日本キリスト教会 広島長束教会
悪魔にすきを与えない youtube
レビ19:17~18、エフェソ4:25~32 2021.4.18
エフェソ書で礼拝説教をするのは1月17日以来で、だいぶ時間があいてしまったので、まず、これがどういう手紙かというところからお話しします。
初めキリスト教会の敵であったパウロは、復活したイエス・キリストと奇跡的な出会いをして回心したことで、それまでの生き方を180度転換して、イエス様のことを宣べ伝えるようになりました。そうして何度も各地をまわって伝道していったのですが、第3回の伝道の旅の途上、約3年間エフェソに滞在して、教会をつくり、働きました。パウロはその伝道の旅を終えたあとも、また次の伝道の旅に出かけ、旅から旅の人生を送りましたが、その途上でエフェソの教会に出した手紙がこれです。パウロはこれを牢獄の中で書いたものと考えられています。
エフェソの町にはアルテミスという女神をまつる巨大な神殿が建っていました。遠くから近くから、たくさんの人たちがおまいりにきます。パウロがそんな町で、イエス様を信じましょうと言って伝道するのはとても難しいことだったにちがいありません。
エフェソの教会では一つの神様を礼拝します。正確には3つにして1つの神様、父、み子、みたまなる神様です。しかし教会の外にいた人たちは、神様はたくさんいるのだと信じて、礼拝していました。女神アルテミスはそのひとりで、他にもゼウスとかアポロとかビーナスといったたくさんの神様を拝んでいたのです。そうした神様のことがギリシャ神話に書いてあって、読んでみるとわかるのですが、不思議な力を持っていたとしても、人間とあまりかわりません、ずぼらでふしだらでいい加減な神様たちだったのです。そのため、その神様を礼拝する人も、全部が全部でないとしても、ずぼらでふしだらでいい加減な人になってしまったのです。
しかし、そんな人たちからも、本当の神様を信じて教会に集まる人たちが出て来ました。パウロはそういう人たちを前にして、これまでと同じ生き方をしてはいけません、と教えます。イエス様を知り、本当の神様にめぐりあう前、みんな、思い出すのも恥ずかしいような生き方をしてましたが、イエス様を信じた今、もうそんな生き方をすることは出来ないはずです。パウロはそのことをこの手紙の4章22節以下でこう書いています。「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」
ここで「古い人を脱ぎ捨て」とか「新しい人を身につけ」というのは、どういうことでしょうか。若い方は知らないと思いますが、むかし「青い山脈」という歌がありました。「若く明るい歌声に、雪崩は消える花も咲く」で始まる歌の二番の歌詞が「古い上衣よさようなら」、これはもしかしたらパウロの言葉から着想を得たのかもしれません。新しい時代になったら、もう古いものはいらないのです。
「古い人を脱ぎ捨て」というのも「新しい人を身につけ」というのもたとえです。古い自分よさようなら、新しい人よこんにちは、ここで言う新しい人というのはイエス様のことです。イエス様をまるで自分の服のように身に着ける、それが新しく生まれ変わった人間のありようなのです。
では、その次に来るものを考えてみましょう。新しい服があってもこれをうまく着こなすということがなければなりません。それがイエス様という新しい服にふさわしく、その人の生き方を変えていくということなんです。
パウロがそのために教えている第一のことが25節にあります。「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは互いに体の一部なのです。」
偽りを捨てるというのはわかりますね、うそをつかないということです。世の中にはうそがいっぱいありますから、正直にならなければいけないのです。
もっとも、こういうことがあります。いくら正直がいいと言っても、お医者さんや看護師さんが、患者に向かって、「あなたの病気はもう直りません。あなたはあと数日で死ぬでしょう」なんて言うのは良くありません。
同じように、誰かがあなたに「お前はばかだ、まぬけだ、お前の母さんでべそだ」と言うとします。それがたとえ本当のことだったとしても、そんなことを言うべきではありません。…それではパウロはこういうことについてどう言っているのかということになりますが、「偽りを捨て、真実を語りなさい」というのは、それが正確なら何を語っても良いということではないのです。真実とはイエス様の中にある真理です(4:21)。そして私たちはみなキリストを頭(かしら)とする体のそれぞれ一部分なのです。だから、言葉を大切にしなければなりません。29節はこう教えています。「悪い言葉を一切口にしてはいけません。ただ、聞く人に恵みを与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」と。
次に怒りについて考えましょう。私は、調べてみるうちに、これが大変に難しい問題であることに気がつきました。もしかすると聖書の中でいちばん難しい問題かもしれません。
というのは、…26節は言います。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままではいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」ここで何が教えられているのか、二つの考え方があります。第一は、これは怒ること自体、してはいけないと戒めているというものです。第二が、怒ること自体は良いけれども、それを長引かせてはいけないというものです。皆さんはどちらが正しいと思いますか。…多くの人が二番目の「怒ること自体は良いけれども、それを長引かせてはいけない」が正しいと思うはずです。だいたい、人は怒らないままでいることはできません。おこりたくなることはたくさんあるのです。かりに、何事があっても怒らないという人がいたら、その人は間違ったことが行われていてもそれを見逃してしまうでしょう。そこで、ある人がこう言ったそうです。必要以上に怒る人は怒りん坊、全然怒らない人は意気地なし、だからその中間がいいのだと。
でも、聖書のその先を見て下さい。31節、「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい」と言われています。ここで、無慈悲、わめき、そしり、そして一切の悪意について捨てなさいと言われるのはわかるのです。しかしここに憤りと怒りが入っています。憤りと怒りを一切の悪意と一緒に捨てなさい、と。聖書の言葉を一字一句そのまま守らなければならないとすると、今後いっさい怒ってはならないということにならないでしょうか。
そこで私は行きづまってしまったのです。でも、この問題を考える糸口がどこかにあるのかもしれません。
聖書全体を見ると、神の怒りということが実にたくさん出て来ます。たとえばイザヤ書30章30節のように。「主は威厳ある声を聞かせ、荒れ狂う怒り、焼き尽くす火の炎、打ちつける雨と石のような雹と共に、御腕を振り下ろし、それを示される。」
神はお怒りになることがあります。人はこれを批判することは出来ません。神の怒りは、それが神の怒りであるがゆえにどんな時でも正しいのです。では人間の怒りはどうでしょうか。聖書で人間の怒りについて書いてあるところを一つあげてみましょう。創世記に出て来るカインとアベルの兄弟ですが、二人が神に献げ物をした時、神はアベルとその献げ物には目を留められましたが、カインとその献げ物には目を留められませんでした。その時のことが「カインは激しく怒って顔を伏せた」と書いてあります(創世記4:5)。このあとどうなったか、カインはアベルを殺してしまうのです。…時間がなくて、聖書をすべて調べることは出来ませんでしたが、このように、人間の怒りはさらに大きな罪をうんでしまうことがたいへん多いのです。…自分には思い当たることがあるという人もいると思います。
神様はお怒りになっていいし、それが神様であるゆえんなのですが、人間がそれにならうことはあってはならないのです。人は怒っている時、自分を絶対に正しいとみなし、ほかの人を裁いています。それは神様の真似をしていることになるのです。だから、悪魔につけいるすきを与えてしまうのです。…今の日本では、社会にゆとりがなくなるにつれて、激しく怒る人が増えています。苦情の相談窓口を担当して、どなりこんでくる人の対応に当たったりしたら大変です。言葉が人を殺すということが実際の問題になっています。
しかし、そういうことがあるとしても、聖書は人に、いっさい怒ってはならないと命じているのでしょうか。そこでもう少し調べてみと、「モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた」(出32:19)というのがあります。「イエスは怒って人々を見回し」(マルコ3:5)があります。またパウロについては「怒った」という言葉は見つかりませんでしたが、「憤慨した」(使徒17:16)、「意見が激しく衝突し」(使徒15:39)、「面と向かって反対しました」(ガラ2:11)というのがあるので、怒ることがなかったとは考えられません。
先ほど、人間の怒りは悪魔につけいるすきを与えてしまうと言いましたが、モーセを初め何人もの神様のしもべが怒ったことは確かでしょう。…ですから、今日のところは、聖書はいっさい怒ってはならないと命じているのではない、ただ怒りは罪になることがたいへんに多く、人はこれをコントロールしなければならない、ということでまとめるほかありません。
さて28節には、これまでと違ったことが書いてあります。「盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。」
これもよくわからないのです。エフェソ教会には泥棒がたくさん入ってきていたのでしょうか。信者になってからも泥棒をしていたのでしょうか。…そういう可能性もなくはないのですが、ただ、これより可能性がありそうなのは泥棒には見えない泥棒です。たとえば人にお金を貸し、法外な利子をつけて、その人の財産を巻き上げるとか、闇商売に手を出して不当な利益を得る、またわいろをもらう、働く能力があるのに働かないで人の金で遊び暮らしている、といったことが言われているのかもしれません。万引きをしたり、人の家に忍び込んで財産を盗むだけが泥棒ではありません。パウロは、自分で汗を流して働きなさい。そして収入を自分のためだけに使うのではなく、どこにでもいる生活に困った人にささげなさいと教えたのでしょう。
エフェソ教会には長束教会より多くの人が集まっていたと思いますが、貧しい人が多かったかもしれません。礼拝で集まった献金の内のかなりの部分が、貧しい人たちの食事などに提供されたことも考えられます。
初代教会では献金がそのまま困っている人たちのために使われたということがあったのです。今の教会とは違いますが、教会のあり方も私たちに多くのことを教えてくれます。
終わりにあたって22節を読みます。「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」…このように命じられたということは、エフェソ教会がそれに遠かったということがあるのではないでしょうか。もしも、最初からそのような理想的な教会だったら、改めて命じられる必要はないでしょうから。
教会の人々の中に怒りがあり、悪い言葉がとびかい、盗みをしている人もいた、そんな教会が神様のみこころかなった本来の素晴らしい教会になるためには何が必要なのか、それはパウロがいつも教えてくれていたこと、イエス・キリストを救い主と信じて生きることです。この自分の罪のためにも十字架につけられ、罪と死を滅ぼして勝利の内に復活されたイエス様を仰ぎ、この方によって生きることです。今日、お話の最初で言ったことに戻ると、古い人を脱ぎ捨てて、新しい人であるイエス様を着て、それを着こなすことです。
エフェソの教会がパウロの言葉を受け入れて、素晴らしい教会になっていくことがまるで見えるようです。長束教会もそのようになってゆきますように。そしてイエス様を信じる私たちを通して、信仰の素晴らしさがこの地で輝きわたりますように。
(祈り)
天の父なる神様。私たちはうそをつくことがあります。怒って、人を傷つける言葉を吐いてしまうことがあります。「盗んではいけません」と言われなければならない人がもしかしたらいるかもしれません。こんな私たちですが、こうして神様を礼拝し、み言葉によってわずかずつでも神様のおられる高さに向かって成長していることを信じ、心から感謝いたします。イエス様のいたましい十字架の死がなければ、教会もなく、礼拝もなく、今の私たちもありません。神様、どうか私たちが礼拝にただ義務だからと出席するのではなく、いつも新しいことに出会う期待と喜びの中で出席し、それを得て、自分の思いを超えた神様の偉大さに触れることが出来ますように。
神様、広島長束教会の一人ひとりは誰もが幸せな毎日を送っているとは限らず、悩みや苦しみと闘っている人も多いと思いますが、しかしそれでも、自分よりもっとつらい状況にある人々を思う心を失うことがありませんように。どうかこの教会の祈りとたたかいが、いまコロナ禍を初めとするこの世の不条理とたたかうすべての人たちと共にありますように。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
私たちの国籍は天にある youtube
詩編8:2~10、フィリピ3:20~21
2021.4.11
昨年の今ごろは、新型コロナウィルスの感染拡大のために礼拝が8回にわたって中止を余儀なくされ、召天者記念礼拝も出来ませんでした。今年、ウィルス感染とたたかいながらも、召天者記念礼拝を2年ぶりに行うことが出来たことを感謝しております。
広島長束教会で召天者として記録されている人は29名を数えます。召天者名簿には日野美枝子さんや佐野清美さん、倉重結兜くんのように皆さんの記憶に新しい方がおられ、この方たちのありし日の姿は、まるで昨日のことのように思い出すことが出来ることと思います。一方、名簿を昔にたどってゆくと、この人は誰でしょうと思ってしまうような方もおられます。広島長束教会の歴史が始まったのは1964年、教会の57年の歴史の中では当然、知る人も少なくなった方が出て来るわけですが、そこには一人ひとり、かけがえのない人生がありました。
広島長束教会の召天者たちと今ここに生きている私たちとはつながっています。なぜならこの方たちも私たちも、共に、この教会を通して信仰を与えられた者たちだからです。…さらにもう一つ確かなことがあります。いつのことになるかわかりませんが、やがては私たちの名前も、召天者の名前の中に書き加えられるだろうということです。
かりに私たちが召天者のことを忘れ、心にかけることをしないなら、今を生きることにどれほど一生懸命であろうとも、よりよい未来を切り開いていくことは出来ないでしょう。というのは、召天者たち一人ひとりの人生は、キリスト教2000年の歴史の積み重ねの上にあるからで、もしも私たちがその後に続くことがなければ、私たちの信仰も私たちの人生も振り出しに戻ってしまうからです。召天者をしのぶ時、そこには私たちが習うべきことだけではなく、反面教材とすべきこともあるかもしれませんが、それらすべてを含めてこの人たちの信仰の人生こそ広島長束教会の財産です。それは、これからも私たちを導いていってくれるにちがいありません。
聖書は人間の生と死について何を教えているでしょうか。
むかしパウロの手紙がフィリピの教会で初めて読み上げられた時、その場にいた人たちは「私たちの本国は天にあります」という言葉にたいへん驚いたのではないでしょうか。それまで全く聞いたことがなく、考えたこともなかった教えだからです。
フィリピというのは今のギリシアにあって、ローマ帝国の植民都市でありました。この時代は、地中海を囲む広大な世界がローマ帝国の領土だったのですが、ローマに征服された地域の人々に対して、ふつう、ローマの市民権は与えられません。しかしフィリピの人々はローマから移住してきたので、ローマの市民権を持っていました。そのため、周囲を異民族に囲まれていても自分たちの本国はローマ帝国であるということを心の誇りにしていたのです。ところがパウロは、私もあなたがたも本国は天なのですと言って、ローマの市民権を瞬時に飛び越えてしまったのですから、これはびっくりするのが当然です。
日本にも似たようなことがありました。江戸時代の一般の人々は、自分はなになに藩の人間だという思いが強かったと言われており、幕末から明治にかけてやっと、自分たちは日本人だという意識を持つようになったそうです。もっともそのあとの時代に、日本人は自分の国を世界に冠たる神の国だと思い込み、悲惨な戦争に突入してしまいました。…自分の国、自分の国と言っている時、ナショナリズムが昂じて戦争にまでなってしまうことがよく起こりますが、こんな世界に新鮮な驚きを与えたのが宇宙船から撮影した地球の写真です。人と人、国と国は互いに争っているけれど、宇宙から見たらみんな同じ地球市民ではないかということを、その写真は教えてくれたのです。…しかしながらパウロの言葉はそのことすら飛び越えています。私たちの本国はローマ帝国でも日本でもない、世界市民と言ってもまだ足りない、それ以上のことです。本国は天にある、これほどスケールの大きな教えにとまどわないでいられましょうか。
「わたしたちの本国は天にあります」という言葉は、口語訳聖書では「わたしたちの国籍は天にある」となっていて、この礼拝説教のタイトルにしました。
今日はまず、天とはどこにあるのかということから考えてゆきましょう。昔の人は天は空の上とか、宇宙のかなたにあるとかいろいろ想像していました。今日、人類は宇宙を調べつくしたわけではもちろんないのですが、いくらロケットで宇宙をかけめぐろうとも、そんな方法で天にたどりつくのは不可能であるということは誰もが認めるところだろうと思います。
使徒言行録の初めにはイエス・キリストの昇天の記事があり、「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた」と書いてありますが(使徒1:9~10)、これはイエス様が空中を昇っていったのだと決める必要はありません。もしかしたら、目の前で消えてしまわれたということかもしれません。天とは、地に対し、別の次元の世界ですから、そこがどこなのか人間の頭で考え出せるものではないのです。
むしろ、主イエスのこちらの言葉に注目しましょう。イエス様は最後の晩餐の席でこう言われています。ヨハネ福音書14章2節、「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」。…あなたがたを迎え入れるための場所を用意しに行く。その用意が出来たならば、また来てあなたがたを迎えよう、そのようにイエス様がおっしゃって下さった場所が天なのです。そこは父なる神がイエス様と共におられる世界でありまして、科学技術をもってしてではなく、信仰において見出してゆくべき世界なのです。
私はもちろん天にのぼってそこを見てきたことはなく、聖書に書いてあることも解釈が難しく、これだけは確かだとわかっていることしか言うことが出来ませんが、まず言えることは、召天者の方々は天に国籍がある者としてその人生を歩まれたということです。そのことを本人が自覚していても、またそうでなかったとしてもいいのです。その人がイエス様を救い主と認め、洗礼を受けたということは、神様がその人を救いのみ手の中に置き、順境の時も逆境の時も導いてゆかれ、そうしてこの世の務めを終えた時に本国である天に迎えて下さったということにほかなりません。
このことは、召天者の方々のあとにこうして残された私たちにとっても慰めになります。もしも私たちの愛する人が、死んで全くの無になってしまったり、そうならなかったとしても魂がどこかをさまよっているままのように思えたとしたら、私たちはとても落ち着いていられません。召天者の方たちはいま天で、神様のみもとで生きています。だから私たちの中にも生きているのです。
もう一つ言えること、それは私たち、いまこの地上で生きている者と、すでに死の眠りについた者の間に、決定的な断絶があるわけではないということです。よく、人が死ぬと「あの人は天国に旅立った」などという言い方がなされます。ここでも召天者という呼び方がなされていますが、もしもそこで、天が死者の国になってしまったとすれば誤解を正さなければなりません。今日ここで名前があがっている私たちの愛する人々は今、頭に三角ずきんをかぶっているのではなく、神様のみもとで生きているのです。一度たしかに死んだのですが、それは終わりではなく、永遠の命を与えられて生きているのです。だから天は死者の国ではありません。…そうして神は、あとに残された私たちに、この方々に倣って、自分の本国である天に向かって人生の歩むをなすよう、求めておられるのです。
イエス・キリストは神という身分にあるにもかかわらず、天から地に降って人となり、この世でふつうの人々と共に生き、最後に十字架という究極の苦しみの中で死なれましたが、それは罪人(つみびと)が受けるはずの神の怒りを身代わりとなって受けたことでありました。それは罪と死に対する勝利であったのです。父なる神はイエス様をすべて神を信じる人々の先駆けとして復活させました。いまイエス様は天におられ、その場所から、教会を通して世界を治めておられます。
パウロは、主イエスによって行われたこの驚くべき出来事を踏まえた上で語っています。「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」
これは常識ではとても理解しがたいことですが、パウロは主イエスの導きの中で語っています。ここで卑しい体というのは醜い肉体という意味ではありません。朽ちて、滅びてゆくしかない人間のことで、これがキリストの栄光ある体に変えられてゆくと言っているのです。この言葉のヒントになることが第一コリント書15章にあります。35節、「しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません」、ここから42節に飛びます、「死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときには卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。」
召天者たちにとって、死とは新しい世界への旅立ちであったのです。
福音書にはイエス・キリストの変貌という話があります。イエス様が三人の弟子と共に山に登りました。すると弟子たちの前でイエス様の姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなったというのです。それはキリストの栄光の姿を示すものでありますが、「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」という言葉から、神のみ手の中で死んだ人に対する約束であるとみなすことができます。
ただイエス・キリストの変貌の話にはこの続きがあります。
至福の時はまもなく終わり、弟子たちはイエス様と共に再び山をおりなければならず、そのあと彼らは、イエス様の、この時とはまるで反対の、十字架という無残なお姿を見させられましたし、その後も幾多の苦難を体験することになりました。死という新しい世界への旅立ちの前、道は曲がりくねっているのです。
ですから人がすんなりと、死んで天に迎えられることはめったにありません。ご高齢の方やつらい人生を送っている方の中で、早く死んで天国に行きたいと言われる人があります。もしかしたら、ここにもそれに近い方がおられるかもしれませんが、皆さんについて言うなら、神様は、あなたにはまだまだ長く生きてもらいたいということで、簡単には死なせてくれないと思います。
「あなたがたの本国は天にあります」という言葉は、いまここに生きている皆さんのために言われた言葉でもあります。召天者の方々と共にこのことを信じて歩む人の人生は、たとえどんなに大変なことがあったとしても、失われることのない人生、救いの中にある人生です。イエス・キリストによって天に属する者とされ、天のふるさとに導かれてゆく人生だからです。
(祈り)
世界の創り主であり、すべてのものを支配したもう全能の父なる神様。あなたが大いなる愛をもって、私どもを導いてくださいますことを感謝し、み名を賛美いたします。
いま私たちは召天者を記念する礼拝にあって、私たちに先立ってゆかれた愛する亡き人々のことを思い、悲しみをおさえることが出来ません。しかしながら、神様が召天者の方々を、母の胎にいた時から生涯を通じて導かれ、死において天に召され、新しい命を与えて下さったことを、大いなる感謝の内に信じております。
神様、どうか召天者を記念するこの場所で私たちの心の目を開き、神様の愛をさらにはっきりと見せて下さい。そして、神様を信じて生き、死んでもなおみもとで生きておられる召天者たちと同じ恵みを、私たちにも与えて下さい。私たちは、生と死を通して働かれる神様の偉大な力をたたえる者たちだからです。
主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン
イエスは墓におられない youtube
詩編16:1c~11、マルコ16:1~8
2021.4.4
今日はイースター家族礼拝なので、大人にも子どもにもわかる話ということで進めて行こうと思います。
広島長束教会の日曜学校では、これまで、よく紙芝居を使ってイエスさまのご生涯と十字架の死、そして復活を学んできました。その中の一つ、「よみがえられたイエスさま」というのを見てみると、いちばん最初のイースターの朝の様子がこのように書いてありました。
「次の日の朝早く、あたりはまだうす暗い時です。マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとが、イエスさまのからだにぬる香料を持ってお墓への道をいそいでいました。
『ねえ、マリヤさん。あの大きなお墓の石。どうやって動かしたらいいでしょうね。』
『重いでしょうね。だれかに手伝ってもらわなければ動かせませんね。』」
こうしてお墓の前まで行くのですが、ここだけ聞くと、なんだか楽しそうだな、ピクニックみたいだなあ、と思った人がいるかもしれません。子ども向けの紙芝居では、このような親しみやすい話になっているのですが、本当は違うのです。マルコ福音書の16章8節、女の人たちがお墓から戻るところには、こう書いてあります。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」…この日に起こったこと、それは楽しいどころではない、本当は怖い話なのです。それでは、順序にのっとってお話ししましょう。
神のみ子、救い主であるイエス・キリストが十字架につけられて亡くなられたことを、教会は2000年にわたってもっとも大切なこととして語りついできました。
ゴルゴダの丘に十字架が3つ並んでいます。二人の強盗も、一人はイエス様の右、もう一人は左に、一緒に十字架につけられました。十字架のそばにイエス様の男の弟子たちの姿は見当たりません。なさけないことですが、みんなイエス様が逮捕された時に逃げてしまったのです。遠くの方から隠れてイエス様を見ていたかもしれませんが、そばについていることは出来なかったのです。……しかし、この弟子たちに比べ、女の人たちは立派でした。十字架をかついで歩いてゆくイエス様のあとに泣きながら従ってゆき、丘の上に十字架が立てられてイエス様が打ちつけられ、息を引き取るまですべてを見届けたのです。
イエス様が十字架につけられたのは金曜日の午前9時、昼の12時になると全地が暗くなりました。イエス様が亡くなられたのは午後の3時頃です。
ご遺体をそのままにしておいてはいけません。夜になる前にご遺体をお墓におさめなければ、野ざらしになって、鳥が食べにくるかもしれません。アリマタヤのヨセフという人が総督ピラトに頼んで、ご遺体を引き取り、自分用に買っていたお墓に運びました。マルコ福音書15章46節にはこう書いてあります。「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。」
女の人たちがこれをどんな思いで見つめていたのか、皆さん、ちょっと想像してみて下さい。この女の人たちは、イエス様がガリラヤで伝道していた時からずっと、イエス様に献身的に従ってきた人たちです。イエス様と弟子たちのために食事を作ったり、生活の便宜をはかったり、またそればかりでなく、伝道の第一線に立ってイエス様を信じましょうと呼びかけていたと思うのです。特にマグダラのマリアという人は、聖書にイエス様に七つの悪霊を追いだしてもらった人だと書かれています(16:9)。七つの悪霊というのがよくわからないのですが、おそらく、たいへんな苦しみの中にいたところにイエス様が現れて、そこから救い出してくれたのです。そこでマリアさんはイエス様に深く感謝して、「これからの人生をイエス様のために捧げよう」と思って生きてきました。それなのにイエス様が十字架にかけられて亡くなる、これはマリアさんにとって、それまで積み上げてきた人生のすべてががらがらと崩れ落ちて、なくなってしまうようなことだったのです。…もう私のイエス様はいない。これからどうやって過ごそうか。せめて死んだイエス様の思い出にひたって生きよう、私の人生はもうこれで終わってしまったのだから…。これがマリアさんの思いで、ほかの女の人たちも同じだったのです。
女の人たちは、イエス様のご遺体に油を塗って丁寧に埋葬しようと考えてしていました。ところがイエス様がお墓に納められた金曜日は日が暮れてしまい、土曜日は昔の安息日なので一日休んでいなければなりません。そこで日曜日に早起きして、朝が来るのを待ちかねるようにしてお墓に向かったのです、これは決して、ピクニックなんかではありません。つらくて、悲しくて、やりきれない思いの中、ご遺体をきれいに整えることで、これまで自分たちの心の支えであったイエス様にせめてもの恩返しをしようとしていたのです。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていますが、当てがあるわけではありません。自分たちだけで大きな石を転がすのはできない相談でしたが、とにかく行ってみようということだったのです。もしもほかに誰も来なくて、石を転がすことが出来なければ、お墓の前でいつまでも座っていることになったかもしれません。
ところがお墓の前に来て目を上げると、あの大きな石がわきに転がしてあります。びっくりしていったい何が起こったのかと思い、墓穴に入ってみると、大きな穴だったのでしょう、白い衣を着た若者が右手に座っているので女性たちはひどく驚きました。「ひどく驚いた」は原文を見ると、驚き恐れるという意味がありました。
この若者とは天使で、その言葉を聞いたことで、女の人たちは墓を出て逃げ去りました。いったい何を言われたのでしょう。主要なことはこの二つです。第一が「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」。第二が弟子たちとペトロへの伝言で、イエス様はあなたがたより先にガリラヤに行かれる、そこでお目にかかれるということです。こちらについてはあとでお話しします。
「あの方は復活なさってここにはおられない」、これがイエス様の復活の最初の告知になります。死んだ人が復活した、こんなことは歴史上、前代未聞、空前絶後のことでありまして、これを信じなさいと言われても、すぐには無理というものです。女の人たちはあまりのことに茫然となってしまったでしょう。
イエス様は本当に復活したのかという人が昔からいて、私たちの中にも同じ疑いの気持ちがあるかもしれません。イエス様の復活はうそだと言っている人の中に、イエス様仮死説をとる人がいます。イエス様は十字架の上で死ななかった、仮死状態のまま埋葬されて、日曜日の朝、目を覚ましたのだという説です。しかしイエス様が死んだことはローマの兵士たちがはっきり確認していますし、その上、槍でわき腹を刺しています(ヨハネ19:33~34)。だから、仮死状態だったいう説は成り立ちません。イエス様はまことに不思議ですが、本当に復活なさったのです。だとすると、女の人たちはなぜ、復活を素直に喜ぶことが出来ず、震え上がって、逃げ出してしまったのでしょうか。
かりにイエス様が復活なさらず、死んだまま墓穴の中に横たわっていたとすれば、女の人たちはこれほど怖がりはしなかったでしょう。「イエス様、なんとおいたわしい」などと言いながら、ご遺体を拭いて、油を塗り、きれいに整えたでしょう。そうして、ああ、これで私たちの務めは終わったと安心して家に帰ったことでしょう。こうして、死んだイエス様はこの女の人たちのものになったのです。しかしイエス様は、こんな人間の思いにしばられる方ではありませんでした。
女の人たちは天使に向かって、「あなたはどうしてそんなうそを言うのですか」と、問いつめることもしませんでした。イエス様は復活などしていないと言うことも出来なかったのです。そうして逃げてしまったということは、イエス様の身にたいへんなことが起こったのではと思ったのです。だから怖いのです。女の人たちは、イエス様がゾンビになったと思ったのではないでしょうか。
結局のところ、女の人たちは間違っていました。それが何かというと、見る方向が間違っていたのです。死んだ人の中にいくらイエス様を捜しても無理なのです。イエス様はいのちそのもののお方ですから、いつまでもお墓に留め置かれる方ではありません。「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と言われたからには、お墓に背を向けて、生きている人の中にイエス様を捜さなければならなかったのです。…お墓から逃げ出し、震え上がり、正気を失った女の人たちがイエス様の復活を本当に信じ、喜びをもってこれを受け入れるのはこの先の話になります。
天使は特に弟子たちとペトロに、イエス様とどこで会えるかということまで教えてくれました。そこはガリラヤです。ここにも深い意味があります。
弟子たちはほとんどがガリラヤ出身で、ガリラヤからイエス様に従ってエルサレムまでやって来ました。しかしイエス様が逮捕されると、怖くなってみんな逃げてしまいました。もしかすると自分たちもつかまるかもしれないとおびえたのです。この日も、家の戸口に鍵をかけて閉じこもっていたのです。それはもうイエス様の弟子としては、情けないありさまです。
弟子たちはこののち、本当にガリラヤに行きます。ガリラヤに帰ると言った方が良いでしょう。ただそれは、イエス様の言葉が頭にあったとしても、イエス様に会えると期待したからではありません。自分たちはもうイエス様の弟子としては失格だったと観念して、すごすごとふるさとに戻るのです。そうして、また漁師の生活に戻ろうかとガリラヤ湖で魚を取っている時に、イエス様が現れて、再び彼らをイエス様の十字架と復活を告げる者として立たせて下さるのです。そのことはヨハネ福音書21章に書いてあるので、あとで読んでみて下さい。…イエス様が、弟子たちがおれたちはもうだめだと自信を失って、すごすごと故郷のガリラヤに帰ってゆくことを予測しておられ、そこで待ち構えておられたことは、皆さんに大切なことを教えてくれています。
信仰生活で挫折するというのはたいへん大きなことなんですね。神様を信じて歩もうとしたのに、その神様を裏切ってしまったということが、考えたくないことですが、皆さんの上にあったかもしれませんし、これからも起こるかもしれません。しかし罪と死に打ち勝って復活したイエス様は人間の弱さを知っておられ、神様を信じて歩もうとしながら失敗し、自信を失ってしまった人にも先回りして会って下さり、再び立ち上がらせて下さるということを信じましょう。
人間の一生は死で終わります。偉人伝を読むと、どんなに偉い人であっても必ず死んで終わっています。しかしイエス様だけは十字架の死で終わることはありません。一度確かに死なれましたが、復活され、今も生きておられます。イエス様は人間にとって最大の敵である罪と死に打ち勝たれましたから、その力によって、イエス様の復活を聞いて怖くて逃げてしまった人も、自分はもうだめだと自信を喪失してしまった人も、そのほかあらゆる悩み、苦しみの中にいる人も立ち直り、新しく出発ができるのです。このことを喜び、感謝する日がイースターです。イースターおめでとうございます。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる御神様。イースターのこの日、神様が私たちの心と体を、死からいのちへと導く言葉によって養って下さったことを心から感謝いたします。イエス様は今も生きて、私たちの中に働いておられます。どうかイエス様のご復活が、死という人間に与えられた定めの前に意気消沈し、打ちしおれた心に希望を与えて下さいますように。イエス様を直接知っていた人々に行われたことを、私たちのうちにも行い、そのことによって私たちがいのちの道を歩み、本当の意味で神様を賛美して生きる者となりますように。またイエス様のご復活が、感染症とたたかう全世界において、喜びをもって受け止められますように。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名を通して、お捧げします。アーメン。
主イエスのゲツセマネの祈り youtube
詩編22:2~6、マルコ14:32~42 2021.3.28
本日取り上げたのは、イエス・キリストがゲツセマネで祈られたところで、ゲツセマネはエルサレム神殿から門を出て、東にあるオリーブ山の中にあります。ゲツセマネの意味は「油絞り」です。オリーブの実をつぶして油をしぼる場所だったのでしょう。そこには今もオリーブの木が生えていて、中にはたいへん幹の太い、樹齢何千年という木もあります。私が聖地旅行をした時のガイドさんの説明では、その木はイエス様の時代からそこにあって、イエス様のお祈りを見ていたということですが、それはともかくとして、イエス様はエルサレムに来てから、しばしばこの場所でお祈りなさっていたと考えられています。
初めにゲツセマネに行く前のことからお話しします。有名な最後の晩餐の結びとなるところが14章26節、「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」です。そのあとゲツセマネにたどりつく前に、主イエスは弟子たちに「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われると、ペトロが「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と答えます。イエス様は「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」。ペトロはそんなことはありませんと、他の弟子たちも皆、同じように答えました。
この結果がどうなったか、皆さんご存じでしょう。イエス様が逮捕されたとき弟子たちは皆、逃げてしまい、ペトロはイエス様が言われた通りのことになってしまいましたが、そのことを窺わせることが今日のところに見えています。イエス様が祈っておられた間、弟子たちは眠ってしまったのです。
弟子たちのさんたんたるありさまに比べ、主イエスがここで血の出るような思いで祈られたことはキリスト教信者にとって忘れられないお話で、皆さんの心の中にも焼きついていることでしょう。ただそこには、皆さんの頭に刷り込まれたことがあるかもしれません。そこでまず、それをほぐすことから始めたいと思います。
実はこの出来事は昔、キリスト教会にとってたいへん都合の悪いことでありました。こう言われてもなかなかピンと来ないかもしれませんが、古代ギリシアの哲学者やキリスト教に反対する人たちがこのところを取り上げて、あざ笑ったということです。それは弟子たちのことではなくてイエス様についてです。イエス様がたいへんに死を恐れておられたからです。
一同がゲツセマネに着くと、イエス様は「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われ、そしてペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れてそこから先に進まれ、今度はこの3人に「わたしは死ぬばかりに悲しい。
ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われました。これは、ただ待っておれということではありません。十字架の苦しみを前に祈っている時、何よりの励ましとなるのは、その苦しみを覚えている人がいるということです。もしも弟子たちが目を覚ましているのはもちろん、ずっとイエス様のために祈ってくれたらもっと良かったのですが。
イエス様は3人の弟子たちの目の前で「ひどく恐れてもだえ始め」られます。そして少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈られました。十字架刑を自分に負わせないようにと言われたのです。イエス様は死を恐れ、ほとんどおののいている状態です。このところをマルティン・ルターは、「この人間ほど死を怖れた人はなかった」と書いていて、私たちも、まさにそのように思わせられるのです。……そして、それと同時に思わせられることは、私たちが知っている偉い人というのは、たいていの場合、死に臨んで恐れを示さないということです。死ぬまぎわになって恐怖で取り乱す人のことを尊敬する人はまずないでしょう。ことに宗教家にはそのことが強く要求されるのでありまして、牧師であれ、お坊さんでも神主さんでも、死のまぎわに「死にたくない死にたくない」とわめいたとしたら話にもなりません。キリスト教史上の殉教者と呼ばれる人たちもみな死を恐れませんでした。火あぶりにされても泣き言ひとつ言わずに死んでいったのです。
そういう中にあって、イエス様は死を恐れ、悲しみ、苦しまれました。そのため、「死を怖がって、恐れおののくとは、イエスはなんて弱い人間だ」、このように言ってイエス様をあざ笑った人たちがいたのです。
そこで私たちは、イエス様がお考えになられた死とはどういうものかを考える必要があります。もしもイエス様が普通の意味で死を恐れていたなら、逃げ出せば良かったのです。それなのにいつも立ち寄っていて、簡単に発見されやすいゲツセマネに来られました。このことだけでも、イエス様が単純に死を恐れてはいなかったことがわかります。人間にとって死とは何でしょうか。多くの人はふだん自分がいつか死ぬということをまじめに考えようとしません。後回しの課題にしてしまっているのです。…たとえまじめに考えていたとしても、それが枯れ木が朽ちてゆくような死であるとしたら、人が死ぬというのが当たり前のことになってしまっています。
人はすべて死にます。けれども、それは当たり前のことではないというのが聖書が教えているところです。動物は神様が与えて下さった本能のままに生きるものですから、犬や猫が自分が犯した罪について審きを受けるなんてことはないでしょう。しかし、人間にとっては「罪が支払う報酬は死」(ロマ6:23)なのです。人がどんなに自然に、苦しまずに死んでいったとしても、それは神様にとっては一人の罪人の死でしかありません。だとすると、いま主イエスはただ自分の命がなくなることだけを恐れているのではありません。
…私たちは教会でこれまで、イエス様がすべての人の罪の身代わりになって死なれたことを教えられてきました。イエス様は罪のないお方であったにもかかわらず、神の、罪人に対する怒りを一身に負われたのです。そうする以外に罪のために滅びゆく人間を救う手立てはありませんでしたが、このことをイエス様の身になって想像してみましょう。
かりに私たちが殺人事件の犯人に仕立て上げられ、冤罪であるにもかかわらず死刑の執行が決定されたとしてみましょう。もちろん真犯人は別にいるのですが、犯人とされた時点で当然、被害者の遺族の激しい怒りが向けられ、世間からも厳しく糾弾されます。これら全部を引き受けて死刑台を上ってゆくとするなら、この殺人事件がどれほどに罪深いことか身にしみてわかるはずです。
イエス様は神の子で、罪のない方でありますから、本来死を体験しなくて良い方なのですが、それが死ぬことになった、それも呪われた罪人として死ななくてはならないことになりました。自分ひとりの死だけでも耐えがたいことなのに、古今東西すべての罪人(つみびと)の受ける罰を一身に引き受けられたのですから、不安や動揺がない方が不思議なのです。
主イエスはここで3度にわたって祈られました。その言葉は、弟子たちが眠ってしまったので全部が記録されたのではないと思いますが、「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」、また「この杯をわたしから取りのけてください」と、率直に自分の思いと願いを打ち明けておられます。これまで申し上げた通り、罪のない神の御子が十字架刑を引き受けるというのは大変なことで、私たちの想像も及ばないことで、そう祈るのは当然なのですが、しかし、その時に「できることなら」と、また「しかし、わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように」との条件がつけられます。イエス様はこの時にあたって、ご自分の思いより父なる神の御心を第一になさっている、このことが忘れられてはなりません。
主イエスは36節で「アッバ、父よ」と呼びかけられます。アッバとはもともと小さな子どもが父親を呼ぶ言葉でしたが、年配の男性に対する呼びかけにも使われていました。これを日本語に直すのはどうするのか、リビングバイブルでは「お父さん、お父さん」と訳していました。もしこれが「パパー」とか、「お父ちゃん」だったらイエス様の真意が誤解されそうです。もちろん「父上」、でもありません。アッバという言葉は、父なる神とイエス様との深い信頼の関係を語っていて、イエス様は死ぬばかりの悲しみ、苦しみの中でも父なる神との関係は崩れることなく、むしろますます深いものとなっていることを示しているのです。…したがって、ここからも私たちは、父なる神様のみ前で、その罪を弁明することも出来ずに滅びていくしかない私たち罪人のところに降りて来て下さったイエス様が、苦しみ悲しみを私たち以上に引き受けて、背負って下さり、しかも絶望の極致の中にあっても父なる神への信頼はゆるがなかったことがわかるのです。
祈りは決して無益なことでも気休めでもない、闘いであることを。主イエスの祈りはみごとに示しております。このあたりの事情をヘブル書5章8節は言います。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」。…イエス様はご自分が苦しみの中で祈ることを通し、すべてご自分を信じる人に祈りの模範を見せて下さったのです。汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22:44)ほどの祈りの闘いに勝利されたイエス様は、前に向かって堂々と足を踏み出す勇気が与えられました。「立て。行こう。……」ここにあるのは罪も死も、何ものも恐れることのない主イエスの姿です。
では、今度は、主イエスが祈りの闘いを続けておられる間、眠ってしまった弟子たちに目を向けましょう。弟子たちはイエス様と共に祈ることはもちろん、目を覚ましていることも出来ませんでした。イエス様は37節で「わずか一時も目を覚ましていられなかったのか」とおっしゃいます。ここで一時というのは、2時間ほどだったと考えられています。…なぜ弟子たちは眠ってしまったのでしょう。疲れてしまったのでしょうか。でも弟子たちの多くはもともと漁師ですから、体力には自信があったはずです。最後の晩餐の時、ワインを飲みすぎて眠くなったのだという人もいますが、主要なことではありません。ルカ22章45節は「彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた」と書いてあり、ここから、みんなイエス様の身に重大な、恐ろしいことが起こると予感していたものの、どうすることも出来なかったことが想像されます。ただ、そうなら、どうしてこの時、祈らなかったのでしょう。祈りはどんな時にも出来ますが、特にこのような時のために与えられていたのではなかったのでしょうか。
イエス様のことが心配ではあっても祈ることをしなかった弟子たちは、イエス様のお苦しみそのものを理解していなかったのです。イエス様がなぜ、これほどまでに激しく祈らなくてはならないのか、その理由がわからなかったのです。…肉親が病気で命が危なくなった時に、家族が寝ないで一晩中つきそうことがありますね。その場合、体の疲れも眠気もそれほど問題ではありません。…弟子たちにとって、イエス様のお苦しみはまるで別の世界のことだったので、自分の問題として祈りを共有することが出来なかったのでしょう。弟子たちは、イエス様が自分たちを含むすべての人間を罪から救い出すために、いま命をかけた闘いをされているとは夢にも思っていません。イエス様のお苦しみはしょせん他人事だったのです。
イエス様はペトロに対して「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても肉体は弱い」とおっしゃいます。
ここは翻訳が難しいところで、だったらそうならないため、筋力トレーニングでもしなきゃならないのかと思う人がいるでしょう。もとより体は弱いより強い方がいいのですが、ここではそういうことを言っているのではないようです。ここで「心」と訳された言葉は霊と訳すことも出来、従って、神の霊の働きを言っています。一方、「肉体」ですが、パウロの手紙の中で、「肉の業、霊の結ぶ実」のように霊と肉を対置しているところがあり(ガラ5:19と22)、そういう所から考えると「肉体」と訳された言葉は自然のままの人間です。そうなると「心は燃えても肉体は弱い」の意味は、「神の霊によって燃えてはいても、肉の働きである罪がこれを妨げている」ということになります。
目を覚まして祈るべき所で眠っている。それは私たちの姿でもあります。しかし、私たちが眠りこけている時に主イエスがただお一人、逃げ出すことも眠ることもせず、あれほど激しい祈りの闘いをなさったことによって、私たちは人生の本当の苦しみから免れることが出来たのです。
もしも私たちが目を覚まして祈ることが出来るとすれば、それはただ、主イエスの十字架を示されることによってです。そのことがこのあと弟子たちの上に起こりました。私たちの上にもこのことが新たに起こりますように。
私たちがいつも唱えている主の祈りの中に「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」があります。みこころが地になることを主イエスはゲツセマネでお祈りされ、これを勝ち取られました。私たちもどうか、自分の願いにまさって神のみこころが実現することを願い、それが勝ち取られる喜びを味わる者となることが出来ますように。
(祈り)
神様。神様は主イエスが闘っておられる間、おそばに招かれているにもかかわらず眠り込んでしまう私たちのために、きょうも礼拝の時間を与えて下さいました。有難うございます。神様にそむく私たちです。目覚めることがあってもすぐに眠ってしまう者たちです。祈ることがなかなか出来ない者たちですが、どうか神様の憐みで眠りから目覚め、主イエスと共に闘うことができる者として下さい。
イエス様のお苦しみはこの自分の罪のためです。この自分がさらに神様に近いところに立とうとすることで、私たちのために尊い命を捧げられたイエス様に応えることが出来ますように。どうか私たちの残された人生を導かれ、神様に従い、隣人に仕える思いをさらに深くし、それを口先だけでなく行いによって示すことで主イエスを証しする者として下さい。この祈りを主の御名によってみ前にお捧げします。アーメン。
悪魔と神 youtube
申命記6:10~15、マタイ4:1~11
2021.3.21
今日は、主イエスが体験なさった第三の誘惑を通して、私たちが悪魔の誘惑とどう対峙して、どうたたかうかということを考えてゆきましょう。
聖書には最初から最後まで悪魔が出て来ます。いちばん初めがエデンの園に現れた蛇で、アダムとエバに、食べてはならないと言われた木の実を食べるようにそそのかし、罪を犯させたのは有名な話です。神は創世記3章15節で蛇にこうおっしゃっています。「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」…謎めいた言葉に聞こえると思いますが、ここで女の子孫というのはイエス・キリストなのです。つまりイエス様は悪魔の頭を砕き、悪魔はイエス様のかかとを砕く、…イエス様は悪魔のためにたいへんな苦しみを味わわれますが、悪魔の被害はもっと大きい、悪魔はイエス様に頭を砕かれ、それは致命傷になるという予告です。
いま悪魔が猛威をふるっているように見えても、それはしばらくの間であって、イエス様によって頭を砕かれた悪魔はやがて滅びる定めにあります。悪魔の最終的な滅亡が書かれているのが、ヨハネの黙示録になるわけです。
キリスト教2000年の歴史の中で神学という学問が打ち立てられ、現在まで続いているわけですが、昔はこれと反対のことを研究する悪魔学という学問がありました。今もあるかもしれません。悪魔学というのが神様の主権を確立するために悪魔を研究するのか、それとも悪魔が好きでたまらない人がやっているのかがよくわからなくて、私も深入りするつもりはないのですが、キリスト教信者なら、ある程度は悪魔のことを知っておくことが必要です。それは「悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れた(Ⅰヨハネ3:9)」からです。また信者に対し、「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」(Ⅰペトロ5:9)と呼びかけられているからです。
現代人にとって悪魔は、中世のヨーロッパの人たちほどリアリティはありません。…何百年もの昔、たとえば魔女裁判というのがありました。魔女でも何でもない無実の人が殺されてしまい、決して二度と繰り返してはならないことですが、それだけ人々が悪魔や魔女の存在を信じ、ふるえあがっていたことを示しています。
これに対し現代では、科学的な知見が進んで普及した結果、悪魔を中世ヨーロッパの人たちと同じように信じる人はほとんどいなくなりました。けれどもそれは、悪魔が存在しないということではありません。私がむかし見た「ローズマリーの赤ちゃん」という映画は、ある女性が悪魔の子を産むという話で、その子が誕生した時、「悪魔に栄光あれ」という声が響きわたるのです。
現実には起こりえないことですが、社会の中にこういう作品を生み出す心の病理があるのだとしか思えません。
こういうことを言った人がいます、「現代人が悪魔を中世の遺物のようにしか考えられなくなったのは、それが存在しないのでも、それを信じる必然性がなくなったからでもない。神を信じなくなったために、悪魔が見えなくなったのだ。もう怖がる必要もないほどに悪魔と仲良くなっているのではないだろうか。」
現代人が悪魔を見ることが出来ないとしても、聖書は悪魔が確かにいることを語っています。それは神に反対する霊的な力です。それは神によってしりぞけられ、滅亡に定められながらも、なお現実の力として世界の中に働いており、私たちの心をもとらえているのです。
人は誰でも、表向きはともかく、内心では悪魔と仲良くなりたいのではないでしょうか。たとえば皆さんは、自分のことをいい人だと言われたとしたら、素直に喜べますか。もしかすると、そう言われるのは、本当は嬉しくないのではないでしょうか。それというのは、いい人はお人好しに通じるからです。もしも人からそのように言われるより、「なかなかどうして、あいつは隅に置けないよ。曲者だ」と言われることを好むとすれば、そのこと一つだけでも、すでに悪魔の支配を受け入れてしまっているのです。
悪魔が持ってくるのはお金や名声や権力など、この世の幸せと結びついています。たいがいの人は、そういうもののとりこになって悪魔に魂を売ってしまたら、いずれは落とし穴に落ち込んでしまうのがわかってはいるのだけれど、でも、だまされてみたいという気持ちがあり、それが悪魔につけいる隙を与えてしまうのです。
悪魔は霊的な事柄については、私たちよりよく知っていて、情報を敏感に察知し、行動します。…だから自分が支配していると思っていた世の中にイエス様が来られたことは、悪魔の世界にパニックを引き起こしたはずです。彼らには本物がわかるし、人間より先に本物に気がつくからです。そこで悪魔は自分の知恵と力の一切を使って、イエス様を陥れようとしたのです。
マタイ福音書4章8節、「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。」
これが実際にどこで起こったのか、特定することは困難です。非常に高い山といっても、ユダヤでいちばん高いヘルモン山も高さが2815メートルしかなく、かりに世界最高峰エベレストの上に立っても、世のすべての国々を見渡すことはできないわけですから。人間の限られた言葉ではこのように表現するしかない出来事だったのかもしれません。
また、悪魔が本当に「ひれ伏してわたしを拝むなら」と言ったかどうかもはっきりしません。「ひれ伏してわたしを拝むなら」は、誰が聴いても、悪魔の狙いがありありと見て取れる露骨な言い方です。かりに信仰において未熟な私たちが同じ言葉で誘惑されたとしても、そう簡単にはひっかからないでしょう、ましてイエス様です。悪魔にしても、そんな言葉でイエス様を陥落させることが出来るとは思っていなかったでしょう。だとすると、これはおそらく、イエス様の体験がわかりやすく伝えられた結果でありまして、実際は「もし、わたしと手を組むなら、これをみんな与えよう」ということでしょう。悪魔はこの時、イエス様のプライドを傷つけるつもりはなかったと思います。「イエス様、誰にも内緒で、私と手を組みましょうよ。私はあなたのお仕事を応援したいのです。あなたにとっても、私が力を貸してあげたら万々歳ではないでしょうか」…こういう誘いにイエス様が乗ったとしても、それは悪魔を拝むことと大してかわりありません。
詩編の中に、神が、ご自分が選ばれた者に対して言う言葉があります。2編の8節、「求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。」イエス様は世界の王であり、そのことを悪魔が知っていたとしてもおかしくありませんから、悪魔はこのような言葉で誘惑したのではないでしょうか。「イエス様、あなたは世界の王となるべきお方ですが、ただ、それをどうやって実現するかが問題です。あなたはたいへん志の高いお方ですが、まっとうな手段だけでそれを実現できますか。どうせこの世は金と色、それが人間なのですから、現実と妥協することも必要なんです。私と手を組みましょう。あなたはご自分が正しいと思われたことに向かって邁進していったらよろしい。私は汚れ役を引き受けますよ。アメとムチで人々をまとめて、あなたの理想が実現するよう力を尽くしますから、どうか私を信じ、私に任せて下さい。」
この時、イエス様の前には目もくらむようなこの世の輝きがきらめいていました。しかしイエス様は断固として答えられました。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ』と書いてある。」そこで悪魔は離れ去りました。
悪魔がささやいたことは、もしもこれがイエス様でなく私たちだったらとても抵抗できないような誘惑でしたが、これに対してイエス様が用いられた武器は、神を信じる者なら誰でも用いることができるもの、つまり聖書の言葉なんですね。このことは私たちを勇気づけます。この世の強みであるもの、例えばお金に対し、お金でもって勝とうとしてもなかなか出来ません。でも、聖書の言葉ならできるのです。その意味で、イエス様の勝利はイエス様おひとりだけのものではないことを感謝したいのです。
