日本キリスト教会 広島長束教会
働く者の眠りは快いyoutube
コヘレト5:7~19、ヨハネ5:17 2017.7.23
「貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら、身分の高い者が、身分の高い者をかばい、更に身分の高い者が両者をかばうのだから」。
このコヘレトの言葉は、まるで今日のどこかの国の有り様のようでもあります。古今東西、政治の世界に腐敗はつきものでありました。きょうのところでコヘレトは、政治の貧困を出発点にして富ということを考え、人間の本質を問いかけようといたします。
いったい、国の指導者に求められるのはどういうことでしょうか。コヘレトは8節で「何にもまして国にとって益となるのは、王が耕地を大切にすること」だと言います。…例によって原文が難しくて意味が取りづらいのですが、おそらく、古代の社会では、大部分の人が農民や牧畜民でありましたから、土地は何にもまして大切なものでした。ですから国民のために土地を守り、適切に管理することが求められたのでした。
すべての人に土地が公平に割り当てられていて、広大な土地を独り占めする人も、逆に自分の土地を持たず小作農になっている人もいないなら、それは素晴らしいことで、国をそのように導く王が称賛されたのでした。旧約聖書には、土地の所有の不公平の是正をめざす神の言葉が収録されています(レビ記25章など)。
これは農民や牧畜民が少なくなった今日の世界にも、拡張させて考えることが出来ます。日本の国民の中に「格差」があります。世界的に見るとそれはさらに大きくなって、一方に飽食三昧の人たちがいるかと思えば、一方にその日の食べ物にもことかく人たちが大勢いるということが現実です。すべての人が平等で、土地にしても何にしても、財産が公平に分配され、誰もが最低限度以上の生活をおくることが出来るということは、簡単なことではありません。
このような問題の根底には、富をめぐる、終わることのない争いがあります。世界の富の全体量が少ないということではありません。それを配分する時に不平等が生じ、お金がありあまるほどの所と全然足りない所とが出来てしまうのです。誰もが知っている通り、社会の中ではお金を持っていることで大きな利益にありつくことが出来ますが、反対にお金がなければ、人として当然の権利まで奪われ、生命まで危うくしてしまうことになりかねません。そのため多くの人がお金を得ることに力を尽くしますが、それが度を越してしまうことがたびたび起こります。コヘレトはそのことを冷静に観察しています。コヘレトが富ということを手がかりに洞察したこの世の有り様から何が見えてくるでしょうか。
私たちは「お金がすべてではない」などと口にしますが、もしかするとそれは建前だけのことかもしれません。心の中では、「お金がなければ何も始まらない」と思っていることがたくさんあるのではないでしょうか。このように、お金をめぐって建前と本音に引き裂かれ、あるいはそれをうまく使い分けているのが私たちです。
教会でお金について話すのは簡単ではありませんが、しかし大事な問題なので触れないわけにはゆきません。コヘレトはこの問題についてどう言っているでしょう、…これはちょっと意外に思われる方がおられるかもしれません、彼は富や財産そのものを不正なものとは見ていないのです。金銭そのものは悪くないのです。そうではなくて、金銭を愛することが罪であると説くのです。
コヘレトがここで述べた論点を整理してみましょう。それは、富は人間の際限のない欲を満足させることが出来ず、他人に頼って生活する者を引き寄せる、そして平和をかき乱すのです。
まず、富は人間の際限のない欲を満足させることが出来ないということについて、9節が明白に示しています。「銀を愛する者は銀に飽くことなく、富を愛する者は収益に満足しない」。財産がたくさんあることと自分の生活への満足度は必ずしも比例しません。富を追求する人は、ほどほどのところで満足することがなかなか出来ません。少しお金が儲かると、さらにもっと儲けようとします。お店や会社が小さいままでは満足出来ず、どんどん大きくしようとします。海外に進出し、ついには世界を飲み込むようなことを実行しようとする人も出てきます。…中には、自分の得た利益を社会に還元することに努める良心的な人もいますが、そんな人は多くありません。
このとき、「財産が増せば、それを食らう者も増す」ということが起きます。他人の財産を狙う人が出てくるのです。肉親も油断は出来ませんが、今まで知らなかった親戚が出現することもあります。友人や知人をよそおう人が大勢近寄ってきます。類は友を呼ぶという言葉通り、金を愛する人のまわりには同じく金を愛する人が集まってくるものなのです。その結果、財産をめぐる争いや不可思議な事件が起こります。貪欲な人が同じく貪欲な人に食いつぶされていくことが起こるのです。家に入り込んでお金をせびる人から、巧妙な手段を用いて会社を乗っ取ろうとする人まで、次から次に現れてくるので、金持ちは安閑としてはいられません。
11節は、「金持ちは食べ飽きていて眠れない」と言います。…きょう集まっている中にこういう人はいないと思いますが。…お金持ちといってもいろいろな人がいますが、だいたい肉体労働をしませんし、毎日ぜいたくなものばかり食べていて健康管理上問題が起こることが多いです。
その上、財産があればあるだけ、これが狙われているんじゃないかと思うと誰を信用して良いかわからず、夜もおちおち眠れなくもなるのです。
箴言15章17節は、「肥えた牛を食べて憎み合うよりは、青菜の食事で愛し合う方がよい」と言います。お金がなくても幸せな人がいる一方、財産があるがゆえの不幸があります。
ギリシアのオナシスという人は海運業で巨万の富を築いた人で、またアメリカのケネディ大統領が暗殺されたあと夫人のジャクリーンさんと結婚したことでも有名ですが、その家庭は不幸で、オナシス氏の死後、遺産をめぐる骨肉の争いが起こり、それと関係あるのかどうか、娘は薬の飲みすぎが何かで38歳で死んでしまいます。ただ一人孫娘が残っているようですが、幸せを勝ち取れたかどうか…。
私たちはこういうことを見聞きすると、興味本位に眺めて、羨望の対象である金持ちの不幸を話の種にして楽しむことが多いのですが、むしろ他山の石としなくてはなりません。一般的に言って、巨万の富は人の心をむしばみ、人間関係をゆがんだものにさせます。全部が全部ではありませんが、大富豪と言われる人には気難しい、不幸せな人が多いようです。
富は永遠ではありません。築きあげてきた富が犯罪にあったり、株価の変動などで価値がなくなったりする時、富を愛し富に頼っていた人は不幸です。しかし、それでも死ということよりは耐えやすいでしょう。
富を愛し、ライバルを蹴落としながら巨万の富を獲得し、それにしがみついている人は、最後に死ということに直面し、その富と別れなくてはならなくなった時、さぞかしつらい思いをすることでありましょう。人は、裸で母の胎を出たように、裸でそこに帰って行きます。労苦の結果としての富を何ひとつ持って行けるわけではないのです。そういたしますと、限りある、短いつかの間の人生を富の追求に費やすことにどういう意味があるのかということになります。それこそ「風を追って労苦する」、むなしい一生ではないのでしょうか。
頼りにならない富に望みを置いて生きることをコヘレトは「食べることさえ闇の中」と言います。悩み、患い、怒りが尽きることがありません、それはいったい何という人生なのでしょうか。
さて、私たちの中には、財産がありすぎて、これが誰かに狙われているんじゃないかとびくびくしながら生きているような人はいないだろうと思います。そういう人がおられてもかまいませんが、…大部分の方は毎日苦しい家計をやりくりして、何とか暮らしておられるのではないかと思います。では、こういう平凡な庶民にとってコヘレトの言葉はどういう意味を持つのでしょうか。
そこで17節の言葉を見て下さい。「神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ」。
神のみ前に感謝しつつ責任をもって働き、お金を手に入れる。そうして飲んで、食べて、満足して生きることこそ、私たちが地上の生涯でなすべきことです。それこそが幸せというものです。…それは、まことにつつましい生活のように見えます。実際、そうです。…けれども、それ以上のことを望む人は、かえって失うものが多いことを悟るべきなのです。
コヘレトは、人の信仰のあり方と生活のありさまが緊密に結びついていることを知っており、信仰がお金の使い方に関わっていることを説くのです。これは安易な、人生の処方箋ではありません。神から与えられた人生の中で、神の恵みをどういただくかということなのです。
18節に書いてあるように、「神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ」ということです。私たちが得た、そして得るであろう富や財宝は自分の努力で獲得したものではなく、神様からのいただきものなのです。ですからこれを神様の恵みと切り離して、勝手に浪費することは正しいことではありません。これを感謝と畏れをもって受け取り、使う者となりましょう。みこころにかなわない用い方をするとき、それは罪となります。
人がまっとうな働きをする時、神様から報酬が与えられます。それが賃金であり収入です。…最近の日本で、一部だけかとは思いますが、まじめに働くのがばからしくなるような風潮があることが気がかりです。報道によると、パソコンを使って仮想空間で行うゲームに使うマネーを現実のお金でやり取りする中で、毎月何十万もかせぐ人がいるそうですが、このように、何も作らず、汗も流さず、誰の役に立っているのかわからないようなことで巨額の富を手に入れようとする、それを労働と言えるでしょうか。
聖書では、働くことについてどう言っているでしょうか。イエス・キリストはおっしゃられました。「わたしの父は今もなお働いている。だから、私も働くのだ」(ヨハネ5:17)。主イエスは初め大工として家具などを作っておられました。30歳になってからすべての人を救う活動を始められました。大工であっても、救い主であっても、何かを作り、生み出していった、それが主の御働きであったのです。主イエスの弟子たちも、漁師であったり、医者であったり、パウロのように天幕を作って生計をたてていた人もいて、みな労働の尊さということを知っていました。…こういう人たちと、コヘレトのいう夜心配で眠れない金持ちを比べてみましょう。
この金持ちは、まともな手段で財産を築いたとは考えられません。だいたい他人の財産を自分のものにすることしかしてなかったので、自分にも同じことをされるのではないかと思っておびえてしまうのです。
