試練はお与えにはならないことを信じます。どうか私たちがみな、最後の日まで、神様へのあつい思いを抱きつつ、神様の恵みを感謝して、前へ向かって進む者たちでありますように。この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によってお捧げします。アーメン。

2020.05.17 井上 豊牧師
00:00 / 20:50

恵みにより、信仰により youtube

レビ19:1~2  エフェソ2:1~10 

2020.5.17

 

 4月5日の礼拝以来、1か月以上の礼拝中止の期間が続いていますが、これほど長い期間にわたって礼拝が出来ないというのは、この教会が始まって以来のことです。それは日本にある他の教会にとっても同様で、戦時中、泣く子も黙る特高がはりついているという困難の中で礼拝を続けた教会であっても、今回の事態においては礼拝を中止せざるを得なかったのではないかと思います。

 日曜日に教会に行くことが出来ないこの時期、このことを皆さん一人ひとりはどう受け止めて、暮らして来られたでしょうか。中には、日曜日にもう教会に行く必要はなくなったと内心ほっとした人がおられるかもしれません。教会に行くことがおっくうになっていた、永遠のことがらより目の前の現実の方により心がとらわれてしまうということですね。しかしそういう人はごく少数であったと信じています。大多数の人は教会に行くことが出来ないことで、のどが渇くように心のかわきを覚え、一日も早く礼拝が再開されることを願って祈っておられます。また、そのために献金を献げて下さったことを感謝しております。

 今回の新型コロナウィルス感染では、病気や死に対する恐怖、医療崩壊、会社や飲食店の経営が成り立たなくなったりといったことばかりが重大なのではなく、多くの人々を家に閉じ込め、自由に出歩いたり、話し合ったり、思いを交し合うことまで奪って、人と人の結びつきを破壊してしまったということがありました。まるで、すべての人が牢獄に閉じ込められるようなものです。その中で信者一人ひとりを、ひいては社会を支える言葉を全国の教会と共に発することが出来たらと願って、聖書のメッセージを探り、語り続けているのですが、…どうかこの営みの上にイエス・キリストのたしかな導きがあることを祈ります。

 

 それではエフェソ書を読んで行きましょう。むかしパウロから直接、この手紙を受け取った教会は、礼拝の中でこれを朗読していたようです。しかし聞いていた人たちはそれでわかったのでしょうか。みんなが聞いてすぐにわかるようなら説教は必要ありません。その時代の人だからこそすぐに理解できるという部分もあったでしょうが、私はやはり、解き明かしを加えてもらわなければわからないということがあったのではないかと想像しています。そういうところから説教が始まったのではないでしょうか。及ばずながら、私もそのようなお手伝いをさせていただきたいと思います。

 2章1節、「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。」

 初めてこれを聞いた人たちがすぐに納得出来たとは思えません。「おれはこうして生きているのに、なんてこと言うんだ」という声があったかもしれません。これは現代人においても同じように言えることでしょう。

 ふだん元気で、自分の健康に絶対の自信を持っている人が、診断の結果、体にガンがあると言われたらびっくりしてしまうでしょうが、これに比べても、「死んでいた」というのはショッキングな言い方です。…逆に、「あなたは死んでいたんです」と言われても何も感じない人は、今も死んでいる状態が継続しているのかもしれません。

 放蕩息子のたとえ話があります。父親から財産をもらって遠い国へ出かけた弟息子は財産を使い果たし、毎日の食べ物にも困るようになって、ぼろぼろになって父親のもとに帰ってきます。父親はこのバカ息子のために祝宴を開くのですが、それをとがめた兄息子にこう言いました。「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。…祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15:32)

 放蕩の限りを尽くし、財産を無駄使いしたあげく、食べるものがなくなり、豚のえさでも食べたかったという弟息子は、生物学的にはむろん死んではいません。しかしお父さんから見ると死んでいた、霊的に死んでいたのです。

 これに対し、自分はそこまで落ちぶれていないという反論が帰ってくるでしょう。…でも、放蕩息子はどん底を経験することでまっとうな生き方へと帰ってゆきました。どん底まで行っていない人の方が心配です。死にかけているのに自分では気づかないままかもしれないのです。神様の目から見ればどちらも同じです。そのことを聖書は言っています。「この世を支配する者、かの空中の勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」

 私たちは誰もが罪の中で生きていました。そのために心臓は動いていても霊的には死んでいたのです。それが神を信じないで生きる人です。いま熱心な信者になっている人でも、やはりそういう時代を通ってきていますから、これはどんな人にも言えることなのです。

神様を信じないで生きている人、それは昔の私たちです。私たちのまわりにもたくさんいます。神様って何なのかわからないというならまだしも、信者をばかにしたり、神様を信じるのは弱い人だと思っている人もいるので困りますが、それは違います。…自分は神様など信じないと言っている人でも何かは信じています。

その何かというのをここでは、「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者」と言っています。サタンです。…その人は自分では気づいていなくてもサタンを信じ、サタンに心をからめとられているのです。

こうして「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していた」となります。

 パウロから手紙を受け取ったエフェソの人々は、もともとギリシアの神々を信じていました。ギリシア神話の神々はもちろん人間の頭がつくりだした神々で、なかなか面白い話もありますが、欲望のままに生活していました。悪いことをしても良心が痛んだり、悔い改めるわけではありません。つまり、ずぼらでいいかげんな神々でありまして、従って、それを信じる人たちもずぼらでいいかげんだったのです。

それと似たようなことがどの時代のどの国の人々にも起こっています。間違った神様を信じることでサタンに支配されている人たちは当然、間違った生き方しか出来ません。そこから出てくる結果はおそろしいものがあります。だから、「生まれながら神の怒りを受けるべき者」であったのです。

 

 生きているとは名ばかりで実態は死んでいる人間たちのために、世の中が、この国が、ひいては世界がどんなになっているか、それは皆さんが見ての通りです。もちろんこの世には素晴らしいこともたくさんあるのですが、それは神様が崩れ落ちそうな世界を我慢して支えて下さっているからにすぎません。

 未来に夢をいだけなくなった人たち、心と体を病んでいる人たち、貧しくて毎日食べてゆくのもやっとの人たち、ゲーム依存症の人たち、その他いろいろ困難な問題がありますが、神様はこんな世界を放っておかれるのでしょうか。そうではありません。神様はサタンに支配されているすべての人を救うための手立てを用意なさいました、神様の愛によって。それが5節と6節に書いてあること、「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」ということなのです。

 これを順を追って述べてみましょう。私たちはもともと「罪のために死んでいた」状態でした。みんなサタンの支配下にあったのです。このような人間たちがつくる世界はちょうどよどんで、きたない古池のようです。そこに蛙(かわず)が飛び込んで水の音が伝わっていくように、イエス・キリストが現われ、その衝撃で波紋が広がっていったのです。イエス様が十字架につけられて死に、復活されたことは、すべてイエス様を信じる人に対して勝利の人生を約束しています。罪のために死んでいた人がイエス様を信じることで救われ、神様の前で真に生きる人になったのです。

死んでいた人が生きるようになったのですから、これはまさに復活です。イエス様だけが復活されたのではないのです。

パウロはここでさらに、私たちが信じられないようなことを書いています。…私たちを、「共に天の王座に着かせてくださいました」と。…これはなかなか難しいのですが、私たち一人ひとりのために、天に座席が設けてあるということなのだと思います。イエス様を信じて救われた私たちは、地上では日本の国籍を持っていたりしますが、それと共に天に席/籍があるのです。天国の市民です。天国の市民としていまそれぞれの場所で生きている、神様によって生かされているのです。

 

 今日ははじめにレビ記19章の言葉を読みました。そこには「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」と書いてありました。聖なる者になることと、イエス様により、またパウロによって教えられていることは一つに結びついているのですが、いざ聖なる者と言われると、これはなかなか大変な教えのように聞こえます。皆さんがもしも「あなたは聖なる者になれますか」と聞かれたら、「とんでもありません。自分なんか」と答えると思うのです。

どんな人が聖なる者になるのでしょうか。多くの人は、善い行いをした人のように思っています。仏教のある教派のお坊さんの中にはすさまじい修行をする人がいて、これを達成したら尊敬されるということですが、神様がこんなことを命じておられるとすれば、誰だってしり込みしてしまうでしょう。

 しかしながら、こういう思いこみこそイエス様が否定しておられることなのです。イエス様はこう言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは休みを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28~30)

 イエス様のこの教えをパウロの言葉によって語っているのが8節の言葉です。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」

 神は聖なるお方です。神様は、ご自分を信じる人が自分の過ちと罪のために死んでいた状態から解放され、聖なる者となるよう求めておられます。そのためにイエス・キリストを遣わして下さいました。ところが人間は、えてして神様のみこころがわからず、イエス様がおいでになってもなお、けんめいに努力して立派な行いをしなければだめだと思いがちです。しかし、そうではありません。人は立派な行いをすることで、信仰を持ち、救われ、その結果、聖なる者になるのではありません。信仰は神様からの贈り物です。賜物です。神様の恵みを受けとめた時にいただく贈り物が信仰なのです。

 神様がすべての主導権を握っておられます。人が神様を知らない時、自分が罪の中で死んでいるということにも気がつきません。イエス様が自分の救い主だと気づかされ、信じた時に初めて、それまでは罪だとは感じていなかった自分の思い、言葉、行いが罪だと気づくようになります。自分のちょっとしたことが原因でほかの人をひどく傷つけたことに気がつくこともあります。そこで、これではいけないと、自分も他の人にも幸せを広げてゆく新しい生き方を求めるわけですが、これをリードしていくのが信仰でありまして、その先に聖なる者としての人生が待っています。それがイエス様によって示された生き方なんですね。

 ただしそのことは、信仰があれば、神様が何でもして下さるのだから自分は何もしなくて良いということでしょうか。人は善い行いをすることが出来なくても、神様からいただく信仰によって救われるというのは本当です。だいいち善い行いといっても、神様の前にはたかが知れています。人がたとえどんなに立派なことをしたとしても、イエス様がなさったことに及ぶものではありません。しかしパウロは一度だって、信仰があれば何もしなくて良いんだとは言っていません。そのことが10節にあります。「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」

 私たちは神様からの恵みにより、信仰によって救われました。現在そうなっていない方もそのように導かれるでしょう。私たちは神様から頂いた信仰によって促されることで、それぞれの出来るところで善い行いをし、実を結ぶ者となりたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様は、ご自分を信じていない人は死んでいるのだと言われます。人は心臓が動いているからといって生きているとは言えません。本当に神様の前で生きているのかということが問題なのです。

 私たちもかつては死んだ者でした。神様の前で死んでいました。けれどもイエス様が私たちを死んだ状態から救い出され、復活させ、あまつさえ天に私たちの席を用意して下さったことに対し、何をもってお応えしたら良いのでしょうか。私たちみんなが、いま地上にあっても天に国籍があることを忘れず、神様から与えられた信仰によって、それぞれの場、それぞれの力に応じて善い行いをなしてゆくことが出来ますように。

 新型コロナウィルスによる感染がまだ収束しない状況下、どうか神様の言葉がこれと闘う武器となりますように。広島長束教会の礼拝の再開を心から願います。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

20200510 説教 井上 豊牧師
00:00 / 19:49

  宣教者パウロ  youtube

イザヤ26:18~19、使徒22:17~29   2020.5.10

 

 エルサレム神殿の境内で群衆によって捕らえられ、危うく殺されそうになったパウロが、千人隊長の許可を得て、その人たちに向けて語った言葉を学んでいます。

 パウロはタルソスという町で生まれ、その後エルサレムに移り、そこで成長しました。有名な律法学者ガマリエルのもとでハイレベルの教育を受け、律法を固く守って生きていた人です。だからパウロがキリスト教徒を迫害したのは、単にクリスチャンが嫌いだというような感情的なことではなく、もっと真剣な、彼なりの使命感に基づいたものでありました。パウロは、イエスはにせ者の救い主だと考えていました。神様を冒涜し、その当然のむくいとして十字架にかけられたのです。こんなやつを信じるクリスチャンもまた神様に背く者たちであるのだから、地上から根絶やしにされなければならないと。パウロにとってそれが神様に従うということだったのです。

 こうしてパウロは、同志たちと共にエルサレムから210キロ離れたダマスコに向かったのですが、一行がダマスコに近づいた時、突然、天からの光が輝いて、パウロは地に倒れてしまいました。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声が聞こえました。パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と答えると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という声がかえってきました。

サウロにとって、これは天地がひっくり返るほどの出来事でした。極悪人として十字架につけられて死んだイエス様が復活されて天に昇られ、神様のおられる所から語りかけてきたのです。イエス様は偽の救い主などではなかったのです。‥パウロは、それまで神様のためだと信じて、人生をかけて行ってきたことが間違っていたことを知らされました。   

 死んで復活されたイエス様に出会ったパウロに、エルサレムを出発した時の、クリスチャンを脅迫し、殺そうと意気込んでいた姿はもうありません。目が見えなくなり、飲むことも食べることも出来ない状態で、まるで死んだ人のようです。まさに古いパウロは死んでしまったのです。‥‥しかしイエス様と会ったことで、全く新しい人生が始まりました。再び目が見えるようになり、食事も取れるようになりました。パウロは洗礼を受けて、それまで自分の敵であったイエス様こそ救い主キリストだと信じる人になりました。そればかりでなく、今度はだれもがイエス様を信じて救われるよう、語り広める人となったのです。古いパウロが死んで、新しいパウロとして復活したのです。

 それでは新しいパウロのその後を見ましょう。使徒言行録の9章では、パウロがすぐにあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と言って、イエス様のことを宣べ伝えたと書いてあります。これを聞いた人々は皆たいへん驚きました。それもそのはず、それまで、この世からキリスト教を滅ぼすためにやっきになっていた人が、180度反対のことを始めたのですから。

ガラテヤの信徒への手紙1章では、パウロがダマスコからアラビアに行ったと書いてあります。アラビアで何をしていたのかははっきりしません。そのあとダマスコに戻って、伝道しました。そして3年後にエルサレムに上るのです。

パウロがエルサレムの神殿で祈っていた時、また大きな出来事がありました。17節以下をご覧下さい。「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ、すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』』

パウロは再びイエス様に会ったのです。そこに現れたのはもちろん死んだイエス様ではありません。一度は死んだもののよみがえり、今も生きておられるイエス様です。イエス様はいつでも、どこでも、ご自分の行きたいところに行ける方で、このとき再びパウロの前に現れたのです。イエス様はパウロに、すぐにエルサレムから出てゆけと命じられました。

しかしこれは、パウロにとってはなかなか受け入れがたいことでした。パウロはユダヤ人です。同胞を愛し、同胞のために伝道したいと思っていたのです。その気持ちは皆さんわかりますね。教会の仕事でなくてもみな同じです。会社に就職した一年生が、さてどこに配属されるかと思っていたら、いきなり外国に行って働きなさいと言われたようなものです。

イエス様が言われることに納得できないパウロは答えました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人のステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいて賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」

 パウロは祈りの中でそう答えたのですが、なぜこんなもってまわったような言い方をしたのでしょう。それは、エルサレムから外に出て行きたくないという気持ちのほかに、考えに考えたことがあったのでしょう。パウロが昔、キリスト教信者を情け容赦なく迫害したことは、エルサレムでは有名でほとんどの人が知っています。

だからそんな自分でも回心してイエス様を信じ、クリスチャンになったことを告白したならば、みんな自分についてくるだろうと考えたのです。どうでしょうか。皆さんは、パウロがエルサレムに留まった場合、そのようになると思いますか。

 しかしイエス様のお考えはそれとは違っていたのです。そのご計画は「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」というものでした。(異邦人とはユダヤ人以外の人たち、つまりユダヤ人にとっての外国人です。)パウロが全く考えたこともなかった知らない土地に行って、そこの人たちに福音を告げ知らせなさい、それがあなたの務めなのだと。‥これは神の子で救い主、天と地の一切の権能を授かっている方、地上のどんな権力者よりも大きな、それ以上はない最高の権威を持った方からの命令でした。こうしてパウロは、自分が思っていた道とは全く異なった道を進むことになりました。

                                                             

 パウロの話をここまで聞いていた人々は、この時になってついに怒りを爆発させました。声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と叫び出したのです。パウロが話し始めた時は静かになって聞いていた人たちです。パウロがイエス様に会って回心したところまでは聞いていられたのですが、「異邦人のために遣わすのだ」というところで、ついにぶちぎれてしまいました。というのは、この人たちは、神様はわれわれユダヤ人だけを特別に愛しておられるのだと信じ切っていたからです。異邦人の中でユダヤ人より強く力のある民族はいくらもいました。現にユダヤはローマ人によって支配されていたのですが、ユダヤ人は内心では自分たち以外はみんな野蛮人だと思っていました。だから神様がパウロを異邦人に遣わされるなんてありえない、こいつは神様の名を語った詐欺師だとなってしまったのです。

 このまま置いておいたら、パウロはまた襲われて、今度は本当に殺されてしまうでしょう。そこで千人隊長は再びパウロを兵営に入れるように命じ、自分でパウロを尋問しようとしました。というのは、パウロは人々にヘブライ語(正確にはアラム語)で話していたのですが、千人隊長はギリシア語しかわかりません。なぜこんなことになったのか、人々が何を怒っているのかわからなかったので、パウロにギリシア語で話してもらって調べようとしたのです。そこでまず鞭で打ちたたいて調べるようにといいました。これは拷問です。ただの鞭でもたいへん痛いのですが、この鞭は中に骨や金属の鋲が埋め込まれていて、これで打たれたら皮膚がむしり取られます、あまりの痛さに耐えかねてどんな秘密でも白状してしまうというしろものでした。

 で、鞭で今にも打たれそうになった時、パウロはそばに立っていた百人隊長に言葉をかけました。「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか」と。(市民権ってわかりますか。日本の国籍がある人は市民権を持っています。日本にいる外国人で、学校で勉強していたり、工場で働いているような人には市民権はありません。)ローマ帝国は法律がたいへん整備されていて、市民権を持っている人を鞭で打ってはならないということが法律で定められていたのです。

 百人隊長はびっくりして報告に行きました。「千人隊長さま、どうなさいますか。あの男はローマ帝国の市民です。」そこで千人隊長が「あなたはローマ帝国の市民なのか」と問うと、パウロは「そうです」と答えました。千人隊長は「わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ」と言います。この人はもともと市民権がなく、これをお金で買ったのです。もしかするとそれは賄賂かもしれません。これに対してパウロは「わたしは生まれながらのローマ帝国の市民です」と答えます。ローマ帝国はローマ人には生まれた時から市民権を与えていましたが、ふつうユダヤ人には市民権はありません。奴隷にも市民権はありません。ではギリシア語が話せるとはいえユダヤ人のパウロがどうして市民権を持っていたのでしょうか。聖書学者は、パウロのお父さんかおじいさんが何かローマ帝国に貢献することをしたので特別に市民権が与えられたのではないか、と考えています。

 それはともかくとして、パウロがローマ帝国の市民であることがはっきりしたことで、千人隊長はこれは失敗だったと恐ろしくなりました。もちろん鞭による拷問は取りやめになりました。

 

 さて、ここでのパウロのふるまいについて考えてみましょう。こんなことを言った人がいたそうです。「パウロはどうしてこんなことをしたのか。法律まで持ち出して。イエス様はおとなしく十字架につけられたではないか。パウロもイエス様に倣って、苦しみを受けるべきではないのか」と。

 私は、こんなことを言う人こそ、鞭で打たれるべきだと思います。

 教会ではいつも、イエス様がすべての人の罪を背負って十字架につけられたことを教えています。誰もが罪を持っていて、そのままでは誰もが父なる神様から罰を受けなければなりませんが、イエス様が身代わりとなって罰を受けて下さったのです。ですからキリスト教の信者がイエス様に感謝し、イエス様を賛美するのは当然なのですが、これが行過ぎて、信者ならイエス様のように苦しみを進んで受け入れるべきだという人がいます。

 

 例えばあなたが、「みんなが困っているんです。あなたが犠牲になって下さい」と言われた場合、これを引き受けるべきでしょうか。時にはそういうこともあるかもしれませんが、いつもいつもそうするわけには行きません。

 ある牧師が病院で手術をしました。その時、この人は「イエス様は麻酔なしで十字架につけられたんだ。だから私も麻酔はいらない」と言って、麻酔を断って手術を受けたと、最も痛みがひどい時は気絶していたそうですが、皆さんはどう思いますか。

 また日本が戦争していた時期、当時の教会は兵士に対して、戦地で大君の御楯となっていさぎよく死ぬことを勧めました。それがイエス様の十字架に対してこたえる道だからということです。万一、日本が再び戦争に巻き込まれるようなことがあれば、同じようなことを言う人が出てくるでしょう。

 イエス様は十字架というこれ以上はない苦しみをしのばれましたし、イエス様のあとに続く私たちが、この信仰のためにつらい思いをすることがないとはいえません。しかし、受けなくてもよい苦しみを受け、必要のない犠牲を背負うことはないのです。

パウロは波乱の生涯の中で幾多の苦しみに直面しましたが、しかし喜びも楽しみもありました。必要のない苦しみをあえて引き受けることはありませんでした。市民権をたてに拷問から免れたように、いろいろな場面でたいへん賢くふるまったことが忘れられてはなりません。究極の犠牲は、申し訳ありませんが、イエス様おひとりで十分です。イエス様の十字架によって救われた私たちは、イエス様に感謝の思いを持ちながら、人生を賢く生き抜いて行く者となりましょう。

 

(祈り)

 天の父なる神様。今日も、パウロが苦難に立ち向かったことを学ぶことが出来ました。パウロは自分を殺そうとした人々に対して、たじろぐことなく堂々と信じることを述べました。拷問されそうになった時、知恵をもってそれを乗り切りました。そのような勇気と知恵が、イエス様から私たちに与えられますように。いま新型コロナウィルスの脅威の前に揺れ動く世界と日本の中にあって、私たちも出口の見えないトンネルの中にいるようで、この苦しみがいつ終わるのだろうと思っていますが、こういう時にこそ神様の言葉によってまず私たちを立ち上がらせて下さい。とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