イエス様が引用したのは申命記6章13節の言葉です。「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。」
これはイスラエルの民が40年に及ぶ荒れ野の旅を終わって、いよいよ乳と蜜の流れる約束の地に入ってゆこうとする時に、神がモーセを通して語られた言葉の一部です。イスラエルの民が約束の地に帰ってくると、そこにはこの民が不在の間に住みついた民がいて、彼らを追い払ったのかそれとも平和的に共存したのかは大きな問題ですが、今日は取り上げません。イスラエルの民がカナンの地に入植する時、もともとそこに住んでいた民から生活、文化などたくさんの影響を受けることが予想されますが、その人々が信じる神々に心を寄せ、従うようなことがあってはならない、イスラエルの民をエジプトから導きのぼった神を忘れてはならないと命じられたのです。
主イエスの前にも似たような局面がありました。イエス様もまもなく荒れ野から出て、たくさんの人々のいる地域に入られます、その中には華やかな都会もあるでしょうが、この世の輝きに心を奪われ、それをもたらす悪魔に心を許してしまってはなりません。ただ主なる神のみを拝み、従ってゆかなければならないのです。イエス様はあとに続くすべての人々に、そのために道を切り開いて下さいました。
悪魔は自分が提供するこの世の幸せが人間を本当に幸せにするのでないことを知っています。悪魔の誘いに乗っかったら、初めはうまく行くかもしれません。しかし、最後にたいへんな目にあうのは確かで、それを悪魔は知っていながら人をだますのです。悪魔は人間の弱さにつけこみ、快いもの、きれいなもの、あらゆる楽しみ、さらには知的興味に訴えてさえして、人々を自分のいるところに引きずりこもうとします。このような誘いに乗り、たとえ大事業をなし、人々の称賛を一身に浴び、歴史に名を残すようなことがあったとしても、それは結局、罪でしかありません。悪魔の誘惑に乗ってしまうかどうかは一人ひとりの決断にゆだねられていますが、もしも悪魔が目的としていることがわかったら誰もが恐怖にふるえるのではないでしょうか。なぜかと言うと、このような輩の喜びというのは、一人でも多くの人間を自分と同じ深い穴に落として、だまされたと知った人間が驚きあわてる様子を見ることにかかっているからです。
悪魔と悪魔に魂を売った人たちが、快楽にふけり、毎日を愉快に、楽しく過ごしているように見えたとしても、その心の奥をのぞいてみれば、すべて絶望の淵にあります。というのは、悪魔はいつの日か必ず神様によって滅ぼされる定めにあり、それを悪魔自身も知っているからです。悪魔の跳梁は限られた期間でしかありません。…こうなると、何が彼らの苦手とするところかがわかってきます。それは無視することです。もともと人々の注意を引きつけたくてたまらない連中なのですから、これはこたえます。もしも皆さんが、悪魔の誘いを前にしてこれに立ち向かう自信がない時は、そうするに限ります。下手に相手の土俵に乗って、引きずりこまれるくらいなら、むしろ全く取りあわないことです。そうすれば彼らは引っこむはずです。
そうして私たちがなお積極的に出たいのなら、彼らがふるえおののく手があります。それは敬虔ということです。神である主を拝み、ただ主に仕えること、他のどんな力にもより頼まないことです。これは悪魔には絶対になしえないことです。しかし私たちにとって、一生涯をかけても成功するかどうかわからない難しいことでもあります。人間にはできない、けれども神なら出来ます。悪魔の第三の誘惑を全き信仰によって打ち破られた主イエスは、今も全人類の先頭に立って、この闘いを導いておられるのです。
(祈り)
主イエス・キリストの父であり、おそれおおくも私たちの父である神様。イエス様はご自身が神であられながら、すべての人の先頭に立って、試練と苦しみに立ち向かい、これに勝利なさいました。
神様、イエス様が悪魔に勝利されたことを通して、どうか罪の縄目にしばられ、がんじがらめになっている私たちの心に光を見せて下さいますように。私たちを本当の意味で強くして下さい。私たちが悪魔と仲が良いことで得意になるのではなく、イエス様が自分の中で生きておられることを誇る者でありますように。
神様、イエス様がこの私たちのために闘っておられることを深く感謝いたします。どうかイエス様を信じて礼拝する私たちが、悪魔と妥協して自分のいのちや生活を守ろうとするのではなく、何よりもまず神の国と神の義を求める者にして下さい。
とうとき主の御名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。
神を試してはならない YOUTUBE
詩編91:1~16、マタイ4:1~11 2021.3.14
私たちは先週の日曜日、イエス・キリストが荒れ野での第一の誘惑に打ち勝ったことを学びました。悪魔がしかけた罠はたいへん巧妙なもので、これが主イエスでなかったら、ひっかからないでいることは出来なかったのではないでしょうか。悪魔の手ごわいところは、食べ物を取らなければ生きてゆけない人間の弱みにつけこむばかりではなく、人間の良心にも訴えただろうということです。私は悪魔と主イエスの間で、次のようなやりとりがあったのだろうと考えています。「世界には飢えた人がたくさんいて、飢餓をなくすために働く立派な人もいるが、それこそ最も尊い仕事ではないか。飢えて死のうとしている人の前で神の言葉がいったい何の役に立つのか。」これに対し主イエスは、世界の悲惨な現実の中でも、いやそれゆえに神の言葉がなくてはならないのだと宣言されたのです。神は人間にパンを与えられる方であり、飢餓問題を解決しようとする人間の努力も、神の言葉があってこそ実現できるものだからです。
ここで敗退した悪魔は、次に第二の誘惑をもって主イエスに挑みました、聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、「神の子なら、飛び降りたらどうだ」と言ったのです。…悪魔がイエス様を本当に神殿の屋根に立たせたのかというのははっきりしません。このことを証明するほかの記録はありません。だいたい屋根に登ろうとする段階で神殿警察に止められてしまうでしょう。悪魔はイエス様を連れて空を飛んできたのでしょうか。幻の中の出来事だったのでしょうか。いずれにしても、主イエスと悪魔の間で、その存在をかけた勝負が行われたのです。
高い所から飛び降りるという話は日本にもあります。…弘法大師空海は子どもの頃から、自分は大きくなったら仏になって多くの人々を救いたいと念願していました。7歳の時、自分が果たしてその器かどうかを試すために高い山に登り、「もしその器でなければお見捨て下さい」と神仏に念じて谷底に身を投げました。すると不思議なことに、雲の中から天女が現れて、彼を受け止めたのだそうです。
これが弘法大師の捨身誓願として伝えられている話ですが、私は仏教の信仰からいってもこんなことが認められるのだろうかという疑問を持っています。
さて、主イエスが連れて行かれた聖なる都、エルサレムの神殿の屋根というのは、当時の人々の思いの中では、まさに神が遣わされたメシアが現れるもっとも華やかな舞台であったようです。神殿の前の広場には大勢の人が集まっており、それを見降ろしながら悪魔はささやくのです。「さあ、あなたが神の子だということを世界に宣言する時が来たのです。
あなたがすべての人間を愛しておられることを私は知っています。たったひとりの人間でも、救いからもれることをあなたは望んではおられません。ならば、あそこにいる群衆の前で、あなたが神の子であり、救い主であることを示してごらんなさい。その一番の近道はここから飛び降りてみることです。聖書に書いてあるでしょう。神様のみもとに身を寄せる人は、高いところから落ちることがあっても、神様がみ使いに命じて、足が石に打ち当たらないように守って下さると。…これを見たすべての人があなたを信じるのです。さあ勇気を出すのです。勝利はあなたの目の前にあります。」
悪魔のこの提案は、とても説得力のあるものではなかったでしょうか。私は主イエスが悪魔の提案を心に何の葛藤もなく、即座に門前払いにしたとは思えません。そこには私たちの想像を超える心の格闘があったのでしょう。
主イエスはこれから伝道を始められます。世界の人々を救う企てを開始されるのです。イエス様の目の前には飼う者のいない羊のように弱り果てている人があふれていて、救いを渇望しています。「もしもこの方が言うことが本当ならば信じよう」と思っているのです。そういう人々の間にあって、何か世間をあっと言わせるようなことをしたら、間違いなく多くの人たちがついてくるでしょう。
昔から、そんなことをやっている宗教家がたくさんいました。現代でも、オウム真理教は空中浮遊で評判になりましたし、10年前に亡くなったインドのサイババという人は、何を教え、行っていたかは知りませんが、手をひとひねりするとそこから時計や腕輪などが出て来るという、物質化現象で多くの人々の心をとらえました。
主イエスは奇跡を行うことができる方ですから、神殿の屋根から飛び降りても命を保つことは出来たはずですが、そうはされませんでした。その後、病人をいやしたり、5つのパンと2匹の魚で男だけで5000人を満腹させたりという奇跡を行われましたが、自分のために奇跡を行うことは一切なさっていません。だから、十字架から降りてくることもなさらなかったのです。そこには激しい信仰の闘いがありました。
主イエスが体験なさった荒れ野の誘惑に関連して、多くの人が言及している話があります。ロシアの文豪ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」という作品の中で、この出来事を取り上げているのです。…もっともドストエフスキーという名前があまりに高名なので、かえっておじけづいて読んでない方もおられるでしょう。私も一回読んだだけではよくわからなかったというのが正直なところで、偉そうなことは言えないのですが、その中に「大審問官」という話が入っています。
大審問官とは宗教裁判を行う裁判官です。その話の中で、15世紀の世界にイエス様が再び地上に現れます。そのイエス様を逮捕したのがほかならぬキリスト教会で、この大審問官が、「いったいお前は、今ごろなんだって我々の邪魔をしに来たのだ」と言ってイエス様を裁くのです。…イエス様が天に帰られた日以来、キリスト教会は主の再臨を待ち望んでいることになっていますが、本当に再臨ということが起こったら、教会は果たしてイエスを喜んでお迎えできるのかという鋭い問いかけがされています。その裁判における大きな問題点が荒れ野の誘惑で、この話の中でキリスト教会は、イエス様が悪魔の誘惑を断固として拒否したために、さんざん苦労していることになっているのです。
大審問官は第2の誘惑についてこう言います。「(お前は悪魔の言うことを拒否した時、)すべての人間も自分の例にならって、奇跡を必要としないで神と共に暮らすだろうと、こんなことを当てにしていたのだ。けれども人間は奇跡を否定するやいなや、直ちに神をも否定する。なんとなれば、人間は神よりもむしろ奇跡を求めているのだからな。この理をお前は知らなかったのだ。…お前は人間をあまりに買いかぶりすぎたのだ。」(同書、岩波文庫第2巻、93~94ページ)
こういう議論をしながら、ドストエフスキーというロシア正教会の作家が読者に向かって逆説的に示しているのは、イエス様が神殿の屋根から飛び降りた方が実はのちの教会にとって都合がよかったのではないか、イエス様を試みたものは実は私たちの中にもある思いではなかったのかということです。
神殿の屋根の端で悪魔が引用したのは詩編91編11節と12節の言葉です。「主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。」
ここに来て、悪魔ってすごい、私よりよほど聖書を勉強している、なんて思った人はいませんか。誰もが、悪魔以上に聖書を読んでいなくてはならないのです。ふだん聖書を正しく読むことがどれほど大事かということが教えられます。
詩編の言葉と悪魔が引用したマタイ福音書の言葉を比べてみましょう。悪魔はここで、イエス様をだますために2つのトリックを用いています。その第一は、み言葉が意味しているものに関してです。詩編の言葉は、神のみもとに身を寄せる信仰者慰め、励ますために言われているのです。しかし悪魔は、これを思い上がりと無鉄砲な大胆さのために使っています。第二のことは、詩編には「あなたの道のどこにおいても」と書いてあるのに、これを悪魔は意図的に省いてしまっているということです。悪魔はせめて、「神は、あなたの道のどこにおいても、あなたの足が石に打ち当たることのないように…」と言うべきだったのですが、そうはしません。
…神は信仰者を彼らの道において守られるのであって、道にはずれたことをしても守って下さると言うことは出来ません。それは神をないがしろにすることです。イエス様がそこから飛び降り、そのことで人々の称賛を浴び、たくさんの信者を集めた場合、のちの教会にとって都合が良かったかもしれませんが、それは父なる神のみこころからはずれてしまっているのです。
悪魔の恣意的な聖書の引用に対する主イエスの武器は、やはり聖書のみ言葉でありました。「『あなたの神である主を試してはならない』と書いてある。」、ここで引用された言葉は申命記6章16節にあります。
「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」ここで言及されている、マサにいたときというのは出エジプト記17章にあります。出エジプトの旅の途上にあったイスラエルの人々が、荒れ野の中で飲み水がなくなるという危機に陥りました。この時、民はモーセに向かって「我々に飲み水を与えよ」、「なぜ、われわれをエジプトから導き上ったのか。わたしも子どもたちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」と言って、つめよったのです。モーセは神に祈って、水を出してもらいました。飲み水がないというのは確かにたいへんな苦しみですが、その時、民は神に頼ることをしませんでした。出エジプト記17章7節はこう書いています。「彼は(モーセは)、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、『果たして、主は我々の間におられるのかどうか』と言って、モーセと争い、主を試したからである。」
果たして主は我々の間におられるのか、おられるのだったらしるしを見せてくれ、これは多くの人が望んでいることで、私たちの思いの中にもあるでしょう。しかし聖書は多くの場合、それは罪であると告げているのです。
神がおられるならしるしを見せてくれ、人はこのようにして神を自分たちのレベルにまで引き下ろしてしまいます。…なるほどイエス様が神殿の屋根から飛び降りて無傷だったら、これを見てイエス様を信じる人が大勢出るでしょう。しかし人々がイエス様をほめそやす時、イエス様は人気を維持するために、死ぬまでいかがわしい見世物を演じなければならないことになるのではないでしょうか。それは本当の信仰ではありません。…それは私たちが遊びと割り切ってサーカスやマジックを見て楽しむこととは違います。人は救い主に対して、そんなことを求めてはならないのです。
イエス様は人間にとって都合の良い神であることを拒否されました。奇跡を行う力を持っておられるにもかかわらず、イエス様が世界に示されたのは人々をあっと言わせることではなく、十字架というしるしであったのです。イエス様は十字架に向かって歩まれ、神の力がそこに現れたということを、受難節の今、どうか心に刻んで下さいますように。
(祈り)
天の父なる神様。私たちはこれまで、イエス様が自分に何をしてくれるかということばかり求めてきたように思います。すでに、ほかにかけがえのない、幾多の恵みを頂いているのに、満足できず、目先のご利益(りやく)ばかり追い求めてきました。しかし、そのことを見抜いておられた主イエスが悪魔とたたかって勝利され、神様を試すことではなく、信仰の道において私たちを守って下さることを教えられて、感謝いたします。イエス様のお苦しみは、ご降誕の時を除けば、まさに悪魔との闘いに始まり、十字架においてきわまりましたが、そのすべてにわたって、信仰によって勝利されたことを、私たちもわがことのように喜び、そのことがこの世に生きる上での指針となりますように。
神様、東日本大地震と原発事故10周年にあたるこの年、この国にあるすべての教会を強め、神様がこの国に与えられるメッセージを力強く語らせて下さい。
この祈りをとうとき主イエスの御名によって、み前にお捧げします。アーメン。
人はなんで生きるか youtube
申命記8:1~10、マタイ4:1~11
2021.3.7
私たちはいまマタイ福音書によってイエス・キリストのご生涯を学んでいます。今日与えられた箇所は「荒れ野の誘惑」として名高い物語で、「人はパンだけで生きるものではない」という聖句ははなはだ有名です。しかしこれを間違って理解していたり、またこれには納得できないという人も少なからずいるように思います。
「人はパンだけで生きるものではない」、ここでパンのかわりにお米でもなんでも良いのです。…人は食べ物だけで生きるものではない、ただ食べるために生きているのではない、何かたしかな精神的なよりどころがなければ…。これまで、そのように理解されてきたのではないでしょうか。しかし、そんなことを言っておれない人もたくさんいるのです。
いまここにおられる方の中にも、生きるために必死で闘っておられる方がいるでしょう。…毎日、激務をこなし、職場の人間関係の中で苦労し、時には業務命令だとはいえ良心に反したことをしなければならない場合もあって、休みの日には家でただ寝ているだけ、そういう人にとって「人はパンだけで生きるものではない」という言葉がどう見えるのか、「それは金銭的にも時間的にも余裕がある人が言うことだ」となっているのではないかと思います。
さらに、また別の問題があります。日本は食べ物がありあまっているようですが、世界に目を向けると、飢餓で苦しんでいる人々が大勢います。いま飢えて死のうとする人に向かって、「人はパンだけで生きるものではない」と言うことができますか。それは問題の解決にならないばかりか、苦しんでいる人をさらに苦しめることになりはしないでしょうか。…そこで、この言葉を言い換えようと言う人が出たとしても不思議ではありません。たとえば「人はパンがあってこそ初めて神の言葉で生きることができる」とか、また「人は神の言葉で生きるのではない。パンによって生きる」とか、こちらの方が実際の状況にぴったり合っているのかもしれません。
しかしながら、主イエスは、安全地帯にいていわばぜいたくな気持ちからこの言葉を発せられたのでしょうか。まずそれを確かめることから始めましょう。
マタイ福音書4章1節は、「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた」といいます。「さて」という言葉で場面が転換したかのようにも見えるのですが、荒れ野の誘惑は実はその前に記されている主イエスの洗礼の出来事とつながっているのです。主イエスが洗礼を受けられた時、天が開けて「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえました。父なる神が「イエスは神の子である」と宣言されたのです。
荒れ野における誘惑はこのことが焦点になります。3節で、誘惑する者は「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうか」と言い、6節でも「神の子なら、飛び降りたらどうか」と言っています。イエス様が本当に神の子であるかどうかを巡って、熾烈なたたかいが起こっていることがわかるのです。
主イエスは40日間、昼も夜も断食されました。完全に食を断たれました。それは精神と肉体の限界であり、生死の境い目に立たれたことを意味しています。ですから、主は決して満ち足りた、ぜいたくな気持ちでおられたのではありません。…この時に誘惑する者が来ました。イエス様は9節に至ってやっと「退け、サタン」と言っておられますから、それが全身黒づくめの衣装で、角があり、尻尾が生えている、一目で悪魔だとわかる姿をしていたとは思えません。姿かたちや物言いがとても紳士的であったり、人を引きつけてやまないものがあったとしてもおかしくないのです。学者の中には、荒れ野の誘惑自体が、死海のほとりで活動していたクムラン教団、別名エッセネ派との思想的対決だったと考える人もいます。この説が正しいかどうかわかりませんが、この出来事の基になる事実があったのでしょう。
イエス様がこの時、空腹のために苦しんでいたのは確かですが、それはただご自分のことだけで苦しんでいたのではありません。イエス様は神の子であって、すべての人のための救い主です。ということは、イエス様はここで食べ物がなくて苦しむ、すべての人の苦しみを味わわれたことになるのです。で、そこにやってきた誘惑する者が言うのです。「あなたは神の子だそうですね。この世界に来られた救い主だそうですね。そんなにやせ細って、食べ物がなくて生きてゆけない人間の苦しみをよくご存じなら、どうしてこれらの石をパンに変えようとはなさらないんですか。そのようにしてあっさり飢餓問題を解決してくれたら、どんなに多くの人たちが悲惨な状態から救われるでしょう。それこそがもっとも期待されている人間救済の道ではないでしょうか。」
誘惑する者はここで、パンを神に求めよとは言いません。イエス様に、自分の力でパンを作り、自分を救い、さらに多くの人を救ったらどうか、と言っているのです。そこで私は、パンの問題を現代の状況も踏まえて考えて行こうと思います。
私は中国に留学していた時に雷鋒という人について知りました。この人は1940年生まれ、中国の旧社会の中で辛酸をなめつくした人です。…雷鋒のおじいさんは地主にこき使われたあげく病死、父親は日本兵になぐり殺されました。兄は工場で働くものの肺病で死に、その悲しみもいえないうちに幼い弟は飢えと病気で亡くなりました。ある日、7歳の雷鋒と母親は抱き合って泣きました。
その直後、お使いから帰った雷鋒は母親が首をくくっているのを発見します。こうして彼は孤児になってしまいました。
人のお情けに頼ってかろうじて生きていた彼を救ったのは1949年の中国革命でした。生活は保障され、彼は学校にも行けるようになりました。彼は自分に新しい生活をもたらしてくれた中国共産党に深く感謝し、喜び勇んで従ってゆきました。彼は革命の理想のために人生を捧げ、常に人々の幸せを考え、自分の利益を顧みませんでした。やがて模範労働者として表彰され、共産党員になり、市会議員のような役職にも選ばれました、1962年、仕事中に不慮の事故により死亡、22歳でした。…やがて彼の人柄と業績は中国全土でたたえられることになりました。彼が残した言葉から一つ紹介いたします。「私が生きるのはただ一つの目的、人民にとって有用な人になるためだ。人民のために生き、人民のために死ぬ。」
私がなぜこんな話をしたのかというと、この人が体験した苦しみと喜びのすべてが、主イエスの前に突きつけられたものと共通していると考えたからです。
共産主義と宗教、キリスト教との関係はたいへん複雑で、今日では信教の自由を認める共産党もありますが、雷鋒が生きた時代、共産主義と宗教は互いに全く相いれないものとされていましたので、そのような時代状況の中で考えて下さい。……孤児となって物乞い同然の生活を送っていた少年雷鋒に、中国共産党は生きる場所を提供しました。神を信じない、信仰を否定する人たちが彼に人生の目的を教えました。これに応えて彼は、力の強い者が弱い者から財産をむしりとっていく世界の中で、虐げられた人々にパンを提供する社会を作ることこそ世界を救うことだと考えて、そこに人生を捧げたのです。
私はこの人を立派な人だと思っていますが、誘惑する者ならこのように言うでしょう。「イエスよ。見ただろう。世界には現に飢えて死のうとしている人がたくさんいる。その中で、雷鋒のように、本当に人々の幸せのために献身する人がいる。そのことがどんなに人を感動させるだろう。人が生きる上でいちばん大切なパン、これを提供することこそ本当の生き方ではないのか。その時に信仰だの神の言葉だのがいったい何の役に立つ。かえって、その妨げになるだけではないのか」と。
私たちは、神を知らない人たちが、人々にパンを提供するために働くことを否定することはできません。食べることは、実に切実な、命がけの問題なのですから。雷鋒の場合はキリスト教にふれる機会が全くなかったので、これはキリスト教側の怠慢を恥じるべきでしょう。教会は良いことを言っていても実行が伴わず、神を知らない人の方が社会のためによほど有益な働きをしているということがあります。もしも雷鋒をとらえた思想を克服しようとするなら、これをさらに上回る真実を世に対して示さなければなりません、
主イエスは、石をパンに変えろという誘惑に対してみ言葉をもって闘われました。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」。主が引用した言葉は申命記8章3節の言葉で、ここを開いてみると「人はパンだけで生きるものではない」という言葉がどういう状況の中で言われた言葉なのかがわかります。
モーセに率いられてエジプトを出発したイスラエルの民は、40年間荒れ野を旅してゆきましたが、たびたび飢餓の問題に直面しました。その時、神はマナという食べ物を与えて、民を救った、それとの関連で「人はパンだけで生きるものではない」という言葉が出て来るのです。申命記8章3節から読んでみます。「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」
ここで神が語られた言葉は決して、人は神の言葉によって生きるのだから、どんなにひもじくても我慢しなさい、ということではありません。そうではなく、神は人々の飢えをよくご存じだからこそ食べ物をお与えになった、神の恵みは十分にあったということなのです。ここでは私たちの間でよくありがちな、霊的なものと物質的なものとどっちを選ぶかという二者択一を提示しているのではありません、神はパンを与えられるのです。人間にとっての飢えの苦しみを知っておられるのです。だから、神の言葉によって生きるとは、パンなど食べなくても聖書を読んでいれば生きてゆけるということではありません。神は私たちになくてはならぬパンを与えられながら、しかし、あなたがたは私の言葉によって生きる、と言われるのです。
もう一つ、16節以下を読んでみます。この聖句の主語は主なる神です。「あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめては試し、ついには幸福にするためであった。あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」
主イエスが40日40夜の断食を通して到達した地点は、やはり神の言葉に立つこと以外にはありませんでした。イエス様がそのようになるまで、涙をもってパンのために祈ることが必要であったことでしょう。神様抜きで自分の力でパンを作って、食べるという生き方は、だからイエス様ばかりでなくすべてのキリスト信者においてありえないのです。
今日、日本では食べ物がありあまっているとしても、それでも餓死する人がいます。日本国際飢餓対策機構によると、世界では1分間に17人、1日に2万5000人、1年間に1000万の人が飢えのために死んでいるそうです。ひと昔前よりは数字が改善されていますが、それでもまだまだひどい状況です。世界の中で、4人に1人がたらふく食べる一方で、残りの3人は食うや食わずという経済的不平等を解決するのは簡単なことではないのですが、信仰抜きで行えることではありません。主イエスの荒れ野における闘いを無視して、本当の意味での道は開けないのです。
主イエスはヨハネ福音書6章48節で「わたしは命のパンである」とおっしゃっています。この時、その場にいた人たちは言葉の意味がわからず、命のパンをほしがらなかったのですが、主イエスがおっしゃっていたのは永遠の命です。多くの人は肉体にとって必要なパンは求めても、魂にとって必要なパンを求めず、この二つが切り離されてしまっていますが、私たちがそうであってはなりません。
人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのです。そのことは、私たちの労働がパンを生産するとしても、その労働の上にあってこれを実らせる神の祝福がなければならないということです。ご自分のいのちを犠牲にされ、十字架上から私たちに至高の愛を注がれた主が命のパンであります。この主イエスが私たちの日ごとのパンを祝福して下さいます。健康を支え、おいしいものによって喜びを与えて下さいます。心を強くして下さいます。信仰者は、神様をたたえつつ、神様から頂いたものを独り占めしないで、そのパンを持って飢えた貧しい兄弟姉妹のところに行くべきではないでしょうか。
(祈り)
父なる御神様。主イエスが荒れ野で誘惑する者に対して勝利されたがゆえに、日ごとの糧をあなたに願うことの出来る恵みを感謝いたします。私たちはいつも何を着ようか、何を食べようかと、神様のことを忘れて思いわずらっています。しかし今日、人は神の言葉によって生き、その言葉の中に、日ごとの食物に対する祝福があることを教えられました。
神様、私たちが食べ物を得て生きられるようにと、悪魔の誘惑に立ち向かって下さった主イエスのたたかいが、私たちにとっても毎日の生活のためのとうとい道しるべでありますように。今、この日本でも毎日の食べ物にことかく人々、長引くコロナ禍のためにますます生活が苦しくなっている人々がいます。どうか困難な状況にある人々を互いに思いやる気持ちを、教会から始めて、それをこの国に広げて下さい。
とうとき主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
誰を遣わすべきか YOUTUBE
イザ6:1~13、ヨハネ12:36b~41 2021.2.28
私たちは今、神様に呼ばれてこの礼拝の場に来ました。朝起きた時、今日は教会に行けるんだと喜び勇んで来た人も、そこまでの思いにはならなかった人も、またネットを通してなどして礼拝説教を聞くことになる人も、神様に呼ばれてそうしているのです。神様の呼びかけを召命といいます。イザヤ書6章に書いてあるのは、預言者イザヤの召命です。
初めに、この話で学者の間で問題になっていることをあげておきます。一般には、イザヤはこの召命を受けて預言者となったと考えられています。ただそうなると、1章から5章までの間でイザヤが語ったことは、6章の召命よりあとの出来事となるので、どうして最初の出来事をあとの6章にもってきたのかということになります。そこで、もう一つの考え方として、すでに預言者として活動していたイザヤが、ここで改めて召命を受けたという再召命という考え方があるのですが、学問的には決着していません。どちらが正しいのか、皆さんもイザヤ書を読みながら、自由に考えて下さい。
6章におけるイザヤの召命はウジヤ王の死んだ年となっていて、これは諸説ありますがだいたい紀元前740年頃だとされています。ウジヤ王はユダの国の王で、16歳で王となり、52年、王の位にありました。ウジヤ王は神を畏れ敬う正しい人で、神は彼を支え、繁栄させられました。「ウジヤは、神の驚くべき助けを得て勢力ある者となり、その名声は遠くにまで及んだ」と歴代誌下26章15節に記されています。
ところがウジヤ王は、自分の勢力が増すに伴い、思い上がって堕落してしまいました。ある日、神殿に入って、祭壇の上で香をたこうとしたのですが、それは王といえども許されないことだったので、神は彼を打たれ、そのため重い皮膚病になってしまいました。王位を息子にゆずり、10年以上療養していたのですが、ついに亡くなりました。それは一つの時代の終わりと言って良いのです。権勢並びなき偉大な王が、神に打たれて病気になり、ついに死んだことはユダの国に大きな衝撃を与えたはずです。この国はこれからどうなるのだろうという不安が充満していたにちがいありません。イザヤが主なる神を仰ぎ見て、召命を受けるのは、そのような時代のただ中であったのです。
イザヤはここで「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」と言います。これは神殿の中での出来事ですが、神殿にいたほかの人たちがこれを見たということはなさそうです。神の偉大なみわざを人間が書きとめようとすると、このように書くほかありません。
イザヤは幻の内にこれを見たということなのでしょう。
イザヤは主が座しておられるのを見たと言いますが、主なる神のお姿をはっきり目に焼きつけたということではありません。イザヤは衣のすそという言葉で表わされた神の栄光をほんの一瞬、かいまみたということなのだと思います。…セラフィムは聖書の中でここにしか出てきません。彼らはそれぞれ六つの翼を持っていますが、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆いというのは、聖なる神のみ前で命を失わないためです。飛ぶために使っているのは二つの翼だけです。
イザヤは、セラフィムたちから発せられる「聖なるかな、聖なるかな、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」という賛美の合唱とともに、神殿の入り口の敷居が揺れ動き、神殿が煙で満たされるという光景を目撃しました。かつて神がシナイ山に降られた時にも煙が立ち昇ったことが出エジプトの話の中に出てきます(出19:18)。煙は神がおられる聖なる世界と、人間界をへだてるものであったと考えられます。
厳密に考えるとウジヤ王が亡くなったのと主なる神がイザヤに現れたのが、どちらか先に起こったのかわかりませんが、これは国中が不安にあった時に、昔も今も変わらない神が現れたということにほかなりません。
この時イザヤは、自分は滅ぼされると覚悟しました。神を見たと思ったからです。実際には、衣のすそを見ただけですが、それでも恐怖にかられるには十分でした。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は主なる万軍の主を仰ぎ見た。」…イザヤほどではなくても、これに近い経験が多くの人にありますように。特に教会の外で、たいがいの人は神をこれほど恐るべき存在とは考えていません。日本の精神風土の中では、非常に人間くさい神様が想像されていて、もしも神様に会うことが出来たら一緒に酒を飲みたいなんて言った人もいるのですが、そういう人は永遠の世界でたいへんな目に遭うのではないかと心配です。
イザヤが「わたしは汚れた唇の者」というのは、もちろん唇にきたない物がこびりついているということではなく、口から出るものが汚れているということで、それは第一に言葉です。悪い言葉は心が汚れているから出て来ます。それもイスラエルの民全体がそうなのです。このことはイザヤにも責任があり、その逆も真実です。イザヤは神のご臨在にふれたことで、自分とイスラエルの民が罪に支配されていることがはっきり見えたのです。神は鏡のような存在で、私たちも神様を仰ぎ見ることがなければ、自分の罪を本当に知ることはありません。
この時、セラフィムのひとりがイザヤのもとに降りて来て、祭壇から火鋏で取ってきた炭火をイザヤに触れさせました。普通なら、「何をする。おれを殺す気か」ということになるのですが、これはあくまでもイザヤが幻の内に見た光景です。主なる神のご臨在にふれて、自分の罪を認識し、自分は滅ぼされると恐怖におののいたイザヤは、神から罪を赦され、清めていただかなければ、とても神の前に立つことは出来ません。炭火をイザヤの口に触れさせたというところですが、ただの炭火ではありません。これは神殿で、いけにえの動物が捧げられたあとにできたものです。つまり罪の赦しのための犠牲です。これが捧げられたことで、イザヤの罪は赦されたのです。
聖なる、聖なる、聖なる神、人間の基準からすると想像もできない聖なる神の前で自分の罪におののいたイザヤは「あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」という宣告を受けて、再び立ち上がりました。ウジヤ王のことで不安に揺れている世の中にあって、イザヤが神を何より大切な方、まことの王として仰ぐことができた瞬間です。
神から罪の赦しを受けた、そこから希望が生まれます。主なる神が「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」と言われた時、イザヤはためらうことをせず、即座に「わたしはここにいます。わたしを遣わしてください」と答えました。…聖書には神から召命をうけた時、躊躇した人が出てきます。モーセは「私は口下手なので」と言って、エレミヤも「わたしは若者にすぎません」と言って、そこから逃れようとしました。この二人に比べ、イザヤは勇気があると言うべきです。おのが罪を赦され、清められたことが人をここまで変え、神様のために自分の人生を捧げようとさせるのです。私たちも、どういう務めであっても神様から召しを受けたなら、「私はここにいます。私を遣わして下さい」と言える人になることが出来ますように。古来、このところを読んで、新しい人生へと出発した人は多いと聞いています。
ここでイザヤに神のために献身する志が与えられたことは素晴らしいことです。しかしながら、イザヤの召命の話はここで終わりません。というのは、イザヤは、神が自分を派遣されるということが、自分にとってどんなに大変な務めであるのかをよく知らないままで「わたしを遣わしてください」と言ってしまったからです。罪を赦されたイザヤが派遣された地で、人々が彼を歓迎し、従順になって神の言葉を聞くのなら、どんなに良いでしょう。そこまで行かなくても、苦労したあとの豊かな収穫の実りが約束されているなら安心できます。しかし、神はこうおっしゃったのです。「行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために。」
これはイザヤをたいへん困惑させるものであったことは間違いありません。神様がなぜ、このような言い方をなさったのか、わからないところがあるのですが、これが絶望的な状況であることは確かです。ここではまず、イスラエルの民に救われる見込みがないことが言われています。…いま日本キリスト教会では、牧師が各地に派遣されていく時、そこにしっかりした信徒たちがいるかどうか、将来有望かどうかということを考慮するものです。テキストです。ここをクリックして「テキストを編集」を選択して編集してください。
全く伝道の見込みが立たないところに、みことばを信じて突き勧め、なに生活ができないだと、何を言っているんだ、貧乏に耐えて伝道しろ、と言って送り出すことはしません。「大変なことはあっても、こういう立派な信徒もいる。私も祈っているから行ってみないか」と励まして送り出すわけです。…イザヤに与えられた言葉はそうではありません。「お前が行っても、お前の言うことを聞く人なんかいないぞ。それでも行け」と言われたのです。
神様はわざわざ民の心をかたくなにされるのでしょうか。これはいつも問題になることで、いろいろ調べても明快な解釈が見つからないのですが、おそらく聖なる神の言葉が伝えられる時、それが聖なるものであるがために人々にしりぞけられてしまうということでしょう。たとえば明るいところが嫌いな動物とか虫がいますね。光がさすとそこから逃げて行って、暗いところへ、暗いところへと逃げてゆこうとするものです。人間も同じで、神の言葉が与えられた時にあいまいな態度を取ることは出来ません、最終的にはそれを信じるか、しりぞけるかの二者択一です。イスラエルの民はしりぞけてしまうでしょう。それでもお前は行け、信じる者がなくても語り続けよ、ということなのです。
これにはイザヤもたまりかねてしまいました。「わたしを遣わしてください」と言ったのは早まったと思ったかもしれません。でも、今さら取り消すことは出来ません。そこで「主よ、いつまででしょうか」と言うのです。
すると、これに対する答えは、「町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去るときまで」。この時代、イスラエルの民は二つの国に分断されていて、北のイスラエルは滅亡に向かっていましたし、南のユダも土台がくずれかけていました。神に背いた民に神が下した罰の結果ですが、それにもかかわらずこの民はまことの信仰にかえろうとしません。やがて、イスラエルに続きユダも滅びてしまう、しかし、イザヤはその中で神の言葉を語り続けよと言われたのです。
12節の言葉はカギでくくられてないので、神の言葉そのものではありませんが、イザヤが受け取った神の言葉でしょう。「主は人を遠くに移される」、これはユダの国が滅びた時、民がバビロンに連れてゆかれることで実現しました。「国の中央にすら見捨てられたところが多くなる」、神殿ですら破壊されてしまうのです。「そこに十分の一が残るが、それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように」、イスラエルの民の行く末が木に例えられています。北のイスラエルにいた10部族は国が滅びた時に異国に連れて行かれ、行方知らずになってしまうので、残ったのは十分の一としたのではないかと思いますが、その残った民にも神の厳しい裁きが及ぶのです。先週木曜日に広島市キリスト教会連盟の役員会があって、そこに出席していた、おととしのオープンチャペルの日に来てくれた牧師が言うところでは、その教団はたいへんで、いま教会を支えてくれる高齢者がいなくなった時どうなってしまうのか、見通しが立たないのだそうです。
日本キリスト教会も似たようなものなので、一緒に祈りを合わせましたが、今の日本で伝道者としての召命を受け、それに応じるというのは、イザヤほどではないにしろ、誰もお前の話なんか聞かないぞというところで神の言葉を語るようなものです。もっとも伝道者としての召命ばかりではないかもしれません。世界も、日本も、あらゆるところが、自然のままにしていけば良い方向に向かうということはなく、放射能の被害、気候変動、感染症など考えるだけでも危ういところに立っていることがわかります。だから、伝道者ばかりでなく、神様からどんな召命を受けたとしても、それが希望に続くという保証はなく、それこそ一生が徒労で、骨折り損のくたびれもうけということもあるかもしれません。しかし、神様からそれをしなさいと言われたら、そうするのです。
神は、聞いても理解せず、見ても悟らない、かたくなな民ということを言われましたが、かつてのイザヤもそうだったし、私たちもそこに入る者たちです。しかし、イザヤがいけにえの動物の体である炭火でもって清められたように、、私たちもキリストの十字架によって清められています。
イスラエルの民は国を失い、異国に移されて、残った十分の一も焼き尽くされてしまいますが、しかし、それでも切り株が残ります。その切り株は聖なる種子であると神は言われました。これこそイザヤ書11章で「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その枝からひとつの若枝が育つ」と言われるものです。無残な切り株から育つ若枝、それが世界を救うメシアなのです。神は人間がどんなに頼りないかをご存じですから、どんなにすぐれた人であってもそこに望みをかけることはなく、天から神のみ子イエス・キリストを送り出されることで、世界をほんとうに救う計画を着手されるのです。
今日お読みしたヨハネ福音書で「イザヤは、キリストの栄光を見た」というのはこのことまで指しています。人間がどうしようもなくなったところで、神の力が働いて、イエス・キリストが輝きます。イザヤはキリストを仰ぎみたことで、労多くして報いの期待できない仕事に飛び込んでゆくことができました。…今の時代、教会の伝道も、私たちそれぞれに与えられた務めも、それが豊かな実りを産むという保障はありません。現実は厳しいのです。しかし、人間の力が及ばないところに神のみわざが現れる、そのことが私たちをして前に進めさせるのです。
(祈り)
私たちの救い主なる神様。私たちはこれまで、召命というのは伝道者だけが受けるものだと思っていたかもしれません。しかし、会社勤めをしている人にも、家事にたずさわっている人にも、それぞれに尊い召命があります。神様のみ前に集まるあらゆる人に、それぞれにふさわしい神様の呼びかけが与えられているのです。神様が私たち一人ひとりに幸せな人生を約束しておられるなら嬉しいのですが、必ずしもそうではありません。労多くして報いの少ない務めに召されている人に、神の特別な顧みを与えて下さい。現実はいつの時代にも厳しく、イザヤのように「主よ、いつまででしょうか」と言いたくなる時もあるでしょう。しかし、どうかイエス・キリストによって苦しみを乗り越えることが出来ますように。いま勝利を手にしていなくても、それが確実であることを示して、主にある希望を見せて下さい。
主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
イエス・キリストの出現 youtube
詩編2:7~12、マタイ3:13~17
2021.2.21
私たちは先週の礼拝で、洗礼者ヨハネがユダヤの荒れ野に現れて「悔い改めよ、天の国は近づいた」と叫んだこと、また各地から集まってくる人々にヨルダン川でバプテスマを授けたことを学びました。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」、ヨハネはこう言うことで、神様が王として直接統治なさる新しい時代が迫って来ていることが告知しました。だから、罪を悔い改めなさいと。…罪を悔い改めてこれを告白した者に、ヨハネはバプテスマを授けます。…ヨハネにとって、これらすべてのことは、まもなく現れるメシア、救い主をお迎えする準備でありました。
ヨハネは、いわば寄席でいうところの前座を務めました。今回いよいよ、真打ちであるイエス・キリストが登場するのです。
イエス様はそれまでガリラヤのナザレで生活しておられました。家族の中で父親のヨセフは長生きしなかったようで、イエス様は大工の仕事をしながら、母親や弟・妹たちの世話をしていたものと思われます。「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった」とルカ福音書(3:23)に書いてあり、これに先立って洗礼を受けられたのです。
洗礼者ヨハネはすでにイエス様のことを「わたしの後(あと)から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と言っていました。その方に比べたら、自分は奴隷以下の存在だと言うのです。さらに、「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる」と。…これは警告でした。すなわちメシアが現れる時、聖霊によるバプテスマを受けて救われる人がいます。しかし、火によるバプテスマ、これを受けて滅んでしまう人もいるのです。ヨハネは、あなたは、なんて品のいい言葉は使わなかったかもしれません、一人ひとりに、お前はどちらの生き方を選ぶのか、と突きつけていたのです。
多くの人がその場に集まっていたことでしょう。その時、人々の中からイエス様が現れます。状況から判断して、イエス様の方からヨハネに対して、「バプテスマを授けて下さい」と言ったのは間違いありません。しかし、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして言いました。「わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」…けれどもイエス様は「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言われるので、ヨハネはとうとうイエス様が言われた通りに洗礼を授けました。
皆さんはイエス様の洗礼を描いた絵を見たりして、これまで、ああイエス様も洗礼を受けたのだなと思っていたかもしれませんが、よくよく考えるとこれはとても変な話なのです。どうしてこうなるのだろうということが昔から問題になっていました。イエス様は洗礼を受ける必要があったのでしょうか。
ここで、洗礼についておさらいしておきます。洗礼はもともと、ユダヤにおいてエルサレムの神殿で、外国人がユダヤ教に改宗する時のために始まりました。ヨハネはそれを大胆に改革して、自分は神様の民だから洗礼など必要ないと思っていたユダヤ人に洗礼を授け、その後、イエス様の弟子たちも洗礼を授けることを始めました。十字架を経て復活なさったイエス様は弟子たちに「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け」なさいという大宣教命令を下されています。
それから長い時を経て、洗礼に関するさまざまな文献がありますが、あまり難しいものをあげてもしようがないので、ここで札幌北一条教会でつくられた洗礼準備会のクエスチョン&アンサーを紹介します。そこには、このように書いてあります。
問 洗礼とは何ですか。
答 洗礼とは三位一体の神のみ名によって行われる水の洗いであって、わた
したちが神の子とされ、神の国の相続人とされる礼典です。
問 洗礼の意義は何ですか。
答 わたしたちは洗礼を受けることによって、キリストとともに死に、キリ
ストとともに生きる者となり、罪のゆるしと新生とを保障され、キリス
トの体である教会の一員とされるのです。
問 洗礼を受ける者の側ではどんな態度が必要ですか。
答 悔い改めて信仰を告白し、献身と忠誠との志をもつことです。
これは、当然ながらイエス様の十字架と復活のあとに出来たものですから、ヨハネが開始した洗礼が意味するものをさらに発展させたものになっていますが、基本的なことは変わりません。人々がヨハネのもとに来て、罪を告白したように、ここでも「悔い改めて信仰を告白し」となっています。人は、自分が神様からどれほど離れているかということがわかっていないと、洗礼にまで導かれないのです。
さて、この問答の中に「わたしたちは洗礼を受けることによって、キリストとともに死に、キリストとともに生きる者となり」とあります。これはパウロが教えたことに基づいているのです。
……水で清めるというのは多くの宗教にあって、日本にも「みそぎ」という言葉がありますね。政治家が悪いことをしてつかまっても、次の選挙に出て当選することで、みそぎはすんだと言うことがありますが、水に流してさあ終わり、また同じことの繰り返しでは、本当に罪を悔い改めているとは言えません。
パウロはロマ書6章3節、4節でこう教えています。「あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるためにバプテスマを受けたことを。わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」なかなか難しいのですが、礼拝でこれをくわしく説きあかす日が来るでしょう。
いま日本キリスト教会の洗礼は頭に水をつけることによって行っていますが、本来の意味からいうと全身を水に浸して行うのが良いのかもしれません。安全上、健康上の理由があって今の形になったのだと思いますが。洗礼におけるきわめて大事な要素は「葬り」です。水の中に沈められるのは、ただ汚れを洗い流すということにとどまりません。罪の体が葬られることなのです。パウロはロマ書6章8節でも「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じています」と書いていますが、このことが先ほどの問答にも反映されています。キリストの十字架と復活があってこそ、私たちが受けた(また受けるだろう)洗礼は意味を持っているのです。
もちろんヨハネが活動していた時、イエス様はまだ十字架にかかってはおられませんが、ヨハネが行った洗礼の陰にもイエス様がとうとい命をかけて行われた救いのみわざが見えています。……ただ、そのように考えてゆきますと、イエス様が自分から進んで洗礼を受けられた理由がわからなくなってしまいます。
なぜ、罪がなく、悔い改めの必要も全くなかったイエス様が洗礼を受けられたのでしょう。ヨハネがイエス様の洗礼を押しとどめようとしたのは当然でしたが、イエス様は「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言われました。…「正しいことをすべて行う」、これはこれまでとは別な視点から考えることが必要で、おそらく、「我々」という言葉で代表される、すべての人間のための救いの道筋を作るということなのです。どうすれば一人でも多くの人間が救われるのかを考える時、この方法をとるしかない、となったのではないか、と考えられるのです。
イエス様が洗礼を受ける、これは理屈に合わないことのように見えますが、しかし天の父なる神のみこころにかなったことでありました。
もっと言うなら、イエス様ご自身は罪のないお方、誰も罪を指摘することのできないお方であったにもかかわらず、そのように振舞おうとはせず、罪人(つみびと)の側に身を置かれました。ご自分が神の子の身分であるにもかかわらず、自分を高い所に置こうとなさらず、何より救いを必要としている人間たちの間に入って、一緒に、並んで、洗礼を受けられたことを意味します。それは正しいことであり、天の父なる神がその偉大なご計画を実行するために必要なことだったのです。
マルティン・ルターはこう言っています。「本当の意味で罪人になられた方はただひとりイエス・キリスト だけだ」と。…私たちの悔い改めを考えてみましょう。それはいつも不十分なものでしかありません。しないよりはましだとしても、自分を守るばかりです。自分を完全に神様に明け渡すということがありません。…私は、自分を見ても本当にそうだと思います。神様よりも自分を優先させてしまうのです。しかしイエス様はそんな人間たちを断罪することなく、神様の裁きを受ける、ほんものの罪人になって下さったのです。
イエス様にとって、ご自分よりはるかに格下のヨハネから洗礼を授けてもらうことは恥でも何でもありません。誰が洗礼を執行するとしても、神様からその任を与えられた人であれば良いのです。
イエス様は神の身分でありながら、高いところに鎮座ましますということをなさらず、天から降りて人間になられた、それも王侯貴族や上流階級の人間ではありません。イエス様は宣教を始められる前、労働者でしたし、宣教を始められたあとは、貧しい人々、社会から排斥された人々、宗教的な理由で汚れているとされた人々などと手を取り合って歩まれました。その最終的帰結が十字架になるのですが、その立場がこの洗礼においても典型的に現れており、このことで新しい救いの扉を開かれたといえます。
イエス様が洗礼を受けて、水から上がられると、天がイエス様に向かって開き、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのをご覧になりました。その時、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたのです。
父なる神のこの言葉は、イエス様だけではなくその場にいたすべての人に、そして私たちにも向けられています。そこには、まず、イエス様が自ら罪人のひとりとなって洗礼を受けられたことを父なる神様が認められたことがありますが、それだけではなく、「イエスに聞きなさい。イエスをあなたの人生の中心としなさい」というご命令もあるのです。
ヨルダン川の水の中に、すべての人間を代表して罪人として葬られたイエス様は、今度は水をくぐりぬけてそこから立ち上がりました。これは復活を告知しています。天からの祝福が与えられたイエス様の公生涯が始まりました。
今、すでに信者になっている人は受洗の時のことを思い出して下さい。洗礼はこれからという方は、ご自分の人生の新しい可能性について思いをめぐらしてみて下さい。私たちそれぞれの人生も天につながっているのです。天から降ってきたイエス様が私たちと同じ罪人となって、私たちのために救いの扉を開いて下さったのですから。
(祈り)
天の父なる神様。イエス様が、ヨルダン川に集まっていたバプテスマのヨハネや大勢の人々を押しのけようともせず、救いを必要とする罪人と同じところに立って、洗礼をお受けになった、そのことの不思議さを思います。
ふつう神様ということで人が想像するのは、大きな力を持っていたとしても人間と大して変わらないような存在ばかりです。人間の救いのためにすべてを賭けて下さっているような神様を人間の側から想像することは誰もできませんでした。そのため神様の方からとうといそのお姿を現して下さいました。私たちがその恵みの中にいるのです。
神様、私たちは、どこから来てどこへ行くのかわからず、魂のよりどころもないまま宙を漂っている人間ではありません。この小さな自分の人生も天につながっている、そのことを心の支えとさせて下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
荒れ野から叫ぶ声 YOUTUBE
イザヤ40:1~5、マタイ3:1~12
2021.2.14
第2次世界大戦が終わってまもなくの1947年のこと、塩の湖として有名な死海のほとりで、一人の少年が群れからはぐれた山羊を追って岩山に登りました。山羊が洞窟に入ったのを見た少年が石を投げたところ、かめに当たって音が聞こえました。そのかめの中には、はるか昔に書かれた巻物が入っていたのです。これが世界を驚かせた死海写本の発見です。その後の調査によって、その近辺の洞窟からも大量の聖書の写本や古代の文書が発見されました。また、そればかりではなく、岩山のふもとから廃墟となった宗教教団の建物が発見され、巻物を隠したのはそこの人々だったことがわかったのです。
その人々はそこの地名をとってクムラン教団と呼ばれます。紀元70年頃、その場所はローマ帝国の軍隊によって破壊されてしまいましたが、その直前、彼らは大切にしていた文書を近くの洞穴の中に隠し、それが1877年後に発見されたということです。
クムラン教団の人たちはエッセネ派とも呼ばれています。紀元前2世紀末から、男性のみで独身を貫き、自給して共同で厳しい修道生活を送りながら、メシアの到来をひたすら待ち望んでいたのです。学者が言うところでは、イザヤ書40章3節に「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」と書いてあるところから、人里を離れて荒れ野に住み着いたということです。華やかな都会には祭司など職業的宗教家がいますが、そういう人たちには目もくれず、厳しい修道生活を自らに求めることで「主のために、荒れ野に道を備え」ようとしたのです。
では、クムラン教団が活動していた時代に現れた洗礼者ヨハネとはどういう人だったのでしょうか。ヨハネは祭司ザカリアと妻エリサベトの間に生まれ、親類にはマリアがいます。彼は生まれる前から、神から特別な使命を与えられた人でした。ヨハネが人々に洗礼を授けたのはヨルダン川だと書いてありますね。その場所はクムランから遠くありません。聖書にはクムラン教団について何も書いてありませんが、学者たちは、ヨハネはクムラン教団と何らかのつながりがあっただろう、と考えています。ヨハネが荒れ野で禁欲的な生活をしたこと、ファリサイ派やサドカイ派の人々を批判したこと、神の裁きと悔い改めの勧めなど多くの点で両者は共通しています。けれども、両者は大切なこの一点で違っていました。クムラン教団の人たちはイエス様と距離を起き、イエス様を自分たちが待ち望んでいたメシアとはとうとう認めず、そうして歴史の舞台から消え去ってゆきました。しかしヨハネだけが新しい世界に属する者として、新しい世界の主、イエス・キリストを指し示したのです。