11節に「働く者の眠りは快い」という言葉があって、きょうの説教題にしました。
神様は、天地創造のわざをなしおえたあと、満足して休まれました。これが人間の労働と休息の根拠となっています。人間も神様と人の前に恥じることのない仕事をして生きているとき、その仕事が祝され、快適な眠りが与えられるのでしょう。まっとうな労働があってこそ、まっとうな休息があります。神は私たちに生きる目的とそれぞれにふさわしい仕事を与えてくれるだけでなく、本当の安らぎをも与えて下さるのです、この神のみことばに聞き従って、私たちも富を愛することから解放される者となりましょう。そういう人が増えてゆくことから、社会をおおう経済的不平等を克服する道も開けるのです。
(祈り)
天の父なる神様。私たちの中に、お金お金と言って、お金に振り回される心
があります。もちろんお金は大切なものですが、お金の奴隷にはなりたくありません。すべて神様が下さったものです。神様に感謝して受け取り、神様が喜ばれる使い方をすることが出来ますように。
神様、私たちはそれぞれいろいろな仕事をしており、退職した人であっても、それぞれの役割が与えられていることを感謝します。どうか、ものを作ることや何であれ人の役に立つことを行うことの上に、ものを消費する以上の喜びを与えて下さい。
神様は私たちが、神様から与えられるものによって人生を楽しむことをお許しになっています。ささやかな私たちの毎日の生活を、神様とイエス様から与えられる喜びで満たして下さい。そして、同じ喜びが、いま苦しみと悩みの中にある、私たちの愛する友の上にもありますようにお願いいたします。
きょうの礼拝で得た恵み、コヘレトが勝ち取った教えにあずかったことを感謝いたします。この祈りを主イエス・キリストのみ名によっておささげいたします。アーメン。
主と共に生きるために エレミヤ8.8~13
テサロニケ一5.1~11(2017年7月30日)
新約聖書には「手紙」の形式で書かれた御言葉が収められておりまして、それが全体の半分近くを占めております。手紙というのは、当然のことながら、それぞれの宛先の個別の事情に対応した内容になっておりますから、そのまま読むだけでは言っていることがよく理解できない部分や、今の時代に当てはめることが適当かどうか、判断の難しい、誤解されやすい部分も含んでおります。
とは言え、私たちは、聖霊の助けを頂いて、それらの一つ一つを、イエス・キリストの証言として、丁寧に読んで、福音のメッセージを受け取りたいと思います。
さて、今日取り上げました「テサロニケの信徒への手紙一」は、パウロの手紙の中では一番早くに書かれたものであると言われておりますが、使徒言行録の16~17章に記事に従って、その執筆事情を見ておきましょう。エルサレム教会で開かれた所謂「使徒会議」で異邦人伝道の方針が決められたんですけれども、この時の決定は、手紙によって、各地の教会に伝えられたということが書かれております。そこでパウロとバルナバは、その手紙を持ってアジア州、つまり今のトルコへ出かけました。
巻末の地図を見てみましょう。8番の「パウロの宣教旅行」というページをご覧下さい。地中海の東の端にありますアンティオキアの町でバルナバと別れまして、代わりにシラスを連れて行くことにしました。このシラスの別名がシルワノですね。それから、リストラという所でテモテと出会います。「テサロニケの信徒への手紙」はこの3人の名で書かれております。
ところが、どういう訳かアジア州での伝道はうまく行かなかったらしいんですね。その時パウロは、助けを求めるマケドニア人の幻を見ます。そういう訳で、一行は海の向こうマケドニア州に渡りますが、ここでいろんな迫害を受けるんですね。まず、フィリピで投獄された上に、町を追放されます。そこで向かったのが、テサロニケだったんですけれども、ここにも、たった3週間しかいられませんでした。パウロを妬むユダヤ人たちが暴動を起こしたからなんですね。一行が次の町、ベレアに移りますと、連中はここにも押しかけてきて群衆を扇動した、と書かれております。そのため、シラスとパウロが残って、パウロだけアテネに向かいます。アテネでは真剣に話を聞く人がほとんどいなくて、結局パウロは、コリントで2人を待つことにしました。その間もテサロニケの信徒のことが気がかりだったパウロは、テモテに様子を見て来てもらったんですが、そのテモテが戻って来た時に書かれたのが、この「テサロニケの信徒への手紙」であります。では、第一テサロニケ3章6節以下をお読みします(朗読)。パウロはテサロニケ教会の人たちをとても心配していましたので、テモテが知らせてくれた吉報を、非常に喜びました。そこで早速、彼はこれをしたためた訳ですね。その時期は大体、紀元50年頃と考えられております。福音書の中で最初に書かれたとされます「マルコによる福音書」が、学者によって意見は異なりますが、紀元70年前後と言われておりますから、この「テサロニケの信徒への手紙」が、新約聖書の中で、最も早い時期に書かれたことになります。
さて、パウロがこの手紙を書きましたのは、ただ単に喜びを伝えたかったため、というのではありません。実は、パウロにはまだ、気がかりなことがありました。3章10節で、彼はこう言っています。「顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています」。あなたたちはもう大丈夫だ、私がいなくても、ちゃんと信仰を堅く守っているから、とは言わないんですね。出来ることならもう一度会いたい、会って直接指導したい、と彼は願っているのであります。しかし、それが叶わないので書いた手紙がこれです。
では何が問題だったんでしょう。それは2つありました。1つは、4章に記されております「神に喜ばれる生活」であります。このテサロニケというのは、マケドニア州の州都で、大変人口も多く、また交通の要衝でありましたから、文化の交流も盛んで、様々な思想にさらされやすい環境でした。そんな中で、異教的な生活に戻ってしまう者もいたと思われます。例えば、4章11節には、「自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」という勧めがありますけれども、これは、その当時のギリシア人に一般的でありました、労働を卑しむ思想、仕事は奴隷にやらせれば良いとする考え方が、背景にあるようです。そのような危険について警告し、なおいっそう、聖なる生活に励むよう、パウロは勧めております。
そして4章13節から今日の箇所5章1~11節に記されておりますのが、もう1つの問題に対するパウロの訓戒であります。その問題とは、終末と再臨についての誤解でした。恐らくパウロは、終末が間近に迫っているのでそれに備えなければならない、という強い信仰をもって伝道活動に勤しんでいたことでしょう。
それを見たテサロニケの一部の信徒が、今日明日にでも主が来られる、いやもう既に来ておられる、などと慌てて考えた挙句、もう終末だから、この世の秩序はご破算だ、何もかも変えられるんだから、今まで通りの生活を続けててもしょうがない、と間違った理解をしてしまった訳です。ほとんどの信徒は、正しい信仰から逸れずに、落ち着いて生活していたものと思われますが、月日が経ち、教会の中で天に召される者が出て来ますとやはり、失望したり、動揺したりする信徒も出て来たのでしょう。そのような信徒たちに、主の日が来るとはどういうことなのか、その時私たちはどう行動すれば良いのか、今一度教え、これまで通り信仰の歩みを続けるよう励ましたのが、先程皆さんと読みました聖句であります。
5章1節は「兄弟たち」という言葉で始まっております。以前の口語訳聖書では「兄弟たちよ」という呼びかけの形で訳されておりましたけれども、パウロの特徴的な言葉遣いですね。テサロニケの信徒への手紙は短いんですけれども、この言葉はたくさん使われておりまして、まるで今、目の前に教会の人たちがいるかのように呼び掛けております。この「兄弟」は当然、男性も女性も含んでいると考えて良いでしょう。私たちは皆、神の御子イエス・キリストを長男として、天の父なる神の家族とされた兄弟姉妹ではないか、と彼は言うのです。
ところで、終末に関する誤解で最も多いのは、その時期が正確に分かる、というものであります。ここでパウロは、テサロニケの人たちを諭すのではなく、むしろ彼らを信頼してこのように言います。「その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません」。この「時と時期」というのは、ギリシア語でクロノスとカイロスと言いますが、時計で測ったり単位で表せるような計測可能な「時」がクロノス、クロノロジーとか、シンクロするとか、アナクロニズムとかの語源になっております。カイロスの方は機会、チャンスの意味で使われる言葉です。主の日が何年何月何日に来るか、というクロノスも、どんな機会に訪れるかというカイロスも、どちらも知ることは出来ません。使徒言行録1章7節には主イエスの仰ったこんな御言葉があります。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」。ここで使われているのもクロノスとカイロスです。
しかし、主の日がどんな風に来るか、ということを私たちは知っています。それは突然来るのです。これは既に、主イエスが教えて下さったことです。例えば、マタイによる福音書24章で、主イエスはこう仰いました。「家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」。今日の箇所で言われていることも、大体これと同じ内容であると言って良いかと思います。ただ一つ違っているのは、語りかけられた相手である、テサロニケの教会の人たちは、もうこの教えを充分に理解している、ということです。ですからパウロはこう言います。「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです」。
