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  三つで一つの神 youtube  

創世記1:1~2、エフェソ1:1~14 2020.1.19.

 

 いま使徒言行録でパウロがエフェソ教会の長老たちと会っているところを学んでいますので、この教会に当てた手紙を取りあげさせていただきました。おそらく、この手紙を続けて読んでいくことになると思います。

 パウロは第3回伝道旅行の途上およそ3年間、エフェソで伝道しました。ずっとエフェソだけでということではなく、エフェソを根拠地にして周辺の地域も回っていたのだと思いますが…。それは紀元56年から58年にかけてだと考えられています。パウロはエフェソのあとマケドニアを巡り歩いて人々を励ましながら、ギリシアに来ますが、またマケドニアに戻り、今度は海沿いに小アジア半島の西海岸を南下し、ミレトスでエフェソ教会の長老たちと会ったあと、船でユダヤに帰りますが、カイザリアでは二年以上獄に入れられ、続いて船でローマの都に向かい、ローマでも獄に入れられることになります。

 そこで、この手紙ですが、冒頭に「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ」と書いてあります。パウロがいつ、これを書いたかということが問題になりますが、6章20節で「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが」と書いてありことなどから、獄中で書いたとされます。ただ、そこがカイサリアの監獄だったか、ローマの監獄だったかは研究者の間で意見が分かれています。また、手紙の作者はパウロではなくて、パウロの弟子たちが先生の名前で出したのではないかという説もありますが、これ以上は触れません。この説教では伝統的解釈に従って、作者はパウロだとしておきます。

 

 今日は1章の1節から14節までですが、説教の準備を始めてから、取りあげる範囲が広すぎることに気がつきました。ここの部分を12回かけて説教した牧師がいたくらいで、1回の説教で語り尽くすことはとても出来ないところなので、あえて焦点をしぼってお話しすることといたします。

 人はどのようにしたら神と出会うことが出来るのでしょうか。…世の中にはふだん神様のことを、ほとんど考えないで生きている人たちがたくさんいます。といっても、仕事に追われて、そんなこと考えるひまもないという人も多いので、一概にそれはだめだというつもりはありません。お正月に神社にお参りする人には、家内安全、商売繁盛などを祈る人が多く、私たち教会に来ている者たちにも、お祈りする神様は違っても同じような祈りをする人がいると思うのです。ただ、ある人が言っていました。その人はキリスト者で、教会の礼拝に出席する人でしたが、ふだん真剣な祈りはしていませんでした。

ところが、何かの病気で生きるか死ぬかという状況になって、その時に祈ったことは家内安全でも商売繁盛でもなく、神様、私の罪を赦して下さいということだったそうです。…この人は究極的な状況の中で、心の目が開けて、本当の信仰に目覚めたと言って良いでしょう。

 ただそのことはもちろん、人は生きるか死ぬか、ぎりぎりの状況にならなければ本当の信仰に目覚めない、ということではありません。悩みや苦しみの中から信仰を求める人が多いことは確かですが、そういうことのない、たとえ穏やかで幸せな環境にいるような人であっても、道は開かれています。誰もが、聖書から信仰の実例を学ぶことが出来るし、また信仰の先輩たちの歩みからも学べるからです。

 昔、アウグスティヌスという人は言いました。「あなたは、(神様のことです)、…あなたは、わたしたちをあなたに向けて造られ、わたしたちの心は、あなたのうちに安らうまでは安らぎを得ません。」

 人の心は神様から離れている間、安らぎがありません。これで自分は自由だと思ったり、やりたいことをやりたいだけ出来たとしても、そこには罪が入りこんできますから、必ずや不幸を産み出します。たとえ自分の方はこれ以上言うことなしということであっても、それは他の人を苦しめ、それが最後に自分に帰ってきます。…人と人が生きる社会に臨むすべての不幸、そこにさまざまの悲惨な出来事があるわけですが、それは、人が神から離れたことによって起こります。いっけん乱暴な議論に見えたとしても、これは本当なのです。

 人が神様から離れたことで罪が入り込んで、不幸や悲惨な出来事を産み出すなら、何かの方法を見つけて、神様と仲直りし、しっかり結びつくことが出来るならば、罪は滅ぼされ、不幸は幸福へと変わるはずです。…すべての宗教は、それぞれが考える神はさまざまですが、このことを求めてきたと言っても過言ではないと思います。そこで、勉強に勉強を重ね、深遠な真理を見出そうとする人もいれば、難行苦行を自分に強いる人もいます。座禅とかひたすら念仏を唱えることを求める人もいるのです。

 まず神をどこに求めたら良いかということが問題です。これは主イエスの弟子たちも悩んだところです。最後の晩餐の時にトマスがこう言っています。

 「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます。」(ヨハネ14:6)御父、すなわち神をお示し下さい、これは人間にとって究極的な問いにちがいありません。…もしも神様がわからなければ、人間は何に魂を預ければ良いのでしょうか。ある人々は偶像の神々を造って、それを拝んでいます。パウロが訪ねた時のアテネの人々は、「知られざる神に」という祭壇を造っていましたが、偶像の神々では満足できないので、本当の神を求めていたのでしょう。

…今日では、偶像にはちがいないものの、趣向をこらし、新たな装いで現れた神々がたくさんあるようで、多くの人たちを混乱させているのが現実です。

 この問題に対して、主イエスは論理的に、ここがこうだからこうだ、などという説明はしていません。また難しい課題を与えて、これを達成したら神と出会えるというようなことも言っていません。トマスに対する主イエスの答えは、彼が拍子抜けするほど簡単なことでした。「わたしを見た者は、父を見たのだ」

 神を見いだすことが出来ない人間に対して神がなさったことは、その独り子を地に送ったということです。…人間は神を見ることが出来ませんから、神は、人間が神を見えるようにして下さった、それがイエス様なのです。神の定めた時が満ちて、神はみ子を遣わされ、女から誕生させました。

 イエス・キリストは、神のみ子であり、かつ人間の女から生まれました。従って、神と人との両性を備えておられます。神の子であって同時に人の子、紙であって人なのです。

 「わたしを見た者は、父を見たのだ」という言葉から、神すなわち父なる神と、主イエスが一つであることが言い表されています。つまりイエス様も神であられ、イエス様の教えと行ったこと、それは十字架という驚くほかないところまで行き着くのですが、それらすべてのことが神を人間の前で現したことになるのです。

 イエス様が洗礼を受けられた時、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という声が聞こえた(マルコ1:11)ことから明らかなように、父なる神はイエス様をわが子として、愛されました。そして人間もイエス様を自分たちの代表者であり、導き手であり、何よりご自分のとうとい命をかけて罪を滅ぼして下さった方として、彼を愛し、信じています。ここにおいて、父なる神と人間とは、イエス様を愛する愛において一致して、神と人間との和解が成立したのです。

 そのことをエフェソ書では、「キリストにおいて」「キリストによって」「御子において」などの言葉を繰り返すことによって語っています。順に見てゆきましょう。

 3節、「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる祝福で満たしてくださいました。」

 4節、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」

 5節、「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」

 7節、「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。」

 8節9節、「神は秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。」

 11節、「キリストにおいてわたしたちは、…前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。」

 12節、「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」

 父なる神様はイエス・キリストによらないでは、そこに書いてあることを何も行われません。私たちの救いにかかわることを何も行われないのです。それはなぜかというと、神は少しの罪も容赦されない方だからです。人が神から離れ、罪の誘惑に抵抗できなくなっている時はもちろんのこと、神に従って従順に生きようとしている時でさえも、…人は神の前に立つことは出来ません。神と人間は隔絶しているからです。ちょうど世界最初のクリスマスの日に、羊飼いたちが主の栄光に照らされて恐れたことが思い出されます。神の圧倒的な力と輝きの前に、人は誰も、恐れおののくことしか出来ないはずです。

 しかし父なる神は、キリストにおいて、つまりキリストに免じて、人がご自分のもとに近づくことを許して下さいました。私たちがこうして礼拝することを許されているのも、キリストにおいてということがなくては出来なかったことです。…かりにキリストの十字架がなくて、キリストが全人類の罪を背負って死なれるということがなかったならば、神は私たちを、まるで私たちが昆虫や小動物を見るかのように見られたにちがいありません。

 

 最後に父なる神と子なる神イエス・キリストと共にあるもう一つの神、聖霊についてお話しします。パウロは言います。「あなたがたもまたキリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。」

 ここにも「キリストにおいて」ということがありました。キリストにおいて福音を聞いて信じた者がその時、聖霊で証印を押されたと教えられます。聖霊はわからないとは多くの信者が言うことです。私自身もわかっているとは言えないのですが、この世界が物質だけで出来ているのでないとすれば、霊的な存在も認めなければなりませんし、それが神の霊、聖霊であるならば、これほど喜ばしいことはないのです。聖霊は父なる神とキリストから来ます。聖霊が証印を押すということを、私たちそれぞれが持っている印鑑を例に考えることが出来ます。私たちが、何かの取り決めを行った時に印を押す場合、ここに書いてあることは自分の意思なんだと示すわけですね。蔵書に印を押す場合は、これは自分の持ち物だということですね。

つまり、ひとたび印を押されものは、印を押した人に属するわけです、それどことか印を押した人と一つなのです。  

 ここからおわかりでしょう。福音を信じた者が聖霊で証印を押されるとは、その人が聖霊に属することです。そして聖霊に属するというのは主であるイエス・キリストに属するということです。印をおす人と印を押されたものが一つであるように、聖霊によって証印を押された人間はキリストに属し、キリストと一つです。そんなこと、自分には当てはまらないと思っていませんか。でも聖書はそのように教えているのです。「こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」このことがすでに、私たちの中に起こっています。

 

 父なる神、イエス・キリスト、聖霊の三つの神の働きが、この私たちでさえも神のものとして下さいます。もったいないことです。では三つの神が独立してあるのかというと、そうではありません。神はあくまで唯一、三つで一つなのです。これを三位一体といいます。

 アウグスティヌスがこういうことを言っています。「夜の夢の中で自分は、川から容器で水を全部すくいだそうとしている子どもを見た。そんなことやったところで、いつまでたっても終わらないじゃないかと言ったら、その子は、あなたが三位一体について考えるのと同じだと答えた。」アウグスティヌスは三位一体について本を書いた人ですが、それでも三位一体はきわめがたいと考えていました。なぜ一つが三つであり、三つが一つなのか、とてもすっきりした説明は出来ませんが、神へのおそれをもって信じてゆきたいと思います。すべてキリストにおいて、私たちのためにあることですから。

 

(祈り)

 ご在天の父なる神様。あなたが今、私たちのささげる礼拝の中にいらっしゃることを信じます。

 神様はとうといみ言葉を通して今日私たち一人ひとりに、この世に生まれた意味を与えて下さいました。それは私たちが自分だけのために生きるのではなく、キリストにおいて神様のものとされ、神様の栄光をたたえて生きることです。このことがただのお題目でも、抽象的な言い方でもなく、私たちが一度きりの人生を悔いなく生きるためであることを思い、感謝いたします。

 三つであり一つである神様がたたえられますように。この神様によって、広島長束教会にこの時代を生き抜く力と知恵を与えられますように、信仰の喜びを高らかに歌うことが出来ますように。

 いま入院している小笠原栄子さん、佐野清美さんを力づけ、健康を与えて下さい。

 主イエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

 神とその恵みの言葉 youtube 

イザヤ51:15~16、使徒20:25~32 2020.1.12

                      

 パウロが船でエルサレムに向かう途中、エフェソの教会の長老たちを呼び寄せて語った言葉を学んでいます。パウロは長老たちに、エフェソにいた時、誠心誠意主にお仕えしてきたことを語った上で、自分がエルサレムに行った時、何が起こるかわからないけれども、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすればこの命すら惜しいとは思いません、と言い切ります。ここから今日のところに入りますが、パウロの言葉はたいへん重いものでありました。

 

 「そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしにはわかっています。」これは、パウロの死が近いことを意味しているのでしょうか。そのように読むことも出来るかもしれませんが、ただパウロは、エルサレムのあと、さらにローマの都に行くことも目指していました。当時としてはただでさえたいへんな旅なのに、その上困難が待ちかまえているとすれば、エフェソに戻ってくる機会はもう二度とないと考えるのが自然です。また、特にその必要もないと考えていたはずです。パウロは、エフェソでの自分の使命は終わったと確信していたのです。

 パウロはエフェソで3年間、伝道してきました。「わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。」20節以下に書いてある通り、「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。」

 パウロがエフェソでの自分の使命が終ったと考えていたことは、26節以下の言葉からも明らかです。「だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」…「だれの血についても、わたしには責任がありません」がわかりにくいのですが、これは、神に逆らって滅びる人がいたとしても、私は神の教えをしっかり伝えたのだから、私にはもはや責任がないということです。もしも伝道者が、人々に伝えるべきことを伝えず、そのため人々が罪を悔い改めることがなかったとすれば、その責任は伝道者にあります。しかし、伝道者が伝えるべきことを伝えたにもかかわらず、人々がとうとう悔い改めなかったとすれば、その責任は伝道者ではなく人々の側にあります。パウロは、自分はエフェソにおいて責任を全部果たしたと言ったわけですね。だとすると、これからの教会の将来について責任があるのは長老たちで、彼らに教会への配慮をゆだねたのです。

 私たちはただ一人で信仰者になることは出来ません。たまに自分は聖書を開くことがあるし、祈ることもするから、教会に行く必要がないという人がいたりするのですが、これでは草木が根っこから枯れてゆくようなことになるでしょう。「教会なくして信仰なし」というのは本当です。

 この教会はイエス・キリストの十字架・復活・昇天ののち、聖霊の導きの下、パウロなど使徒たちの奮闘によって各地に作られてゆきました。ただ使徒たちは各地を回っていて、一箇所に定住することはありません。福音を語って信者が与えられ、教会ができると、また別の場所に行ってしまい、あとを任せられたのが長老です。使徒言行録には使徒が長老を任命したと書いてあるところがあります(14:23)。ただ使徒による一方的な任命だったのか、そこに信者による選挙があったかははっきりしません。この時代の長老は教会の指導者で、教会のことはなんでもしたのです。牧師、長老、執事のように職務が分かれてゆくのはのちの時代の話です。

 28節に監督者が出て来ます。「聖霊は、神の御子の命によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」…ここで長老がそのまま監督者になっていますが、原文では長老はプレスビュテロス、監督はエピスコポスで言葉としては別です。

 カトリック教会は、ここで一緒になっていた長老と監督がやがて分離して、長老の上に監督が立つようになったと見なしているようです。つまり聖職者の間に上下関係を見てゆくのです。そうして、ついに教皇を頂点とするピラミッド型の教会制度を作りあげてしまいました。…これに対しプロテスタントは聖職者の間に上下関係を認めません。そこには総本山のような教会はなく、牧師だったら大きな教会の牧師も小さな伝道所の牧師も平等です。聖職者の中に上下関係を認める、認めないでこのように二通りの考え方がありますが、私たちはプロテスタントなので、パウロがこの時、聖職者の階層制につながる教会制度を認めていたとは考えません。長老と監督がこののち別なものになったとしても、それは職務の違いであって、そこに上下関係を持ちこむのはあやまりです。

 長老であり監督者、すなわち教会の指導者である人たちに、パウロはエフェソの教会を任せ、「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と告げます。まず自分自身に気をつけなければなりません。現代につながるさまざまな悪魔の誘惑の一例が、信徒に向かって権力をふるったり、自分の思う通りにさせたいという思いです。

 教会の指導者はまた群れ全体に気を配らなければなりません。群れとは、神の民である教会を羊の群れに例えた言い方です。ここでペトロの長老たちへの勧告が参考になるでしょう。ペトロの手紙一、5章の2節3節、「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。」牧しなさいとは変な日本語ですが、その説明はすぐあとにあります。「強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。」

 長老たちが世話をすべき教会とは、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会、すなわち神が独り子イエス・キリストの十字架の死という高価な代価を払って、この世から買い取った教会です。買って下さったのは神、従って、教会は人間のものではなく神のものとなります。

 原文では「世話をする」という言葉は、羊の群れについて使う「飼う」と同じ言葉です。いっけんのどかに見える羊飼いの仕事ですが、実際には、羊たちが野獣に襲われたり、盗まれたり、また遠くに迷い出てしまわないよう、たえず気を配っていなければならないきつい仕事です。この長老たちも、キリストに従う羊の群れである人々を守るために、たえず内と外に気を配り、見守っていなければなりません。このことが具体的なアドバイスとなって現れます。「わたしが去ったのちに、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。」

 パウロからこれを言われた時、長老たちはどう反応したでしょう。おそらく最初の言葉では気持ちを引き締めますが、あとの言葉では次々に立ち上がって「そんなことあるはずがありません。」と言ったように想像します。

 

 羊の群を荒らす残忍な狼どもというのは、外から入ってくる偽教師のことです。当時、教師だと称する遍歴の伝道者が行き来していました。こういう人が教会に入ってきた時、その人の説く福音が正しい教えなのかどうか、吟味しなければなりません。

 「あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。」これは今パウロの前にいる長老たち、すでに主の名によって、長老として立てられた人たちの中からも、間違った教えや分裂が起こるのだとという警告です。

 このあと、外から入って来るにせよ、内から起こるにせよ、異なる教えが現れます。そこには律法の遵守を重んじるあまり、キリスト教をユダヤ教に近づけてゆこうとするのがあります。

…イエス様が十字架の苦しみを経験なさるはずはない、あの姿は幻だったのだ、というような、イエス様とはなにものか、に関わる異端説もあります。…悔い改めを説く厳しい言葉に耐え切れず、耳に快い言葉の方に流れてゆこうとする動きがあります。…さらにこの世の考え方に乗っかって教会を動かしてゆこうとする意見もあるでしょう。会社の再建に大きく貢献した方法でも教会のために役立つとは限りません。

 イエス・キリストご自身がすでに良い羊飼いと悪い羊飼いについて語って、これをはっきり見分けるよう命じておられました(ヨハネ10章)。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われたイエス様を主と仰ぐ教会は、狼が来ると羊を置き去りにして逃げるような羊飼いにかきまわされてはなりません。だからエフェソの長老たちは、パウロが三年間、一人ひとりに夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなければならないのです。

 

 パウロはいまエフェソの長老たちと別れるにあたって、「神とその恵みの言葉にあなたがたをゆだねます」と言います。パウロはエフェソ教会の今後について決して楽観しているわけではなく、それどころか危険が迫っていることを聖霊によって示されながら、それでも神とその恵みの言葉に全幅の信頼を置いているのです、

 神の恵みの言葉は、イスラエル民族数千年の歴史の上にイエス・キリストによって与えられ、パウロを初めとする使徒たちによって伝えられました。それは、この言葉を聞く人々を造り上げ、すでに聖なる者とされた救われた人々と共に恵みを受け継がせることができる、これがまとめられたのが聖書です。パウロは、自分はエフェソでやるべきことはすべてやった、あとは長老たちを神とその言葉に任せますと言って、出発して行ったのです。

 

 では、その後、エフェソの教会はどうなったか、私たちはヨハネの黙示録2章にある主イエスの手紙によって、1世紀末ごろの教会の様子を知ることが出来ます。

 主イエスは書いておられます。「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐とを知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はどうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。」つまり、間違った教えと闘い正しいみ言葉を守り抜くことにおいて、教会は勝利をおさめていました。ただ、こうも書いてあります。「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」

 正しいまっすぐな道を歩んでいたはずのエフェソの教会が、どこかで道をはずれてしまったというのは、のちの教会にとって大きな警告です。このことは、パウロが、「神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」としたことが間違いだったことを示しているのでしょうか。そうではありません。ここで与えられた警告も、神の恵みの言葉にちがいありません。私はエフェソの教会が、このあとさらに新しい闘いへと進んでいったと信じています。

                                                               

 以前、近畿中会の長老・執事・委員研修会に参加した時、西都教会の田部先生が、たいへん言葉を選びながらですが、長老さんにはこんなことに気をつけてほしいと言われたことがありました。その内容は忘れてしまいましたが。するとそのあと、長老の方から、これも丁寧な言い方でしたが、今の言葉は少し言い過ぎではないですかという発言がありました。牧師が長老に言いたいことがあるとすれば、長老の方でも牧師に言いたいことがあるでしょう。ただそれを互いに相手を信頼しあう中で言うことが出来たのが良かったと私は感じました。教会に外からも中からも危険が迫ってくることは、想定しておかなければなりません。広島長束教会の歴史の中にもいろいろなことがあったと聞いています。これからもあるでしょう。しかし、皆が共に神とその恵みの言葉に聞くことが間違いを正し、みこころにかなう道を進ませて下さることを感謝をもって受けとめたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様は新年2度目の主日礼拝で、エフェソ教会の長老たちへの呼びかけをまさに私たちへの呼びかけとして語って下さいました。

 神様が御子イエス様のとうとい命を差し出して、教会をたてて下さったこと、この教会に私たちがつながれている恵みをあらためて感謝いたします。もしも教会がなかったら、私たちの人生も信仰もないからです。しかし私たちは教会の大事さを忘れてしまうことがあります。教会のことは熱心な一部の人たちだけに任せて自分は楽をしようと思うことがあったら、どうか自分も教会の一員であり、キリストの体の一枝であることを思い出させて下さい。

 神様、イエス・キリストは絶対ですが、教会はそうではありません。残念なことに、教会は時に間違いを犯すことがあります。教会を構成する一人ひとりが罪ある人間だからで、特に生きるのに困難な時代ほど間違ったことがまかり通る危険が大きくなります。神様、聖霊の導きのもと、この教会でみ言葉が正しく語られ、受け取られてゆくために、一人ひとりの内に正しいことと間違ったことを見分け、判断する力を与えて下さい。

 神様、いま、病気と闘っている友をどうか力づけて下さい。

これらの祈りを主イエス・キリストのみ名によって、おささげします。アーメン。

恵みの福音を証しする YOUTUBE 

詩編22:28~32、使徒20:13~24  2020.1.5

 

 新しい年も使徒言行録を引き続き学んでゆきましょう。前回は11月で、エウティコという青年がパウロの説教の時、眠気に耐え切れず、三階から下に転落してしまったところでした。パウロはこのあと南に、エルサレムに向かって行きます。そして、そのあとがローマへの船旅です。パウロの、命をかけたたたかいが続いてゆきますが、それは使徒言行録のクライマックスでもあるのです。パウロがそのたたかいの中で打ち立てたことが、今日まで続く教会の骨格をつくってきたことを思って、これをつつしんで受け取り、教会形成と私たちの救いの完成のために役立ててゆきたいと思います。

 

 本日の箇所の前半、13節から16節にかけては、トロアスからミレトスへの道すじがかなり詳しく語られています。聖書巻末の「パウロの伝道旅行 2,3」を開けて下さるとよくわかると思います。エウティコが下に落っこちたのがトロアスで、地図上では小アジア半島、今のトルコの西北にあります。ここから少し南のアソスまでパウロだけは陸路を歩き、他の人たちは船で行きました。別々の行動をした理由はわかりません。パウロは途中の村に何か用事があったのかもしれません。地図を見ると、まがりくねった海岸線が続いており、歩いた方が楽で、船でまわる方がよほど危険だったようです。

 アソスでパウロと他の人たちが合流、船でミティレネに着きました。そこはレスボス島にある港です。レスボスという島の名前はレスビアンという言葉の語源になっています。翌日キオス島の沖を通り過ぎ、次の日、サモス島に寄って、さらにその次の日にミレトスに到着しました。ミレトスはエフェソを通り越した先の港です。トロアスを出発して以降、良い風が吹いて、船はどんどん進んだようです。

 パウロはミレトスに着くとエフェソに使いを送り。教会の長老たちを呼び寄せました。ミレトスからエフェソまで片道60キロほどあります。長老たちは歩いてきたのか、それとも馬にでも乗って来たのか、呼んでから到着するまで数日かかったはずです。

 パウロは以前、エフェソで2年3か月、伝道活動をしていました。この町には当時、世界的に有名な、女神アルテミスをまつる神殿があって、パウロはそのお膝元でイエス・キリストを語っていたのです。

そのため、参拝客に土産物を売っていた商人や町の人々が大騒動を起こして袋叩きになりそうになったこともあったのですが、パウロの伝道にかける信念とこの町に寄せる思いは変わりませんでした。思い入れがあった町、しかし今回、そこに立ち寄ることはしませんでした。

 16節に「アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」と書かれています。五旬祭はユダヤ人にとって大切な祭りであり、同時にキリスト者にとってもペンテコステという大切な日なので、パウロはこの日、エルサレムのキリスト者と一緒に過ごしたかったのだと思います。

 パウロは自分のエフェソでの使命は終わり、次に福音を証しする場としてエルサレムとローマを考えていました。使徒言行録19章21節はこう書いています。「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った。」…パウロがエルサレムに行こうとする目的は、マケドニア州とアカイア州の教会から献金を受け取って、エルサレム教会に届けるためでした。エルサレム教会は歴史上初めて誕生した教会ですが、だからと言って裕福な教会ではなく、たくさんの貧しい信徒たちをかかえていました。そのためパウロは、あとから誕生した教会をまわって献金を集めたのです。…さらにパウロはその先を見すえていました。ローマの都でキリストの福音を伝えることです。こういうことを考えると、エフェソに立ち寄ると時間がかかるので、長老たちを呼び寄せたのでしょう。

 さて、ここに長老が出て来ます。皆さんはこれを、いま広島長束教会に立てられている長老と同じように思ってしまうかもしれませんが、それはちょっと無理があります。パウロは自分が伝道して作りあげた教会に長老を任命していきましたが(14:23)、そもそもこの時代、教会の制度は確立していませんでした。「牧師、長老、執事」という職務の区別はまだなかったのです。長老選出の際、選挙が行われていたかどうかもはっきりしない時代だということは、踏まえておいて下さい。 使徒言行録で記録されているパウロの話は、これまで信者でない人が対象でしたが、ここで初めて信者の、それも教会の役員が対象になっています。その内容は、教会をどのようにして守り、発展させてゆくかです。ここで語られた内容を、現代の教会が置かれた状況の中で受けとめ、創意工夫してゆくことが求められます。

 パウロの話を3回に分けて、読んでいくこととします。まず今日は18節から24節までですが、その中の18節から21節までは、パウロがエフェソでどのように伝道してきたかということです。

 「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。」

 パウロがそれまでに行ってきたことをひとことで言うと、19節に書いてあります、「主に仕える」ということになります。「自分を全くとるに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

 「主に仕える」ということがキリスト者の生き方である、と言えます。この「仕える」という言葉を調べてみると、それは手伝うとか、お世話する、とかいうレベルではなく、「奴隷が主人に奉公する」という意味の「仕える」でありました。主イエスが主人であり、自分は主イエスのものである、だから命令に従っていく、パウロはそのようにして「主に仕えた」のです。

 では、それは具体的にどういうことだったのか、そこに「自分を全く取るに足りない者と思い」というのがあります。これは口語訳聖書では「謙遜の限りをつくし」と訳されていました。つまりパウロは自分が人よりも偉い者であるかのように思って伝道したのではなく、自分は知恵も力もない者で、ただ神様から与えられた恵みによって伝道させてもらっているのだという姿勢で仕えたのでした。パウロはそのへりくだりの中で、主イエスに仕えるためならば、涙を流すことも、命の危険が及ぶほどの迫害も、甘んじて受け入れてきたのです。

 パウロにとって謙遜の限りをつくすことと主に仕えるということは一つでした。それは自分は取るに足りない者だからと、ほかの人々の前にへいこらするということではありません。もちろんパウロは人をあごでこき使うことはしませんが、無理に卑下するわけでもありません。自分を取るに足りない者と思うのは人に対してではなく神に対してです。神である主の前に謙遜の限りを尽くす、それが主イエスのご意志に従って生きるということなのです。

 なぜパウロはそのように生きることが出来たのでしょうか。皆さんはここでパウロの回心を思い起こして下さい。昔パウロは、キリスト教徒の敵で、信者を見つけ次第、つかまえて牢獄にほうりこむような人でした。そして、そのことを神のみこころだと信じて疑わなかったのです。自分が正しいというその思いは、彼を傲慢にし、他の人を裁き、多くのキリスト者を傷つけ、殺していったのです。

 ところがダマスコ途上の道で、パウロの前に現れた主イエスは「なぜ、わたしを迫害するのか」と言いました。その時パウロは地面に打ち倒されたのです。パウロは自分自身を打ち砕かれます。まことの神のみこころも知らずに、自分を絶対化して傲慢に生きてきた、それが実は神にさからう生き方であったことを思い知らされた瞬間でした。しかし主イエスは、そのように神に逆らい、ご自分を迫害したパウロの罪を赦すためにも十字架にかけられたのです。このことを知って、パウロの生き方は180度変わりました。神のみ前で傲慢に生きてきた人が、謙遜の限りを尽くす人となり、キリストを迫害した者がキリストを伝える者となったのです。こうしてパウロは、自分が受けた、主イエスの信じられないほどの恵みを人々に伝えるためなら、何も惜しまない人間になりました。それが主にお仕えするということでした。…その結果、役に立つことは一つ残らず、どこにおいても教え、神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰をだれに対しても力強く証しするということになったのです。パウロはこれを、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことだと考えたのでした。

 

 パウロは以上のように自分がしてきたことを語ったあと、これからしようとすることを告げます。「わたしは“霊”に促されてエルサレムに行きます。」その場所で、パウロの身にどんなことが起こるかわかりません。23節に書いてあるように、パウロのエルサレム行きを促した聖霊自身が、この旅が危険なものであり、投獄と苦難が彼を待ち受けていることを告げているのです。パウロはそのことがわかっているにもかかわらず、エルサレムに向かいます。そして、こう宣言します。「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

 これは決してパウロの強がりではありません。主イエスの最後の晩餐の時に、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と宣言したペトロは、「お前もガリラヤのイエスと一緒にいた」という声におそれをなして、もろくもイエス様を裏切ってしまいました。自分の中から出た勇気は、自分と共に飛んでいってしまいましたが、これとは違ってパウロが最後まで主イエスを裏切らなかった理由はどこにあるのでしょう。…パウロはフィリピ書3章10節以下でこう言っています。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」パウロは他の箇所でも、これと似たようなことを何度も言っています。

ちょっと難しそうに聞こえますが、ここに見えてくるのは、パウロ自身が十字架と復活の福音によって生かされているということなのです。…あの時のペトロは、十字架も復活もわからなかったので失敗しました。しかし今パウロは十字架と復活の中に自分が生きていることを自覚しており、そのことがほかの何よりも大事なあまり、地上の命すら惜しいとは思いません。

パウロが謙遜の限りを尽くしたと言いましたが、そもそも謙遜ということの最大の模範は主イエスなのです。神が神としてのご身分を捨てて、人となられた。弟子たちの汚い足を洗ったお方は、十字架の死まで引き受けられました。ここから来る光が傲慢なパウロを打ち砕き、謙遜の限りをつくす者とした結果、これ以上はない恵みの福音を証しする者とさせたのです。

 私たちの中には、こういうことを聞くと、それは特にご立派な方だけに関わることで自分には関係ないという思いがあるかもしれません。しかしパウロはここで命令しているのではありません。またどんな信仰者であっても、無理して、自分を偽って、こういう生き方をしようとしてもとても出来るものではありません。だから、今日は、こういう生き方があったということでお話ししているのですが、神の言葉は必ず何かの出来事を起こします。パウロが語ったことが、皆さんの中にも私自身の中にも何かを起こすことを信じて、期待しております。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様が新しい年2020年も広島長束教会を守り、私たちをこの世にはない恵みをもって導いて下さることを、今日のこの礼拝を通して知ることが出来、心より感謝いたします。

 神様、この年、私たちの中にひからびた信仰があったら、どうかそれに命を吹き込んで下さい。神様が教えておられることは、どれも同じものでは決してなく、人間がそれを究めても究めても必ずその先があることを示して下さい。主イエスを仰ぎ、十字架と復活の恵みを受けとめることではじめて、人は神様の前に取るに足りない自分を自覚するのです。それは決して人を卑屈にしません。そこから本当の自由な人生が始まるのです。そのことを自分のこととして受けとめられたことを感謝し、神様を賛美いたします。

 この年の私たちの歩みがどうかキリストに結ばれたものでそれゆえにこそ祝福されたものとなりますように。どうか体に不具合のある者を力づけ、心に病をかかえた者に人生の喜びを味わわせて下さい。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげいたします。アーメン。

キリストに結ばれる  YOUTUBE   

Ⅱコリント5:16~19   2020.1.1

 

(祈り)

 天の父なる神様。新しい年2020年をこうして神様の前にぬかずき、礼拝をささげることによって始められたことを心から感謝いたします。

私たちは新しい年にかける思いをもってここに集まってまいりました。私たちそれぞれ、いまこの場所に神様への願いをたずさえてきています。どれも真剣なものです。どうかその願いを顧みて、それを清め、かなえて下さいますように。そうしてこの年、神様が私たちと共にいますことを再確認させて下さい。

神様、この世界には戦争や飢餓など神様を憤らせることが続いており、世界的な気候変動も人間の罪の結果ではないかとおそれます。日本もいったいどこに向かっているのか、他の多くの国々に比べ経済的には繁栄しているもの、それが必ずしも心の幸せにはつながっていないように思います。しかしながら、闇の中を照らすイエス・キリストという光は教会を通して輝き続けています。

神様、どうか神様が喜ばれる、正義と愛に満ちた世界とそこに生きる私たちの未来のために、日本中の教会と私たちにゆるがぬ信仰の確信と希望とを与えて下さい。

 新しい年にあたって、神様がこの年、広島長束教会で行われるすべての礼拝や集会を祝福のみ手をもって導いて下さいますように。そこに聖霊の導きがあって、サタンの誘惑を斥け、イエス・キリストを主と仰ぐ喜びが満ち満ちてゆくことを、信じて、祈ります。

主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをおささげします。アーメン。

 

 神様によって新しい年、2020年の扉が開かれました。この年が希望の年でありますように。神様の恵みの導きのもと、皆さんとご一緒に歩んでまいりたいと願っております。

皆さんは新しい年にどのような思いを描いていますか。多くの人の中に、今年はこれをするんだという計画や目標があるのではないでしょうか。教会も同じです。広島長束教会では毎年、今年の計画を考えるにあたって今年の聖句というものを決めています。2020年の聖句に決まったのが、コリントの信徒への手紙二の5章17節、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」という言葉です。ここに私たちにとっての大切な教えがあり、この言葉に導かれて、教会の一年間の歩みがあるように願っているのです。

 

「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」、この聖句は一回の説教だけでは語り尽くせるものではありません。今日はごく大まかなところだけ見て行きたいと思いますが、ここで「キリストと結ばれる」というのはどういうことでしょうか。前に使っていた口語訳聖書では、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」と訳されていましたが、もっとわかりにくいかもしれません。

キリストと結ばれるといっても、私たちとイエス・キリストの間が、糸か何かで結ばれているわけではありません。いくら目をこらしてもそんなものは見えませんがが、しかし、目には見えない糸があって、それは目に見える糸よりも強固なのです。それによって私たちみなイエス様につながれているのです。イエス様なしの私たちの人生はありません。

聖書は、このようにキリストに結ばれた人について、新しく創造された者だというのですが、皆さんは新しく創造されるということがわかりますか。ヨハネ福音書にこんな話が載っています。ある夜のこと、ニコデモという人がイエス様のもとを訪ねてきました。その時、イエス様はニコデモに言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」新たに生まれるというのは、新しく創造されることと同じです。イエス様は、人は新しく生まれなければ、と言われるのです。ニコデモはこれを聞いてびっくりしました。イエス様は何て変なことを言うんだ、と。そこで質問しました。「どうしてそんなことが出来るのですか。もう一度お母さんのお腹に入って、生まれることが出来ますか。」

もちろん、誰だって、もう一度お母さんのお腹に入って生まれることは出来ません。でも、神様によってもう一度生まれなければいけないのです。神様のお腹に入って出て来ることが必要なのです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、はだかんぼで、ワーワー泣いていて、なんにも出来ません。お母さんやまわりの人たちが、お乳を飲ませたり、お風呂に入れたりして、一生懸命世話をして育てることで、少しずつ自分のことが出来るようになってゆきます。それと同じで、誰でも神様によって新しく生まれ、イエス様が守って、一生懸命世話をして導いて下さらなければ、ほんとうの人間になることは出来ないのです。お母さんにとって子どもは世話がやけるものですが、神様にとっても人はたいへん世話がやけます。その意味で、人は2回の誕生が必要です。第一の誕生がお母さんのお腹から出て来た日、第二の誕生がイエス様を信じて、神様の子になった日です。

「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者」、これをさらに説明しているのが19節、「神はキリストによって世を御自分と和解させ」ということです。ここに和解という言葉がありますね。和解とは、平たく言うと仲直りです。つまりイエス様がおいでになることで、神様は敵対状態だったこの世界の人間たちと仲直りをされたのです。

これはどういうことでしょうか。ここでちょっと、私が子どもの頃、見ていたテレビ番組の中にあったお話を紹介させて下さい。それは「ひょっこりひょうたん島」という番組に出て来た奇想天外なお話です。

