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   神の言葉を聞く youtube  

詩編119:105、Ⅰテサ2:13   2019.6.23

 

私たちは6月3日の礼拝で、パウロとシラスのテサロニケでの体験を学びました。テサロニケはマケドニアにあって、エーゲ海に面した港町で、パウロたちがこの町に来たのは紀元49年の秋と考えられています。パウロがこの町で旧約聖書を引用しながら、十字架につけられたイエスこそメシアであり、キリストであると力強く説明し、論証したことは、大きな反響を巻き起こし、ユダヤ人のうちのある者が信じ、また多くのギリシア人が信者となりました。しかし、これを見てねたんだユダヤ人がいました。彼らは暴動を起こし、パウロとシラスを民衆の前に引き出そうとしましたが、二人をとらえることが出来ません、そこでパウロたちを宿泊させていたヤソンと数人の信者を引き立てて保証金を取り立てたのでした。

このユダヤ人たちは、イエス様が生前、ご自分を神の子としたことについて、我慢のならない思いをいだいていました。彼らにとって、イエス様に従う者はすなわち悪魔に従う者だったのです。パウロとシラスは、ユダヤ人が暴動を起こしたその夜の内にペレアに脱出します。ところがペレアにも、テサロニケのユダヤ人が押しかけてきました。そのためパウロだけはさらに遠くまで逃げて行かなければならず、アテネへ、そしてコリントへと向かいます。コリントにいる時、シラスとテモテがマケドニアからやって来て合流することになります。

パウロにとって、テサロニケで与えられた信者たちは愛してやまない人たちでした。遠く離れていても気にかかっていたことは間違いありません。自分たちが語ったみ言葉によって教会が出来たのです。信者一人ひとりの顔を思い出すと心が喜びでふるえてきます。…けれども、その時も、敵対する人々の間で厳しい状況の中にいたのです。パウロは、自分のせいで彼らに苦しみを与えてしまったのではないかと思ったでしょうし、また彼らは迫害に耐えていけるのかと心配もしていたのではないかと思います。この手紙の2章17節以下にこう書いてあります。「兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、――顔を見ないというだけで、心が引き離されていたわけではないのですが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」

そこでパウロは我慢が出来なくなって、自分のかわりにテモテをテサロニケに派遣しました。テサロニケの信者を励まし、信仰を強め、苦しみの中でもだれ一人動揺することのないようにするためでした。…その結果がどうだったのかと言いますと、テモテは帰ってきて、テサロニケの信者たちがしっかりと信仰を守っており、またパウロたちに会いたがっていることを報告しました。そこでパウロがたいへん喜んで、この教会に書き送った手紙を、私たちはテサロニケの信徒への手紙一として今読んでいるのです。…だからこの手紙は喜びの手紙であり、また感謝と、励ましの手紙でもあるのです。

 

今日の箇所に入ってゆきましょう。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。」…「このようなわけで」は、そこまでの全部を受けていると思いますが、私はその中で1章3節を読んでみます。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」

もっとも「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。」のうしろに「なぜなら」という言葉がありますから、こちらの方がこのことをさらに説明していると判断されます。

「なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。   

パウロたちが神の言葉を語った、それをテサロニケの人々が神の言葉として受け入れた、…このことがテサロニケで起こった出来事の本質で、パウロが喜び、感謝してやまないことだったのです。……教会にたくさんの人が集まったり、立派な会堂が建ったり、牧師の説教に感動したり、みんな教会に来ることが楽しみにしている、…これらは嬉しいことには違いないのですが、感謝すべきことの中心ではありません。もっとも大事なことは、ここで神の言葉が語られ、神の言葉が聞かれることです。これなしで、どんな恵みもありません。

ここのところはしっかり考えなければなりません。「わたしたちから神の言葉を聞いたとき」、…テサロニケの人々は神の言葉を聞きました。でも、それは天から聞こえてきたのではありません。「わたしたちから」、つまりパウロたち伝道者から聞いたのです。それは礼拝における説教にほかなりません。

テサロニケの人々は、パウロたちが語る説教を聞き、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れました。

伝道者が語る説教が神の言葉として聞かれた、これがテサロニケで起こったことでありまして、テサロニケの信徒たちに与えられた恵み、また祝福の中心なのです。パウロにとってこれより嬉しいことなく、彼はそのことを何にも増して神様に感謝しているのです。

ただし、伝道者が語る説教が神の言葉として聞かれるというのは、決して当たり前のことではありません。このことは少し考えれば誰でもわかることです。…パウロは使徒ですし、シラスにしても若いテモテにしても、その後今日まで続くキリスト教会の土台を作った人です。みんな神様によって召され、各地に遣わされて福音の種を蒔き、教会をつくっていった、私たちが尊敬してやまない人たちです。…しかしながら神ではないのです。私たちと同じ、長所もあれば欠点もある人間に過ぎません。だから人間の語る言葉がなぜ神の言葉になるのか、という問題が起こらざるをえないのです。

このことを私たちの中で考えてみましょう。私は今こうして礼拝説教をしていますが、ここで私の口から出る言葉が神の言葉なのでしょうか。…仮にです、私の頭に光の輪が出来ていたり、あるいは後光が差していたら、…そんな場合、私の口から出る言葉は神の言葉と言って良いのかもしれませんが、もちろんそんな現象が起こるはずはありません。皆さんと同じ人間である私が準備して作った説教の言葉、これは完璧なものではありません。私の信仰が足りないために、また勉強不足のために、言うべきことを言ってないということがあります。…もしも教理に照らして間違ったことを語れば、まず長老から、これはおかしいということでストップがかかり、それでも直らなかったら、この教会から出て行きなさいということになります。しかし、誰も気がついてなくても、説教の言葉の中に間違いがあって、それが積み重なっていくということが、絶対にないとは言い切れないのです。私自身、自分がここで語る言葉が神の言葉だなんて言われたら、おそれ多くて、穴があったら入りたい思いです。

ですから、私はもちろんのこと、いくらパウロ先生であったとしても、伝道者が語る説教が神の言葉として聞かれるというのは、信じられないようなことなのです。一人の人間に過ぎない者が神の言葉を語るなどということは、本来ありえないことです。考えられないことです。…その考えられないことが、もしも本当にありえるとするならば、神のあわれみによる特別なお許しによるものでしかありません。…これを語る者は決して神の人なんかではありません。パウロがいくら偉大であっても、自分を神とひとしい者とすることが出来ません。もちろん日本キリスト教会のどの牧師であっても、自分を神の代理人として権威づけることは出来ません。それなのに、その口から出る不十分、不完全な言葉が何と神の言葉とされる、そこには聖霊の働きがあるのです。

パウロはそのことを1章5節で書いています。「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信によったからです。」力と聖霊と強い確信は別々のものではありません。ひとつの聖霊の働きを表しているのです。…ただの人間が語る言葉が神のお支えがないまま神の言葉になるはずはありません。聖霊が人間の言葉に力をもたらし、強い確信をもたらして、神の言葉にするのです。…それゆえに礼拝説教を語る者も聞く者も、そこで神の言葉にあずかろうとするならば、聖霊の働きをこそ求めなければなりません。

このことはしかし、人間が「果報は寝て待て」とばかりに、聖霊の働きを祈って待っているだけで起こることではありません。パウロが、人間である自分が神の言葉を語る者になったことの重責を心にかみしめていたのは確実で、神の委託に応えるための努力を怠りませんでした。テサロニケにおけるパウロについて2章前半にいろいろ書いてあるので、あとで読んで頂ければと思います。パウロは人間からの誉れを求めず、誰にも負担をかけないために昼も夜も働きながら、神の福音を語っていったのでした。神の言葉を語るにふさわしい生活をすることを求めたからです、私にとって耳の痛い話ですが。パウロがこれほどの思いをもって語った時、テサロニケの人々はそれを人の言葉ではなく神の言葉として聞いて、受け入れたのです。

13節は「人の言葉としてではなく、神の言葉として」とあり、さらに「事実、それは神の言葉であり」と重ねて語られています。それはパウロの語る言葉がすぐに神の言葉として受け入れられたのではなく、人の言葉として聞かれてしまうことがあったことを示しているようです。…説教を語る側の人間にとって、神の言葉を語ることが大変なことであるように、聞く方の人間にとっても、人間が語る言葉を神の言葉として聞くのは大変なことなのです。

パウロは失礼ながら、どうもかっこいい男性ではなかったようで、また話もつまらないと言われています(Ⅱコリ10:10)。テサロニケの人々にとってはよそ者でもあります。だから、「こいつはいったい何を偉そうに語っているのか」という思いもあったように思うのです。それを神の言葉として聞くことが出来るためには、人々は変わらなければなりません。具体的には、彼らは神の前に謙遜になったのです。同じことですが謙遜にされたのです。

自分を偉くするのではなく、神の前に謙遜になるのです。それは礼拝において言葉を語るパウロだけでなく、言葉を聞く方のテサロニケの人々においても必要不可欠なことでしたが、それがあったことで、神を神とするための幸福な出会いが起こったのです。神を神として仰ぐところに、人間が語る言葉が神の言葉として語られ、神の言葉として聞かれた、そこに神が遣わして下さったひとり子、イエス様を信じる群れ、教会が誕生しました。

テサロニケの教会は誕生の時から、教会の敵による迫害にさらされ、そのためにパウロは逃亡しなければなりませんでした。パウロは逃げて行った先でこの教会の人々のことを思い、まだユダヤ人からの迫害がやまない中でみんなどうしているかと気になってしかたがなかったのですが、テモテの報告を聞いて、それがみな取り越し苦労であったことがわかったのです。テサロニケに蒔かれた福音の種は、それは十字架につけられたイエスがメシアであるということですが、これが立派に成長し、芽を出し、花を咲かせました。教会で神の言葉が語られ、それが神の言葉として聞かれる、その時どんな大嵐が来ても揺るがないことを、テサロニケの人々の事例は語っています。

広島長束教会がテサロニケの教会のようになってゆくのは大変難しそうにも見えます、しかし不可能ではありません。神様がそのことを願い、そのために聖霊によって導いて下さっている以上、これはなしとげられるのです。この教会で語られ、また聞かれる言葉が神の言葉であるようにと願い、祈りを込めたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。私たちがもしも、この礼拝において心が清められ、神様への賛美と感謝の思いに満たされたとしたら、それは神様の恵み以外のなにものでもありません。

 パウロはコリントにいて、テサロニケに残していった信徒たちのことを心配していました。ユダヤ人の迫害が続いている中で、彼らが信仰を守りぬいて行けるのかと思っていたのです。

 もしかすると、広島長束教会の草創期のことを知っていて、今は遠い地にいる人が、みんな大丈夫かな、信仰の面で堕落していることが起きていないか心配しているかもしれません。そんな人がいたら、私たちは大丈夫だということを知らせてあげたいし、そのための実質がそなわっていることを願っています。

 神様、目に見えるところは、この教会も、私たち一人ひとりも、困難と悩みの中にあります。しかし神様の憐れみによって、ここで神の言葉が語られ、神の言葉が聞かれていることを、心から感謝いたします。神様、この先、説教者も信徒一人ひとりも、どうか共に神の言葉を与えられた者として、神の言葉に生き、神の言葉と共に働く者として、勝利の人生にあずからせて下さい。

 神様、今日は1945年に沖縄で戦争が終結した日です。私たちは8月6日や8月15日のことは記念していますが、この日をおろそかにしてきたことを懺悔します。神様、私たちの同胞である沖縄の人々の上に平和が来ますように、神様の力を働かせて下さい。

 とうとき主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

  聖書を調べよ youtube 

詩編119:9~16、使徒17:10~15  2019.6.16

 

福音を伝えるために各地を訪ねるというのは、今でも相当な覚悟で行わなければなりませんが、二千年前なら、なおさらでありしょう。パウロがシラスと共に第2回伝道旅行を開始した時、マケドニアに向かうことまでは考えていませんでした。パウロは当初、第1回伝道旅行で訪ねていった、今のトルコの内陸部にある諸教会を訪ねることだけを考えていたのです。ところがある夜のこと、一人のマケドニア人が幻の中に現れて、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ったのです。パウロは、神が自分たちを召されているのだと確信して、マケドニアの地へと向かいました。そこで最初に訪れたのがフィリピ、次がテサロニケ、そして最後がこれからお話しするペレアになりますが、パウロたちははたして助けを求めたマケドニア人の願いに応えることが出来たのでしょうか。

私たちがすでに見てきたように、パウロたちの旅路は惨憺たるものでした。フィリピでは鞭で打たれて投獄されました。テサロニケでは暴動が起こって、その夜のうちに脱出しました。ペレアでも、押しかけてくる人たちがいて、ここからも逃げ出さなければなりませんでした。行くところ行くところで信者を獲得しても、町の有力者が立ちはだかったり、敵対するユダヤ人が押しかけてきたりするのです。そのため、軍隊の用語でいえば転進に次ぐ転進を続けることになり、費用対効果ということを見ると、パウロたちの懸命な努力に対して得られたものはわずかですから、伝道は失敗だったという判断が下されてもおかしくはありません。少なくともパウロを迫害した側はそのように考えたでしょう。…しかし、それは大きな間違いでした。パウロたちが去ったあとも、福音の種を蒔いた教会はその地に残り続けました。マケドニア人を助けるという当初の目的はいっけん潰えたかに見えましたが、よみがえってやがて大輪の花を咲かせることになるのです。その理由は何だったのかということが、皆さんには見えて来るのではないかと思います。

 

テサロニケで迫害が起こりました。パウロたちが宿泊していた家が襲われて、家主のヤソンと数人の信徒が捕らえられ、保証金を取られてしまうという状況下、信徒たちは、夜の内にパウロとシラスをペレアに送り出しました。二人を一緒に連れて行った可能性もあります。

ペレアとは、テサロニケから西南西に向かって約72キロの道のりにある町です。そこは、パウロたちがそれまで歩いていた軍用道路からはずれたところにありました。「すべての道はローマに通ず」という言葉があります。

パウロたちがその道をまっすぐに進んでいけばやがてアドリア海に達し、そこから船に乗ってイタリアに着くと、今度はローマに向かうことが出来るのですが、これはパウロをつかまえようとしている人たちにとっても通いやすい道なので、そこを避けて南下した可能性が考えられます。

パウロとシラスはペレアに到着すると、すぐにユダヤ人の会堂に入って、福音を語りました。これはそれまでの伝道方法と同じです。…先にテサロニケの会堂に入った時、パウロは聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証しました。ペレアの会堂でも同様に行ったのだと考えられますが、同じことをもう一度書く必要はありません。聖書はここで、福音を受けた側の態度を語っています。すなわちペレアのユダヤ人たちは、素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていたというのです。

ここで「素直で」と訳されている言葉は、原文ではもともと「生まれが良い」、「気高い」、「気品がある」という意味の言葉です。生まれが良いから育ちも良い、そこから素直ということになったようです。文語訳聖書では「善良で」、となっていました。このあたり、厳密に考えていくとなかなか難しいので、私たちはそこまで立ち入らず、ペレアの人たちが素直だから、先入観や偏見にとらわれなかったと考えることにしましょう。…ただ、だからといって、彼らがだまされやすい人たちであったのではありません。非常に熱心に御言葉を受け入れながらも、その通りかどうか、毎日、聖書を調べていたのです。

聖書はこの場合、もちろん旧約聖書ですが、私たちがこれを調べるのとはわけが違います。いま、この教会にはたくさんの聖書が置かれ、私たちも多少のお金を出せば自分の聖書を買うことが出来ますが、この時代はそうではないですね。会堂には旧約聖書の文書がそれぞれ巻き物になって置かれていました。それらはみな写本で、高価なものでした。この時代、自分の聖書を持つことが出来る人がいったいどれだけいたのかという状況ですから、聖書を調べるといっても、一人が朗読して、それをみんなで聞いて、互いに討論していたのではないでしょうか。

聖書を調べるというのは、この場合、聖書が正しいかどうか調べるということではありません。自分たちの会堂によそからパウロとシラスが来て、全く新しい教えを語ったのです。それはペレアの人々にとって興味深い教えであったとしても、すぐに信じて良いかどうかはわかりません。そこで、パウロたちが語ったことを旧約聖書を開いて、調べたのです。

…説教の中で引用した旧約聖書の聖句が、はたしてその通りそこにあって、正しい意味で語られたのか、…二人が語っていることは旧約聖書にしっかり裏付けられているのか、あるいはそうでないのか、…具体的には、旧約聖書の中でたびたび預言されているメシアが、本当に十字架につけられたイエスであるのかどうかを調べたということで、そのことを確信したので信仰に入ったのです。

 

さてここで、聖書を調べることについて、もしかしたら懸念を持つ人がおられるかもしれません。調べるというのは疑うことが前提になっているのではないか、疑うなんてとんでもないことで、あれこれ考えずにそのまま信じるべきではないか、という思いです。

ただ、それでは、信仰が「いわしの頭も信心から」ということになりかねません。…どんなに深い信仰を持っている人でも、心に疑いが生じないということはないのです。しかし、疑いの気持ちをいだくことがあっても、神様と真剣に向かいあう時に、疑いとは違う、「いわしの頭も信心から」とも違う、新しい道が示されるのです。聖書自体にその実例がたくさんあります。詩編の中の多くの歌がそうですし、ヨブは疑いから信仰へと180度転換しました。預言者エレミヤも、主なる神と論じてみたいとまで言っており(エレミヤ12:1)、それぞれ神様に疑いをぶつけているのです。…ペレアの会堂の人たちはパウロたちが語っていることが本当かどうかを毎日、旧約聖書を開いて確かめようとしました。そして、その結果として、そのうちの多くの人が信じ、ユダヤ人ばかりでなくギリシア人の上流婦人や、男たちも少なからず信仰に入ったのです。

なおギリシア人の上流階級の人たちが信仰に入ったことについて、注解書(現代聖書注解219p)は皮肉な言い方をしていました。「パウロは有力な人々を信仰に導き得たことを自慢しているのだろうか。あるいは上流階級の人々でさえ回心させたことに驚嘆しているのだろうか」。…真相はわかりませんが、これは皮相な見方だと思います。上流階級の人であっても、そうでない人であっても、神様の前では罪人(つみびと)で、救われなければならないということでは何ら変わりません。そして神様は、上流階級の人の働きも、そうでない人の働きも共に必要とされているのです。

ペレアの会堂の人々は、「毎日」、忍耐強く、聖書を調べました。聖書は決して、一週間に一度、開けば良いというものではありません。日曜日に聖書の言葉を聞いたからといって、それで一週間分の心の栄養となるとは言えません。ここの人々のように「熱心に御言葉を受け入れ」ることが、日々、うまずたゆまず聖書を読んで、調べることと結びついていてほしいものです。

キリスト教会2000年の歴史の中には、聖書を読むこと自体、軽んじられる時代がありました。中世の時代にそのような傾向がありまして、聖書はたとえ修道士であっても読むことを勧められなかったそうです。だいたいラテン語で書かれているので、一般の人には読むことが出来ません。マルティン・ルターは修道院の図書館の中で、ほとんど誰も手に取ることがなかった聖書を見つけ、むさぼるように読んだということが、伝記に書いてあります。これがのちの宗教改革につながっていきます。…それにひきかえ、今日では、誰でも日本語の聖書を持つことが出来ますが、それでいて聖書を調べることが少ないのはどうしてでしょうか。聖書について書かれた書物を読むことも大切ですが、やはり聖書そのものに親しまなければなりません。私たちがいざ自分で聖書を読もうとすると、とっつきにくい言葉で辟易してしまうことがあるかもしれませんが、この第一の関門を抜けた時、神様が聖書を通して示そうとしておられることが少しずつ見えてくるはずです。…もっとも自分勝手な読み方になっては困ります。ペレアの会堂の人たちが素直に、熱心に、毎日聖書を調べていたのは、要するに、神様以外のなにものにもとらわれず、神様のみこころとあらば何をおいても飛びついていく熱心さをもって、聖書とがっぷり四つに組んでいたということにちがいありません。

 

こうして、ペレアでの伝道は順調に進むかのように見えました。テサロニケではユダヤ人はキリスト教伝道に反対し、騒ぎを起こしたのですが、ペレアのユダヤ人にはそのようなことはありませんでした。しかしテサロニケのユダヤ人は、ペレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、押しかけて来て、群衆を扇動し、騒がせました。異端を滅ぼそう、芽のうちに摘み取ってしまえということだったのです。

一刻の猶予もならないと判断したペレアの信徒たちは、ただちにパウロを脱出させました。14節に書いてあるように、「兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはペレアに残った」、ユダヤ人の攻撃の矛先はパウロに向けられていました。パウロに付き添った人々がいて、彼らはパウロをアテネまで連れて行きました。だいたい、ペレアの近くの港から船で出発したと考えられていますが、一部の写本の中には14節の前半を「兄弟たちはパウロを海へ行くかのようにして送り出した」と書いてあるのがあるそうです。この場合、パウロたちは船で行くように見せかけて、実際は追手をまいて陸路アテネに行ったことになります。本当のとことは確認出来ませんが、それほど切迫した状況だったのです。

パウロはアテネに着くと、同行したペレアの人たちを通してシラスとテモテに、できるだけ早く来るようにとことづけました。その後、パウロがアテネの隣のコリントに行っている時に、シラスとテモテが戻ってきてパウロと合流します。

その後テモテはテサロニケの教会に派遣されることになり、その時に再び、ペレアの教会を訪ねたかもしれません。いずれにしても、ペレアの教会は厳しい状況の下で、持ちこたえていました。

パウロはいないし、迫害の危険がある中でどうしてそれが出来たのか、そこには教会で長老が選ばれ、長老を中心に礼拝が守られたということがあるはずですが、もう一つ、素直で熱心に御言葉を受け入れた人々が、聖書に親しみ、毎日聖書を調べていたということがあったに違いありません。

いま日本キリスト教会のいくつかの教会では、牧師が与えられないという状況になっていますが、仮にそんなことになった場合でも、教会員みなが聖書に親しみ、毎日のように聖書を調べているなら、そこから神のみこころをくみとり、励ましを受けて、教会を守っていくことが出来るでしょう。

世界には、もっと厳しい状況もあります。例えば中国では1966年から10年続いた文化大革命の間、すべての教会が閉鎖されて聖書は没収、牧師も遠方の農村などに下放されてしまいましたが、そんな時代にどうやって信仰を持ち続けることが出来たのでしょうか。1冊の聖書を隠して、守り通したという話も聞いておりますが、ただ1冊の聖書もなかったということもあるのです。その場合、どのようにして信仰を保ち続けたか、それは、心に蓄えたみ言葉によって養われたということなんです。聖書すらない時に、記憶の中にある聖句がその人を支え、導いていった、…これはキリシタン禁制下の日本でも同じようにあったことだと思います。

私たちには幸い教会があり、聖書があるのですから、これを神様の恵みと思い、感謝しましょう。私たち一人ひとり、日曜日の礼拝ばかりでなくふだんの毎日の生活においても、聖書によってイエス・キリストのメッセージを聞き続けていたいものです。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。今ここには年取った人もいれば、病気の人もいます、仕事でたいへん忙しい人もいますが、今日この場に来ることが出来るだけの、健康と時間を与えて下さったことを心から感謝いたします。

神様、今日は改めて聖書のこと学びました。私たちの中には、聖書があること自体、有難いとも思わず、これを開くのもおっくうになる時もありました。心に覆いがかかっている時は、そのようにしか感じられないのですが、神様が聖霊を送って、覆いを取り除こうとされていることを感謝いたします。聖書全体が語っている福音、喜びのメッセージはイエス・キリストに集中的に現れています。聖書に書かれているのは大昔の出来事ではありません。今の私たちに、生きるための知恵を、力を、そして希望を与えてくれるのです。神様、聖書の言葉を私たちの心に蓄えさせて下さい。どうか聖書の一つひとつの言葉が生きて甦り、私たちの心にとってのなくてはならない食べ物となってくれますように。

主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 私たちは一つの霊、一つの体 youtube 

Ⅰコリ12:12~26    2019.6.9

 

 私たちみんなの救いイエス・キリストは、今からおよそ2000年の昔、ユダヤの国でお生まれになり、素晴らしい教えを語り、力あるみわざを行われましたが、イエス様に反対する人々のために十字架につけられて、殺されてしまいました。しかしイエス様はそのあと復活なさいました。イエス様が罪と死に打ち負かされたままでいるはずはなかったのです。イエス様はその後、弟子たちを初め、多くの人たちの前に姿を現され、40日目に天に帰られました。それ以来、誰も生身のイエス様に会うことが出来なくなりましたが、イエス様の物語がこれでおしまいになったのではありません。

 父なる神様とイエス様は天から聖霊を送って、イエス様を信じる人々を誕生させて下さいました。それがペンテコステで教会の誕生日、私たちはいまペンテコステの礼拝を行っているのです。

 誰でも教会に来て礼拝に参加するなら、そこでイエス様に会うことが出来ます。もちろんイエス様が目の前に現れるわけではありませんが、人が教会で神様を仰ぎ、聖書の言葉をしっかり聞いて、これを全身全霊で受けとめる時、心のいちばん深いところでイエス様に会っているのです。

 イエス様と会える場所は教会で、この教会は広島長束教会、日本全国に、また世界中にたくさんの教会がありますが、聖書はこれらみんなキリストのからだだと言っています。…皆さん、こんな姿の巨人を想像してみて下さい。その頭にイエス様がいます、目も鼻も、手も足も、頭以外の体すべてに教会があります。その中に広島長束教会もあるのです。そこには私たち一人ひとりの姿が見えてこないでしょうか。みんなイエス様の中にいるのです。

 

 聖書は、教会はキリストのからだだと教えていますが、それは体の中のどれ一つとしていらないものはないということです。

 こんな話があります。人間の体には目や耳や口、手と足、心臓や肺や腸などいろいろなものがありますが、ある時、その中で騒ぎが起こりました。手が言いました。「私は毎日一生懸命働いています。みんなもそうでしょう。ところが一人だけ働かないで遊んでいる奴がいます。」、「だれだそいつは」、「胃袋です」。

足が言いました。「その通りだ。おれたちは毎日くたくたになるまで働いているのに」。口が言いました。「そうだそうだ。あいつは働きもしないで、毎日毎日ごちそうを食べているんだぜ。」耳が言いました。「なまいきなやつだなあ。」

 働かざる者食うべからずという言葉があります。そこで全員で相談して、胃袋をこらしめることにしました。

足は歩きまわることをやめ、手は口に食べ物を持っていくのをやめ、口は食べ物をとりこむことを断り、歯は食べ物をかまず、のどは食べ物も飲み物も何も通しませんでした。このようにして胃袋を追いつめて、降参させようとしたのです。

 では、みんなが思った通りの結果になったでしょうか。そうはなりませんでした。みんなは胃袋は働きもしないでごちそうばかり食べていると思っていたのですが、それは大変な間違いでした。みんな胃袋に食べ物を送らなかったために、力が抜けてふらふらになってしまいました。胃袋の働きがなければ血液も流れないし、肉をつけることも出来ません。いっけん何も仕事をしていないように見えた胃袋ですが、消化した食べ物を体のあちこちに送るという、大切な働きをしていたのです。

 聖書が言っているのはそういうことなんです。

「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって、『お前たちは要らない』とも言えません。」

 人間の体には多くの器官があって、頭も、手も足も、目も耳も口も日夜働いています。そして胃袋のような、いっけん何の役にも立たないように見えるものだって大切な働きをしています。人間の体の中で役に立たないところはないのです。みんなそれぞれが助け合ってこそ人間の体なのです。

 このことは、キリストの体と呼ばれる教会にも同じように言えることなのです。世界の教会を見渡してみると、そこには日本人も中国人もアメリカ人もアフリカの人たちも、さまざまな人たちがいます。この教会だけ見ても、お年寄りもいれば子供もいる、男も女も、元気な人も病気の人もいます。お金持ちもそうでない人も、優秀な人も残念ながらそうでない人もいます。でも、ここにいなくて良いような人は誰もいません。体の中で胃袋がなくてはならない働きをしていたように、どんな人にも、その人にしか出来ない大切な役割があるのです。そうして全員が友だちであり家族なのです。だから、もしもつらいことがあった人がいたらみんなで悲しみ、嬉しいことがあった人がいたらみんなで喜ぶというふうでなければなりません。

 キリストの体である教会の総司令官はその名の通りイエス様です。イエス様は体にとっての頭にあたる方です。もしもイエス様がおらなければみんなばらばら、でもイエス様によってみんなが一つになっているのです。もちろん、初めに申し上げたように、私たちが生身のイエス様に会うことは出来ません。でも、いま天におられるイエス様は聖霊によって、私たち一人ひとりの心においでになって下さっているのです。

 聖書はこう言っています。「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるためにバプテスマを受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。」

 今ここにいる皆さんは、たとえどんな人であっても、天の神様とイエス様が送って下さった聖霊によって、洗礼、バプテスマを受けていますから、キリストの体である教会の一員になっているのです。

 皆さんにとって家族は大事ですし、学校の友達も職場の同僚もみな大事です。それは当たり前のことなのですが、いちばん大事なのはキリストの体である教会で会う人たちです。その人たちは家族以上の家族なのです。皆さん、よろしかったら今となりにいる人と握手をかわして下さい。つらいことがあった人がいたらみんなで悲しみ、嬉しいことがあった人がいたらみんなで喜び、こうしてみんな一緒にイエス様が開いて下さった道を進んでゆきましょう。

 

 

天の父なる神様。

神様はこの世界にイエス様を派遣して下さり、私たちに神様の素晴らしいみこころを知らせて下さいました。

イエス様は天に帰られましたが、神様とイエス様が聖霊を送って下さったことで、教会というキリストの体が出来、今私たちがそこに集められていることを知って、心から感謝いたします。

私たちの中には、日曜日ごとに教会に行くことを面倒くさく思っている人がいるかもしれません。でも、もしも教会がなかったら、私たちはどうなっていたでしょう。神様の愛も恵みも知らない人生なんて、考えられません。神様、私たちがこれからもずっと教会につながり、イエス様を主と仰いで、幸せで悔いなき人生を歩むことが出来ますようにと、心からお願いいたします。

 神様、ここには 人の子どもたちがいます。みんな小児洗礼を受けています。今の厳しい時代の中、この子どもたちの前に何が待ちかまえているかわかりません。でも、どうか神様が支えて下さいますように。この子どもたちがイエス様を喜び、イエス様によって本当の自由を与えられて、すくすくと成長してゆきますようにとお願いします。

 神様への感謝と願いを、イエス様のみ名によってお捧げします。アーメン。 

  イエスという別の王 youtube   

詩編2:1~2、使徒17:1~9  2019.6.2

 

伝道の旅に出たパウロたち一行がフィリピの町を出て、次に向かったのがテサロニケの町でした。ここで彼らはまたしても迫害を受けます。皆さんの中には、また同じ話かと思った方がおられるかもしれませんが、聖書には一つとして同じ話はありません。新しい思いでもって、聞いて頂きたいと思います。

 

初めに地理的なことからお話しします。聖書の巻末にある地図の8をご覧になると良いでしょう。パウロたちはフィリピを出て、西に向かいました。そこにはローマ帝国が造った道が通っていました。「すべての道はローマに通ず」という今に残る有名な言葉があります。パウロたちはローマに通じる道を進んでいったのです。歩いていったのか馬に乗っていたのか、テサロニケに直行したのか、途中伝道しながら行ったのか、資料がないので想像するしかありません。テサロニケからアンフィポリスまで約53キロ、アンフィポリスからアポロニアまで約43キロ、アポロニアからテサロニケまで約56キロありました。

テサロニケは陸に深く切り込んだ入江に面した、マケドニア州の州都でした。ここはローマ帝国の植民都市であったフィリピとは異なり、自由都市とされ、自治を許されていました。この町を統治する人たちと共に民衆の会議があったということです。6節8節9節に出て来る当局者たちは、自由都市テサロニケを統治する人たちです。5節に出て来る民衆と8節に出て来る群衆がどう違うのかということになりそうですが、5節の民衆とは民衆の会議で、民会と呼ばれていたもの、群衆はその場にいた大勢の人々ということになります。

パウロはテサロニケに着くと、ユダヤ人が集まっている会堂に行って、3回の安息日にわたって伝道しました。この頃の様子についてテサロニケの信徒への手紙一の2章にいろいろ書いてあるので、家に帰ってからあとでゆっくり読んで頂ければと思います。11節にはこう書いてあります。「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし。慰め、強く勧めたのでした。」またパウロたちの生活について2章9節は、「わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに伝えたのでした。」と書いています。パウロはテント造りという職業を持っていたので、こちらの方で生計を立てながら、手弁当で伝道していたようです。これに関連して、フィリピの信徒への手紙4章16節に、「テサロニケにいたときも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました」と感謝の言葉が書かれています。

パウロが誰にも負担をかけまいとして手弁当で伝道しようとしたことは立派ですが現実には無理があったわけで、フィリピの教会が助けてくれていたのです。

 

テサロニケでパウロが用いた伝道の方法はこうでした。ユダヤ教の会堂に入ると、聖書を用い、この場合は旧約聖書ですね、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっている」こと、また「このメシアはわたしが伝えているイエスである」ことを説明し、論証することでした。皆さん(のほとんど)は、このことは信仰生活を開始した時からくり返し聞かされ、わかりきったことかもしれませんが、復習してみましょう。

パウロが話していた時、その場にいたのはユダヤ人とギリシア人です。ユダヤ人がユダヤ人の会堂にいたのは当然ですが、ユダヤ人ではないけれどもユダヤ人が信じている神を本当の神だと信じて、集まっているギリシア人がいたのです。旧約聖書の言葉は、ギリシア人にはまだ十分理解できてはいなかったと思います。ユダヤ人にとっては、理解したかどうかは別にして、生まれた時から頭に叩き込まれているものでした。

「メシアは、(すなわち救い主、キリストは)必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっている」というのは、すでに旧約聖書の中でたびたび預言されていました。ただそうは言っても、その意味を正しく理解することは簡単ではありません。

旧約聖書は冒頭の創世記から最後のマラキ書までいろいろなところで、のちの世にメシアが現れて、苦しみ悩む民を救ってくれることを語っており、このことはユダヤ人なら誰もが知っていました。道を求めるギリシア人も聞いていたはずです。しかし、そのメシアというのは、人々が思い描いていたような、力でもってユダヤを独立させ、さらに周囲の国も征服してしまうような王ではなかったのです。

イザヤ書53章に、このメシアが次のように描写されています。「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」、「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。」、こうして「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた」となるのです。…ただこのことを理解するのは容易なことではありません。だからイザヤ書53章の冒頭にも「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか」と書かれているのです。

このような苦難のメシア像は、旧約聖書に出て来るいくつもの預言の中でだんだん深められていったのですが、そのことが広く一般の人々に共有されるということはありませんでした。そんな時に、イエス様が天からこの世界にやって来られたのです。

イエス様ご自身も、ご自分が十字架につけられて死んで、復活されることを宣言なさっています。その一つが、弟子たちにむかって「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ね、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた直後です。マタイ福音書16章21節、「イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」。しかしペトロは「そんなことがあってはなりません」と言って、イエス様の言葉を打ち消そうとするので、叱責されてしまいます。イエス様じきじきの弟子たちでも信じられなかったことなのです、それを信じることが出来たのは、いうまでもなくイエス様の死と復活をその目で見たこと、そしてそのことの意味を聖霊によって教えられたからにほかなりません。

神様は旧約聖書の時代を通してメシアが現れることを告げておられました。その意味は少数の人しかわからなかったのですが。しかしついに、世界を救おうとなさる偉大な事業を開始されたのです。これこそがイエス様を巡って起こった出来事でありまして、十字架につけられたイエス様こそメシアであると信じた人たちが、これを世界に伝えて行ったのです。旧約聖書に書いてある通り、メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた、このメシアこそイエス様なのです。

 

パウロが会堂でこのことを語った時、その場にいたユダヤ人の中からこれを信じる人が出ました。また神をあがめるギリシア人、またこちらもギリシア人だと思われますがかなりの数のおもだった婦人たちも信じるようになりました。  

「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ」、…イエスはわれわれが十字架につけて殺したようなもので、あんなみじめな最期を遂げたイエスがメシアのはずはない、この異端が、神様から与えられ長い伝統を持つわれわれの信仰を掘り崩そうとしている、…こういった思いが爆発したのです。パウロたちはヤソンという人の家に宿泊していました。ユダヤ人は町のならず者を抱き込んで暴動を起こしてヤソンの家を襲い、パウロとシラスをつかまえようとしたのですが、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の信徒を町を統治している当局者たちのところに引き立てて行きました。

ここでパウロたちに浴びせられた罪状を検証してみましょう。そこには、二つのことがあります。一つは彼らが全世界を騒がせてきたということです。もう一つが、皇帝の勅令に背いて「イエスという別の王がいる」と言っているということです。

まず第一のことですが、ユダヤ人はどうも、自分で町のならず者を抱き込んで暴動を起こしておきながら、その責任をパウロたちに転嫁して、キリスト教徒が全世界を騒がせてきた、私たちの町でも、と言っているように思われます。何も知らない人は、パウロたちのせいで町に騒乱が起こされたと思ってしまうでしょう。…第二のことにしてもこれと同様で、パウロたちが皇帝が君臨する国家の中でイエス様を王に立てて、皇帝に反逆しようとしたことはありません。そういう意味でユダヤ人が言ったことは、言いがかりに過ぎません。今の言葉で言えば、フェイクニュースを拡散しているのです。

ユダヤ人の訴えを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺しましたが、テサロニケで誕生したばかりのキリスト者たちは、10節に書いてあるように、大ピンチの中でパウロとシラスを隣の町に送り出します。もちろん私たちもユダヤ人の言い分に同調したり、動揺したりする必要はないのですが、しかし冷静に考えてみると、その中に当たっている部分もないではないことに気がつきます。

確かにキリスト教は、ここでユダヤ人が言っている意味で、世界中を騒がせている教えではありません。世界中で暴動を起こしているということはないのです。しかし、パウロのそれまでの伝道の足取りを見ても、行くところ行くところでセンセーションを巻き起こしてきたことがわかります。そういう情報がこの町まで伝わって来なかったとしたら、これほどまでに群衆と町の当局者たちを動揺させることはなかったでしょう。

キリスト教が世界中で暴動を起こしていることはありえないとしても、別の形で世の中をひっくり返しつつあることは確かです。パウロたちが訪れたのは本当の神を見失った世界です。その場所に行って本当の神を語り、救いを告げ知らせるというのは、ひっくり返った世界を元のあるべき姿に戻すということで、これはひっくり返ったままの世界に留まりたい人々にとっては、世界中を騒がせることにほかなりません。

また「イエスという別の王がいる」と言われたことですが、キリスト者は一国の皇帝や王その他の指導者に対して敬意を払い、法律を遵守し、税金を納め、国民としての義務を果たします。…イエス様はこれらの指導者と次元が違います。

しかし、やはり王なのです。棕櫚の主日の時、イエス様は子ろばに乗って、王としてエルサレムに入城されましたし、イエス様がつけられた十字架には「ユダヤ人の王」という罪状書きが掛けられていました(ヨハネ19:19)。ヨハネの黙示録19章11節以下に白馬にまたがった方が登場し、イエス様だと判断されますが、この方がまとっていた血に染まった衣には「王の王、主の主」と書かれていました。

私たちキリスト者は、決してイエス・キリストを立てて国家権力を奪い取ろうなどとは夢にも思いません。パウロも「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」(ロマ13:1)と教えており、それに従っているのです。ただ国に従うことが神に従うことと矛盾し、それを妨げるようなぎりぎりの局面に至った時には、たいへん重い決断になりますが、信仰のために闘わなくてはなりません。その意味では、私たちもイエスという別な王のご支配のもとにいるのです。

 

(祈り)

天の父なる神様。私たちはなぜ一国の指導者ではないイエス様を王として仰ぎ、礼拝しているのでしょうか。…パウロの時代、ローマ皇帝は神だとされていました。かつての日本には現人神がいました。現代の世界にも、自分を神に祭り上げる指導者がおり、その前にひれ伏す人がたくさんいる中、私たちは国家の指導者を重んじますが、その人を神とはいたしません。たとえその人がどんなに立派な人であっても、イエス様にまさる存在ではないからです。イエス様は神であられ、世界と私たち一人ひとりの救いのために、苦しみを引き受け、尊い命を捧げ、死者の中から復活することによって、死によっても滅びることのない、人間の本当の生き方を示して下さいました。

神様、どうかイエス様の中にあるあふれる命が私たちの上にあって、この難しい時代の中にあっても私たちを強め、悔いなき人生を与えて下さい。

主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

歌の中の歌 youtube   

雅歌1:1~17、マタイ6:27~29  2019.5.26

 

 今日は、雅歌という聖書の中でもたいへんユニークな書物を味わいたいと思います。

 雅歌という名前は、昔の中国語訳聖書に従ったものということです。原文から直訳しますと「歌の中の歌」となります。星の数ほどもある歌の中で、この歌こそ最も歌らしい、優れた歌だというのです。……しかし、初めて雅歌を目にした人は驚いてしまうでしょう。これは、男女間の恋愛を歌った歌に見えます。そこには出エジプト記のようなイスラエルの民の厳しいたたかいはありませんし、ヨブ記やコヘレトの言葉のように人生の苦しみの根源に迫っているものでもありません。神という言葉が一つも出て来ません。詩編に入っている歌ともずいぶん違いますから、どうしてこのようなものが聖書に入っているのだろうと思われる人は多いのです。

 実際、雅歌が聖書に収録されるまでにはいろいろなことがあったようです。雅歌は聖書の中でどのような価値を持つ書物であるか、そもそもこのようなものを聖書の中に入れておく必要があるのかという疑問が古来ユダヤ人の学者たちの間でもたれてきました。こういう問題に決着をつけ、聖書の正典を確定するために紀元90年にヤムニアという所で、ユダヤ教の会議が開かれました。そこで最後まで問題になったのが、コヘレトの言葉とこの雅歌だったということですが、ラビ・アキバという指導者が、「聖書のすべての書物は聖所であるが、雅歌は至聖所である」と言ってこの書を絶賛し、激烈な論争に決着をつけました。…それ以来ユダヤ教徒の聖書には雅歌が収録されています。キリスト教徒もその決定を尊重してこれを聖書におさめ、現在に至っているのです。

 

それでは雅歌は、これまでどのように読まれてきたのでしょうか。ユダヤ教の歴史の中では除酵祭、すなわち種を入れないパンの祭りの8日目に雅歌が朗読されてきたということです。ではキリスト教の歴史の中ではどう読まれてきたのでしょうか。ごく大まかに見て二つの立場があるようです。

 その一つは比喩的に解釈するというものです。先ほどのラビ・アキバを初めとするユダヤ教徒は、雅歌に書いてあることが神とイスラエルの間の愛であると考えました。それがカトリック教会になりますと、雅歌をキリストと、花嫁なる教会の間の愛を歌うものとして教えているようです。…プロテスタント教会でもそのような解釈はたいへん有力です。それがどんなものなのか、具体的な例によって見てみましょう。

2章14節をご覧下さい。そこにこう書かかれています。「岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ、姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」

 私はウォッチマン・ニーという20世紀プロテスタントの伝道者が書いたものを見たのですが、この箇所についてこの人はこう書かれています。

……「岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ」、ここで「岩の裂け目」というのは十字架を象徴している。そこに「わたしの鳩」がいる、それは人がキリストの十字架のもとにとどまることである。「姿を見せ、声を聞かせておくれ」と言っているのはキリスト。「お前の声は快く、お前の姿は愛らしい」というのは、彼女の声や姿かたちをほめているのではなく、人がキリストの十字架のもとにとどまる時の、罪から解き放され、復活と新しい創造の中にいる素晴らしさをたとえたものである……。

 比喩的な解釈をする人は、だいたいこんな調子で雅歌を最初から最後まですべて、キリストの十字架と復活から説き明かそうとするのです。このような解釈には長い歴史があり、研究が積み重ねられてきました。…ただ「岩の裂け目」が本当にキリストの十字架を指すのかどうか、私にはそうとも言えるし、そうでないとも言えるし、ということで判断出来ませんでした。

 比喩的な解釈自体は大切です。例えばイエス・キリストが「わたしはまことのぶどうの木」と言われた時に、これを字義通りに解釈してイエス様は植物だったと考えることはできませんね。イエス様はぶどうの木を通して、ご自分と私たち信者の関係を教えておられると解釈しなければならないわけです。ただ聖書に出て来るあらゆるものが、これはなになにを象徴していると考えると、ではその根拠が何なのかと問われなければなりません。あてずっぽうな、あるいは考えすぎな解釈がまかりとおるようであってはならないのです。

 雅歌を読む時のもう一つの方法が、比喩などという面倒なことを考えず、そこに書いてある通りに、つまり男と女の恋愛詩として読んでいくということです。…ただそうしますと、聖書にこういうものが入っていることの意味はどこにあるのかという問題が再燃してしまいます。

 私たち誰もががよく知っているように、歌謡曲でもテレビドラマでも小説でも、男と女のことばかり描いているものが多く、また刺激的な写真や映像が氾濫しているわけです。そうしたことの反動もあって、教会ではそうしたことは口にするのもひかえるということが多いのではないかと思います。実際、明治以降の日本のキリスト教の歴史の中では、恋愛は信仰の妨げになると考えて一切こうしたことに関わらない、口にしない、結婚を拒否して清いままで一生を過ごすと言う人がけっこうたくさんいたと聞いています。

 しかし、ふしだらな生活を拒否することが、今度はもう一方の極端に陥る危険があることも考えなくてはなりません。…16世紀の宗教改革者マルティン・ルターは雅歌を認め、これをそこに書いてある通りに読んでいくことを提唱して、大きな影響を与えました。ルターは生涯独身のカトリック教会の聖職者とは違い、修道院にはいましたが、修道院から出て、結婚し、子供をもうけた人です。彼は雅歌を通して、恋愛や結婚ということは決して卑しむべきことではなく、神から人間に与えられた賜物として真剣に受けとめるようにと教えたのです。

 へブル書13章4節には「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません」という教えがあります。神が人を創造する時に男と女に創造され、二人が一体となることを求められたからには、恋愛や結婚を神の賜物としてとらえ、その観点から雅歌を読むということが出来るのです。ただ雅歌をもっぱら男女の愛だけを描いているとし、神様を登場させない解釈があるとしたら、それもおかしいのです。そこには、はっきり書かれてなくても、神のみ旨や教えを背景に、神の似姿としての男女の清い愛を描いたとする考え方があります。この点については、これから雅歌を読み進める内に明らかになるでしょう。

 なお、主イエスが教えられているように、すべての人が恋愛して結婚するわけではなく、独身を選び取る人がいます(マタイ19:12)。また今日では、LGBTのようにさまざまな性のあり方がある中、どれが正常でどれが異常か決めつけるのではなく、少数者の人権を尊重しなければならないという方向で教会も社会も動いていますが、こうした問題については雅歌の学びの中でふれることは出来ないでしょう。人それぞれ多様なあり方がある中で、神が雅歌を通して与えて下さった恵みにあずかりたいと思うのです。そこで、私としても、比喩的解釈を尊重しつつ、ルターが打ちたてた線に沿って雅歌を読んで行きたいと思いますが、その前に全体的なことについてお話しします。

 雅歌に登場する主な人物は3人います。まず栄華をきわめたソロモン王です。

1章1節は「ソロモンの雅歌」となっています。1章4節は「お誘いください、わたしを。急ぎましょう、王様」、12節にも「王様を宴の座にいざなうほど、わたしのナルドは香りました」と、王様が出て来ます。

 次にヒロインとなる乙女がいます。5節は「エルサレムのおとめたちよ、わたしは黒いけれども愛らしい」と自己紹介していす。ここで呼びかけられているエルサレムのおとめたちとは、都育ちで洗練されている色白の娘たちです。それに比べて私は黒いと言っているのですが、これは仕方がないのです。ぶどう畑の見張りをさせられて、日焼けしてしまったからです。私は、黒い方が健康的でいいという人もいるので、そんなに卑下しなくていいと思うのですが。

この女性は7章1節になって、「シュラムのおとめ」として紹介されています。  

 三番目が若者です。1章7節に「教えてください、わたしの恋い慕う人、あなたはどこで群れを飼い、真昼には、どこで群れを憩わせるのでしょう」とありますから、この若者は羊飼いだと考えられます。

 そこでソロモン王と乙女と若者、この3人がどういう関係にあったかということになります。

 そこで二つの考え方があります。第一の説では、雅歌をソロモン王と乙女の愛の歌だと考えます。その場合、羊飼いの若者はソロモン王の仮の姿であって、王が羊飼いのかっこうをして娘のところに現れたと考えます。だから、王と若者は同一人物だと言うのです。

 これに対し第二の説では、乙女が本当に愛しているのは羊飼いの若者であって、ソロモン王が富と権勢をかさに彼女と結婚しようとしますが、しかし乙女は若者との真実の愛を貫いて行くというストーリーになります。

 しかし、どうしてこのように全然違う話が出来てしまうのでしょうか。それは、ここに書いてあることが具体的に何を指しているのかがたいへんわかりにくいからです。第一の説に立つと、全部で8章ある雅歌の中でソロモン王が1章だけでなく、3章、6章、8章にも出て来ますから、ソロモン王と乙女の愛の歌と考えて間違いないということになります。二人は最終的に結婚するのです。しかし、第二の説も馬鹿には出来ません。列王記上11章3節によると、ソロモン王には700人の王妃と300人の側室がいました。これだけの数の王妃と側室を持っている王が、ぶどう畑の見張りをしていた飾り気のない娘と純愛を貫くことが出来るのかと思うからです。また8章7節に「愛を支配しようと財宝などを差し出す人があれば、その人は必ずさげすまされる」と書いてありまして、栄華をきわめたソロモン王がしりぞけられる方がストーリーに一貫性があるように思えます。

 

 ただ、雅歌全体が一つのストーリーのもとに書かれたのかどうかもはっきりしません。それぞれ別々な歌を一つにまとめたという可能性もあるのです。皆さんにはぜひ雅歌を全部読んで、ご自分の目でどちらが正しいか判断されることをお勧めします。なお1章1節に「ソロモンの雅歌」と書いてありますが、ソロモン王が作者とは限りません。コヘレトの言葉と同じように、ソロモン王の名前を語って書かれた可能性があるからです。

 今日は前置きが長くなって、肝心の本文に入ることが出来なかったので、これは次回にということにします。皆さんは今日、聖書の多様で豊かなメッセージの一端をのぞくことが出来たと思います。聖書にはヨブ記やコヘレトの言葉のように、人間におそいかかる苦しみを極限まで追求する書物がありますが、雅歌はその反対で、これは喜びの歌です。神様が人間に与えて下さった愛を喜び、歌う歌なのです。キリスト教会は2000年の歴史を通して、男女の間に起こることをしばしば軽視し、抑圧してきました。そのため雅歌は聖書の中で最も聖書的でない書物だと見なされることが多いのですが、しかし神様がなさることをそのように狭めてしまって良いのでしょうか。逆説的ではありますけれど、雅歌はもしかしたら聖書の中で最も聖書的な書物なのかもしれません。この書が神の愛を喜び、歌う歌だとするなら、私たちもその喜びに無関心ではいられません。今さら男女のことなんてという方もおられるかもしれませんが、年がいくつになっても、つれあいがいてもいなくても、心に神の愛を抱いていればその人は青春を生きているのです。

 

(祈り)

恵み深い神様。私たちが地上で生きるとき、男としてまた女として、互いの愛の中で生きているということを神様からいただいた恵みとして感謝して受け入れることが出来ますように。これから結婚しようとしている人には、神様のみこころにかなった相手が与えられますように願います。すでに結婚している人には、伴侶がこの世にいてもあるいはいなくても、互いに愛し合って、結婚した時の感動を再び思い起こさせて下さい。独身の人生を選んだ人にも、神様によって祝福された人生が与えられますように。生涯を通して真実の愛を貫くことが私たちの課題となりますよう、神様の御導きを願いつつ、主のみ名によってこの祈りをおささげいたします。アーメン。 