ヨハネが活動した荒れ野というのは、水と緑が豊かな日本にいてはとても想像できないような過酷な大地です。彼は、神殿があり、多くの人が住んでいるエルサレムには行かず、辺境で活動しますが、そのこと自体、この時代にいた既成の宗教団体と宗教家への痛烈な批判を意味しているようです。しかもそのいでたちはと見れば、原始人に近いのかもしれません。らくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締めており、神殿に仕える祭司たちの立派な服装とはかけはなれていました。食べるものはいなごと野蜜です。上品な人が見たら眉をひそめるような姿ですが、そうした荒々しさが求められる時代だったのでしょう。
ヨハネが出現する前、ユダヤには400年もの間、預言者が与えられていませんでした。神の言葉を聞きたくても聞くことのできない、みことばのききんというべき状況がながらく続いていたのですが、しかし機は熟していました。ちょうど昔の日本で、戦国時代を終わらせるために織田信長という型破りな人物が用いられたように、神はヨハネを用いて新しい時代の扉を開かれたのです。
もしもヨハネが祭司になって、ユダヤ教を内側から少しずつ改革するようなことを目指していたとすれば、荒れ野に行く必要はありません。しかしヨハネが目指していたのは、それまで誰も行わなかったこと、ついにこの世界に現れた救い主、メシアをお迎えする準備をすることでした。それは、これまで積み上げてきたものを全部捨ててしまわないと出来ないようなことだったのです。
旧約聖書の中でヨハネとよく似た人物が出て来ます。…神に背いたイスラエルの王アハズヤに、恐ろしい災いを告げて立ち去った人がいました。王がそれはどんな人からと尋ねた時、家来は答えました。「毛皮を着て、腰には革帯を締めていました。」王はすぐに「それはエリヤだ」と言います(列王下1:8)
エリヤは紀元前9世紀のイスラエル王国に生きた預言者です。彼はバアルの神に仕える450人の偽預言者と対決して勝ったという、旧約聖書のハイライトともいうべき出来事の主役ですが、その結果、王から殺されそうになって、命からがら荒れ野に逃げ込みました。彼は今度は、絶望のあまり死を願います。しかし、死の陰の谷のような荒れ野の中で主なる神と出会い、そのみ声を聞いて再び立ち上がるのです。
旧約聖書の中のいちばん最後の書物、マラキ書の最後、3章23節にこう書いてあります。「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって、その地を撃つことがないように。」…ヨハネは第2のエリヤです。大いなる恐るべき主の日に、神が地に災いをもたらすことがないよう、世に警告を与えるため任務を帯びて遣わされたのです。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」とヨハネが語ったとき、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々が集まってきて、罪を告白し、バプテスマを受けました。これは不思議なことです。伝道者というものは普通、人がたくさんいる場所に自分から出かけてゆくものですが、彼は誰もいない荒れ野で叫んだのです。しかも、その言葉を聞いて信じる人々が起こされたのです。ここに神のみ手が働いています。福音が福音である限り、それがどんな場所からであったとしても、必ず広がってゆくのです。
「悔い改めよ、天の国は近づいた」、ヨハネはこの言葉で、ユダヤの人々に対し、メシアの歩く道を整えさせようとしました。…「悔い改めよ」、これは心を入れ換えることです。私たちは、自分が悔い改める必要のある人間だということがわからないではありません。だから、悔い改めというと、いつも自分のこの罪、あの罪というように思い出して、新しく出直そうとします。そうして、結局はいつも同じことの繰り返しになってしまうのです。それではあまり進歩はありません。自分は罪を犯す人間であるというより、自分は罪人(つみびと)であると知ることが大切で、そこから本当の悔い改めが始まるのです。
「天の国は近づいた」。…天の国とは神の国、それはどこか遠くにある場所ではなくて、神様のご支配のことです。「天の国は近づいた」というのは、神様が王として直接支配なさる時が迫った、ということにほかなりません。神様が世界の王であることは歴史を通して変わりませんが、これまで神様が目をつぶっておられたことがありました。しかし、これからはそうはゆきません。神様が直接統治される新しい世が来るのだから、悔い改めなさいと言うのです。
罪を悔い改めたしるしとして洗礼、バプテスマがあります。旧約聖書には、何か所か水の洗いということが書いてあり、また研究者によると、他の宗教からユダヤ教に改宗する人に対しては洗礼を行っていたということですが、キリスト教の洗礼に直接的な意味で道を開いたのはヨハネです。
人が悔い改める、そうして罪を告白し、洗礼を受ける、これはすべて近づいてくる天の国を迎えるための準備です。そのことはすなわちメシアの歩く道を整えること、イエス様をお迎えする準備であったのです。しかし、ヨハネのもとにやってくる人々、その中でも特にファリサイ派やサドカイ派の人々に対するヨハネの言葉は熾烈をきわめました。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか」、この時代に誰もが尊敬していた宗教指導者が、どうしてこれほどまでに言われなければならないのでしょう。それは神様に近いところにいる人ほど、その信仰が厳しく吟味されるからです。信仰の面でいいかげんな環境に育った人の罪はおおめに見られたとしても、職業的宗教家ではそうはいきません。
ヨハネが蝮という言葉でイメージしていたことがあります。この地の荒れ野は砂漠と区別がつきません。ところどころにやせた短い枯れ草といばらの灌木がありました。それらは水不足でかわききっています。この不毛の大地にときおり火事が起こると、枯草や灌木が瞬時に燃えてしまいますがその時、草や木に隠れていた蝮の類が、火に追われ、飛び出してきて、逃げ回るのです。ヨハネはお前たちこそそれだと、神の怒りの前にはひとたまりもないのだと言ってのけるのです。
ヨハネは「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな」という言葉で、この人たちが拠り所にしている点を突きました。アブラハムはユダヤ人の祖先、信仰の父として崇拝されている人物ですから、人々には自分たちがその子孫であることを誇りにする気持ちがあったのですが、ヨハネはそのことにひそむ問題点をあばくのです。この時代のユダヤ人にとってアブラハムは特別な存在でした。アブラハムは神の前に特別に正しく、特別な恵みを授かったので、その徳が彼自身だけでなく子孫にも及ぶと考えられていたのです。例えば、ユダヤ人が死んだあと地獄に送られることになっていても、アブラハムがたくわえた恵みの配分にあずかって地獄行きを免れるというようなことで、ヨハネはこうした考えを非難したのです。
「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」ヨハネの口から直接これを聞いた人たちは恥をかかされたと思ったでしょう。心の支えとなっていた尊い血筋が価値のないものにされてしまったのですから。ただ私たちも心して聞くべきでしょう。自分がどこそこの民族に属しているとか、とおとい家柄であること、教会の中でいえば何代も続く信仰の家庭で育ったり、信仰歴何十年ということも、人間の最後の拠り所ではありません。神様の前では、あとの者が先になるということが起こるのです。
ヨハネはご覧の通り、力強い預言者でした。どんな権力者にも頭を下げず、どんなに偉い先生が来ようがはっきりとものを言います。しかし、それにもかかわらず「わたしの後から来る方」すなわちイエス・キリストは「わたしよりも優れておられ、わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない」と言明しました。履物を脱がせるのは奴隷の仕事です。その価値もないと言うのです。
さて、ヨハネは「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる」と言います。ここの解釈は難しく、私が理解できたかぎりのことをお話ししますが、…ヨハネが授けたバプテスマは水のバプテスマでした。イエス様のバプテスマで、聖霊が言及されているのは、この教会で洗礼式を行う時も「父と、子と、聖霊のみ名によって、わたしはあなたに洗礼を授ける」と宣言しますから、現代まで受け継がれているのがわかります。問題は、「火でバプテスマをお授けになる」というところで、今日の教会でこのような儀式はありません。
これは次の節の、麦を取ったあとの殻、すなわち何の価値もなくなったものを消えることのない火で焼き払われるということに結びついていると考えられます。だとするとこの火は永遠に消えない地獄の火となります。
これはヨハネの警告が行った警告であると思われます。人間には神の前に救われる人とそうでない人がいるのです。すなわち聖霊によるバプテスマを受けて救われる人と、火によるバプテスマを受けて滅んでしまう人と。……おそれをもって、この警告を受け止めたいと思いますが、ここで一つ、心にとめておくべきことがあります。それは、ヨハネがわたしより優れた方であると言った方、神のみ子イエス・キリストは、神の怒りの火の中にご自分を投げ込んだということです。人がただひとりでも神の怒りにふれないように、ご自分が身代わりになって十字架にかかって下さったのです。それは、私たちが神のみ前で正しい人だと認められるために。神のみ子が死ななければならなかったということです。まことに痛ましいことでありますが、そうでもなさらなければ、神のみ前での人間の救いはありえなかったのです。
教会はこの恵みに生きるところです。主イエスの、十字架の出来事があるところで、私たちも、自分たちの罪を悔い改めることができる、悔い改めが神様に受け入れられ、そうして悔い改めにふさわしい実を結ぶことができるのだという望みをいだくことが出来ます。その時、人に見捨てられた荒れ野に花が咲くでしょう。
(祈り)
恵み深い天の父なる神様。私たちがマタイ福音書を新しく学び始め、それによって神様から多くの恵みをいただくことが約束されていることを思って、感謝申し上げます。
バプテスマのヨハネは自分の名誉とか栄光を求めることなく、主イエスのために道をはききよめ、主イエスが現れると静かに表舞台から去ってゆきました。どうか私たちの人生も、自分や家族の幸せだけを第一にするのではなく、それも大事なことではありますが、まず主イエスの栄光を輝かすために用いられるものでありますように。石ころに等しい私たちを選んで、もったいなくも神の子とし、イエス様の兄弟姉妹として下さった神様をたたえることが私たちの人生でありますように。
もちろん私たちの人生は幾多の困難がたちふさがっていて、悩みの中で打ちひしがれそうになることがあります。コロナ禍の今はなおさらです。しかし、そんな時であっても、神様への賛美の思いを絶やさず、信仰によって活路を切り開いていくことができるようにして下さい。
とうとき主の御名によって、この祈りをみ前におささげします。アーメン。
伝道の旅は続く youtube
詩編67:2~8、使徒28:30~31
2021.2.7
皆さんとご一緒に長い間読んできました使徒言行録が、今日ようやく終わろうとしています。
使徒言行録はイエス・キリストの復活に始まり、昇天、ペンテコステ、教会の誕生と迫害、福音がユダヤ人から警戒されながらも異邦人に広がってゆくところを書いています。使徒言行録後半の主人公はパウロで、パウロは三度にわたる伝道旅行のあと、船に乗り、嵐の海に翻弄されながらローマにたどりつきました。使徒言行録の最後はこうなっています。「パウロは、自費で借りた家に丸二年住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」
皆さんはここを読んでどんな感想を持たれたでしょうか。明るい結末で終わっているのは良いとしても、拍子抜けだったのではないでしょうか。…これまでパウロの壮絶な伝道の旅を読んできたわけですから、中途半端な感じがいなめません。…パウロは皇帝に上訴したのでローマまで来たのですが、裁判がどうなったのか全く書いてありません。二年間、自由に伝道できたのだとしても、その後どうなったかもわかりません。パウロがローマに着いたあとのことを、なぜ、もう少し親切に書いてくれなかったのでしょうか。ばっさり切り捨てられているのです。…そこで、ある人は、使徒言行録にはまだ続きがあったのですが、何かの理由で失われてしまったのだと考えました。…また、著者のルカがよその土地に行ったり、あるいは死んでしまったために、これ以上のことが書けずに未完成になった、と考える人もいます。
ふつうの物語とか伝記であれば、こういう終わり方はありません。しかし、これは聖書であって、神様のなさりようが書いてあるのです。だとしたら、こんないっけん中途半端な終わり方にも意味があるのではないかと、想像をめぐらして考えてゆきましょう。
ここでパウロがローマに着いてからのことで、判明していることをお話しします。パウロがローマに到着したのは、おそらく紀元61年の春だったろうと考えられています。パウロはすでにユダヤのカイサリアにいた時、ユダヤ人から訴えられていました。ユダヤ人に暗殺される危険もあった中、皇帝に上訴したことで、はるばるローマまで来たのです。パウロのローマでの生活は、番兵を一人つけられたものの、自分だけで住むことを許されました。裁判を待つ囚人なので、街なかを歩きまわることはできませんが、自宅に人を呼んだり、訪ねてきた人を迎え入れることができました。自宅軟禁状態だったということが出来ます。
そうして過ごした丸二年間ですが、丸二年、24か月というのは、ローマでの裁判に関係する期間です。当時の裁判においては、告訴する側が18か月以内に法廷に出頭しなければ、被告は釈放される定めになっていました。この裁判でも、パウロを訴える側はパウロがローマに到着してから18か月以内に法廷に出頭しなければならなかったのですが、ついに出頭しなかった、そこでパウロは2年後に無罪放免となって釈放されたものと考えられています。
以前、パウロを殺すまで飲み食いをしないとまで誓いを立てたユダヤ人たちがなぜ黙ってしまったのか、考えられることがいくつかあります。以前、カイサリアで、パウロを有罪とする決定的な証拠を出すことができなかったユダヤ人が、ローマでの裁判では勝ち目がないと判断したのかもしれません。現代の日本でも、地方裁判所、高等裁判所で負け続きだったのが最高裁判所で逆転勝訴を勝ち取るというのは簡単ではありません。ひとくちでユダヤ人と言っても、いろいろな人がおり、みんながみんなパウロに反対しているわけではありません。もうパウロのことはどうでもいい、放っとけ、となった可能性もあります。
パウロは自宅に軟禁された2年の間に、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙を書き送ったことがほぼ確かです。紀元63年に釈放されたパウロは、伝説によれば西の果て、スペインにまで伝道に出かけました。…パウロが釈放されたあとに書かれただろう手紙として、テモテへの手紙一、テトスへの手紙、テモテへの手紙二があります。…パウロはその後、再び捕らえられ、暴君ネロのもとで67年ころ処刑されたのではないかと考えられています。
…このようなパウロの生涯について、私は知りたいし、皆さんも知りたいだろうと思います。…しかし使徒言行録はそのようなことに関心を持っていません。その理由は、使徒言行録のテーマとなるものが、パウロの生涯を書くことにはないからです。
使徒言行録は聖霊行伝とか聖霊言行録と呼ばれることがあります。神の霊である聖霊が主体となって働き人を起こし、福音が世界にひろがってゆくことを書いているからです。
皆さん、ここで使徒言行録の第1章を開いてみましょう。1章3節、「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」……そして最後のところ、28章31節、「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え…」と書いてありますね。つまり使徒言行録は、死んで復活されたイエス・キリストが使徒たちに「神の国」について話されたところから始まり、最後に、パウロがローマで「神の国」を宣べ伝えたことをもって終わっているのです。
エルサレムで主イエスがお語りになった神の国は、ペンテコステの日、世界最初の教会の誕生によって、世に現れ出ました。そして、それは、あらゆる困難や迫害にあってもとどまることなく拡がってゆき、ついに、この時代において世界の中心であり、異邦人の都であるローマに達しました。…そうすると、ここからどういう展開となるでしょう。今度は、世界各国、津々浦々にまで広がってゆくのです。
神の国が教会となって広がり、キリストの恵みが世界に満ちていくということが使徒言行録の主題であり、聖霊なる神のみわざなのです。そして、そのことが信ずるに足りることだとすると、使徒言行録にパウロの裁判がどうなったかとか、パウロはその後どうなったかを書いておく必要はありません。パウロが「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」だけでもう十分なのです。
私は、使徒言行録全体を読み通してみて、パウロがローマで伝道したことで聖霊なる神のみわざが完結したのではないことがわかりました。これは終わりではないのです。ここから新しいことが始まったのです。…そのことはパウロがしていることの中にすでに見えています。
パウロは自分から外に出かけることが出来ないので、「訪問する者はだれかれとなく歓迎し」とのですが、これはなかなかできることではありません。…今日の教会でも、残念なことですが、社会的地位の高い人やお金持ちの人は歓迎し、それに当てはまらない種類の人は邪険に扱うということがあります。…だれかれとなく歓迎し、ということは、人を分け隔てしないということで、パウロはたとえ自分に敵意を持っている人であっても喜んで迎え入れたのでしょう。
パウロは自宅軟禁状態にあっても手をこまねいていることはなく、出来る限りのことをしていました。各地の教会に手紙を送り、教え、さとし、いましめたのもその一つです。
フィリピの信徒への手紙には、自宅軟禁中のパウロの様子をうかがわせるところがあります。フィリピ書1章12節以下をご覧ください。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り…」。パウロには番兵が一人つけられており、おそらく交代で勤務していたのでしょう。その番兵が兵営に帰るたびに、パウロの家で自然に耳に入ってきたキリストの話を持ち帰るので、やがて兵営全体、さらにその他のすべての人々に、パウロのことが知れ渡ったのです。…続いて14節をご覧下さい、「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」。
これはすごいことです。パウロが自宅軟禁になったことが必ずしも悪いことばかりとは言えません。冤罪で投獄された人の叫びが牢獄の塀を超えて広く社会を動かすことがあります。まして神の言葉が閉じ込められることはありません。
パウロは自費で借りた家に丸二年、住みました。パウロはもしかしたら、テント造りをして生活費をかせいでいたのかもしれません。
31節の「全く自由に何の妨げもなく」、そこにいるのがかりに私たちだったら、不自由で不便きわまりないと不平たらたらだったでしょう。「全く自由に何の妨げもなく」は、外から見てそうだということではなく、パウロの心のありようだったと考えられます。…パウロは実際には不自由なことがたくさんあったと思います。…しかも、釈放されたあとのことですが、迫害にあって処刑されてしまうのです。しかしパウロ自身にとって、そんなことは大きな問題ではなかったのではないでしょうか。…私たちも自分が感じた不自由なことをあげていったら切りがありません。年を取るごとに体は衰えてゆくし、人間関係の問題、お金の問題があります。しかし、どんな状況にあっても、信仰によって「全く自由に何の妨げもなく」という境地に達することができれば、どんなにすばらしいことでしょうか。
パウロは生涯の最後の日まで、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けましたが、このことは牧師のようなこれを職業としている者ばかりでなく、すべての信徒が心がけてゆくべきことです。
ここに一本のろうそくがあるとします。これに火をともした時、その光はどれだけ持つでしょうか。むろん燃え尽きてしまえば、そこで終わりです。しかし、もう一本のろうそくを持ってきて、初めのろうそくから火をもらえば、光は倍になります。初めのろうそくの火は、もう一本のろうそくに火をともしたことで減ってしまうことはありません。…一本一本のろうそくの光はみな、燃え尽きてしまえば、それで終わりです。けれど、一本目が燃え尽きても二本目が燃えています。二本目が燃え尽きても三本目が続いています。このようにして、さらに一本、二本と火をともしてゆけば、この光はずっと続いていくのです。これは信仰の継承をあらわしています。イエス・キリストは天から地上に来られてろうそくに火をともし、その後も教会を通して、火を一本一本とともし続けておられるのです。
実際には、自分の信仰であるろうそくの火を多くの人と分かち合うことができる人がいる一方、信仰が一代かぎりで、ろうそくの火がついに自分の死と共に消えてしまう人もいないではありません。自分の信仰をほかの人にバトンタッチできるかどうかということには、さまざまな事情が関わってくるので、それができるから良いとかできないからだめだということは決してないのですが、信徒なら誰でもそれを目指すべきです。
たとえ努力が実らなかったように見えても、そこに神様が働いて無から有を呼び起こして下さることもあるのです。
現代の日本でキリスト教に関心を持つ人は少なく、これは他の教えにも言えることですが、特にオウム真理教の事件以降、宗教は怖いという意識が社会に蔓延しています。…たしかに、間違った宗教を信じてだまされるということはあります。しかし、何も信じないことで最も大切なものを失ってしまうということがあるのです。いま日本の社会が何とか持ちこたえているとすれば、それは神様がかろうじて支えて下さっているからです。コロナ危機がおさまっても、次にまた何か重大な危機が来るかもしれませんし、そんなことがないとしても人の一生には必ず終わりがあるのです。日本人の多くが信仰なしに生きている、こんなことがいつまでも続くはずはありません。
パウロが全く自由に何の妨げもなく、神の国と主イエス・キリストについて教え続けたことは、キリストの十字架と復活によって始まった神の働きがそこで終わったということではなく、これが示していることは、まさにここから新しいことが始まったということなのです。聖霊は今や広島長束教会と私たちの上に働いているのですから、使徒言行録の続きがあるとしたら、おそれおおいのですが、その主人公は私たちなのです。私たちみんな、自分が見聞きした神の救いのみわざ、自分の魂のよりどころであるイエス・キリストを他の人々に語ってゆくことが出来ますように、と心から願います。
(祈り)
私たちを罪と死から救って下さる、天の父なる神様。今日の礼拝とここで与えられたみ言葉をここにいる誰もが感謝して、受けとめることができますように。私たちの信仰も、それが神様の眼に信仰といえるものであることを願っていますが、みんなイエス様からパウロを通して受け継いだものです。これをどうか育て、大きなものとして下さい。
嵐の海の中をイエス様の言葉によって生き抜いたパウロは、自宅軟禁の状態の中でも、不自由を自由に変えることが出来ました。神様、私たちもどうか目の前にあるあらゆる不自由を見て気落ちすることなく、そこを神の栄光が輝き始める出発点とすることが出来ますように。私たちの中にあるあきらめという気持ちを、主の命によって希望に変えて下さい。そうして自分の信仰を他の人に語ることのできる、そのための言葉をお与え下さい。
神様、コロナ禍やその他の理由で、今ここに来ることのできない兄弟姉妹に目を留め、その祈りを顧みて下さい。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
ブドウ畑の歌 youtube
イザ5:1~7、ヨハネ15:1~10 2021.1.24
今日はイザヤ書第5章のみ言葉から「ブドウ畑の歌」というタイトルでお話しします。
この歌の出だしは「わたしは歌おう、わたしの愛する者」となっていて、「わたし」と「わたしの愛する者」が出て来ます。「わたしの愛する者」とはぶどう畑の持ち主です。そこで読み進んでゆくと、3節から6節まで「わたし」、「わたし」と言っているのはぶどう畑の持ち主で、しかもこの人は期待はずれに終わったぶどう畑を見捨てるばかりでなく、雲に対して「雨を降らせるな」と命じるくらい力を持ったお方だということがわかります。…そして7節に至って、「主」とこれに対する「イスラエルの家」や「ユダの人々」が登場します。
「イスラエルの家」と「ユダの人々」はほぼ同じだと考えて下さい。ぶどう畑は神の民イスラエルにとってごく身近なものでありましたが、これはもちろんぶどうの栽培法を説いたものではありません。
1節の「わたし」とは預言者イザヤです。では「わたしの愛する者」とは誰なのか、これがなんと神様のことなのです。…神様に対して「わたしの愛する者」とは、おそれおおいとは思いませんか。しかし主イエスも、「あらゆる掟の中でうちで、どれが第一でしょうか」と問われた時、こうお答えになっています。「第一の掟は、これである。『イスラエルの神よ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」だから、神様を愛すると言っても良いのです。
神様はただ恐ろしいだけの神様ではありません。人間が神様を愛することを受け入れて下さる方なのです。神様の方も人間を愛して下さいます。ですから1節の2行目にこの歌のタイトルが「ぶどう畑の愛の歌」と出ています。…神様は酸っぱいぶどうしか実らない畑を見捨ててしまわれますが、それにもかかわらず、これは愛の歌なのです。…私はそのことをあとになって気がつきました。早くに気づいていれば、説教題は「ブドウ畑の歌」ではなく「ぶどう畑の愛の歌」にしていたことでしょう。
この歌の中で、「わたしの愛する者」、主なる神様は、肥沃な丘にぶどう畑を持っておりました。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えました。畑の真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待ちました。
聖書の世界のぶどう栽培と今の日本のぶどう栽培はずいぶん違うのではないかと思います。あちらは平野が少なく、高い低いの差が大きくて、丘や斜面にぶどう畑を作ることが多かったようです。…ぶどう畑を作るのは、まず日当たりの良い、しかも地味の肥えた場所を選ぶことから始まります。
斜面を階段式にけずって石を取り除きますが、石が多いのす。石灰岩が多く、それらを取り除くのは大変ですが、その石は次に石垣として使うことができます。
ぶどう畑の周りには必ず石垣をめぐらします。泥棒やキツネなどの侵入を防ぐためです。とげのある木を植えることもあったそうです。…さらに見張りの塔を建てます。見張り小屋くらいではだめで、やぐらのようにしたのです。…ぶどうの木はだいたい2・5メートルくらいの間隔で配列され、実を結んだ枝が大きくなると、支えの柱を当てて地面に伸びてゆかないようにし、また毎年春には剪定をしました。そうして収穫されたぶどうは酒ぶねに山のように積まれます。酒ぶねとは地面に掘った大きな穴で、石で固めます。たくさんのぶどうを石または足で踏んで、汁をしぼります。それが良いぶどう酒のもとになるのです。
さて、繰り返しますが、預言者イザヤはぶどうの栽培法を語っているのではありません。7節で「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」と言われているように、ここでは神と人間の関係、具体的には神が世界の諸民族の中からただ一つ選んだイスラエル民族との関係を語っているのです。私たちのちの時代に生きる者も、みなここから重要な教訓を汲み取らなければなりません。
イスラエル民族がぶどうの木にたとえられていることがどういうことなのかイメージするために、ここで聖書から詩編の80編を見てみましょう。918ページ、詩編80編9節、「あなたはぶどうの木をエジプトから移し、多くの民を追い出して、これを植えられました。」エジプトで奴隷の民であった人々が解放されて、約束の地にたどりつくのです。10節、「そのために場所を整え、根付かせ、この木は地に広がりました。その陰は山々を覆い、枝は神々しい杉をも覆いました。あなたは大枝を海にまで、若枝を大河にまで届かせられました。」イスラエルの国が栄えて、最盛期を迎えるのです。
けれども、それは長くは続きません。イザヤ書に戻ります。「しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」
ぶどう畑の主人が期待を込めて育てあげたぶどうは、とても商品にならない酸っぱいぶどうでしかありませんでした。野生のぶどうに戻ってしまったのです。…これは農業に詳しい人に確認したいことなのですが、自然の中にある時は酸っぱかった果物も品種改良するとおいしくなります、しかしさらなる改良を怠って放ったままにしておくと、おそらくもとの酸っぱい果物に戻ってしまうのでしょう。…ただ、このたとえで言っているのはもっと深刻なことです。ぶどう畑の主人が仕事を怠ったということではなく、ぶどう自身の問題によって酸っぱくなってしまったのです。
預言者イザヤは神様の思いを代弁します。「主は裁きを待っておられたのに見よ、流血。正義を待っておられたのに見よ、叫喚」。原文で裁きはミシュパトで流血はミスパハ、正義はツェダカで叫喚はツェアカ、これはいっけん言葉遊びのように見えるのですが、笑ってすませられるものではありません。きわめて重大なことなのです。
神様はなぜこんなことを言われたのか、その原因となることが、ここに続く8節から23節までの間に書かれているので、簡単に見てみましょう。
8節、「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでにこの地を独り占めしている」。富める者の横暴への告発です。
11節、「災いだ、朝早くから濃い酒をあおり、夜更けまで酒に身を焼かれる者は。…だが、主の働きには目を留めず、御手の業を見ようともしない。」泥酔と歓楽におぼれる者への告発です。
18節、「災いだ、むなしいものを手綱として、罪を車の綱として、咎を引き寄せる者は」。これは神様を認めず、むなしいものを魂の拠り所としている人ですね。
20節、「災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は」。こうなると何が本当で何がうそかもわかりません。今の時代で言うならフェイクニュースということでしょう。
21節、「災いだ、自分の目には知者であり、うぬぼれて、賢いと思う者は」。傲慢な人間への裁きです。
そして22節、「災いだ、酒を飲むことにかけては勇者」、ここには皮肉が込められています。ほかのところでは勇者でも何でもないのに、酒盛りの席だけ勇者になる人がいたのです。…そして、これらの人すべてまとめたのが23節です。「これらの者は賄賂を取って悪人を弁護し、正しい人の正しさを退ける。」
ここに書いてあることが古代のイスラエルだけのことだったら良いのですが。どうも今日の世界のあちこちで起こっていることにも重なって見えてくるようです。日本だって、ここに書いてあることと無縁ではありません。それどころか、私たちの中にもこれに該当するような部分があるかもしれないのです。私たちは少なくとも、18節で言うような、むなしいものを手綱としている者たちでないことを感謝します。しかし、私たちのすぐそばに本当の神様を見失っているあまたの人たちがいて、奈落への道を突き進んでいる人もいれば、悩みと苦しみの中でもがいている人もいるのです。
ぶどうの木というのは細く、なよなよとしていて、木材としての使い道は、燃やす以外ほとんどありません。ぶどうの木に価値があるのは、一つひとつがまるで宝石にもたとえられる実を結ぶからです。しかし、このぶどう畑には酸っぱいぶどうしかなりません。
その責任はどこにあるのか、ぶどう畑の主人は言います。「わたしがぶどう畑のためになすべきことで何か、しなかったことがまだあるというのか。」…ぶどう畑の主人が土を耕して石を取り除き、良いぶどうを植え、見張りの塔を建てたり、酒ぶねを掘ったりというのは、イスラエルの民の歴史にあてはめるとこうなります。神様はこう仰せになるでしょう。「私は、お前たちがその名の通り神の民となるために、ありとあらゆることをしたではないか。…お前たちの先祖アブラハムを偶像崇拝の国から導きだしたのは誰なのか。…私はエジプトで奴隷の民であったお前たちを助け出したではないか。…シナイ山では十戒を授けたではないか。…あらゆる障害を打ち破り、乳と蜜の流れる約束の地に導き入れたではないか。…お前たちが周囲の諸民族の神々に惑わされないよう手を尽くしたではないか。…神を畏れる王を立てて、イスラエルにまわりの国々を従わせるほどの栄光を与えたではないか。…ああ、それなのにお前たちはなぜ、私から離れよう離れようとするのか。私から離れることが自由の証しなのか。なぜお前たちは自分の利益のために隣人を貧窮のどん底に突き落とすことをやめないのか。いつになったら快楽を追い求めることをやめるのか。わいろを受け取ることは正義を貫くことより尊いのか。」
ぶどう畑の不作は主人に原因があったのではありません。同じように、イスラエルの民の不信仰とそこから出て来るあらゆる問題も神様に原因があるのではなく、まさしく人間の側の問題であったのです。
ここに至って、ぶどう畑の主人の腹は決まりました。石垣を崩して、泥棒や野生動物の出入りを自由にします。ぶどうの木は剪定されずに放っておかれます。やがて茨やおどろ、雑草が増えてゆきます。その上、主人は雨を降らせないので、ぶどうの木は枯れてしまいます。24節は言います。「それゆえ、火が舌のようにわらをなめつくし、炎が枯草を焼き尽くすように、彼らの根は腐り、花は塵のように舞い上がる。彼らが万軍の主の教えを拒み、イスラエルの聖なる方の言葉を侮ったからだ。」
このことは、神の民の歴史の中で具体的にどう現わされたか、25節以降で告知されています。「それゆえ、主は御自分の民に向かって激しく怒り、御手を伸ばして、彼らを撃たれた。山々は震え、民のしかばねは芥のように巷に散った。しかしなお、主の怒りはやまず、御手は伸ばされたままだ。」「主は旗を揚げて、遠くから民に合図し、口笛を吹いて地の果てから彼らを呼ばれる。」28節、「彼らは火を研ぎ澄まし、弓をことごとく引き絞っている。馬のひづめは火打ち石のようだ。車輪は嵐のように早い。」
ここにあるのは、獰猛なことで知られたアッシリアの軍隊のことです。神がご自分の民の守り神であることをやめて、外国の軍隊を引き入れるというのはなかなか考えられないことですが、それが預言者イザヤが生きている間に起こりました。
神の怒りがあまりにも激しかった、その結果ですが、しかし、それにも関わらず、ぶどう畑について歌った歌は、「ぶどう畑の愛の歌」なのです。
主人が丹精を込めてつくりあげたぶどう畑は見るも無残なありさまになりました。けれども、ぶどうの木が絶滅してしまったのではありません。
イエス・キリストは十字架につけられる前の晩、弟子たちにこう言われました。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人の中につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
神の怒りを受けたあとも生き続けたぶどうの群れに、天からまことのぶどうの木が与えられました。イエス・キリストこそまことのぶどうの木であり、私たち一人ひとりはその枝なのです。枝は幹としての主イエスにつながってこそ豊かな実を結びます。私たちも気をつけないと昔のイスラエルの人々と同じことになってしまいますが、主イエスは「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば」と言われ、私たちの行く手に光を見せて下さいました。もちろん、そのために、主イエスは十字架というあまりにも過酷な試練を引き受けなければならなかったのですが。
私たちみんなが酸っぱいぶどうではなく、豊かな実を結ぶ者となりますように。預言者イザヤの時代の人々が知らなかったイエス・キリストが前におられるのですから、私たちはそのことの恵みを感謝し、十二分に用いるべきです。
(祈り)
神様、昔ぶどう畑を愛を込めてつくりあげた神様が、これを捨て去ってもなお、イエス様をお送り下さり、ぶどう畑を再建して下さったことを、私たちは今日、おそれと感謝のうちに受けとめることが出来ました。
そこには、神様の並々ならぬ忍耐があったのは間違いありません。神様は私たち一人ひとりに対しても、忍耐に忍耐を重ねて、導いて下さっているに相違ありません。おそれおおいことです。どうか神様の怒りが爆発することのないよう、もしも自分の魂が危険な場所にいたら、それを洞察することのできる判断力を与えて下さい。
神様、広島ではコロナによる感染者が若干おさえられ、また大規模なPCR検査が始まるなど、県民をあげてこれとたたかう態勢が整えられてきたことを感謝します。しかし、まだ油断はできません。教会に集う私たちそれぞれが自分の健康を維持することも、神様に仕え、社会に貢献することであることを覚えます。一人ひとりの命と健康をお守り下さい。
今日与えられたみ言葉をこの一週間の心の糧として下さい。主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
古い生き方を捨てる YOUTUBE
イザヤ43:19~20、エフェソ4:17~24 2021.1.24
パウロがエフェソの信徒への手紙をいつ、どこで書いたかということについては諸説ありますが、6章20節に「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが」と書いてあることから、獄中でエフェソの信徒たちの顔を思い浮かべながら書き送った可能性が大きいです。
パウロはすでに第3回伝道旅行の途上、エフェソに2年以上滞在しましたが、その時、大騒動に巻き込まれています。エフェソは今のトルコにあり、エーゲ海に面した大きな港町でしたが、宗教的な意味でも重要な場所でした。ギリシャ神話にアルテミスという女神が出て来ます。…アメリカが2024年までに月に人間を送りこむ計画を進めていて、アルテミス計画というそうですが、…エフェソにはこの神をまつる壮麗な神殿が建っていました。町全体が神殿によって生活していたようなところだったのですが、パウロがアルテミスではない別の神を宣べ伝えていたことに憤慨した人々が大騒動を起こし、パウロはあやうく難を逃れたということがあったのです。
エフェソのアルテミス像にはたくさんの乳房がついていて、出産と子孫繁栄をたたえる女神となっていました。偶像を崇拝することは風紀の乱れにつながることが多く、その点でもエフェソは有名でした。似たようなことは歴史上、たびたび起こっています。旧約聖書にはカナンの地に浸透していたバアルやアシュタロテをまつる信仰がどんなにひどいものだったか書いてありますし、日本の伊勢神宮も昔はすぐ隣に遊郭があって、お伊勢参りと遊郭で遊ぶことが一つだったのでないでしょうか。こうしたことは、偶像を拝んでいる人すべてがこれと同類だということではありませんし、キリスト者がみんな清らかだとも言えないのですが、頭に入れておいて下さい。
エフェソに出来た教会の信徒には、ユダヤ人もいたでしょうが、異邦人キリスト者が多かったことと思います。パウロがここで、異邦人は愚かな考えに従って歩みとか、知性は暗くなりなどと書いてあるのを見て、異邦人にずいぶん冷たい言い方だなと思われる方がおられるかもしれませんが、エフェソの信徒たちにとってはそれが現実でした。繁栄はしているけれども、風紀の乱れた町に住み、その中で自分も一緒になって、何の疑問も持たずに過ごしてきたという人も多かったにちがいありません。…このようなことは、経済的な意味で発展しながら、本当の神に背を向けている人が多い日本にとって、別の世界のことではありません。 「そこで、わたしは主によって強く勧めます。」、…パウロはこの手紙でそれまで、イエス・キリストの十字架と復活、そしてこれによって誕生したキリストの体なる教会について語ってきましたが、ここから信徒のための実践編が始まります。
パウロは「異邦人と同じように歩んではなりません」と言います。これを異邦人クリスチャンの多い信徒たちに勧めたのです。なぜ、異邦人と同じように歩んではならないのかと言うと、「彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れてい」るからです。…「そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません」
「愚かな考え」とはいっても、異邦人の知能指数が低いということではありません。複雑な数学の問題を即座に解いてしまう能力があったとしても、パウロはやはりその人が考えていることが「愚かな考え」であると言うにちがいありません。パウロにとって賢い考えと愚かな考えを分かつ基準はその人が正しい信仰に立っているかどうかということです。
これを聞いて、なんだ教会が言っていることはいつも同じじゃないか、耳にタコができるよと言う人がいるかもしれませんが、そうではありません。
…先日、アメリカで新大統領の就任式がありました。バイデン氏が大統領になったことが良かったのかどうかをここで言うつもりはありませんが、この時、黒人の若い女性が自作の詩を朗読し、私は見ていてハッとしました。
…彼女はテレビで「自分たちの中にあるものではなく、自分たちの前にあるものを見よう」と言っていました。これをインターネットで確認すると、「自分たちに立ちはだかるものではなく、目の前にあるものを見上げよう」となっていました。そして「光は常にそこにあるのだ。光を見るための勇気が私たちにありさえすれば」と言って終わっていたのです。…こんなことを言えるなんて、私はさすがアメリカだと思いましたね。これをキリスト教的に解釈してみると、もしも自分たちの中にあるものだけ見ようとしたら、それは自分たちに立ちはだかるものでしかありません。そこにあるのは優越感と劣等感、嫉妬、争い、冷笑、陰謀といったたぐいのものです。しかし、自分たちの前にあるものを見上げるなら、…これは主イエスが見せてくれるもので、そこにあるのは愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制などなどにちがいありません。
人が自分たちの中にあるものだけしか見ないと、自分たちの前にある素晴らしいものが見えません。現実がこうなのだからと言って、現実に流されるだけの人になってしまいます。だから、その人がどれだけ頭が良かったとしても、それは神様の前に「愚かな考えに従って歩んでいる」ことにしかなりません。その道には常に危険が伴いますし、その人がたとえ何かのことで成功を収めたとしても、やがては時の流れの中で消え去ってしまうでしょう。
これはすごいことです。パウロが自宅軟禁になったことが必ずしも悪いことばかりとは言えません。冤罪で投獄された人の叫びが牢獄の塀を超えて広く社会を動かすことがあります。まして神の言葉が閉じ込められることはありません。
パウロは自費で借りた家に丸二年、住みました。パウロはもしかしたら、テント造りをして生活費をかせいでいたのかもしれません。
31節の「全く自由に何の妨げもなく」、そこにいるのがかりに私たちだったら、不自由で不便きわまりないと不平たらたらだったでしょう。「全く自由に何の妨げもなく」は、外から見てそうだということではなく、パウロの心のありようだったと考えられます。…パウロは実際には不自由なことがたくさんあったと思います。…しかも、釈放されたあとのことですが、迫害にあって処刑されてしまうのです。しかしパウロ自身にとって、そんなことは大きな問題ではなかったのではないでしょうか。…私たちも自分が感じた不自由なことをあげていったら切りがありません。年を取るごとに体は衰えてゆくし、人間関係の問題、お金の問題があります。しかし、どんな状況にあっても、信仰によって「全く自由に何の妨げもなく」という境地に達することができれば、どんなにすばらしいことでしょうか。
パウロは生涯の最後の日まで、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けましたが、このことは牧師のようなこれを職業としている者ばかりでなく、すべての信徒が心がけてゆくべきことです。
ここに一本のろうそくがあるとします。これに火をともした時、その光はどれだけ持つでしょうか。むろん燃え尽きてしまえば、そこで終わりです。しかし、もう一本のろうそくを持ってきて、初めのろうそくから火をもらえば、光は倍になります。初めのろうそくの火は、もう一本のろうそくに火をともしたことで減ってしまうことはありません。…一本一本のろうそくの光はみな、燃え尽きてしまえば、それで終わりです。けれど、一本目が燃え尽きても二本目が燃えています。二本目が燃え尽きても三本目が続いています。このようにして、さらに一本、二本と火をともしてゆけば、この光はずっと続いていくのです。これは信仰の継承をあらわしています。イエス・キリストは天から地上に来られてろうそくに火をともし、その後も教会を通して、火を一本一本とともし続けておられるのです。
実際には、自分の信仰であるろうそくの火を多くの人と分かち合うことができる人がいる一方、信仰が一代かぎりで、ろうそくの火がついに自分の死と共に消えてしまう人もいないではありません。自分の信仰をほかの人にバトンタッチできるかどうかということには、さまざまな事情が関わってくるので、それができるから良いとかできないからだめだということは決してないのですが、信徒なら誰でもそれを目指すべきです。
さて18節は異邦人について「神の命から遠く離れています」と言います。神の命とはわかったようでわからない言葉ですね。この時、パウロがイメージしていた異邦人は現実には生きていたわけですから、命あるものを命から遠く離れていると言うことができるものでしょうか。
このことについて、(宗教改革者)カルヴァンの考えに沿ってお話しします。あらゆる命は神様から来るのですから、この時の異邦人だって神の命の中にいるわけです。しかし神の命にはいくつもの段階があります。カルヴァンは3段階に分類しました。…一つは自然の命で、微生物も菌類も植物も動物も生物ならみなこれにあずかっています。…ウィルスが生物なのか生物でないのかはわかりませんが。
二つ目が人間の命です。人間も生物であり、生物学的にはヒト(カタカナのヒト)という名前を持っていますが、他の生物とは区別されます。創世記の天地創造の話の中に、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:8)と書いてあります。同じことは他の生物には言われていません。人間の命の価値は他の生物の命の価値と同じではなく、人間の命は他の生物の命より尊いのです。…もちろん、だからといって人間が他の生物の命をもてあそぶことは正しくありません。
神の命の三つ目の段階について、カルヴァンは超自然の命であり、これを得るものは神の子たち以外にはないと教えています。カルヴァンは特にこの三つ目について、信仰者のよみがえりが神の命と呼ばれるのだと主張します。「なぜなら、神が聖霊によってわれわれを治められるときに、神は特にわれわれのうちに生き、われわれはそのいのちを受けるからである」と。
神の命、その中でも第三の段階である超自然の命から、異邦人が、すなわち本当の神を知らない人が遠く離れているのは当然で、その結果が彼らの不道徳な行いにつながっていたのです。
「しかし、あなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。」パウロは、異邦人のように不道徳な行いで自分を汚すことが信仰者にとってどれほどふさわしくないことであるかを認めさせようとします。異邦人は暗闇の中を歩いています。そのため清いものとそうでないものを区別することができません。信者は当然、それと同じであってはいけないのです。自分の中にある虚しい判断力に頼むのではなく、すでに学んだこと、キリストによってこそ生きるべきなのです。
パウロは、キリストを学ぶと言います。パウロの言い方は、「キリストのことを学んだ」ではなく「キリストから学んだ」でもなく、「キリストを学ぶ」というたいへん強い表現になっています。
そうして、「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。」皆さんはここに、キリストのついての単なる勉強よりはるかに強い意味が込められていることが、おわかりでしょう。エフェソの信徒たちは、キリストを、科学者が研究対象を冷静に分析するように学んだのではありません。キリストに、ぶどうの木と枝のように結ばれながら教えられたのです。…そして、真理です。真理はキリストの内にあります。キリストはご自分を十字架につけるために尋問したピラトの前で、こう言われました。「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ18:37)と。
キリストを学んだ人たち、真理そのものであられるキリストに結ばれて教えられた者たちが、以前の異邦人としての生き方、本当の神を知らない生き方をそのまま続けることはできません。そんなことはありえないのです。
「だから、以前のような生き方をして情欲に惑わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身につけ、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」
ここは原文からの翻訳がなかなか難しく、いろいろな訳を見てみましたが、微妙に違っていました。新共同訳では、「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨てなさい」、「新しい人を身につけなさい」、「真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」と、全部、命令形になっていますね。信者として心がけるべきことが列挙されているのです。…これが回復訳というのを見ると、こうなっていました。「あなたがたは、以前の生活様式において、あの欺きの情欲によって腐敗している古い人を、脱ぎ捨ててしまったのです。そして、あなたがたの思いの霊の中で新しくされ、また、あの実際の義と聖の中で、神にしたがって創造された、新しい人を着たのです。」違いがわかりましたか。こちらは命令形を使っていません。「あなたがたは、…古い人を、脱ぎ捨ててしまったのです」、「新しい人を着たのです。」となっているのです。
新共同訳がすべて命令形になっているのに対し、もう一方はすでに起こってしまったことになっています。こんな違いが出て来た理由は、そこで使われた動詞に命令の意味が含まれているかどうかの判断の違いによります。
細かな議論は省略します。命令形を使わない方の考え方は、信徒はすでにキリストによって清められている、というところにあります。私はこちらの考え方を取ります。…信仰を告白し、洗礼を受けたのだから、すでにキリストの恵みによって古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着たのだ、ということです。古い人とは神を知らない異邦人の生き方です。新しい人とはキリストであり、信徒はすでにキリストを着ているというのが、日本語としてはなじみにくいのですが、パウロが言っていることだと判断します。…ただしそれは、信徒が、だから自分では何もしなくて良いということではありません。すでにキリストのものになったのだから、以前の無知でふしだらな生き方に心引かれるようであってはならないのはもちろん、さらに積極的な意味を探ってゆきましょう。…ただキリストを着ている、これだけでは不十分です。…おしゃれに関心のある人ならおわかりだと思います、人はただ服を着ているだけではだめで、それを着こなすことが求められるものです。キリスト者にとって着こなすということは、キリストから頂いたものをさらに輝かせるということにほかなりません。それがふだんの生活の中での一人ひとりの思いの中から、表情や言葉、そして行いになって現れます。
キリストという新しい服をまだ着ていない人には、その日が早く来ますように。すでに着ている人はその服がぴったり身についてゆきますように。それが、エフェソ書でこのあとに語られるキリスト者の倫理なのです。
(祈り)
天の父なる神様。私たちは、神様からとおとい恵みをいただいていることをよく忘れ、不平不満ばかりつぶやくことの多い者たちです。クリスチャンとなり、以前の、本当の神様を知らない時代の自分とは決別したはずなのに、またそこに戻って行きたいと思うことがないではありません。そんな私たちですが、人間の不完全なところばかりに目を向けるのではなく、信仰の初心に帰り、目の前にある光に目を向けることが出来ますように。私たちの弱い信仰を、主の御力によって強めて下さい。
神様、広島長束教会は今この時もコロナ禍で困難の中にあります。しかし、私たちよりもっとつらい状況にある人々を思う心を失うことがありませんように。どうかこの教会の祈りとたたかいが、いまコロナ禍とたたかうすべての人たちと共にありますようにと願います。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
福音は全世界に youtube
イザヤ6:9~13、使徒28:16~28 2021.1.17
長い苦しい旅の果てにローマに到着した使徒パウロのことを、2回に分けて学びます。
使徒言行録を開くと、初めの部分がエルサレムで起こったことで、これが展開して、最後にローマで起こったことをもって閉じられています。エルサレムで起こったことというのは、死んで復活したイエス・キリストが使徒たちの前に現れたことと昇天、聖霊降臨の出来事、そしてエルサレム教会の発展とその時に起きた迫害です。…迫害のためにエルサレムの信徒が各地に散らされ、そのことはイエス・キリストの福音がユダヤという狭い枠を超えて世界に広がるきっかけとなりました。ペトロがいてバルナバがいて、中でもパウロの活躍は目覚ましく、彼は各地に伝道の旅を続け、ついにローマ帝国の首都、この時代にあっては世界の中心であるローマに到着したのです。
パウロがローマに行ったというのはこの時代としては大旅行です。東洋では、むかし鑑真というお坊さんが、中国から日本に、嵐の海の中を不撓不屈の精神でもって渡って来たということがありましたが、これと同等かそれ以上の出来事だと思います。
エルサレムとローマの間は実に遠かったのです。それは、距離的に遠いとか旅することが困難だということにとどまりません。…エルサレムはユダヤ人の都です。世界の諸民族の中から神がただ一つ選ばれた民イスラエルの中心です。これに対してローマは、この時代にあって世界を支配していたローマ帝国の首都で、それはユダヤ人の立場から見ると、神様の祝福からはずれた異邦人世界の中心にほかなりません。…そのためユダヤ人にとってエルサレムとローマの間には、地理的な距離以上に、神様に選ばれた者とそうでない者、救われる者と滅びに定められた者という絶対的な隔たりがあったのです。あたかも二つの都の間に深い亀裂があって、向こうからこちらに来ることはできないし、こちらから向こうに行くこともできないという状況だったのですが、そこに橋をかけてつないだのがパウロのローマへの旅でありました。
パウロはユダヤのカイサリアでの裁判の時、皇帝に上訴したことでローマ行きが決まりました。しかしそれは、自分の無罪を勝ち取るためというより、世界の中心であるローマで、皇帝を含むあらゆる人々に、イエス・キリストのことを宣べ伝える機会を得るためでありました。世界の中心ローマでイエス・キリストが宣べ伝えられるということは、そこから世界のすみずみにまで福音が伝えられていくということです。これほど重要なことは滅多にあるものではありません。そのため、使徒言行録はローマでの裁判のことを書かず、パウロを通して福音がローマから世界に伝わっていったことをもって閉じているのです。
パウロはローマに入ると自宅軟禁のような処分を受けました。番兵つきで自分だけの家に住むことが許されたのです。比較的軽い処分で、おそらくカイサリアの総督フェストゥスがパウロをよろしくと皇帝に書き送っていたからでしょうし、また難破寸前だった船を救い、ひとりの犠牲者を出さずにすんだ功績が認められたからでしょう。パウロはかなり自由な生活を許されました。
そこで「三日の後」、旅の疲れもとれ、生活の準備も整えおえると、パウロはさっそくおもだったユダヤ人たちを招きました。パウロは自分から外に出かけて行くことはできないので、ローマ市内にいたユダヤ教の信徒たちとの接触をはかったのです。
この時パウロは、「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです」と言っていますが、「イスラエルが希望していること」とは何でしょう。それはこの民にメシアでありキリストである方、つまり救い主が与えられることでありました。ユダヤ人はキリストの到来を700年も待ち続けていたのです。…パウロはこれまでイエスこそキリストであり、この方は死んで復活し、今も生きておられるということを宣べ伝えてきたのですが、しかし多くのユダヤ人はそのことを信じません。ユダヤ人からしてみると、十字架という呪われた刑を受けて死んだ罪人(ざいにん)がキリストのはずはないのです。復活したとか今も生きていうというのも全くありえないことでした。さらに、イエスの死をきっかけに生まれたキリスト教会が、ユダヤ人という枠を超えて異邦人を信徒に加えていることも、多くのユダヤ人にとってはしゃくにさわることでした。神様が選んで下さったのはわれわれユダヤ人だけなのに、なぜ異邦人が異邦人のまま救われると言うのか、異邦人が神の救いにあずかるにはユダヤ人になるしかないはずだ、…ということになってしまうのです。
このように「イスラエルが希望していること」が実現することはすべてのユダヤ人が望んでいることでしたが、それが十字架につけられたイエス様によって実現されたかどうかで決定的な対立が起こってしまったのです。
しかしパウロが「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです」と告げた時、ユダヤ人の方は「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした」と答え、そこから「あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい」という発言になります。ずいぶん公平で心の広い言い方のように見えますが、これはそのまま信じて良いでしょうか。