4人の海賊が山に登っていた時ですが、突然地震が起こって、山が浮き上がりました。その山は軽石で出来ており、それも普通の軽石でなく、天空の城ラピュタのように空中に浮いてしまったのです。気絶して目を覚ました海賊たちは、空の上から地上を見下ろして、そこが天国だと思い込んでしまいました。生前の心がけがいいから、神様がここに連れて来たんだと納得し、自分たちは天使になったんだ、それなら神様に従って清く正しく生きてゆきましょうとなるのです。…で、この天国から地上を見おろすと、人々が悪さをしているのが実によく見えるんです。「もうすでに天国に入って救われた私たちから見ると、人間たちの罪深さがよくわかりますね。」、そこで海賊たちは、人間たちの悪さをやめさせようと、ロープをつたって地上に降りてくるという話でした。

これはもちろんパロディで、作り話ですが、こうした話からも教えられることがあるのではないでしょうか。私たち地上に住んでいる者たちは、人間の悪さに慣れっこになっています。罪におおわれ、よごれた世界の中で、それを当然のこととして生きているということが多いかと思いますが、しかし、見方を変えて、これを天国から、神様の視点から見たらどうでしょう。世界も日本もそして私たち自身も、どんなにひどいことをしてきたかが見えてくるはずです。戦争があり、食べものがなくて死んでいく人たちがおり、殺人もいじめもあります。神様は怒り心頭ではないでしょうか、神様とこの世は敵同士、神様のお怒りの前にこの世が滅ぼされることになっても文句はいえません。

では、ふつうある人がほかの人に悪いことをした場合、どのようにしたら仲直りができますか。そうです。悪いことをした側が、「ごめんなさい」と謝ることによってです。それなら、人間はみな神様に「ごめんなさい」と謝らなければならないのですが、人間はなかなかそうはしません。そこで神様の方から手をさしのべて、仲直りのきっかけを作って下さいました。それがイエス様です。先ほどの話で、天使になった海賊たちが人間たちの悪さを見てられなくなって降りてきたように、神様はこのままでは世界はあやうい、大切なみ子イエス様を派遣して人間たちを救わなければいけないと考えられて、それを実行されたわけです。

イエス様は、この世界に素晴らしい教えと行いをプレゼントして下さいましたが、それにとどまることなく十字架上でご自分のとうといお命をささげ、死んで復活なさいました。イエス様を救い主と信じる人を神様と仲直りさせ、永遠のいのちの中に生きるようにさせるためです。

イエス様に結ばれるとはイエス様なしには生きられないということです。このようにイエス様を信じてまず一歩、そして二歩、三歩と進んでいくところに、喜びの輪が広がってゆきます。神様の愛が満ちてゆきます。そして人と人との間で助け合いの気持ちが起こります。…こうして古い世界が新しい世界へと変わってゆくのです。

私たちがイエス様にますます希望を置いて、たとえつらいことがあってもそれを吹き飛ばし、喜びの日々をおくるようになるために、神様は新しい年を与えて下さいました。皆さんと共に前に進んでまいりましょう。

 

(祈り)

 恵み深い神様。私たちをここに集め、新しい年を、礼拝をもって始められたことを心から感謝いたします。

ここにいる私たちはみな、この年に大きな望みを持ってここに来たと思います。今年はこれをしたい、あれをしたいというひとりひとりの計画と願いをどうか顧みて下さい。そしてそれがみこころにかなったものとなるためにも、何よりイエス・キリストを通して神様が私たちと共におられる一年として下さい。

神様、どうか私たちの心を清め、偽りのない愛を満たして、キリストの愛に根ざした祈りをすると共に、その祈りがかなえられる喜びをもってこの一年を歩ませて下さいますように。特にいま病気であったり、心の病とたたかっている兄弟姉妹の上に、神様からの励ましと希望を与えて下さい。

とうとい主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げいたします。アーメン。

 イエスの少年・青年時代  youtube

詩編84:2~5、ルカ2:39~52 2019.12.19

      

 きょう皆さんにご覧いただいていますルカ福音書の2章39節から52節までの部分は、イエス・キリストがお生まれになってガリラヤのナザレに戻られたあと、世に出て伝道の働きを始める前の言葉と行動を記録した、聖書の伝える唯一の物語です。

 イエス様はおよそ30歳のときに伝道を始められ(ルカ3:23)、3年後に十字架上で亡くなられました。では、30歳になる前は何をなさっていたのでしょう。聖書に書いてあるのはここだけですが、これは、私たちが、イエス様とはどういうお方なのか、判断する時の材料となるところです。

 イエスとはどういうお方なのか、これはきわめて重要な問題です。…私たちが唱えている日本キリスト教会信仰の告白には、「神のひとり子イエス・キリストは、真の神にして真の人」という言葉がありますね。これがぐらついてしまうと、キリスト教の土台が大きくゆらぐことになります。…たとえば、かりにイエス様が真の人間ではあっても真の神ではなかったとするとどうなるでしょう。その結果は、イエス様は神より一段下の存在だということになってしまいます。逆に、真の神ではあるけれど真の人間ではなかったとするなら、イエス様は人間の思いなどわかって下さらないということになりかねません。それらは異端の信仰でありまして私たちの信仰ではないのです。

 他の宗教ではこうはなりません。…ブッダは、あくまでも人間とされています。私たちと同じ人間が悟りを得て仏となったとされています。だからブッダがどういう人であっても、仏教に大きな影響はないでしょう。同じように、ムハンマドもあくまでも人間であって神ではないとされていますから、ムハンマドの人物像が多少変わってもイスラム教に大きな影響があるとは考えられません。ところがキリスト教では、神が人間になられたのがイエス様であると教えられており、イエス様が実際にどんなお方だったかというのが昔からずっと問い続けられています。このことが信仰の根幹を左右する問題だからです。

 こういうことを考えるため、イエス様の伝道の生涯や十字架、復活、昇天が一番大きな材料を提供するのはもちろんですが、それ以前のイエス様にも関心が向けられるのです。イエス様が真の神であり真の人ならば、どんな少年だったのか、どんな青年だったのかというのは、多くの人々の興味をそそるものです。ところが聖書にはこの箇所以外何も書いてありません。そこで、いろいろ想像をたくましくする人が出て来ます。

 その一つ、古代において書かれた「トマスによるイエスの幼時物語」という書物には、少年イエスが泥で雀を作るとそれが本当の雀になって飛んでいったり、学校の教師にたいへんな難問を投げかけて答えられなくしてしまったり、イエスに対していたずらをした子どもが呪われて死んでしまったり、を病気で死んだ赤ん坊をよみがえらせたりといった話が書かれています、そこに出ているのは、あまりにも人間ばなれした少年イエスの姿です。…また、これとは別に、イエス様は30歳になる前インドに行って、バラモンから信仰の奥義を伝授されたなどという人がいます。どうも神秘主義とかスピリチュアリズムの世界でこういう主張が出て来るようですが、これらはすべて人間の空想に過ぎません。というのは、そうした説は、すべて聖書に書いてあることと合致しないからです。…マタイ福音書13章53節以下の記事が参考になります。イエス様がふるさとのナザレに帰って教えられたとき、その場に居合わせた人々は驚いて言いました。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(マタイ13:54~55)。

 郷里の人たちにとって、自分たちと同じところで生まれ育ち、一緒に生きてきた、マリアの息子、大工のイエスが、突然伝道を始めたのは信じ難いことでありました。自分たちと同じ普通の人間だと思っていたあの男がどうして、こんな素晴らしいことが出来るのだ、といったところでしょう。このことは、イエス様がそれまで、人々を驚かす奇跡を行ったこともなければ、インドに勉強に行ったこともなく、ひたすら普通の人間として生きて来られたことを示しています。

 伝道のたたかいに立つ前のイエス様は、人々の目に他の人と何も変わらぬ姿で映っていました。しかし、だからと言って、イエス様の心の中まで他の人と同じだということではありません。それが12歳の少年イエスの言葉に現れるのです。

                                                                                                     

 過越祭のときに毎年エルサレムに旅をするのは、イスラエルの民に定められた掟でありました(出23:14~17、申16:5~7)。過越祭はエルサレムの神殿で行われます。ユダヤ人の男子は13歳になると成人したと見なされ、この時から掟を守る義務が課されます。ただ信心深い敬虔な家庭では、息子が13歳になるのを待たずに神殿に連れてゆくことがありました。ヨセフとマリアの夫婦もそうであったのでしょう。

 この家族が住んでいたナザレからエルサレムまで、150キロほどの距離があります。当時、エルサレムから遠く離れた町や村から出かける時、人々は一つの集団をつくって行進して行きました。一日20キロほど歩いていったのでしょう。エルサレム神殿での礼拝は無事に終わりました。ところが、エルサレムからナザレに帰る途中、ヨセフとマリアはイエス様がいないことに気がつきました。

どうしてこんなことになったのでしょう。この巡礼の集団はふつう女たちが先頭を歩き、その後ろに男たちが続くという構成になっていました。そのためマリアは、息子のイエスがヨセフと一緒にいると思い、ヨセフの方も、イエスはマリアと一緒だと思っていたのでしょう。それが一日分歩いたあとで、両親はイエスがいないということに気がついて、あわてて探し回り、三日ののちやっと見つけることが出来たのです。

 このときイエス様は神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられました。このところを少年イエスが学者たちに教えておられると考える人がいますが、聖書の言葉をよく読んで下さい。イエス様は話を聞いたり、質問したりしておられたのであって、学者たちに教えていたのではありません。

 その場にかけこんできた両親が、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言って叱りつけたのは、親としては当然です。問題はイエス様の答えです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。…これは聞き流すことの出来ない言葉です。イエス様は、ここ、神殿は自分の父の家だと言います。「自分の父」は、世間の人が思っているようなヨセフではなく神であるということなんですね。つまりご自分は「神の子」だということです。

 ヨセフとマリアの夫婦がいて、世間では当然、ヨセフがイエス様の父親と思われていました。しかし、それは本当のことではなく、イエス様が「神の子」であることは、ご降誕の前に天使によって告知されていたことでした。私たちはそのことを、使徒信条で、「主は聖霊によりてみごもられ、おとめマリアより生まれ」と唱えていますが、これを少年イエス自身、すでに自覚しておられたのです。……従って、神の子である自分が父の家、神殿にいるのは当たり前だ、となるのです。

 

 イエス様の言葉をヨセフとマリアは理解出来ませんでした。私たちにとってもすぐには理解できないかもしれません。しかし、これは私たちが信じているのが人間イエスなのか、それとも神の子イエスなのかということに直結する問題です。…神の子が十字架にかけられたために私たちの罪が赦されるのです。これが初めから終わりまで人間イエスだったとしたら。十字架の意味が全く違ってしまいます。…神が人となった、それがイエス・キリストであるということを私たちは心に刻んでいなければなりません。

 さて、イエス様がこのように神のみ子であられるなら、学者たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるというのはちょっと不思議なのです。…その受け答えは、聞いている人たちを驚かせるものでしたが、イエス様は学者たちを教えているのではありません。一緒に勉強しているのです。…イエス様が神の子なら、初めからすべてのことをご存じで、改めて勉強する必要などないのではないでしょうか。

 そこで52節を見ると「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、……」と書いてあります。イエス様は知恵に満ちたお方ですが、しかし、何も勉強しないのに初めから知恵がそなわっていたお方ではありません。学者の間に座り、話を聞いたり質問したりして学習をしていく、そういう意味で、イエス様は苦労して知恵を身につけ、知恵を増してゆかれたお方なのです。

 私たちが、イエス様はいわば天才で、生まれつき何でも出来るお方だと考えてしまうと、イエス様がわからなくなってしまいます。……イエス様がそれまで学校に通って勉強されていたのかどうかわかりませんが、たいへんな努力家であられたことは確かでありましょう。

 ヘブライ人(じん)への手紙5章8節にこう書いてあります。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」。十字架に至るご生涯こそ、このお方の血のにじむような努力の結果でありました。神の子であられるお方でさえ、人生の中で学ばれることがあったのです。もしもこの世界に来られなかったら知らなかっただろうことを、イエス様は身をもって体験されてゆかれたのです。

 それでは、自らを神の子と自覚していたイエス様は、そのまま父の家である神殿にとどまったでしょうか。そうではありませんね。ナザレに帰り、それ以後ずっと両親に仕えてお暮らしになりました。…ヨセフとは血がつながっていませんが、父として仕えたのです。

 イエス様が少年時代、青年時代に何をされていたのか、資料は少ないもののこれが大事なのです。ヨセフは大工で、イエス様も同じ仕事をしていたものと考えられます。私は聖地旅行をした時、ヨセフの仕事部屋というのを見ましたが、そこではヨセフは家具職人だったと説明されていて、イエス様も家を建てるというより家具職人だった可能性があります。

…いま中国の教会で、イエス様が労働者であったことを強調することがあるようです。これはお国柄からいって当然の部分もあるのですが、この視点は大切だと思います。イエス様は貧しい普通の人々との生活を体験され、家族を大切にし、ひたいに汗して働かれました。

ヨセフはイエス様が12歳から30歳の間に亡くなったと考えられるので、イエス様は一家の長男として家族を支え、マリアや弟、妹たちの世話をしたのでしょう。…そして、そうした体験がのちに生かされることになります。私たちはそのことをイエス様の教えの中にいくつも見出すことが出来ます。イエス様が説教の中で取り上げた金持ちと貧乏な人、羊飼いと農夫と漁師、ぶどう園の管理人、野のユリ、空の鳥などすべてのことが、イエス様が少年時代から見聞きし、体験し、観察したことに基づいているものと考えられます。

 永遠から永遠におられる神様は、もともとこの世に誕生する必要などないお方です。それなのにあえて人間となってこの世に来て下さいました。しかも人間と同じように成長してゆかれたのです。それはまさしく私たち人間と共に歩む神のお姿です。

 このことを知った以上、私たちもこれに倣う者となってゆくべきです。イエス様でさえ人間として成長してゆかれたのですから、まして私たちも信仰において成長してゆくべきです。それは父なる神とイエス様の恵みに生きる生活の中で可能になります。またイエス様がナザレの町で労働に励み、家族や地域の人々の間で暮らしたように、私たちも自分の生きる場と隣人を大切にしていくことでつちかわれてゆくのでしょう。少年イエスは神と人とに愛されました。私たちにも同じ恵みがありますように。

まもなく2019年が終わりますが、神様の前に私たちが一年また一年と成長してゆくことを願って、祈ってゆきたいと思います。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる御神様。今年一年を通して、広島長束教会と私たちに与えられた恵みを感謝いたします。教会の今年の主題聖句は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」でありました。私たちは、神様のみ前で恥じることの多い者ですが、それにもかかわらずこのみことばに導かれて一年を過ごすことが出来ました。聖書は告げています。イエス様でさえ、たえず学び続け、努力し続けておられたのだと。まして私たちが信仰において怠け者で良いはずはありません。どうか、今ここにいる私たち一人ひとりが、イエス様から頂く生きた知恵を身につけ、それぞれが置かれた場所で花を咲かせる者となってゆきますように。そのためにも礼拝を重んじ、教会に集まる者同士の信仰の交わりを深め、一年また一年と成長することが出来るよう、引き続き、恵みをもってお導き下さい。今この場所にいない兄弟姉妹、とりわけ病苦と闘っている友の上にも、同じ恵みを与えて下さい。主の御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

 イエスさまのお誕生 youtube  

 

イザヤ9:1~6、ルカ2:1~20  2019.12.22

 

 今年も、皆さんと一緒にクリスマスを迎えることが出来たことを感謝いたします。…皆さんにとって、今年はどんな年でしたか。嬉しいことや楽しいことばかりだったら良いのですが、思い通りには行かない一年を過ごした人もいたと思います。しかし今年が、そのようなつらい、悲しい一年だったとしても、クリスマスの時も泣いている必要はありません。クリスマスは、世界に向けて神様のメッセージを伝えている日だからです。皆さんがクリスマスの喜びの中で、新しい年に向かって羽ばたいて行くことが出来ますように。それではクリスマスの話を聞きましょう。

 

 クリスマスはいうまでもなく救い主イエス様のお誕生を記念する日です。毎年、この時期になると、世界中がにぎやかになります。でも、いちばん最初のクリスマスの日、地上は実に静かだったのです。それは今からおよそ2000年の昔、聖書にこう書いてあります。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。」

 アウグストゥスというのは古代ローマ帝国の最初の皇帝です。たいへんな力を持った人で、ヨーロッパから北アフリカまで、当時の世界を統一して大帝国をつくりあげました。そのため、この時代の人々から「救い主」とか「神の子」とか呼ばれ、誕生日は盛大にお祝いされていたのです。

 この皇帝アウグストゥスの時代に、ヨセフとマリアの夫婦が住民登録をするよう命令されて、ガリラヤからベツレヘムの町にやってきましたが、そこでマリアが産気づきました。ヨセフは宿屋を探します。「こんばんは。一晩泊めていただけませんか。子供が生まれそうなんです」、「お気の毒ですがお客さんがいっぱいで部屋がありません」。ほかの宿屋に行っても、「もう入りきれません。ほかの宿屋に行って下さいな」。どこの宿屋もいっぱいでした。…「こんばんは。泊めて下さい」。「あいにくうちも満員なんです」。「赤ちゃんが生まれそうなんです。なんとかして下さい」。「困りましたね。そうだ、馬小屋があります。そこで良かったら泊まって下さい」。

 皆さん、よく知っているお話ですね。こうしてイエス様がお生まれになりましたが、これはその時代の中では小さな出来事にすぎません。皇帝アウグストゥスの前ではどうでも良いようなことでした。…しかし今、この皇帝の誕生日をお祝いする人がいますか。誰もいません。それに対して、ここでお生まれになったイエス様は、今も世界中でお祝いされているのです。

 イエス様は赤ちゃんとしてこの世においでになられました。…そんなこと当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、それがたいへん良かったのです。もしもイエス様が、大人になってから世に現れたとしたら、お誕生のことが聖書に書かれることはなく、赤ちゃんに注意を払う人も少なかったにちがいありません。

 皆さんは赤ちゃんが好きですか。…赤ちゃんが好きな人はたくさんいます。かわいいからです。その笑顔を見て、いやされるからです。とても世話が焼けるし、泣かれると困りますが、それでも赤ちゃんがいることで、そこら中に笑い声が起こります。赤ちゃんが幸せを運んでくれるからです。イエス様もそのような赤ちゃんだったのでしょう。

 でも、イエス様はほかの多くの赤ちゃんとは違うところがありました。布にくるんで飼い葉桶に寝かされたのです。飼い葉桶というのは家畜が食べる餌を入れておく桶です。だからイエス様は馬小屋で生まれたと言われているわけです。…皆さんの中に貧乏な人がいるかもしれません。でも、馬小屋で生まれた人はいますか。いないでしょう。みんな病院で生まれました。…神のみ子で救い主であられるイエス様は、五つ星ホテルとか宮殿の中で生まれてもおかしくはなかったのですが、こうして、貧しい人たちの間に、その一人としてお生まれになりました。

 日本ではなかなか想像できないのですが、今も世界には悲惨な境遇の中で生まれてくる子どもがいます。一分間に12人の子どもが食べ物がないために死んでいるのです。イエス様は食べ物がないために死ぬことはなかったのですが、貧乏な人の家に生まれて苦労されたことでしょう。しかも、このあとまもなく、ヘロデ王に命を狙われて外国に逃げてゆかなければなりませんでした。…いま、貧しくつらい状況にある子どもたちとイエス様はひとつなのです。

 

 最初のクリスマスには、もうひとつの主役、羊飼いたちがいます。羊飼いは羊を養い、守るのが仕事ですが、この仕事はきつい、きたない、危険の三拍子がそろったたいへんな仕事でした。動物が相手では休日もありません。社会の中では見下されていた人たちだったようです。しかし、この人たちの前に天使が現れて、救い主誕生の知らせが与えられたのです。

空が明るくなったかと思うと、天使が現れ、その光が羊飼いたちを照らしました。羊飼いたちは恐れたと書いてありますが、どうしてかわかりますか。…ちょっと想像してみましょう。夜ひとりで墓場を散歩していたとしましょう。その時、誰かが肩をトントンと叩いた、でも振り返ると誰もいない、…こわいですね。幽霊でしょうか。でも、幽霊より何より怖いのが神様です。どうしてかわかりますか。

どんな幽霊でも妖怪でも怖がって退散してしまうのが神様だからです。神様より強い存在はないからです。……この羊飼いたちは、闇夜の中でいきなり神様と出会った、だから恐れたのは当然だったのです。しかし、天使は告げました。「恐れるな」と。それどころか、「今日ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」と言うのです。

神様が知らせて下さったことを、見にゆかないわけには行きません。羊飼いたちは、ダビデの町、ベツレヘムに行って、ついにその赤ちゃんを探しあてました。きっとこんな会話があったと思います。

「赤ちゃん誕生、おめでとうございます。」

「よくぞ、訪ねてきて下さいました、有難うございます。…でも、いったいどこで私たちのことを知ったのですか。」

「さっき天使が現れて、教えて下さったのです。お名前は何と言うのですか。そう、イエス様、良い名前ですね。素晴らしいです。神様が私たち普通の人間をどれほど愛して下さっておられるか、身にしみてわかりましたよ。」

神様は大切なみ子の誕生を、お金持ちでもいばりくさった人でもなく、貧しい羊飼いの人たちに知らせて下さったのです。

 

話は少し戻りますが、天使が羊飼いたちにイエス様お誕生のお知らせをした時、突然、この天使のもとにさらにたくさんの天使がかけつけて、空の上で大合唱が始まりました。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」、それは、神様に栄光がありますように、世界が平和でありますように、という歌でした。このとき地上は不気味なほど静かでしたが、これとは反対に天は喜びにわきかえっていたのです。

イエス様を人間の世界に送る、これは天の父なる神様にとってはつらいことだったはずです。なぜかといえば、イエス様は貧しい家に生まれ、難民にもなり、その後30歳になってから福音を語ってゆかれるわけですが、最後に十字架という恐ろしい刑を受けなければならないからです。イエス様は、この世界に来られなければ天国で安楽に暮らすことが出来たのです。それなのにこの世界に来られた。それは父なる神様にとってもたいへんつらいことです。しかし、それ以上の大きな喜びがありました。神様の愛を世界に打ち立て、広めるという喜びが。だから天は賛美の歌を歌って、喜びにわきかえっていたのです。

この喜びの大合唱が地上に伝わって、今日まで教会で語り継がれてきたのです。皆さんも、その輪に一緒に加わって下さい。クリスマスおめでとうございます。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様が私たちの広島長束教会を祝福し、今日ここで喜びの内にクリスマスを迎えることが出来たことを心から感謝いたします。今年、世界と日本は揺れ動き、私たちもそれぞれいろいろな中を通ってきましたし、これから何が待っているかもわかりません。しかし、私たちは滅びと死に向かっているのではありません。救い主がこの世界においでになられ、私たちと共におられるからです。

 幼な子イエス様に現れた神様の愛が、今ここにいるすべての人の上に豊かに注がれますように。そして、この喜びの輪にさらに多くの人たちを招いて下さるようにとお願いいたします。今日、礼拝をしている世界のすべての教会に力を与えて下さい。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン。

あなたも祝福されている youtube

イザヤ61:10~11、ルカ1:39~45 2019.12.15

 

 今日は待降節、アドヴェントの第3主日になります。今年の待降節では、第1主日で、闇を照らする光としてのイエス様について、第2主日で、ご降誕と、いつの日か実現する再臨ということについて申し上げました。今日は、クリスマス物語の中で、マリアがエリサベトを訪ねたところを聞きましょう。

 

 「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に入った。」、そのころとはいつか、確かめるために、ここの前の部分を見てみましょう。

 ガリラヤのナザレに住んでいたマリアのもとにある日、天使ガブリエルが現れて言いました。「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」。この時マリアは戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだのですが、天使がそのあとに告げた言葉はまさに驚天動地のことでありました。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 マリアはこの時、10代前半の少女だったと考えられています。

 「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」マリアは天使の言葉を信じられません。彼女はヨセフと婚約中ではあってもまだ結婚していません。この段階で妊娠すれば、道にはずれたことだと見なされて、石打ちの刑も覚悟しなければなりません。また、マリアが願っていたのは静かな、ささやかな幸福だったはずで、自分の子が偉大な人になり、その支配が終わることがないなどというのは想像も出来ないことだったのです。

 そのマリアが天使の説得を受け入れて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えることになったのですが、その理由は何でしょうか。

 初めに「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言っていたマリアが、途中で、何の葛藤もなく、スーッと流れるように気持ちを変えて、「お言葉どおり、この身になりますように」と答えるようになったのでしょうか。もしもそうだったとしたら、それは神様の前に従順な、模範的な信仰者の姿なのかみしれません。しかし、その場合、私たちがマリアから学ぶべきことはほとんどなくなってしまうでしょう。なぜかと言えば、私たち一人ひとりは、神様が言われるすべてのことを、簡単に「お言葉どおり」とか「みこころのままに」などとは言えないままで生きているからです。

…もしもマリアが、天使の言葉をそのまますぐに受け入れたのだとすれば、それは模範的であるかもしれませんが、私たちにとって彼女はあまりにも遠い存在になってしまうのです。

 結論から申しますと、マリアが何のためらいも迷いもなく、神様が言われることをすべて受け入れたとはとても申せません。マリアがそんな完全無欠な優等生的な女性だったわけではありません。…天使から伝えられた、やがて救い主となられる子どもの懐妊という事態は、マリアにとって心から喜べるものではなく、それどころか衝撃だったのですが、彼女はそれを最終的に受け入れました。それは心の葛藤が全くない、模範的信仰者の「お言葉どおり……」ではなく、心の中に不安や恐れをかかえながらの「お言葉どおり……」であったのです。不安や恐れ、逃げ出したくなるような気持ちをかかえつつ、それでも「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えることが出来た、そこにマリアの信仰があるのです。

では、心に迷いを残したままのマリアをして、後世に語り継がれる言葉を語らせたのはいったい何だったのでしょう。そこには、天使の「主があなたと共におられる」という言葉がありました。主なる神がいくら全能の神であられたとしても、自分を見て下さらなければなんにもなりません。神の言葉の前にしり込みして、「なぜほかの人ではなく私に……」と叫ぶしかない魂に、勇気をもって一歩を踏みだす力を与えてくれたのが、「主があなたと共におられる」ということでありまして、これを信じて応えたマリアの言葉が「お言葉どおり、この身になりますように」だったのです。…マリアはみ言葉を自分と関係のないところで信じて、願ったのではありません。主が自分と共におられ、自分の中に神の言葉が実現することを信じたから、それに自分を委ねます、と表明したのです。

このことは私たちにも、神の言葉が自分から遠いところで実現するのでないことを想起させます。マリアに起こったことは2000年の昔、ユダヤの国でただ一度起こったことで、ここに、同じことを体験する人は誰もいません。しかしながら、神の言葉はこの自分にも与えられているのです。その中身は、もしかすると自分では想像も出来なかった人生の道への導きかもしれませんが、そこに「主があなたと共におられる」という約束が与えられていたとしたらどうでしょうか。それでも、共におられる方の手を振り切ってしまおうとするのでしょうか。

 

マリアは天使から受胎告知があったそのころ、出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行きました。山里のユダの町というのは、エルサレムの西6キロの地点にあるエンカレムという場所だと考えられています。今でも静かな里です。マリアはナザレの町から急いで来ましたが、ユダの町までは約150キロ、歩いて4日ほどの距離になるそうです。

マリアはいったいなぜユダの町まで行こうとしたのでしょう。自分が妊娠したことを恐れて、身を隠そうとしたのでしょうか。そういうこともあるかと思います。…この段階で、マリアは自分の身に起こったことを誰にも告げていないはずです。告げたとしても誰にも信じてもらえないことは火を見るより明らかでした。マリアがかりに親に向かって、「天使が現れました。私は聖霊によって身ごもりました」と言っても、親は喜ぶどころか怒り心頭になるにちがいありません。身を隠そうと考えたとしても当然です。

しかし、そこにはもっと積極的な理由があったと考えられます。天使は1章36節でこう告げています。「あなたの親類のエリサベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」。

エリサベトと夫ザカリアの間には子どもがなく、二人とも年を取っていたのに、神は二人に子どもを授けて下さったというのです。今日の日本では子どもがいなくても、それを乗り越えて素晴らしい、充実した人生を送っている夫婦がたくさんいますが、この時代、子どもがいないということはたいへんな不幸だったのです。しかし、その夫婦に子どもが与えられた、ここに神の全能の力が現われています。…マリアが天使の言葉を疑っていたわけではありません。堅く信じたのですが、それを確かめたかったのです。神様から祝福された人に会いたかったのです。その時、神が自分の身になされたことも祝福であることを確信できることでしょう。

ここで、一つ確かなことがあります。ナザレの町を出てゆく時、不安でいっぱいだったかもしれないマリアが、ユダの町に着いてエリサベトに会った時、喜びを分かち合うようになったということです。

 出産が近づいてきたエリサベツのところに、六か月遅れで妊娠したマリアが訪ねて挨拶したとき、この二人だけでなく、エリサベトの胎内の子供も喜んでおどりました。これはどういうことでしょう。マリアの挨拶をエリサベトが聞いた時、マリアはまだ自分に起こったことを話してはいません。それなのに、エリサベトの胎内の子が踊ったのです。マリアのお腹にイエス様がいることを感知して、喜んだわけですね。…エリサベトの胎内の子、ヨハネについて1章15節は、「既に胎内にいるときから聖霊に満たされていて」と書いてあり、また41節でも「エリサベトは聖霊に満たされて」と書いてあるところから判断すると、ここに神のみわざが起こっています。聖霊によって、主を知る知識がもたらされ賛美がわきおこりました。エリサベトもその胎内の子も共々に神の御子のご臨在を知って、喜び、神をたたえているのです。

 ここでエリサベトが高らかに語った言葉は、彼女の中から出たというより、聖霊が語らせたものと考えられます。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。」

 エリサベトはマリアよりずっと年上なのに、エリサベトはマリアの胎内にいる子をわたしの主と呼びます。だからマリアはわたしの主のお母さまなのです。

エリサベトは聖霊の導きの中で、マリアに起こったことを知って、自分に与えられた役割を悟ったことでしょう。それはマリアに起こった大きな、神の出来事を聞くため、そしてマリアの不安や恐れを聞いてあげることです。…エリサベトは自分にも驚くべきことが起こったと語ることが出来ます。それはエリサベトにだけ出来る奉仕です。そのことでマリアを励まし支えて、神の御子が救い主としてこの世に来て下さることを助けるのです。…ただ、そのような労苦も、これをはるかに超える喜びの中に溶けさっています。エリサベトとマリアの対話はすぐに神様への賛美になったことを、私たちは目にしています。

 二人の女性、それに胎児を含めて4人の姿には、神の祝福を受けた者の幸いがあふれています。

 

 エリサベトの「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」という言葉はとても印象的です。これは「幸いなるかな、信じた者よ」というように訳すことも出来ます。……マリア、あなたは幸せです。なぜか、あなたは信じることが出来るから。信仰を持っているから。…なぜ信仰を持っていたら幸いなのでしょう。それは、神様があなたに約束されたことを必ず実現して下さるから……と言うのです。

二人の女性が会うというのは平凡な出来事かもしれません。しかしそこには神の約束を受け取った人間がおり、それと共に新しいことが始まっているのです。…山里も人々の暮らしも前と変わらないように見えます。しかし、古い世界は新しい世界に変わりつつあります。

 

皆さんはここに現れた情景から、何か思い描くことはありませんか。そうです。これは教会の姿なのです。昔から多くの人たちがマリアとエリサベトの出会いの中に理想の教会の姿を見てきました。…私たちは毎日曜日、教会に来て互いに挨拶をかわします。同じ挨拶でも、教会の内と外ではちがいます。…あなたは神様から恵みを受けています、私も恵みを受けてここに来ました。神様の言葉を信じることが出来るあなたは幸せですね、私も幸せです。私たちそれぞれに語られた神様の言葉は必ず実現します。おめでとう!