  善いわざを始められた主 youtube

申命記3:24、フィリピ1:1~6  2019.5.19

 

  広島長束教会ではいま礼拝で使徒言行録を取りあげていて、ちょうどフィリピの町での出来事を学んだところです。聖書にフィリピの信徒への手紙があるので、私はこれを読まないわけにはいかないと考えました。この手紙は1章1節に書いてあるように、パウロとテモテからフィリピの教会の人々にあてて書かれた手紙です。パウロとテモテとシラスとルカが伝道旅行の時、ローマ帝国の植民都市であったフィリピを訪ね、安息日に川岸に集まっていた婦人たちに会って話をしました。その時、パウロの話を聞いて洗礼を受けたのがリディア、紫布を扱う商人で裕福な女性でした。この人の家にパウロたちは宿泊して伝道するのですが、まもなくパウロとシラスが投獄されるという事件が起こります。二人は釈放されたあとリディアの家に行って、兄弟姉妹たちを励ましてから、あとの二人と共に出発したのです。

 フィリピの信徒たちはその後もずっと、信仰を守り続けていました。

 パウロはこの時代としては驚異的な旅を続けながら伝道していましたが、ついにローマで牢獄に監禁され、捕らわれの身になりました。パウロは獄中からフィリピの兄弟姉妹にあてて手紙を書きました。それがこの手紙なのです。

この手紙には「喜びの手紙」というニックネームがつけられています。パウロは獄中にいるわけですから、恨みつらみや同情を乞う思いが書きつらねてあったとしてもおかしくないのです。しかし、そのような暗さはみじんもありません。……たとえ獄中にあっても、目に見えるところ不自由と束縛ばかりだったとしても、まずい食事と重労働で苦しめられていたとしても、…それらを上回る喜びが、この手紙の読者に伝わってくるのです。

福音とは喜びの知らせです。これをお知らせするのが教会の仕事です。だから教会としては、そこで福音に接する人々に喜びがあふれるようにと願っているのです。しかし実際にはそうはいかないことがあります。さまざまな事によってがんじがらめになっている私たちです。病気や経済的な問題、人間関係に悩んだり、家族のことで頭がいっぱいになっていたりと、さまざまな問題が襲ってくる中、喜びを失い感謝の思いが薄れてしまうことは少なくありません。…またその一方で、世の中にはお金さえ出せばあらゆる楽しみにふけることが出来ますから、そちらに心が引かれ、まじめに信仰生活をおくることがつまらなく思えてしまうというのがよく起こります。

そのような私たちですが、フィリピの信徒への手紙が福音にあって生きることの喜びへと私たちを導いてくれるに違いない、そういう願いを抱きながらこの手紙を見てゆきたいと思います。

 

フィリピの信徒への手紙は、差出人のパウロとテモテについて、「キリスト・イエスの僕」という説明がつけられています。受取人は「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」となっています。

差出人のパウロは純粋なユダヤ人です。テモテは父親はギリシア人で母親はユダヤ人です。祖母はロイス、母親はエウニケといって二人とも神を信じる敬虔な女性で、その信仰がテモテに受け継がれました、信仰が親から子へと正しく継承されていく、その素晴らしい例がここにあります。

二人はキリスト・イエスの僕です。僕は奴隷と訳しても良い言葉です。僕にしても奴隷にしても、言葉としては明るくはない、暗い響きがあります。しかし主人がキリスト・イエスならそうではありません。かえって新しい、本当の主人に会った喜びが伝わってくるのではないでしょうか。

この差出人と受取人の間には大きな違いがあります。パウロたちはユダヤ人で生まれたときから本当の神を信じていますが、フィリピの人々は異邦人で、もともと本当の神を知りません。パウロたちは各地を転々としながらみ言葉の宣教に専念していますが、フィリピの人々は一つの町に住みながらみ言葉を聞くことに召された人々です。パウロたちは質素な暮らしをしていましたが、フィリピには裕福な人たちが多かったようです。いまパウロは獄中にいますが、フィリピの人々は獄の外にいます。…違う世界に生きていた者同士、人生が交わらないということは十分可能性があったのですが、両者は出会いました。…この二つを結びつけたものが何であったか、それは「キリスト・イエスの僕」と「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」の中に共通して存在するキリスト・イエスにほかなりません。互いに交わらない人生が交差して一つに結ばれる、それは両者の間に立って二つを結びつけて下さるキリスト・イエスによるのです。

さて、ここで、なぜイエス・キリストと言わないでキリスト・イエスと言うのでしょうか。…ここではキリストが救い主であることを特に強調しているのです。キリスト・イエスとは救い主イエスということです。救い主イエスがパウロたちとフィリピの人たちを出会わせ、新しい命の中で互いに結び合わせて下さったのです。

キリスト・イエスによって結ばれた固い絆を通してパウロは書き送ります。「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」。パウロは、獄中の身でありながら、フィリピの人々のことを思うたび神に感謝し、フィリピの人々のために祈るたびに、喜びをもって祈っているのです。

自分以外の他者について心に思い、その度に喜びと感謝の思いが沸き上がるというのはなかなか得難い体験だと思います。このようなことが私たち皆の中にあるでしょうか。家族や友人など身近な人に何か良いことがあったら喜びと感謝の思いが沸き上がるということはありますが、がっかりすることも多いかもしれませんね。まして自分から遠い人であれば、そういうことは本当に少ないわけです。逆に、人の不幸を見て思わず喝采を叫ぶという倒錯したことさえ起こるのです。

ではパウロとフィリピの人々との、この幸福な関係はどこから来たのでしょうか。その理由としてまず考えられるのが、フィリピの教会がとても良い教会だったということです。パウロが伝道したことで生まれた教会の中で、例えばコリントの教会やガラテヤの教会はたいへん困難な問題をかかえていました。それらに比べフィリピの教会は良い教会だったようです。…もっともフィリピの教会が完璧な教会だったわけではなく、そのことはこの手紙を読むうちに明らかになります。この教会がどんなに良い教会だったとしても、そこにいるのが人格者ばかりだったとは思えません。性格の悪い人やトラブルメーカーもいたかもしれません。

ある教会が良い教会で、温かな雰囲気があったり、親しみやすかったりというのは、それに越したことはありません。しかしパウロはそういった人間的な見方をしているのでありません。そのことは5節の言葉からわかります。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」。最初の日とはパウロたちとフィリピの人たちが出会った日ですから、その時まで少なくとも5、6年、ある学者の計算によれば10年以上たっています。その間、フィリピの人々はずっと福音にあずかってきました。迫害その他の困難があったとしても、神の恵みのもとに留まり続けていた、すなわちキリスト・イエスとの交わりの中にい続けていました。…そのことをパウロは、遠く離れてはいても、それまで伝え聞いていたか報告を受けていたものと考えられます。フィリピ教会の人々が福音にあずかり続けている、そこにパウロの、感謝の思いがあるのです。

そうなるためにはもちろん、フィリピ教会の人々自身のけんめいな努力や闘いがあったでしょう。パウロにしても、フィリピの教会の人々に、よく頑張ってくれた、有難うという気持ちがなかったわけではないでしょう。しかしそれ以上に神の支えと導きがあったのでありまして、パウロがそのことに感謝していることを私たちは見逃がしてはなりません。感謝を捧げるのは神に対してです。なぜなら信仰はつきつめると神の業だからです。

 

広島長束教会は伝道開始から55年の歴史を経ております。初めて家庭集会が開かれたのが1964年、平田虎雄さん宅においてでした。その後、YMCAの保育園で不自由に耐えながら礼拝を続けたりしました。やがて自分たちが心おきなく礼拝を捧げる場所がほしいという夢のような思いが祈りとなり、献金や労働がささげられ、1978年にこの場所に礼拝堂と牧師館が建設されました。

その後も広島長束教会は、幾度となく荒波を体験してきましたが、その中にあっても、休むことなく広島の地に福音を告げ知らせています。

広島長束教会の歴史をふりかえってみたとき、伝道のために長年にわたって投ぜられた絶えざる祈りと奉仕、労苦と献げものがいかに大きかったかを思います。ただそれだけのものを払って得たものはどれほどでしょう。見たところあまりに少ないようにも思えてきます。けれども一人の救われた魂は全世界の重さに比べてもなお重いのです。私たち一人ひとりの救いのためにも、たいへんな努力が捧げられたのです。何よりそれはキリスト・イエスのとうとい命によって勝ち取られたものであることを思うとき、伝道の業が神ご自身のみ業であることを深く思わせられます。

 

パウロは6節で述べています。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。フィリピの教会の人々のこれまでのことを思う時に喜びと感謝に満たされたパウロは、同時に将来のことを考えた時も大丈夫だ、彼らの救いは間違いないと確信しているのです。フィリピの人々の信仰、そのきっかけはパウロたちが与えたものです。しかしそれを用いながら神ご自身が働かれた、そのことによって人々の信仰は維持されてきたし、今それは成長し、やがて完成へと導かれるのです。ここに希望があります。

私たち人間がやることは何と中途半端なものでしょう。途中で投げ出してしまうこともあれば、良かれと思って始めたことが反対に悪しき結果を生み出すことだってあるのです。初志を貫徹していれば今ごろどれほど素晴らしい結果になっただろうと、未完成のまま放り出された仕事を見ながら悔しい思いをすることがあります。

人間の業は途中で止まってしまうことがしばしばです。……しかし神はご自分がお始めになったことを決して途中で放棄することはありません。神は世界の創造主であることだけで満足なさいません。

神は歴史の主でもあられます。神がフィリピの地でいったん善い業を、つまり人々の上に信仰の種を蒔く仕事を始められたならば、途中で予定を変更して救いの完成に至らせないということは絶対なさりません。それが変わることのない神の真実です。…そうであるならば広島に教会を建てて神を信じる者を起こそうとされた神が、その仕事を途中で放棄なさるはずはないのです。

いまも広島長束教会は幾多の困難の中にあります。現実はまことに厳しいものがあります。けれども困難のなかった時代などないのです。フィリピの町に信仰の種を蒔かれた神様は広島にも同じく信仰の種を蒔かれ、育て、あらゆる困難から守って、収穫の日を迎えさせて下さいます。神はこの教会に集う私たちを信仰の完成まで、責任を持っていて下さいます。このことを信じ、ここに立脚した私たちの信仰生活があるように、と願います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。パウロは獄中にあっても喜びにあふれていた、それにつらなる喜びが今ここにいる私たちの上にもありますように。

 神様を、ただ神様だけを礼拝できる幸せを感謝いたします。ここ、広島の長束に教会があるということ、それは神様が私たちを罪の縄目から救い出し、滅びゆくことを許したまわないみこころのあらわれです。そのために主イエスはとうとい命さえ捧げられたのです。だから私たちは、神様から離れず、教会から離れないことを決意いたします。家族や友人、地域の人々などが信仰にどんなに無理解であろうとも、イエス様を信じぬき、それを言葉と行いであらわしてゆきたいと思います。フィリピに続き、広島の地で善い業を始められた神様は、これを途中で放棄することなく、キリスト・イエスの日までに完成させて下さることを約束して下さったからです。このことを信じる私たちに勇気が与えられますように。現実がどんなに厳しくても、神様が開かれる未来を信じて、希望のうちに歩む者をどうか祝福のみ手をもって導いて下さい。神様のお支えを信じて祈ります。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

  法の定める正義  youtube

イザヤ26:7~9、使徒16:35~40 

2019.5.12                             

牢獄に放り込まれたパウロとシラスが真夜中に賛美の歌を歌って神に祈っていると突然、大地震が起きて、牢の戸が開きました。目を覚ました看守は囚人がみな逃げてしまったと思い、責任を取って自殺しようとしたのですが、まさにその時、パウロのひと声によって思いとどまりました。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。…看守はこの世に、本当にこんなことがあるのかと思ったのでしょう。パウロたちの前にひれ伏して「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と尋ねると、二人は答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。こうして看守が家族ともども洗礼を受け、神を信じる者になったところまでを先週学びました。

次の日の朝になって、パウロとシラスは意外にも釈放されることになりました。フィリピの町の高官たちが、下役たちを牢獄に差し向けて、「あの者どもを釈放するように」と言わせたのです。高官たちは、よそからフィリピの町に来て、大騒動を起こすきっかけとなったパウロとシラスを長い間牢獄に閉じこめてしまうつもりはなく、いわば痛い目に合わせて懲らしめてから、再び自由にしてやるつもりだったようです。もっとも、自由にしてやったとしても、町に居続けて良いとは思っていなかったでしょう。39節で「町から出て行くように頼んだ」とあるところから推測すると、パウロたちがフィリピの町から出て行ってくれたらそれで良いと、それ以上のことは考えていなかったのです。

前の晩にキリストを信じる者となった牢獄の看守は、高官の決定をただちにパウロに伝えました。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」看守は、自分を本当の意味で救ってくれたパウロとシラスが釈放されることを、心からの喜びと感謝の内に語ったにちがいありません。

ところがその時のパウロの態度は、「ああ良かった、ほっとした」ということではなかったのです。37節の彼の言葉をご覧下さい。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」

かりに私たちがこのような立場になったらどうでしょう。何も考えないで、さっさと牢獄から出て行くかもしれませんね。…パウロが市民権について発言すると、それを伝え聞いた高官たちは恐れました。そうして出向いて来てわびを言うことになったのです。…ただ釈放されればそれで良いということではありません。そこには法ということについての、現代にも通じる教えがあるのです。

 

私はいちおう大学の法学部を出ているのですが、法律を専門に学んではいません。法学は苦手で、ぎりぎりのところで単位をもらえただけ、これから話すことは専門に学んだ人から見ると素人の議論にすぎませんが、ご了承下さい。

法律というのは人類の歴史と共に始まりました。紀元前18世紀に古バビロニア王国でハムラビ法典が編集されました。その中には有名な「目には目を、歯には歯を」という復讐法があります。ハムラビ法典は旧約聖書の律法に先立つもので、「目には目を、歯には歯を」はその後、旧約聖書の出エジプト記21章24節にも取り入れられました。

神は神の民イスラエルに対し、モーセを通して律法を与えられました。律法とは神の意志による教えと戒めのこと、その中心にあるのが十戒です。イスラエルの民に律法が与えられたのは素晴らしいことでしたが、主イエスの時代になると律法主義という行き過ぎを産み出すことになります。しかし主イエスご自身、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタイ5:17)だとおっしゃっているように、律法は廃棄されたのではありません。主イエスが「目には目を、歯には歯を」に対して「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:38)と言い、「隣人を愛し、敵を憎め」に対して「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ5:44)と言われたのは、古い律法に対して新しい律法を示されたと言えるでしょう。その中心になるものが愛であり、それは皆さんご存知のように二つあります。第一の掟が「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、第二の掟が「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:37、39)です。ここに現された神への愛と隣人への愛を、主イエスは十字架にかかって死ぬことによって全うされました。

さてモーセからダビデ、ソロモン、そして紀元前586年にエルサレムが陥落するまでの時代のイスラエルは、神が直接統治なさる宗教国家で、その中心に律法があったわけですね。

イエス様の時代は、当然、律法が生きていましたけれども、しかしユダヤはローマ帝国の支配下にあったわけですから、ユダヤ人の律法とローマ帝国の法律と二つあったわけで、いくらユダヤ人が望もうとも昔のような神が直接支配する宗教国家ではありませんから、ユダヤ人は律法にどういう形であれ守りながら、同時にローマ帝国の法律も守っていたわけです。

そのことは今の私たちにも言えることで、私たちはイエス・キリストを信じ、イエス様が尊い命をかけて示して下さった神の教えに従っている、あるいは従おうとしているわけですが、だからといって、日本の法律を無視していいわけではありませんね。日本国憲法を初めとするすべての法律は、神が直接与えて下さったものだと言うことは出来ません。でも私たちは、自分は神様に従っているから日本の法律などどうでも良いのか、そんなことはないわけです。神様に従いながら日本の法律も重んじ、これを破ろうとはしないわけです。法律があることで社会の秩序が保たれ、人権が守られていることを知っているからです。

 

世界の歴史の中で、ローマ帝国の法律はローマ法と呼ばれ、これが出来たことは画期的な意義を持っています。大学時代の法学の教科書にこう書いてありました。「ローマ法は、歴史上はじめて宗教・習俗などの他の社会規範から区別されてその独自の存在を獲得し、一応の組織化が行なわれた法であって、それはまた世界各国の法に今日最も広く影響を及ぼしている。」法律が現在のように体系的なものになり、また宗教とは区別されるものとなったのは、ローマ法から来ています。…この本にはまた、古代ヨーロッパが人類に残した精神面に関する三大遺産として、ギリシャの哲学や芸術、キリスト教と共にローマ法をあげているくらいですから、それがどれほど大きなことだったかがわかろうというものです。

ローマ法の成立に関しては、こういうことがありました。古代ローマ人も他の民族と同じく、法は神々から授けられると信じていました。ただ実際には、法の知識は貴族である神官(神殿に勤める神官)に独占されていたために、裁判があっても法は恣意的に運用され、貴族に有利に、平民には不利なものとなっていました。そのため平民は不満をつのらせ、法律関係および権利と義務をより明確にするために成文法の制定を願っていました。こうしたことの結果、平民と貴族の間に合意と妥協が成立し、十二表法と呼ばれる法典が作られました。紀元前450年頃です。神のおつげと言って恣意的な判断が押しつけられていたところから脱して、体系的なしっかりした法律と法制度が出来たのです。これがあの大帝国を長きにわたって維持することになったばかりか、のちの時代の世界にはかりしれない影響を与えることになっているのです。

こうしたことを頭に置いた時に、パウロの言葉がわかるようになります。パウロは自分たちがとりあえず釈放されたらそれで良いとは考えませんでした。彼は法の定める正義が行われることを要求したのです。

この当時、ローマ帝国の市民権が認められていたのは、原則として帝国の本来の領土であるイタリアの自由人に限られていました。のちに帝国全土の自由人が市民権を得ることになるのですが、それは紀元212年の話で、この時は市民権を持つ人が拡大していく過度期にありました。フィリピの町でパウロとシラスは、「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と言われて告発されたのですが、この時二人はユダヤ人だからローマの市民権は持っていないと見なされていたのです。ところが、パウロは生まれながらにローマの市民権を持っていたのです(参考 22:25)。パウロはイタリアで育ったのではないので、そうするとパウロの父親がイタリアの自由人だったと言う可能性が出て来るのですが、詳しいことはわかりません。パウロはまた「ローマ帝国の市民権を持つわたしたち」と言っているので、シラスもそうだったことになりますが、シラスがどのようにしてローマの市民権を獲得したのかはわかりません。

いずれにしてもパウロは、キリストに従って苦しみを受けることを潔く受けとめながら、一方で国の中で施行される法律をとうとび、法律が定める正義、この場合は彼ら二人に関わる人権が尊重されることを要求したのでした。

パウロは「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」と言いました。これは、ローマ帝国の市民権を持っている者を裁判にもかけずに鞭打ったことは法律違反であることを認めて、公に謝罪すべきだと言うことでした。…高官たちが謝罪したからといって、パウロたちに何か金銭的な補償が与えられるわけではありません。しかし、社会の中で法的な正義が貫かれなければなりません。特にこの場合、高官たちが謝罪することは、この町でパウロたちが受けたようなことが二度と起こされないことにつながります。パウロは、フィリピの町でいま危険な状態に置かれている、少数派のクリスチャンのことを考えていたのです。

その結果ははたしてどうなったでしょうか。パウロの要求を聞いた高官たちは、ユダヤ人がなにを生意気なことを言うか、と言ったでしょうか。そうはなりませんでした。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いてわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだのです。

…ローマ帝国の市民権については自己申告だけでよかったのか、それともカードなどを出して証明したのかわかりませんが。彼らがなぜ恐れたのか、それは先に申し上げた通り、ローマ帝国は法制度がたいへん整った国家でしたから、ローマの市民権を持つ者に対して不法を行ったとなると、今度は高官たちがそのことを告発される立場に置かれてしまうからです。かりにパウロが高官たちを訴えて裁判にもってゆけば、高官たちはその地位を失うことになるかもしれません。

ですから彼らはパウロとシラスのところに来て謝罪し、自分たちの非を認めて、二人が法的な手段を取ることがないよう、いわば穏便に事を治めてくれるよう、頼んだのです。

この時高官たちは二人に対し、町から出て行くように頼みました。高官たちにはもちろん二人を追放する権限はありません。これは、二人の身の安全のために、また二人が町にいることで新たな騒動が起きないようにということでしょう。パウロとしては、一つの町で迫害されたら次の町に行くというのは、前からくり返し行っていたことなので異存がありません。ただ、町を離れるにあたって、自分たちの伝道によって信者となった人たちのところに会いに行って、励ましました。この時、紫布の商人リディアの家はクリスチャンたちが集まる場所になっていました。パウロたちはそこに出向いて、自分たちが釈放されたこと、これから出発するけれど神様の守りと共に法の定める正義があるから大丈夫、安心して信仰に励みなさいと言ったのでしょう。

 

今日、私たち自身もまた教会も法を破ろうとしないよう努めるだけでなく、また法によって守られています。キリスト教を信仰するからといって投獄されたり、教会に石が投げつけられることがないのは、日本国憲法が信教の自由という基本的人権を保障しているからです。

このことは例えば中国のような国でも同じです。よく「中国には伝道の自由がない」と言われることがあります。確かに路傍伝道のようなことは出来ず、多くの問題があるのですが、しかし教会はその場所で伝道することが許されていますし、また誰であれ教会の前でキリスト教に反対したり、無神論の宣伝をすると違法になります。中国の教会も法のもとで活動しているのです。

もちろんどこの国にも法律の不備とか恣意的運用ということがあります。法律が定めていることが、自分の信仰的良心からいってどうしても従うことが出来ないということが起こることもないではありません。そうした場合は改めて、祈りつつ考えなければなりませんが、今日のところで、信仰者は法を尊重すべきことを教えられます。法は神が直接下されたものではありません。しかし神は法を通しても、恵みを与えて下さっているのです。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。神様が今この場所をご覧になっておられ、私たちの礼拝をみこころの中で受け入れて下さっていることを信じ、感謝申しあげます。今日はふだんの私たちの毎日の生活からはいっけん遠いようで、実はこれがなければ私たちの人生もなりたってゆかないような、法についてのパウロたちの態度を学ぶことが出来ました。いま日本には日本国憲法があり、国民主権、基本的人権、戦争放棄を定めていますが、この憲法を守るか変えるかで国論が二分される事態になっています。神様、神様の御導きの下、人類数千年の歴史の中で積み上げられてきた法の精神が今の日本の中でも正しく発揮され、みここばにそった判断と国造りがなされますように。その中で、私たちそれぞれがその人生の中で実践し、追求してきたことが役立てられ、自分の人生はむだではなかったという、主にある希望が与えられますようにと願います。主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。 

 救われるためには youtube  

詩編91:1~3、使徒16:25~34  2019.5.5

                                

使徒言行録はイエス・キリストが地上を去られたあとの弟子たち、すなわち使徒たちの活動を描いた書物です。パウロたちの一行は、マケドニアのフィリピという町に向かいました。安息日に祈りの場所があると思われる川岸に行き、そこで出会ったリディアという女性が最初の信者になりました。これがフィリピ教会の誕生です。リディアは裕福な職業婦人で自宅を提供してくれたので、パウロたちはその家に宿泊しながら伝道しました。しかし、それからまもなく災難に遭いました。それが牢獄の看守とその家族がキリスト者になるきっかけになったのです。順を追ってお話ししましょう。

前回学んだところですが、16節:「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った」。わたしたちと言うのは、パウロとパウロの協力者シラス、パウロの弟子テモテ、そして書き手のルカの4人で、この4人が川岸の祈りの場所に向かっていると占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会いました。この女がパウロたちのあとを追って大声で「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫び続け、それが来る日も来る日も続いたのです。

これは、ちょっと考えると良いことのように思えます。慣れない土地で苦労しながら伝道しているパウロたちを無料で宣伝してくれるのですから、これを利用しない手はないと思う方もあるかもしれません。しかし、それは危険です。もしもこの教会のそばに占い師が陣取って、「教会は素晴らしい、素晴らしい」と言い立てたとしたらどうでしょう。…「あなたと一緒にしないで下さい」と言いたくもなるでしょう。それでも、その人が教会に入って、まじめに救いを求めようとするのなら良いのです。パウロたちにつきまとった占い師は、そうはしませんでした。

パウロはたまりかねて、占い師にとりついた霊に向かって言いました。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」。こうして、この女性は正気に戻ったのです。ところが彼女の主人たちは、金づるがなくなってしまったので、パウロとシラスをつかまえて訴え出ました。二人に罪状がつけられました。「この者たちはユダヤ人で」、自分たちとは違う民族だということで敵意をあおります。…「わたしたちの町を混乱させております」、あいつらのせいでこの町の平和がかき乱されていると言います。…「ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」、社会の秩序が破壊されると非難するのです。

いつの時代でもそうですが、社会の有力者や権力を握っている人は、比較的簡単に、自分が平和主義者であるかのようにふるまうことが出来ます。その一方、この人たちの傘下に組み込まれることをよしとしない人たちは、平和を乱す者にされてしまうことが多いのです。これは国と国との間にも起こり、力の強い国は自国を平和国家と見せかけることがうまく、これに対抗しようとする国は平和を乱す国にされてしまうことがあります。…このような世の中ですから、パウロとシラスがつかまえられ、鞭で打たれて、牢屋に投げ込まれてしまったのも、非常に悲しいことではありますが、ある意味、想定内の出来事だったとも言えます。

 

さて、そういたしますと、その次に書いてあることが不思議なのです。

「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」。

たいへんな時なのですから、二人が神に祈るのはわかります。でも、鞭を打たれたあとがひりひりうずいているというのに、どうして賛美の歌など歌うことが出来るのでしょうか。

そこで、ひとつ質問をしましょう。皆さんは教会にいる時以外のどういう時に讃美歌を歌いたいという気持ちになりますか。どちらかというと嬉しい時だろうと思います。…つらい時、苦しい時には、歌を歌う気持ちなどなくなってしまうと思います。…でもそんな時だからこそ、パウロたちは讃美歌を歌って、神をたたえたのです。

そこには、二人が「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んだ」(5:41)ということもあったでしょう。苦しみの中で、自分たちがキリストの苦しみにあずかり、キリストと一つにされていることを知って喜んだということがあったのでしょう。ただそういうことは、頭では理解できても、実際にそのように生きることはなかなか難しいです。私自身、偉そうなことは言えません。そういう弱い信仰しかないから、主の祈りで「われらを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」と祈ることが、どうしても必要になっているのです。

今の段階で私たちは、このことだけは知っておきましょう。神は幸せいっぱいの人の賛美を喜ばれますが、それよりも、苦しみや困難とたたかっている人の賛美をより多くお喜びになります。そのような人の賛美こそ最もとうといのです。詩編にはそのような賛美の歌が満ちています。

…神は、人がたとえ死の陰の谷を行くときにも、賛美の声を呼び起こされます。それは、つらさも苦しみもみな喜びに変えてしまうほどの力をもっているのです。

  パウロとシラスの賛美の歌と祈りを他の囚人たちも聞き入っていました。普通なら、夜中でもありますし、他の囚人たちから「うるさいぞ」と怒鳴られても仕方がないのですが、彼らは怒鳴るどころか、聞き入っていたのです。その中には殺人犯もいたと思うのですが、彼らの氷のような心をもとかしていったのです。パウロとシラスの賛美の歌や祈りを通し、聖霊がその場に満ちていたのでしょう。ここに世界の王であるキリストの権威が現れていたといっても過言ではありません。

そんな時です、突然、大地震が起こりました。牢の戸がみな開き、囚人をつないでいた鎖もみんな外れてしまいました。目を覚まして、牢の戸が開いているのを見た看守は、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしました。…大地震はもちろんこの看守が起こしたものではありません。しかしこの時代は、たとえ何が起こったとしても囚人が逃げてしまえば、その責任は看守にあるとされ、重い罰が待っていたはずです。……けれども、危ういところでパウロが止めました。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。…看守は、驚きと恐れに打ちのめされて尋ねました。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。パウロたちは答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

この問答の本質は何でしょうか。まず、看守が「救われるためにはどうすべきでしょうか」と言ったことの真意ですが、これは自分を死刑から救って下さいという意味ではありません。地震が起きた時、囚人たちは看守の予想に反して脱走しなかったのですから、看守は責任を問われることはないのです。

そうではなく、この人は、死を決心して、剣に手をかけるというまさに極限の状況から急転直下解放されたために、ふだん考えることのなかった魂の救いを真剣に求めるようになったのです。こういう経験はなかなかないのかもしれませんが、皆さんの中でもしも、死の一歩手前で危うく助かったという体験をした方がおられたなら、その意味がおわかりだと思います。あるロシアの文学者は、死刑判決を受けて柱にしばりつけられ、銃口が向けられ、まさに銃殺される直前に皇帝からの恩赦の命令が出て助けられました。その体験がこの人の心を永遠なるものへと向けたと言われますが、この看守が体験したのもそれと同じです。

死から生へ、極限のところで命拾いした看守の目に、パウロとシラスの姿が驚くべきものとして映りました。二人は、自分たちを牢に閉じ込めて苦しめている看守の命さえ尊重しています。牢の扉が開いたのに囚人たちが脱走しなかったのも、二人の感化があったからでしょう。看守は、パウロとシラスの背後に確かに働いている、この世にはない力にふれました。ここにおいて、この人の人生は根底から転換することになったのです。

「救われるためにはどうすべきでしょうか」、これに対するパウロとシラスの答はこうです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

まず前半部分ですが、「主イエスを信じなさい」と聞いて、「信じれば良いのでしょう。なんだ、簡単なことじゃないですか」と片付けてはなりません。ひとつのことを信じることだって簡単ではないのです。

たとえば私たちが誰かを信じると言っている時、その言葉が確かなものであるかは大きな問題です。もしもある人にあなたを信じると言っておきながら、別な人にも、また他の人にも、つまり誰にも同じことを言っていたとしたらどうでしょう。口で主イエスを信じると言ってはいても、この世のさまざまな誘惑に心を引かれ、そちらも信じているようでは、本当に主イエスを信じていることにはなりません。たとえ他の人がなんと言おうと、自分は最後まで信じぬいていくということなしに、軽々しく主イエスを信じると言ってはならないのです。ですから、「主イエスを信じる」ということの背後に、イエス様に自分の魂を預ける、自分の人生を預けるという厳粛な決断がなければなりません。信じれば良いんだろう、ということではないのです。

 では、主イエスを信じたとき、どうして家族も救われると言うのでしょうか。この部分を誤解している人がいます。自分がイエス様を信じたら、お父さんもお母さんも兄弟も姉妹も、夫も妻も子供も自動的に救われると期待して読んでしまうのですが、実際にはそううまくは行きませんから、これは自分の信仰が足りないからじゃないかと悩んだりするのです。

 ここで「家族」と訳されている言葉ですが、これは原文では「あなたの家」となっていて、あなたが作る家族を意味しています。自分より年長の両親とか、兄弟とかはそこに入りません。あなたの妻、夫、息子、娘のことをさしています。しかも、パウロたちの答を直訳すると、「主イエスを信じなさい。そうすれば、救われます。あなたもあなたの家族も」となります。…「主イエスを信じなさい。そうすれば、救われます。あなたもあなたの家族も」。つまり、あなたが主イエスを信じれば救われます。あなたの家族も主イエスを信じれば救われますということです。「主イエスを信じなさい」と言われているのは、あなただけではない、あなたの家族も、と言うことです。

 ですから、この答えを聞いて喜んだ看守は、夜中であったのに家族をたたき起こして連れてきたのです。みんな一緒に、パウロとシラスから主イエスの言葉を聞きました。そしてすぐに洗礼を受けました。こうして神を信じる者となったことを、ともども喜んだのでした。

 今日のお話に出て来る看守は、死の一歩手前から生還した時に信仰を求めました。ただ、誰もがこんな経験をしなければならないのではありません。平穏な生活をする中でも、この人の体験を追体験することは出来るはずです。

ここに出て来る看守の家族は、お父さんが信じたからと言って、芋づる式に信者になったのではないでしょう。このお父さんが死の淵から奇跡的に生還したことを驚き、喜び、感謝しながら、いったい何がお父さんを救ったのかと思ったのでしょう。お父さんの方では積極的に家族を信仰に導こうとし、家族はそれに応えたのです。…人が信仰を持つのは神のイニシアチブの中で起こります。しかし、その中で自分から求め、決断することもなくてはなりません。看守は真剣に救いを求め、パウロたちから答えを与えられて、どこまでも主イエスを信じてゆこう、この方に人生をかけてゆこうとしました。同時に、愛する家族にこれを勧め、家族はそれに応えて、イエス様を主とする家庭を築いたのです。

牢獄の中で賛美の歌を歌っていたパウロたちのように、またこの看守のように、私たちが言葉の本当の意味で主イエスを信じるなら、この信仰は必ずまわりの人に受け継がれてゆくに違いありません。私たち(、特に教会の会員)にとって、家族への伝道がいかに大変かということは身にしみてわかっていることです。しかし、家族を愛するなら、あきらめずに続けてゆきましょう。「神を信じる者になったことを家族ともども喜ぶ」日が来ますようにと願います。

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。今年のイースターを喜びの内に迎え、さらにいま神様のみもとにおられる召天者たちを記念して、新しい思いで信仰の歩みを始められたことを心より感謝いたします。

今日のお話で、投獄されたパウロとシラス、囚人たち、また牢獄の看守、いずれも苦しみの極にあったはずです。しかし地震が起こった時、パウロもシラスも囚人たちは逃げ出さず、死の淵を覗いた看守は家族ともども信者となりました。この世界の暗闇の中に天から光が射しこんできたことを思い、これと同じ光が、私たちをこうして主イエスの体である教会に集めて下さったことを喜び、神様を賛美いたします。

神様、日本の国は元号が平成から令和に代わり、新しい天皇になって時代が変わったかのように信じている人も多いのですが、私たちは天皇の上にイエス・キリストがおられることを信じつつ、微力ながらもこの国の正しいあり方を求めて行きたいと思います。どうか日本中の教会が、この国の中で神様からいただく灯を灯しつづけ、信仰、希望、愛によって争いや悪意、偶像崇拝、またそれらによってもたらされるものに打ち勝たせて下さい。とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

リツパの愛に動かされ  youtube

 

Ⅱサムエル21:1~14、Ⅰコリント15:3~5 2019.4.28

 

 今日のお話は、今からおよそ3000年の昔、サウル王の死後、イスラエルの王となったダビデがその国を治めていた時代に起こっています。この中には私たち現代人が理解しがたいことが書いてありますが、それはこの出来事の当事者にとっても同様であったように思います。三年続きの飢饉にあえぐ民、皆殺しになりかけたギブオン人、たいへん難しい選択を迫られたダビデ王、処刑された7人、自分の子を殺されたリツパ、誰もが「どうしてこんなことが」と叫ぶしかないところに追い込まれてしまっています。不条理をその身に受け止めた人々のことを考えると言葉もないほどですが、その中でリツパを中心に見てまいりましょう。

 

 ことの起こりは、イスラエルの国に3年続けて飢饉が起こったことです。私たちは今でこそ食べたいだけ食べものを食べているので想像しにくいのですが、今日でも貧しい国々で、食べ物が手に入らないために多くの人が命を落としています。飢饉というのはたいへんなことなのです。ダビデ王は飢饉が3年も続くことに異変を感じ、ここには何か主なる神のみこころがあるのではないかと思って、託宣を求めたのでしょう。すると、「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」という答えが与えられました。

 ここで、ギブオン人について説明いたします。彼らはイスラエルの中で合法的に生活していた異邦人でした。その理由はヨシュア記9章に書いてあります。エジプトを脱出したイスラエルの民が、40年の荒れ野の旅を経て、カナンの地に入ってきた時のことです。エルサレムの北西10キロあたりに住んでいたギブオン人は、イスラエルが自分たちを滅ぼしてしまうことを恐れて、計略をめぐらしたのです。

 ギブオン人の使いはぼろぼろの服を着て、指導者ヨシュアの前に来ると、こう言いました。「私たちは遠い国から歩いて来たので、服がぼろぼろになってしまいました。あなたがたのことは伝え聞いています。どうか私たちと協定を結んで下さい。」ヨシュアはこれを信じて、協定を結んだのですが、その3日後、彼らがすぐ近くに住んでいることを知りました。しかし、彼らを討伐することは出来ません。主なる神の前で彼らの命を保証する協定を結んでしまったので、もはやこれを破棄することは出来なかったのです。

 こうしてギブオン人はそれ以来、イスラエルの民の間で、命を保証されて生きぬいてきたのです。

そのギブオン人をサウル王が「イスラエルとユダの人々への熱情の余り」、討とうとしたことについては諸説ありますが、ノブという町で起こったことが有力視されています。

聞いていて下さい。「サウルはその日、亜麻布のエフォド(祭司の服装です)を身に着けた者八十五人を殺し、また祭司の町ノブを剣で撃ち、男も女も、子供も乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけた。」サムエル記上22章18節と19節です。サウルは神から命令を受けてギブオン人を討ったのではありません。このことは、神のみ前でイスラエルの民とギブオン人が結んだ協定を破ったことになります。明らかに契約違反でした。

 ギブオン人は小さな、力の弱い民ですから、この大虐殺に対して復讐することはもちろん、抗議の声を発することも出来ないままで来たのでしょう。ということは、3年間の飢饉は、神がものいえぬ人々に代わってそのみこころを示されたということになります。…かつてカインが弟アベルを殺した時、神はカインに向かって、「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(創世記4:10)と言われましたが、同じようなことが起こったのです。

 果たして、ダビデがギブオン人を招いて、問いかけたところ、彼らはサウル王とその一族に、怨念と言ってもよい思いをいだいていたことが明らかになりました。「あなたたちになにをしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか」というダビデに対して、ギブオン人は「あの男(サウル)の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」と答えたのです。皆さんはこれを聞いて、なんと残酷なと思われるかもしれませんが、現代人の感覚で昔の人々の思いを判断することは難しいです。ギブオン人にとってみれば、大虐殺に対して、ただ7人の死によって赦しましょうということですから、最大限譲歩したつもりだったのかもしれません。

 彼らの言葉の中に主が出て来ます。「わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」ここでは彼らが、自分たちがしようとすることが主なる神のみこころにかなったものであると信じていたことがわかります。この時、主なる神は沈黙されたままでおいででした。神様のなさりようはわからなくとも、今はただこれを受けとるしかありません。

 この時、ダビデ王は苦渋の決断を強いられました。王は自分だけ安全地帯にいたのではありません。自分の好みで事を決断したのでもありません。それはダビデがサウルとその一族を大切に思っていたからです。

ダビデがサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しんだことが書いてありますが、それはこの人だけ助かればあとの人たちはどうでも良いということではありません。ダビデとサウルの子ヨナタンは、古来友情の模範として讃えられてきたほどの親友同士で、二人の間には主なる神の前で立てた契約があったので、ダビデはその約束を重んじて、今は亡き親友の忘れ形見を守ろうとしたのです。

 聖書を貫いているのは、契約という考え方です。神と神の民との間で契約が成立します。契約を結んだ民は神の守りを受けますが、そのためには信仰が要求されます。人間はしばしば神との契約を破って、他の神々・偶像の元に走りますが、神は契約を反故にすることはありません。ギブオン人が置かれた苦しみを三年続く飢饉によってダビデに知らせたのも、イスラエルの民に、神の前で結んだ契約を重んじることを教えられたのだと言うことが出来るでしょう。これに応じるように、ダビデもヨナタンとの契約を思い起こし、メフィボシェトの命を救うと共に、ギブオン人の要求も認めたのです。

 

 しかし、この結果として7人の人たちが犠牲になってしまいました。…7人のうち二人は、サウルとリツパの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィポシェト、あとの5人はサウルの娘ミカルとアドリエルの間に生まれた5人の息子となっています。(大きなことではないのですが、ミカルについてはサムエル記下6章23節に「ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた」と書いてあります。またサムエル記上18章19節には、ミカルの姉メラブがアドリエルと結婚したと書かれているので、ミカルは間違いで姉のメラブだと考えられます。)いずれにしてもサウルの7人の孫たちは、木にかけられ、さらし者にされて殺されてしまいました。この人たちは、ギブオン人の虐殺に関して手を染めていなかったでしょう。だから、自分たちがなぜこういう目にあわなければならないのか、本当のところはわからないまま息絶えたのです。契約を守るというのは、これほどに重いことなのかと思わされます。

 こうして、ようやくリツパのことになります。サムエル記下の3章に、リツパはサウル王の側女であったと書いてあります。さらにサウル王の死後、アブネルという人とリツパが不倫関係になったことが書かれており、このことではリツパに同情出来ないのですが、彼女の息子たちが殺された時の行動が書き留められ、語り継がれることになりました。

 リツパには7人の命を救う力はなく、その死に際して彼女が嘆き悲しんだことは言うまでもありません。何の罪もない、愛する子供たちが最も恐ろしい、残酷な方法で殺されてしまったのです。なぜこんなことになったのか、そこにどういう意味があるのか、死んだ子供たちの人生とは何だったのか、リツパはわからなかったでしょう。しかし、母親としての愛は彼らが死んでも揺らぎません。7人が木にかけられた場所は岩の上にあり、身の毛がよだつような光景だったはずですが、彼女はそこを離れることをせず、荒布を置いて住み始めます。遺体をそのまま放っておけば、昼間、空の鳥がやってきて、目を突っついたり、肉を食べようとするでしょう。夜は夜で、野の獣が来るでしょう。リツパは、屈辱的な死をとげた7人が、動物たちによってさらに屈辱を受けることに耐えられません、せめて遺体を守ろうとしたのです。ハゲタカが来ても、ハイエナが来ても追い払います。棒で追い払ったのか、刃物を使ったのか、それとも火を使ったのかわかりませんが、それは自分の命もかえりみずに行われた行為でした。…ギブオン人は敵意のこもった目で見ていたでしょう。落ち着いて寝ることも出来ません。睡魔とも闘わなければなりませんから。そういうことが毎日続きました。彼女はこのことを収穫の初めのころから雨が天から降り注ぐころまで、おそらく半年もの間、続けたのです。

 これが私たちだったら、ハゲタカを見るだけで震え上がってしまうでしょう。リツパだって怖かったはずですが、死んだ子供たちを思う思いが恐怖に打ち勝たせました。それは7人がかつてこの世に生きていたということを消し去ってはいけない、決して忘れてはいけないということだったと思います。

 やがてリツパのしたことがダビデ王に報告されます。するとダビデは心を打たれたのでしょう、以前、戦いの中で死んだサウル王とその子ヨナタンの骨を受けとりに行きました。二人の骨は野ざらしのままだったようです。さらに人々は、さらし者になっていた7人の骨を集めました。こうしてサウルとヨナタンと7人の骨はまとめて、サウルの父親の墓に丁重に葬られることになりました。リツパの行動はこうしてダビデ王を動かし、加えて人々をも動かしたのです。

 14節の「この後、神はこの国の祈りにこたえられた」、これは、それまでずっと事のなりゆきを見ていた主なる神がついに怒りを解き、雨を降らせ、飢饉を終わらせたことを言っています。イスラエルの国に平和がもたらされました。

 さて、ここからは推測になります。ギブオン人はリツパの行動をどう見ていたのでしょうか。…ギブオン人が7人の処刑によって恨みをはらし、そのことで喜んだのは確かです。その彼らから見ると、サウルの身内であるリツパがしていることは余計なこと、いまいましいことであったに違いありません。しかし、彼女を力づくで止めることも、7人の骨が丁重に葬られることも妨害しませんでした。ということは、ギブオン人もリツパの行動で心を打たれ、積もり積もった怒りがまるで氷が溶けるように溶けていく、そんな思いをいだいたのでしょう。「私たちはつらかったけど、あなたもつらかったのですね。」…こうして虐殺を行った側の人間であるサウルの一族・イスラエルの人々と、虐殺されたギブオン人が互いに赦し会い、和解が達成されたのだと考えられます。

神様がこの国の祈りにこたえられたというのは、そのことを喜ばれたことの結果だったように思われます。

 今日のお話はあまりに悲惨なことでありまして、私たちが生きている世界とはかけ離れていますが、ここで集中的に示されたことが私たちに教えていることがあると思うのです。

 その一つは罪のない人が殺されたことが示していることです。ギブオンの人々もサウル王の7人の孫たちも非業の死を遂げましたが、このような罪のない人々の犠牲はイエス・キリストにおいてきわまっています。イエス様も木にかけられて殺されました。なぜこうなったのかということは説明しがたいのですが、しかし神様はこのことを忘却させることをせず、イエス様を復活させられました。…ここから推測されることは、殺されたギブオンの人々もサウル王の7人の孫たちも忘れられることはなかった、彼らはいま天で、神のみもとで生きているだろうということです。

 そしてもう一つ、リツパの行動は自分で意図していたかどうかわかりませんが、神のなさりようを体現することになりました。死者は決して冒涜されてはなりません。遺体を守るということは、死者の記憶を消してしまわないということであり、彼らが世に生きた証しを残すということにほかなりません。

 

 私たちはいま、この礼拝で召天者の方たちを記念しています。この人たちはもちろん残酷な方法で殺されたのではありません。自分の充実した一生に満足して死んで行かれた人もいるのかもしれません。しかし、死がすべてを覆っているように思われるこの世界の中で、やはり誰も何もしなければ、その人が生きていたことさえ忘れられてしまう可能性があります。いま生きている者たちが召天者のことを記念し、思い出さないならば、誰がその務めを担うのでしょうか。遺体や遺骨を重んじること、墓に葬ること、墓を訪ねること、墓前で礼拝することなど残された者たちに与えられていることを自覚したいと思います。私たちがまごころからそのように行う時、それは私たちを生かし、他の人々の心をも動かすことでしょう。そうして、ついには神様が祈りにこたえられるのを見ることになるのです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。いま召天者を記念する礼拝の中で、すべての命の源である神様を呼び求めます。どうかこの場所で、神様が召天者の方々に語られたみ声を聞かせて下さい。召天者の方々が私たちの目の前から取り去られたことは、本当に悲しいことでしたが、この方たちが死に直面して何の望みも持たない人たちのようにではなく、永遠の命を受ける喜びの中にあったことを思い、感謝いたします。どうかこの方々の生き方が、あとに残された私たちの中で受け継がれてゆきますように、私たちが生きている限り、この方々を記念し続けることが出来ますように。また私たちもこの方々にならって、死においてもとぎれることのない命を生きる者とさせて下さい。

召天者のご遺族を特にかえりみ、慰めと励ましを与えて下さい。この祈りを主イエス・キリストのみ名によっておささげいたします。アーメン。

 わたしの主、わたしの神よ youtube

詩編86:11~13、ヨハネ20:24~29 2019.4.21

                  

 今日お話しするのは、イエス様の12人の弟子の一人であるトマスさんです。トマトでもナスでもありません。その中間のトマスさんです。トマスというのはユダヤの言葉で双子という意味があります。ギリシャ語ではディディモです。トマスさんは双子のお兄さんだったのか、弟だったのかはわかりません、ちゃんとした名前があったのかもしれませんが双子と呼ばれていました。…トマスという名前はその後、英語でトムになりました。トム・ソーヤーとか、トムとジェリーとか、トマスさんのように立派になって、という願いを込めて名づけられたのでしょう。

 このトマスさん、どういうきっかけでイエス様の弟子になったのかは聖書に書いてありません。ただ一つ言えるのは、イエス様のことをたいへん尊敬し、慕っていたということです。

 ベタニアという村にイエス様ととても親しくしている家族がありましたが、その家のラザロさんという人が病気になって、死んでしまいました。イエス様はそのことを聞いて出かけようとしました。すると弟子たちが心配して言うのです。「先生、行くのはよしましょう。ベタニア村には先生の命を狙っている人がいて危ないです。」その時、トマスさんがこう言ったのです。「一緒に行こう。私たちも先生と一緒に死のうじゃないか。」トマスさんがイエス様をどれほど大事に思っていたかがわかりますね。

 トマスさんにとって衝撃だったのは、イエス様がこともあろうに十字架につけられてしまったことでした。先生が殺されてしまうなんて、そんなことがあっていいのか、と思ったのです。しかしその時、自分にも腹を立てました。「私たちも先生と一緒に死のうじゃないか」と言った張本人が、イエス様がつかまった時、怖くなって逃げ出してしまったのですから。悲しいやら情けないやらで、トマスさんはたいへんに落ち込んでしまいました。

 それから三日たった日曜日の朝のことです。女の人たちがかけこんできて、口々に「イエス様が生き返った」、「イエス様にお会いした」と言うのです。男の弟子たちは、あまりのことに誰も信じることが出来ません。トマスさんもそうでした。「そんなばかなことがあるか。イエス様は死んだんだ。僕ははっきり見たんだ。」と思っていたのです。

 トマスさんは何もかもいやになってしまったようです。そのまま外に出て行ったのですが、戻ってくると大騒ぎになっていました。トマスさんが留守の間、弟子たちが一緒に集まっているところにイエス様が現れたというのです。みんな大喜びで、「本当にイエス様は復活された」と言っています。イエス様が復活されたなんて、トマスさんにはとても信じられません。

…もっとも、信じられないのにはもう一つの理由があったと思います。自分がいない時にこんな大事件が起こったというのが癪でした。「そうか、よかったね。」と言おうとしたトマスさん、急にひねくれてしまいました。「イエス様が生き返ったなんて、そんなことがどうして信じられるの。みんな夢でも見ているんじゃないか。」「いやー、僕たちもびっくり仰天だったけど、本当にイエス様だったんだ。」「じゃあ聞くけど、イエス様の手に十字架で釘付けされた傷跡はあったかい?わき腹を槍で刺された時の傷跡はあったかい?」「あったとも、この目で見たんだ。」トマスさんは言い返しました。「僕は信じないぞ。この目でイエス様の手の傷跡を見て、この指を突っ込んで、それからこの手をわき腹の傷に突っ込むまでは、絶対信じない。」トマスさんはますますむきになって言い張るのでした。

 皆さんはトマスさんのこうした言葉をどう思いますか。トマスさんはものごとを科学的に、合理的に考えることができる人です。でもその心は固い扉で閉ざされていました。人間死んだらおしまいだ、イエス様だって死んでしまえばあとは何もないんだ、としか考えられなかったのです。

 それからちょうど一週間あと、イエス様はもう一度弟子たちの前に現れて下さいました。今度はその場にトマスさんもいました。イエス様はトマスさんにこう言われました。「あなたの指をここにあてて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわき腹に差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

 まさかイエス様が本当に現れるなんて、それだけでも大変なことなのに、トマスさんは、自分がしゃべった言葉がみんなイエス様に聞かれていたのだと知って驚きました。でも、それより驚いたことは、イエス様が自分のことを愛して、心にかけて下さったことです。「イエス様がいちばん大変な時に自分は逃げ出してしまった。そんなふがいない僕の前に、イエス様はわざわざ現れて、あたたかい言葉をかけて下さった」、もう感謝しても感謝しきれません。トマスさんの心はイエス様へのあふれる思いでいっぱいになりました。

 トマスさんはもう、イエス様の傷あとに指をつけることはしません。「わたしの主、わたしの神よ」と言ったまま、涙に暮れて、イエス様の前にひれ伏しました。これは、「イエス様ごめんなさい。あなたは私の救い主です。それだけでなく私の神様です。」ということなんですね。…トマスさんはユダヤ人でしたから、それまで天の神様以外に神様はいないと思っていたのですが、いまイエス様も神様であることに気づいたのです。

これはすごいことでした。トマスさんは、イエス様の前を逃げ出し、迷い、疑い、反発した末に、イエス様が救い主であるだけでなく神様であられるということを発見したのです。

 いまここにいる私たちみんな、復活したイエス様に会ったことはありません。むかしイエス様が復活されたと聞いても、そんなことがあったのかなと思っているかもしれません。でもイエス様の復活は、確かな証人がいるのです。それがイエス様の弟子たちです。イエス様はこの弟子たちの前に現れて下さいました。復活を信じなかったトマスさんにも現れて下さり、トマスさんもこのことを信じたのですから、私たちも信じることが出来るのです。

 トマスさんはその後、どんな遠いところにも出かけていってイエス様の復活を伝え、教会を建てて行きました。インドの最南端のケララ州というところには、今もトマスさんが始めたという教会があって、日曜日ごとに礼拝しているそうです。…トマスさんの一生は手に汗握る大冒険の連続だったと思いますが、トマスさんをそこに連れていったのが、復活したイエス様との出会いでした。イエス様を「わたしの主、わたしの神よ」と告白したトマスさんは、実にその言葉にふさわしい立派な勇気ある人生を歩んだと言うことが出来るでしょう。

 このトマスさんがつかんだ信仰が、皆さん一人ひとりの上にありますように。

 

(祈り)

 天にいます父なる神様。イースターの礼拝に私たちが集められ、イエス様のご復活を喜び合うことが出来たことを心から感謝し、神様を賛美いたします。イエス様は今も生きておられます。死という恐ろしい力を神様は打ち破られ、神様が死よりも強いことを世界の人々の前に示して下さいました。何とすばらしいことでしょう。

しかし、そのことを素直に受け取れない気持ちが私たちの中に残っています。イエス様の復活があまりに素晴らしすぎるので、かえって信じられないのです。そんな私たちでも信じることが出来るようにと、復活されたイエス様はトマスさんを初めとする多くの人たちの前に現れて下さいました。神様、私たちの心の中から疑いと迷いを取り去り、神様のなさったことを素直に信じる心を与えて下さい。そうして弱い、元気のない心に、力と勇気とを与えて下さい。こうして私たちみんなが、明るく幸せな、いのちの道を歩むことが出来ますように。

 いまここに出席している子供たちのために祈ります。どうかこの子供たちが神様の御守りの中、復活されたイエス様に導かれ、すこやかに成長していくようにと願います。

とうときイエス様のお名前によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

   成し遂げられた youtube 

 

詩編22:28~31、ヨハネ19:28~30 2019.4.14          

                              

 今日は主イエスがエルサレムに入城された記念の日で、この日から受難週が始まります。日曜日に人々の熱狂的な歓迎の中をエルサレムに入られた主イエスは、それから5日後に十字架につけられてしまうのです。人々がたった5日の内に、大歓迎から一挙に「十字架につけろ」と叫ぶまでになってしまうだろうか、イエス様はエルサレムにもっと長くおられたのじゃないかと考える人もいるのですが、どうでしょうか。エルサレム入城から十字架まで、すべて過ぎ越しの祭りの間に起こっています。過ぎ越しの祭りはエゼキエル書45章21節によれば7日間祝うように定められており、今日のユダヤ人まで受け継がれていることを考えると、やはり5日の間に事態が急展開したことは確かだと思われます。

 今日は主イエスが十字架上で息を引き取られたところを学びます。

 十字架はいうまでもなくキリスト教信仰の中心に位置しています。パウロは、「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています」(Ⅰコリ1:23)と語ります。これを言いかえると、世界には富を求める国民、知的なものを求める国民、また個人のささやかな幸せを求める国民などいろいろあるでしょうが、教会は十字架につけられたキリストをこそ宣べ伝えているのだ、ということになるのです。

 十字架は古来数知れない人々をつまずかせてきました。そんな残酷なもの見たくないという人もいれば、キリストが神の子なら十字架から降りて来れば良かったのにという人もいるのですが、教会はそれでも十字架を語り続けていかなければなりません。

 今日与えられた箇所は、ご受難の物語の中でもクライマックスのように思っている方がいるかもしれませんが、そのような興味、関心から見て行くと肩すかしになりそうです。ヨハネ福音書の場合、ここはたいへんな簡潔に書かれています。主イエスの死のありさまを目に見えるように書くということではなく、主イエスの言葉を中心にして、そのことの意味を語ろうとしているように見えます。十字架上の主イエスの口から発せられた言葉が4つの福音書に合計7つあるのですが、その内の2つが今日の箇所にあります。その意味を考えたいと思います。

 主イエスは33歳、もしくは34歳という若さで、しかも十字架刑という最も残酷な刑を受けて亡くなられました。それを見て、私たちはとかく、こう考えるものです。イエス様は無念だったでしょう。人生でやり残したことがたくさんあったでしょう、と。

 私たちのまわりでは、十字架につけられた人はもとより、死刑になった人もいないのではないかと思いますが、でも若くして世を去られた人のことなら思い浮かべることが出来るでしょう。その人がどんな思いで死んでいったかと考えると、涙が流れそうになるものです。…もっとも90歳、100歳という長寿をまっとうした人であっても、自分の人生に満足して死んでゆける人がどれだけいるのか、ということもあります。そういう人は確かにおられますが、やはり無念の思いをかかえたまま、また、もう時間切れだからしかたがないと、あきらめの境地の中て死ぬ人も多いはずです。ところがヨハネ福音書には、死を目前にした主イエスの口から、そのような無念の思いを現わす言葉は見つからないのです。

 むろん主イエスの中に、十字架につけられることに対する葛藤がなかったわけではありません。ヨハネ福音書には見当たらないので、他の福音書にあたることになりますが、主イエスはその前の晩、ゲツセマネにおいて「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」(ルカ22:42)と祈っておられます。イエス様としても、十字架につけられるのは本意ではなかったのです。また十字架上で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれたことは有名ですね。私たちの想像も及ばない極限状況の中、イエス様は激しい叫び声をあげ、涙を流しなから、父なる神に苦しみを訴えておられます。では、主イエスはそのような状況で息を引き取られたのでしょうか。父なる神様とこの世に恨みを残されたまま亡くなられたのでしょうか。そうではなかったことを、私たちは見ているのです。

 

 28節は告げます。「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。」30節でも「成し遂げられた」と言っておられます。

 この部分を口語訳聖書はこう書いています。「そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、『わたしはかわく』と言われた。」30節の主イエスの言葉、「成し遂げられた」も、口語訳では「すべてが終った」となっていました。原文では28節も30節も、同じ言葉を使っています。

 「万事が終った」でも「すべてが終わった」でも間違いではありません。ただ、この訳では誤解を招いたのではないでしょうか。「万事休す」のように受け取られただろうからです。そこには、もう何も残っていない、打つべき手はすべて打ったが事態はもう動かない、刀折れ矢つきもう最後だという響きがあります。特に信仰を持っていない人が口語訳聖書でここを読んだ場合、あのイエス様も最後はこうなってしまったのかと受け取ったように思います。そこからあきらめの境地まではすぐです。

 しかし、この「終った」という言葉が新共同訳で「成し遂げられた」になったのは良いことでした。ギリシア語と日本語はやはり違うのですね。原文にあるもともとの言葉を辞書で引くと、「完成する、全うする、成し遂げる、成就する、終える」となっています。終ったということは完成したこと、成し遂げられたことです、ここに、私たちの上に新しい発見がもたらされました!