3節以下でパウロは、終末に関する正しい教えを理解している人と、理解していない人を対比させながら、話を進めます。「人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません」。この「無事だ。安全だ」というのは、同じことを繰り返して言っているように聞こえますけれども、実はこれで一つの熟語なんですね。ギリシア語で言いますと「エイレーネー・カイ・アスファレイア」となりまして、「平和と安全」を意味しています。この言葉は、当時のローマ帝国のスローガンであったとされています。ローマ人の言語であるラテン語で言いますと、「パークス・エト・セクリタース」、英語では「ピース&セキュリティー」となりますけれども、ローマ帝国の支配のあり方をよく表しております。「パークス」というのはローマ神話の平和の女神でありまして、ギリシア神話では、ゼウスの娘エイレーネーとなります。要するに、神々によって守られた平和ということですけど、実際には、武力によって保たれた偽の平和でありました。ローマ帝国に滅ぼされたケルト人の族長は「ローマ人は廃墟を作ってそこを平和と呼ぶ」と言い残しております。そしてもう一つの「セクリタース」は、ギリシア語では「アスファレイア」と訳されておりますが、この言葉は「躓きがない」という意味がありまして、道路に躓きがないように砂利を固めるのが、アスファルトですね。そのアスファルトの語源になっております。創世記によりますと、バベルの塔は、煉瓦をアスファルトでくっつけて建てられたそうですけれども、ローマ帝国もそのような公共工事を盛んに行いました。「全ての道はローマに通ず」という諺がありますね。その通り、ローマを起点に交通網が発達しましたけれども、
これは、そもそも、生活を便利にするためではなくて戦車を走らせるためだったと言われています。どこかで反乱が起これば、ローマ軍がすぐに駆けつけて鎮圧します。そのために、石畳のアッピア街道などが整備された訳です。かの有名な「スパルタクスの乱」の際には、捕えられた反乱者たちは、街道沿いに立てられた十字架に架けられ、さらし者にされたと言います。ですからここで言う「安全」とは、単なる安全と言うよりはむしろ、安全保障、安保でありまして、「ピース&セキュリティー」の内実は「フォース&セキュリティー」であったと言えましょう。それは、帝国の秩序を脅かす敵に対して、容赦ない姿勢を示す言葉でありました。
そしてパウロは、このような偽の平和に酔っている、この世の人たちを、突然、破滅が襲うのだと言います。パウロは、例えばロマ書13章で、支配者への従順を説いていますから、帝国の支配を単純に肯定していたと誤解する人もいますけれども、そうではないんですね。彼は、この支配が一時的で、脆いものであると知っていました。それは何も、ローマ市民だったからとか、広く旅行していたので、帝国の内情をよく観察していたからとか、そういう理由ではありません。彼は聖書をきちんと学んでおりましたから、エレミヤ書の「彼らは、おとめなるわが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに『平和、平和』と言う」という預言をよく知っていたでしょう。だから彼は、平和についての鋭い感覚と高い意識を持ち合わせていた、と見ることも出来ます。しかし決定的なのは、主こそが平和の源であって、主が来られる時こそ、本当の平和が実現する時であるということを、彼が信じていたという点です。ヨハネによる福音書の14章27節に、次のような主イエスの御言葉があります。「わたしは、平和をあながたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」。この世の与える平和と主イエスが与えて下さる平和は別のものである、という真理を私たちは知る必要がありますし、当然パウロもそれを知っていました。
主を信じない者にとって主の日が来ることは、夜の暗闇の中で、酒に酔っている間に突然、盗人に襲われるようなものです。イザヤ書13章6節では「泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊する者を送られる」と預言されていますし、アモス書5章18節では「災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない」と警告されています。しかし、パウロが言うように、私たちは暗闇にいるのではなく、光の子、昼の子ですから、突然襲われることはありません。注意していただきたいのは、彼はここで「光の子、昼の子」になりなさい、と言っている訳ではない、ということです。あなたがたは既にそういう者だから、それに相応しく行動しましょう、と彼は言っているんですね。
そこで彼は主の日がいつ来ても良いように備えを勧めています。「しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」。ここでは有名な「信仰・希望・愛」の三つ組が登場します。第一コリント書13章で「いつまでも残る」大切なものとして挙げられている三つですけれども、皆さんお気づきでしょうか。順番が違うんです。ここでは信仰・愛・希望となっています。三つ組の最後に一番重要なものを持って来ることによって強調している訳です。つまり、再臨の遅延(キリストが再びおいでになる日が遅れているように感じられる)の問題で動揺していたテサロニケ教会の人たちに、「希望」を失わないことが大切ですよ、と示している訳です。とは言え、私たちはこの3つの武具を、一体どうやって身に着けたらいいのか、気になりますね。ところが、この5章8節を直訳しますと、「私たちは昼であって、信仰と愛の胸当てを着け、救いの希望の兜を被っているのですから、素面でいましょう」となるんですね。もう私たちは身に着けているんです!なぜそんなことが言えるんでしょうか。イザヤ書の59章には「主は恵みの御業を鎧としてまとい/救いを兜としてかぶり」という言葉があります。つまり、恵みの御業として与えられた救いというのは本来、主御自身が身に着けておられる武具なんです。ですから、この武具は主なる神のものであって、神が私たちにそれを、恵みとして与え、着せて下さっているということです。神はまず私たちに先立って霊の戦いを戦ってくださり、私たちを脅かす悪魔の刃を砕き、罪の力を滅ぼしてくださいました。さらにその後、既に武装解除された残りの敵と戦うために、私たちにその武具を預けてくださったのです。パウロにはその確信がありましたから、例えばロマ書13章では「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」と語っていますし、第二コリント書10章では「わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります」と語っているのです。そしてこの言葉に続く9節はその理由になっております。「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、
わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです」。神は私たちを必ず救うと決意なさいましたから、私たちが躓くことのないように、信仰と愛、そして希望を与えてくださっているのです。
そして10節では、救いの秘儀が明らかになります。「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」。ここで注意していただきたいのは「目覚めていても眠っていても」という言葉です。ここで使われている「目覚めている」「眠っている」という言葉は、6節で使われているのと全く同じ言葉なんですが、意味は全然違います。6節でパウロが語るのは「眠っている」不信仰者のようにならずに「目覚めて」終末に備えなさい、という倫理的な勧めですけども、10節の「目覚めていても眠っていても」というのは、「生きていても死んでいても」の意味です。これはロマ書14章8節でパウロが語っている「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」というのと同じメッセージです。ですからここでは、同じ言葉に2つの意味を持たせながら核心に迫る書き方をしている訳です。「先に眠りについた人たちもまた、私たちと同じように、主に結ばれていますから、安心して下さい。そのためにこそ、主は死んで下さったんですから」。そうパウロは言いますけれども、よく読むとこれは凄いことです。彼は、主イエスは「眠っている」と言わず、「死なれた」と言います。でも、キリスト者は決して死ぬとは言われません。これは4章の13~14節でも同じですね(朗読)。
つまり、キリストは罪の報酬である死の恐ろしさを耐え忍び、そのことによって、御自分に従う者たちのために、死を眠りへと変えて下さった、ということなんです。誰も打ち負かすことの出来ない最大の敵である死を、主イエスが、十字架の上で滅ぼして下さったので、今やキリスト者にとって、死は眠りに過ぎません。それが、「主は、私たちのために死なれた」の意味であります。
このことを理由として、11節では、最後の勧めが述べられます。「ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」。励まし合うことは、今日の箇所の直前でも勧められています。14章17~18節でパウロはこう書いています。「このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい」。目覚めている者も眠っている者も、復活するのが先になるか後になるかの違いはあっても、私たちは皆キリストに結ばれているのだから大丈夫だ、安心しなさい、先に召された人も救いに与っているし、私たちも決して取り残されたのではない、と言って互いに励まし合おうと呼びかけているのです。
そしてパウロは続けて「お互いの向上に心がけなさい」と勧めます。これを直訳しますと、「一人が一人を建て上げ続けなさい」となります。「家を建てる」という意味の言葉が使われておりまして、聖書では「教会を建てる」意味でも使われています。口語訳では「相互の徳を高めなさい」となっておりましたけれども、徳を高めるという精神修養的なニュアンスはありません。第一コリント書3章9節を御覧下さい。「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」と書かれています。更にエフェソ書2章21~22節には「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです」と書かれています。神の宮となるために創造され、神の住まいとなるために召されている私たちは、終わりの日に備えて互いに励まし合い、しっかりと組み合わされて、成長していきます。パウロは、あなたがたはそういう者になりなさい、と命じているのではありません。「現にそうしているように」これからもそうし続けなさい、と勧めているのです。なぜならば、互いに励まし合うことは、私たちの内に宿る聖霊の御業だからです。主の霊が私たちの中で働いてくださっているからこそ、私たちは、先の見えない夜の暗闇ではなく、主の光の中を歩んでいます。私たちが進む道の先には、主イエス・キリストがおられます。私たちが身を慎み、励まし合っているのは、主と共に生きるために他なりません。不安や恐れに囚われていた頃、私たちは互いを信頼することが出来ず、争いを繰り返していましたが、未来に確かな希望の光を見ることが許された今は、愛をもって仕え合う者となりました。神が、御子イエス・キリストの十字架によって、逆らい続ける私たちの罪を赦し、神と人との間に真の和解をもたらしてくださいましたから、私たちの間にも本当の平和がもたらされたのです。