素朴な二人の姉妹、マリアとエリサベトは共に神様に召され、み言葉を聞いて信じて受け入れ、聖霊に満たされて、喜びと希望をもって賛美の歌を歌います。その中に私たちの広島長束教会もあります。私たちも自分の中にみ言葉を受け入れて、宿した者たちだからです。ここにいる一人ひとりがマリアとエリサベトのようになることが出来ますように。

 

祈り                                                                                                                         

教会のかしらなる神様。2000年前の暗い世界の中で、神様はマリアとエリサベトという二人の女性の出会いの中に、世界を救うビジョンを見せて下さいました。

この時の二人のように、私たち主を信じる者たちが互いに出会う時、神様から頂いた恵みを喜びあうことが出来ますように。私たちも祝福されています。神様はご自分の約束を必ず実現される方です。私たちの苦しみや悩みをこれをはるかに超える喜びによって変えて下さる方であられます。エリサベトとマリアに現れた神様が私たちにも共におられ、私たちに曲がりくねった道を歩かせたとしても、とうといみこころを実現させて下さることを感謝いたします。このことを覚え、神様にまっすぐに従いつつ、クリスマスに向かってのひとすじの道を歩いてゆきたいと思います。どうか私たちを幼な子イエス様のところまで導いて下さい。この祈りを主イエスのみ名によってお聞きあげ下さい。アーメン。

 新しく生まれる喜び  youtube

詩編130:7~8、テトス2:11~3:7  2019.12.8

 

 待降節、アドヴェントの第二主日のお話です。このアドヴェントという言葉はもともとラテン語の「到来する」という言葉から来ており、そこからイエス・キリストの第一の到来と第二の到来を迎える期間として守られてきました。

 教会ではこの期間に、まず何よりも、御子イエス・キリストのご降誕をよき備えをもってお待ちしようとします。イエス様の誕生、すなわち歴史の中で実際に起こった、神の驚くべき恵みの出来事をいつまでも記念し続けようとしているのです。…そしてアドヴェントには、さらにもう一つの意味が込められています。それはイエス・キリストがもう一度この世に来られるのを待つということです。

 イエス・キリストの再臨について、はっきり書かれているのは、この方が天に昇られた時です。そばに立っていたみ使いが告げています。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と(使1:11)。聖書のいちばん最後のところでは、主イエスご自身が「然り、わたしはすぐに来る」と宣言なさっておられます(黙22:20)。主イエスのご降誕が、時が満ちるに及んで歴史の中で起こったように、再び神の時が満ちて、主イエスがもう一度この世界に来られる時がいつか必ず来るのです。

 このことをテトスへの手紙から確認してみましょう。11節の言葉、「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現われました」、これは明らかに主イエスの第一の来臨の出来事を指しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」とは、救い主イエス・キリストのことで、ご降誕から始まる出来事によって、この世界に現われたことを告げているのです。

 それでは、13節にはどう書いてあるでしょう。「また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています」。テトスへの手紙は、イエス様が天に帰られたあとに与えられた言葉ですから、これはどう考えてもすでに起こったことではありません。これから起こる出来事、主イエスの再臨のことを語っているのです。…なお、この観点から11節から13節にかけての文章の構造を見ると、「救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、…待ち望むように教えています」となっていますから、主イエスが一度この世界に来られたことが、私たちが再臨を信じる根拠となっていることがわかります。

第一の来臨、すなわちイエス様のご降誕によって、神の恵みの出来事が世界の中で開始されました。その後、2000年に及ぶ世界の歴史は曲がりくねった道をたどり、その中にはキリスト教信者を気落ちさせたり、絶望させたりすることも多々あります。

しかし、いつの日かわかりませんが、最後には神が勝利されます。再びイエス様が現われて、神の恵みがこの世界の上で完成するのです。では、そのことは私たちをどのような道へと導いてゆくのでしょうか。

                                                                                                 

そこで、もう一度11節を見ましょう。イエス・キリストは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」だと言われています。ここで最初に注目したいのは、「すべての人々に」ということです。これは文字通り、すべての人々のことです。神は善人のためにも悪人のためにも太陽を昇らせ、雨を降らせて下さいますが、そのように、そこには何の例外もないのです。

人間同士には違いが存在します。民族の違い、男と女の違い、若いか年取っているか、財産があるかないかなど、ありとあらゆる所にあります。その中で民族の違いについて言えば、これをたいへんに強調して壁を造ってしまう人までいますが、実際には大して違わないのです。私がある時、アフリカから来た留学生に「お国はどこですか。ナイジェリアですか」と聞いたら、その人は急に不機嫌になって、「違いますよ。ザイールですよ。…わかりませんか」と答えるのです。私の聞き方が配慮がなかったことは確かですが、しかし誰か、ナイジェリアとザイールの違いがわかる人がいますか。…同じように、アフリカの人から見たら、日本人も韓国人も中国人も、何の違いもないでしょう。このように、当人にとっては実に重大な違いが、視点を変えてみると、どれも同じだということが多いのです。

もともと小さな違いにすぎなかったものが、いつのまにかその人の価値を決めてしまって、見下げられる人もいれば、上の方に祭り上げられる人も出て来ます。けれども神の恵みはすべての人々に現われると聖書は告げています。イエス・キリストの恵みはすべての人に差し出されているのです。だから、この恵みを受けるのにふさわしくないとして退けられる人などただの一人もいません、たとえ犯罪者であっても、です。私たちが感謝をもって、すべての人に与えられる神の恵みをその中のひとりとして受け取るものでありますように、それでこそクリスマスです。

そこで次に考えたいことは「救い」についてです。11節に「救いをもたらす」とありますし、3章にも2つ出て来ます。主イエスのご降誕によって始められ、約束された救いは、主イエスの再臨の時に世界的、いや宇宙的規模で完成されることになります。主イエスが特にその十字架と復活を通して、ご自分を信じる者に与えられると約束された救いは、熱心な信者を除いて、今は部分的にしか見えていないのかもしれません、残念ながら。しかしそれは、終わりの時、主イエスの再臨の時に、完全な形で万人の前に現れます。神のこの約束は、信者にとって祝福に満ちた希望となっているのです。

そこで言われている「救い」とは何でしょうか。「救い」について、一人ひとりが思い浮かべることは、人それぞれ異なっているでしょう。それは病気の克服だったり、商売繁盛だったり、難しい人間関係の解決、その他もろもろの問題があり、どれ一つとして小さな問題ではありませんが、最後にどんな人であっても直面する、死の問題の解決があります。われわれはいったいどこから来て、どこに行くのかということですね。…どの問題についてもそうですが、特に死の問題について、一時的な処方箋では解決できません。聖書はそれらの問題を生み出すところの根源的な事柄が回復されることを救いとして語るのです。…それが、断ち切られてしまった神と人との関係の修復です。人が神を信じないで、神から離れてしまったことによって、罪が起こりました。その結果がもろもろの悩み、苦しみでありまして、最後に死につながります。

枝が幹から切り離されてしまえば枯れてしまいます。人が神と結びついていなければ、本当に生きることは出来ません。……神との結びつきを断ち切って、間違った道を進んでいる哀れな人間たちのために、神は御子イエス様を送って下さり、イエス様を通してすべての人をご自分のもとに引き寄せようとしておられるのです。人がこの神の招きを受けとめて神を信じ、神との正しい関係を回復することで救いが達成されます。…この時、死の問題は克服されます、ましてそれ以外の他のさまざまな悩み苦しみにも、解決の光が与えられるのは確実です。

イエス・キリストご自身が神であられますから、このお方が地上においでになったことで、神が人と共に歩んで下さることが明らかになりました。インマヌエル、神は我々と共におられる、そのことはご降誕の時に始まり、現在も続いていて、終わりの日まで、世の中がどんなに変わろうとも変わりません。そしていつの日かイエス様が再び来られ、神様の勝利がすべての上に明らかになる時、私たちの目からもすべての涙がぬぐわれます。いま心の目でそのことを見ることが出来る人なら、この人生がたとえどんなに悩み多いものであっても、希望をもって生きてゆくことが出来るのです。

 

 「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。」、これと同じ時のことを3章4節は「わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき」と言います。ではその時、救いは何によってもたらされるのでしょう、5節によれば「わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって」です。

 私たちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、…これが信仰による義ということになってゆくのです。

もしも義の業、つまり善い行いをすることによってのみ人は救われるのであれば、ここにいる私たちのうちだれ一人として神様に認められる人はいないでしょう。それは、善い行いが足りないということではありません。私たちに善い行いが足りているとは言えません。しかし、どんなに偉大な行いをした人であっても、そのままでは神の怒りからまぬかれるすべはないというのが聖書の教えです。…ただ、このことは心にストンと入ってくることではありませんね。中にはこんな人がいるかもしれません。「神様はいったい何を言っているんだ。おれは自分の意思でこの世に生まれてきたわけじゃない、引っ張り出されて来たのだ、それなのにお前は罪人(つみびと)で、神の怒りによって滅ぶしかないだと。どうしてそんなことが言えるのか!」と。

 確かに、誰も自分の意思でこの世に生まれてきたのではありません。引っ張り出されたというのは本当です。しかし、それでもこの命を投げ出すわけにはいかず、誰もが生きてゆかなければなりません。その人間が神様の前に立つことを想像してみましょう。最初のクリスマスの日、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちは、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした時、非常に恐れました。神の前に立つ時、誰もがそうなるのです。私たちから見てたとえどんなに立派なことをした人であっても、自分の小ささ、醜さを思い知らされます。そして、自分とは到底比較にならない神の偉大さの前で神の怒りを理解して驚き、言葉を失ってしまうのです。このことがわかった人が、いま生きている内にイエス様をと思って、イエス様の陰に隠れようとするのは当然なのです。

 イエス・キリストは十字架と復活をもって、神の恵みと愛を言葉の本当に意味で世界に示して下さいました。人間たちの罪の結果としての罰を一身に担うことで、神の怒りの前にふるえるしかない人間の盾となられ、私たちを救って下さいました。だから救いは私たちが行った義の業によってではありません、神様のなさる憐れみによってだったのです。

 主イエスが天に帰られたのち、今度は聖霊なる神が地上に遣わされました。ペンテコステの日に地上に降りてきた聖霊は、その日世界で初めての教会を出現させただけではなく、パウロを初め多くの人を叱咤激励して、福音を世界に広げてゆきました。聖霊なる神をの肉眼で見ることが出来ません。しかし、そこに確かに神の力が働いているのです。

 聖書は言います。「この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造り変える洗いを通して実現したのです。」人はもう一度、母親のお腹に入って誕生することは出来ませんが、神様のふところに入って、新しく誕生することが出来るのです。

イエス様を信じることで、神との結びつきを回復し、新しい人生が始まる、それが洗礼ですが、これらすべてが聖霊の働きであるのです。

神とのそのような関係に入れられた者は、将来に対しても神からの約束を受けています。それが、きょうの聖書の言葉で言うと、「希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされた」ということにほかなりません。永遠の命を与えられることは、死への不安や恐れが神様によって取り除かれるということでもあります。その時、今の、地上での人生にも平安が与えられるのです。

人が新しく生まれた時、自分では変化をなかなか感じられないかもしれません。しかし、どのような力によっても断ち切られることのない神様との関係の中に置かれることになったのですから、その実りは徐々に現れて来ることは確実です。その喜びの中に、私たちみんなが置かれますように。

すでに洗礼を受けて新しい人生を歩んでいる人も、これから洗礼を考えてみようという人も、どうかイエス様が来られたことによって新しく生まれた、そして生まれようとする自分の人生を思って下さい。アドヴェントはそのために与えられた時なのです。

 

(祈り)

天の父なる御神様。み名を賛美いたします。昔いまし、今いまし、やがて来たりたもうイエス様ご自身がこの礼拝を導き、私たちにクリスマスを迎える心の準備をさせて下さいました。

神様、アドヴェントのこの時期、私たちの心を清めて下さい。クリスマス・シーズンとして、町の中は華やかな気分が漂っているように見えますが、しかし、たくさんの人たちの中には、一人ぼっちの人や悲しみのために涙を流さんばかりの人もいるでしょう。その人たちの上にも心あたたまるすてきなクリスマスがありますように。

昔イエス様がお生まれになり、またイエス様がいつの日か再び現われたもう、このことによって私たちの人生が、たとえどんなに平凡なものであっても、神様から価値あるものとされ、祝福されていることを心から感謝いたします。

テレビや新聞を見て心痛めることの多い今日この頃ですが、どうかクリスマスが世界と日本の上に、愛と平和の価値を気づかせ、教えて下さいますと心からお願いいたします。イエス様がもたらされた恵みはすべての人々の上に及ぶからです。 

この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

闇に照る光  youtube

イザヤ8:18~9:6、マタイ4:12~17  2019.12.1

 

 今年の待降節(アドベント)が今日から始まりました。待降節は毎年11月30日に近い日曜日から始まり、4回の日曜日をへて12月25日のクリスマスに至る期間です。私たちはいつ、いかなる時もイエス・キリストをお迎えするために心を清め、ととのえていなければなりませんが、特にこのことを心を込めて行う時として定められているのです。…2000年の昔にこの世界に来られたイエス様を今も受け入れていない心がこれを受け入れるように、そしていつの日か再びおいでになるイエス様をお迎えする用意が出来ますように、と願います。

 クリスマスシーズンになると街はとても華やかになり、その中で皆さんも心がはずむことがあるでしょう。しかし、それがクリスマスのすべてでないことは、皆さんもよくご存じだと思います。二千年前のイエス様のご降誕は、明るい、華やかな中で、これにさらに明るさと華やかさを加えるために起こったことではありませんでした。それは光のささない暗闇の、それもいちばん底の部分に光が照らされたような出来事でした。

 きょうは、イエス様のご降誕に至る長い歴史を見ることで、本来のクリスマスの意味を出来るだけつかんで行きたいと願っています。

 

 イエス・キリストは二千年前に突然この世界においでになったのではありません。この方がおいでになることを、神ははるか大昔から謎めいた言葉の中で啓示されておられたのです。神はこれほど大切なことを予告なしに行われることはありません。しかし人間はこれを悟ることが出来ませんでした。神が救い主のことをはっきり告げて下さり、そのことを人間が不十分ながら受けとめたのは、預言者イザヤの時が初めてでありました。

 この預言がイザヤによって語られた時代背景について、まず知っていただきたいと思います。神が世界の中でただ一つ選ばれたイスラエルの民は、紀元前1010年ころダビデが王位につき、そのあとをソロモンがついで国家としての最盛期を迎えたのですが、ソロモン王の死後、国は北のイスラエルと南のユダに分裂してしまいました。一つの民族が二つに分かれることで、国力がそがれてしまいます。まして、この地は戦略的に重要なところで、周囲にある強国は領有を狙っており、イスラエルもユダも厳しい世界情勢の中を生き残るために、困難な道を歩まなければなりませんでした。

 イザヤの預言がいつなされたか、特定するのは難しいのですが、だいたいのところは推測できます。「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが」と書いてありますが、この二つの地はガリラヤ湖の西側にあります。聖書巻末の地図で場所を確認できます。辱めを受けたというのは、外国の軍隊によって蹂躙されたということです。

 紀元前733年、ティグラト・ピレセルという人を王にいただくアッシリアが北からイスラエル王国に攻めてきて、ゼブルンの地、ナフタリの地を含む広大な地域を占領し、住民を捕囚として連れ去りました。首都のサマリアとその周辺だけは占領されず、イスラエル王国は滅亡することだけは免れましたが、アッシリアの属国となってしまい、再び立ち上がることは出来ませんでした。

歴史は、その後10年ほどたった紀元前722年、アッシリアがイスラエル王国をついに滅ぼしてしまったことを記録しています。そこの住民も連れ去られ、そのまま行方知れずになってしまいました。こうしたことの結果、小さなユダ王国だけが、周囲の強大な国家に囲まれながら、かろうじて生き残ることになるのです。

 イザヤの預言は、このような緊迫した状況の中でなされました。その時期がイスラエル王国の滅亡の前かあとかははっきりしませんが、ユダ王国も重大な局面にあって、人々がかろうじて保っていた信仰も、あとひとゆれで崩れんばかりになっていました。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放」と書かれている通りです。ユダ王国の人々にとって、イスラエル王国は、自分たちとは違うとはいえ、同じ血が流れている兄弟姉妹ですから、その国が滅び、大多数の住民が行方知らずになるというのは想像を絶するたいへんな出来事であったのです。イスラエル王国に起こったことがいつ自分たちの身に起こるかわかりません。そのため身分の上下を問わず、肉体的にも精神的にもきわめて苦しい状況に追い込まれ、希望を失い、どこにも出口がないような状況の中に置かれていたのです。

 

 それでは私たちが今、暗闇の中に置かれた古代のこの人々のことを学ぶことにどのような意味があるのでしょうか。…以前、私はある教会で、今日と同じ箇所を説教した時にこんなことを言いました。「今の世界には深刻な環境破壊があり、戦争があり、飢餓や砂漠化がある。日本国内を見ても景気は悪化するし、凶悪な犯罪が増え、人心は荒廃している。まことに闇の世界で、イエス・キリストという光が輝かなればとうてい救われない」と。…すると礼拝のあと教会員に言われました、「先生は性格が暗いんじゃない。」また、こういう人もいました。「今年は日本人でノーベル賞をもらった人がいたし、この国も捨てたもんじゃないですよ。闇の世界というのは言い過ぎでしょう」。   

 その時、私が言葉足らずで、言い方が過激だったことは認めなければなりません。ただ、ここで皆さんに考えて頂きたいことがあります。それは、キリストという光がさしてこないけれども暗闇とは言えない、そんなところが本当にあるのかということなのです。

…私の言い方を批判した教会員が、この世の中は暗闇ではない、なぜかというとキリストという光のもとにあるからだ、こう考えていたのだとしたら、その考えは正しい、と判断できます。しかし、キリストという光がさしてこなくても、この世は暗闇ではないのだ、そう考えていたのだとしたら、それは間違いだと判断せざるをえません。…今、私たちが生きているこの世の中が、もしも暗闇ではなく、従って絶望的状況に置かれているのではなく、それどころか明るい世の中だと判断できるとしたら、それは人間にもともと備わっている良いもののおかげではなく、神の憐れみによるお支え以外にはありません。人間は誰もが罪深い存在で、神のみ手が及んでこないところではどこまでも堕落し、破局へと向かうしかないからです。

 もしも私たちの生きる世界が暗闇ではなくて明るい世界だとしたら、イザヤ書に書いてあることは、遠い遠い過去の歴史ですから、私たちはキリストによってもたらされた今の幸せを感謝をもって受け取るということになるでしょう。…これとは反対に、私たちの生きる世界がまったくの暗闇で、少しの光もさしてこないようなら、それはキリストという光でさえも消えてしまったことになり、私たちはどこに道を求めて良いのか、八歩ふさがりの状態です。…しかし、私たちの生きる世界にいま暗闇があっても、その中にキリストの光が輝き、燃え続けているのだとしたら、私たちはこの光にこそ立ち帰らなければなりません。

 

 紀元前8世紀、暗闇の中であえぎ、のたうちまわる民に、預言者イザヤは、希望の光を指し示します。それは神がこの民を愛しておられること、まだ見捨てていないということでありました。そのことの現われがひとりのみどりごの誕生です。…ここでは、その子が「生まれた」とか「与えられた」とかいうように過去形で語られていますが、これは現実においてすでに起こったということではなくて、これから先、このことが必ず起こるということを言い表わそうとしている表現です。

 預言者イザヤは神から、新しい王で救い主である方が与えられ、この方が苦難の中を歩む民を守って、闇を光に、死を命へ変えて下さることを示されました。それゆえ「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」と語ることが出来たのです。

 ここで与えられるみどりごの肩には権威があり、それを表わす4つの名前がついています。それが「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」というものです。

 「驚くべき指導者」というのは、その名の通りです。自分以外に助言する人を必要とせず、自らその役を果たされるお方である、ということです。

 次の「力ある神」ですが、ここで神と言われていることに注目して下さい。これはみどりごが単なる偉人でも英雄でもなくて、神ご自身であることを示しています。天の父なる神について、力ある神というのは当然であっても(ネヘ9:32)、それ以外の存在についてこの言い方をするのは普通は考えられません。二つの神様がいるということになりかねないからです。だからイザヤが自分の考えで、この男の子についてそう言った可能性は考えられません。父なる神が示して下さらなければ、イザヤはこのように言うことは出来なかったでしょう。

 三番目の「永遠の父」、これはみどりごがまことの父親のように、愛と厳しさでもってその民を守り、決して見離さないことを意味しています。「永遠の」というのは、この方がご自分の民の歴史を通じて、いや歴史が終わるまでそうであるということです。

 こうして最後の「平和の君」になります。これは、みどりごが国の内外において争いごとや戦争をなくし、平和をもたらされることを教えています。これを示す言葉を見てみましょう。

 2節に「人々はみまえに喜び祝った。戦利品を分け合って楽しむように」、3節に「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった」と書いてあります。ミディアンの日というのは士師記に書いてある話で、神がギデオンとその軍隊を用いて、イスラエルを敵のミディアン人に勝利させて下さった時のことを指しています。その日のように、神は人々を、外国の脅威と圧迫から救いだして下さる、と確信をもって語っているのです。この偉大な出来事は、ここで誕生したみどりごによって実現するのだ、と預言されているのです。

 では、そこで実現する平和とは、王であるみどりごが戦争で勝利することによってもたらされるのでしょうか。戦利品とかミディアンの日という言葉だけに注目すれば、そういう結論にもなるでしょう。けれども4節に驚くべき言葉が載っています。「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」。

 ここで預言されたみどりご、およそ700年ののちに到来されるイエス・キリストは、軍事力ではない別の力によって平和を実現されます。戦争を滅ぼすことによって勝利されるのです。これは亡国の危機の中にあったユダの人々から見ると全く信じがたいことで、「力ある神」と共に無視されてしまったのでしょう。そうして新しい王、メシアの出現だけが待ち望まれるようになったと思われますが、私たちは戦争のもたらす筆舌に尽くしがたい惨禍の中に、神のこのみこころが語られたことに目を留めなければなりません。

 戦争は、人間の罪がもっとも悲惨で、残酷なかたちで現れたものにちがいありません。神は、かつては戦争という人間の愚行に目をつぶっておられたものと思われます。

旧約聖書の時代、神は、戦いの絶えない世界の中で、神の力によって戦争に勝ち抜くことをイスラエルの民に教えられました。しかし、それはあくまでも限られた期間においてです。イザヤの預言が与えられたのは、戦争がもたらす惨禍が極点に達した時で、この時、神は「平和の君」の到来を予告され、憎しみのエネルギーと武器によらない平和の訪れのみわざを開始されたのです。

 パウロはエフェソ書2章14節で、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」と教えています。それは、キリストは十字架を通して人々を神と和解させ、十字架によって人々の中にある敵意を滅ぼされたということにほかなりません。もちろん、今日もなお戦争がなくなっていないわけですから、キリストが始められたご支配が完全に実現していないことは明らかです。アメリカのキリスト教右派のように、今だに旧約聖書の戦争観にしがみついて、戦争を肯定する人もいます。しかし、そうした問題があるにも関わらず、キリストが打ち立てた権威が世界を破局に陥らせず、その導きは今も継続して働いており、いつの日か本当の意味で世界の完全な平和が実現し、神の国が打ち立てられることを信じて良いのです。

 闇の中に歩む民に与えられたキリストという光が、さらに大きく輝いて行くことを祈り求めて行きましょう。

 

(祈り)

恵み深い、天の父なる御神。待降節第一主日の今日、イエス・キリストをお迎えする心の準備をさせて頂いたことを、心より感謝いたします。

もしもイエス様がおいでにならなければ世界は救済されませんでした。神様がこれほどまでに世界と人間を愛していることに人間は気づかず、自分のことをさしおいて神様に対して不平不満を並べたて、結局は滅びへの道を歩んでいたことは確実です。

この世にはいま解決困難なさまざまな問題があり、私たちもそれぞれ生きづらさをかかえ、深刻な状況に直面している人もいるかと思います。しかしながら、私たちがたとえどんなことに遭遇したとしても、絶望するのはまだ早いのです。神のみ子がこの世界に来られ、すべての人の罪と悩み苦しみを担って下さったからです。その中には戦争という人間のもっとも恐ろしい罪さえ入っています。…イエス様は私たちがこれまで思っていたより、もっと大きいお方であられました。どうか私たちが、主イエスのもとにある命の恵みに満たされ、一人ひとりが社会や自分の家庭などに対する責任を果たしつつ、今日からクリスマスに至る日々を、喜びと感謝の内に過ごすことが出来ますようお導き下さい。主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 男性の目に、女性がこのように違って見えてくることがあります。今ここにいる男性ならみな思い当たることがあるのではないでしょうか。女性は男性に比べて体力が劣り、そのほかいろいろな違いもあって、歴史的に男性より低い地位に置かれてきました。聖書にも、夫に対して妻のことを「弱い器」だと言っているところがあります(Ⅰペトロ3:7、口語訳)。一般に男性は、女性を自分より弱い、劣ったものであると見ることが多く、雅歌の主人公である夫もそのひとりだったのでしょうが、いつも上から見下ろすような思いでいると、しっぺ返しを食らいます。‥「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。母親になることで、男性にはない強さが現れるのですが、しかし母親にならなくても、子どもを産まなくても、強さが現れることがあります。それが芯の強さとなって現れることがあり、またその眼差しによって男性をたじろがせることがあるのです。

 夫はこの時、妻の眼差しが自分を厳しく告発していることを感じています。以前、心をときめかせた美しい瞳(4:9)が、無言の内にいま彼を責めており、混乱させ、夫に方向転換を促しています。

 二人の関係は少しずつ変化しています。夫は自分の妻にしたことの過ちを自覚し、それと共に今も妻を愛していることに気づくのです。その愛は、以前よりさらに深められています。‥‥確かに、二人の出会いはじめは、「あの子、かわいい」とか「あの人、素敵ね」で良いのですが、感覚的だった愛が、今や夫婦の危機を経て内面的にものに深化し、このことによって妻も夫も作り変えられ、以前にも増してかたく結びつくことになったのです。

 なお「旗を掲げた軍勢のように恐ろしい」については、これを女性に限らず、キリスト信徒一般に広げて考えることも必要です。ウォッチマン・ニーという人がここで書いたことが参考になります。「信者は愛らしくあるべきであり、それと同時に恐ろしくもあるべきです。今日の信者は、主の御前での愛らしさを失ってしまい、またこの世と敵の前での恐ろしさを失ってしまいました。人はわたしたちを恐れるでしょうか?聖書はしばしば主の恐ろしさを語ります。主が恐ろしいのは、主が聖であるからです。もしわたしたちが聖であることと勝利を守り続けるなら、敵が退き、この世の人が後退するのを見るでしょう。」

 

 それでは8節以下について。まず「王妃が六十人、側女が八十人、若い娘の数は知れないが、わたしの鳩、清らかなおとめはひとり」、ここから、雅歌の主人公はソロモン王であるとする見方があるのですが、私たちとしては、やはりたくさんの妻や側室を持ったソロモン王と乙女のことが雅歌に歌われているとは考えません。

これは、宮廷にいる多くの娘たちの中でも、これほど美しく清らかな娘はないということだと思います。そしてついには、宮廷の王妃や側女たちも彼女をたたえるようになると言うのです。10節はその、宮廷の乙女たちの歌でしょう。

 11節以降が再び、妻の歌になります。「わたしはくるみの園に下りて行きました。」「下りて行く」という言葉から、妻がエルサレムから去ったことが想像されます。彼女はきらびやかな宮廷を離れ、地方の、夫のいる村に帰って行ったのでしょう。くるみは硬い殻の中においしい実が入っています。夫である男性も、そのようにたくましく、誠実で、純真な愛を持ち続けている人なのです。流れのほとりの緑の茂みにいるだろう夫を求めて、彼女は出発します。すると、「知らぬ間にわたしは、アミナディブの車に乗せられていました。」よくわからない箇所ですが、アミナディブというのは「わが血統は高貴」という意味で、これは思いがけず高貴な環境に置かれたような経験をしたということらしいです。愛してやまない夫とまもなく出会うことが出来る、それもただの希望的観測ではなく、確かな約束と根拠のもとに。このような高揚した思いが現れているのです。

 

 雅歌には、神という言葉がひとつも出て来ません。そのため信仰的でないと批判されることもあるのですが、それは間違いです。愛し合う二人は、「あなたしか見えない」という状態ではありません。世の中にはそのような愛もありますが、二人はそれとは違い、神のみ手の中で愛をはぐぐみ、一時的な結婚生活の危機があってもそれを乗り越え、真実の愛の完成に向かって進んでいます。そのことを見て頂きたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。世の中には歌謡曲にしてもテレビドラマにしても、男女の間に起こることをくりかえしくりかえし描いていますが、私たちが今日、聖書を通して、それらをはるかに超える話を与えられたことを感謝いたします。

 神様、今ここには結婚している人も、(これから結婚する人も)、また配偶者を天に送った人も、また独身を選んだ人もいますが、どうかそれぞれの歩みの上に神様の祝福が与えられますように。結婚した人も、独身を選んだ人も、みんなたいへんな歩みをしていることと思いますが、それぞれが人生で遭遇したこと、またこれから起こるであろうことについて、これは運命だとしてあきらめるのではなく、神様の導きを喜びと感謝と確信の上に受け入れることが出来ますようにと、お願いいたします。すべてのことが神様の栄光のために、なされますように。

 この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって、み前にお捧げします。アーメン。

見つめ合うひととき youtube 

雅歌6:1~12、Ⅰコリ9:3~5   2019.11.24

 

 雅歌は聖書の中でもさまざまな議論のある書物なので、礼拝の中で用いられるということは昔からあまりなかっただろうと思われます。皆さんも、私がここで話すまで、礼拝説教で雅歌について聞くことがなかったのではないでしょうか。聖書に雅歌があることは知られてはいても、みんなこれに触れることを避けてきた、それは、教会では、恋愛や結婚に関することばかりが書かれている雅歌を語りづらかったということが大きな理由としてあったわけですが、人はこうしたことをまるでないかのように無視して生きることは出来ません。

 日本の教会では、各教派とも、結婚式の時を除き、男女間のことは口ごもって、あまり言おうとしない傾向があります。結婚は、家庭を築き、子孫を残すためにやむをえず行う、いわば必要悪のようにとらえている人さえいて、特に牧師とかカトリック教会の聖職者には、こうしたことから距離を保つことが求められることが多いです。私も「牧師さんって結婚できるんですか」と聞かれたことがあります。‥しかし、テモテへの手紙一の4章に、こういう言葉があります。「終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心奪われ、信仰から脱落する者がいます。このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。」

 ここで、結婚を禁じたりするのは間違いで、悪霊などの働きによるものだと言われています。…もちろん独身を選ぶ人はいて良いのです。主イエスも「天の国のために結婚しない者もいる」(マタイ19:12)と教えられており、結婚しないという人生の選択肢があることは確かなのですが、しかし結婚が禁じられているということでは決してないのです。

カトリック教会では、聖職者は独身制がずっと続けられてきましたが、しかしこの教会で初代の教皇とされているペトロはどうだったか、ペトロのもう一つの名前がケファですが、パウロは「わたしたちは、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」と書いています。ペトロは確実に結婚していたのです。三瓶長寿先生は、おそらくこの箇所から気づかれたのでしょう、パウロも結婚していたと言っておられましたが、どうでしょうか。初代教会では、一般の信者はもちろんのこと、使徒であっても結婚が禁じられているということはなかったのです。それが、12世紀の第二ラテラノ公会議で神父も司祭も司教も修道女も独身であるべきだということになったそうですが、16世紀になってマルティン・ルターが修道院を飛び出して、結婚して以来、プロテスタント教会では牧師も結婚して良いということになりました。‥カトリック教会ではつい最近です、一月ほど前に、アフリカという地域限定ではありますが、聖職者も結婚して良いということになりました。これが世界的に広がって行くのかどうか、注目されます。

大事なことは、人が結婚するにしても独身を通すにしても、それが神の栄光のためになされることで、その人生から神様の素晴らしさが輝くことです。

 

 雅歌に入ります。私たちは前回までのところで、愛し合う若者と乙女がついに結婚に至ったことを学びました。しかし、この新婚早々の夫婦の上に危機が訪れます。その夜、妻は眠っていましたが、心は目覚めていました。夫の帰宅が遅かったからです。妻をさんざん待たせたあげく、夫は帰ってきました。この時、妻は夫の帰りを待ちこがれていたのに、その声を聞いたとたん、腹を立てたのでしょう、夫を家に入れないのです。妻は夫をだいぶ待たせてから、思い直して戸を開けましたが、その時、夫はすでに立ち去ったあとでした。

 結婚当初は、ささいな行き違いでさえも、ああこの結婚は失敗だ、と思いこんでしまうことがあります。夫の言葉を追って、妻の魂は出てゆきます、これは夜の夢の中のことかもしれませんが。夫は見つかりません。呼んでも答えがありません。夜の町を歩きまわる若い女性は、夜警に見つかり、娼婦だとみなされて打ちたかれてしまいます。

 このことのあと、彼女に対してエルサレムの宮廷の乙女たちがこんなことを言います。「結婚前は彼にあんなに夢中で、ついこの前、幸せな結婚生活を始めたと思ったら、今はあまりうまく行ってないようね。いったいあなたの夫って、そんなにいい人なの?」

 そこで妻の方では、夫がどんなに素晴らしい男性かということをとうとうと語り出すのですが、これはほとんどおのろけです。そこには、夫婦の間がうまくいってないことを悟られまいとする妻の意地もあるのでしょう。また、一度別々の場所に離れたことで、夫の良いところが見えてきたのかもしれません。

 夫婦間のけんかは犬も食わないと言われ、望ましいことではありません。ただ夫婦生活において、いつもべったりではなく少し距離を置いて、相手を客観的に見るのは有意義なことです。結婚前から新婚時代にかけては、「あばたもえくぼ」ということがあるわけですね。相手のすべてが好ましく、魅力的に見えます。しかし、はれて夫婦になってからしばらくするとメッキがはがれてきます。「百年の恋も一度に冷める」ということも起こるのです。‥しかし、そんな時、互いに少し離れて、相手を客観的に見てみると、それまで気がつかなかった相手のすぐれたところが見えてくることがあり、そこからいっときの熱情ではなく、長く続いていく愛がはぐくまれることが多いのです。‥‥ただ、あまり長い期間離れ離れになることは良くありません。別居から離婚にということがあるからです。‥実際にはいろいろなケースがあり、それぞれに対する解決方法もさまざまですが、雅歌の主人公たちについて言えば、少し冷却期間を置いたことでその後良い結果になっています。

 6章に入ります。エルサレムの宮廷の乙女たちが言います。「あなたの恋人はどこに行ってしまったの。一緒に探してあげましょう。」エルサレムの乙女たちの言葉はいくぶんからかい気味です。「どうしたの。もしかして、あなたが愛する人は浮気しているかもしれないわね。大丈夫、私たちが助けてあげるわ」といったところでしょう。‥なお、あなたの恋人と訳されていますが、これは「あなたの愛する人」ということです。私の説教では、二人を未婚の男女とは考えません。

 この時、妻は自分は夫が行くところを知っているのだということを言うのです。私はすてられていない、妻なのだから当然夫の居場所を知っているのだということです。妻は確信をもって言います。「わたしの恋しい人は園に、香り草の花床に下りて行きました。園で群れを飼い、ゆりの花を手折っています。」

下りて行くというのは、エルサレムから離れるということ、園は夫の働く場所です。ここには田園賛歌のようなおもむきがあります。エルサレムは神の都でありますが、当時としては大都会であり、垢抜けた、華やかな、その反面虚飾に満ちた暮らしがあったことでしょう。ただ妻は、夫が大都会よりは地方で暮らすことを好み、労働の喜びを知る、勤勉で実直で素朴な人であることを知っています。夫がいるところは彼が生まれ育ち、自分たちが出会ったところ、彼の仕事場があるところ以外にはないのです。彼は羊の群れを飼っています、と。そして、ゆりの花を手折っているとは、花を集め、首飾りを作って妻にかけようとしているということで、それは今もふたりが相思相愛だということにほかなりません。

 

 ではこの時、夫はどうしていたでしょうか。彼の居場所については、書いてありませんが、おそらく妻が言い当てた通りの場所でしょう。夫は妻から離れていたことで、よけいに彼女のことが気にかかり、思い悩んでいます。しばらくの間、ひとりで労働に没頭しようとしたのかもしれませんが、それでもって彼女を忘れることは出来ません。

 夫の心の目に、妻は以前と変わらず美しく見えます。けれども、その美しさは以前とは少し違っています。「恋人よ、あなたはティルツァのように美しく、エルサレムのように麗しく」、ティルツァというのは、イスラエルが南北二つの国に分かれていた時代の北王国の首都です。ティルツァもエルサレムもその美しさによって知られていました。‥ただ町が美しいというと、現代人は例えばパリのような都を想像するのですが、この時代の人たちが考えていたこととは違っている可能性があります。おそらく当時の人たちにとって、町の美しさは、堅固な城壁に守られて平和が維持され、繁栄しているということにあったのでしょう。だから妻の美しさは、威厳のある美しさであったでしょう。

 これと「旗を掲げた軍勢のように恐ろしい」が結びつきます。そう書いてあるからといって、鬼のような女性をイメージする必要はありません。‥‥軍が戦う時、旗はいうまでもなくたいへん重要です。戦いに敗れると旗は奪われますが、勝つと高々とひるがえります。旗の前に、敵は息をのみ、圧倒されるのです。夫はそれまで、ただ美しいとだけ思っていた妻の中に、抵抗しがたい強さを見出して驚き、「わたしを混乱させるその目を、わたしからそらせておくれ」と叫ぶようになったのです。

慰めを与える神  YOUTUBE 

詩編32:6~7、Ⅱコリ1:1~11 2019.11.17

 

 いま礼拝説教で、使徒言行録からパウロの伝道の旅をたどっておりますが、今日、このことに密接な関係のある個所をお話ししましょう。

 コリントの信徒への手紙二が書かれたのには、研究者によるとおおよそ次のような事情がありました。パウロはエフェソに3年間滞在しましたが、その時に彼を悩ませたのがコリントの教会です。教会内に分派が生じたり、不品行な信者がいたり、といった問題がありまして、これを解決するために書かれたのがコリントの信徒に向けての第一の手紙です。パウロはその後まもなく自らコリントに出向いたのですが問題は解決せず、事態はかえって難しくなり、悲しみの内にエフェソに引き返しました。パウロは次に弟子のテトスをコリントに派遣して、問題解決をはかります。テトスは帰りが遅くパウロを心配させましたが、ついに会うことが出来、コリントの信徒が自分たちの罪を悔いてパウロと和解したいと強く熱望しているという嬉しい知らせを持ってきました。そこで喜んだパウロは、テトスを再びコリントに派遣しますが、その時テトスに持って行ってもらったのがこの第二の手紙なのです。

 この手紙には、パウロの人となりがいきいきと描き出されています。…特に、この冒頭の部分で私たちは、パウロが伝道の旅の途上でどんなに大変な苦難を経験したかを知ります。しかし、私たちをそれ以上に驚かせるのは、彼があらゆる苦難の中にあってなおかつ希望を失わず、あふれるばかりの喜びに満ちていたという事実です。彼がなぜそのように生きることが出来たのか、そのことを「慰め」という言葉をキーワードに考えてゆきましょう。

 

 私が信仰生活を始めてまもないころ、心にとても引っかかった事柄がありました。それは、重い病気に苦しんでいる人が深い信仰に到達した、といったようなことです。三浦綾子さんは結核で何年も床にふせっていましたし、星野富弘さんは鉄棒から落下して半身不随の身になってしまいましたが、その苦しみの中から信仰を目覚めたわけですね。こうしたケースはほかにもたくさんあります。で、このような人のことが紹介されますと、私は、不遜な言い方ですが、この人たちは神様を恨むことはあっても感謝することは何もないではないか、と思ったのです。その頃の私は、まだ神の慰めのことを知りませんでした。

 未熟な信仰者は、神様から何か良いものを受け取ることしか期待しません。しかし現実に、病苦の中にあっても、美しい信仰の実を結ぶ人がいるのです。未熟な信仰者は、この世にそんな人がいることを見て驚くのですが、神様はその驚きを喜びと感謝に変えて下さるでしょう。

たとえ体を動かすことが全然出来ない人であっても、信仰に生きるその姿は周囲の人に慰めをもたらし、生きる力を与えてくれます。幸福は、受けることよりも与えることの中にあるからです。この人はすでに苦しみを超えた慰めにあずかっており、これを周囲の人と分かち合っているのです。

 

 パウロは3節のところで、わたしたちの神は慈愛に満ちた父であり、慰めを豊かにくださる神である、と書いています。「慰め」というのは、ギリシャ語原文では「慰め、力づける」という意味があります。ですから、ここでは、互いの傷をなめあうような慰めではなく、もっと積極的な意味が指し示されているのです。

 パウロは「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださる」と言います。だから、「神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」となってゆくのですが、しかし苦難の中でどうして神の慰めをいただくことが出来るのでしょうか。神様の力で苦難がきれいさっぱりなくなるのでしょうか。そういうこともあるかもしれませんが、すべてそうなのではありません。多くの場合、苦難の中にいたまま慰められるのです。力づけられるのです。…どうしてそんなことが言えるのでしょう。それは、神様に愛されていることを知るからです。このような自分でも神様が心にとめて下さり、神様の御用のために用いて下さることを知るからです。

 

 すべて苦難と呼ばれるものは、人類全体の罪と切っても切れない関係にあります。人間の罪があらゆる艱難、苦しみ、悩みを産んできたし、今も産み続けているのです。…もっともこう言うと、今苦しみにあっている人は特に罪が深いのかという議論が出て来ますが、そういうことではありません。もちろん怠惰とか悪意とか、その人の責任によることで苦しみを受けるということもあるのですが、この世ではたとえば環境汚染のように、他の人の罪の結果としての苦しみをそこに責任がない人が引き受けるということがことのほか多いのです。私たち自身にも、自分の言動とか行いが原因でほかの人を苦しめたということがあるでしょう。…ともあれ、誰もが持っている罪ということが、すべての苦難の原因であり、それが死につながっていることを聖書は教えています

 この罪の世界の中にキリストは降りて来られました。十字架上の死によってこの世界の罪と闘われ、罪がもたらす苦しみを背負われたキリストに従うことで、私たちもキリストの受けた苦難にあずかっています。キリストとは比べものになりませんが、やはり苦しみを受けているのです。それはキリスト者、信仰者としての苦しみです。

パウロは言います。「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちに及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれている」と。