私は、これは社交辞令のようなものだと考えています。というのは彼らの発言の最後がこうなっているからです。「この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです」。…ここのユダヤ人たちは、パウロとパウロが伝えているキリスト教についてすでに情報を得ているはずです。だいたい「すべての道はローマに通ず」と言われた都ローマにパウロのことが伝わっていないはずはありません。おそらくここのユダヤ人たちは、パウロについていろいろな話を聞いていながら、すっとぼけて、直接話を聞くことでそれが本当かどうか確かめてみようとしたのでしょう。
こうして2回目の集まりが開かれ、ユダヤ人はさらに大勢でやって来ました。パウロは朝から晩まで語り続けました。「神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説明しようとした」、つまり旧約聖書の内容を熟知しているだろうユダヤ人に、イエス様こそ救い主キリストであることを旧約聖書を用いて論証していったのです。
さてここで注意したいのは、パウロが語り続けたことの結果です。ここには「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。」こうして「彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとした」となるのです。
これまでも、パウロがユダヤ人に語りかけた時、これを信じる人と信じない人がいて、信じない人の中にはパウロを殺そうとする人もいました。この時のユダヤ人には、パウロにあからさまな敵意を向ける人はいなかったようですが、パウロの言うことを受け入れた人であっても「受け入れました」、「はい、帰ります」では無責任です。イエス様についてさらに教えてほしいという熱心さはないし、洗礼を受けさせて下さいという人もいないのです。
パウロは自分自身ユダヤ人であり、同胞が救われることを何より強く望んでいました。パウロはそれまでの伝道の旅においていつも各地にあったユダヤ教の会堂に入って、愛する同胞にイエス様のことを語っていました。ユダヤ人の反発を受け、追い出されたこともあったはずですが。ローマに来たパウロがまずユダヤ人に語りかけたのも、それまでの伝道人生の集大成としての意味があったのでしょう。そしてその結果、ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはせず、互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとした時、パウロは言いました。「聖霊は預言者イザヤを通して、実に正しくあずなたがたの先祖に、語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くこともなく、心で理解せず、立ち帰らない。
わたしは彼らをいやさない。』だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
皆さんはパウロがイザヤ書の言葉を引用してこのように語った、その意図はどこにあると思いますか。
ある人は、パウロが力を込めて語ったのにユダヤ人は受け入れてくれなかった。だからもうお前たちは相手にしない、おれは異邦人の方に行くのだ、という意味だと考えます。
ただユダヤ人には、態度がはっきりしないとはいえパウロが言うことを受け入れた人もいたと判断されるので、パウロが、そんな人がいることを知りながら、これほど厳しい言葉を投げつけたというのは不可解です。そこで25節をみてみましょう。「聖霊は……実に正しくあなたがたの先祖に、語られました」と言っています。聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めないと言われたのは「あなたがた」ではなく「あなたがたの先祖」です。つまり先祖はだめだった、しかし子孫のあなたがたは同じあやまちを繰り返さないように、とパウロは警告したのです。
パウロの「この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです」を誤解して「だからユダヤ人は救われない。彼らは神に捨てられた民なのだ」と考えてしまうとたいへんな間違いになります。欧米の歴史の中に現れた反ユダヤ主義は、ヒトラーによるユダヤ人大虐殺へとつながっています。
ユダヤ人は全部が全部でないとしてもイエス様をかたくなに信じないことで、欧米のキリスト教世界から孤立して、排除されてきたという歴史があり、これをユダヤ人問題と言いますが、パウロ自身もすでにこれにつながる問題を予想し、深刻に悩みました。そのことがロマ書に書いてあります。ロマ書11章11節から読みましょう。
「では、たずねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。」
なかなか難しいですね。…キリスト教はユダヤ教の母胎の中から生まれた宗教です。ユダヤ教は基本的にユダヤ人だけの宗教で、異邦人がユダヤ教徒になるためにはユダヤ人にならなければなりませんでした。従って、異邦人でユダヤ人になり、ユダヤ教徒になる人は少なった、ここまではわかりますね。…
さてユダヤ教の分派としてキリスト教が誕生しました。キリスト教も最初はユダヤ人の中だけで伝道していましたが、多くのユダヤ人の反対にあいました。ユダヤ人にとって、自分たちは世界の民族の中で一番偉いということを否定しない教えが世界に伝わるなら問題ありません。しかし神様はそんなことは許されず、ユダヤ人が世界に優越していることを崩しかねないことを言うパウロはユダヤ人から猛烈に反対されました。そうるすとユダヤ人から迫害されたことでキリストの福音は異邦人の中に入って行きました。
異邦人に対して、あなたはユダヤ人にならなくていい、そのままでいいんだ、一緒にイエス様を礼拝しようと言ったことで、異邦人がぞくぞくキリスト教会に集まり、救われるようになったということなんです。
すなわちユダヤ人が、全部が全部ではありませんが、イエス様をキリストを信ぜず、拒否したことによって、ひょうたんから駒で救いが異邦人に広がってゆきました。…異邦人が救われ、キリスト教世界が進展すると、今度はこれにユダヤ人が刺激されることになります。そのことを、彼らにねたみを起こさせると書いているのです。…キリスト教が世界に広がる、そうするといつの日か、ユダヤ人もイエス様を信じるようになる、…これが神の遠大なご計画です。
エルサレムで誕生したキリスト教会は海を超えてローマに到着し、パウロを迎え入れて大輪の花を咲かせることになりました。…初めユダヤ人だけだったキリスト教会が、多くのユダヤ人の反対に直面して結果的に異邦人の教会が出来上がった、これは単なる民族の壁を飛び越えた以上のことがあります。…自分たちこそ神の民であると思いあがっていたユダヤ人が遠回りさせられることになったのです。ユダヤ人にとって、まさかこんなことがいう感じでしょう。私たちはこのことから、神様の前にユダヤ人が持っていたプライドなど何の意味もないことを思い知らされます。自分たちは他の人たちより偉く、神様はそんな自分たちを祝福して下さるという信仰は、神様によって否定され、けんそんでただ神様だけを尊ぶ信仰が祝福されるのです。…ですから、仮に私たちが自分はクリスチャンだからほかの人たちより偉いんだと思ったり、自分はあんな人たちと違うことを感謝しているなどと言って思いあがっていたら、神様は今度は私たちを離れて、私たちがあんな人たちと見なしている人の方に行ってしまわれるかもしれません。神様は全く自由なお方だからです。かりにそんなことが起こったら、私たちの心にねたみがわきあがり、それがきっかけで正しい方向に導かれることを願います。
このように人間の側の偉大さということではなく、神の深いみこころによって異邦人への伝道が始まり、そのためにパウロがローマの都に送られ、そこから福音が世界に伝わってゆくこととなりました。パウロがローマに行ったことで私たちがこうして教会に集まり、神の恵みを受けることになりました。そのことを感謝をもって受けとめたいと思います。
(祈り)
天の父なる神様。コロナ禍の中でもこの教会で礼拝が続けられていることを感謝いたします。
神様、パウロを初めとする信仰の先達たちが異邦人伝道を行わなければ、私たちはこうして神様を礼拝することはなかったでしょう。十字架につけられて死んだイエス様が救い主だと認めず、なんでそんな人物が崇められるのかと思っていたことでしょう。しかし異邦人の私たちにもパウロの働きが及んで、神の子とされていることを感謝いたします。 神様、エルサレムとローマの間に橋をかけた神様の力が、本当の神様を知らない人の多いこの国に及び、罪とそのもたらすものによって悩み、苦しむ多くの魂に喜びと希望、罪とたたかう力を与えて下さい。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
パウロのローマ到着 youtube
コヘレト7:14、使徒28:11~16
2021.1.10
これまで使徒言行録を読んできましたが、いよいよ最後の部分に入ります。今日は、パウロが長い、困難な旅の末にようやくにしてローマに到着したところです。使徒言行録はパウロがローマ到着をもって結ばれているのです。
使徒言行録は文字通り、使徒たちの活動を記録したものですが、これを「聖霊行伝」と呼ぶ人がいます。もちろんそれは正式な名前ではなく、あだ名のようなものですが、…使徒言行録は最初に有名なペンテコステの出来事、聖霊降臨が書いてありますね。そこから世界宣教が始まるのです。…使徒たちが中心となって、福音がユダヤ人の枠を突破し、サマリアへ、エチオピアへ、そして今のシリアにあるアンティオキアで開花し、やがてローマ帝国の各地へ伝えられてゆく、そこに使徒たちの不撓不屈の働きがあったことはもちろんですが、その働きの中心にあって使徒たち、信徒たちを後押ししたのが聖霊であったのです。
聖霊はパウロをローマにまで押し出しました。…ローマの都はパウロが到着する前、福音が伝えられなかったのではありません。名前が知られていない伝道者によってすでに福音の種が蒔かれ、教会がありました。しかしパウロが到着することで、時代を画する変化がもたらされるのです。
パウロが書いた「ローマの信徒への手紙」、これはパウロが第3回伝道旅行の時、エフェソから書き送ったものだと考えられていますが、その1章9節以降にこう書いてあります。「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」
パウロはそれまで、ローマから来た信徒に会って信仰の交わりをしたことはあるのですが、ローマに行ったことはなく、大多数の兄弟姉妹たちとは顔を合わせたこともないのに、これほど情熱を込めた挨拶を書き送ったんですね。パウロがローマに行こうとした理由には、もちろん主イエスに命じられたということがあったのですが、法廷で、すなわち皇帝の前で証しをすることも含めて、自分に与えられた信仰を一人でも多くの、まだ見ぬ兄弟姉妹たちと分かち合いたいということがあったのは間違いありません。
しかしながら、皆さんとこれまで見てきたように、パウロのローマへの旅は簡単なものではありませんでした。パウロはエルサレムを通ってローマに行こうと決心した直後、エフェソの町では大騒動に巻き込まれ、エルサレムに着くと群衆に袋叩きにされてしまいます。パウロが牢に入れられた時は、いつまで入ってなくてはいけないのかわからなかったはずです。2年後にやっと牢から解放されローマに向かいますが、今度は船が暴風に巻き込まれ、パウロを含めて276人が命からがらマルタ島に漂着したのです。
そもそもパウロの人生は苦難の連続でした。彼は自分が被った苦難についてコリントの信徒への第二の手紙11章24~28節でくわしく述べています。これはパウロが、ローマへの船旅を体験する前に書かれたものです。それによると、「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遇い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」
パウロはこのような、すさまじいばかりの苦難を体験した人物ですが、さて、そのことは私たちにとってどういう意味があるのでしょうか。
人それぞれさまざまな苦しみがあり、ここには自分ほど苦労した人間はないと思っている人がおられるかもしれませんが、ただそういう人と比べてもパウロが体験したことはやはり桁が違うと言わざるをえません。ここまでひどい目にあった人はいないでしょう。では、そこで問題にしたいのが、信仰者は苦難を経験しなければいけないのかということです。
ある牧師が礼拝説教でこういうことを教えていました。「神の国に向かって前進していく人生とは、苦難の人生である」と。さらにこの牧師は言います。「世俗的な人生観では、人生は楽しみや安らかさを追求するものであり、苦難はそのために取り除かれなければならないものです。しかしキリスト教的な人生観では、人生は神の国を追求するものであり、そのためには苦難こそがなくてはならぬものなのです。」
いかがでしょうか。私の率直な感想は、こういうことを言うのはかっこいいのですが、自分自身を顧みてみると、苦しみから逃げていることが多いのではないか、ということが突き刺ささります。
自分はこんな言葉を言うのはふさわしくないと思うので、自分の口から同じことは言えません。…信仰に苦しみからの解放を求めている人もそうですね。もうこれ以上、何を苦しめばいいのかという人も、やはりこうした言葉に抵抗を覚えるでしょう。しかし聖書には、主イエスの「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という言葉もあって(マタイ16:24)、信仰することと苦しみは切り離せません。…そこで多くの信徒は、イエス様が自分の受けるはずの苦しみを背負って下さり、パウロもそれに倣ったのだということを認めて、深く感謝します、でも自分は苦しみはご免こうむりたい、「福は内、鬼は外」ではないけれど、自分は楽しく、安らかに生きたいと考えるのではないかと思います。
ただ、すさまじいばかりの苦難を経験してきたパウロにも喜びの時はあったのです。それが今日のお話になります。
マルタ島の住民は、漂着した276人をあたたかくもてなしてくれました。特にパウロとパウロに同行したアリスタルコとルカは、病人へのいやしを行ったこともあって、10節に書いてあるように、「彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた」ということになったのです。
一行276人は航海に危険な冬の季節を避けるために、マルタ島に3か月滞在したあと、おそらく紀元60年の2月頃、再び出航しました。彼らが乗ったアレクサンドリアの船とは、エジプトのアレクサンドリアから穀物を積んでイタリアに向かう船でしょう。なお、どういう理由なのか、「ディオスクロイを旗印とする船であった」と明記されています。ディオスクロイはギリシャ神話から来た船乗りの守り神です。パウロは偶像を掲げた船だから乗らんということは出来なかった、もちろん偶像を礼拝することは絶対にありませんが、囚人のパウロにとって、どうしようもないこととはいえ、残念なことでした。
マルタ島を出たあと、船が最初に立ち寄ったのがシチリア島のシラクサです。ここでおそらく荷物の陸揚げをし、風向きが良くなるまで三日間滞在しました。シラクサを出たあと船はシチリア島の東海岸に沿って北上し、海峡を渡ってイタリア半島のレギオンに着きました。ここでも風を待っていたのでしょう。一日たつと南風が吹いてきたので、二日でプテオリに入港しました。レギオンからプテオリまでおよそ300キロ、この距離を二日で進むことができたということから順調な船旅だったことがわかります。これで船旅が終わり、あとはローマまで陸路を進むだけですが、しかし、それに先立ち、パウロは「兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在」することができました。
七日間の滞在は、パウロを監督する百人隊長の寛大なお許しがあったからです。また七日の間に日曜日があるので、パウロは何年かぶりに礼拝に出席できたことになります。
港町プテオリにいた兄弟たちというのがユダヤ人か異邦人かわかりませんが、長い苦しい航海を経てやっとたどりついた町で、思いがけず信仰を同じくする兄弟姉妹に会うことができたのは、パウロにとって喜びであったのは間違いありません。
そして、さらに、パウロの喜びを増し加えたのが、「ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた」ことです。ここで「迎えに来てくれた」という言葉は、原文では公の歓迎を表わすお役所言葉です。つまりローマの教会は、パウロを、まるで国家が外国の要人を迎える時のように、公の、正式な出迎え使節を派遣して、手厚くもてなしたわけです。「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた」というのは無理からぬことです。皆さんの心にも熱いものが伝わってこなかったでしょうか。
ローマ帝国の都ローマにはかなり早い時期からイエス様を主と信じる群れがあったようです。以前、パウロがコリントに滞在していた時、アキラとプリスキラの夫婦の家に住む込んで、一緒にテント造りの仕事をしたことがあったのですが、この夫婦はかつてローマに住んでおり(使徒18:2)、その後ローマに帰って、自分の家を開放して教会にしたことがロマ書16章に書いてあります。パウロにとって、ローマの教会で奉仕することは切なる願いであり、これを達成するために 危険きわまりない船旅をやりとげてきたのです。パウロは已然として鎖につながれた身であるとはいえ、苦難の長旅の末についに、人生をかけた悲願が達成されようとしています。パウロの喜びはどれほど大きなものだったでしょう。そしてその喜びは、パウロがこれまで体験してきた苦難を吹きとばすほどのものであったと考えられます。
パウロにとって、船に乗っていた276人全員が嵐の海から生還したことも、マルタ島で島の住民に喜ばれる有益な働きができたことも、復活して今も生きておられるイエス・キリストのお支えによるものですから、嬉しいことだったでしょうが、それにさらなる喜びが加えられたのです。…そもそもパウロがローマの信徒たちに手紙を書いてから、この時までに2、3年はたっていました。「いま、ローマの教会員は迫害にさらされていないか。ユダヤ教徒が先回りしてローマでパウロの悪口を言いふらし、教会をゆさぶっていないか。彼らは鎖につながれた自分を見て、どう思うか」という心配もあったでしょう。しかしそれは杞憂でした。ローマの教会は公的な使節を派遣してまで、彼を歓迎してくれたのです。
この礼拝説教の中で、第2コリント書を引用してパウロが受けた、鞭打ちを初めとする苦難のリストを読み上げました。ただ私は、聖書には列挙されてはいないもののパウロが体験した喜びのリストというのもあって良いと考えています。
あれだけの苦しみがあっても、それを上回る喜びがあって、それが天につながっているのです。だとすると、私たちは、パウロほど激烈な形を取ることはないものの、同じ恵みにあずかれないはずはありません。
私たちは、信仰を同じくする兄弟姉妹との出会いや交わりが、パウロにとってと同様、私たちにとっても、聖霊の導きであり、主イエスの力の現れであることを知っておかなければなりません。いま私たちは毎週の交読文で、「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです」と唱えています。もしも誰かが「ああ今日は日曜日か。教会に行くのは面倒だけど義務だから仕方がない」、こんな思いで礼拝に出席しても、それは喜びとは縁遠い礼拝にしかなりません。しかし、「皆で共にみ言葉と聖餐の恵みを受けよう。神様がおっしゃったことは必ず実現します。あなたもそのことを信じていますか。私もです。」、こんなふうになったら、礼拝はどれほど活性化するでしょうか。
私たちがすでに何度も学んだように、教会はキリストの体です。キリストの確かな導きがあるところで、一人ひとりの教会員が出会い、集まり、交わる時にこそキリストの全身が組み立てられてゆきます。そのことを知って、私たちも皆、パウロのように、神に感謝し、勇気づけられるのです。
(祈り)
恵みに富みたもう天の父なる神様。新年第2回の礼拝を、パウロの喜びに共にあずかりつつ行うことができたことを感謝いたします。
神様、パウロがあれだけの苦難を体験しながら、それをはるかにまさる喜びの中に生きたことがどうか私たちにとっての指針となりますように。私たちの多くは、社会の中での地位は高くはなく、お金のことでいつも苦労し、自分の健康や子どもの教育のことなどなど心配の種が尽きません。神様の導きの中にあることも面倒になることもある不信仰な者たちですが、しかしそれでも神様が忍耐しながら顧みて下さっています。おそれおおいことです。神様、私たちがどうか毎日の生活を不平不満だらけになって過ごすのではなく、小さな喜びを積み重ね、そこに神様の愛を感じ取って行けますように、そして信仰の喜びを、まず信徒の交わりの中で確認しあうことができますようにとお願いいたします。
神様、広島でも毎日、ウィルス感染者が増加している今、礼拝出席を差し控えている人もいます。神様、どうか未知のウィルスとのたたかいを、全世界の教会が信仰的に考えぬき、それをもって神様が愛される世に貢献するものでありますよう、力を与えて下さい。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
新年を迎えて youtube
イザヤ60:1~2、ヨハネ8:12~20
2021.1.3
明けましておめでとうございます。神様によって2021年の扉が開かれました。ただ、今年のお正月はいつもの年のような晴れがましさはあまり見当たらないように思います。私が受け取った年賀状の中にも「お元気ですか?楽しく遊べるようになるまで、生きていられますように」というのがあったくらいで、ウィルスによる感染爆発が起こりかねない状況で、はたしてこの国は大丈夫か、自分は感染せずに生きていけるのかという思いが多くの人にあるようです。しかしながら、過去は変えられませんが、未来を変えることはできます。教会はみ言葉を語ることを通して、コロナという未知のウィルスとたたかっていく決意です。私たちがふだんマスクをしていること、人ごみの中に入らないように注意していること、礼拝の時に窓をあけたり、消毒に励んでいたりしていることなど、そのすべてについて、私たちは専門家の意見を聞いているだけだと思っているかもしれませんが、そういう日常の一つひとつのことにしても神様のお支えがなければ続けられるものではないのです。ただ義務感からやっていても疲れて投げ出したくなるだけで、神様のお支えがあってこそ、この状況の中で的確な判断と最善の選択をすることができるはずです。主イエスは「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」と教えて下さいましたが(ヨハネ15:1、5)、この言葉はいっけん信仰生活とは関係ないようにも見える、私たちの全生活においても言えることです。この先、何が待ちかまえているかわかりませんが、主イエスと結びついている者は、くずれてしまうことはありません。
広島長束教会では毎年、今年の聖句を定め、その聖句の下に一年間を歩むことにしています。2021年の聖句として選ばれたのがヨハネによる福音書8章12節の言葉です。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。この言葉がこの年、私たち皆の心の中に刻まれ、教会の中で成長してゆくことを願って、お話しします。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。ここで光について言われています。光とは何でしょう。皆さん、考えるところがいろいろあると思いますが、つい2週間前も、教会は光について語っていたのです。そうです、クリスマス家族礼拝の時、私たちはここで「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」という、イザヤ書9章1節の言葉を読んだばかりです。神様の独り子である主イエス・キリストが、この世の闇を照らすまことの光としてお生まれになったことを覚え、喜び祝うためにクリスマスの礼拝がもたれ、ろうそくが灯されたのです。
今日お読みしたイザヤ書60章もそうです。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」。…私は、牧師としては恥ずかしいことに、ここで「光を放て」と言われているのは信者一人ひとりのことかと思っていました。しかし、勉強していくうちに、それは間違いで、これはやがて現れるメシアにほかならないということがわかった次第です。
2節は言います、「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出て、主の栄光があなたの上に現れる」。この預言の成就として、イエス・キリストがこの世界に到来されたのです。そして本日の箇所、ヨハネ福音書8章12節において、イザヤの預言を裏付けるように、主イエスご自身が「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と言われているのです。
ヨハネ福音書は7章10節から8章の終わりまで、仮庵祭の時に主イエスがなさったことを書いており、今日の話はその中に入っています。
かつて奴隷の地エジプトを出てカナンの地にたどりつくまで、イスラエルの人々は40年間の荒れ野の旅を続けましたが、そのことを記念するのが仮庵祭です。旅の間、一つの土地に定住して家を持つことが出来なかった人々は、テントのような仮の庵で生活するほかなく、それが祭りの名前の由来になっています。この40年間の旅について、たとえば出エジプト記13章21節にこう書いています、「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。」
有名な雲の柱、火の柱ですね。仮庵祭でもこれを記念し、祭りの最初の日の夜から祭りのあいだ中、神殿に立っている、四本の大きな金の燭台に火をともしていたということです。この、燭台の光は、神殿だけでなく、エルサレムの町全体を照らすほどのものであったそうです。こんなものを作ったのは、主なる神が荒れ野を進む人々に先だって進まれたからですね。神様のこの導きはわれらユダヤ人にとっては出エジプトの時代だけではない、今も、そしてとこしえにありますように、ということだったのですが、そのお祭りの中で主イエスが「わたしは世の光である」と言われたことは、「わたしは夜の闇の中で輝く火の柱である」と宣言するにひとしいことでありました。
さて、主イエスの「わたしはなになにである」、これは原文を調べると、「わたしこそはなになにである」という意味が含まれていて、たいへんに重みのある言葉なのです。…ここで想起されるのは、むかしモーセが神の召命を受け、イスラエル民族の指導者に任ぜられた時のことです。モーセが神様にその名前を問うと、神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えられました(出3:14)「わたしはある」、これがヤーウェ、尊いお名前が明かされた瞬間で、私たちは、主イエスの「わたしはなになにである」というお言葉も畏れをもって受け取らなければなりません。
「わたしは世の光である」ということが示すものは、世というのは暗闇であり、滅びの内にあり、そこに輝く光は私であるということです。そこから「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」、ということが導かれます。
ふだんから聖書に親しんでいる皆さんはあまり驚かれないかもしれませんが、これは大変な言い方です。ほかの宗教の教祖でこんなことを言った人がいますか?「私は神様から光を受けてそれを伝えている」という人ならいるでしょうが。イエス様のおっしゃり方はあまりにも大胆です。
大事なことは、どんな人もこの言葉の前に立たなければならないということです。誰もが問われています。…あなたはイエス様の言うことを信じて、この方以外に自分の拠り所はないとしていますか、それともイエス様は歴史上最大の詐欺師ですか、あるいは、これは精神の異常がなせるわざだと判断しますか。その3つの内のどれかを決めなければなりません。自分はイエス様を信じてないけど尊敬します、という態度は成り立たないのです。
この時、ファリサイ派の人々はイエス様を信じないという反応をしました。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない」ということですが、ただ最初の反応としては特に変なものではありません。ふつう、自分がどんなに素晴らしいかと宣伝する人がいたら、ちょっと信じられないですね。自分で言ってちゃ世話ないよ、ほかの人に言ってもらわなくちゃということですが、ファリサイ派の人々にとってイエス様がそういう人だったわけです。
イエス様はこれに対し、たとえ私が自分について証しをするとしても、その証しは真実なのだと言われます。なぜか、「自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ」。イエス様の、自分についての証しが真実かどうかを問う前に、まずこのことを考えてみましょう。
「自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか」、すべての人はこの時のファリサイ派の人々と同じで、知らないのです。このことが、私たち人間存在の根源的な不安です。誰も、自分が誕生したことは知っていますが、どこから来たかわからないし、そしてこの人生を終えたあとどこに行くのかもわからないのです。弘法大師空海の言葉に、「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」(出典:秘蔵宝鑰(ほうやく))というのがありますが、おそらく同じことを言っているのでしょう。
人は誰も自分がどこから来たのか、どこへ行くのかわからない、だから、今ここで生きていても、その意味がわからないのです。…自分で望んだわけでもないのに、この人生に無理やりひっぱりだされて、苦労するばかり、そして何が何だかわからない内に時間切れになって、しぶしぶ世を去らなければいけないとすると、何と悲しいことでしょう。
…しかし、これに対し、自分がどこから来てどこへ行くのか知っておられるのは、無限に広い宇宙の中で、ただおひと方、イエス・キリストのみです。イエス様はご自分が父なる神の独り子であって、この世界に遣わされて人として生きていることを知っておられます。そして、すべての人々の罪を背負って十字架にかかり、神でありながら死を体験されることをご存じです。だから、人は何のために生きるのかということを知っておられ、それを宣べ伝えているのです。…イエス様がおられなければ人は本当に生きることはできません。それだから「わたしは世の光である」という言葉になるのです。
この時、ファリサイ派の人々はイエス様の言われることがわかりません。イエス様の証しには二人以上の証人が必要だと考えていたからです。そこでイエス様は言われます。「あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」つまり父なる神様が証人であると言われます。そこでファリサイ派の人々が「あなたの父はどこにいるのか」と問うと「わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ」と切り返されました。イエス様をを知っていたら、父なる神をも知ることができる、イエス様を通してしか父なる神を知ることはできない、父なる神とイエス様は一つであるという宣言です。
話が難しくなったので元に戻します。自分がどこから来たのか、どこへ行くのか知らない人間が生きている世界が暗闇なのです。……ただ、そうは言ってもぴんとこない方もいるかもしれません。…それこそ病苦にあえぎ、お金が足りなくて生活は楽にならず、人間関係で悩み、さらに地球温暖化で世界はこれからどうなるのかと考えている人なら世界が暗闇だということが納得できましょうが、若く、健康で、お金があってという人なら、世界はばら色で暗闇など見えないかもしれません。この世の生活を、そこがまるで天国でもあるかのように楽しんでいる人もいるのですが、そういう人がいることも想定して、最後に三浦綾子さんの言葉をお伝えしましょう。
「戦争中に小学校の先生であった私は、敗戦を迎えて、ひどく虚無的な、そして懐疑的な人間になった。その私を敗戦後七年目にして変えたのは、聖書であった。聖書は私に生きる方向を変えさせた。いままで背を向けていた光なる神のほうに私をふりむかせた。
光に背を向けている間は、私は自分の黒い不気味な影だけを見つめていた。が光のほうを向いたとき、影は消え、聖なるあたたかい光だけがあった。聖書の光に映し出された私の姿は、私が知っているよりもはるかに卑小であり、傷だらけであり、醜かった。だが、その醜いままの私を拒否せずに、受け入れてくれる神の愛を私は知った。」
光があって初めて闇の正体が見えてきます。世の暗闇を暗闇とも思わず生きている人は、光に照らされて初めて、自分が暗闇の中にいることを知るのです。三浦綾子さんは光に照らされた時、初めてそれまで知らなかった自分の醜さを知ったのです。それは衝撃だったでしょう。しかしそれで終わらなかったのは明らかです。
私たちみんな同じ道に招かれています。イエスに従う人は暗闇から光の世界に飛び立ちます。このことを信じて行うことを自らに課しつつ、新しい年を生きて行きましょう。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる神様。新しい年が、あなたの導きの中で始められたことを心より感謝いたします。
神様、どうか2021年の世界が、感染症を克服して明るい未来を切り開く希望の年となりますようにと、多くの人々の願いにあわせて、私たちもお願いいたします。これは、ただ人間の力だけでなしとげられることではありません。世の光であるイエス・キリストのお導きによって、はじめてなしとげられることだからです。
神様、この年にどうか私たちの教会にも希望と夢を与えて下さい。私たちの信仰がマンネリ化の罠に陥らず、主イエスを信じる心がますます確かなものとなってゆきますように。たとえこの年、私たちの前に何が待ちかまえていようとも、賛美の歌と祈りを忘れず、神様の勝利にあずかることが出来るようにして下さい。
神様、広島長束教会に関わるすべての人の健康をお守り下さい。そして、誰もが自分の信仰を心と言葉と行いによって現し、神様に栄光を帰すことが出来ますように、この一年をお用い下さい。
神様を賛美いたします。この祈りを主イエス・キリストのみ名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。
主の善き力に守られて youtube
エレ31:15~17、マタイ2:13~23 2020.12.27
まことに多事多難であった2020年があともう少しで終わろうとしています。
この年、とても素晴らしい、充実した一年を過ごしたという人もいるとは思いますが、世界中が暗いトンネルに入って、いつそこから抜けることが出来るのだろうという思いにある今、不安の中にいる人が多いはずです。しかしながら、一年の最後の月にクリスマスがあって、クリスマスの光を通してその年を顧みることができるのはキリスト者だけに与えられた有難い特権です。今年、どんな一年を過ごした人にも、クリスマスの恵みはもれなく与えられているのです。この世界にイエス・キリストがお生まれになった、それは闇の中に光が輝いた出来事です。私たちはその光の下に集められ、光に照らされながら、この年を終えようとしています。
広島長束教会ではアドヴェントが始まってから、礼拝説教ではマタイ福音書を通してクリスマス物語を語ってきましたが、そこに現れてくるのは決して愉快な、楽しい話ばかりではありませんでした。東方から占星術の学者たちが到着して、ユダヤ人の王の誕生を告げた時、エルサレムの人々は喜ぶどころか不安を抱きました。ヘロデ王はその子を殺してしまおうとしていました。もちろん、そのようなことばかりではなく、東方の学者たちがイエス様を探し当てて喜びにあふれたことも書いてありますが、全体的にみるとそれほど明るい話には見えません。
そのことはヨセフとマリアを中心に見て行くと一層はっきりしてきます。ヨセフは、二人が一緒になる前にマリアの妊娠を知って、悩みに悩みぬきます。ついに夢で天使のお告げがあって、思ってもみなかった解決が与えられましたが、苦しみはそれで終わらず、エジプトへ避難しなければなりませんでした。そして、これはヨセフとマリアが知っていたかどうかわかりませんが、ベツレヘムでの幼児虐殺という大惨事が起こるのです。
誰もがイエス様の誕生を歓迎しているわけではありません。神の御子で、世界の人々を救うみわざを成し遂げられる方の誕生の時になぜ、闇が光を圧倒したかに見えるようなことが起こっているのでしょう。それは、どんな人の心の中にもある、イエス様を拒絶する思いのあらわれなのです。
誰もが喜んで神の御子をお迎えする、などということはありません。人間の心は罪によごれ、サタンとの親和性が高くなっていますから、正しい人を見ると煙たがります。まして、聖なるお方を受け入れることなどできません。イエス様のご降誕を喜び感謝する人がいる一方で、イエス様を排除しようとする力が働くのはむしろ当然なのです。
ルカ福音書に書いてあるように、イエス様がお生まれになったのはベツレヘムの家畜小屋で、その日にさっそくお祝いにかけつけたのは羊飼いたちでありました。占星術の学者たちはそのあと、羊飼いたちとは別な日に到着したのです。マタイの2章11節では「家に入ってみると」と書いてありまして、その頃、この家族は家畜小屋ではなく家に住んでいたようです。
さてヘロデ王は、占星術の学者たちに、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言って、ベツレヘムに送り出したのですが、もちろん拝みに行くつもりはありません。ヘロデ王によるイエス様暗殺の危険が迫ってくる中、主の天使が再びヨセフの夢に現れて告げました。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を捜し出して殺そうとしている」。
「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り」と書いてありますから、大あわてで出発したのでしょう。こうしてエジプトに向かうのですが、旅費や生活費はどうやってまかなったのでしょうか。占星術の学者たちから献げられた贈り物の一つである黄金が役に立ったのかもしれません。この家族はいわば難民となって、エジプトに落ちのびて行ったのです。
その頃、ベツレヘムとその周辺一帯で、ヘロデ王によって2歳以下の男の子が一人残らず殺されるという事件が起きていました。クリスマスの喜びが、まるで泣き叫ぶ声の中でかき消されるような出来事を、マタイはこのように書いています。「こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。』」
ラマというのはベツレヘムか、あるいはその近くにあった町のことで、ラケルはそこに葬られています。ラケルとはアブラハムの孫ヤコブ、イスラエルというもう一つの名前を持っている人の妻で、やはりヤコブの妻であった姉レアと共にイスラエル12部族の祖となる息子を生んだので、ここではイスラエル民族の母のような位置づけになっています。そのラケルが泣いている、墓の中から泣いている、子供たちが奪われたからです。
ここにはイスラエル民族の悲しい歴史が重ねられています。紀元前6世紀、ユダ王国の滅亡とエルサレム崩壊の出来事に伴って多くの人々がバビロンに連れて行かれました。バビロン捕囚です。
その時、連れて行かれた人々がラマを通り、それを見てラケルが墓の中から泣いているというのが、もともとエレミヤ書31章15節に書いてあったことですが、マタイはこれをヘロデ王によって行われた幼児虐殺事件と重ね合わせました。
イスラエル民族の母ラケルが泣いている、あの時のラケルの嘆きがここでも繰り返されていると。
まことに残念なことですが、子供を奪われて泣き悲しむラケルの嘆きというのは、今日にも起こります。シリアやアフガニスタン、パレスチナといった国々で、また自分の国から海を渡ってまでも逃れようとする人々の間で。日本もそういう悲惨な出来事と無縁ではありません。あのラケルの涙が地球全体を覆いつくしているようにも思えてきます。…そして何か事件が起こるたびに、「この世に神はいない」という声があがります。そう考える人が出るのももっともだとしか思えないような状況ではあるのですが、それでも「神はいない」と言う人がこの世を良くするために何かやっているのでしょうか。ここで信仰を放棄してしまうと、さらに出口のない道を進むしかありません。人間がそうしている間にも、神様は深いみこころによって、そのご計画を一歩一歩進めておられるのです。
イエス様がもの心ついたあと、ベツレヘムでの幼児虐殺事件を知ることがあったのかどうか、記録がなく全くわかりません。ただ、かりに知ることがあったとすれば、そのことで心を痛めなかったはずはないでしょう。父なる神を通して、死んだ子どもたちへの思いを語っておられたかもしれず、もしそうなら、そこに、自分ももうすぐあなたたちのところに行きます、ということがあったように思います。イエス様もやはり権力によって殺されたからです。
エジプトに逃れたヨセフとマリアとイエス様の家族は、ヘロデ王が死ぬと再び戻ってきて、ガリラヤのナザレの町の住人になりました。イエス様の命は守られました。ヘロデ王のどのような敵意も、またその権力も、イエス様を見つけ出して殺すことは出来なかったですが、それは神様がいつ、いかなる時もイエス様を守られたということではありません。…イエス様はこの時、死んではならなかったのです。時期が来るまで、死んではならなかったのです。イエス様が死ぬべき時は別に定められていて、その時が来るまでは、神様はどのような力からもイエス様を守られたということがここからわかります。
そこには神様のご計画がありまして、そこでおおいに用いられたのがマリアと共にヨセフでありました。ヨセフは、クリスマス物語の中で合計4回、夢でお告げを受けています。マリアを妻として迎え入れること、エジプトに逃げること、エジプトから戻り、そしてナザレの町に行くこと、ヨセフにとってどれひとつとして生易しいものではなかったはずです。しかし、それに対して、ヨセフが不平不満を言ったようなことは書いてありません。
ひたすら従順に、神様から命ぜられ、託された務めを黙々となしとげていく、そこには人々の注目を集めるような華々しいことは何もありませんが、限りなく尊いものがあるのです。
ヨセフについて、さらに明らかになることがあります。ヨセフは妻のマリアと幼子イエスを守っていったわけですが、そのことははからずも、神の約束の実現に結びついていたのです。
すでにイエス様の誕生について、1章22節で「主が預言者を通して言われていたことが実現されるためであった」と書いてありました。2章15節では、エジプトに向かったことについて「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼びだした』と、主が預言者を通して言われていたことが実現されるためであった。」と書かれています。(←ホセア書11:1)
さらに、ナザレに住むようになったことについても、2章23節で「『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われたことが実現するためであった」と書かれています。(←イザヤ11:1,士師記13:5など。不確定)
聖書で「なになにが実現されるためであった」と書いてあるのを見ると、こんな文章はほかでは滅多にお目にかからないので、何のことかと思ってしまうかもしれませんが、これは神様のお約束がここで実現することを示すたいへん大事な文章なのです。おそらくヨセフ自身は、家族を守り養っていくだけで精一杯で、自分がしている一つひとつのことが世界の歴史の中できわめて重要な意義を持っていることなど思ってもいなかったでしょう。彼は、自分では気づかないまま、神の遠大な救いのご計画に参与することになったのです。
信仰に生きるということは、このように、一人ひとりの思いを超えて、神の遠大な救いのご計画に参与することでもあるのです。別に、何か大きなことをしなければいけないということではありません。はたから見たら、平凡そのもののような人生であっても、あるいは負け組と揶揄されたり、ビジネス社会から戦力外通告をされるような人であっても、自分に対して示された神のみ心に忠実に生きてゆく時、これによって神の遠大な救いのご計画が一歩一歩実現してゆくのです。
最後にディートリッヒ。ボンヘッファーのことを少しお話しします。この人はドイツのルター派の牧師であり、また神学者であった人で、アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツに対し教会から抵抗運動を起こしましたが、やがて挫折してゆきます。そして最後にヒトラーの暗殺を計画する秘密組織に加わったのですが、それが発覚し、1945年4月9日、ドイツが連合国の前に敗北する1か月前に処刑されました。牧師であり、神学者でもあった人が、いくらヒトラーが大悪人であるとはいえ、暗殺計画に加わるのが正しいことだったのかということが今も論じられていますが、そのことは今は置いておきます。
昨年のクリスマスでは久保さんが尽力されて、ボンヘッファーが獄中で書いた詩に曲をつけた「善き力に」という歌をみんなで歌いました。このあとご一緒に歌いますがこのような歌詞です。
「善き力にわれかこまれ、守り慰められて、
世の悩み共に分かち、新しい日を望もう。
善き力に守られつつ、来たるべき時を待とう。
夜も朝もいつも神は、われらと共にいます。」
「善き力」というのは、「主の善き力」、「神の善き力」です。この力がヘロデ王による暴虐の嵐が吹き荒れる時代にイエス様を守りました。そして同じ力が、もうすぐ死刑になるボンヘッファーを守り、平安の内に処刑台に登らせることになったのです。主イエスがなさったことはもちろん、ボンヘッファーの人生もその死によって消えてしまうことはなく、今も生き続けています。
皆さんと共に、主の善き力に守られていることを信じつつ、2020年に別れをつげ、新しい年へと進んでまいりましょう。
(祈り)
恵み深い天の父なる神様。今年は大変な年でしたが、それにもかかわらず、神様から広島長束教会と私たちに与えられた大いなる導きを感謝いたします。教会の今年の主題聖句は、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」でありました。私たちは、神様のみ前に恥じることの多い者ですが、それでもこのみことばに導かれて一年を過ごすことが出来たと思います。すぐに古いものに戻って行きたがる私たちが、み言葉に触れ、聖餐にあずかることを繰り返すことで、常に神様の前で罪から浄められ、新しく創造されていく、このことを新しい年においても続けてゆくことが出来ますように。
神様、暗殺される危険があったイエス様を守り抜いた力が、私たちの教会に、他の教会に、そして世界の津々浦々にまで与えられ、深刻さの度が増してゆく感染症から人々の命と健康をお守り下さい。
神様、2020年に別れを告げる時、私たちは今年、神様のもとに召された兄弟姉妹のことを思わないわけにはゆきません。今年、私たちは佐野清美さんと倉重結兜くんをあなたのもとに送りました。どうかお二人が懸命に生きてゆかれたことが神様の遠大な救いのご計画の中で用いられてゆきますよう、お願いいたします。
感染症対策のためにこの礼拝の場に来ることの出来ない人々をどうかお支え下さい。主の善き力のお守りを信じつつ、この祈りをとうとき主イエスの御名によってみ前におささげします。アーメン。
東方の学者たちの旅 youtube
イザヤ8:22~9:6、マタイ2:1~12 2020.12.20
クリスマスおめでとうございます。皆さんの中には、広島でコロナの感染が急増している中、決死の覚悟でこの場に来られた方がおられるかもしれません。礼拝に来ようという思いはもちろん大切で、私もここに多くの人が集まってくることを願っていますが、いかんせん自分の命を犠牲にしてまでということはないので、くれぐれもご無理をしないようお願いします。
それではお話を始めますが、クリスマスという言葉の意味は何でしょうか。これはキリストとミサ、二つの言葉を合わせたものです。ミサは礼拝のことです。つまりクリスマスはイエス・キリストを礼拝するということなのです。…ですから、いくら楽しいパーティーがあっても、素敵なプレゼントをもらってもそれだけではだめで、礼拝があってこそ本当のクリスマスになるのです。
イエス様はユダヤの国をヘロデ王が治めていた時代に、ベツレヘムでお生まれになりました。そのことを星の動きから知って、遠い東の国からかけつけ、イエス様を礼拝したのが占星術の学者たちです。…占星術とは星占いのこと、今の都会とは違って夜空に星が数えきれないほど輝いていた時代、学者たちにとって星はみんな神様で、宇宙には星の数だけ神様がいたのです。
学者たちは毎晩星をながめて、世界に起こることを研究していましたが、あるとき新しい星が出現したのを見て驚きました。星占いによれば、それはユダヤに新しい王が生まれたことを示すものでした。現代の天文学では、その現象は紀元前7年に起こったと考えられています。
学者たちはこの新しい王を拝むためにユダヤに向けて出発します。でも、外国に生まれた王様のことでなぜそこまでしなくてはならないのでしょう。それは、天を輝かせるような方はきっと歴史に名を残すような偉大な王になるだろうと考えたからです。…かつてアジア、アフリカ、ヨーロッパをまたにかけて大帝国を築いたアレキサンダー大王が生まれた時にも大きな星が輝いたという話が残っています。…学者たちは考えました、ユダヤで生まれた王はやがてわれわれの国を征服しようと思うかもしれない、だったらいちはやく挨拶をして、ユダヤの国と仲良くし、間違っても戦争など起こらないようにしようと、ずいぶん気の早い話ですがそういうことだったのです。決してイエス様を救い主だと信じて旅立ったのではありません。…ただ、この時代には飛行機も鉄道もありません。東の国からユダヤまでだいたい2000キロくらい、北海道から九州ほどの道のりを、それもえんえんと荒れ野が続く中を、学者たちは旅をしてきたのです。
学者たちはユダヤの国に着くとまっすぐ都エルサレムに入りました。新しい王様の誕生で、エルサレムはわきたっているだろうと思っていたはずです。ところが何も起こっていないのです。…ユダヤ人はそれまで七百年もの間、新しい王を待ち続けていました。この方が来られたら、ユダヤは外国のくびきから脱して素晴らしい国になるにちがいないと信じていたのです。…この、新しい王様が与えられたまさにその時、エルサレムの都は静まりかえっていました。
学者たちは、都の中で聞いて回りました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。…その話がヘロデ王まで伝わりました。ヘロデ王はそれを聞いて不安になりました。ヘロデ王はとても恐ろしい人で、自分の奥さんや息子まで殺したほどの人です。自分以外にユダヤ人の王がいるということを許すことが出来ません。そこで、祭司長たちや律法学者たちを集めて、「メシアはどこに生まれることになっているのか」と尋ねました。メシアとは救い主のこと、新しい王様はすなわちメシアです。ヘロデ王は新しい王様を見つけて殺してしまおうと考えていました。
ヘロデ王はそういう人ですが、エルサレムの人々もおかしいです。自分たちが七百年待ち続けた新しい王様が誕生したという話を聞いて、喜ぶどころか不安になってしまったのです。…新しい王様が現れるなんてヘロデ王は黙っていない、その子は殺されてしまうかもしれない、くわばらくわばら、こんなことには関わらない方がいいや、と息をひそめてしまったのです。
祭司長たちと律法学者たちも困った人たちです。この人たちは神様にお仕えしていた人たちで、ヘロデ王に呼ばれて「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただされた時、すぐに聖書の中のミカ書というところを開いて言いました。
「ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。
王様、ここに新しい王がベツレヘムで生まれると書いてありますよ」。
ここから、祭司長たちと律法学者たちが日頃しっかり聖書を勉強していたことがわかります。でも、この人たちは誰も新しい王様に会いに行こうとはしませんでした。ベツレヘムはエルサレムの都から7キロしか離れていないので、行こうと思ったらすぐに行けるのに行かないのです。ふだん神様にお仕えしている人が、神様の贈って下さった新しい王に会いに行こうとしないのです。どうしてか、やはり、ヘロデ王がこわかったからです。
しかし、東の国から来た学者たちにこわいものはありませんでした。学者たちは新しい王様がベツレヘムで生まれたと教えられるとすぐに出発しました。…すると、東の国で見た星が再び現れました。星はどの人の上にも輝いていますが、この学者たちだけが、星の導きを信じてベツレヘムに着き、宮殿でも何でもないふつうの家で、ついに新しい王様であるイエス様に会うことが出来たのです。…そしてその時、この赤ちゃんが軍隊を率いて世界を征服するような血なまぐさい王様ではなく、愛と正義でもって世界を治める王様であることを知り、喜びにふるえました。「この方こそまことの神様、世界の救い主であられます。」こうしてひれ伏してイエス様を拝み、贈り物をささげました。…学者たちはもう昔と同じではありません。「占星術はもうやめよう。星は神様じゃない。まことの神様が星を使って私たちに教えて下さったのだ。イエス様こそ世界の王で救い主であることを」。…こうして学者たちは、本当の神様を信じる人になって、自分の国に帰っていったのです。
学者たちはイエス様をひれ伏して拝みました、これが礼拝なんです。
皆さんは、自分がこのお話に出て来る人のうちの誰に似ていると思いますか。イエス様を殺してしまおうとしたヘロデ王ですか。ヘロデ王が怖くて何も出来ないエルサレムの人々ですか。聖書をしっかり勉強していても、いざという時、何も出来ない祭司長たちや律法学者たちですか。…そんな人たちばかりだったら、神様は情けなく思われるでしょう。
神様は、誰もが東の国から来た学者たちのようになってほしいと願っておられます。…初めは星占いを信じていたとしても、ひたすら新しい王様を探し求め、そのためならどんな遠い道もものともせず会いに行こうとする人に、神様はその人が思ってもみなかった素晴らしい恵みをもって報いて下さいます。
今から2000年の昔に生まれたイエス様は、東の国の学者たちが長い旅を続けてついに探し当てたように、私たちが一生をかけても探し求めるべきお方なのです。皆さんは、いろいろな道をたどって教会に来られたと思います。初めて教会に来られた方であっても、何十年も教会に通っておられるという方であっても、また子どもであってもお年寄りであっても、あの学者たちのようにひたむきにイエス様を探し求めて礼拝する人を、神様は罪から救ってご自分の子として下さいます。
イエス様はのちに「わたしを信じる者は死んでも生きる」と約束なさいました。ここで言い表わされた永遠の命を与えて下さるのです。
イエス様は世界の暗闇を照らす光となられました。イエス様の誕生を祝い、喜び迎えるクリスマスが皆さん一人一人の上にありますように。
(祈り)
神様。すべての民に与えられる大きな喜びが、いま私たちの上にも与えられました。私たちは、イエス様のご降誕をまさに神様の愛の現れであると信じ、神様をたたえる者でございます。
神様。あなたが大切な御子を送って下さった世界は、悲しみと苦しみにあえぐ暗闇の世界でありました。今もこの世界は新型コロナウィルスにおびえ、また戦争や環境破壊など、人間の罪からくるありとあらゆる問題に苦しんでいます。しかしそのことでもって、イエス様から発出される光が曇ってしまうことはありません。イエス様は昔も今も暗闇を照らす光であられます。
神様、どうかイエス様によってこの国に希望を与えて下さい。私たちや私たちが関わっているすべての人の苦しみ悩みに目を留め、明るい世界へと導いて下さい。もしも明るい光が差しているのに、暗闇へ、暗闇へ逃げてゆこうとする心がありましたら、どうか引き戻して下さい。
神様、クリスマスの喜びが、イエス様を信じる人ばかりでなく、まだ本当の神様と出会っていない人にも与えられ、誰もが神様の恵みのもとに一つとなる、そのことが決してただの夢想でないことを示して下さい。
この祈りを世界の王であるイエス様の御名によってお捧げいたします。アーメン。
神われらと共に youtube
イザヤ7:13~14、マタイ1:18~25 2020.12.13
今年のクリスマスは、例年のようなにぎやかな雰囲気の中でお祝いされるのではなく、感染症に対する不安と恐怖の中でお祝いされることになりそうです。このことは私たちにとって、苦しみが一日も早く終わってほしいと思うのは当然ながら、本来のクリスマスに少しは近づいたと言えるのかもしれません。キリスト教2000年の歴史の中ではもちろん、いつも明るい、華やかなクリスマスばかりがあったのではありません。戦争が続き、爆撃の恐怖にさらされる中でクリスマス礼拝が行われたこともありました。そもそもいちばん最初のクリスマス自体が人間の苦しみと悩みの中にあったのです。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」。これは、救い主の誕生が預言されたことで有名なイザヤ書9章の冒頭の部分ですが、「闇」とか「死の陰の地」ということで何が表現されているのでしょうか、それがそのすぐ前に出て来ます。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放、今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない」(イザヤ8:21~23)。当時の人々は、それにもかかわらず、「ささやきつぶやく口寄せや、霊媒に伺いを立てよ」(イザヤ:8:19)と言っており、神様とは全く違う、得体の知れない力に頼っていたのですが、まさに、その状況のただ中でイエス・キリストはお生まれになったのです。
ユダヤ人は紀元前6世紀にエルサレムが陥落してしまって以来、自分の国を持てないでいました。イエス様がお生まれになったところをユダヤの国と言うことがありますが、国といっても独立国ではなく、ローマ帝国の支配下にあったわけですから、汗を流して働いて得たお金を、ローマに税金としてごっそりもってゆかれるだけでもたいへんな屈辱です。ユダヤ人は異民族に支配される苦しみをなめつくしていましたが、その中にヨセフという人がいました。ヨセフはダビデ王の血を引く由緒ある家柄の人でしたが、しかし有力者でも何でもありません。おそらくダビデ王の子孫というのはたくさんいて、ヨセフはその中の1人、直系の子孫というより分家のはしくれのような人だったのではないかと思います。