2020:05:03 説教 井上 豊牧師
00:00 / 22:29

神がパウロを選んだ  youtube

エレミヤ1:4~8、使徒21:27~22:16   2020.5.3

 

 第3回伝道旅行を終えてエルサレムに帰ってきたばかりのパウロがエルサレムの神殿の境内にいた時、アジア州から来たユダヤ人たちが彼を見つけ、群衆を扇動して彼をつかまえたことで、都全体が大騒ぎになりました。人々がパウロを殺そうとした時、エルサレムに駐屯していた軍隊が出動してその場にかけつけ、彼の身柄を確保しました。それは人権に配慮してパウロを保護したというより、治安維持が目的だったのですが、ともかくこれによってパウロは助けられました。

 人々が激高してパウロを殺そうとした直接の原因は、アジア州出身のトロフィモという人がエルサレムでパウロと一緒にいたことが目撃されたからでした。神殿の境内は、異邦人はここまでという範囲が決まっていて、それ以上奥に入ると死刑ということになっていました。ユダヤ人以外入れないのです。アジア州から来たユダヤ人は、パウロがトロフィモを連れて、境内の奥深く入り込み、つまり異邦人によって神殿を汚そうとしていると考えたのです。これはもちろん誤解で、パウロはそんなことを意図してはいませんでした。

 もっともこれは、それまでくすぶっていたのが最後に爆発したようなことです。パウロがそれまで各地で伝道していた時も、すでに同胞であるユダヤ人との衝突はひんぱんに起こっていたからです。

 ユダヤ人は何を怒っていたのでしょうか。…ユダヤ人の間でパウロは有名な、それも悪名高い人物でした。律法に最も忠実なファリサイ派の一員でありながら、先祖伝来の信仰を捨てて、十字架につけられて無残に死んだイエスを救い主キリストとする新しい信仰に転向したというのがその一つです。そして、異邦人は異邦人のまま、つまりユダヤ人になることなく神様の救いにあずかることができるなどと教えている、これは自分たちこそ神の民であるというユダヤ人のプライドをずたずたにするもので、先祖伝来の信仰に生きる人々にとって、パウロは許すことの出来ない裏切り者だったのです。ユダヤ人の全部が全部ではありませんが、パウロにはとても我慢できません…。私たちの国で、人を非難する時に「それでも日本人か」と言われることがありましたし、今もあるかもしれません。パウロに向けられたのも、お前はそれでもユダヤ人か、という声だったのです。

 パウロを殺してしまおうという陰謀は前々からありましたが(20:3など)、エルサレムに行けばなおさら危険です。旅の途中、各地の教会の人たちがパウロに、「先生、どうかエルサレムに行かないで下さい」と懇願していたのですが、その心配がとうとう現実のものになってしまいました。

 さて、こんなことは考えたくもないことですが、かりに皆さんがパウロのように大勢の人に襲われて、殺されそうになったとしたらどうでしょうか。パニックになってしまい、平常心でいることは出来ないと思います。ところが、この時のパウロを見て下さい。そうではありません。パウロはそんな絶体絶命の時でも冷静でした。落ち着いていました。ギャーとか助けてとか言ってよさそうなのに、そこで出てきた言葉は「ひと言お話ししてもよろしいでしょうか」、「わたしは確かにユダヤ人です」などなど、そして22章からは弁明が始まりますが、まずそこまでのことを簡単に見ておきましょう。

 パウロは兵営の中に連れて行かれそうになりました。兵営は神殿の北西にあったアントニアの塔と呼ばれるものでした。千人隊長の方ではパウロをユダヤ人の暴力から守るという目的があったのですが、パウロの方ではそこに入るわけにはいかない事情がありました。パウロは自分を袋叩きにした人々と腹を割って話そうとしていたのです。

 パウロと千人隊長の会話が書いてありますが、ここで大事なのは39節、パウロが「どうか、この人たちに話をさせてください」と言って、千人隊長がこれを許可したことです。パウロは人々に話をする許可を得るために、まずギリシア語で「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と尋ねました。千人隊長は「ギリシア語が話せるのか」と言ったあと、お前は最近反乱を起こした首謀者であるエジプト人ではないかと言いましたが、パウロはむろんエジプト人ではありません。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です」。これは、パウロが生まれながらにしてローマの市民権を持っており、どこの馬の骨かわからない人間ではなく素性正しい生まれだということです。…こうしたことを聞いてパウロを信用した千人隊長は、パウロの願いを許可してくれました。そこでパウロが階段の上に立って語ったのが22章からの話です。パウロはローマ帝国の標準語であるギリシア語ではなくユダヤ人の言葉であるヘブライ語で話し始めました。

 ここに載っているパウロの弁明、それはパウロの自叙伝というか、パウロがどこで生まれ育ったか、なぜイエス様のことを宣べ伝えるようになったかを説明するものです。その中心は、有名なパウロの回心です。使徒言行録の9章で学んだ人が多いと思いますが、それにしてもなぜ同じ出来事がまた出て来るのか、それは大事なことは何度出て来ても良いという理由のほかに、ここには9章にはない別の、新しい発見があるからです。

それでは、見て行きましょう。「兄弟であり、父である皆さん」、パウロは自分を袋叩きにして殺そうとした人々に向かって、親愛の情を込めた挨拶で呼びかけます、なかなか出来ないことですが。

そうしてまず、自分があなたがたと同じところに立っていたということを言うのです。

 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け…」。 キリキア州のタルソスは、今のトルコの南側の海に面した地方です。ユダヤから見て異邦の地で、共通語はギリシア語です。パウロがそこにいつまでいたかはわかりませんが、エルサレムの都に引っ越して来て、そこで成長したわけですね。だからヘブライ語も話せるのです。ガマリエルとは、使徒言行録5章24節でも、民衆全体から尊敬されている律法の教師として紹介されているほどの人で、パウロはこの人から高等教育を受けたいわばエリートなのです。

 「今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」…昔の私は今のあなたがたです、あなたがたが熱心に神様に仕えているということを私は疑いません、ということですね。

 「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」…私はちょうど今のあなたがたのように、イエスをキリストと信じる教えを嫌い、徹底的に滅ぼそうとしていました。だから、あなたがたの気持ちは痛いほどわかるのです、ということですね。

 パウロは4節で「わたしはこの道を迫害し」と言っています。「この道」とはイエス・キリストを信じる道です。パウロはかつて、「この道」を歩んでいる者たちを迫害し、縛り上げて牢獄に放り込み、殺すことさえしていました。その一つがステファノの殺害です。ところが、「この道」を迫害していたパウロが「この道」を歩み、これを世界にひろげようとする人になったのです。パウロの人生をそのように大転換させた出来事が6節以下に書いてあります。

 パウロは、キリスト者を縛り上げ、エルサレムに連行するために、シリアのダマスコに向かったのですが、その道の途上で突然、天からの強い光に照らされて、地面に倒れ、目が見えなくなってしまいました。そして彼に向かって語りかける「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声を聞いたのです。サウルとはパウロのヘブライ語での名前です。そこでパウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」との声が返ってきました。

 パウロにとってこれは、天地がひっくり返るような出来事でありました。パウロはこのあと、一緒にいた人に手を引かれてダマスコに到着し、今度はアナニアから洗礼を授かってキリスト者となります。このことを次回以降でくわしくお話ししたいと思っていますが、今日特に取りあげたいと思っているのは14節の言葉です。アナニアはパウロに言いました。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。」

 神がパウロをお選びになった。キリスト教徒を迫害していた人間を、それにもかかわらず「この道」、イエス・キリストを信じる道をひろめるためにお選びになった。これは考えれば考えるほど驚くべきことです。パウロが願っていたことではありません。しかし神様はパウロより強かったのです。

 自分の意思に反して、神様のしもべとされた人のひとりにエレミヤもいます。神様はエレミヤがまだ母親のお腹の中にいた時から、彼を選んでおられました。預言者になることはエレミヤが願っていたことではなかったにもかかわらず、神様はその道に彼を導かれたのです。

 このように神様によって自分の思ってもみない道に導かれる、これはその人にとって幸せなことだったでしょうか、その反対だったのでしょうか。パウロやエレミヤの場合について詳しく述べる必要があるのですが、それは別の機会に委ね、今日は内村鑑三先生の場合を見てみましょう。

 

 明治時代に生きた世界的にも偉大な伝道者、内村鑑三はもともと日本の八百万の神々を信仰する世界に生きていた人です。札幌農学校、今の北海道大学に二期生として入学しました。当時、この学校はキリスト教熱が盛んで、上級生がみんなキリスト者、新入生が入ってくるとしつこく信仰に入ることを勧めるのですが、内村鑑三はその誘いに頑強に反対し続けました。彼は札幌神社に行って、いま校内で猛威をふるっているこの邪教を打ち滅ぼしたまえと熱烈な祈りをしたほどだったのですが、上級生には逆らうことが出来ず、ついに「イエスを信ずる者の誓約」に署名し、キリスト者になったのです。

 しかし彼は書いています。「この新しい信仰のもたらす実際上の利益は、たちまち、はっきりと現れた。私はそれを撃退しようと全力をつくしていた時にさえ、すでに気づいていたのである。…宇宙には唯一の神がいますのみで、私が昔信じていたような多くの神々はいないということを教えられ、私のすべての迷信を根本から断ち切ったのである。」

 内村先生の日記から少し引用します。

 4月21日 朝9時から祈祷会を開く。祈ることの喜びを覚え始めた。

 12月8日 夜、七人兄弟と真剣に話し合う。互いに心の中を告白しあい、心の一大改革をなしとげようと約束した。

 1900年の昔、天使の合唱が空に響き、ベツレヘムの星が東方の博士らを赤子のイエスのもとへ導いたかの夕べも、果たしてこの夜ほど美しかったであろうか。

 

 3月9日 その日は学校の農場で3時間もの実習をしたので、一同は疲れ切っていた。しかし規則は変えられない。祈祷会で一人ずつ祈っていった。けれども集会の最後をしめる牧師の声が聞こえない。彼が祝祷をささげないと、集まりは解散できないのだ。水を打ったような沈黙が5分間ばかり続いた。牧師の横にいた私がふと頭をもたげてみたら、ところがどうだ、牧師は樽の上で眠りこけているではないか。私は一時的に規則を変更して、集会を解散させた。聖なる使徒たちでさえ、主がお祈りなさっている時、眠ってしまったではないか。ましてわれわれが激しい労働と夕食のあと眠ってしまっても、それは無理もないことだ!

 内村鑑三は自分の意に反して、キリスト教に入信させられましたが、その後、教会を建て、聖書を研究し、世界的な思想家・伝道者となりました。パウロたちとも共通するのですが、信仰に入ったあと彼はそれを後悔したでしょうか、そんなことはありません。信仰による苦難ということを体験しましたが、しかし新しい信仰による新しい人生を、恵みと希望をいだいて歩んでいったのです。

 皆さんも神様に選ばれ、神様に召されて、信仰を与えられた人たちです。その中には、自分の意に反して信仰するようになったという人もおられるかもしれませんが、そうであったとしても、そこに悔いが残ることがなかったことを神様に感謝します。かりに信仰のために苦しみを味わうということがあったとしても、信仰はそれをはるかに上回る恵みを与えてくれます。皆さんは神様に選ばれた人たちです。信仰が与えてくれる恵みを、私は今後とも、説教のたびごとに語って行きたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。疫病の感染による礼拝の中止という異常事態が続いておりますが、どうか私たちがイエス・キリストを仰ぎ続け、信仰心を衰えさせることがないようにして下さい。今の、教会にとって苦難の時も、どうか恵みに変えて下さいますように。私たちそれぞれ、信仰の初心を忘れず、それを大きくふくらませて、豊かな収穫の実りにあずかる者として下さい。

 神様、私たちは自分たちのいま体験している苦しみばかりに目が行きがちですが、どうか心の目をひろげて下さい。コロナウィルスと命をかけて闘っている人たちや生活が出来なくて頭をかかえている人たちに神様のお支えと希望が与えられますように。そのために人々が心を合わせて行くことを切に祈り求めます。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

2020.04.26説教 井上 豊牧師
00:00 / 20:43

 恐怖から解放され、喜びにわきたつ弟子たちに向かって、イエス様は一つの使命を与えられます。

 「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦さないまま残る。』」

 弟子たちはここでイエス様から使命を与えられましたが、これが「恵み」に伴っていることが大事です。絶望の中にいた弟子たちのもとに復活したイエス様が現れたことは、そこで起こったことが示しているように、彼らの上に恵みが与えられたこと、それも天からの恵みが与えられたことにほかなりません。人が信仰に入るときの大きな理由として、神様、恵みを与えて下さいということがあります。そう願ってお祈りするのです。そうして祈りがかなえられるとそれで満足して、それ以上進歩しないという人もいるのですが、この弟子たちを見て下さい。イエス様から恵みを与えられ、喜びでわきたっている時、使命を与えられます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」という言葉でわかるように、このあと弟子たちはイエス様の代理として、福音を伝えるために世界に派遣されます、そして彼らはこれを喜んで受け入れたのです。イエス様を通して恵みを受けるというのは、その恵みを他の人にも伝えていくということとつながっているのです。

 なお、ここでイエス様が息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われたことは、難しい問題をはらんでいます。というのは私たちは、イエス様が死んで復活し、40日後に天に昇られ、その後ペンテコステの日に聖霊が降ったと教えられているからです。では、この日に注がれた聖霊とは何なのでしょうか。

 これにはイエス様がマグダラのマリアに言った言葉から考えなくてはなりません。イエス様はマリアに「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」、また「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」とも言われています。これをそのまま受け取るなら、イエス様は復活後40日を待たずに、天の父なる神様のもとに昇ったり、また降りて弟子たちに会ったりということを繰り返しておられたのではないでしょうか。そうして、ここでイエス様の口から吹きかけられた聖霊は、ペンテコステの日に天から降ったものと同じ聖霊ではないのでしょうか。

こんなことは、私も説教を準備する中で初めて気がついたことですが、調べていくとこれまで多くの人が考え、議論していたことがわかりました。そうして、現在、この方向でまとまりつつあるようです。すなわちペンテコステを待たずに、聖霊は動き始めていたのです。ちょうど赤ちゃんが母親の胎内に命が宿ってから、だいたい十月十日後に誕生するように、ここで弟子たちの内に宿った教会が、ペンテコステの日に世界の前で誕生することになるのです。

 

 絶望に打ちひしがれていた弟子たちが、主イエスの出現によって、自分たちを覆っていた、固く閉ざされた扉を打ち破りました。その後の、弟子たちの活躍には目を見張るものがあります。イエス様の恵みを受けた弟子たちが、使命をも与えられてそれを世界の中でなしとげてゆくのです。…これと同じことが私たちの中で起こるのかどうか、私たちそれぞれが置かれた状況も能力もさまざまで、もちろん神様から与えられている使命も違っています。しかし死んで復活されたイエス様が私たちの現実のただ中に現れ、共に歩んで下さるのだとしたら……、ここから先は皆さん一人ひとり、胸に手を当てて考えていただきましょう。このことは、ウィルスの感染の中にあっても変わることはありません。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。

 いまウィルスの感染拡大の中で恐怖にふるえている世界の中で、教会の声があまり聞こえてこないのはどうしてでしょうか。礼拝が中止されている教会が多いとはいっても、苦しむ世界の中で神様の声が教会を通して伝えられてゆくことを心から望みます。

 神様、イエス様の復活を信じられず、閉じこもっておびえていた弟子たちの姿は、こう言っては弟子たちに失礼かもしれませんが、今の私たちの姿をも連想させます。罪よりも、死よりも強いものがないと思っている心に、死んでよみがえられたイエス様によって喜びを、そしてイエス様から一人ひとりに与えられる使命や役割に応える決意を与えて下さい。

 とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

 あなたがたに平和があるように  youtube

エゼキエル37:4~6、ヨハネ20:19~23   

                              2020.4.26

 新型コロナウィルスの感染が日本全体でも広島県でも増え続けており、県知事の自粛要請が5月6日で解除できるかどうかもわかりません。広島長束教会は3月15日から礼拝を中止し、いったん再開したものの、再び中止を続けています。この状況は、まるで出口のないトンネルを歩いているようで、礼拝を行うことが出来ないという心の空洞がどんどん大きくなるようです。教会はどうなってしまうのだろうという思いもあります。こうしている間にも、信仰がだんだん薄れてゆくというおそれをいだいている方もあるかもしれません。

 もっとも世の中にはこんな悩みがぜいたくに見えるほど、重大な状況にある人がたくさんいるわけです。ウィルスの感染者や医療関係者は言うに及ばず、収入を断たれ、生活が出来なくなっている人がいます。さらに、このウィルスは、外に出かけることも人と人との接触も許さないことで、計り知れない損害をもたらしています。そうした中、教会の存在意義が問われています。教会があってもなくても変わらないということではいけないのです。

 これまでの歴史の中で、教会で礼拝が出来なくなる、いろいろなケースがありました。ひとつは迫害や戦争が起こった場合で、長年の苦難に耐えてやっと行われた最初の礼拝では出席者がなみだなみだだったという話がいくつも伝えられています。では疫病で礼拝が出来なくなった場合どうだったかということですが、今のところそうした資料を見る機会がないのでわかりません。現在の危機が短期間で終わるのか、それとも長期間になるのか見通せませんが、どちらにしても、私たちはいわば手探り状態のままで危機に対処しているのだと言えます。それではいったいどうしたら良いのか、政府や感染症の専門家が言うことをすべてそのまま従っていればいいのかということだけでも熟考を要します。やはり聖書に私たちが求める答えが書いてあることを信じて、聖書に向かい合うべきです。しかし、そこに答えが呈示されていることがわかったとしても、おそらく、私たちがこれを全身全霊でもって受けとめなければ自分のものにはならないように思います。今日のお話がそのための一助となりますように。

 イエス・キリストが復活された週の初めの日、つまり日曜日の夕方に弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。みんな共同生活をしていたのか、それとも各自で宿をとっていたのかわかりませんが、この時、一緒に集まっていました。

それは、集まってのんびりとお茶を飲むというのとは違います。イエス様を信じ、従ってきた弟子たちにとって、イエス様の十字架の死は絶望のどん底に突き落された出来事でした。その落胆ぶりは、私たちの想像をはるかに超えるものであったはずです。彼らは三年もの間、イエス様に従ってきたのです。この方こそユダヤを救って下さるメシアだと信じていたのです。イエス様から見て弟子たちには足りないところがいくつもあったのは事実ですが、弟子たちの側からするとイエス様に自分の人生をかけてきたわけですから、この時、信じていたものががらがらと崩れ落ちていく苦しみの中にいたのです。

 この日は不思議なことばかり起こった日で、弟子たちがそのことを話していたのは間違いありません。…早朝、ペトロとヨハネがイエス様のお墓まで走って行って、ご遺体がなくなったことを確かめています。そのあとマグダラのマリアが来て、「わたしは主を見ました」と告げ、またイエス様の「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」という言葉を伝えていました。さらにルカ福音書によれば、近隣のエマオに向かったクレオパともう一人の弟子が戻ってきて、復活したイエス様に会ったことを報告しています。しかし、「なんて不思議なことがあるのだろう」という感じで、それらを信じなかったし、真剣に受け止めてはいなかったものと思われます。それはどうしてか、恐れていたからです。

 ユダヤ人を恐れた、彼ら自身もユダヤ人なので何か変ですが、こう書くしかなかったのでしょう。…これはイエス様を殺したユダヤ人がそのことだけに満足せず、自分たちも殺しにくるだろうということです。ユダヤ人が実際に、イエス様の弟子たちを殺そうとしていたかどうかはわかりません。弟子たちの思い過ごしかもしれないのですが、イエス様が十字架につけられた以上、自分たちもただではすまないと思った、だからこそ「鍵をかけて」、自分たちだけでひっそり閉じこもっていたのです。

 弟子たちにはさらに、ユダヤ人に対するのとは別の、もうひとつの恐れがあったことと思います。イエス様を見捨てて逃げてしまったことへのうしろめたさから来るものです。イエス様の前では強がりを言っていたのに、肝心の時に何も出来なかったという罪悪感が彼らを押しつぶしていたのではないでしょうか。 聖書が恐れの中にあるこのような弟子たちのことを書き留めているのは、昔こういうことがあったということを示すだけはありません。今の私たちも、これとは状況が違っているとはいうものの、多かれ少なかれやはり恐れの中にいるからです。

  この時、主イエスが入って来られました。弟子たちのただ中に入って来られ、「あなたがたに平和があるように」と言われました。そうして、手とわき腹をお見せになったのです。 

 イエス様は戸に鍵がかかっているのに現れました。ルカ福音書では、弟子たちは恐れおののき、亡霊を見たのだと思ったと、しかしその体に肉も骨もついており、魚を食べられたことも書いてあります。科学では説明出来ないことですが、しかし信仰において信じるほかありません。…「あなたがたに平和があるように」、原文でギリシア語で書いていることをへブル語に直すとシャロームという言葉、今日(こんにち)、ユダヤ人にとって挨拶の言葉になりますが、イエス様がただの挨拶としてそう言われたのではありません。

 死んで復活された方からかけられた「あなたがたに平和があるように」、これは単なる願望や希望ではありません。私が来た以上、あなたがたには平和があるのだということまで含まれているのです。

 かりにイエス様が弟子たちを叱るために出て来られたのなら、こんな言葉は出て来ません。「恨めしや」と言われているのでもないのです。ここでイエス様の弟子たちに向ける愛を見て下さい。ご自分を裏切った弟子たちへの恨みや怒りはないのです。イエス様は、私は死に打ち勝った、だから私を信じて恐れを取り払いなさい。もうユダヤ人を怖がる必要はないし、私を裏切ったことも赦してあげます、と言われたのです。そうして、手とわき腹を見せて、ご自分が確かに十字架で死んだイエスであることをお示しになりました。この時、弟子たちは喜びました。宝くじで高額賞金が当たったとしても、こんな喜びは与えられません。鍵がかけられ家と同様に固く閉ざされた心の中にイエス様自らが来て下さって、これを開いて下さったのです。