 キリストの苦難と、そして慰めにあずかるということを、パウロは彼自身が体験した苦難を通して見出だしています。「アジア州でわたしたちが被った苦難」について、私たちは使徒言行録から学んできました。パウロが伝道した地方で、彼は同胞であるユダヤ人から激しく反対され、迫害され、石を投げつけられこともあったのです。これによって、「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。死の宣告を受けた思いでした」、これは苦しみがどれほど激しかったかを伝えています。…「それで、自分を頼りにすることなく」、これは自分の努力を放棄してしまって神様にすがったということではないでしょう。もちろんパウロは、そんな弱い性格の持ち主ではありません。人間として出来るかぎりのことをしたと思います。超人的な努力をしたはずです。しかし、人間が自分の力を最大限に発揮し、完全燃焼したとしても、近づくことさえ出来ない壁があります。

 「死者を復活させてくださる神」によらなければ、この世ではのりこえられないものがあるのです。

 苦難の理由は、人間の罪に起因します。人間が自分の力だけで罪を克服することが出来ないから、世界に苦しみが続いているのです。パウロが死者の復活を言う時、それは十字架上で死んだキリストが復活したという事実だけを見ていたのではありません。罪と共に死を滅ぼし、人間に永遠の命を与える、神の救いのみわざとしての復活を見ていたのです。だからパウロは苦難に遭遇すればするほど、自分も含めた人間をおおっている罪を思い、罪を克服なさる驚くべき神の恵み、すなわち父なる神が実行されたキリストの復活を信じるようになったのでした。

 この信仰に、私たちすべてが立つことが出来ますようにと強く願います。道は一つ、私たちが望みをかけることが出来る神は「死者を復活させてくださる神」だけです。…この世にある他のいろいろな宗教でここまで達したものはありませんし、キリスト者であってもここまでなっていない人はたくさんいると思います。私たちが単に神様を信じるとか、イエス様に望みを置いているとかではなく、罪と死を滅ぼし、死者を復活させて下さる神様こそを信じる者でありますように。

 パウロは「死者を復活させてくださる神」に望みをかたく置いて、押し寄せる苦難と闘ってきましたし、この時も闘っています。では、これ加えてさらに、コリント教会の人々に「あなたがたも祈り援助してください」と言っているのはどうしてでしょうか。

 パウロとコリント教会の人々との祈りによる結びつきはそれ以前からありました。7節に「あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです」と書かれている通りです。パウロとコリント教会の人々との間に、以前から祈りによる結びつきがあったことは間違いありませんが、パウロは今それを改めて求めているのです。

 「あなたがたも祈りで援助してください」、これが本当に実行される時、パウロたちに神の恵みが与えられます。また、その恵みのゆえに、多くの人々が神に感謝をささげるようになる、こう言うのです。…神は祈り求める人々の声を決してむなしくされず、応えて下さいます。私たちも、祈ることの重さをかみしめたいと思います。

 しかし、このようにして私たちがパウロの生きざまにふれるほど、これほどの苦しみをへないと慰めが与えられないのか、と思う人がいるかもしれません。パウロがその人生と伝道生活で体験したようなことを、私たちが同じように耐えぬいていけるようにはほとんど思えません。パウロの壮絶な人生と、自分の平凡な人生の間につながりがあるのでしょうか。

 その答えになるのが祈りです。人それぞれの人生があります。パウロのような波乱万丈の人生を送る人がいる一方、波風立たない平和な人生を過ごす人もいます。もちろん、平凡そのものの人生を送っているように見える人でも、実際には外から見えないところで、たいへんな苦労をしていることがたくさんあるわけですが。苦しみと悩みに打ちひしがれる人生というのもあるでしょう。人それぞれ生きる世界が違っているために、互いに理解不能になっていることがたいへん多いのですが、誰でも、祈ることは出来るのです。

 祈りということがなければ人と人はバラバラになってしまいます。少し環境が違うだけで、その人の痛みを思いやることが出来なくなってしまいます。ですから、苦しみとたたかっている人のために祈るのは特に大切なことです。パウロが「祈りで援助してください」と理由はそこにあります。

 祈りは人と人との隔たりを取り除きます。祈り、祈られる人がいる時、神様から恵みが両者に働き、両者とも、苦しみを超える慰めを受けることが出来ます。コリントの人々がパウロのために祈ることは、苦難の中で奮闘するパウロを慰め、強めましたが、その恵みはまたコリントの人々にも帰って行ったのです。…そして今、皆さんの中でパウロの言葉にふれて心を動かされている方も、パウロが受け取った慰めを時間と場所の隔たりを超えて受け取っているのです。

 神様は世界全体と私たち一人ひとりの苦しみの根本的な原因である罪と死を滅ぼすために、今も働いておられます。そのことは、すべての人が神の慰めにあずかるために、キリストをこの世に派遣されて教会を建てていったことからわかるのですが、この時、神様は私たちの小さな祈りさえお用いになるのです。

 パウロやコリントの人々の目の前にあったのは、嵐を予感させる雨雲が空をおおっている情景ではなかったでしょうか。…しかし、雲の向こうでは太陽がやさしく輝いています。…信仰がなければ、祈りがなければ、雨雲の向こうの太陽のことを知ることは出来ません。世界を照らす光は、まずパウロのような神様に特別に選ばれた人から語り伝えられ、そして人々の、互いに互いを思いやる祈りを通して広がって行くのです。

 

(祈り)

 私たちの救い主イエス・キリストの父なる神様。夏の日も冬の日も、幸せな時も嵐の夜も、常に変わらず私たちを守り、礼拝へと召して下さる神様のみわざを讃美いたします。

 私たちが礼拝に出席することを不思議に思っている人がいます。自分自身の中にも礼拝から逃げようとする思いがあったかもしれませんが、しかし私たちは怠惰や不安に打ち勝ってここにまいりました。神様のみそばにいることが、ここから離れた何千日にもまさることを知っているからです。

 私たちの中には、いま悩みや苦しみとたたかっている人がいます。その反対に幸せいっぱいの人もいるかもしれません。ただ見た目や性格がどんなに違っていても、人は罪の中にあり、いつか必ず死ぬものです。神様の前に救われなければならないという点では何ら変わりません。私たちが死者を復活させて下さる神様からの慰めと励ましにあずかり、その恵みの中で互いに祈りあい、喜びと悲しみを共にして、イエス様のおられるところに向かって前進することが出来ますように、とお願いいたします。

 神様、私たちをいのちそのものであって、私たちをその恵みの中に生かして下さる主イエスにかたく結びつけて下さい。死と滅びに向かっているかのように見える人生を、死と滅びをこえたいのちの世界に導いて下さい。

 とうとき主イエスのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

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詩編119:129~136 使徒20:1~12        

2019.11.10

  

 パウロは、イエス・キリストの福音を伝えるために世界を巡り歩いて伝道の旅をした人です。前回はエフェソの町に滞在している時に、パウロを目のかたきにする人のためにたいへんな騒動が起こったことを学びました。本日は、この騒動が収まったあと、パウロが次の目的地に向かって出発するところから始まりますが、これは彼がエフェソから命からがら逃げ出したということではありません。とにもかくにも大騒動は終結し、パウロたちキリスト教徒の身の安全が守られたからです。パウロは弟子たちを呼び集めました。この時、大騒動の総括をしたでしょう。そうして、この先何が起ろうともたじろがないようにと励ましてから、別れを告げて出発したものと思われます。

 聖書に地図がついている方はご覧下さい。「8 パウロの宣教旅行2,3」です。点線で示されているのが今回の第3次旅行のルートになります。いまパウロはエフェソにいます。(今のトルコの西側、海に面した港町です。)パウロははエルサレムに帰ろうとしていました、そしてその先にローマを訪問するという計画を立てていたのですが、まっすぐそちらに行こうとはしないで、まず北西のマケドニア州に向かいました。フィリピやテサロニケがある地方です。この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら南下してギリシアに来て、3か月を過ごしました。その大きな目的はコリントの教会に行くことであったと考えられています。

 パウロにとって、コリントの教会は心配でたまらぬ教会だったようです。大きな町の信徒数の多い教会でしたが、不道徳が蔓延しており、ある人が自分の父親の妻をわがものとしているほどだった(Ⅰコリ5:2)というのです。そのほかにもパウロが教会のお金をくすねていると言われるなどさまざまな問題があって、パウロはエフェソに滞在した3年の間にこの教会に二つの手紙を送ったことが確認されていますが、ここでもう一度訪問し、指導することにしたのです。…なお、パウロはコリントに来ている間に「ローマの信徒への手紙」を書きました。これは、まだ見ぬローマの信徒たちへのメッセージでした。

 パウロはそのあと、コリントから船に乗って直接エルサレムの方に向かうことを考えていたようですが、その計画は変更を余儀なくされました。3節に「パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした」と書いてある通りです。ギリシアから出航する船にはたくさんのユダヤ人が乗り込んでくることが予想されます。

コリントのユダヤ人は以前、パウロを襲って、法廷に引っ立てて行ったことがありました(18:12~13)ような人たちですから、船の上で見つかったら最後、海に放り込まれる可能性だってあったのです。

そこで急遽予定を変更し、たいへん時間がかかることになりますが、陸路を選択しました。もう一度マケドニア州を通って行くことにしたのです。

 4節にこの旅に同行した人の名前が出ています。ソパトヨ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テモテ、ティキコ、トロフィモの7人は4つの地域から来ており、各地の教会の代表者です。この人たちについて「トロアスでわたしたちを待っていたが」と書いたのは、使徒言行録の著者である医者ルカです。第一グループの7人と第二グループのルカとパウロはトロアスで落ち合い、七日間そこに滞在しました。

 エフェソでの大騒動が終ってからトロアスに着くまでが、ただの6節にまとめられていますが、実際には紀元55年の夏から57年の春にかけて起こったというのがほぼ定説になっています。この間(かん)にもさまざまな出来事があっただろうことが、使徒言行録とパウロの手紙をていねいに調べることで見えてくるのですが、それは別の機会に譲りたいと思います。

 

 本日の箇所の後半は、トロアスでの礼拝の様子です。それは「週の初めの日」、つまり日曜日のことでした。…いま、日本で発売されている手帳の中には、一週間が月曜日に始まって日曜日に終わるように印刷されているのがありますが、これは間違いで、一週間は日曜日に始まって土曜日に終わるのです。

 トロアスで週の初めの日、日曜日に礼拝が行われたのは、当たり前のことではありません。かつてモーセに十戒の板が与えられて以来ずっと、安息日は土曜日で、土曜日に礼拝が行われていたのです。それが変更されて日曜日に礼拝が行われるようになったのは、(いうまでもなく)十字架上で死なれたイエス・キリストが日曜日に復活なさったからです。トロアスでこの日に礼拝が行われたというのは、日曜日に礼拝が行われたことの最初の記録になっています。

 礼拝を構成する二つの最も大事なものは、説教と聖餐です。ここでは、「わたしたちがパンを裂くために集まっていると」と書いてありますね。パンを裂くのが聖餐です。人々は聖餐にあずかるために、集まっていたのです

 聖餐は、主イエスが十字架にかけられる前、最後の晩餐の席で定めて下さいました。主イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげながらそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

そして、ぶどう酒を注いだ杯を手にしながら、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。このことが守られて、私たちの教会でも聖餐式を守っているのです。

ここで裂かれるパンは、私たちの罪の赦しのために、十字架で裂かれたキリストの体のしるし、そして杯はキリストが私たちのために流された血、新しい契約のしるしです。

 初代教会の時代から今日まで、教会は聖餐を説教と共に大切なものとして守ってきました。パンを裂いて食べ、また杯を飲みほすことは、主イエスが十字架で死なれたことを告げ知らせることなのです。また、これは世の終りの時に、主イエスによって開かれる祝いの宴会を先取りしたものでもあるのです。

 教会では日曜日に礼拝するのが普通になって、やがてそのことを誰もが知るようになります。しかし、日曜日が休日になるのはパウロの時代からずっとあとのことで、このトロアスの人たちにとって日曜日は休日ではありません。この日も、一日働いて、仕事を終えてから集まっていたのです。夕礼拝ですね。人々は仕事の疲れを感じながら、でもパウロが次の日には出発するということなので、貴重な機会をむだにするまいということなのでしょう、みんな一生懸命耳を傾けていました。

 

 さて、そのような礼拝が行われ、パウロの説教が夜中まで続いていたところで、大変なことが起こってしまいました。エウティコという青年が、パウロの話が長々と続いたために、ひどく眠気を催し、三階の窓から転落してしまったのです。

 エウティコは口語訳聖書ではユテコとなっており、居眠りユテコとして有名です。私たちはこの出来事をどう考えるべきでしょうか。

 ある人はここから、牧師はあまり長々としゃべっちゃいけないのだという教訓を導き出そうとします。牧師の中にはふだんでも話し好きで、一度話し始めたらなかなか終わらないという人がいます。牧師が説教でべらべらしゃべっていつまでも終わらないとなると確かに問題です。

 また、ある人は、ここから礼拝中に居眠りしてはいけないということを言おうとします。広島長束教会では居眠りしている人をほとんど見かけませんが、ある教会では、居眠りどころではなく、熟睡していた人が体のバランスをくずし、つんのめって通路に転がりこんでしまったことがあったそうです。居眠りするというのは礼拝に集中できないでいることなので、これも確かに問題です。

 しかしながら、聖書はこうしたことを言うために、エウティコの話を書いているのでしょうか。そうではありません。

 私たちはこの話から、「説教中に居眠りすることはこの時代にもあったのだ」と思って、安心してはいけません。そんなのんきな話ではないのです。…この礼拝はなぜ、私たちが今しているような日曜日の午前中ではなく、夜に行われているのでしょうか。それは日曜日が休日ではないこの時代、多くの人は昼間仕事をしていたからです。日曜日が休日になったのは、もっとずっとのち、紀元4世紀になってからです。皆さん、一日の仕事を終えてから教会に集まって礼拝する人のことを考えて下さい。つまりその人たちは、私たちが休日である日曜日の朝に礼拝を守っているのとは比べものにならない厳しい状況下にいたのです。

 この日の礼拝には多くの人が集まっていたようです。またたくさんのともし火がついていたことから、部屋の空気は眠気をさそうものだったものと思われます。パウロの話はなかなか終わりません。エウティコが昼間、何の仕事をしていたかわかりませんが、重労働だった可能性もあります。彼は、睡魔とたたかいながら必死になってパウロの話を聞こうとしたのですが、ついに居眠りをして三階の窓から転落してしまいました。…私たちがこの青年において見るべきなのは、怠け者で信仰が浅い人の姿ではありません。そうではなくて、疲れた体を鞭打ちながら、み言葉を聞き逃すまいと懸命になって努力している人の姿なのです。

 

 エウティコは転落して死んでしまいました。パウロは出て行って、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて、「騒ぐな。まだ生きている」と言いましたが、これは仮死状態になったエウティコが息を吹きかえしたということではありません。使徒言行録の著者、ルカは医者です。彼がその目で見て死亡診断を下したのですから、エウティコは確かに死んだ、しかし復活したということなんですね。ここに奇跡が起こりました。主イエスご自身がパウロを通してこの場に臨まれ、青年の命をよみがえらせて下さったのです。

 この出来事が示しているのは、み言葉の説教と聖餐が行われる礼拝において、死に打ち勝たれた主イエスが生きて働いておられるということです。その恵みが、この時、目に見える形で示されました。パウロと人々は再び礼拝の席に戻り、パンを裂き、み言葉を語り、それが夜明けまで続きました。パウロが出発したあとのことについて、12節は、「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた」と書きます。なぜ人々は大いに慰められたのでしょうか。なぜ「居眠りなんかするから、こんなことになったのだ」などと非難することをしなかったのでしょうか。

…私は、この教会のみんながエウティコが置かれた状況を理解し、またふだんから彼のことを気づかっていたのだと想像しています。かりに信仰においてふまじめで、怠惰な青年が死んでよみがえったとしても、それは驚くべきことですが、エウティコの場合、それ以上のことがありました。人々はエウティコを失わずに済んだことに胸をなでおろし、本当に良かったと思ったでしょうが、それと共に、ふだんきつい労働に耐えながら、ほんらい体を休めなければいけない時間を割いてでも道を求めて、教会に足を運ぶ青年が死なずにすんだことの中に、貧しい、しいたげられた人々を愛してやまない神の愛を見出したのです。

 教会では神の愛ということをよく言いますが、それがお題目みたいになってしまうことを恐れます。初代教会では、神の愛がこのように具体的に示されていたことがわかります。もちろん、現代の教会で、事故で死んだ人がよみがえるなどというのはたいへんに考えにくいことですが、外に現れた現象にとらわれることはありません。神の愛が一人ひとりに注がれ、そこから何かが起こる時、超自然的なことが何もなくとも、その一つひとつが奇跡なのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。神様は今日この時も私たちをここに招き、私たちが捧げる礼拝を受け入れていて下さいました。神様をたたえます。

 今日神様は私たちに、愛に満ちた教会の姿を見せて下さいました。…教会も罪と弱さを持つ人間の集まりです。真剣に救いを求める思いがうすれ、神様への不信がめばえたり、そこに集まる人間同士が、ねたんだり敵対しあったりすることもあります。しかしそのたびに神様は、死んでよみがえられたイエス様を通して、私たちの神様への思いを刷新し、新しい豊かな、生きた、力強いものにして下さいます。このことを奇跡と言わずに何と言うことが出来るでしょう。神様、神様がむかしトロアスの教会に与えたような恵みをもって、私たちを支え、お互いを思いやる心を増し加えさせて下さい。そのことによって、いまだ神様を知らない人たちの間でも、正しく、強く、神の愛をもって生きる者として下さい。その場所に私たちにとっての幸せがあることを思い、感謝いたします。

 この祈りを、とうとき主イエスのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。

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士師6:25~32、使徒19:28~40  2019.11.3

 

 今日は旧約聖書の士師記に出て来るお話から始めます。…これは奴隷の地エジプトから解放されたイスラエルの民がカナンの地にたどりついたあとの出来事です。イスラエルの民はその頃、ミディアン人という民族に支配され、彼らが拝む神々に仕えていました。しかし本当の神の導きは失われないままありました。神はヨアシュの子ギデオンに、バアルの祭壇とアシェラの像を切り倒して、主なる神を礼拝しなさいと命じられたのです。ギデオンは昼日中にこれを行うことを恐れて、夜中に実行しました。次の日、町の人々が騒ぎ出して、ヨアシュに、お前の息子が犯人だから、引き出して殺せと迫ったところ、ヨアシュは答えました。「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか、…もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう。」

 バアルの神もアシェラの神も人間の手で作られた偶像にすぎません。目があっても見ることが出来ず、耳があっても聞くことが出来ない、もちろんしゃべることも出来ません。自分を壊そうとする人がいても抵抗すら出来ない、無力な存在ですが、しかしそれが大きな力を持っているかのように思ってしまう人が多く、そのため、偶像の神々を信じる信仰が、社会の中である一定の力を持つようになるというのが現実です。…そこで誰もが目を見開いて、もう一度偶像の正体を見破り、それがもたらす力とたたかわなければなりません。

 

 前回の話の続きです。エフェソの町に女神アルテミスをまつる神殿が建っていました。この神殿は全部が大理石で出来ていて、幅が70メートル、奥行き120メートル、高さ19メートル、直径1.8メートルの柱が128本立っているというたいへん壮麗なもので、当時、世界の七不思議の一つに数えられるほど有名なものでした。

 この町に、参拝客に銀で造った神殿の模型を売る職人たちがいました。その一人、デメトリオが同業者を集めて言いました。「諸君、御承知のとおり、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」

ここからただならぬ騒動が起こりました。デメトリオの言葉を聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び始めました。昨年出版された聖書協会共同訳では「偉大なるかな、エフェソ人のアルテミス」となっています。この言葉はアルテミス神殿でお祭りや儀式が行われた時などに、参拝者が唱えていた言葉のようです。ギリシャ語の原文では、メガレー・ヘー・アルテミス・エフェシオーンと言います。皆さん、ためしに心の中でこれを繰り返してみましょう。「メガレー・ヘー・アルテミス・エフェシオーン、メガレー・ヘー・アルテミス・エフェシオーン…」、…少しずつ興奮してゆくだろうことがわかりますか。

今日でも、ある種の政治団体や宗教団体で、似たようなことがあります。同じ言葉をくりかえし唱えるのです。それも集団で。そうすると気分が高揚していって、ついに思考停止になってしまうんですね。…私には専門外のことなので間違っているかもしれませんが、こんな時、人間の脳の中で何かの物質が分泌されるのかもしれません。エフェソは、こうして町中が興奮のるつぼになってしまいました。これは非常に短い間に起こったことだと思います。人々はパウロの同行者であるガイオとアリスタルコを捕らえて、一団となって野外劇場になだれ込みました。エフェソの野外劇場は、2万5千人を収容することができる巨大なもので、演劇だけでなく、市民の集会にも用いられていたということです。デメトリオとその仲間は、ここで臨時の大規模な市民集会を開き、パウロたちを糾弾し、その伝道をやめさせようとするつもりだったのではないかと思います。しかし興奮状態の中で何がなんだかわからなくなっていったようです。

 

この緊急事態にあたって、パウロは人々につかまえられることは免れましたが、逃げ隠れはしません。自ら進んで群衆の中に入って、危険に身をさらそうとしたのです。…2人の仲間がつかまっているのに、自分だけ安全な場所にいるのは出来ないことでした。自分の思いや信じていることを大胆に語る、そのためには命を失うことも恐れないのがパウロです。けれども弟子たちがそうはさせませんでした。

また、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼みました。この高官たちがつかさどっている祭儀というのは、エフェソの町が管轄しているアルテミス神殿の祭儀ではなくローマ帝国の祭儀で、それは皇帝を神と崇めるような祭儀であったと推測されます。そのような祭儀が、キリスト教信仰と異なることはいうまでもありませんが、パウロがそのような人たちとも交友関係を結んでいたことは注目されます。

パウロが伝えた教えが広範囲の人たちの心を揺り動かしていたことのあらわれでしょう。

こうしてパウロは劇場に入ることを思いとどまったのですが、パウロと弟子たち、高官たちのそれぞれの判断は正しかったのでしょうか。もしかするとその判断は誤りで、パウロは劇場に入って、命をかけても弁明するべきだったかもしれません。しかし劇場に入らないという判断が間違っていたとも言えません。パウロが置かれた立場は、先に連れ去られた二人よりもはるかに危険なのです。幕末の革命家、吉田松陰に「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業を果たす望みあらばいつでも生くべし」という言葉がありますが、そのように、命を粗末にしないことはいつ、誰にとっても大切です。私たちの場合、パウロとは違い、生きていてたとえ大業を果たす望みがないかもしれませんが、それでも生き抜いていかなければなりません。

 

集会は大混乱となりました。そのありさまは、「群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった」と書いてある通りです。この人たちにもそれまでの人生で悩みや苦しみがあり、不満がたまっていたはずで、日頃うっせきしていたものがここで一挙に爆発したのでしょう。このことを「ガス抜き」と言ってしまうと、言葉が軽すぎます。心にためこんだ重いものをどのように処理したら良いのか、人々は自分の町に入ってきたよそ者、異分子に怒りをぶつけることで問題を解決しようとしたのですが、この段階では興奮状態の中、何がなんだかわからなくなってしまったのです。

その時、アレクサンドロという人がユダヤ人に押し出され、群衆を静めて、話をしようとしたのですが、彼がユダヤ人だと知った群衆によってストップさせられるということが起こりました。…おそらくこういうことでしょう。アレクサンドロは「われわれユダヤ人もパウロに腹を立てているんだ」と言うつもりだったのです。ユダヤ人はパウロの伝道に反対する群衆に同調しようとしたのです。ところが偶像礼拝に反対するということでは、ユダヤ人もパウロたちキリスト教徒も違いはありません。その場にいた群衆からすると「同じ穴のムジナじゃないか」ということで、いよいよいきりたって、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」を2時間ほども続けたというのですから、もはや混乱のきわみと言うほかありません。

この状態を鎮めたのが何だったのかということを考えてみましょう。それは、神様の超自然的な介入ではありません。つかまえられたガイオとアリスタルコでもなく、パウロも不在で何も出来ません。それはエフェソの町の書記官です。書記官はエフェソの市民会議で事務局長としての役割を果たす人で、会議の決議案を起草し、決議された事項を公布する務めを担っていました。同時に、エフェソ市民の代表者としてローマ帝国の地方総督と折衝するという立場でもあったのです。書記官は市民生活の秩序の維持に責任をもっていたので、もしもエフェソで暴動が起こったら、ローマ帝国の地方総督から自分の罪を問われるのは明らかだったのです。

そこで書記官は、何とかしてこの騒ぎを鎮めようとしました。彼の発言には3つの内容があります。第一が、アルテミスの神をたたえたことです。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。」

「天から降って来た御神体」というのはよくわかりません。アルテミスの像が天から降ってきたと信じられていたのか、あるいは隕石がアルテミスの像とは別に御神体とされていたのかのどちらかです。書記官はアルテミス神殿の権威はすべての人にとって自明のことなのだから、パウロの伝道くらいで否定されるようなものではない、安心しなさいと言って、群衆をなだめたのです。

書記官は次に、パウロたちの伝道がアルテミス神殿を冒涜するものではないと言って、パウロを弁護しました。「諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない」と言われている通りです。パウロは「手で造ったものなどは神ではない」とは教えたものの、神殿と女神を冒涜するような言葉を発したり、暴力に訴えるようなことはしなかったのです。…この点に関してはギデオンの時代とは違います。旧約聖書の時代、実力でもって偶像を破壊することが行われましたが、イエス様はそんなことを呼びかけてはおられません。パウロもそうだったのでしょう。

書記官はさらに、訴えたいことや要求があったら、法で定められた手続きに従って解決するようにと勧告します。38節以下、「デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、定められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。」

書記官は、最後に「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」という厳しい警告を発して、集会をようやく解散させました。

ここで起こった出来事は、私たちに大きな謎を投げかけます。この、ただならぬ騒動が鎮まるまで、つかまえられた二人も、パウロも、弟子たちもなすすべがありません。主導権を発揮したのはエフェソの町の書記官で、この人は信者ではないのです。彼は、アルテミスの神をたたえる言葉を用いて、混乱のきわみにあった群衆を鎮めました。…あとで事の一部始終を聞いたはずのパウロはどう思ったのか、聖書には何も書いていないので、気になるところです。…ここで起こったことは、偶像崇拝に対して一部妥協することによって、町の混乱がおさまり、パウロたちの命が守られたということではないでしょうか。

私はここで、こんなことを話したくはありませんでした。…パウロたち信者の側が最後まで信仰を守り通し、神様の助けが加わって、危険を脱することが出来たというストーリーであってほしかった、しかし現実はそうではなかったのです。…では、パウロはとどめようとする手を振り切って劇場に入るべきだったのでしょうか。しかしその場合、命は保障されません。…すっきりした説明は出来ませんが、おそらく、パウロを劇場の中に入らせないということの上に、神様の不思議なみこころが働いていたのでしょう。

この世の中で信仰を貫いて行くことが難しく、別の信仰に妥協せざるをえないようなことが起こる場合があります。そんな場合、たとえ自分の命を失っても信仰を貫いてゆくべきなのか、それとも別の信仰に妥協することで自分の身の安全を確保すべきかはたいへん重大な問題で、容易に解決で解決できるものではありません。祈りが大切なゆえんです。

エフェソで起きたことについて、一つの解決のヒントがあるとすれば、それは、この事件は法によって解決されたということです。書記官は法による秩序を強調し、パウロは法によって守られました。法に書かれていることを神の言葉ということは出来ません。しかし法は神様を通して、人類に普遍的に与えられているのです。例えば、人を殺してはいけないという法は全人類共通です。無秩序な集会が暴動に発展していくことも、世界のどの国であっても法に触れてしまいます。法によって私たちはこの国で安全に生活でき、信教の自由がありますから、こうして礼拝出来ているのです。パウロの生涯を見てわかることは、彼は法律の知識を駆使して、自分の身を守ったということです。信仰者であるからといって、決して現実をわきまえない、ドン・キホーテ的な人間だったのではありません。私たちも現実的な感覚を磨くべきです。

 

(祈り)

 愛する主イエス・キリストの父なる神様。どうか私たち一人ひとりを顧みて下さり、解決がきわめて困難な問題の前に立たされとしても、信仰によってこれを切り抜けてゆくことが出来ますようにお支え下さい。その時に、何が起こっているかを正しく観察する目を養い、現実的な方策を編み出すことが出来ますように。私たち信仰において弱い、力のない者たちを、これ以上の試みにあわせず、悪より救い出して下さい。とうとき主のみ名によって祈ります。アーメン。

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鎖を断ち切る神  youtube

出エジプト6:2~13、ヤコブ5:1~6  2019.10.20

 

 出エジプト記は、エジプトで奴隷となって重労働に苦しんでいたイスラエルの民が救い出され、荒れ野の中を進んでいくところを描きます。今日はその中の6章の2節から13節までを通して、本当の自由について考えてみましょう。

 

 自由ということを考えようとすると、その意味するところがたいへん広く深いことに多くの人が気がつくことと思います。誰もが自由に生きることを望んでいます。しかし、誰もが自由を獲得出来るものではありません。日本社会のことを自由主義社会と言うことがあります。政治的な自由や経済的な自由がないとされる国に比べたら日本は自由だとしても、本当の自由はあるのでしょうか。私たちの毎日の生活の中で多くの束縛があることに気づくことがあります。私たちが自由を満喫しているとは言えるなら良いのですが、実際はどうでしょうか。

 それでは、私たち一人ひとりにとってどのような自由が望ましいのでしょうか。一人ひとりその立場や信条などによって考え方が違ってくるので、誰もが納得するような自由を定義するのは困難ですが。…ここに病人でもなく高齢でもない人がいるとして、その人がもしも毎朝好きなだけ寝坊出来、働かなくてもおいしい食事を食べることが出来て、毎日遊んでいられるとしたら、それは自由と言えるのでしょうか。…たとえば、宝くじで1億円が当たったらということを考えてみましょう。私たちの多くはそんな幸運が来ることを願いながらもくじではずれ続けるか、どうせ当たらないとあきらめてくじを購入しないか、…初めからくじは購入しない人もいると思いますが、仮にそんなことが起こったとしましょう。…初めのうちは大喜びで、お金を湯水のように使う生活をしていたとしても、やがてむなしくなるのではないかと思います。…実際、アメリカなどで高額の宝くじに当選した人の多くが、そのために悲惨な結果を背負い込んだと言われています。…労せずにころがりこんだ莫大な財産で優雅に暮らす、それは一見自由に見えますが、本当のところは自由ではありません。自分の欲望に支配されているだけだからです。自由をはき違えると、とんでもないことになるのは、皆さんもよくご存じのことと思います。

 イエス・キリストは「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」(ヨハネ8:34)とおっしゃいました。たとえ外目には自由そのもののように見えても、目に見えないところで罪の鎖にしばられ、がんじがらめにされている人が多いです。そんな人を罪の奴隷と言いますが、今この場所に自分は罪の奴隷ではないと言い切れる人がどれだけいるでしょうか。私を含め、ほとんどすべての者が、自分は罪の奴隷から解放されたいと願っているのです。

 もっとも、今日のお話のテーマは罪の奴隷ではありません。関係はあるのですが。それは一切の但し書き抜きの奴隷、罪の鎖という目に見えないものでなく、目に見える鎖に縛られている人、精神だけでなく肉体の上でも自由を奪われている人々です。

 

奴隷は世界中に広く存在していました。かつてアフリカからアメリカ大陸に一千万以上の黒人が連れてゆかれ、奴隷となって悲惨な生活を強いられたことは人類が忘れてはならないことです。今日の世界でも奴隷はいなくなったのではなく、実際に奴隷が存在する国があるようです。たとえ奴隷という言葉は使わなくても、奴隷のように働かされて、死ぬまでこき使われる人がいることは世界のいろいろな場所から報告されています。日本もこういう問題と無縁ではありませんね。

私の弟も朝早く出勤して、帰ってくるのが夜の12時です。そういう生活を毎日続けていると、日曜日ぐらいごろ寝していなければ体が持たず、教会の礼拝に来るのはたたかいになります。だから教会には現役のサラリーマンが少ないのですが、教会に来れる人はその人たちの苦しみをよそ事とは思わず、せめてお祈りの課題として覚えておかなければなりません。

 

古代エジプトで寄留のイスラエルの人々が奴隷となり、神がモーセを立てて奴隷解放のたたかいを行われた、これは人類の歴史の中で永遠に語りつがれるべき大きな出来事です。

羊飼いのモーセは80歳のとき神と出会い、3歳上の兄アロンと共に民族解放のたたかいの先頭に立つことになりました。モーセとアロンはまず勇気をふるってファラオの所に行き、「どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください」とお願いしました(5:1~3)が、ファラオは二人のたっての願いを拒否したばかりか、イスラエルの人々の仕事をさらにきつくしたために、人々は苦しみ、怒りの矛先はファラオではなくかえってモーセに向けられるようになりました。同胞のイスラエルの人々に詰め寄られて抗議されたモーセは、たまらなくなって神に祈りました。……神様、どうしてなのですか。私があなたの命令に従ってやったことが事態をますます悪化させています。それなのに神様は助けて下さらない。いったいなぜですか、と。…モーセの気持ちは、悩みと苦しみの中で真剣にお祈りをした経験がある方なら共感できることと思います。…神様を信じたためにかえって苦境に追いやられる、そういう体験の中から祈る人がいます。しかし神は人間の真剣な祈りを、くずかごに捨てて投げてしまうようなお方ではありません。

神はモーセに答えられました。ご自分の強い手によって、イスラエルの人々をエジプトから去らせると、…力強い励ましの言葉をかけて下さったのです。

これに続く神様のお言葉を見ましょう。6章2節の「わたしは主である」、これは神様の自己紹介です。バアルの神でもアシュタロトの神でもない、山の神でも川の神でも火の神でもない主なる神であり、また全能の神でもあられます。神様はかつてイスラエル民族の祖先アブラハムに対し、お前たちにカナンの土地を与えると約束されました(創17:8)。いま、神様はエジプトで奴隷になっている人々のうめき声を聞いて、約束を思い起こされました。

6章6節:「わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」。…神様はイスラエルの民を抑圧から解放なさいます。重労働から導き出し、奴隷の身分から救い出します。…ここに贖うという言葉があります。買い戻すとか、身代金を払うという意味です。神様は奴隷となっている民を買い戻して自由な民にするとおっしゃるのです。

それでは7節の、「わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる」とは何でしょう。これは神がイスラエルの民を奴隷の鎖から解放なさる時、イスラエルの民と主なる神の間で新しい関係が結ばれるということにほかなりません。イスラエルの民はファラオの民ではなく神の民となります。エジプトの権力者ではなく主なる神こそイスラエルの民の神なのです。神は人間を奴隷の身分のままにすえ置きながら、あきらめろ、自分の運命を受け入れなさいとはおっしゃいません。

主なる神は続けて、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える」と言われます。この時点では、イスラエルの人々は重労働からの解放をひたすら願うばかりで、神がカナンの地を与えると言われた約束など頭になかったと思います。しかし、神は誰もが思いもよらなかった方法で、その約束を実行なさることになるのです。

 

イスラエルの民を救い出してご自分の民とし、約束の地に導き入れる……主なる神のこの素晴らしいみわざは、イエス・キリストとの新しい契約の下にある新約時代の私たちに何を語っているでしょうか。私たちは聖書を通して語られた神のみこころを現実の歴史の中に見出してゆきましょう。

奴隷は古代エジプトだけでなく、古代ギリシアにもおりましたし、イエス様の時代のローマ帝国にもおりました。「イソップ物語」で有名なイソップも古代ギリシアで奴隷だったと言います。ローマ帝国はたくさんの奴隷をかかえており、社会のあらゆる分野の仕事を奴隷が受け持っていました。一般の市民は奴隷に仕事をさせて、自分はぜいたくな生活をしていたのです。

奴隷というと、残酷で悲惨な姿ばかりが想起されますが、長い歴史の間にはそうとも言えない人もいたようです。中には主人の家族から愛され、信頼された奴隷もいました。…しかし、消すことの出来ない一つの事実があります。奴隷は人格を持っていない物件だったのです。だから奴隷がどれほどすばらしい人格者であっても、またどれほどすぐれた能力を持っていたとしても、人間としての権利や自由は認められず、主人の財産の一つでしかなかったのです。

 こんな世界の中で、神が奴隷の民イスラエルを救い出されたということが、虐げられた人々にとってどれほど力強い励ましのメッセージとなったか、私たちには想像もつかないほどです。人間は何だかんだと理屈をこねまわしては、奴隷制度を肯定しようとするものですが、そんな時、聖書ははっきりと奴隷解放の旗をかかげました。そうして主イエスを通して、さらに神はすべての人を愛しているという素晴らしいニュースが世界にもたらされました。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリストにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。…こうしたことの結果、まず教会の中で身分制度による壁が壊されました。初代教会の時代、社会の中で一般の市民と奴隷が一緒にいることなど考えられませんが、教会の中で、奴隷と主人が一緒に礼拝するということが起きました。そうして、奴隷の間からも教会の指導者が出てきました。教会の中で、社会に先がけて奴隷解放の動きが始まっていたのです。

 ただ、ここで踏まえておくべきことがあります。奴隷解放は神のみこころだからと、すぐに武力に頼り、戦争という手段に訴えてでも奴隷解放を進めようという人が出てきます。奴隷に向かって主人への憎悪を吹き込もうとする人もいたはずですが、聖書の教えはこういうこととははっきり一線を画しています。Ⅰテモテ6:1には「奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません」という言葉があります。一方、コロサイ4:1では「主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい」と言っています。新約聖書は奴隷に向かっては主人を尊敬するように、主人に向っては奴隷を虐待しないように呼びかけているのです。