聖書にヨセフは大工であったと書いてあります(マタイ13:55)。ガリラヤのナザレで、ヨセフの仕事部屋というのが観光スポットになっており、そこでは家具職人として紹介されているので、家を作るというより家具を作っていたのかもしれません
ヨセフはマリアと婚約していました。この時代、男女が婚約しているというのは法的には結婚したことになっていました。そのため19節で「夫ヨセフは」と書いてあるのです。実際には、婚約から1年ほどあとで夫婦生活が始まります。当時の結婚年齢は低く、マリアは13歳ほど、ヨセフは18歳ほどだと考えられています。ヨセフはこのままマリアと結ばれることで、幸せな家庭を築こうとしていたのでしょうが、そこに青天の霹靂というしかないことが起こりました。
私は、マタイが福音書を書く時、マリアが夫と一緒になる前に身ごもったことを書く時、躊躇しなかったのかと思います。マリアの予定外の妊娠も、またその時のヨセフの心の動きも隠してしまって、いわば綺麗ごとだけで文章をまとめることも出来たかもしれないのですから。マリアの予定外の妊娠とそれを知ったヨセフの苦しみ悩みは、ふつう、人前で堂々と語るようなことではないのです。
マリアのお腹が大きくなってきて、それが自分の子どもでないのを知ったヨセフの驚きと嘆きは想像するにあまりあります。こうしたことは、当事者にとって、いつの時代でもショッキングなことですが、特にこの時代であればなおさらです。
ルカ福音書には、天使ガブリエルがマリアのもとに来て、「おめでとう、恵まれた方」と言って、受胎告知をしたことが書いてありますね。マリアが「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と言うと、天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生れる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と答えます。マリアはついに「「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言って妊娠を受け入れるのですが、彼女はそのことをヨセフに告げなかったはずはありません。しかしそれは、聖霊が働いて妊娠したという全くもって途方もないことです。誰がそんなことを信じることが出来るでしょう。ヨセフにしても、とても信じられなかったのです。
私たちは礼拝のたびごとに、「主は、聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ」と唱えていますが、処女降誕を科学的に立証することは出来ません。そこで、今日でも、マリアがヨセフ以外の男性と関係を持ったと考える人が出て来るのです。
何年か前、私は東京で、国会議事堂の前で行われるゴスペルを歌う会に参加したことがあるのですが、その場でメッセージを述べた日本キリスト教団の平良愛香(たいらあいか)牧師、同性愛者であることを公言してLGBTの人権回復に取り組んでいる牧師ですが、この方の発言を聞いて私は仰天してしまいました。というのは、マリアがローマ兵に凌辱されて生まれた子どもがイエス様だと言うのです。こんな話は聖書の中からも、また外からも証明することは出来ず、捨て去って良いものです。ただ平良牧師としても、マリアやイエス様を貶めようとしてそう言ったのでないことだけは確かです。こうした暴論とも言える説が出て来る背景には、人間の罪と悲惨のきわまったところに救い主が来られたという考え方があるのです。
ヨセフはマリアの潔白を信じることは出来ません。こんな場合、ヨセフがとるべき態度は3つしかないのです。
一つは、マリアとの関係をそのまま続けて妻として迎え入れることですが、ヨセフにとってはとても耐えられないことです。…マリアのお腹がだんだん大きくなって行くと、それを見た人たちがヨセフとマリアは婚約期間中の戒めを破ったとみなすでしょう、それもつらいものがあります。…それでは、マリアを告発するべきでしょうか。申命記22章23節はこのように規定しています。「ある男と婚約している処女の娘がいて、別の男が町で彼女に出会い、床を共にしたならば、その二人を町の門に引き出し、石で打ち殺さねばならない」と。マリアを告発すると、律法によって石打ちの刑が処せられる可能性が出て来ます。…三番目の解決法がマリアとの縁を切って、婚約を解消することです。その場合、マリアは未婚の母となり、時が来れば父親のわからない子どもを産むことになります。この時代、これはマリアを社会的に葬り去ることを意味しています。生まれた子どもも、自分に罪はないのに、悲惨な人生を歩むことになってしまいます。
ヨセフは正しい人でした。この場合、それは、律法に従って歩んでいるということです。律法に従うならマリアを告発すべきです、しかしそれをすることでマリアが石打ちの刑に処せられるのも耐えられません。何ごともなかったかのようにマリアを迎え入れることも出来ず、そこでヨセフはマリアとひそかに縁を切ろうとしたのですが、それでも解決とはなりません。
このようなことを考えて、ヨセフは苦悩の底にあったのですが、これは、律法に従って正しさを追求しながら、その一方で愛の心を失うまいとすることから来る悩みです。その解決は、人間からではなく、上から、天からもたらされました。「ダビデの子ヨセフよ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」。天使は、マリアに罪があるのではない、聖霊が彼女に働いて子供を宿した、つまりこれが神のみわざであることを示してくれたのです。
天使がそこで語ったことのすべてをヨセフが理解出来たとは思えないのですが、ただ、これが神のみわざであるということは、ヨセフの悩み苦しみを吹き飛ばすに十分であまりあるものでした。人間の苦悩がきわまった時、人間の側からいくら解決法を求めたとしてもそこにたどりつくことは出来ません。まことの解決はただ神から来ます。…ただし、神が人に出会って下さっているにもかかわらず、人の方がそれに気づかないことがあります。苦悩のきわまるところで神の訪れを受けたヨセフは、これをおそれをもって、正しく受けとめることで、神のみこころに従ってマリアを迎えるという、最善の決断が出来たのです。
天使はヨセフに「その子をイエスと名付けなさい」と命じました。イエスというのはギリシャ語ではイエス―ス、ユダヤ人が当時使っていたアラム語ではイエーシュア、これをヘブライ語に直すとヨシュアになり、何語であっても「神は救いである」という意味になります。当時、よくみかける名前だったようですが、その名にこの方のお働きのすべてが込められています。それが「神は救いである」ということです。…では、神はだれを何から救って下さるのでしょうか。「この子は自分の民を罪から救うからである」と言われました。自分の民とはこの方を信じ、より頼む人々すべてです。言葉や肌の色が違うどんな人でも、神の前で罪人(つみびと)であるということには変わりませんが、イエス様の民とされることで、罪から救われるのです。
天使はさらに、旧約聖書を引用してもう一つのことを告げます。「その名は、インマヌエルと呼ばれる」。インマヌエルをイエス様の別名かなと思っている人がいるかもしれませんが、そういう用い方はありません。インマヌエルとはここに書いてある通り、「神は我々と共におられる」ということです。これがイエス様のご降誕によって本当のことになったのです。……従ってインマヌエルとは、イエス様の別名ではなく、この方が来られることで必ず起こること、すなわち神様が我々人間と共におられることを現わしているのです。
マタイ福音書は、いちばん最後、28章20節を、復活されたイエス様の言葉でもって結んでいます。…「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」…つまり、「神は我々と共におられる」で始まったことが終わることなく、永遠に続いているのです。
…こうして、イエス・キリストの全生涯が、神が私たちと共におられることのしるしであると語ることによって、私たちの文字通りすべてを神と共にあるものとして下さったのです。ヨセフとマリアばかりでなく私たちも、イエス様がおいでになり、神様が共におられるという事実そのものによって、力づけられますし、苦しみの中にあっても光を見出し、新しい出発をすることが出来るのです。
私はあえて申し上げますが、イエス・キリストが聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれたということは、必ずしも一字一句その言葉通りに信じなければならないということではありません。キリスト教信仰にとっていちばん重要なのは、いうまでもなく十字架と復活でありまして、これを信じている限り、「自分は処女降誕を信じられない」という人がいても、それでもって、信仰者として認められないということはありません。…イエス様の誕生は神のみわざで、ここでお生まれになったのは神の子であり、この方以外に人間を罪から救い出すものはないということを信じて語ることが出来るなら、それ以外の問題は時間が解決してくれるでしょう。
聖であり義である神が、ご自分に逆らい、罪のとりことなって、堕落への道をたどり破滅へと向かって行く人間たちを愛し、その中に降りて行く、それがイエス様のご降誕でありまして、そこにどれほどの悲しみがあり、嘆きがあり、決断があるのか、それは私たちの想像を超えるものがあります。その道の先には十字架が待っているのですから。…そのことを思い、神へのおそれと賛美の内にクリスマスを迎えたいと思います。
(祈り)
天の父なる神様。神様が私たちをここに集め、この世界においでなさったイエス・キリストをお迎えする準備の時を与えて下さった恵みを感謝申し上げます。今年は例年以上のたいへんな年になり、広島長束教会がこのまま礼拝を続けて行くことが出来るかどうかもわからず、私たちは不安の中で、この礼拝の場に臨んでいます。
神様、最初のクリスマスも苦しみと不安のただ中に与えられた恵みでした、どうか今日、神様が私たち一人ひとりと共にあることを確認させて下さい。
救い主が来なければどうしようもなかった、人間の、また私たちの罪の現実というのは知れば知るほど恐ろしいものがあります。この人間の罪がコロナ禍を招いたのかもしれません。しかしその中にあっても私たちは、神様によって光を見出し、絶望している人たちの間で希望を語り、一人でも多くの人と共に神の御子の誕生を喜び祝うことが出来ますようにと願います。
今日のこの礼拝が御祝福のうちにありますように。主のみ名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。
祝福の系譜 youtube
イザヤ11:1~10、マタイ1:1~17 2020.12.6
今年はマタイ福音書から、イエス・キリストご降誕について学びたいと思っています。そこでこの福音書の冒頭、1章1節からの部分を取りあげることにしたのですが、ここはなかなか親しみにくいところかもしれません。
ある人が「よし、聖書を初めから読んでみよう」と決心して、勢いこんで新約聖書の1ページから声をあげて読み始めたものの、「アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを」、こんな言葉ばかり続きますから、口が回らないばかりか、これがいったいなんの意味があるのかとなって、「もう、いやになっちゃったよ」と言ったとか。この部分で挫折した人もいたかもしれません。…一方、系図が好きな人だっているでしょう。…年配の方なら「神武、すいぜい、あんねい、いとく…」と、歴代天皇の名前を暗唱させられたことが思い出されるかもしれません。
この福音書を書いたマタイは、これを書き始めるにあたって、どうして系図から始めたのでしょう。
系図というのは、自分がどこから来たかを明らかにします。ふだんの自分たちの生活の中で、系図や祖先のことは、あまり話題にならないとしても、これはどうでもよいことではありません。ただ、自分の先祖について知ることは、必ずしもうれしいことばかりではなさそうです。…たとえば自分の家柄が良いことを内心誇りに思っている人がいますが、歴史上の評価が変わって、自分にとって誇りであった先祖が実はとんでもない大悪党に変わってしまう可能性だってあるのです。…一方、自分の出自を隠している人がいます。カミングアウトするとまわりから差別を受けかねないという理由ですが、いま自分にとってひけめを感じることでも、それを誇りに思って生きていくという道もあるのではないかと思います。
系図を作るのは自分がどこから来たかを明らかにすることですから、これを昔へ昔へとさかのぼって行くと、自分はなんという集団でなんという民族に属し、それはどこから来たかということになります。さらに昔へ昔へとさかのぼって行くと、人間はサルと親戚なのかどうかということにもなります。一部のキリスト者の間で、人間がサルと親戚だなんてそんなことあるものかと言う人がいますが、人間がサルと親戚であってもいいじゃありませんか。生物としてのヒトは遺伝子のレベルではサルと大して変わりないということですが、神がヒトをこの世界で特別な地位につかせて下さいました。神を礼拝するのは人間だけです。
今日の箇所はイエス・キリストの系図です。イエス・キリストとは誰なのか、もちろん皆さんの中には、キリストはイエス様の苗字だと思っている方はおられないでしょう。
マタイが1章1節でイエス・キリストと書いた時すでに、イエスはキリスト、すなわち救い主であるという信仰が表明されているのです。…ではこの方は、地上で、どこの家からお生まれになったのでしょうか。1章1節は「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」と書きます。イエス・キリストはアブラハムの子であり、同時にダビデの子であるのです。
アブラハムは紀元前2000年ころの人物で、イスラエル民族すなわちユダヤ人の先祖です。今日のユダヤ人はアブラハム、イサク、ヤコブの系統に属しています。…ただアブラハムをこれだけで言い尽くすことは出来ません。アブラハムからは、のちにアラブ人となる人々も生まれているのですから。
神は創世記12章で、アブラハムにこう言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。」
アブラハムは神の言葉を受け取ってカナンの地へと移住するのですが、ここで「祝福の源になるように」というのは途方もないことで、これをアブラハムがすぐに理解できたとは思えません。当時、アブラハムには子どもがなかったのに、それにもかかわらずあなたの子孫が大いなる国民になり、祝福の源になると言われたのですから。しかしアブラハムは、理解できない神様の言葉を信じました。
その後、待望の息子イサクが与えられますが、神はアブラハムを試して、イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさいと命じられました。アブラハムがイサクをささげようとした瞬間、神はその手をとどめ、イサクは助かりましたが、その時の神様の言葉の中に「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(創22:18)というのがあります。ここで言われた「あなたの子孫」とは、アブラハムの子孫であるイエス・キリストにほかなりません。これほど大きな約束の言葉があるでしょうか。地上の諸国民、つまり世界の人々は、あなたの子孫、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって祝福されることになる、そういう意味でイエス様はアブラハムの子なのです。
イエス様はダビデの子とも呼ばれています。ダビデは紀元前1000年ころイスラエルの王となって、強大な国家を造りあげました。さまざまな過ちも犯し、そのことに対する裁きを受けつつ、神によって王として立てられた人物です。神は預言者ナタンを派遣して、ダビデ王にこう言わせました。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サムエル記下7:12)
ダビデのあとソロモンの時代に王国は最盛期を迎えましたが、ソロモンの死後、王国は分裂、やがて両方とも滅んでゆきました。イエス様の時代もユダヤ人はローマ帝国の支配下にあって、独立国家を持つことは出来ませんでした。他民族の支配下にあえいで何百年となるユダヤ人は、ダビデの子の再来を切に待ち望んでおりました。ダビデの子こそ救い主、昔のイスラエルの栄光を再び取り戻してくれる方であったのです。
マタイはこのイエス・キリストこそダビデの子であると告白しているのです。イエス様はダビデ王のような、軍事力を用いて強大な国家をつくりあげるような王ではありませんが、それにもかかわらず、ダビデに対する「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」という約束は、まさにイエス様によって実現しました。…イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入城する時、群衆はイエス様に向かって「ダビデの子にホサナ」と叫び続けました。イエス様の死を見届け、さらに復活したイエス様に会った人たちは、このイエス様こそ本当にダビデの子であり、神様が約束なさった、世界中すべての人が聞き従うべきまことの王であるという信仰が与えられたのです。
このように、イエス・キリストがアブラハムの子でありダビデの子であると言われていることから、この系図がただ人名を並べたものでなく、信仰的な歴史理解に基づいて作られたものであることがわかります。
この系図は3部構成になっています。第1部がアブラハムからダビデまで、第2部がダビデからバビロンへの移住で、エコンヤという人まで、第3部がバビロンに移されてからイエス・キリストまでになっています。
マタイの系図のおおまかな特徴をあげてみますと、第一に、ここにはアダムとかノアといった人物の名前はありません。これは人類の始祖から書き始めるというのではなく、アブラハムとダビデに与えられた神様の約束がイエス・キリストにおいて実現したことを言っているのです。…第二のことが第1部から第3部までそれぞれ14代ずつ、三等分されていることです。…8節にヨラムはウジヤをと書いてあります。ここを旧約聖書で調べてみますと、ヨラムとウジヤの間に3人の王が出てきます。マタイはこの3人の名前を省いて、系図の第2の部分を無理に14代にしてしまいましたが、なぜそんなことをしたのか、いろいろな説明がありますが決定打はありません。マタイはおそらく、史実をそのまま書くというより、アブラハムからイエス・キリストまでの歴史を3つに分けることの方に関心があったのでしょう。
系図の第1部、アブラハムからダビデまで、これはアブラハムが約束のカナンの地に移住したことに始まり、ダビデが強大な王国を築くまでですから、途中でさまざまな困難があったにしろ、この一族にとっては上に向かって昇って行く、良い時代だったと言えます。
系図の第2部、これは転落の始まりとその結果です。ソロモン王の時、イスラエルは最盛期を迎えましたが、あの聡明なソロモン王が異教の神々を拝んで神を怒らせてしまいます。その子レハブアムの時に王国は分裂、やがて最後まで残っていたユダ王国も滅び、ユダヤ人はバビロンに連れてゆかれてしまうのです。
そして第3部で、この家系は忘れられたものになってゆきます。旧約聖書にはエコンヤ、シャルティエル、ゼルバベルまでは載っていますが、それ以後の人々の名前はありません。王家の子孫ではあっても、権力者でもなければ祭司などでもなく、普通の人になっています。ヨセフは一介の労働者でした。これを落ちぶれたと言っては間違いです。貧乏であったとしても、それは不幸なことではありません。王様を輩出していた時代よりもっと偉大なことが始まります。それがイエス様の登場によって明らかになるのです。
さて、この系図には他の系図と違う特色があります。男性だけ書いて女性を載せない系図が多い中で、ここに4人の女性が登場しています。それも、ひとくせもふたくせもある女性です。3節のタマルは、自分の夫の父親であるユダを誘惑し、その結果として双子のペレツとゼラを産みました。5節のラハブは神の民のために大きな功績がある人ですが、娼婦でした。同じく5節のルツは信仰者としてすぐれた人でしたが異邦人です。6節のウリヤの妻とはバト・シェバです。彼女は夫が留守の間にダビデ王と不倫の関係になりました。マタイはただ、「ダビデはバト・シェバによってソロモンをもうけ」とだけ言っても良さそうなのに、わざわざ「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」と書いて、ダビデ王が重大な罪を犯したことを明記したのです。
それにしても、マタイがこの4人の女性の名前を書いた意図はどこにあったのでしょうか。普通なら、彼女たちの名前はアブラハムの子ダビデの子であるイエス・キリストの系図の中から隠しておきたいものです。…そこで、ほかにも変な人物はいないかと思って、この系図に出て来る人物をていねいに調べてみると、不信仰で邪悪な王たちの名前もあることがわかって、聖書の読者は立ち止まってしまうのです。…これが私たちが崇める神の御子イエス・キリストの系図なのかと。
もしも私たちがイエス・キリストの家系に、血統の良さや毛並みの良さを求めて、初めから終わりまで素晴らしい一族だなどと思っていたら、たちまち幻滅しています。一族の歴史はまたどろどろとした人間の罪の歴史でもあるのです。
…けれども、神はこの系図の中に生きて働いておられます。罪の中におかれたこの一族は、亡国の民となったりして苦難をなめつくしますが、それにも関わらず、神様はアブラハムとダビデに与えた約束に忠実であられました。
人間は自然のままにしておくと、罪のためにどんどん悪い方向に向かってゆき、世界は破滅への道を進んでしまいます。しかし神様は人間の罪にも関わらず、またその罪を通してもみわざを貫かれました。そのことがイエス・キリストの出現となったのです。この神の真実のゆえに、ついに救い主が与えられたという驚きと喜びと感謝の思いの中で、この系図が掲げられているのです。
世の中には、自分が犯罪者の血を受け継いでいるということで悩む人がいます。自分がある特定の民族であることを恥じている人もいます。…自分がどこから来たかということはどうでも良いことではありませんが、しかし人の一生にいつまでもついてまわるものではありません。アブラハムとダビデの由緒ある家系は、神に背き、流浪の民となり、経済的な面では金持ちから貧乏人に落ちてしまいましたが、そのいちばん最後のところで、神は御子を誕生させて下さったのです。
イエス様に子供はいませんでした。従って、イエス様の血を直接受け継いだ子孫はいません。イエス様の弟や妹の子孫が今日まで残っていることは十分考えられますが、それを詮索することは意味がありません。聖書に記された系図はイエス様のところで終わり、それよりあとの系図はありません。…けれども、霊的な意味でのイエス様の子孫は、血筋によらずに、無数に生まれてきました。人となった神であるイエス・キリストはいま教会のかしらとなって、全世界を治めておられます。私たちはみな、イエス様の子供なのです。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる神様。
自分の家柄が良いことを誇りに思う人がいます。逆に自分の出自を隠し続けている人がいます。自分がどこから来たのか、これは決してないがしろに出来ることではありませんが、私たちは何より、神様によって救われて新しく生まれたことをこそ誇りに思うことが出来ますように。この喜びを与えるために、イエス様は天から地上に降りて来られ、神様の約束を与えられた一族の末裔としてお生まれになりました。
神様、イエス様の先祖ばかりでなく私たちの先祖にも、消し去ってしまいたい数々の汚点があります。私たち自身の一生もそうです。しかしイエス様はすべてご存じの上で、私たちを新しい神の家族の一員として下さいました。おそれおおいことです。いまコロナのためにますます暗くなってしまった世界ですが、暗闇の中に現れた光が輝き始める、その喜びの中で、私たちのクリスマスへの歩みをお導き下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン
祝福にあずからせるため youtube
申命記18:15~22、使徒7:37~38 2020.11.29
11月も末となり、今年も残すところも少なくなりました。今日から待降節(アドベント)です。暦の上ではクリスマスシーズンが始まって、この教会ではツリーが点灯していますし、平和大通りに行けばイルミネーションも輝いていますが、今年はいつもの年とはちがっています。新型コロナウィルスによる感染が拡大しているためで、感染して闘病している人・治療にたずさわる人はもちろん、多くの職場や地域がどれほど危機的な状況になっているかは言うまでもありません。…家族や友人たちと何の心配もしないで飲み食いしたり、外出して観光を楽しんだりしたのがはるか昔のことのように思えてしまいます。コロナうつという言葉も出来て、誰もが暗いトンネルに閉じ込められたような中にいるので、クリスマスだからといって、そう簡単にうきうきする気分にはなれないということではないでしょうか。
しかしながら、クリスマスがただにぎやかなお祭りで、今年はそれが出来ないから残念だというだけでは、クリスマスの本来の意義を見誤っています。本当のクリスマスは、明るい光がさらに明るくなるようなことではありません。またいっとき明るい光が輝いたあと、すぐに消えてしまうというものでもありません。世界でいちばん最初のクリスマスは、まるで、光のささない、暗い世界の中で一本のそうそくが灯されたような、小さな、つつましい出来事にように見えたのです。大多数の人々はそのことを知らず、また知ったとしてもそれが世界的な出来事だとは知るよしもなく、惰眠をむさぼっていたのですが、そのことは今の時代もあまりかわりません。……今年、クリスマスを盛大にお祝いすることが出来ないとしても、それで神の御子がお生まれにならないわけではありません。むしろ、今のこの大変な世の中の片隅で、ひっそりとお生まれになるイエス様をこそ探しに行く者になりましょう。神様の御導きの下、クリスマスへの道をひとすじに歩んでゆきたいと思います。
今日取り上げた申命記ですが、申という字には重ねるという意味があり、命(めい)は命令ですから、重ねて語られた命令という意味があります。…出エジプトの話は皆さんよくご存じだと思いますが、モーセに率いられて、奴隷の地エジプトから解放されたイスラエルの民は荒れ野の中で38年もの間足止めさせられましたが、再び移動を始め、まもなくヨルダン川を越えて、約束の地、「乳と蜜の流れる地」に入って行こうとしています。その時、モーセが全イスラエルの民に語った言葉が、彼がそれまで語ってきたことをさらに重ねて説き明かしたものなので、重ねて語られた命令、すなわち申命記として記録されているのです。モーセはその後まもなく、ピスガの山の頂に登り、約束の地を見ながら死ぬことになるので、これはモーセの遺言と言って良い言葉なのです。
モーセは言います。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わなければならない。」
モーセは民の指導者であり、また祭司としての仕事もしていましたが、自分では自らを預言者として理解していたようです。預言者とは、神から直接、啓示を受け、これを人々に告げる役割を担った人です。旧約聖書にはたくさんの預言者が出てきますが、預言者は必ずしも、私たちとは格が違う存在ではありません。…たとえばヨナは、神様から命令を受けた時にそれがいやで逃げ出した人で、それ以外でもさんざん失敗していますから、私たちが尊敬できるような人ではありませんが、それでも神様が選んだ預言者なのです。預言者になるために求められる条件があるのではありません。彼らはただ神様の呼びかけによってその務めを担った、どうしても語らざるをえないゆえに語った、そういう人たちで、モーセもその務めを担ったのですが、まもなくこの世を去る時にあたって、「わたしのような預言者を立てられる」と言ったのです。
このことは、イスラエルの民がホレブで「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」と言ったことから来ています。ホレブとはシナイ山のことで、イスラエルの民がこの山に到着した時のありさまが出エジプト記19章に出ていますが、そこでは、主なる神が降ってこられたので宿営にいた民はみな震えたと書いてあります(出19:16~19)。さらに申命記6章では、部族の長と長老がモーセに向かって言った言葉を記録しています。6章24節、「我々の神、主は大いなる栄光を示されました。我々は今日、火の中から御声を聞きました。神が人に語りかけられても、人が生き続けることもあるということを、今日我々は知りました。しかし今、どうしてなお死の危険に身をさらせましょうか。この大きな火が我々を焼き尽くそうとしています。これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます。…」
このような、神へのおそれが私たちの中にもありますように。私たちがかりに太陽をじっと見つめていたら目がつぶれてしまいますが、そのように、聖なる神とまともに向かい合ったら人間は生きてはいけないのです。イスラエルの人々の求めを聞いた神は6章28節以下で、「彼らの語ったことはすべてもっともである」とされ、さらに、彼らを帰らせなさい、ただモーセだけは共にいて、ご自分が語ったことを彼らに教えるようにしなさい、と言われたのです。
ここで、モーセが神と人との間で取りつぎをする者、仲保者として立てられたことがわかります。普通の人間は死を覚悟しない限り、とても神のおそばに立つことは出来ません。しかしモーセには、神のおそばで死ぬことなしにそのお声を聞くことが出来、神と語り合うことが出来るという恵みを与えられています。だからモーセを通して初めて、人は神のみ声を聞くことが出来るようになるのです。
たくさんいる預言者の中でもモーセだけは特別でした、申命記の最後、34章10節にはこう書いてあります。「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。」
…イザヤにもエレミヤにも、その他どの預言者とも違うモーセの特性とは何でしょうか。それを示すのが金の子牛にまつわる話です。モーセがシナイ山に入っていて不在の間、残された民が金で子牛の像を造ってこれを拝み、目をおおうような状況になってしまったのですが、神がこれを知って、モーセに告げた言葉があります。出エジプト記32章9節、「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」
このままではイスラエルの民は滅ぼされてしまう、この重大事に際してモーセは必至になって神様をなだめます。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。…どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。」…そこで神は、ついに思い直されるのです。…神が一度決めたことを思い直されるというのはよくよくのことです。神様は煮えたぎるような怒りの中で、それでもモーセの言葉を聞き入れて思い直されましたが、このようなことが出エジプトの旅の間に一度ならず何度も起こっています。
神に対して人間の罪をとりなし、神の怒りを鎮める、こんなことが出来たのは、旧約の時代ではモーセだけです。モーセがどれほどの思いでこのことをしたのか、私たちにははかりしれないものがあります。…こうしたことが「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」という評価につながっています。それでは、再びモーセのような預言者が立てられるという言葉で想定されている預言者とは誰のことなのか、…皆さんはおわかりでしょう。イエス・キリストのほかにこの務めをになう方はおられません。
かりに主イエスが地上においでにならなかったら、世界は、私たちはどうなったか、想像もできないような悲惨な状況になったにちがいありません。父なる神は人間のやることなすこと、思うこと、すべてに煮えたぎるような怒りを燃やされたでしょう。神は少しの罪も赦されない方だからです。そんな時、そこに正しい人がわずかでもいたなら、「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」ということになったかもしれません。
人間はみな罪の中にいて、そこにどっぷりつかっており、それが心地よいとさえ思ってしまうものです。自分に火の粉が及んでこない限り、自分自身や自分のまわりに罪がまんえんしていることに慣れてしまいます。他の人の苦しみも当然視して、時にはそれを喜んでいるのです。それが本当でなければ良いのですが。…自分さえよければ、ほかの誰がどうなってもかまわないと思っている人が、自分に火の粉が及んでくる時になってやっと、これではいかんということになって立ち上がるのですが、それでは遅すぎるというものです。
神は人間の罪に対してこれを認めることが出来ないお方ですし、もしもこれを認めておられるなら神ではありません。神は清濁あわせのむお方ではありません。この神様がシナイ山の時のように、直接、人間の世界に降りて来られ、み声が響いたとしたら、人間はもはや生きていることは出来ません。たとえ、人間の世界に降りて来られることがないとしても、安心することは出来ません。神様は天において、人間の一挙手一投足をご存じだからです。
神は本心においてはすべての人を祝福したいはずですが、人間の罪の現実がそれを許しません。ならば神様はどうなさるのか。みこころははかりがたく、私たちにはわかりかねるところが多いです。世の中には不条理なことが起こることがあります。私たちが悪人が栄え、善人が苦しむのを見ると、神様が悪人にえこひいきしているかのように見えるかもしれません。しかし、神様のそのえこひいきによって、私たちが守られているのかもしれません。
神はいま天において、人間たちを見ながら耐えに耐えておられるのでしょう。ほんとうなら神の怒りの火が降ってもおかしくないのに、それがないのはイエス・キリストのとりなしがあるからにほかなりません。…誰も父なる神の姿を見た者はありません。見たら生きていけないからです。しかしイエス様を見た者は父なる神様を見たのです。主イエスは父なる神様と私たち人間との仲保者となって下さり、神の言葉を語って下さいましたが、それと共に、父なる神のみ前で人間一人ひとりの罪を取りなすという務めを担っておられます。主イエスは十字架にかかってとうとい命をささげて下さることによって、私たちのために完全なとりなしをして下さいました。父なる神の、人間の罪に対する怒りがどれほどのことなのか想像もつかないものがありますが、それを一身に受けて下さったのですが、そればかりでなく、主イエスは復活されて永遠に生きておられる方として、今も父なる神の御前で永遠のとりなしをして下さっておられます。だから、このことを信ずる者が分不相応な祝福にあずかることが出来るのです。
テキストです。
モーセのような預言者が立てられましたが、実際にはモーセをはるかに超える方でありました。父なる神は主イエスの口に神の言葉を授け、主イエスは父なる神が命じることをすべて告げて下さいました。
私たちの主である、救い主であるイエス様が天から、汚濁に満ちたこの世界に来られたのがクリスマスです。…イエス様がモーセのような、いやモーセを超えるお方であり、父なる神と語らって、人間の罪をとりなされた、そのために十字架を引き受けられたことが見えないクリスマスは、本当のクリスマスではありません。モーセは「あなたたちは彼に聞き従わなければならない」と告げました。待降節にあたって、私たち皆が、心を新たにしてイエス様に聞き従ってゆくことを確認することが出来ますようにと願います。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる御神様。待降節第一礼拝の恵みを感謝いたします。私たちは今年、にぎやかなクリスマスを祝うことが出来ないことを残念がっておりますが、それよりも2000年の昔、暗い世界の中に光が与えられたことを感謝する者でありますように。コロナ禍の中、誰もが不安な思いになりがちですが、どうかイエス様が来られたことが私たちと世界に、希望と、困難を乗り越える勇気を与えて下さいますように。今日、イエス様ご降誕の陰に、人間の罪の暗い現実があったことが教えられました。人間のこの罪は、神様のみ子を十字架にかけてしまうほどで、十字架にかけられるためにこの世界においでになったイエス様を思うことなしに、私たちがクリスマスをただ祝い、楽しむことがありませんように。
どうかこの教会で行われる礼拝を通して、私たちの中にあるよこしまな心を正して下さい。
この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
主は裁きに臨まれる youtube
イザ3:1~4:6、ロマ2:6~8
2020.11.22
今日はイザヤ書の3章と4章から学びます。1か月ぶりのイザヤ書で前回は1章から2章にかけて、堕落したユダの国とエルサレムへの神の審判と、それにも関わらず終わりの日に実現する、私たちの想像をはるかに超える平和な光景が描かれていました。今日のところは、お話の流れとしてはこれに似ていますが、より具体的になっているように思います
預言者イザヤが3章と4章の言葉を語ったのは、エルサレムが重大な状況に陥る前だったと考えられます。イザヤの活動は紀元前740年に始まったのが確認されていますが、その後722年に北の王国イスラエルが滅び、ひとり残った南の王国ユダは701年にアッシリアに包囲されて滅亡寸前に陥ります。しかし、ここには亡国ということが警告されていても、実際にそこまで行ったわけではありません。…いっけん平和で繁栄した社会のように見えますが、実はあちこちが崩れかかっているという状況です。この預言が発せられた当時、国はなんとか安泰で、人々は耳に心地良い言葉を求めていましたが、イザヤが語ったのはそれとは反対の、実に厳しい言葉だったということです。
イエス・キリストは終わりの日についてこのように語っています。「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気づかなかった」(マタイ24:38、39)。ノアが箱舟を建造していた間、それをあざ笑っていた人がいましたが、みんな洪水に呑まれてしまいました。イザヤの警告を聞いても聞き流してしまった人はその後どうなったでしょうか。そんなことを想像しながら、お聞き下さい。
イザヤはここで、主なる万軍の神が、人が支えとし、頼みとしている人やものを取り去られると言われます。「パンによる支え、水による支えをエルサレムとユダから取り去られる」です。
旧約時代のパレスチナで水はとても貴重でした。都市はだいたい山の上に建てられました。これは外敵の侵入を防ぐ上では効果があるのですが、そこに水が豊富にあるとはとても言えません。いつも山の下の方にある泉まで行き来して、水がめで水を運んで来なければならなかったのです。…このことを都市に攻めこんでゆこうとする外部勢力の側から言えば、水の供給源を押えてしまえば良いということになります。都市の方で、ふだんから地下水を確保するためのトンネルを造っておいたりなどしない限り、防衛が困難だったのです。…ですから、イザヤが語ったその時が平和な時代であっても、もしも外部勢力が攻めてきて水の供給が断たれてしまえば、致命傷になります。食糧生産にも影響が及びます。パンによる支えも取り去られてしまうのです。
もうひとつ、人々が支えとして、頼みとしているのは人で、2節以降に書いてあります。勇士と戦士、裁きを行う者はわかりますね。次の預言者についてはちょっとわかりません。預言者が取り去られて神の言葉を聞くことの出来ない飢饉が来るということか、あるいはにせ預言者が取り去られるということなのか、そのどちらかです。続いて占い師と長老が出てきます。占い師と長老がひと組になっていますが、共通点があるでしょうか。あるとすれば、どちらも人々の相談に乗ってくれる存在だということです。長老はいいとしても、占い師を信じて良いなどということは聖書はひと言も言っていません。五十人の長、これは警官のような人です。尊敬される者、参議という指導者たち、占い師の仲間である魔術師、呪術師などもとり去られます。良くも悪くも人々の支えとなっていた人々が取り去られる、これらのことは、いつ起こったのでしょうか。
その後、バビロニアの王ネブカドネツァルによって行われたことが列王記下の24章14節に書いてあります。これは紀元前605年の出来事です。「彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。」これがイザヤによって伝えられた神の警告の実現でありましょう。ただし、預言はすべての時代の人々にも呼びかけた警告でもあるので、大昔の出来事にすぎないとして片づけることは出来ません。
ユダの国にいったいなぜ、このような災いが起こったのでしょうか。…人が神に頼ることをせず、目に見えるものに頼っていたからです。目に見えない神をないがしろにし、そのかわり水や食糧、国の中で指導的立場にある人、さらに占い師や魔術師、呪術師など得体の知れない力によって生きている人に頼っていたから、神の罰が下されたのです。
では、その結果、国はどうなるのかということが4節から15節まで書いてあります。しっかりした指導者がいなくなるので、未熟な若者や気まま勝手な者が支配者になります。人々は隣人どうして虐げ合います。「若者は長老に、卑しい者は尊い者に無礼を働く」とは、年長者を敬うとか、地位の高い人を尊ぶとか、それはそれで行き過ぎて問題になることもありますが、それまで当たり前だった社会の秩序が音をたてて崩れてしまうということです。混乱に陥った社会では「お前にはまだ上着がある」、衣服を持っているだけの人が高く評価されて指導者になることを求められますが、もとよりその人には指導者になる能力も意欲もないのです。12節も同様です。「わたしの民は、幼子に追い使われ、女に支配されている。わたしの民よ、お前たちを導く者は、迷わせる者で行くべき道を乱す。」幼子のことはともかく「女に支配されている」は、今日の人権感覚からすると問題発言とみる人がいるでしょう。実際、すぐれた女性の政治家がいるわけですが、女性の政治参加は順序を踏んで進めるべきであって、いきなり世の中がひっくりかえるようなことは良くありません。そのような例が歴史上いくつかあります。
まさに「エルサレムはよろめき、ユダは倒れた」のです。言葉と行いをもって主なる神に敵対した人々がそのための罰を受けるのです。しかし、人々は「ソドムのような彼らの罪を表して、隠そうともしません。…悪徳の都ソドムの罪については、エゼキエル書16章49節以下で「高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった」と言われていて、これが主要なことだと思われます。よくソドムは同性愛のために神に罰せられたという人がいるのですが、これは問題を単純化しすぎています。
13節から読みます。「主は争うために構え、民を裁くために立たれる。主は裁きに臨まれる」。主なる神がついに審判を下されるのですが、これを引き起こした人間の罪状について、さらに具体的なことが書いてあります。
まず神が問題にされたのは「民の長老、支配者ら」です。その罪状とは、「お前たちはわたしのぶどう畑を食い尽くし、貧しい者から奪って家を満たした。何故、お前たちはわたしの民を打ち砕き、貧しい者の顔を臼でひきつぶしたのか」。ここで、ぶどう畑というのはイスラエルのことです。主なる神が植えられたイスラエルを長老と支配者らが搾取し、貧しい人たちをさらに虐げているということです。…そこには「あの人たちは働かないから貧乏なのだ」とか「自己責任だ」とかいう議論があったかもしれません。実際、それに当てはまる人がいたとしても、そういう少数の例を出すことで全体をゆがめ、富んでいる人の横暴を見えなくしてしまうような議論は、神様の前には通用しません。
そして同じようなことが16節以下の、シオンの娘たちへの言葉に貫かれているのです。「シオンの娘らは高慢で、首を伸ばして歩く」、シオンの娘らというのは、エルサレムの女性、それも貧困層ではなく、上のクラスの女性です。「首を伸ばして歩く」、これは自分の優雅な姿を見せびらかして歩くこと。「流し目を使い、気取って小股で歩き」、しゃなりしゃなりと歩き、「足首の飾りを鳴らしている」…こんな女性を私は見たことがありません。彼女たちが身につけていた装身具など数えてみたら全部で21もありました。現代もぜいたくなもので身を飾る女性はいますが、さすがにこれほどのことはないでしょう。彼女たちはいったい働くということを知っていたのでしょうか、地に足のつかない、虚栄に満ちた人生を過ごしていたのです。
女性がおしゃれをするのは当然で、それが必要不可欠な場所も多いのですが、ここまでくると罪になります。この女性たちが身につけていたものは、自分たちの労働で手に入れたものではないからです。もしも労働が正当に報いられるなら、いちばん働く人がいちばん良い服を着て、働かない人は質素な服で甘んじているべきです。ところが、ここではいちばんの怠け者がいちばん美しい装いをしています。ではそれが出来るだけのお金をどこから得てきたのか、貧しい人たちから収奪したわけです。
つまりたくさんの貧しい人たちの汗と涙の上にあだ花が咲いているという構図です。こういうところに本当に女性の美があるのか、ということを考えて下さい。
主なる神の怒りが彼女たちの上に及びます。「芳香は悪臭となり」、良い匂いは吐き気を催すものとなり、「帯は縄に変わり」、縄でしばられ、「編んだ髪はそり落とされ、晴れ着は粗布に変わり、美しさは恥に変わる」。それというのも彼女たちが頼りにしていた男たちがいくさで倒れてしまうからです。26節のシオンの城門というのは、もともと戦いに勝った男たちが凱旋するのを歓呼して迎える場所でしたが、そこは嘆きと悲しみの場所になってしまいました。
神の裁きがくだった結果、戦乱に見舞われたエルサレムで生き残った男たちがあまりに少なくなり、7人の女がひとりの男に結婚を望むほどになってしまいました。「自分のパンを食べ、自分の着物を着ますから」と言っていますから、自分でまかなうつもりです。亡国の都で頼る者がないまま一人で投げ出されるより、妾でも奴隷でもいいから、誰かの名で呼ばれたいというのが彼女たちのせめてもの願いだったのです。
神の民イスラエルが亡びる時、そこに男性の責任があることはもちろんですが、女性もまた応分の責任を担います。神がイザヤを通して、彼女たちを告発しているのは、実は女性一人ひとりを責任ある人格として認めていることをも意味しています。
こうして亡国の果てに新しい世界が到来するのですが、このところをもしも「またいつものパターンだ、神様はやさしいお方だから最後には人間の罪を赦してくださる」などと考えると間違ってしまいます。神様はここで裁きの手をゆるめたのではありません。そうではなく、それを徹底されたところに新しい局面が開けたのです。
エルサレムの人々の罪とは、まことの神への信仰を投げ捨てたところからくるもので、それが裕福な人が貧しい人から財産をむしりとることになり、またその財産でもって女たちがぜいたくに遊び暮らしていた、そのため神様はこの人たちがいちばん支えとし、頼りとするものを取り去ることで、罰を与えられたのです。ですから破局的な局面が過ぎ去り、外国に連れ去られた人たちが戻って来て、祖国が再建されたとしても、昔と同じ失敗を繰り返すわけにはいきません。そんなことは考えられません。全く新しい世界が始まらなければなりません。それが神を神とする人々の世界です。その世界はもはや、富める人が貧しい人を搾取し、富める人と貧しい人の二極化がどんどん進んで行くような世界ではありません。
2節の「主の若枝は麗しさとなり、栄光となる」、私個人はこれはメシアのことだと思っていますが、いや、そうではない、神様がもたらして下さる地の恵みだという解釈があって論争の決着がついていません。皆さんもここをよく味わいながら考えて下さればと思います。いずれにしても、神様はこの地に下した厳しい裁きによって人々の汚れを洗い、清めて下さいます。そして出エジプトの時のような、雲の柱、火の柱をもってシオンの山を覆われます。シオンの山は神殿のある場所で、ここで示されたのは、神様がもはやご自分の民から離れることはないという、まことに慰めと希望に満ちた言葉なのです。
考えてみると、こうした預言の成就は、まずバビロンに連れてゆかれた人々が帰ってくることから始まり、イエス・キリストによって決定的な歩みが始まりましたが、まだ完了しておりません。今だに進行中で、いま世界がどれほど複雑な状況の中にあったとしても、いつの日か必ず、完全に実現します。このことを信じることが出来ることは、キリスト者にとって幸せなことです。私たちが皆、この栄光の世界を目指して歩む民であるということが、私たちを人生の試練に耐えさせ、前途に希望を仰ぎ見て生きる者とさせて下さいますように。
(祈り)
神様、コロナ禍がさらに拡大し、国内の多くの教会で集まって礼拝することが困難になりつつある中、広島長束教会がそれでも礼拝を続行出来ていることを心から感謝いたします。神様、どうかこの教会に限らず、世界のどこの場所においてもウィルスのためにみ言葉の飢饉が起こることがないようにして下さい。
神様、イザヤ書に登場する人々の多くが、神様の厳しい裁きが臨んでいる間、「神様、いつまでなのですか」と叫び続けていたことと思います。神様の裁きは人間にとって耐えがたいものです。しかしそれは子どもが生まれる時の陣痛のように、希望に向かっての一時的な苦しみです。ここにいる私たちはみな人生の大きな課題をかかえていますが、神様がそれぞれの歩みを希望に向かっての歩みとしてさらに作り変えて下さいますよう、お願いいたします。
いまこの国においても、病苦に苦しむ人や食べてゆくだけで精いっぱいの人がたくさんいることを覚えます。神様、どうかあなたが建てたすべての教会が社会の現実に対して目を開き、み言葉という武器でもって闘ってゆくことが出来ますように。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
キリストに向かって成長 youtube
マラ3:19~20、エフェ4:14~16
2020.11.15
広島長束教会で、毎回の礼拝で説教のあと、必ず唱和している使徒信条の中に「聖なる公同の教会」という言葉が入っています。これは「わたしは、聖霊を信じます」のあとにあります。すなわち「わたしは聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、永遠のいのちを信じます」と唱えているのです。
使徒信条は3つに分けることが出来ます。「わたしは、天地の造り主、全能の神を信じます」で始まる部分、次が「わたしは、そのひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます」で始まる部分、そして「わたしは聖霊を信じます」で始まる部分で、この中に教会に関する告白が入っているのですが、これは教会というものが聖霊の働きによって生まれたものだからです。
皆さんご存じのように、イエス・キリストが十字架の上で亡くなられてからちょうど50日目のペンテコステの日、みなが集まって祈っている時、突然、天から聖霊が降りました。すると一同は聖霊に満たされて、いろいろな言葉で神の偉大なわざを語り始めました。この日、3000人ほどの人がイエス・キリストを信じて洗礼を受けました。教会の誕生日と言われるゆえんです。
聖霊というと目には見えないし、よくわからない存在であることは確かですが、聖書は天から降った聖霊が各地に教会をつくっていったことを語っています。そのことがもたらした影響ははかりしれません。主イエスが地上におられた間、生身のイエス様に会うことが出来た人は限られていました。しかし、聖霊が天から、父なる神様とイエス様を通して降り、使徒たちを初めとして多くの人たちの上に働いたことで、誰もが教会でイエス様に会うことが出来るようになりました。かりに聖霊が働かなかったとしたら、私がいくらイエス様のことを語ったとしても、ここでやっていることはただの講演会に過ぎません。これが講演会ではなく礼拝であるのは、イエス様がここに聖霊となって来ておられるからなのです。
聖霊の力強さは、死んでいた者を生かす力で、教会はイエス様が勝ち取って下さった勝利にあずかっています。イエス・キリストは死んで、死に勝って復活され、そうして得たものを賜物として人々に分け与えられました。このことについてエフェソ書4章11節に、「ある人を使徒に、ある人を預言者に、ある人を福音宣教者、またある人を牧者。教師とされた」ということが書いてありますが、これは代表的な職務をあげただけで、もちろんこれだけに限られることはありません。信者が教会のために行うあらゆる奉仕の働きがそうです。また教会の外で、例えばそれぞれの職業を通して行う奉仕、家庭のため、地域のため、社会のために行う奉仕などあらゆる働きが含まれます。それらもみな、教会での礼拝とつながっているからです。私たちが教会のために行うことはもちろん、教会の外で行うことも、
すべてが礼拝を導かれるイエス・キリストによって祝福されたものでありますように。
さて今日の説教のように、主題が教会についてのことだとあまり興味が持てないという人がいるかもしれません。私たちそれぞれが、何かを求めて礼拝に集まっており、それは、いま心にかかっている問題の解決であることが多いのですが、その点からみると、教会についての話は、暴風に襲われた船の中でのパウロの話などと比べてたいへん地味だと思います。しかし、私たちはみな教会に招かれています。エフェソ書はパウロから教会に充てて書かれた手紙であって、4章1節に「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み……」とはっきり書いてありますね。私たちをここに招いて下さったのは牧師でも家族でも友人でもありません。神様が招いて下さったのですから、その重みをしっかり受け止めていなくてはなりません。
皆さんはこれまで、「教会がキリストの体である」ということを聞いてきたことと思います。これはキリスト教用語で、信仰のない人から見ると、何ともわからない言葉ではないかと思いますが、こう言うよりほかにありません。…「お寺はブッダの体である」とは言いません。「神社は八百万の神々の体である」とも言いません。…教会はキリストから遠隔操作されて動いているものではなく、キリストの体、キリストそのものであって、その中に広島長束教会があり、私たちが生かされているのですから、私たちが無関心であるわけにはいかないのです。
教会がキリストの体である以上、それは、この世にあるその他のもろもろの団体と同じではあるべきではありません。普通の集まりなら、メンバー同士、互いに衝突したりいがみあったり、それでバラバラになったりすることがあります。しかし教会がそうであってはなりません。実際にはそういうことがあったとしても、それはあるべき姿ではないのです。
人間の体の中で、目が手に向かって「お前は要らない」と言うことは出来ず、頭が足に向かって、「お前たちは出ていけ」と言うことが出来ないように、教会に属する一人ひとり、互いが互いに向かっていきり立って相手の存在を否定するようなことは出来ません。これは単なるヒューマニズムから言っているのではありません。ヨハネの手紙一3章14節は言います。「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。」
死から命へと移った者たちは、みな互いに愛し合います。「愛し合う」という言葉は誤解されることがあるので、愛の内にあると言っておきましょうか。
たちはみなキリストの体の一部分であり、それぞれがかけがえのない者として、キリストの愛の内にいます。そして、そのことが確かであるならば、私たちがそれぞれひとりぼっちになって、孤立してしまうことはありえません。
…「あの人はあんなことになっているけど、自分には関係ないからほうっておこう」ということではなく、互いに喜ぶ時は共に喜び、悲しむ時は共に悲しむのが本当です。…そうして、もうひとつ大切なことは、私たちがみな共にキリストを目指して、霊的なことがらに対する願望を持ち、霊的なことがらを追求すべきであるということです。これは、互いの間の競争心からではなく、共に向上していこうとする意思から生まれるものでなくてはなりません。
キリストの体において、頭(かしら)となるのは言うまでもなくイエス・キリストですが、そこに属する各教会と私たちはただその場所に停止状態でいるのではありません。人間の体もずうっと同じ状態であるのではなく、新陳代謝して定期的に入れ替わっているようで、これを動的システムと言った学者がいましたが、キリストの体もやはり動的システムの中にあり、これが目指すところはイエス・キリストにほかなりません。
人間の体には外から異物、細菌とかウィルスが入ってくるとそれを排除するしくみがありますが、キリストの体にも危険なことが迫っていれば、察知して、それから防衛することがなければなりません。教会にとっての危険とは、「人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のよう変わりやすい教え」です。…パウロはすでに、エフェソの教会に危険なことが起こることを予知していました。使徒言行録20章にパウロとこの教会の長老の最後の別れの場面がありますが、パウロはそこで予告しているからです。「わたしが去った後(のち)に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます」(使徒20:29、30)。
こういうことはエフェソの教会に限ることではなく、どの教会にも起こりうることですが、その場合、まず心掛けたいのは、そうした教えにもてあそばれたり、引き回されたりしないということです。そのためには、ふだんから聖書をよく読んでよく考え、何が正しいのか識別する判断力を養っていることが必要です。…ただ、いざ間違った教えが現れた時に、相手を悪魔か何かのように見なして全面否定してしまうことがあります。「これは異端だ」ということで、その人を教会から追い出さなければならないことも起こりえることです。しかし、あとになってそれが間違いだとわかることもあります。自分を絶対だとみなすことがそのような過ちを産んでしまうのです。だから、教会がキリストの体であることを忘れず、キリストの愛の内にあることをないがしろにしてはなりません。パウロは「むしろ、愛に根ざして真理を語り」と言うのです。
ここで愛と真理が結びついているのを見て、私は最初何だろうと思ったのですが、あとから考えてなるほどと思いました。愛と真理が結びついていない事例がたくさんあるからです。
…というのは間違った信仰を語る人に対し、それを真理によって論破してゆく時に、しばしば行き過ぎが起こり、歴史上、迫害したり、時には火あぶりなんてことまで起こったのです。聖書では、ファリサイ派や律法学者が行ったことがその典型です。彼らには真理があったかもしれませんが、愛はありませんでした。彼らが姦通の現場を捕らえられた女性を連れてきた時、主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました(ヨハネ8:7)。ファリサイ派や律法学者にしてみれば、女性の罪は明らかなのだから、律法の規定通り石で打ち殺せということになるのですが、イエス様がなさったことは「愛に根ざして真理を語」られたことになるのです。