皆さん、終末が来るのはいつか、私たちは知りませんけれども、誰がその時にいらっしゃるのかを知っています。再びおいでになる主を待ち望んで、主と共に生きる生活を続けて行きたいと思います。
していたことは、イエス様自身を迫害することだ言うのです。…しかも、その声が天から聞こえ、「主よ、あなたはどなたですか」の問いに対する答えが「わたしは、イエスである」ということはですね、サウロにとって十字架にかけられて死んだ犯罪人のイエスがいま天におられて、天の神と同じ権威をもっておられることを示しています。つまりサウロは、死んだけれども復活して、いま天におられるキリストと出会ったのです。
このことは、イエス様が偽のメシアなどでは絶対にないことを示しています。サウロは、それまで神様のためだと信じて、人生をかけて行ってきたことが間違いであり、神に敵対することであり、かえって自分が迫害していたクリスチャンの方が正しかったことを知らされたのです。
それでは神に敵対した人間に対して、神はどうなさるでしょうか。普通に考えられることは、神はその人間を滅ぼしてしまわれるということです。では、天からサウロに語りかけられたイエス・キリストは、「お前は神の敵で、罪は万死に値する者だから、滅びてしまえ」とおっしゃったのでしょうか。そうではありませんね。「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」とおっしゃったのです。イエス様はサウロにこのあとなすべきことを示して下さいました。それが、サウロを復活のキリストの証人として世界に遣わすことです。使徒言行録26章には、この時のイエス様の言葉がもっと詳しく記録されていますが、おいおい学んで行くことにしましょう。
イエス・キリストがご自分を迫害したサウロを滅ぼしてしまうことなく、伝道者として世界各地に派遣するためには、まずサウロの罪が赦されるということが前提になります。もちろんこれは、ご自分の十字架に免じてということです。これはサウロ自身にとってたいへんに大きな意味を持っていることにちがいありません。
復活されたイエス・キリストに出会って大きな衝撃を受けたサウロは、起き上がることは出来たものの、ものも言えず、目を開けても何も見えません。まるで死人のような状態でした。エルサレムを出発した時の、クリスチャンを脅迫し、殺そうと意気込んでいた姿はもはやどこにもありませんでした。
回心ということは、よく方向転換だと言われます。つまり、人はそれまで神ならざるものに心を向け、心をあずけていたわけですが、それが180度転換して真実の神に向かう、それが回心だとされます。これはもちろんその通りなのですが、もう一つ大切なことがあります。サウロの状態が象徴的に示していること。つまり古い自分が死んでしまうということです。古いサウロ、これが神様のためだと信じてクリスチャンを迫害していたサウロは、キリストに出会うことでいわば死んでしまったのですが、そこから彼の全く新しい人生が始まります。
…仮に古いままの自分が残っていたとしたら新しい人生はなかったのですが、キリストがその古いものを滅ぼしてしまわれたのです。
皆さんの中にも、イエス・キリストが現れて、それまでの古い自分、例えば他の神々に心引かれる自分、罪を重ねても何とも思わぬ自分が打ち砕かれ、それこそ死んだようになったり、今それを経験している人もいるでしょう。そういうことなしに新しい人生の出発はありません。その体験は、サウロのように劇的な形で起こるとは限りません。傍目から見たら、昨日も今日も全然変わらないように見えるのかもしれませんが。しかし、古い人間の死と新しい人生への出発は、内面の深いところで確実に起こっている出来事なのです。
(祈り)
世界の主である天の父なる神様。
今日、パウロの回心の出来事を学び、これがパウロだけの特殊な出来事ではなく、万人に共通に起こり得る出来事であることを知ることにしましたとが出来ました。パウロはそのことを集中的、典型的な形で体験しただけです。サウロが体験した恵みが、また私たちが体験する恵みにもなってゆきますように。
私たちは誰も、古い自分を捨て、キリストを信じて新しい人生の道を歩んでいる者たちのはずです。ところが、時々、信仰のなかった時分の古い自分の生き方に引っ張られることがあります。古い自分を捨て切れなかったためで、このことを懺悔いたしす。…神様が導かれる道は、いっけん苦しそうに見えますが、しかしここにこそ本当の喜びと希望があることを信じつつ、歩む者として下さい。
神様、今日は72年目になる広島の原爆記念日、原爆の惨状を思い起こし、平和な世界を祈り求める日です。どうか日本と世界の国々が、軍事力によって世界に君臨しようとする思いから解放され、共に平和な世界を担っていく決意を固めることが出来ますよう、導いて下さい。そのためにも戦争へ戦争へと向かっていく人間たちの愚かな心を滅ぼし、これを死なせて、ただ平和を愛する神様のみこころが地に実現することを願う者として下さい。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
キリストにとらえられる
詩編71:20、使徒9:1~9 2017.8.6
キリスト教の2000年の歴史の中には、劇的な回心を経て信仰者になった人たちが少なくありません。キリスト教の敵対者から転じた人物としては、パウロ以外では内村鑑三の例があります。この人の場合、当初キリスト教に激しく抵抗し、神社の前で異国の神をうちはらいたまえと祈ったにもかかわらず、「イエスを信ずる者の契約」に半ば強制的に署名させられ、その時からたちまち熱心な信徒になっています。
もともと信仰を持っていた人の回心としましては、イギリスの著名な伝道者ジョン・ウェスレーの場合、集会の中でルターが書いたものが朗読されているのを聞いて、突然の回心をしたということです。1738年5月24日、夜9時15分頃と、その時間までわかっています。
私が中国で手に入れた本の中に、北京の神学校で出した証しの本があり、そこに劉静という女性の神学生が書いたものが、とても印象深かったので紹介いたします。
「私は1983年から信仰生活に入りましたが、当時伝道者が語っていた『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない』(ヨハネ3:3)ということが少しもわかりませんでした。しかし91年4月26日の晩、神の霊が私を感動させたのです。
主の前にひざまずいて私の霊的な目を開いて下さいと祈っていたとき、マタイ6:33、「何よりも、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」が私を感動させました。聖霊が私を責めると、慚愧の念にとらわれ、主の前に伏しました。まるで映画のように、以前犯した罪の一つひとつが頭に浮かんできて、私は自分のしたこと一切のために慟哭したのです。
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる」(イザヤ1:18)、「神の求められるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」(詩編51:19)。…神の言葉がもう一度私に届いたとき、私は自分の罪が主によって清くされたことを知りました。私が立ち上がったとき、主の霊は私を満たしており、心はこの上なく甘く、限りない喜びに満ち、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようで、私は自分がすでに神の生命に属していることを知りました。」
彼女はさらに伝道について、こう書いていました。「神の道は生命の道、神は永遠の生命です。私たちの伝道は生命でもって生命を伝え、聞く人に生命を得させるのです。教会の中で、伝道者の説教に生命の力が欠けているのを見ることがありますが残念なことです。私たちに神のあふれる生命があって、幾多のかわいた心に生命を得させることが出来ますように。
それこそが伝道であり、『人間をとる漁師』なのです。それゆえ私たちは、新生の後も、私たちの中にある生命がさらに豊かになるよう努めなければなりません。」
(「福音見証集」燕京神学院発行、1998年より。井上豊訳)
このような体験が出来るのは素晴らしいことです。ただ、こういう体験がないからと言って、信仰者として不充分ということではありません。私自身、このような体験がなくて、羨ましいと思う気持ちがないとはいえませんが、劇的な回心だけがすべてではないのです。例えばジャン・カルヴァンの伝記を調べてみても、ドラマになるような劇的な回心は見つかりません。…カルヴァン先生でもそうだったのかということではありません。…劇的な回心をするよりも、そこで何が起こったかということの方が大事です。
瞬間的な、劇的な回心をする人がいる一方、年十年もの長い長い期間をかけて回心する人もいます。要するに長いか短いかの違いなのです。
さて、本題のパウロの回心に入ります。ここではサウロと書いてありますが、サウロがのちパウロに改名したのではありません。ユダヤ人としての名前はサウロ、ギリシア風に言うとパウロになります。今日のところではサウロと呼ぶことにします。
サウロが聖書で初めて登場するのはステファノが殉教の死をとげるところです。使徒言行録7章58節、人々がステファノに向かって石を投げる時に、「自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた」、8章1節では「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」と書いてありまして、サウロがステファノの殺害を支え、助けていたことが見てとれます。
今日の箇所とつながるのは8章2節です。「サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」
サウロの前半生については、聖書の他の箇所でサウロ本人が説明しています。サウロはタルソスという所で生まれたユダヤ人で、律法学者ガマリエルのもとで厳しい教育を受け、律法をかたく守って生活していた人です。ですから彼がキリスト教会を迫害したのは、単にクリスチャンが嫌いだというような感情的な理由によるのではなく、もっと真剣なもの、彼なりの使命感に基づいたものでありました。サウロにとってイエスという存在は、にせのメシアで、神を冒涜し、その当然の結果として十字架にかけられたのです。クリスチャンもまたこの人物を信じることで神を冒涜する者たちであるから、地上から根絶やしにされなければなりません、そのことが神のみこころに従う道だったのです。