人類の歴史の初め、人間には身分や階級の区別はありませんでした。人間の世界に罪が入り込んでから、力の強い者と弱い者の違いが出て来て、奴隷と自由人の区別が出来ました。ですから奴隷制度をなくすためにも人間の罪が克服されなければなりませんでした。奴隷と奴隷をこき使う人の間で、互いの憎しみを増幅させるような考え方は、この問題の根本的な解決にはなりません。ですからアメリカのキング牧師も、「汝の敵を愛せよ」を座右の銘として、黒人の解放運動を闘いました。

もしも奴隷と主人の間で身分や階級の違いを乗り越えて、新しい人間と人間の関係が打ち立てられたら、憎しみではなく神の愛によって人と人とが結ばれたら、…これは決して夢物語ではありません。聖書は、この問題の最も現実的な解決方法を呈示しているのです。

 

神の言葉が与えられたモーセは、その時、勇気凛々と奮い立ったでしょうか。9節以下を見ますと、またもや同胞の無理解に直面して自信を失ってしまったようです。しかし神は再びファラオに告げるべき命令を与えられました。私たちはモーセが少しずつ信仰の勇者へと変わってゆくことを見ることになるでしょう。

私たちはモーセに与えられた神の言葉を、現代社会の現実の中で受け取ってゆきましょう。私たちはただ神様だけに属する自由な者たちです。イスラエルの民を解放なさった神はまた、信者たちを罪の奴隷の身分から解放される中で、現実の社会の力関係の中で底辺に追いやられている者たちにも、また社会的地位の面で上に立つ者たちにも、本当の自由を指し示して下さるに違いありません。キリストの十字架の死によって私たちの贖いを成就して下さった神は、誰もが奴隷のくびきから解放されて自由を享受できる神の国を与えて下さるのです。

 

(祈り)

天の父なる神様。あなたの愛は人の思いの及ばぬほど大きく、恵みの深さは測ることができないほどです。あなたは私たちの祈りを聞いておられ、私たちが求めるものよりはるかに善いものをもって報いて下さる方です。この神様が今日、私たちのために礼拝の時間を作って下さいました。

私たちは自分の身近なこととかテレビで見ていること以外に思ったり考えたりすることが本当に少ないです。自分の国で起こっていることにも目が届きませんから、まして世界の動きなどまるでわかりません。しかし、神様は世界のすべてをご覧になっておられ、人と人、国と国の間をさばき、導き、数えきれない人々の祈りをお聞きになっておられるのですね。神様が心にかけて下さる人間の中に、私たちがいるとは恐れ多いことです。心より感謝申し上げます。

モーセの時代、重労働に苦しむ人たちがいましたが、現代もそうです。私たちの身近な人の中にも限度を超えた労働で倒れそうになっている人がいることを覚えます。どうか、その人に休息を与えて下さい。神様、この国に労働の尊さと、これに伴う休むことの大切を示されますように。日曜日の礼拝が祝福されることで一週間の活力が与えられ、神様のお守りのもとでの平日を感謝の内に過ごすことが出来ますようお導き下さい。

この祈りをとうときイエス・キリストのみ名によってみ前におささげします。アーメン。

   ただならぬ騒動  youtube

イザ44:9~20、使徒19:21~27  2019.10.13

 

聖書に書かれていることは、今からはるか昔に起こったことですが、大昔の出来事として片づけることのできるものは一つもありません。私たちが日本の歴史に興味を持って、いろいろな史実を調べたりすることで、そこから現代に通じる教訓を見出すことも出来るでしょう。しかし、聖書に及ぶものではありません。聖書には神がどのようなお方なのか、イエス・キリストが何をして下さったのかといったことと共に、人間がどれほど罪深いもので、そこから救われるにはどうしたら良いかということが書いてあり、時代と場所を超えて現代に生きる私たちを照らし出しているのです。

私たちが、また教会が、直面し、悩み、考える問題はすべて聖書に取りあげられていると言っても過言ではありません。もしも、自分が必死に答えを求めている問題が聖書に書いていないと思っている人がいたら、それは聖書をまだ十分には調べていないからなのかもしれません。今日は、そうした問題の中から、神の国の広がりに伴って必然的に起こってくる妨害について見ることにします。

 

前回、私たちは、自分では信じてもないイエス様の名を語ったユダヤ人の祈祷師たちが、逆に悪霊から襲撃され、さんざんな目にあわされたことを学びました。この事件がエフェソの人々に知れ渡った結果、イエス様の名前は大いに崇められるようになり、信仰に入った大勢の人が来て自分たちの悪行を告白したり、大量の魔術の本が焼かれたりということが起こり、こうしてイエス様の言葉はますます勢いよく広まって、力を増していきました。この地に劇的な変化がもたらされたのです。

このようなことがあったのち、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心しました。エフェソから北に向かいエーゲ海を渡っていくとマケドニア州で、そこにはパウロが福音の種を蒔いたフィリピ、テサロニケ、ペレアの教会があり、そこから続けて南に向かいアカイア州に入るとアテネやコリントの教会があります。パウロはこれらの教会を訪ねて、信徒たちを励まそうとするのですが、この時、もう一つの目的がありました。第一コリント書16章1節以下にこう書いてあります。「聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、(つまり日曜日ですね)、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。

わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。」

つまりパウロはマケドニア州とアカイア州の教会から献金を受け取って、エルサレム教会に届けようとしていたのです。エルサレム教会は歴史上初めて出来た教会ですが、だからと言って裕福な教会ではなく、たくさんの貧しい信徒たちがいました。そこでパウロは、あとから誕生した異邦人の教会をまわって献金を集めたのです。…献金を出した教会がこれを受け取る教会を見下すようなことがなかったことも言っておかなければなりません。

そしてパウロの計画は、さらにその先にありました。彼はローマに行こうとしていたのです。パウロのローマ行きについては、ロマ書1章9節10節に「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」と書いてあることからも明らかです。ローマ帝国の中心であったローマの都でキリストの福音を伝えることをパウロは熱望していたのです。…パウロのこの願いは、後日、彼が思ってもみなかった形で実現することになります。

 

パウロは自分の伝道旅行のためにしっかり準備をする人でした。テモテと、ここで初めて登場するエラストという人をマケドニア州に出発させ、自分自身はしばらくアジア州にとどまっていました。パウロはこのあと起こる大騒動のあとエフェソを出発するのですが、これは大騒動の結果やむをえず出て行ったというのではありません。むしろ前々から準備されていたことで、そこに予定外の騒ぎが起こったということです。

この大騒動はどのようにして起きたのでしょうか。

エフェソにアルテミスの神殿がありました。アルテミスというのはギリシャ神話ではゼウスの娘にあたる神で、ギリシャではディアナ、英語ではダイアナと言います。さっそうとした狩猟の女神ですが、エフェソではこの地で古くから信仰されていた女神アシュタロテと結びついて、ギリシャ神話とはずいぶんイメージが違う、出産と子孫繁栄をたたえる女神になっていました。

エフェソのアルテミス神殿はたいへん壮麗なもので、紀元前6世紀に着工され100年以上の年月をかけて完成されました。全部が大理石で出来ていて、その大きさについてある資料では、幅が70メートル、奥行き120メートル、高さが19メートルで、直径1.8メートルの柱が128本立っていたと書いてあります。神殿の中に安置されていた女神アルテミスの像にはたくさんの乳房がついていました。この神殿は今は廃墟が残るだけですが、当時は世界の七不思議の一つに数えられていました。こんな文章が残っています。「エフェソのアルテミス神殿は、神々のただひとつの家である。

一目見れば、ここがただの場所ではないことがわかるだろう。ここでは、不死なる神の天上の世界が地上に置かれているのである」と。エジプトのピラミッドさえかすんで見えてしまうような建築物で、大勢の参拝者を集めていたのは間違いありません。

エフェソはアジア州の政治や商業の中心地であるばかりでなく、アルテミス神殿のいわば門前町としても栄えていました。参拝客をあてにするみやげもの店や食堂が立ち並んでいたことでしょう。その中に、アルテミス神殿の模型を造って売る銀細工師たちがいたのです。

ここに登場するのが銀細工師のデメトリオで、彼は銀で神殿の模型を造る仕事をしていました。彼は同業者を集めて言いました。「諸君、御承知のとおり、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」

ここからただならぬ騒動が起こります。この大騒動のことを、単純で語るに値しない騒動のように言って片付ける人もいるのですが、私はそうはすべきでないと考えます。銀細工師にとっては、自分たちの生活がかかっているわけですから、パウロに反対するのは当然といえば当然なのです。

当時、アルテミス神殿には地中海全域から参拝に来る人がいたということです。その中に、銀で作った神殿の模型を買ってお土産にした人が大勢いたでしょうから、銀細工師はかなりの収入があったはずです。しかし、パウロの伝道によって銀細工の売れ行きがぱったり落ちるというようなことがあったのかどうか。……アルテミスの神殿は、こののち紀元262年に東から来たゲルマン民族によって破壊されるまで、そこに建ち続けていました。それまでの間、パウロの働きによってキリスト教が盛んになってきても、やはり参拝する人はいたでしょうから、この時点で、銀細工が売れなくなるとと言って大騒ぎするのは、取り越し苦労が過ぎるというものです。…もっとも、この人たちの、キリスト教を信じる人が増えるとアルテミス信仰が衰退するだろうというおそれは、根拠のないものではありません。19章10節に「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」とあり、また20節で「このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった」とあるのは、偽りではありません。パウロやその弟子たちの言葉を聞いた人々がすべて主イエスを信じたわけではありませんが、それでも「手で造ったものなどは神ではない」という言葉は広く伝わっていって、デメトリオの耳にまで届いていたのです。

実際に銀細工の売れ行きが落ちたかどうかはわかりませんが、彼らに恐れをいだかせるには十分だったのです。

このことについて、パウロを初めとする、主イエスを信じる人々の立場から見る時、偶像を拝んだり、そのために仕事をしている人々は、滅びることのない神の栄光を、滅び去るものの像と取り替えるという、重大な間違いをしていることになります。けれども、銀細工師の立場では、「我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがある」、…自分が一生をかけて行っている仕事が攻撃されたと受けとめたのです。もしも人々が銀細工を買わなくなれば、直接生活にひびくことになります。さらにもう一つ、デメトリオは「偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう」と言います。デメトリオは、エフェソの市民が先祖から受け継ぎ、誇りにしている女神アルテミスと神殿の権威が冒涜され、侮辱されることは許せない、という思いを抱くに至ったのです。

偶像礼拝を行い、しかもそれを生活の糧としている人が正しい信仰に立ち帰るのはたいへん難しいことです。しかし、どんな人であっても、悔い改めてまことの神に立ち帰らなければなりませんし、キリスト教信者の側はそのことを祈り続けなければなりません。

パウロはアルテミス神殿の破壊を呼びかけるようなことはしませんでした。   

長期的に見るとアルテミス神殿は、かりにゲルマン民族によって破壊されずに今日まで残っていたとしたら、間違いなく世界遺産になったことでしょう。それだけの美術的価値がある建築物ですから。…短期的に見ても、女神アルテミスの信者がいなくなったとしても、文化財として生き残る道があり、銀細工師は訪れる観光客に神殿の模型を提供するということが出来たかもしれません。…また、デメトリオの言葉に現れている郷土の文化に対する誇りは、すべて否定すべきこととは思われません、このことは慎重に考える必要がありますが。…広島には厳島神社があり、世界遺産になっています。キリスト教信者はもちろん厳島神社がまつる神々を信じることは決してありません。しかし郷土にこれがあることまで否定することはないのです。つまり、違う信仰が建てたものであっても、先人たちがたいへんな労苦と祈りの上で造ったもので、また文化的な価値があるなら、尊重するのが当然で、郷土が誇る文化財になることが出来るのです。

イエス・キリストは言われました。「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。むしろ分裂だ。」ルカ12章51節の言葉です。山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである」と教えておられるイエス様がなぜ、これとは矛盾するようなことを言われたのでしょうか。それは、イエス様の言葉が伝わることによって、必然的にこれを信じる人と信じない人の間で争いが起き、利害の違いも表面化するからです。日本においても、19世紀以降、伝道の進展に伴い、教会に対する反対運動が起こり、また一人ひとりのキリスト者という個人レベルでもさまざまなことが起こり、それが現在まで続いているのです。こういう時に、私たちに反対する人々に反発したり、けんかになったりということもありますが、逆に相手の力をおそれてしりごみしたり、やろうとしていることをあきらめることも起こります。そのような、望みを失っている人が、「敵に反対されるのは良いことです」と開き直ることが出来るくらいになれば良いのですが。

エフェソでの大騒動の話は来月に続きます。パウロたちは、猪突猛進になってこの危機を乗り越えたのではありません。そこには、きわめて現実的な解決方法が示されています。このことを学ぶことが、私たちそれぞれが直面する問題への信仰的な対処を教えてくれるものであることを願います。

 (祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。今日この時も私たちをここに招き、私たちが捧げる礼拝を受け入れていて下さる神様がたたえられますように。

 神様、エフェソでパウロが直面した大騒動は、規模こそちがえ、私たち日本のキリスト者の前にたちはだかる問題です。今だ本当の神様に出会っていない、数においてはるかにまさる人々の中で私たちが生きることは、しんどいことでありまして、正直言ってそのために疲れを覚えています。そんな私たちが蛇のように賢く、はとのように素直に生きることが出来るよう、信仰における確信を増し加え、勇気と知恵を与えて下さい。

 神様、きのうこの国は強力な台風に見舞われました。今も台風とたたかっている人々や教会のことを覚えます。どうか私たちが、自分たちが無事であることを感謝するだけでなく、天地の主なる神様を拝むことで、被害にあった同胞を思い、一人ひとりがすべきことを示して下さいますように。救いはイエス様を遣わして下さった神様にあるからです。

 この祈りを、とうとき主イエスのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。

 主イエスの名を乱用すると youtube

 

出エジ20:7、使徒19:8~20 2019.10.6

 

いま私たちは、使徒パウロの第3回伝道旅行の途中、アジア州の州都であるエフェソで起こったことを見ています。パウロはユダヤ教の会堂に入って三か月間、神の国について大胆に論じましたが、彼に反対する人々の妨害に遭ったので、そこを離れました。次にティラノという人の講堂で毎日論じて、それが二年に及びました。このあとの20章31節でパウロは、エフェソの長老たちに、「わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」と語っていますから、パウロは合計三年間エフェソにいたことになります。それにしても、夜も昼も涙を流して教えてきたというのは大変なことですね。パウロはまた20章34節で、「ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。」と言っています。この三年間の労苦がしのばれます。

8節に書いてあるように、パウロは、「神の国のことについて大胆に論じ」ました。パウロが伝えたのは、「神の国」の福音でした。神の国とは、神様のご支配と言いかえることが出来ます。…マルコ福音書にイエス・キリストの伝道の第一声が書いてありますが、それは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした。その時は神の国は近づいたという段階でしたが、パウロが語っている時、神の国はすでに始まっていたのです。そのきっかけは、言うまでもなくイエス・キリストの十字架の死と復活でありまして、この歴史上空前絶後の出来事から教会が誕生しました。神の国が誕生したのです。

10節は、「このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」と言います。アジア州と言いましてもなかなか広いのですが、「だれもが主の言葉を聞くことになった」と言われるくらい伝道が進展したのです。パウロ自身、あるいはパウロに従う人たちがあちこちを回ったのではないかと思います。むろん、み言葉を聞いても信じない人がおりまして、パウロにまもなく災難が襲ってくるのですが、それでも神の国は確実に拡張していきました。…そして、そのことが理解できたなら、皆さんも神がパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われたということも、わかってくるのではないでしょうか。

目覚ましい奇跡が行われた、パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった、

…これは、神の国が広がっていった、その現れだと考えて良いと思います。神の恵みがパウロを通って、さらにいろいろな場所にも見える形で広がっていったのです。もっとも、この箇所を見て、首をかしげる人がおられると思います。ご存じでしょうか、カトリック教会では聖遺物というものをとても大切にします。ガリラヤのカナでイエス様が婚礼に出席された時の杯というのがドイツの教会で大切に保存されています。死んだイエス様の顔を覆った聖骸布もそうですね。いろいろな聖人の遺物というのがあります。

カトリック教会では聖遺物が大切にされてきた歴史があります。これに対し、プロテスタントはこのようなものを崇めることに反対してきました。では、パウロの手ぬぐいや前掛けをめぐって起こったことは、カトリックの方が正しかったという証明になるのでしょうか。そうではありません。…ここで起きたことは、神の国が広がることで、人々が病に苦しめられ、悪霊にとりつかれた生活から解放され、心と体の健康を勝ち得たということです。神の国を信じる信仰は、苦悩に打ちひしがれた人々を立ち上がらせた、…そのことを示すために、この奇跡が語られているのです。

パウロが身につけていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもが出て行ったというのは、手ぬぐいや前掛けにパウロの持つ魔術的な力が宿ったということではありません。この手ぬぐいや前掛けを、霊験あらたかとされるお札と同じように考えてはいけません。そのことは、11節の「神はパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」ということから明らかです。主語は神です。パウロがしたことではなく神ご自身のみわざです。ですから、この奇跡を見た人が、かりにもパウロを崇め奉るようなことをするなら、それはパウロをいちばん悲しませ、怒らせることになるのです。…そのような人がいたとは書いてありません。…しかし、パウロにあやかって奇跡を行い、自分の良からぬ目的のために使おうとした人が出たのです。

 

ここに出て来るのは、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師で、その中に祭司長スケワの七人の息子たちがいました。当時、ユダヤ人の中にこういう人たちがいたのです。祈祷師というのは、口語訳聖書で「まじない師」と訳されています。呪術師とか魔術師まがいの人で、ただ、苦しむ人たちのためにお祈りするだけの人ではないのです。申命記18章10節は、「占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない」と言います。同じような言葉はレビ記にもあります。

何よりはっきりしているのは、申命記18章15節で、神がモーセのような預言者を送って、み言葉を聞かせると約束なさったことです。モーセのような預言者とは、イエス・キリストにほかなりません。やがて現れるこの方に聞くことが出来るのだから、呪術師のたぐいの言うことを聞くなということです。…旧約時代のイスラエル民族の中にこういうことを求める人が全くいなかったとは言えません。サウル王が口寄せの女を訪ねたという話が残っていますから(サムエル上28章)。とはいえ、こういう人たちはどちらかと言えば日陰者だったと思います。ところが新約の時代になって、ユダヤ人の中からそういう人たちが出て、大っぴらに活動していたのですね。祭司長の息子たちがこんなことをやっているとは! ユダヤ教の信仰にも反していると思うのですが。

祈祷師の前に、悪霊どもに取りつかれている人々がいました。当時はこのような人がたくさんいたようです、悪霊に取りつかれるとはどういうことでしょうか。…これは精神の病だという人がいますが、そのように決めつけて良いのかどうか、というのは、特に今日、いわゆる精神の病にかかっている人をみな悪霊に取りつかれているとは、決して言えないからです。悪霊に取りつかれている人はみな精神の病にかかっているとも言えません。そもそも、ほとんどの人は悪霊に取りつかれている人を見たことがありません。実際、そのような人を求めて精神科病棟に行ったとしても、見つからない可能性が大です。従って、タイムマシンに乗って2000年前の世界に行かない限り、確かめようがないことがあるのです。ただし、今日の世界に悪霊がいないと言うことも出来ません。

プロテスタント改革派の歴史の中で今日まで大きな影響を与えているドイツの牧師ブルームハルトという人は1842年に、悪霊に取りつかれた少女を祈りによって直したということです。その少女の「イエスは勝利者だ」という叫びと共に悪霊は出て行ったと伝えられています。こういう話もありますから、今日、悪霊の存在を否定することも難しいでしょう。カトリック教会には今もエクソシスト、すなわち悪魔祓い師がいるそうです。

イエス・キリストが悪霊とたたかって勝たれたことは、教会に来ている人なら誰でも知っています。マタイ福音書17章に出てくる話では、ある人が悪霊に取りつかれた息子をイエス様のもとに連れてきて言いました。「お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」イエス様がその子から悪霊を追い出すと、弟子たちがやって来て、なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのでしょうかと尋ねました、そこでイエス様は言われました。「信仰が薄いからだ。」

これに輪をかけたようなことが起こったのです。祭司長スケワの7人の息子たちが「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言うと、悪霊は、「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何ものだ」と言い返しました。そして、悪霊に取りつかれている男が7人に飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家からほうほうのていで逃げ出してしまいました。

ここでパウロと祈祷師たちを比べてみましょう。神はパウロを通して目覚ましい奇跡を行われたので、彼が身につけていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると悪霊どもも出て行くほどでした。これは心の底から主イエスを信じ、信頼し、従っているパウロに対する神の恵みで、これらすべてイエスの名によって行われたことなのです。かりにパウロが悪霊退散を自分の手柄にしてしまうような人ならば、こんなことは起きなかったのです。

これに対し、祈祷師たちは、パウロがイエスの名によって奇跡を行えるなら、自分たちだって出来るだろうと考えたのです。イエス様を信じることもしないまま、自分の目的のために利用しようとしたのです。 十戒の三つ目、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」という戒めは、まさにこのことを禁じています。祈祷師たちがしようとしたことは、神に従うどころか、「イエスの名」を利用して、神の力を自分のものにし、神を従わせようとする行為で、そのことを悪霊に見透かされてしまったのです。

彼らは、悪霊から「いったいお前たちは何者だ」と問われた時、答えることすら出来ず、神様とつながっていないことを暴露する羽目になりました。神の名をみだりに使って自分が支配者であろうとする者のために、神がその力を注いで下さることはありません。むしろ、そのように神を神とせず、自分が神のようになろうとするところでこそ悪霊は猛威を振るう、それがこの出来事でありました。

 

ユダヤ人の祈祷師たちが悪霊によってさんざんな目に遭わされたことを、笑い話のように受け取った人がいたと思います。私も初めはそうだったのですが、だんだん笑えなくなってきました。…ここでの悪霊のふるまいはまだかわいいものでした。……この事件がエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱いたと書いてありますが、その気持ちがわかるのです。しょせん他人事だとして聞いていれば面白い話であっても、いざ自分はどうなのかと考えたら怖くなってくる、これはそのような話だと思います。

エフェソに住む人々は恐れをいだき、主イエスの名は大いにあがめられるようになりました。その結果、「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。」悪行の中身はわかりませんが、人々は信仰に入ったことで自分がどれほど悪行を重ねてきたかがわかり、悔い改めたのです。「また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚になった」。

エフェソは魔術がたいへん盛んなところでした。銀貨五万枚ですが、銀貨1枚が労働者の一日分の賃金でしたから、その5万倍にあたります。…なお、魔術を行っていた多くの者の中にキリスト者はいなかったと思うのですが、しかしキリスト者でも魔術に心を寄せる人はいたでしょう。そんな人も横面をはりとばされるような体験をしました。こうして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していったのでした。

                                                             

ここで起こったことは、日本に住む私たちに無関係なことではありません。私たちのまわりにも占いがあり、縁起をかつぐことがあります。悪霊などいないと言うことも出来ません。公然と魔術をかかげる人はいませんが、かつてオウム真理教が超能力を宣伝して人々を惑わしたように、あの手この手で人をたぶらかそうとする人がいるのです。…自分の欲望が命じたことを、労せずになしとげたいと思う人がいる限り、これに類したことは繰り返し起こります。残念ながら、教会もこういうことに無縁ではありません。もしも教会の指導者が、自分を高く掲げ、神の名を語って自分の望みを達成しようとしたらどうなるでしょうか、注意が必要です。

ピリピ書2章6節以下、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」

今ではあらゆる名にまさる名をお受けになって、崇められている主イエスご自身が、世界に君臨して権力をふるうことを退け、へりくだって私たち人間と同じになられ、しかも十字架の苦しみをしのばれました。ここに私たちの信仰の出発点があるのです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。あなたが与えて下さる光に導かれて、新しい歩みが始まりました。礼拝によって始まるこの月、この週が、主にあって喜びに満ちたものとなってゆきますように。神様は今日この礼拝によって神様のみ名のとうとさを示して下さいました。私たちは神様、神様と言いながらも、苦しい時だけの神頼みのような、浅い信仰に陥っているかもしれません。どうかこの教会で、神様のお名前が神様にふさわしい形で賛美され続けますように。私たちをどうぞイエス様のみ名によって守り続け、クリスチャンの名に恥じない者として下さい。私たちのまわりのいまだ神様を知らない人たちが私たちを見て、「クリスチャンって素晴らしいな」と思ってくれたら、イエス様の名前がたたえられることですから、こんな嬉しいことはありません。しかし、「あれがクリスチャンか」と思われて、イエス様の名前が汚されてしまうようなことがあってはなりません。神様、神様とイエス様の御名を語り伝える、広島長束教会をどうか神様の尽きせぬ恵みをもってお導き下さい。この祈りを、とうとき主イエスのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。

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雅歌5:1~16、黙示録3:20     2019.9.29

 

 私が雅歌の購解説教を始めてから、今日で5回目になりましたが、正直に言って、この書を語ることの困難を覚えています。ここに書かれているのが実際にどういうことなのか、よくわからないことが多いです。またそれがどういう意味を持つのかについて、これまでの解釈もばらばらで謎が深まるばかりなのです。注解書や参考書の言っていることがどれも違っているので、まごつきます。ある参考書では、雅歌全編を通して、男女の出会いと交際の仕方、結婚から夫婦生活、さらに夫婦生活の危機とその解決法まで具体的に、微に入り細に入り、教えてくれています。一方、雅歌に書いてあることをすべて神と信者との間の霊的な経験と見なす比喩的な解釈があって、たとえば若者の乙女に対する呼びかけも、乙女の若者に対する思いもすべて、主イエスと信者の関係に還元され、それが十字架と復活に結びつけられているのです。

 私はこれまで、若者と乙女がソロモン王の誘いを斥けながら愛を深めていくところを語りながら、男女の愛を祝福している神様をたたえるという方向で話を進めてきました。ただ男女関係について、私は経験豊富な人間でないので、だんだん語る言葉が少なくなってきました。そこで、雅歌の比喩的な解釈に注目しようとしたのですが、男女間の愛を神様が祝福しているのは良いとして、このような愛と、これに並行する神と信者との愛がどのような関係にあるかということが、なかなか見えて来ません。

 ユダヤ教では古来、雅歌を比喩的に解釈してきました。すなわちそこに出て来る若者は神、乙女はイスラエル民族でありました。その後キリスト教の比喩的な解釈が出ると、若者はイエス・キリスト、乙女は教会であったり、信者であったりとなりました。

 人間がイエス様を信じる、そこには多様な面があります。ここに一人の熱心な信者がいて、この人の上にイエス様が圧倒的な力でもって迫っていると想定してみましょう。この人の中には、イエス様を恐れ畏(かしこ)む思い、感謝の思い、尊敬の思い、そしてイエス様への憧れがあるでしょう。これらすべてが、「神を愛する」という言葉に含まれています。イエス様も神様ですから。

 ですから、信者がイエス様に寄せる思いを、雅歌における乙女の若者への思いとして表すということはわからないでもないのです。…でも、イエス様が一人ひとりの信者に向けておられる愛を、若者の乙女への愛と同じように見なすことが出来るのでしょうか。だいたい、われわれにはあの乙女のような美しさがあるのでしょうか。また神と人間の関係から男女関係を考えることが出来るのでしょうか。これが私にとってわかったようでわかりません。

あと10年もたてばしっかりしたお話ができるのかもしれませんが、今日のところでは、聖書から読み取ったことを私の現在の能力の範囲の中でしか語れないことを、申し上げておきます。

                                                                                                                                                   

 私は雅歌の説教を1章ずつ取り上げて来ましたが、新しい章になるたびに内容が変わるのではないことがわかりました。先月取りあげた4章で、愛し合う二人の情熱がだんだん高まっていく感じがするのですが、それは5章1節まで続いています。

 4章では若者の歌がずっと続きます。「恋人よ、あなたは美しい」と言って、髪の毛から胸もとまでからだの各部分をほめあげた上で、「あなたはわたしの心をときめかす」、彼女に会うたび、一挙一足を見るたび、心に驚きがあり、新しい発見があると言うのです。そして12節で「わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉」と歌いますが、これに応えたのが16節の乙女の歌です。「北風よ、目覚めよ、南風よ、吹け。わたしの園を吹き抜けて、香りを振りまいておくれ。恋しい人がこの園をわがものとして、このみごとな実を食べてくださるように。」…もうそれまでとは違いますね。二人の恋はクライマックスに入っています。すると若者が5章1節で応えています。「わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た」、日本語として何か妙ですが、花嫁が私の園に来たということで、若者は彼女を迎えるのです。ここには香り草やミルラがあって、「蜜のしたたるわたしの蜂の巣を吸い」、クマじゃあるまいし、本当にこんなことをしたら、蜂に刺されてしまいますが、もちろんそんなことではありません。「わたしのぶどう酒や乳を飲もう」と共に示されているのは、二人が婚約時代の口づけなどとは比べものにならない、深い喜びの内にあるということです。つまり、二人は結婚したのです。続く「友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え」は結婚披露宴のことでしょう。

 結婚は一生の大事ですから、これを簡単に考えるべきではなく、一歩一歩準備を積み重ねてはじめてできるものです。よく芸能人などで、誰もが羨むような美男美女でありながら、その結婚がやがて破綻してしまうということがあります。一時的な情熱だけでは、やがてさめてしまう時が来るので、危険なのです。…結婚前は二人があらゆる面で交わりを深め、準備を積み重ねて行く時期です。一時的な情熱だけで結婚に踏み切るのだけではなく、義務感だけで結婚するのも危険です。たとえ結婚しようとする二人が共に尊敬すべき、すぐれた人であったとしても、お互い自分の好みのタイプでなければうまく行かないでしょう。若者と乙女は、互いに燃えるような思いをいだきながら、焦らず、急がず、こうして結婚に至ったのです。

 話のついでに申し上げますが、少し前、永井修、永井春子という二人とも牧師で高齢の夫婦がおられました。修先生が言いました、「僕は面食いなんだ」。すると教会員に「牧師のくせに面食いとは何ですか」と叱られたので、修先生は「僕が好きなのはアーメンのメンとラーメンのメンだよ。僕はだいたい美人は嫌いなんだ。」、すると春子先生が言ったそうです。「あなた、私が嫌いなのね。」

 何を言いたいかというと、「牧師のくせに面食いとは何ですか」、このように人を狭い所に閉じこめようとしてはよくないのではないかということです。誰でもかっこいい男性やきれいな女性が好きなのは当然のことで、牧師だけ例外にすることは出来ません。もちろんおつれあいでない人に情熱をかたむけることはいけませんが。人間、こういう思いがなくなると枯れ木のようになってしまう可能性があります。…ですから、夫婦が二人とも健在である方は、もう一度おつれあいを見直して下さい。いやあ、うちのだんなを見ても、全然ときめきを感じませんと言われるなら、二人が若い頃のことを思い出したら良いのです。おつれあいをなくした人でもこれは出来ます。独身の方でも、こういう思いを締め出す必要はありません。どんな人にも備わっている自然な思いを認めた上で、これを信仰から来る理性でもって統御していくことが肝心なのです。

 

 昔、ある女性が新聞に書いていました。ずっと憧れていた男性から結婚を申し込まれた日のことを。天にも昇る気持ちだったのでしょう。道を歩いていても、世界が違って見えたというのです。雅歌の主人公の二人も、そのような結婚に至りました。ここから新生活が始まります。…二人で築く家庭は、スウィートホームとか愛の巣だとか言われますが、生活自体は地味で単調なものになります。婚約時代には見えなかったことが見えてくるのも、この時期の特徴です。二人の間で燃えるような思いは継続していますが、ちょっとしたしぐさや癖といったことから始まって、違いが見えてくるものです。人によっては、ああこんなはずではなかったということが起こる時でもあります。

 さて新共同訳聖書では、5章以降も「おとめ」という言葉を使っており、「あなたの恋人」とか「わたしの恋しい人」とかいう言い方もありますが、翻訳上の問題があるのかもしれません。私たちは、二人が結婚したと判断しているので、これからは若者と乙女という言い方は夫と妻という言い方に変えることにします。

 この新婚早々の夫婦の上に危機が訪れます。その夜、妻は眠っていましたが、心は目覚めていました。夫の帰宅が遅いからです。妻をだいへん待たせてから夫は帰って来ました。

「わたしの妹、恋人よ、開けておくれ。わたしの鳩、清らかなおとめよ。」妻に呼びかけるにしては、言葉がずいぶん多いような気がします。夫の帰りがなぜ遅かったのかわかりませんが、夫の方は心に引け目を感じているので、猫なで声で呼びかけたようです。

 これに対し、妻の方では、夫を待ちこがれていたのに、夫の声を聞いたとたん、腹を立てたのでしょう。意地悪な思いが頭をもたげました。妻の言葉からは、「もう寝間着を着てしまっているのに、また服を着て戸を開けなくちゃならないの」という思いがうかがえます。妻は夫を家に入れないのです。夫の方は外から戸を開けようとしますが出来ません。妻は夫をだいぶ待たせてから、思い直しました。5節で「ミルラを滴らせ」というのは、妻が服を着たあとで香料をつけたのですが、これが多すぎたためにこぼれてしまったということです。そうして戸を開けると、夫はすでに立ち去ったあとでした。

 「恋しい人の言葉を追って、わたしの魂は出て行きます。」ここから後に書いてあることは、私は夢ではないかと思っています。確かなことは妻が気を失うくらいのショックを受けたということです。結婚当初は、ほんのささいな行き違いでさえも、ああこの結婚は失敗だ、と考えてしまうということがあるのです。夫のあとを追いかけて、妻の魂は出て行きます。心あたりのある場所はすべて訪ねましたが、見つかりません。呼んでも答えてくれません。そんな妻に追いうちをかけるように、彼女は夜警に見つかり、打たれて傷を負いました。城壁の見張りが衣をはぎとりました。衣と訳された言葉は口語訳聖書では上着、他の翻訳ではかぶり物とかベールになっていました。そこで言われていることは、夜の町を歩きまわる若い女性の行動が不審がられ、娼婦だと思われて打ちたたかれたということです。妻は夫を失うかもしれないという恐怖と、娼婦に間違われたことで、二重のショックを受けてしまいました。

 

 9節以降は夢から覚めたあとの妻とエルサレムの宮廷の女たちとの会話だと思われます。まず妻の方が、まだ見つからない夫への伝言を頼みます。これに対する女たちの答えは、からかっているように見えます。「前は彼にあんなに夢中で、ついこの前、幸せは結婚生活を始めたと思ったら、今はあまりうまく行ってないようね。いったいあなたの夫って、そんなにいい人なの」、といったところです。

 そこで妻が、自分の夫はどんなに素晴らしいかということをとうとうと語り出すわけです。いちいち説明はしません。11節で「頭は金、純金」と言っていますが、もちろん頭が金で出来ているのではなく、金のように高貴な男性だということでしょう。妻は夫の体の各部分を語ります。その表現は、彼女が以前、2章3節で、彼を遠くから眺めて「わたしの恋しい人は森の中に立つりんごの木」と歌ったところから比べると、なまなましくなっていて、二人が明らかに夫婦の関係に入っていることを裏付けます。

なお16節の「その口は甘美」ですが、これを夫がしてくれた口づけの素晴らしさを言っているという人がいますが、本当にそうでしょうか。もう一つ、これを言葉だとする人がおり、個人的には私はこれを支持したいと考えています。というのは、妻の魂は6節で、「恋しい人の言葉を追って」出て行ったからです。この妻にとって夫は、ただ肉体的な魅力だけで結ばれているのではありません。夫は言葉でもって、彼女を守っていたのです。

 「エルサレムのおとめたちよ、これがわたしの恋する人、これがわたしの慕う人。」妻の言葉を聞かされる方にとっては、全くのおのろけですが、これほどに思われている夫は幸せですね。この夫婦は今はうまく行ってなくても、希望が持てそうです。

 

 今日は雅歌の5章と一緒にヨハネの黙示録3章20節を読みました。私たちはイエス様が戸を叩いている時に戸を開くべきです。もし、その時を逃してしまえば、イエス様は去ってしまったあとで、もうお迎えすることが出来ませんが、このことと、雅歌での夫を見失った妻の話と関係があると考えたからです。

 この妻のようなことが現実にはたくさんあるわけです。たとえば女性が「好きよ」というサインを出していても、にぶくて気がつかない男性です。せっかくのチャンスを逃してしまう人はばかだと言われても仕方ありません。こういうことが信仰の世界でも起こります。主イエスの呼びかけに耳を傾け、すぐに応える人になって下さい。

 

(祈り)

 天にまします私たちの神様。いま私たちは雅歌を読んでいて、愛し合う二人について知れば知るほど、気恥ずかしくなっています。この二人を羨ましく思っている人もいるでしょう。自分の結婚生活を思い起こして、昔こんなことがあったなあと懐かしさにひたる人もいるかもしれません。

 神様、ここに書いてあることが私たちに無縁のことでないことを感謝します。私たち一人ひとりはこの二人ほど美男美女でないとしても、しかし彼らに与えられた幸福を神様は私たちにも、そして世界中の人にも下さろうとしておられるからです。