 ですから主イエスにとって、すべてが終ったというのが、すなわち成し遂げられたということにほかなりません。これは達成感とか満足感といった言葉で片付けることができない、それ以上のことです。

 では、その中身は何だったのか、このことは二つの面から言い表すことができます。…一つが、主イエスご自身が受けるべき苦しみをあますことなく受けたということです。…そしてもう一つが、主イエスが地上においてなすべきことをすべてなさったということです。

 こうしたことについて、聖書に何か所か書いてある中でフィリピ書2章6節以下を読んでみます。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」…人間の姿となったキリストは十字架の死に至るまで、父なる神に対して従順でしたが、これがついに完結しました。苦しみをあますところなく受けられました。そして、この地上で罪人(つみびと)たちのために果たすべきみわざをついに完成させられたのです。

 それではこの時、主イエスが「渇く」と言われたのはどうしてでしょうか。

 

 74年前、広島に原爆が投下された時もそうでしたが、死を前にした人は「水、水」と叫ぶものです。主イエスも、血が流れたまま十字架上に6時間もおられたわけですから、それと同じ状態だったことは十分に考えられます。

 主イエスが「渇く」と言われた時、これを聞いた人が酸いぶどう酒を主の口もとに差し出しました。安物のもう酸っぱくなっているぶどう酒です。これを差し出した理由について、いろいろな説があります。のどの渇きをいやすためという当然の理由のほかに、苦しみを和らげるためにというのがあり、またそれとは逆に、十字架につけられた者は気絶することがあるので、気絶しないよう、きちんと苦しみを味わわせるためだったというのもあり、相互に矛盾した説明がなされています。

 この酸いぶどう酒について、私には経験があります。びんの中に残っていたワインを冷蔵庫に入れないでおいたところ、すっぱくて、とてもひどい味になってしまいました。酸化防止剤が入ってないワインだったのです。少しだけ飲んで、腐ったかと思って捨ててしまったのですが、この説教を作っている時に初めて、飲んでも害はないことを知りました。でも、こんなひどい味のぶどう酒を人に勧めることは出来ません。これが十字架の苦しみを和らげることができたという説は、自分の経験から言ってちょっと信じられません。

 主イエスが「渇く」と言われたことで、詩編69編4節の「叫び続けて疲れ、喉は涸れ」という言葉が実現しました。また酸いぶどう酒が差し出されたことで、同じ詩編69編22節、「人はわたしに苦いものを食べさせようとし、渇くわたしに酢を飲ませようとします」も実現しました。もっともそこには、のどのひりひりするような渇きや、人々が無情な仕打ちをしたこと以上の深い意味があるように思われます。…主イエスは18章11節で「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は飲むべきではないか」とおっしゃっています。主イエスにとって父がお与えになった杯とは苦しみです。…いま主イエスは、父なる神から賜った十字架という杯を一滴残らず飲みほそうとされています、そのことを「渇く」ほどに追い求めておられる、そうした父なる神への積極的な従順がここで示されています。

 実はマタイとマルコの福音書には、主イエスが十字架に釘打ちされる直前、「没薬を混ぜたぶどう酒」が差し出されたことが書いてあります。主イエスはそれをお受けになりませんでした。「没薬を混ぜたぶどう酒」というのは酸いぶどう酒ではありません。死刑囚の痛みを麻痺させる効果のあるものだそうです。これを主は拒否なさった。十字架の苦しみを最後の一滴まで飲み干すために、苦痛を軽くする飲み物を拒否なさったのです。その延長線上に酸いぶどう酒を飲むこともあったのでしょう。苦しみをさらに増すような飲み物ですから、受け入れられたのだと思います。

 

 主イエスは酸いぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られました。「成し遂げられた」の意味は先ほど見た通りです。こうして、主イエスの人生は死によって完成しました。このあたりのことをイザヤ書53章はすでに預言していました。10節以下、「彼は自らを償いの献げ物とした。主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。

彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。」詩編22編の最後の部分も、イエス様の死によって始まる新しい時代を伝えているように思います。「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来たるべき代に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう。」

 なお「息を引き取られた」というところで、「息」は「霊」と、つまり聖霊の霊に訳すことも出来ます。また「引き取る」は本来「渡す」という言葉です。日本語ではほかに訳しようがないので「息を引き取られた」となりましたが、文語訳聖書では「霊をわたし給ふ」となっており、こちらの方が原文の深い意味をくみとっていると思います。主イエスはご自分の霊を父なる神にお渡しになって死んでゆかれたのです。

 私たちが主イエスのように、「成し遂げられた」と言って死んでゆくことはとうてい無理のように見えます。だいたい、人生において誇るべき業績があるかどうかもわかりません。しかし私たちが主イエスを信じて、神の子として生きぬいていくなら、…そこに近づいていく道があると思うのです。その意味で、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われた者には神の力です。」(Ⅰコリント1:18)

 主イエスの最後の闘いが、私たちの生きる力となり、ほかのなにものにも代えられない支えとなりますように。

 

​(祈り)                                             

主イエス・キリストの父なる御神様。主のご受難を記念するこの日の礼拝に、私たちを集め、みこころを聞かせて下さいましたことを心から感謝申し上げます。

今改めて、主イエスのお苦しみを深い悲しみと驚きと感謝とをもって聞くことが出来ました。イエス様にあれほどのことを強いてしまったことを思い、ひざまずいて、ただ罪を悔い、主の恵みにすがります。世界の中心に十字架が置かれ、主がすべての人のために、そして私たち一人ひとりのためにとうとい命をささげられ、究極の苦しみを受けて下さったことに対して、私たちはあまりに無関心でありました。どうか言い尽くせない主の恵みをむだにするのではなく、繰り返し十字架に立ち返ることによって、神のみ子イエス様をますます深く心に刻み、今日から始まる毎日を新しい思いで歩ませて下さい。

神様、今の日本ほど、神様の言葉が必要とされている国はありません。この国が神の言葉によって新しく立てられるために、今日、全国の教会で行われている主のご受難を記念する礼拝を祝し、神様の栄光を輝かせて下さい。

主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

 イエスの愛にとどまりなさい  youtube

サム下6:12~15

ヨハネ15:7~17          

                              2019.4.7 

 受難節第五主日礼拝にあたる今日お読みしたのは、イエス・キリストの告別説教と呼ばれているところの一部で、15章は「わたしはまことのぶどうの木」という言葉から始まっています。ここはたいへん有名なところですが、長い上に実にたくさんの内容が含まれているので、私たちはぶどうの木と枝がつながれているところは納得しても、その後半の部分、ぶどうの木と枝の話がさらに展開していくところにふれる機会があまりなかったのではないかと思います。そこで今日は、中心であるぶどうの木と枝の話にもふれながら、これを語られた主イエスの思いに迫って行きたいと考えております。

 

 ぶどうはこの教会の敷地にも生えており、世界中多くの国にあるのですが、聖書の舞台となったパレスチナの地では、あたかもイスラエル民族の象徴のように、人々から特別の思いをもって見つめられていただろうと思います。旧約聖書には、ぶどう園がイスラエルの人々にたとえられる話がいくつも出て来るからです。

 ぶどうの実は誰もが知っているように、美味しく香しいものですが、しかしぶどうの木はどうでしょう。それは樹木の仲間にも入れてもらえないほどのなよなよした木です。これで何かを作るということは考えられません。…ぶどうが尊ばれるのはおいしい実がなるからです。しかし、もしもそれが酸っぱいぶどうしか実らせないのだとしたら、ほとんど何の役にも立ちません。集められて、焼かれるだけの情けない木でしかないのです。

 これが歴史の中で、実際にイスラエルの民に起こったことでありました。彼らは神に背いたあげく、国は滅び、異国に連れて行かれ、やっと戻ることが出来ても、それ以来ずっと国の独立を勝ち取ることは出来ませんでした。

 そのような時代にイエス・キリストが出現され、生涯最後の説教の中で、新たなぶどう園の話をなさったのです。その話の中で、主イエスはまことのぶどうの木、父なる神様は農夫であり、一人ひとりの弟子たちがぶどうの枝とされました。…主イエスは「まことのぶどうの木」であられます。世の中には「にせのぶどうの木」もありますが、まことのぶどうの木であるイエス様以外のぶどうの木につながることは考えられませんし、許されてもいません。

主イエスが弟子たちに、ご自分とのつながりについて言われているところを見てみましょう。

15章4節をご覧下さい。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。よく考えてみると、これは不思議な言い方です。主イエスの弟子たちにとってみれば、それは私たちにとってもということですが、ぶどうの枝である限り、もともとイエス様につながっているのです。それなのになぜ、改めて「わたしにつながっていなさい」と言われるのでしょうか。もともとつながっているのに、つながっていなさいと命じられているので、これは矛盾していると思ってしまいそうです。しかし、ここに信仰の本質があるのです。

 信仰は、私たちが幹である主イエスにつながれ、支えられ、守られ、生かされているところから始まります。主イエスが最初に手を差し伸べられました。私たちを選ばれました。だから、どんな人でも、俺は、私は、自分の力で信仰を勝ち取ったんだとは決して言えないのです。そういう意味で、信仰は受動的なものです。…しかしながら、それがすべてではありません。信仰には、この自分に手を差し伸べて下さる主イエスの恵みを自覚し、感謝し、これに応えて行くということがあるのです。神様が助けてくれるのだから、果報は寝て待て、自分はじっと待っていよう、そんなものは信仰とは言えません。そういう意味で、信仰は能動的なものでもあるのです。

 この時に主イエスと私たちをつなぐのは、なにか神秘的な結合というようなものではありません。よく、神がかりというか恍惚状態になって、主イエスと神秘的な結合をしようと試みる人がいるのですが、そういう人は7節を見て下さい。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば…」。神秘体験より、主イエスの言葉が大事なのです。私たちにとってまことのぶどうの木である主イエスにつながるということはそのみ言葉によるのです。主イエスの方も、み言葉によって私たちとつながっています。さらにそのことは、父なる神と私たちが互いにつながることでもあるのです。このことが起こるのが礼拝の場であることは、言うまでもありません。

 

 このようにして起こる主イエスと信仰者とのまことのつながりについて、9節ではこのように言い表しています。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」。ここで、わたしの愛にとどまりなさいとありますが、原文でも英訳したものでも、「とどまる」という言葉は、これまで「つながっている」と訳されていたのと全く同じ言葉なのです。つまり、「わたしの愛にとどまりなさい」を「わたしの愛につながりなさい」としても良いのです。口語訳聖書では「わたしの愛のうちにいなさい」となっていました。

…いずれにしても、主イエスと信仰者の結びつきは愛という言葉で表されます。愛によって主イエスと私たちは、相互に結びついているのです。

 ご存じのように愛と言ってもいろいろあり、中には相手の意向にかまわずに一方的に愛を押しつけるようないびつな関係もあります。親の子に対する過度な干渉とか、ストーカー行為というのもあるのですが、もちろんそんな自分勝手なものとは違う本当の愛が主イエスと信仰者の中にあります。

 順序としては、主イエスの方が先になります。つまり「わたしの愛にとどまりなさい」というのは、主イエスの方が先に信仰者に示して下さった愛にとどまるようにということです。信仰者が主イエスの愛を無視して、自分の神様に対する愛を押しつけるというのではなく、主イエスの愛を受けて、それに応答する形で、その愛にとどまり、つながって、主を愛して行くのです。

 ここにおける愛というのは、先に申し上げたように主イエスと人間との神秘的な結合というようなものではなく、主イエスの言葉によるものですが、むろんそれは薄っぺらな言葉ではありません。

 

 さて主イエスはこのあと、11節でこのように言われました。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」

 今日、私たちは特にこの言葉に注目したいと思うのです。まもなくこの世の生を終わろうとしている主イエスが、ここで「喜び」ということに言及されているのはいったいなぜでしょうか。

 福音書の中に描かれている主イエスのお姿を見ますと、「深く憐れまれた」(マタイ9:36)、「憤った」(マルコ10:14)、「泣いた」(ルカ19:41)、「興奮して言われた」(ヨハネ11:33~34)などがありますが、これらと反対の「笑った」という言葉は探しても見つかりません。では主イエスはお笑いになることがなかったのか、冗談も言わないような方だったのかという疑問が起こりました。皆さんはどうお考えになりますか。…イエス様にはそのような快活な面がなかったのか、イエス様の真のお姿はどうだったのか、そう思って調べていった時、イエス様の喜びについて書いてあるところが2つだけあることがわかりました。1つがルカ福音書10章21節、「そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた」、もう一つがこの箇所なのです。

 「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」、ここで主イエスは、ぶどうの木とぶどうの枝のつながりの中で、ご自分の喜びが弟子たちの喜びとなって、満たされることを願っておられます。

 私は思うのです。主イエスはそもそも世界に喜びを与えるために天からおいでになったのではないか、その集大成が十字架なのではないか、と。…十字架は誰もが目をそむけたくなることです。その体験はイエス様をして、苦しみの極限で激しい叫び声をあげさせ、涙を流させたすさまじいものでありました(へブル5:7)。しかしながら、言語に絶する苦しみだけが十字架のすべてではないことを、主イエスのここでの言葉は示しているように思うのです。それが喜びなのです。

 皆さんは、どうして、そんなことが言えるのかと思っておられるかもしれません。私はそのことのヒントをトーマス・マンという作家が書いた「トニオ・クレーゲル」という小説の中で得ました。そこにはこう書いてあったのです。「幸福とは、愛されることではない。愛されるとは、虚栄心の満足にすぎぬ。幸福とは愛することであり、また、時たま愛する対象へ少しばかりおぼつかなくも近づいていく機会をとらえることなのである」。

 要するに、幸福とは愛されることではない、幸福とは愛することなのです。これが正しいとしますと、愛をその最も究極な形で生きられた主イエスにこそ、喜びという言葉がいちばんふさわしいのではないでしょうか。主イエスはそのご生涯と十字架の死において、どれほど失望したり、怒ったり、苦しみのために七転八倒されたとしてもです。神の愛をもって人を愛し、人をその愛によって生かすという目標に向かって、わき目もふらずに進み続けた方が主イエスであり、そのことが十字架ということによってまもなく成し遂げられるのです。これは主イエスご自身にとって苦しみの極致であることは言うまでもないことなのですが、これは同時に神の愛を最も完全に、究極的に現わすものでありますから、それがあふれる喜びにならなかったはずはないのだということを、私たちも信仰によって信じることが出来るのです。

 ここから13節の「友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」という言葉は遠くありません。…ただしこれは、非常に危険な言葉で、注意して受けとらなければならないので、まずそこからお話しします。日本にいま英霊に応える会という団体がありますが、この会のスローガンの一つが「友のために自分の命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」なのです。この会の人たちは、靖国神社の精神を表すのはこれだと言っています。この団体は戦後1976年に発足しましたが、ここから察するに、主イエスのこの言葉は戦争の時代にも当時のキリスト教会などで戦意高揚を果たす役割を果たしていた可能性が十分にあるのです。あの時代、兵士として戦争に行って死ぬことが「友のために自分の命を捨てること」で「これ以上の大きな愛はない」とされてしまったようです。

しかしながら、第一コリント書の愛の賛歌では「誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」(Ⅰコリ13:3)と言われていることを思い出して下さい。…このようなことがありますから、いま教会は「友のために自分の命を捨てなさい」と語ることにはよほど注意しなければならないのです。

 このことを踏まえた上でのことになります。どういう形であれ、友のために自分の命を捨てるということは本当にぎりぎりの場合だけに妥当することでありまして、私たちにとってはそれはイエス様だけで十分であり、このことを誰も、自分にも他人にも強要することは出来ません。「あなたは友のために死ぬべきだ」と言ってはいけない、命は大切にしなければなりません。ただそこで覚えておくべきことは、主イエスがその場に向かって行った時、苦しみや恐怖ばかりではなかった、あふれる喜びがあったということです。このことをヨハネ聖書は語っているのです。

 私たちは、神様から友のために命を捨てることまでは求められてはいません。かりにそんなことを実行すれば、罪に問われるでしょう。ただ、この時の主イエスの思いのいくばくかでも、自分の思いの中にありますように。主イエスの喜びを自分の喜びとする人が真の喜びを持つのです。私たちがそういう喜びを持った人間へと変えられていくように、それは私たちがまことのぶどうの木である主イエスの愛にとどまることから始まるのです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。私たちは今日与えられたみ言葉に感謝いたします。主イエスは本当にまことのぶどうの木であり、私たちはそれにつなげられなければ生きていけないぶどうの枝にすぎません。神様、み言葉によってイエス様からつなげて頂いた者たちが、み言葉によってイエス様につながってゆきますように。その場所にこそイエス様の愛があり、喜びがあふれることでしょう。昔ダビデは神様のみ前で、喜び祝い、力の限り踊りましたが、私たちはそれと同じことをしなくとも、どうか礼拝の中で、またふだんの生活の中で、自分が主イエスからつながれ、つながっている喜びを心と言葉と体全体で表して行く者として下さい。

 神様、み言葉に現れた神様の真理が私たちを打ち砕き、征服し、私たちの中で生き続けることを祈り求めます。神様のこの恵みが今日ここに来ることが出来なかった人にもひとしくありますように。

 神様を賛美します。この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン。 

わたしは道であり、真理であり、命である 

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箴言16:9、ヨハネ14:1~14 

        

                              2019.3.31

 今日与えられたヨハネ福音書14章は、イエス・キリストの「心を騒がせるな」という言葉から始まります。

 私たちが「心を騒がせる」というのは、どういう時でしょうか。例えば船に乗っている時、それも小船に乗っている時に嵐がやって来て、海が大荒れになって船が大きく揺れ動きます。すると心は騒ぎます、不安で揺れ動くことになるのです。

 私たちにとって「心を騒がせる」ことは、もちろん嵐が迫っている場合だけでなくほかにもたくさんあります。命を失う危険がすぐそこまで迫っている場合とは限りません。すぐにどうのこうのということがなく、多少の時間が与えられたとしても、心が騒がずにいられないことを数えると、仕事上の悩み、家庭の中に関する悩み、自分の健康のこと、さらにこの社会は世界はこの先どうなってしまうのか等、きりがありません。…もちろん、中にはこういう悩みとは縁のない人がいて、考えすぎだよとか、気が小さいなあとか言われてしまうこともあるのですが、当事者にとってはたいへんな問題なのです。

 その日、主イエスと一緒にいた弟子たちも、「心を騒がせるな」と言われなければならないような、不安で心が揺れ動く状態にあったのです。それは最後の晩餐の席上でありました。…聖書の少し前のところを読みますと、仲間の一人であったイスカリオテのユダが退席して皆の前から消えてしまいました。まるで夜の闇の中に消えてしまったかのようです。またペトロに対し主イエスは、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と裏切りの予告をされています。もともと不安があったところに、こういったこともたぶん影響して、弟子たちの心を言い知れぬ不安が覆っていたのです。その不安の中身とは、「いったいこれから何が起こるのだろう。先生はどうなってしまうのか」ということであったと考えられます。……その予感はやがて的中します。それどころか、彼らが思っていた以上の恐ろしい出来事が起こることになります。皆さんご存じの通り、この時からわずか数時間あとに、主イエスは逮捕され、尋問され、ついに十字架につけられてしまうのです。

 しかしその弟子たちを前にして、当事者である主イエスご自身が「心を騒がせるな」とおっしゃったのですが、それはどういうことでしょうか。

 念のため申しておきますと、主イエスご自身は決して心を騒がせることのない方だったのではありません。すぐ前のページ、13章21節にこう書かれています。

「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』」レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵に描かれた有名な場面ですね。イエス様でさえ、心を騒がせていたわけですから、ここではいつどんな場合でも心を騒がせるなと言われているのではありません。

 それならば、主イエスはなぜ「心を騒がせるな」と言われたのか、それはおそらく、「私は闘っているのだ。みんな私を信じて私のもとに身を寄せなさい」ということなのだろうと思います。主イエスご自身が心を騒がせたのは、先ほどの箇所だけでなくほかにもあるのですが、いずれもサタンとか死といった恐るべき力と対決する時に言われており、最後の晩餐の時間は、その集大成と言えるような状況でした。いま主イエスはそのご生涯で最大の闘いに打って出ようとしています。心が騒がずにはいられなかったと思うのですが、しかしイエス様が不安に押しつぶされてしまうことはありえません。ご自分が雄々しく立ち上がることによって、弟子たちの中にある不安をも引き受けられるのです。私はあなたたちに代わって最後の敵である罪と死に対決しようとしているのだから、あなたたちは安心して、私に心を寄せなさい、と言われるのです。

 

 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい。」、その根拠となるのが、これに続く言葉です。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」と。

 この言葉についておおよそのことだけお話しいたしますが、…わたしの父の家とは天にあるわけで、ここにあなたがたのための場所を用意しますということなのです。天にあなたがたの居場所を用意する、ここで大事なことは、これをされるのがイエス様であって、ほかの誰でもない、イエス様以外にこんなことを出来る方はおられないということです。

 これまで人を天に迎え入れるのは誰かということがいろいろ考えられてきたと思います。天の神様は当然で、言うまでもないのですが、それ以外に天使だとか、偉い預言者だとか、神々と称されるものなどいろいろ考えられてきたわけです。自分の力だけに頼って天に入ろうとした人もいたかもしれません。…しかしこの時、主イエスは、ご自分こそがその仕事をすると言われたのだと思います。…主イエスは当然ながら、それがどんなことかわかっておられました。それはイエス様以外の誰も出来ないこと、十字架につけられることです。主イエスのほかにその務めを行えるどんな人もないのです。

 主イエスは十字架上で死ぬことによって、天、すなわち「わたしの父の家」に行くことが出来るのです。しかしそのことを弟子たちがわかっていたとはとても思えません。「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言われた時に、トマスが「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちにはわかりません。どうして、その道を知ることができるでしょう」と答えているからです。

 トマスは主イエスがどこへ行こうとしておられるのか、その道を知りません。皆さんの中には、これまでずっとイエス様と一緒にいたトマスがなんでわからないのか、彼はそんなにばかなのかと思っている人もいるかもしれませんが、おそらくこのようなところだろうと思います。…トマス自身も他の弟子たちと同様、イエス様の身に大変なことが起こることを予期していました。先生は死なれるかもしれない、と気づいていたようです。…しかしそのことと、イエス様が天の神様のもとに行って自分たちのための場所を用意することがどうしても結びつかないのです。…イエス様が死んでしまわれたらすべてが終わりではないか、私たちがこれまでこの先生こそはと思ってついて来たこともすべてむだになってしまうではないか、と思っていたのでしょう。

 とにかく、トマスに主イエスの言葉がわかっていなかったのは確かです。そこで考えてみたいのは、それなら私たちにはこのあたりのことはすっきりしているのかということです。イエス様はなんで十字架につけられたのか、死なれてしまってはすべてが無に帰してしまうではないか、そんなことを思っているのなら、それはこの時の弟子たちと同じなのです。

 

 ここで主イエスは言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」。有名な言葉ですが、なかなか難しい言葉でもあるので、整理して考えてみましょう。…実はこの通りの言葉ではなく、真理と命を省いて、「わたしは道である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」だけであった方が、よほどわかりやすかったと思います。…「わたしは真理である。わたしを通らなければ、だれも父のもとへ行くことはできない」、「わたしは命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとへ行くことはできない」、こういうと何かしっくりこないように思います。…ここで話題となっているのは道についてです。真理と命については、直接語っているところはありません。…ここで多くの人が一致している考え方は、道、真理、命は同格のものとして一列に並べられているのではないということです。…ではどういうことなのか、「わたしは道である。なぜなら私が真理であり命であるからだ」と読むというものです。この読み方が絶対に正しいかどうか、断言することは出来ませんが、これに準じてお話しさせて頂きます。

 トマスは、主イエスがどこへ行かれるのか、私たちにはわかりませんと言いました。トマスにとって、主が行かれるところが死であり、滅びであるなら、その先は何もないのです。どうして天の神様のもとに昇って、弟子たちのための場所を用意することなど出来るのかということになります。…これに対し主イエスはご自分が道であると宣言されます。…このことを弟子たちの身になって、想像してみましょう。彼らは、イエス様がどこかに行ってしまうことで、自分たちがこれからどうしてよいかわからないでいます。目の前に荒れ野が広がっているのに、どこをどう歩いたらよいのかわかりません。この先には危険な崖やら落とし穴が待っているかもしれません。当然、不安になります。するとそこにイエス様がおられて言われるのです。「私は先に出発するがいずれ戻ってくる、お前たちは私が切り開いた道を進んで行けば良いのだ」と。

 弟子たちはそのことをすぐには信じられません。「イエス様が先に出発されたあと、その身に大変なことが起こるかもしれません。死なれるかもしれないのです。そんなところ神様がおられると思いますか。イエス様はそんなところに私たちを引き込もうというのですか。」

 皆さんはおわかりになったことだと思います。イエス様の行かれるところを、弟子たちは天の父なる神様から最も遠い所だと思っていたのです。しかしそれは間違いで、そのところにこそ天の父なる神がおられるのです。だからこそイエス様は死と滅びへの案内人ではなく、まさに道なのです。誰もがその上を歩いて行くべき道なのです。それはイエス様真理であり、命であるからにほかなりません。

 このことを別な方向から考えてみましょう。今度はフィリポの質問に対して主イエスが明らかになさったことを見て下さい。「わたしを見た者は、父を見たのだ」、もう一つ「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい」、ここに現れた父なる神とイエス様の一体性が大変に重要です。イエス様が行かれるところ、それは父なる神様から切り離されたところではありません。むしろ一つであって、イエス様は父なる神様との一致のもとに進んで行かれるのです。

 「わたしを見た者は、父を見たのだ」、この言葉を皆さんはイエス様ならこう言うことが出来ると、冷静に受け止めておられるかもしれませんが、実はこれは大変な言葉なのです。…もともとフィリポが「わたしたちに御父をお示しください」と言ったのは、イエス様が道であり、真理であり、命であると言われたことを十分に信じ切ることが出来なかったために、その証明となるしるしが与えられることを期待したのではないかと思います。これに対する主イエスの答えは、これまでの歴史にない、空前絶後、驚天動地の主張でありました。 旧約聖書の中で、父なる神ご自身が「人はわたしを見て、なお生きていることはできない」と教えておられます(出34:20)。

誰も神を見た者はなく、見たら死ぬと教えられていました。

ですから主イエスがこの時、「わたしを見た者は、父を見たのだ」と言われ、神を見た者がそれでも生きていることは、この時代の中では全く考えられないことだったのです。

 誰も見ることが出来ない神、見たら死ぬとされていた神が、人の形をとって世に現れた、このことをヨハネ福音書1章18節は言います。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのです。」これはどんな人の常識を超えることです。この方は豪華な宮殿の中に君臨しているのではなく、見た目には普通の人間と変わらず、それどころか誰もが目を背けてしまうだろう暗黒の闇の中に入って行こうとされる、それなのにこの方を通らなければ、誰も天の父なる神様のもとには行けないと言われるのです。どうか信じがたいことですが、信じて下さい。

 

 「わたしを見た者は、父を見たのだ」と言われたイエス・キリストこそ道であられます。ご自分が真理であり、命であられるからです。この方が弟子たちばかりでなくすべての人のために十字架への道を進もうとなさっておられるのです。

                                                                                                 

(祈り)

 天の父なる神様。主のご受難を深く思うこの日の礼拝に、私たちを招いて、みこころを聞かせて下さいますことを感謝申し上げます。

今日改めて、主イエスのお苦しみを深い悲しみをもって聞くことが出来ました。弟子たち以上に心が騒いでいたはずのイエス様が、苦しみをすべて引き受け、ご自分が道となって、十字架へと進んで行こうとしておられます。そしてそのことで、父なる神と一つであることを示して下さったのですが、弟子たちはその時、何が起こっているのかよくわかったとは言えません。しかし、あとになって、気づいたのです。

神様、私たちもこの時のイエス様のお気持ちがわかったとは言えません。イエス様はなんであんなむごたらしい死に方をしたのかね、お釈迦様は穏やかに死なれたのに、などとひとごとのように思っているのです。信仰についてたいへんにぶい私たちですが、イエス様の思いが理解できる日が一日も早く来ますように。イエス様は私たちみんなの道であり、真理であり、命であられます。どうか私たちの心に、私たちのためにも罪と死に対して闘いに行かれる主を思わせて下さい。

 主イエス・キリストの御名を通して、この祈りをおささげします。アーメン。

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 弟子の足を洗うイエス youtube

 

詩編51:7~11、ヨハネ13:1~11  2019.3.24

 

 それは過越祭の前のことでした。イエス・キリストは弟子たちと一緒に夕食をとられました。その次の日は過越祭で、主イエスは十字架につけられてしまいますから、これはいわゆる最後の晩餐になります。この出来事については4つの福音書すべてに書いてありますが、それぞれ微妙な違いがあり、主イエスが弟子たちの足を洗われたことはヨハネ福音書だけに出てきます。ここにはなかなか難しい問題があって、説教を作る時に苦労しましたが、私たちはわからないことは置いておいて、理解できる範囲で大切なメッセージを示されたいと思います。

 

 13章1節は書いています。「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」

私たちはこの1節からも、多くのことを聞き取ることが出来るでしょう。

 主イエスはご自分が世を去る時が来ていることを悟っておられました。…かつて主イエスは人々が自分を王にしようとした時、ひとりで山に退かれました(ヨハネ6:15)。人々がご自分を崖から突き落とそうとした時も、人々の間を通り抜けて出て行かれました(ルカ4:29~30)。まだ時が来ていないのに、自分を王だと宣言することは出来ないし、また死ぬわけにはいかなかったのです。しかし、今やその時が来たのです。それは主イエスが「この世から父のもとへ移る時」です。十字架に挙げられる時です。栄光が与えられる時で、このことが最後の晩餐の席上で弟子たちの足を洗われたことにつながります。いよいよその時が迫って来た、明日はこの弟子たちとも別れなければならないというぎりぎりの時に、その愛が発揮されたのです。

 「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」、ここで「愛して、この上なく愛し抜かれた」というのは文語訳では「愛して極(きわみ)まで之を愛し給へり」、口語訳では「愛して、彼らを最後まで愛し通された」、今度出た聖書協会共同訳では「愛して、最後まで愛し抜かれた」と訳されています。要するに「徹底的に」という意味があるのです。いま、この最後の時にあたって、主イエスは弟子たちに対する愛を徹底的に現わされ、そのことが弟子たちの足を洗うことによって示されています。その中には、主イエスを裏切ろうとしているユダもいました。

 イエス様は覚えのめでたい弟子たちだけを愛して、他の弟子たちはそこからはずしていたのではないのです。

「既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた」、しかも裏切り者はユダだけではありません。その後の経過を見れば、主イエスが逮捕された時、11人の弟子たちはみな逃げ出してしまいましたし、ペトロは「そんな人は知らない」と3度も自分の先生を否認してしまったわけです。主イエスは弟子たちがそうなるだろうことはご存じだったのです。死んでも死にきれないような思いの中で、それでも、この情けない弟子たちを「この上なく」、徹底的に愛されたのです。

 

 主イエスが食事の席から立ちあがって、弟子たちの足を洗い始められたことについて、この記事からはこれが食事の初めだったのか、途中だったのか、それとも食事のあとだったのか判断できません。

 主イエスの取った行動の理由について3節は書きます。「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り」、こうして食事の席から立ちあがることになるのです。父がすべてを御自分の手にゆだねられたとか、神のもとから来て神のもとに帰るとか、こんなことは普通の人間には言えません。私たちはここから、主イエスはご自分が神と等しいお方であり、神のみ子であるということをしっかり受けとめていたことがわかります。しかしながら、神と等しい偉大なお方であることを、ほかの人を支配することで示そうというのではありません。弟子たちをひざまづかせることによって示そうというのではありません。そうではなくて、弟子たち一人ひとりの前に行き、身をかがめて足を洗ったのです。

 「食事の席から立ちあがって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始めた。」

 この時代のユダヤ人はサンダルのようなものをはいていました。靴下ははいてなかったようです。道路は舗装されたところがあったとしてもほんの一部でしかなかったでしょう。そのため歩くと土ぼこりがついたり、ぬかるみに足を突っ込んでよごれるわけです。そこでみんなが集まって会食する場合など、しもべに足を洗わせたあとで食卓につくのです。しかしこの場所にしもべはいなかったのでしょう。足を洗ってくれる人はいませんし、誰もほかの人の足を洗う気はないので、みんな汚れた足のまま食卓についたわけですね。そんな時に主イエス自ら、足を洗うことで、しもべとなって弟子たちに仕えたのです。それまでの常識では全く考えられなかった新しいことが起こりました。

 本来、弟子たちに仕えられるべき主人が、弟子たちに仕える者になり、主人に仕えるべき弟子たちが主人に仕えられる者となっています。

主イエスがこれを始められた時、弟子たちはみな驚き、唖然となってしまったことでしょう。考えられないことが起こったのですから。主イエスは7節でペトロに、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で分かるようになる」と言われていますから、その場では弟子の誰もわからなかったわけですし、皆さんの多くもそうだと思います。順に説き明かしてゆきましょう。

 私たちはまずここから、キリストの愛というのは、頭でいろいろ理屈をこねまわすより、まず具体的に体を動かすことであると教えられます。ヨハネ福音書は、イエス様が上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰に巻き、たらいに水をくみ、弟子たちの足を洗うと手ぬぐいでふき始められたと、その様子を目に見えるように書いています。世の中にはいろいろ立派なことは言うけれども、実際には何もしないという人がよくいます。教会にもいるかもしれません。まず自分で体を動かして、何かやってみなさいということです。

 聖書には、このような、具体的な、実際の行動を促すメッセージがたくさんあるのです。そこで、教会の歴史の中では、実際に他の人の足を洗うことが行われてきました。カトリック教会には洗足の儀式があるそうです。私も昔、北京にいた時、日本人が主催する小さなキリスト教集会で経験しました。たしかシンガポールの女性の提案で、出席者を男女別に分け、それぞれで互いに足を洗いあって、そのあと一緒に祈ったのです。良い経験になりました。 

 主イエスはこの行いによって謙遜を教えているという考え方があります。これは間違いではないのですが、私たちはしっかり考える必要があります。弟子たちは、自分たちの中で誰がいちばん偉いかと議論したり、主イエスの前に子どもが連れて来られると、「あっちへ行け」とじゃけんな扱いをしてたしなめられるような人たちでした。主イエスは、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20:25)と教えておられ、人間の中に身分や財産や能力その他の理由で上下関係を築こうとする考えを厳しく退けられています。日本でも例えば「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という俳句があって、人は偉くなればなるほど謙遜でなければならないと教えられるわけですが、主イエスはここで単なる謙遜以上のことを教えておられると考えられます。

 そこで、事態がどう推移したかを見ることにしましょう。主イエスが一人ひとりの足を洗って、ペトロの番になりました。彼は「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言いました。そこでの強調点が「あなたが」というところにあるのは明らかです。つまり、「先生が洗って下さるというのは逆ではありませんか。私こそ先生の足を洗うべきだったのです」ということなんですね。他の弟子たちも同じ思いであったでしょう。

 これに対する主イエスのお答えは、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」でした。確かに、ペトロはいま主イエスがなさっていることの意味がわからないのです。「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うのが精一杯の抗議でした。ペトロは、自分のきたない足を主イエスに洗わせるなんてあまりにおそれ多いことだと思ったのです。すると主は、「もし私があなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われます。これはペトロにとって驚きでした。これまで主イエスと一緒にずっと生活し、多くのことを教えられたわけです、そしてこれからも何があっても主イエスについて行こうと決心していた矢先に、まるで最後通牒みたいなことを申し渡されたのですから。

 主イエスは、何の関わりもない者とならないために、今、この機会に、あなたの足を洗うのです、と言われるのです。するとペトロは「主よ、足だけでなく、手も頭も」と言います。これに対する主イエスの答えが「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」となるのですが、皆さん、この問答の意味がわかりますか。もしもわかる人がいたら、ここで私に代わって説教してほしいくらいです。大変難しいところです。少なくとも、ここでは単なる謙遜を教えているのではありません。

 そこで考えられた第一の解釈はこうです。みんなそれぞれ自分の体を洗っているわけですね。この時代は蛇口をひねればシャワーからお湯が出て来るわけではないので、たらいに水をくんで体にかけたり、また川に入ったりして洗います。そのため体はきれいでも歩いていると足はよごれます、だから足だけ洗えば良いというものですが、こんな即物的な解釈が成り立つはずはありません。主イエスは「あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない」と言われます。そこで暗示されているのがイスカリオテのユダであることは明らかです。清いとか清くないというのは、だからほこりや垢がたまっているかどうかではなく、神との関係について言われているのです。だとすれば「足を洗う」ことには、私たちが思っていた以外の意味があったと考えるほかありません。

 弟子たちは「既に体を洗った」から清いのです。ここから想定されることは洗礼、バプテスマです。みな川で全身をひたしてバプテスマを受けて、神のみ前できよめられました。これは一度行えば良いのでありまして、2度受ける必要はなく、だから手も頭も洗ってもらう必要はないということになります。このことはもちろん、私たち(すでに洗礼を受けた者)にも当てはまることです。…しかし、その場合、足を洗うことが何を意味するかというのは難問です。

 人はイエス様を救い主と信じ、神と教会員の前で信仰を告白し、洗礼を受けることによって、神に属する者、神の子とされます。けれども洗礼を受けたからと言って、罪が全くない、聖なる者になったのではありません。

悪いことを心に思い、それを行うことは死ぬまで続くのです。主イエスそこで、洗礼を受け、全身を洗っただけで満足するのでなく、くり返し足を洗いあわなければいけないと教えておられるようですが、その具体的な内容は何なのかということになります。

 主イエスは、信者が世々限りなく洗足の儀式を行えと言われたのでしょうか。しかし今日、洗足の儀式を行っている教会が、主イエスが定めたことをそのまま行っているとは言えません。その儀式は比較的新しい時代に始まったもので、初代教会の時代に洗足の儀式を行われていたという証拠はないのです。

 それでは主イエスが弟子たちの足を洗ったことはカトリック教会にある告解の制度に受け継がれたのでしょうか。カトリック教会では、信徒は少なくとも年に一度、教会の司祭のもとに行って、罪を告白して赦しの言葉をもらい、罪の償いのために何をするかを教えられなければならないことになっています。ただその考え方には無理があります。

 だとすればそれは何でしょう。プロテスタント教会には、洗足は聖餐式に受け継がれたというものだとか、いやここから本当の謙遜を身につけようとするものなどさまざまな考えがあるようです。ただ日本キリスト教会では、各自が常に自分の罪を悔い改め、赦しを求める祈りをし、福音によって赦しを確認することと共に、他の人々との関わりにおいて互いに罪を赦し会うことが考えられているようで、それはおおむね信じるにたりることだと思います。…これから先は、皆さん一人ひとりが考えて頂きたいと思うのですが、ただそこに十字架と復活があることを見落としてはなりません。主イエスがまさに十字架の死を遂げようとしておられる時に弟子たちの足を洗われた、このことは十字架によって実際に現わされた神の愛と隣人への奉仕が、まさに一つであることを教えているのです。

(祈り)

 天の父なる神様。神様がイエス・キリストにおいてご自分を低く低くされて弟子たちの足を洗ったという愛のわざが、十字架と復活において完成したことを、ただの知識としてではなく、いま新たな感謝をもって思い起こし、信じることが出来たことを、何にもまさる恵みとして感謝いたします。神様、私たちの中には、他人を蹴落としても偉くなりたい、いやな仕事は自分より下の人にやらせて自分だけは優雅に生きたいという思いがあることを否定することは出来ません。表面上はキリスト者であっても、イエス様の謙遜に学ぶことなく、実際にはキリストの名にふさわしくない毎日を送っている魂をきよめ、イエス様が主である新しい世界に引き上げて下さい。信仰することが何かの役に立つだろうかというこざかしい思いが、神様を神様と信じる心によって克服されますように。この信仰によって、厳しい時代の中を生きる広島長束教会と全国の教会を立たせて下さい。とうとき主イエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

キリストのエルサレム入城 youtube

ゼカリヤ9:9~10、ヨハネ12:12~19 2019.3.17

 

 エルサレムの旧市街は四方が城壁で囲まれていまして、これが今も残っています。イエス・キリストはエルサレム入城にあたって、東の門という所から入って来られました。私が聖地旅行をした時、バスでそのそばを通ったのですが、東の門は厳重にふさがれているのが見えました。塗り固められて、誰も通れないようになっているのです。ガイドさんの説明では、そこはイスラム教徒の地区で、彼らはユダヤ教徒が今もその出現を待ち望んでいるメシアがその門から入って来れないようにしているのだそうです。

 2000年前のキリストのエルサレム入城は現代にもつながっている出来事なのです。

 

 イエス・キリストのエルサレム入城があったのは日曜日です。…主イエスはその週の金曜日に十字架につけられ、次の日曜日に復活されました。多くの教会がイースターの一週間前の日曜日を、棕櫚(しゅろ)の聖日としています。12章13節に「なつめやしの枝を持って迎えに出た」と書いてありますね。この、なつめやしの枝ですが、口語訳聖書でも文語訳聖書でもしゅろの枝になっており、ここから「棕櫚の聖日」が出て来たのでしょう。私は専門外なのではっきりしたことは言えませんが、なつめやしとしゅろはほとんど同じもののようです。

 この日、主イエスはエルサレムでたいへん多くの人から歓迎されました。街中が熱狂的な歓迎ムードだったので、皆さんの中にもその情景が心に浮かんで、晴れがましく思っておられる方がいることでしょう。たいへん大きな出来事でした。…しかしここで違和感を感じられる方がいるかもしれません。というのは、この日エルサレムに入ったイエス様は、ほどなくして処刑されてしまいます。イエス様を熱狂的に歓迎した人々は、そのわずか5日後に「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶようになってしまうのです。……だとしたら、エルサレム入城の時の大歓迎は何だったのか、あれは空騒ぎだったのではないか、とも思えて来るのです。…教会はどうしてこの日を「棕櫚の聖日」として記念するのでしょう、その意味もわからなくなってしまいそうです。

 そこでまず、この日に何が起こったかというところから見てゆきましょう。過越祭のために、エジプト、ギリシア、イタリアなど遠くの地からもユダヤ人が集まってきていました。

もともとの住民と合わせてその数は二百万人を超えていた可能性があり、エルサレムの町は大勢の人たちでごった返していたことでしょう。

 12節は言います。「祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞きなつめやしの枝を持って迎えに出た」。主イエスが来られることをどうして知ったのかといえば、ベタニアから来た人たちが語ったのでしょう。ベタニアはエルサレムから南東にわずか3キロにあります。先に、主イエスはベタニアで、死んだラザロをよみがえらせるという驚くべき奇跡を行われました。17節に書いてある通り、その場にいた群衆がその日のことの証しをしています。…先週読んだ12章9節にも、ラザロを見たいということで大群衆がやって来たことが書いてあります。こういう人たちがエルサレムに戻って、「われわれはたいへんなことを目撃した。死者がよみがえったのだ。イエス様というのは驚くべきお方で、その方は日曜日にエルサレムに来られるそうだ」と言ってまわったのでしょう。

 イエス様の評判は、それ以前からユダヤの全土で鳴り響いていました。素晴らしい話をなさったことや驚くべき奇跡を行ったことがうわさとなって広まっていたのです。ガリラヤ湖の沿岸をまわって、伝道されていた時には、大勢の群衆があとをついてきたと書いてあります。…しかし、今回起こっていることは規模が違います。以前よりはるかに多い人たちが大挙してイエス様を出迎えました。それは人々が見聞きしたラザロの復活という出来事が、それまでの数々の奇跡に比べても桁違いに大きな出来事だったからです。

 主イエスはラザロをよみがえらせたことで、ご自分を死に勝利される救い主として世にお示しになりました。人々は歓喜のあまり、「ホサナ」と叫びながら主イエスを迎えました。「ホサナ」とは、「主よ、お救い下さい」という意味があります。人々は、死者をもよみがえらせるお方のことを聞いて、これこそ何百年も昔から預言され、待ち望まれていたメシアであり、新しい王なのだと確信したのです。
 人々は主イエスをなつめやしの枝を持って迎えました。なつめやしの木はこの地方にたくさん生えています。日本人にとっては桜がもっとも身近で親しみのある木ですが、この地の人々にとってそれに当たるのがなつめやしだったようです。紀元前164年、マカバイオスのユダという人物が率いる軍隊が異教徒からエルサレム神殿を奪回したということがあったのですが、彼らがエルサレムに入城する時も、人々はなつめやしの枝を持って迎えています。

 私たちはここでまず、エルサレムにいた人々がこぞってイエス様を迎え、イエス様を賛美していることを見ておきましょう。

街中が熱狂のうずに包まれたのです。イエス様に敵対するファリサイ派の人々が「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか」と言っている通りです。

 それでは、この日、主イエスのこれまでの活動の集大成のようなことが実現したのでしょうか。この日から、人々の期待に沿った全く新しいことが始まったのでしょうか。そうではありません。この日、あれほどまで熱狂的にイエス様を歓迎した人たちは、それからほどなくしてイエス様を見捨て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶようになるのです。その理由は、聖書にははっきりとは書いてないので、推測が入ってきますが、ほとんどの牧師や研究者が一致していることは、人々が思い描いていたメシアとイエス様が体現しているところのメシアが、全くと言って良いほど違っていたことにあるのです。