 絶望の中でどこにも進めなくなっていた弟子たちは、死んでよみがえられたイエス様が現れるという歴史上空前絶後の体験をすることで、はじめてイエス様の死の本当の意味がわかったのではないかと思います。イエス様のお体には、なまなましい傷あとが残っています。たしかにイエス様は十字架上で死なれました。しかし、この、死んだイエス様がよみがえり、自分たちに平和を告げてくださいます。弟子たちはこの時、イエス様のお苦しみと死が誰のためだったかがわかったのです。だから喜んだのです。おれを、わたしを、罪深い自分を赦して救い、天の神様の前に立たせて下さるために、イエス様は十字架にかかって下さったのだと。…弟子たちはそれまで、イエス様の死は敗北の死だとしか思っていませんでした。イエス様でさえも死に勝つことは出来なかった、もうおしまいだ、というところにいたのです。…ところが、今わかりました。そうではない、神様は罪よりも、死よりも強いのだということを。みんな、その恵みの中にいるのです。

2020.04.19 説教 井上 豊牧師
00:00 / 20:57

 だれを捜しているのか   youtube

詩編22:29~31、ヨハネ20:11~18  2020.4.19

                      

 先週の日曜日はイースターということで、イエス・キリストのお墓が空になったことをお話ししましが、教会でイエス様の復活を喜び祝うのがイースターの日だけということはありません。むしろ一年中どの日曜日であってもイエス様の復活を喜び祝って良いのです。今日もその中の一日です。そこで、空になったお墓の続きのお話をいたします。

 

 私たちは今どれほど若くても、またどれほど元気であっても、いつの日か、必ず死ぬことになります。この定めから逃れることは誰にも出来ません。体をいたわって一年でも二年でも長生きしようと努めることは大事ですが、だからといって不老長寿を達成することは出来ません。

 二年ほど前、私は新聞で、人間の脳と機械を接続する研究をしている人のことを読んだことがあります(朝日新聞 2018.8.16)。…脳と機械が接続されると、これによって脳と機械の意識が一体化します。そうすると、人間が死んでも機械の中でその人は意識を持って、生きていくのだそうです。なぜそこまでするのですかと尋ねられた学者は、「死を避けるためです」と答えていました。こんなSFみたいなことがたとえ本当に実現したとしても、それだっていつかは必ず終わりが来るのです。人間が自分の力で永久に生きていくことは出来ません。

 人は誰でも死にます。だから、「死という絶対的な力を前にして、人間、なすすべがない、たとえイエス様であっても」と、誰もが思っていました。こういう人間たちに対して、聖書は何を教えているのでしょうか。マグダラのマリアに起こったことを通して、考えてゆくことにしましょう。

 

 マグダラのマリアは、イエス・キリストに、その生前から従った女性のうちのひとりです。マグダラとは地名で、ガリラヤ湖近辺の村のようです。彼女がイエス様に従うことになったきっかけが何だったかということが、ルカ福音書8章1節から書いてあるので、読んでみます。

 「すぐそののち、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

 マグダラのマリアについて七つの悪霊を追い出していただいたと書いてありますが、それ以上の説明はありません。この話のすぐ前に、罪深い女がイエス様のもとに来て、泣きながら香油を塗った話があるので、この罪深い女こそマグダラのマリアだと考えた人がいて、そこから彼女が娼婦だったという話が出て来ました。しかし、この話とマリアを結びつけるのには無理があります。イエス様が娼婦を救って弟子としても少しもおかしくはないのですが、マグダラのマリアがそうだったという証拠はありません。

 それでは、七つの悪霊を追い出していただいたとは何なのかということですが、たいへんに重い精神的な病気だったのかもしれません。マリアの前半生には私たちの想像もつかないようなことがあったのでしょう。イエス様に救われるまで、彼女はサタンの支配下にあったのです。

 昔、「15、16、17と私の人生暗かった」という歌がありましたが、マリアにとって、昔の暗い、無残な、みじめな時代と、イエス様に会って救われたあとの恵まれた日々は、天と地ほど、いや天と地獄ほどに違っていたのです。彼女の喜びようはどれほど大きなものだったでしょうか。

 マリアはイエス様によって与えられた新しい人生を、イエス様のためにささげようという決意をもって、イエス様に従って行きました。イエス様の一行は、イエス様を筆頭に、男の弟子たちと女の人たちとで構成されており、女の人たちは自分の持ち物を出し合って一行に奉仕しました。その中身については料理や洗濯をしていたと考えられることが多いのですが、それだけに限ってしまうと、だから女はそういうことだけしていれば良いとなりかねません。聖書に書いてないので断定出来ませんが、女の人たちが実際に伝道の仕事をしていた可能性もあります。…いずれにしても女の人たちの名前の筆頭にマグダラのマリアが載っているということは、彼女が女の人たちの間でリーダーだったからだと思われます。

 

 主イエスに従った女の人たちは、ゴルゴダの丘に引かれ行くイエス様のあとに泣きながらついてきて、十字架上のご最期を見届け、ご遺体が墓におさめられるところまで見届けました。

 主が亡くなられてから3日目の日曜日、マグダラのマリアと数人かの女の人たちは夜明けを待ちかねたようにイエス様のお墓に出かけて行きました。しかし、驚いたことに墓石は取りのけられ、ご遺体はなくなっていました。マリアがそのことを告げると、ペトロとヨハネが墓まで走って来て確かめますが、やはりご遺体のありかはわかりません。二人は帰ってしまい、マリアは墓の外に立って泣いていました。

 マリアにとって、自分を闇の中から光の世界へと連れ出して下さったイエス様がすべてであったのです。イエス様に仕えることこそ生きがいだったのです。それが、イエス様が十字架につけられたことで無残にも奪い取られてしまいました。それがどれほどの衝撃であったことか、…こうなってしまった以上、残された道は限られています。15節に「わたしが、あの方を引き取ります」という言葉が書いてあります。マリアとしてはせめてものこと、イエス様のご遺体に丁寧に油を塗って正式に墓に納め、イエス様に対するまごころを示そうと願っていたのです。

 マリアは思ったのです。イエス様が死なれて自分の一生は終わってしまった、この先、何の楽しみも喜びもない。…では、これからどうしよう、イエス様のためにお祈りして過ごそうとなったのです。仏教の言葉を借りるなら、イエス様の菩提を弔いたいと願ったのです。…ところが、そのご遺体さえなくなってしまいました。マリアはいったいどうして良いのかわからなくなってしまったのです。

 マリアは身をかがめてお墓の中を見ます。お墓は死が支配している世界です。マリアはそこにご遺体があると思って、探し求めましたが見つかりません。マリア自身、死の世界に魅入られているかのようです。

 するとそこに二人の天使がいて言いました。「婦人よ、なぜ泣いているのか」。これは、泣くようなことはないですよということなんです。でも、マリアには通じません。マリアは天使に、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と答えるのみです。

 聖書は、その時、その場にイエス様が立っていたと書いています。マリアが後ろを振り向くと、その人が見えました。でも、マリアにはそれがイエス様だとはわかりませんでした。…これは本当に不思議なことですね。謎だらけです。死んだイエス様がおられることも不思議だし、またマリアがよく知っているはずのイエス様がわからなかったというのも不思議です。…人間の頭ではとうていわからないことですが、しかし神様は聖書を通してその答えを与えて下さっています。

 その答えというのは、…結論から言えばマリアは間違っていたということです。イエス様を探そうとした場所が間違っていたのです。人間は墓穴の中にイエス様を探そうとします。しかし、そこにイエス様はいません。…またマリアが、目の前にいる人がイエス様だとわからなかったことにも大きな理由があります。復活されたイエス様は、人間が思い描いていたイエス様とは違うのです。イエス様は生前とは違ったお姿で人間に出会われるのです。

 どういうことでしょうか。マリアのうしろに立っていた人は言いました。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアはその人がお墓を管理する園丁という人だと思い込んでいたので、答えました。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

 これはとんちんかんな答えでした。というのは、遺体が見つからないだけじゃなく、イエス様がどういうお方であるかということを、マリアがわかっていないことを示しているからです。マリアは、たとえイエス様であっても、死という定めから逃れられないと思い込んでいました。しかしそのような常識は、イエス様ご自身によってくつがえされます。イエス様はマリアが立っている位置、見ている方向が全く誤りであることを教えられます。イエス様が「マリア」と呼びかけられたことで、マリアは初めて、目の前に立っているお方が誰なのかわかりました。声でわかったということも、もしかしたらあったかもしれませんが、いちばん大きな理由は、自分の名前が呼びかけられたことだと思います。マリアは自分からはイエス様がわからなかった、でもイエス様から呼びかけられたことで心の目が開かれたのです。

 聖書には、墓穴を見ていたマリアが後ろを振り向くとイエス様が見えたがイエス様とは気づかなかった、「マリア」と呼びかけられると、イエス様と向かい合っていたはずなのに振り向いて「ラボニ、先生」と言ったと書いてあります。…これでは180度と180度で360度、また元に戻ったようで変だと言う人がいますが、これはもののたとえです。…もともと、マリアは間違った所にイエス様を探していたのです。つまり、墓穴や死の世界にイエス様を探していた時、イエス様は見つかりません。イエス様は復活されて、これとは正反対の命の領域、神様が神様であられる世界におられたのです。従って、マリアが死の世界から振り向いて命の世界に心の目を向けた時、復活されたイエス様をイエス様として認めることが出来たということなのです。

 イエス様は復活なさいました。…イエス様の死は、すべての人々の罪のための身代わりの死です。これは、そのままでは終わりませんでした。天の父なる神様はイエス様の勇敢で崇高な行いを認められ、受け入れられました。…従ってイエス様の死は、そのままお墓の中で朽ち果てる敗北の死ではありません。神様はイエス様が罪と死に打ち勝ったことを、イエス様を復活させることによって全世界に示されたのです。

 イエス様が本当に復活したことを知ったマリアは喜びのあまり、イエス様にすがりつこうとしたのでしょう。イエス様から「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われてしまいます。「まだ父のもとへ上っていないのだから」というのです。

 復活されたイエス様は「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい」と告げます。わたしの兄弟たちとは、イエス様の弟ということではなく、弟子たちです。弟子たちはここで初めて、イエス様から兄弟と呼ばれました。イエス様から見て頼りない弟子たち、でも兄弟と呼ばれるなんて、イエス様がどんなに心が広いお方かということがわかるでしょう。イエス様は弟子たちにこういう伝言をしました。「『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マリアに言ったのと同じようなことが言われていますが、その意味については次の説教でお話しします。

 それまで人間は死ということの前に、なすすべもなくふるえるばかりでした。しかし、イエス様が復活なさったということは、神様が死という最大の敵に打ち勝ったということなのです。マリアはあまりのことに驚き、呆然としながらも、この喜びのしらせを一刻も早く伝えようと弟子たちのところに向かい、「わたしは主を見ました」と告げたのです。

 死に定められていた人間の命が、そこから解放されました。神様がなさったことの中でも最も驚くべき、また偉大な出来事、そのことの歴史上最初の証言者となったのがマグダラのマリアだったのです。

 

(祈り)

 主イエスを信じる者を心に留め、永遠の命に至る門を開いて下さった神様。今み言葉を受け取って、これまで、まるでイエス様の復活などなかったかのようにあきらめの内に過ごしていた心が私たちの中にあったことを知り、み前にざんげいたします。私たちには悩み苦しみが多く、心が折れたりすることもしばしばあるのですが、しかしそんな時であっても、私たちは死と滅びに向かう道ではなく、命に通じる道を歩いています。このことをまず心に刻ませて下さい。

 神様、イエス様の勝利はいまウィルスの感染拡大のために、ふるえている世界の中でも貫かれます。恐怖のために心が乱れ、取り乱したり、いらいらを自分より弱い人たちにぶつけようとすることが、世界のどこにも起こっています。神様、どうかこの危機の時代にあって、対立ではなく団結を促し、国と国、人と人とが手を取り合ってともにウィルスに立ち向かって行くことが出来ますよう、お導き下さい。

 神様は聖書の中でこう教えておられます。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリ10:13)

 神様、この言葉が真実であることを、教会から世界に伝えて下さいますように。とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

20200412イースター家族礼拝 井上 豊牧師
00:00 / 15:15

  イエス様の空の墓  youtube

ホセア6:1~2、ヨハネ20:1~10 2020.4.12

 

 新型コロナウィルスの急激な感染拡大で国が緊急事態宣言を出し、広島県が土曜日曜の外出自粛を要請する中、広島長束教会ではまたしても礼拝が出来なくなってしまいました。いつ、どんな時でも神様の言葉を語っていかなければならない教会が、イースターの日に口を封じられていることにどんな意味があるのか今はわかりません。しかしイエス・キリストはこの日に復活なさったことで、皆さん一人ひとりに死からの再生を教えて下さっているはずです。「求めよ、さらば与えられん」、礼拝が出来なくとも、聖書のメッセージを探し求めてゆきましょう。

 

 主イエスが逮捕され、裁判にかけられて死刑判決を受け、十字架につけられて亡くなられた時、イエス様のおそばにいた人たちがどうしていたか、皆さんはご存じですか。

 イエス様の12人の弟子たちの内、裏切者のユダを除く11人は最後の晩餐のあとイエス様についていったのですが、たくさんの人たちがやって来てイエス様が逮捕される時、こわくなったのでしょう、一人残らず逃げ出してしまいました。聖書には、十字架につけられたイエス様のそばに弟子のヨハネが来たことが書いてありますが、他の弟子たちがどうしていたかは書いてありません。自分の目で十字架を見たかどうかもわからないのです。…これと違って女の人たちは、十字架につけられるイエス様に泣きながらついてゆきました。そしてイエス様が亡くなられると、お墓に埋葬されるまで見届けました。お墓は今の時代のものとは違って横穴で、中は少し深くなっていました。そこにご遺体を運んできて、入り口を大きな石でふさいだのです。

 

 金曜日にイエス様が亡くなり、土曜日はこの当時、安息日ですからお休みの日です。3日目の日曜日になりました。マグダラのマリアさんは夜明けを待ちかねたように朝早く、お墓に向かいました。聖書にはこの人の名前だけ書いてありますが、ほかにも何人かの女の人がいたはずです(参照:20章2節、「わたしたち」)。

 マグダラのマリアさんにとって、自分を救って下さったイエス様が人生のすべてだったのです。イエス様にお仕えすることこそ生きがいだったのです。

それが奪い取られたことがどれほどショッキングなことだったか、…誰よりも大切なイエス様が死んでしまわれた以上、マリアさんに出来ることは限られています。マリアさんとしてはせめて、イエス様のご遺体に丁寧に油を塗って正式にお墓に納めることで、イエス様に対するまごころと感謝を表そうとしていたのです。

 マリアさんは思いました。イエス様が死なれたことで自分の一生は終わってしまった、これから先、いったいどうやって人生を過ごそうか、と。…しかしお墓に行ってみると、なんと入り口の石が取り除けてあり、ご遺体が見当たりません。驚いて、走って弟子たちの家に向かって、息せききって言いました。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません。」マリアさんは、ご遺体がだれかに盗まれてしまったと思ったのです。

 マリアさんから話を聞いた内のひとりがペトロ、もうひとりはヨハネです。二人ともその時、イエス様がなくなられ、しかもイエス様のために自分たちが何にも出来なかったことで、すっかり落ち込んでいました。…そこにマリアさんが走ってきて突拍子もないことを言うので、何だかわからないけど大変なことが起こったと思ったのでしょう。

 お墓に向かって二人並んで走ってゆきました、すると若いヨハネさんの方が先に着きました。ヨハネさんが墓穴をのぞいてみると、たしかにご遺体はありません。ご遺体をおおってあった亜麻布、包帯のようなものが見えただけです。続いてペトロさんが着き、今度は先に中に入ってみました。やはりご遺体はありません。亜麻布があり、そこから少し離れた場所に、イエス様の頭に巻いてあったはずの布が丸めて置いてありました。放り投げてあったのではありません。ていねいに置かれてあったのです。

 これがどういうことかと言いますと、かりに誰かがご遺体を盗んでいったのだとするなら、これはそうとう変です。泥棒だったら素早く、全部まとめて持って行くはずです。亜麻布や頭に巻いてあった布をほどいて、それもていねいに置いていくというのは考えられません。では、いったい何があったのでしょう。泥棒が入ったのでないとすれば、死んだイエス様が立ち上がって、亜麻布と頭に巻いてあった布をほどき、入り口を覆っていた石をどけて、そこから出て行ったのでしょうか。いったいそんなことがあるのでしょうか。この時ペトロさんは何が起きたのかわからない様子でしたが、ヨハネさんはここで何か、驚くほかないことが起こったことを信じました。

 イエス様のお墓に、肝心のイエス様のご遺体がないのです。それがこの日の朝の出来事です。

 

 マグダラのマリアさんも、ペトロさんもヨハネさんも、イエス様のご遺体はいったいどこに行ったのかと思っていたにちがいありません。しかし、どこを探しても見つかるものではありません。

 9節にこう書いてあります。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」

 イエス様の行先を探そうとするなら、まず聖書を、この場合、旧約聖書ですが、これを調べてみなければなりません。聖書こそ、神のみ子であり救い主であるイエス様について書いてあるものだからです。今日は最初にホセア書6章の言葉を読みました。「主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後(のち)、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる。」…なかなか難しいのですが、これはイエス様の復活を預言したものと考えられてきました。なんでイエス様なのか、我々と書いてあるじゃないかという人がいるかもしれませんが、我々、つまり私たちの中、そして先頭にイエス様がおられるのです。イエス様は引き裂かれ、打たれました。十字架につけられることですね。しかし三日目に立ち上がりました。復活されたのです。

 聖書にそう書いてあるのですから、聖書をきちんと読めば、イエス様が復活されたことがわかるのです。天の父なる神様がイエス様を復活させられたのです。

 そのことは、ヨハネ福音書をこの先読んでいくとはっきりします。復活されたイエス様がまもなく、マグダラのマリアさんに、ペトロさんに、ヨハネさんに会って下さるのです。それまで、みんな、イエス様をお墓の中に、死の世界にばかり求めていましたが、それは根本的に間違っていました。イエス様はいのちの世界に現れ、そこから人に会って下さるのですから、人はいのちの世界にこそイエス様を探し求めなければなりません。

 

 しかしながら、いくらイエス様だといっても、一度死んだお方が復活するというのはなかなか信じられることではありません。このあと復活されたイエス様が11人の弟子たちの前に現れるということが起きます。

その時、みんなは驚くと共に、また大喜びしたのですが、しばらくするとまた疑いの気持ちが出て来て、あれは何だったんだろう、おれたちみんな幻でも見ていたんじゃないかと思ったりするのです。しかしついに、イエス様は本当に復活されたのだと信じるようになります。そして、そこからみんな勇気百倍、本当の人生をつかみとってゆくのです。

 今の時代にも、イエス様は素晴らしいけれど、復活されたというのがどうしてもわからないという人がいます。人間、死んだらそれでおしまい、あとには何も残らないじゃないかと思っているのです。でも、それが本当だとしたら、人はいったい何のために生きているのでしょうか。

 聖書は、イエス様は死んで復活された、だからイエス様を信じている人は死んでも生きると教えています。…皆さんも私もいつかは死にます。自分が死んだらどうなるんだろうと不安に思わない人はいません。でもイエス様が私たちみんなに先がけて死の世界に分け入り、そして死の世界からいのちの世界に生きて戻られたのなら、…イエス様は私たちをいのちの世界に、一緒に引っ張って下さるにちがいないのです。神様はそのことを教えられることで、だれもがイエス様を信じて、イエス様に人生をかけ、本当の幸せをつかみとることを心から願っておられます。皆さんが神様のこの呼びかけに応えて下さるよう、私は信じて待っております。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。広島県からの外出自粛要請があったとはいえ、広島長束教会はイースターの礼拝を中止してしまいました。このことについて、いろいろな理屈づけは出来るのですが、まず神様におわびし、あわれみを乞い願います。いま世界と日本を覆っている危機は、人類の罪がもたらしたものかもしれません。たとえそうでなかったとしても、罪のために、ますます危機的な状況に向かっていく可能性は十分にあります。どうかこの状況の中で、人々が神様に救いを求めることで難局を切り開き、世界に平安が与えられますようにと、心から願います。

神様、十字架にかかって、死なれたイエス・キリストは、いつどんな時代にも世界の希望であり続けます。神様は死よりも強い、このことによって、困難の中にある世界の教会と共に広島長束教会を強め、勇気を与えて下さい。礼拝を再開させて下さい。主イエスがご用意下さった信仰によって、私たちにも死に勝った者としての生活を与えて下さい。

 とうとき主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

2020.94.05 説教 井上 豊牧師
00:00 / 50:44

  この人を見よ youtube 

レビ記24:15~16b、ヨハネ19:1~16a 2020.4.5

 

 今日はイエス・キリストがロバの子に乗って、エルサレムに入城された記念の日曜日です。およそ2000年昔のこの日、イエス様を大歓迎した人々はそれから数日の間は、神殿でイエス様のお話を熱心に聞いていたのですが、それが突然イエス様を糾弾する大きな力となり、金曜日には十字架刑が執行されてしまいます。エルサレム入城から十字架までわずか6日です。事態の展開があまりにも急でめまぐるしいので、エルサレム入城から十字架までもっと長い日数がかかったはずだと考える人もいます。しかしヨハネ福音書を調べてみると、12章1節に、過越祭の六日前にイエス様がエルサレム近郊のベタニアで香油を注がれるという出来事が出て来ます。次いで12章12節、「その翌日」、これがエルサレム入城です。そして13章1節、「過越祭の前のことである」、そこで起こったのが弟子たちのきたない足を洗うことと最後の晩餐でした。その数時間後にイエス様は逮捕され、次の日に十字架につけられるので、やはりエルサレム入城から十字架まで、6日の間に起こったと考えるしかないでしょう。

 