 神様は人間に幸せを下さるために、イエス様を遣わされました。イエス様が苦しみにあわれたのは、私たちを喜びに満たすためでありました。この喜びを私たちが自分の人生の中で斥けることなくそのまま受け取り、素直に感謝し、さらに多くの人と分かち合うことが出来ますように。

 先週、日野裕之さんが天に召され、葬儀が行われました。昨年の日野美枝子さんに続く裕之さんの死で、悲しみの底にあるご遺族の方々へのお支えと励ましを願います。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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ヨエル3:1~2、ガラテヤ5:22~26  2019.9.22

 

 パウロがガラテヤ地方の諸教会に宛てた手紙の一部を、先週に続いて学んで行きます。

 ガラテヤとはパウロが伝道旅行の際に訪れて、信仰の種を蒔いたアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベなどの地方ですが、そこの信徒たちが、パウロの言葉をそのまま引用すると、「こんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」ということが起こり、そうさせてはならないという目的で書かれたのがこの手紙です。ガラテヤの諸教会においてパウロが危惧したのは、つまるところ律法主義の問題でした。パウロは手紙の中で、われわれは律法を守ることによって義とされるのではなく信仰によって義とされるのだ、何か善い行いをしたからといって救われるのではなく信仰によって救われるのだ、ということを主張します。この問題については、中にはどちらでも良いじゃないかと思っている人もいるかもしれませんが、考えれば考えるほど重大なことなのです。ガラテヤの諸教会の人々は、イエス・キリストを信じることによって救われることを一度は受け入れたにもかかわらず、信じていることの内容がだんだんユダヤ教に似てきて、律法主義的なものになっていったので、パウロはこれを正さなければならなかったのです。

 パウロはこの手紙の中で、「律法の実行によっては、だれ一人として義とされない」(2:16)と言います。どんな人も神から与えられた律法をすべて守りきることは出来ないので、律法を実行することによって救われようとするのは不可能です。ではどうすれば良いのか、教会ではずっと、律法を守ることに対置されているのが信仰だと教えられてきました。律法順守ではない、イエス様を救い主と信じることです。聖書では「義人は信仰によって生きる」(ハバクク2:4)とも言われています。…そこから、律法を守ろうとすることより信仰なのだと聞こえますね。その理解でけっこうですし、そう考えないと混乱してしまうのですが、これはかなり大まかな理解だということを心得て下さい。…ガリガリの律法主義者であっても、自分は信仰によって生きているのだと思っているはずですから。そこで、私たちが信仰だと考えていることの内実を問うことが必要になります。

 パウロは5章16節で、「霊の導きに従って歩みなさい」と、25節でも「霊の導きに従ってまた前進しましょう」と言います。霊の導きなくして本当の信仰はなく、これを妨げようとするのが肉の業です。どんな人の心の中にも、せめぎ合っている二つの力がありますが、それが霊と肉なのです。

 19節から21節にかけて、肉の業として16種類のリストが掲げられています。姦淫や偶像礼拝から始まって、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心などなど、誰もがこれらが好ましくないことだと認めることでしょう。ただ、ここに書いてあることが自分とは全く関係ないと言いきれる人がどれだけいるでしょう、そのような一覧表です。…これに対し、22節から23節にかけて書いてあるのが、霊の結ぶ実です。霊の業とか働きというのではなくて、それらがもたらす結果です。愛と喜びから始まって9種類掲げられています。

 教会では当然のことながら、霊の導きによって、霊の結ぶ実がたわわに実ることを願い、そのように勧め、教えてきました。そのためには肉の業を斥けなければなりません。そこで、霊の導きと肉の業をどちらを選ぶべきかということになります。…答えは明らかです。…私たちは霊の導きを乞い求め、肉の業を斥けることで、正しい信仰に生きることになり、その時、律法主義は克服される、…と私は長い間思っていました。同じような人が多いでしょう。…ただ今になってみると、それはかなり単純な考えだったと思い知らされています。…というのは、ガラテヤ書3章3節にこう書いてあることに気づいたからです。「あなたがたは、…“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。」

 ガラテヤの諸教会の人々は霊の導きのもとで信仰生活を始めました。そこに、は、霊の結ぶさまざまな実の実りがあったことでしょう。…しかしこの時、その信仰生活は「肉」によって浸食されてしまいました。具体的にどういうことなのでしょう。ガラテヤ書では割礼が大きな問題になっており、ガラテヤの人々が割礼を重んじるようになったことをパウロは厳しく批判しています。ただ割礼の問題は私たちにとって身近なことではないので、今日は、これに関連する聖書のほかの箇所を例に取りあげてみたいと思います。

 霊の導きを受けて始まった信仰生活が、やがて肉によって浸食されてしまったということが、私たちの間でも起こるものです。初めの内はしっかりした信仰生活を送っていた人が、やがて神の恵みを自分の功績にしたり、栄光と見なしたりして、神に属するものを自分のものと考えてしまう、…はためには人格者で通っていても、いつのまにか霊の導きを斥け、自分が主になってしまう、それこそ肉を中心とするようになってしまうということがあるのです。

 主イエスのたとえ話の中に、ファリサイ派の人の祈りというのがあります。この人は神殿でこういう祈りを捧げました。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」(ルカ18:11~12)

 この人は決して悪人ではありません。不正なことを行っているわけではなく、掟をきちんと守り、大切な収入の十分の一を献げるほど神様を尊んでいます。、まわりの人たちから、尊敬される人だったのでしょう。こういう人こそ、霊に導かれ、霊の実を実らせた人ではないでしょうか。…しかし、主イエスは、この人は神様によって義とされなかったと言われるのです。この人のしていたことは、むしろ肉の業だったのです。

 私たちはとかく、肉の業というとどこから見ても悪いことばかりのように考えがちですが、善いことをしていてもそれが肉の業になっていることがあるのです。神様と結びついていない、結局は自分の利益のためだけに行っていることは、それがいくら立派な行いであっても肉の業にすぎず、神様に認められることはありません。…逆に、ファリサイ派の人が祈っている時に、神殿から遠くに立って、目を天に上げようともせず、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と祈っていた徴税人は、立派なことは何一つ行っていなかったかもしれませんが、神様に義とされたのです。このように考えてゆきますと、霊の結ぶ実ということで挙げられていることが、決して簡単に手に入るものでないことがわかります。

 22節には霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という耳に心地よい言葉が並んでいます。この九つのことに反対する人はいないでしょう。しかし私たちが、霊の導きを祈ったらこれはすぐに与えられる、いや自分にはすでに与えられている、などと考えてしまうと間違いを犯します。…自分で自分のことを親切で、善意あふれる人間だと思っていて、実際にそのような行いをしていたとしても、心の中がこのファリサイ派の人と同じようなものであったなら、それは霊の結ぶ実が実ったということではなく、むしろ肉の業の現れでしかありません。ガラテヤの諸教会の人々が、パウロによって、「霊によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか」と言われたのは、このように、誰が見ても道をはずれているとわかる状態になったのではなくて、いっけん非の打ちどころない人たちに見えたとしても、心の中をのぞいてみれば虫食い状態、ファリサイ派の人のようないやらしい祈りしか出来ない信仰になっていたのだと思います。そのような信仰はイエス・キリストを必要としてはいませんし、神様に義とされるものでもないのです。

 しかしパウロは、肉の業の中にある人々に正しい信仰に帰る道があることを教えています。…霊の結ぶ実、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、というのは、人間が自分の力で獲得できることではありません。

毎週の礼拝に欠かさず出席するというような、これ自体は大切なことですが、そういうことによって自動的に得られるものでもありませんが、パウロは、「これらを禁じる掟はありません」と言うのです。ここでの掟は律法と訳すことも出来ます。霊の結ぶ実を禁じる律法はないのだというのです。希望をもたせる言い方ですね。

 私たちがガラテヤの人々と同じようになってしまうこと、つまり霊によって始まった信仰を肉によって仕上げることをよしとしないならば、パウロの次の言葉を心に刻んで下さい。「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」

 これはどういうことでしょうか。「肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまった」、ここで肉と言っているのは、キリスト・イエスのものとなった人たちの肉です。肉とは、ガラテヤ書では人間を神から引き離そうとする力を言っていますから、直訳すればここは、キリスト・イエスのものとなった人たちは、自分の中にある、神様から引き離そうとする力をキリストと共に十字架につけてしまったということになります。これはキリスト信者が、時空を超えてキリストと一緒に十字架につけられたということではもちろんありません。しかし、これは信仰上の事実です。それは人が、自分の罪のために十字架にかかったキリストを信じた時にどうなるかということを言っており、こう言うしかないのです。

私たちが、キリストが自分たちの罪のために死なれたことを認めることは厳粛なことです。私たちはイエス様が身代わりになって下さったのだからこれで安心、さあ悪いことをしよう、となるでしょうか。そんなことはありませんし、そうであってはなりません。キリストの十字架は、この方を信じる私たちを根本から変えずには置かないのです。

自分の肉をキリストと共に十字架につけてしまったとは、古い自分はそこで終わってしまったということです。……そのことは汚れた自分が成長して清い自分へと変わることではありません。邪悪な自分の邪悪な部分が薄まって善い自分へと変わることでもありません。そうではなくて、古い自分がその罪と共にはりつけにされて死んでしまうのです。……そんなことがあるものかと言われるかもしれませんが、そうでなければ新しい自分はありません。古い汚れた自分が滅ぼされてしまったことを承認し、神様に自分のすべてを明け渡さす、その時、その人の中にキリストが本当に生きて働くことになるのです。…しかし、もしも古い汚れた自分を適切に処置せず、また神様に自分のすべてを明け渡していないと、またどこからか古いものが戻ってきて、やがて頭をもたげてきます。これがガラテヤの人々に起こったことで、「霊によって始めたのに、肉によって仕上げる」ことです。ただし、そのことは正しい道からの逸脱が最終段階まで行ったということではありません。

マルティン・ルターは書いています。「キリストに属する者は肉を、その病や欠陥もろとも十字架につけてしまったとパウロは言う。これが起こるのは断食やその他の訓練によって肉の思いを抑える時だけでなく、霊によって進む、すなわち、神が罪を厳しく罰しようとして脅す神の脅しに警告されて、罪を犯すことから離れ、みことばと信仰と祈りとに教えられて、肉の欲に従わない時である。」続けます。「このように肉に抵抗する時、彼らは情と欲とともに肉を十字架につけるのである。こうして、たとえ肉が生きていて、まだ活動していても、それが欲することを果たすことができない。手足を十字架に縛りつけられているからである。」

このように考えて下さい。キリストはすべての人の罪の身代わりになることによって、罪を滅ぼされました。それはキリスト信者にとって、自分の「肉」が、自分を神様から引き離そうとする力が、キリストと一緒にはりつけされたということなんですね、肉は欲望のままにやりたいことをしようとしますが、たとえ生き残っていたとしても十字架に縛りつけられているので、そこから出ることは出来ない。要するに、信者の全生活の中心にキリストの十字架があって、そこから離れることは出来ないのだから、そこに立ち帰れということなんですね。

この観点に立ったところから、私たちは霊の結ぶ実を新しい目で見て、受け取ることが出来るのです。「霊の結ぶ実、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」は、人間の力で獲得できることではありません。十字架にかかって下さったキリストから与えられる実りなのです。霊の導きは、人をして十字架のもとに立たせます。あのファリサイ派のような偽善を、すなわち肉の業を斥けたところで与えられる実りが、私たちの間にもあることを信じて、祈ります。

 

(祈り)

 恵み深い天の父なる神様。

 霊の導きとは、なにか神秘的な体験をするとか、なんとも正体がわからない霊に洗脳されることではなく、神様とイエス・キリストから発せられる聖霊の導きであることを覚えて、改めて感謝いたします。聖霊は私たちを十字架の前に立たせ、肉、すなわち自分を神様から遠ざけようとする力が縛りつけられているのを見せて下さいます。このところから、私たちの信仰の人生を出発させえ下さい。そこから、霊の結ぶ実が実ります。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制がもしも私たちから発せられるとしたら、それは打算とか偽善によるものではなく、イエス様の尊い救いのみわざによる以外にはありません。広島長束教会と全国の教会から、神様のこのような祝福が発せられますようにと願います。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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イザヤ32:15~20、ガラテヤ5:16~21 2019.9.15

 今日と来週、ガラテヤの信徒への手紙の一部と取りあげて、霊の導きについて学ぶことにいたします。
 先週の礼拝では使徒言行録の19章を取りあげました。パウロがエフェソの教会で出会った12人ほどの人たちに洗礼を授け、頭に手を置くと、聖霊が降り、彼らは異言を話したり、預言をしたりしたのです。
 異言も預言も信仰から出て来る言葉ですが、異言は意味不明の言葉と言ってよく、これに対し預言は意味がはっきりしている言葉です。
 日本キリスト教会では異言は斥けられてきました。…昔、ある集会で一人の女性が突然、異言を語り出しました。すると、議長だった三瓶長寿牧師は、「誰か、この異言を解釈できる人がいますか」と議場に問いかけました。誰もいなかったので、「では、この場を退いて下さい」と言って、出て行ってもらったということです。エフェソでの出来事では、異言を話すことに意味があったのでそのことが記録されているのですが、今日、日本キリスト教会は、誰も理解できない言葉が話されても何にもならないと判断しています。
 もっとも聖霊の働きについて、日本キリスト教会がよくわかっているとはとても言えません。このことは日本キリスト教会にとっての大きな課題です。…聖霊の働きを重んじていると主張している他教派の教会の中には、今も異言を語る場を設けたり、聖霊体験というのを重んじたり、賛美歌を歌う時に踊り出してしまう人たちがいたりするようですが、こういうことに対して、日本キリスト教会は現在のところ一概に拒否することも出来なければ、全面的に肯定することも出来ないということだろうと思います。一つひとつの事柄について、慎重な判断が求められますが、判断の基準となるのは、それらが神の言葉と結びついているかどうかということです。聖霊の導きと言いながら、神の言葉はどこへ行ったのやら、ただ恍惚状態に陥っているだけだというのであれば、とうてい受け入れることは出来ないのです。
 
 前置きが長くなりましたが、ここからガラテヤ書に入ります。ガラテヤとはパウロが伝道旅行を行った小アジア半島のアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベを含む一帯の地方です。パウロは第2回伝道旅行か第3回伝道旅行の最中に、コリントかもしくはエフェソで、ガラテヤの諸教会に向けて手紙を書きましたが、それがこの手紙なのです。

 私は今日と来週、パウロが聖霊の働きについて教えているところを語ってみようと考えています。

聖霊の働きを語り、それを皆さんが受け取る時に、それが、ただ異言が認められるかどうかという問題に矮小化されてしまわないように、もっと大きなところから考えてみたいからです。

 そこで、まずガラテヤ書を全体的にさらっておきますと、この中でパウロは、「神様に義と認められるのは、律法の行いによるのではない」ということを繰り返し、語っており、そこから霊と肉という問題が出て来て、聖霊が登場するという順序になります。

 主イエスも、パウロも、くり返し批判した律法主義というのは、極東に住む私たちにはわかりにくいところがありますが、聖書の舞台となった土地では生き続けています。…いまイスラエルでは、厳しい戒律を守り続けるユダヤ教徒と、戒律にこだわらない人々との間のあつれきがあるそうです。ユダヤ教徒の安息日は金曜日の夕方から土曜日の夕方までですが、その時、多くの店が閉じてしまうし、公共交通機関も動かないということです。安息日には電気をつけることも、禁止されている労働だと判断されるので、電気機器は前もってタイマーをかけておくとか。…このように、あらゆるきまりを守ってゆこうとする人々が残っている一方で、そんなことにこだわらない人もいて、せめぎあいがあるということです。

 パウロはロマ書に彼の体験した苦悩を書いています。パウロはすべての律法を完全に守ろうとしました、しかし守れなかったのです。十戒の中にある「あなたはむさぼってはならない」という戒め、これは人間の外面に現れた行動ではなく、心の持ちように関するものですが、これだけはどうしても守れず、「わたしはなんとみじめな人間なのだろう」という絶望に陥りますが、そこから律法主義を乗り越える道を選び取って行くのです。

 このことは厳格なユダヤ教徒からは、パウロはなまぐさ坊主だからそんなことに悩むのだ、と見なされたかもしれませんが、そういう理屈で片づけることは出来ません。パウロはその時代の誰よりも、真剣に律法を守ろうとたいへんな努力をし、その結果、律法をすべて守ることなど出来ず、そのままでは人は救われないことを発見したのです。

 パウロは律法を否定しているわけではありません。律法は神様から与えられた良いものだけれども、これを完全に守ることによって救いを得ようとするのは間違いだ、と言うのです。なぜなら、律法を完全に守ることのできる人など誰もいないからです。…さて、ここから見えてくることがあります。神様が律法を下さったのは、私たちが自分の力で義と認められることは決してできないということを教えるためでした。そして、自分では救いを達成できない私たちのために、神様は、救い主イエス様を与えてくださったのです。

 父なる神様とイエス様から聖霊が出てきます。このことは使徒言行録2章33節で教えられていま。「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。」…聖霊が働く範囲はどこまでなのか、自然の中に働いているのか、すべての人間に及んでいるのか、それともクリスチャンだけに関わるのかという問題があって、議論されていますが、難しくなるので今日は取りあげません。少なくとも、これだけは確かです。エフェソの12人ほどの人たちが洗礼を受けた時に聖霊を受けたように、私たちもイエス・キリストを信じたことで聖霊を受け、聖霊の導きのもとにあるということです。天から来た聖霊が私たちの中にも宿って下さり、聖霊によって私たちは神の愛を知り、神を信頼して生きる者となります。こうして、律法の中のいちばんの大切な命令である「神を愛し、隣人をあなた自身のように愛せよ」という生き方が出来る者へと変えられて行くのです。

 それでは、イエス・キリストを信じ、洗礼を授けられ、聖霊を受けたあと、私たちの信仰は完成するのでしょうか。そうではありませんね。信仰に生きようと思ってがんばっても、途中で挫折してしまったり、初心を忘れて自分がどこを歩いているのかわからないということはあるのです。誰にも言えないような失敗をすることもあります。…そうなると、信仰を持ったことで自分は進歩したのか、前と変わらないじゃないかとしか思えなくなります。

 しかし、覚えておいていただきたいのですが、私たちはキリスト者になったからといって、すぐに完璧な人になるわけではありません。赤ちゃんが少しずつ成長していくように、神様のいのちによって新しく生まれた私たちも、聖霊の導きによって、少しずつ変えられていくのです。そのプロセスは、信者一人ひとり違っているはずです。…順調にそのステップを進んでいける人も中にはいるのでしょうが、たいへん少ないはずです。パウロ自身、たいへんな悩みと葛藤の中で成長していったのですから、似たようなことが私たちの中にないはずはありません。自分の中で二つの相反する者が、内部で対立しているからです。これは、その人の信仰が弱いからということではありません。生きている限り、誰の内側にも二つの相反する力が働いているのです。

 今日の箇所でパウロは、この二つの相反する力を「肉」と「霊」という言葉で説明しています。この内、「霊」というのは聖霊でありまして、聖霊に導かれて生きることが求られているのはもちろんなのですが、なかなかそうはいきません、これを妨げているのが「肉の業」なんですね。大切なことは、そのどちらを選びとっていくかということです。

 今日はまず「肉」について考えて、来週につなげていきたいと思います。
 聖書で「肉」という言葉は、いくつかの意味で使われています。「ああ、肉が食べたい」というようにそのものずばり、動物の肉を指すことがあります。しかし、この箇所で使われている肉という言葉は、そういった意味ではなくて、霊とは異なる方向に私たちを連れて行こうとする力、すなわち私たちを神様から引き離そうとする力のことを言っています。人間には誰もその力が働いており、それは、その人がイエス・キリストのものになってからも已然として残っています。この力は私たちを神様から引き離そうとすることで、結果的に隣人との関係も破壊し、そうして自分自身をも破壊してしまうのです。あなどることは出来ません。

 肉の業が働いている例をあげてみましょう。昔ある教会の中で、それこそ50年もいがみあっている2人の女性がいました。AさんとBさんということにしておきます。Aさんが病気で残された命が少なくなってきた時、牧師はAさんに、Bさんにひとこと謝って和解するよう勧めたのですが、Aさんは「自分は何も悪いことはしていない」と言って拒絶してしまいました。Bさんの方は、少し歩み寄る気配を見せていたのですが。

 この2人については50年間の複雑な関係があって、両者とも間違いを犯し、判断が大変難しいということですが、二人とも、自分にも罪があるということを認めていたら、いがみあったまま人生を終えるということはなかったと思われます。…第一ヨハネの1章8、9節はこう書いています。「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」
 大切なのは、誰もが自分のうちに「神様から引き離そうとする力」があることを自覚して、常に自分の状態を点検していくことです。…今日の箇所でパウロは、肉の業のリストを紹介しています。このリストは、四つのグループに分類できます。
 第一が家庭と社会を破壊する罪。姦淫、わいせつ、好色という性に関することです。性は本来神様に与えられた素晴らしいものなのに、欲望に身をゆだねることで、相手も自分も傷つけることになってしまいます。

 第二が神との関係を破壊する罪、偶像礼拝と魔術です。偶像礼拝は、まことの神を神とせず全く別なものを神として崇めることです。魔術とは、神様以外の得体のしれない力に頼って、自分の望みをなしとげようとすることで、人間の心をマヒさせてしまいます。…なお魔術といわゆるマジックは区別すべきでしょう。

ここにマジシャンがおられたら申し訳ないのですが、マジックは人々を喜ばせるという点ではたいへん良いものですが、中には人体切断マジックのように価値のわからないものもあって、要するにマジシャンの心がけと観客への愛情次第で良いものにも悪いものにもなるようです。

 第三が人間関係を破壊する罪、ここには「敵意」「争い」「そねみ」「怒り」「利己心」「不和」「仲間争い」「ねたみ」が挙げられています。誰も、一人ひとりが神様に愛されている存在であることを忘れてはなりません。聖書は、互いに愛し合いなさい、互いに赦し合いなさい、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい、と教えているので、これはそれとは反対の姿です。

 そして第四が自分自身を破壊する罪です。そこには「泥酔」「酒宴」「その他このたぐいのもの」が挙げられています。適度な飲酒まで禁止しているのではなく、過度の飲酒が戒められています。「その他このたぐいのもの」にはギャンブルも入るはずです。カジノを誘致することで地域の活性化をはかろうとする人がいるだけに、警戒が必要です。

 

 肉の業についてパウロは、「このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」と言います。神様から引き離そうとする力が私たちをこのようなところに引きずりこもうという時、どうすれば良いのでしょうか。まず、自分の中に肉と霊という二つの力が対立し合っていることを認めることです。それすら認めない人が多いのが現状です。その上で、肉ではなく霊に導かれることを願いつつ、これを選び取っていかなければなりません。そのために祈ることから、まず始めたいと思います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。あなたのお導きのもと、こうして私たちの捧げる礼拝を受け入れて下さることを感謝いたします。

 肉の業と霊の導きの間で分裂しながら、そのことも自覚せずに救いを求めている私たちです。神様、どうかあわれんで下さい。十字架につけられたイエス様という鏡を見て、自分の罪を直視し、おののくほどに私たちの感覚をとぎすまさせて下さい。私たちはまことににぶい者で、自分の中にある罪も見えない者だからです。罪に対する絶望を通らなければ、霊の導きを求めることもありません。イエス様の救いを受け入れることもありません。神様、私たち一人ひとりが言葉の本当の意味で信仰の初心に帰り、新しい、幸せな、恵みに満ちた一歩を歩み出すことで。神様と隣人に仕えることが出来ますように。

 貧しい、そして大きな祈り、これを主イエスの御名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。

聖霊を受けましたか。YOUTUBE

詩編51:12~14、使徒19:1~10  2019.9.8

 

パウロは、第2回伝道旅行でコリントから帰る途中、エフェソに短時間立ち寄りましたが、その時、彼を引き留めようとする人たちに「神の御心ならば、また帰って来ます」と言って帰って行きました。…ただしパウロは休むいとまもなく、また第3回伝道旅行に出発します。シリアのアンティオキアから出発して、小アジア半島を東から西へ突っ切って行ったのですが、使徒言行録にはそこで起こったことは一切省略して、再びエフェソに着いた時のことをくわしく書いています。

エフェソは今のトルコの西海岸にあった大きな港町で、交易で栄えた町でした。世界の七不思議といわれた女神アルテミスの巨大な神殿が建っていて、信仰を集めました。パウロのこの町に2年3か月以上滞在しました。

 

今日はこの町で起こった第一の出来事をお話しします。アポロがコリントにいた時と書いてありますね。エフェソ教会にいたアポロは雄弁家で、イエス様について熱心に語っていましたが、ヨハネのバプテスマしか知らない人で、プリスキラとアキラが彼を呼んで、もっと正確に神の道を説明したことを先週、学びました。アポロはその後、コリントの方に行き、入れ違いにパウロが来たことになります。

パウロはエフェソで12人ほどの弟子に会いました。パウロはおそらく、この人たちが、自分ではイエス様を信じているといっても、信仰の内容がどこか変なのに気がついたのでしょう。そこで「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と聞くと、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」、そこで「それなら、どんなバプテスマを受けたのです」と聞くと「ヨハネのバプテスマです」…。パウロはそこで彼らにイエスの名によるバプテスマを授けました。

ここは、古来、激しい論争を呼び起こしてきた箇所です。

初めにバプテスマ、洗礼についてお話しします。今この教会にいる大部分の方は洗礼を受けておられます。まだ受けておられない方もやがてそのように導かれるでしょう。

洗礼にはどのような意味があるのでしょうか。神様はイエス・キリストの十字架上の犠牲により、洗礼によって、人が罪から洗い清められることを約束して下さいました。これは、神様と、洗礼を受ける人との間に結ばれた契約のしるしです。このことを結婚にたとえてみましょう。

結婚は、一般的には一組の男女が婚姻届を出して、一緒に生活することから始まります。

ところが、現実には婚姻届を出さない結婚もあります。事実婚とか内縁関係とか言われるものです。

そのような場合、夫婦関係の内実はあるかもしれませんが、この関係はもろいものだと言わざるをえません。法律上の夫婦ではありませんから、夫婦の関係を維持するためには本人たちの強い意志が必要です。お互いの気持ちが変わってしまえば、たちまち関係は終わってしまうのです。

結婚は人間と人間の関係ですが、洗礼は神様と人間との関係です。洗礼を受けていなくても自分はイエス様を信じているという人もいることはいるのですが、これでは不十分、洗礼を受けるということは、一組の男女が婚姻届を出して夫婦になるように、神様とその人が法的に関係を結ぶことなのです。

さてエフェソの教会で、12人ほどの人に洗礼が施されたことで、論争が起りました。それはひとりの人が生涯に2回洗礼を受けても良いのかという問題です。

かりにこの教会にカトリック教会やロシア正教会の人が移ってきたとしましょう。その人が元の教会ですでに洗礼を受けていた場合、この教会の会員になるためにもう一度洗礼を受ける必要があるのかということになります。日本キリスト教会はその必要はないと考えています。カトリック教会もロシア正教会も、プロテスタント教会とは信仰内容がだいぶ違いますが、しかしイエス・キリストの十字架と復活を信じることにおいては変わりなく、互いに相手をキリスト教会であると認めているからです。これが異端だったらそうはいきません。もしもモルモン教会の人が移ってきたら、あちらでの洗礼は無効なので、こちらで洗礼をすべきだということになるでしょう。

ヨーロッパでは宗教改革の時期に、再洗礼派、アナバプテストという人たちがいました。彼らはカトリック教会で洗礼を受けた人がプロテスタントに変わった場合、再洗礼が必要だと主張したのです。この人たちにとって、今日の箇所は有力な根拠となったことでしょう。…しかし、この考え方にはカトリック教会はもとよりルターやカルヴァンも反対しました。洗礼には、罪から洗い清められるという一度限りの意味があり、これを二度、三度と繰り返すことは出来ないからです。 

そこで参考までに主イエスの弟子の場合を考えたいと思います。ヨハネ福音書には、もともとバプテスマのヨハネの弟子であったアンデレがイエス様の弟子になった話が出てきます(ヨハネ1:37)。アンデレはヨハネから洗礼を受けたはずです。イエス様ご自身もヨハネから洗礼を受けています。ただ聖書には、イエス様が弟子たちに洗礼を授けたというようなことは何も書いてありません。

おそらく、弟子たちの大部分はヨハネから洗礼を受けていて、イエス様の弟子になったあと再び洗礼を受けることはなかったのです。

…だとすると、エフェソの12ほどの人たちだけ、なぜ2回も洗礼を受けなければならなかったのかということになります。いろいろな考え方があるようですが、これなら信じられるというものをあげておきます。

アンデレたちがなぜヨハネからの一度の洗礼で良しとされたのか。ヨハネは、自分のあとにイエス様が現れることを預言していました。ヨハネから洗礼を受けた者がすぐにイエス様に従った場合、それこそヨハネから授かった洗礼はその目的を果たしたことになります。

ところがエフェソの弟子たちの場合、おそらくヨハネの弟子か、またその弟子あたりから洗礼を受けたのでしょう。もうその頃になると、洗礼の意味がヨハネの時とは違ってしまったと考えられます。パウロが「どんなバプテスマを受けたのですか」と尋ねた時、彼らは「ヨハネのバプテスマです。」と答えました。ここは口語訳聖書では「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」となっていて、この方が原文の意味に近いです。彼らが受けた洗礼は、もう主イエスの名によって授けられる洗礼とは遠いものになっていました。

旧約時代、エルサレム神殿で動物をささげて罪のゆるしを得る儀式が行われていましたが、キリスト教会が誕生したあと、そんなことは意味がなくなってしまいました。同じように、復活されたイエス様がマタイ福音書のいちばん最後で、弟子たちに向かって「全世界に出て行って、バプテスマを施しなさい」と命令されたあと、ヨハネの洗礼は無効になってしまったのです。だからヨハネの洗礼を受けた人たちに再び洗礼を施すことになったわけです。

 

ながながと述べましたたが、しかし、このような論争は今日、私がいちばん訴えたかったことではありません。

この12人ほどの人たちは、どんな人たちだったのか、私は先ほど申しました。「パウロはおそらく、この人たちが、自分ではイエス様を信じているといっても、信仰の内容がどこか変なのに気がついたのでしょう。」

この人たちは、エフェソで一つのグループを形成していました。その理由は、みんなヨハネのバプテスマを受けていたということにあったのでしょう。先週の礼拝に出席された方はここでアポロのことを思い出されたはずです。アポロも「イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった」のです。アポロとこの一団の人たちはつながりがあったと考えて、間違いなさそうです。

パウロが4節で述べたことは問題の本質を突いています。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」…ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べて、たいへん禁欲的な生活をしました。イエス様はマタイの11章18節で、ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいる時、『あれは悪霊に取りつかれている』と言われていたことを語っておられます。ヨハネは反対派から揶揄されるほど、謹厳実直な生活をしていたのです。エフェソにいたヨハネの弟子たちも、その点は受け継いでいたと思われます。

この人たちは、ヨハネによって示され教えられた事柄、つまり迫りくる神の怒りを恐れ、悔い改めて神に立ち帰るという信仰に生き、そのためにとても努力している、たいへん真面目な人たちだったのでしょう。しかしパウロは、彼らの信仰生活を見ていて、また彼らが語る言葉を聞いていて、おかしいと思ったのです。これは主イエスの名による洗礼を受けた者の、つまり主イエスが十字架の死と復活によって実現して下さった救いの恵みの中に生きている者の信仰とは違うのではないか、ということです。

主イエスの名によって洗礼を受けた者であっても、もちろん悔い改めて神に立ち帰ることが必要ないのではありません。罪との闘いは生涯続きます。しかしながら主イエスは、すべての人に先がけて罪と死に勝利されたのです。ですから私たちも、主イエスが勝ち取って下さった救いの恵みの中で歩む者となり、感謝して神様をほめたたえて生きる者とされているのです。その時、私たちの信仰も、すでに聖霊を受けた信仰になっているのです。

これに対し、この時点でのヨハネの名による洗礼、つまり聖霊を受けていない信仰というのは、主イエスによる救いの恵みの中に生かされていない信仰です。そこには罪に対する悔改めはあります。しかし感謝も賛美も喜びもありません。信者一人ひとりのけんめいな努力が重視される信仰、それは自転車に例えてみればいつも一生けん命こいでなければ倒れてしまうような信仰です。そういう信仰に生きる人は自分ががんばっていることを頼みにして、ほかの人を平気で裁くものです。きゅうくつな信仰生活の中で不平不満がたまり、それがしばしばほかの人に対する批判として現れるからです。

パウロがその信仰の問題点を指摘した時、この人たちは自分たちの信仰がひからびたものでしかなかったことを納得したのでしょう、すぐに主イエスの名による洗礼を受けました。パウロが彼らの上に手を置くと、この人たちの上に聖霊が降り、彼らは異言を話したり、預言をしたりという、驚くべきことが起こりました。神をたたえる言葉が異言や預言となって現れたのです。そのことが彼らをどこに連れていったか、参考になるのがガラテヤ書5章の言葉です。そこに「霊の結ぶ実」ということが出て来ます。聖霊がもたらすものですね。

22節以降にこう書いてあります。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」ヨハネの弟子たちは、洗礼を受け、聖霊を受けることによって、心を覆っていた古いからを脱ぎ捨てて、新しい、広い世界に入ったのです。

パウロはのちにエフェソの教会にこのように書き送りました。エフェソ書4章1節以降です、「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ」です。

皆さんの中でもしもこれとは正反対の世界にいる人はいたら、信仰に入った時の初心を思い起こして下さい。自由で、新鮮で、どこまでも広々とした信仰が、夢も希望もない、無力な信仰になっていたとしたら人生、もったいないではありませんか。私たちが、パウロが伝えた信仰を本当に受けとった時、ひからびた信仰にも命の水が注がれ、そのことが礼拝生活に現れるにちがいありません。…せっかくの日曜日、うちでのんびりしたかったけど教会に行くのは義務だからということではなく、神様が礼拝というこの得難い機会を与えて下さって、ここから自分の本当の人生が始まることを思って、今日から始まる一週間を過ごして頂きたいと思います。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。神様が今日もこの礼拝のときを設けて下さり、私たちを生かし、私たちの祈りを受け取って下さることを知って、感謝いたします。

神様、ここにいる私たちは多かれ少なかれ、みな人生で重荷をかかえているはずです。体や心の病気で苦しむ人、人間関係で悩む人、生活が苦しい人がいます。それに加えて、この日本でイエス様を信じる人がとても少ないことが私たちを悩ませます。信仰生活においてもマンネリ化が起こっているかもしれません。神様、どうか聖霊のさらなる導きによって、ひからびた心をよみがえらせて下さい。私たち一人ひとりが、自分に与えられている恵みを数えつつ、困難の中にあっても主にある希望に支えられて歩む者として下さい。

小笠原さんが退院されました。神様のお支えと励ましが小笠原さんにさらに与えられ、これを皆で喜ぶことが出来るように願っています。

これらの祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、み前にお捧げします。アーメン。

植える人と水を注ぐ人 youtube

 

エゼ36:25~27、使徒18:24~28  2019.9.1

  

ひとりの人が信仰を持って、キリスト者になり、主のみこころに従って生きるようになるまでには、多くの人々が関わっているものです。親や兄弟、教会に誘ってくれた友人がそうでしょう。もちろん聖書を説き明かしてくれた牧師、信仰についての相談相手になってくれた教会の人々を忘れることはできません。さらに教会の基礎を築いてくれた信仰の先達のことを考えたら、この世界に教会が誕生していらいの歴史があるわけですから、数え尽くせさない人々が関わっていることになるのです。

み言葉を語る人もそうです。牧師ばかりでなく日曜学校の教師も、信徒伝道者も、みんな自分ひとりの力でみ言葉を語れるようになったのではありません。自分では一生懸命イエス様のことを語っている気持ちでいても、実際には違うことを語っているということもないではありません。こんな時、その話を聞いた人が何も言わなければ間違いは正されません。まずは、ほかの誰もいないところで忠告するのが良いでしょう。どんなに偉い先生であっても、最初から完璧な人はいません。失敗はないに越したことはありませんが、それでも失敗することはありまして、そんな時に適切で、その人のことを親身に思っての忠告があってこそ、その人は成長して行くのです。実はその時、神ご自身が働いておられるのです。

 

今日のお話に出て来るアポロは、アレクサンドリア生まれのユダヤ人です。アポロというのは、もともとギリシャ神話に出て来る神の名前で、現代ではアポロ11号のように宇宙船の名前にもなっています。…おそらくアポロの名をつけた親はギリシャ神話の神々を信じる異教徒で、アポロ本人はのちに改宗したのでしょう。だから彼は生まれながらのユダヤ人ではなく、異邦人でありながら、唯一の神を信じ、改宗して、ユダヤ人になったのだと思われます。

彼の出身地、アレクサンドリアは、紀元前4世紀にアレクサンダー大王によってエジプトのナイル川のデルタ地帯に建設された都市です。紀元1世紀には約百万人が住んでいました。港湾都市、商業都市として繁栄しただけでなく、学問の一大中心地でした。ここには古くから多くのユダヤ人が住んでいて、紀元前3世紀にはギリシャ語訳旧約聖書が作られています。