サウロはここで満を持して、ダマスコに行こうとします。ダマスコとは今シリアの首都であるダマスカス、アブラハムの時代からその名が知られていた古い都市でした。
もともとユダヤ人の多い都市で、エルサレムで迫害されたクリスチャンが多数ここに逃れていったものと思われます。サウロはダマスコに向かうにあたって、大祭司のところに行って手紙をもらってきました。ユダヤ人のサウロが、ユダヤ以外のところに出かけて、勝手にクリスチャンを脅迫したり、殺したりすることは出来ないので、法に抵触することがないよう特別の許可をもらったのです。
こうしてサウロは同志たちと共に出発します。エルサレムから210キロも離れたダマスコまで、クリスチャンを追いかけて行こうとするのは、並々ならぬ決心であると言わなければなりません。
道中馬に乗っていたのか、歩いて行ったのかはわかりませんが、一行がダマスコに近づいた時、誰もがまったく予想もしなかったことが起こりました。
突然、天からの光がサウロのまわりを照らし、彼は地に倒れました。…この天からの光について、サウロはのちに26章13節でこう語っています。「真昼のことです。…私は天からの光を見たのです。それは太陽よりも明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました。」
天からの光が照らすとは、神の栄光がサウロに示されたことを意味します。神の栄光に出会う時、人はその輝きを直視することが出来ません。イエス様が誕生された晩、天使が羊飼いの前に現れ、主の栄光が照らしたので彼らは非常に恐れたと書いてあります。普通の人間でもそうであるのに、まして神の子キリストの教会を迫害していたサウロが神の栄光を仰ぎ見ることが出来るはずはありません。サウロも同行した者たちも倒れてしまいました。
するとその時、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声が聞こえてきました。サウルとはサウロの古い読み方です。…この声は7節によると同行していた人にも聞こえたということですが、22章9節には「一緒にいた人々は、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした」と矛盾するようなことが書いてあって、何があったのか実態は不明です。…その声は何よりサウロただひとりに向けて語られた言葉でした。
サウロは「主よ、あなたはどなたですか」と答えます。主とは「主なる神」ということではないかと思われます。つまりサウロは、いま自分が体験している出来事の中に神の出現を見たのですが、これに対する天からの答えが「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」でありました。…これがサウロにとってどれほど大きな衝撃であったか、想像してみて下さい。
サウロはイエス様の死に、直接立ち会っていなかったと思われます。「十字架につけろ」と叫んだわけでもなかったでしょう。しかし、声の主は、イエス様をキリストと信じ、従っているクリスチャンを神に背く者たちと考えて迫害
キリストの名を宣べ伝えるということは、キリストの名のために苦しむことでもあるのです。
サウロは、のちに自分が伝道者として受けた苦しみをふりかえって、こう書いています。第二コリント書11章23節から28節:「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目にあったことも度々でした。…一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」
どの一つをとってみても大変なことですが、サウロはこれらの体験を自慢したいがために列挙したのではありません。サウロはまた、これとは別に、精神的な苦しみも体験することになります。以前、律法を忠実に守ることによって救いを獲得しようとしていたサウロは、こうした信仰に行き詰まることになります。ロマ書には「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(7:24)という言葉が残されています。少しずつ学んで行きたいと思います。サウロは耐え難い苦しみを体験しました。しかしながら、それをおおって余りある喜びが与えられることになります。神はサウロをキリストの名のために苦しむ者とされましたが、それはまたキリストの喜びへとつながっているのです。
主イエスの御心を理解したアナニアは、ただちにサウロが滞在していた家に向かって、命じられたことを行いました。17節:「そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』」アナニアは主イエスが委託された通りのことを行いました。そこに私情をさしはさんだところは全くありません。アナニアの身になって考えると、自分たちの敵であったサウロと会い、彼の頭に手を置くのがどれほど難しかったか想像するに難くないのですが、彼はみこころに従うことを貫いたのです。
この時、サウロの目からうろこのようなものが落ち、元通り見えるようになりました。「目からうろこが落ちる」、うろことはそれまでの、キリスト以外のものに心を奪われていたサウロに違いありません。これが落っこちて、キリストから注がれる命によって復活したサウロだからこそ、洗礼を受けてクリスチャンになることが出来たのでした。サウロは洗礼によって
キリストと一体となりキリストの死と復活にあずかることになります。すなわちキリストと共に死に、キリストと共に生きる者となったのです。
サウロのことあとの歩みを学んでいるうちにわかることですが、いくらサウロであってもこの時から急に、主にあって完全な人間になったのではありません。まだまだ試行錯誤の人生は続くのです。しかし、壮絶な体験を経て、この時決定的な一歩が踏み出されました。もはや後戻りすることはありえません。
サウロにとっての信仰の出発点は、まさしく私たち皆にとっても信仰の出発点です。ただし、まだ目の中のうろこをぶらさげている人がいないともかぎりません。誰でもキリストの光に照らされた時、それまで心の中をとらえていたさまざまな妄念とか欲にかられた思いが取り去られ、それまで見えてこなかったことが見えてきますように。私たちそれぞれ、もはやうしろを振り返ることなく、自分がキリストのものとなった恵みの中で、前に向かって邁進して行く者となりたいものです。
(祈り)
恵み深い天の父なる神様。ヨナは嵐の海に投げ込まれ、サウロは天からの光によって地に倒されましたが、彼らがその中で、祈ることをもって神様のみこころを自分のものとし、立ち上がって全く新しい人間となって出発できました。ここに、そのことを喜ぶ私たちがいます。
人が神様に逆らって生きている時、目を喜ばせ、舌とお腹を喜ばせ、自分が人からたたえられることをどれほど追い求めていたことでしょうか。そんな時、教会で教えられていることは退屈な話にしか思えないのです。しかし、それまでわからなかったことがわかる日、目からうろこが落ちる時が来ます。ヨナやサウロはそのことを苦痛に満ちた体験を通して獲得したのですが、私たちがそれほどのことを体験せずとも、イエス様によって同じ恵みへと招かれていることを感謝いたします。
神様、私たちはみな厳しく、せちがらい世の中で生きていかなければなりません。ともすると目先のことしか見えてこないのですが、どうかイエス様ならこんな時どうなさるか、何をおっしゃるかということを考えつつ日々を歩んでいく者でありますように。聖霊による導きをお願いいたします。救いは、わたしたちにとっての大きな岩であり、砦であられる神様とイエス様のもとにあるからです。
神様、いま広島長束教会には老齢の者、病に苦しむ者がおります。どうか顧みて下さい。一人ひとりがそれぞれの場で神様に捧げる祈りを聞き届けて下さいますように。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
目からうろこが落ちる
詩編71:1~3、使徒9:9~19a 2017.8.13
今日のお話は、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」というところから始まります。十字架にかけられて死んだイエスを信じる者たちを脅迫し、殺そうと意気込んでエルサレムを出発したサウロは、ダマスコに近づいた時、突然天からの光を受けて、地に倒れました。そこで「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」というイエス・キリストの声を聞いたのです。サウロは地面から起き上がって目を開けましたが、何も見えません。サウロに同行していた人々は、彼の手を引いてダマスコに連れて行きました。サウロはそのまま三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしませんでした。彼は深い闇の中にいたのです。
私はここで預言者ヨナについて取り上げてみたいと思います。皆さんはサウロとヨナを結びつけることが出来るでしょうか。…ヨナはご存じの通り、神様に背き、神様から逃げ出そうとして船に乗ったところ大嵐に遭遇して、海に投げ込まれ、三日三晩巨大な魚の腹の中で過ごしました。
ヨナは魚の腹の中でこう祈っています。「苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。」
ヨナが海に投げ込まれ、波また波が彼の上を越えて行き、まさに深淵に呑み込まれようとする時、神は魚に命じて彼を呑み込ませられました。ヨナはその場所から神をたたえ、その祈りは「救いは主にこそある」という言葉で結ばれています。ヨナが体験したこととは、神の怒りを受けて、古いヨナがうち倒されたということです。その中で彼は祈っています。神はその様子をご覧になって、ヨナを魚の腹の中から救い出し、新たな使命を与えるのですが、そうしたことを踏まえた上でサウロの体験をみてみましょう。
地に打ち倒されたサウロが、天から語りかける声に向かって「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねた時、帰ってきた答えは「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」というものでした。このことはサウロにとって、まさに天地がひっくり返るような体験だったにちがいありません。神を冒涜する者として処刑されたイエスが、いま生ける神として語りかけてきたからです。サウロはここで、自分がこれまで神様のためだと信じて人生をかけて行ってきたことが、神様のためどころか、むしろ神様に敵対する行いだったことを知ったのです。目が見えなくなり、食べることも飲むことも出来なくなったサウロは、三日間どうしていたか、神は11節で「今、彼は祈っている」とおっしゃっています。