 広島長束教会は、礼拝の中でいつも使徒信条を唱えていますが、その中に、イエス様について、「ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」という言葉が入っています。…イエス様を十字架につけることを最終的に決定したのがポンティオ。ピラトという人でした。しかし、それにしても、この人の名前をなぜ、毎週毎週唱えなければならないのでしょうか。…それは、いくら憎んでもたりないピラトの罪を永遠に糾弾し続ける、ということではありません。これはイエス様の死が、ピラトという人物の時代に起こったことを示しているのです。ちょうど日本の歴史の中で、豊臣秀吉の時代とか徳川家康の時代とか言うのと同じです。ピラトがいた時代にこの事件が起こったのです。

 紀元26年から36年にかけてユダヤを治めたのがローマ帝国の総督であったピラトでした。当時、ユダヤの国はローマ帝国の中にありまして、ローマはユダヤの国がきちんと税金を納めてくれさえすれば大幅な自治を認めていました。ユダヤには最高法院という、日本の国会にあたるようなところがあり、政治を担っていましたが、そこでは出来ないことがありました。死刑を執行することです。ローマ帝国の総督ピラトだけが、人を死刑にすることが出来ました。ユダヤの人たちは自分たちだけではイエス様を死刑に出来ないので、イエス様をピラトのもとに連れてきました。人々が狙っているのは、ピラトが死刑執行の命令を下すことでした。

ピラトという人は、歴史家が伝えるところによると、権力闘争を勝ち抜いてきたなかなかのやり手で、また相当あくどい人物だったようです。しかしイエス様が連れて来られた時、すぐに死刑にしようとはしませんでした。それどころかイエス様を何とかして助け出そうとしたのです。

                                                        

 ピラトの前にイエス様が連れてこられた時に起こったことは、ただ二人の人間が会ったということではありません。二人はまさに正反対の人間でした。いまピラトはローマ帝国の絶大な権力の代理人として立っています。これに対し、イエス様はつかまえられ、自由を奪われ、罪人(ざいにん)として裁判の判決を待っているだけの人です。まるでライオンとウサギが向かいあっているようで、勝負の行方は初めからわかっているように見えるかもしれません。しかし、そんな簡単なことではありません。

 ここに至るまでにこういうことがありました。祭司長、律法学者をはじめとするユダヤの人たちが中心となってイエス様を引っ立てて来た理由はひとことで言えばねたみでした。「イエスはご自分を神の子と言っている、救い主だとしている。こんなのは嘘だ、神様を冒涜することだ。こいつは神の子でも救い主でもない」ということです。今日、最初に読んだレビ記に、神を冒涜する者は死刑に処せられると書いてありました。イエス様はこれに該当すると考えたわけですね。…でもユダヤの人たちは死刑執行が出来ません。また、そんな理由でピラトに死刑を認めてもらうことも出来ません。違う神様を信じていただろうピラトは、イエス様が神様を冒涜しているかどうかなんて、どうでも良いことだったのです。

 そこで人々は、「イエスは自分を王だと言っている」と言い変えました(ルカ23:2)。皇帝が治めるローマ帝国に王がいてはなりませんから、こうなると謀反を起こしたことになり、死刑に出来ると踏んだわけですね。ただ、ピラトはそんなすりかえに騙されるような人ではありません。…ピラトはイエス様に「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねました。するとイエス様は「それは、あなたが言っていることです」と言われたのです。何ともわかりにくいお答えですが、これは、ご自分を死刑にしようとする人たちが言っているのと同じ意味での王ではないけれども、やはり王であるということなのです。…絶大な権力を持つ総督ピラトの前にいるのは、お金も力もなく、いままさに殺されようとしている、みじめな人間にしかすぎません。しかし、この惨憺たるありさまにかかわらず、いやそうだからこそ、イエス様はユダヤ人の王、そればかりでなく全世界の王であるということが聖書で教えられています。ここではピラトを代表とするこの世の国の力と、イエス様が代表する神の国の力が向かい合っています。

 ピラトにはイエス様が謀反を起こしたとは到底思えません。十字架にかけなければならないほど危険な人物にも見えないので、イエス様を助けようとしました。…この当時、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放するという慣わしがありました。ピラトはこれならイエス様を自由に出来ると思ったのでしょう。「過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」というと、人々は「その男ではない。バラバを」と言い返しました。バラバは強盗でした。イエス様ではなく強盗のバラバが釈放され、ピラトの狙いははずれてしまいました。

 そこでピラトは、イエス様を鞭で打たせました。ピラトの狙いは、イエス様を痛い目に合わせることで、さあこれでおしまいだ、どこへでも行ってくれということだったのですが、人々は納得しませんでした。

 すると、ローマの兵隊たちがイエス様をなぶりものにするということが起こりました。イエス様の頭にトゲがついている茨の冠をかぶせ、王様が着るのとよく似た紫の服をまとわせた上で「ユダヤ人の王、万歳」と言って、びんたしたのです。兵隊たちはもちろんイエス様を王様だと信じてはいません。イエス様をばかにして「こんな哀れなやつが王様なんだって!」と言っているのです。

 ピラトは体じゅう血だらけになっているイエス様を人々の前に連れ出して言いました、「見よ、この男だ」。「見よ、この男だ」、これには「この人を見よ」という訳もあって、この説教のタイトルにしています。…「見よ、この男だ」でも「この人を見よ」でもどちらでも良いのです。ピラトはイエス様を指さしてそう言ったのでしょう。

 皆さんは、ピラトがどうして「この人を見よ」と言ったと思いますか。…ピラトは、イエス様こそあなたがたの王様だ、この人を信じなさい、と言ったのではありません。「見なさい。茨の冠をのせられ、紫の服を着せられて、体じゅう傷だらけのこんなかわいそうな男が謀反を起こしただと。そんなことあるはずない。死刑にする必要はない」と言っているのです。しかし、ピラトの声は、イエス様を十字架につけろという声に打ち消されてしまいました。

 ピラトにとってイエス様はまるで宇宙人です。どんな人間なのか皆目わかりません。とても大悪人には見えないイエス様を許そうしたら、今度は人々がいきり立って「十字架につけろ」と言ってききません。その気持ちもわかりません。ピラトは何がどうなっているのか見当もつかなかったのでしょう。そこでイエス様を連れ戻し、「お前はどこから来たのか」と聞くとイエス様はお答えになりません。そこで「わたしに答えないのか。おれはお前を生かすことも殺すことも出来ることを知らないのか」、するとイエス様は、「神様がお許しにならなければ、わたしをどうすることもできない」と。いくら権力者のあなたでも、神様でないのだから私をどうすることも出来ませんよと言うのです。

 ピラトはここで初めて、本当の神様の姿を垣間見たのだと思います。このままイエスを死刑にしたら、なにか大変なことが起こるかもしれない、神様に罰せられるかもしれない、くわばらくわばら、と考えたのではないでしょうか。…やはりこいつは釈放すべきだ!しかし人々は叫びました。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王を自称する者は皆、皇帝に背いています。」

これは、「ユダヤ人の王だと言っているイエスを釈放したら、あなたもローマ帝国の皇帝に対する反逆者だ。あなたのことを皇帝に言ってしまうぞ」ということです。イエス様を釈放したことを皇帝に告げ口されたら、死刑にされる可能性もあります。ここでついにピラトの心は折れてしまいました。つまり、自分の身の安全を確保するために、しぶしぶそこで妥協してしまったのです。こうしてイエス様の裁判は決着しました。イエス様は十字架につけられることになったのです。ピラトが「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言った時、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えました。ここで言われていることもいんちきで、この人たちはイエス様を死刑にするためには、どんなりくつをつけても良かったのです。

 

神の子で救い主、そして本当の王であられるイエス様がどうして、鞭で打たれ、茨の冠をかぶらされ、ののしられ、そして十字架につけられなければならなかったのでしょう。皆さん、思い出して下さい。イエス様は素晴らしい演説をすることも、また驚くほかない奇跡を行うことだって出来たのです。なぜ、その力を使って、ご自分を救い出すことをなさらないのでしょうか。なぜ、むざむざ殺されてしまうのでしょうか。…でも、それが父なる神様のみこころだったのです。

私はこの2月、ヨーロッパを旅行した時、ポーランドのアウシュビッツというところに行きました。そこは原爆ドームと同じく、第二次世界大戦がどれほど悲惨で残酷なものだったかを伝えるために世界遺産になっています。そこは言ってみれば殺人工場で、連れて来られたユダヤ人100万人がガス室や絞首台などで殺されました。そこから運よく生きて帰ることが出来た人たちの証言が残されています。…少年を含む罪のない3人の人たちが首を吊るされて殺される時、声が上がりました、「神様はどこだ、どこにおられるのか」。

この問いにどう答えらることが出来るのでしょう、神様なんてどこにもおられないとしか思えない状況ではないですか。…その時、ある人が答えました、「どこだって、ここにおられる。ここに、この絞首台に、吊るされておられる。」

もちろん、アウシュビッツで起こったことはゴルゴダの丘でイエス様が十字架につけられたこと同じではないのですが、これが大きなヒントを提供してくれます。神様が人間によって殺されたのです。全能の神様がイエス様となってこの世界に現れました。風をも水をも従わせることの出来るイエス様が、しかしその力を用いることなく、罪人(つみびと)の前に十字架に釘付けされて死ぬ。人間の常識では考えられないことが起こりました。しかしそれだからこそ、イエス様は救い主であり、世界の王であるのです。

このあと私たちは歌います。「この人を見よ、この人にぞこよなき愛はあらわれたる。この人を見よ、この人こそ人となりたる活ける神なれ。」

ピラトが自分ではよくわからないまま指し示したイエス様に、私たちの人生がかかっています。

 

(祈り)

 天の父なる神様。新型コロナウィルスの感染が危機的状況になっている中、主のご受難を深く思うこの日の礼拝に、来れる者だけでも招いて、みこころを聞かせて下さいますことを感謝申し上げます。神様、世界をおおうこの状況の中で、救いの道を示して下さい。そのことを信じて、切にお願いいたします。

今日改めて、主イエスのお苦しみを深い悲しみをもって聞くことが出来ました。神様御自ら、十字架という最も残酷な刑を引き受けられたことの重みに打ちのめされそうになります。ひざまずいて、ただ罪を悔い、主の恵みにすがります。主がすべての人のために、そして私たちのために、とうとい命をささげられ、究極の苦しみの中でなお罪びとを赦して下さったことが、いま不安と恐怖でうちふるえる世界にとってのたしかな希望となりますように。

どうか私たちの心に、繰り返し繰り返し十字架にかかり、罪と死に対して勝利された主を思わせて下さい。

 主イエス・キリストの御名を通して、この祈りをおささげします。アーメン。

2020.03.29 説教 井上 豊牧師
00:00 / 50:33

   栄光が現れる時  youtube

詩編57:2~6、ヨハネ17:1~5  2020.3.29

 

 広島長束教会では3月15日と22日に礼拝中止という、この教会始まって以来の重大な事態になりました。今日、まだまだ元の形には戻っていませんが、来れる人だけでも集まって礼拝しようということで、こうして再開できたことを心から感謝いたします。

 いま新型コロナウィルスのために、世界中がもはや限界に近いところにまで来ています。専門家が言っていますように、この病気の致死率は低く、感染者の約8割は治るということですが、高齢の方や持病がある方にとっては大変危険です。長束教会には高齢の方や持病がある方も多く、礼拝に出席なさる場合、教会への行き帰りも含めてくれぐれも用心して下さるようお願いいたします。

 今回、ウィルスの脅威に対して、核兵器もミサイル防衛システムも、どんな兵器も役に立たないということが世界に明らかになりました。では、ウィルスと闘うには何が有効なのかということで、それぞれの場で真剣な取り組みがされておりますが、ウィルスそのものより、ある意味でもっと恐ろしいのが人の心ではないかと思います。自分さえ安全ならほかの人はどうなっても良いというような思いがさらなる重大な災難を招くことがありえます。この重大な危機に対して世界を救うのは、神様への信仰以外にはありません。

 教会は、戦争があっても自然災害があっても、いついかなる状況の中でもみことばを語ることをやめてはいけないのです。当たり前のことですが、ウィルスに負けてはなりません。今回、礼拝を中止するという苦渋の選択をしましたが、不十分ながらネットで説教を発表しました。…今後も、何が起こるのかわかりません。考えたくないことですが、再び礼拝中止ということもあるかもしれませんが、それでもあらゆる方法を使ってみ言葉を語り続けます。いま神様がこの事態を通して何を言おうとされているのか、聖書の中にその答えがあることを信じ、みこころが天になるごとく地にもなさせたまえということを祈り、求めてまいりましょう。

 

 それでは今日の箇所に入りますが、これはイエス・キリストと弟子たちの最後の晩餐の中での出来事です。(最後の晩餐と言われている通り、この次の日、イエス様は十字架につけられて亡くなられます。)イエス様は弟子たちと食事をなさったあとで最後の説教をなさいましたが、そのあとになさった祈りを私たちはいま読んでいます。

 イエス様はふだんから、祈ることにたいへん熱心な方でした。ちょうど今の時代、少しでも時間があるとゲームに熱中する人がいますが、イエス様は、少しでも時間があるとお祈りされる方でした。

 皆さんはイエス様が教えて下さったお祈りをご存じですか。そうです。主の祈りです。これはイエス様が熱心に祈っておられるのを見た弟子たちが、「主よ、私たちにも祈りを教えて下さい」と頼んだことで教えて頂いたお祈りですから(ルカ11:1~4)、誰もが唱えることが出来ます。たとえば「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」、これなど、まさに私たち一人ひとりのために教えて頂いたお祈りですね。

 で、これに比べると、17章の祈りはずいぶん違っています。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」

 なんだか難しそうですが、ここでビビッたりしませんように。2つのお祈りの違いというのはこうです。主の祈りは、私たちふつうの人間が祈るために与えられた祈りです。だから誰でも主の祈りを唱えることが出来るのですが、こちらの祈りは、イエス様以外のどんな人も唱えることが出来ないお祈りなのです。

 1節の言葉をためしに皆さん、一人ひとりに置き換えて読んでみるとこうなります。「父なる神様、時が来ました。ぼくがわたしが、神様の栄光を現わすようになるために、ぼくにわたしに、栄光を与えて下さい。」…何か、変だなということに気がつきましたか。

 もう一つ、2節をみてみましょう。「あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人々すべてに、永遠の命を与えることができるのです。」これを皆さん、一人ひとりに置き換え、またもっとくだけた言い方にするとこうなります。「神様はぼくにわたしに、すべての人を支配する力を与えて下さいました。だから、ぼくはわたしは、神様から任せられた人たちみんなに、永遠の命を与えることができるのです。」

 神様はすべての人を支配する力を与えて下さいました! 永遠の命を与えることができるのです! こんなこと言える人がいますか? 誰もいません。では、イエス様はどうしてこんなことが言えるのでしょう。イエス様は、失礼ながら頭がおかしいのでしょうか。もちろんそうではありませんね。イエス様は本当に神の子で、救い主であるから、このように言うことが出来たのです。これはイエス様が、ご自分が神の子であり、救い主であることを自覚した上で父なる神様に呼びかけた祈りなのです。

 このお祈りについて全部取りあげるのは無理なので、いくつかしぼって見てゆきましょう。イエス様はお祈りの最初に「父よ、時が来ました。」と言われました。時が来ました、それはいよいよその時が来たということです。…今年は残念ながら中止になってしまいましたが、毎年春には全国高校野球選手権大会が行われます。各県から選ばれた高校野球のチームが甲子園でたたかいます。そうして一つ、一つ勝ち進んだ2つのチームが最後に決勝戦を行いますが、ここで勝った方が日本一になるのですから、どちらのチームも絶対に勝ってやると思っているわけです。だから決勝戦こそその時です。「神様、いよいよその時が来ました」と言って試合に臨む選手もいるのではないでしょうか。

 イエス様にとってのその時が来ました。イエス様はそれまで、各地をまわって神の国についてお話しなさり、また病気を治したりされていました。どれも素晴らしい、意義のあることでしたが、いよいよ決定的な時、最後の勝負の時が来たのです。それが十字架です。…イエス様にとってこのことは、十字架につけられるということと共に十字架にのぼっていくことを意味していました。…十字架につけられるというのは、イエス様が形ばかりのいんちきな裁判の結果、何も悪いことをしていないのに死刑の判決を下され、多くの人たちの悪意がこもった「十字架につけろ、十字架につけろ」という声の中で殺されることでした。…しかし、もう一つのことがあります。それはイエス様がすべての人々の罪の身代わりとなって死ぬことでした。どんな人も多かれ少なかれ罪を犯していて、そのままでいたら父なる神様から罰を受けなければなりません。神様は少しの罪も見逃されないお方なのです。しかし神様は人々の罪に対する罰をイエス様おひとりに負わせることで、人々の罪を赦し、永遠の命を与えようとなさったのです。このことはまず父なる神様がお望みになり、これにイエス様が従ったのです。父なる神様との強い結びつきと信仰と勇気がなくして、この務めを担うことは出来ません。だからイエス様はお祈りしているのです。

 

 この祈りの中に栄光という言葉が何回も出て来ます。1節、「あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」、4節、「わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」、5節、「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」。

 

 数えてみると5回も出てきました。…栄光というのは、栄えるという字と光という字から成っています。国語辞典では「輝かしい誉れ、輝かしい栄え」と書いてありました。今にも消え入りそうな光とは違う、まばゆいばかりの光を思い描いて下さい。イエス様はもともと天におられ、栄光に包まれておいでになりましたが、クリスマスの日に地上におりて来られ、人として成長され、その姿は人と変わりません。

 皆さんもご存じのように、イエス様は十字架上で死んで3日後に復活なさいました。死に打ち勝ったそのお姿は栄光に包まれていたと言って間違いありません。イエス様はさらにそのあと、天に昇られ、いま父なる神様の右においでになり、世界の多くの人たちがイエス様を礼拝しています。イエス様はその栄光でもって、世界を支配なさっているのです。

 さて、そのことをわかって頂いた上で、皆さんに考えていただきたいのです。…イエス様はいま、決定的なその時を迎えようとしており、それが十字架なのですが、イエス様はこれを前にして「栄光を与えてください」と祈っておられるのです。だいたい復活のイエス様とか、天に昇ってゆくイエス様が栄光で輝いているのはわかります。しかし、なぜ十字架が栄光なのでしょう。…十字架にはりつけにされることほど痛くて、苦しくて、見るも無残な姿をさらすものはほかにありません。イエス様を信じる人にとっては目を背けたくなるような光景ではないでしょうか。…けれども、そうではないのです。

 イエス様の敵なら、十字架を見た時、「ざまあみろ」と言うでしょう。この人たちにとって、イエス様はたたかいに負けて死んだ、みじめな人間にすぎません。しかし、その人たちはみんな間違っていました。イエス様はたたかいに負けて死んだのではありません。そうではなく、たたかいに勝って死なれたのです。すべての人の身代わりとなって死ぬことで、逆にすべての人をご自分のもとに集め、悪魔を滅ぼした、それはいっけん無残な姿に見えますが、そこにこそ栄光が輝いているということに、皆さんは気づいて下さい。

                                                                                                                                                   

 最後にミニバラ(注:広島長束教会のニュースレター)60号に書いたことをもう一度紹介します。1980年の冬、東京の隅田川の橋の上から64歳の女性が下に飛び込んで自殺をはかりました。すると、ちょうどその時そこを通りかかった19歳の青年がいて、水に飛び込んで、女性を助け出しましたが、自分は力尽きて死んでしまったのです。女性はノイローゼだったということです。

 私は新聞でそれを読んで、初め、この青年はなんてばかなんだろうと思ったのです。まだ19歳ですよ、これから始まる人生があっただろうに、なぜ64歳の女性のために命を投げ捨てなければならんのか、あまりにもったいないではないかと。

 しかしよく考えてみると、全く違うことが見えてきました。自殺をはかった女性はそれまで、自分を大切にしてくれる人など誰もいないと思っていたはずです。しかし、そんな自分を命をかけて救ってくれた人がいたわけですね。それがわかった時、もはや二度と自殺をはかることは出来ないのです。…そして、それと同時に、この19歳の青年の死が、ばかな、みじめな死ではない、それどころか栄光に包まれた死として見えてきたのです。もちろん、誰もがこんな死に方をする必要はありませんが。

 皆さんは、ここからもイエス様の十字架の死が見えて来ないでしょうか。イエス様の死はこのような、いやこれ以上の、あまたの人々の命を救うための死でありました、いま世界のどこの教会も十字架を掲げているのは、十字架が神の栄光を現しているからです。十字架は決して敗北ではありません。私たちもみな、十字架を掲げて前に進んで行くのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。新型コロナウィルスによる感染拡大が、日本でも世界でものっぴきならないことになっている今、広島長束教会で礼拝が再開されたことを感謝いたします。この教会が3月8日と15日に礼拝を中止したことは、何より神様に対して、まことに申し訳ないことでした。神様、もうこんなことが起こらないように。どうかこの教会での礼拝を続けさせて下さい。日曜学校と祈り会を再開させて下さい、

 神様、私たちは十字架にかけられて、その死によって死に勝利されたイエス・キリストが全世界でウィルスと闘っている人たちと共におられ、そのことが教会で語られるみことばを通して現れることを心から祈り求めます。どうか、この祈りをお聞き上げ下さい。

 主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

2020.03.22 説教井上 豊牧師
00:00 / 20:23

ユダの裏切り       

マタイ26:14~25 2020.3.22

 

 礼拝が中止になって2週目の日曜日になりました。この間、新型コロナウィルスの感染拡大は予断を許さない状況が続いておりますが、その中で一つ気になるニュースがありました。愛知県で、「ウィルスをばらまいてやる」と言ってパブに行き、女性の従業員を感染させた50代の男性が死亡したことです。私が想像するに、この人には信仰がありません、「どうせ自分は死ぬんだから、もう警察も何もこわくない。よし、ほかの人間を道連れにしてやろう」となったのではないでしょうか。

 いったい神様以外に、死を目の前にした絶望的な状況から人を救うものがあるのか、ということを思いながら、受難節を過ごして頂きたいと思います。

 

 今日の聖書の場所に入ります。「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている』」。この瞬間を描いた絵が有名な、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」です。主イエスの言葉を聞いた弟子たちは、あまりのことに驚き、あわてふためいています。この不朽の名作が出来あがるにあたって、こんな話があります。