むろん実際には、愛のために真理がおろそかになることもあります。例えば愛する家族のために神様への献身を投げ捨ててしまうということがあれば問題で、愛と真理を両立させることは難しいのです。
愛も真理も人類が何千年来くりかえし追求してきたことです。この世の中には、愛とは何か、真理とは何かと考えたあげく、ついにそんなものはないと結論づける人もいるようですが、幸いなことに私たちにはイエス・キリストという生きたお手本が与えられています。
パウロは「愛に根ざして真理を語り」というところから発展して、さらに「あらゆる面で頭であるキリストに向かって成長していきます」と語ってゆきます。…ここで主語となるのは、キリストの体を構成する教会に属する「わたしたち」ですから、私たちも同じだと言えます。今ここにいる誰もが、自分はキリストの体の外にいるとみなしてはなりません。キリストの体の中にいて、キリストに向かって成長してゆくのです。
では、そのシステムはどうなっているのか、パウロはここで3つのことを言っています。最初が「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて」。互いが補い合うことで、しっかり組み合わされ、結び合わされます。
…次が「おのおのの部分は分に応じて働いて」、それぞれに与えられている賜物に応じてその務めを果たすのです、…三つ目が「体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです」、キリストの体は成長するのですから、止まったままであってはなりません。成長というのは必ずしも数の上での成長ではなく、質の上での成長こそ肝要です。その基本となっているのが愛、キリストの愛なのです。
今日のお話を通して、教会が自分の外にあるのではなく、ここに自分が属しており、教会があるからこそ自分の人生があることをわかって下さいますように。キリストの体である教会、その頭は死んでよみがえり、今も生きておられるイエス・キリスト以外にはなく、愛と真理を矛盾なく体現するこのお方の中で、私たちはこの世と、この世を超えた命を生きているということをただ知識としてではなく、それぞれ自分の生き方全体を通して受けとめて頂きたいと思います。
(祈り)
恵み深い天の父なる神様。
日本国内でコロナウィルスの感染が拡大し、これから始まる冬に向かって、誰もが不安の中にあります。病の中にいる人はもちろん、職を失ったり、会社の業績が悪化して途方に暮れる人もおり、私たちの身にもいつ何が起こるかわかりませんが、そんな中にあっても教会の礼拝が守られ、私たちの信仰の拠り所であるイエス・キリストのみ言葉を聞くことが出来る幸せを感謝いたします。
神様、どうか広島長束教会を、多くの人たちの祈りと奉仕の上にこの地に建てられたこの教会をお守り下さい。このコロナ禍の中でも、人々のいのちを支え続ける言葉を語って下さい。私たちみんなに、ここに教会があるのだということ、そして教会があってこそ自分の人生があるのだということを悟らせて下さい。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
人生、寄り道、回り道 youtube
詩編91:1~13、使徒28:1~10
2020.11.8
私たちがそれぞれ、自分のこれまでの人生をふりかえってみた時に、自分はまっすぐな道を歩いてきたと自信を持って言える人がどれほどいるでしょう。…ここでまっすぐな道を歩いてきた人というのは、少年や少女であった時に心に描いた人生を、それが何であるか、また志が高いか低いかは問いませんが、それをほぼ計画通りに歩んできたと言える人です。
そういう人がいることは確かですが、しかし、そこに当てはまらない人がいて、数としてはこちらの方がずっと多いように思います。人生には当初予定しなかったさまざまなことが起こるもので、思いがけない寄り道をしたり、望んでもいない回り道を余儀なくされるということがよくあるのです。そのような、予定外の寄り道や回り道をしたために、望んでいた生き方をつかむのに何年もかかったということがありますし、また、初めに思い描いていた人生の道を歩むことが出来ず、別の道を選択しなければならなかったということも起こります。中には、「あの時、あのようにしてさえいれば」ということを、一生後悔し続ける人もいます。…しかし、時がたってあとからふり返ってみると、あの時寄り道や回り道をしたことが無駄ではなかったと気がつくことがありますし、それどころか「あの体験があってこそ今の私がある」と言える人もいるのです。
もちろん、人生の行程の中で寄り道や回り道をせざるをえないということは、当の本人にとってはとてもつらい経験になります。特に日本の国では、個々人の進路選択において、何かのことで失敗して、既定のコースからはずれてしまうと、失ったものを取り返すのに多大のエネルギーを要しますし、また取り返せないこともあります。しかし、それにもかかわらず、人間が思い描いていることと、神様がその人に対して思い描いていることは違うのです。全く余計な寄り道や回り道だと思っていたことが、実は神様が与えて下さったもので大切な意味があり、自分にとって必要なことだったのだ、と悟ることが出来たならば幸いです。
実は、パウロその人も寄り道や回り道だらけの人生を歩んできた人なのです。…パウロはキリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人で、エルサレムの都で育ち、すぐれた律法学者ガマリエルのもとで厳しい教育を受け、熱心に神に仕えていました。彼はキリスト教徒への迫害に邁進することで、神の栄光をさらに輝かせようとしたのだと思いますが、皆さんご存じのようにダマスコ途上の道で、死んでなお生きているイエス・キリストに出会い、キリストを迫害する者からキリストを宣べ伝える者に180度転換したのです。寄り道、回り道どころか、主イエスによって自分が全く想定していなかった別の道を歩ませられることになったのですが、その後の人生においても、自分で考えた通りのまっすぐな道を歩いていたのではありません。
パウロはこの時、ローマへの旅の途上でありました。パウロのローマ行きのことが初めて出て来るのが使徒言行録19章21節で、エフェソにいた時のことです。ここでパウロは「わたしはそこへ(エルサレムへ)行ったあと、ローマも見なくてはならない」と言っています。ただローマに行くためなら、エフェソは今のトルコにある港町ですから、そこから直接ローマに向かえば距離的にはずっと近いのですが、パウロはわざわざ遠回りしてエルサレムに行ったのです。…なぜエルサレムに行ったのか、それはエルサレム教会に献金を届ける使命があったからです。
パウロがエルサレムに行くことはたいへん危険でした。多くのユダヤ人がパウロの命を狙っていたからです。案の定、パウロはエルサレムで群衆から袋叩きにされ、逮捕されてしまいますが、その時、主イエスから「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」との言葉を頂きますが、その直後に待っていたのはカイサリアでの2年に及ぶ牢獄生活でした。パウロにとってとてつもなく長い時間です。神様はなぜパウロをすぐにローマに向かわせなかったのかと思います。2年後、やっと囚人としてローマに送られることになりましたが、これが悲惨な航海になって、船は暴風に巻き込まれ、14日間も荒れ狂う海の中をみんな死の恐怖にさらされながら、漂流することになってしまいました。…ただパウロには「パウロ、恐れるな、あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」という言葉が与えられたので、彼はこの言葉を拠り所にみんなを励ましました。…それにしても、神様のみこころはパウロをローマに送り届けることにあったのです。だ
ったら神様はなぜ船をローマまで、すぐに送り届けないのでしょうか。わざわざ暴風でもってあれほど苦しめる必要はないのに、と思いませんか。
船は、パウロが神様から教えられて予告した通りに、島に漂着しました。ただし浅瀬に乗り上げ、船体がこわれはじめたので、人々は泳いだり、板切れや船乗りにつかまったりして、命からがら岸にたどり着いたのです。船に乗っていた276人全員が助かりました。だから贅沢なことは言えないのですが、11節には三か月後に出航したと書いてあります。パウロはこの島で3か月、足止めされてしまうのです。
276人が漂着したマルタ島は面積が約237平方キロメートルの島です。住民はフェニキア人の流れをくむ人たちで、ここにたどり着いた276人とは言葉が違っていたようです。今日の話に出て来る島の長官プブリウスだけはローマから派遣された役人と思われるので、話が通じたと考えられますが。…全く見知らぬ土地に漂着した人たちが、言葉が通じたとはなかなか思えない住民と出会ったことで恐怖感を抱いたとしても不思議ではありませんが、しかし、聖書に書いてある通り「島の住民は大変親切にしてくれた」のです。
一説によれば、マルタ島にはよく、船が難破してたどりつく人がおり、住民はそのたびに助けてあげていたということですが、10名、20名ならまだしも276人ですよ。船はこわれ、積んでいた穀物も海に投げ捨ててしまっています。みんな財産は何も持って来なかったのではないでしょうか。この人々を3か月もの間、必要な衣食住を提供してくれたのですから、ここでマルタ島の住民がしたことは賞賛されるべきです。今もアフリカから難民となって海を渡り、ヨーロッパに向かう人々がいます。2000年の昔にこういう歴史があったことは忘れられてはなりません。
聖書には何も書いてありませんが、276人の漂着民はマルタ島の住民からただ助けてもらうばかりでなく、元気を取り戻したら、自分から率先して住民の仕事を手伝っていたものと思います。パウロもたき火をたく時に手伝いました。このたき火ですが、276人プラス島の住民だとすると、一か所で行うというより、何か所かに分散して行ったのではないでしょうか。また雨に濡れないための何らかの工夫があったかもしれません。
パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みつきました。「絡みついた」というところを口語訳聖書では「かみついた」と訳していました。「絡みつく」と「かみついた」と二つの訳があって、元の言葉を調べてもはっきりしません。住民の方ではパウロが囚人だということはわかっていたでしょうから、互いに言いました。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」…正義の女神とはギリシャ神話の神だと思われます。むろん、これはまことの神ではありませんが、マルタ島の人々が神の支配と審判を信じていたことがうかがわれます。
パウロは、その蝮を火の中に振り下ろして何の害も受けませんでした。体がはれ上がったり、急に倒れることもなかったので、人々は一転して「この人は神様だ」と言うようになりました。この奇跡の根拠となることが、復活した主イエスの言葉の中にあります。マルコ福音書16章17節以下で、主イエスは使徒たちに向かって言われています。「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」このような賜物は、キリストの権威のしるしとして、初代教会の時代、伝道の上でたいへん大きな力を発揮しました。…ただ、これは使徒たちにだけ与えられたもので、あとの人に受け継がれることはなく、もしも私が蝮にかまれたら、たちまち毒がまわってしまうのは言うまでもありません。
なお「この人は神様だ」と言われた時にパウロが何と言ったか書いてないのですが、パウロがそのように言われてふんぞりかえることはありえません。自分は神ではなく、神のしもべにすぎないと証ししたことでしょう。…聖書は、復活したキリストの力がパウロと共にあって、蛇の毒などものともしなかったということで、この話を書き留めておいたのだと思います。
この出来事は、この島の長官プブリウスの耳にも入ったようです。この人は父親が病気だとはいえ健在なのに長官になっていることから、もともとこの島の人ではなく、ローマ帝国から派遣された役人だったと思われます。この人が「わたしたちを歓迎して、3日間、手厚くもてなしてくれた」と書いてありますが、276人全員をもてなしたとはちょっと考えられないので、パウロと使徒言行録の著者である医者ルカ、そしてアリスタルコ、つまり3人のキリスト者を丁重にもてなして、どのようにして暴風を乗り切ったのか、蝮の害を受けなかったのはなぜか、3人が信じている神様とはいったいだれなのか、という話をしたのではないかと思います。
この時、長官プブリウスの父親は熱病と下痢で床についており、パウロはその家に行って祈り、手を置くことで、いやしを行いました。このことを成し遂げたのも、もちろん人間パウロから出た力ではなく、蝮の時と同じく、復活されたキリストから与えられた力です。プブリウスの父親が健康を取り戻したことを聞いて、この島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらいました。
ここには不思議な力を与えられているパウロだけでなく、医者のルカもいたのですから、すべてが奇跡だということではありません。これは医療伝道だったと考えられます。…医療伝道はイエス様から始まり現在まで続けられています。日本キリスト教会の牧師で、同時に神奈川県の農村の診療所の医師でもあった小川武満先生は、医療伝道について「医療を伝道の手段とはせず、教会を病院の付属物としない」ことだと言っておられました。キリスト教会の大切な務めの一つとして医療伝道があるのですが、いま日本キリスト教会では医師と牧師を両方担当できる人がいなくなってしまいました。今後の日本キリスト教会にとっての大きな課題です。
10節は言います。「それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」必要なものを受け取ったのがパウロたち3人だけなのか、他の難破した人たちの中にも受け取った人がいたのかどうかはっきりしませんが、どちらにしてもパウロは島も住民と良好な関係を築き、彼らの心にキリストの恵みを植えつけたのでした。
伝説では、ここに出て来る長官プブリウスは信仰を受け入れ、のちにキリスト教会の指導者としてギリシャのアテネで活躍し、最後は殉教したということです。
…それが本当ではなかったとしても、パウロたちがここで3か月過ごしたことは、その後長く語りつがれ、この島の歴史の中に大きな影響を与えたことでしょう。現在、ここはマルタ共和国という国になっていて、40万の人口の内98パーセントがカトリック教徒だということです。
パウロにとって、マルタ島は船旅が順調に行われたならば訪れることのなかった島ですから、ここに来たことは全く想定していなかった出来事で、そのためローマに向かうのが少なくとも3か月遅れてしまいました。寄り道であり、回り道であったわけですが、しかし神様の救いの計画から見るなら、そうではありません。パウロは以前から素晴らしい言葉を語っていましたが、嵐の海をくぐったことでその言葉にさらに深みが加わったにちがいありません。小さな島に福音の種が蒔かれました。パウロたちと一緒に船に乗っていた人たちにも大きな変化があったはずです。
パウロとは比較になりませんが、私が牧師になったのも、望んでいない回り道を強いられた結果ですし、皆さんにもそれぞれこれに類した経験があるのではないでしょうか。その中には、戦争のためにこうするしかなかったとか、病気のためにこうなることを余儀なくされたといったこともあるのではないかと思います。ただそれがどんなにつらいことであっても、そこであきらめきってしまっては道は開けません。失意や絶望を希望に変えるのも、やはり復活したキリストの力なのです。
(祈り)
天にいます父なる神様。私たちは聖書の中に無尽蔵の富が隠れていることを知って、感謝いたします。いっけん何ということはないように思われる話でも、
実は自分の生き方を変えるようなことが含まれているのですから。ただ残念なのは、そこに書いてあることが簡潔すぎて、実際に何が起こったのか、細かいところまでわからないことです。神様、聖霊によって私たちの心を照らし、聖書の登場人物がまるで自分の目の前にいるかのように、また自分と対話しているかのように映し出して下さい。そうなさることで、いま自分たちも聖書の世界を生きているのだと知るようになるでしょう。
神様、ここにいる多くの人が曲がりくねった人生の道を歩いてきたことと思いますが、その道が下へ、下へと落ちて行く道ではなく、天に向かって上昇して行く道でありますように。たとえいま八方ふさがりの中にいる人にも、そこが新天地に飛び立つためジャンプ台となるのだということを見せてあげて下さい。
主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
奇跡の船旅 youtube
詩編65:6~9、使徒27:27~44
2020.11.1
私たち一人ひとりそれぞれが、自分のこれまでの人生をふりかえった時に、なんて幸せな人生だったのでしょうとか、波風の立たない穏やかな日々ばかりだったというのならとても良いのですが、幸せとは縁遠い人生を送ってきたとか、絶望の日々を過ごしてきたとか、一難去ってまた一難、たいへんな危機や危険をくぐり抜けてきたという人がいてもおかしくありません。
人生の危機というのは、じわりじわりと忍び寄ってきて気がついた時にはどうにも出来ないようなこともあれば、すぐに何とかしなければ命も危ないようなこともあります。どちらも重大で、危機管理をどうするかというのはたいへん大きな問題ですが、今日ここで取り上げるのは後者の、すぐに何とかしなければ大変な事態になるという場合です。
交通機関を運転する人の中でも、たとえば船員やパイロットといった人たちは、ふだんから危機管理の方法を学び、万一の時に備えていなければなりません。いくら高い運転技術を持っていたとしても、いざという時に何も出来ずにうろたえてしまう人であっては困るのです。一方、運転技術は全く持ってなかったとしても、沈没していく船の中でパニックになった人々の心をしずめ、一人でも助かる人が出るよう、力を尽くすような人もいます。…人生のさしせまった危機においても、日ごろから備えをしておくことが大切で、それがない人は、突然、暴風に巻き込まれてしまうとうろたえて冷静さを失い、みすみす間違った判断をしてしまうことになりがちなのです。
パウロが乗った船が暴風に巻き込まれてしまった時も、全員に命の危険が迫る中で、さまざまな人間模様がありました。
これまでのことをふりかえってみます。パウロは裁判を受ける身でしたが、皇帝に上訴したので、ユダヤのカイサリアからイタリアのローマまで、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスによって船で護送されることになりました
その船には船員や船主、百人隊長と兵士たち、パウロと二人の仲間、その他の人々を合わせて276人が乗っていたといいますから、かなり大きな船です。エジプトからイタリアに運ぶ穀物も積んでいました。
船がクレタ島に停泊していた時、航海にとって危険な冬が近づいていました。
パウロは囚人の身であるにもかかわらず、いま船出するのは危険ですと言って、航海を思いとどまらせようとしたのですが、ほかの人々はそれを聞き入れず、少し先の港まで行こうとして船出したところ、ほどなく暴風に襲われて、船は流されるままになってしまいました。カウダという小島の陰に来た時、人々は船体に綱を巻きつけ、ぐるぐる巻きにしました、…そうでもしなければ船がばらばらに解体してしまうからです。
積み荷を海に投げ、さらに船具、おそらくメイン・マストの帆げたも投げ捨てました。こうして「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」(27:20)という状態になってしまったのです。
船の中の誰もが死の恐怖におびえている状況で、しかしパウロだけは、他の人とは違ったことを見ていました。私は、いくらパウロ先生でも初めから沈着冷静だったのではなく、やはり暴風は怖かったのだと思っていますが、このことについては皆さんのご想像にお任せします。神様から頂いた啓示は「パウロ、恐れるな」というもので、さらに、これに続けて「あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」という言葉が与えられたのです。…神様の言葉を受けてパウロは人々に「元気を出しなさい」ということ、そしてひとりも命を失うことなく、全員がどこかの島に打ち上げられるはずですと言って、人々に希望を失わないよう励ましました。
こうして27節に入ります。「十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。」クレタ島の港を出発してから14日め、船はどこかの島に近づいていました。…現代ではアドリア海とはイタリア半島とバルカン半島にはさまれた海、おととい大地震があったあたりを言うのですが、この時代のアドリア海とは、地中海の中央部分を指していたそうです。…船員たちはなぜ陸地に近づいているように感じたのでしょうか。こういうことに詳しい人がいたら聞いてみたいものです。
さて、パウロが「元気を出しなさい」と言って人々を励ましたのが何日目で、その日から14日目の夜まで、どれだけの時間の間隔があったかわかりません。確かなことは、パウロが「元気になりなさい」と言っても、みんながすぐに元気になったわけでないということです。それは、パウロの二度目の呼びかけの前に何が起こったのかを見るだけでわかります。
陸地に近づいているように感じた、そこで水の深さを測ってみると20オルギィア、これは37メートル、もう少し進んだ位置では15オルギィア、こちらは27・75メートルです。…ヨットに乗ってパウロの船旅を実証的にたどった人がいて、その人の研究によりますと、水深が37メートルから27・75メートルになるまでに要する時間は約30分だということです。
船が陸に近づいているのはほぼ確実でした。助かる望みが出て来たのですが、しあし一方で危険がありました。そこで「船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた」のです。船尾から錨を降ろすのは普通は行わない方法ですが、この時は船首を岸に向けておくためにあえてこの方法を取ったのだと考えられています。船首を岸の方向に向けておいて、夜があけたら錨を切り離して一気に岸に進もうということです。
ところが船員たちは暗闇の中、船首から錨を降ろすふりをして小舟を降ろしました。小舟は今で言えば救命ボートにあたるものですが、ただ一艘だけ、全員乗れる分はありません。小舟であれば、暗礁に乗り上げることなく無事に岸にたどりつくことが出来ます。船員たちは、ほかの乗客を見捨てて自分たちだけ脱出して助かろうとしていたのです。…パウロは彼らの動きを敏感に察知して、百人隊長と兵士たちに「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と告げました。船員たちの技術がなければ、船を安全に岸の近くに持ってゆくことは出来ないからです。…そこで兵士たちは綱を断ち切って、船員たちの企てを阻止したのですが、小舟は流れてしまい、私は、これは判断ミスではなかったかと思っています。結果的に全員が助かったから良かったのですが、小舟を残しておけば、いざ上陸という時におおいに役立ったはずです。
夜が明けかけたころ、パウロは人々に食事を勧めました。「今日まで十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」
人々は暴風が吹き始めてから14日間、食べ物がろくろく喉を通りませんでした。一時として心が休まることなく、また船酔いのために食べ物を受けつけるような状態ではなかったのです。このような場合、信仰があれば食べ物がなくても大丈夫だとは決して言えません。人はパンのみで生きるものではありませんが、パンがなくて生きていくことも出来ません。小舟はもうないのですから、岸まで泳いでいくことも覚悟しなければなりません。暴風の中の最悪の船旅がようやく終わろうとしている今、食事をして体力をつけることこそ大事だったのです。
「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」というのは、イエス・キリストの言葉に基づくものです。私たちは髪を洗っただけでも毛が抜け落ちますが、そういうことではなく、神の御守りに信頼するということですね。だからこの時の食事もがつがつとむさぼり食うというものではなく、信仰者としての品位あるしかたで行われました。パウロが「一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」というところから、これは聖餐式だったという人がいるのですが、276人いるうちクリスチャンがただ3人だけという時、これを聖餐式と言ってよいか議論があるところです。ただ、この食事が人々を不安から解放し、励ましたことは間違いありません。…人々が不安でおびえている時、不安に輪をかけるようなことは簡単に出来ます。その状態の中で平安をかかげることこそキリスト信者の大切な役割ではないでしょうか。
助かるまであとひとふんばりです。全員、十分に食事をとって元気になると、あとは思い残すことなく、貯蔵してあった食糧を捨てて、船を出来るだけ軽くしました。
ただ危険は最後の最後までついてまわりました。朝になって、船を砂浜のある入り江に乗り入れようとしたら、浅瀬に乗り上げて、ついに難破してしまいました。
船は動けなくなり、船尾が壊れだし、船が解体してしまうのも時間の問題です。こうなると、もはや泳いで陸にたどりつくしかありません。
ところがそんな時、兵士たちが囚人たちを殺そうとしました。番兵が囚人を逃がしてしまうと囚人が受けるべき刑をかわりに受けなければという規定があって、これを恐れたためですが、パウロを助けたいと思った百人隊長がこれを思いとどまらせました。そして百人隊長は、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令しました。自分たちだけで逃げてゆこうとした船員も、囚人たちを殺そうとした兵士たちも、極限状況の中でそのような自分ファーストであっては、局面を打開できません。まちがいを犯した者たちも一緒に全員が助かろうと一致協力し、泳げる人は泳げない人を助け、こうして、ひとりの犠牲者も出すことなくみんな島に上陸することが出来たのです。
パウロがカイサリアを出発してから、みんな命からがら島に漂着するまでの話の中で、神様もイエス・キリストも直接、姿を現してはいません。パウロが天使を通して、間接的に神の声を聞いただけです。そのため、この惨憺たる航海を信仰抜きで、海洋冒険小説を読むように読む人がいるかもしれませんが、神様もキリストも姿を見せないだけで、存在していないということではありません。
海の中で船を実際に動かすのは船員であり、船員を動かすのは船主とか、交易を通して商売しようとする人たちです。これに対し、パウロは船に関しては素人です。信仰者であり伝道者であり、囚人であった人間が暴風に翻弄される船の中でいったい何の役に立つのでしょうか。しかしパウロは、その信仰によって人々を励まし、全員が助かるための決定的な貢献をしました。そこにあったのは、「あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」という神の命令です。神のご計画という視点から見るなら、パウロはキリストの福音を宣べ伝えるためにローマに向かっており、すべてのことは神様によって導かれていますから、船が沈没してパウロも他の人々も、みんな死んでしまうということはありえません。
では、神様がパウロを導き、暴風の中でも船を守っているのだとするなら、パウロはそれに安んじて、何もしないでも良かったのでしょうか。そうではありません。パウロはそうしようとはしませんでした。パウロは船がクレタ島に停泊していた時、すでにこの航海の危険を警告していました。船から逃げ出そうとした船員たちのたくらみを見破りました。…そして一同に食事を勧め、励ましました。みんな、泳げるくらいの体力が残っていなければ助からないからです。…ここに書いていないこともあったにちがいありません。パウロは自分がやるべきだと思ったことはすべてやり通したのです。
信仰者の中に、たまに現実性に欠け、ものごとを極端な精神主義でもって解決しようとする人がいます。ある教会で、預言者ヨナが神の命令で、カナンの地からニネベの都へ、今でいうとイスラエルからイラクまで行ったことを学んだ時、ある人が「ヨナはどうやって遠いニネベまで行ったんだろうね」と言うと、別な人が「神様に守られているのだから、そんなこと考えなくていいのよ」と言って質問を封じてしまいました。このような態度は疑問です。神の守りのもとにあったヨナにしても、旅費をどうするか、盗賊の危険からどうやって自分の身を守っていくかといった現実の問題がなかったはずはありません。…パウロだって霞を食って生活していたのではありません。…神様から教会を通して伝えられる言葉は具体的な人間の生き方に及びます。現実的ということをモットーにする人がしばしば現実に押し流されることが多いのに比べ、「あの人はいったい何を言っているのだろう」と思われがちながら、もっとも現実的な判断を下すことが出来るのが信仰者だということを、今日の話は伝えています。
パウロはこの船旅を通し、人々が大丈夫だと安心している時に恐るべき危険を警告し、逆に人々が絶望で立ち上がれない時に希望を語りました。これは教会のあるべき姿でもあります。…時代が危険な方向に向かっていくことが見えている時、教会は人々の神経を逆なでしても警告を発しなければなりませんが、逆に、人々の心がすさみ、坂を転げ落ちるように奈落の底に向かっているような時代には、教会は希望を語ってゆくべきです。パウロが船に乗っているすべての人のいのちに対する責任を全うしたように、教会は信者も未信者も関係なく、人々と共に暴風を耐え抜き、新しい世界に向かって行くのです。
(祈り)
天におられ、私たちをご覧になって下さる神様。船に乗っていた276人は暴風のため極限状況に陥りましたが、神様のしもべパウロの働きを通して全員助かることが出来ました。たったひとりの信仰者の存在がこれほどに大きかったとは、と思います。神様、私たちはパウロにはとうてい及びませんが、それでも山椒は小粒でもぴりりと辛いと申します、私たちはそれぞれがおかれた場で、小さくとも地の塩の働きを担うことが出来ますようにと願います。
いま日本はコロナ禍を初めとする難題が山積する中、病苦で苦しむ人や仕事を失った人があふれ、いっけん幸せそうな人であっても見えないところで苦しみをかかえているものです。その中で、各教会はその務めを十分に果たしているとは言えません。広島長束教会とつながる人のなかにも、暴風の中を船で漂流していうような思いの人がいて、「神様、いつまでなのですか」と叫んでいるかもしれません。しかし雲の向こうには太陽が輝いています。神様が苦しみをつきぬけたところにある光を見せて下さるよう、心よりお祈り申し上げます。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
神の怒りから免れるには youtube
エゼ8:1~18、黙示録20:4
2020.10.25
一介の修道士であったマルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルクの教会の扉に「95か条の提題」を釘で打ちつけたのが1517年10月31日、今から503年前のことです。この日をもって宗教改革が始まり、プロテスタント教会が誕生し、この流れの中に、私たちが属する日本キリスト教会も入っています。宗教改革がなければ私たちの信仰生活もありません。けれども、宗教改革の意義を私たちが充分にわかっているとは言えないでしょう。いや、多少勉強したところで、とても汲み尽くすことが出来ないほどの内容がそこにはあるのです。
宗教改革は世界の歴史に残る重要な出来事で、私は中学校でも高校でも勉強しました。そこでは免罪符、贖宥券とも言いますが、これの販売に反対してルターが立ち上がりプロテスタント教会が誕生したこと、ヨーロッパ世界に大変動が起こったこと、カトリック教会がプロテスタントに対抗するために世界中に宣教師を送り、その中に日本に来たザビエルがいたことなどが教えられています。だから、宗教改革のことを全く知らない人というのは少ないのですが、だいたいそのあたりで終わってしまい、その結果、宗教改革というとカトリックからプロテスタントが分離したことだとしか思われていないとすれば残念です。私たちはいま歴史の根底を見て行かなければなりません。
プロテスタント教会が宗教改革を記念する場合、これまで、カトリック教会を批判することに重点が置かれがちでした。カトリック教会には免罪符のことをはじめとして多くの問題がありましたが、しかし、プロテスタントがカトリックを全面的に批判し、カトリックが返す刀で同じようにするならば、建設的な議論とはなりません。
宗教改革についてプロテスタントとカトリックが互いに批判しあっていてもあまり実りはありません。歴史的にはもう十分すぎるほど批判しあってきました。今日同じことを繰り返しているのをクリスチャンでない人が見たら、教派間の内輪もめとしか思えないでしょう。…今日、宗教改革を記念するのは教派と教派の分断をさらに加速させるためではありません。…宗教改革が目指したものは、ひとことで言うなら、聖書に示された神の言による教会の改革刷新でありました。それはカトリック教会をつぶして新しい教会を打ち立てようというものではなかったのです。カトリック教会をさんざん批判はしましたが、これをつぶしてしまおうというのではなく、神のみこころにかなう本当の教会をつくることこそが目的でありました。
そのことは今日、カトリック教会も含めて、引き続き追求されているのです。
マルティン・ルターの改革につながる動きは、それ以前から存在しました。…ルターが立ち上がるはるか前から、教会を改革刷新しようという動きはずっと続いていました。その源を探ると聖書に行き着きます。イエス・キリストご自身も宗教改革者でありましたし、旧約聖書にも幾多の改革の記事があります。
いったいなぜ改革が必要なのでしょうか。これがないと教会は堕落してしまうからです。いつの時代、どこの国においても、教会がたいした苦労もなく順調に成長していくということはありません。そこには、迫害のような外から襲ってくる困難と共に、教会を内側からむしばんでしまうものがあります。迫害も大変ですが、すべてにおいて恵まれているような状況の中にも、落とし穴が隠れていることがあります。教会がどんどん大きくなった結果、自分の力におごって、神の導きを忘れてしまうことは歴史上たびたび起こっています。
聖書は、教会はイエス・キリストの体であると教えています。だから教会は、罪と死に打ち勝ったキリストが満ち満ちておられる場所でなければなりません。ところが現実には、罪と死の問題に無関心だったり、そこから目をそらしているような教会もあります。もしもある教会が人間の内側にある罪の現実に対して無関心であり、またその社会でさまざまな理由で悩み、苦しんでいる隣人に心を寄せず、ただ、たくさんの人を集め、教会を大きくすることばかり考えていたらどうなるでしょう。たとえ、その目論見がうまくいったとしても、恐ろしいことにならないでしょうか。私たちも、日曜日ごとに礼拝し、祈り、聖書を読んでいたとしても、私たち自身の中にある罪を認めず、無関心であったり、目をそらしているならば、それはやがて教会の土台をぐらつかせることになります。…しかし、そんな時、神様から罪の現実をつきつけられる人は、そこから悔い改めと改革への道を示されるわけですから、幸いです。エゼキエルに言われた言葉は、また私たちにも言われている言葉ではないでしょうか。しばしば塗りつぶされ、見えなくなってしまっている壁に穴をあけ、そのむこうに隠された罪の現実を見る人は、大きな衝撃に打ちのめされますが、そのところから本当の救いの道が開け、教会にとっての再出発が始まるのです。
エゼキエル書には預言者エゼキエルが見たという幾多の幻が書いてあります。8章に書いてあることもその一つです。そこには第六年の六月五日と、はっきり書いてあります。第六年とはユダ王国の王ヨヤキンが即位してから6年目ということで紀元前592年であると確認されています。この時、ユダの王は攻め寄せてきたバビロニアによって捕らえられていましたが、まだ国は亡びてはいず、エルサレムの都も、神殿も残っているという状況でありました。
主なる神の御手が預言者エゼキエルに及び、不思議な力で、彼がよく知っているエルサレムの神殿に連れて来ました。エゼキエルがまず北に面する内側の門のところに来た時、その北側に祭壇があり、入り口に激怒を招く像がありました。イスラエルの民はモーセの十戒において、「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」と命じられていますから、これは明らかに律法に対する違反にほかなりません。しかも、激怒を招く像というのは、「欲望を刺激する貪欲な像」と訳すことも可能で、そうだとしますと、そこには異教の神のみだらな姿があったということになるのです。その場所は神殿の境内なのですから、今の時代に当てはめてみますと、キリスト教会の門を入って行った時、庭にあやしげな偶像神が置かれているようなものです。
エゼキエルは次に、庭の入り口で命じられます。「人の子よ、壁に穴をうがちなさい」。…その壁はただの壁ではなく、イスラエルの現実を覆い隠している壁でありました。エゼキエルが穴をうがち、そこにあった入り口から命じられるままに入っていくと、思いもかけなかった光景が現れました。10節:「入って見ていると、周りの壁一面に、あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびイスラエルの家のあらゆる偶像が彫り込まれているではないか」。
そこにはイスラエルの長老70人が、シャファンの子ヤアザンヤを中心に立っていました。シャファンという人は、この時から30年前の紀元前622年、ヨシヤ王が宗教改革を断行した時に重要な役割を果たした人物です。人々の尊敬を集めていたシャファンの家の者さえ、このいかがわしい行為を行っていたということで記録されているのです。この人たちは、「主は我々を御覧にならない。主はこの地を捨てられた」と言っていました。ユダ王国が亡国の危機にひんしていた時代、彼らはそれがイスラエルの民の不信仰に対する神の怒りであることを見ようとせず、逆に神に責任を転嫁していたのです。彼らはバビロニアの脅威が刻一刻と迫っている中で、正しい信仰に立ち返って国を救おうとするのではなく、南の大国エジプトに頼って国を守ろうとしていたものと考えられています。そのことはエジプトの神々に頼ることでもありました。壁一面に彫り込まれたものはエジプトの神々だったのです。
エルサレムの神殿はかつてソロモン王の時代に、主なる神を礼拝するために建設されたものでしたから、やはりその時も主なる神を礼拝していたということではかわりありません。しかしながら、壁の内側ではエジプトの神々を礼拝するということが行われていたのです。これはイスラエルをめぐる複雑な政治状況を示すものだといってすませられる問題ではありません。…壁の内側の、隠れたところで行われていることがイスラエルの実態なのです。壁の外側でいくら主なる神を礼拝していたとしても、これはとうてい神が受け入れたもうことではありません。
エゼキエルはこのあとさらに、神殿の北に面した門の入り口に連れていかれました。そこでは女たちがタンムズ神のために泣きながら座っていました。タンムズとは古代世界で広く信じられていた植物の神で、死んでよみがえる神とされています。
エゼキエルは最後に、神殿の中庭に連れていかれました。すると主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に25人ほどの人がいて、主の聖所を背にして、太陽を拝んでいるではないですか。聖所の入り口は神聖な場所で、そこは誰もが入れる場所ではありませんから、これらの人たちはみな祭司であったと考えられます。これは主なる神のいちばん近くで仕えている人たちが、神に背き去ったということにほかなりません。
神はこれら四つのことをエゼキエルに見せたあと、言われました。「ユダの家がここで数々の忌まわしいことを行っているのは些細なことであろうか。…わたしも憤って行い、慈しみの目を注ぐことも、憐れみをかけることもしない。彼らがわたしの耳に向かって大声をあげても、わたしは彼らに聞きはしない」。
エゼキエル書の9章には、8章に続く一連の出来事が書いてあります。かいつまんで申しますと、神はエルサレムの都を滅びに渡すことを決意されました。六人の男が武器をもってエルサレムをまわります。…神は六人に命じられます。
「都の中を巡れ。打て。慈しみの目を注いではならない。憐れみをかけてはならない。老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない」。そうして、「『さあ、わたしの神殿から始めよ。』彼らは、神殿の前にいた長老たちから始めた。」
神殿をけがした人がまず殺され、次に都の人々が打たれました。恐ろしい光景が展開する中で、エゼキエルは神の怒りの前に絶望し、助けを求めます。「ああ、主なる神よ。エルサレムの上に憤りを注いで、イスラエルの残りの者をすべて滅ぼし尽くされるのですか」。神からは厳しい答えが返ってきます。「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。…それゆえ、わたしは彼らに慈しみの目を注がず、憐れみをかけることもしない。彼らの行いの報いを、わたしは彼らの頭上に帰する」。
しかし、神のみこころはそれだけではありません。神はその恐るべき審判の中ですら、憐れみの心を秘めておられます。私たちは初めから神の憐れみを期待してはいけないと思いますが、神の真意がどこにあるかを見落としてはならないでしょう。神は御使いの一人に命令されます。「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印をつけよ」。… 神はこの流血と不正に満ちた都エルサレムを滅ぼすことを決意されますが、それでもこの町に満ちている罪を嘆き悲しむ者がいるはずだと言います、そして、その額に救いの印をつけよと言われるのです。その者たちだけは、神の恐るべき審きからまぬがれることが出来たのです。
ルターを初め、むかし宗教改革を実行した人たちは、いわば神殿の壁に穴をあけてその中で行われている現実を見た人ではありますまいか。その中で恐ろしいことが行われているということを普通の人は見ようとしませんし、たとえ見たとしても何も感じなくなっているのです。罪に対して鈍感になっているからです。…ルターが宗教改革ののろしを上げたのは、免罪符に反対したためでした。カトリック教会は免罪符を発売して、人が死んでから受ける、罪に対する罰をお金で解決しようとしたのですが、ルターを初めとする改革者たちは、ここ、何より大切な神のいますところ、キリストの体である教会で恐ろしいことが行われていることを見て、耐えることが出来なかったのです。そのことを告発することが自分の身にどれほどの不利益を及ぼすかということをわかっていましたが、それでもキリストが自分たちと共におられることを信じて立ち上がっていったのです。
エゼキエルが見たことをルターは見ました。そして同じようなことが、これまでも起こっていたのです。そして、こんなことは皆さんの内の誰も望んでいないはずですが、今後、教会でもしも恐ろしい背徳の行為が行われていたとしたら、…信者たるものは見逃してはなりません。神が立てたもうた教会も、いつのまにか堕落してしまう可能性があります。私たちはみな、一人残らず、キリストを信じ、教会につながる者として、教会を堕落から守り、改革し続けることに責任を持っています。たとえ教会と私たち自身の中にある罪の現実に直面し、絶望のふちに陥ろうとも、そこから立ち上がることが出来るのは、キリストが十字架と復活によって勝ち取って下さった救いの約束を信じぬいて生きていく人にほかなりません。
(祈り)
父なる神様。私たちは神様によって救われた群れ、イエス・キリストがとうとい命を差し出して救って下さった者たちです。私たちは一人だけで神様を信じぬくことは出来ず、みな教会によって信仰を養われました。教会なくして信仰なしと言われます。この教会を神様が祝福し、導き、改革して下さったことを今日、改めて感謝申し上げます。神様は教会が間違った方向に進んでいったときにこれを見逃すことのないお方です。そのためにマルティン・ルターをして宗教改革を実行なさいました。私たちの広島長束教会はその恩恵を受け継いでいますが、もしもかりにも、この教会が間違った方向に向かってしまったとしたら、どうか神様が本当の信仰に生きる人を立てて、正して下さいますようお願いいたします。
神様。この教会をどうかお守り下さい。私たちは礼拝に出席する人が少ないことを悲しんでおりますが、何よりもまず、いま教会に集められている一人一人をほんものの信仰によって生きる者とさせて下さい。この世と自分の中にある不信仰に打ち勝たせて下さい。
この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン。
キリストの賜物のはかりに従って youtube
申33:13~16、エフェソ4:7~13
2020.10.18
エフェソの教会は使徒パウロが種を蒔いて、育てた教会です。パウロは第3回の宣教旅行の時、エフェソに来ておよそ3年間、伝道しました。そのあとマケドニアとアカイアに行き、エルサレムに帰る際にはエフェソに立ち寄る時間がなかったため、エフェソから60キロ離れたミレトスというところにエフェソ教会の長老たちを呼んで、教え諭し、涙の別れをしています。パウロはその後、エルサレムからカイサリアへ、そして地中海を船で渡ってローマに到着しますが、そのあと獄中でしたためたのが、このエフェソの信徒への手紙だと考えられています。パウロが心にかけてやむことのなかった教会に向けて書いた手紙を、私たちはこうして読んでいるのです。
前回、私たちは、4章の1節から6節までのところで、主が一人であるように、教会も一つであり、したがって信徒たちは互いの愛をもって教会の一致を保つべく努めることを教えられました。それが今日の7節になると、「しかし」という書き出しからも想像される通り、それとは違うようなことを教えられています。どういうことかと申しますと、1節から6節まで、信徒たちは一つであるということが言われているのに対し、7節からは、一人一人は違っているのだと言われているのです。違ったものが一つになることと同様、一つのものが違った形をとることも単純なことではありません。何をもって、そのようなことが言えるのかということを見てゆきましょう。
パウロは言います。「しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。」
ここでいう「恵み」とは「賜物」から来るものであって「賜物」とほぼ同じような意味があります。…恵みという言葉には教会ではいろんな意味があって、人が罪の中から救われることも恵みですが、ここでは、それと根源は同じであっても別の恵み、一人ひとりに与えられた賜物であることに注意して下さい。…申命記33章で、土地にいろいろな賜物が与えられているように、人それぞれ、いろいろな賜物が与えられています。力持ちの人もいれば頭が良い人もいる、料理がうまい人もいれば、その人が来るとその場が明るくなるという人もいます。みんな違ってみんな良いのです。特に教会において、これらを与えて下さる主体はキリストです。キリストが一人ひとりそれぞれに賜物を分配されるのですが、その根拠となるのが、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」という言葉です。
これは詩編68編19節の引用です。そこにはこう書いてあります。「主よ、神よ、あなたは高い天に上り、人々をとりことし、人々を貢ぎ物として取り、背く者を取られる。彼らはそこに住み着かせられる。」
何か難しそうな文章ですね。パウロがこれを引用したことは確かなのですが、ただ詩編の文章とエフェソ書の文章が本当に同じなのかということが昔から問題になっていました。少し専門的なことに立ち入りますが、聞いて下さい。旧約聖書はへブル語で、新約聖書はギリシャ語で書かれています。パウロの時代には旧約聖書のギリシャ語訳があって、ここから文章が引用されて新約聖書に収められることがよくあるのですが、その文と元の旧約聖書にあるへブル語の文を両方とも日本語にして比べてみると違った文に見えることがあります。へブル語をギリシャ語に、そして日本語に翻訳する過程で意味がずれてくるのです。…ただし、ここにあるのはそれ以上のことです。詩編の方は高い天に上られた方が「人々を貢ぎ物として取り」と書いてあるのに対し、エフェソ書では「人々に貢ぎ物を分け与えられた」と書いてあります。旧約聖書で「貢ぎ物を受けた」となっているのが、パウロが引用した時、「貢ぎ物を分け与えた」と、正反対の意味になっているのです。…パウロが詩編の言葉を間違って覚えて書いたのならまだ良いのですが、もしも詩編の言葉を改ざんして引用したとなると、たいへん大きな問題になってしまいます。
そのため何世紀にもわたっていろいろな解決法が考えられてきましたが、現在のところは次のように考えるしかないのだと思われます。…ここでの主人公はイエス・キリストです。主は、つまり神なるキリストは十字架の死から勝利の内に復活して高い所に昇り、つまり天に凱旋されました。その時、「人々を貢ぎ物として取り」、つまり罪と死の中にあった人々が救われ、それをご自分のものとして受け取られた、ここまでが詩編68編19節の解釈です。…さて、多くの戦いにおいて、勝利した王は貢ぎ物を受け取りますが、それを部下たちに分け与えるものです。受け取るのは分け与えるためで、そのようにして喜びを分かち合うのですが、そうであるならば、天に凱旋した主は、受け取った貢ぎ物を部下たちに分け与えるとするのが自然です。キリストが十字架と復活を通して勝ち取ったものが教会に分け与えられる、そう考えてゆくと「人々を貢ぎ物として受け取り」が、新約聖書で「人々に賜物を分け与えられた」となってもおかしくありません。
ちょっと苦しい説明ですが、ここで、勝利の内に凱旋した主イエスが勝ち取ったものが教会に与えられたという一番のツボを押えておけば、これからお話しすることが理解できるようになるでしょう。
さて、続けて9節は言います。「『昇った』というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。」新共同訳ではキリストは天に昇られた、だったらもともと低い所におられたのではないか、それは地上であったと考えて、このように訳しています。天と地が対比されているのです。実はここも議論があるところで、「低い所、地上」と訳されているところについて、地上よりもっと深い所を指しているのだという説があります。地上より深い所とは陰府です。私たちは毎日曜日、使徒信条で、イエス・キリストが「死んで葬られ、陰府にくだり」と唱えていますが、このことを忘れてはいけない、キリストは地上におられただけでなく、死んで、地の底の死者の世界にも行かれたが、そこから高く、天にまで昇られたというものです。私個人としてはこの説を信じたいのですが、複雑な議論があってまだ決着がついていません。今日のところでは、いま重要だと思われることに話を進めます。
10節、「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすため、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。」
低い所に降りて来られたキリストがもろもろの天よりも高く昇られた、その目的とは何でしょう、すべてのものを満たすためだったというのです。皆さんはそのことが実感出来ますか。
参考までに、ちょっと違う話をします。主イエスが地上におられた時は恵まれた、幸いな時でした。人はイエス様の前に出て、お話を聞くことも、一緒に食事することも、耐えられない病苦から解放してもらうことも出来たので、そこから考えると、イエス様が天に帰られてしまったあとはもうイエス様に会って、ご指導を願うことが出来ないので、まことに心細いのです。…しかし、信仰的には、この考えは間違っています。…イエス様が地上におられた時、この類まれな方に会うことが出来た人は、世界の中では限られた地域に住んでいる人だけに限られていました。…それが、イエス様が昇天されてのち状況は全く変わりました。人は世界のどこにいてもイエス様に会うことが出来るようになったのです。なぜか、教会があるからです。そこに聖霊の導きがあるからです。イエス様について「すべてのものを満たすため、もろもろの天より高く昇られた」と書かれたのにはそういう背景があります。
低い所からどこよりも高い所に昇られたイエス様ですが、この世界にさようならをされたのではありません。主は、聖霊となって再び地上に来られ、教会を誕生させられました。
その教会が始まった頃、そこに使徒、預言者、福音宣教者、牧者・教師がいました。教会の中心にいたのは使徒たちです。12使徒にパウロを加えた13人が基本です。使徒たちは直接、主イエスに会って訓練を受けた人たちで特別な働きを担いました。各地を巡って福音の種を蒔き、教会を建てて行ったのです。
次の預言者というのは、新約聖書の時代の預言者で、これについて私たちが知っていることは多くありません。神の霊によって預言する力を与えられた人たちです。…使徒と預言者が活動したのは初代教会の時代だけです。彼らがみんな天に召されていなくなったあと、新しく立てられる人はいませんでした。
3番目の福音宣教者とは、地理的に限定されず、広く各地を回って伝道する人で、聖書ではテモテがその一人です。このような務めを担う人は今日まで与えられています。
ここで言及されている最後のものが「牧者、教師」で、この2つは切り離すことが出来ません。口語訳聖書ではここを「牧師、教師」と訳したのですが、初代教会の時代に牧師という職業は成立していなかったので、新共同訳で牧師は牧者に変更されました。…牧者、教師は福音宣教者とは違い、もちろん使徒や預言者とも違って、基本的に1か所に定住して教会の務めを担う人たちで、それは長老と重なっています。使徒は教会をつくると別の場所に行ってしまい、その教会は地域に定住している人によって守られて行きますが、その中心が長老です。当時、長老は牧者でもあり教師でもありました。礼拝説教をする人も信者のお世話をする人も、両方兼ね備えた人もその一方だけ行っていた人もいましたが、やがて、長老の中から、教会の仕事を職業とする人が出て来るという流れになります。
もちろん使徒、預言者、福音伝道者、牧者・教師のほかにも教会の務めを担う人はたくさんいますが、それらすべてをなしとげる力は、もっとも低い所からもっとも高い所に行かれたキリストから与えられたのです。キリストはすべてのものを満たして下さるということで、それが聖霊の働きだということですね。私たちがいまイエス様をこの目で見ることが出来なくても、聖霊の働きがある限り、心細く思うことはありません。
それでは最後の部分に進みましょう。「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」
すごいことが書いてありますが、私自身はまだ牧師としても人間としても未熟で、このところを正しく説き明かすことが出来るとは思えません。だから基本的なことだけお話しします。
この場所に教会があります。日本キリスト教会広島長束教会といいます。教会とは何でしょう、まだ本当の神様に出会っていない人なら、十字架のある建物を教会と言うでしょう。これは間違ってはいませんが不十分な答えです。建物がなくても教会はあるのです。…そこで、教会とは何かについてもう一つの答えは、信者の集まりだというものです。
信者がただ一人で聖書を読んだり、祈っているだけのところを教会とは言いません。その意味で、これは教会が建物であるという答えよりは前進していますが、もっと正確に言うなら、教会はキリストの体なのです。…私の中にキリストが生きておられ、あなたの中にキリストが生きておられ、彼や彼女の中にキリストが生きておられ、これらの人々の中におられるキリストを一緒にしたのが教会です。
教会には牧師、長老、執事、日曜学校の先生などいくつもの違った務めがあります。建物のこわれた所を修繕する務めも、看板の字を書く務めも、病人を見舞う務めも、今はコロナ禍で出来ませんがお茶や食事を出したりする務めも、さらに別な務めもあります。それぞれキリストの賜物のはかりに従って与えられた恵みによってそれを担っているのです。キリストはその賜物を、罪と死に打ち勝たれたことで獲得し、それを聖霊によって注ぎ、ご自分の体である教会をつくって下さいました。私たちはその中で、みなキリストの命を受けて生きています。
詩編84編を書いた詩人は、エルサレムの神殿のことを思って「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」と歌いました。しかし、私たちの心の中には「いくら信心深いとはいっても、よくそんな思いになれるな」という感想もあるのではないでしょうか。現実の広島長束教会には来た人をがっかりさせることがあるかもしれません。しかしそれは、私を含め一人ひとりがイエス・キリストの命によって生かされていることを本当には自覚していないために起きているのです。キリストの体の一つであるこの教会がキリストの高さにまで成長してゆくことは可能です。そのことを祈ってゆきましょう。
(祈り)
恵み深い天の父なる神様。
イエス様が罪と死に打ち勝って天に凱旋されることがなければ、聖霊の注ぎはなく、教会はなく、広島長束教会はなく、私たちの人生もありませんでした。
神様。今日、教会についてみこころを示して下さり、感謝いたします。教会はキリストの体であり、そこに私たちが集められ、私たちの中にキリストが生きておられます。私たちは教会があってこそ、一度切りのかけがえのない人生を光に向かって歩んで行けるのです。
私たちの目に見えるこの教会は小さな教会であり、もっと多くの人たちが来ることを願いながらそれがなかなかかなわず、さらにコロナ禍の中で疲弊しておりますが、それでも神様のまことは尽きることなく、いのちの泉は教会から湧き続け、み国の姿をうつしてゆく、その喜びの中に私たちの生きる場所があります。どうか広島長束教会がこれからも地域にあって、神様の正義と愛を発出する教会でありますように。神様のとうといみこころの実現のために、どうか私たちのわずかな力をも用いて下さい。
主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
暴風に襲われる youtube
ヨブ40:25~30、使徒27:13~26
2020.10.11
今日は、使徒パウロを乗せた船が地中海で暴風に襲われるところになります。
皇帝の前で裁判を受けるため、パウロはイタリアのローマまで船で護送される途中でした。ユダヤのカイサリアから始まった航海は、風に行く手を阻まれることがたびたびあって、予定したコースを何度も変更したあげく、ようやくクレタ島の「良い港」と呼ばれる所に着きました。しかし、すでに秋も半ばで航海には危険な季節になっていました。