 人々は口々に叫びます。「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。ここで、「イスラエルの王に」という言葉の背後には、イエス様こそ政治的な、また軍事的な力を行使して自分たちユダヤ人をローマ帝国の支配から解放する王であるとの思いがあるのです。…イエス様はたしかに王です。ユダヤの王、イスラエルの王、そして全世界の王であられます。しかしそれはこの日の群衆が思い描いていた王ではありませんでした。人々を支配するのではなく最も低いところに赴かれる王、軍事力を行使するのではなく平和を打ち立てられる王であられるのですが、そのことに価値を見いださない人々はまもなく失望し、イエス様を殺してしまえということになるのです。しかしイエス様ご自身は変わりやすい人間の心を知りながら、あえてその中に入って行かれました。
 この日イエス様を歓呼の声を上げて迎え、5日ののちには「十字架につけろ」と叫んだ人々は、まもなくイエス様を歓迎したことには何の意味もなかった、時間の無駄だったと思ったことでしょう。しかし、本当にそうだったのでしょうか。…イエス様を信じる私たちまでそう思ってはなりません。私たちはこの日の群衆のような浮ついた思いではなく、心から信じてイエス様を迎えるべきです。そのためにも、この日の出来事をさらに深く考えて行きたいと思います。

 この日、イエス様がラザロがよみがえらせたことを証ししていた人たちがいましたが、このことはイエス様のエルサレム入城にあたってたいへん重要な出来事でありました。すなわちイエス様は、まさに死を超える力を持っている者として来られたのです。

 もちろんこの段階では、イエス様はまだ殺されていませんし、十字架などとても考えられない状況でした。人々はイエス様を神が送って下さった英雄のように思って歓迎しただけだったのですが、私たちはここから、十字架にかかり復活して、今度はあらゆる人を罪と死から救い出して下さるお方を見るのです。

 人々は「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。イスラエルの王に。」と叫び続けました。

 主の名によって来られる方とはメシアです。それはまた「イスラエルの王」でもあります。この王は、この世のあまたの王とは全然違います。しかし王なのです。

 主イエスはロバの子を見つけ、それに乗って行進されました。16節は「弟子たちは最初これらのことが分からなかった」と言います。先生は何と変わったことをされるのかと思ったのです。群衆も同じ思いだったのではないかと思います。

 普通、王とか一国のリーダーが来るときは馬に乗ったものです。現代なら車に乗ります。軍隊式拝礼をしながら戦車に乗って来る指導者もいます。…しかし、それがロバに乗ってとなるとどうでしょう。…ろばは仕事をする上では助けになりますが、戦争には全く役に立ちません。ろばに乗った王なんて、こっけいに見えるだけでしょう。しかし、ろばに乗って来るイエス様は、どんな王や指導者よりも強いのです。ゼカリヤ書が「戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる」と書いてある通りです。この王が来られるところから、平和が打ち立てられるのです。

 

 さて、「弟子たちは初めにはこのことを悟らなかったが、イエスが栄光を受けられた時に、このことがイエスについて書かれてあり、またその通りに、人々がイエスに対してしたのだということを思い起こした」と書かれています。福音書の著者である弟子ヨハネも自分の鈍感さを正直に告白しています。主イエスから訓練を受けている直接の弟子でさえこの状態なのです。我たちも自分がどれほど鈍感かということをわきまえておきたいものです。しかし、真実を悟るまで、しばしば時間がかかるものであることも本当です。イエス様ご自身、13章7節で、「私のしていることは、今あなた方には分からないが、あとで分かるようになるであろう」と言っておられます。
 教えられてすぐに分かるようならそれに越したことはないのですが、すぐに分からないからといって駄目だということではありません。すぐに分かったつもりになって、実は全然わかっていなかったということもあるからです。信仰の世界では、神様が示されたことはすぐにはわからないことの方が多いですが、しかし、あとになって、わかってきます。

 私たちは旧約聖書の中に来たるべきキリストについての約束があることを教えられてきました。だからゼカリヤ書の、ロバに乗った王の到来の預言を読むとすぐにこれはキリストを預言したものであり、ろばに乗る王が平和をもたらしているのだということを理解します。しかし、本当に分かったのかどうか。

 本当に理解するためには、神が与えて下さる恵みの時を待たなければなりません。弟子たちは、その時分からなかったことが、イエス様が栄光を受けられた時に分かったのです。こうして得られた理解は、風で吹き飛ばされるような理解ではありませんでした。…では、イエスが栄光を受けられた時とはいつなのでしょう。私たちはイエス様が復活された時とか、昇天して父なる神の右に座られた時などを思い浮かべます。そこから十字架は抜け落ちています。…十字架は目をそむけたいものでしかありません。しかし聖書はそう言ってはないのです。すぐ下の12章23節で、イエス様は「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われ、続けて一粒の麦について教えられます。「一粒の麦は、…死ねば、多くの実を結ぶ。」すなわちイエス様が栄光を受ける時、それが死ぬところから始まるというのです。人間の常識とは違うことですが、十字架において、イエス様は栄光を受けられたのです。十字架においてすでに、復活や昇天にいたる栄光が輝き始めているのです。

 弟子たちは、この栄光に触れた時に、王であるイエス様がろばの子に乗って来られたことの意味が、まるで目からうろこが落ちるみたいにわかったのです。私たちにも、イエス様の栄光を仰ぐことで、新しい歩みが始まることが約束されています。

 

(祈り)

恵みと憐れみに富みたもう父なる御神様。神様が備えて下さったこの礼拝を感謝いたします。主イエスがエルサレムに王としてお入りになりましたことを、どうか私たちが移り気な群衆としてではなく、本当の信仰者として歓呼の声をあげる者として下さい。

イエス様は、力をふりまわす王ではありません。柔和な王でろばに乗ってエルサレムに来られました。そして、この町で殺されてしまうのですが、しかしそのことによって栄光を現されたことを信じる者として下さい。

イエス様がこのような王として今も私たちをつつみ、治めておられることを感謝いたします。広島長束教会に、そして私たちに、この年イエス様を思う思いが増し加わりますように。世界の問題も、日本の問題も、私たちの生きる道も、なにより王であるイエス様のご支配のもとに服さなければ何も解決しないからです。

イエス様が王であることを知らない、私たちの愛する身近な人々がまだまだたくさんおりますが、どうかその人たちがイエス様のご支配を自覚される日が来ますように。この祈りを主イエスのみ名によってお聞きあげ下さい。アーメン。

イエスにささげる香油の香り youtube

 

出30:22~33、ヨハネ12:1~11 2019.3.10

 

 今日はレントすなわち受難節の最初の日曜日にあたります。レントはイースターの46日前の水曜日から始まり、イースターの前日までの期間で、この間にみんなで主イエスのご受難をしのぼうということでもうけられたのです。厳密に考えれば、聖書にレントを覚えなさいと書かれているわけではありませんし、この期間だけご受難をしのべば良いということでもありませんが、キリスト教会2000年の歴史の中で古くから守られてきたことを、私たちも受け継いで行きたいと思います。

 

 今日のお話は、主イエスが十字架につけられる直前、ベタニアという村で起こった出来事です。その日は過越祭の六日前だったと書いてあります。ユダヤで毎年もっとも大切なお祭りの日として守られてきました過越祭ですが、主イエスはまさにその祭りの当日、金曜日に十字架につけられたのです。…となると、ベタニアでの出来事はその六日前、土曜日に起こったようです。

 11章54節によると、主イエスはそれまで、荒れ野に近い地方のエフライムという町におられました。この町はエルサレムの北にあったようですが、場所は確定されておりません。イエス様はその町から十字架につけられるためにエルサレムに上って来られるのですが、定められた時と場所以外で死ぬわけにはまいりません。イエス様のまわりが急に緊迫の度を増して来る中、イエス様はご自分を殺そうと狙っている人たちが待ちかまえているエルサレムを通らずに、エルサレムから南東3キロのところにあるベタニアの村に姿を現しました。 ベタニアはイエス様にとって大切な場所で、親しくつきあっておられたマルタ、マリア、ラザロの兄弟が住んでいました。この少し前、イエス様は病気になって死んだラザロを甦らせたことで、ご自分が復活であり、命であることを示されています。このことは当然ながら、たいへんな評判になっていました。

 ベタニアでの夕食は何のためだったでしょう。2節は「イエスのためにそこで夕食が用意された」と書きます。これはイエス様のための晩餐なのです。お姉さんのマルタは心をこめて接待しました。妹のマリアはこの日のために高価なナルドの香油を用意していました。…そこにラザロもいました。そこがマルタ、マリア、ラザロの家だったのか、ほかの人の家だったのかはっきりしませんが、3兄弟がイエス様のために準備した晩餐会と言って良いでしょう。ラザロはそこにいるだけで、イエス様のメッセージを伝える役割を担っていました。

事実、ユダヤ人の大群衆が来たのは、イエス様だけが目当てではなく、ラザロを見るためでもあったのです。そこに12弟子も陪席していました。

 主イエスはご自分をとらえようとする人々の陰が迫っている中で、愛する者たちと食卓を囲んでいました。この時、マリアが香油を注ぐということが起こりました。3節はこう書いています。「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」

 この時代、みんな寝そべって食事をしたようです。にわかには信じがたいのですが、注解書にはそう書いてあるので、確かなことなのでしょう。イエス様が足を伸ばしているところにマリアが来て、香油を注いだのです。1リトラとは約326gです。

 ナルドの香油は植物の根っこから抽出され、おもな産地はインドの北部、ヒマラヤ地方です。これは現在でも手に入れることが出来ます。ネットで調べてみると、何種類か販売されていることがわかりました。ストレスや緊張をほぐす効果、また殺菌作用、消臭作用があるそうです。その内の一つ、商品名スパイクナードの値段はわずか5gで1518円、マリアが注いだ326gならいくらになるのか、単純計算で98974円になりました。現在でもこんなに高いのですから、交通網が発達していなかった古代ならなおさらです。

 マリアに対して、このあとユダが「この香油を300デナリオンで売って…」と言います。1デナリは労働者の一日の賃金に相当しています。そうすると一年365日の内、安息日の52回を除いて毎日働いた時の賃金の合計、つまり普通の労働者の年収に相当する価値があるものを、マリアは一瞬の内に使ってしまったことになるのです。

 

 マリアは、香油を惜しげもなく主イエスの足に振りかけて、自分の髪でぬぐいましたが、それはいったい何のためだったのでしょう。結論から言うと、それは主イエスの死に対しての備えでありました。マリアとしても、イエス様がいつ、どのような死に方をなさるかはわかっていなかったでしょう。しかし、その時期が迫っていることはひしひしと感じていたことは確かで、それを一世一代の行いで表したのです。

 先にラザロが死んだ時、マリアは香油を準備することはしませんでした。だから死後4日たって、墓を覆っていた石を取り除けた時、死体は腐った匂いを発していました。マリアは、もっともマリアだけでなく家族全員であったかもしれませんが、主イエスが死なれたあと、腐った匂いを発することがないようにと願ったのかもしれません。

 けれども、本来死体に塗るべき香油を、いまイエス様が生きておられるうちに使ってしまったのはどういうわけなのかと言われると、すっきりした説明は出来ません。マリアの行為が葬りのための備えだと意味づけたのはイエス様でありまして、もしかするとマリアはそこまで深く考えていなかったのかもしれないのですが、しかし、主の決定が正しいと見るほかありません。

 マリアはイエス様がキリストであること、油注がれた方であることをわかっていたと思います。ただ香油を頭に塗ることはしません。足に塗ったのは、彼女のへりくだりを示しています。つまり、頭に塗ってはおそれおおいのです。しかし、その行為は彼女が自分で思った以上のこと、イエス様への熱い信仰の告白となりました。

 マリアがしたことの結果、その家は香油の香りでいっぱいになりました。それはキリストの死によって現わされる神の栄光を、この香しい香りによって表したことになるのです。主イエスご自身がこのことを喜びをもって受け入れて下さいました。

 私たちはこの時の食事が、主イエスの十字架の死を指し示しているとしても、ただお葬式の時の食事のように考えてはいけないと思います。イエス様の死を記念する食事であるにはちがいないのですが、むしろ、終わりの日に神の国で催される祝宴を先取りしたものでもあるのです。キリストの死と、キリストの栄光は結び付いています。私たちはこの晩餐とそこで香油が注がれたことのうちに、主の葬りの予告と、主の栄光とを綜合したものとして読み取らなければならないのです。
 主イエスに香油を注ぐ、それは十字架の死を前に、キリストをしてキリストたらしめることであったのです。…私たちはイエス様に直接お目にかかって香油を注ぐことは出来ません。しかしマリアがしたことは私たちに、自分の心と言葉と行いをもってこの方がキリストであることを示してゆきましょうと教えています。そのことは具体的にいうと、私たちに礼拝のあり方を教えているのです。

 

それでは、マリアに対してイスカリオテのユダが言ったことを見てゆきましょう。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人に施さなかったのか」

先ほど申したように、ナルドの香油1リトラは、当時の労働者の年収に相当します。だから、これをイエス様の足に注ぐことなどしないで、貧しい人たちに施してしまえば、どれほどとうとい働きを産み出すことでしょうか。その人たちの命までも救い、神様にこれほど喜ばれることはないのではないでしょうか。

ユダが言ったことは、ただ彼個人の意見ではないでしょう。他の弟子たちも同じ意見、さらに私たちの多くもこれに同意すると思うのです。しかし主イエスは、その考えをしりぞけ、香油を注いだマリアが正しいと言われます。キリストをキリストたらしめるためには、貧しい人々に施しをするという行為でさえ、停止させられなければならないとお語りになるのです。その理由は11節にあります。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」。

世の中に貧しい人々が絶えることはありません。だから、いま施しをする機会を逃してもこの次にすれば良いのです。やり直せば良いのです。しかし主イエスはいつも私たちの奉仕を受け入れて下さるのではありません。食卓の席におられるイエス様は6日ののちには殺されてしまいます。世界の歴史の中でただ一回限りのことが起こります。かけがえのないことです。いま香油を注がなければ、次の機会はないのです。

それでは貧しい人々への施しは取るに足らないことなのでしょうか。戦後の日本の教会で、もっとも熱心に論じられてきた問題の一つは、キリスト者は社会にあって何をなすべきかという問題です。キリスト者はもっと社会に出よう、貧しい人たちへの愛のわざに積極的に参加しようと言う人がいる一方、そんなことに関わる必要はないという人がいます。また平和運動や政治活動にたいへん熱心に取り組む人がいると、逆にキリスト者はまず何よりも礼拝を重んじ、伝道と教会形成に努めるべきで、それ以外のことはやる必要ないという人がいます。こうして熱い論争がたたかわされてきましたが、いちばん悪いのは礼拝にも、貧しい人たちへの愛のわざにも両方とも熱意がないという場合です。ユダは金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていました。キリストをキリストたらしめることに熱意がない人はとかく、貧しい人々のことを気にかけていません。それでいてもっともらしいことを言うというのは、よくあることです。

広島長束教会は財政的に恵まれているといえません。それなのに、特にクリスマスの近くになると、あちこちの慈善団体などから献金の依頼がきます。とても対応できないので、教会のお金は基本的に教会のために使うこととしているのが現状です。対外的には、災害被災地や日本国際飢餓対策機構への献金、日曜学校からユニセフや岐阜の児童育成園への献金をするくらいでしょうか。手元にこれしかないと思ってしまうと、出来ることも限りがあるように思ってしまいますが、これで終わってはしまってはいけません。わずかの捧げ物でも私たちが思っている以上に、効果的に用いて下さる方を私たちは信仰しているのです。何がなされるにしても神の栄光のためになされなければなりません。

私たちは、主イエスが貧しい人々への施しを軽視するような方でないことを確認しましょう。マタイ福音書25章で主イエスは、飢えている人に食べさせ、のどが渇いている人に飲ませ、旅人に宿を貸し、裸の人に着物を着せ、病気のときに見舞い、牢に入っているときに訪ねてゆくことを求めておられます。愛のわざを行うことに人間の救いがかかっている、そのことは強盗に襲われた旅人を助けた善いサマリア人の話に最も典型的に語られています。

ただ一方で、愛のわざにはとても熱心だけれども、それだけが目的となって主イエスを見失ってしまう人もいないわけではありません。そういう人は、短期的には世のために尊い働きをしているのですが、長期的には道を踏み外してしまう可能性があります。イエス様がおられないところで、愛のわざがそのまま続くことはありません。

主イエスはマリアの油注ぎを賞賛し、ご自分への奉仕を求めておられますが、愛のわざを忘れておられるのではありません。主イエスの態度はいっけん矛盾しているようにも見えますが、実のところ一つなのです。そのことがわかるなら、私たちは心の底からイエス様を拝み、尊ぶことで、貧しい人々への愛のわざに向かうことが出来るでしょう。

 

(祈り)

 父なる神様。はるか昔、はるか遠いところで起こった出来事が、私たちにとってどんなに切実な、力ある慰めの出来事となっているかを思い、感謝いたします。神様が不思議なみこころをもって一人の女性を立て、十字架への道を歩むみ子イエス様の栄光を輝かして下さいました。マリアがしたことは、私たちの中で薄れかけている信仰の初心を思い出させてくれました。持てるものすべてを注いであなたのみわざに仕えることが出来た人の中に、私たちが入ることが出来るよう、どうか忍耐をもってお導き下さい。私たちにとってのナルドの香油とは何でしょう。どうか一人ひとりがそれを見つけ出し、心をこめて主に捧げることが出来ますようにと願います。このようにして今年も、イエス・キリストにもっとも深い愛を捧げることによって、隣人への愛をさらに増してゆく自分を見ることが出来ますように。この祈りを主イエスのみ名を通してお捧げいたします。アーメン。

  悪霊追放 youtube 

エゼキエル12:24~25、使徒16:16~24  2019.3.3

 

 パウロ、シラス、テモテ、ルカの一行はエーゲ海を渡ってマケドニアに足を踏み入れ、ローマの植民都市であったフィリピに向かいました。安息日に川岸の祈りの場所に集まっていた女性たちに話をした時、主がその中でリディアという人の心を開かれたので、彼女やその家の人たちが洗礼を受け、こうしてヨーロッパで最初の信者が与えらました。リディアは裕福な商人でした。彼女は自分の家をパウロたちの宿泊のために提供し、そこを伝道の拠点としました。今日はその続きです。

 

 パウロたちは安息日だけでなくふだんの日も、この祈りの場所で福音を語っていたようで、占いの霊に取りつかれている女奴隷と会うことが何度もありました。そのたびにつきまとわれたのです。この女性は、パウロたちのうしろについて来て、叫ぶのです。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」

 こんなことが来る日も来る日も繰り返されるので、パウロはたまりかね、ついに占いの霊に向かって、「イエス・キリストの霊によって命じる。この女から出て行け」と言うことになりました。パウロとシラスはこの結果、牢に投げ込まれてしまうのですが、…この話から考えてみたいことがいくつも出て来ます。パウロはなぜこの女性を黙らせたのか、占いとか占いの霊とは何なのか、パウロたちが投獄されたことは私たちに何を教えているか、といったことです。順に述べてみましょう。

 

 まず最初の問題は、パウロはなぜこの女性を黙らせたのかということです。ちょっと考えると、パウロのしたことはあまり賢い判断でないように見えるのです。…パウロたち4人は「わたしたちを助けてください」というマケドニア人の幻に促されて、見も知らぬ土地にやってきました。土地の人々から見ると、よそ者がやってきて、自分たちの知らなかった新しい教えを説いているということですから、伝道が最初からうまくゆくとは到底思えません。そんな時に、よく当たると評判の占い師が無料で自分たちのことを宣伝してくれるのだとしたら、こんな有難いことはないのではないでしょうか。もしも今、広島の町で、評判の良い他宗教の人物が長束教会のことをほめちぎってくれたとしたらどうでしょう。私たちは喜んで、その言葉を教会の宣伝ビラに刷り込むかもしれません。

 パウロが困惑した理由は、彼女の言葉にあったのでしょうか。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」、これ自体は間違った言葉には聞こえません。皆さんはどう思われでしょう。…しかし厳密に考えると、占い師が言っている「いと高き神」や「救いの道」というのは、パウロが語っていただろう「いと高き神」や「救いの道」とは違っています。同じ言葉を使っていても、思い描いているのは全然違うのです。出発点が全く違うために、そういう結果になってしまう、たいへんまぎらわしいのですが、こういうことはひんぱんに起こることですから、私たちは注意深くしていなければなりません。

 ただこの場合、もっと簡単な判別方法があります。この占い師は、パウロたちのことを宣伝しながら、しかしその集会に参加したのではないのです。もしも彼女が集会に参加してパウロの話を聞いていながら、その一方で宣伝活動にはげむならまだわかります。しかし、決してそうはしないのです。

 主イエスがガリラヤ湖をわたって異邦人ゲラサ人の地に行かれた時、悪霊に取りつかれた人が墓場から出て来て主イエスの前にひれ伏し、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」と叫んだことがありました(ルカ8:28など)。イエス様のことを「いと高き神の子」と言った悪霊はその直後に退治されましたが。…ふつうの人はイエス様を見てもすぐにはいと高き神の子とは気づかないかもしれません。しかし、悪霊には、悪霊だからこそ、そこに自分の最大の敵がいるのがわかるのです。…イエス様のことをいと高き神の僕だとか神の子とだとか言っている人がみなイエス様を信じて、従うということはないのです。

 

 この占い師について、聖書は「占いの霊に取りつかれている女奴隷」であると書いています。

 「占いの霊に取りつかれている」というのは、ちょっと聞きなれない言い方で、私たちには意外なのですが、ここで「取りつく」というのは、何か得体のしれないものが乗り移っていることを示します。「狐がついた」とか「死者の霊が取りつく」という言い方がありますね。それがどういうことであれ、その時、その人は別人格になります。この女奴隷がふだんは正常なのに時々興奮状態になって霊に取りつかれるのか、それとも一日24時間すべて、霊に取りつかれた状態だったのかははっきりしませんが、いずれにしても、彼女に取りついた霊が口を開いて占いの言葉を出すのです。これは「口寄せ」とか「霊媒」によって行われる行為に近いようです。

つまり、そこで語っているのが死者とされていたのか、それとも異邦人の神々とされていたのかはわかりませんが、霊に取りつかれたと書いてある以上、演技しているのではなく、恍惚状態で占いをつげていたのだと思われます。

 私たちはこういうことが旧約聖書の中で禁じられていることを知っています。レビ記19章31節は言います。「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。わたしはあなたたちの神、主である。」エゼキエル書12章24節も、神が統治する新しい世界についてこう言っています。「もはや、イスラエルの家には、むなしい幻はひとつもない。気休めの占いもない。なぜなら、主なるわたしが告げる言葉を告げるからであり、それは実現され、もはや、引き延ばされることはない。」

 聖書は口寄せ、霊媒、また占い師が語る言葉を神の言葉とはっきり区別しています。人は神の言葉にこそ従わなければならないのです。私たちイエス・キリストを信じる者たちは、自分は占いなんて信じないと思っているはずですが、しかしいつこういう怪しげな力に引っぱられそうになるかはわかりませんから、注意が必要です。…こんなことがありました。何年前だったか、この教会の礼拝に来た見知らぬ女性が石膏で造られた像を持ってきて、これが家にあると夜、死人のような男が夢の中に現れるから預かってほしいと言って、その像を置いていったことがありました。妻が気味悪がって、その像をすぐにゴミに出してしまったのですが、惜しいことをしました。今になって思うと、その像を部屋に置いておくぐらいでなければならなかったのです。こちらが信仰によってしっかり立っていれば、何も怖がる必要はないのですから。

 皆さんにとってもっと役に立つ話をしましょう。紀元前4世紀から3世紀にかけて中国に生きた屈原という人が、祖国を追放され苦境にあった時、偉大な占い師に質問したという話があり、読んでみます。漢文読み下しなので、少し難しいのですが。

 「勤めて正直であり、一心かつ忠誠であるのがよいのか。それとも世の中の成り行きに任せて、難しいことを避けるのがよいのか。隠さず真実を話して、身を危険にさらすのがよいのか。それとも富貴の人の気まぐれにつきあって、身の安泰を保つのがよいのか… 廉潔かつ正直で、身を清らかにしておくのがよいのか。それとも気軽で上滑り、脂や皮のように従順なのがよいのか。」

 これに対して、偉大な占い師はこう答えました。

 

 「占いの道具が役に立たず、知識だけでは明らかにできないこともあります。私の算法が及ばない、神が効力を持たないこともあります。あなたの心を用い、あなたの決断を伴うような問題は、亀甲やめとぎが助けられることではありません。」(『楚辞』「卜居」)

 要するに、人間がどう生きるべきかという、その最も根本的な問題に対して、偉大な占い師は答えることが出来なかったのです。これは古今東西、どんな占い師であっても変わらないのです。

 

 パウロは、初めは占い師のしていることを我慢していましたが、とうとう耐えきれなくなって、やめさせました。18節、「パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。』

パウロはこの女性に対してではなく、取りついている霊に向かって命じたのです。すると霊は即座に出て行きました。パウロがここでしたことは、自分の邪魔になるものを排除したということだけではなく、悪霊に取りつかれている人をイエス・キリストの名によって解放したということです。

 パウロは、キリスト者はすべての権威の上にあるイエス・キリストの権威によって、悪霊に勝つことが出来るということを示してくれました。彼女は解放され、占いをすることはなくなりました。…ところが、このことで怒り狂った人がいました。それがこの女性を奴隷とし、その占いによって大きな利益を得ていた人たちで、彼らはパウロとシラスを捕らえ、犯罪として訴えました。

 古代において、奴隷は主人の財産とされていました。ですから、パウロが女奴隷から占いの能力を取り去ってしまったことは、この奴隷の価値を大きく下げてしまったことになります。しかし当時としても、そのことをもって法律上の罪とすることは出来ません。そこで奴隷の主人たちは、「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と言って、告発したのでした。

 新しいことをしようとする人が、平和を乱すとか混乱させるとか言われるのはよくあることです。かりにパウロがその土地の人々と衝突しないように気を配っていたなら、そんなことは言われません。その地域には、それなりの秩序がありましたから、これを変えてゆこうとするパウロたちは、町の平和を乱し、混乱させる者とされてしまったのです。

…なお告発者たちは、「ローマ帝国の市民であるわたしたち」と言います。自分たちはそうだけどパウロたちはそうでないと思っていたようですが、これは偏見です。パウロもシラスも実はローマ帝国の市民権をもっていました(22:28)。ろくに調べもしないで投獄してしまうのは、法的にも間違いだったのです。

 パウロとシラスは何度も鞭で打たれたあと投獄されました。足には足枷がつけられました。私たちがそういう目にあったら、耐えることが出来るでしょうか。…そこで、後世の教会はこういう場面において別の解決法を考えようとします。つまり、占いの霊に取りつかれた人の解放や、その人を利用してもうけている人たちとの対決を避けて、ひたすら福音を語るという解決法です。パウロたちは思慮が足りなかったのではないか、郷に入れば郷に従えと言うじゃないか、自分たちならもっとうまくやるだろう、…こういう人が多いと思うのですが、パウロとシラスはもちろん、イエス・キリスト自身、そうされなかったことは事実です。

 こういったことは私たちの信仰生活にとってきわめて実践的な課題だと思います。私たちがこうして礼拝をすることが、ただ狭い意味の心の慰めというようなことに終わらないことを望みます。パウロとシラスのここでのあり方が私たちの道しるべとなりますよう、引き続き使徒言行録を学んで行きましょう。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様に敵対する力が世界で力をふるっていて、それはまた私たちのすぐ近くまで来ています。私たちは占いなんていうと笑いとばしてしまうことが多いのですが、それでいて心のどこかにそういう類いのものを入れる場所を残したままでいることをざんげいたします。

 神様以外の力が、私たちの悩みに答え、生きるための指針を示してくれることはありません。これによって、世に勝つことも出来ません。そんな力を信じてついていけば、奈落に落ちてしまうこと、私たちが拠って立つべきなのは神様、あなただけであることを心に刻むものとして下さい。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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コヘレト12:9~14、ロマ11:33~36  2019.2.24

 

 礼拝でコヘレトの言葉を学び始めたのは2016年8月のことでした。私たちは2年半をかけてようやく最後の部分にたどりつくことが出来たことになりました。この道のりは長かったでしょうか。

 コヘレトの言葉は、聖書の中でも特に注目を集めることもあれば、暗いと言われて敬遠されることもあります。その理由が、ご存じの「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」という、一度聞いたら忘れられない言葉であることは間違いありません。コヘレトといえばこの言葉です。コヘレトの言葉を読む時、誰もが限りない空しさとその中に置かれた自分の人生に直面させられます。…しかしコヘレトは、そうした言葉でもって自分も読者も共に絶望の淵に突き落そうとしたのではありません。そうではなくて、絶望の底からの本当の解放、本当の自由を探し求めた人でした。このことは私たちは心しておかなければなりません。

 コヘレトの見るところ、世界はすべてが空しくて、人それぞれの人生も意味のないものでしかありませんでした。それでもコヘレトは、この世に起こることの意味や、人生の目的、人間にとっての幸福といったことが何かあるのではないかと探究してきました。世界も、人生も、空しいままにしておくことは出来なかったからです。

 幸いなことにコヘレトは神を信じる人でした。もしもコヘレトが神を全く信じない人であったなら、…そういう人はこの時代はほとんどいなかったのですが、…いったいどこに向かっていったことでしょうか。しかしコヘレトは、どんなに暗く、陰鬱な気持ちになった時でも、神を信じることをやめることはありませんでした。

 コヘレトの歩みは、たいへん曲がりくねったものでありました。彼は神が宇宙とこの世界のすべてを造り、治めておられることは固く信じているものの、しかしながら、人間が神のなされることを到底知りつくすことは出来ないのだという思いは、彼の中に無力感を呼びおこすものでありました。なぜ世の中にこんなことが起こるのか、楽しい、夢のような日々があってもなぜ死でもって閉じられてしまうのか、神はどうして、こんな不条理な世界に人間を放り出すのか、…こういった問題をかかえたまま、12章1節でコヘレトは「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」という有名な言葉を発します。…これは十代や二十代の若い人たちにだけ言われているのではありません。八十代、九十代、たとえ百歳の大台を超えていたとしても、心が死んでしまわない限り今が青春なのです。コヘレトはここで、まだ間にあう間に神を信じて生きなさいと説くのです。…私たちも、いつこの世を去ることになるかわかりません。

世を去らないまでもいつ全く出口のない八方ふさがりの世界に入ってしまうかもしれません。いま、この時が大切なのです。決断をずるずると後回しにすることは出来ません。

 

 それでは12章の9節から最後までに書いてあることはいったい何なのでしょう。皆さんはこの部分を読んで、不思議に思われはしませんでしたか。ここをじっくり読んでみますと、どうもコヘレト本人が語った言葉には見えないのです。…実際、多くの学者が、これはコヘレトでなくて別の人物が書いたものだと考えています。…というのは、これまでコヘレトは、わたしは、わたしは、と言っていました。ところが9節は「コヘレトは」で始まるのです。内容的にも、コヘレトが自分で自分のことを語ったようには見えません。…いや、これはあくまでもコヘレト自身が書いたものだと主張する人もいるのですが、以上のことから私は、これはコヘレトが書いたものではないとして話を進めさせていただきます。

 ここには第三者の目から見たコヘレト像が書いてあります。「コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した」。

これは本の終わりの部分にある作者紹介のようなものです。ここから私たちは、コヘレトが知恵のある人であり、また賢者と呼ばれるにふさわしい人であったことがわかります。コヘレトは伝統的な教えをただ守っていくだけではなく、そこに新しい意味を盛り込んでいった人でありましょう。また職業的な、知恵の教師として、自分の得たものを教えていった人だと考えられます。「民を教え、知識を与えた」と書いてありますから、イスラエルの民を指導するような人だったのではないでしょうか。

 コヘレトは昔から伝わってきた多くの格言を調べ、研究し、編集しました。彼自身も格言を作っていきました。私たちが勉強した彼の言葉の中にそれらがちりばめられています。

 11節の「賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。」これは一般論のようにも見えますが、やはりコヘレトを念頭に述べた言葉でしょう。突き棒というのは家畜を追っていく時に使われる鞭のついた棒、釘は熟練した大工がしっかり打ちこみます。賢者の言葉はこのように人間を戒め、間違いを正し、励まし、支え、叱咤激励する、耳障りの良いものではなくたいへん厳しいものです。これらの言葉が「ただひとりの牧者に由来し」というのは、神に由来するということです。

コヘレトを初めとする賢者たちにはいろいろな人がいますが、彼らの知恵はいずれもただひとりの神に由来しています。これらが収集家によって編集され、本となり、こうしてついに私たちの目の前にも届けられているのです。

 

 コヘレトのさまざまな言葉を収集し、編集した人物がいるようです。その人物が最後に、コヘレトの意図を汲んだ上で自分の思いをまとめたものが12節から14節までの部分ではないかと思われます。そう確定されたわけではありませんが、その可能性が考えられるのです。

 どういうことかと言いますと、私たちはこれまで、コヘレトがさまざまな思想的遍歴のはてに、最後に「神を畏れ、その戒めを守れ」という結論に達したと思っていました。しかし、実際にはそうではないのではないか、コヘレトの本来の言葉は12章8節までで終わっていて、そのあとは別の人物の言葉ではないのかということです。…もしも全部がコヘレト本人の言葉だったとしたら、8節の「すべては空しい」がなぜ、すぐに「神を畏れ、その戒めを守れ」となるのか、そのつながりが説明しにくいのです。

 

 そこでまず、「書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる」から見ることにしましょう。これはまるで、コヘレトの真似をすることはないんだよと言っているかのように聞こえます。コヘレトはその時代にあったあらゆる書物を勉強した人でありましょう。しかし書物によって、自分の探し求めるものを見出すことは出来ませんでした。このようなことは今の時代にもありますね。むろん本を読むのは良いことです。しかし、本好きな人が古今東西のあらゆる本を読破したあげく、人生の終盤に至って、その体験が何にもならなかったと悟る話もあるのです。あらゆる書物を読むことより、たった一つでも、本当にすぐれた書物をしっかり学ぶことが大切で、そのような書物として聖書以上のものはありません。

 こうして最後の言葉に至ります。すべてに耳を傾けて得た結論が「神を畏れ、その戒めを守れ」だと教えられています。その理由が14節、神が一切のわざを裁きの座に引き出されるであろうから、ということです。

 私は初めてコヘレトの言葉を通読した時、この部分を読んで違和感を感じました。というのは、私は当時、12章9節以降がコヘレトとは違う人によって書かれたなどということは全然知らず、最後までコヘレトが書いたものと思っていたのですが、それまでさんざん「空しい、空しい」と言っていた人から、ここでいきなり「神を畏れ、その戒めを守れ」と言われても、はいそうしますとはならなかったのです。

これはいくぶん無理してくっつけた結論のように思ったのです。…12章9節以降がコヘレトとは別人が書いたものだとしても、事情はあまり変わりません。コヘレトの言葉という書物が「すべては空しい」で終わっては困るので、最後にいちばん常識的な言葉をつけておいたという可能性まで考えられます。

 しかし、調べてゆくと、こんな単純なことではありませんでした。                          

 まずことわっておきますが、コヘレトは神を否定したり、その戒めを守る必要はない、などとは決して言うことのなかった人でした。コヘレトは、神を畏れるということをこの書の中ですでに4回も述べています。その中の3章14節では、「神は人間が神を畏れ敬うようにと定められた」とあり、5章6節でも「神を畏れ敬え」と命令形で呼びかけています。宇宙のすべてを造られ、また自分をこの世界に送り出した神をコヘレトは畏れ敬いましたし、そのことを他の人々にも勧めていったのです。神は天におられ、人間は地の上にいます。その間には越えがたい隔たりがありまして、彼はそこを飛び超えようとはしません。神は人間のしている善も悪もすべてご存じであり、人間を裁き、滅ぼすことの出来るお方なのだということを彼は知っていました。…だとすれば、コヘレトがすべての探求の果てに、「神を畏れ、その戒めを守れ」という結論に達したとしてもおかしくはありません。

 では、ここに出て来る神、コヘレトが考えた神とは、どのような神なのでしょうか。コヘレトは12章1節で、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」と言いました。コヘレトにとって、神は創造主です。もちろん私たちにとっても神は創造主です。…ただ、それだけでは、コヘレトの悩みも私たちの悩みも解決するには至りません。

 そのことを親子の例で見てみましょう。誰もが、親から生まれてきます。ただ、血がつながっているからといって必ずしも心がつながっているわけではありません。だから「生みの親より育ての親」と言われるのです。コヘレトは生みの親としての神様を知っていたとしても、育ての親としての神様を知らないままで来たようです。

 コヘレトは5章15節16節でこう言っています。「風を追って労苦して、何になろうか。その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない」。コヘレトはこのような心境から抜け出すことが出来ません。コヘレトの言葉の中には後半部分に多少明るい言葉もあり、希望が感じられることがあるのですが、空しさやわびしさ、虚無感は終生、彼につきまとっていたものと思われます。それではあまりに暗くわびしく、救いがないのではないでしょうか。…確かにそうです。…それはコヘレトの信じている神様が、創造主ではあっても、救い主までにはなっていなかったからです。

自分を創造された神が、同時に自分を愛していることを心から願ったのに、そう思うことがなかなか出来なかったのです。

 すべてを空しいと見なし、創造主としての神を信じつつも、救い主としての神を見出すことが出来なかったコヘレトが最後に「神を畏れ、その戒めを守れ」という境地に達したということは十分に考えられることです。そのところから、

救い主としての神への探求が始まるのです。

 コヘレトが世を去ってから何百年かあとに、彼が予想だにしなかった新しいものが現れました。それが、皆さんもおわかりでしょう、イエス・キリストです。この方が神は創造主であるばかりでなく救い主でもあることを世界にお示しになりました。キリストこそコヘレトの探し求めていたものの最終的な答えであって、キリストの登場をもって初めてコヘレトの深刻きわまる悩みが解決に向かうと言って良いのです。

 21世紀に生きる私たちは、キリストと結ばれて生きることが許され、またそのことを自覚しています。しかし昔は、創造主としての神様しか知らず、救い主としての神様を求めつつも見出せなかったコヘレトがいたのです。そして今もこれと似たおおぜいの人がいるのです。その人たちにとって、この世界も自分自身の人生も空しいままのように思います。その中で、私たちはどのように信仰者としての生き方を示すことが出来るでしょうか。

 

(祈り)

 三位一体の神様。私たちがコヘレトの言葉を学び終えることが出来ましたことを感謝いたします。時には、気が重くなりそうな言葉にいやけがさすこともありました、今思うとコヘレトの悩みを追体験したことが、私たちにキリストの愛をさらに深く覚えさせることになったのです。

 コヘレトは「空しい、空しい、すべてが空しい」と言い続けました。しかしその空しさの究極的な地点、十字架上にイエス・キリストが立たれ、すべての空しさを引き受けられることで、完全な救いと喜びを世に与えて下さいました。だから私たちは少なくとも、虚無的な態度で人生を過ごそうとは思いません。

 神様、私たちがどうか創造主としての神様ばかりでなく、救い主としての神様を心に深く留めることが出来ますように。神様、いまもなおキリストに出会うことが出来ず、コヘレトのように悩み多い、つらい人生を送っている人がいることを覚えます。どうか、その人たちに神様からの明るい光が与えられますように。一足先に神様の恵みにあずかった者としての私たちのすべきことも教えて下さい。この祈りを、とうとき主イエス・キリストの御名によってお捧げいたします。

アーメン。

   喜びの人生 youtube 

コヘレト11:7~10、エフェソ5:6~8  2019.1.27

 

 私が子供の頃読んだイソップ童話集の中にこのようなお話がありました。

 人間の一生には若い頃から順番に馬の年、牛の年、犬の年というのがあるのだそうです。それぞれ馬と牛と犬に頼んで分けてもらったのですが、そのために問題が起こりました。人間は馬の年には高慢ちきで、牛の年にはもうやっかい者、年とって犬の年になると怒りっぽくなってしまうというのです。

 もちろんこれは何の科学的根拠もないお話にすぎませんが、人の性格が年齢によって変わってゆくというのはある程度当たっていると思います。

 人の一生をたどってみますと、幼児の時は天真爛漫でも、成長するにつれてそうはゆかなくなります。私が以前、ある教会で働いていた時、小学6年生の女の子が2歳の男の子を見てしみじみと「今がいちばん良い時だわねえ」と言うんですね。あの子たちも相当悩みが多いんだということがわかった次第です。青年時代は高齢者から見ると、うらやましくて、出来るならもう一度あの日に戻りたいと思うかもしれませんが、当の青年にとってみれば疾風怒濤の時代で、楽しいことがある一方、つらいことも多いように思います。そのあと中年になって円熟し、老年になって穏やかに時を過ごすことが出来たら良いのですが、人によってはなかなかそうはならなくて、怒りっぽくなったり、また気持ちが落ち込んでしまうということが多いわけです。…そこには死を前にした不安があって、いったい自分の人生は何だったのかと思いながら老年の日々を過ごすというケースもあるように思います。……短い、はかない人生、しかし、そうだからこそ若さや青春が賛美される理由もあるのです。

 

 私たちはいま人間の若い時から老年の日々までを振り返ってコヘレトが考えたことを目にしています。いまこの場におられる皆さんは、コヘレトの書いた言葉を自分の人生に重ね合わせて受けとめていることと思います。

 ここには明るい言葉がたくさん見えていますね。光とか太陽、また若者への呼びかけなど、コヘレトの言葉の中では少し珍しいところです。コヘレトの言葉を貫く空しいという言葉がここにも出て来ますけれども、私たちはまずそこに明るさがあることに注目いたしましょう。

 「光は快く、太陽を見るのは楽しい」。これは人生の喜びを歌っているものと考えられます。パレスチナの気候は日本とはかなり違っていますので、「焼けつくような太陽を見てなぜ楽しいのか」と言う人がいましたがそれは考えすぎです。パレスチナでも日の出を仰ぐのは素晴らしいひとときです。人生にはそのような喜びがあるのです。

ここでコヘレトは人生を喜びのうちに生きよと勧めているものと考えられます。従いまして、人生が長いことは喜びが継続するということになります。…人が長生きするのは素晴らしいことです。むろん若い命を神に召される人がいて、その人生も当然価値あるものですが、長寿は神の賜物ですから人はそれを願い求めるべきです。だから長生きが出来たなら、まずそれを喜び、感謝すべきです。もしも長生きをしながら、毎日をうつうつと過ごすことがあれば、それは神を信じる者の生き方ではありません。

 もちろん、長生きし、喜びに満ちている人にも暗い日々が多くあり、それを忘れてはいけないのですが、まずは喜ぶべき時に喜ぶ者でありたいと思います。

 

 では次にコヘレトの、若者に対する呼びかけを見てゆきましょう。

 「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け」。コヘレトはこの時かなりの年齢になっていたと思われますが、若い人に向かってこんなことを言う老人は案外珍しいのではないかと思います。…それは誰もが知っているように、老人は若者の行動にブレーキをかけることが多いからです。しかし、本当に若者のことを考えてなされる呼びかけはこういう形をとるものではないでしょうか。もしも若者が自分の若さを喜ばず、青年時代を楽しく過ごそうとしないなら、…いわば心が燃え尽きた状態で生きているなら、それはその若者にとっての損失だけにとどまらず、社会全体にとっても大きな損失となってしまうでしょう。

 昔から、それこそ旧約聖書の時代から、年取った世代が「いまの若いものは…」と言って若い世代を批判することがありました。上の世代から批判された世代が下の世代を批判するということはまわりまわって、今の時代に至り、2019年の現在、日本の若い世代もいろいろ言われているわけですが、いまの若い人たちの欠点をあげつらうよりも先に、彼らの中に若さがあるかどうかが問題とされなければなりません。「自分の人生、もう先が見えている」という若者がいたら、「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい」と言いたい、青年時代を本当に楽しく過ごしてもらいたいし、心にかなう道をまっすぐ進んでいってほしいと思うのです。

 いまの日本の若い世代についてある人は、年々質が落ちてきていると言います。また別な人は、今の若い人たちは昔の世代が経験しなかった困難の中を生きていると言います。本当のところはどうなのか、いろいろな考え方があるでしょうが、コヘレトの言葉を根拠にする時、まず、若者が若者らしく生きることこそが求められていると思うのです。人生を喜ぶことは、若者にとって特権であるばかりでなく、義務ですらあるのです。

ただし、今述べたことは若者への呼びかけのすべてではありません。コヘレトは「知っておくがよい。神はそれらすべてについて、お前を裁きの座に連れて行かれる」と言います。若者が若者らしく生きることが求められる時、その行うすべてのことについて、神が責任を問われることを心に刻んでいるべきです。ということは、神のみこころの中において、人生を大いに喜び、楽しめということなのです。

 昔の自分のことを棚に上げて言うのですが、残念なことに、いま多くの若者が人生の喜びや本物の楽しみを知りません。お金ばかりかかる、刹那的な刺激にばかり心をとらわれていて、そのような楽しみにふけることが青年時代を楽しく過ごすことだと思っているのです。それはしばしば心にやましさをいだいたままの快楽となり、罪の泥沼にはまることとなります。だとするとそれは真の喜びとは言えません。いつの日か、神の裁きの座に立った時に申し開きの出来ることをしているのかどうかが厳しく問われているのです。

 それゆえコヘレトは言います。「心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け」と。ここで「心から悩みを去り」というのは、人を本当の喜びから遠ざける思いを取り去れということ、「肉体から苦しみを除け」とは、肉体に苦しみをもたらすことを取り去れということです。…サタンのもたらす喜びにふけってはならない。神を畏れて生きるべきである。心に本当の喜びを与え、肉体に益を与える喜びを見出して青年時代を生きてゆくべきなのです。そこには肉体の鍛錬やスポーツもあるでしょう。聖書がフィリピ書4章8節で教えていることが、若者を導く道しるべになってほしいと思います。「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」。

 

 さて、きょうの箇所にも出て来る、コヘレトの言葉の常套句である「空しい」ということについて考えてみましょう。8節は「長生きし、喜びに満ちているときにも」と書き、長生きが喜びに満ちている時と結ばれて、肯定的に言及されていますが、それでも、「暗い日々も多くあることを忘れないように。何が来ようとすべて空しい」と念を押されています。

 暗い日々とは人生における試練の日々でありましょう。年を取り、いろいろな理由でつらい日々を送っている人はもちろん、再就職する必要がなく、健康でお金と自由な時間がたくさんあって、さあ第二の人生だと意気込んでいる人であっても、それでも死へと向かってゆく人生のむなしさはいかんともしがたいものがあります。…ただし、8節の「何が来ようとすべて空しい」をどうとらえるかによって、私たちの人生も違ってしまいます。すべてが空しく終わってしまうのか、それとも空しいのだから今を大切にしようとするのか…。

 私は「何が来ようとすべて空しい」というのは理由を示す文だと考えます。…光は快く、太陽を見るのは楽しい。長生きを喜び、感謝しよう。すべて空しいのだから、と。…コヘレトは空しさを強調しますが、私たちは空しさよりも人生を喜ぶことの方に着目すべきだと思います。

 11章の最後にも「若さも青春も空しい」という言葉が出て来ます。あれほど若者に向かって「お前の若さを喜ぶがいい」と言いながら、それが空しいということでしめくくられてしまってはやりきれません。これも8節と同じように考えることが出来るでしょう。「青年時代を楽しく過ごせ」、なぜなら若さも青春も空しいのだから、となるのです。

 コヘレトはこのように人生の喜びと人生の空しさを並べて書いており、コヘレト自身、空しさに呑み込まれてしまうような感じです。これをそのまま受け取るなら、私たちも空しくなってしまいますが、イエス・キリストのあとの時代に生きている私たちは、コヘレトの言うことを尊重しながらもっと別の方向から考えることが出来るはずです。

 第一に訴えたいのは、人生の中で喜びは短く、はかない、だから喜びが尊ばれるということです。人生にはつらいことが多く、この世界には数えきれない悲惨なことがありますが、だからと言って、人がお互いいがみあっていたり、みんな仏頂面をして生きているのではたまったものではありません。…もしもここに一人の幸せな人がいるなら、他の人はその人の幸せをこわそうとしてはなりません。その人の幸せは他の人にも伝わってゆくでしょうから、大切にすべきです。…神は人間が幸福に生きることを望んでおられます。ですから、神の恵みのもと、先に幸せになれる人から幸せになりましょう。そのことが不幸せを超えることになると信じます。

 第二が、若さとは何かということを考えることから導き出されます。9節の「心にかなう道を、目に映るところに従って行け」というのは、平たく言うと「したいことをし、見たいことを見よ」ということです。先ほど申したように神の示された大枠の中でのことですが、それは冒険への招きです。若い人は冒険をするべきであって、それが生きる喜びとなります。もしも、したいことも見たいこともすべてがまんしている若者がいたとしたら、それは若者の名に値しません。…一方、たとえ年は取っていても、「したいことをし、見たいことを見よ」うという気持ちがあるなら、その人はまだ若いのです。

…かつて日野原重明先生は「人間75歳になったら新しいことを始めよう」と呼びかけられました。私が会ったお年寄りは、「日野原先生はああ言うけど、とても無理ですよ」という人が多く、それが現実ではあるのですが、新しいことを始めようという気持ちばかりは失って頂きたくないものです。コヘレトの若者への呼びかけは、年齢的に若者と言えなくなった人にも同じように該当するのです。

 第三が、私たちはコヘレトが知らなかったことを知っていますから、そこから導き出される結論があります。コヘレトにとっては、太陽を見ることがいくら楽しくとも、それはやがて沈んでしまうものでした。太陽はやがて沈んで真っ暗な夜が来るから、太陽のあるうちにこれを楽しめというのがコヘレトの言いたいことでありました。

 たしかに太陽は沈みます。しかし私たちは沈むことのない太陽があることを知っています。イエス・キリストこそ沈むことのない太陽、それは義の太陽、死をも滅ぼし永遠に輝き続ける太陽です。この、新しい太陽のもとにある私たちにとって、これから何が来ようと空しくはありませんし、若さと青春が空しいということはありません。肉体は少しずつ年を取ってゆきますが、死におびえる必要はなく、かえって自分が永遠の命にあずかっていることを喜ぶのです。

 キリストが与えられたことで、神は人間が幸福であることを欲しておられることが決定的に明らかになりました。神を畏れ、神を信頼しつつ、年若くとも年を取っても心に若さをいだいて人生を生きる、その喜びが今日ここにいるすべての者の上にありますようにと願います。

                                                                                       (祈り)                                             

 恵み深い神様。この世の人たちは若さや青春がはかないものであることを悲しみ、死に向かっていく老いの日々をいったいどう過ごしたらよいのかと思いあぐねています。しかし、私たちには死を通り抜けたところから光が与えられていますことを思い、感謝いたします。その光は太陽の光以上のもの、イエス・キリストから来る光です。神様、どうかこの光のもと、私たちの人生をあきらめと絶望の人生ではなく、喜びと希望の人生としていただきますようにお願いいたします。神様から頂くこの恵みが、さらに多くの人に与えられますよう、神様がお建てになった教会に力を与えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。

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列王記下6:15~17、使徒16:11~15  2019.2.10

 

 「わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこからマケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。」

 聖霊に行く手をさえぎられて立往生したパウロ、シラス、テモテ、ルカの一行は、「わたしたちを助けてください」と言うマケドニア人の幻を見たことで心機一転、船出をしてヨーロッパへの最初の一歩をしるすこととなりました。

 トロアスは小アジア半島、今のトルコの中で北西に位置する港町、そこから船に乗ってエーゲ海を進むとサモトラケという島が見えてきます。1624メートルの高さの山があって航海中の目印となっていますが、その島には天然の港がないので、碇をおろして一晩停泊し、次の日に新しい町を意味するネアポリスに到着しました。そこには軍用の道路が通っていて、16キロほど山すそを回ってゆくとマケドニア州の有力な都市であったフィリピがあります。