それはまるで、魚の腹の中で祈っているヨナに重なる姿です。サウロは深い闇の中で、この先いったいどう生きていったらよいか、自分の人生をどうしていこうか、暗中模索の状態でひたすら神の導きを求めていたのです。
今ここにいる皆さんの中にも、何かのことで完全に行き詰まり、闇の中で祈って道を切り開いた人がいるかもしれませんし、また現在そういう状態の人もいるかもしれません。ヨナとサウロが体験したことは、多くの人が程度の差はあっても体験することを、集中的に現しているのです。
サウロは三日間何を祈っていたのでしょうか。これはヨナとは違って記録されていないのが残念ですが、そこで何があったかおおよそのことは想像できます。
それまでイエス様に反対していたサウロは、生けるキリストとの出会いを体験して、言葉にならない衝撃を受けました。そこで次に来ることは、自分の犯した罪におののくことです。サウロがそれまで行ってきたことについて、彼自身が使徒言行録22章4節でこう証言しています。「わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」過去のこういう悪事がすべてサウロの前に迫ってきたのは間違いありません。
詩編130編は言います。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。…あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。」サウロはこのことを体験したのです。特に犯罪を犯したわけでもない一般の人でも、主なる神のみ前に立てば耐えることが出来ませんが、ましてクリスチャンを迫害してきたサウロならなおさらです。…しかも主イエスは「なぜ、わたしの弟子たちを迫害したのか」ではなく、「なぜ、わたしを迫害したのか」と言われたのです。サウロが直面したのは、欠点を改めたら正しい道に立ち返ることが出来るというようなことではありません。自分の罪はもはや自分で償うことが出来ないほど大きく、神様がそれを数え上げられたら、もはや自分は生きるすべがなく、神様の前に滅ぼされずにおられない、…ということでありました。
しかし、真っ暗闇の中に一条の光が差し込んでいました。殺されたけれどもいま生きておられる主イエスはサウロに「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と語って下さいました。ダマスコの町に入れ、あなたにはなおなすべき務めがあると。神の激しい怒りを受けても当然のサウロがこんな言葉を聞いて、すぐに悟ることが出来たとは思えません。おそらくこの時は混乱状態で、何がなんだかわからなかったのではないかと思います。
私たちでも、重大な失敗をしたり、また激しく叱責された時に、慰めの言葉をかけられても混乱してしまい、そこで起こったことを筋道立
てて考えるまでには時間を要するでしょう。サウロも同じで、神様に滅ぼされてしまうという恐怖と、それでも救いの道が用意されているというかすかな希望の中で心が揺れ動いたまま、祈ることで神様の助けを求めつつ、三日間「あなたのなすべきことが知らされる」ということを待ち続けていたのです。そしてその間(かん)のどの時点になるかわかりませんが、サウロに幻が与えられました。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるという…。
アナニアはずっと以前から、ダマスコの町に住んでいた人のようです。イエス様の弟子でありました。アナニアはすでにサウロがダマスコに来ることは聞いており、教会のために深く憂いていましたが、サウロの身に起こったことは知りませんでした。ダマスコでは、そのことは関係者以外知らされなかったのかもしれません。
アナニアに、主が、つまりイエス様が幻の中で現われたのはサウロに大変な事件があってから三日目でありました。「立って『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。」
これを聞いたアナニアは言いました。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」…アナニアが驚くのももっともです。神がサウロのそのような残虐行為を見逃したもうはずはありません。しかし主のお答えはアナニアも、そしてどんな人間の思いをもはるかに超えるものでした。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるに、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう。」
ここに、「わたしの名のために」という言葉がありますが、これとほぼ同じ言葉がアナニアの言葉に出てきています。アナニアが、「ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」と言ったのに対し、主は「わたしの名のために…」と言われたのです。御名、そしてわたしの名、すなわちイエス・キリストという名は、ただそういう名前の存在があるということではありません。私たちはその名が、生まれつき足の不自由な人を立ち上がらせたこと、足が直っただけでなくイエス様を信じる者とさせたことをすでに学んでいます。
「わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないか」というのは、これからのサウロの歩みが、それまでとは比較にならないほど苦難に満ちたものとなることを示しています。
空しさのきわみから
コヘレト6:1~12、へブル3:12~13 2017.8.27
コヘレトの言葉という書物は、これをパラパラとめくってみるだけの人にとりましては、重くて暗い文章がえんえんと続いているだけのものにしか思えないでしょう。けれども、これを注意深く読んでゆきますと、全体が同じ調子ではないことに気づくのです。そこには、確かに重くて暗い言葉が目につきますが、しかし読者を絶望させることがこれを書いた人の目的ではありません。絶望を突き抜けたところにある希望こそがコヘレトが求めていることなのです。実際、次回以降に学ぶことになる7章からは、明るい言葉が目立ってくるようです。きょうの6章は、これまで読んできました1章から5章までの部分の総まとめのようなところです。心が重くなるようなところがあっても、そこから明るい世界に入るための道筋を見つけてまいりましょう。
コヘレトが再び、この世のあり様を見渡した時、一人の人が目に入りました。この人はお金持ちでした。そればかりでなくそこに名誉が伴っていたので、自分の望むものはなんでも手に入れることが出来ました。…このようなタイプの人は、これを全部自分の力によって手に入れたように思っていることが多いのですが、実際には、「神は富、財宝、名誉を与え」と書いてあるように、それらは神からの贈り物であったのです。
神はこの人の命を取り去られました。おそらく、本人にとって思いもかけない時にその瞬間が来てしまったのでしょう。
死が現実となって訪れるまでは、この人は自分を幸せだと思っていたことでしょう。しかし、死んでしまった今となっては、この人の一生は何であったのかという思いを禁じえないのです。…というのは、その人の富も財宝も名誉も「他人」の手に渡ってしまったからです。その人が自分の後継者にと期待した、自分にもっとも近い人ではなく、全く別の人のものになってしまったのです。…たくさんの財産も名誉も、誰かに取られてしまうという危険にさらされています。このお金持ちが持っていたものは、この人の死後、家族の手からもすべり落ちてしまいました。もしもこの人が、生前に未来のことを見ることが出来て、自分なりに一生懸命努力して獲得したすべてのものが、自分の死後、そっくりそのままよそ者に取られてしまうことがわかったとしたら、このままでは大変だと、なんらかの方向転換を図ったと思うのですが、その機会はありませんでした。…言い換えますと、真実が明らかにされる時に方向転換せざるをえない生き方を続けていることが、空しく、大いに不幸なことだと言うのです。
コヘレトは次に、長生きをし、たくさんの子供を持つ人について書いています。「人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら、…」。
古代イスラエルの人たちは、長寿と子だくさんは神の特別な恵みだと考えていました。これは古今東西に共通する考えです。しかしコヘレトは、そんなことは本当の人生の幸せとは関係がないと言うのです。
もしも長生きしながら財産に満足もせず、…心が満たされることがなかったら、…「死んで葬儀もしてもらえなかったなら」、死んだ時嘆き悲しむ者もないほどならということですが、…流産の子の方が幸せだ。…これはたいへんショッキングな言い方です。流産の子は、4節に書いてありますように、「空しく生まれ、闇の中に去り、その名は闇に隠される。太陽の光を見ることも知ることもない」。その子は人生を経験することがありませんし、この世のことを何も知りません。ところがコヘレトは、そのような子の方が、千年の長寿を2度繰り返すよりももっと良いのだと言うのです。
どんなに長く生きることが出来たとしても、心が満たされない人生ならば空しい、生まれて来なかった子の方がはるかに良い。…それはなぜか、人は何もかもが空しいこの世にあって、罪に悩み、傷つきあって生きていかなければならないからです。それに比べ、流産の子の方は安らかです。人生の悩みと苦しみを何一つ知らないのですから。
結局のところは、誰も彼もが死んでゆきます。すべてのものは同じひとつのところに行くのです。長生きをしても、流産で死んでしまっても、要するにみんな死んでしまうわけですから。だとすれば、長生きしながらも心が満たされないまま人生を過ごした人間より、太陽の光を見ることなく死んだ流産の子の方がまだましだということになりはしませんか。
死の問題こそいちばん重大な問題です。人生というものは死の問題が解決されない限り、どれほど長生きしたとしても、生まれる前に死んでしまったとしても、結局は空しさの中、闇の中に消え去るものでしかありません。
コヘレトはさらに言葉を続けます。「人の労苦はすべて口のためだが、それでも食欲は満たされない」。