アポロはこの町で質の高い教育を受けたことでしょう。また彼自身が何ごとにも前向きな性格だったようで、「聖書に詳しい雄弁家」になりました。このアポロがエフェソに来ました。ちょうどパウロがエフェソを去ったあとになります。

…パウロはコリントからエフェソに来た時、そこのユダヤ教の会堂でユダヤ人と論じ合いました。人々はパウロに好意的で、もうしばらく滞在するように願ったのですが、パウロはエルサレムに行かなくてはならず、この町をあとにしました。ただ、パウロと一緒にコリントから来たプリスキラとアキラの夫婦はここに留まっていました。

アポロのことを25節は、「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが…」、26節でも「このアポロが会堂で大胆に教え始めた」と書きます。…「主の道を受け入れており」、これは彼がすでにキリスト教の信仰を持っていたということです。「熱心に語り」、ここには原文では霊という言葉が使われており、口語訳聖書では「霊に燃えて」と訳されています。ただそうなると解釈上、ややこしい問題が生じます。アポロが聖霊の導きによって伝道していたということになり、これをこれからお話しする「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」というところと合わせて考えてみると、信仰者にとり大切なバプテスマのことで不完全な人が聖霊を受け、しかも伝道していたというたいへん珍しい例になります。もとより、聖霊は思いのままに吹くのですが。

「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが」、…「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」、これはどういうことでしょうか。ヨハネとは皆さんご存じのバプテスマのヨハネです。ヨハネはイエス・キリストに先立って荒れ野に現れました。らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていたといいますから、たぶん原始人のような姿だったのでしょう。彼はたいへん厳しい言葉を使って、罪の悔い改めのための洗礼を施していきました。この時ヨハネは「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」と言っていました。その方とは主イエスであって、彼はイエス様をお迎えするための道備えをしたのです。

ヨハネ福音書の1章には、もともとヨハネの弟子であったアンデレがイエス様に出会い、その弟子になった話があります。このようなケースは多かったと思います。つまりヨハネから洗礼を授かったり、弟子になった人がイエス様に出会い、イエス様を信じるようになったというケースです。

バプテスマのヨハネの出現は当時ユダヤ全土を震撼させました。しかしヨハネは捕らえられ、投獄され、処刑されてしまいました。ヨハネについてきた人たちはどうなったのでしょう。イエス様のもとにかけつけた人たちがいたことは考えられます。また雲散霧消というか、歴史から消えてしまった人たちがいたかもしれません。

…ただ、それらとは別に、ヨハネの教えに生き、ヨハネが宣べ伝えたイエス様を信じながら、しかしペンテコステの日に誕生したキリスト教会とは別個の歩みを続けたグループがあったらしいことが、アポロについて読んでいる時に見えてくるのです。アポロはそうしたグループに属して、そのグループから洗礼を授かったものと考えられます。

それではアポロはエフェソで、どんなことを教えていたのでしょうか。ここに書いてないので想像するほかありませんが、…彼はバプテスマのヨハネの教えに従っていましたし、イエス様の十字架の死は有名な出来事なので知っていたはずです。イエス様がヨハネが予告した救い主であることは言っていたでしょう。しかし、イエス様が十字架につけられたことで、この方を信じる者が罪から救われるということにどこまで迫ることが出来たのかと思います。また、イエス様の復活と昇天、またペンテコステの日に聖霊が降って教会が誕生したことは知らなかったのではないでしょうか。…いくら旧約聖書に精通し、バプテスマのヨハネの教えにしっかり依拠していたとしても、これだけではイエス様のことを語ることにはならなかったのです。

それでは、アポロのような信仰において足りない部分がある伝道者は、キリスト教会から排除されなければならないのでしょうか。そうではありません。彼は教会に受け入れられます。足りないところは補われます。これをしたのがプリスキラとアキラです。…この夫婦、ここでは妻の名前が夫の名前より先に来ていて、妻はいつまでも夫の陰に隠れている必要はないと教えているのでしょう。ここでアポロを自宅に招いてキリストの教えをもっと正確に説明したのもおそらくプリスキラの方だったのでしょう。

このことを私たちの問題として考えてみましょう。この教会にアポロのような牧師が来て、礼拝説教をすると仮定します。この人は若くて教養があり、聖書に精通していて、雄弁で、しかも熱心です。口べたでとつとつとしか語れない牧師に比べたら、どんなに良いでしょう。しかし、この人の話はまだ青臭くて未熟です。何より、信仰の根本的なところがわかっていません。

こんな時、アポロ先生はどこか足りないと思ってはいても、口に出さない人がいると思います。まだ若いんだから、これからだんだん良くなるよ、しばらく様子を見ようという人もいるでしょう。しかし、信仰の根本において足りないところが見えた時、傍観者であってはいけません。教会は、有能な牧師がいても、礼拝出席者が多くても安泰ではありません。みことばが正しく語られるかどうかで、教会は立ちもし、倒れもするのです。…プリスキラとアキラの夫婦は、おそらくアポロほど学識のある人ではなく、また雄弁家でもなかったでしょうが、それまでの信仰生活、とりわけパウロを通してつちかわれたものがありました。

この二人から、どれほど熱心に、正確にイエス様のことを語っていたとしても、イエス様がなしとげられたことを部分的に語っているだけではだめで、その本質を語るようにとさとされた時、それをアポロは神様の前に受け入れたのです。

アポロはこのあとエフェソを離れ、アカイア州に向かいました。コリントに行ったのです。アポロがエフェソを離れた理由はわかりませんが、「兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた」いうところから想像すると、プリスキラとアキラに諭されて生まれ変わったアポロのことを人々も喜び、「行ってらっしゃい。コリントでも神様のためにがんばって下さい」と言って、送り出したのでしょう。

 

アポロはコリントに着いてから、めざましい働きをしました。コリントには「既に恵みによって信じていた人々」がいました。パウロの伝道によって信仰を与えられた人々がアポロの伝道によって大いに助けられたのでした。そのありさまは、「彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」と記されている通りです。

前回お話ししましたが、コリントのユダヤ人はパウロを法廷に引っ立てて行って告発するほど攻撃的でした。そのたくらみが失敗したとはいっても、コリントの教会はまだまだ強力な敵に取り囲まれていたのです。従って教会は、内を固めるためにも、外に向かって伝道するためにも、十字架上で死んで復活したイエスこそ、まことのメシア、救い主であるということを旧約聖書に基づいて証しする必要がありました。その点、教養があり、旧約聖書に精通し、しかも雄弁家であるアポロは、うってつけの人物でした。神は、コリント教会がいちばん必要としている助けを、アポロを送ることを通して与えて下さったのです。

アポロが働き始めてから、コリントの教会はまず量的な面で大きく成長しました。パウロは第一コリント書1章14節と16節で、自分が洗礼を授けたのはクリスポとガイオとステファナの家の人たちだけだったと書いています。少数の人しか洗礼を受けていないのです。しかし、第一コリント書の全体を読むと、この教会がかなり大きな教会であるという印象を受けます。アポロの伝道を通して、多くの人々が洗礼を受けてキリスト者になったと考えられるのです。

ところが、その大きな教会で新たな問題が起こります。パウロは第一コリント書1章11節以降でこう書いています。「実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです。

キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。」

そこにはきっとアポロの崇拝者がいて、他の人々との間で分派争いが起こったのです。もちろんこれはアポロの意図したことではなかったのですが、アポロとしても、自分にも責任があると考えたのではないでしょうか。おそらくそのためでしょう。アポロは今度はコリント教会から姿を消してしまいます。そのことをパウロは第一コリント書16章12節でこう書きました。「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。」

希望に燃えてコリントに行き、素晴らしい働きをして教会を大きくしたアポロですが、そこで自分をめぐって分裂の危機が起こった時、いさぎよく身を引いたのです。

アポロについてパウロはどう思っていたのでしょう。困ったやつだなと思っていたのでしょうか。自分を脅かす存在として警戒していたのでしょうか。第一コリント書3章5節以下を見てみましょう。「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

大切なのは、成長させてくださる神です。このことは案外なおざりにされがちですが。パウロはみ言葉を正しく語ってはいても、話はつまらないと言われ、またあまり風采のあがらない人物でもあったようです。逆にアポロは雄弁家で多くの人をひきつける魅力的な人でしたが、そのこともあってか、教会に分裂騒ぎを起こしてしまいました。しかし二人はライバルではありません。それぞれ優れた点とそうでない点をかかえつつ、共に神様によって用いられたのです。…人それぞれ与えられた賜物は違っても、神様が成長させて下さることを覚え、自分の人生が神様によって用いられることを求めて行きたいと思います。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。聖書を通して神様から教えられていることが、決して牧師など一部の人だけに関係しているのではなく、すべての人を生かす教えであることを知って、感謝いたします。

アポロの欠けているところを正して下さった神様が、私たちの信仰から来た言葉に間違いがあれば、すぐに正して下さいますように。私たちそれぞれ神様から与えられた賜物が違い、また高い能力がある人もそうでない人もいますが、しかし神様から与えられたものを神様のために用い、そのことによって一人ひとりの人生を祝福されたものにして下さい。

今日から9月が始まりました。この秋、私たちの前に何ごとが起ろうとも、心身の健康を支え、日々、神様の恵みを数えつつ過ごすことが出来ますよう、お導き下さい。

とうとき主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン

ときめき  youtube  

雅歌4:1~16、Ⅱコリ2:14~15  2019.8.25

 

 キリスト教は愛の宗教であるとよく言われます。聖書の中で「神は愛である」(Ⅰヨハネ4:8)と言われており、このことがイエス・キリストの十字架と復活によって全世界に示されたことはまぎれもない事実です。キリストを信じて、地味ではあっても尊い働きをする人について、「あの人は愛の人だった」と言われることもあります。キリスト教が世界に拡がっていくにつれて、信者であるなしに関わらず、愛ということの素晴らしさが人々に認知されていったのです。…しかし、初めからそうだったわけではありません。こんな話を聞いたことがあります。明治時代、路傍伝道をしている人がいて、愛ということを口に出すたびに、聞いている人の間でしのび笑いが起こったというのです。伝道者の方は一生懸命、神の愛についてしゃべっているのですが、聞いている方は男女関係を連想してしまったのです。今日ではこんなことはないと思いますが…。日本語はもともと愛という言葉を男女関係や親子の愛だけに用いていたらしく、それがキリスト教が入ってきてから、広い意味で使われるようになったようです。

 このように、愛ということに多様な意味があっても、これを表す日本語は一つしかありません。神の愛も、男女の間の愛も、人類愛も、その他いろいろありますが、どれもみな同じ愛という言葉で表しているのです。これに比べると、ギリシャ語では愛を表す言葉がいくつもありまして、その中でも一般的なものがエロスです。ギリシャ神話にはエロスの神がいて、彼が弓を引くと、それに当たった人は恋に落ちるとされていました。

 エロスの愛という言葉がありまして、これは、自分のあこがれを満たすものを求める愛と言いましょうか、かっこいい男性、美しい女性を求める愛はその典型です。…ところが新約聖書は、ギリシャ語で書かれているにも関わらず、エロスという言葉が全く使われていません。意識的に避けられているのです。新約聖書のそれぞれの文書を書いた人たちは、愛を表す時にエロスを用いず、そのかわり、ギリシャ語ではありますが非常に珍しい言葉であったアガペーを使ったのです。なぜ、そんなことをしたのか、その理由は、神の愛を考えてみればわかります。神様にとって人間があこがれの対象になるでしょうか。そんなことは考えられませんから、神の愛を表す時にエロスという言葉は使えません。そこでアガペーをもってきました。これは神の愛であり、キリストの愛です。それは言ってみれば上から下への愛、愛される価値のないものを愛する愛、あこがれとは正反対の、むしろ憐れみに近い愛なのです。

 キリスト教会は2000年来、当然ながら、神のこのような愛を語り、信徒には神の愛にならってあなたがたも愛するようにと教えてきたわけです。最も大切な戒めとして主イエスがあげたのが、神を愛し、隣人を愛することです(マタイ22:36~39)。…隣人を愛する、それは隣人が美しかったりかっこいいからではないし、それをしたからといって利益が約束されているわけでもありません、ただ主イエスにならってそうしなさいということですね。ここにあるのがまさしくアガペーの愛です。教会ではこれに比べて、エロスの愛は価値が低いものとされがちで、大っぴらに語られることは少なかったのです。そのため、結婚などしないで清く一生を過ごすことがいちばん望ましいと考える人がいましたし、聖職者に結婚を禁じる教派があります。そういう考えの人たちにとって、恋愛や結婚は必要悪のようにとらえられていたのかもしれません。ここに雅歌が遠ざけられていた大きな理由があるように思います。…しかし雅歌は現に聖書の中に収められてあり、そこにあるのはエロスの愛の賛美です。仮に、この書物が声を出すことが出来るとするなら、私を無視しないで下さい、とずっと叫んでいたのかもしれません。

                                                                                                                            

 というわけで長い前置きになりましたが、4章に入ります。これまで乙女の歌が多かったのですが、ここからは若者の歌で、若者は乙女の美しさをたたえています。このあたり、既婚者の女性は、結婚前に夫になる人から言われた愛のささやきを思い起こしながら聞いて頂ければと思います。

 若者はここで、実に多くの言葉を駆使して、細やかに語ります。「恋人よ、あなたは美しい。あなたは美しく、その目は鳩のよう、ベールの奥にひそんでいる。」

 「あなたは美しい」、これは何回でも言うべきものなんですね。奥さんのいる男性の方、今からでも遅くないですから、奥さんにそう言ってあげて下さい。

 若者が見た乙女の目は鳩のよう、ベールの奥にひそんでいるというところから、乙女がベールで顔を覆うことがあったことがわかります。若者はまず目に心引かれたのでしょう。その目が語っていることは、若者が自分の青春を捧げても悔いないものでした。

 目に続いて、乙女の髪が「ギレアドの山を駆け下る山羊の群れ」にたとえられます。ギレアドはヨルダン川の東側の地のことで、夕暮れ時に列をなして山を降りてくるやぎの大群のように、豊かで長くて艶のいい髪だというのです。これは羊を飼った経験のある人でもなければ、わからないかもしれません。

 2節は、乙女の歯が、毛を刈られ、洗い場から上って来る雌羊の群れにたとえられます。それほど清潔できれいだというのです。羊はふだんよごれていても、羊毛はきれいでなければなりません。

そこで毛を刈る取る前に洗いますが、羊はその時がいちばん美しく輝くのです。…なお「対になってそろい」、この時代、歯が悪くなったら抜くしかないわけです。おそらく歯が欠けている人が多かったので、注解書には、歯が上下全部そろっているというのはまれに見る美である、と書いてありました。

 次の「唇は紅の糸」、唇が細いのが美しいのかどうか、今日の感覚では理解しにくいのですが、「言葉がこぼれるときにはとりわけ愛らしい」はよくわかりますね。いくら姿形が美しくても、口から品のない言葉が出て来たら、百年の恋も一度でさめてしまいます。

 口に続くのがこめかみで、この地方で珍重されるざくろの花にたとえられます。…下に降って「首はみごとに積み上げられたダビデの塔」、なぜ首がダビデの塔にたとえられるのか、背筋がまっすぐでピンと立っているからだと思われます。…最後に「乳房は二匹の小鹿。ゆりに囲まれ草をはむ双子のかもしか」、説明の必要はないでしょう、安らかな思いが伝わってきます。

 

 このように乙女の美しさを目から胸もとまで語った若者は、6節で彼女のもとへかけよって行こうとする切なる思いを歌います。しかし、そこに行くまでにいくつかの段階を乗り越えなければなりません。8節の「花嫁よ、レバノンからおいで」ですが、乙女が実際にレバノンにいたとは考えられません。これもおそらく何かのたとえです。ソロモン王に惑わされないで自分のところに来てほしいというのかもしれません。あるいは女性にとって、男性にとってもですが、結婚は一生の大事で清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟が必要です。若者は乙女に、勇気をもって自分のもとに飛び込んで来るよう呼びかけているのかもしれません。

 9節から11節は、もうあてられそうになってきたので簡単にすませます。9節の「わたしの妹、花嫁よ」ですが、妹が花嫁であるはずはなく、この時代、愛する女性を妹と言うことがあったということです。…「あなたはわたしの心をときめかす」、彼女に会うたび、彼女を思うたび、心に驚きがあり、新しい発見がある、そこにときめきが生まれます。結婚後、何年かたって、もうお互い話すこともなくなったということがよくありますが、こういうマンネリズムは勉強にも仕事にも、また信仰生活においても起こります。みな、心に求めるものがないので何も得られないのです。何ごとにおいても私たちが知りえるのはほんの一部、そのまわりには広大な未知の領域があることを知って下さい。

 こうして12節に入ります。「わたしの妹、花嫁は、閉ざされた園。閉ざされた園、封じられた泉」と歌われており、乙女がそれまで純潔を保ってきたことがわかります。

今日では、未婚の男女が純潔を保ってゆくことが、かえって恥ずかしいような雰囲気さえあります。しかしこれは、サタンの策略にうまく乗せられているのです。正直であったり、うぶであったり、善良であったりすることが甲斐性無しのように見え、逆に悪がしこかったり、危険な香りをただよわせている人の方がかっこよく見えるかもしれませんが、そういう人生を歩んでいった時に何が待ちかまえているでしょうか。結婚前の女性は花でいえば蕾です。花は愛する人に出会い、開いて大輪の花になれば良いのでありまして、あわてて咲かせる必要はありません。

 若者との歌のかけあいをしているのでしょう、16節から乙女の歌になります。「北風よ、目覚めよ、南風よ、吹け。わたしの園を吹き抜けて、香りを振りまいておくれ。恋しい人がこの園をわがものとして、このみごとな実を食べてくださるように。」彼女はそこで、守るべきものを守り、待つべき時に待つ人に与えられる幸せを期待を込めて歌っています。愛する人との結婚を目前にしたみずみずしい乙女心を味わって下さい。

 今の日本で、歌謡曲やポップミュージックなどで歌われているのはほとんどが男女の愛です。男女の愛に全然関心がないという人もいますが、大多数の人にとって、これが最も重大な関心事であるからです。しかし、このことについて、教会がメッセージを発することはあまりありません。男女の愛はしばしば正しい道からそれて逸脱し、暴走するので、口に出すこともはばかられるようになってしまったのかもしれませんが、ここで考えてみましょう。

 男女の間で起こることは罪深いものなのでしょうか。そのように考える人がいます。そういう人は結婚などしなずにすむならしなくてよいと思っています。…男女の間の愛がしばしば罪深くなることは確かですが、しかしすべてがそうではありません。また聖書がそう教えているのでもありません。創世記にアダムとエバの結婚の話があります。神はアダムがひとりでいるのはよくないと、彼のあばら骨から女を造りあげました。アダムは喜んで叫びました。「ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女と呼ぼう。まさに男から取られたものだから。」こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。…皆さん、ご存じの話ですが、ここで大事なのは、この結婚は蛇の誘惑が起こる前なのです。つまりアダムとエバが誘惑に屈して罪を犯す前、すでに二人は結婚して、一体になっていたのです。だから男女の愛それ自体は罪でも何でもありません。人間がこれに罪を持ち込んでしまったのです。従って、男女の愛を過度にしりぞける態度は、信仰的とは言えません。

 ところで、雅歌の4章で、乙女は美しい、なにもかも美しい、傷はひとつもない、とたたえられていましたが、これほどの女性が本当にいたのでしょうか。

 

こんな話があります。ある女性が哲学者に相談しました。「先生、私は鏡を見るたびにうっとりしてしまいますが、これは罪でしょうか。」哲学者は答えました。「奥さん、それは罪ではなくて誤解です。」

 夢をこわすようですが、雅歌に登場する乙女についても不美人だと見なす人がいたかもしれません、また私たちと同じく罪人(つみびと)であることには変わりありません。雅歌の4章に書いてあることは、若者の目にそう映ったということです。恋は人を盲目にし、あばたもえくぼに見せるのです。しかし、それでかまわないではないですか。神は愛し合う男女の間で、不美人を美人に、醜男を美男に見えるようにして下さるのです。

 今日、初めにアガペーの愛とエロスの愛のことを申しました。アガペーの愛が神の愛だとすると、エロスの愛は人間の愛です。しかし、エロスの愛も、神が人間に与えて下さった愛にちがいありませんから、おろそかにすることは出来ませんし、これを良い方向に向けることが出来れば、人生が豊かにいろどられることになるのです。

 

(祈り)

 天にまします私たちの神様。

 いま私たちは、聖書にこんなことまで書いてあるのかという思いで、雅歌を読んでいます。この時にあたり、どうか私たちの固定観念を打ち破り、神様からいただく愛の素晴らしさの前に心の目を開いて下さい。

 神様、私たちはこれまで、神が人を愛するように隣人を愛することを教えられてきましたが、不十分で不徹底な歩みしか出来ていませんでした。一方、夫婦の間の愛にしてもその他の愛にしても、失敗が多く、その中には言うに言えないようなこともあったかもしれません。どうか私たちのすべてをご存じであられる神様が、主イエスのとうといいさおしによって私たちの心の傷をいやし、清めて下さると共に、日々の生活の上に楽しみと希望を与えて下さい。信仰に生きるとは、決して無理をして生きることではないと思います。神様、私たちがふだんの生活の中で、家族との語らいを楽しみ、一緒の食事に舌鼓を打ち、小さい子どもの成長を喜ぶと同時に、自分たちそれぞれがしていることが誰かの役に立っているという喜びを与えて下さい。

 神様のあふれる豊かさの中に私たちを導いて下さい。とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

   神の御心ならば  youtube

 

箴言9:21、使徒18:12~23  2019.8.18

  

パウロたちの第2回の伝道旅行の最後を取りあげます。この伝道の旅はシリアのアンティオキアから出発し、小アジア半島を経てマケドニアに渡り、フィリピ、テサロニケ、ペレア、そしてアテネ、コリントへと来たわけですが、今日のところでエフェソ、カイサリア、エルサレム、そしてアンティオキアに帰ってきます。これは地図を見たらわかるのですが、距離的にはたいへんなものです。コリントからアンティオキアまで、今日でも、船の旅なら何日もかかるでしょう。パウロはそれを、相当急いで帰ってきたように見えます。

ここから、私たちは何を学ぶことが出来るのか、焦点となるのは21節の「神の御心ならば」という言葉だと思いますが、ここに入る前にまずコリントで起こったことを見ておきましょう。…なお23節の「また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し…」というのは、第3回伝道旅行が始まったことを示し、その行程は次回以降で学ぶことになります。

 

パウロは1年6か月の間、コリントに滞在しました。これはパウロの伝道旅行の中では長い方だと考えられます。先週の説教でも申しましたが、パウロがコリントで伝道している間、幾多の労苦がありました。コリントという町自体が強欲な人たちの集まりだったらしく、パウロは自分で働いて生活費を捻出していたにもかかわらずお金をだまし取ったと言われていました。また、例によって、同胞であるユダヤ人がパウロに激しく反対したこともあって、パウロとしても意気消沈したはずですが、そんな時に主イエスが幻の中でパウロにこう言われたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしはあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」…このみ言葉の最初の実現を見てみましょう。

ガリオンがアカイア州の地方総督であったときというのは、出土した碑文によって紀元51年から52年の間だということが確認されています。ガリオンという人は、ストア派の著名な哲学者であるセネカの兄弟で、魅力的でたいへん評判の良い人だったそうです。

ユダヤ人たちは、一団となってパウロを襲い、ガリオンの法廷に引き立てて行って、告発しました。…思い出して頂きたいのですが、ユダヤ人たちは以前、パウロをテサロニケの町の当局者に対して告発したことがありましたが、そこでの決定は、当然のことながらテサロニケにおいてだけ有効です。ガリオンの法廷というのはコリントの法廷ではありません。ガリオンはアカイア州の地方総督で、アカイア州というのは現在のギリシャ共和国より広大な範囲にわたっていました。

従って、そこでの決定は一つの町の決定より重みを持つのは確実で、もしもガリオンがパウロの伝道はローマ帝国の秩序に反すると判決を下したら、パウロはアカイア州全体で伝道することが困難になり、影響は甚大です。

ユダヤ人がパウロを告発した理由は、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」ということです。こういうことが告発の理由となる背景には、当時ユダヤ教がローマ帝国の公認宗教だったことがあります。ローマ帝国は公認された宗教だけしか認めません。従ってそれとは違う宗教があると、禁止されたのです。この点をとらえて、ユダヤ人たちは、パウロが伝えているのはローマ帝国の公認宗教であるユダヤ教ではないから、こいつの伝道活動を禁止させて下さい、と申し出たのでした。確かにパウロが伝えていた教えは、イエス・キリストを信じるという点でユダヤ教とは大きく違っています。ところがガリオンはこれを却下してしまったのです。「『ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。』そして、彼らを法廷から追い出した。」

ユダヤ教徒の言い分にも一理あったのかもしれませんが、ガリオンはこの問題はユダヤ教徒自身が解決すべき問題だとして、地方政府が関与することをしません。これはパウロと初代教会の伝道にとってたいへん良い結果を産みました。それからしばらく、キリスト教はローマ帝国の中で違法とはされなかったのです。ユダヤ教内部でこの問題が決着し、キリスト教徒がユダヤ教の会堂から公に排除されるのは、このあと40年くらいたった紀元90年頃だと言われています。

主イエスが幻の中で言われた「あなたを襲って危害を加える者はない」という言葉がここで一つ実現しましたが、さて、その後に起った17節の出来事についてはよくわからないので、ミステリーが好きな方は考えて下さい。会堂長のソステネが群衆に殴られたのです。…18章8節に会堂長のクリスポが主を信じるようになったと書いてあります。クリスポはそのことで会堂長をやめたでしょう。そのあとに来たのがソステネだったと考えられます。

そこで2つの考え方が出て来ます。一つは新しく会堂長になったソステネまでがキリスト者になってしまったので、ガリオンに訴えを却下されたユダヤ教徒が腹いせにリンチを加えたというものです。…しかし、反対の見方があります。ここで出て来る「群衆」ですが、別の写本で「ギリシャ人たち」になっているものがあるのです。

そうすると、「ギリシャ人たちが会堂長ソステネを殴った」となりますが、彼らはパウロの話を聞いてキリスト信者となったコリントの人々ではないか、つまりキリスト教徒が、ガリオンがユダヤ教徒たちを門前払いにしたのに意を強くして、ユダヤ人の代表だった会堂長ソステネを殴ったとも読めるのです。

これは私たちとしては受け入れたくない読み方ですが、しかし現実には、キリスト者が悪いことをすることだってありますから、こういう読み方も出て来るのです。…なお第一コリント書の1章1節に、パウロと共同の手紙の発信人としてソステネの名前が出てきます。そうするとここでリンチを受けたソステネがのちにパウロの同労者になった可能性が出て来ますが、しかしただの偶然の一致かもしれず、証明することは出来ません。

そこで、ある人はこう考えました。「ガリオンがユダヤ人たちの訴えを門前払いにしたのに意を強くしたキリスト者たちが、ユダヤ人の代表だった会堂長ソステネを殴った。パウロはそれを見て、そんなことをするなと彼らをたしなめ、ソステネを助けた。自分を訴えた張本人である敵をもそのように助けるパウロの姿にソステネは感銘を受け、キリスト信者となって、やがてコリント教会への手紙の共同差出し人になったのだ」。こうなると話が出来すぎのような感じもしないわけでもありませんが。これ以上のことはわかっておりません。

 

パウロはなおしばらくの間コリントに滞在しましたが、やがて船で旅立ちました。コリントでパウロを助けた夫婦、ここでは妻の方が先に名前が出て来ますが、プリスキラとアキラも一緒でした。途中のケンクレアイという所で、誓願を立てていたので髪を切ったというのですが、このところも分かりにくいです。この箇所に注目し、聖職者は誓願を立てて頭を剃らなければならないという規定を設けた教会があって、それに従えば私も頭を剃らなければならなくなるのですが、そのように一般化する必要はないでしょう。この話はここまでにしておきます。

パウロたちはエーゲ海を渡って対岸のエフェソに着きます。パウロはここでもユダヤ教の会堂に入って、同胞のユダヤ人を相手に伝道しますが、他の町とは違って、ここの人々はパウロの語る福音を素直に受け入れたようです。

エフェソの人々はパウロに、もうしばらくここに滞在するようにと引き止めたのですが、パウロはそれを断り、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って、あわただしく出発してしまいました。これはただ、これ以上ゆっくりしていると船が出発してしまうから、というような理由ではなかったでしょう。問題は神の御心に言及することにどういう意味があるのかということです。

エフェソで伝道することは、パウロにとってかねてからの念願でした。パウロはこの第2回伝道旅行で、小アジア半島をまわっていた時、アジア州の中心都市で港町であったエフェソを目指していたはずです。エフェソは伝道の拠点となるとなる資格を十分に備えたところでした。

ところが、16章6節は言います、「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので」、理由はわかりませんが聖霊に禁じられ、エフェソに行けなくなった、そこでマケドニアへと進んだわけですね。

このエフェソの町にようやく到着し、人々から受け入れられ、もうしばらく滞在するように言われるほどだったのに、パウロは出発してしまったのです。急いで出発した理由はおそらくエルサレムで大事な用件があったからですが、これについては次回の説教でふれます。この時の言葉、「神の御心ならば、また戻ってきます」、この言葉はいまエフェソにいることは神の御心ではない、ここに戻って来れるかどうかもはっきりしない、でも神の御心ならばまた戻って来ますということですが、神の御心とはいったい何でしょうか。

神の御心とは神のご意思のことです。神がなさろうとするご計画と言っても良いでしょう。私たちにとって、神の御心が自分がしようとすることと一致していることほど望ましいことはありません。…しかし私たちは神の御心を知り尽くすことは出来ません。神の御心は、私たち人間が考えることをはるかに超えており、これをとらえることは簡単ではありません。

教会の中で、また信徒の間で、この言葉が使われることがありますが、使い方を誤ると危険なことが起こります。…昔、ある教会で、飢饉で苦しんでいるエチオピアの人々のためにということで募金が呼びかけられた時、ある人がこれを断りました。「エチオピアがあのようになっているのは神の意思なのだ、御心なのだ。だから私はその状態を変えようとは思わない」。…これが極端な例と言えないのが悲しいことです。あの人にあんな災いがふりかかったのも神の御心だと思って納得してしまったり、それを口に出すということが実際に起こるのです。自分が何かの不幸に見舞われた時に、これも神の御心だとして受け取り、すべてをあきらめてしまうということもあります。こうなると神の御心という言葉が、まるで逆らうことの出来ない運命と同じような意味で使われてしまっています。

しかしパウロはそのような意味で神の御心と言ったのではありません。パウロは神の御心の本当の意味を知っていました。彼は初め、エフェソ行きを禁じられたことで、それまで考えたこともなかった場所に行きましたが、その結果ヨーロッパで最初の教会が誕生し、異邦人を中心とする多くの人々にイエス・キリストからの救いをもたらしたことを経験しました。そこからパウロ自身の思いをはるかに超えた神の御心があったことを悟ったにちがいありません。こういうことは伝道者だけに起こることではありません。

誰でも自分が考えたようにことが進めば喜んで有頂天になり、失敗すれば失望して落ち込んでしまいがちです。自分に起こる幸不幸によって、人生が支配されてしまうのです。しかしパウロは、幾多の苦しい体験をしながらも主イエスからの励ましの言葉も受けていました。何が起ろうとも、それは神が福音を一人でも多くの人に告げ知らせるために自分を導いて下さっているのだから、神の御心こそ信頼に足るものだと知っていました。だからパウロが「神の御心ならば、また戻って来ます」と言ったのは、あいまいな約束をしたのでも逃げ口上でもありません。神が自分とエフェソの人々にもっとも良いことをして下さるとの信頼の現れなのです。…事実、パウロはこのあとの第3回伝道旅行で、エフェソに行くことが出来ました。

私たちは軽々しくパウロの口真似をすることは出来ないと思います。パウロとは人間の重みが違うので、私たちが神の御心を言うたびにこれが安っぽくなってしまう可能性があります。しかしながら、たとえ口には出さずとも、心に神の御心への信頼をいだいて人生を心豊かに過ごすことは出来るのです。どうかみ言葉や祈りを通して、神が自分に願っている御心が何かということを、厳しい現実の中にあっても示されることを求めてゆきましょう。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。聖書を通して神様から教えられていることは、決してきれいごとでも、単なる気休めでもありません。そんなことだけではとても満足できないから、私たちは神様の御心を問おうとしているのです。

私たちはそれぞれ自分の考えた幸せを求めていますが、それが本当に神様の御心に一致するのでしょうか。うつろいやすい、一時的な幸せではない、神様の御心と一致する本当の幸せを見せて下さい。おそらくその幸せは、目標としているものを獲得した時ではなく、それを目指す行程の中に、神様の恵みとして与えられるのでしょう。神様、私たちの中に神の御心を自分勝手に納得する心があればそれを押えて、神の御心を神の御心ゆえにおそれ、かしこむ思いを起こして下さい。みこころが天にあるごとく、地にも、私たちの内にもなさせたまえ。

とうとき主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

  この町にいるキリストの民 youtube 

ヨシュア1:9、使徒18:1~11 2019.8.11

  

私たちはパウロがマケドニア州のフィリピ、テサロニケ、ペレアから追われてアテネに向かい、そこで哲学者を初め知的レベルがきわめて高い人たちを相手に伝道したことを学びました。パウロが死者の復活を語った時、これを聞いてあざ笑う人、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」という人がいました。しかし、少数ながら信仰に入った人がいて、ここからアテネ教会が誕生しました。パウロ自身はアテネを立ち去り、次に向かったのがコリントです。

コリントは私が現地を訪ねた時、アテネから車で1時間くらいの距離のところにありました。ここは現在、人口がだいたい5万人ほどあるようです。コリント教会があったところは遺跡が残っていました。

コリントは聖書巻末の地図を見るとおわかりのように、海が入り組んだようになっているところの東の端にあります。古来、交通の要所として、経済的に繁栄していました。…また、この地域では、オリンピックに匹敵するスポーツ競技大会が三年ごとに開かれ、若者たちが、参考書によれば女性も含めて、肉体の美と力を競いあっていたということです。

ここでスポーツが盛んだったのはたいへん結構なことでしたが、経済的に繁栄していることは、いっけん良いことに見えても、カネの魔力が人間の欲望を刺激して堕落させていたということがあったようです。この町には美の女神アフロディテをまつる神殿があり、巡礼者がたくさん訪れていましたが、そこに千人もの神殿娼婦がいました。風紀の乱れがはなはだしく、「コリント男」と言ったら買春をする男、「コリント娘」は娼婦を意味していたほどです。こうした不道徳はのちにコリントに教会が出来たあとでも、大きな問題として残っていました(Ⅰコリ5:1)。

コリントの信徒への手紙一の2章3節に、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」という言葉があります。パウロはマケドニアの諸教会で迫害され、またアテネでの哲学者たちとの討論もあって、かなり疲れたままこの町にたどりついたようです。そのパウロを迎え入れたコリントの町は、経済的に繁栄していても不道徳で、きわめて世俗的な、堕落した町でもあったので、パウロとしてもこの先どうしたら良いのだろうという思いがあったのではないでしょうか。

ところがパウロをコリントの町に導いた神は、さまざまな助けを差し出して、パウロのコリントでの伝道を支えて下さいます。その第一がアキラとプリスキラという夫婦に会ったことです。…パウロがコリントに来る少し前、紀元49年か50年ごろ、ローマで皇帝クラウデオがユダヤ人追放令を出しました。

ユダヤ人のローマという都市からの追放です。ユダヤ人が追放された理由が、ユダヤ人のキリスト者と関係あったかどうか学者は議論していますが、それ以上はわかりません。とにかくアキラとプリスキラの夫婦は思い切ってイタリアを離れ、コリントまでやって来て、テント造りで生計を立てていました。二人はパウロと会う前にすでに誰かの伝道によってキリスト者となっていたので、パウロが来た時、すぐに助けることが出来たのです。

ここで、伝道者パウロの経済生活が明らかにされます。皆さんは、パウロがどうやって、当時としては驚異的な旅行をすることが出来たと思いますか。パウロには神の助けがあったことは確かです。しかしパウロだって霞を食って、生きていたわけではありません。旅にかかる費用や生活費がどうしてまかなわれたかというと、パウロ自身が捻出していたのです。この時代、ユダヤ教の律法の教師は、律法の研究とともに何か生計を立てる手段を身につけるのが普通でした。パウロ自身、自分は律法の義については非のうちどころがない者だったと言っています(フィリピ3:6)。彼はもともと律法の教師だったので、テント造りという仕事を身につけていたのです。

パウロがテサロニケの教会にいた時のことを第一テサロニケ書2章9節にこう書いてあります。「兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。」…同じことをコリントでもしたのでしょう。第二コリント書12章15節はこう書いています。「わたしはあなたがたの魂のために、大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう」。…しかしです。16節、「わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。」

何ということでしょう、パウロの苦労がしのばれます。商業都市コリントではすべてが金勘定、お金のことで口うるさい人が教会にもいたのでしょう。こんなことですから、パウロは中傷や悪いうわさを避けるためにも、自分で生活費をかせぎ続けたのです。