 むかしマケドニア王国という国があり、国王のフィリポスが建設した町がフィリピです。フィリポスの息子がアレクサンダー大王。紀元前4世紀、アレクサンダー大王は東はインドの近くまで、西はエジプトやトルコまで征服して、大帝国をつくりあげました。大王の死後、この国は分裂していくつかの国となり、もともとのマケドニアの国もやがてローマ帝国に支配されるようになります。

 このあたりは、古来いろいろな民族が入り組んでいて、複雑な歴史をたどってきました。…皆さんは「ブルータス、お前もか」という言葉をどこかで聞いたことがあるのではないかと思いますが、紀元前42年、このブルータスが、アントニウスとオクタヴィアヌスの連合軍に敗れたのがフィリピの戦いと呼ばれています。その後、除隊した兵士がフィリピに住むようになりました。…紀元前31年にはアクティウムの海戦が起こり、オクタヴィアヌスがアントニウスとかの有名なクレオパトラの連合軍を破り、勝利したオクタヴィアヌスが初代のローマ皇帝となります。この戦いのあとも、除隊した兵士がフィリピに住むようになりました。フィリピはこのように、兵士たちが送り込まれて発展した町で、ローマの植民都市とされていました。パウロたち一行はその中に入っていったのです。…フィリピの市民は首都ローマの市民と同等の権利を持っていました。ここはマケドニアで最大ではありませんが、有力な都市でした。ローマ皇帝を礼拝することが盛んで、神殿が置かれていたということです。

 皆さんは、パウロが第一回伝道旅行で各地を訪れた時、どのようにしたかを思い出してみて下さい。

…彼はまずシナゴーグ、つまりユダヤ教の会堂に行きました。安息日にユダヤ人が集まって聖書を読んだり解説したりしているところに行って、イエス・キリストこそが旧約聖書で預言されているメシアであると語ったのです。

ところがフィリピにはユダヤ人の会堂はありませんでした。この時代は、10人のユダヤ人男性がいれば会堂を建てることが出来ると定められていたということですが、ローマの植民都市であるフィリピにはその10人もいなかったのでしょう。パウロたちは以前と同じ方法を使うことが出来ません。

 しかしパウロたちが町の門から外に出て、祈りの場所があるだろうと見当をつけた川岸に行ってみると、はたしてそれが見つかりました。フィリピの町から2キロメートルほどのところに川があります。自分の会堂を持っていない少数派のユダヤ人が、ローマ人の目をはばかるようにしてそこで祈っていたのではないかと思われます。なぜ自分たちの家の中ではなく川岸だったのかははっきりしません。そこでは時に洗礼が行われたと考える人もいます。洗礼と言っても、イエス様が授けよと命じられた洗礼ではなく、バプテスマのヨハネが始めた洗礼ですが。…そこに女性たちが集まっていました。パウロたちはその集まりに加わり、座って、彼女たちに話をしたのです。その内の一人、「ティアティラ市出身の紫布を扱う人で、神をあがめるリディアという婦人」が、最初のキリスト者になりました。

 リディアは、口語訳聖書ではルデヤという名前になっていました。札幌北一条教会にはルデヤ会という職業婦人の集まりがあります。彼女からその名をもらっているのです。…出身地のティアティラ市というのは海の向こう、以前パウロが伝道しようとして出来なかったアジア州にあって、染物工業で知られていました。紫の布は数種の巻貝の体液を抽出して作られた布で、王侯貴族など社会的地位が高い人々が愛用した高級品ですから、リディアは経済的に豊かで自立した女性であったと考えられます。彼女はこの時、商売のためにフィリピに滞在していたのでしょう。ローマの植民都市フィリピなら市場の開拓が見込めると判断して、遠いティアティラからこの町まで来たとすると、商売人としてなかなか有能だったにちがいありません。彼女はこのあと、自分の家にパウロたち4人を宿泊させます。それだけの大きな家を持っていた人です。

 彼女について「神をあがめるリディアという婦人」という言い方がなされていますが、これは当たり前の言い方ではありません。これは特に、異邦人でありながらユダヤ教にふれ、神をあがめるようになった人であることを示しています。

出身地のティアティラにはユダヤ教のシナゴーグがあったことがわかっているので、彼女はふるさとでユダヤ教の礼拝に出席して、聖書を学んでいた可能性が高いです。

いまフィリピにはシナゴーグがないわけですが、小さな集まりでも積極的に出席して、信仰の道を歩んでいたのです。

 リディアは経済的に成功している女性ではありましたが、しかしそのことで慢心することなく、神をあがめる人でした。そのため私たちは、彼女がパウロの話を聞いてイエス・キリストを信じるようになったのも当然だと考えてしまうかもしれません。しかし、そんな単純なことではありません。

 その場にはほかに何人かの女性がいましたが、この日、パウロの話を聞いて信じたのはリディアひとりです。その他の女性たちは、その後、日をおいてからリディアと同じ信仰を持ったのかもしれませんが、その日に信じることはありませんでした。リディアと他の女性たちはどこが違ったのでしょう。

 使徒言行録は、「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」と書きます。…彼女がパウロの話を注意深く聞いたことで、信仰を持つようになったのは確かです。信仰は、み言葉を注意深く聞くところに与えられます。いま皆さんが聖書の言葉と私の語る説教に注意深く耳を傾け、聞いておられる、そのような所にこそ信仰の生まれる場があるのです。…けれども、リディアにしても私たちにしても、注意深くみ言葉を聞こうとしても聞けるものではなく、それだけで信仰を持つまでにはなりません。リディア以外のそこにいた女性たちも、パウロの話を注意深く聞こうとしていたかもしれませんが、少なくともその日は信仰を持つまでにはならなかったのです。

 この問題の答えは、聖書に書いてある通り、「主が彼女の心を開かれた」ということです。「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」のです。

 自分で自分の心を開こうと思っても出来るものではありません。主がリディアの心を、彼女が願うより先に、開いて下さったのです。主がリディアの心をキリストの福音に対して開かれたものにして下さいました。皆さんは、この「主」という言葉を、主なるイエス・キリストであると受け取って下さい。天におられる主イエス・キリストが聖霊を送ってリディアの心を開かれたのです。

 キリストの福音という宝ものを伝えておられるのはキリスト御自身であって、パウロにしても、また他の誰であっても、人間である以上、福音を取り次ぐ中継地点にすぎません。またリディアであってもほかの誰であっても、その人が優れた人であってもそうでなくても、それは重要ではありません。ただキリストの働きが聖霊を通してその人に働きかけることによって、信仰が生まれるのです。

 キリストの働きを受けた時にどのように応答するかに、その人の主体性が現れます。主によって心開かれたリディアの応答は、すみやかで具体的でした。15節は言います。「彼女も彼女の家族もバプテスマを受けたが、そのとき『私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください』と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。」

 リディアは洗礼を受け、キリスト者になりました。それだけでなく、家族の者にも洗礼を受けさせました。ここで「家族の者」というのは原文を見ると「家中の者」と訳すことも出来る言葉です。リディアが紫布の商人として経済的に自立していたことは、彼女が未亡人であるか独身であった可能性が高く、その場合、一緒に洗礼を受けさせた人たちは、彼女のもとで働いている人たちの可能性があります。もちろん彼女に夫や子どもがいてもかまわないのですが。

 リディアはさらに、パウロたち4人を自分の家に招いて宿泊させることで、その伝道を積極的に支援しました。…これはリディアが裕福な人だったから出来たことですね。キリストは「貧しい人は、幸いである」(ルカ6:20)と教えられましたが、これは富んでいる人がそのために罪に定められるということでは決してありません。人はそれぞれその持っている財産に応じて、それをキリストの働きのためにささげるべきです。その時、お金持ちも祝福されるのです。

 

 こうして始まったフィリピでの伝道がヨーロッパで最初の教会を誕生させ、紆余曲折はあるもののやがて豊かな収穫の実を結ぶことを私たちはこれから見ることになるでしょう。

 今日は初めに、旧約聖書、列王記下の6章15節以下も読みました。ここはリディアと関連がないところではありません。…いつかじっくり学びたい箇所ですが、ひとことで言うと、敵の大軍に包囲されて、もうだめだとうろたえる人の目を主が開かれて、天の大軍が自分たちを守っていることを見せて下さったという話です。…現実を知ることはもちろん大切で、ないがしろには出来ません。しかしその時、神様が人の心を開かれて、これを超える現実を見せて下さるということがあるのです。

 エマオに向かっている二人の弟子の話もあります。彼らは一緒に歩いている人が誰だかわからなかったのですが、その目が開かれたとたんそれが主イエスだとわかったのです。…キリスト者を迫害していたパウロ自身も、主イエスご自身によって信仰へ導かれ、また第2回伝道旅行での行き詰まりの中、主イエスによって自分たちの前に道が備えられていることを知ったのです。そうしてパウロがその道を歩んで行く中、主は今度はリディアの心を開いてパウロの語るみ言葉に耳を傾けさせ、彼女に信仰を与えることでフィリピ教会の礎を築いて下さったのです。
 いま私たちの礼拝堂にはイエス様の椅子が置いてあります。私たちは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中に  いるのである」(マタイ18:20)という言葉を信じています。それでは、私たちは礼拝の中で、どのようにしてイエス様と出会うのでしょうか。それは何よりも、聖書の朗読と説教によって聖書の真の意味がわかり、心が開かれて、そこに書かれているのは救い主イエス様だとわかる時です。「まことにここに主がおられる。これこそイエス様、私たちの救い主だ」とわかる時、私たちの心は   開かれたのです。そのような主、イエス様との出会いが続けられることを祈り求めつつ、毎週の礼拝を大切にしたいと思います。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。今日私たちは、主イエスがパウロを通してリディアに働き、その心を開いて下さったところを見て来ましたが、神様はいま私たちの心を開いて下さったでしょうか。私たちが神秘的な体験を求めたとしてもなかなか出来ません。昨日も今日も、教会に行っても行かなくても、あまり変わらないように見えることさえあります。しかしその判断がすべてではありません。イエス様によって心が開かれ、信仰が成長していることを喜ぶことが出来ますように、その恵みが自分を絶対化することによってではなく、謙遜な思いの中に与えられますように、常にイエス様を見上げ、罪を悔い改めつつ歩む人生の道を一人ひとりに備えて下さい。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

   福音を告げ知らせる youtube 

 

詩編27:1~4、使徒16:6~10  2019.2.3

 

 パウロの第2回目の伝道旅行で起こったことをお話しします。

 パウロはシラスという人を連れて、今のシリアにあるアンティオキアを出発して北に向かいました。先の第1回伝道旅行で福音を語り、教会を建てた町を訪ね、信徒たちがどのようにしているかを見て来ようというのが一つの目的でした。デルベに行き、次にリストラを訪ねた時、テモテというたいへんに優れた若者との出会いがあり、パウロは彼も伝道旅行に連れて行きます。テモテは、パウロの下で助手となり、やがて伝道者として育てられていったのです。

 パウロたちはこのあとイコニオンとアンティオキアに行ったと思うのですが、訪問した先の教会では、「パウロ先生が戻って来られた」ということでとても歓迎されたことでしょう。今日の箇所の直前の16章5節には、「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」と書いてあります。パウロは神への感謝の中、喜び勇んで、次の場所に向かおうとしていたことでしょう。

 聖書の巻末に地図が入っている方は、パウロの宣教旅行2をご覧下さい。こここに書いてあるルートは、だいたいこういう道をたどったのだろうということで考えられているものです。別の聖書地図と比べてみると、違っているところもありまして、これが本当に正確なルートだったと断定することはできません。地図上では直線距離をたどるだけであっても、現実には曲がりくねった道を歩いていたということもあったでしょう。…私たちが想像できないような旅で、不便なことが多かったはずですが、その点について使徒言行録は触れていません。私たちは、文章の行間を読み取りながら、それが教えていることを見て行くことにしましょう。

 

 6節は、「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので」と書きます。アジア州とは小アジア半島の西の地方です。パウロはデルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキアのあと、アジア州で伝道することを計画していたようです。具体的には、アジア州の中心都市であった港町エフェソを目指していたのでしょう。アジア州での伝道において拠点となるのはエフェソです。パウロはまずそこに向かおうとしていたと思われますが、それがどうしたわけか聖霊によって禁じられたというのです。

 パウロは前回訪れたアンティオキアまで行けばそれで旅の目的は達したということではなく、さらにその先を考えていたのですが、アジア州に行けなくなったので、今度は北方のフリギア・ガラテヤ地方を通ってミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしました。

黒海の沿岸地方で伝道しようとしたのです。するとまた、「イエスの霊がそれを許さなかった」ということになり、そこで仕方なくミシア地方を通ってトロアスという港町にたどり着きました。パウロの一行は西に向かおうとして禁じられ、北に向かおうとしてまたも禁じられ、たどり着いたトロアスはと見ると、海が広がっているばかりでそれ以上進むことが出来ません。伝道したい、一人でも多くの人を救いへと導きたいと熱望しているパウロに、どうしてそんなことが起こってしまったのでしょうか。

 

 そこでまず、「聖霊から禁じられた」、「イエスの霊がそれを許さなかった」ということが何だったかが問題になります。イエスの霊というのは聖書でここしかない珍しい言い方ですが、聖霊と同じです。…一つの可能性としては、聖霊による直接の、超自然的なお告げがあったというものです。現代とは違って、不思議なことがたびたび起こった時代ですから、そういうこともあったかもしれません。しかし、ここで聖霊が語った言葉が記録されていないことから、言葉が与えられたわけではないことも考えられます。

 そこで、もう一つの可能性が考えられるわけですが、それはパウロたちに何かが起こって予定を変更せざるをえなくなったということです。そのことをあとになって、聖霊から禁じられたのだと受け取って、そう書いたのではないでしょうか。…では、その場合、何が起こったのかということですが、パウロが病気になって、西に進むことも北に進むことも出来なくなったのだということが考えられます。…パウロの体に「とげ」が与えられ、これを取り除いてもらうよう神に三度祈ったというのは有名な話です。その病気とは、てんかんだとか、目の病気だとか、マラリアなどいろいろ言われているのですが、病気のために当初の計画を変更するというのはよくある話ではないでしょうか。

 これに関連することで10節をご覧下さい。突然、「わたしたち」という言葉が出て来るのです。「わたしたちは、…こうすることにした。」誰がこんなことを言ったのか、そこで考えられるのが使徒言行録の作者です。使徒言行録の作者はルカ、ルカによる福音書の作者と同一人物です。ルカについてはコロサイ書4章14節で「医者ルカ」と紹介されています。…こういうことから、医者ルカがこの時からパウロたち一行に加わったということが出来ます。そうして、彼がなぜ一行に加わるようになったか、そのきっかけがパウロかあるいはほかの誰かが病気になったからだ、と考えるとつじつまが合ってくるわけです。

 なお聖霊がそこに行くのを禁じたということから、アジア州やビティニア州の人々には福音はいらないか、と思われた方がいるでしょうが、そんなことはありません。事実、その後これらの地方にも福音は伝えられました。

パウロ自身も第3回伝道旅行の際にエフェソを訪れ、ここの教会と深い関わりを持つようになるのです。

 聖霊が禁じるとか、イエスの霊が許さない、というのが具体的にどういうことであったにせよ、ひとつ確かなことは、パウロたちが思っていた通りの旅をすることが出来なくなったということです。計画が2度にわたって頓挫してしまったのです。

 パウロにとって今度の旅は観光旅行ではありませんし、自分の利益を追求するという目的のために実施した旅でもありません。そうではなくて、純粋に神様に仕えようという熱い思いから出て来た旅でした。福音を一人でも多くの人に告げ知らせようという旅でした。…それなのに、これもあれも上手くいかないわけです。神様がパウロの計画を妨げられたのだとしたら、事実そうだったのですが、それはとても理不尽なことのように思えます。

 このようなことは、パウロとはスケールが違いますが今の時代にも起こりうることです。誰もが人生で失敗したことがあるわけですが、例えば、成功を夢見たもののそれを努力もしないでなしとげようとし、そのため失敗したとしても、それは当然で、自業自得と言っても良いわけです。しかし、それとは違って、立派で崇高な目的があり、そのために粉骨砕身努力したのに失敗してしまったとなると傷はより深いわけです。

 パウロは伝道旅行が思うにまかせなくなった時、「神様、どうして道を閉ざされるのですか」、「なぜ、キリストの福音のために行おうとしていることを、妨げられるのですか」と、訴えていたのではないでしょうか。神様のみこころが分からない、神様はなぜ助けて下さらないのだろう、と嘆いていたように思われるのです。

 しかし、パウロはそうした嘆きの中でも祈り続けていたはずです。たとえ何が起こっても、自分がより頼むべき方は神様以外にないということを知っていたからです。

 パウロたちがこうして辿り着いたのが、繰り返しますがトロアスという港町です。目の前には海が広がっています。聖霊に、イエスの霊に禁じられ、とうとう行くべき道は無くなってしまい、もう向かうべきところはありません。どこへ行けば良いのか、ここで伝道旅行は終わりにして引き返すべきなのか…。パウロたちは海を見つめ、途方に暮れたと思いますが、それでも信仰が失われることはなかったのです。

 その日の夜のことです。パウロは幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と、パウロに願ったのです。マケドニアは、巻末の地図では先ほどのものではなく次のページには出ています。ギリシアの北の方ですね。

 近年ユーゴスラビアが分裂したあとマケドニアが独立しましたが、ごく最近、隣のギリシアがその名前ではだめだと言って許さないので、投票を行った結果、国名が変わって北マケドニアになったとかいうニュースがありました。ギリシアがなぜマケドニアという名前を嫌うかというと、それはマケドニアから出たかのアレキサンダー大王を連想するからというのです。マケドニアが強大になって、他の国を征服しにくることを心配しているようです。そんなことで内政干渉して良いのかと思いますが。

 小アジアとペロポネソス半島の間にあるのがエーゲ海です。この海を渡って、助けに来てくださいという訴えを、パウロは幻によって見たのです。パウロはそれまでマケドニアに行くことなど思ってもいなかったでしょう。10節にこうあります。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」。

 ここは慎重な書き方がされています。これは超自然的な啓示とは違うようです。そこでしゃべったのは、父なる神様でもイエス様でも天使でもなく、一介のマケドニア人です。だからその言葉を神の言葉ということは出来ないのですが、パウロもシラスもテモテもルカも、ここに神のみこころがあり、神が彼らをマケドニアに招いたのだと確信するに至ったのです。

 「わたしたちを助けてください」、いったい何をもって助けてくださいと言うのでしょう。それはパウロたちが持っているものです。彼らが持っているのは金銭ではなくイエス・キリストの言葉でありますから、彼らはこれをもって海を渡り、マケドニア人を助けようとするのです。

 せっかくの計画が思いがけないことでつぶれてしまうという苦しみ、挫折を私たちも味わうことがあります。その中で、やけを起こしたり落ち込んでしまうのではなく、自分としては不本意な道を進むことがあっても、しかしみこころを求めながら歩み続ける時に、神様の思いがけないみこころに気づかされることがあるのです。いまマケドニア人の幻は、形を変えながら、わたしたちにも与えられているのではないでしょうか。「助けてください」と呼ぶ声がどこからか聞こえてきたとしたら、このことを通して、神様がある目的をもって自分を促しているのだと気づいて下さい、その人は、自分の持っているものをもってその場所に向かうのです。

 

 パウロたちはマケドニア人の幻によって初めて、それまで自分たちで計画し、実行したことがうまくいかず、変更に変更を重ねなければならなかったことの意味を悟ったのです。神様が、自分の当初思ったことや計画とは別のことをさせようとしておられ、そこへと導くために、自分たちの歩みを妨げなさったのだと。そのことを知った時に彼らは、自分たちの当初の計画が挫折したことの理由は、聖霊が禁じておられたからだ、主イエスの霊が許さなかったからだ、と考えたのです。

 

 キリストの福音はこのようにしてヨーロッパの地に最初の第一歩を刻むことになりました。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。今週も、神様の見守りのもと、礼拝によってみことばが与えられ、一週の歩みを始めることが出来たことを喜び、感謝いたします。

 私たちはイエス様が伝道された場所からは、はるか東の国で福音の恵みにあずかっています。日本に最初にプロテスタントの教会を建てたのはアメリカ人の宣教師であり、アメリカにキリスト教を伝えたのはヨーロッパの人々であり、

このヨーロッパに初めて福音を伝えたのがパウロたちであったことを思う時、はるか昔の先人たちの苦闘の上に私たちの今があることを覚えます。

 神様、パウロは見も知らぬ人々の救いのために祈りをささげていましたが、その中にこの私たちも入っており、私たちのことも祈られたと思います。先人たちの熱い祈りがあり、これに神様が答えられたことと合わさって、私たちの今があることを思い、心から感謝いたします。どうか、いま私たちに与えられている信仰を、生涯の終りまで堅く保ち、さらに大きくさせて下さい。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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コヘレト11:7~10、エフェソ5:6~8  2019.1.27

 

 私が子供の頃読んだイソップ童話集の中にこのようなお話がありました。

 人間の一生には若い頃から順番に馬の年、牛の年、犬の年というのがあるのだそうです。それぞれ馬と牛と犬に頼んで分けてもらったのですが、そのために問題が起こりました。人間は馬の年には高慢ちきで、牛の年にはもうやっかい者、年とって犬の年になると怒りっぽくなってしまうというのです。

 もちろんこれは何の科学的根拠もないお話にすぎませんが、人の性格が年齢によって変わってゆくというのはある程度当たっていると思います。

 人の一生をたどってみますと、幼児の時は天真爛漫でも、成長するにつれてそうはゆかなくなります。私が以前、ある教会で働いていた時、小学6年生の女の子が2歳の男の子を見てしみじみと「今がいちばん良い時だわねえ」と言うんですね。あの子たちも相当悩みが多いんだということがわかった次第です。青年時代は高齢者から見ると、うらやましくて、出来るならもう一度あの日に戻りたいと思うかもしれませんが、当の青年にとってみれば疾風怒濤の時代で、楽しいことがある一方、つらいことも多いように思います。そのあと中年になって円熟し、老年になって穏やかに時を過ごすことが出来たら良いのですが、人によってはなかなかそうはならなくて、怒りっぽくなったり、また気持ちが落ち込んでしまうということが多いわけです。…そこには死を前にした不安があって、いったい自分の人生は何だったのかと思いながら老年の日々を過ごすというケースもあるように思います。……短い、はかない人生、しかし、そうだからこそ若さや青春が賛美される理由もあるのです。

 

 私たちはいま人間の若い時から老年の日々までを振り返ってコヘレトが考えたことを目にしています。いまこの場におられる皆さんは、コヘレトの書いた言葉を自分の人生に重ね合わせて受けとめていることと思います。

 ここには明るい言葉がたくさん見えていますね。光とか太陽、また若者への呼びかけなど、コヘレトの言葉の中では少し珍しいところです。コヘレトの言葉を貫く空しいという言葉がここにも出て来ますけれども、私たちはまずそこに明るさがあることに注目いたしましょう。

 「光は快く、太陽を見るのは楽しい」。これは人生の喜びを歌っているものと考えられます。パレスチナの気候は日本とはかなり違っていますので、「焼けつくような太陽を見てなぜ楽しいのか」と言う人がいましたがそれは考えすぎです。パレスチナでも日の出を仰ぐのは素晴らしいひとときです。人生にはそのような喜びがあるのです。

ここでコヘレトは人生を喜びのうちに生きよと勧めているものと考えられます。従いまして、人生が長いことは喜びが継続するということになります。…人が長生きするのは素晴らしいことです。むろん若い命を神に召される人がいて、その人生も当然価値あるものですが、長寿は神の賜物ですから人はそれを願い求めるべきです。だから長生きが出来たなら、まずそれを喜び、感謝すべきです。もしも長生きをしながら、毎日をうつうつと過ごすことがあれば、それは神を信じる者の生き方ではありません。

 もちろん、長生きし、喜びに満ちている人にも暗い日々が多くあり、それを忘れてはいけないのですが、まずは喜ぶべき時に喜ぶ者でありたいと思います。

 

 では次にコヘレトの、若者に対する呼びかけを見てゆきましょう。

 「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を、目に映るところに従って行け」。コヘレトはこの時かなりの年齢になっていたと思われますが、若い人に向かってこんなことを言う老人は案外珍しいのではないかと思います。…それは誰もが知っているように、老人は若者の行動にブレーキをかけることが多いからです。しかし、本当に若者のことを考えてなされる呼びかけはこういう形をとるものではないでしょうか。もしも若者が自分の若さを喜ばず、青年時代を楽しく過ごそうとしないなら、…いわば心が燃え尽きた状態で生きているなら、それはその若者にとっての損失だけにとどまらず、社会全体にとっても大きな損失となってしまうでしょう。

 昔から、それこそ旧約聖書の時代から、年取った世代が「いまの若いものは…」と言って若い世代を批判することがありました。上の世代から批判された世代が下の世代を批判するということはまわりまわって、今の時代に至り、2019年の現在、日本の若い世代もいろいろ言われているわけですが、いまの若い人たちの欠点をあげつらうよりも先に、彼らの中に若さがあるかどうかが問題とされなければなりません。「自分の人生、もう先が見えている」という若者がいたら、「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい」と言いたい、青年時代を本当に楽しく過ごしてもらいたいし、心にかなう道をまっすぐ進んでいってほしいと思うのです。

 いまの日本の若い世代についてある人は、年々質が落ちてきていると言います。また別な人は、今の若い人たちは昔の世代が経験しなかった困難の中を生きていると言います。本当のところはどうなのか、いろいろな考え方があるでしょうが、コヘレトの言葉を根拠にする時、まず、若者が若者らしく生きることこそが求められていると思うのです。人生を喜ぶことは、若者にとって特権であるばかりでなく、義務ですらあるのです。

ただし、今述べたことは若者への呼びかけのすべてではありません。コヘレトは「知っておくがよい。神はそれらすべてについて、お前を裁きの座に連れて行かれる」と言います。若者が若者らしく生きることが求められる時、その行うすべてのことについて、神が責任を問われることを心に刻んでいるべきです。ということは、神のみこころの中において、人生を大いに喜び、楽しめということなのです。

 昔の自分のことを棚に上げて言うのですが、残念なことに、いま多くの若者が人生の喜びや本物の楽しみを知りません。お金ばかりかかる、刹那的な刺激にばかり心をとらわれていて、そのような楽しみにふけることが青年時代を楽しく過ごすことだと思っているのです。それはしばしば心にやましさをいだいたままの快楽となり、罪の泥沼にはまることとなります。だとするとそれは真の喜びとは言えません。いつの日か、神の裁きの座に立った時に申し開きの出来ることをしているのかどうかが厳しく問われているのです。

 それゆえコヘレトは言います。「心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け」と。ここで「心から悩みを去り」というのは、人を本当の喜びから遠ざける思いを取り去れということ、「肉体から苦しみを除け」とは、肉体に苦しみをもたらすことを取り去れということです。…サタンのもたらす喜びにふけってはならない。神を畏れて生きるべきである。心に本当の喜びを与え、肉体に益を与える喜びを見出して青年時代を生きてゆくべきなのです。そこには肉体の鍛錬やスポーツもあるでしょう。聖書がフィリピ書4章8節で教えていることが、若者を導く道しるべになってほしいと思います。「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」。

 

 さて、きょうの箇所にも出て来る、コヘレトの言葉の常套句である「空しい」ということについて考えてみましょう。8節は「長生きし、喜びに満ちているときにも」と書き、長生きが喜びに満ちている時と結ばれて、肯定的に言及されていますが、それでも、「暗い日々も多くあることを忘れないように。何が来ようとすべて空しい」と念を押されています。

 暗い日々とは人生における試練の日々でありましょう。年を取り、いろいろな理由でつらい日々を送っている人はもちろん、再就職する必要がなく、健康でお金と自由な時間がたくさんあって、さあ第二の人生だと意気込んでいる人であっても、それでも死へと向かってゆく人生のむなしさはいかんともしがたいものがあります。

…ただし、8節の「何が来ようとすべて空しい」をどうとらえるかによって、私たちの人生も違ってしまいます。すべてが空しく終わってしまうのか、それとも空しいのだから今を大切にしようとするのか…。

 私は「何が来ようとすべて空しい」というのは理由を示す文だと考えます。…光は快く、太陽を見るのは楽しい。長生きを喜び、感謝しよう。すべて空しいのだから、と。…コヘレトは空しさを強調しますが、私たちは空しさよりも人生を喜ぶことの方に着目すべきだと思います。

 11章の最後にも「若さも青春も空しい」という言葉が出て来ます。あれほど若者に向かって「お前の若さを喜ぶがいい」と言いながら、それが空しいということでしめくくられてしまってはやりきれません。これも8節と同じように考えることが出来るでしょう。「青年時代を楽しく過ごせ」、なぜなら若さも青春も空しいのだから、となるのです。

 コヘレトはこのように人生の喜びと人生の空しさを並べて書いており、コヘレト自身、空しさに呑み込まれてしまうような感じです。これをそのまま受け取るなら、私たちも空しくなってしまいますが、イエス・キリストのあとの時代に生きている私たちは、コヘレトの言うことを尊重しながらもっと別の方向から考えることが出来るはずです。

 第一に訴えたいのは、人生の中で喜びは短く、はかない、だから喜びが尊ばれるということです。人生にはつらいことが多く、この世界には数えきれない悲惨なことがありますが、だからと言って、人がお互いいがみあっていたり、みんな仏頂面をして生きているのではたまったものではありません。…もしもここに一人の幸せな人がいるなら、他の人はその人の幸せをこわそうとしてはなりません。その人の幸せは他の人にも伝わってゆくでしょうから、大切にすべきです。…神は人間が幸福に生きることを望んでおられます。ですから、神の恵みのもと、先に幸せになれる人から幸せになりましょう。そのことが不幸せを超えることになると信じます。

 第二が、若さとは何かということを考えることから導き出されます。9節の「心にかなう道を、目に映るところに従って行け」というのは、平たく言うと「したいことをし、見たいことを見よ」ということです。先ほど申したように神の示された大枠の中でのことですが、それは冒険への招きです。若い人は冒険をするべきであって、それが生きる喜びとなります。もしも、したいことも見たいこともすべてがまんしている若者がいたとしたら、それは若者の名に値しません。…一方、たとえ年は取っていても、「したいことをし、見たいことを見よ」うという気持ちがあるなら、その人はまだ若いのです。…かつて日野原重明先生は「人間75歳になったら新しいことを始めよう」と呼びかけられました。

私が会ったお年寄りは、「日野原先生はああ言うけど、とても無理ですよ」という人が多く、それが現実ではあるのですが、新しいことを始めようという気持ちばかりは失って頂きたくないものです。

コヘレトの若者への呼びかけは、年齢的に若者と言えなくなった人にも同じように該当するのです。

 第三が、私たちはコヘレトが知らなかったことを知っていますから、そこから導き出される結論があります。コヘレトにとっては、太陽を見ることがいくら楽しくとも、それはやがて沈んでしまうものでした。太陽はやがて沈んで真っ暗な夜が来るから、太陽のあるうちにこれを楽しめというのがコヘレトの言いたいことでありました。

 たしかに太陽は沈みます。しかし私たちは沈むことのない太陽があることを知っています。イエス・キリストこそ沈むことのない太陽、それは義の太陽、死をも滅ぼし永遠に輝き続ける太陽です。この、新しい太陽のもとにある私たちにとって、これから何が来ようと空しくはありませんし、若さと青春が空しいということはありません。肉体は少しずつ年を取ってゆきますが、死におびえる必要はなく、かえって自分が永遠の命にあずかっていることを喜ぶのです。

 キリストが与えられたことで、神は人間が幸福であることを欲しておられることが決定的に明らかになりました。神を畏れ、神を信頼しつつ、年若くとも年を取っても心に若さをいだいて人生を生きる、その喜びが今日ここにいるすべての者の上にありますようにと願います。

 

(祈り)                                                                                                                                     

 恵み深い神様。この世の人たちは若さや青春がはかないものであることを悲しみ、死に向かっていく老いの日々をいったいどう過ごしたらよいのかと思いあぐねています。しかし、私たちには死を通り抜けたところから光が与えられていますことを思い、感謝いたします。その光は太陽の光以上のもの、イエス・キリストから来る光です。神様、どうかこの光のもと、私たちの人生をあきらめと絶望の人生ではなく、喜びと希望の人生としていただきますようにお願いいたします。神様から頂くこの恵みが、さらに多くの人に与えられますよう、神様がお建てになった教会に力を与えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン。

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詩編22:28~32、使徒16:1~5  2019.1.20

 

 パウロは生涯に何度も、私たちが想像も出来ないほどの過酷な旅を行っています。すべて伝道のためでした。第1回の伝道旅行は紀元46年から48年にかけて、バルナバと一緒に、キプロス島を皮切りに小アジア半島の各地で行われました。そのあと49年にエルサレムでの会議がありました。第2回目の伝道旅行はその年、49年に始まり52年まで、足かけ3年にわたる出来事であったと考えられています。この旅行はキリスト教会の歴史において、画期的な意味を持つものとなりました。

 聖書巻末の地図を見ると一目瞭然ですが、パウロは第2回伝道旅行において、小アジア半島からエーゲ海を渡り、ギリシアの方に足を踏み入れました。そこにフィリピ、テサロニケ、コリントといった名前があります。パウロはこうした町で伝道し、次々に教会を創設していったのですが、これらはヨーロッパの歴史の中で初めて誕生した教会です。キリスト教はアジアから始まった教えですが、これがヨーロッパに、さらにアメリカへと伝わったことは世界史的な意味を持っています。広島市民としての私たちは自分の国だけでなくアジア・アフリカ・ラテンアメリカといった広い世界に目を向けなければならないと思いますが、やはりヨーロッパやアメリカは大事で、ここがキリスト教世界となったその一番の始まりがパウロの第2回目の伝道旅行ですから、この旅行は世界を変えたと言っても過言ではないのです。

 もっともパウロは最初からギリシアにまで行こうとしていたわけではありません。ギリシアに行くのは予定外でした。彼がバルナバに提案したのは、「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」ということで、ここではキプロス島と小アジア半島が想定されていたのです。ところがこの旅行に誰を連れて行くかということでパウロとバルナバは激論の末、バルナバはヨハネ・マルコを連れてキプロス島へ、パウロはシラスという人を選んで陸路を北に向かって進むこととなったのです。

 第二回伝道旅行がこのようにパウロとバルナバの激しい衝突によって始まったことは、パウロにもバルナバにも心に大きな傷を与えたことと思います。バルナバはパウロにとって恩人でした。バルナバのとりなしによって、キリスト者の迫害者であったパウロが教会に迎え入れられるようになったのです。

パウロとバルナバは第1回伝道旅行でそれこそ生死を共にして、戦友のような関係になったのですが、この二人が衝突して別々に出発するようになったことは、原因はどうであれ、失敗であり大きな挫折でありました。パウロもバルナバも、そのことを引きずっていただろうことは容易に想像出来ます。

 ところが、これから少しずつ明らかになっていくのですが、人間が失敗や挫折だと思うことが神様にとっては必ずしもそうではありません。パウロとバルナバがけんか別れしたことで、一つの旅行団が二つになり、予定外だったギリシアにまで福音が伝えられることになりました。人間の思いを越えた神様の導きは、聖書の中だけに留まらず、ありとあらゆる所にあるのです。

 

 こうして始まった第2回伝道旅行でパウロにとって素晴らしい出会いが与えられました。それが青年テモテとの出会いです。パウロとシラスの一行は、シリアから小アジア半島のキリキア州を回って教会を力づけたあと、まずデルベに、そしてリストラに行きました。これは第1回伝道旅行とは逆のコースです。そのリストラという町で、パウロはテモテに出会いました。1節の「そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。」、これは原文を見ると、「すると見よ、そこに…テモテという名の弟子がいた」というニュアンスになります。ただテモテがいたと事実だけ述べているのではないんですね。「見よ」、ここには驚きと喜びの気持ちが込められています。パウロにとってテモテとの出会いは驚きと喜びに満ちたもの、神様が与えて下さった、この上ない贈りものであったのです。 

 テモテのお母さんは信者でした。さらにテモテのおばあさんもまた信者だったのです。のちになってパウロはテモテに2つの手紙を書き、それが聖書に収録されていますが、その2番目の手紙の1章5節にこう書かれています。「そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」

 パウロとバルナバは第1回旅行の際、リストラの町であやうく殺されるところでした。ユダヤ人がやって来て群衆を煽動し、パウロに石を投げつけたので、彼は倒れ、その体は町の外へ引きずり出されました。「しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入っていった」と14章20節に書いてあります。

死ぬほどの目にあわされることで始まったリストラでの伝道で、それでもキリストを信じて、弟子となった人たちが誕生しました。その中にテモテの祖母と母親がいたものでしょう。彼女たちはパウロが去ったあとも迫害の中で信仰を守り通し、その信仰がテモテへと継承されたのです。

 今ここには、自分から求めて教会の門をくぐった人も、クリスチャンホームに生まれ、親の信仰を受け継いで信者になった人も、両方いるかと思います。どちらが良いのかということではありません。

 テモテはあとの方のケースに入ります。二代目、三代目、あるいは四代目以上のキリスト者というのは、自分から求めて信仰を持ったわけではないので、それが弱点にることがあります。信仰がマンネリ化してしまう場合があるのです。しかし、別の面から見てみると、信仰を先祖や親から受け継いだのは大きな恵みであり、一生の財産でもあります。聖書は言います。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)。このイエス・キリストへの信仰が、一人の人間の中に起こるだけでなく、それが二代目、三代目、そして四代目へと受け継がれて行くことは、私たちが心から感謝すべき神様の恵みの働きというべき出来事です。信仰の継承に当たっては、両親を初めとして祖父、祖母、兄弟、姉妹、あるいは教会の人々の祈りと奉仕、導きがあります。それを父なる神様が用いて下さり、この人たちを通して主イエスが働いて下さるのです。

 テモテはおばあさんと母親の導きの下、信者の子として育ち、この時、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人に成長していました。このことはパウロにとって、感謝しきれないような喜びだったにちがいありません。第1回伝道旅行、あの困難きわまる旅行の中で蒔いた福音の種が迫害の中でも踏みつぶされることなく芽を出し、成長し、みごとに花が開いたのを見たのですから。この出会いはパウロに、バルナバとの別れという挫折から始まった第二回伝道旅行に、神様からの慰めと励ましを惜しみなく注いだこととなりました。パウロがのちに「信仰によるまことの子」と言ったのがテモテです(Ⅰテモテ1:2)。テモテはやがてパウロの手足となり、また後継者になって行くのです。

 

 パウロは、このテモテを伝道旅行に一緒に連れて行きたいと願いました。しかし、ここに不思議なことが起こります。3節:その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた」、これはどういうことでしょう。…前回までの割礼に関する議論を聞いてきた方はびっくりするのではないかと思います。

 エルサレム会議が開かれたのは、ユダヤ人のキリスト者の中に、異邦人もユダヤ人に倣って割礼を受けなければ救われないと教える人々がいたからでした。会議がけんけんがくがくの議論の末に出した結論は、異邦人に割礼を受けさせる必要はない、イエス・キリストによって与えられる恵みだけでは足りないから、これをしなければいけない、そうでないと救われないという考え方は間違っている、というものでした。…だとすると、パウロはどうして今になってテモテに割礼を授けたのでしょう。パウロの信仰は、困難なことが起こるとすぐに厳しい現実と妥協してしまうような頼りないものだったのでしょうか。

 私はこの問題を考えるにあたり、割礼について知識がなかったので少し調べてみました。…今日、ユダヤ教徒とイスラム教徒の間では割礼が広く行われています。だいたい男の子が生まれてまもなく執行するのですが、アフリカのセネガルのように成人儀礼として行われる所もあり、そこでは割礼をしない者は一人前の男性と見なされないそうです。キリスト教徒の間ではパウロ以来割礼は必要ないことになりましたが、現在でもアメリカ合衆国では衛生上その他の理由で6割の乳児が割礼を施されるそうです。さらにアフリカでいま女子割礼がたいへんに大きな問題になっています。近年、男の子であれ女の子であれ、割礼を行うことは虐待だという声が大きくなっているようです。私たち、割礼が行われていない国に住む者にはわからないことが多いのですが、こうしたことを少し頭に留めた上で話を進めましょう。

 テモテが受けた割礼というのは、救いのために授けられたものではありません。救いはイエス・キリストの十字架と復活を信じることによってのみ与えられます。これは絶対に揺るぎません。だとすればここに何があったのか、パウロはこれからの伝道を考えて、テモテに割礼を授けたのです。…テモテの母親はユダヤ人で父親は異邦人であるギリシア人、こういう結婚は珍しく、それどころかユダヤの律法では許されないことですが、当時、律法によるしばりが緩くなっていたのかもしれません。もしも異邦人と結婚した場合、そこで産まれた子はユダヤ人として割礼を受けることが出来たそうです。…しかし、テモテはこの時まで割礼を受けていませんでした。それは彼が他のユダヤ人からユダヤ人と見なされず、異邦人として見なされるということです。割礼のあるなしを口で申告することになっていたのでしょうか。いずれにしても、割礼を受けていない者は、町々にあるユダヤ人の会堂に入って語ることは出来ないのです。  
 パウロが各地で伝道する時は、まずユダヤ教の会堂シナゴーグに入って主イエスのことを語りました。異邦人への伝道に力を注いだといっても、ユダヤ人をないがしろにしたのではありません。パウロ自身ユダヤ人でしたし、同胞がイエス様を信じて救われることを、誰よりも心から願っていたのです。で、そのことをテモテと共に行うことを考えると、テモテがシナゴーグに入って、ユダヤ人に対して堂々と伝道できるようにしてあげなければなりません。テモテが割礼を受けてさえいればそれが可能なので、そうしたのです。

 パウロはコリントの信徒への手紙一の9章19節以下にこう書いています。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。

できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

 福音のためならどんなことでもする、そのためにテモテに割礼を受けさせた、ここには教会が、また私たちがしっかり考えなければならないことがつまっています。もちろん今の日本に割礼という問題はありませんが。パウロが示したのは、しっかりと原則に立った上で、その運用や応用については柔軟に対処するということです。…人が十字架にかかり復活したイエス・キリストを信じることで救われる、という原則は絶対に揺るぎません。しかし、そのことをどのように実践していくかということでは、前例を踏襲することが必ずしも良いとは限りません。同じようなことは私たちの生活の中にもたくさんあるはずです。

 教会も私たち一人ひとりもそれぞれ自分のスタイルをもっていて、それをなかなか変えようとはしません。しかし、もしも必要ならこれを変えることを躊躇すべきではありません。教会だって必要があれば礼拝のスタイルを変えることがありえます。何千年も昔の礼拝に帰ることも、逆に未来の教会はこうだろうというような形になることもあるでしょう。…一人ひとりの顔を見ながら、プロ野球が好きな人がいれば自分は相撲の方が好きでもその人に合わせ、クラシック音楽が好きな人がいたら自分は歌謡曲の方がよくてもその人に合わせるということもあるでしょう。変えてはならないものは変えないけれども、変えるべきところは変える、福音のためにはどんなことでもするというパウロが勝ち取った自由が、教会と私たちみんなの上にありますように。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。今週も、礼拝によってみことばが与えられ、一週の歩みを始めることが出来たことを心から感謝いたします。

 今日のところで私たちは、パウロの、信仰の原則を決して揺るがせにしない強靭な信仰と、その一方で、実践において柔軟に対処することの必要性を学びました。教会はこのことを学び、何が待っているかわからない難しい時代の中で賢く動いて行かなければなりません。このことは私たち一人ひとりにとっても必要なのです。私たちも困難な事態に遭遇した時、あわてず恐れず、厳しい現実に妥協して悪に染まってしまうのでも、またばか正直に動いて失敗と損失をかぶってしまうのでもなく、正しい信仰に基づく真に現実的な判断をしてゆくことが出来ますよう、蛇の賢さと鳩の素直さを与えて下さい。あらゆることが難しい複雑な時代の中で、私たちの人生が福音のために役立てられますように。信仰の薄い私たちをどうかイエス様に免じて、ご指導ご鞭撻をお願いいたします。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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ヨナ1:1~3、使徒15:36~41 2019.1.13

 

 しばらくぶりの使徒言行録になったので思い出しましょう。私たちはエルサレムで使徒たちや長老たちが集まって会議を開いたところを学んできました。この会議において、異邦人に割礼を受けさせる必要はないという結論が勝ち取られました。そこで打ち破られたのが、イエス・キリストによって与えられる恵みだけでは足りないから、これをしなければいけない、そうでないと救われないという考え方でした。このことを受けて私たちも、イエス・キリストが十字架と復活によってご自分を信じる者の罪を赦し、永遠の命を与えて下さることを信じて、生まれ変わったのです。(まだそこまで行ってない方もそのように導かれるでしょう。)

 エルサレム会議の決定は、他の教会に伝えられました。パウロとバルナバは、エルサレムからシリアのアンティオキアに戻って、会議の決定を伝えつつ福音を宣べ伝えてゆきましたが、さらに大きな成果を得ようと再び伝道旅行に出ようとしました。ところがそこで、思いもよらない問題に遭遇してしまったのです。

 ことの発端は、パウロが「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」と提案したことから始まりました。旅の目的はおおよそ2つ考えられます。一つは、エルサレム会議以降の大きな流れの中で考えることが出来ます。すなわち会議の決定を各教会に伝えに行くことです。もう一つが、パウロの言葉通り、以前、福音の種を蒔いていった教会を再び訪ねることです。パウロとバルナバは第1回伝道旅行の時、シリアのアンティオキアからキプロス島へ渡り、さらにトルコの南から山道を登って、アンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベへと回ったのでした。この伝道によって各地に建てられた教会はまだ生まれてまもないと言わなければなりません。迫害の中にあるかもしれません。パウロとバルナバが任命した長老がしっかりやっているかどうか、教会員が信仰に踏みとどまっているかどうか確かめ、もしも足りないところがあれば指導する責任があるのです。

 こういうわけでパウロが再度の旅行を提案した時、バルナバに異存があるはずはありません。彼が賛成したことは確かです。

このままうまくゆけば、パウロとバルナバは先の旅行と同じ場所を訪ねていったことでしょう。ところが、そこに誰を連れて行くかという問題で二人は激しく対立し、ついにけんか別れと言って良い状況になってしまったのです。

 37節38節にこう書いてあります。「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。」

 マルコと呼ばれるヨハネ、これはギリシャ語ではマルコ、ユダヤ人としてはヨハネということですが、ややこしいのでここではヨハネ・マルコと呼ぶことにします。彼はどんな人だったのか、その名が最初に出て来るのが使徒言行録12章12節です。監獄から救い出された使徒ペトロが行った家が「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」でした。そこには大勢の人が集まって祈っており、また女中さんがいたことから、彼の母親マリアはお金持ちで、立派な家に住み、その家を信者の集会所として開放していたことがわかります。ヨハネ・マルコはクリスチャンの子どもとして信仰を与えられ、教会の人々から大切にされていたのでしょう。

 ヨハネ・マルコはコロサイ書4章10節によればバルナバのいとこです。バルナバはキプロス島出身ですから、彼もこの島とゆかりがありました。

 かつてパウロとバルナバがアンティオキアからエルサレムに戻り、エルサレム教会に援助の品を届けた時、二人はヨハネ・マルコを連れてアンティオキアに帰りました(12:25)。その後、パウロとバルナバは聖霊の導きと人々の熱い祈りに押し出されるようにして第1回伝道旅行に出発しますが、その時、助手として連れて行ったのがこのヨハネ・マルコでした。彼は旅の間、交通機関や宿泊所の手配をしたり、伝道のありさまを記録したり、また人々にキリストの教えを語ったりしていたのでしょう。パウロとバルナバはこの若者を、ゆくゆくは自分たちの後継者として育てあげようという思いがあったのではないかと思います。

 ところが一行がキプロス島から船出して小アジア半島パンフィリア州のベルゲまで来た時、彼はエルサレムに帰ってしまうのです。彼を引き留めようとする手を振り切ってです。伝道戦線からの離脱です。…そのあとパウロとバルナバは、山賊が出るかもしれない危険な山道を登り、さらに各地で迫害にあって死ぬほどの目にあったりと、困難きわまる旅行を助手なしでやりとげなければならなかったのです。

 ヨハネ・マルコがどうして帰ってしまったのか、その理由は書いてないので推測するしかないのですが、いくつかの説があります。一つは自分たち一行の行く手に立ちはだかる困難を思ってしりごみしてしまったというものです。

…次にこれと関連して考えられるのがホームシックです。古代教会の指導者であったクリソストムという人は、彼はお母さんに会いたくなったのだと考えました。…どちらにしてもこの若者の名誉になることではありません。別な可能性として、伝道旅行以上に重要で緊急を要することが起こって、エルサレムに帰るしかなかったということも考えられなくはないのですが、それでも彼が大切な務めを放棄してしまったことにはかわりません。どのような理由があったにせよ、彼がしたことは正当化されるものではありません。

 その時からおよそ3年たって、パウロとバルナバがアンティオキアで2回目の伝道旅行に取りかかろうとした時、ヨハネ・マルコはエルサレムからここに来ていました。おそらくバルナバとは話がついていて、伝道旅行に行くなら一緒に行こうという思いになっていたのでしょう。バルナバはこの若者を連れて行きたいと思いましたが、パウロは、あの時自分たちから離れ、一緒に行かなかったような者は連れて行くべきでないと考えました。二人の意見は対立し、激しい衝突となり、ついにけんか別れということになりました。バルナバはこの若者を連れてもう一度キプロス島へ、パウロはシラスという人を選び、シリアから小アジア半島へと向かったのです。

 バルナバはなぜヨハネ・マルコを連れて行こうとしたのでしょう。自分のいとこなので、過ちを大目に見たのでしょうか。

 私たちはここで、バルナバがどういう人だったかということに目を向けたいと思います。彼はキプロス島出身のユダヤ人で、本当の名はヨセフですが使徒たちからバルナバすなわち慰めの子と呼ばれていました。実際、その名の通りの人だったのです。…彼はパウロの恩人でした。キリスト教の迫害者の立場から回心したパウロを、初めエルサレムの教会は受け入れなかったのですが、パウロと使徒たちの間を取り持ち、教会がパウロを迎えるように仕向けたのがバルナバでした。…バルナバは今度は、一度は伝道者としての務めを放棄したヨハネ・マルコにもう一度チャンスを与えようとしたのでしょう。これは、バルナバがいとこに対して甘かったとか、情け深い人であったとだけ考えるのは単純にすぎます。バルナバだってヨハネ・マルコのためにたいへんな目にあっているのです。この頼りない若者に対する怒りがなかったとは思えません。しかし、その怒りを抑えて若者を再び迎え入れ、再教育しようとする、そのところに慰めの子たるゆえんがあるように思います。

 一方、パウロはこの若者のことで怒り心頭だったはずです。あの時の恨みは3年たったからといって容易に消えるものではありません。ただパウロの場合、怒りに任せてというより、信仰的な深い認識に立っていたものと考えられます。信者が誰もいない地方に出かけて福音を宣べ伝えるというのは、趣味や道楽で出来ることではありません。神によって召された、いわばプロの伝道者であるなら、苦しいことつらいことがあったからといって逃げ出すというのは考えられません。パウロは、キリストの救いを宣べ伝える務めが、いかに厳粛で大切なものであるかということを知っていました。これはキリストから委託された務めである以上、個人的な感情によって左右されてはならないのです。ヨハネ・マルコは自分がキリストからどれほど大切な務めを委託されたのかわかっていなかったのだから、もしかしたらまた同じことを繰り返すかもしれない、こんな若者など連れて行けない、と考えたのでしょう。

 これまで生死を共にしていた戦友であるバルナバとパウロが、この若者のことで袂を分かつことになりました。前回と同じコースをたどるという当初の計画は変更され、バルナバはヨハネ・マルコを連れてキプロス島へ、パウロはシラスを選んで陸路をシリア、小アジア半島へと行くことになったのです。