人は食べるために労苦します。それなら、働いて必要最低限のものが手に入ればそれで良いはずですが、それで満足するということにはなかなかなりません。たいていはもっとうまいものを食べたい、もっとたくさん食べたいということになります。コヘレトが言うところの「口」とは、さらに人間の欲望を表すものだと考えることが出来ます。
人が労苦するのは、ただうまいものを食うためということにとどまりません。人はあらゆる方面で快適さを求めます。自分の欲望を満たすことをとことんまで追求しますが、そこには終わりというものがなく、自分の気持ちが完全に満たされることはありません。
金持ちは、欲望が満たされることを求めて、さらにお金をもうけようとしますが、それでいて心の深いところが満たされるわけではありません。そのような人のことを、主イエスは愚かな金持ちという話で語っています。畑が豊作で大喜びの金持ちに向かって、神は言われました。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」(ルカ12:13~21)。…ただ、こういう愚かな人は金持ちだけに限りません。貧しい人の中にもやはり愚かな人はいます。その人が欲望の充足ばかりを求めて生きているのなら、結局はあの愚かな金持ちと大差ないことになってしまうでしょう。
食べるため、欲望を満たすために費やされる人生、しかしながら望んでいたことがすべて満たされて満足する人はいません。…長寿と子だくさんと、財産と名誉に恵まれて、傍目からはどんなに幸せに見える人でも、最後の瞬間にしまった、自分はだまされていたと気がつくのです。…結局は望みのものは手に入りませんし、それを得るために費やされた時間が戻ってくることはなく、無念の思いをいだきながらしぶしぶ世を去るのでしかないとすると、人生とはやはり空しく、風を追うようなことではないでしょうか。
こうしてみますと、皆さんが、コヘレトの言葉を読めば読むほど空しい気持ちになったとしましても当然だと思います。コヘレトは人間が欲望の充足を求めて行うあらゆることについて、それがむだであって、何の役にも立たないことを示すのです。人は誰しも幸福を求めていますが、それをつかみとることの出来る人はいません。12節に書いてありますように、「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう」ということでしかありません。
こうして、あらゆるものが空しく、風を追うようなことだというコヘレトの診断を聞いている時、皆さんはコヘレトの見方に全面的に賛同できるでしょうか。…そういう人もいるでしょうが、そこまで言う必要があるのかという気持ちを持っている人もいるのではないでしょうか。あるいは賛同出来ないという意見もあるでしょう。コヘレトの言っていることはわかるのです。でも、それでは、あまりにも希望がなさすぎます。…そう思うのは、コヘレトの言葉が語られているのが教会の中だからです。コヘレトはニヒリストではなかったでしょうか。
神は人間より強いだけではありません。それは罪や欲望や、死よりも強いということです。死で終わってしまうと思われている人生を、そうでないと教えてくれるのは、ただ神のみこころ以外にありません。ですから人間にとって、苦しみと悩みの中でも神を仰ぐことが出来るほど素晴らしいことはないのです。コヘレトの歩みと共に、私たちの歩みも絶望を突き抜けてゆくものとなりますように。
(祈り)
天の父なる神様。歳月、人を待たずと言いますが、人生の日々があわただしく過ぎ去ってしまう中、私たちも若いか年取っているかにかかわらず、それぞれ自分の人生の終わりを見つめなくてはならない時に来たように思います。私たちがもしもはかない楽しみにふけって日々を送ってゆくだけだったとしたら、いざ人生の終わりが目の前に迫ってきた時、いったいどうすれば良いのでしょうか。そんな時、コヘレトの言葉を通して、人生の究極の空しさを知ることが出来たことを感謝いたします。人生が短く空しいものであるからこそ、私たちは神様のもとに来ます。神様は世界とそこに生きる人間たちを空しさの中に置くことを望まれず、ここを本当の意味で価値あるものとして下さることを信じているからです。コヘレトがあれほどまでに空しさのきわみまで降りて行かなかったら、私たちは神様が救い主を送って下さったその意味がわからなかったことでありましょう。神様が人間より強い、…これは人間にとって苦しみではなくこの上ない喜びです。イエス様によって表された神様のお力が私たちの上にますます輝きわたりますように。私たちを、今日という日があるうちに、日々励まし合う者として下さい。主イエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げいたします。アーメン。
ニヒリストとは虚無主義者という意味ですが、その名の通り、コヘレトは虚無というものにすっかりおおわれた人に思えてくるのです。そこでもし、コヘレトが本当にニヒリストだったとしたら、…それは重大なことです。というのはニヒリストには神はいないからです。もしそうだとしますと、神を信じることが出来ない人の言葉が聖書に収録され、それが語られるということになってしまいます。
そこで、コヘレトの言葉の第6章をもう一度、しっかり目を見開いて読み取ってゆく必要が出て来るのです。ご覧になっておわかりの通り、ここには意味の取りづらい文章が並んでいますが、その中で10節の言葉に注目したいと思います。
「これまでに存在したものは、すべて、名前を与えられている。人間とは何ものなのかも知られている。自分より強いものを訴えることはできない」。
この世に存在したものには名前がついています。そして人間とは何かということも真剣に考えられてきました。それでは、自分より強いものとは何でしょう。この部分を口語訳聖書では「人は自分よりも力強い者と争うことはできない」と訳しています。主語は人です。そこで、自分より強いものとは人より強いもの、それは何でしょうか。死ということでしょうか。滅びということでしょうか。
コヘレトはこれまで、死ですべてが終わってしまう人生の空しさを諄々と説いてきました。…しかし、この世には神も何もなくすべてが空しいと言うのと、神の前にすべてが空しいと言うのとは違うのです。…この世には神も何もなくすべてが空しいというのがニヒリストの考えることです。そこでは、人生で何をやっても意味がなく、人はこの世に泡のように生まれ、泡のように消えるだけでしかありません。コヘレトも人生の空しさを探究する中で、このような人生観にたいへん近い所まで来ました。彼の場合、このことをどんなニヒリストよりも徹底的に探究したと言えるのではないでしょうか。そして、その最後のところで虚無を超える現実との出会いが生じるのです。それが神との出会いです。
短く空しい人生を過ごす人間は、本当に弱い存在に過ぎません。寿命を五十年延ばすことも、自分の人生を本当に価値あるものにすることも出来ません。人間より強いものにかなうはずがないからです。立ち向かおうとしたって初めから無理なのです。……しかし、人間より強いものが死ということにとどまらず、それが神であるならば、神との出会いを通して、人は究極の空しさを突きぬけることが出来るのではないでしょうか。
コヘレトにはその道筋が見えはじめたところです。神が世界を究極の空しさの中に置いたのだとすると、なぜ神様は自分をこんな世界に放り出したのかという思いもわいてくるでしょう。しかし、あくまでも神を信じ、人生の究極の空しさの中に陥っても神こそが人間より強いことを知るならば、…そこのところで絶望は希望に転じるのです。
サウロと私たちの再出発
ヨブ36:22~25、使徒9:19b~31 2017.9.3
私たちはキリスト教を迫害する勢力の急先鋒だったサウロが、まさに奇跡というしかないような状況下で、イエス・キリストに出会い、回心し、洗礼を受けた次第を学びました。今日の話はこれに続く出来事です。使徒言行録の見出しには、「サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせる」、「サウロ、命をねらう者たちの手から逃れる」、「サウロ、エルサレムで使徒たちと会う」となっていて、それらのことが順次起こったように思ってしまうのですが、実際にはさらにいろいろの出来事があったものと考えられます。
サウロが書いた他の手紙には、彼がキリストに出会ったあとアラビアに行き、またダマスコに戻ったと書いてあります。そこで、ここから一つの解釈が出てきました。それによりますと、サウロは洗礼を受けたあとダマスコでイエス・キリストを宣べ伝えました。アラビアに向かいます。ダマスコに戻って三年間伝道します。それからエルサレムに行き、エルサレムを出たあとカイサリアに、さらにタルソスへと行ったというものです。関心のある方はあとでガラテヤ書の1章をご覧下さい。
使徒言行録はサウロの内面に起こったことはさらりと流し、それよりは教会がどう発展していったかということに関心を置いて書いているようです。もちろん、それは大切なことですが、私としては彼の内面的な変化ということも同じように重視しながら、お話を進めてゆきたいと考えています。というのは、サウロは回心し、洗礼を受けてから、たちどころに素晴らしい伝道者になったとは思えないからです。そうなるまで、使徒言行録には書いてないのですが、激しい心のたたかいがあったはずで、それを説き明かすことが私自身にとっても皆さんにとっても大切だと思っています。そこで、このような問題意識のもと、次週以降、ローマの信徒への手紙も取り上げながら、サウロの内面に迫って行こうと考えています。皆さんがそこからサウロの歩みを追体験できれば幸いです。
回心後のサウロはどうしていたのか、よくわからないところがたくさんあります。たとえば19節、「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて」ですが、洗礼を受けて数日の間に、弟子ができるものでしょうか。20節、「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』とイエスのことを宣べ伝えた。」…信者になってまもないのに、すぐに伝道を始めることが出来るのでしょうか。なにせサウロのことですから、それもありうるのかもしれませんが。
先ほど私は、ガラテヤ書に書いてあることを参考に、サウロは回心のあとダマスコで説教し、アラビアに向かい、そこからダマスコに戻って3年過ごしたという説を紹介しました。
これは有力な説ですが、別の可能性もあります。サウロはもしかすると、回心のあとすぐにアラビアに行き、ダマスコに帰ってきてから初めて伝道したのかもしれません。…ここはわからないのでそのままにしておきます。…それより大切なことは、主イエスに会って救われたサウロが、そのことによる自然な反応として伝道を始めたということです。