「良い港」と呼ばれる所は冬の風をまともに受けてしまうため、越冬するには適さないところだったので、この島の西にあるフェニクスという港に向かおうという話が出てきました。いま航海には危険な季節だとは言っても、「良い港」からフェニクス港まではたかだか80キロほど、クレタ島の南に沿って進んで行けばすぐに着くだろう、冬を越すにはそこしかないという判断があったのです。パウロは反対しました。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります」と。必死になって説得しようとしたはずですが、船長や船主という船の運航についてはプロの人たちが船出を主張したので、パウロの意見は顧みられません。百人隊長も大多数の人もそちらに賛成し、船出することが決まりました。すると13節に書いてあるように、この季節には珍しい、静かな南風が吹いてきたので、人々は望み通りに事が運ぶと考え、錨を挙げて出発したのです。
しかし、間もなく、エウラキオンと呼ばれる暴風が、島の方から吹きおろしてきました。エウラキオンとは、原語で東風と北風を合成した言葉、北東風と言ったらよいでしょうか。クレタ島には高さ2456メートルの山を初めとして、高い山々が連なっており、そこから来る山おろしが船を直撃したものと思われます。船はこれに巻き込まれ、クレタ島から引き離されて、南へ南へと漂流し始めました。
この船に乗っていた人の数は、37節によれば276人で、かなり大きな船でありました。バークレーという人がどうやって調べたのか、この船はおそらく長さ42メートル、幅10.8メートル。吃水9.9メートルくらいだったろうと書いていました。吃水とは船のいちばん下から海水面までの垂直距離、それが9.9メートルあったというのです。
この時代の船には、舵も羅針盤も六分儀もありません。船上にはマストがただ一本だけあって、ここに大きな四角い帆がはられていました。舵がなくてどうやって方角を決めるのかというと、船のうしろにあって、下から両側に突き出た二つの大きな水かきを使っていたのだということです。操作は難しかったようです。
現代と違ってこの時代は測定用の機械がないので、太陽がどこから上るか、北極星はどこにあるかといったことを見極めて方角を決めるしかなかったのではないでしょうか。しかしこの船は嵐の中を漂流しているのですから、太陽も星も見えません。そして陸地も見えないとしたら、海の中で船がどこをどう動いているのか、全然わからないわけですね。
16節、「やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた」。この島は、クレタ島から40キロほどのところにあります。船が小島の陰に入り、しばらくの間風が弱くなっている間に、船に乗っている人たちは、暴風に対する出来るかぎりの対策を講じました。まず行ったことは小舟を引き寄せることでした。小舟は脱出用の救命ボートのことです。現代では救命ボートは甲板に載せておきますが、この時代は、天気の良い時は海に浮かべて綱で引いておき、天気が悪くなると、これが沈まないよう引き寄せた上、甲板の上に引き上げたということです。…人々にとって、暴風に悩まされながら、救命ボートを海上から甲板まで引き上げるのはたいへん困難だったはずですが、協力してこれを成し遂げたのです。
次に人々は、船体に綱を巻きつけました。これは二つの方法のどちらかを使ったものと考えられます。一つの方法は、綱を船の上から下に、また下をくぐって反対側にぐるりと巻きつけるというもの、もう一つの方法は綱を船首から船尾に、横方向から巻きつけるというものです。…そうでもしなければ船がばらばらになってしまうからで、そうやって船体を強化したのですが、これは大変な労力を要するものだったでしょう。
そしてさらに、「シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を下ろし、流されるのにまかせた」。シルティスの浅瀬は、北アフリカのリビアの沖にあるとされていました。それほど深くなく、大量の砂が吹き飛ばされたり流れこんだりしていて、そこに入り込んだら動けません、船の墓場になってしまうのです。私は専門外なので、それが現在もあるのかどうかはわかりません。シルティスの浅瀬は、その時、船から数百キロ離れてはいましたが、船がこのまま南に向かえばそこに入ってしまう心配がありました。そこで船乗りたちは「海錨を降ろし」、船が流されるスピードを出来るだけ遅くして、その海域に入りこまないようにとしたのです。
しかし、そうした努力をしたにもかかわらず暴風はやみません。そのため、翌日には、人々は積み荷を海に捨て始めました。この船は、6節で「イタリアに行くアレクサンドリアの船」と書いてあり、積み荷はエジプトの穀物であったと推定されています。穀物は海水をかぶって重くなっていたでしょう。船を沈没させないためには、大事な積み荷さえも捨てるしかなかったのですが、それでも状況は良くなりません。…そこで船員たちは最後の手段に踏み切りました。「三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった」。ある研究者は、この船具とはメイン・マストの帆げたではないかと推測しています。帆船の帆げたを捨ててしまえば、帆を張ることが出来ず、自力で進むことが出来ません。まるで箱舟のようなもので、ただ海を漂っているだけです。…そこまで追いつめられてしまったのですが、それでも状況は良くなりません。船はいずれ沈没するか、沈没は免れても水や食糧が不足してみんな餓死してしまうというところに立ち至ったのです。
20節、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」。新共同訳には隠れていますが、ここの主語は「わたしたち」です。だから後半部分は「ついにわたしたちが助かる望みは全く消えうせようとしていた」ということです。つまり、船員たちや乗客はもとより、パウロに同行していた使徒言行録の書き手であるルカや、アリスタルコまでもが、生きる望みを失ってしまったのです。
こうしている間、パウロはどうしていたのか、聖書は書いていません。なんといっても囚人ですから、くさりにつながれるなどして体の自由がきかず、人々が積み荷を海に捨てていた時など、手伝うことが出来なかったかもしれません。しかし、船が絶体絶命の危機に追い込まれた時、パウロは沈黙を破って語りだすのです。
「人々は長い間、食事をとっていなかった」、恐怖と船酔いでふらふらになって、食事をすることができない、だいたい食べ物もどれだけ残っているかという状況だったのです。パウロはそんな人々の中に立ちます。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」
パウロは人々に、彼らの誤った判断がこの事態をもたらしたことを思い出させますが、反省を促しつつ、「元気を出しなさい」と励ましています。だれ一人として命を失う者はないというのですが、どのような根拠に基づいているのでしょうか。それが神から受けた啓示なのです。
「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』」
ここを読む人の多くは、パウロの英雄的な姿を見て、彼は暴風の中でも最初から最後まで勇敢で、沈着冷静であったと考えるのではないでしょうか。それは信仰による強さで、私もそのことはよくわかるのですが、ただ彼を私たちとはあまりにかけはなれたスーパーマンのように考えていいのか、という疑問を持っています。
本文をよく見てみましょう。天使がパウロのもとに立ったのは、この日の前の夜ですね。それまでの日々の中でのパウロの心の動きは書いてないのです。そして天使はこの時、「パウロ、恐れるな」と言っています。もしもパウロが暴風の中でも落ち着きはらっていたなら、こうは言われないでしょう。つまり、パウロも暴風を怖がっていた、そこに天使が来て力づけてくれたという可能性も否定できないように思われます。そして、そのことが言えるなら、私たちとパウロの距離が近くなり、凡人も、いざという時にはパウロのような勇敢さを発揮することも出来るのでは、と思えてくるのです。
天使を通して与えられた言葉の内、「あなたは皇帝の前に出頭しなければならない」というのは、それまでにもたびたび与えられた言葉でありまして、神様が、「私は約束を破ることはしない。あなたを必ずローマに連れてゆく」と言われたことになります。暴風が荒れ狂って、すべての望みが消え失せてゆくように見える中でも、神様のご意思は貫徹されるのです。…へブル書3章14節は言います。「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。」…私たちも、ただちに命の危険があるということはなくても、やはり暴風の中にいることに気づくことがあるかもしれません。しかし、その中でも、神様が一人ひとりに与えたみこころを貫徹されるゆえに、初心を忘れず、最初の確信を最後までしっかりと保ち続けることが出来るのです。
もう一つの大事な言葉が、「神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」です。さっき、囚人のパウロが、人々が積み荷を海に捨てていた時、手伝いが出来なかったかもしれないと申しました。パウロが手足の自由がきくなら、人々と一緒に労苦したに違いありませんが、実際はどうだったかわかりません。ただパウロはこれとは別に、この船の中で大切な役割を担っていました。それが神に仕え、礼拝することで、その中で、暴風に翻弄される人々のための祈りがあります。
昔、イスラエルの人々が預言者サムエルに「しもべたちのために祈ってください」と懇願したことがありました。その時、サムエルは「あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない」と答えています(サムエル上12:19、23)。預言者サムエルは、人々のために祈らないのは罪を犯すことで、神に祈ることこそ人々のための最上の奉仕だと自覚していました。同じことがパウロにも言えるのです。…パウロが神に仕え、礼拝していたことこそ、いっけん遠回りのように見えながらも、絶望した人々に対しての最上のサービスでありました。それが人々への励ましの言葉になったのです。「神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」にはそういう背景があるのです。
日本の国はいま正しい道を進んでいるのでしょうか。もしかしたら暴風に突入しているのかもしれません、そうでないことを願いますが。…天使の言葉を言い換えて、「神様はこの国にいるすべての人を、各地の教会に任せて下さったのだ」と言っても言い過ぎではありません。教会は、そして私たちは、この国にいる人々のために祈ることをしないで、罪を犯すことは出来ません。
「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」ということを、表現の形はさまざまですが、教会から発信してゆきましょう。
(祈り)
天の父なる神様。今日もこうして礼拝が守られ、聖書の言葉が私たちの中で生きて働く経験をさせて頂いたことを感謝申し上げます。
いま日本はコロナ禍の最中で、広島長束教会では幸いウィルスに感染した人や生活の基盤が失われた人がいないといっても、大きな影響をこうむっています。私たちの中で幸せな人がふえていくことを願っていますが、なかなかそうはならず、みんなで分かち合わなければならない悩み苦しみがたくさんあることに気づきます。まるで暴風の中をただよっている船がこの国であり、その中にこの教会があるようにも見えるのです。神様、この厳しい時代の中で、広島長束教会が他の教会と共に十字架を高くかかげて進んで行くことが出来ますように。イエス・キリストが、私たちの尽きることのない悩みに打ち勝たせ、暴風の中でも倒れることのない信仰の強さを与えて下さいますように。
神様、私たちは家族に信仰を継承してもらうかとか、いまだ神様と出会ったことのない人々の前でどのように信仰を証ししていくかということで頭を悩ますことがあります。神様、どうか私たちに与えられた信仰の確信をさらに深めることが出来ますように、そして信仰の喜びを共に分かち合う家族と友を与えて下さいますようにとお願いいたします。
とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをみ前におささげします。アーメン。
風に行く手を阻まれたので youtube
詩編107:23~32、使徒27:1~12
2020.10.4
使徒パウロはエルサレムからカイサリアに移送されて、牢獄で2年を過ごしたあと総督の前でやり直しの裁判を受け、イタリアのローマに送られることになりました。それはパウロがローマ皇帝に上訴したことを受けて決定でした。先にイエス・キリストは彼の前に現れて「勇気を出せ、エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と告げておられましたが、そのことが実現に向けてやっと動き出したのです。
このローマへの船旅は紀元60年頃から何か月もかかって行われたと考えられています。皆さん、まず聖書巻末の地図を開いて下さい。「パウロのローマへの旅」にその全行程が出ています。一行はカイサリアからアドラミティオン港の船に乗って出発しました。アドラミティオンというのはアジア州、エフェソの北にある港町です。カイサリアを出た船は翌日シドンに着き、そこから船出したものの向かい風に航行を妨げられためキプロス島と小アジア半島の間を進んでリキア州のミラに着きます。ここで船を乗り換えます。エジプトのアレクサンドリアからイタリアに行く船に乗り込んで出発したのですが、幾日もの間、船足ははかどりません、風が吹かなかったのでしょう。クニドス港に入ろうとしたものの、今度は風に行く手を阻まれたので方向転換して南西方向に進み、クレタ島の北東にあるサルモネ岬をまわって「良い港」と呼ばれる所に着きました。その後、かなりの時がたってから、船は同じクレタ島にあるフェニクス港に向かい、そこで冬を過ごそうとしたのです。
聖書の舞台となっている地域で海が持っている意味は、日本人の感覚とはだいぶ違っているようです。
日本では昔、信濃など内陸部に住んでいて海を見たことがないという人が大勢いましたが、今そういう人はほとんどいないでしょう。日本人は海洋民族でもあり、昔から困難を排して大陸に渡っていく人がいましたし、海の幸は生きるためになくてはならないものになっています。…これと比べて、イスラエル民族・ユダヤ人については、詩編107編で歌われていた「彼らは、海に船を出し、大海を渡って商う者となった」というようなことがあったとしてもそう多くはないように思われます。パウロが乗った船にしても、ユダヤ人の船ではないですね。
日本では寿司屋さんで、魚編の漢字がずらっと書いてある湯飲みを提供されることがあります。魚にはそれだけたくさんの種類があることを誰でも知っているわけですが、さて聖書を見てみると、魚は出て来てもそれが何という名前なのか、魚の名前が全く書いてありません。
食卓にあがる魚の種類がたいへん少なかったとは考えにくいので、魚ならどれを食べても同じだと思われていたのかもしれません。
そのかわり、聖書では、海が出て来る時、そこが恐ろしいところとして描かれることが多いのです。荒れ狂う海に神の怒りを見たり、逆に神に逆らう力が跋扈するのを見ているのです。
荒れ狂う海といいますと、ガリラヤ湖で起こったことが想起されます。ガリラヤ湖は湖ですが、海と同じように見なされていました。ふだんは穏やかな湖ですが、たまに高いところから突風が押し寄せてきて大嵐になることがあります。新約聖書には、弟子たちがイエス・キリストと共に小舟に乗って、ガリラヤ湖を渡る場面があります。ルカ福音書8章によれば、湖の中で舟は吹き降ろしてきた突風に襲われ、水をかぶり、沈みそうになりました。弟子たちが恐怖にかられ、主イエスに「先生、先生、おぼれそうです」と訴えると、眠っておられた主は起き上がって、風と荒波をお叱りになります。すると、驚いたことに風も荒波も静まって凪になったのです。
教会の説教では、ここで船は教会を象徴していると説くのが一般的です。教会は世の荒波の中でたたかっています。荒波が迫害であることがありますが、そこまで重大でなくても、多くの困難があることは皆さんご存じの通りです。しかし、そこに主イエスがおられる限り、海に沈むことなく天に向かって進んでいけることが教えられているのです。
アメリカにメルヴィルという人が書いた「白鯨」という有名な小説があり、映画にもなっていますが、そこに出て来る教会は説教壇が船のような形をしていて、元船乗りであった牧師は縄梯子に足をかけてそこに上り、舳先に立ったまま巨大な魚に呑まれたヨナの話をするのです。その話のモデルになった教会というのが今も残っていて、小説ほど大がかりではありませんでしたが、やはり牧師は舳先に立って説教するようになっていました。…私たちの教会がそこまでする必要はないと思いますが、これはただの遊びでも道楽でもありません。聖書が海を渡って行く船について書いている時、実はそのことを通して信仰者の共同体である教会について語っていることが多いのです。今日の箇所でパウロが乗った船は、信仰の違う人も多数乗っていたので教会とすることは出来ませんが、そうすると教会を中心とする人間社会とみなすことが出来るように思います。
カイサリアでの裁判で、ローマ皇帝に上訴する手続きをしたパウロは、イタリアに向け、船で護送されることになりました。…27章1節は「わたしたちがイタリアに向かって船出することに決まったとき」という書き出しになっています。「わたしたちが」という言い方は、使徒言行録の中でこれまでにも出てきました。
そこには使徒言行録の作者である医者ルカがいます。ルカという人はおそらくパウロの第2回宣教旅行の途中からパウロに同行し、パウロと共にエルサレムまで来たもののパウロが逮捕され拘留されたので、その近くに居住しながら彼を手助けしていたのではないでしょうか。そうして、パウロのイタリア行きが決まったので、再び同行することにしたのです。2節に出て来るテサロニケ出身のアリスタルコも同じです。この人はパウロの第3回宣教旅行の途中からパウロに同行しています。
パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスに引き渡されました。ユリウスはパウロたちを護送する責任者ですが、この人たちが乗った船は軍艦などではなく商船、つまり民間の船ですね。リキア州のミラでも民間の船に乗り込み、その船には船員を含め全部で276人いたことがあとで出てきます。
百人隊長ユリウスがパウロを親切に扱ったのはたいへん幸いなことでした。囚人であるパウロが寛大な扱いを受けたのは、パウロがローマ帝国の市民権を持っていたからということがあったはずですが、それ以上にパウロが人格的に尊敬されていたからだと思われます。…カイサリアを出発して次の日に着いたシドンでは、ユリウスはパウロが友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれました。ユリウスのこの判断は事と場合によっては危険なかけです。パウロは何しろ囚人です。囚人が逃亡してしまえば、友人たちのところに行くことを許可したユリウス自身が罪を問われることになるのです。…しかし、もちろんパウロがシドンで逃亡することはありません。主イエスからローマに行くよう命じられていたからです。ユリウスはパウロを信頼していました。こうしてパウロはこの町で、同じ信仰を持つ人たちと会って、共に主を賛美し、信仰の喜びを分かち合うことが出来たのです。このことは、そのあとの困難な船旅を耐え抜く力となったはずです。
シドンを出発したあと、穏やかな日々は終わりました。船がそのまままっすぐイタリア目指して進むと西からの向かい風にさらされるので、これを避けるためにキプロス島の東から北を回ってミラの港に着きました。ここは重要な貿易港で、エジプトのアレキサンドリアから穀物を積んで出発した船はここを経由し、ローマに向かったそうです。…なおこの町で4世紀に聖ニコラウスと呼ばれる人がいました。セント・ニコラウス、これが最初のサンタクロースとされた人物です。
秋は地中海の航海にはすでに危険な季節でした。この時代は、毎年9月14日から11月14日までは危険だが航海してよい季節で、それ以後、冬の3か月の間は航海してはならないことになっていました。
…冬はまだでしたが、すでに危険な季節に入っていて、船旅は困難でした。ミラを出発してから幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいたものの、風に行く手を阻まれたので入ることが出来ません。この港に入ってしばらく待ち、追い風が来たらそれに乗り、一気にエーゲ海を渡ることができればイタリアは近いのですが、そのルートをたどることが出来ないので、やむをえず進路を南に変え、クレタ島の東の端にあるサルモネ岬を回り、島の南にある「良い港」ギリシャ語でカロイ・リメネスという所にたどりついたのでした。
9節は「既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった」と言います。断食日はユダヤ人の中で受け継がれてきたもので、10月5日だそうです。十月は、先ほど述べたように航海にとって危険な季節ですから、ここで越冬するか次の港に向かうかが問題になったのです。…パウロは、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります」と警告し、ここで冬を過ごすべきだと主張しました。必死で叫んだのだと思います。囚人であるパウロがこのような重大な問題について発言できたのは不思議ですが、おそらく百人隊長が彼を丁重に扱っていたからでしょう。…パウロはそれまでに何度も地中海の船旅を体験し、命の危険に遭遇したこともあったようで、船の運転については素人ながら、語ったものと思われます。
けれども船長や船主という船の専門家の意見は、ここから出発すべしというものでした。百人隊長がこれに賛成し、大多数の人も同意しました。それは「良い港」が冬を越すのに適していなかったからです。ここは地形の問題にあったようです。そこは180度海に面していて冬の風をまともに受けてしまう所でした。そこで、ここから出発し、できるならば80キロ西のフェニクス港まで行って、そこで冬を過ごそうということになったのです。しかし、これは来週お話しするところになりますが、大変な災いを招いてしまうのです。
パウロは、船が危険な道を進もうとしていることを知って、必死になってそれを押しとどめようとしたはずですが、それは少数意見で、聞き入れられませんでした。パウロには嵐が襲いかかってくることが見えていたのですが、大多数の人々はそんなことはないと安心していたのです。その時の彼の心中はいかばかりであったでしょうか。パウロが泰然自若としていたという解釈もあるようですが、私には「誰もわかってくれない」と嘆く彼のそばに、ルカやアリスタルコがいて慰め、祈りを合わせている姿が目に浮かびます。事実はどうだったかわかりませんが。
これと似たようなことは、船の運航だけではなく、社会のいろいろな場面、いろいろなレベルで起こることがあります。会社の行方を憂いて警告を発したけれども受け入れらなかったとか、内部告発して困難な状況に追い込まれた人がいるでしょう。国の行方を憂いて警告を発した人物も古来たくさんいたでしょう。…それが望んでいた結果が得られなかったとしても、それでもこの人たちがしたことを無駄だとは言えません。
パウロが乗っていた船は教会や人間社会の象徴です。パウロが船の運航について警告を発したことはただ船の操縦にとどまる問題ではありません。自分たちのいるところが、それが家族だろうが、サークルだろうが、地域社会だろうが、勤め先だろうが、はたまた天下国家のことだろうが、…どんな人間の集まりでもかまわないのですが、それがもしも間違った方向に向かっていることがわかったら、どうしたらよいかということから考えたいと思います。
周囲の無理解と孤独にさいなまれただろうパウロは、それでも破滅の淵に向かって行く船に、その一員としてい続けます。あとはどうでもなれと努力を放棄してしまうのでは決してなく、きわめて困難な状況下で出来うる限りのことをしてゆくのです。その根底にあったのは、すべてを神に委ねる信仰であったに違いありません。すべてを神に委ねる信仰とは、神様に全部お任せして何もしないというのではなく、神様を全面的に信頼しているからこそ与えられる導きに従って生きることです。それが絶望を突き抜ける力となるのです。
(祈り)
ご在天の父なる神様。神様が設けて下さった礼拝に集うことができたことを感謝いたします。神様、どうか私たちの小さな信仰を顧みて、それを強めて下さい。よく考えないうちに多数の意見に賛成してしまおうとする時、まず、それが本当に正しいかどうか判断する目を与えて下さい。
私たちの前に人生の嵐が襲ってくる時があれば、まだそれが顕在化しない内にその本質をみきわめ、みこころに沿った判断をすることが出来ますように。すべてのことにおいて、何もしないままで良い方向に向かうということはほとんどありません。信仰をもって立ち向かって行く人に神様が知恵と力を与え、本当の安らぎ与えてくれることを信じます。
神様、主イエスが私たち一人ひとりと共にいて下さり、そのことを何より大切な心の支えとして、一日一日を暮らしてゆけるようにして下さい。とりわけ、今厳しいたたかいの中にある者を、あなたが、その力をもって支え下さいますようお願いいたします。主のみ名によって、この祈りをみ前におささげします。アーメン。
愛によって互いに忍び youtube
エレ32:37~41、エフェソ4:1~6
2020.9.27
私たちはここでひと月に一度、エフェソの信徒への手紙を読んできましたが、今日から4章に入ります。3章はアーメンで終わっていました。祈りで終わっていました。それは、そこまで語られたことが一区切りついたということです。4章からエフェソ書の後半に入ります。エフェソ書は、前半の3章まではどちらかというと教理的なことが中心でしたが、4章からはその応用編として展開してゆくようです。
まず、初めの部分を読みます。「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。」(1-2節a)
「あなたがたに勧めます」が指し示しているのは、なになにをしなさいということで、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさいと言われています。そのあともずっと、このような言葉が続いています。ふつう、人間というのは、命令されると、それに従っていても内心では面白くないということがあります。「なんでこの人の言うことをきかなきゃならんのか」ということがあるのですが、1節をもう一度ご覧ください。パウロは「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み」なさいと、言っているのです。「神から招かれた」というのが重要です。一切高ぶることなくとか、柔和で寛容の心を持ちなさいとかいうのは、神様から招かれたということが前提になっています。もしも神様からではなく、得体のしれない存在や必ずしも自分に好意を持っていない人から命令されたら、しゃくにさわることがあり、時には命令に従うことが罪になることさえあるのですが、それが神様である以上、命じられたことに従うのは喜びとなり、人間の解放になるのです。まずこのことを肝に銘じておきましょう。
そこでエフェソの教会のことに入りますが、ここでパウロからいろいろ注意を受けているのは それだけの理由があったからのように思われます。聖書を読むと、すでに初代教会の時代から、理想的な教会というのはごくわずかで、問題をかかえた教会の方が多かったことがわかります。エフェソの教会だって初めから理想的な教会だったとは考えられません。…教会員の中にいさかいが起きたり、敵意が芽生えたりするということは、エフェソの教会はもちろんどこの教会でも起こりうることです。最悪の場合、教会は分裂してしまうかもしれません。だからパウロは手紙を書いて戒めているのです。
教会の中で問題が起こることがなぜそんなに重大なのか、という人がいるかもしれませんが、それはその人にとって教会が人生で小さな位置しか占めていないからです。そうであってはいけません。教会は私たちの心の拠り所であり、何よりイエス・キリストがおられるところですから、それだけ誘惑が多いのです。サタンにとって教会は目の上のたんこぶ、最大の敵ですから、いつも教会をかきまわそうとします。それが功を奏して、かりに広島長束教会がおかしくなると、私たちの拠って立つところがぐらつき、それは教会をとりまく社会にも少なからず悪い影響が及ぶことになりますから、決して見過ごすわけにはいかないのです。
4章1節で、神から招かれた者たちが「一切高ぶることなく」と言われています。「一切高ぶることなく」は口語訳聖書では「できる限り謙虚で」と訳されていました。これは私たちには当然のことのように聞こえるかと思うのですが、外国人の中には心にひっかかって、すぐには認められない人もいるようです。…日本人は控えめを良しとする民族なので、大勢の前で自分の意見を堂々と述べたりすることは苦手で、国際的な集まりや会議でも静かにしていることが多く、文化的背景の違う人々から「なぜ自己主張しないのか」と思われてしまうことがあります。…たしかに言うべき時に言うことはもちろん大切です。しかし、みんながそれをやりだしたら、ブレーキがきかず、収拾がつかなくなってしまう恐れがあります。そのためにあえて「高ぶることなく」と言われ、謙虚、柔和、寛容の心を持つよう勧められているのです。
次に進みましょう。「愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つようにしなさい」。
「忍耐」とは何でしょう。エフェソの信徒たちの間でも腹にすえかねるようなことがあったにちがいないのですが、こんな時、相手に厳しく当たって間違いを正すことをパウロは勧めてはいません。パウロはコロサイ書3章13節でも言っています。「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」。
それでは、いったいどうすれば、このようになれるのでしょうか。……謙虚、柔和、寛容の心をもってお互い忍耐してもだめなことがあります。というのは、表面的には仲の良い、よくまとまった教会の集まりでも、それが形式的なものに過ぎないということがよくあるのです。心の中で押し殺したはずの恨みや嫉妬や憤りの気持ちが別の出口から吹き出るかもしれません。…ふだんみんな仲良くしているように見えても、その場にいない人への悪口が始まるということもあります。
…会社だと、いやなことがあっても、みんな生活がかかっているのでがまんしていますが、教会だと牧師以外、生活がかかっている人がいないので、簡単にやめてしまうということがあります。
教会にいやな人、たとえばAさんがいるからという理由で教会から離れてしまう人が出たりすると、その教会ではAさんとつきあえる人だけ残っていることになります。
……そういった多くの問題があるので、ただ忍耐を言うだけでは足りません。そのため、忍耐の上に愛という言葉がかぶせられているのです。
「愛をもって互いに忍耐し」、もしも愛がなければ、どんな忍耐も無に等しいのです。逆に言うと、愛があるからこそ、すべてを忍ぶことが出来るのです。
主イエスが忍耐を口にされたことがあります。ある人が、たびたび火の中や水の中に倒れて、手のつけられない息子のことで悩みぬき、イエス様の弟子たちに頼んでも治せなかったので、イエス様に懇願した、その時の言葉です。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共におられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」(マタイ17:17)
イエス様は耐えに耐えて、耐え抜いていたんですね。イエス様の忍耐というのは十字架にかけられた時ばかりでなく、それまでの、おそらく全生涯がそうだったのです。神のみ子で罪のないお方なら、この世は胸をいためることばかりです。忍耐なしにこの世で生きてゆくことは考えられませんが、もちろんこれは忍耐のための忍耐ではなく、愛にもとづく忍耐であり、イエス様はそのとうとい見本を見せて下さいました。このことを受けて、パウロは第一コリント書13章の有名な愛の賛歌で、愛を忍耐に結びつけて賛美しています。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(第一コリント13:4~7)
では、その次の平和のきずなですが、皆さんおわかりのことと思いますが、ただいさかいやけんかがないことではありません。偽りの平和というものがいろいろな所にあります。誰か腕っぷしの強い人が他の人にうむを言わせない力によって強引に平和を打ちたてることが、小さな集まりから国際政治の上まであり、それが良い場合もありますが、教会がそうであってはなりません。エフェソ書の2章14節でパウロは「キリストはわたしたちの平和であります」と教えています。教会にある平和は力の平和ではなく、あくまでも、二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されたキリストに根ざしているのです。
こうして「霊による一致」ということに入ります。霊による一致と言う言葉がわかりにくいためにこれを「ひとつの心で」と解釈する人がいますが、そんな単純なことではありません。霊による一致とは聖霊による一致のことです。
4節に書いてあるように霊は一つ、聖霊は一つです。聖霊は決していろいろな出所があるのではなくて、ただ父なる神とイエス・キリストを通して来ます。聖霊はペンテコステの日に初めて来たのではなく、旧約聖書にも天地の初めから存在し、たびたび登場していますが、みな一つです。第一コリント書12章13節は言います。「一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるためにバプテスマを受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」。
私たちはただ同じ教会に来ているから一つであるのではありません。聖霊によって一つになっているのです。聖霊は父なる神、イエス・キリストと同じく神であられます。自動車がガソリンがなければ走れないように、一人ひとりの信者は教会において聖霊からエネルギーを頂かなければ生きてゆけません。パウロは、一つの聖霊の恵みを受けていながら、一人ひとりがばらばらであって良いのですかと言うのです。
「霊による一致を保つように努めなさい」と書いてあります。聖霊による一致は、すでに現実となって与えられています。これは人間が努力して作り出すものではありません。…けれどもこれを損なわないよう、失わぬように保ち、守り続けることが求められています。神様の側では教会員たちを聖霊によって一つになさっています。それが壊れたとすると、それは神様ではなく人間の責任なのですから、神様が一つにして下さったものを人間は守り通してゆかなければなりません。
聖霊による一致を保つということは、キリストの体なる教会において起こります。(エフェソ書の1章23節で教会がキリストの体であると教えられています。)教会がキリストの体であるというのは、イエス様という頭の下にある体、手や足や臓器のひとつひとつが、教会とそこに集まっている一人ひとりなのだとイメージすると良いでしょう。私たちがそこに入っていることは何と恵まれたことでしょう。…もしも教会の中で争いが起こったりするなら、愛に基づく忍耐によって問題を解決していくべきです。多くの場合、一つの体の中で矛盾が表面化しただけですが、かりにキリストの体の中にサタンというもう一つの頭が出現して、体を乗っ取ってしまおうとしていたなら、サタンを排除して、キリストとかたく結びついた純正な体を取り戻すことが求められます。「主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ、すべてのものの父である神は唯一」でなければならないからです。
最後にパウロが救われた時のことを思い出してみましょう。もともとキリスト教の敵だったパウロがダマスコ途上で天からの光を見て地に倒れた時、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声が聞こえました。パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と聞くと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という答えがありました。…主イエスは、パウロに対して、「なぜ、わたしの教会を迫害するのか」と言わなかったのでしょう。主は「なぜ、わたしを迫害するのか」と言われたのです。キリストと教会がひとつである、そのことをキリストご自身が明らかにしておられます。
その教会の中に私たちの教会も入っているのです。広島長束教会もキリストが建てたキリストの体であり、キリストがご自身と同一視される教会です。この教会で礼拝し、救いを約束された私たちに今日、人生を生きる糧が与えられました。愛をもって互いに忍耐すること一つとってみても、それは聖霊による一致がなせるわざであり、聖霊は父なる神、イエス・キリストと共に一つの神として私たちの礼拝を受け入れ、私たちを正しい道に導いて下さっています。
(祈り)
天の父なる神様。コロナ禍のために世界中が混乱し、私たちが今生きている場所も閉みな塞状況にある中、神様がみ言葉を通して、教会がいかに大切かを教えて下さいました。神様が私たちの疲れた心をいやし、慰めと励ましのメッセージを送って下さったことを心から感謝いたします。
神様、今がこんな状況だからこそ、私たちの教会に絶望を突き抜けた希望と夢があり、それが私たちの家族や知人、さらに周囲の、まだイエス様に出会っていない人々にまで広がってゆきますようにと願います。私たちがイエス様を信じる心をますます確かなものとして下さい。私たち一人ひとりは違っていても、キリストの愛をもって互いに忍耐し、聖霊によってひとつの心になることが出来ますように。子どもたちがすくすくと成長しますように。教会に集まる人の間に、互いにイエス・キリストにあって思い合い、助け合い、尊重しあう、本当の意味での聖徒の交わりが打ち立てられ、その中にいま教会から離れている人も帰ってきますようにと願います。こうしてイエス様の愛をこの教会に輝かせて下さい。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげいたします。アーメン。
イザヤ書2章4節のこの言葉は、ニューヨークの国連本部のある大きな壁に英文で刻まれているということです。
エルサレムという言葉の中で、サレムというのはシャロームと同じ、平和という意味があります。ですからエルサレムには「平和の基礎」とか「平和の所有」という意味があります。だからその名前からいっても平和の都でなければならないはずです。しかし、この都は有史以来、いくたびも戦乱に見舞われてきました。イザヤの預言もそのことを踏まえて読む必要があります。
神はエルサレムこそが世界の中心として高くそびえると言われるのですが、イザヤが預言した当時、この都はアッシリアに苦しめられまし、紀元前586年にはバビロニアによって滅ぼされ、神殿は破壊されてしまいます。
その600年ほど経って登場された主イエスがエルサレムの都をどんなに大切に思っていたことか、しかし主はこの都が見えた時、泣かれました。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」…この意味はなかなか複雑なところがありますが、神に背き、不信仰なエルサレムに神様の怒りが下りますよという警告として読むべきでしょう。旧約聖書をよく読むと、今日のところのようにエルサレムが祝福されているところばかりでなく、エルサレムに災いが警告されているところがあるのです(イザヤ29:1~4、エゼキエル4:1~3)。神様が、エルサレムに対して祝福と災いを両方述べられていることは重要な意味を持っています。
エルサレムがその名の通り、本当に平和の都となるのはどのような道筋を通ってでしょうか。
皆さんご存じのようにエルサレムは今、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として世界で最も危険な都になっています。焦点となっているのはイスラエルとアラブ諸国、ユダヤ教とイスラム教の争いです。トランプ政権に強い影響力を持っているアメリカの一部のキリスト教がイスラエルに加担しており、この人たちは次のようなことを信じています。
「神がアブラハムと子孫にカナンの地を与えたから、この地はイスラエルのものである。アラブ人は出て行け。1948年のイスラエル建国は聖書の預言の成就、イスラエルはサタンの勢力との最終戦争に勝つ、そうしてシオンの山にイエス・キリストが再臨されて、世界の終末が来るのだ」と。…しかし、待って下さい。これではイスラエルとイスラム教の国々の対立が戦争を引き起こし、想像を絶する結果になりかねません。
皆さんは、恐ろしい戦争を経て「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」平和な世界が来ると言われても信じられますか。それが聖書が教えていることなのでしょうか。…聖書のそのような読み方は明らかに間違っています。…神はたしかにアブラハムと子孫にカナンの地を与えると言われましたが、アブラハムの子孫はユダヤ人だけでありません。
イシュマエルに等の子孫であるアラブ人もいるのです。また平和な手段を通してこそ平和が実現できるのであって、戦争によって平和な世界が実現すると考えるのは誤っています。全世界のキリスト教徒はやはり虚心坦懐に聖書に立ち帰り、世界が主なる神を仰ぐということを、「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」ということを踏まえて、考えなければならないところに来ています。
戦争は、宗教がうみだすというよりは、宗教を利用した勢力が起こすという面が強いように思いますが、しかし信仰者が戦争を克服し、平和を実現するために力を尽くすのは当然です。現在、諸宗教間の対話が叫ばれ、ユダヤ教とキリスト教の対話や、キリスト教とイスラム教の対話などが模索されていますが、この動きを育てていかなければなりません。今後どのような展開をたどってゆくのかわかりませんが。いつの日か世界の人々が平和の内に神様を仰ぐ日が来ます。だから、エルサレムから遠い所に住む私たちとしても、キリスト教信仰に固く立った上で、違う信仰や考え方の人々と対話しつつ、それぞれがいる所で少しずつでも平和を作り出すことが期待されています。
イザヤに示された幻は、いくら不可能なことに見えようとも、神様が示して下さったものですから、必ず実現します。神様は罪と悲惨なことがうずまく世界を深いみこころによって導き、神に逆らう者を罰し、悔い改める者を恵みのみわざによって報われます。そして、その道の向こうに、神が人と共に住み、人は神の民となる、全く新しい世界を平和のうちに造りあげて下さるのです。
主なる神はイザヤに託して、「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」と呼びかけられます。ヤコブの家、イスラエルがその罪を悔い改め、主の道に歩もうではないか、その先にあれほどに輝く未来があるということが、この私たちにも呼びかけられています。イエス・キリストによって神を礼拝し、その御言葉によって歩む、「主の光の中を歩む」人生が一人ひとりの内にありますようにと願います。
(祈り)
恵みと憐みに富む天の父なる神様。かつてイスラエルの民を忍耐をもって導かれた神様が、いま私たちにこの礼拝の時を提供し、私たちに出会っておられます。神様は私たちに対しても、相当な忍耐をもって導いているにちがいありません。どうか、心のにぶい私たちを憐んで下さい。
神様、み言葉をみ言葉と思わず、建前に過ぎないと思ったり、きれいごとのように見なしてしまう心をどうかおゆるし下さい。罪が蔓延する世に生きて、それに慣れ、そこが心地よいと思ってしまうこともあります。それでいて、罪がめぐりめぐって、危機が迫ってくるとあわてふためいてしまうのです。
私たちはみな社会の中ではとるにたりない者かもしれませんが、それでも この世に生を受けた理由があるはずです。誰もが、神様によって与えられたその人にしか出来ない人生があることを覚え、現実がどれほど厳しくとも、信仰の道の向こうに輝く未来があることを心の支えとして、喜びをもって毎日を積み重ねて行くことが出来ますように。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
預言者イザヤが見たもの youtube
イザ1:21~2:5、ルカ19:41~44
2020.9.20
皆さんはこれまで信仰生活を送ってこられる間に、教会が語っていることと、ご自分が見ている現実が全然違っているように見えたことがないでしょうか。いろいろあると思います。…要するに、教会が語っていることがまるで絵空事か夢みたいに思えてしまうということです。教会は、現実がどうあろうとそれに引っぱられることなく、神様が教えられたことをそのまま語ろうとしますが、その時、現実との乖離が生まれてくるように思えることがあるのです。
今日与えられた箇所もその典型的な例で、前半の部分はこれでもかというように悲惨な現実が語られていて、これはありえることだとしても、それが2章になって突然、想像も出来ないような光景に変わりますから、唖然とされた方がおられたかもしれません。直接イザヤの口から聞いた人にとってはなおさらでしょう。これはいったい何のことなのでしょう。見ての通り、1章の後半と2章の前半はひと続きではなく別々の時になされたものですが、年代的には同じ頃だと考えられます。「終わりの日の主の神殿の山は、山々の頂きとして堅く立ち」とか「剣を打ち直して鋤とし」といった言葉は、目も前の現実とはあまりにもかけ離れたことなので、そのために驚き、涙を流して喜んだだろう人がいた一方、冷笑、無視などさまざまな反応を呼び起こしてきたに違いありません。
当時がどのようなど状況だったかと申しますと、イスラエル民族にとって、分裂国家の片方であるイスラエル王国はすでに滅び、エルサレムを首都とするユダ王国がかろうじて残っていたのですが、そこにも超大国アッシリアの軍隊が押し寄せてきていました。紀元前701年、エルサレムはアッシリア軍に包囲されてしまい、王を初めとしてエルサレムの住人は誰もがふるえていただろうことが想像されるのですが、この時イザヤもエルサレムにいて、神様から取り次いで語ったのがここにある言葉なのです。
ここで神様とユダの人々の関係を親子関係になぞらえてみます。子の悲惨なありさまを見た親は、「だから言ったじゃないか。親の言うことを聞かないからこんなことになったんだ」ということがよくありますね。神様がここで言われたことにもそういうところがあるのですが、一方、違う面もあります。親はそういう場合、子に具体的な、現実的な解決策を示すことが多いわけです。神様にとってはこの場合、戦いに勝つための作戦を指導するとか、アッシリアに対抗して別の大国と手を結ぶというような策を示してもよく、人々もそのことを求めているはずですが、そうはなさりません。別の道を示していることに注意して下さい。
イザヤ書1章の後半は「どうして、遊女になってしまったのか。忠実であった町が」という、神の怒りと嘆きの言葉で始まります。…現在と過去が対比されています。昔は神様に忠実であった町がいまは遊女に、そして、かつては公平が満ち、正義が宿っていたのに、今では人殺しばかりだと言われます。
22節の「お前の銀は金滓となり」ですが、鉱石を溶かして銀を抽出する時、注意を怠ると銀に不純物の混じった使い道のないものが出来てしまうそうです。お前たちは銀の成り損ねなんだということで、これは水で薄められた良いぶどう酒も同じ、新約聖書で言えば塩気がなくなった塩にすぎません。
23節、「支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり、皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する」、その結果、いわゆる弱者と呼ばれる人たちの人権は顧みられません。これはまるで、現在、どこかの国で起こっているかのようなことです。いま賄賂のことで疑惑の渦中にある政治家も昨年、法務大臣になった時、そこの長束小学校に来て、校長先生から「私たちの郷土からこんな偉い人が出ました」と紹介されてみんなで祝福しただけに、子どもたちの心に与える影響が心配になります。
さて神は堕落したあげく、外敵に囲まれて生きるか死ぬかの瀬戸際に立っているユダに対して、とりあえずの処方箋を提供なさいはしません。そこで示されたのは、神の裁きです。神はご自分に反逆した者を罰すると言われます。…手を伸ばして彼らを打たれます。使い物にならない銀に等しいエルサレムを、もう一度溶かして不純物を取り除き、純粋な、価値ある銀にされます。このことはエルサレムの為政者に対しても言われます。裁きを行う者や参議がしっかりなってこそ、エルサレムは正義の都、忠実な町と呼ばれるようになるでしょう。…ただ、そこに至るまでには悔い改めがなくてはなりません。
「シオンは裁きをとおして贖われ」とあります。シオンとはエルサレムのこと、贖いとは代価を払って買い取ることです。神様が自ら代価を払ってシオンとそこにいる民を買い取り、救われるということですね。…一方、神に反逆する者たちはこの恵みにあずかれません。滅亡があるのみです。樫の木を崇拝し、その木のもとでいけにえをささげていた人たちに与えられたのは、彼らが期待していた栄光ではなく、恥とあざけりにしか過ぎません。世の中で強い者と目されていた人たちも麻の屑のように、燃えて消えてしまいます。いのちの根源である主なる神に背いたからです。
さて、ここまで見た上で2章の言葉に入ると、皆さんは、車でひどい道を走っていたのに急に別世界に入ったかのような感じになるだろうと思います。イザヤがユダとエルサレムについて見た幻は、それまで目にしてきたものとはあまりに違いすぎ、素晴らしすぎるのです。そこで示されたことは2020年の今でも実現したとは言えません。
…しかしながら、神様のそれまでの言葉の中に、神の裁きとそれによって打ち立てられる正義が教えられていることを見て取るなら、このような展開になることもありえると思われませんか。私たちが、神の裁きだけを見ているなら、そこから出て来るのは暗黒の未来です。しかし神は裁きをとおして罪人(つみびと)を贖われ、純粋な銀のように精錬し、救われるお方です。暗黒の現実の中に光が、信じられないような世界が突入してきたのです。
それは「終わりの日に」と書いてあるように、終末の日、未来の情景です。
「主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる」、
エルサレムは海抜790メートルの所にあり、その東に突き出ている丘を主の神
殿の山と言いますが、これは、その山が盛り上がってエベレストより高くなる
ということではありません。ここが、神の栄光と恵みのゆえに世界の中で輝く
ということです。世界中の民が「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主
はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と言ってやって
きます。それは、その場所で主の道が示されるからです。世界の人々がこぞっ
て集まってくるのは、この神様が世界の主であることを認めているからです。
「国々はこぞって大河のように」やって来ます。「主の教えはシオンから、御
言葉はエルサレムから出る」、そうして全世界に広がってゆくのというのです。
しかし、これはあまりにも空想的なことではないでしょうか。イザヤの預言があった時代、アッシリアはその軍事力をもって、超大国として当時の世界を支配していました。ユダはいつまでもつかわからない弱小国でエルサレムの陥落も近いとみなされていたのですが、そんな中で、神はエルサレムこそが世界の中心として高くそびえ、そこから語られる主の教えを求めて世界中の諸国、諸国民が集まってくるというのです。唖然とするような情景です。
その時、世界はどうなっているのか、イザヤは語ります。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」
こちらも唖然とするような情景で、キリスト教会2000年の歴史の中では、聖書にこの言葉があることを知ってはいるけれども、総論賛成、各論反対で、尊重はするけれども実際には出来るわけがないと思っている人が多かったかもしれません。ただ、それがどうであっても、神様から世界に向けてこの言葉が与えられたことは確かなのです。…神様が世界から争いの根を断ち切られるのです。戦争のための武器は必要がなくなるので、世界中の人々が「剣を打ちなおして鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」、武器を農具に変えるのです。
天から示されたことに背かず youtube
詩編17:1b~5、使徒26:19~32
2020.9.13
人がイエス・キリストに出会って信仰を持つ、その体験は人さまざま、多種多様です。パウロは劇的な回心をとげましたが、それに似た体験としてはイギリスの著名な伝道者ジョン・ウェスレーが1738年5月24日の夕方に突然回心したという話がありますし、内村鑑三は当初キリスト教に徹底的に反対していたにも関わらず「イエスを信じる者の誓約」に半ば強制的に署名させられた途端、熱心なキリスト者となっています。…一方、これと反対なのが、信者の家に生まれ育って自然に信仰を持った人で、聖書ではパウロの弟子だったテモテがそれにあたります。彼は信者であるおばあさんと母親の感化を受けて、自然に信者となりました。…さらに劇的な回心とは言えず、信者の家庭に育ったわけでもないのですが、人生でいろいろな体験を経て、その中で主イエスとの出会いを与えられたという人もたくさんおります。
どれが良いとか悪いとかいうことでは全くありません。神様がそれぞれの人にふさわしい主イエスとの出会いの場を与えて下さったからこそ、皆さんはこうして礼拝のために集まってきているのです。自分から信仰を求めてこの道に入った人であっても、そうでない人でも、大切なことは神様が一人ひとりに出会って下さったということ、つまり天からの導き、天から示されたことがあったということです。
パウロの裁判を引き続き、学んでいます。総督フェストゥスは、多くのユダヤ人から糾弾され、憎しみの的になっているパウロをアグリッパ王の前に立たせて、調べさせましたが、そこで行われたパウロの弁明は、たいへん熱がこもったものでありました。
パウロは、自分はユダヤ人たちが長い間待ち望んだ神の約束の実現ということに望みをかけたために、ユダヤ人から訴えられているのだと言います。なぜそんなことになったのか、そこでは死者の復活ということが問題になっています。パウロは、そのことが十字架につけられて死んだナザレのイエスに起こったというのが信じられなくて、キリスト教徒を迫害したが、まさに復活したイエスが現れて、自分に宣教の務めを与えて下さったのだ、と言うのです。
18節、「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。」
パウロはここで「天から示されたことに背かず」と言っています。パウロが劇的な回心を経て各地をまわって伝道したことは、自分の頭で考えたことでも自分の思いからでもなく、天から、すなわち神様から示されたことなのだと。天から示されたことを啓示と言います。パウロは天から示されたことに従って、「メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると語ったのです。」
パウロがそのように弁明していた時、フェストゥスが大声を出して話をさえぎりました。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
パウロは頭がおかしいのでしょうか。私たちのほとんどは、洗礼を受けて信者になっているわけですから、パウロは頭がおかしいなんて思ってはいませんが、しかし、そういう人ばかりではありません。
そもそもフェストゥスはローマ帝国から派遣され、赴任してまもない人物で、異教徒です。ユダヤ教についてもキリスト教についても知識はあまりありません。パウロが学問のある人だということだけは、話を聞いているうちにわかったはずですが、そこで言われていることが、十字架につけられて死んだイエスが復活したとか、現れたとか、この人にとっては初めて聞くことでありますし、またあまりに途方もないことなので、ついて行けなくなったのでしょう。
こうしたことは、今日でもひんぱんに起こることです。キリスト教信仰を知らない人にとってはまず、イエス様が十字架につけられたことがつまずきになります。2000年前と同じく現代でも、多くの人が十字架から目をそむけて生きています。十字架を見なさいと言われるだけでもつらいのに、今度は十字架につけられた方が復活なさった、この方こそ救い主だと言われる、いったい何の話なのかというのが本音ではないでしょうか。
フェストゥスは、まじめで熱心そうな、ファリサイ派の律法学者としては一流の人物だったらしいパウロが、なんでこんな突拍子もないことを信じて、ユダヤ人から命を狙われながら、それをひろめようとするのか、理解することが出来ません。そこで、学問のしすぎで頭がおかしくなったのだと言ったのです。
これに対しパウロは答えます、「わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。」
「理にかなう」ということですが、これは「頭がおかしい」の反対語です。元の言葉を辞書で引くと「気が確かである、分別がある」という意味があります。
…一方、日本語で「真実」というと、「偽りではないこと、まこと、本当」といった意味ですが、元の言葉には更に深い意味があります。「真実」はギリシア語では「アレテイア」と言います。これは「隠れる」という意味の言葉から派生して出来たと言われています。つまり、「真実」という言葉には「隠れていない」「顕わにされている」という意味があるのです。
パウロが語ったことはフェストゥスでなくても、にわかには信じられないことでしょうが、それは真実です。神によって、隠されていたことが顕わになったのです。いくら信じがたいことであっても、天から示されたことでありました。パウロが宣べ伝えるキリストは、神によって隠されていたことが顕わにされたことであり、それこそが真実なのです。
パウロはもともとアグリッパ王に向かって話していまして、そこにフェストゥスが口をはさんだのですが、もう一度アグリッパ王に顔を向けます。「王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきり申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。」