 

 バルナバとパウロと、いったいどちらが正しかったのかと問う人がいます。皆さんなら、どう考えますか。

 パウロが正しかったと考える人は、聖書からそのことは明らかであると言います。…40節に「パウロは、…兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」と書いてあります。バルナバには、こんな丁寧な言い方はしていません。さらに、そのあとのパウロの伝道の記録については聖書に詳しく書いてありますが、バルナバのその後の消息については記されていません。違いは明らかなのだから、パウロの方が神のみこころにより忠実であったと言うのです。

 しかし、それでは、ヨハネ・マルコにもう一度チャンスを与えようとしたバルナバは間違っていたのでしょうか。軟弱な若者はしりぞけるのが当然なのでしょうか。こうした問題を判断するにはヨハネ・マルコのその後を見る必要があります。

 テモテへの手紙二、これはパウロが書いた手紙ですが、4章11節にこういう言葉があります。「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」コロサイの信徒への手紙4章10節も読みましょう。「わたしと一緒に捕らわれの身となっている、…バルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。」… つまりだめな若者だったヨハネ・マルコはみごとに立ち直ったのです。パウロとも和解し、パウロのそばでなくてはならない働きをするようになったのです。「わたしと一緒に捕らわれの身となっている」というところは、ヨハネ・マルコが信仰のゆえに牢獄にまで入ったことを示しています。…さらにもう一つ重要なことがあります。キリスト教会は伝統的に、2番目の福音書をこのヨハネ・マルコが書いたものとみなして、「マルコによる福音書」と名付け、尊んでいるのです。

 こうして見てゆきますと、ヨハネ・マルコにもう一度チャンスを与えようとしたバルナバの配慮は、無駄になるどころか、豊かな収穫の実を結んだと言うことが出来るのです。ここから、パウロは間違っていてバルナバの方が正しかったという意見も出て来るのですが、ただパウロかバルナバかどちらかに決めつけることは出来ないように思われます。パウロの厳しさとバルナバの思いやりが両方働いて、ヨハネ・マルコの悔改めとそれによる再起をもたらしたと考えることが出来るからです。                                    

 パウロとバルナバが別々に伝道旅行に行ったことは、あとから考えるとその方が良かったことがわかります。一つの旅行団が出発するはずだったのに、二つの旅行団が出発することになり、倍の成果がもたらされたのです。こうなるとパウロもバルナバは全く違う意見だったけれども、どちらも正しかったと考えることも出来るように思います。

 一人ひとりの家庭でも社会でも、もちろん教会でも意見が対立して激しく衝突するということが起こることがあります。その時、どちらが正しいのかわからないという場合もあります。こういう時に意見の違いがないようにふるまったり、また意見の違いをそのままにして妥協することが良いとは限りません。論争を恐れてはいけません。論争することが必要な場合があります。神様のもとに立っている限り、いつか再び一致するからです。

 パウロとバルナバ、そしてヨハネ・マルコの間に起こった問題は、弱い兄弟をどうするかということで、そこには優しさも厳しさも大事であることがわかります。私たち自身、時と場合によってパウロやバルナバにも、またヨハネ・マルコのようにもなるのですが、いずれにしても厳しさと優しさの両面を兼ねそなえた神に導かれているということにはかわりありません。パウロとバルナバとヨハネ・マルコは対立や拒絶を乗り越えて最後は和解し、一致しました。終わり良ければすべて良し、このことは私たちの上にも言えることなのです。

(祈り)

 天の父なる神様。今日、新年で2回目の礼拝を神様の恵みの中で行っていることを感謝いたします。

 今日私たちは、伝道の務めを託されながら、それを放棄してしまった若者がみごとに立ち直ったことを知りました。まさにこれは神様が起こして下さった奇跡です。またその過程で、激しく意見が対立した者同士を神様が一つにまとめて下さったことも知りました。まことに神様のなさりようには驚かされます。

 神様、私たちは未来を悲観的に考えることがあります。自分はどんどん年を取って行くし、世の中はだんだん悪い方向に向かっている。一度つまずいた若者は失敗を取り戻せないし、仲が悪くなった者同士、破局に向かうほかないのだと。しかし神様がなさることはそうではありません。未来は良くなるのです。なぜなら神様が歴史を導き、また私たちの先に立って導いて下さるからです。

この神様のみこころによって、私たちに希望を与えて下さい。平安を与えて下さい。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン

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詩編65:10~14、Ⅰテサロニケ5:16~18 2019.1.6

 

 新年おめでとうございます。どうかこの新しい年、皆さんも私自身も、心と体、そして魂が健やかで平安のうちにありますように、一切のことがイエス・キリストの御祝福のもとにあって、みこころにふさわしい歩みが出来ますように、と願います。絶望と滅びの予感のもとにではなく、主にある希望をいだいてこの年を生きることが出来るよう、共に励んでまいりましょう。

 

 広島長束教会は毎年、聖書から今年の聖句を定めていますが、今年選ばれたのがテサロニケの信徒への手紙一の5章16節から18節です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

 これは有名な聖句で、座右の銘にしている人もおられるのではないでしょうか。教会に集まっている人なら誰でも、このように生きられたら良いなあと、素朴に思っていることでしょう。…しかし、このように生きることはなかなか難しいと誰もが思っているのです。

 仕事が順調で社会的に高い地位にあり、経済的にも裕福で、人もうらやむような幸せな家庭をつくりあげた人なら、それにふさわしい風格を身につけているということはよくあります。聖書では、ちょうど苦しみにあう前のヨブがそれに当たるでしょう。私たち普通の人間はこのような人に憧れることが多く、自分も同じような幸福を授かりたいと思っていて、かりにその願いがかなったら、いつも喜んでいるのは当然のことだし、常に感謝の気持ちが口から祈りとなって出て行くと考えるものです。言いかえると、いま自分に喜びが少なく、祈りも感謝も少ないのは、自分がいろいろな面で恵まれていないからなんだと。…そこでもしも神様が自分が望む幸福を与えて下さったら、このみ言葉はすぐにでも自分の上で実現すると考えます。でも、それはどこまで正しいのでしょうか。

 やっていることがたいへんうまく行っていて、そのことによる恵みが本人はもちろん他の人々にも印象づけられるような人はたしかにいます。スポーツの世界でいうといま輝いている人、例えば体操の白井健三選手とか水泳の池江璃花子選手とか、テレビで見る限り、天性の才能だけでなくこれまでたいへんな努力をしてきたのでしょうが、今やその段階を抜けて自由自在な境地に入っているように見えます。

…人生に大きな望みを持たず、何事でもほどほどのところで満足してしまう人にはこういう生き方は考えられません。新しい世界に勇気をもって飛び込んで行く人にこそふさわしい幸福というのがあると思います。それは一流のスポーツ選手に限らず、あらゆる分野、あらゆる世界にあり、もちろん信仰の世界にもそういう人を見つけることが出来るのですが、私自身そのような人に憧れながらそうなることが出来ないので、その話はここまでにしておきます。

 もっと単純に考えて、人が嬉しいことがあった時や、ものごとが自分に都合よく行っている時に、喜び、祈り、感謝することは比較的簡単です。……かりに、そんな時にも、なんだそんなことかとしか思わない人がいたら、それこそ最も不幸な人ですね。豪華な食事をまずいと思って食べる人は、粗末な食事をおいしいと言って食べる人よりずっと不幸です。普通の信仰者なら、信仰をもって以来、嬉しいことが続くようになったとすれば、…例えば病気がよくなった、事業がうまく行った、たくさんのお金が入ってきた、子どもがいい大学に入ったと、いいことが重なったとしたら、ああ神様は素晴らしいとなって、以前にも増して神様とかたく結びつき、信仰生活にますます励むことになるでしょう。そのようなことを証しという形で表明している信仰者は少なくありません。それはそれでむげに否定することもありませんが、ただ神様が誰にもそのような道を用意されているわけではないのです。

 誰もが体験して知っているように、人生はなかなかうまくいかないもので、失敗や挫折がつきものです。困難や絶望に直面する中で、なぜ自分だけがこれほどの重荷を負わせられるのかと思い悩むことも起こります。そんな中でどうして、いつも喜び、絶えず祈り、常に感謝することが出来るのでしょう。喜ぶということが自分の欲求が満たされることだとするなら、それが叶えられないところに喜びはないはずです。絶えず祈れと言われても、不幸が続けば祈れなくなります。もちろん感謝の気持ちが起こることはありません。こうして、幸せそうな人を見るたびにねたんだり、怒りっぽくなったり、今度は不平不満を自分より弱い人にぶつけたり、また心を閉ざしてしまうということが起こるのです。

 そのような人に対し、これから言うことがちょっとした気休めになるかもしれません。というのは、失敗や挫折が全くなかったという幸せな人であっても、罪と無縁であることは出来ませんし、年を取り、病気になります、死という定めから逃れることは出来ません。幸せな人も不幸な人も、どんな人もそういう意味ではまったく同じなのです。

誰もが死でもって一生を終わり、その人のことがやがて忘れられ、あとには何も残らないとすれば、…いま喜びと祈りと感謝の内に生きるなんてことは不可能だということはわかりきったことです。この虚しい人生の中でせいぜい出来ることは、今やれるだけのつかのまの楽しみを追い求めることぐらいではないでしょうか。…しかし聖書は、そのようなことを教えてはいません。

 

 テサロニケの信徒への手紙一の作者パウロは手紙の冒頭、1章2節でこう書いています。「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。」この手紙には、パウロの祈りにおける、喜びと感謝の思いがたくさん出て来ますが、それではテサロニケでの伝道がたいへんうまく行って、教会が順調に成長していたから、パウロは喜び・祈り・感謝を信徒たちに教えたのでしょうか。そうではありません。

 そもそもパウロがこのような手紙を書いているということは、彼は今テサロニケにはいないということです。せっかく福音の種が芽を出し、教会が誕生したのに、彼は間もなくテサロニケを去らなければならなかったのです。そのあと彼は再三テサロニケを訪れたいと願い、その機会を求めてきました。しかしそれは実現していません。彼の思い通りになっていないのです。パウロはそのことを「サタンによって妨げられました」と書いています。神様に敵対する力がパウロの働きを妨げているのです。

 またテサロニケ教会の状況も、決して良いものではありません。パウロがこの町にいられなくなったのは、ユダヤ人たちがパウロに反対して騒動を起したからです。パウロが去った後も教会の人々はそういう迫害にさらされていました。1章6節は、「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」たとあります。また、今日は説明する時間がありませんが、4章13節以下に語られていることからは、信者の人たちの信仰に動揺が生じていて、パウロがこれを正そうとしているように思われます。5章14節には、「怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい」という勧めがあります。そのように諭さなければならない現実があったのです。…外的な困難と共に内的な弱さをかかえていた教会、しかしその現実の中でパウロはこの教会のことを常に祈りに覚え、喜び、感謝しています。そして教会の人々に、自分のこの喜びと祈りと感謝に加わりなさいと呼びかけているのです。このことを私たちに何を教えているのでしょうか。

 私たちの人生には実に様々なことが起こります。時には自分の思いを超えるような出来事も起こります。それが良いことならいいのですが、喜びようのないこと、何と祈ったらよいのかさえ分からなくなるような出来事やとうてい感謝できないような事があるわけです。パウロはそのような時も、イエス・キリストにおいて喜び、祈り、感謝しなさいというのです。

 喜びって何でしょう。うれしい気持ちとか、満足な思い、なるほどそうでしょうが、問題はその気持ちや思いがどこから来るかです。単に自分の欲求を満たすだけなら、それは一時的ですから、いつも喜ぶことは相当に難しいことになります。たとえ億万長者であっても、ひとつの欲求が満たされたら、では次は、その次はということになって、欲望が際限なくエスカレートするのに反して望みは達成されないということになります。そうならないためには、ある程度のところで満足しましょうということになるわけですが、先ほど申した通り、そんなことで罪の問題や老いと病気と死の問題を解決できるわけではありません。

 「いつも喜んでいなさい」は、だから自分の欲求を満たすこととは関係がありません。それは神様との関係の中で言われているのです。テサロニケ教会の人たちは、パウロの勧めによって喜びに目覚めたことと思います。なぜか、それは、ひどい苦しみの中にあっても神様とのつながりが断ち切られるどころかますます深くなったことを自覚したからです。旧約の時代に生きた神の民は、苦しみの中でなお祈り、賛美し、喜びをもって神を讃えています。まして新約の時代に生きる私たちです。十字架にかけられてまでも私たち人間を愛し通し、罪と死から救い出して下さるイエス・キリストを主として礼拝出来ているのですから、苦しみの中にあっても喜ばないわけにはいかないのです。

 次の「絶えず祈りなさい」、これは四六時中、口から言葉を出して祈れとまで命じているのではありません。仕事をしている時も、休んでいる時も、何をしている時も、絶えず心を神に向けることを教えているのです。嬉しいこと、楽しい時に祈ることは大切ですが、それだけでなくつらい時、苦しい時、祈りが出来ないような時にも祈ることが大切です。その祈りの中で、神様に対する不平不満を口に出すこともあるでしょう。しかしそれで終わることはありません。神様はその人に賛美の言葉を与えて下さるからです。

 皆さんは、神様は大喜びしている人の賛美の声と、困難の中にいる人の賛美の声と、どちらを尊ばれると思いますか。断言することは出来ませんが、おそらく神様は困難の中にいる人の賛美の声の方をより尊ばれるでしょう。大喜びしている人は放っておいても良いのです。困難の中にいながら神様と固く結びつき、賛美の言葉を捧げている人をどうして神様が放っておくはずがありましょうか。このような祈りの実例は詩編にたくさん出て来ます。

 三番目の「どんなことにも感謝しなさい」ですが、これは怒ったり嘆いたりすることを禁じているのではありません。人間として当然そういうことはあるわけです。ただそうした思いから抜け出せない人があまりにも多すぎます。パウロは、怒ったり嘆いたりせざるをえない状況の中でも。神が最善のことをなして下さるお方であることを信じ、神に立ち帰るべきことを教えています。

ロマ書8章28節の言葉をご存じの方は多いでしょう。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

 ただこれに関して、そんなことがあるもんですかという反論もあるかもしれません。例えば、極端な例で考えたくもないことですが、ある人が突然通り魔に襲われて殺されてしまったとします。悲しんでいる遺族に、「万事が益となります」とは言えないし、言っても逆上されるだけでそれは当然なのですが、しかしあとから考えるとこれは間違いでないし、こう考えないと救いはありません。神様が万事を益として下さるという信仰がなければ、こうした悲惨な問題の解決に向かって社会が動いていくことはないのです。感謝できないところで感謝する、それが神様の勝利であり、そこにしか私たちの拠って立つべきところはありません。

 ある人が喜び、祈り、感謝についてのパウロの言葉をもじって、こんなことを言いました。これこそ人間がしばしば陥りやすい姿です。「いつも落ち込んでいなさい。絶えず恨みなさい。すべてのことについて不平を募らせなさい。これこそサタンがあなた方に望んでいることです。」そのように生きることが人をどこに持って行くか、想像してみて下さい。 喜び、祈り、感謝しようとする思いをなしくずしにすることこそサタンが望んでいることです。皆さんはそのようになりたいと思いますか。…もちろん、そうではないでしょう。

 イエス・キリストによって与えられている恵みを一つひとつ数えてみて下さい。それは罪と死をも超えるものなのです。

 今年2019年に私たちみんな、イエス・キリストにおいて、喜び、祈り、感謝して、今を生きるものでありたいと願います。なぜなら、これこそ、神が私たち一人ひとりに望んでおられることだからです。

                                                                                                                        

(祈り)

 主なる神様、あなたが新しい年、2019年の扉を開けて下さり、こうして私たちが礼拝をもってこの年を始めることが出来たことを心から感謝いたします。

私たちが信じて仰ぎ、拠って立つ方はイエス・キリストのほかにありません。イエス様は十字架によって私たちを苦しめている罪と死に勝利されました。そのことが復活の出来事によって明らかとなり、イエス様を信じる者に永遠の命への希望を与えてくれました。いま天におられて全世界を治めておられるイエス様は、いつの日か再びこの世界に来られ、救いを完成して下さいます。この約束と希望があるので、私たちは現在苦しみの中にあっても耐えることができます。ですから、いま幸せいっぱいな人たちはもちろん、不幸の中にある人もみんな、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝してこの年を生きていくことが出来ますように。

神様、今年、世界が平和で神様の素晴らしさがあらゆるところで輝きわたりますように。また広島長束教会に恵みをたまい、ここに集まっている者たちや家族、教会に関係するすべての人たちの上にこの年、神様からの祝福と平安が豊かにありますようにとお願いいたします。

とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 難民となった聖家族 youtube

 

エレミヤ31:15~17、マタイ2:13~23  2018.12.30

     

 今年、皆さんはそれぞれ、恵みに満ちたクリスマスを過ごされたかと思います。神の御子が人となって私たちの世界に来て下さったという、歴史上2度とない、特別の出来事を私たちは教会で、また家族の間などでお祝いすることが出来ました。中には、自分はクリスマスどころではないという人もおられたかもしれませんが、そんな人にもクリスマスの恵みは届いているはずです。クリスマスは単なる、毎年恒例の行事ではありません。私たちはクリスマスごとに神様の深く確かな愛を心に刻み、そうして一年の終りを迎えているのです。…というわけで、私たちはイエス様の誕生や、三人の博士や羊飼いたちの来訪というロマンティックな話の余韻にひたりながら今年最後の礼拝を行いたいのですが、実際にはそれが難しいのです。マタイ福音書には神の御子ご降誕にまつわるたいへんに残酷な話が書いてありまして、これを読みとばしてしまうと、本当のクリスマスにはなりません。

 私たちが見たくもなく、聞きたくもないもの、それが今日の箇所の中にあります。これは、私たちが出来れば知らないふりをして通りすぎたい話です。イエス様が生まれたばかりの家族がその地で祝福されるどころか、外国にまで逃げて行かなければならない、しかもベツレヘムにいた2歳以下の男の子たちがみんな殺されてしまうとは……。しかし私たちは、聖書に書いてあることを勝手に自分の好みでより分けて、ここは良いけれどここはいらないとすることは出来ません。自分にとって好ましいところもそうでないところも、共に神の言葉として受け取っていかなくてはなりません。そうでないと、私たちのふだんの生き方においても、自分の思いだけで生きていくことになって、そこに神のみこころが入りこむ場所を狭めてしまうのです。          

 イエス・キリストのご降誕は、闇の中に光が輝いた出来事でした。闇は光に勝つことが出来ません。しかしながら、闇が光の前に黙って引き下がるとは考えられません。闇は光の出現に当たって必死の抵抗をするものです。それが今日の箇所です。

 クリスマス物語での最大の悪役、ヘロデ王はメシアが誕生したという知らせを聞いて不安を抱きました。

そこで祭司長たちや律法学者たちを皆集めてメシアが生まれた場所を確かめると、今度は東の国から来た学者たちをひそかに呼んで、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言って、送り出しました。これはもちろんうそで、王はその時すでにメシアを殺そうと考えていたのです。

 ヘロデ王の残虐ぶりは有名で、自分の権力を脅かすと思った人物は情け容赦なく処刑しました。王には10人の王妃と15人の子どもがいましたが、その内、一人の王妃とその母、3人の息子を殺してしまったほどで、あとは押して知るべしです。…もっとも、ヘロデ王は恐怖政治だけで国を動かしていたのではありません。王は一方で国民から税金を厳しく取り立てながら、人々の心をつかむためのさまざまな政策も実行していており、そのための政治的・経済的手腕も持っていました。特にエルサレムに住む人々には、経済的繁栄という甘い汁をなめさせていたということです。聖書に、エルサレムの壮大な神殿を見た主イエスの弟子たちが感嘆したことが書いてありますが、この神殿もヘロデ王が建設したものでした。

 人々にとっては当面の暮らし向きが良くなることが第一です。その願いさえかなうなら王が暴君であっても受け入れてしまう、これは残念ながら、いつの時代にもあることです。東の国の学者たちからメシア誕生の知らせを聞いた時に、エルサレムの人々は不安に思いました。ヘロデ王がまた血なまぐさい事件を起こすかもしれないと思ったからです。しかし人々はそれ以上何もしませんでした。自分たちの安定した生活を危険にさらしてまでメシアを拝みにゆく勇気はなかったのです。

 このように、暴君のもと、大多数の人たちがまるで家畜のように飼い慣らされてしまった社会の中で犠牲になったのが最も弱い立場にいる者たちです。それが生まれたばかりのイエス様と家族たち、そしてベツレヘムにいた2歳以下の男の子たちでした。

 東の国の学者たちがヘロデ王のところに戻らずに自分たちの国に帰ってしまった時、王は激しく怒りました。イエス様を殺しそこねたからです。その時、主の天使はすでにヨセフの夢に現れて、エジプトに逃げるように告げていました。「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへと去り、…」と書いてありますから、大あわてで出発したのでしょう。

 神がこの時、全能の力を用いられたら、ヘロデ王が差し向けた兵士たちを撃退することが出来たはずです。

しかし神は深いみこころからそうはなさらず、イエス様と家族を逃がし、守ることで神の力を示されました。イエス様は十字架につけられるまで、生きていなければなりません。

 ヘロデ王は兵士を差し向けると。ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺させました。その中にイエス様がいるにちがいないと考えたからです。当時、ベツレヘムは小さな町だったので、ここで殺されたのは20人から30人くらいではないかと考えられています。もちろん、少ないから良いというわけではありません。

 ここで、神様はなぜこのような酷いことを許されたのかと、多くの人が思っていることでしょう。答えに窮する問いですが、しかしこのことをもって、神様などいないと結論づけることは出来ません。仮にその方向に進んで行くなら、さらに大きな災厄が待っていることは確実です。

 この事件は、聖書のほかに記録されている文書が見つからないので、本当にあったことなのかと疑う人もいたそうですが、これに反論することは難しくありません。というのは、当時、国中いたるところで無法がまかり通り、権力者による殺人があったので、20人、30人の子どもが殺されてもあまり注目されず、大きな事件とはみなされなかったのです。…メシア誕生の知らせで不安を抱いたエルサレムの人々がこの事件を聞いても、ああうちの子でなくて良かったぐらいにしか思わなかったのではないでしょうか。しかし、おそらくここに、この事件から見える闇があるのです。

 いま世界を見渡すと、戦争や紛争が起きている地域で、女性と共に犠牲になっているのが最も弱い立場にある子どもたちです。日本国内を見ても、大人の社会にある矛盾が子どもたちの上に重くのしかかり、そのためいじめや親による虐待、まだ生まれていない命を葬り去るということが行われています。見てみぬふりをしている大勢の大人がいる限り、悲劇は終わることがありません。

 

 さてイエス様と家族について話を戻すと、エジプトへの逃避行についての詳しい情報はありません。…イエス様の誕生以前の数世紀の間、ユダヤにいれなくなった人たちがエジプトに逃れ、そのためエジプトの都市にはどこにもユダヤ人が多数いたということです。…マルティン・ルターは、東の国の学者たちから捧げられた黄金・乳香・没薬をお金に換えることが、この家族にとっておおいに役立っただろうと書きました。…大事なことは、このような難民や移民の中に幼いイエス様と家族がいたということです。

 ご存じの通り、今日、難民や移民の問題が世界的な問題になっており、これに日本も無縁ではありません。2011年、ノルウェーで「イスラムによる乗っ取りから西欧を守る」と主張する男が77人の命を奪うというテロ事件を起こしたのですが、この人物が称賛したのが、外国人の受け入れを嫌い、難民受け入れを厳しく制限している日本でした。もっともこの日本も外国人の労働力がないとやっていけなくなって、11月27日に出入国管理法案改正案を採決しました。ただまだまだ多くの問題点が指摘されています。今後この日本の国土の上で、日本人と外国人が共に生きることができるかどうか、これは好むと好まざるとに関わらず、この国に生きる誰もが考えなくてはならない課題となるでしょう。聖書は申命記10章19節でこう書いています。「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。」

                                                                                                                        

 イエス様の誕生は諸説あるものの紀元前7年という説が有力です。ヘロデ王は紀元前4年に死んだことがはっきりしているので、そうなるとイエス様と家族は3年近くエジプトで生活していたということになります。ヨセフは主の天使のお告げによってイスラエルの地に帰ってきますが、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞いて、恐れました。…ヘロデ王は自分の死にあたって王国を3分割し、ユダヤ、ガリラヤ、北東の地方とヨルダン川の東の部分を3人の息子アルケラオ、ヘロデ・アンティパス、フィリポにそれぞれ与えました。しかしアルケラオは父親をしのぐ暴君で、領主の位に着くと国中の有力な人たち3000人を殺してしまいました。ヨセフが恐れたのは当然ですが、しかしまたお告げがあったのですガリラヤに向かい、ナザレに住みつきました。ガリラヤを治めていたヘロデ・アンティパスはアルケラオよりはましな王でした。

 マタイは23節で「彼はナザレの人と呼ばれる」という預言を引用しています。イエス様がナザレで育ったことは、この預言が実現したことだと言うのですが、わざわざこのように書いたことには意味があります。この時代、ガリラヤは辺境の地でした。ガリラヤの人がエルサレムに出てみると、話す言葉になまりがあるためにすぐにガリラヤ出身だとばれてしまい、下に見られることが多かったのです。このガリラヤの中でもナザレは特に軽んじられていた町です。ヨハネ福音書1章46節は、ナタナエルという人が「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったことを書いています。つまりイエス様は、中央に対して地方から出て来た方なのです。

 イエス様はナザレの人と呼ばれるようになります。これは言ってみれば、ど田舎の人ということです「ナザレのイエス」という言い方もあります。これも「ど田舎のイエス」ということです。神はイエス様を田舎っぺと言われるような人々の間に生まれさせ、成長させたのです。

 

 ここにいる私たちは難民でも移民でもないし、田舎の人というより都会人です。世界的に見れば先進国の国民です。しかし、そのことが私たちにとって本当に幸せなことなのかどうかはわかりません。

 こういう話を聞きました。荒瀬牧彦さんという方がアフリカのガーナにある難民キャンプを訪ねた時のこと、説教を求められたので、日本について話し、その中で経済的な豊かさを得たもののストレスの多い閉塞した社会の中で、若者にも高齢者にも自殺が増加しているということに触れました。すると彼らはその部分に、驚くほど強烈な反応を示したのです。「おれたちは難民で明日をも知れぬ生活を過ごしているけど、死にたいなんて思わない!」。何人かの女性は泣きだしてしまいました。なぜそんなことがあるのか理解できなかったのです。…そして日本の友人のために祈ろうと、全員立ち上がって、力を振りしぼるように長い間祈ってくれたということです。

 すべての難民や、虐げられている人がこうだということはないでしょう。また日本にも多くの素晴らしいところがあります。しかし皆さんは日本がこのように思われ、この日本のために祈る人たちがいることをどう思われますか。…神のみ子が生まれてまもなく難民となった、ここに世界の縮図が現れています。いま悲惨な状況と闘っている人々と共にいるキリストから発せられる光を見出してゆくことが出来ますように。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。今年一年を通して広島長束教会と私たちに与えられた恵みを感謝いたします。

 2018年の主題聖句はヨハネ福音書の言葉でした。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」。私たちが本当にイエス様につながっていたか、心もとないのではなりますが、それにもかかわらずイエス様が私たちにつながって下さったことを、心から感謝いたします。

 広島長束教会は小さな教会で、悪魔の攻撃にあえばひとたまりもないかのように見えながら、それでもここに立ち続け、日曜ごとに救いのみことばを語り、礼拝をささげることが出来ているとすれば、それは神様のお支え以外にありません。神様、礼拝で語られ、一人ひとりに受け取られる言葉が、聖書から右にも左にもはずれませんように。いま、この国や自分たちのまわりで起こっている社会現象にも目を配り、特に、十字架にきわまる神様の愛を私たちがゆがめて自分の欲望を実現するための手立てとすることがありませんよう、お導き下さい。

 神様、私たちそれぞれこの年いろいろなことを経験しましたが、そのことが生かされ、どうか神様への賛美と感謝の中で、新しい年を迎えることが出来ますようにと願います。

 この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。

いちばん最初のクリスマス youtube

イザヤ9:1~6、マタイ2:1~12 2018.12.23

 

 いま私たちは、クリスマスをお祝いする礼拝をしていますが、皆さんは、クリスマスがどうしておめでたいのか知っていますか。そうです、救い主イエス様がこの世界に来られた日だからです。

 神様は大昔、今から2700年ほど前、すでに、救い主をユダヤの国に誕生させることを知らせて下さっていました。それは国中が戦争と戦争のうわさにおびえている暗い時代の中だったので、これを聞いた人々は、神様は自分たちを見捨てていないんだ、やがて救い主が来られ、素晴らしい時代が始まる、とその日を今か今かと待っていました。そうして700年がたってやっと、イエス様が誕生されたのです。…世界でいちばん最初のクリスマスは、今のクリスマスとはちがってたいへん静かでした。

 イエス様は、ユダヤの国をヘロデ王が治めていた時代に、ベツレヘムでお生まれになりました。神様はそのことを不思議な方法で、東の国の占星術の学者たちに知らせて下さいました。この人たちは毎晩毎晩、星を観測して、世界に起こるだろうことを研究していたのですが、あるとき夜空にひときわ明るい星が出現したのを見て驚きました。当時、王者の星とされていた木星とユダヤ人の星とされていた土星がうお座の上で重なりあったということですが、それはユダヤに新しい王様が生まれたことを教えてくれるものでした。

 学者たちはこの新しい王様を拝むためにユダヤに向けて出発します。でも、ユダヤ人でもない学者たちがなぜそこまでするのでしょうか。それは、ここでお生まれになった方が、将来きっと歴史に名前を残すような偉大な王さまになるだろう、だからいちはやく行って挨拶しようと考えたからです。でも、この時代は飛行機も鉄道も自動車もありません。東の国からユダヤまでおそらく2000キロくらい、北海道から九州ほどの道のりを、それもえんえんと砂漠と荒れ野が続く中を旅していったのです。

 学者たちはユダヤの国に着くとまっすぐエルサレムの都に入りました。きっと新しい王様は立派な御殿の中で誕生され、エルサレムはわきたっているだろうと思ったからです。…ところがエルサレムでは、誰もそんなことは知らなかったのです。

 ユダヤ人はそれまで七百年も新しい王様を待ち続けていました。この方が来られたらユダヤは良くなる、今は外国に支配されているけどきっと素晴らしい国になるだろうと期待していたのです。

しかし神様は、救い主誕生の素晴らしい知らせを、ユダヤ人を飛び超えて外国人である東の国の学者たちに知らせて下さったのです。そのためエルサレムの人々は学者たちから話を聞くまで、そのことを全然知らなかったのです。

 学者たちは、エルサレムの都の中で聞いて回りました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。…その話はヘロデ王の耳にも届きました。ヘロデ王は心配になりました。ヘロデ王はとても恐ろしい王様で、自分以外にユダヤ人の王様がいることを許すことが出来ません。そこで、祭司長たちや律法学者たちを集めて、「メシアはどこに生まれることになっているのか」と尋ねました。メシアとは救い主のこと、新しい王様のもう一つの名前です。ヘロデ王がメシアはどこに生まれることになっているのかと尋ねたのは、新しい王様を見つけたら殺してしまおうと考えていたからでした。

 ヘロデ王はそういう人ですが、エルサレムの人々も問題です。七百年も待ち続けた新しい王様が誕生したというのに、大喜びするどころか不安になってしまったのです。新しい王様が現れたらヘロデ王が黙っていないだろう、何かよくないことが起こるかもしれない、それよりは今のままがいいやと思ってしまったのです。

 祭司長たちと律法学者たちも困った人たちです。この人たちは神様にお仕えし、聖書をよく知っていたので、ヘロデ王に呼ばれたとき、すぐに聖書の中のミカ書というところを開いて言いました。「王様、聖書の中に、新しい王様がベツレヘムで生まれると書いてありますよ」。でも、この人たちの誰も新しい王様に会いに行こうとはしません。ベツレヘムはエルサレムの都から7キロしか離れていないので、行こうと思ったらすぐに行けるのに、足が向かないのです。神様におつかえしている人が何ということでしょうか。

 素晴らしいのは東の国から来た学者たちです。学者たちは新しい王様がベツレヘムで誕生したことを教えられ、出発すると東の国で見た星が再び現れました。こうしてベツレヘムに着き、ついにイエス様のもとにたどりついたのです。そこは立派な御殿ではなく、普通の家、イエス様の家族も大金持ちでも何でもなく、貧しい普通の人たちでしたが、学者たちはそんなことに惑わされませんでした。そこに星が輝いていました。神様がここまで導いて下さったのです。…学者たちは赤ちゃんのイエス様を拝み、贈り物をささげました。そして、この方こそ、ただユダヤ人の王であるだけでなく世界の救い主だと信じたのです。

こうして学者たちは、本当の神様を信じる人になって、自分の国に帰っていったのです。

 神様はイエス様ご降誕の素晴らしいニュースを、ユダヤの人にとって外国人で、毎晩星を見続け、真剣に神様の教えを探し求めた学者たちに知らせて下さいました。神様は今も、熱心に神様の教えを探し求めている人ならどこの誰であっても、イエス様ご降誕の素晴らしいニュースを届けて下さいます。でも、素晴らしいニュースを聞いても不安になったり、それがどうかしたのと言うような人には何にも起こらないでしょう。

 ベツレヘム、その意味はパンの家なんだそうです。パンはみんなのお腹をいっぱいにし、元気にしてくれます。でもパンそのものは、おなかに入って、やがてなくなってしまいます。そのパンのように、イエス様は死ぬために生まれ、そのことで私たちに命を与えて下さいました。

 東の国の学者たちは長い旅を続けてついにイエス様を探し当てましたが、私たちにとってもイエス様は、一生をかけても探し求めるべきお方なのです。世界の暗闇を照らす光となられたイエス様の誕生を祝い、喜び迎えるクリスマスが皆さん一人一人の上にありますように。

 

(祈り)

 神様。すべての民に与えられる大きな喜びが、いま私たちの上にも与えられました。私たちは、イエス様のご降誕をまさに神様の私たちへの愛の現れであると信じ、神様をたたえるものでございます。

 神様。あなたが大切な御子を送って下さった世界は、悲しみと苦しみにあえぐ暗闇の世界でありました。しかしイエス様は、暗闇を照らすまばゆいばかりの光になって下さいました。神様、どうか私たちをみな、明るい世界に導いて下さい。もしも明るい光が差しているのに、暗闇へ暗闇へと逃げてゆこうとする人がありましたら、どうか引き戻して下さい。

 神様。いま世界中の教会で行われているクリスマスの礼拝を祝福して下さい。悲しみの中にある人々にこそ、救い主誕生の喜びがありますように。そうして日本中の人々、世界の人々と共に、この日を祝うことが出来ますように。そうして世界が、神様のお励ましの中で、希望をもって新しい年を迎えることが出来ますようにとお願いいたします。神様を賛美いたします。この祈りをとうとき主イエス様の御名によってお捧げいたします。アーメン。

  神われらと共に youtube

イザヤ7:13~14、マタイ1:18~25 2018.12.16

 

 私たちは今、待降節第三礼拝を行っています。待降節はご存じの通り、英語でアドヴェントと言いますが、調べてみるとアドヴェントには待つという意味がないことがわかりました。来るという意味なのです。…神のみ子が人となって天から降りて来るのですから、降りるという字と誕生の誕の字を合わせて降誕節と言うこともあり、翻訳としてはこちらの方が正しいように思います。降誕とはイエス様の誕生にだけ使われる言葉で、イエス様以外のどんな偉い人にも用いることはありません。

 神のみ子が天から降りてマリアという女性から誕生する、この世に生きる、それは危険をあえてすることです。冒険なのです。だからアドヴェントはアドベンチャーという言葉の語源にもなっているのです。…イエス様が天からこの世界に来られたことで、神が人間になり、霊的な存在が肉体をまとい、暗闇の中に光が照り輝きましたが、どれをとっても危険な冒険、アドベンチャーであることは明らかです。私たちは無邪気にクリスマスシーズンを過ごしているのかもしれませんが、そこには神様の並々ならぬ決意がありました。それは私たちが想像出来ないほどのものなのです。

 

 先週の礼拝で、私たちはイエス・キリストの系図についての話を聞きましたが、少し思い出してみましょう。イエス様はアブラハムの子でありダビデの子でありますが、まずアブラハムの生涯が冒険の連続でした。アブラハムは神様の命令を受けて、生まれ故郷、慣れ親しんだカルデアのウルを出発し、全く見知らぬ土地、カナンの地まで来て住み着いたのです。彼の生涯にはさらに多くの冒険があり、まさに波乱万丈の生涯であったことは、聖書を読めばすぐにわかります。

 ダビデの生涯も冒険の連続でした。一介の羊飼いだったダビデは、巨人ゴリアトを打ち倒して賞賛されますが、かえってそのことでサウル王から命を狙われて何年も逃げ回りながら、ついにイスラエルの王となったのです。

 クリスマス物語の主人公であるヨセフは、アブラハムのような信仰の父でもダビデのような英雄でもありません。マリアに比べても影が薄く、目立たない、むしろ私たちと同じ普通の人間、平凡な人間の中に入ると思うのですが、しかしマリアの妊娠をきっかけにそれまで思ってもみなかった大変な冒険、嵐の日々へと引っ張り出されたのです。

 ユダヤ人は紀元前6世紀にエルサレムが陥落してしまって以来、自分の国を持てないでいました。約2000年前、イエス・キリストがお生まれになったユダヤの国は、皆さんご存じのように国といっても独立国ではなく、ローマ帝国の支配下にあったわけですから、ユダヤ人は異民族に支配される苦しみをなめつくしていました。このユダヤの国にヨセフがいました。ヨセフはダビデ王の血を引く人でしたが、しかし地域の中での有力者でも何でもありませんでした。おそらくダビデ王の子孫というのはたくさんいて、ヨセフはその1人にすぎなかったのでしょう。

 ヨセフはマリアと婚約していました。この時代、男女が婚約しているというのは法的には結婚したことになっていました。そのため19節で「夫ヨセフは」と書いてあるのです。実際には、婚約から1年ほどあとで夫婦生活が始まるのですが。…ヨセフはこのままマリアと結ばれることで、幸せな家庭を築こうとしていたのでしょうが、この時マリアのお腹にヨセフの子どもでない命が宿ったことを知ってしまいました。こういうことは、当事者にとってはいつの時代でもショッキングなことですが、特にこの時代であればなおさらです。

 ルカ福音書を見ますと、天使ガブリエルがマリアのもとに来て、受胎告知をしたことが書いてありますね。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言って妊娠を受け入れたマリアは、このことをヨセフに告げなかったはずはないと思うのですが、そこでマリアが語っただろうことは、聖霊が働いて妊娠したという全く途方もないことですから、ヨセフはとても信じられなかったのです。

 ヨセフとマリアは法的には結婚したとしても、まだ夫婦生活は始まっていないので、そうなると、マリアはヨセフとは別の男性と関係を持ったとしか考えられなくなります。こんな場合、ヨセフがとるべき態度は3つしかありません。一つが、マリアとの関係をそのまま続けて妻として迎え入れることですが、マリアのお腹はだんだん大きくなって行きますから、それを見た人はヨセフとマリアは婚約期間中の戒めを破ったとみなすでしょう。…それでは、マリアを告発すべきなのか、そんなことをするとマリアはだらしのない女として、律法によって石打ちの刑に処せられる可能性があります。…その次がマリアとの縁を切って、婚約を解消することです。その場合、マリアは未婚の母となり、時が来れば父親がわからない子どもを出産することになります。この時代、これはマリアを社会的に葬り去ることになります。生まれた子どもも、自分に罪はないとはいえ悲惨な人生を歩むことになります。

 ヨセフは正しい人でした。この場合それは、律法に従って歩んでいるということです。律法に従うならマリアを告発すべきです、しかしそれをやることでマリアが石打ちの刑に処せられるのも耐えられません。あちらを立てればこちらが立たず、そこでヨセフはマリアとひそかに縁を切ろうとしたのですが、それで解決とはなりません。

 このようなことを考え、ヨセフが苦悩の中にいた時、夜の夢の中に天使が現れて言いました。「ダビデの子ヨセフよ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」。天使は、マリアに罪があるのではなく、神様の霊が彼女に働いて子供を宿したと教えてくれたのです。

いわゆる処女降誕について、これを科学的に説明することは出来ません。イエス・キリストの誕生は謎に包まれており、ここがわからなくてつまずいてしまう人がいなくもないのですが、ご参考までにひとつの答えを紹介いたします。

ここでは、生まれるはずのない子どもが生まれるのです。…聖書にはイエス様以外で乙女が身ごもったという話はもちろんありませんが、これを思わせる話はあります。…たとえばアブラハムとサラの夫婦は、年老いて、子どもを産むのはとても無理としか思えない年齢でイサクをもうけました。預言者サムエルも、長い間子どもに恵まれず苦しんでいた母ハンナから生まれました。サムソンもそうでした。バプテスマのヨハネもそうですね。

聖書にはどうして、不妊に悩む夫婦から子どもが生まれる話がいくつもあるのでしょうか。それは、神が無から有を産み出すお方であることを示しているのです。神様は、人間の力によっては全く不可能なところで力を発揮されます。イサクの誕生からイエス様のご降誕まで、私たちはどれも人間にとっては望みがない状況、それも苦しみ悩みのきわまるところで起こったことを知ります。神様がその場に介入され、無から有を産み出し、絶望を希望に、涙を喜びに変えて下さったのです。そのことを見た人は、神の力を信じ、そこについてゆくほかありません。

ヨセフは天使が言ったことがすべてわかったとは思えません、でも信じました。神を信頼していたからです。…同じことが私たちの上にも起こります。処女降誕については、私たちも使徒信条の中で礼拝ごとに告白していますが、よくわかりません。しかし、そこに神の全能の力が働いていることを信じれば良いのです。

天使はヨセフに「その子をイエスと名付けなさい」と命じました。イエスというのはギリシャ語ではイエス―ス、ユダヤ人が当時使っていたアラム語ではイエーシュア、当時同じ名前の人はたくさんいました。これをヘブライ語に直すとヨシュアになります。何語であっても、その意味は「神は救いである」ということになります。その頃、ありふれた名前だったかもしれませんが、その名にこの方の誕生、その生涯、お働きのすべてが込められています。それが神が救いであるということです。…では、神はだれを何から救って下さるのでしょうか。天使は、「この子は自分の民を罪から救うからである」と言います。自分の民とは直接的にはユダヤ人を指します。マタイ福音書冒頭の系図に書いてあるアブラハムを祖先とし、ダビデ王の再来を待ち望む民です。しかし、それだけにとどまりません。系図がイエス・キリストをもって完結したということは、イエス様と血のつながった子孫の系譜を書く必要はないということではないでしょうか。イエス様を信じる者すべてが、ユダヤ人であるか異邦人であるかに関わりなくイエス様の民となったということなんです。肌の色が違い言葉が違うどんな人も神様の前で罪人(つみびと)であるということでは変わりません。しかしイエス様の民とされたことで、罪から救われるのです。

 

天使はさらに、旧約聖書を引用してもう一つの名前を告げます。「その名は、インマヌエルと呼ばれる」。インマヌエルとは何でしょうか。これをイエス様の別名かな、と思っている人がいるかもしれませんが、でもそういう用いられ方は聞いたことがありません。インマヌエルとは聖書に書いてある通り、「神は我々と共におられる」ということです。このことが、いまイエス様のご降誕によって本当のこととなったのです。従ってインマヌエルとは、イエス様の別名というのではなく、この方が来られることで必ず起こることを示しています。つまり神様が我々人間と共におられるようになったことです。…ただそのことを、あまり安易にとらえないことが必要です。

聖なる、義なる神様に逆らい、罪のとりことなって、自分から堕落への道をたどって破滅へと向かって行く人間たちを愛し、人間たちの中に降りて行く、そこにどれほどの悲しみがあり、嘆きがあり、決断があるのか、それは私たちの想像を超えることにちがいありません。この先には最終的に十字架が待っているのですから。この意味で、イエス・キリストのご降誕は神様による冒険、それも神様がご自身のすべてをかけた冒険だと言えるのです。

 

2000年前イエス様が来られたことで世界は良くなったでしょうか。戦争はなくなったでしょうか。食べ物がなくて苦しむ人々はいなくなったでしょうか。人々は神様に感謝して、互いに愛し合うようになったでしょうか。残念ながらそうとは言えません。大昔から今日まで、戦争はなくならないし、飢えで苦しむ人がいるし、今もみんながみんな神様を信じているわけではありません。

…しかし、イエス様が来られたことで決定的に変わったことがあります。それは世界が、自分たちと一緒におられる神様を持ったということです。

イエス様がおいでになっていない昔から、神はこの世界を愛し、そこに住む人間を罪から救おうとなさっていました。

でも、そのための手段は、天から働きかけることだけでした。しかし神の御子であるイエス様がおいでになることによって、神はこの世界の罪と苦しみをすべて引き受けられ、イエス様のお命にかけて、世界に本当の愛と幸せをもたらそうとされたのです。世界を包んでいる暗闇が打ち払われて、神が人間と共におられることが本当に明らかになったのがクリスマスなのです。

ヨセフは神のこのみこころを受け取って、マリアを迎え入れました。生まれた子をイエスと名付け、イエス様を守り、育てることで、その結果、インマヌエル、すなわち神は我々と共におられるということを世にもたらしたのです。こうしてヨセフの苦しみは、神様によって言いようのない喜びへと変わったのです。

私たちがクリスマスをお祝いすることは、ただプレゼントを交換しあう以上のことです。どうかこの時、神様がどれほどの思いと決意をもってイエス様を世界に送って下さったかということを思って下さい。

最後にパウロの言葉を読みます。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にあるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ロマ8:38~39)

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様が私たちをここに集め、この世界においでなさったイエス・キリストをお迎えする準備の時を与えて下さった恵みを感謝申し上げます。今年もあと残り少なくなり、私たちは一年の喜びと悲しみをたずさえて、この場に臨んでいます。どうかきょう、私たちにイエス様が与えられたということをもって、私たち一人ひとりの人生を意義あるものとして下さい。救い主をこの世界に送らずにはいられなかった人間の、また私たちの罪の現実というのは知れば知るほど恐ろしいものがあります。しかしその中にあっても絶望から救い出され、神様の愛と導きをより深く信じ、感謝する者でありますように。また、それと共に一人でも多くの人がクリスマスの喜びにあずかることが出来ますようにと願います。神様のみ子が訪れたというのに絶望し、泣いて悲しんでばかりいる人があってはなりません。一人ひとりみな違ってはいても、誰ひとり、神様に出会って救われる必要のない者はいないからです。

 今日のこの礼拝が御祝福のうちにありますように。主のみ名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。

 イエス様のファミリーストーリー youtube 

創世記12:1~4a、マタイ1:1~17

        2012.12.24

 今年はマタイ福音書から、イエス・キリストご降誕について学びたいと思っています。そこでこの福音書の冒頭、1章1節からの部分を取りあげることにしたのですが、ここはなかなか親しみにくいところです。

 ある人が「よし、聖書を初めから読んでみよう」と決心しました。そして、気負いこんで新約聖書の1ページから声をあげて読み始めたものの、「アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを」、こんな言葉ばかり続くものですから、口が回らないばかりか、ここにいったいなんの意味があるのかとなってしまいました。「もう、いやになっちゃったよ」と言った人もいたそうです。この部分で挫折した人もいたかもしれません。…年配の方なら「神武、すいぜい、あんねい、いとく…」と、歴代天皇の名前を暗唱させられたことが思い出されるかもしれません。

 神聖な新約聖書の冒頭に、どうしてこのような、無味乾燥ともいえる文章が載っているのかということはあるでしょうが、でもせっかく書いてあるのだから何か意味があるのだろうと信じて、ここに向かいあって下さい。

 

 この福音書を書いたマタイは、これを書き始めるにあたって、どうして系図から始めたのでしょう。

 系図を作るというのは、自分がどこから来たかを明らかにすることです。自分の系図に対する態度は人さまざまです。ふだんの自分たちの生活の中で、系図や祖先のことはごくたまに話題になるだけで、ほとんど意味を持っていない人は多いです。しかし一方で、自分の家系にこだわる人がいます。自分の先祖がどう生きたかを探るのはやはり意義があることでしょう。ただ先祖が身分が高いことを鼻にかけてしまうことがありますし、また部落差別というあってはならない問題も起こっています。

 系図を作るのは自分がどこから来たかを明らかにすることですから、これを昔へ昔へとさかのぼって行くと、今度は自分はなんという民族に属し、その民族はどこから来たかということになります。さらに昔へ昔へとさかのぼって行くと、人類の祖先はどこから来たのかとか、人間はサルと親戚なのかどうかということになります。一部のキリスト者は人間がサルと親戚だとは認めようとしません。

人間様があんな動物と親戚であってたまるもんですかということなのですが、これもやはり差別だと思います。人間がどこから来たのか、さらに探っていくと、生命はどこで誕生したのかという問題にまでなってゆき、ここまで探究するとそれはたいへん意義のあることだと思います。

 今日の箇所はイエス・キリストの系図です。イエス・キリストとは誰なのか、もちろん皆さんの中には、キリストはイエス様の苗字だなどと思い違いされている方はおられないはずです。マタイが1章1節でイエス・キリストと書いた時すでに、イエスはキリスト、すなわち救い主であるという信仰が表明されています。…ではこの方は、地上ではどこの家からお生まれになったのでしょうか。1章1節は「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」と書きます。マタイは、イエス・キリストはアブラハムの子で同時にダビデの子であると書くのです。

 アブラハムは紀元前2000年ころの人物で、イスラエル民族すなわちユダヤ人の先祖です。今日のユダヤ人はアブラハム、イサク、ヤコブの系統に属しています。…しかしアブラハムのことをこれだけで言い尽くすことは出来ません。アブラハムからはのちにアラブ人となる人々も生まれているのですから。

 さらに重要なことがあります。神は創世記12章で、アブラハムにこう言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。」

 あなたが祝福の源になる、これは途方もないことで、これを言われた時、アブラハムが理解できたとは思えません。この当時、彼には子どもがなかったのに、それにもかかわらずあなたの子孫が大いなる国民になると言われたのですから。しかしアブラハムは、理解できない神様の言葉を信じました。これ以後の彼の歩みは、神様の約束を信じるか信じないかを巡ってのものになります。その後、待望の息子イサクが与えられますが、神はアブラハムを試して、イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさいと命じられました。アブラハムがイサクをささげようとした瞬間、神はその手をとどめ、イサクは助かりました。その時の神様の言葉の中に「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(創22:18)があります。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」、実に世界的な約束の言葉ですが、その言葉を、神は長い歴史の中でお忘れになることがなく、ついにイエス・キリストによって実現したのです。地上の諸国民、つまり世界の人々は、あなたの子孫、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって祝福されることになる、そういう意味でイエス様はアブラハムの子なのです。

 次にイエス様がダビデの子と呼ばれていることについて。ダビデは紀元前1000年ころイスラエルの王となって、強大な国を造りあげた人です。さまざまな過ちも犯し、そのことに対する裁きを受けつつ、神によって王として立てられた人物です。神様は預言者ナタンを派遣して、ダビデ王にこう言わせました。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サムエル記7:12)

 ダビデのあとソロモンの時代に王国は最盛期を迎えましたが、その子の代に王国は分裂、やがて両方とも滅んでゆきました。イエス様の時代もユダヤ人はローマ帝国の支配下にあって、独立国家を持つことは出来なかったのです。他民族の支配下にあえいで何百年となるユダヤ人は、ダビデの子の再来を切に待ち望んでおりました。ダビデの子こそ救い主、昔のイスラエル王国の栄光を再び取り戻してくれる方であったのです。