 レオナルド・ダ・ビンチにとって、この絵を描くときにいちばん困ったのは裏切り者のユダをどう描くかということでした。(ユダはイエス様を銀貨30枚で、祭司長たちに売り渡しましたが、イエス様に有罪の判決が下ったのを知って後悔し、首をつって自殺しました。)ユダはキリストの敵であり、歴史上最大の罪を犯したと考えられていました。ありとあらゆる非難の言葉がユダに投げつけられていたのです。そこでダ・ビンチは、ユダを描くために極悪人を探し求めました。そのために監獄に通って、囚人をスケッチしていったのです。……ところが、どうしてもユダにぴったりのモデルは見つかりません。重罪を犯した人間にいくら迫ってもユダとは結びつかなかったのです。

 

 聖書の中でも最大の謎がイスカリオテのユダであるとは、多くの人が認めていることです。イエス様に一番近いところにいた弟子がイエス様を裏切ったことのもたらす衝撃は測り知れません。ユダはなぜイエス様にそむいたのかということに始まって、イエス様はユダが裏切ることを知っていながらどうして弟子にしたのだろうか、など謎は謎を呼んで、尽きることがありません。キリスト教会はユダについて歴史を通してずっと議論してきました。今日では、ユダの名誉回復を図る人まで出て来ました。それだけユダに関心が寄せられているのです。

ユダについて考えることは、ただ人間の好奇心を満足させるだけでなく、神とは何か、人間とは何か、私たちの信仰とは何かを考えることでもあるのです。

 イスカリオテとはカリオテの人という意味です。カリオテはユダヤの一つの町の名前です。主イエスの12弟子の中にやはりユダと呼ばれる人(ルカ6:16)がいて、区別するためにイスカリオテのユダと呼ばれてきました。

 聖書で主イエスの受難物語以外にユダについて書いてあることは多くはありませんが、わずかな記述からその生涯を再構成してみましょう。

主イエスはユダをみもとに召して弟子となさいました。他の弟子たちと同様、ユダもすべてをなげうってイエス様に従ったのです。イエス様が弟子たちを二人一組で各地に派遣して伝道させたとき、ユダも参加しました(マタイ10:5~42)。イエス様の言葉につまづいて弟子たちの多くが去ってしまうということが起こりましたが、ユダは他の11人の弟子と共にイエス様のもとにとどまりました(ヨハネ6:66~71)。こうしてユダは最後までイエス様から直接教えを受け、その伝道を支えたのです。

ユダは弟子たちの中でも信頼されていました。そうでなければ会計係を勤めることはなかったでしょう。彼は金入れを預かっていました。

他の弟子たちと共にイエス様から愛され、弟子たちの中でも重きを置かれていたユダがなぜ自分の先生を祭司長たちに引き渡したのか、聖書は事実だけを淡々と書いて理由を説明してはおりません。そこで、いろいろな人がいろいろなことを言うのですが、第一に考えられる可能性はお金です。

ユダは欲に目がくらんで、自分の先生を売ったのでしょうか。ただ、それには不自然な点があります。銀貨30枚という額ですが、これは今のお金にしてせいぜい数千円くらいにしかなりません。たったそれだけのお金のために、自分の先生を売ってしまうものでしょうか。……ユダはイエス様に有罪の判決が下ったあと、銀貨30枚を返そうとしましたが、断られたため、これを神殿に投げ込んでいます(27:5)。

それでは、ユダはイエス様に積年の恨みでもあったのでしょうか。もしそうなら、イエス様が裁判を受ける最高法院でそういうことを証言するということもありえたと思います。ところが聖書を続けて読んでいけばわかる通り、ユダはイエス様が逮捕されたあと消えてしまい、裁判が終わったあとに再登場します。イエス様に有罪の判決が下ったことをユダは知って後悔し、自殺してしまいます。そういたしますと、イエス様に対して恨みを晴らしたり、まして十字架にかけるのはユダの意図したことではなかったと言えるのです。

そうしますと最後に考えられるのが、ユダはイエス様をのっぴきならないところに追い込み、それによってイエス様が決起することを促したというものです。

イエス様がユダの思い描いた夢に向かって立ち上がる、その状況を作り出したかったのです。

どういうことかと言いますと、ユダは他の多くの人たちと同じように、イエス様にユダヤ人の理想を見出していました。いまローマ帝国の支配下にあるユダヤに独立と自由を与え、虐げられた民族を率いてこの地上に神の国を建設するのはまさにこの方だと思ったから、ユダは人生をかけてイエス様に従ってきたのです。ところがイエス様はなかなか行動を起こそうとはなさいません。群衆がイエス様を担ぎ上げて王にしようとしたことがありましたが、イエス様はそれを受けようとはなさいません(ヨハネ6:15)。こういうことをユダはじれったく思っていたはずです。

主イエスはついにエルサレムに入城しました。群衆が歓呼の声をあげてイエス様を迎えるのを見て、ユダは今こそその時が来たと思ったのではないでしょうか。けれども、ユダが目指していることと主イエスが目指していることはますます離れてゆきました。ユダはイエス様を王とする独立国家を夢見ていましたが、イエス様ご自身の目指す神の国は十字架を経なければ打ち立てられないものだったのです。

ユダは、イエス様が十字架を目指しておられることが理解出来ません。ユダヤの指導者になるために今が絶好のチャンスなのに、先生はなぜためらうのだ、……こうして、イエス様が立ち上がることを熱望したユダは、ついにイエス様がそうせざるを得ない状況を作り出そうとしたと考えられます。それがイエス様を反対派に引き渡すことでした。ユダは考えました。先生はご自分が逮捕されるぎりぎりの状況になれば、奇跡を起こしてでも必ず反撃し、大胆な行動に打って出るだろう、……このようにしてユダは人生最大の賭けに出たと思われます。

 

このようなユダのありさまを主イエスが知らなかったはずはありません。では主イエスはこれにどのように対応なさったのか、ヨハネ福音書13章6節には「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」と書いてあります。この中に当然ユダも入っています。主イエスは弟子たちの足を洗ったとき、ユダの足も洗いました。ご自分を裏切るユダをも愛し、悔い改めを願っていたのです。

ユダのことは、ごく一部の特殊な人の問題ではなく今日の私たちの問題でもあります。その証拠となるのが、最後の晩餐の席です。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」との言葉を聞いた弟子たちの、「主よ、まさかわたしのことでは」という言葉です。ユダは別として、他の11人はなぜこれしか言えないのでしょうか。心にやましいことがあるからです。

だれも「わたしではありません」と断言出来る者はなかったのです。

事実、それから数時間のち、イエス様が逮捕されたとき、11人の弟子たちはみなイエス様を捨てて逃げてしまいました。ペトロは、自分はイエスのことを知らないと言って3度、主を否認しました。主イエスを裏切ったことについては、ユダ以外の弟子たちにも責任があるのです。イエス様じきじきの弟子ともあろう人たちがみんな自分の先生を裏切ってしまったのです。これではイエス様、死んでも死にきれなかったのではないでしょうか。そして私たちです。私たちは生涯、イエス様を裏切らないと言えるでしょうか。

 

ユダはまもなく最後の晩餐の席から出てゆき、次にゲツセマネの園で、大勢の人々を引き連れて現れます。ユダがイエス様に接吻したとき、ユダの顔はらんらんと輝き、その目はこう語っていたのではないでしょうか。「先生、いかがですか。もう逃げられませんよ。ユダヤ民族の指導者としてあなたの力をふるう時が来たのです。それとも、このままつかまってあなたの敵のなすがままになってしまいますか」。

この直後、イエス様は逮捕されます。……そして、有罪の判決が下ったのを知ったときユダは後悔しましたが、もうどうすることも出来ません。彼は自分が致命的な失敗をしたことを知りました。周到に組み立てた計画は無残な結果に終わりました。ユダは自分が全人生をかけて愛し、従ってきた人を死刑にしてしまったのです。

ユダは祭司長たちと長老たちの前で「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言って、銀貨30枚を神殿に投げ込むとそこを立ち去り、首をつって死にました。

 

ユダの自殺について古代キリスト教の教父であるオリゲネスという人はこう書いています。「ユダは自分のしたことを悟った時、急いで自殺した。それは死の世界でイエスに出会うためであり、そこで赤裸な心で主の許しを哀願するためであった」。……しかし、イエス様はそんなことを望まれるでしょうか。ユダはどんなに絶望しても死ぬべきではなかったのです。自殺したことがユダの最大の罪であったと言えましょう。

ペトロにしろ他の弟子たちにしろ、主イエスの前から逃げてしまった弟子たちは自殺などしませんでした。自分のした罪の重みに押しつぶされそうになりながらも、それでも生き抜いて復活の主に出会ったからこそ、新しく生まれ変わることが出来たのです。

…ユダがすべきだったことはあくまでも生きぬいて、十字架のイエス様のもとにかけより、その前で心の底から罪をわびることでありました。なぜならこのユダのためにも、イエス様は命を捧げて下さったからです。

 

監獄の中でとうとうユダのモデルを見つけられなかったレオナルド・ダ・ビンチは、ある晩夢を見ました。それは、イエス様がユダと共に天に昇っていったという夢でした。その夢が真実を語っているのかどうかわかりませんし、ユダが救われたのかどうかも何とも言えませんが、しかしユダにも注がれているキリストの愛を受けとめたダ・ビンチは、ユダを極悪人としてではなく自分たちと同じ普通の人間だという考えのもとに描いて、こうして「最後の晩餐」を完成させたということです。

私たちはユダに対して何かまさったところがあるでしょうか。ユダを極悪人として非難出来る立場にあるでしょうか。私たちがイエス様に対して勝手に夢と理想を描き、それがかなわないととたんにイエス様を裏切る者になってしまうという可能性もないではありません。しかし私たちには絶望の中での破滅への道ではなく、救い主イエス様の前で罪を悔い改める道が開かれているのです。

イエス・キリストの十字架の赦しの中に立ちかえることを知る者は、やり直すことが出来ます。これこそがユダの悲劇を乗り越える道なのです。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。主イエスのご受難を深く思う季節の中、私たちはイエス様を十字架に追いやった人間の罪が、いま感染病となって世界を苦しめているのではないかとおそれています。どうか、神様の全能のみ手をもって、世界に光を与えて下さい。またこの教会を顧みて下さい。ウィルスといま命がけでたたかっている患者や医療関係者、また仕事を失った人たちの苦難とは比較にならないとは思いますが、広島長束教会に関わる者たちはいま「みことばの飢饉」とも言うべき状況にさらされています。どうか広島長束教会がこの状況から脱し、礼拝を再開できますように。不安と恐怖の中にある人々を救うメッセージを分かち合うことができますようにと願います。

 主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

2020年3月15日説教井上 豊牧師
00:00 / 18:02

キリストの苦しみがあってこそ 

イザヤ56:1~8、使徒21:27~36  2020.3.15

 

 広島長束教会では3月15日と22日に礼拝を行わないことになり、ホームページから説教をお届けすることになりました。29日については未定です。

 礼拝が中止になるというのはこの教会はじまって以来のことです。新型コロナウィルスによる感染拡大が続く中、教会に集まる一人ひとりを守り、教会からコロナウィルスを感染させないことを考えて、苦渋の選択をせざるをえなくなりました。神様と、教会に心を寄せて下さる皆様に衷心からお詫び申し上げます。

 もとより一人ひとりがご自分の身の安全を考えて礼拝を休むことと、教会が礼拝を行わないことは同じではありません。こういう非常時だからこそ教会はみことばを語っていかなければならないという意見もあるでしょう。いま教会の存在意義が問われています。厄介なのは、いま世界で起こっていることが何なのか、その本質がなかなかわからないことです。誰もが普段通りの生活が出来なくなって、この病で命を落とす人も、仕事がなくなってしまう人もいて大変な事態になっているのですが、ウィルスの脅威に対してこれを未曽有の危機だとする人から、逆に騒ぎすぎだという人まで、多様な考え方があります。国会で採択された新型コロナ改正特措法についても賛成・反対の立場があります。…一方、ウィルスの感染拡大に神の警告を読み取る人がいて、大事なことと思いますが、ではそれが具体的に何であるかということについては十分に注意して考えなければなりません。私は今のところ、わからないことはわからないと言っておくしか出来ません。たとえそのことで頼りない牧師だと思われても、です。韓国の一部の牧師が礼拝で、これはキリスト教を弾圧する中国への神の懲罰であると言って物議をかもしましたが、私は当面、そのような断定は避け、今のこの状況の中で、祈りつつ聖書の言葉に取り組み、与えられたメッセージを語ってゆきたいと考えております。

 パウロたち一行8人が伝道旅行を終えでエルサレムに着き、教会に入った時、兄弟たちが喜んで迎えてくれました。その中心はヤコブと長老たちでした。エルサレムにはもともとペトロなどの使徒たちがいたはずなのに、なぜここには登場しないのでしょうか。推測になりますが、この時点ではエルサレムには不在で、それぞれどこか別の地方に出かけて伝道していたのかもしれません。またここにいる長老たちですが、近くの教会からも集まってきたことが考えられます。ヤコブもおそらく長老の一人だったのでしょう。

 イエス・キリストの実の弟であるヤコブはエルサレム教会の中心的な指導者でしたが、もともとパウロとはその信仰において無視できない違いがありました。パウロが福音を語ることを異邦人にも拡げ、異邦人はユダヤ人が大切に守っている割礼を受けなくて良いと言っていた時、ヤコブはそれとは違う態度を取っていたのです(ガラテヤ2:12)。異邦人もキリスト信者となるならば、割礼を受けてユダヤ人とのようにならなくてはいけない、と。このことは、モーセが伝えた律法をどのように守るかということとも直結した問題でしたが、これは使徒言行録15章に書いてあるエルサレム会議において決着、解決しました。ヤコブも「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」と言って、パウロの考えに賛成したのです。

 しかしながら、パウロとヤコブの信仰の違いというのはのちのちまで尾を引いてゆくことになります。新約聖書にあるヤコブの手紙、これは伝統的に、このヤコブが書いたものとされています。ご覧になるとわかりますが、パウロの書いたものとは明らかに違っています。マルティン・ルターはパウロを高く評価するあまり、ヤコブの手紙は価値がないとして、「わらの書簡」と言ったほどですが、これは今日では批判されており、パウロとヤコブとどちらを選ぶかということではなく、両方から福音の豊かさにふれることが出来ると考えて下さればけっこうです。

 先週学んだようにヤコブたちは、パウロを歓迎しつつも悪い噂に心を痛めていました。「あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。」

 この噂が真実だとしたら、パウロは「お前はそれでもユダヤ人か」と言われてしまうでしょう。同胞を裏切った者としてユダヤ人のキリスト信者から糾弾されてしまいます。ヤコブたちはこの噂が根も葉もないということをわかっていましたが、疑いを取り除くために一つのパフォーマンスを提案しました。誓願を立てた4人の人と一緒に神殿に出かけて、清めの式を受け、また彼らのために頭をそる費用を出してもらうというものです。ちょうどこの時は五旬祭、ペンテコステのお祭りにあたっているので、何十万人ものユダヤ人が集まってきています。衆人環視の中で、パウロがユダヤ人古来の律法を守っていることを示すなら、ユダヤ人のキリスト信者も納得するだろうということで、パウロも承知しました。これを行ったことでユダヤ人キリスト者たちのパウロへの疑いは解消したと考えられます。

 「七日の期間が終わろうとしていたとき」、これは誓願を立てた4人の清めの期間が終ろうとしている時とも、五旬節のお祭りが終った時ともとれますが、わずらわしいので省略します。当初の計画通り、このままうまく行くはずだったのですが、ここで思わぬことが起こりました。

 「アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内で、パウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。『イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった』。彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。」

 アジア州から来たユダヤ人! 広いアジアのどこだろうと思ってはいけません。アジア州は今のトルコの中にあり、これはエフェソのユダヤ人とみて間違いありません。

 エフェソのユダヤ人は、熱烈なユダヤ主義者だったはずです。エフェソにはもともとユダヤ人共同体がありました。パウロはエフェソに来た時、ユダヤ教の会堂に入って3か月の間、神の国について大胆に論じ、人々を説得しようとしたのですが、これをを信じないで、反対する人たちがいました。そこでパウロはその場所を離れ、弟子たちと共にティラノという人の講堂で集会を持つようになったのです。つまり、エフェソのユダヤ人がパウロにつくかつかないかで2つに分裂したのです。イエス様を信じるようになったユダヤ人は、異邦人とも信仰の交わりを持つようになり、伝統的なユダヤ人の生き方から離れて行きます。しかもキリスト教の伝道は非常に盛んです。…ユダヤ教の中にとどまった人々がパウロとキリスト教徒に憎しみをつのらせていったことは容易に想像できます。彼らは五旬節の祭りのためにエルサレムに来ていました。そこでパウロを見て、ここで会ったが百年目、となったのです。

 この人たちはパウロだけでなく、エフェソの市民でギリシア人であるトロフィモも知っていました。トロフィモはおそらくパウロがやってくる前から、道を求めてユダヤ教の会堂に出入りしていたのでしょう。ユダヤ人にとっては昔、自分たちと一緒に礼拝していたのにパウロのもとに走ってしまった異邦人だったのですが、エルサレムでパウロがこの人と一緒に歩いているのを見たのです。そのことは何を意味するのかと言いますと、エフェソにあって、一つにまとまっていたユダヤ人共同体が切り崩されたあと、その仕掛け人であるパウロが、ギリシア人トロフィモと共にエルサレムに乗り込んで来たということです。ユダヤ人たちは、トロフィモがエルサレムに来たのは、聖なる神殿を汚すためであると判断しました。…ユダヤ人にとって、トロフィモは汚れた異邦人です。異邦人でも割礼を受けていれば違うのですが、パウロが異邦人に割礼を受けさせることはなかったのです。

 当時、エルサレム神殿の境内はいくつもの部分に分かれていました。一番外側が「異邦人の庭」と呼ばれ、誰でも入ることが出来ましたが、そこからさらに内側に入ろうとすると警告版があって、外国人は誰も入ってはならない、禁を犯せば死罪だと書いてありました。ユダヤ人以外入れないのです。エフェソから来たユダヤ人は、パウロがトロフィモを連れて、境内の奥深くに入り込み、神殿を汚そうとしていると考えたのです。

 ユダヤ人の律法を熟知し、尊重していたパウロが、ギリシア人を使って神殿を汚そうとするなど到底ありえないことですが、悪意ある告発を聞いた人々は激高しました。20節にあるように「都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門は閉ざされた」のです。その場でパウロを助けようとした人がいなかったのでしょうか。いたかもしれませんが、どうすることも出来なかったのでしょう。

 神殿には警備を担当する警察がいましたが、民衆を止めようとはしなかったようです。かわりに動いたのがローマの守備大隊の千人隊長でした。彼はただちに兵士と百人隊長を率いて、殺されそうになっていたパウロの命を救いました。それは人命の尊重というよりはローマの支配を維持することを第一に考えたためでしたが、結果的にパウロの命を救うこととなったのです。

 こうしてパウロは異邦人の手に落ちました。少し前、カイサリアにいた時、預言者アガポが、パウロが捕らえられて、異邦人の手に渡されると預言しましたが、その通りになったのです。これは言いかえると、ここに神様が働いていたということになります。

 人々のパウロに対する憎しみはすさまじいもので、千人隊長はあれやこれや叫び立てる声を聞き分けることが出来ず、また兵士たちがパウロを連行する時は、暴行されないように、担いで行かなければならないほどでした。これを狂気だというのは単純すぎます。大勢の民衆が「その男を殺してしまえ」と叫んでいましたが、ここで思い出されるのは主イエスが裁判にかけられている時、人々がやはり「この男を殺せ」と叫んでいたことです。主イエスを神を冒涜する者と見誤って死に追いやった人間の罪は、ここでパウロをも神を冒涜する者として死に追いやろうとしていたのです。

 しかし、ここで注意したいことは、パウロがこのただならぬ状況の中でも取り乱すこともなく、驚くほど冷静であったことです。次回に学ぶことになりますが、パウロは千人隊長や多くの人々の前で、自分の信仰について筋道立てた弁明を行います。このことは、パウロが自分の身に起こっていることを神のみこころとして、たとえ体は傷だらけであっても、神の御守りとご計画の中にあるものと見なして、感謝と賛美の中で受けとめていたことを示しています。

 使徒パウロは、苦しみにおいてキリスト一致することを求めていました。その先にはキリストと共にその復活にあずかるという恵みがあったのです。彼はフィリピ書3章10節11節でこう書いています。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」

 もちろん私はここで、誰もがパウロと同じような苦しみを体験すべしなどと言うつもりは毛頭ありません。あんな苦しみは体験しないに越したことはありませんが、ただ誰もが多かれ少なかれ苦しみを体験していることは確かです。キリスト教信仰は苦しみを受けとめ、それを希望に変える力を与えてくれます。もしも苦しみに何の意味も感じられなければ、絶望は人をさらに深い絶望へと招きますが、これが神様によって与えられた苦しみだと知るなら、…そこに未来が見えて来ないでしょうか。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ロマ5:3~4)と約束されている通りです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。2000年の昔、パウロがその苦難を通して、イエス・キリストと一つになり、キリストの復活にあずかったことが、いま新型コロナウィルスの前に揺れ動く世界と私たちにとっての希望となりますように。キリストの苦しみがあってこそ、キリストの勝利があります。暗い出来事ばかりが続くように見えるこの世の中に光を灯して下さい。教会が早く礼拝を再開できるようにして下さい。とうとき主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

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民6:1~8、13~20、使徒21:17~26  2020.3.8

 

 イエス・キリストのしもべ、福音を世界に伝えるために選ばれ、召されて使徒となったパウロが同行者と共に、3年以上に及ぶ伝道旅行を終えてエルサレムに帰ってきました。この伝道旅行はこれまでお話ししてきたように、福音の種をまき大きく育てて行くという点では喜びと大きな成果があったものの、敵対する人々に囲まれて命を狙われる、まことに危険な旅でありました。特にエルサレムに帰ってきた時が危険なのです。旅の途上でパウロと会った人たちが、しきりに「どうかエルサレムには行かないで下さい」と懇願する中、パウロは当初の志(こころざし)を変えず、ついにエルサレムに到着したのです。