王はよくご存じですというのは、これがどこかの片隅で起こったのではないからです。イエス様が死んで、復活され、そこから始まったことは、どこかの片隅で、誰にも知られずに起こったことではありません。イエス様の十字架の死はエルサレムの都で起こり、天下に周知の事実でしたし、復活についてパウロは第一コリント書15章5節6節でこう書いています。「ケファに現れ、その後十二人に現れた…次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。…大部分は今なお生き残っています」。つまりキリストの復活は、当時何百人もの証人がいたくらいの確かな出来事だったのです。そして、パウロが語ったことが彼の妄想でもなんでもないということは、キリストを信じる群れがエルサレムから始まって、各地で大きく広がり続けている事実からわかるのです。アグリッパ王なら、そのことを知らないはずはありません。
パウロはそこで王に決断を求めます。「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
アグリッパ王はイドマヤ人という少数民族の出身でしたが、まがりなりにもこの時ユダヤの王になっていて、ユダヤ教徒として認められており、割礼も受けていました。「預言者たちを信じておられますか」と問われたら、本心はともかくとして、「信じていない」と答えるわけにはいきません。それでは「信じている」と言ったらどうなるか、パウロから「それではイエス様を信じて下さい」と言われでしょう。
この時、パウロはアグリッパ王に福音を伝えようと真剣勝負に出ているのですが、王の方では質問から逃げているようです。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」。ここは原文が非常に難しい文章で、いくつかの解釈があります。アグリッパ王は信者になる気は毛頭なかったというふうにとる人がいて、新共同訳聖書もその立場に立っています。ただ、フェストゥスが話をさえぎらなかったら、どうなっていったかはわかりません。
パウロは王ばかりでなく、そこにいたすべての人が自分のように信仰を持ってくれるよう願っていることを表明しました。そうすると王は立ち上がり、フェストゥスもその他の人たちも立ち上がりました。そのあとのことを見ると、みんなパウロに同情的で、アグリッパ王は「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と、むしろパウロをかばっています。学者の中にはそのようなことを総合的に判断して、「王の本心はクリスチャンになりかけていたのだが、メンツを保つため、パウロに対して強がりを言ったのだろう」と考える人がいて、これが案外正しいのかもしれません。ただ王がその後クリスチャンになったという記録はないようです。そうするとパウロの伝道は失敗したということになるのですが、しかしそれでも、これが無益だとか徒労だとか言うことは出来ません。成功しても失敗しても、パウロのように命を張って福音を伝えることが大切なのは言うまでもないことですし、彼の弁明がこうして記録されたことから、信仰に導かれる人がいるに違いないのです。
パウロの言葉はフェストゥスにはばかげたことに思え、アグリッパ王の心を動かした可能性がありますが、あと一歩というところがなかったようです。初めにお話ししたこととも関連しますが、今の時代、大多数の人は、生きるのに精いっぱいで、毎日どうやって働いて、食べてゆくかということに心と体を費やしていますから、そこにイエス様の十字架や復活、そこから始まる素晴らしい恵みを話しても、残念ながら何がなんだかわからないということが多いです。でも、それもある意味、当然かもしれません。キリストから与えられる恵みは、人間が考え出したものではないからです。
宗教はどれもみんな同じで、キリスト教もその一つなんだろうと思っている人もいますが、その考えは間違っています。神道も仏教もある程度の高さには達します。
特に仏教では深遠な教えが説かれていますが、しかし両者とも人間がつくりだしたものなので、教えを奉じて山に登り、誰も足を踏み入れたことのない高みに達したとしても、そこから天に向かって飛び上がることは出来ません。
これに対しキリスト教は天から示された教えです。人間が到達することの出来ない天から、どのようにして教えを受けることが出来るのか、それがイエス・キリストが天から降りて来られたことで、成し遂げられたのです。
パウロはキリスト教徒を迫害していた時、自分の思いで、これが良かれと信じたことを行っていましたが、それが復活したイエス・キリストの出現によって打ち倒されました。神は覆い隠されていたことを現わされました。こうして古いパウロは死に、この時誕生した新しいパウロはそれ以後、自分の思いではなく、天から示されたことに従って走り続けたのです。パウロが語ったこと、教会が語っていることは、初めて聞く人はいったい何のことかと思ってしまうでしょう。しかし天から示されたことなので、信じるほかないのです。その時、全く新しい世界が扉を開くのです。
皆さんそれぞれに与えられた復活したキリストとの絆がさらに強められますように。
(祈り)
天におられ、私たちをご覧になって下さる神様。今日もこうして、イエス様のとりなしによって私たちの礼拝を受け入れて下さることを感謝申し上げます。
むかし私は、私が信者であることを知っているある人から、「イエス様はどうして十字架にかけられたのだ」と聞かれたことがあったのですが、その人を納得させるだけの答えが出来ませんでした。世間の人はキリスト教が理解できません。フェストゥスのように「頭がおかしくなったのだ」と思っている人がいるだろう中で、質問してくる人ははるかにましです。そういう人にわかってもらえる言葉を信者の誰もが語ることが出来ますようお導き下さい。
いまコロナ禍で大勢の人が集まることが出来ません。人と人との距離がどんどん遠くなって、その陰で苦しんでいる人が増えていることでしょう。神様、どうか教会がいまの時代の人々に、神様からのメッセージを届けることが出来るために、主イエスと私たちの絆をさらに深めて下さい。そして、天から示されたことを誰にもわかる言葉で伝えるすべを身につけさせて下さい。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
闇から光に youtube
イザヤ42:5:7、使徒26:1~18 2020.9.6
使徒言行録を読んできて26章に入りました。パウロはカイサリアで2年間、牢獄に監禁されていましたが、新しく、ローマ帝国の総督フェストゥスが赴任したことで、裁判が再開しました。フェストゥスは、地位の上では自分の配下になるアグリッパ王が妹のベルニケと一緒に挨拶に来たので、この機会をとらえて手伝ってもらうことにしました。パウロが自分の裁判をローマ皇帝に上訴したので、皇帝に書き送る文章を作らなければならないが、彼が死罪に当たるような罪を犯しているとは思えない、書き方がわからないのでまず彼を取り調べてほしいということです。こうして、アグリッパ王の前でのパウロの弁明が実現しました。
アグリッパ王がパウロに、「お前は自分のことを話してよい」と言ったことで、パウロは弁明を始めました。そこで言われていることは、自分の生い立ちとキリスト教徒を迫害したことと、有名な彼の回心の出来事などです。皆さんは、これはもう何回も聞いたことじゃないか、何を今さらと思われるかもしれません。パウロの回心の出来事は、聖書では9章、22章に続いてこれが3回目となります。ただ、たいへん重要な出来事なので、ここで繰り返されているのです。また、ほかの2つにはない特徴がありますので、心して読んで行きましょう。
パウロはここでたいへん力を込めて弁明しています。話を始めるに当たって、「手を差し伸べて弁明した」というのが、ちょっとぎょうぎょうしい感じがしませんか。「王よ」とか「アグリッパ王よ」という呼びかけも、この機会を決して逃さないという思いが伝わってくるようです。パウロはもちろんどんな時、どんな相手に対しても、渾身の思いを込めて話をしていましたが、社会的地位の高い人はそれだけ影響力が強いわけですから、その人たちに語る意義というのがあるのです。この先28節で、アグリッパ王はパウロに「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と言っています。この弁明を聞いている王に、何とかしてこの信仰をわかってほしい、クリスチャンになってほしいと祈りつつ、証ししているのです。
アグリッパ王はヘロデ王家の一員で、その中でも特にユダヤ人の信仰についてよく知って、精通しており、そのことは歴史書にも記録されているそうです。そこでパウロも「王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存じだからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします」と頼みます。その上で、まず王に言ったことは、自分が私たちの宗教、つまりユダヤ教の中でいちばん厳格な派であるファリサイ派の一員であったということです。
これは、いまパウロに敵対し、彼を亡き者にすることを願っている人たちも、みんなよく知っていることなのです。
ところが、パウロは意外なことを証言します。「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです」。
パウロのこの発言、何か奇妙だとは思いませんか。…パウロが仮にユダヤの伝統的な信仰からはずれて、新しい、全く違うものを持って来たとするなら、それが問題にされて、裁判沙汰になることもありえます。想定の範囲内です。ところが伝統的な信仰から少しもはずれることなく、神様が先祖に与え、今もユダヤ人が受け継いでいる約束の実現に、同じように望みをかけているのだとすれば、なぜ訴えられたのかわけがわからなくなります。「私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを待ち望んでいます」。まさにそうなのです。「王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。」こんな奇妙な話があるのかということなのです。
いったい、神がお与えになった約束とかその実現とは何でしょう。それは「神が死者を復活させてくださる」ということです。死者の復活ということをユダヤ教徒の中で、サドカイ派は否定していたものの、ファリサイ派は熱心に信じて、そこに究極の望みをかけてきました。それも当然です。死者の復活は信じがたいことではありますが、旧約聖書のダニエル書に書いてあり、また、もしもこれがないとすれば人はいったい何のために生きているのかということにもなってしまうからです。
パウロは「神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか」と問います。求めていることは同じなのに、考えが分かれてしまうのはなぜなのか、その理由は、復活したかどうか議論されているのが、十字架につけられて無残に息絶えたあのイエス、だったからです。昔のパウロも、死者の復活に望みをかけていたのでしょうが、それがこともあろうにイエスの身に起こったとは信じられなかったので、これを信じる人々を許すことが出来ず、迫害して、男女を問わず縛り上げ、殺すことにも関わっていたのです。
以前、横浜海岸教会である牧師が「パウロはイエス様の十字架を見たにちがいない」ということで説教したことがありました。パウロは初代教会が始まった頃、青年で、エルサレムにいたので、イエス様を見たかもしれませんが、証拠はありません。皆さんそれぞれの判断にお任せしますが、問題はユダヤ人を中心とする大勢の人々の軽蔑と憎悪の中、無残でみじめきわまる姿をさらして死んだイエスを信じることなど出来るかということですね。
…私たちにも、有名人でも誰でも良いのですが、この人がこんなみじめな最期を遂げたのは自業自得じゃないか、とみなしている人がいるかもしれません。その人のことを忘れようとしていたのに、誰かがその人は立派な人でしたなんて話をしたら、耳をふさいでしまうのではないでしょうか。まして、死んだはずのその人がどこかに出没するなどと聞いたら、いい加減にしてくれと思うでしょう、
パウロは他のファリサイ派の人々と共に、死者の復活という望みを抱いていましたが、それが、あのイエスが復活したという具体的な話になった途端、拒否反応を起こして、この教えを撲滅しようということで、こり固まってしまったのです。しかし、そこにイエス・キリストが直接現れて、これを打ちこわしてしまわれました。
キリスト教徒を見つけ次第、つかまえて連行しようとダマスコに向かったパウロは、突然、天からのまばゆい光を見て、地に倒れました。この時、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という声が聞こえ、それがパウロが迫害しているイエス様だったことで、彼は劇的な回心をとげます。…この出来事は9章にも22章にも書いてありますが、比べてみますと、ここだけしか書いてないのが「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という言葉です。…昔、農民が牛に鋤をつけ、後ろから操縦しながら歩かせる時、右手に「とげの付いた棒」を持っていたということです。牛が主人に反抗しようとして、後ろ足を蹴り上げようとすると、この棒にあたって痛い思いをするのだそうです。
このように、パウロがどんなにいきり立ってキリスト教徒を迫害しようとしたところで、それは彼自身を苦しめ、傷つけることにしかなりません、そう教えられたのです。…パウロはこうして、キリストの圧倒的な力の前に屈服しました。その体験は言うに言われぬものでありますが、パウロはイエス様に負けてこれで良かったのだと思ったはずです。…これ以降、再びキリストに反抗したり、信者を迫害しようとしなかったことは皆さんご存じの通りです。…パウロはもしかしたら、全力をふるってこの教えを撲滅しようとしていたさ中にも、この教えの真実をつかんでいたのかもしれません。
主イエスはご自分の前に屈服したパウロに対して、この時、使命を与えられました。「起き上がれ、自分の足で立て」。これは、パウロがイエス様を見たという驚くべき体験と今後イエス様から与えられることに対しての奉仕者、また証人にするための言葉です。続けて、「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」。ここで言われたことは、一つには民と異邦人の中から救い出されることで、もう一つは、民と異邦人のもとに遣わされることです。民と異邦人というのはすべての人々と言い換えて良いでしょう。
…なぜ人々の中から救い出されるのか、それは人々が、パウロを含めてですが、いま闇の中に、サタンの支配の中にいるからで、まず神がお選びになったパウロが救い出されなければなりません。そして今度は、パウロが、闇の中、サタンの支配の中にいる人々に遣わされなければなりません。
主イエスがパウロに言われたことは、聖書を通してすべてのキリスト信者にも向けられたものです。だから、パウロのような偉人ではさらさらない私たちもこの務めを重んじなければなりません。…私たちは、本当の神様を知らない世の人を、あの人たちは闇の中にいるなどと見下した言い方は出来ません。私たちはこうして毎週教会に通ってはいても、半分以上は闇にどっぷりつかったようなもので、天からの光によってかろうじて神様につなぎとめられているような存在でしかないからです。私たちは誰も闇の中、サタンの支配の中にどっぷりつかっています。しかし、それがすべてでないことを知っているだけ恵まれています。私たちは日曜日に、この世の闇の力から解放されてイエス・キリストと出会い、今度はキリストの恵みをたずさえて、再びこの世へ、闇の中へ、これに神のことばをもってたたかうようにと派遣されていくのです。神様がその時目指しておられるのは、私たちと私たちの愛する人たちが、主イエスへの信仰によって罪の赦しを得、すでに聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためです。
今日の説教題である「闇から光に」というのは、あまりにも大きなテーマで十分に語ることが出来ないのですが、パウロがこうして、闇から光に、サタンの支配から神の支配に移されて以来、教会は世界の果てにまで出かけていって、人々に、ここにこそ真理があると、イエス・キリストがもたらした救いに立ち帰るようにと呼びかけて2000年の歴史を積み重ねてきました。
しかし今日の世界と日本は、コロナ禍がなくても混とんとしており、キリスト教が唯一絶対だと言うと独善的だとか、原理主義だなどと批判されることがあります。宗教はどれも同じだというような相対主義の考えもはびこっています。…まさにそうした社会の中で、私たちはイエス・キリストを証ししていかなければなりません。
まことの救いはイエス・キリスト以外にない、私たちはこのことを決してゆるがせには出来ませんし、この前提の上に立ってのことですが、キリスト教会やキリスト教徒がこれまでしてきたことがすべて正しかったとはとても言えません。
今日においては、自分たちを絶対化するのではなく、他宗教との対話を進めて行かなければ、宗教の側から世界の平和に寄与することは出来なくなっています。だから、キリストはいつ、いかなる時も正しいけれども、キリスト教徒は間違いを犯すことがあると自覚していることが大事です。自分たちが光の側に立っていて、自分以外は闇だと決めつけるのではなく、自分たちの中にも闇があることを自覚し、これがキリストによって打ち砕かれて光のもとに導かれることを祈り、求めてゆかなければなりません。そうしなければ回心前のパウロのように、自分は光の側にいると思っていたのに、実は闇の側にいたということも起こるのです。まことの光であるキリストが一人ひとりの固い心の扉を開いて、明るい世界に導いて下さることを願い、求めてゆきましょう。
(祈り)
神様、神様が私たちに会って下さり、私たちの礼拝を認め、受け入れて下さることを、心から感謝いたします。
パウロがそれこそ自分の人生をかけてキリスト教徒を迫害していた時、もしかしたら自分がやっていることは間違いかもしれないという疑いが生じたかもしれません。そんなことをしていて心の平安があったのかと思います。だからパウロは主イエスに会って、打ちのめされ、屈服したことで、初めて平安が与えられたのでしょう。
私たちの中に、自分ではこれでいいのかと思いながら、仕方がないのだとあきらめてやっていることがあるかもしれまず、それはイエス様に歯向かっているために心に平安がないということなのかもしれません。神様に従って生きようとしながら、それが出来なくて袋小路に入っている心があれば、神様、どうかその人を憐み、闇から光に登る道をお示し下さい。
コロナ禍がおさまらない状況の中、今度は台風が襲ってきています。もしかしたらこうした天災も、人間が欲望のままに自然を破壊してきたつけが起こしているのかもしれません。神様、いま台風とたたかっているすべての人に力を与えて下さい、そして神をおそれる人が少しでも増えてゆくことで、かけがえのない地球を平和に保たせて下さい。
これらの祈りをとうとき主イエスの御名によって、み前にお捧げします。アーメン。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
youtube イザ1:10~20、ロマ3:23~26
2020.8.30
先月、私たちはイザヤ書の1章1節から9節まで読みましたが、そこで学んだことはおおよそ次のようなことでした。
1章1節に「これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである」と書いてあります。ウジヤ王の治世は、紀元前790年から740年頃とされていますが、イザヤ書6章ではイザヤはウジヤ王の死んだ年に預言者となったことが書いてあるので、イザヤの預言者としての活動開始は740年から、となります。東の超大国アッシリアの脅威が迫っていて、722年に北のイスラエル王国が滅亡し、南のユダ王国は困難な状況下でかろうじて生き延びていたのですが、701年にはエルサレムが包囲され、絶体絶命の状況になってしまいました。その中で、イザヤを通して語られた神の言葉が「災いだ、罪を犯す国、咎の重い民、悪を行う者の子孫、堕落した子らは」というものだったのです。神様は、牛やろばでさえ飼い主を大切にしているのにお前たちはなんだ、わたしに対して背信の罪を犯してきたではないかと言われるのです。イスラエルの民はいま、その結果としての苦しみをこうむっているのです。
私は職業柄、イザヤ書について勉強して、予備知識を持っていましたが、礼拝説教するということで実際に取り組んでみると、これまで知らなかったことが次々に出て来るので驚いています。こうして毎週、神様のことを語っていても、神様は自分が思っていたよりはるかに大きな方だったということが突きつけられてくる思いです。順次お話ししてゆきましょう。
もしも皆さんが神様から直接、「あなたはわたしに背いているではないか」と言われたとしたら、どのような返事をするでしょうか。「神様、その通りです。何とも申し訳ありません」という人もいるでしょうが、おそらく「神様、それは誤解です。私は神様を第一にしてこれまで過ごして来ました」という人も多いのではないかと思います。イザヤの預言を聞いた人たちが何と言ったのか、書いてありません、おそらく同じような答えが多かったと思うのです。人間は誰でも自分を守ろうとするからです。しかし、神様の方ではそういう反応が出ることを最初から織り込み済みで、今度は言い訳も反論も出来ない事実を突きつけて来られるのです。
神様はまず「ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。ゴモラの民よ、わたしたちの神の教えに耳を傾けよ」と言われますが、これはたいへんに厳しい言い方です。死海の沿岸にあったソドムとゴモラは、悪徳が積もり積もった結果、神様によって焼き滅ぼされた町で、その名前をもって呼ばれるというのはよくよくのことです。
ソドムとゴモラの罪とは何であったか、キリスト教会2000年の歴史の中では、同性愛のために滅ぼされた町と言われたこともあったのですが、今日、性的少数者の人権を尊重すべしという流れの中で、この解釈は行き過ぎであるとみなされるようになりました。性生活上の乱れがあったのは確かですが、根本は力の強い者が弱い者を虐げるところにありました。エゼキエル書16章49節以下にこう書かれています。「お前の妹、ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。」自分は高慢で、飽食三昧にあけくれながら、貧しい人を助けようとせず、神のみ前で忌まわしいことを行ったということが、ソドムばかりでなく、イスラエルの歴史の中でずっと続けられていたことがわかります。
これと似たことは現代世界にも已然として行われており、だから私たちも安閑とすることが出来ないのですが、では古代イスラエルの人々がそうなっていた原因はどこにあったのでしょうか。人間とはそういうものだという冷めた答えもあるかもしれませんが、これでは身もふたもありません。このような、乱れきった生活というのは、必ず腐敗した信仰生活と結びついているものです。イスラエルの人々が偶像の神々に心惹かれて、これを礼拝したことが、このことと結びついているのは間違いありません。
ただ、そうしますと11節以下に書いていることは何を言っているのでしょうか。そこで言われているのは、少なくとも異教の神々に礼拝をささげることとは違うのです。
「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる」。かつてエルサレムの神殿で動物を殺して、焼いてささげるという礼拝が行われていたことは、皆さんご存じの通りです。レビ記には、非常に詳細な規定が書いてあります。1章3節と4節は、「牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、…手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる」と言います。献げ物とする牛は、皮をはぎ、血を祭壇の四つの側面に注ぎかけた上で、全部煙になるまで焼き尽くす、このようにして主なる神にささげるのです。…もっとも、すべてが焼き尽くされるわけではなく、例えば牛を和解の献げ物としてささげた場合、ももの部分は祭司が食べ、残りはいけにえをささげた者たちが食べることが出来ました。
神に家畜などを献げるという礼拝は、古くは創世記のカインとアベルも行っており、それが自然発生的に起こったのか、それとも神の命令によって始まったのかということが論じられていますが、こういうことは学者に任せておいて、聖書全体から判断すると、神様がこれを認め、そうした礼拝を受け入れて来られたことは確かです。…ただ、そうなると、神様がなぜ12節で「誰がお前たちにこれらのものを求めたか」、13節では「むなしい献げ物を再び持って来るな」と言われたのかということになります。
この時代、イスラエル民族の間で偶像礼拝が浸透していたとはいえ、やはり本当の神を信じる人がいて、少なくともエルサレム神殿では、本当の神にいけにえをささげる礼拝が行われていたのです。しかし神様は献げ物を喜ばれない。それだけではありません。15節をご覧下さい。「お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない」、信者の熱心な祈りも聞いて下さらないというのです。
私たちはここから信仰生活がいかに厳しいものかということを思い知らされます。私たちの中にはもしかしたら、自分では信仰的とはとても言えない人生を送っていても、いざとなったら神様におすがりしたらいいみたいな思いがあるかもしれません。しかし、信仰生活はそんな甘ったるいものではないのです。
神様がなぜ人々の礼拝を受け入れられないのか、その理由は神様の命じられたことからわかります。「お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行し、搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。」
これは当時の人々にとって頭をがんと殴られるような言葉だったと思いますし、現代人にとってもにわかには認めがたい言葉です。私たちはそれぞれ信仰生活を送ってきた中で、礼拝こそ何より大切なものだと教えられてきました。礼拝こそ私たちの人生の中心であるべきだと信じてきました。しかし神様はここで、礼拝さえも受け入れられないと言われます。お前たちの礼拝には耐えられない、献げ物にも飽きた、祈りも聞かないと言われますが、その理由はお前たちの手が血まみれだからだというのです。社会の中で弱者を虐げておきながら、よく私の前に出ることが出来るなということでしょう
真実の神様の前で、礼拝が受け入れられないことがあることを知っておきましょう。私はここで二つ、思い起こすことがあります。
一つはどこの教派とは言いませんが、大聖堂における豪華絢爛な礼拝です。
みごとな聖像や聖画が置かれ、パイプオルガンに合わせて荘重な賛美歌が歌われる、そのような場にいると誰でも圧倒されるような思いになるものですが、もしもその教会の財産が貧しい人々から無理やりしぼりとったものであり、またそのメッセージの中で社会の不正義に対して目をつむったままでいたら、それは神様が喜ぶ礼拝なのかということです。また、これはアフリカのたしかセネガルという国に行った人から聞いたのですが、黒人を無理やり拉致してヨーロッパやアメリカに送りこんだ奴隷貿易の中心地が負の世界遺産となっているのですが、その地に立派な教会が建っていたことに衝撃を受けたというのです。かつて奴隷貿易で利益を上げていた人たちが、そのお金で教会を建てて、礼拝していたようです。
世界には、そしてもしかしたら私たちの足元にも、私たちが関わっているかもしれない悪事、キリスト者であることが恥ずかしくなるような現実があるのです。そのことに目をつむったまま、形だけ立派な礼拝をしていても、そんな礼拝を神様は受け入れられるのか、ということが問われているのです。
ここから、教会での礼拝よりも、実社会の悲惨な現実の中に出て行って、社会の不正を正す努力をする方がよほど大事ではないかという考え方も出てくるのですが、しかし聖書はそこまでは言っていません。人が偽りの礼拝をしりぞけ、正しい礼拝に立ち返ることから始めなければ、社会の改善も出来ないからです。ただ、その道はきわめて遠いのです。皆さんも考えて下さい。私たちがこうしてささげている礼拝は本当に神様が祝福して下さる礼拝なのかどうか、これを改善しようとするならどこをどうすれば良いのか、と。
イザヤの預言を聞いたうちの心ある人々も、悩んだはずですが、答えを見つけることが出来ず、お手上げ状態になったのではないかと思います。神は正義を要求されます、しかし人はこれを行おうとしても、それがどんなに難しいかを悟ります。こうして自分が罪人(つみびと)であることを知るのです。
さて、私たちもここまで来て、ではどうしたら良いのかということになるのですが、ここで神様は誰もが予想しないことをおっしゃっているのです。
「論じ合おうではないか、と主は言われる。」いったい何を論じ合おうと言われるのでしょうか。人間の側がいくら立派で豪華な礼拝をしてもだめ、「血にまみれた手を洗って、清くせよ」と言われてもなかなか出来ることではありません。私たちも、もしかすると、ほかの誰かの犠牲の上に裕福な生活をしているのかもしれません。…神様に向かってもう何も言えなくなったところに、み言葉が与えられます。
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。」
緋というのは赤がさらに赤くなった色、深紅です。なぜ、この色なのか、これは血の色かもしれないのですが、それが白くなるという神様の言いようは人間が想像もできなかったものです。ちょうど死刑を宣告された罪人(ざいにん)が、無罪放免になるばかりでなく、今後罪を犯さないという保証が与えられたようなものです。こんなことが信じられますか。
神様がこれまで問題にされていたのは、神様への礼拝さえも汚してしまう人間の罪だったわけですから、これは罪が消滅するということです。ただ、どのようにしてそんなことが出来るのか、ここでは何も言われていません。イザヤから直接、この言葉を聞いた人は何がなんだかわからなかったかもしれませんが、神様の言葉ですから、信じるほかないのです。
ホセア書6章6節は言います。「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない」。イザヤの700年以上あとに現れたイエス・キリストはこれを引用して、「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。」と教えられています。マタイ9章13節の言葉です。こうしてみますと、イザヤ書1章で啓示された礼拝の正しいあり方を主イエスが受け継いでいることがわかります。
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。」は人間がいくら努力したところで成し遂げられることではありません。これは神様の側の一方的なイニシアティブによって行われ、それがイエス・キリストの十字架だったのです。キリストの血によって、私たちの、それこそ緋のような罪が雪のように白くされたのです。私たちがキリストを通して神様を礼拝するなら、その時私たちは自分の罪がキリストのよってぬぐい去られたことを知り、そこから新しい人生の日々が始まります。ある人が牧師に「イエス様はどうして、おれが頼みもしないのに十字架にかかってくれたのか」と言うと、その牧師は「頼みもしないのにしてくれたからこそ良いんじゃないか」と答えたそうです。何か禅問答のようでもありますが。どうにもしようがない、八方ふさがりの人間たちに対して、神様の直接行動が行われた。それがキリストの十字架であったことを、私たちはおそれをもって受け入れる者となりましょう。
(祈り)
とうとき天の父なる神様。神様は偶像礼拝はもとより、人間が神様にささげる礼拝さえ、拒絶されることのあるお方です。いま私たちがささげているこの礼拝が神様に受け入れられているとすれば、それは神様の憐みによるものでしかありません。もしも私たちがふだんの生活の中で罪を重ねながら、礼拝に出て清められた気分になっているだけだとしたら、神様、どうか自分たちがどれほど危険な場所に立っているかを思い知らせて下さい。正義であられる神様の前に自分がどうにもしようがないことを知ることから、転機が始まり、イエス様を自分の中に受け入れ、光のもとで新しい人生の歩みを始めることが出来るのです。神様、どうか私たち全員にこのような幸いを与えて下さい。
主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン
愛にしっかり立つ者となるように youtube
詩34:9~11、エフェソ3:14~21
2020.8.23
エフェソの信徒の手紙の中でも本日与えられた箇所は、ハイライトというべき箇所で、新約聖書の宝石とまで言う人もいるそうです。私は、このところは、何の説明もなしに、読んで味わっているだけでも、大きな恵みが与えられるように思いました。…ただ、これを解釈して、この場で語るというのには困難があります。パウロは、あなたがたの内にキリストを住まわせ、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように、また、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、といったようなことを祈りますが、これを私が語ることが出来るのかということです。私が、パウロが祈ったことを体現している人間として語ることが出来れば良いのですが、実際はそうではありません。今日は、私自身もパウロの祈りが必要な人間、成長途上の者として受け取ったことをお話しいたします。
パウロはここで祈りをささげていますが、それは「こういうわけで」という言葉から始まっています。これは文脈から言うと3章1節からの続きとなるのです。3章2節から13節までは挿入句と考えて下さい。「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは、わたしの御父の前にひざまずいて祈ります」と。
「こういうわけで」という言葉で言われているのは、神の秘められた計画が自分に示された、つまりユダヤ人も異邦人も共に救われるということで、これを知らされた私は苦難に耐えながら働いてきた、ということでまとめられます。前回お話ししたように、当時の人々の常識では、世界には神の救いにあずかるユダヤ人とそうでないあまたの民族がいるというものですから、神がどの民族もひとしく救って下さるというのは驚くべきことでありまして、パウロにとって自分がこのために働いているというのは、たとえ苦しみの中にあっても大きな喜びであり、ほとばしるような思いをここで感謝の祈りとしてささげているのです。
パウロはひざまずいて御父、父なる神に祈ります。どういう姿勢で祈るのがいちばん良いかということは一概に言えないのですが、ここでひざまずいて祈るということには深い思いが込められています。この神様以外のなにものも自分を支配していないということが、そこに込められています。
パウロは続いて「御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられて」と言います。ここで、家族がいない人はどうなんだ、という必要はありません。パウロは、教会に集まっているすべての人が、身分が違っていても、言葉や風習が違っても、父なる神を中心とした新しい名前を与えられた新しい家族となっていると、喜びの中で語っているのです。
…祈りの中で神様の恵みが示されます。私たちも神の家族の一員です。パウロのエフェソの信徒たちに向けたの祈りは私たちにも届いています。私たちのためにも、どこかで誰かが祈りをささげているにちがいありません。
パウロは、神の家族となったエフェソの信徒たちのことを感謝して、おおよそ3つのことを祈っています。
その第一が「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて」です。「内なる人」とは何でしょう、それは17節では「心」と言い換えられていますから、心と同じと見て間違いありません。…私たちは内なる人が強められると聞くと、それは心が強くされることですから、憂鬱な思いが取り払われて元気百倍になることをイメージするかもしれません。ただ、そういうことなら、十分に休息を取るとか、栄養補給ドリンクを飲むとか、好きなことをして気分を変えるなどということでも、ある程度の効果はあります。誰でも行っていることですね。しかしパウロが祈っているのはそういうことではありません。…体の方がいくら丈夫で健康そのもののような人であっても、心がそれに見合うだけのものを持っていないということはよくあります。傍目からは何の問題もなく、羨望の的になっているような人が、ある時突然くずれてしまうということがありますが、それは内なる人が弱かったからです。
ここでパウロが言っているのは霊的次元に関することです。人間一人ひとりはみな神様が創造されました。それが神様を離れて罪を犯します。罪を犯すというのが抽象的に聞こえるなら、助けを求めている人を無視することでも、悪事が行われているのを見て見ぬふりをすることでも、欲望に負けてしまうことでも何でも良いのです。罪を犯すごとに内なる自分は弱ってゆくのです。
第2コリント書4章16節に、次の言葉があります。「たとえわたしたちの『外なる自分』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」…「外なる自分」が衰えていく、これはわかりますね。年を取るごとに若き日の美貌が失われていくというのもその一つです。しかし「内なる人」はそうはなりません。神様が聖霊をおくって、内なる自分、ぼろぼろになりかけた器を新しくして下さいます。
そのために第二の祈りがなされます。「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」。これはですね、言っていることはそう難しくもないように聞こえるかもしれませんが、これを行っている人がどれだけいるのかと思います。いまここにいる私たちは、ほとんどの人が洗礼を受けているし、受けていなくても長年教会に通っている人もいますから、心の内にキリストが住んでないとは決して言えません。でも、それだけでは不十分です。
残念なのは、いっときだけ心の内にキリストを住まわせる人です。キリストを全く住まわせないよりは良いのですが、いっときですから、しばらくたてば、もうキリストの居場所はありません。
では、長く住まわせればよいのでしょうか。もちろんそれは良いことですが、それで満足するわけにはいきません。というのは、心の中の一部屋にキリストをお招きしても、そこに閉じ込めるだけで、ほかの部屋には入らせないような人がいるかもしれないのです。私たちは自分が主人であって、キリストはお客様のように思いたがりますが、本当はキリストこそ主人であられるのです。だから、自分の心にキリストを長く住まわせるだけでなく、すべてを明け渡すようでなくてはなりません。「イエス様、私の心の中のどの部屋にも自由にお入り下さい」と言うことが出来ますように。
ヨハネの黙示録の中にキリストご自身の言葉があります。3章20節を読んでみます。「見よ。わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
一緒に食事をするというのは、いうまでもなく親しい交わりを表している言葉です。このような関係を阻もうとするものを斥け、キリストがただ時間的に長く住まわれるだけではなく、心のすみずみまでおいでになることを願い、祈ろうではありませんか。
パウロの第三の祈りは、内なる人が聖霊によって強められ、心の内にキリストを住まわせということと不可分に結びついています。「あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」と、それに続く言葉です。
愛という言葉はとても広く、深い意味があります。いつかお話ししたかもしれませんが、明治時代、伝道者が路傍伝道をして愛ということを語るたびにしのび笑いが起こったそうです。雅歌を学んだ私たちとしては、神の御祝福のもとにそういう愛があることを認めつつ、ここで言われているのはキリストによって表された神の愛であると、焦点を定めましょう。
神の愛は、地球の何十億年という歴史の中で、キリストの十字架という出来事によってきわまりました。なぜ十字架が神の愛を示すと言えるのでしょう。キリストが十字架につけられる前、十字架は呪われたものでしかありませんでした。しかし、それが神の愛を現すものに変えられたのです。……もちろんキリストの死のあと十字架刑がなくなったというのではなく、日本にも江戸時代まではりつけになった人がいたのですが、それら悲惨な死を遂げた人たちと共に、その中心にキリストがおられ、罪と死に対する痛ましくも偉大な勝利を世に現しているのです。
キリストは十字架刑に処せられるべき罪がまったくなかったにもかかわらず、十字架刑を受けました。
第一ヨハネ4章9節は言います、「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」 私たちが生きるようになるため、キリストは遣わされ、十字架につけられました。ご自分を父なる神の前に供え物としてささげ、私たちが当然受けるべき罪に対する罰を代わって受けて下さったのです。ここに究極の愛、人間には到達不可能な愛、神だけが行うことの出来る愛が示されているのです。
このことは私たちが一朝一夕に知ることが出来るものではありません。ですからパウロは18節において、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し」と言っているのです。
「キリストの愛の広さ」と言われています。イザヤ書45章22節は「地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ」と言います。キリストの愛は世界の果てにまで及ぶのですから、その時、この民族はだめだとか、あなたのような身分の人は救われる資格がありません、等ということはありません。
「キリストの愛の長さ」、キリストの愛はいっときだけ人の心を燃え上がらせ、やがてしぼんで消えてしまうようなものではありません。それは永遠に続くのです。
「キリストの愛の高さ」、詩編の中で「主よ、あなたの慈しみは天に満ち」と歌われています(詩36:6、108:5)。この私たちが、神の子としていつの日か、高いところに、それも天に迎えられることを言っています。
最後が「キリストの愛の深さ」です。私たち罪人(つみびと)は悪臭を放ち、死と滅びに向かって歩いていたのですが、その中にキリストは来られました。例えていうと、キリストは天から、まるで肥溜めのような所に降って、罪人の友となり、十字架刑を経て陰府にまで行って下さいました。そのことは、どれほどの罪悪の深みに落ちた人であっても、キリストを信じて救われる望みがあることを教えています。
これら4つのことはどれも、私たちの想像を超えることにちがいありません。しかし、それは絵空事でも妄想でもありません。神様が示して下さったことですから。パウロはエフェソの人々が、ひいては私たちがこの恵みを受けることを信じて祈っているのですが、それはいったいどのようにしてなしとげられるのでしょうか。そのために私たちが努力することは大事ですが、それがすべてを決定してしまうのではなく、15節で言われているように、「御父が…その霊により、力をもって」行われることでありまして、その行き着くところが19節の言葉、「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」ということにほかなりません。
このことは一人ひとりの信仰の歩みの中で起こっていくことですが、18節で「すべての聖なる者たちと共に」と言われているように、教会の歩みと切り離すことは出来ません。だれもただ一人だけで、信仰の高みに昇っていくことは出来ないのです。神様の導きのもと、私たちには教会があり、神の家族としての兄弟姉妹がいるのです。
こうしてようやく20節、21節になります。「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、またキリスト・イエスによって、栄光が代々限りなくありますように、アーメン。」
パウロの祈りは、神の栄光をたたえることで終わっています。私たちの祈りが同じように神の栄光をたたえるものであったら幸いです。と言っても、中身がないのに形式的に神の栄光をたたえる言葉を唱えても、そんな祈りは力を持ちません。聖霊によって内なる人が強められ、心の内にキリストを住まわせ、神の愛にしっかり立つ者となっていくことが、私たちをして、自然に神の栄光をたたえる言葉を口から出すよう導いてゆくのでしょう。
今日ここで語ったことは、私自身を含め、頭で理解しようとしても出来るものではありません。神様の前に心を全部広げて、信仰の大切さを全身全霊で受け止めて下さいますように。
(祈り)
イエス・キリストの父である天の父なる神様。神様は自分が思っていた方とは違っていて、想像を超える広さ、長さ、高さ、深さを持っておられる方だということに気づかされた、これがこの礼拝で出席者みんなに与えられた恵みではないかと思います。神様が私たちを今日のこの礼拝に導いて下さったことを心から感謝いたします。
私たちは誰も、神様から見たらアリのように小さな人間で、ちょっと良いことがあれば有頂天になり、少しばかりの不幸に見舞われただけで人生が終わるかのように落ち込んでしまいます。もちろん、「神様、どうしてですか」と言うことしか出来ないことも起こるのですが、しかし、その中にキリストの十字架が立っていることを見ることが出来ますように。人間の思いを超えて、神様の栄光が輝いています。今日、神様が壮大な救いの歴史を導いておられ、その中に私たちがいるのだということを信じることが出来ました。
神様、まことにとらえがたい神様の愛を私たちに満たし、ここにしっかり立って続けられる人生を導いて下さい。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
生きているイエス youtube
箴言16:9、使徒25:1~27 2020.8.16
使徒パウロはエルサレムの神殿の境内で群衆によって袋叩きにされ、殺されそうになったところをローマ帝国の千人隊長によって救い出され、その後、群衆に向かって話をしたり、最高法院での発言があったりしましたが、そこに起こったのがユダヤ人による暗殺計画で、これを逃れていまはカイサリアにいます。普通の人間ならとても耐えきれないところへどんどん追いやられていったのですが、そんな彼を支えていたのが、主イエスの言葉でした。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証したように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11)。これは主イエスの命令であると同時に、神様がそう決めておられるのだから必ず実現するという約束でもありました。
パウロにとってローマが最終目的地だということからすれば、エルサレムから海沿いのカイサリアに移されたことは一歩前進だといえます。しかし、そこで足止めをくらってしまいました。2年間、監禁されていたのです。
カイサリアにいた総督フェリクスは、強権政治を行い、ユダヤ人には評判の悪い人物でした。彼はパウロが有罪であるとは考えませんが、かといって釈放してしまうと、パウロの死を願っているユダヤ人を怒らせ、さらに評判を落とすことになってしまうので、パウロを獄につないだまま宙ぶらりんの状態のままにしておいたのです。
パウロにとって獄中の2年間は、その人生の中でどういう意味を持っていたのでしょうか。私は監獄に入ったことがないのでよくわかりませんが、試練の時期だったにちがいありません。伝道したくてもほとんどできませんし、いつになったらローマへ行けるのかと暗たんたる気持ちになっていたかもしれません。ただ参考までに申しますと、創世記に出て来るヨセフもエジプトで数年間の獄中生活を送りますが、釈放されたあと目覚ましい働きをするようになります。信仰によって獄中生活を耐え抜いたことが、そこを解放されてから花開いたと言えるのですが、同じようなことがパウロにも起こったように思われます。
パウロが投獄されて2年後、総督フェリクスはやめさせられます。カイサリアで混乱が生じ、フェリクスが多数のユダヤ人を殺害するなどしたため、ユダヤ人の代表たちがローマに行き、皇帝の前でフェリクスを訴えた結果、責任を取らされたのです。24章27節に「二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが」と書いてありますが、そこにはこのような事情があったのです。
フェストゥスはなかなか有能な人物だったようです。総督として着任して三日たってから、つまり着任してすぐにカイサリアからエルサレムに上り、ユダヤ教の総本山であるこの都を視察しました。
この時、祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々がパウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと申し出ました。その道中で襲ってしまおうということで、今度こそパウロを暗殺しようとしていたのでした。しかしフェストゥスはこの提案を退け、あなたたちがカイサリアに来てこの男を告発すればいいではないかと言います。フェストゥスは新監督として、お前たちの意のままには動かないぞということを印象づけたと言えるでしょう。
こうしてカイサリアで、2年ぶりにパウロの裁判が行われることになりましたが、その結果は以前の裁判とほとんど変わりありません。つまり、ユダヤ人たちがパウロを取り囲んで「重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった」のです。パウロが神殿を汚したとか、謀反を企てたと言っても証拠がありません。ユダヤ教とキリスト教の間の信仰上の問題は、ローマ帝国の法律が関与することではありません。パウロの「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」という弁明をくつがえすことは出来ないわけです。
9節は「しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った」とあります。フェストゥスも政治家として、ユダヤ人を敵に回さないようそれなりの心配りをしています。フェストゥスがパウロにエルサレムで裁判を受けたいかと尋ねた時、パウロは、これは法廷の場所を移すだけではすまない、ユダヤ人の罠だとわかったのでしょう。すぐにローマ皇帝に上訴することにしました。ローマ帝国には、ローマの市民権を持つ者が、その地の裁判を拒否してローマで皇帝じきじきの裁判を受けることを要求できる権利があったので、これを発動したのです。「私は皇帝に上訴します」、この瞬間から、裁判は、ユダヤ人の手が届かないローマへと移すされることになりました。
それから数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来ました。アグリッパ王は、正式にはヘロデ・アグリッパ2世と呼ばれる人物で、ユダヤの王でしたが、その地位はローマ帝国によって与えられたものです。社会的な地位としては、総督フェストゥスの方が上なので、就任のお祝いにやってきたというわけです。
アグリッパ王、すなわちヘロデ・アグリッパ2世のひいおじいさんがヘロデ大王、父親がヘロデ・アグリッパ1世です。この人の最後の様子が使徒言行録12章の終わりに書いてあります。彼が演説をすると、集まっていた人々が「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた、すると天使に打たれて死んだのです。この事件は紀元44年に起こりました。
ヘロデ・アグリッパ2世は、父親が死んだ時17歳でした。本来なら父の後を継いでユダヤの王となるところですが、ローマ皇帝はまだ17歳の彼には荷が重すぎると判断し、ユダヤを総督の直接の統治下に置いたのです。領地を取り上げられたのですが、その後4年ほどしてようやくユダヤ王の位を認められ、本日の箇所において王として登場しています。
このアグリッパ王と一緒に来たのがベルニケという女性で、アグリッパ王の妹になります。ある人と結婚していたのですが、夫の死後兄と同棲してスキャンダルになりました。近親相姦のようで、それをもみ消すため一時、別な人と結婚していたのですが、再び夫を捨てて兄のもとに帰っていたということです。……なお24章に出てきた前総督フェリクスの妻ドルシラは、ベルニケの妹です。つまり、アグリッパ王とベルニケとドルシラは、いずれもアグリッパ1世の子供だったのです。前回お話ししたように、ドルシラも自分の夫を捨ててフェリクスと結婚した人でしたから、この3人はいずれも倫理的に相当問題のある人々だということになります。
総督フェストゥスはパウロの扱いについてアグリッパ王に相談しました。…自分にはユダヤ人がパウロについて告発していることは認められない。問題になっているのは彼らの宗教に関することだが、自分にはこれを調査する方法がわからなかったのでエルサレムで裁判を受けたらどうかと言ったのだが、パウロは皇帝に上訴してしまった、と。…するとアグリッパ王は、「わたしも、その男の言うことを聞いてみたいと思います」と言うので、フェストゥスは次の日にその場を設けました。
フェストゥスがこのような場を設けた理由は26節以下に書いてあります。皇帝に上訴したパウロをローマに送るに際して、総督として報告書を書き送らなければならないのですが、何を書けばよいかわからない、そこでアグリッパ王に一緒に取り調べてもらって、文章をつくろうという意図でありました。そういう事情で、パウロは、フェストゥスとアグリッパ王とベルニケの前で弁明をすることになるのです。
以上がそこに書いてあることのまとめです。25章前半にはパウロの言葉がありましたが、後半にはパウロの言葉はなく、着任早々の総督と人格が高潔とはとても言えない王とその妹の間で、パウロをどう取り扱うかという相談が繰り広げられているだけです。私は初め、ここから説教が出来るのだろうか、今度の礼拝どうしようと思いました。…しかし、どんなところにも神様からのメッセージが込められているのが聖書のすごい所で、ちょっと読んだだけでは見逃してしまいそうな所に宝ものが隠されていたのです。
それはフェストゥスの言葉の中にあります。フェストゥスは、ユダヤ人がこぞってパウロをもう生かしておくべきではないと言ったので取り調べましたが、死刑に当たるような罪状を見つけることができません。そこで19節をご覧下さい。「パウロが言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」
死んだイエスが生きているというのは、異教徒のフェストゥスにとってわけがわからないことだったでしょう。私たちにとっても「もうわかってますよ」と言えることではありませんが、フェストゥスはここで、はからずもキリスト教信仰の本質を言い当ててしまっています。…ユダヤ人がパウロを訴えているのは、「死んでしまったイエスとかいう者のこと」で、「このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」
ここに主イエスの十字架と復活が入っているのは、キリスト者なら誰でもわかることですが、ようく注意してみて下さい。ここでは「死んでしまったイエスとかいう者が復活した」と言われているのではありません。「このイエスが生きている」と言われているのです。フェリクスがパウロから受け取ったことは、イエス様が復活されたことにとどまらず、それより大きなことだったのです。
復活というのは、信仰の奥義ですから考えていったら切りがないのですが、信者であれば何となくわかった気になっていると思います。私たちも礼拝のたびごとに、主が「十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に死者のうちから復活し」ということを唱えています。しかし、このことを過去の出来事の中に押し込めてしまってはいないでしょうか。…イエス様はたしかに復活なさったけど、それは二千年も昔の出来事で、今はどこにいるのかわからない、そんな信仰だったとしたら、それは力を持つでしょうか。そんなことはありません。
パウロが語ったのは、過去の出来事ではありません。復活したけれど今はどこにいるのかわからないのではなくて、いま生きて自分と共にいて下さるイエス・キリストを証ししていたのです。だからパウロにとってイエス様は過去の人物ではありません。いまこの時も、生きて自分と共におられ、自分を支え、語りかけておられるのです。
もしも、かりに、イエス様の十字架の死と三日目の復活が、歴史の中のひとこまでしかないなら、それは私たちを導く信仰にはなりません。
誰か頭の良い人が考え出した、壮大なフィクションかもしれず、このことを学んでいっとき感動したとしても、その思いはやがて、日常生活の忙しさの中で薄れてしまうことでしょう。…しかし死んで復活されたイエス様が今この時も生きておられ、世界を治めておられるばかりでなく、私たち一人ひとりに出会って下さり、その人生を導いておられることが見えてくるならどうでしょう。
私たちの心を覆っているベールが取り払われますように。目には見えないイエス様が今も生きておられ、自分にとってなくてはならないお方であり、この方がなければ自分の人生もないことが見えてきた時、きのうまでの自分はありません。イエス様とのこの出会いを与えてくれるのが礼拝でありまして、礼拝が私たちの人生の中心でありますようにと願います。
(祈り)
神様、神様が私たちにこうして、日曜日ごとの礼拝の恵みを与えていて下さることを、心から感謝いたします。
今日ここで学んだパウロは、彼に反対する人たちや権謀術数に長けた政治家のために、自由を奪われ、監禁されていました。そのまま監獄の中で人生を終えるという可能性もあったのです。しかし神様のみ手は獄中においても働き、パウロの前に新しい道が開けますが、これは生きているイエス様との交わりなしにはありませんでした。
いま日本の国はどこへ進んだらよいかわからないような閉塞状況にあり、私たちもその日その日を送るのに精いっぱいですが、どうか生きているイエス様が私たちにみ手を伸ばしてつなぎとめ、たとえ厳しい現実の中にあっても信仰と希望と愛を満たして下さい。下り坂の人生ではなく、何があっても神様のいますところにたどりつけるという上り坂の人生を歩ませて下さい。
昨日は75年目の終戦記念日でした。神様が平和を愛しておられるにもかかわらず、世界にはきな臭い匂いがたちこめ、日本の未来にも不安がただよっていますが、平和はただ待っていてもやってくるようなものではありません。どうか私たち皆が世界市民の一人として、また自分の国と国民への愛を自覚して、微力であっても平和のにない手として立たせて下さいますように。
この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、み前にお捧げします。アーメン。