 マタイはこのイエス・キリストこそダビデの子であると告白するのです。イエス様はダビデ王のように、軍事力を用いて強大な国家をつくりあげる王ではありません。しかしダビデ王に対して「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」という約束は、まさにイエス様によって実現しました。…イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入城する時、群衆はイエス様に向かって「ダビデの子にホサナ」と叫び続けました。この群衆はまもなく心変わりしてイエス様を十字架にかけてしまうのですが。イエス様の死を見届け、さらに復活したイエス様に会った人たちは、このイエス様こそ本当にダビデの子であり、神様が約束なさった、世界中すべての人が聞き従うべきまことの王であるという信仰が与えられたのです。

 このように、イエス・キリストがアブラハムの子でありダビデの子であると言われていることから、この系図がただ人名を並べたものでなく、信仰的な歴史理解に基づいて作られたものであることがわかります。

                                                                                      

 この系図は、誰もが気づいているように3部構成になっています。第1部がアブラハムからダビデまで、第2部がダビデからバビロンへの移住、エコンヤという人まで、第3部がバビロンに移されてから、エコンヤからイエス・キリストまで、それぞれ14代ずつになっています。

 イエス・キリストの系図というのはルカ福音書の3章にも書いてあり、2つの系図を比べるといろいろな謎や疑問点が浮かび上がってくるのですが、たいへんに複雑で私もよくわからないので取りあげません。

そこでマタイの系図のおおまかか特徴だけをあげることにします。第一に、ここにはアブラハム以前のアダムとかノアといった人物の名前はありません。これはアブラハムとダビデを中心に作ったものなのです。 第二が第1部から第3部まで14代ずつになっていることです。…8節にヨラムはウジヤをと書いてあります。ここを旧約聖書で調べてみますと、ヨラムとウジヤの間に3人の王がいたことがわかります。マタイはこの3人の名前を省いて、系図の第2の部分を無理に14代にしてしまったのですが、なぜそんなことをしたのかいろいろな説明がありますが決定打はありません。こうしたことがまだまだあるのですが、ここまでにしておきます。

 系図の第1部、アブラハムからダビデまで、これはアブラハムが約束のカナンの地に移住したことに始まり、ダビデが強大な王国を築くまでですから、さまざまなことがあったにしろ、この一族にとって上に向かって昇って行く、良い時代だったと言えます。

 系図の第2部、これは転落の始まりです。ソロモン王の時、最盛期を迎えたイスラエル王国ですが、ソロモン王は異教の神々を拝んで神を怒らせてしまいます。その子レハベアムの時に王国は分裂、やがて最後まで残っていたユダ王国も滅び、ユダヤ人はバビロンに連れてゆかれるのです。

 そして第3部でダビデの家系は忘れられたものになってゆきます。旧約聖書にエコンヤ、シャルティエル、ゼルバベルまでは載っていますが、それ以降の名前はありません。この王家は権力者でも貴族でもなく、庶民になります。ヨセフは一介の労働者でした。これを落ちぶれていったとする見方があるかもしれませんが、しかしそれは不幸なことではないのです。王になって贅沢三昧をするより庶民である方がよほど幸せだからです。そのことがイエス様の登場によって明らかになるでしょう。

 さて、この系図には他の系図と違う特色があります。男性の名前だけ書いて女性を載せない系図が多い中で、ここに4人の女性が登場するのです。それも、ひとくせもふたくせもある女性です。まず3節のタマルですが、自分の夫の父親であるユダを誘惑して双子のペレツとゼラを産みました。5節のラハブは神の民のために大きな功績がある人ですが娼婦でした。同じく5節のルツはすぐれた女性でしたがモアブ人、イスラエルの民に属さない人です。そして6節のウリヤの妻とはバト・シェバです。彼女は夫が留守している間にダビデ王と関係を持ちました。この事件は女性の側だけが悪いのではなく、男性にも責任があります。だからマタイは、「ダビデはウリヤの妻によって」という書き方で、ダビデ王が罪を犯したことを明記しています。

 それにしても、マタイがこの4人の女性の名前を書いた意図はどこにあったのでしょうか。普通なら、彼女たちの名はアブラハムの子ダビデの子であるイエス・キリストの系図の中に誇らしげに掲げるようなものではないのです。そのような観点から系図に出て来る人物をていねいに調べてみると、不信仰で邪悪な人物の名前も出て来ることがわかって、聖書の読者は立ち止まってしまうのです。…これが私たちが崇める神の御子イエス・キリストの系図なのかと。

 もしも私たちがイエス・キリストの家系に、血統の良さや毛並みの良さを求めて、初めから終わりまで素晴らしい一族だなどと思っていたら、たちまち幻滅しています。一族の歴史はまたどろどろとした人間の罪の歴史でもあるのです。…けれども、神様だけはこの系図の中に生きて働いておられます。罪の中におかれたこの一族は、亡国の民となったりして苦難をなめつくしますが、それにも関わらず神はアブラハムとダビデに与えたその約束に忠実であられました。…人間は自然のままにしておくと、罪のためにどんどん悪い方向に向かってゆき、世界は破滅への道を歩んでしまいます。しかし神様は人間の罪にも関わらず、またその罪を通してもみわざを貫かれます。そのことがイエス・キリストの出現となったのです。この神の真実のゆえに、ついに救い主が与えられたという驚きと喜びと感謝の思いの中で、この系図が掲げられているのです。

 

 世の中には、自分が犯罪者の血を受け継いでいるということで悩む人がいます。自分がある特定の民族であることを恥じている人もいます。自分がどこから来たかということはどうでも良いことではありませんが、しかし人の一生にいつまでもついてまわるものではありません。アブラハムとダビデの由緒ある家系は、神に背き、流浪の民となり、落ちぶれてしまったけれども、そのいちばん最後のところで、神は御子を誕生させて下さったのです。だから私たちは、その出自がどうであろうと、イエス・キリストによって新しく生まれた者たちなのです。

 イエス様に子供はいませんでした。従って、イエス様の血を直接受け継いだ子孫はいません。イエス様の弟や妹の子孫が今日まで残っていることは考えられますが、それはどうでも良いことです。聖書に記されている系図はイエス様のところで終わり、それよりあとの系図はありません。…けれども、霊的な意味でのイエス様の子供は無数に生まれて行きました。人となった神であるイエス・キリストはいま教会のかしらとなって、全世界を治めておられます。私たちはみな、イエス様の子供なのです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。

 自分の家柄が良いことを誇りに思う人がいます。逆に自分の出自を隠し続けている人がいます。自分がどこから来たのか、これは決してないがしろに出来ることではありませんが、私たちは何より、神様によって救われて新しく生まれたことをこそ誇りに思うことが出来ますように。この喜びを与えるために、イエス様は天からこの地上に降りてきて下さいました。

 神様、私たちの先祖ばかりでなく、私たち自身の歩みの中にも、消し去ってしまいたい数々の汚点があります。イエス様はすべてご存じの上で、私たちを兄弟と呼んで下さいます。おそれおおいことです。暗闇の中に現れた光が暗闇を追い払った喜びの中で、私たちのクリスマスへの歩みをお導き下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。

  苦難のしもべの詩 youtube

イザヤ52:13~53:12、ガラテヤ6:14  2018.12.2

 

 今年も残すところあと1か月になりました。きょうから待降節(アドベント)が始まります。待降節は、ご存じのようにクリスマスからさかのぼって四つ前の日曜日から始まります。それはイエス様をお迎えするために心を清め、整える時です。この大切な時に、私たちはイザヤ書の苦難のしもべのうたを読もうとしています。もしかすると、今日この箇所を読むことに違和感を感じられる方がおられるかもしれませんが、それには理由があるのです。

クリスマスというと、誰もが明るい、華やかなことを心に思い浮かべるのが普通です。教会のクリスマス自体そのことを意識していますし、教会の外で行われているクリスマスならなおさら華やかさをきそっているかのようです。もちろんクリスマスは明るい、華やかなものであって良いのです。…ただ本当のクリスマスは、明るいところがさらに明るくなるようなものではありません。暗いところが明るく輝いたのです。

それは闇の中に光が輝いた時でありました。イザヤ書8章22節は言います。「地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々は逃れるすべはない。」これがクリスマスがない時代のユダヤの人々が置かれている状況だったのですが、そこに与えられたのが9章1節の言葉です。「闇のなかを歩む民は、大いなる光を得、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」

 何千年も昔の人々の生活がどうだったのか、現代人には具体的に思い描くことが難しいのですが、しかし暗い、絶望でおおわれた世界であったことはだいたい想像できます。…しかしそこに、まばゆい、輝く光が指したのがイエス・キリストのご降誕でありました。

 イエス・キリストがもしもおいでになられなかったとしたら、暗黒の世界はいつもでも続いていたでしょう。人間が、人間の力で理想の世界をつくることなど出来ませんから。このことが忘れられてしまうと、クリスマスはたいへん浮ついたお祭りになってしまいます。…そして、このことも言っておかなければなりません。この世界においでになったイエス様は、ご自分の持っているものいっさいを、この世界のために捧げ尽くされました。イエス様のおかげで世界は明るくなったのに、ご自分は十字架にかけられ、すべてを失ってしまわれたのです。…ですから暗黒の世界においでになって、神の愛をきわみまで生きて行かれたイエス様のことを覚え、感謝しつつ、クリスマスを迎えるというのが本当の待降節の過ごし方ではないかと思うのです。

このようなことを考えて、私は今日、イザヤ書を取り上げました。「苦難のしもべのうた」は聖書の中でも人気があるわけではなく、心にたいへん重くのしかかるところですが、私たちがここを通らなければ、クリスマスが本当に喜ばしくなることはありません。…闇の中に輝いた光は、闇の力によって一度は吹き消されてしまいました。しかし再び火がともされ、その後は何が起こっても消えることなく、世界に広がりながら今も輝いているのです。

 

 苦難のしもべのうたが語るのは、預言者イザヤが語るまでは、誰も知らなかった。予想も出来なかった話です。イザヤ書53章1節は言います。「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか」。…ではそれを誰の内に見出すことが出来るのでしょうか。

 人間なら誰しも、おそらく信仰のない人たちも含めて、主なる神の力強いみ腕が、自分の前に示されることを望んでいます。…自分の思い描いたような人生をそのまま送ることが出来る人はめったにいません。なかなか思い通りにならない人生の中で、自分と自分が愛する人々を主なる神のみ腕が支え、自分たちのたっての望みを直接かなえてくれることこそが願いです。そのことを求めて教会に来ている人もたくさんいることでしょう。ところがイザヤの預言は、主の御腕の力がそれを求める人に与えられるとは言わないのです。

 「主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか」のあとに示されるのが、苦難にさいなまれるしもべです。この方を通して、主は御腕の力を示されたというのです。それは誰を指し示しているのでしょうか。本当の神を信じる人たちは、やがてこれがイザヤから700年のちに現れたイエス・キリストのことだということに気がつきました。イエス様が十字架につけられ、死なれたのちに気がついたのです。しかしなぜ、このイエス様に主の御腕の力が示されたと言うことが出来るでしょうか。…もしもかりに、主の御腕の力がイエス様の上に示されていないなら、クリスマスなど祝わなくても良いのです。楽しい集まりだけならイエス様抜きでもできます。やりたい人だけがやれば良いのです。だいたい赤ん坊の誕生など、どこにもあることではないでしょうか。どうしてイエス様のご降誕の中に主の御腕の力が示されたと言えるのでしょう。

 

 ある人の上に主の御腕の力が示されたとします。皆さんは、そのしるしはどこにあると思われますか。…皆さんはこれまでの人生の中で、この人こそ神様に愛され、恵まれた人だと思うような人に会ったことがありませんか。だいたいのところ、そればすてきな人、知恵ある人、力ある人で、要するに人間の夢や願いがそのまま現実となったような人であるでしょう。

 それではイエス・キリストはどうだったでしょう。イザヤ書は言います。「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った」。若枝というと何かすがすがしいイメージがありますが、その前をよく見て下さい。…イスラエルの風土は日本とは全然違って、真っ黒な土なんて珍しいのです。水が少なく、荒れ野の乾いた地に埋もれた根があった、それは今にも死にそうな木の根です。そこから育った若枝がどんなものか想像してみて下さい。これと同じように、イエス様も貧弱で、みじめに見えたということです。

 イエス様の父ヨセフは貧しい大工でした。母マリアも親戚に祭司に嫁いだ女性がいるとはいえ名もない娘で、しかも人に知られたくない秘密を持つ身でありました。なぜなら結婚する前に身ごもってしまったからです。父ヨセフは悩みと苦しみの中でマリアと結婚しました。二人は戸籍登録のためにベツレヘムに向かいましたが泊る家がなく、家畜小屋でイエス様が生まれたことは皆さんご存知の通りです。その後、この家族はヘロデ王から命を狙われ、エジプトに逃げていかなければなりませんでした。いわば難民だったのです。…ようやく戻って来たあと、この家族はナザレの町に引きこもり、つつましく暮らしていました。…その後、成長したイエス様が伝道を始められた時、イエス様の家族も近所の人たちもびっくり仰天してしまいました。彼らにとってイエス様は、自分たちと同じ普通の人間だったからです。誰も、主の御腕がイエス様の上に示されているなどとは思ってもみませんでした。

 

 イザヤはイエス・キリストについて、「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」と書きました。聖書のこういう箇所は私たちがあまり目にしたくないところです。だいたい私たちは、イエス様が見るからに神々しいお方で、そのまわりにイエス様を仰ぐ多くの人々がいることを想像したいのです。

 しかし聖書自体がそんな私たちの幻想を打ち砕きます。聖書はクリスマスの話そのものの中にも、イエス様のその後のお苦しみにつながっていく人間の罪の醜い現実を隠すことなく書いています。私たちはイエス様がお生まれになった時、羊飼いたちや東の国の学者たちがお祝いにかけつけたことを知っていますが、その背後には、新しい王の誕生を聞いて不安に思ったり、あるいは無関心だったりして、少しも動こうとしない圧倒的多数の人々がいたのです。…ヘロデ王に至っては、自分の権力を脅かす者は、たとえ赤ん坊であっても許すことが出来ないと、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子をことごとく殺してしまったほどでした。これはあまりにも悲惨な事件で、心浮き立つクリスマスのお祝いの席で読まれることはめったにありませんが、忘れてはならないことです。

 クリスマス物語から、人間の罪がもたらす醜悪さや悲惨な出来事を取り除くことは出来ません。私たちはいまクリスマスがどんなに華やかに見えても、それが決してきれいごとではないということを知っておく必要があります。…クリスマスとは、人間を罪から救うために神のみ子が地上に来られた出来事です。だからそれは人間の罪とのたたかいの最前線で行われたことだったのです。主の御腕の力は、何より罪とたたかうイエス様の上に示されているのです。 

 

 東の国の学者たちは星に導かれて幼子イエス様のところまで来ました。そしてイエス様を拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。この贈り物も、人間の罪に関わっています。聖書には、学者たちが「宝の箱を開けて」と書いてありますから、それぞれ高価なものであったことがわかります。(宗教改革者)ルターは、ヨセフとマリアと幼子イエス様がその後エジプトに逃げていったとき、これらはさぞかし役に立っただろうと書いています。この贈り物はお金に換えられて、聖なる家族の旅費や生活費になったのでしょう。黄金と乳香は、古い時代から王に献げるにふさわしいものだったということです。問題は没薬です。これはミルラという木から出る樹液を乾かしたもので、新約聖書ではイエス様の生涯の終わりのところにも出て来ます。ヨハネ福音書19章39節で、イエス様のご遺体を引き取りに来たニコデモという人が、「没薬と沈香を混ぜた物」を持って来たと書いてあり、それは偶然ではありません。没薬は死体を腐らせないために使われてきたものであり、それがイエス様の生涯の初めと終わりに出てきているのです。ですから東の国の学者たちが献げた没薬は、彼らがそれを意図したかどうかは別にして、イエス様の死を指し示すものであったのです。

 イザヤ書の苦難のしもべのうたも、はっきりとイエス様の死を書いています。8節:「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼は神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」。

 十字架へと進んで行くイエス様が苦しみの底にあった時、ごく少数の人を除き、そのことに注意をはらう人はいませんでした。私たちも教会に来る以前、イエス様の苦しみに注意をはらうことはありませんでした。イエス様は軽蔑され、見捨てられ、嘲笑の的となりました。そのお苦しみは、私たちを含む古今東西のあらゆる人々が罪のために受ける罰をかわりに背負ったものであるにもかかわらず、そのことがわかっている人はいませんでした。それどころか、イエス様は神様の手にかかり、打たれたから苦しんでいるのだ、と思っていたのです。

 神は私たちの罪のためにイエス様を打ち砕こうと望まれ、こうしてイエス様はご自分を償いの献げ物とされました。こんなことは歴史上誰もが思いつかなかったことです。もったいないことです。恐れ多いことですが、このことによって主なる神の御腕の力が、示されました。十字架にかけられたイエス様によって示されました。十字架こそ人間の根本の問題である罪の問題を解決し、悩みと苦しみの人生からの救いを導くものとなるのです。…ただしそのことは私たちがいくら勉強したからといってわかるものではありません。祈りのうちに十字架を見つめ、神様に背いて恥じない自分のよこしまな心を神様に明け渡し、はりつけにするのでなければわからないのです。

 イエス様は十字架につけられることで、私たちの主となり、救い主となられました。このイエス様が天から、汚濁に満ちたこの世界に来られたのがクリスマスです。だから十字架の見えないクリスマスは、クリスマスではありません。私たちは待降節にあたって、自分はこれまでイエス様を尊ばなかったということを悔い改めて告白する者となりましょう。イエス様を心から敬い、崇め、礼拝するクリスマスがこの教会で行われますように。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる御神様。待降節第一礼拝の恵みを感謝いたします。きょう明るい、華やかに見えるクリスマスの裏に、人間の罪の暗いすさまじい現実があったことが教えられました。人間のこの罪は、神様のみ子を十字架にかけてしまうほどでした。十字架にかけられるためにこの世界においでになったイエス様を思うことなしに、私たちのクリスマスはないのです。

 神様、この待降節の時、私たちが神様の前に心を清め、整え、みこころにかなった新しい歩みを始めることが出来ますように。イエス様を送って下さった神様の愛でこの場を包んで下さい。それと共に、イエス様をこの世界に送らずにはいられなかった人間の罪の現実の前に目を開き、特に自分の中にある罪を目をそらさずに見つめるものとして下さい。そうしなければ、イエス様が与えて下さった救いもわからないからです。

神様。きょうから始まる待降節の間、私たちばかりでなく、今いろいろな事情でこの場にいない人、特にさまざまな病気とたたかう人々の上に、イエス様を通して神様の御腕の力が示されることを願います。闇の中に光が現れたことを喜び、神様を賛美いたします。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によっておささげします。アーメン。

ともし火を守るために 山本盾伝道師 youtube

詩編45:11~18       マタイ25:1~13            2018.11.25

 現代は本が売れない時代だそうです。良い本を作れば必ず売れるという保証はどこにもありませんので、編集者はまず題名の付け方を工夫します。売れ筋の本には売れそうな題名が付いていまして、それには幾つかのパターンがあります。その内の一つが「対比型」、つまり対照的な言葉を並べた題名です。近年のベストセラーを振り返って見ますと、「話を聞かない男、地図が読めない女」「金持ち父さん貧乏父さん」「頭がいい人、悪い人の話し方」というのがあります。そうしますと、今日お話します「十人のおとめのたとえ」という小見出しの付いた物語も、「愚かなおとめと賢いおとめ」とタイトルを付ければ結構売れるかも知れません。けれども、この譬え話は決して、そこから人生の教訓を学んで、頭の良い生き方をして、出世して金持ちになったり、人間関係を円滑にして幸せになったりするために読むものではありません。そうではなく、私たちがこの物語の登場人物である「花婿」に出会うためなのです。さあその「花婿」とは一体どなたでしょうか。そしてどうすれば私たちはその方と共に婚礼の席に着くことが出来るのでしょうか。では今日も聖書の御言葉に耳を傾けましょう。

 「そこで、天の国は次のようにたとえられる」と1節に書かれていますが、文語訳聖書は「このとき」という言葉で始まっていますし、実際そう訳すことも出来ます。「このとき」とはどんな時でしょうか。エルサレムに入られた主イエスは、神殿の崩壊を予告なさり、続けて世の終わりについて語られました。そして24章32節からは、私たちがどのように終末に備えるべきかを、さまざまな譬えによって教えてくださっています。世の救い主であるメシア、人の子がおいでになる日時は、誰も知りません。そこで、いつ来られても良いように備えておくことが肝心です。今日の箇所の直前には「忠実な僕と悪い僕」の譬え話が置かれていますが、その僕の主人は「予想しない日、思いがけない時」に帰って来るのです。まさにそれこそ、今日の譬え話の「時」なのです。「たとえられる」と訳されている言葉は「同じようになるだろう」と訳すことも出来ます。つまり、終わりの時、御国が完成される暁にはこの話と同じようなことが起きるだろう、と主イエスは仰るのです。どんなことが起きるのでしょうか。

 それは婚礼です。勿論、終りの日は最後の審判、裁きの時でもありますが、結婚の祝宴が始まる喜びの時でもあります。先程詩編の45編をお読みしましたが、それは王家の婚礼を祝う歌です。天の国、神のご支配とは、まさにそのようなものです。この他にも聖書には、主なる神がその民を妻として娶られ、永遠の絆を結んでくださることを語っている箇所が沢山あります。イザヤ書の62章では「若者がおとめをめとるように/あなたを再建される方があなたをめとり/花婿が花嫁を喜びとするように/あなたの神はあなたを喜びとされる」と唄われています。そのような花婿を迎えるために、十人のおとめたちが各自の灯火を持って出かけます。彼女たちは花嫁ではなく花嫁の友人です。当時の婚宴は新婦の実家で行われ、新郎は新婦を自分の家に連れて行くのですが、新婦の女友達が彼女のお供をするために、新郎が到着するのを今や遅しと待ち構えていて、彼が来ると花嫁の家に案内するのです。「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」と2節に書かれています。口語訳聖書では「五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった」となっていますので、おとめたちの愚かさ、賢さはすなわち思慮の浅さ、深さであると言えますが、同じ言葉が7章の最後にも出て来ます。そこでは、御言葉を聞いて行う人は岩の上に家を建てた人、御言葉を聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てた人に喩えられています。ですから、おとめたちの愚かさ、賢さは、主イエスの御教え通りに振る舞うかどうかで分けられると言えます。

 しかし、どちらも花婿を出迎えに行きましたし、どちらも灯火を持って来たのですから、熱心さの点で違いはありません。それはどちらも、主の日を待ち望んでいる教会の譬えです。そしてキリスト者は皆、灯火を持っている人々です。ただ、賢い乙女たちが壺に油を入れて携えて来たのに対して、愚かな乙女たちは油の用意をしていませんでした。

このように備えを怠ったことが後の悲劇に繋がっています。

5節に書かれているように「花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」のですが、そこまでは問題ではありません。なぜなら賢い乙女も含めて全員が睡魔に襲われ、抵抗することが出来なかったからです。「眠っている」という言葉は、聖書の中で度々、用意の出来ていないことの譬えとして使われていますが、もしここでもそれを意味しているならば、ちゃんと油を用意して来た乙女は眠らなかったはずです。では何を意味しているのでしょうか。誰もが等しく経験する眠りとは、死です。私たちは皆、賢い者も愚かな者もやがて眠りにつきます。しかし、目覚めの時が訪れます。人の命は死で終るのではありませんし、世の終わりには、全てのものが滅びて消え去ってしまうのではありません。この世の営みは必ず神が決着をつけてくださるからです。そのためにこそ、主イエスはおいでになったのですし、またもう一度来てくださるのです。「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、乙女たちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた」と6~7節に書かれていますが、確かにそのようになります。「起きて」と訳されている言葉を直訳しますと、「起こされて」「生き返らされて」となります。最後のラッパが鳴るとともに、私たちは目覚めさせられて、主の御前に赴くのです。そこから新しい出来事が始まるのです。私たちはその望みに生きています。再臨の信仰に生きる者にとって、人生は決して儚いものではありません。むしろ私たちは、それぞれが召されるまでのわずかな時間を、花婿が来るのを楽しみにしてそれに備える時として過ごすのです。その際、私たちが注意したいのは、主は真夜中に来られるということです。ユダヤの暦では、一日は日没と共に始まります。それは創世記の1章に記された天地創造で、「夕べがあり、朝があった」と何度も言われていることに由来しています。ですからユダヤ人の婚礼は日が沈んでから始まり、時には深夜に及びますが、そのように、全てが闇に覆われ、光が滅びてしまったかに思える時、その時にこそ、主は私たちのところにおいでになるのです。

皆さん、今世界は暗闇に閉ざされています。イエスさまは終末の徴として偽預言者の出現、相次ぐ戦争、飢饉や地震などがあると教えてくださいました。現代は、目と耳を塞ぎたくなるような出来事ばかりが起きて、私たちは絶望しそうになります。しかし、闇が深ければ深いほど主の日は近いのです。

 さて、愚かなおとめたちは賢いおとめたちに言います。「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです」。「消えそう」という言葉は原文では受身で書かれています。「消されつつある」のです。様々な試練に晒されて、まさに風前の灯火なのです。彼女たちは、消えかかる炎を手で覆うようにして守っていたことでしょう。けれどもそれは本来そのように扱うべきではありません。「山上の説教」の中で主イエスはこう仰いました。「あなたがたは世の光である。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。私たちは、良い行いに励む力がないからと言って、光を隠す訳にはいかないのです。そこで彼女たちは、準備を怠らない利口な乙女たちに助けてもらおうとしますが、断られてしまいます。「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい」と賢いおとめたちは答えますが、それは随分冷たい態度に思えます。彼女たちは隣人を憐れむべきだったのではないでしょうか。しかし、よく読みますと、そういう問題ではないことが分かります。口語訳聖書では「わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう」となっていますし、こちらの方が原文に近いです。ですので、分けるのを嫌がった訳ではなく、慎重に考えたのです。自分の分は店で買えというのも、ちょっと皮肉のようにも聞こえますが、愚かな乙女たちが実際それを聞いて買いに出かけたことを考えれば、単なるアドバイスだったのでしょう。「店」と訳されていますが、元の言葉は「売っている人」です。普段から商売でやっている店ではなく、婚礼のために臨時に出された屋台かも知れません。

恐らく、当時の田舎では、このような祝い事では皆夜遅くまで起きていて、夜中でもまだ何か買えたのでしょう。

 そもそも、これは天の国の譬え話です。結婚披露宴の会場に入れるかどうかではなく、御国において神との完全な交わりに与る祝宴に加われるのかどうかが問題なのです。すなわち、救われて永遠の命に与れるかどうかの瀬戸際なのです。それなのに、愚かな乙女たちはまだ、油を借りられるものと思っています。しかし、救いに必要なものを人間に求めるのは間違いです。私たちはそれぞれに必要な賜物を十分に与えられていますし、足りないと思うなら神に願い求めるべきです。ローマ・カトリック教会では、聖母マリアを初めとして実に多くの聖人が崇敬されています。信徒たちは聖人たちの有り余る徳にすがって天国に行こうとするのですが、それでは神の恵みを否定していることになってしまうでしょう。私たちは、家族や友人の信仰によって自らも信仰に導かれるということがありますし、実際多くの人がそうやってキリストに出会い、救いに与っていますけれども、決して人間の繋がりによって救われるのではありません。私たちが救われるのはただ神が私たちを選んで、救いに定めてくださったからです。誰かに油を分けることは出来ないのです。賢い乙女たちの判断は正しかったのです。

 結局、愚かな乙女たちが出かけるのと入れ違いで花婿が到着します。賢い乙女たちは彼と一緒に会場に入り、戸が閉められます。残りの乙女たちが来て、必死に戸を叩いても時既に遅し。全ては後の祭りです。彼女たちは「御主人様、御主人様」と叫びますが、きっぱりと拒絶されてしまいます。「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」と言われるのです。この展開は、7章で主イエスの仰った厳しい御言葉を思い出させます。「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行なう者だけが入るのである。・・・そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」。これに比べると少しましかも知れませんが、それでも花婿の言葉は私たちを落胆させるには十分です。この乙女たちはちょっと不注意だっただけではないか。彼女たちが待ちくたびれて眠ってしまったように、私たちも再臨の日を待つ内に主を愛する情熱の炎が消えかかり、信仰を失いそうになるかも知れないではないか。イエスさまは厳し過ぎるのではないか。これでは一体だれが天国に入れるのか。そう呟いてしまいます。けれども、ここでちょっと立ち止まって譬え話をよく読んでみましょう。乙女たちは一言も叱られてはいませんし、眠ったことを責められているのでもありません。そして先ほども申し上げましたけれども、賢い乙女も眠ったのです。彼女たちの眠りは、確信の印です。主イエスは再びおいでになる日について「その日、その時はだれも知らない」と仰いますが、いちじくの葉が伸びると夏が近いと分かるように、人の子が戸口に近付いていると知ることが出来るとも教えてくださいました。恐らく、賢い乙女たちもそうやって主の日が近いことを知り、備えていたのです。だから安心して居眠りをすることが出来たのです。彼女たちが眠りに落ちるその瞬間まで考えていたのは、花婿が到着した時の喜びについてでした。私たちもそのように、天に召されるその日まで、キリストにお会いする喜びを胸に歩みたいものです。 ただ、パウロがロマ書で警告しているように「自分を賢い者と自惚れてはなりません」。まずは自分の愚かさを認めなくてはなりません。私たちは決して「賢いおとめ」ではありません。けれども、皆さんお気づきでしょうか。花婿の到着後は、もはや「賢いおとめ」と「愚かなおとめ」の区別はありません。そこでは、「用意のできている五人」と「ほかのおとめたち」と言われているだけです。肝心なのは賢いかどうかではなく用意ができているかどうかなのです。考えてみますと、「賢い乙女」たちも、あともう少し花婿が来るのが遅ければ、油は足りなかったかも知れません。「愚かな乙女」も、あともう少し花婿が来るのが早ければ、灯火を消さずに済んだかも知れません。大した違いはないのです。ではこの時、用意の出来ていない乙女たちはどうすれば良かったのでしょうか。

それは簡単なことです。焦らずに、灯火の消えかけているまま、とにかく花婿にお会いすれば良かったのです。たとえその火が小さくても貧しくても灯すことを、主イエスは私たちに求めておられます。賢い乙女たちも愚かな乙女たちにそれを勧めるべきでしたが、そうはしなかった。その程度の賢さだということです。それが彼女たちを婚宴の席につかせた訳ではありません。私たちも、他の人たちより賢いから、思慮深いから、十分な備えがあるから天国に入れるのではありません。ただ神の恵みによって救われるのです。

 でも、私たちは自分の灯火をきちんと管理する責任があるのではないでしょうか。そうです。それは主から頂いたものだからこそ、守らなければならないのです。光が消えないように自分で何とかしようとするのではなく、主に願い求めるべきなのです。ではその光とは一体何でしょう。詩編119編にこう唄われています。「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」。そうです。光とは御言葉であり、生ける神の御言葉そのものであられるイエス・キリストです。そして灯火を輝かすために私たちの内にあって燃えているもの、それは聖霊です。パウロは第二コリント書の1章でこう書いています。「わたしたちに油を注いでくださったのは、神です」。また4章には「神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」とあります。そして第一ヨハネ書の2章にはこう書かれています。

「あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています」。真理を教えてくださり、私たちが御言葉に聴き従い、主の御旨をなすように導いてくださる霊なる神さまが私たちに宿っておられる限り、灯火は守られます。決して消えることはありません。真夜中に叫ぶ声が聞こえたなら、主の御許に馳せ参じましょう。

不思議なことに、この物語に一度も花嫁は登場しません。なぜでしょうか。それは花嫁の付き添いの女性が皆「おとめ」と呼ばれていることにヒントがあります。第二コリント書11章でパウロは「わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げた」と書いています。つまり、「おとめたち」とは、花婿たるキリストを待ち望んでいるキリスト者を象徴しているのです。実は私たちこそキリストと結ばれることになっているのです。この婚約の際に交わされた証書は、イエス・キリストの十字架によって裏打ちされています。だからこそそれは確かであり、決して破棄されません。

最後に主イエスはこう仰います。「目を覚ましていなさい。あなた方は、その日、その時を知らないのだから」。いつ主がおいでになるかを知らず、その兆しを見分けることも出来ない愚かな私たちは、地上にいる限り、目を覚ましてひたすら祈り続けましょう。それが主の再臨への一番相応しい備えです。今ならまだ戸は開いています。その日、その時、主に覚えていただけるように祈りを献げたいと思います。

兄弟たちと共に  youtube

詩編119:33~37、使徒15:22~35  2018.11.18

 

 エルサレムで会議が行われ、重要な決定がなされたのは紀元49年だとされています。このあとエルサレム教会は、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアの教会に向かわせました。手紙というのは中身こそ大事で、誰が届けようが大した問題ではないように思われることがありますが、実はそうは言いきれません。エルサレム教会は大事な手紙を持って行く人も選びました。そこには手紙を送ることの大切さも現れています。

 

 エルサレムで会議が行われた理由となったのが、割礼問題でした。異邦人が大多数を占めるアンティオキアの教会にユダヤから人々が来て。異邦人もユダ人と同じように割礼を受けなければ、救われないと教えたために、パウロなど割礼は必要ないという人々との間で激しい意見の対立となったのです。そこでアンティオキアの教会からエルサレムの教会に対して、「おたくの教会から来た人がこんなことを言っているけど、どうお考えですか」と問い合わせたわけです。エルサレム教会では会議を開いて、ついに異邦人に割礼を受けさせる必要ないという結論になったのです。これは単に、割礼を執行するかどうかという問題にとどまりません。人が救われるためには信仰だけあれば良いのか、それとも、これに加えてさらに別なものが必要なのか、ということであったのです。

 この時代の異邦人にとって、ということは私たちにとってもですが、信仰だけあれば良いのなら、本当にありがたいわけです。どの民族に属していても、イエス様をキリストと信じる信仰さえあれば、神様は迎えて下さるのですから。しかし割礼を受けることが条件になるとしたら、イエス様への信仰だけではたりないことになってしまいます。それはユダヤ人にならなければいけない、そして割礼に代表されるさまざまな掟をすべて守らなければならないということです。単純に考えても、多くの重荷を背負うことになります。イエス様への信仰のほかに、これをやりとげなければ救われないということになりますから、アンティオキア教会の異邦人の信者たちは、エルサレムの会議でどういう結論が出るかということを心配しながら待っていたことと思います。

 エルサレム会議がどういう性格だったのか、これを日本キリスト教会の言葉で説明しますと、正議員が使徒たちとエルサレム教会長老たちです。

エルサレム教会の他の人たちは、いわば員外議員でありまして、議決権もなく傍聴していたわけです。アンティオキア教会から来たパウロとバルナバが会議で発言したことが15章12節にはっきり書いてありますが、議決権があったかどうかはわかりません。パウロとバルナバに同行してアンティオキアから来た人々も議決権はなかったように思います。…なぜ私はこんな面倒なことを言うのかというと、それは、これがエルサレム教会の会議だということを押えて頂きたいからです。…これは、いくつかの教会が平等の資格で集まり、審議して決議を採択したということではないのです。

 では、これがエルサレム教会という一つの教会の会議だとしますと、そこで出た結論が手紙の形で各地の教会に伝達されてゆくことにはどういう意味があるのでしょうか。…このことを見て多くの人は、この当時、教会がエルサレムやアンティオキア、キプロス島や小アジア半島の各地などいくつもある中で、エルサレム教会が総本山だったと思ってしまうのです。この教会で決まったことが、このようにしなさいという命令になって、各地の教会に示されたと考えるわけですが、それもおかしいです。会議がエルサレム教会の会議であるなら、なぜその決定に他の教会が従わなければならないのでしょうか。もしもエルサレム教会がすべての教会の総本山であり、他の教会の上に立つものとされるのなら、聖書にその根拠が示されるべきですが、そんな言葉は見当たりません。

 教会というのは大きかろうが小さかろうが、ユダヤ人の教会だろうが異邦人の教会だろうがすべて平等です。そして、全教会が集まって決議していない以上、一つの教会でどれほど立派なことが決まったからといって、他の教会がその決定に従う義務はありません。エルサレム教会はそのことをわかっていますから、ここでこう決まった、あなたがたはわれわれに従いなさいとは言いません。28節の言葉、「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外あなたがたに重荷を負わさないことに決めました」、ここで、私たちはこうしますと伝達したわけです。これをどう受け取るかということは相手の教会に委ねたわけですが、そこに会議で決まったことを受け入れてほしいという思いがなかったはずはありません。もはや割礼などいらないんだということを、エルサレム教会が決めたから従えというのではなく、神様がエルサレム教会に示したことをあなたがたも受け入れてほしいと言ったわけです。手紙を受け取った教会は、神様への感謝と祈りの内にこれを受け取ったにちがいありません。

 この世の中では支配と従属の関係はどこにでもあって、私たちはその中で生きています。どんな組織でも、また国家と国民の関係においても、民主的に運営されることはなかなか難しく、力の強い人たちが力の弱い人たちを有無を言わさず支配するということが起こります。ただ、教会までそうなってしまえばどうなるでしょうか。初代教会の時代、すべての教会は平等でした。しかし、それは崩れてゆきます。中心的な教会があって他の教会はそれに従い、教会の中でも身分制度が出来て地位の高い人と低い人がいるようになり、地位の高い人は権力を持つようになりました。カトリック教会はそういう傾向を加速させていくことで、やがて教皇すなわちローマ法王を頂点とするピラミッド型の権力構造を造りあげたのです。

 16世紀にルターやカルヴァンが始めた宗教改革は、こうした権力構造から教会を、人々を解放し、プロテスタント教会を誕生させました。今日、カトリック教会とプロテスタント教会は交流や相互理解を進めておりますが、しかし教会のかたちが根本的に違っていることを見落としてはなりません。

 日本キリスト教会も宗教改革の流れの中に入っていますから、すべての教会は平等で、小さな教会が大きな教会に従わなければならないということはありません。もしも大きな教会がいばっていて、大会の重要な役員はいつもそこから選出され、その反面、小さな教会が無視されてしまうということがあったとしたら、これは教会の正しいあり方ではありません。この世の中の上下関係が教会に持ち込まれてはなりません。…しかし本当に従うべきなのは神様のみだということを貫いてさえいるならば、自分たちの力が強かろうが弱かろうが、そのことで高慢になることも卑下することもないのです。…私たちは神様のもとにいるから自由なのです。そのことが徹底されるなら、教会に集まる一人ひとりの社会生活にも光が射しこんでくるものとなるでしょう。

 

 ということでエルサレム教会は会議で出た結論を、各地の教会に手紙として送ることにしました。パウロやバルナバなどに手紙を運んでもらったらそれですみそうなのに、わざわざバルサバと呼ばれるユダとシラスをつけました。それは出来るだけ丁重に会議の結論を知らせようとしたからだと思われます。 手紙の冒頭に宛先があります。この手紙はアンティオキアの教会だけでなくシリア州とキリキア州の教会にもあてられていました。

キリキア州とは小アジア半島の南の海ぞいにある地域です。手紙を運んでいった人たちは各地の教会に、ただ手紙を渡してそれでおしまいということではなく、手紙を読み上げ、語り、さらに伝道しました。32節に「ユダとシラスは預言する者であったので、いろいろと話をして」と書いてあります。預言するというのは、この場合、聖霊に感じて語ることです。

 なぜこの手紙が書かれたかということも書いてあります。「聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、動揺させたとのことです。」このことについては、すでにお話ししました。ここにはエルサレム教会からの謝罪の意志が含まれているのでしょう。

 「それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。」

 26節ではパウロとバルナバについて、さらに「わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです」と絶賛しています。エルサレム教会がこの二人を重んじ、信仰において一致していることを示したのでしょう。 

 エルサレム教会が、教会で指導的な立場にあったバルサバと呼ばれるユダとシラスを送ったことには理由があります。…かりにパウロとバルナバたちだけが戻ってきたら、この二人に反対する人が、手紙の内容がにせものだと決めつける可能性もあります。しかしユダとシラスを同行させたことで、手紙の内容が本物であり、信じるに値するものであることが確かになるのです。

 会議の決定そのものは手紙の最後に簡潔に書かれています。「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いを避けることです、以上を慎めばといのです。健康を祈ります。」

 ここから、会議の決定が人間の決めたことではなく、異なる意見の妥協の産物でもないことが示されます。「聖霊とわたしたちは、…一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。」、何より神様の導きによって決めたことだと言うのです。それは具体的には、あなたがたに割礼という重荷を負わせないということです。…ただ最初に申した通り、これは、私たちは神様の導きのもとこういう結論に達した、あなたがたも神様の導きの中で、私たちの結論を受け止めてほしいということなのです。

 現代の教会が、意見の対立を解決した時に、「聖霊と私たちはこういう結論に達した」と言うことははばかられます。例えば、教会の建物を修理するかどうかで意見が対立し、投票で一方が勝った時に「聖霊と私たちは…」とは言えませんね。聖霊が、と言って反対意見を封じてしまうことは出来ません。それは聖霊の恣意的な乱用です。しかしながら、広島長束教会の定期総会でも、聖書の朗読と祈りから始まります。教会のかしらであるキリストが、聖霊によって会議を導いて下さることを信じて、求めているからで、これはエルサレムの会議を受け継いでいるのです

 エルサレム教会の手紙はアンティオケの人々に手渡され、読み上げられ、それを聞いた人々は喜びました。喜んだのは、一つに会議の成り行きを心配していたからです。異邦人にとって、割礼を受けねばならないとすれば重荷であったことは間違いなく、それがなくなったので喜んだのです。しかし、それ以上の喜びの理由がありました。それはエルサレムとアンティオケが、決裂するのではなく、単なる妥協でもなく、信仰において一致する努力がなされて、それが実を結んたことを知ったからです。教会はさまざまな機会を用いて、主にある一致を確認していなければなりません。私たちにおいても意見が対立した時に、強いものが弱いものを従わせるのではなく、両者の落としどころを見つけて妥協するのでもなく、信仰において一致することが求められます。その決定は、必ずや「神を愛し、隣人を愛せよ」というイエス・キリストの教えにかなうものとなるでしょう。そこで得られたものは、さらにキリスト者でない人々と何かあった時にも役立つにちがいありません。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。今週も、礼拝によって一週の歩みを始めることが出来ました。

 今日、エルサレムの会議の結論が各地の教会に届かれていくところを学びましたが、これが単なる歴史の勉強にならなかったことを感謝します。意見が対立することはいつも起こることです。家族、学校、職場その他の場所で。そのたびに心が引き裂かれそうになる人もいるし、不満がたまって爆発しそうになることもあります。穏やかに、楽しく暮らすことを望んでいるのに、どうしてこうなってしまうのかと嘆くこともしばしばです。そんな私たちと世界を神様がどうか憐れんで下さり、イエス・キリストの平和で包んで下さいますようにとお願いいたします。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

  ともに生きよう、この時代を youtube 

創世記6章11~22  2018.11.11

 

 ノアの箱舟の話はたいへん有名です。人間が悪いことばかり考え、世界がどんどん悪にそまって乱れてゆくのを見て怒った神様が、洪水を送って人間を滅ぼしてしまわれた、しかしノアという正しい人とその家族だけは箱舟に乗って助かったというお話で、教会に来るのが初めてという方でも、どこかで聞いたことがあるでしょう。子供向けのお話かと思っていた方もおられるかもしれません。この話は創世記の6章から9章までありますが、長いので、いま初めの部分だけを朗読しました。今日は大人のためのノアの箱舟の話をさせていただきますので、聞いて下さい。

 

今年の夏、広島県では豪雨災害が起きました。地震も恐ろしいですが、洪水も本当に恐ろしいですね。中近東では土を掘り返していると大洪水を示す地層が出て来るということです。また世界の多くの国に大洪水の伝説が残っています。日本までは来なかったものの世界的な規模の洪水があったことは確かで、これを体験した人々にとってはまさに世界の終わりのような出来事であったでしょう。

世界をおおう大洪水はそれ以降起こっていませんが、伝染病の流行とか世界大戦など、世界の終わりが迫っているように思えることは歴史の中でたびたび起こりました。このままでは世界は滅びてしまう、そんなのっぴきならない時がくると人間はいつもノアの箱舟の話を開いて、そこから教訓を見つけ出そうとするのです。…2018年の今、私たちがいるのはどこに向かっているかわかららに時代と言って、良いのではないでしょうか。いま日本は平和でしょうか、将来日本が戦争に巻き込まれる危険はないのでしょうか。南海トラフ地震が起きたら、いったいどうなるのでしょう。子どもたちはこれからどんな時代を迎えるのでしょうか。…何か大きな危機が迫っているような、いないような、先行き不透明な時代だからこそ、何が起こっても生き抜いていけるよう、聖書から危機の時代に生きる指針を受けとって行きたいと思います。

 聖書は、初め神が造られた世界は美しい、完全な世界であったことを書いています(1:31)。一番最初の人間には罪ということがなく、神様のもとで平和に楽しく暮らしていました。しかし、そんな理想的な世界はながくは続きませんでした。

人間は世界中にどんどん増えてゆきました。その中には正しい人もいましたが、しかし全体としては、どんどん堕落した世界になっていったのです。神は、地上に悪がはびこり、人が常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になりました。人の心に深く根づいた罪の力は、今や人間すべてを老若男女の別なく呑みつくし、支配しつくし、あふれだしたのです。…ああ、神が世界と人間を創造されたときに願った、美しい、完全な世界は今や見るかげもなく破壊されようとしています。神は人間を造ったことを後悔し、心を痛められました。それにしても神様がご自分のなさったことについて後悔するというのはよくよくのことです。神は、神にそむいて、わざわざ苦しみと悲惨の中に自分自身を滅ぼしてゆく人間のために心を痛められます。悲しまれます。その結果として、神はすべての人を絶やそうと決心されて大洪水を起こされたのですが、それは神が腹立ちまぎれにかーっとなって、見境なくやってしまったということではありません。そうではなくて、これは神様の<悲しみ>であり<痛み>なのです。神様は決して「罪人ども、地獄に落ちろ」とあざけっているのではなく、嘆き悲しんでおられるのです。

しかし、神のさばきが迫っている恐ろしい時代の中にあって、なお神様とかろうじてつながっている人がいました。ノアです。どうしてノアと家族だけが滅びから救われたのでしょう。6章9節にこう書いてあります。「ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神と共に歩んだ」。

神を見失い、堕落する一方の世の中にノアのような人がいたのは奇跡のようなことです。ただし、ノアが「正しく、かつ全き人」であったということは、彼が完全無欠な人格者であったということではありません。堕落しきった時代の中で、この人だけがこの世の汚れにそまることなく過ごせたとは考えられません。そんなことは不可能です。けれどもノアには他の人とは違ったことがあったのです。…他の人は自分が病んでいながら医者が必要だとは思っていません。しかしノアは自分が病んでいて医者を必要とすること、つまり神様と共に生きる以外、自分には道がないことを知っていたのです。神は、ノアのように神を必要としている人を滅ぼすようなことはなさいません。むしろこのような人を救うために、嵐の中でも救いの船を用意して下さるのです。

神は箱舟を建造するようにノアに命令しました。…神様が指定した箱舟の大きさは途方もないものです。アンマという単位は腕の長さが基準です。

1アンマを50センチとしますと、箱舟は長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルになります。こんな大きなものを、しかも陸地の真ん中で建造せよと言われるのです。ノアはすべて神の命じられたとおりにしましたが、水のないところで船を造るのですから、周囲の人らあざ笑ったことでしょう。

空が晴れわたって雲一つないとき、人間の目は洪水が起こることなど信じることが出来ません。けれども神様が洪水を起こすと言われるなら、そう信じるのです。私たちも時代を見通す者となりましょう。私たちは断じてノアをあざ笑った人たちの中にいてはならないし、突然の大洪水で滅ぼされる者になってはいけないのです。

 

 神はノアに家族と共に箱舟に乗るよう命令されました。ノアと妻、三人の息子とその妻の合計8人が箱舟に乗りました。神はさらに、すべての生き物を雄と雌二つずつ箱舟に乗せるよう命令されました。ただすべての生き物と言っても日本固有種であるムササビやオオサンショウウウオまで箱舟に乗ったのではありません。おそらくノアが生きていた地方の大部分の動物が箱舟に乗せられて、命をまっとうしました。神は大洪水の後の世界のプランを考えておられました。神はもう一度、人間と共にたくさんの動物たちがいた素晴らしい世界を再現しようとなさったのです。

 ノアの一家と動物たちが箱舟に乗りこんで7日の後に洪水が起こりました。世の人々はその時もまだ、食べたり、飲んだり、悪事を重ねたりしていました。神様から人々に警告がなかったのではありません。箱舟が建造されている時も、大切な悔い改めの期間だったはずです。ノアは人々に「このままでいたら大変なことになりますよ。大洪水が来るのです」と話していたと思うんですね。その段階で自分の罪を悔い改め、箱舟に入ろうという人がいたら、神は乗せていたにちがいありません。しかし、そんな人はだれ一人いなかったのです。7章11節によると2月17日から洪水が始まりました。一滴、また一滴と雨が降ってきます。どしゃぶりとなり、嵐となります。しかし人々は、洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、気がつかなかったのです。

 そうしますと7章16節で「そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた」と書いてあることが重要になってきます。雨が降りやまず、いっさいのものをさらって行った時、人々はやっと、水のないところで箱舟が建造されたことの意味がわかって、箱舟に殺到したにちがいありません。しかしもう遅すぎました。神が戸を閉ざされた後だったからです。

 こうして大洪水が始まりました。水が増えるにつれ箱舟はいよいよ高く浮き上がります。この船には、かじも羅針盤もついていません。自力で走行出来ない、木の葉のように水面を漂うだけの船、しかしこの船以外に救いはありません。ノアと家族にとって、これが楽しい船旅であったはずはありません。みんな、生きた心地がしなかったでしょう。地上の人々と生きものがみな息絶えていくのをノアはどういう思いで見ていたでしょう。たとえ神様を侮り、悪事を重ねた人々であっても、彼らはみなノアにとって同じ時代を共に生きてきた仲間であったのです。人間の罪の大きさと神の怒りのすさまじさにふれてノアは驚愕し、今度は自分たちも滅ぼされるのではないかと恐れおののいたのではないでしょうか。しかし神を信じる者には滅びから免れる道が用意されています。大洪水から救われたノアを通して、私たちを教え、戒めることが聖書の狙いです。世界の終わりはたしかに恐ろしいことですが、しかし聖書は人間に恐怖心だけを教えこもうとしているのではありません。今、救いの扉が開かれているこの時に神様に出会うことを考えて下さい。神様のみこころは人間を滅ぼすことよりも、救いだすことの方にあるのですから。

 

 聖書によると大洪水は2月17日に始まり40日間続きました。…やがて水が減り、5か月後の7月17日、箱舟はアララテの山の上に乗りあげました。10月1日に山々の頂が現れました。それから40日たったころ、ノアは窓を開いて、からすを放しましたが箱舟から出たり入ったりしているだけ、そこで鳩を放したところ、やはり止まる場所がなかったので帰ってきました。ノアは一週間待って、もう一度ハトを放します。ハトは夕方になって戻って来ました。すると、くちばしにオリーブの葉をくわえて帰ってきました。オリーブは山の上に生える木ではなく、背の高い木でもないので、これは山岳地帯だけでなく平地からも水が引いたことを示しています。オリーブの葉を見たとき、ノアと家族は感動にうちふるえたことでしょう。地上に降り立つ日は近い!次の年の元旦、ノアは箱舟の覆いを取りはずして外を眺め、水の引いたことを確めました。ノアは神の命令を待ち続け、2月27日になって、家族や動物たちと共に箱舟を出ました。こうして、大洪水後の新しい時代が始まったのです。

 かつて神は、堕落した人間たちのことを怒り、地とともに滅ぼそうと言われました(6:13)。人間の暴虐のために地が呪われ、動物や鳥たちもその巻き添えになったのでした。しかし今、神はもう二度と、洪水によって世界を滅ぼすことはないと言われます。そのしるしが空に輝く虹でした。神はかつて呪われた地に再び祝福を与え、いのちの満ちあふれる所にしようとなさいます。