 使徒言行録はここ、21章17節から最後まで、パウロが受けた苦しみと新たな旅を長々と語ります。大雑把にまとめると、エルサレムで逮捕され、裁判にかけられ、皇帝に上訴して船に乗せられ、ローマに護送されるという話ですが、その発端にあたるのが今日の部分です。ここに書いてあることは、皆さんには、今の私たちの生活とどういう関係があるのかとしか思えないかもしれませんが、聖書に書いてあることで意味のないものはありません。

 

 パウロと同行者8名がエルサレムに到着すると、教会の兄弟たちが喜んで迎えてくれました。次の日、ヤコブを訪ねると、そこには長老がみな集まっていました。

 ヤコブという人は聖書には何人もおり、12使徒にもゼベダイの子ヤコブがいますが別人で、この人はイエス・キリストの実の弟でありました。…ヤコブはもの心ついた時から、イエス様を信仰していたのではありません。福音書には、イエス様が伝道を始められた時、母マリアと弟たちが取り押さえに来た話が入っています(マルコ3:21、31など)。ヤコブも自分のお兄さんがメシアだなんて、まさかそんなことがと思っていたはずですが、十字架と復活を契機に熱心な信仰者になったのです。キリスト教信仰では血のつながりを決定的なこととは見なしません。イエス様の弟であってもどこの誰だかわからない人であっても、神の前では等しい存在ですが、しかし人間の情としては、イエス様の弟ということで特別扱いすることがあったかもしれません。ヤコブはエルサレム教会の指導者になりました。信仰的にはパウロとは微妙に違っていて、ユダヤ教の伝統を重んじる、どちらかといえば保守的な立場を取っていました。

 パウロは、ヤコブと長老たちを前に、自分の奉仕を通して、神が異邦人の間で行われたことを詳しく説明しましたが、ここには二つのことがあります。

 一つは、涙をもって蒔いた福音の種が成長してきたことです。パウロの伝道旅行は今回が3回目になり、1回目、2回目の伝道旅行で訪ねた地をもう一度訪ねて、人々に信仰が残っていることを確かめ、言葉を尽くして励ましました。エフェソでは3年以上とどまって伝道しました。エフェソで大騒動が起こったたように、福音に敵対する人たちからの妨害と迫害があったのですが、それでも信仰がとだえ、教会が消えててしまうことはありませんでした。それどころか教会は異邦人世界の各地にしっかり根づき、自立に向かっていたのです。エルサレム教会のユダヤ人の多くは、それまでユダヤ人だけの世界で生きてきたので、ユダヤ人ではない人間に信仰がわかるのかという思いもあったでしょうから、パウロから異邦人がイエス様を熱心に信仰するのを聞いて、驚きと喜びがあったことは間違いありません。

 もう一つが献金のことです。パウロがエルサレムに向かった目的の一つは、マケドニア州とアカイア州の異邦人の教会から献金を集めて、エルサレム教会の貧しい人たちに差し出すことでありました(ロマ15:25~27)。誰だってお金は惜しいんです。異邦人教会の信徒たちにとっては、自分の生活だって苦しいのに、なんでユダヤ人のために献金しなければならないのかという思いもあったかもしれません。しかし、その思いに打ち勝って、大切なお金を捧げた、そこに神様の確かな働きが見えてきます。…パウロはおそらくこの場で、献金を差し出したのでしょう。それもヤコブと長老たちの前で手渡したのですから、エルサレム教会側の驚きと喜びは大きかったのです。

 「これを聞いて、人々は皆神を賛美した」、これは決まり文句ではありません。その場には、あふれるばかりの喜びがありました。同じような喜びが、私たちの教会にもありますように。

 

 以上見て来たように、エルサレム教会の指導者たちは、神様がパウロを通して異邦人の間になさったことを喜びをもって賛美しました。しかし、この人たちには大変気がかりになっていることがありました。それが20節以下に書いてあります。

 「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。」

 皆さんは、この言葉の意味がたとえ理解できなくても、パウロにとってたいへん危険だということはおわかりだと思います。モーセなくしてユダヤ人はありません。モーセがいたからこそ奴隷の民が解放され、神の民となることが出来たのですから。

 かりにパウロがモーセから離れることを教えているのが本当だとすれば、彼はもはやユダヤ人とは言えず、ユダヤ人同胞の激しい怒りをその身に招くのは間違いないのです。

 私たちはここで、パウロに対する噂の真偽を確かめましょう。…使徒言行録15章に書いてあるエルサレム会議、そこで「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」ということが決議されました。異邦人に対し、ユダヤ人が受けている割礼を受けなければ救われないと言って悩ませてはならない、…割礼はもはや必要ないのです。キリストの十字架と復活を信じることが信者の必要条件で、割礼は必要ありません。ただ、ここで決まったことを注意深く見てみると、ユダヤ人についてはなんら言及がないのです。割礼をすべきとも、してはいけないとも、必要ないとも言っていないので、ユダヤ人でキリスト者になった人たちはこれまで通り割礼を尊重し、自分の子どもにも授けていたと思いますが、パウロがリーダーシップをとって異邦人への割礼を中止したとなれば、じゃあパウロはユダヤ人が神から命じられ先祖から受け継いだ割礼を廃止しようとしているのかということにもなりますね。でも、それは誤解で、パウロそこまで言ってはいないのです。モーセから離れるように教えてもいません。

 とはいえ、このあたりをしっかり考えようとするとなかなか複雑な議論になります。パウロは内心では、ユダヤ人にも割礼は必要ないと、またモーセを尊びながらも律法を新しく受け取り直すことを考えていたと思います。しかし、それを言い出すことは出来ません。そんなことをすれば、昔ながらの保守的な考え方を守る幾万人ものユダヤ人キリスト者をつまづかせてしまうのです。ヤコブと長老たちは、パウロとユダヤ人キリスト者の間にはさまれて苦しい立場になり、パウロについては守るけれども、パウロにも何とかしてほしいと、落としどころを探っているという状況なのです。

 皆さんにはここで誤解せずに聞いて頂きたいのですが、パウロは一度信じたことをすべて、その場の状況を考えず、何がなんでも妥協せずにやりとげるという人ではありません。原理原則は譲りませんが、状況に応じて柔軟に対処するということを身につけていました。その一例が、使徒言行録16章3節に書いてある愛弟子テモテの割礼です。「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた」と書いてあります。これは妥協と言われても仕方がないのですが、しかし福音の前進のためには必要な妥協でした。

 これと重なることが起こっています。ヤコブと長老たちは、懸案を解決するために一つの手段を用意していました。「だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。」

 これはどういうことなのか、民数記6章にはナジル人の掟があります。ナジル人とは特別な誓願によって、神にささげられ、聖別された人のことです。神に願いごとをして誓願した人は、一定の期間、ぶどう酒を飲んだり、ぶどうの実を食べたりしない、髪の毛を切ったりそったりしない、死体に近づかないという掟を守り、その期間が経過したならば、神にささげものをして髪の毛をそって普通の生活に戻るのです。…そういう人が四人いる。せっかく異邦人教会からの献金を持って来てくれたパウロさんなのだから、その費用を立て替えてあげて下さい。エルサレムの神殿で、みんなが見ている前でそうして下されば、パウロさんが律法を重んじていることがわかってもらえるでしょう、…と言うのです。パウロも、それに賛成し、さっそくその次の日から、その四人を連れて、神殿で一緒に清めの式を行い、これを定められた期間が終わるまで続けたので、このデモンストレーションは功を奏し、ユダヤ人のキリスト者たちを納得させることが出来たのです。

 

 さて、このような、私たちにはなじみの薄い儀式に関することが私たちに何を教えているのでしょうか。…ここで問題になるのは、以前から、人は神の恵みにより、信仰によって救われるのであって、律法を守って良い行いをすることではないと主張してきたパウロがなぜ、「私は律法を全部守っていますよー」なんてゼスチュアをしたのかということです。古くから、これは妥協ではないか、パウロは言っていることやっていることが違うのではないか、という疑問が出されてきました。…これに対し、改めて確認いたしますが、パウロは原理原則は譲りません、しかし状況に応じて柔軟に対処しているのです。これは、ユダヤ人に対する伝道上の配慮から出ているのです。

 イエス・キリストが十字架につけられ、復活して以降、全く新しい救いの歴史が始まって、神殿はその歴史的使命を終えました。古くからの律法も新しく問い直さなければならなくなりました。そういう時代にあたって、神殿にお参りするのが良いのかどうか、ナジル人の掟に関して律法の規定通りにすべきなのかどうか、指示はありません。…イエス様は自分が去ったあと神殿をどう考えるべきかということについて何も発言しておられませんし、また、「古くからこう教えられている、しかし私は言っておく」ということはありましたが、ナジル人についても何もおっしゃっておられません。

こういう場合、パウロとしては、神の栄光を輝かし、伝道のためにいちばん良いことは何なのか、というところから判断していったのです。

 キリスト者が人生において遭遇することの中には、どうすれば良いのかすっきりした解答がないことが多々あります。聖書の例でいうと、偶像にささげられた肉のお下がりを食べるのが良いのかどうかという問題があります(Ⅰコリント8章)。偶像が神ではないと知っている人にとっては食べるのは問題ないことですが、しかしその姿を見た信仰の初心者はつまずいてしまうかもしれない、だから気をつけなさいと言うのです。

 こういう問題は、他宗教との関係においてよく見られますが、それ以外に日常生活のさまざまな場面でも起こるものです、聖書に何も書いていないことについて、これをしても良いのかどうか判断に迷うことがたくさんあるのです。対処の仕方を間違えると、他の人たちをつまずかせてしまうのです。

 私が驚いたのは、ヨーロッパのプロテスタントの歴史の中で、劇を見たり、ダンスをすることが罪であると教えた人がいたことです。その影響でしょう、内村鑑三は、自分は信仰を持ってから劇を見ないようになったと書いていました。劇を見ることがなぜいけないのかと思ってしまうのですが。現代では、信仰者は映画を見てはいけないという人もいます。そういう人から見れば、テレビで程度の低い番組を見てげらげら笑っている人は信仰者としておかしいということにもなるでしょうが、しかし、ある人にとって低俗な番組が、別のある人にとっては心の支えになっていることもあります。だから、私たちがしていることをいちいち、それは信仰者としていいとか悪いとか決めつけることは出来ません。テレビを見ること自体、信仰的には良いとも悪いとも言えません。その時の心の持ちようこそが大切なのです。

 パウロは第一コリント書9章19節から21節で書きました。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」

 マルティン・ルターはここを根拠に2つの命題を書いています。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」、もう一つは、「キリスト者はすべてのものに奉仕する僕(しもべ)であって、何人にも従属する」。

 パウロにならって私たちも、すべてのことを神のみこころの実現のために用いる者となりましょう。

(祈り)

天の父なる神様。コロナウィルスによる感染拡大が猛威をふるう中、私たち集う者は少数ではありますが、ここに、こうして礼拝がささげられていますことを喜び、感謝いたします。私たち信仰者は決してウィルスに負けてはいけないのです。むしろ、こういう時だからこそ、決してサタンのたくらみに乗ることをせず、神様の言葉にいっそう深く立つことが出来るように、いまいちばん大切なものは何かを見る目を与えて下さい。

パウロがそうであったように、信仰の原則からは決してはずれず、しかし神様の栄光を輝かし、救われる人を獲得するために、現実に対して柔軟に対処する知恵を与えて下さい。世界の教会に、ウィルスとたたかう力ある言葉を与えて下さい。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

過越しの祭り youtube 

 

出エジプト12:1~14、Ⅰコリ5:6~8 2020.3.1

 

 過越しの祭りは世界中のユダヤ人の家庭で、今も大切に守られています。とりわけユダヤ人の子供たちにとっては、毎年、首を長くして待っているお祭りだそうです。「もういくつ寝ると過越しの祭り」ということなのかもしれません。

 ユダヤの人たちは過越しの祭りの何週間も前から準備にとりかかります。パンくずを一つも残さないように、家じゅうをすみからすみまで掃除します。ふだんの掃除とは違い一家総出の大掃除です。祭りが始まるころ、家の中はピカピカになっています。当日は皆晴れ着を身につけます。特別な食器が並べられ、この日のための食べ物が用意されたテーブルの前に座り、一人ひとり出エジプトの話が書かれた本を手に持ちます。この本の順序に従って、お祝いの行事が行われるということです。

 過越しの祭りは、昔エジプトで400年ちかく捕らわれの身であったイスラエルの人々が解放され、自由の身になったことを祝うお祭りです。昔、今のユダヤ人の祖先に当たるイスラエルの人々は移り住んだエジプトで奴隷にされ、重労働で苦しみぬきました。これをご覧になった神がイスラエルの人々の中から指導者モーセを立てると、モーセは兄のアロンと共に王宮に乗り込み、ファラオと会って神の言葉を告げました。「わが民イスラエルをエジプトから去らせるのだ」。しかしファラオは承知しません。そこで神はエジプト人に数々の災いをもたらしてこらしめました。その十番目の災いというのが、神がエジプトの国を巡り、人も家畜も、すべての初子を撃たれたというものです。これに驚愕したファラオはついにイスラエル人をエジプトから出てゆかせることにしました。このようにしてイスラエルの人々は念願の自由を獲得したのです。…これが「過越しの祭り」と呼ばれてお祝いされるようになったのは、神がエジプト中の初子を殺そうと出かけたとき、イスラエルの民の家の前を通り過ぎたからです。過ぎ越されたからです。イスラエルの人々は神が命令された通り、いけにえの小羊の血を家の入り口に塗っておいたので、全く無傷だったのです。

 ユダヤ人は今日まで、神がこのようにして自分たちを守ってくれたことを感謝し、祝い続けているのです。

 ユダヤ人にとってたいへん嬉しい過越の出来事ですが、これは他の民族にとってはどうでしょうか。12章29節には、この日起こったことが書いてあります。「真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった」。

これは何とも血なまぐさい話です。この惨劇の中でイスラエル人だけは助かったのですが、他の民族の立場からは、では自分だけ助かれば良いのかと言いたくもなりますね。ここにどういう意味があるのでしょうか。…しかし現在まで、過越しの祭りはユダヤ教の人々の間で守られ、キリスト教徒もこれとは違う形ですけれども記念しつづけ、そして調べてみたらコーランの中にも神がエジプトに災いをくだしたことが出てきており、イスラム教徒にとっても大切な出来事でありつづけています。過越しの出来事は世界の40億近い人々にとって大切とことになっているのです。今日はもちろんキリスト教の立場から、そのことを説き明かしてゆこうと思いますが、この時に注目したいことはイエス・キリストがこのお祭りにどう対処されたかということです。

そこでルカによる福音書の22章を開いてみましょう。1節に「さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた」とあります。次いで7節を見ると「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた」。こうして準備されたイエス様と弟子たちとの過越の食事、これが最後の晩餐です。レオナルド・ダ・ビンチの絵で有名な最後の晩餐なんです。この食事の席でイエス様は、15節に書いてあるように「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」と過越しに言及した上で、19節以下で、パンを取って感謝の祈りを唱えて、それを裂き「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」、杯も同じようにして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と言われたのです。この食事のあと、イエス様は捕らえられ、次の日に十字架におかかりになります。……このように見てゆきますと、エジプトにおける過越の出来事と、イエス様の十字架の死の間にきわめて密接な関係があることがわかってきます。

 

 

私たちは聖書を読むとき、くりかえしくりかえし現われる考え方に注意する必要があります。それは一つの出来事が別な出来事を指し示すというものです。旧約聖書に書いてある大昔の出来事はしばしば新約聖書に書いてある新しい出来事を指し示しています。表面的な形は違っていたとしても、実は同じであるということが多いのです。

旧約聖書にある過越しの出来事も、だからただそれだけで完結することではありません。…出エジプト記にはどう書いてありますか。この日、主役を演ずるのは小羊です。「人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない」。…神様が人間を救われる方法は何でしょうか。この時、神は小羊をもって人間を救って下さいました。小羊が人間のかわりに殺されたのです。…そして神はこれを思わせることを行います。今、神は私たちにイエス・キリストを与えて下さるのです。ヨハネ福音書1章29節で、バプテスマのヨハネはイエス様を見たとき叫んでいます。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。…ここからも示されているように、新約聖書の中でキリストは小羊と呼ばれています。昔、小羊の血でもってイスラエルの人々が救われたように、今、人はイエス・キリストによって救われるのです。

「その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない」。ここで殺される小羊に傷があってはなりません。傷がないというのは、イエス・キリストに当てはめると罪がないということです。……イエス様以外誰も救い主になることは出来ません。それはみんな罪を犯したからです。皆さんも、わたしも罪を犯しています。ですから、イエス様と同じにはなれません。イエス様は単なる偉人ではなく、罪のない人です。イエス様はヨハネ福音書8章46節で「あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか」と言われました。世界の歴史が始まって以来、こんなことが言えた人は誰もいません。ただイエス様だけが自分には罪がないと言うことが出来ました。神の前に捧げられるのはまさしく罪のないお方でなければなりませんでした。

「この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を採って、小羊を食べる家の二本の柱と鴨居に塗る」。これこそ第一コリント書5章8節で書いていることです。「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られた」。イエス様は小羊が殺されたその日に殺されました。死んだ時刻でさえ違っていませんでした。

誰が小羊を殺したのでしょう。それはイスラエルの共同体の会衆です。みんなでこれを屠りました。同様にキリストは多くの人の目の前で十字架につけられました。全人類の前でと言って良いのです。

イスラエル人は小羊の血を自分の家の二本の柱と鴨居に塗りました。神様は13節で「血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す」とおっしゃっています。その言葉通り、その家には災いは来ませんでした。中にいる人は助かったのです。

神が血を見て、そこを過ぎ越される、それが過越しの意味です。ここから、神の小羊であるキリストが死んで、血が流されたことにも人間を救う意味があるとことが推測できますが、その通り、神はキリストの血を見るとき、その場所を過ぎ越されます。…人はキリストの血のもとに隠れているとき、神の厳しい裁きにあっても滅びることはありません。

私たちみんなにとって、キリストの血のもとに隠れるとは、キリストが自分の罪の身代わりとなって死んだと信じることです。……すべてキリストを信じる人は、キリストの血のもとに隠れている人です。神はこの世とあの世の主であられ、ご自分に反逆する者を滅ぼすお力を持っておられる方です。ひとたび神がお怒りになられたら、そこから逃れることの出来る人はありません。けれどもキリストの血がただ一つの安全地帯です。キリストに免じて、と言って良いでしょう。神はキリストを信じる人の命を助け、救いたもうお方であられます。

 

この時、キリストを信じない人はどうなってしまうのかと思う人がいます。誰もエジプト人が被った悲劇を見て、喜ぶようであってはなりません。それと共に、キリストを信じない人、キリストの血のもとに隠れようとしない人がどうなるのかは、軽軽しく言わないことが求められます。キリストを信じないということが危うい立ち位置にあることは確かですが、聖書は一方で、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってはならない」(ロマ10:7)と書いているからです。キリストのもとに来ないで死んだ人がどうなるかはわかりません。その中に、私たちなどよりよほど立派な人もいるのですが、そういう人たちをも含め、どうなるかということは神様のみこころにゆだねるしかありません。ただキリストのもとにこそ救いがある、その場所にいる限り神の民は安全である、ということだけは確かなのです。

8節を見ましょう。「そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる」。イスラエルの人々は自分たちの命を救うために犠牲となった小羊を食べました。このようにキリストを信じる人は、キリストを味わうのです。これは今の聖餐式につながっています。

 

小羊と一緒に食べるパンには酵母を入れないよう命じられました。その理由は、酵母が罪を象徴しているからだと考えられます。酵母を入れないとは罪を取り除くことです。だから第一コリント書で「古いパン種をきれいに取り除きなさい」と言われているのです。私たちはキリストの血のもとに隠れ、キリストを味わわなければなりません。それと同時に罪を憎まなければなりません。どんな人でもキリストを信じると言いながら、已然として罪を愛していたとしたら、その人はまだ救われていない可能性があります。

信仰者の人生は簡単ではありません。信者の中には、自分はもう安全だ、多少悪いことをしてもイエス様がとりなしてくれるから大丈夫だと思って、それ以上の信仰の成長がない人がいないとは言えません。イエス様から頂く恵みを簡単に手に入るもののように考えてはなりません。…これから洗礼を受ける人も、すでに信者になった人も、改めてイエス・キリストに立ち返って、十字架を見上げてその救いのみわざを信じたら、その時からすぐに罪を憎んで、罪とのたたかいを始めて下さい。キリストは驚くべき力をもって、私たちを支えて下さるでしょう。これがキリスト信者にとっての過越しの祭りです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。あなたのみ名を崇めます。神様は今日、過越しの出来事を通して、私たちに尽きない恵みを与えて下さいました。一人の人間が救われるために犠牲となって死ぬものがあるというのは、それが小羊であっても、またイエス様であっても、まことにいたましいことです。誰も死ぬ者がなく、みんなが幸せになるような世界はないのかと思うのですが、それはないというのが神様のお答えです。人間の罪があまりにも大きく、それがあらゆる所で苦しみを引き起こしているために、イエス様のとうとい命がささげられなければならなかったのです。私たち自身、自分のちょっとした言葉や行いがどんなに人を傷つけたか、その人生を狂わしてしまったかを思う時、罪の深さを実感するのです。

 この自分のためにもイエス様は死ななければなりませんでした。ならば、これからの人生をせめてイエス様の死をむだにしないように生きてゆきたいのです。ここにいる私たちの中から悪口、しっと、臆病、傲慢、陰謀、こういった古いパン種を取り除いて下さい。そうしてイエス様を迎え入れて、イエス様が私たちの中に住まわれることを心から願っています。

 この祈りを主イエス・キリストのみ名をもってお聞きあげ下さい。アーメン。

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詩編8:2~10、エフェソ1:15~23 2020.2.16.