サウロはアナニアという人から洗礼を受けました。19節に「食事をして元気を取り戻した」と書いてありますが、これはただお腹がいっぱいになったということではなく、聖餐の交わりのことも含まれているように思われます。サウロはアナニアと一緒に聖書を読み、祈り、パンとぶどう酒の恵みにあずかり、神様をたたえ、これから世に出るための訓練をしたのでしょう。神は、サウロを異邦人や王たち、またイスラエルの子たちにみ名を伝えるための器として立てられました。この、神の召しに応える歩みが始まったのです。
サウロはダマスコのあちこちの会堂に行きました。サウロがそこに入って「イエス様こそ神の子であられる」と語り出すと、人々は驚いて「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」と言っています。サウロが入って行ったのはユダヤ教の会堂のように思えますが、ただダマスコのユダヤ人が通っていたキリスト教会に出向いた可能性もあります。
サウロはイエス様のことを宣べ伝えました。皆さんは、当然のことじゃないかと思われるかもしれませんが、そのことの重さを受け止めておきましょう。宣べ伝えることについて、サウロは第一コリント書1章21節で書いています。「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになった。」宣べ伝えるとは、単に教えを伝えることではありません。そのことで救いが伝達されるのです。というのは、宣べ伝えられるのはイエス・キリストその方であって、イエス・キリストについての知識や情報ではないからです。…サウロによって、また幾多の伝道者によって、宣べ伝えられたイエス・キリストを信仰によって受け入れる人は、キリストがもたらして下さる救いと命を受け入れることになるのです。
サウロのメッセージの中心は、「イエスが神の子である」ということでした。これもわかりきったことだと受け取られるかもしれません。ただ、思いだして下さい。主イエスが地上で活動しておられた時、弟子たちに向かって、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられたことがありましたね。この時、ペトロが何と言ったか、「あなたはメシア、生ける神の子です」。主イエスはその告白を受け入れて、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と宣言されたのです。…サウロのダマスコにおける伝道も、この、イエス様への信仰の
告白から始まっているのです。
もう一つ考えてみましょう。サウロはなぜ一信者として静かに人生を過ごすことを選ばず、受け入れた信仰を大胆に語っていったのでしょうか。そこにはまず、神がサウロを選んで世界伝道のための器と定められたことがあります。神様のご決定こそが中心でありまして、私たちの人生もサウロほど大きな使命を託されてはいないものの、それぞれにやはり神の召しと導きがあるのです。
この、神の召しと導きの中で、私たちは信仰を与えられています。(今そうでない人もそうなるでしょう)。このことは誰が何と言おうとこの上ない恵みです。そうすると神様から与えられたその恵みの中で、自分が信じたことを語らずにはおられないということが起きてきます。そこに喜びが伴うのです。
かりに深い信仰を持ち、イエス・キリストによって心が満たされながら、しかし信仰のことを何も語らず、はためには何も信じていない人と変わらないように見える人は、本当に信仰を持っているのか疑わしいと言うべきです。その人には、どこか心が満たされてないところがあるのではないでしょうか。…もちろん今の日本では、いきなり信仰のことを話し始めるとその場の雰囲気をぶちこわしたりということがあるので気配りは大切ですが、適切な時に、適切な言葉で自分の信じたことを語り続けることが大切です。…これは義務感だけで行うとしんどいものですが、神様の素晴らしいところはそこに喜びを与えて下さっていることです。隠しておけるような小さな喜びなど、信ずるに足りません。信じたならば、それを自分だけでかかえこむことは出来ません。他の人にも伝えずにはおれなくなるものなのです。
かつてキリスト者を迫害することに命をかけてきたサウロは、今度は以前にもまさる大胆さでもってキリストを語る者となりました。イエス様がメシアであることを論証し、これを信じようとしないユダヤ人をうろたえさせたのです。ここから私たちも自分たちに欠けているだろう大胆さを学びましょう。…私たちが自分の信じていることをなかなか他の人に伝えられない理由の一つに、恥ずかしいということがあります。悪いことをするわけでもないのに恥ずかしくなってしまう。そんな私たちだからこそサウロの大胆さにわずかでもあやかることが必要です。
さて、サウロの前にうろたえていたユダヤ人は、今度はサウロを殺すことをたくらむようになりました。そこには単なる憎しみ以上に、あいつは神の敵だから殺さなければならないという間違った正義感から来る思い込みがあったことも考えられます。ダマスコは城壁に囲まれた都市で、門から逃げようとすればそこにユダヤ人が待ちぶせています。そこでサウロは、かごに乗って、城壁づたいにつり降ろしてもらうという方法で、かろうじて、この町から脱出する
ことが出来たのです。
こうして、エルサレムまでたどりついたサウロは、イエス・キリストの弟子の仲間に加わろうとしました。弟子というのはこの場合、12人の使徒のことではなく、信者を指しています。…皆はサウロを弟子とは信じないで恐れました。これは当然の反応です。かつてさんざん教会を荒らしまわったサウロが、皆さんの仲間に入れて下さいと頼んでも信用されるはずはありません。こいつは教会の内情を探りに来たスパイではないか、と疑いの目で見られても仕方がないのです。… そのサウロを使徒たちに紹介し、彼の回心がほんものであることを保証して仲間に入れるよう執成した人がバルナバです。バルナバとは「慰めの子」を意味する呼び名で本名はヨセフ、聖書に教会に多額の献金をしたことを記されている人ですが、彼がサウロのダマスコ途上での主イエスとの遭遇や、大胆な伝道の様子を説明したのです。こうしてサウロが使徒たちと仲間になり、同労者としての良い関係を築き、さらに13番目の使徒と認められ、主の名によって恐れずに教えることが出来るようになったのです。そのことはその後の教会の歩みにとってたいへんに大きな意味を持つ出来事でしたが、このことをさらに掘り下げてみましょう。
サウロがダマスコ途上で主イエスと出会い、信仰を与えられ、伝道者となった、これはサウロの個人的な体験です。これを教会はすぐに認めることが出来たでしょうか。そうはならなかったはずです。
かりに、ある人が自分は幻の中でイエス様と出会い、イエス様から世界の人々を救う使命が与えられたと言ったとしましょう。その人自身はそのことを固く信じてはいても、ほかの人にはとても信じられないという場合があります。つまりまわりの人から見ると、その人が本当にイエス様に出会ったのか、それとも妄想を語っているのか、判断が難しいのです。そこで教会の責任ある人々による調査と吟味が必要になります。サウロの場合も、彼が体験したと言っていることが本当であるかどうかが判断されなければなりません。まして教会にたいへんな被害を及ぼした人物です。そこで教会の最高指導者である使徒たちがバルナバの話を受けて、直接サウロと会って話し、彼が本物の信仰者であるばかりでなく、13番目の使徒であると認めたというのが事のいきさつです。
信仰とはこのように主観的な面と客観的な面がありまして、ある人が教会員になりたいと言っても自動的に認められることはありません。牧師や長老と会い、本人の信仰と気持ちを確かめた上で認められるのです。牧師になりたいという人についても、試験を受けさせ、その中に当然面接が入るのです。こういうことは、神様の名を語りながら、実はサタンに仕えている人から教会を守ためにも必要です。
最後の31節をみましょう。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」 …これは、それまでの文章の流れから言って、少し変だと思えなくもありません。サウロにとっては、殺されそうになってやっとエルサレムに到着し、使徒と認められたものの、また逃亡しなければならなくなって、ゆったり落ち着いていられる雰囲気ではありません。エルサレムの教会にしても、危険人物のサウロがやって来て、皆さん身構えたと思うのですが、意外にも彼は信頼できるという話になって、ほっと胸をなでおろしたというところです。大きな災いが去ったということはわかるのですが、それがどうして神の祝福に全面的にあずかったような書き方がされているのでしょうか。皆さん、不思議とは思いませんか。
ここには神が教会を通して人々を導かれる、基本的な考え方が示されているように思います。外側からは、教会はごたごたしてばかりいるように見えます。ごたごたはまだまだ続きます。しかし危険人物をなんと兄弟として迎えることが出来、教会を迫害した者と迫害された者が手を取って共に神を仰ぐ時、いまふりかかってきている災いなどどんな力を持つでしょう。神はこの時、教会に真の希望を与えて下さったのです。
私たちの生きる場はまず教会の中にあります。教会がたとえごたごたしていたり、大きな困難を抱えていたとしても、神様の恵みの導きを信頼して歩んでゆきましょう。礼拝のたびごとに心を新たにされながら、日々の務めを果たして行く者でありますように。
(祈り)
天のお父様。私たちは見るところ、この世で力を持っている者も、若く健康な者も少ないのでありますが、ただイエス・キリストの執成しによって、神様の前に一人ひとりがとうとばれていることを深く感謝いたします。
私たちは自分の家庭においても職場においても、教会においても、社会の中においても、ただ平穏に時を過ごすことを望む気持ちが強いです。しかし現実はなかなかその通りにはならず、悩みの種となっています。初代教会とそこに連なる人たちはどうだったのでありましょうか。迫害があり、教会の指導者が命を狙われる、教会にスパイが入ってくることを警戒しなければならない、これはただならぬ状況です。しかしその中で、教会員が心を一つにし、苦しみの中にも喜びと希望をいだいていることを見ることが出来ました。21世紀に生きる私たちの教会と一人ひとりは初代教会とはまた別の困難の中に置かれていますが、どうか信仰の喜びと困難の中においても主にある希望を与えて下さい。特に病気に悩む者たちに、これとたたかう力を与えて下さい。とうとき主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。