 

神様と人間の間が平和であるとき、人間の世界にも平和があります。人間が神をないがしろにしたときに、神の怒りが大洪水となってあらわれました。そして地上の生物も、魚を除いて滅ぼされてしまいました。今日でも人間の身勝手な行いのために、自然環境がむしばまれ、生き物が巻き添えになって苦しんでいます。

神の怒りは洪水だけでなく、戦争にもあらわれています。戦争は人間の罪がもっとも凶悪な形で現れたものですが、これを神の怒りの現れと見ることも出来ます。

73年前に終わったあの戦争の中でも、人々はやはりノアの時代の大洪水を思い出していたはずです。「神様、もうこれ以上お怒りにならないで下さい」と祈り続ける心が、空にハトを放すのです。広島で、長崎で、そして世界の各地から空に放たれたハトがオリーブの葉をくわえて帰ってきますように、私たちも皆神様に自分の心をささげて、この時代を、共に歩んで行きたいと思います。

私たち一人一人は社会的地位が高いわけではなく、力弱く、社会の動きについていくだけで精一杯、その中でどうにも出来ない無力を感じることがあります。その日その日を過ごすことだけでほかに何も考えられず、ふと立ちどまってみると、世の中も自分の人生も悪くなる一方、まるで希望がないようにしか見えないかもしれません。……しかし、大洪水という神のさばき、世界の終りに等しいようなことにも、神の恵みがノアを通して現れたことは私たちに希望を与えてくれます。

日本と世界、そして皆さんのこれからが、平和で希望に満ちたものであるなら幸いです。しかしそうはならないで、生きるのがまことに厳しい社会が来ようとも、自分の人生が苦しみばかりで終わってしまうように思えたとしても、神様を信じて生きぬいてゆくかぎり、救いの手は必ず与えられます。神様の恵みが世界のすべてに注がれており、私たちもこの世界の他のすべての人たちと、またあらゆる生き物たちと共にこれにあずかっていることに気づいて下さい。そうして神様への信仰の内に生きてゆこうではありませんか。

 

(祈り)

恵み深い父なる神様。あなたがこの場所に私たちと共におられることを信じます。神様は今日ノアの箱舟の話を通して、21世紀の日本に生きる私たちに永遠に変わらない真理をお知らせして下さいました。混沌として定まらない、この先何が起こるかわからないような時代の中でも、私たちが絶望することなく、ノアのように神様によって確かなよりどころを与えられて、道を切り開いてゆけますように、どうか神様が私たちに希望に満ちた人生の日々を与えて下さい。

神様、今日ここで知ったことを役立て、ひとりひとりの心に届けられた神様の愛をいつくしみ、大きく育ててゆくことが出来ますように。神様を信じ、神様からいただいた平和のメッセージを心にきざんで、他の人々を愛し、神様が造られた自然を大切にする毎日を今日から新しく始めさせて下さい。

ここにいる一人ひとりの方のために祈ります。この中には仕事のこと、病気のこと、家庭のことなどさまざまなことで悩み、苦しんでいる人がいることでしょう。いま出口が見えないようなところにいても、神様が必ず道を開き、明るいところに連れ出して下さることを信じて、お願いいたします。そのことを信じる喜びがこの場にありますように。

日本の国に明るい未来が開けてゆきますよう、神様の御導きを祈ります。そのためにも教会を強め、教会に集まり人々を勇気づけ、力強く福音を伝えさせて下さい。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。

 主イエスの恵みによって  youtube

アモス9:11~12、使徒15:12~21 2018.11.4

 

 使徒言行録は紀元1世紀の初代教会の歩みをたどりながら、教会はどうあるべきかということを伝えています。しかし教会のことがこの自分とどんな関係があるのでしょうか。教会の外にいる人はもちろんのこと、教会に来ている人の中にもそう思っている人がいると思います。…誰もが自分のことで精いっぱいです。そうせざるをえないのです。健康に関する悩み、仕事の悩み、子育てにかかわる悩み、その他いろいろありまして、教会の礼拝に来ていても、「神様、この自分を何とかして下さい」という思いばかりでいっぱいになると、教会はどうあるべきかという話を聞いても自分の問題として受け取れないのです。特に使徒言行録は、誰それが伝道した、教会をつくった、迫害されたという話ばかりですから、その話を知識として受け取ってもなかなか自分の問題として考えられないということが起こります。しかしながら教会あっての皆さんの人生です。いっけん自分に関係ない話のようでも、深いところでは必ずつながっています。そのことが今日、皆さんの目の前に映し出されますように。

 

 エルサレムで教会会議が開かれました。そこにいたのは使徒たち、長老たち、そして彼らを取り囲む会衆です。議題は、異邦人はユダヤ人と同じように割礼を受けなければならないかということですが、それはただ割礼の問題ひとつにとどまらず、むかしモーセの時代に定められた律法を一条一句厳密に守らなければならないのかということまで広がっていくのです。

 この律法の問題というのは、ユダヤ人ではない私たち異邦人にとって、わかりにくいものです。しかしこの会議から2000年経った今の私たちの信仰生活にも微妙に陰を落としているのです。それはこういうことなんですね。

 教会は男も女も、肌の色や言葉の違う人々も、お金持ちも貧乏な人も、あるとあらゆる多様な人たちが集まるところですが、…イエス・キリストを救い主と信じることで一致しているのです。…そこにイエス・キリストを救い主と信じる以外のことが加わって、これをしなければ信者でない、あるいはこれをしないことで信者になる、ということがあってはならないはずです。信仰とは本来、非常に自由なものであるのです。

 しかし信仰者には自由がないと思っている人がいます。教会の外の人たちの中で、人がひとたび信仰を持つとあれもしてはいけない、これもしてはいけないで自由が侵害されてしまうと思っている人は少なくありません。

自分は自由でいたい、だから信仰を持たない、こんな人がいます。…ただ問題は、教会の中にもそうした考えを裏付けてしまうような考えを持つ人がいるということです。その人たちは教会にタブーを持ち込みます。そしてタブーを犯さないことが信仰だと言うのです。すると信仰者はこれをしてはいけない、あれをしてはいけないということばかりになり、タブーを破った人は厳しく非難されるようになります。

 具体的な例をあげますと、キリスト教と称する異端グループの中に、酒、たばこ、お茶、コーヒーを禁じているところがあります。異端でなくても酒を厳しく禁じている教会があります。日本中を車でまわり、拡声器を用いて伝道している人たちがいて、それを聞いていたら、「酒を飲む者は地獄に落ちる」と言うのです。もちろん酒が人間をだめにするということがありますから、健康のため、またいろいろな理由で酒を飲まないと決めた人はいるわけです。しかしながら、酒を飲むか飲まないかが信仰者かそうでないか、救われるか地獄に落とされるかを決定するようなことは決してありません。

 信仰生活の中にタブーが出来て、それが信仰の基準となり、イエス様を主と信じることに加えて、ある行いをすることあるいはしないことが信仰の基準となるわけです。こうした信仰は、信じるという最も大切なことを形骸化させ、ぼろぼろにしてしまいます。イエス・キリストはそうした信仰と闘い、ペテロやパウロ、また16世紀の宗教改革者たちもそれに続きました。この闘いは今も続いています。

 

 エルサレムでの会議では割礼問題で激論がかわされたはずですが、そこで最も重要な発言をしたのは使徒ペトロでした。ペトロは、自分が見たことに基づいて発言しました。彼が見たことと言うのは、異邦人であるローマ帝国の軍人コルネリウス、つまり割礼を受けていない人間がみ言葉を聞いている最中、聖霊が降ったことでした(10:44)。神はこのことにおいて、割礼なしに異邦人を救われたことを証しされたのです。ここから、異邦人にさらに割礼を受けさせるなんて全く必要がないことがはっきりします。ペトロはそこで、「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」(15:11)と言うことが出来たのでした。

 今日の聖書の箇所は、そのあとから始まります。ペトロの話を聞いた全会衆は静かになりました。神がなされた偉大な出来事を知って、畏れにとらわれたのです。その思いは、バルナバとパウロの語ることを聞いて、ますます強くなっていったはずです。

 こうして次にヤコブの発言があるのですが、まずこの人について説明しておきましょう。12使徒の中にゼベダイの子ヤコブがいましたが、すでに殉教しているのでこの人ではありません。これは主イエスの兄弟であるヤコブだと考えられています。

 13節からヤコブの発言が始まります。「兄弟たち、聞いてください。神が初めに心を配られ、異邦人の中からご自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。」シメオンはペトロの別名です。ヤコブはペトロが語ったことが正しいことを認めました。続いてそのことを、今度は旧約聖書のアモス書の言葉から論証します。そして今度は「わたしはこう判断します」と、まるで議長のような口ぶりです。結果的にこの人の提案は、一つの修正もなく採択され、このあと各地の教会に伝達されることになりました。

 ヤコブはエルサレム教会の指導者の一人で、たいへん重きを置かれていた人物ですが、それはイエス様の弟だからという理由ではないでしょう。…イスラム教では預言者ムハンマドの血統をたいへん重んじますが、キリスト教ではそんなことはなく、ヤコブの子孫がどうなったかも記録がありません。

 ヤコブはもともとどういう信仰を持っていたのか、ガラテヤ書2章12節には、エルサレムからアンティオキアに行って、異邦人に割礼を受けさせるよう教えた人たちは、ヤコブのもとから来たと書かれています。…使徒言行録15章24節ではこの人たちについて、「わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って」と弁明しているので、ヤコブにどこまで責任があるかはっきりしませんが、こうした所にヤコブの名前が出ているということは、彼が信仰において保守的な傾向を持っていたことを推測させます。…会議の大論争の中で、彼は初め異邦人に割礼を施そうという側に立っていたのかもしれません。しかし、ペトロやバルナバやパウロの話を聞いて、考えを改めたのです。

 ヤコブは、ペトロが語った神御自身が異邦人伝道に乗り出したことを聖書によって裏付けるために、アモス書の言葉を引いてきます。

  「『その後、わたしは戻って来て、

  倒れたダビデの幕屋を建て直す。          

  その破壊された所を建て直して、

  元どおりにする。

  それは、人々のうちの残った者や、

  わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、

  主を求めるようになるためだ』。

  昔から知られていたことを行う主は、

  こう言われる」

 預言者アモスは、紀元前8世紀に北王国イスラエルにおいて、神の教えに背くイスラエルが神の裁きによって滅びることを告げた人でした。しかしながら神は、「倒れたダビデの幕屋を建て直す」、かつての偉大な王国を再びよみがえらせることを約束されたのです。…もっともその国は、昔の王国の単なる再現ではありません。ユダヤ人のためだけではなく、「人々のうちの残った者や、わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになるため」に再現されると言うのです。その国は地上のすべての人に開かれているのです。

 ユダヤ人以外の人々にも開かれた国というのは、いわば世界帝国です。しかしそれは軍事力と経済力によって打ち立てられた国ではなく、イエス・キリストの十字架と復活によって始まった神の国、教会なのです。

 エルサレム教会の長老であり、もともと保守的な立場であったヤコブが考えを改めたことによって、論争は決着しました。19節にあるように「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」という結論となり、今後異邦人に割礼などの行いを要求してはならないということになりました。ここに神の御導きのもと、イエス・キリストを救い主と信じ、これに余計なものをつけ加えない信仰が勝利したのです。

 

 さて、ここまで見てきた上で、注意深い人はここで新たな問題があることに気づかれたかもしれません。というのは、ヤコブは20節で、「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行い、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」と言っているからです。これは、救いのために割礼はいらないけれども、この4つだけは守れと言っているように見えます。ということは、ここで新たに、人が救われるためになくてはならない条件が呈示されたということでしょうか。 

 実は、ここは議論の多い、難しいところです。この4条件はもともと旧約聖書に書かれており(レビ記17章など)、ユダヤ人が真剣に守ろうとしてきたものです。これを異邦人にも求めるというのは、割礼は受けなくても良いけれど、これだけは守ってもらおうということでしょうか。

 ここを巡って予想される考え方の一つは、やはりイエス様を信じることだけでは足りない、この4項目も厳密に守ってゆこうというものです。…避けるよう命じられたものの中に血が入っていますが、これはのちに大問題になりました。というのはエホバの証人が輸血を拒否する、その根拠の一つがここなのです。たとえ自分や家族が死ぬことになって絶対に輸血はしないという人たちに対し、必要があれば平気で輸血をする私たちは不信仰なのでしょうか。

  もう一つ、これと正反対の考え方をする人もいると思います。それは、この4項目を無視するというものです。キリスト者はイエス様を信じる以外全く自由なのだから、何をしても良いのだと。…ただこれも問題です。食べ物に関するタブーは取り払って良いとしても、みだらな行いまで認めることは出来ないからです。

 そこで問題を整理してみましょう。偶像に供えて汚れた肉について、パウロは第一コリント書8章で、これは食べて良いものであるが、しかし食べることによって他の人をつまづかせるようなら食べるべきではないと書いています。パウロは、信仰の弱い人々への配慮としてそう語っているのです。

 みだらな行いを避けるのは当然のことです。信仰者がいくら自由だからといって、こうした行いをすることはありえませんし、許されていません。こういうことはどこの民族にもあることですが、この当時、特に異邦人にひどい状況があったようです。

 絞め殺した動物の肉や血を避ける、これは生き物の中に命が宿っており、その命は神のものであるという教えから来ています。絞め殺した動物の体には血がそのまま残っているので、レビ記17章13節は、動物の血を注ぎだして土でおおえと書いています。しかしこれは未来永劫に守っていかなければならないことではなく、今日(こんにち)私たちが血のしたたるビフテキを食べることが禁じられているわけではありません。

 4項目の禁止事項、ヤコブはこれらのことを救われるための条件として命じているのではありません。みだらな行いを避けることは、古今東西守ってゆくべきものですが、これを含め、ヤコブは異邦人に対し、ユダヤ人に配慮すべきことを言っているのです。それはこういうことです。ユダヤ人と異邦人の生活習慣はまるで違っているので、そのため互いに誤解があったり、偏見がうまれることはなかなか避けられません。ユダヤ人が一生けんめい守ってきたことでも異邦人には関係ありませんから、一例をあげると、ユダヤ人と異邦人が一緒に教会生活を送る中で、ユダヤ人が血のしたたるものを口にしないのに異邦人はそんなことは平気だとしますと、両者が一緒に食事の席に着くのも難しいわけです。ユダヤ人と異邦人の間で問題が起こらないようにということで、出した方針がこの4項目だったようです。こういうことは妥協ということではなく、この時代における配慮の結果なのです。

 割礼の問題について、ユダヤ人には「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」と言われましたが、異邦人にも古くからの教えにこだわっているユダヤ人を悩ませてはいけませんと言われたわけです。

 今日のところでイエス・キリストへの信仰のみ、それ以外のことは救いの条件ではないことが示されました。これが大原則ですが、信仰は自由なものです。その自由の中で、互いに相手の立場に配慮することは決して信仰からの逸脱ではないし、無原則的な妥協でもないのです。エルサレム教会はこの画期的な決議を各地の教会に伝えて行きますが、私たちの教会がここから学び、一人ひとりの信仰生活にも指針が与えられるようになることを願います。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。エルサレムの会議の場にいた全会衆が、ペトロから神様がなさったことを聞いて静かになったように、私たちも神様がなさったことを畏れをもって受け留める者たちとして下さい。信仰において絶対に守らなければならないことを守りぬくと共に、他の人々に配慮すべきことは快く配慮する知恵を与えて下さい。もしも自分の中に、正しさをふりかざすことによって他の人を追いつめるようなことを見つけた時は、へりくだりの心を教えて下さい。自分も他の人々も、神様の憐れみの中でしか生きられない者たちだからです。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

   分かち合いの勧め  youtube 

コヘレト11:1~6、使徒20:35   2018.10.28

 

 むかし旧約聖書を編纂するための会議が開かれた時、コヘレトの言葉を果たして聖書に収録して良いのかどうかが大きな議論になったそうです。コヘレトの言葉には神という言葉は出て来ますが、主という言葉がありません。初めから終わりまで「すべては空しい」という言葉が繰り返されているので、こんな書物を聖書の中に入れて大丈夫なのかと思われたのではないでしょうか。しかし、真剣に議論してゆくうちに、やはりこれは主なる神から人間におくられた尊い文書であるということが神様から示され、聖書に収録されることになったのです。

 確かにコヘレトの言葉は、聖書の他の書物と比べて受ける印象がずいぶんちがいます。皆さんもコヘレトの言葉を読んでいて、気がめいってしまうことがあると思います。人間にはどうしても好き嫌いというものがありますから、こんな書物など知らないでいた方が良かったという人もいるでしょう。特に年若い人たちはそうです。けれども、そんなことで得た幸せははかないものです。もしも皆さんがコヘレトと共に、すべては空しいということを底の底まで味わったなら、そのことによってかえって、空しさを突き抜けてゆく道を見出すことが出来るにちがいありません。事実、コヘレト自身、空しさのどん底から這いあがってゆくのです。

 

 きょう学ぶコヘレトの言葉11章の前半は、調べて行くとコヘレトの精神的な立ち直りを示す言葉が見つかります。…しかし、一度読んだだけでは、誰も意味がわからないはずです。「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」とは何のことを言っているのでしょう。一節一節の言葉もばらばらのように見えます。国に起こる災い、雨や風、種蒔き、妊婦の体内で大きくなる胎児など、これらがいったいどこでどう結びつくのかということになります。

こういう謎めいた文章に出会った時に取りうるひとつの方法は、この中で中心となるかもしれない言葉に目星をつけることです。「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」が一つの中心だとすると、もう一つがこの中で繰り返し述べられている言葉です。2節の3行目に「分かったものではない」という言葉があります。5節は「妊婦の体内で霊や骨組みがどの様になるのかも分からないのに、すべてのことを成し遂げる神の業が分かるわけはない」。6節の3行目にも「分からない」という言葉があります。言い回しは多少違いますが、「分からない」という言葉がたいへん大事な言葉になっているのです。「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」という言葉と「分からない」という言葉はいったいどこがどう関係してくるのでしょうか。

そこで「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」ということと「分からない」ということを、いわば縦軸と横軸のようにして考えてゆくなら、全体の構図が見えてくるかもしれません、こういう見通しをもって全体を眺めてみたいと思います。

 

 まず「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」ですが、聖書にいくらそう書いてあるからと言って、実際に川まで行って、パンを水に浮かべて流す人がいるでしょうか。太田川に行ってパンを投げ込んでも、何の意味もありません。ここから、聖書を読む時に一字一句そのまま受け取ることが必ずしも正しいとは限らないことがわかります。私たちはパンが象徴しているのが何なのか、これを水に浮かべて流すとは何を言っているのかを考える必要があります。

 「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」には有力な二つの解釈があります。第一の解釈ではパンは物質、水は海や川、流すということが直訳では「送り出す」であることから、これは海外との貿易に関することを言っているものだと考えます。すなわち商品を船に乗せ、大胆に海にこぎ出した時に、巨額の利益を得ることが出来るということです。…考えてみると海外貿易は危険と隣り合わせです。船が沈没してすべてを失うこともあります。しかし、だからと言って安全策ばかり取っても何も起こりません。危険を恐れず、しかも周到に準備して行動することによって富を手に入れることが出来ます。…人生もこれと同じで、危険と隣り合わせですが、最善の備えをした上で冒険へと旅立つ者が人生の勝利者となるというものです。

 これに対し第二の解釈は、これを愛のわざを勧めているものとします。パンは文字通りのパンでも良いし、それ以外の食料でもものでも衣服でもお金でも良いのです。これを水に浮かべて流すというのは、財産を自分のためばかりでなく、他の人々のためにも用いなさいということになるのです。

 「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい」に関して第一の解釈と第二の解釈は決着がつかないまま今日まで来ています。しかしこの二つは同じことをそれぞれ別の側面から言っているのかもしれません。冒険の旅に出て行くことであれ愛のわざを行うことであれ、すべてのことを成し遂げられる神への信頼なしにはありえません。ここでコヘレトはお金もうけの心がまえを言っているわけではないでしょう。2節で「七人、八人とすら、分かち合っておけ」と書いていますから、私はこれを愛のわざへの勧めだと受け取りました。しかし愛のわざを行うことも冒険なんですね。…神を信じて大胆な生き方をする人でないと、愛のわざを行うことはなかなか出来るものではありません。 「あなたのパン」、これは文字通りのパンのほかに、お米、衣服、財産などいろいろなものに言いかえることが出来ます。

人が生きていくために必要なもの、それなしには生きられないものです。しかし、それほどまでに大切なものを、コヘレトは「水に浮かべて流すがよい」と言うのです。大切な財産を他の人々のためにも用いなさいと言うのです。そのようにして差し出したものはむなしく流れ去ってしまうのではないかと思う人もいるでしょう。そもそもコヘレトは今になってなぜこんなことを言い出したのでしょう。

 コヘレトはこれまで学問をきわめたり快楽にふけったりとさまざまなことをしてきました。役人になって良い仕事をしようと志を立てながら挫折してしまったこともありました。それこそ何をやっても空しいだけの人生で心を慰めるのは、自分で働いて得たお金で飲み食いし、ささやかに楽しむことくらいでありました。このコヘレトが、ここに来て自分の財産を他の人のために用いようというのです。

 しかしこれは、言うはやすく、行うのは難しいことです。仮に全財産の半分を貧しい人たちのために差し出すよう求められたとき、それを実行できる人がどれだけいるでしょうか。…そんな生き方はむなしいと思ってしまうのです。そこまでする必要はないじゃないか。そんなことより自分の楽しみのために使った方がどれほど良いか、と普通は思うのです。…しかし、それは本当に空しい生き方なのでしょうか。自分のために財産を蓄えようとするだけの人生と、他の人のためにも財産を用いようとする人生と、果たしてどちらが真の人生なのでしょうか。…一見充実した人生に見えるものが実はむなしく、一見むなしい人生が実はそうではないということにコヘレトは気がついたのです。ここにコヘレトは、人生の新たな冒険に乗り出しました。

 人生で大切なのは知恵を獲得することでも、快楽にふけることでも、仕事で良い成績をあげることでもなくて、自分が大切にしている財産を惜しみなく施すことだとコヘレトは言います。…そもそも財産とは自分のものであっても自分のものでありません。神からいただいた賜物なのです。それを、さも自分の力だけで獲得したもののように思ってしがみついていても、守りきれるものではありません。イエス様も、富を、虫に食われたりさびつくこともなく、どろぼうに盗まれることもない天にたくわえなさいと言われたではないですか

(マタイ6:19~21)。それは自分ひとりで独占すべきものではなく、他の人と分かち合うべきものです。そうしてこそ財産が本当に生きて用いられるのです。

 この、愛のわざへの勧めには約束が伴っています。「月日がたってから、それを見いだすであろう」という約束です。…善い行いは報いを求めないからこそ価値があります。宣伝効果を狙ったり、売名行為のため、という心を捨てて淡々と善をなす、それが愛のわざということです。

そうでなければ愛のわざも偽善になってしまいます。…しかしながら、その行為は決してむなしく消えてしまうことはありません。必ずや豊かな実を結ぶ日が来るのです。箴言19章17節に「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」とあり、ガラテヤ書6章9節も「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります」と教えています。報いを求めての愛のわざではありません。愛のわざの結果として報いです。それらはすべて神から来るのです。

 

 それでは今日の箇所のもう一つの中心である「分からない」という言葉を中心に見てゆくことにしましょう。2節の「七人、八人とすら、分かち合っておけ。国にどのような災いが起こるか分かったものではない」という言葉、この前半部分は多くの人に善を施しなさいということで、そうしますと後半部分は、あなた自身いつ災いにあうかわからないのだから、もしもそんなことになったら助けてくれる人があるだろうということになると思います。人は助け、助けられて生きているのです。

 4節で農業の仕事が取り上げられます。「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」。聖書の時代、農民は種を手で飛ばして蒔いてゆきました。いちいち土の中に埋めたりはしませんでした。…ですから風の強い日には種が飛ばされる恐れがあります。…雲が出ると雨が降ります。雨の日に刈り入れは出来ません。…しかし、だからと言って風を恐れ、雨を心配していては、種蒔きも刈り入れも出来ません。人生もこれと同じで、失敗を恐れ、心配ばかりしているなら何も生み出せません。義を見てせざるは勇なきなり、人間は失敗を恐れず、困難を恐れず、善を行うべきです。風や雲の動きを人間がコントロールすることは出来ませんが、風や雲にまさる生ける神がおられるのだから、この神様を信じてチャレンジせよというのがコヘレトが言いたいことなのです。

 5節は胎児のことを書きます。胎児の体がどのように成長してゆくかは現代の科学においてもまだまだわからないことがあるようです。胎児の心についてはなおさらです。…人間は胎児を造られ育てられる神のなされることが分からないのに、ましてすべてのことを成し遂げる神のみわざがわかるはずはありません。…このことをコヘレトは、以前よりも喜びをもって語ります。以前のコヘレトならば、神がすべてのことを成し遂げておられるということは人間を絶望させるものでしかなかったのです。神が人に、このむなしい人生を与えたと考えていたのです。

しかし、その心に転機が訪れました。神が一切を行っておられる、それゆえ人はすべてのことを導きたもう神を信じて生きてゆけば良いのであって、そういう人間の生活が朝、種を蒔き、夜にも手を休めないという言葉で表されています。実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、分からない、だったら希望を持って両方やってみようじゃないかということです。

人生は種蒔きから始まる農作業のようなものです。神を信じて忍耐しつつ、希望をもって日夜を歩むその積み重ね、それが人生であると、コヘレトは気がつきました。

 こうして「パンを水の上に浮かべて流す」ということと種を蒔いたり、刈り入れをすることが結びつきました。神はすべてのことを成し遂げられます。神のなさることは人間にとって分からないことが多いのですが、そのことはコヘレトを絶望させることではありませんでした。神はここで、コヘレトを通して、人が自分の利益ばかりを考えて生きることを良しとせず、隣り人と共に生きることを勧めて下さいました。「受けるよりは与える方が幸いである」(使20:25)というキリストの教えの芽生えをここで見ることが出来るでしょう。

 人間の生涯には限りがあります。一人の人が人生で出来ることもたかが知れています。しかし、隣り人のために報いを望まずに差し出した愛のわざは無限の価値を持っています。それこそ空しさを突き抜ける神の賜物です。人が勇気なくして愛のわざに生きる人生を歩むことは出来ません。

 

(祈り)

 父・み子・みたまなる神様。私たちが一週間の喜びと労苦をたずさえ、今神様の前で礼拝の恵みにあずかっていることを感謝申し上げます。

 私たちは今日、コヘレトの人生遍歴をたどりながら、彼が愛のわざに目覚めることによって、空しさのどん底から抜け出すきっかけをつかんだことを学ぶことが出来ました。世の中にはありあまる財産に囲まれながら、不幸な人がいます。たくさんの財産と引き換えに、もっとも大切なものを失ってしまったのです、どうか私たちがそのような人になるのでなく、神様からいただいた財産を感謝し、それを他の人と分かちあうことで心豊かな人になることが出来ますように。受けることよりも、与えることにおいて、私たちの中に喜びを満たして下さい。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

一番最初の教会会議  youtube 

詩編1:1~3、使徒15:1~11  2018.10.14

 

 意見が対立してどちらが正しいのかわからなくなるということは、古今東西、どこの世界でも起こることです。

 ちがう意見を持っている者が両方とも、自分の意見を通そうとしてがんとして譲らなかったら、社会生活は成り立ちません。そこで一方の意見だけを通してもう一つを斥けたり、両方の意見の落としどころ・妥協点を見いだそうとしたり、また両方とも満足できる第三の方法を見つけようとするわけです。そのために正しい判断が求められることは言うまでもありません。

 私たちもみな生まれてから天に召されるまで、さまざまな意見の対立を経験しています。その中で、誰もが判断の仕方を学んでゆくのです。…子どもを見て下さい。子どもを自由にさせてすべてその判断に任せていたら、とんでもないことになってしまいますから、親や先生の言うことを聞くように教育するわけです。しかし子どもは成長して行く過程で、親や先生がどのように判断しているかを学んでゆきます。そして今度は、説得力のある仕方で自分の意見を発表できるようになって行くのです。幼い時は親や先生が見守ってやらなければなりませんが、自分でしっかりした判断ができるようになれば親も先生も安心して手放すことが出来るわけです。…もっとも、自立した大人になっても判断を誤る場合はあります。そのために話し合いがあり、会議を開いて意見をたたかわすということがあるのですが、話し合いのやり方を心得ていないと不毛な水かけ論に終わってしまうことがあります。建設的な話し合いをするのは簡単なことではありません。

 聖書の中でも、どうしたら良いのかわからず、判断に困ってしまうようなことがたびたび起きています。例えばモーセは、たびたび重大な局面に陥りました。自分の民につめよられ、もちろん反論するのですが、相手は引き下がりません。そのため、どうしたら良いかわからなくなってしまうのです。そんな時、彼はどうしたか、…神に直接答えを求め、神から答えを得たのです。聖書には神様が直接答えて下さったということが、モーセばかりでなくたくさん出て来ます。神が夜の夢の中でみこころを告げられることもありました。…ならば今日のところで、教会会議に集まった人々の上になぜ神様の直接のお答えがなかったのでしょうか。神様が言葉を発せられ、それをだれかが受け取ってお話ししたら、問題はたちどころに解決するのではないでしょうか。…しかし、もうそんな時代ではないのです。会議に出席した人たちはもちろん正しい答えを求めて祈ったはずです。そして、神様の答えは与えられました。けれどもそれは、モーセの時代とは違うやり方でありました。

 パウロとバルナバを伝道旅行に送り出したアンティオキアの教会は、務めを終えて帰ってきた二人を暖かく迎え、報告集会を開きました。パウロとバルナバは行く先々でユダヤ人からの迫害に遭いましたが、それにもかかわらず、み言葉の種が蒔かれ、教会が誕生したことは、神がなさった素晴らしいみわざの現れであり、その場を神への賛美と感謝が包んだことでしょう。

 しかし、そのような時に、ひとつの深刻な問題が起こりました。ユダヤから、つまりエルサレムからユダヤ人のキリスト者たちが来て、異邦人の信者を念頭に「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えたのです。

 そもそもユダヤ人というのは神に選ばれた民であり、彼らは、と言っても男性だけですが、そのしるしとして割礼を受けていました。割礼は神がユダヤ人の祖先アブラハムに与えた命令によって始まり、代々受け継がれてきたのです。だからイエス・キリストも、パウロもバルナバもみな割礼を受けています。

 使徒たちが各地に出かけて行って宣教する前、異邦人の中にもユダヤ教を信じ、つまり旧約聖書が教える唯一の神を信じる人がいました。しかしこういう人たちは、割礼を受けなければ、神の民の一員になることが出来ませんでした。それは、救われるためにユダヤ人になるということです。…その人がもともとどんな民族に属していても、ユダヤ教を信じ、割礼を受けるなら、ユダヤ人となり、神の民となり、従って救いにあずかる者になるとされたのです。

 こういうことは当時のユダヤ人にとっては常識的なことでありまして、別に突拍子もないことではありません。それまでずっと、そのようにして来たのです。だからエルサレムから来たユダヤ人も当然のように教えたのですが、しかしこのことが、異邦人がかなりの割合を占めるアンティオキアの教会において大問題を引き起こしました。…この教会にいた異邦人の信者は、割礼を受けずに、つまり異邦人のまま洗礼を受けて教会に加えられ、イエス・キリストの救いにあずかる者として歩んできたのです。その人々に対し、「あなたがたはそのままでは救われない。割礼を受けてユダヤ人にならなければならない」と言われたわけですから、これはその人たちの救いを否定するような話です。…これから新たに割礼を受けなければならないとなると、痛いだろうなあということもあるのですが、それより重大なことは、これまで教えられてきたことが間違いだったのか、ということです。彼らはイエス・キリストを信じ、その恵みを受けて洗礼を受け、信者になったのですが、それでは足りないのかということなのです。

 ことは割礼問題からさらに広がってゆきます。救われるために新たに割礼を受けなければならないということは、今度は旧約聖書に書いてある、割礼に代表される律法をすべてその言葉通り守ら

なければならないということにつながります。…皆さんご存じのように、イエス・キリストは律法を、新たに解釈し直されました。「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」という律法に対し、主イエスは「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」と教えられました。「隣人を愛し、敵を憎め」という律法に対して、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えられました。主イエスがこのようになさったことは、律法を投げ捨てることではなく、律法を完成させることでありました。律法を一字一句守るというより、律法を人間の内面にまで深く分け入ってとらえ直し、新たに輝かせようとしたのですが、これは保守的な人にはとてもついていけません。…今日は詳しく述べる時間がありませんが、割礼の問題はただそのことだけにとどまらず、律法そのものをどのように受け取って行くかということにもつながって行くのです。

 

 ユダヤ人が割礼をするよう教えた時、異邦人信者に衝撃と動揺があったことは確かで、これはアンティオキア教会を指導していたパウロとバルナバにとって決して見過ごせないことでした。こうして両者の間に激しい意見の対立と論争が起こりました。割礼の問題は教会の信仰の根幹にかかわる、大問題だったのです。そこでパウロとバルナバ、ほかに数名の人が、エルサレム教会に行って、このことを使徒たちや長老たちと協議することにしました。この中に、割礼をするよう教えていたユダヤ人が入っていたかどうかはわかりません。

 一行は南に向かいました。フェニキアやサマリアに出来た教会で、アンティオキアやキプロス島、またアナトリア半島の各地で大勢の異邦人が信仰に入ったことを話して、皆を大いに喜ばせました。エルサレムに到着すると、そこでも歓迎されました。お互い旧知の間柄ということもありますが、パウロたちが報告したことが喜びを倍加させて、さらに深いものとさせたのです。それは、やはり各地で大勢の異邦人が信仰に入ったことですが、パウロたちはこれを「神が自分たちと共にいて行われたこと」として報告したのです。自分たちがすごいからたくさんの信者が与えられたということではありません。神が自分たちと共にいて、働いて下さったからこその収穫の実りなのです。

 しかし、ここでもファリサイ派から信者になった人々が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言って、喜びに水をさすかっこうになりました。そこで、使徒たちと長老たちが集まって、割礼の問題を協議することになりました。繰り返しますが、ここで問題になっているのは、キリストを信じることだけによって救われるのか、それとも、割礼を受けてユダヤ人になることも、救いのために必要なのかということです。

こうして会議が始まりますが、さて15章1節の前にあるタイトルは「エルサレムの使徒会議」となっています。これは正しくないと思います。というのはここでは使徒以外に長老も議論しているからで、使徒会議とはとても言えません。新共同訳を出した偉い先生方でも、こんな間違いをするのですね。なお12節には「全会衆は」という言葉がありますから、使徒たち長老たち以外にもその場にいた人がいたのでしょう。ただその人たちに発言権や議決権があったかどうかはわかりません。…使徒や長老が中心の会議は、今週開かれる日本キリスト教会の大会にも受け継がれています。

 この会議では激しい意見の応酬があったはずですが、議論の行方を決したのがペトロの発言です。私たちはまず、ここに至るまでのペトロの歩みを復習しておきましょう。ペトロは港町ヤッファにいた時、天が開き、大きな布のような入れ物が下りてきて、そこに獣やら空の鳥やらが入っている幻を見ました。彼はそこから異邦人伝道へと向かって行きます。ローマ帝国の軍人コルネリウスのところで福音を語った時、聖霊が彼ら異邦人の上にも注がれました。ペトロはそのことを8節以下で語っています。「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」
 ペトロは、神ご自身が異邦人にも聖霊を与えて下さった、神が異邦人を受け入れられたことはこれによって証明された、と言ったのです。神は、イエス様が救い主であり、この方によって罪が赦されるということを信じた人なら、ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、同じように受け入れて聖霊を注ぎ、罪を赦し、神の民として下さった、だからペトロは神のみこころに従い、彼らに洗礼を授けました。彼らは異邦人のままで、つまり割礼を受けることなく、神に受け入れられ、キリストの救いにあずかったのです。これにつけたすべきことはありません。

 異邦人を同じ神の民として受け入れるということは当時としては大変なことで、ペトロとしても最初からこの通り認識していたのではありません。のちに、ペトロはアンティオキアに来ましたが、初めは異邦人と一緒に食事をしていたのに、エルサレムからユダヤ人がやってくると異邦人を恐れてしり込みし、身を引こうとしだした、そのためパウロが皆の面前でペトロを叱りつけたということがガラテヤ書に書いてあります。ペトロでさえそうだったのですから、他のすべてのユダヤ人信徒にとっても心を全面的に入れかえるようなことだったのでしょう。

 ペトロは訴えます。「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのです。

が、これは、彼ら異邦人も同じことです。」

 ここで「先祖もわたしたちも負いきれなかった軛」ということが言われています。…ユダヤ人は割礼を受けた神の民で、律法をたいへん重んじていましたが、彼ら自身も割礼を理由に罪の赦しを受けたわけではありません。

…ユダヤ人の歴史を見るならば、彼らが実際には神に逆らう者であり、神に対して罪を繰り返してきたことがわかります。ユダヤ人は何千年もの間、神に背き、他の神々と称するものに心をささげ、そのために神の罰を受けてきました。その後ようやくファリサイ派などによって信仰の革新がはかられ、神様に帰ろうということになったのですが、それがまた新たな問題を引き起こし、主イエスによって批判されていました。

 人は決して、割礼にも、これに代表される律法を一字一句守ることによっても救われないのです。ペトロもイエス様を裏切るという痛恨の体験をしており、自分のような罪深い者の身代わりとなって十字架にかかり、罪を赦して下さった主イエスに会って、この方を信じる以外にないことを言いたいのです。…もちろん割礼はむかし神が定められたものであり、過去において一定の役割を果たしましたが、今やその必要はなくなりました。異邦人はもとよりユダヤ人であっても、今や主イエスの恵みによってこそ救われるのですから、これに余計なものをつけ加えることは出来なくなったのです。

 

 今日のお話は私たちに、異邦人がキリストによって救われるということはすべての民族が救われることを教えています。日本人も、日本人のまま救われ、神の前に立つことができるのです。イエス・キリストが与えて下さる救いに、さらに余計なことを加える、これに類することは、時代と環境を異にする日本にもたくさんありまして、私たちはキリストと共にそれらを乗り越えてゆかなければなりません。

 エルサレムでの教会会議は、ペトロの発言を皆が賛成することで決着し、論争に終止符が打たれることになります。神が直接口を開いて答えられるのではありません。聖霊につき動かされた信仰者の、神のみこころに適った言葉が議場を説得したのです。この会議のやり方は、日本キリスト教会の行う会議に受け継がれているばかりでなく、私たち一人ひとりが参加する話し合いや会議をも導くものであるのです。

(祈り)

 私たちとすべての人、また生きとし生けるものすべてにとっての父なる神様。

 私たちが神様にお願いし、求めることの中には、自分の幸せばかり願うご利益信仰に近いものもあるでしょう。不信仰な私たちは、しばしば自分の幸せばかりを祈り、しかも祈りがきかれないと言って、神様をうらむこともあるのです。しかし今、神様は私たちにいちばん必要なものを下さることを信じます。今日、私たちはエルサレムでの会議の話を学びました。はじめこの会議が、自分とどう関わるのかとも思ったのですが、聖書に不必要なことは何も書いてありません。この会議がそうであったように、私たちも聖霊の導きによって、何ごとにおいても正しい判断をし、勇気をもって意見の表明をすることが出来ますように。私たちの考えること、判断すること、発言することがみな主イエスによって正しく支えられ、そのことを通して自分にも隣人にも神様の愛が現れますように。神様にたいへん難しいことをお願いしましたが、神様が私たちをそのように引き上げて下さることを信じて、お願いいたします。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン

  信仰に踏みとどまる youtube

詩編37:1b~6、使徒14:19~28  2018.10.7

 

 私たちの信仰の歩みというのは、イエス・キリストが与えて下さる救いを信じて信仰を告白し、洗礼を受けることで終わるのではありません。これはいわば出発点でありまして、その時から神様と共に歩む新しい人生が始まります。そこにはさまざまな試練も誘惑も、信仰の危機もあるでしょうから、私たちは生涯を通して教会に集って礼拝し、また同じ信仰を持つ者同士、励まし合って信仰から脱落しないよう努めなければなりません。

 

 前回のお話は、パウロとバルナバがリストラという町で伝道したところでした。その町の人々がパウロとバルナバをなんと神々だと思ってしまい、神殿の祭司までがやってきて礼拝しようとしたので騒ぎになってしまいました。二人は、私たちもあなたがたと同じ人間にすぎませんと言って、やっとのことでばか騒ぎをやめさせることが出来たのでした。ところが今度は、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからはるばるやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけました。イエス様を信じることが出来ない人々から、激しい憎悪を向けられたのです。パウロは倒れてしまいました。すると石を投げつけた方は、パウロが死んでしまったと思って怖くなったのでしょう。ローマ帝国の法律では、リンチ殺人は犯罪になりますから。そこで町の外まで引きずり出して、人の目に触れないところに置き捨てたのだと思います。

 倒れているパウロの周りを弟子たちが取り囲みました。激しい迫害にもかかわらず、この町でも弟子たちが、つまり主イエスを信じる者たちが起こされたのです。…するとパウロは起き上がりました。死んではいなかったのです。そればかりか、町に入って行きました。パウロは意識を回復すると立ち上がって、自分を殺そうとした人々のいる町に、再び入っていったのです。石で打たれたことも、パウロの伝道にかける思いを押しとどめることは出来ませんでした。

 

 パウロは次の日バルナバと共に、そこから直線距離で100キロほど離れたデルベに向かいました。その町では迫害はなかったようです。二人はそこでも福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしました。では二人はその先、どこに向かって行ったのでしょうか。 よろしかったら、聖書の巻末にある地図をご覧下さい。「パウロの宣教旅行1」を見ると、中央にデルベがあります。そこから東に向かうと、タルソスという町がありますが、ここはパウロの出身地です。さらに東に向かって行けば、この旅の出発点であったシリア州のアンティオキアに帰ることが出来るわけです。

ところがパウロたちはそうした比較的便利で好都合なコースを選ぶことはしません。デルベからリストラに戻り、さらにイコニオン、ピシディア州のアンティオキアへと、もと来た道を再び戻っていったのです。どの町も迫害を受けたところですから、危険が待っていることは火を見るより明らかです。

 パウロとバルナバはなぜわざわざ遠回りして、危険な道を帰っていったのでしょうか。…それは、イエス・キリストを信じる者たちがいる町に戻って、信者たちを励まし、力づけるためでありました。これらの町々には、パウロとバルナバの伝道によって、迫害の嵐の中で信者が与えられ、教会が誕生しました。信者たちはいま大丈夫でしょうか。信仰がまるで風前のともしびのように揺らいではいないでしょうか。福音が宣べ伝えられているところでは、これを信じて信仰に生きる人が生まれる一方で、これに反対し敵対する人も出て来るものです。信者たちがきびしい試練の中にいることは疑いようがありません。

 ひるがえって私たち日本のキリスト者が置かれている状況を見ると、1945年の敗戦以前には迫害があって、天皇とキリストとどちらが偉いかと問いつめられたり、神社参拝を強制されたりといったことがあって、あくまでも信仰を貫き通したために命を落とした人もいました。戦後はそういうことはないので、迫害はないわけですが、しかし信者に対する有形無形の圧力がなくなったとは言えません。…私が出雲にいた時、熱心な信者を両親に持つ人が悩みに悩んだあげくキリスト教を棄て、仏教に改宗したということがありました。その人は出雲という古い歴史がある土地で比較的大きな店を経営していましたが、キリスト教では地域の人々から浮き上がってしまうということがあったのかもしれません。…去年でしたか、東京の早稲田にあるキリスト教団体の施設に右翼のデモ隊が押し寄せたということもありました。キリスト教に反対する本なども出回っています。

 実際に迫害がなくても、圧倒的多数の非キリスト者の中で、信仰を守ってゆくことはそれだけで大変なことであり、常にたたかいがあります。そしてたたかいには苦しみがついてくるものです。

…このことは、信仰というものを苦しい人生からの逃げ道だと考えている人にとっては、なかなか受け入れられないことにちがいありません。自分は苦しみから逃れるために信仰に入った、信じたら何かよいことがあるだろうから信じる、そういう人は、信仰によって苦しみにあうなら、いったい何のための信仰かと思ってしまうのです。

…御言葉を聞いてすぐ喜んで受け入れ、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こるとすぐにつまずいてしまう、そんな人になってはいけません。信仰とは闘って守るべきものです。パウロたちは闘いの中にある兄弟姉妹を力づけるために、自分たちを追い出した町々に帰って行ったのです。

 パウロたちは弟子たちを力づけました。この「力づける」には、強くする、堅固にするという意味があるのですが、原文にはさらに「心を」、別の訳では「魂を」という言葉が入っています。二人はただ「頑張れ」と言ったのではありません。もっと根源的なところで、弟子たちの心を、魂を、強くしたのです。その時、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ましたのです。

  「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」、この言葉が意味するところはなかなか複雑です。いろいろ難しいことを言う人がいて、厳密に考え、論証して行くと時間を要するし、混乱してしまいそうなので、少しだけ申し上げます。

 神の国に入ると言われているところから、この段階ではまだ神の国に入っていないことは確かです。神の国とは神と人が共に住む世界で、天とか天国と言いかえることが出来ます。しかしここでは、そこに入るために多くの苦しみを体験しなければならないと言われているのではないのです。もしもそれが正しいならば、ここは「わたしたちが神の国に入るためには、多くの苦しみを経なければならない」となっていたはずです。

 文語訳聖書では「我等が多くの艱難を経て神の国に入るべきことを教ふ」のようになっており、これは信頼できる翻訳です。「我等が多くの艱難を経て神の国に入るべきことを教ふ」とは、私たちが多くの苦しみを経て神の国に入るということです。神の国に入るということは、すでに信者となったわけですから確かなことであり、約束されていることですが、そこにたどり着くまで多くの苦しみに遭うということです。苦しみは神の国に入るための必要条件ではなく、神の国に入ることが約束された人が通る道です。パウロとバルナバがそのことをいま体験しています。二人が訪れた4つの町の信者たちもそうでした。…イエス様に反対し、暴力を使った迫害もいとわない人々の中で信仰を貫いていくのはなまやさしいことではありません。しかし迫害があるのはすでにわかっていたことで、みんな迫害の苦しみをはるかに超える信仰の喜びを与えられているのです。ならば共にいます神を信じぬいて、勝ち抜いてゆくのみです。苦しみを恐れないということです。

 それでは、信仰に踏みとどまるようにとはどのようなことでしょうか。「踏みとどまる」というのは、一つのところにしっかりと留まり、そこから離れないことにちがいありません。そこで、私たちはこれを、自分たち自身の心の持ちようが問題にされていると考えるでしょう。…しかしそれは、半分は正解ですがあとの半分は不正解です。というのは、私たちは、信仰に踏みとどまることが出来るか出来ないかは自分の決心と努力次第だと思っているからです。信仰の土台が自分の心の持ちようにあるのです。それはちょうど、イエス様に向かって「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と叫んだペトロを思わせます。ご存じのように、ペトロの信仰はほどなくくずれてしまいました。私たちの信仰も、いかにもろくて危ないものかと思わざるをえません。

 私たちにとって信仰の土台となるべきことは、そんなあやふやなものではあってはなりません。私たちの心の持ちようではなく、神様がイエス・キリストを世に遣わしてなしとげて下さったみわざで、それは十字架と復活に集約されます。この救いのみわざこそが信仰の土台でありますから、「信仰に踏みとどまる」というのは、何より主イエス・キリストの救いのみわざによって示されている神様の恵みのもとに留まり続けることなのです。もとより私たち自身の決意や努力も大切です。しかしそれは、イエス・キリストによって現わされた神様の恵みがあってこそであるのです。

 

 パウロたちはさらに、「弟子たちのために教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せ」ました。
 神は、主イエスが天に上げられたのち聖霊を送って下さり、主イエスを信じる者を召し集めて、教会を誕生させました。一人一人の信仰者が、その教会の群れに加えられていきますが、パウロはそれぞれの教会において長老たちを任命しました。

 使徒言行録で長老が出て来るのはこれが2度目です。1度目は11章30節、シリア州のアンティオキアの教会が援助の品をパウロとバルナバに託してにエルサレムの教会の長老たちに届けたと書いてあるのですが、この長老が誰で、いつ、どういう方法で任命されたか、何も書いてないのでわかりません。…2度目がここです。教会の信徒たちの中からもっともふさわしい人をパウロたちが任命したのです。…パウロたちがひとつの教会にずっと滞在していることは出来ません。またすぐに次の地域に向かいます。そこで、教会の人々の中から長老たちを選んで任命し、長老を中心とする教会制度を作ったのです。
 この時代の長老は今とは違っています。ちょうど今の時代の牧師の役割も長老の役割も執事の役割も合わせてするような人々であったでしょう。長老たちが立てられた目的は、教会に連なる者たちが主イエス・キリストの恵みに固く立ち続けるために、信仰に踏みとどまるために、その信仰を慰め、励まし、指導することでありました。

 

 こうして、先に来た道を逆にたどって行ったパウロとバルナバは、山道を下ってトルコの地中海側まで来ます。ベルゲという所で伝道したあとアタリアで船に乗り、シリアの港町アンティオキアに帰ってきました。そこは二人が神の恵みにゆだねられて送り出されたところでした。パウロたちはここに到着するとすぐ教会の人々を集めて報告集会を開きました。神様が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰が与えられたことを報告したのです。当たり前のことですが、起きたことは正確に言わなければ報告になりませんから、良かったことばかりではなく、迫害を受けたことも、旅の途中、同行していた若者がドタキャンして帰ってしまったことも言ったのでしょう。しかし、それにもかかわらず、報告会が神を賛美する場、礼拝する場になったことは間違いありません。

 今日はこのあと聖餐にあずかりますが、この聖餐も、私たちの信仰を励まし、養うために、主イエスが教会に定めてくださった恵みのしるしです。
 聖餐は主イエスを信じた者がパンと杯を頂くことを通して、確かに主イエスと一つに結ばれていること、十字架で裂かれた肉、流された血によって罪を赦され、天におられる復活の主イエスの命に結ばれ、主イエスと共に生きる者とされていることを確かにされる時です。私たちも大なり小なり、さまざまな試練や誘惑の中にさらされて生きており、自分ひとりの力では信仰をまっとうすることは出来ません。主イエスは信仰がぐらつきがちな私たちが、この目に見えるしるしによって励まされ、力づけられるようにと、この聖餐を備えて下さったのです。私たちはこうして、兄弟姉妹と共に主イエスの食卓にあずかります。神の国の食卓を垣間見、その恵みを味わうのです。
 (ここには、まだ洗礼を受けておらず、聖餐に与れない方もいらっしゃると思います。しかし、)すべての人が、この神の食卓に招かれ、主イエスを信じるように、またすでに信じた人の信仰がさらに強められますように。主イエスが、私たちの罪も、苦しみも、死も、すべてを担い、引き受けて下さいました。ここに私たちの生きる根拠があり、この恵みの中にいる時、たとえ迫害が起こるような状況にあっても、信仰に踏みとどまることが出来るのです。そのことを受け入れ、自分自身のすべてを主イエスにお委ねしましょう。

(祈り)

 私たち皆の主なる神様、

 人が信仰を持つまでに、どれほどの祈りと努力がなされるのでしょう。そこには女性が子どもを出産することに例えられるほどのドラマがあります。しかし、それで終わってしまうのではありません。そこからさらに次のドラマがあります。主イエスを信じてまっすぐ上に向かって伸びて行こうとする時に、それを妨げようとするものがまるで茨のように覆いかぶさってくることを、私たちもたびたび経験しています。信仰はたたかいなしにありえませんが、自分の力だけに頼ると足をすくわれてしまうでしょう。どうか死んで復活されたイエス様によって、私たちを信仰に踏み留まらせて下さい。主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

広島長束教会十字架cross
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