 

 パウロがエフェソの教会にあてた手紙を引き続き読んでまいりましょう。今日は1章15節から23節までで、15節は「こういうわけで」から始まります。

これは、1章3節から14節までに書かれていることを受けて言っていると考えられます。……2節では「イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように」と、それは神が私たちをキリストにおいて霊的な祝福で満たして下さるからで、それが6節の「わたしたちがたたえるためです」へと続いてゆきます。…8節から神の恵みとは何かの説明が始まり、12節で「わたしたちが、神の栄光をたたえるためです」で、…13節から聖霊について教えていますが、それも「わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」で結ばれています。

 これらをまとめると、三位一体の神がイエス・キリストにおいて素晴らしいことをして下さったのは、私たち、つまりイエス様を信じる者たちが神をたたえるためであるということになるわけです。

 神をたたえる、これは私たちも礼拝の中でしばしば行っていることです。詩編102編19節の「主を賛美するために民は創造された」という言葉もこれとつながっています。…もっとも「神をたたえる」ということが今ひとつピンとこないという方もおられるではないかと思います。教会ではいつもそんなことを言うけれども口先だけではないのかとか、自分が今置かれているつらい状況からはとても神様をたたえる気持ちにはなれないという人がいるかもしれませんが、そういうもやもやした思いを抱えながらでも結構ですので、パウロが語るこの先を聞いて下さい。

 

 ここにはパウロの心にエフェソの教会はどのように映っていたかということが書いてあります。16節は「祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています」と言います。遠く離れてはいてもそれほどの思いを寄せている教会でした。私たちにとって、そんな教会があるのかどうかと思わせられるのですが、この時パウロの心には二つのことがありました。一つは「感謝の思い」、もう一つは「祈り」です。

 15節と16節には感謝の思いがつづられています。「こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。」パウロは祈りの度に感謝の思いを抱きました。それは、エフェソの人々の信仰と愛について聞いたことから来ました。

信仰とは主イエスを信じていること、愛とは具体的に何があったかは分かりませんが「すべての聖なる者たち」に対するものでした。そこには、パウロのように外からやってくる使徒、また、会ったこともない遠い地の兄弟姉妹に向けてのものも入っています。このような愛が、困難な旅を続けているパウロばかりでなく、各地の信徒たちをも支えたと思うのです。パウロはエフェソの人々が主イエスへの信仰に立ち、分け隔てのない愛に生きていることを聞いて、常に祈りの中で感謝していました。そうせずにはいられなかったのでしょう。

 パウロの心にあったもう一つのことはエフェソの人々に対する祈りです。17節から19節にかけての部分です。「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」 

 ここに「深く知ることができるように」、「心の目を開いてくださるように」、また「悟らせてくださるように」という言葉が並んでいます。「知る」、「心の目を開く」、「悟る」、この3つをここで厳密に区別する必要はないので、「知る」という言葉でまとめてお話しします。 

 「神を深く知ることができるように」、これはエフェソの人々が信じること、愛することに比べて知ることで遅れをとっているから、ここをしっかりせよということではありません。信仰と愛をさらに深く豊かなものにするために、神をもっと深く知ることができるように、と祈っているのです。もとより神を深く知ろうとしても知りつくせるものではありません。しかし、知ろうと努めることは大切です。…信仰者の中には、知ることにあまり力を傾けない人がいるかもしれません。イエス様が行った数々の奇跡にしても、復活の出来事にしても、考えてもわからないことはただそのまま信じるという人がいました。信仰の初心者だったらこれはいたしかたないとしても、いつまでもそのままで良いわけはありません。そうしないと「イワシの頭も信心から」ということになりかねません。

 ただ、何でもかんでもすぐに信じてしまう人とは正反対の、考えに考えぬいたあげく、ついに信じることが出来ない人もいます。ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは、あれだけ優秀な方で、キリスト教についての知識は私なんかよりよほど多いのではないかと思いますが、信仰を持つことが出来ません。

私は読んでいないのですが、新しい世界を築くために、キリスト教とは違う協会をつくるという作品があるそうです。考えに考えたぬいたところで、なぜ信じるというあと一歩を踏み出すことが出来ないのかと思うのです。

 信じることと知ることの関係について、昔から論争がありました。ヨーロッパでは中世において、アンセルムスとかアウグスティヌスといった神学者が、知るために信じるということを言って、論争を決着させました。つまり信じるために知るのではありません。知るために信じるのです。知識を重ねていけば信仰に至るのではありません。これは先ほどの大江健三郎氏の例からも明らかです。本当に神様について知って、その恵みを悟るためには、まず信じなければなりません。ただ、信じることと知ることは、車の前輪と後輪のように結びつき、組み合わさっているので、知ることをおろそかにすることは出来ません。

 なお人がイエス様を信じ、神を信じることについて、私たちは自分でしたことのように思っているかもしれませんが、もとはと言えば最初に神様からの働きがあって、それに自分が応えたのです。これと同じように、神を知るということも、自分でしたということは出来ません。17節をもう一度見てみましょう。「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるように」。知ることも、これを最初に発動したのは神様です。父なる神が知恵と啓示の霊、つまり聖霊を与えて下さることによってです。「神様、ご自分のことを私たちに知らしめて下さい」という祈りが応えられて、はじめて私たちも神様のことを探究してゆこうということになるのです。

 自分がやろうやろうとして信仰に達することは出来ず、神様からの呼びかけに応えて自分が動きだすのですから、信仰には人間にとって、受動的な部分と能動的な部分と、その両方があります。自分が自分がということではなく、また神様にすべてお任せして何にもしないということでもなく、神様のリーダーシップのもと神様と人間が共に働くのです。

 さて、ここから神の力について考えようと思います。17節は言います。「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。」

 今日の説教題も「私たちに働く神の偉大な力」としました。ただ、これはなかなかピンと来ない人の方が多いかもしれませんね。

…何か目覚ましいことがあると神の偉大な力を実感するということはあります。

日本キリスト教会の堀一善(かずよし)牧師はたいへんな力持ちで、スポーツセンターに行ってベンチプレスをやると160キロも上げるものですから、そこにいるお兄さんたちも驚いて、「信仰があるとこんなに持ち上がるんですか」と言っているとか、こういう稀有な例があることはあるのですが、そういうのは非常に珍しく、私たちがふだん体験していることは、自分たちがしていることで周囲を驚かせるようなことはあまりないということです。

 ただ、私たちに働く神の偉大な力は、まわりの人々からすごいと言われることでなく、ともすれば見過ごされそうなことの中に現れているのかもしれません。私たちがこうして信仰を持ち教会に集められていること、転落の人生ではなく信仰によって人生の目標を与えられていることだって、神の偉大な力だと知れば、今日からの生き方が変わると思うのです。

 そこで改めて問いたいと思います。パウロは、神の力はどこに働いていると書いているのでしょうか。20節から23節を読みましょう。「神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭(かしら)として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」

 パウロは「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力」を説明するにあたって、信仰者に対して起こったことを何も語らず、そのかわり、イエス・キリストの復活と教会のことを語ります。パウロは神の力を何よりイエス・キリストにおいて、また教会において見出しているのです。…これは、神の力に期待する人をがっかりさせてしまう教えでしょうか。そうではありません。

 パウロは、キリストにおいて働いた神の力を、復活から始まる一連の出来事として一気に語ります。神は十字架につけられて死んだイエス様を復活させ、ご自分の右の座につかせました。これだけでも驚くべきことですが、神はさらにすべてのものをその足もとに従わせ、頭(かしら)として教会にお与えになりました。キリスト信者に対して絶大な働きをする神の偉大な力を語るにあたって、これ以上のことはありません。…これこそ信仰の原点です。エフェソの人々はこれを聞いて、心を強くしたに違いありません、今日、日本の教会は困難の内にありますが、このことの重みと恵みを再認識するべきです。

 教会はキリストの体とはよく聞く言葉です。すなわち頭(かしら)がキリストで、一つひとつの教会と信徒はその枝なのです。そこに属している誰もがおおもとであるキリストにつながれ、キリストから栄養をいただきつつ、それぞれの場所で成長して行きます。

私たちそれぞれもキリストの体である教会の一枝です。そこに集められ、礼拝しているという恵みを感謝すると共に、さらに深く神を知るものでありますように。

 イエス・キリストはその十字架と復活によって、罪と死に対して完全に勝利されました。しかし私たちは、キリストの足下に従わされたはずの主権、権威、勢力、主権がまだまだ世にはばかり、うごめいている中で生きています。現状がなぜそうなっているのか、これがどのようにして覆って、新しい世界が始まるのかはたいへん大きな問題ですが、パウロを通して示された、私たちに絶大な働きをなさる神の力を信じ、知ろうと努めることで、希望が見えてくることを信じて良いのです。

 

(祈り)

 ご在天の父なる神様。あなたが今、私たちのささげる礼拝の中におられ、偉大な力を示して下さったことを感謝いたします。

 パウロが三年間、エフェソの教会で昼も夜も、涙を流して教えたことが実って、この教会がパウロにとっても、またその後のすべての教会にとっても、忘れがたいものとなったことを、はるかな時と場所を超えて私たちも喜んでいます。エフェソの人々の信仰の成長は、また私たちの信仰の成長であり、これこそ神様の恵みにほかなりません。私たちの教会も、神様を信じることと知ることを通して、さらに成長させて下さい。

 神様、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置かれ、今の世ばかりでなく来たるべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれたイエス・キリストがさらにたたえられますように。世界にはこれとは異なる現状があり、神様がこらえておられることを私たちも知っておりますが、悩みと苦しみの中に神様からの希望が輝きわたりますよう、教会とそこに集まる一人ひとりをキリストの勝ち得た勝利によって力づけて下さい。

 この祈りを主イエス・キリストの御名によってお捧げします。アーメン。

 

 

 

 神様はとうといみ言葉を通して今日私たち一人ひとりに、この世に生まれた意味を与えて下さいました。それは私たちが自分だけのために生きるのではなく、キリストにおいて神様のものとされ、神様の栄光をたたえて生きることです。このことがただのお題目でも、抽象的な言い方でもなく、私たちが一度きりの人生を悔いなく生きるためであることを思い、感謝いたします。

 三つであり一つである神様がたたえられますように。この神様によって、広島長束教会にこの時代を生き抜く力と知恵を与えられますように、信仰の喜びを高らかに歌うことが出来ますように。

 いま入院している小笠原栄子さん、佐野清美さんを力づけ、健康を与えて下さい。

 主イエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

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詩編34:16~23、使徒21:1~16 2020.2.9

 

 使徒言行録21章は、パウロがエフェソ教会の長老たちと別れたところから始まって、エルサレムに上って、逮捕されたことが書かれています。パウロはローマ帝国の囚人になるのです。本日与えられた1節から16節までは、パウロとその一行がエルサレムに着いたところまでを記録しています。その旅路を聖書巻末の地図を見ながら説明します。「パウロの伝道旅行3」の第3次旅行の線をたどってみましょう。

 パウロたち一行が乗った船はミレトスからコス島という島に直航し、翌日ロドス島に着き、今度はそこから対岸のパタラまで行って、フェニキアに行く船に乗り換えました。それはおそらく大型船で、しょっちゅう港に停泊して食糧などを補給する必要はなく、まっすぐ目的地の方向に直進することが出来たのです。パタラを出て、途中でキプロス島を左に見ながら進み、シリア州のティルスに着くまで、5日ほどだったと言われています。ティルスで船の積み荷が降ろされ、荷揚げのために停泊している間、パウロたちは船を降り、陸に上がって7日とどまりました。その後、また船でプトレマイスへ、そこには一日滞在、翌日また船でカイサリアへ。船旅は終りました。そこで数日過ごしたあと、旅の目的地であるエルサレムへと向かうのです。

 パウロが何のためにエルサレムに向かったのかということは、使徒言行録には書いてありません。19章21節にこう書いてあるだけです。「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後(あと)、ローマも見なくてはならない』と言った。」

 使徒言行録の著者であるルカはパウロに同行していて、一切を知りうる立場にあったのですが、そんなことは重要ではないと思ったのか、省略してしまったのです。そこでパウロの書いたいろいろな手紙を調べてみると、ロマ書15章25節・26節にこう書いてありました。「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。」

 パウロのエルサレム行きは、マケドニアとアカイア州、これはガラテヤの諸教会とコリントの教会ということでしょう、そこからの献金をエルサレム教会の貧しい人たちにささげるためでした。しかし、それはたいへん危険なことでした。パウロは生粋のユダヤ人で、かつてはユダヤ人の古くからの信仰を奉じてキリスト教徒を迫害し、イエスの教えを地上から消し去ろうとしていたのに、転向して、今や世界のどこにも出かけて行って、この教えをひろめていたからです。

保守的なユダヤ人にとって、パウロほど憎むべき人間は他にいなかったのです。

 パウロはこれまで異邦人の地において、そこにいるユダヤ人から迫害に遭い、命を狙われ、危険な目に遭ってきたのですが、今度はよりによって最も危険な場所、ユダヤ人の本拠地、エルサレムに行こうとしているのです。パウロと親しい人々が、行かせまいとするのは当然です。それでもなぜ行こうとするのか、20章22節以下の部分は語ります。「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

 パウロは、主イエスのために、死ぬことすら覚悟しているのです。 皆さんはパウロの思いをどのように受け止めらますか。さすがにパウロ先生だ、信仰者の鑑だ、素晴らしいと思う方がおられるでしょう。…でも、じゃあ、あなたは同じことが出来るかと言われて、「はい」と答えることの出来る人が、どれだけいるでしょう。…ただ、それをだめな信者と言うことも出来ないでしょう。パウロはこのような形で主イエスに従いました。私たちはこれを尊重しますが、一人ひとりが主イエスに従うやり方は違うはずです。自分の熱心な思いだけで主イエスに従うことは出来ませんし、まして強制されて仕方なくすることでもないからです。


 パウロたちの旅を少していねいに見てゆきましょう。彼らが船の上でどうしていたかとかいうことはわかりません。漫然と旅をしていたのではないと思いますが。ティルスでもプトレマイスでもカイサリアでも、一行は船を降りると弟子たちを探し出しています。私たちが国内のどこかに、観光でも出張でも良いのですが旅行した時、短い滞在期間の間に教会を探そう、兄弟姉妹に会おうとするでしょうか。これをしたことのない人はぜひやってみて下さい。ここにも同じ神様を信仰する人がいるのだと知る喜びは格別なものがあります。

 今では電話帳もあるし、スマホで調べたりも出来ますから、見知らぬ地で教会を探すのは難しくないのですが、今と比べてはるかに不便だった時代、パウロたちはその地の人々に教会はどこか熱心に聞いてまわったのではなかと思います。その報いは大きなものでした。宿泊する場所が提供され、食事も出されたのでしょうが、何より人々の熱いもてなしが印象的です。

 ティルスでは、パウロたちが帰る時、教会の人たちは皆、奥さんや子どもまで連れて、町はずれまで見送りに来てくれました。そして、一緒に、浜辺にひざまずいて祈り、別れの挨拶を交わしました。…私はここで気がついたのですが、私たちがお祈りする時はたいてい椅子に座ってです。ひざまずいて祈るということはほとんどないと思うのです。もちろん、どんな格好でも祈ることは出来ますが、時にはひざまずいて祈るということがあっても良いのでは、楽な格好でない分だけ、祈りに集中できるように思います。

 カイサリアでも、そこの信徒たちがパウロたちを助け、エルサレムまで同行してくれました。

 ティルス、プトレマイス、カイサリアの信徒たちは、パウロたちと初対面だったのかもしれませんが、まるで旧知の友のように心を通わせることが出来たのは、やはり同じ神様を信じる兄弟姉妹同士であるということがあったのは確かです。主イエス・キリストの恵みを共に分かち合う者としての喜びがあふれています。…ただ、各地の信徒たちがこれほど思いを尽くしてくれたのには、もう一つ、パウロの身を心配していたということがあったのです。

                                                       

 ティルスとプトレマイスの教会は、ステファノの殉教によって起こった迫害から逃れた人々が作ったものだと考えられます。11章19節に「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオケまで行ったが、…」と書いてあって、この中のフェニキアにあたるからです。この2つの教会は長老を選出しているような規模を持つ教会ではなかったようですが、特にティルスの教会はパウロたち一行を泊めるだけの大きさがあったようです。パウロたち一行は、20章4節によるとパウロのほかにソパトロ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テモテ、ティキコ、トロフィモ、そしてルカの9人でした。もっとも信徒たちの家に分散して泊まった可能性もないではありません。

 4節は言います。「彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。」この教会は、聖霊を直接受けて、聖霊が語らせるまま語るという、いわば熱狂的な礼拝だったように思われます。…もっとも私たちがそういう礼拝をしていないからと言って、間違っているということはありません。初代教会の時代は、奇跡が行われたことからもわかるように、特別な時代であったという面もあるからです。…さて、この教会では、聖霊の示しを受けた人々が、聖霊がパウロにエルサレムに行くなと語っていると言ったのでしょうか。そうなると問題がやっかいになります。先ほど申したように、パウロは聖霊に促されてエルサレムに行くのですが、もしも同じ聖霊が、パウロに行くなと言っているのだとすると、聖霊は矛盾したことを言っていることになります。

 おそらくパウロをエルサレムに行くよう促した聖霊は、ティルスでは人々にパウロがエルサレムで捕らえられ、苦しみに遭うことだけを示したのでしょう。そうでなければ問題が解けません。…人々は、パウロをそんな目にあわせてしまうのは神のみこころではないと考えて、パウロをひきとめようとしたようです。聖霊が示したのはパウロがどうなるかであって、そうならないようにしなさいとは言っていないはずです。

 ティルスの次の次に向かったカイサリアの教会は、使徒ペトロによって始められています。異邦人の百人隊長コルネリウスとその部下が回心して、教会が始まりました。その後、フィリポも来て、そこに住み着いたのです。フィリポはステファノらと共にエルサレム教会で食事の世話の係として選ばれた人ですが、伝道の面でもすばらしい仕事をしました。サマリアで伝道し、エルサレムからガザに下る道ではエチオピアの宦官に会い、洗礼を授けました。フィリポはその後、カイサリアにたどり着き、ペトロが始めた教会を指導していったものと思われます。

 パウロたちがカイサリアで会ったアガポという人は11章28節にも出て来ます。「大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。」こんな人がやって来て。パウロの帯で自分の手足を縛ることまでして、「エルサレムとユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す」と告げたものですから、カイサリア教会の人々はもとより、パウロに同行した8人まで、パウロのエルサレム行きを必死に引き留めようとしたのです。これも聖霊が示したのは、パウロがどうなるかであって、パウロを行かせるなではないのですが。人々は「エルサレム教会にお金を届けるだけなら私たちが行きます、何もあなたが危険を冒す必要はないでしょう」と言ったのではないでしょうか。

 しかしパウロはきっぱりと答えました。「泣いたり、私の心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」パウロがとうとう人々の勧めを聞き入れてくれないので、みんな「主の御心が行なわれますように」と言っただけで、それ以上、何も言いませんでした。言えなくなってしまったのです。

 パウロは死ぬことさえも覚悟してエルサレムに向かいます。そこには、ただエルサレムの教会にお金を届けるということだけではなく、各地をまわり福音を告げ知らせて得たことをエルサレム教会の人々に報告すること、また逮捕され苦しみに遭っても、裁判などを通して自分の信じるところを本当の神を知らない人たちに語っていくということがあったはずです。

ただ、それらすべての上にあること、それは聖霊の導きの下、キリストに近づこうということでありました。主イエスもずっとガリラヤに留まっていたら十字架にかけられるということもなかったでしょうが、すべてをご存じの上でエルサレムに向かいました。パウロがエルサレムに向かったことと、主イエスの歩みは重なっています。

 もっとも主イエスがエルサレムに上って十字架につけられたのは、歴史の中で定められた一回限りの出来事でありまして、いかにパウロであっても主イエスとすべてにわたって同一視することは出来ません。また、この先わかることですが、パウロはエルサレムで十字架にはつけられませんでした。

 そこで、ここであらためて明らかになること、それは、パウロが人々の思いではなく、自分がかわいいという思いでもなく、霊の導きに、すなわち神様が指し示していることに勇敢に従っていったということなのです。…神の導きは人それぞれに違っていて、厳しい道を選ぶよう求められる人もあれば、そうではない道に導かれる人もいますが、その人にとって不可能な、耐えられない道を示されることはありません。自分の思いのために神の導きをないがしろにするのではなく、また神様に強いられて仕方なくということでもなく、神の指し示しておられることを自分の意思で、喜んで求め、感謝して受け取っていきましょう。その時、それまで知らなかった新しい世界が広がって行くのです。

 

(祈り)

いつくしみ深い、天の父なる神様。私たちは今、主イエス・キリストのとうとい犠牲がなければ始められなかった礼拝に参加することを許されております。心から感謝いたします。

エルサレムに向かおうとしているパウロを、人々がしきりに引き留めようとしたこと、これは形は違っていても私たちもしてしまうことがあるのではないでしょうか。「これはあなたのためなんだ」ということが、逆にその人が意図しない、不本意な人生に導いてしまうこともあります。もちろん、その人のために思いやり やさしさが必要なことはいうまでもありません。しかしそれは 神様から来ていなければならないのです。

人生で決断が必要とされるあらゆる場面において、神様のみこころを求めさせて下さい。勇気を与えて下さい。神様と自分の思いが一致することを求めます。イエスが様自分と共にたたかって下さることを信じて、前に向かって進んでゆきたいと願っています。

とうとき主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

 受けるより与える方が幸い youtube

箴言11:21~26、使徒20:33~38 2020.2.2

 

 今日のお話は、パウロがエフェソ教会の長老たちを呼びよせて与えた勧告の続きになります。前回は、パウロが去ったあと、この教会に困難なことが起こるという話でした。教会の外から偽教師がやって来たり、教会の中から邪説を唱える者が現れるということでありまして、教会は異端や分派に対する警戒を怠ってはなりません。…そのような人が必ずしも憎たらしい姿かたちをしているわけではありません。人格者として通っている人であったり、それどころかここにこそ真理があると信じて、ひたむきに理想を追い求めているような人だっているかもしれませんが、引っ張られてはいけないのです。

 そこで教えられていることが正しいかどうか判定する基準は、それが神の言葉に照らして正しいかどうか、すなわち教理からはずれていないかにあります。イエス様は十字架にかけられていない、あれは幻だったのだなどというのは明らかにおかしいわけですね。…これとは別に、いいことを言っているようだけれどやっていることがおかしいというのもあります。これも、神の言葉に従っていないわけですから、神の言葉に照らして正しいということは出来ません。私たちはパウロの時代にはまだまとまっていなかった聖書66巻を持っているのですから、なおさら神の言葉にかたく立っていなくてはなりません。

 異端や分派の問題とも関わりますが、もう一つの大きな問題が金銭のことです。教会の会計が正しく管理されて、不正が行われず、一人ひとりの心からのささげものが適正に、もっとも必要なところに用いられるためには何が必要なのでしょうか。これを考えることは、単に教会の財政をどうするかということばかりでなく、私たち一人ひとりがお金とどうつきあうかということにまで関わっていくので、今日取りあげてみました。

 

 この問題に関して、パウロはこう言いました。「わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。」パウロは第3回伝道旅行の間、エフェソにおよそ3年間とどまりましたが、その間教会から経済的援助を受けていません。自分の生活費を自分でかせいだばかりか、お金を他の貧しい人たちのためにも使っていたのです。…もっとも、パウロがどこでも同じようにしていたということではありません。

 パウロがコリント教会に当てた手紙一の9章13節にこう書いてあります。「あなたがたは知らないのですか。

神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るように、と指示されました。」パウロはもともと、伝道者は伝道の結果与えられる報酬によって生活すべきであり、主イエスがそれを指示して下さったのだと考えていたのです。

 主イエスは72人の弟子たちを伝道のため各地に派遣する時、財布を持つな、と言われました(ルカ10:4)。必要なものは主が備えたもう。お金を持っていないからといって人の財布をあてにすることは出来ません。伝道者の生活に必要なものは、基本的に、同じ信仰にある人から提供してもらうことになります。主イエスは派遣される弟子たちに、どこかの家に泊まって世話になりながら伝道しなさいと言われました。ルカ10章7節、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。」。…しかしパウロにとって、現実はこの通りにはなりませんでした。

 パウロとてもちろん霞を食って生活していたのではありません。パウロの3回に及ぶ驚異的な伝道旅行の最中にも当然、旅行費用や生活費の問題がありました。第2回の旅行でこういう話が出て来ます。パウロはコリントで、アキラとプリスキラという夫婦に出会い、職業が同じだったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をしました。それはテント造りでした。この仕事をしながら二足のわらじで伝道していたのですが、弟子のシラスとテモテがやって来ると、パウロは御言葉を語ることだけに専念するようになりました。弟子たちがフィリピ教会からの献金を持って来たので、テント造りをする必要がなくなったのです(Ⅱコリ11:8~9、フィリピ4:15)。…けれども、その後、第3回伝道旅行でエフェソに行き、3年ほど滞在している間は、教会から報酬を受けなかったことになります。

 パウロはキリキア州タルソス生まれのユダヤ人、育ったのはエルサレムです。律法学者ガマリエルという人のもとで先祖の律法についての厳しい教育を受けました。だからあれだけの論理的な文章を書くことが出来たのでしょうが、その一方でテント造りという職を持っていたのです。当時、律法学者と言われる人たちは、学問の世界に生きながら手に職をもっていたということで、パウロもそうしたのです。この時代にテントはやぎの皮から造りました。パウロはその技術を持っており、また材料を入手したり、出来上がった製品を販売するための知識や能力も持っていたのです。

 パウロは伝道者は伝道の結果与えられる報酬で生活すべきだと考えながら、なぜテントを造っていたのでしょうか。

信徒たちに経済的負担をかけまいというのが最大の理由です。ただパウロがそのように心がけていても、陰でこそこそ言う人がいました。素性の分からない教師が外からやって来て人に教え、それで収入を得ようとすることを胡散臭いと見る人もいたようです。「わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。」、これは第二コリント書12章16節の言葉です。信徒たちに信頼されるためには、時には無報酬で働くほかなかったのでしょう。

 パウロのテント造りについては、近年新しい知見が発表されています。夕張伝道所の渡辺輝夫先生はつねづね、人間、頭だけではだめで、勉強することと体を使うことの両方が必要なのだということを実践しておられるのですが、このことをパウロに見出し、牧師をしながら造園業の仕事もしておられます。…この先生はさらに、テント造りがこの時代、きれいな仕事ではなかったことにも注目されています。現代ではそんなことはないのですが、当時は卑しい仕事とされ、その職人が社会の中で下に見られていた可能性がありまます。そうすると、そこのところから見えてくることもあるでしょう。ただ、あまりこんなことを言うと、井上、じゃあお前はどうなんだと言われる可能性もなくはないので、これは課題として取っておいて次に移ります。

 

 パウロは長老たちに主イエスの言葉にならうよう勧めました。「受けるよりは与える方が幸いである」。これを思い出すようにと、自分はいつも身をもって示してきました、と言うのです。

 実は、主イエスのこの言葉は福音書をいくら探しても見つからず、出典が定かではありません。イエス様の言葉として、おそらく別のルートを通して伝わってきたのでしょうが、福音書でイエス様が教えられた人間の生き方とぴったり重なる言葉です。これは、人から金銀その他の財産を受け取り、地上で富を蓄積して生きることが幸いなのではなくて、これを与える、つまり神と隣人のために用いることこそ幸いな生き方であるということです。

 念のため申しておきますと、自分は初めから、受けるよりは与える方が好きだったという方がいるのではないかと思います。人からものをもらうのは好きじゃない、なんだかその人に恩を着せられているような気持ちになる。だけど人にあげるのは大好きだ。レストランに行っても割り勘はいやで、全部自分がおごるのだという人がいるかもしれませんが、パウロはこういうことを勧めているのではありません。その人の根本にあるのは、他の人より優位にあるかどうかということにすぎません。

…神様の前では受ける方の人も与える方の人も同等です。与える方の人は自分の力でかせいだものを貧しい人に恵んでやったと思うかもしれませんが、それとても神様のもとから来ています。もともと神様のもとに無限の富があるのです。その配分をめぐって違いが生じ、格差が生まれているわけですが、自分の持っているものが多いか少ないかで、その人の価値が決まることはありません。

 このような、人に施して優越感にひたる人も含めて、大部分の人は自分の財産を与えるよりは受ける方が好きなのです。どうやって最小限の努力で最大限の利益をあげられるだけを考えていて、時には他の人から奪い取ることまでします。その財産を後生大事にかかえているわけですね。そうしなければ生きていけないという現実はあるわけですが。…その一方で、これを隣人のために与え、用いることにはたいへん消極的なのです。

 もっとも、こういう人もいるでしょう。与えることが出来る人は財産がある恵まれた人、自分はそうじゃない。生活するのに精一杯で、受けることは歓迎するが与えることはとても出来ないと。でも自分には何も与えるものがないと思っている人でも、必ず何か持っているものです。何もないところから差し出したものこそ、神様に喜ばれます。

 誤解のないように申しますと、パウロはここで受けることはいけない、人からものでもお金でももらっていけないと言っているのではありません。もちろん賄賂はだめですよ。…例えば災害とか不幸に遭った時に差し出してくれる助けの手があれば、ありがたく受け取って良いのです。

 「受けるよりは与える方が幸いである」、主なる神に対する信頼があってこそ、人はこの言葉にアーメンと唱えることが出来ます。空の鳥、野の花を養われる、無限の富を持っておられる神様は、また私たちを良いもので満たして下さることが出来るのですが、そこには順番があります。神様が定めた順序をたどることで幸いが得られます。主イエスはルカ福音書6章38節でこう教えておられるからです。「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからです。」

 聖書の中にこのことを示す例がいくつかありますが、その一つは預言者エリヤに関わる話です。エリヤはサレプタという所に行き、そこで会ったやもめに水とパンをくれるよう頼みました。やもめは、これはうちに残った最後の食べ物で、これがなくなれば私と息子は死ぬばかりですと言うのですが、エリヤは強いて持って来させました。すると奇跡が起こって、やもめの家では幾日も食べ物に事欠かなかったというのです。列王記上17章に出て来る話ですが、こんなこと信じられないと思われる方は、次の話を聞いて下さい。 

 私がよく週報の今週のことばに掲載するウォッチマン・ニーという人がこんな証しをしています。その日、ある場所まで出張しなければならなかったのですが、寄付の依頼がきました。彼はそこにお金を捧げたいと思いました。でもそんなことをしたら旅費がなくなってしまうので、悩みました。しかし、ついに「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる」という言葉を信じて、大切なお金を捧げました。すると、いかなる天の配剤か、この人に献金が送られてきて、旅費を工面することが出来たというのです。

この人は言っています。「私は自分のお金によって神に奇跡を行わせ、他の人の祈りが答えられるようにしたい。自分のところにお金があればそれを与える、そうすれば必要な時に戻ってくる、しかも自分が与えたよりももっと多くなって戻ってくるのだ」と(ウォッチマン・ニー全集49巻、223~230ページ)。

この人のようにすることが実際、難しいことは百も承知ですが、そこにはこの世の常識とは違う信仰の真理があります。「散らしてもなお、加えられる人もあり、閉めすぎて欠乏する人もある」(箴言11:24)というのは本当です。人それぞれ、経済的な状況はさまざまですが、ただただお金をためこむことが幸いなのではなく、自分の身を守ることでもありません。自分を神様にささげることが出来る人は、自分の大切な財産を喜んで神と隣人にささげることが出来ます。それはいっけん馬鹿らしく見えますが、与えられる報いは大きい、神様から幸いが約束されているのです。

                                                                                                                       

(祈り)

いつくしみ深い、天の父なる神様。主イエス・キリストによって私たちが集められ、今ここで礼拝の恵みを受けていることを感謝いたします。

神様、だれもが多かれ少なかれ金銭欲にとらわれています。生きていくためには仕方がない面もありますが、お金のためにはどんなことも、良心に反したこともしてしまうことがあった場合、神様はそんな私たちをどのようにご覧になっているのでしょうか。たとえ宝くじが当たって、億万長者になったとしても、私たちにとってそれが本当の幸いではなく、たくさんの財産のためにかえって奈落の底に落ちていくことを恐れます。

神様、どうか自分の持っている財産を神様と隣人のために用いることに喜びを覚えさせて下さい。そのことによって教会に、自分の家庭に、また社会に幸いをもたらして下さい。

とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

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雅歌5:1~16、ロマ8:35~39   2020.1.26

 

 雅歌の主人公である若者とおとめは、二人の恋の中に割ってはいろうとする強大な力をはねのけて結婚しました。新婚早々、二人の間に行き違いがあって、夫が出て行ってしまうということがあったのですが、離れていても二人が互いに寄せる思いは変わりません。妻はエルサレムの都から離れて、夫がいると確信した村に帰って行きます。そうして、もうすぐ愛する人と会えるという期待と興奮の中で6章が終わり、7章に書いてあるのは二人の再会であると、私は考えています。

 このように私は、雅歌に描かれているのはどう考えても男女の愛だということだと信じて、礼拝説教をしてきました。

 ただ、そうはとらない人がいて、その人はこう書いていました。「雅歌は一見、男女の愛(性愛)を描いているように見えます。…これが正典とされているのは、神のご計画のマスタープランにおいて重要な事柄を指し示しているからに他なりません。そこからはずれて雅歌を解釈するならば、必ず的外れな解釈になるのです。」この人は、雅歌によって私たちは、キリストの花嫁である教会について学ぶのだと主張します。すなわちそこでは雅歌を読みながらも、そこで男女の愛というのは、教会を考えるためのきっかけ、とっかかりにしか過ぎないようです。

 その一つの例として7章2節の「気高いおとめよ、サンダルをはいたあなたの足は美しい」があります。私は単純に、夫から見た妻の足が美しかったのだと思っているのですが、その人はここを考える時にイザヤ書52章7節の言葉をもってきました。そこにはこう書いてあります。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」、これはいろいろな所に出かけて福音を伝える人をたたえた聖句ですが、その人たちの間には当然男も女もおり、中には美しいようには見えない足があるかもしれませんが、それでも美しいと言っているわけですね。目に見える姿形より目に見えないその働きを美しいと言っているわけです。で、これをもって雅歌を解釈すると、「あなたの足は美しい」というのは福音を告げる教会をたたえた言葉となります。世界中を歩いて回ったパウロなら、最高に美しい足の持ち主ということになるのでしょう。

 私はこのような解釈と自分の解釈との違いを考えていた時、気づいたことがありました。それは方向が違っているということです。この人の解釈を間違っていると決めつけることは出来ませんし、尊重すべきだと思っていますが、それは神と教会という所から出発して、考えているわけですね。これに対し私は、神の愛の中での男女の愛を考えていました。それぞれが違う方向から雅歌を見ていました。

では、2つの方向は交わっていくのでしょうか。今のところは見えていませんが、私が再度雅歌の講解説教をする機会があれば、今日とは全く違う話になっている可能性もあります。先のことはわかりませんが、今は神様の導きにおゆだねねしてお話ししたいと思います。

 

 さて、ここで、少し寄り道をいたします。

 およそ世界にあるいろいろな宗教の中には、厳しい戒律を信者に命じるものがあります。イエス・キリストが現れた時代、皆さんご存じのようにファリサイ派や律法学者といった人たちは、律法の掟を一字一句そのまま厳格に守るという生活を送っていたわけですね。突然荒れ野に出現して悔い改めを呼びかけたバプテスマのヨハネも、原始人のようないでたちで、いなごと野蜜とを食べ物としおり、その言葉もたいへん厳しいものでした。ヨハネはファリサイ派や律法学者とは違いますが、やはりたいへん禁欲的な暮らしをしていたのです。…で、その時にイエス様が出現されました。

 主イエスはガリラヤで、群衆に向かってこのように発言されています。ルカ福音書7章31節以下、「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。」続いて33節、「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見よ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人(つみびと)の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

 ここでいう今の時代の人たちというものの中心に、ファリサイ派や律法学者も含まれていたと考えられます。その人たちから見た時、バプテスマのヨハネはあまりに禁欲的で、これに反しイエス様はあまりに享楽的だったのです。偏見が入った目で見た時、そういうことになったわけです。…まあ、大食漢で大酒飲みというのは大げさですが、イエス様は少なくとも、厳しい禁欲生活をご自分に課していたわけではありません。食べること、飲むことを普通に楽しまれたと考えて間違いないのです。

 イエス様は生涯独身を通されたと考えられています。聖書には、イエス様が結婚されたようなことは書いてありませんから。ただ昔から、このようなことに興味を持つ人がいて、じゃあ、イエス様は女性に関心がなかったのか、などと考えるわけです。

 そこでもう一度聖書を調べてみると、確かにイエス様は結婚されていませんし、ロマンスもうわさ話になるような話も全然見当たらないのですが。ただガリラヤのカナの婚礼に出席された話があり、そこで奇跡も起こされていますから、親しい人の結婚を祝福されていたことは間違いありません。

またマタイ福音書19章と並行箇所の中で、創世記を引用して結婚をたたえる言葉を述べておられます。5節、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

 この世の中には、あまりに潔癖な人が結婚なんて不潔なことだと思うことがあり、またキリスト者の間にも結婚を必要悪のように考える人がいるかもしれませんが、そんなことはないのです。主イエスは結婚を、神が結び合わせてくださったものとして祝福しておられます。これは大切なことです。

 なおマタイの19章12節には、「天の国のために結婚しない者もいる」という言葉があります。イエス様ご自身はこの言葉通りに生きてゆかれました。従って、天の国のため、また何らかの事情で結婚しない人は別ですが、それ以外の人は、自分の結婚を神が結び合わせて下さったものとして感謝し、尊ばなければなりません。これから結婚しようとする人も、そこに神様の導きを見るべきです。

                                                                                                                                    

 ここでようやく雅歌7章に戻ります。夫と妻はとうとう再会したのです、その瞬間は書いてありませんが。…1節の合唱は、エルサレムの宮廷の女性たちがこの妻をたたえる歌のようです。「もう一度出ておいで」とは、彼女がエルサレムから去ってしまったので、もう一度顔が見たいということかもしれません。ここで初めて「シュラムのおとめ」という妻の名前が出ました。シュラムが地名だとしても、その場所は不明です。なお「マハナイムの踊り」うんぬんですが、この地では、花嫁がおとめたちの合唱に合わせて踊る習慣があり、その1節ではないかという説がありますが、どうしてここに入っているかわからないので、皆さんのご想像にお任せします。

 わからないところは置いておいて、「気高いおとめよ」に始まる夫の歌をみてみましょう。夫から見た妻の時の妻の姿について、先に述べた、神と教会というところから雅歌を解釈する人は、一つひとつに厳密な意味づけを与えていて、3節のかぐわしい酒が聖餐式のぶどう酒だなどと言うのですが、私の説教では単純に、夫が妻の肉体の美しさをたたえたと考えます。そこには私たち現代人には考えられないような表現がありますが、誇張するのがこの時代の特徴だったようです。たとえば「目はバト・ラビムの門の傍らにあるヘシュボンの二つの池」、この池はたいへん清らかで美しかったということです。頭がカルメルの山、この山は岩山ではなく木々におおわれていました。そのように髪がふさふさとしていたということです。

 ここに夫ならでは知ることの出来た妻の美しい姿形がたたえられています。大胆な表現ですが、これが聖書にあることにも意味があるはずです。…今日ではみんなだいぶ慣れてきたと思いますが、かつては美術館などで裸体画や裸体像が展示されていると眉をひそめる人がいました。こういうものが芸術なのかと言うのです。これは、よこしまな目で見ようとするからそうなるのです。エデンの園でのアダムとエバの姿からもわかるように、もともと人間の裸は恥ずかしいものでも何でもなかった、それが、罪が発生してから恥ずかしいものになった、ですから本来、男の体も女の体も卑しむものではなかったということから考えたいものです。そうでなければ、ミロのビーナスもミケランジェロのダビデ像もわいせつ物にされてしまいます。

 「あなたの立ち姿はなつめやし」、ところ変わると表現も変わりますね。なつめやしのようにすらりとしているということでしょう。日本の講談のセリフを借りると、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といったところでしょうか。…夫はこのように妻の美しさをたたえたあと、9節10節で「なつめやしの木に登り、甘い実の房をつかんでみたい」と歌います。夫婦でなければ、いや夫婦だからこそ語れる言葉ですね。

 

 これに続いて、今度は妻の歌です。妻は自分が本当の意味で夫のものであることを確信しました。「わたしは恋しい人のもの、あの人はわたしを求めている」。この「求めている」は口語訳では「恋い慕う」でこの方が良かったように思いますが、これでもまだ足りません。非常に強い思いをあらわす言葉です。

 夫の思いに応えて、妻は「コフェルの花房のもとで夜(よ)を過ごしましょう」と、夫を誘います。…日本の男女の格差、ジェンダー・ギャップ指数は世界153か国の中で121位だそうですが、女性の地位が今の日本より低かった当時、妻の方から夫を誘うのはたいへん大胆なことに見えますが、それは女性の解放を指し示しているのです。夫であれ、妻であれ、どちらか一方だけがリードするようでは、夫婦の関係は深いものになりません。

 こうして二人は愛を確かめ合います。これについて説明する必要はないと思いますが、見過ごしにされそうなあることに気がつきました。妻は言います。「朝になったらぶどう畑に急ぎ、見ましょう、ぶどうの花は咲いたか、花盛りか、ざくろのつぼみも開いたか」。

 雅歌の1章では、結婚前の妻はぶどう畑の見張をしていました。つまり果樹園が彼女の職場だったわけです。だから、夫との再会と和解で気持ちが高揚している時でさえも、果物のことを気にかけているわけですね。

この二人は特権階級でも何でもありません。高価な衣服をこれ見よがしに身にまとって、生活用品に贅を尽くすような人でも、たくさんの人々から搾り取ったお金で自分たちだけ優雅な生活をしているような人でもないのです。夫は羊飼いで、妻は果樹農家。汗を流して働き、収穫を喜び、日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、わずかなお金でも手に入ったら喜ぶような普通の人々だったのです。つまり圧倒的多数の人々の代表です。だからこそ、二人の結婚が祝福され、聖書に納められて、永遠に記念されることになったのです。

                                                                                                                        

 教会ではキリストの十字架を語ることに比べて、恋愛や結婚について語ることが少ないのが現状ですが、この二つは全然別のことではありません。恋愛や結婚を語ることが信仰とは別だと考えたら、それこそ大間違いです。…逆に恋愛や結婚ばかりに興味の中心があって、信仰に無関心なのも間違いです。…全世界の罪のその最も深いところに十字架が立っています。十字架を見つめるのは苦しいことですから、そこから目をそむけてしまう人が大勢います。しかしながら、目をそむけずに十字架を見つめる人こそが見ることの出来る美が、雅歌の中にあります。十字架によってご自分が愛であることを示して下さった神は、同時に男女の恋愛や結婚を通してもその愛を示して下さっているのです。

 「一つの花だけが美しく咲いても春は来ない。すべての花が咲いてこそ春が来るのだ」という言葉があります。雅歌に出て来る二人を特別な例だと考える必要はないし、いいなあという思いがこうじて焼きもちを焼く必要もありません。二人の幸せを喜びあうことが、やがて私たち自身の幸せ、ひいては社会全体の幸せに返ってきます。神様はそのことを望んでおられるのです。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。今ここに集まっている私たちの中には結婚している人も、未婚の人も、また配偶者を天に送った人もいます。結婚している人の中にもいろいろな人がいて、幸せな人もいれば、惰性で結婚生活を送っている人、あるいは結婚生活が危機に陥っている人もいるかもしれません。しかし皆が、雅歌に登場する男女の幸せを自分のことのように喜び、それによって神様からの恵みをいただくことが出来ますように。あの二人に比べて自分はみじめだと思うことがありませんように。私たちすべてが神様からいただく愛と知恵によって、それぞれが置かれた家庭を真に祝福されたものとしてゆくことが出来ますよう、お導きをお願いいたします。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

広島長束教会十字架cross
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