伝道者が自分で生活費をかせぐことには大きな意義もあります。ある牧師は、教会からもらうお金だけでは生活できなくて、外で働きましたが、そうやって労働者になって汗を流して働いたことが恵まれた体験だったと言っていました。また週日はサラリーマンをしながら、日曜日には教会で伝道しているという牧師が現にいます。もっとも、こうした例を伝道者の模範にすることは出来ません。いうまでもなく、伝道者がそういう生活をしていった時、生活費をかせぐことにあけくれ、祈りや勉強や説教の準備が十分に出来なくなってしまうからです。

そんな時にシラスとテモテがマケドニア州からやって来ました。パウロはアテネに脱出する時にシラスとテモテを連れて行かなかったのですが、この二人には出来るだけ早く来るようにと伝言していました。ただ彼らとしても、誕生したばかりの教会から早々に離れることは出来ませんでした。パウロは一日千秋の思いで二人の到着を待っていたのです。

シラスとテモテの到着は二重の意味で喜ばしいものでした。一つは、二人が、パウロが福音の種をまいたテサロニケなどの教会が健全に成長しているという喜ばしい知らせをたずさえてきたことだったと思われます。実際、そうでなければ二人がパウロのもとに行くことは考えられませんでした。もう一つは、フィリピの教会が献金を持ってきたことです。フィリピ書4章15節以降、「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。…贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。」

この献金がパウロの生活を支えたので、彼はもはやテント造りをする必要がなくなって、御言葉を語ることに専念できるようになったのです。これこそ経済面での教会のあるべき姿です。パウロはそれまで昼も夜も働きながら、それでも財産をだまし取ったと陰口をたたかれていたのですが、フィリピ教会の人々が強いられてでもなく、こんなことに使ってもったいないとも思わずに献金をささげてくれ、パウロはそれを感謝の内に受け取ることが出来たのです。

 

こうしてパウロは力を得て、メシアはイエスであると力強く証しすることが出来ました。ただ、コリントでの伝道が進展するにつれて、ここでもユダヤ人からの迫害が激しくなってゆきます。6節の「彼らが反抗し、口汚くののしったので」というのは、単にパウロのことを悪しざまに言ったのではなく、パウロが宣べ伝えているイエス・キリストをも冒涜したということです。こうなっては、もはやユダヤ教の会堂で伝道することは出来ません。そこでパウロは服の塵を振り払って、これはもうあなたがたとは関わりがないということです、そうして「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」と、…パウロ自身ユダヤ人ですから、同胞から離れて異邦人の方へ行くことがどれほどつらかったか想像にかたくないのですが、とにかくそのように宣言してユダヤ教の会堂から出て行ったのです。

このことはパウロにとって、会堂を伝道の根拠地として利用できなくなったということですが、神はこの時も助けの手を差し伸べて下さいました。それがティティオ・ユストという人で、ユダヤ教の会堂の隣に住んでいながら、パウロを住まわせてくれたのです。一説によれば、その家がのちのコリント教会になったということです。また会堂長のクリスポが、一家をあげてイエス・キリストを信じるようになりました。会堂長は会堂の管理だけでなく、安息日の礼拝の司会などを務めます。この人は主イエスは信じたことで、会堂長を務めることは出来なくなったはずです。ということは安定的な収入も失ってしまったわけですから、この一家にとってはたいへんな出来事だったのですが、損失を上回る喜びが新しい信仰によって与えられたことになります。

 

神がパウロに下さった、最も大きな助けは、イエス・キリストご自身が幻の中で語られた励ましの言葉です。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町にはわたしの民が大勢いるからだ。」

神がパウロにこのように言われたということは、アキラとプリスキラの助けがあっても、シラスとテモテが喜ばしい知らせと献金をもって到着しても、またユダヤ人が離反する中主を信じる人が出ても、それでもパウロの中に恐れがあったのだということを示しているのでしょう。私たちはともすると、パウロのことを超人のように考えがちです。パウロは確かに私たちとは比べものにならない強靭な精神の持ち主ですが、そのパウロであっても恐れにとらわれたことは否定できません。

旧約聖書に出て来る預言者エリヤは、カルメル山でバアルを信じる預言者450人と対決して勝利しましたが、その直後、王妃イゼベルからの脅迫におびえ、逃亡したものの八方ふさがりになって、自殺を願うまでになりました。あのエリヤにしてこの体たらくです。本当に強い人間はいないこと、人間のどんなに強い力でも限界があることを思い知らされます。しかし、そこにキリストの言葉が差し出されたらどうでしょうか。

意気消沈し、恐れにとらえられていたパウロをよみがえらせたキリストの言葉の中のひとつの中心は「わたしがあなたと共にいる」ということです。キリストが共におられることは、目には見えません。しかしそれは神のみこころがパウロと共にあるということです。神がご自分の目的のためにパウロを召し出された以上、たとえどんな障害があっても、彼をそこから救い出して下さるということにほかなりません。

もう一つの「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」ですが、パウロがこの言葉を聞くまで、パウロはまたしてもユダヤ人の迫害にあっておびえていました。すでにこの時、信者の数的な成長は止まり、せっかく信仰をもってもそこから脱落する人が出ていたに違いありません。その状態からどうやってキリストの民を起こしていくのか、パウロの知恵と力では、つまり人間の能力に頼ってはどうにもならなかったでしょう。しかしながら、人を罪から救い出し、キリストの民とするのは、根本的にはキリストがなさることなのですから、恐れなくて良いのです。

圧倒的多数のキリストを知らない人々にキリストのことを伝えてゆく、そのことは、途方にくれるようなことのように見えます。現にここにいる私たちは、この私も含め、自分のごく身近な人にもなかなか信仰を伝えられません。しかしキリストを信じて救われる人を神はあらかじめ定めておられます。神はその人が誰かを知っておられます、私たちはそれが誰かわからないのですが。パウロは、「この町には、わたしの民が大勢いるからだ」との言葉に励まされて気持ちを奮い立たせましたが、私たちもこのことを信じて、この町の中で私たち自身がキリストの手紙となって、またキリストの香りとなって、キリストを現わしてゆきましょう。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」、これは職業的な伝道者の範囲を超えて、すべての信仰者に与えられている御言葉なのです。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。私たちが神様を礼拝でき、神様がこの礼拝を受け入れて下さっていることを心から感謝いたします。

ここにいる私たちの多くは、これまで伝道は、牧師など職業的な伝道者だけがするものだと思って、自分のこととは考えていなかったかもしれません。しかし、それは信者すべての務めです。イエス様を通していただいた喜びを、こんなこと言ったらどう思われるかなどと恐れず、語り続けること、黙っていないことなのです。

何も難しく考える必要はありません。こんな恵みを自分だけもらっておくのはもったいないという気持ちが出発点ではないでしょうか。私たちみんながイエス様のこと、そしてイエス様が自分にとってどんなに大切な方か、自分がイエス様にとってどんなに大切な方かということを、自分のことばで語ることが出来るように、お導き下さい。

パウロがそうであったように、私たち一人ひとりも多くの試練の中にあると思いますが、イエス様が一緒におられることを信じさせ、そのことによって外からの危険と自分自身の中からの危険に打ち勝たせて下さい。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

    敵を愛するとは youtube   

 

レビ24:17~22、マタイ5:38~48  2019.8.4

 

 おそらくイエス・キリストの教えの中で「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という命令ほど従うのが難しい命令はないでしょう。

 これを実際に行うことは出来ない、と考えている人はたいへん多いです。当然といえば当然ですが。自分を苦しめている人間に対して、その程度がひどければひどいほど、人はどうしても許せないと思うようになるのが普通です。どうしてその人を愛したり、その人のために祈ったり出来るでしょう。主イエスの教えは現実には不可能だ、と言うのです。

 また他のある人々は、こういう教えがあるから、キリスト教は弱々しい、臆病者のための宗教にすぎないと見なします。現実と切り結ぶ力を持たないと判断するのです。

この言葉が、キリスト教が甘く見られる原因になってしまいます。 

 こうした、さまざまな人間の思わくを主イエスは承知しながら、なぜ、あえてそのように言われたのでしょうか。主イエスはここで、ご自分を信じる者をどこに導いてゆこうとされているのでしょうか。

 主イエスは38節で「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている」と言われます。『目には目を、歯には歯を』と言う命令は旧約聖書の中で3か所出て来ます(出エジプト記21章24節、レビ記24章20節、申命記19章21節)。その中でまず出エジプト記21章24節を読んでみます。「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」。次にレビ記24章20節、「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない」。読んで字のごとく、これはある人が他人を殺したり傷つけたりしたとき、それと同じことを自分の上に引き受けなければならないということです。「目には目を、歯には歯を」というのは、なにもイスラエルで始まったことではなく、紀元前18世紀にバビロニアの王であったハンムラビが作ったハンムラビ法典にまでさかのぼることが出来ます。古代社会での共通の掟と同じ言葉がイスラエルの民にも与えられていたことになります。

 皆さんの中には「目には目を、歯には歯を」という言葉を聞いて、怖いと感じた人がいるかもしれません。しかし、この言葉が与えられた必然性もあるのです。創世記4章23節と24節でレメクという悪人はこう言いはなっています。「わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍」。傷を受けた者が相手に無制限な報復をしようとすることがあります。死者が出た時、それを上回る報復をしようとすることがあります。そうすると報復はさらに報復を呼び、際限のない惨劇になってしまうでしょう。

そのような最悪な事態に陥らないよう、歯止めをかけるための最低限の規定として、「目には目を、歯には歯を」という掟が定められたと考えられます。その意味では、これはもともと非常に合理的な掟でした。

 しかし、それでも「目には目を、歯には歯を」ということがまかり通ってしまう時、どんなことが起こってしまうでしょうか。…昔の日本では敵討ちが重んじられました。親や主君のかたきを討つために、それこそ一生をかけるのです。何というエネルギーの無駄遣いでしょうか。

 今日の世界でも、復讐が復讐を呼び、血で血を洗う惨劇は繰り返されていることは、ご存じの通りです。「目には目を、歯には歯を」の掟だけでは、どうしようもないことが起こっているのです。

 際限のない報復の連鎖から人の命を救い出すはずだった「目には目を、歯には歯を」の掟がこんなことになってしまったということに対して、主イエスは39節で、「しかし、わたしは言っておく」と前置きして、「悪人に手向かってはならない」という戒めを語られました。それは主イエスがこれまでなさってきたことと同様、モーセ以来の律法の教えを全否定されたのではありません。「目には目を、歯には歯を」の掟をまるごと否定すると言うことではなく、これを質的に越えるものとしてお示しになったのです。

 主イエスから直接その言葉を聞いた人たちは、たいへん驚いたはずです。「悪人に手向かってはならない」、そんなことが出来るものでしょうか。これは、そこに悪人がいてやりたいほうだいのことをやっていても、何もしないということなのでしょうか。たとえば電車の中で周囲の迷惑も考えずに騒いでいる人がいたり、老人や女性がいじめられていたり、さらにもっとひどいことが行われていることを考えて下さい。…悪人に手向かうことをしなくなったクリスチャンは、面倒なことがあっても警察など強いものに任せて、自分は自分だけの救いを求めて祈っていればそれで良い、ということなのでしょうか。…そこに出て来るのは、臆病者の偽善者でしかありません。

 そこで信仰者こそ注意しなくてはならないことは、主イエスは「悪人に手向かってはならない」と言っておられるのであって、「悪に手向かうな」とか、「悪に対して無抵抗でいなさい」とか言っておられるのではないのです。そのことは、聖書では何より、主イエス御自身がなさったことやパウロが実行したことの中にはっきり示されています。主イエスのご生涯は、最初から最後まで、悪の力とのたたかいでありました。へブル書12章4節に「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」という言葉があります。私たちはそのようなものでしかありません。しかし主イエスは、文字通り血を流すまで罪とたたかわれました。それはご自分に対して悪意をもって近づいてくる人への毅然とした態度からも、神聖な神殿を強盗の巣としてしまった商人たちを実力で追い出した行動からも、また罪と死との闘いの最終の決着点である十字架の死からも十分に見てとれるのです。

従って、主イエスが「悪人に手向かってはならない」と言われた時、それは主イエスが弱いからではありませんし、社会の不正を見て見ぬふりをして魂の救いだけに専念しなさいと言うことでもありません。むしろ、主イエスがとられた方法こそが悪に打ち勝ち、悪とたたかうための方法だからです。

そのことの事例として挙げられている第一のことが、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」ということになります。もしも悪に対して立ち向かうことがなければ、頬を打たれることもないのではないでしょうか。…私たちがびんたをはられる時は、相手が左利きでない限り、左の頬を打たれます。右の頬を打たれるというのは、相手が左利きでない限り、手の平でなく手の甲で打たれることを意味します。主イエスの時代、これは最大の侮辱を意味していたそうですが、これを耐えしのべと言われるのです。

……このことの現代での実例が、非暴力の実践の中でいくつも見られますが、その中の一つが山上の説教を愛読していたマハトマ・ガンジーの実践です。ガンジーはご存じのように、非暴力でもってインドの独立運動をたたかいました。インドを占領したイギリス人に対して立ち上がった大勢の民衆が、殴られても殴られても殴りかえすことなく、立ち上がってまた抗議行動をしてゆくのです、これでは殴る方がくたくたになってしまうのではないかというシーンが映画「ガンジー」で紹介され、有名になりました。

 この他の三つの事例についても、悪とたたかうという基本的立場から見なければなりません。主イエスは善によって悪に勝つことを教えているのであって、人の言いなりになるお人好しになることを勧めているのではありません。「求める者には与えなさい」という教え、これは人の慈悲に頼らなければ生きてゆけない気の毒な人を見殺しにしてはならないと言うことですが、その人の要求通りのものをあげなさいと言うことではないのです。主イエスが昇天したのち、使徒ヨハネとペテロがエルサレムの神殿で物乞いから施しを求められた時、二人はその求めにそのまま応じてはいません。その時ペテロは「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい」と言って、その人に救いを与えました(使徒3:6)。私たちが持っているものを他の人に与えるのです。それはお金のときもあるし、厳しい忠告であるときもあるし、信仰への勧めであるときもあります。相手の魂が最も必要としているものを与える、それが主イエスのみこころに従うことになるのです。 43節、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。ここで主イエスが引用されている「隣人を愛し、敵を憎め」という言葉のうち、前半の「隣人を愛せよ」というのはレビ記19章18節に書いてあり、そこには「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とあります。

ただ「敵を憎め」というのは、このままの言葉使いでは、旧約聖書の中には見つからず、旧約聖書全体から引き出された結論のようです。そこでは愛の対象となるのは自分自身と隣人だけで、敵と呼ばれる人々は愛の対象にはならない、初めから対象外であったことがわかります。

 主イエスはここでも「しかし、わたしは言っておく」と前置きして、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われます。つまり隣人でとどまっていた愛の対象が敵と呼ばれる人々にまで広がってゆくのです。46節と47節はこのことをさらに補足して説明しています。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか」、「自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか」。

 皆さんは、主イエスが途方もないことを言われたことがおわかりでしょう。…人生山あり谷あり、いろいろな体験を積む中で、この人だけは絶対許せないということがなかった人は少ないでしょう。誰もが、自分にひどいことをして、しかも謝りもしない人を許せるはずがないし、まして愛するなど出来ないと思っています。…敵と言われる人はどんなところにもいます。会社でのライバルだったり、自分の肉親だったり。教会員同士が敵味方の関係になることもあります。また自分の国の中の少数集団とか、ある団体とか、また特定のどこかの国が敵となることがあります。…敵によって自分や自分の愛する人が殺される場合だってあるわけですから、ひどいことをされたら、同じことを相手に返してやれば良いはずです。なぜその気持ちを乗り越えなければならないのでしょうか。また、それが可能なのでしょうか。

 

 12世紀の日本で、ある少年が9歳の時、父親が夜討ちにあって殺されてしまいました。この父親はいまわのきわに、息子に告げました。「お前が敵討ちをしたら、相手の子がお前を狙うだろう。今度はお前の子がその子を狙い、敵討ちは何代かけても尽きることがない。そんなことよりお前は仏門に入って、本当の幸せを得るのじゃ。」

この子がのちの法然上人です。非常に感銘を受ける話ですが、このことをさらに発展させてゆく道はないのでしょうか。

 マーティン・ルーサー・キング牧師は言いました。…敵を好きになることは難しい。誰だって、どうしても好きになれないというようないるものだ。しかし、愛することは出来ると。…この愛は、雅歌が歌っているような愛ではありません。アガペーの愛、キリストの愛なのです。

 これから語る人のお話は、心の準備をしないままで聞いたら、ただの美談にしか受け取られないかもしれません。しかし、キリストの愛というところから聞いた場合はどうでしょうか。

  1941年12月8日、真珠湾攻撃によって太平洋戦争の幕が切って落とされましたが、そのとき日本側の攻撃隊長で、日本軍にとって大きな戦果を上げたのが淵田(ふちだ)美津雄という人です。敗戦後、淵田さんは公職追放になりますが、東京でアメリカ人宣教師が配っていたトラクトを受け取ったことがきっかけで、キリスト教に興味を持ちます。淵田さんの出会った宣教師は、戦争中パイロットだったのですが、日本の捕虜となって収容所に入れられた経験を持つ人でした。日本人に虐待された人が日本人のために伝道していることを知ったのは淵田さんにとって驚きでした。

…また、アメリカの日本人捕虜収容所で日本人のために献身的に働く看護婦のことを聞いたことも驚きでした。

彼女の両親は二人とも宣教師で、フィリピンで日本軍によって射殺されたということです。…日本人に苦しめられた人がどうして日本人のために尽くすことが出来るのだろう、そう思いながら聖書を読んでいた淵田さんは次の言葉に出会います。「父よ、彼らを赦したまえ。自分が何をしているか知らざればなり」(ルカ23:34)。十字架上での主イエスの言葉です。このみことばに魂を根底から揺り動かされた淵田さんはキリスト者になりました。そして伝道者となってアメリカに渡り、今度はアメリカ人を相手に神の愛を説き続けたということです。

 人はどのようにして、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈ることが出来るようになるのか、その道筋を説明するのは困難です。こういう本を読んで勉強したら、そうなるというものではありません。また、敵を愛し、彼らのために祈ったからと言って、その気持ちに彼らが必ず答えてくれるという保証もないのです。淵田さんの話をただのセンチメンタルな話としてしか受け取れない人もいるでしょう。…しかし主イエスがその心に生きている人なら、これが本当のことで、主イエスがまたこのようにな人を起こして下さることを信じることが出来るのです。

「敵を愛せよ」という言葉を述べられた主イエスは決して口からでまかせを言ったわけではなく、その言葉を身をもって示されたのです。もしもこの方が神のみ子ではなく、ただの人間だったら、自分を殺そうとする人々を赦すことなど出来なかったに違いありません。しかし、人間に出来ないことも神には出来る、そして神はご自分がなさることを人が出来るようにして下さるのです。

 私たちの中には、これではいけないとわかってはいても、どうしてもこの人だけは許せないという思いがまだ残っているかもしれません。しかし、そんな私たち自身、かつては神様の敵であったのです。主イエスを十字架につけた者なのです。それでも神は、この私たちを愛して下さり、救いのために心をくだいて下さいます。この恵みの中に生きなさい、と招いておられます。神なき人生は憎しみと復讐に落ちてゆくことが多いのですが、神を信じて人は愛と正義と平和への道を歩むのです。

 

(祈り)

天の父なる神様。十字架にあげられつつ敵をゆるしたこの方の、愛の恵みの奇跡の中に私たちが生かされ、こうして礼拝の恵みにあずかっていることを心から感謝いたします。私たちはまことに信仰が浅く、あなたが共にいることも忘れがちで、この人だけは許せないと思っていて、あなたを怒らせることもあります。しかし、これで良いと思っているわけではありません。周囲の人に怒りをぶつけながら、そんな自分を情けなく思っていることもしばしばです。願わくは、言葉の本当の意味で、敵をも愛するキリストの愛に生かされながら、しかし決して悪に対して妥協することなく、神様が示される平和の道を進むことが出来ますようお導き下さい。

毎年8月は平和を祈る月です。人の心にわきおこる憎しみの思い、自分だけは正しいとして相手は見下す態度が、人と人の間に不信を巻き起こし、けんか、たたかい、最後は国と国との戦争にまで至ります。74年前に終わった戦争は過去のことなのでしょうか。この国がこれから戦争に向かってゆくおそれはないのでしょうか。神様の愛する平和が打ち立てられますよう、世界各国の教会と共に、日本の教会に知恵と力を与え、イエス様をキリストと信じる人を起こして下さい。主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

乙女の祈り youtube   

 

雅歌3:1~11、ルカ11:31  2019.7.28

 

 作家・三浦綾子さんの夫であり、綾子さんを生涯支え続けた三浦光世さんが天に召されてから5年になります。この方は聖書をどれほど読んだかわからないくらいで、綾子さんと知り合った時点ですでに旧約聖書を7回通読されていましたが、しかし、「雅歌だけはあまり読みません。」と言っておられたそうです。敬虔なキリスト教信仰を持っておられる方の中で、このように、雅歌だけは……と言われる方は多く、教会の礼拝でも雅歌が取りあげられることは滅多にないので、雅歌の認知度は低く、皆さんの中にも、聖書にこんなことが書いてあるなんてと驚かれた方がいると思います。

 そんなことで雅歌については参考文献が少なく、特に説教集が本当に少ないのです。そのため私は五里霧中の中で説教を作っているのですが、そんな時にふと思ったことがあります。聖書には、雅歌が本当に必要なのかと。聖書にもしも雅歌が入ってなかったら、創世記から黙示録までメッセージが一貫していて良かったのではないでしょうか。…でも、そうではないのです。私は、聖書には、雅歌を読みこんでいなければとうてい理解できないことがあるのに気がつきました。

 たとえば、結婚式の時に読む聖書の言葉にエフェソの信徒への手紙5章25節以下の言葉があるのですが、よく考えるとたいへん奇妙です。…「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」……「『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。』この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。」

 変だと思いませんか。キリストが教会を愛するということと、夫と妻の愛が、ここで一緒に並んでいるのです。皆さんはキリストの教会への愛と、夫と妻の間の愛を同じように考えることが出来ますか。…いろんな夫婦の中には、見ていて頭が下がってしまうような立派な夫婦がおられます。ごくまれではありますが。ただ私たちはだいたい、夫と妻の間の愛はキリストの教会への愛ほど崇高なものではないと考えているのです。…なぜなら夫と妻の間にあるのが男女関係であるのに対し、キリストは生涯独身であられたので、2つの愛は性格が違うと、だからその間に関係がないと判断しているからです。

 こうした問題は雅歌を読みこんでいなければわからないと思います。雅歌に登場する若者と乙女の、読んでいて気恥ずかしくなってしまうような愛の語らい、これはどこかでキリストの愛と結びついているのでしょうか。もしも結びついているとするならそれが何なのか、それは私もまだわかりません。雅歌の説教が全部終わるまでに、その答えが出て来ると約束することも出来ませんが、そこには何かがあるはずだと予想して、探し求めて行きたいと思います。

                                                                                                 

 先月お話しした2章は、若者が山を越え、丘を越えて乙女のもとにやってくるという、たいへん印象的なところでした。その大部分が乙女の歌です。二人は短い逢瀬の時を持ちますが、若者は夕暮れになる前に帰ってゆきます。

 続いて3章に入ります。これも乙女の歌です。

 雅歌はどのようにして成立したのか、いつ、誰によって、どのような機会に書かれたのかは、今日まで不明でわからないところが多いのですが、それにしても、古代の社会において女性が自分の思いをあからさまに歌うというのがどれだけあったでしょうか。案外珍しいとのではないかと思います。だいたい、女性は自分の思いを秘めておくのが良いということになっていますから、「夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても求めても、見つかりません。」という言葉を聞いて、なんてはしたないという反応があったはずです。近年では、そうやって女性の中にある思いを抑圧していたところに大きな問題があったことが明らかになってきており、女性も発言するし、男性もそれを理解するようになってきているのは良いことだと思います。

 乙女は若者との愛をすでに確認しているのですが、その心の動きは一筋縄ではつかみきれません。たとえ結婚の日取りが決まっていても、「もしかしたらこの人は自分のもとを去って行く人かもしれない」と、心の奥底では恐れていたのかもしれません。ロミオとジュリエットは互いに会うことが出来ない間、たしか2時間ごとに手紙を書いていたそうです。二人がいくら愛し合っていても不安で、結婚の日まで、愛を確かめ合っていたいと思うのは自然です。

 こうして乙女は、「起き出して町をめぐり、通りや広場をめぐって、恋い慕う人を求めよう」ということになるのですが、若い娘がひとりで夜の町を歩いてまわるものでしょうか。だいたい、彼女が恋い慕う若者は羊飼いなので、町の中をうろちょろするということは考えにくいです。ということで、町の中を歩いてまわるのは、彼女の夜の夢の中での出来事だと考えられます。

 乙女は町をさまよい、夜回りの人に見つかりましたが、それでも恋人を探し続け、そうしてついに彼を見つけました。「母の家に、わたしを産んだ母の部屋にお連れします」、彼をもう離しません。…これらすべてが夢の中での出来事です。しかし夢に過ぎないということではありません。夢というのは今日、心理学の方面からいろいろ分析されています。無意識の領域から意識の領域に働きかけている心の働き、そこには何か意味があるはずです。

 私たちは乙女の夢からも教えられることがあると思います。彼女が育った社会というのは、結婚は家族が集まって男たちによって決められ、結婚後も女の身分は男との関係によって決定されるような社会だったのです。中国や日本でも、結婚前は父親に従い、結婚してからは夫に従い、老いては子に従えという社会が長く続いてきました。そうした社会の中にあって、女性が自分から家を出て、恋人を探しに行こうという思いを歌うことは、封建社会が押しつけた道徳を乗り越えて、女性自身を解放しようとする大切な一歩になったのではないでしょうか。どんなしがらみがあっても、彼女の思いを押しとどめることは出来ません。…5節にあるエルサレムのおとめたちへの呼びかけは、こんな私を変わってるとか、はしたないとか言わず、そうっとして下さいということでありましょう。

                                                                                     

 雅歌はこのあと、婚礼の行列になります。「荒れ野から上って来るおとめとは誰か」、これは嫁入りする花嫁ですね。そして、これをソロモン王がみこしに乗って迎えに行きます。それをになうのは60人の勇士です。

 主イエスは花婿の到来を待つ十人の娘のたとえ話をなさいました(マタイ25:1~13)。花婿が到着した時、ともしびに用いる油を用意していた賢い5人のおとめたちはこれを迎えることが出来ましたが、愚かな5人のおとめたちは油を買ってくる間に戸を閉められてしまったのです。このように、古代イスラエルの婚礼では、花婿が花嫁を迎えにその家まで行き、そこで儀式が行われてから、花婿が花嫁を自分の家に連れて行くのです。ここでは、おとめは荒れ野から上ってきます。つまり花嫁が都まで来て、それをソロモン王の行列が迎えに行くということだと考えられます。

 つまり、これはソロモン王の婚礼であることは間違いないのですが、しかし王の花嫁が雅歌の主人公である乙女であったかどうかということでは、研究者の間で意見が分かれています。私のここでの説教では、若者と乙女の恋の引き立て役がソロモン王だと解釈しているので、彼女が結婚した相手がソロモン王だとはしません。ここにあるのはおそらく、誰か外国人の女性と結婚するソロモン王をたたえた歌でしょう。

 ここには「見よ、ソロモンの輿よ」と、また「ソロモン王を仰ぎ見よ」と言う言葉があります。多くの人々が沿道につめかけ、その中を進む壮麗な行列は目を見張るばかりだったことでしょう。…皆さんの中で、ご自分の結婚式の時にパレードを行った人がいますか。…私が中国で結婚した時は、私と妻が花でいっぱいに飾った自動車に乗りこみました。その自動車には空き缶がぶらさげてあって、それが道で転がるたびにカンカン鳴るのです。そうやって教会での式に向かったので、それがパレードでした。

 冗談はさておき、ここで問題になるのは、愛し合う乙女と若者とは直接関係のないソロモン王の結婚式が、なぜ高らかに歌われているのかということです。そこで、これから結婚しようとしている人のことを想像してみましょう。豪華な披露宴を行う人もあれば、親族やごく身近な人とだけのささやかな結婚式を行う人もいるでしょうが、それがどうであっても、結婚式の日こそ二人にとって最高の日、まさに王の結婚式にひとしい日なのです。どんな有名人の結婚式にもひけを取るものではありません。

 ここでソロモン王が迎える花嫁は、繰り返しますが雅歌の主人公の乙女ではありません。彼女は自分がソロモン王の妻のひとりになろうとは考えません。ただ、ここの文章から私たちは、彼女の心の思い、祈りを聞くようではないですか。もしかしたら、これも彼女の夜の夢なのかもしれません。彼女は、荒れ野から上って来るおとめに自分自身の姿を重ねている可能性があります。そうすると、壮麗な行列の中をみこしに乗ってやって来る王というのは、まさしく彼女が恋い慕う羊飼いの若者ということになるでしょう。二人とも裕福な家の出身ではないようですが、しかし、ぼろは着てても心は錦と言います。二人の結婚式は実際にはささやかなものであっても、心の目で見た時、王の結婚式と変わらない華やかなものなのです。

 さらに、若者と乙女の結婚式がソロモン王の結婚式にまさるものがあります。ソロモン王にとってその結婚は、おおぜいの妻にさらに一人加えたにすぎません。しかし、愛し合う二人の中にさらに別の女性が、また男性が入りこむことはありえないのです。

 聖書には、ソロモン王がたくさんの妻たちの間でどうなったかということが書いてあります。…ソロモン王の知恵は有名で、その聡明さが世界に響き渡り、これを確かめるために南からシェバの女王が訪ねてきたほどでした。しかし、ソロモン王が年を取った時、たくさんの妻たちが王の心を迷わせ、他の神々に心を向けさせました。そのため、あのソロモン王が偶像の神々に心を奪われて行くのです。こうしてソロモン王の国がやがて衰退し、滅びて行くのに対して、雅歌の主人公である、若者と乙女の恋の歌は聖書におさめられ、永久に歌い継がれることとなったのです。

 最後に問題提起したいのですが、「アガペーの愛、エロスの愛」という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか。日本語では愛に関する言葉はただ一つだけですが、ギリシャ語ではそうではありません。

アガペーの愛とは神の愛、上から下に向かう愛です。

すなわち価値のないものを見返りを求めず愛する愛で、その中心にキリストの愛があります。これに対してエロスの愛というのはひとことで言うなら恋愛感情です。そうして私たち信仰者は、教会で、エロスの愛ではなくアガペーの愛に生きるべきだと教えられてきたのです。…しかし私たちはアガペーの愛だけで生きることが出来るのでしょうか。エロスの愛は不必要なのでしょうか。

 例えばこんな事例があります。「早春の四月」という、実話がもとになっている中国の映画に入っていたエピソードですが、1930年代のこと、ある町にやってきた青年男性が美しく、それだけではなく聡明な娘と親しくなります。青年は正義感の強い人でその町の改革に力を尽くしているうちに、貧しくてその日の暮らしもままならない、彼より年上のやもめと出会います。彼はそのやもめを窮状から救い出そうと努め、それがうまくゆかないと、彼女と結婚しようとするのですが、その時、美しく聡明な娘が彼に告げます。「それは愛ではないわ」と……。

 自分を犠牲にしてもほかの人のために尽くそうとするのがアガペーの愛ですが、これがどんなに崇高なことであったとしても、それだけですべて判断しようとすると、そこに無理が来ることがあります。それでは、そんなことは考えず、自分の気持ちに正直にエロスの愛にだけ従って生きていけば良いのでしょうか。…これは私たちそれぞれの生き方と関わってなかなか複雑な問題なのですが、これを解く鍵が雅歌を通して見えてくるような気がします。

 聖書はイエス・キリストの十字架の死にきわまるアガペーの愛をたたえていますが、一方で雅歌によって若者と乙女の間にわきおこったエロスの愛を歌っています。これをたたえています。私たちはこの二つの愛の中で、どのように生きていけば良いのでしょうか。私はこのことを、皆さんと共にこれから明らかにしたいと願っています。今日のところはこれで終わります。

 

(祈り)

 天にまします私たちの神様。私たちの中にはこれから結婚しようとする者も結婚して何十年にもなる者も、配偶者と死別した者も、また独身の者もいます。自分の結婚生活に痛みを感じている者もいるかもしれません。しかし今どういう境遇にあっても、雅歌の主人公である乙女を通して祝福された男女の愛を学んだことが、心の傷をえぐることでなく、かえって喜びと神様への賛美となることを切に願います。

 神様は人間を男と女に作られました。男女の関係は結婚するしないに関わらず、死ぬまで続きます。だから神様、私たちの中に、あるいはまわりに今、このことで喜びの中にいる人がいたら、私たちはそれをねたむのでなく、共に喜び祝うことが出来ますように。また、今、このことに関して悩みの中にいる人がいたら、その人のそばにいて、心の支えになることが出来ますようにして下さい。

 神様、神様がイエス・キリストを通して、この世界に示して下さった愛はあまりにも広くて、大きくて、私たちはキリストの愛に生きようと思っても、その全貌をとらえることが出来ません。どうか私たちが神様の愛を一面的にとらえてかたよってしまうことがないように、神様のあふれる豊かさの中に私たちを導いて下さい。

 とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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詩編16:7~11、使徒17:30~34  2019.7.21

 

パウロが歩いてまわったアテネの都は至るところに偶像がありましたが、それは、世界のどこでもそうですが、人間の心が偶像を求めるからにほかなりません。手の平に入るくらいの小さな偶像でも、人の心をつかむのに十分です。まして神殿などに置かれている巨大な偶像を見た時、多くの人はそれが命があるものと錯覚し、その前にひざまずきたくなるのです。

パウロは偶像そのものはもちろん、偶像に心をとらわれている人々を見ても憤慨したのだと思います。そこでアレオパゴスの丘に立って、なぜ偶像が信じるに足りないものであるかを語ったわけですが、その要点はひとことで言うなら、天地を創造された神が金、銀、石などの像であるはずがないということです。神は金や銀や石を造られたお方ですから、金や銀や石よりとうとい方であられます。そのお方が金や銀や石の像におさまってしまうことはありえません。…しかし人はしばしば、そのことがわからなくなるのです。

どんなに巨大な、またみごとな像であっても、それは耳があっても聞くことが出来ず、口があってもしゃべることが出来ず、体を動かすことも出来ません。…偶像が神格化された人間であっても似たようなものです。国家の指導者が国民に個人崇拝を促すことがあります。その人は耳を使って聞き、口を用いて話し、体を動かすことが出来ます。超人的な能力を持っている場合もあります。しかし、しょせんは死すべき人間にすぎません。その人が天地を創造することなど到底出来ないのです。

未来の世界で、もしかしたら、AI、人工知能が支配する社会が出来て、AIが神と見なされるようなことが起こるかもしれません。巨大なロボットが神として人間社会に君臨することもあるかもしれません。…この先の世界で何が起こるかわかりません。現在すでに、ほんものの神に代えて宇宙人を崇拝する人々が出て来ています。…しかしAIもロボットも、宇宙人も、天地を創造することは出来ないのです。太陽や惑星はもちろん、山も陸地も海も造ることは出来ません。だから、それらが一時的に勢いをふるうことがあったとしてもやがては消え去る定めにあるのです。このことをエレミヤ書10章11節はみごとに語っています。「天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る、と」。

 

さて、今申し上げたたことは、世界のどこにいる人でも少し考えればわかることなのです。…ここで、これまでキリスト教が全く伝えられなかった地域を想定してみましょう。世界には、アマゾンの奥地などに今でも文明との接触を拒否している民族がいます。

私はそういう人たちの信仰生活を調べたわけではないので、断定的なことは言えないのですが、その人たちでも身の回りの森やそこに生きる動物など自然を見て畏敬の念を覚えているのであれば、そこから自然を造られた方を思い、世界の創造主なる神を見いだすことは出来るはずなんです。そういう道があるのです。ロマ書1章20節はこう言っています。「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」…世界が創造されてからこのかた、人は神様がお造りになったすべてのものを見ることで、神様の存在とその偉大な力を知ることが出来ます、これはキリストの福音が伝えられなかった地域でも、否定のしようがありません。

世界のどこであっても、これまで神の存在を否定した民族はありません。無神論者はあとになってから出現したわけです。どの民族にとっても神がおられることだけは疑いようがないことだったのです。問題はどのような神を信じているかです。一般に、キリスト教など一神教が伝えられる以前はアニミズムの世界だと言われます。山には山の神、川には川の神というように、自然の中に神が宿っているという考え方で、そこでは神々と自然が同一視されるのですが、そうした世界の中でも、神が世界を造られたと考える人がいなかったのでしょうか。これを明らかにするために世界の神話や伝説を調べようとすると、たいへんな作業になって手に負えません。ただ天地の主であるまことの神がその造られたものを通して神様を示されているのですから、アニミズムの影響が強い世界の中でも、神が造られたものを通して万物の造り主である神を求めていった人がいた可能性は十分にあるのではないかと思います。

 

神は歴史の初めからイスラエルの民に対して、ご自分が神であることをはっきり示されていました。神の言葉は多くの場合、神が遣わされた預言者によって、イスラエルの民に与えられたのです。その同じ時代、これ以外の世界の諸民族はイスラエルの民に与えられた恵みを受けていませんでしたが、これまで述べてきたように、神はご自分が造られたあらゆるものを通して、万物の造り主であるご自身の存在を示して来られました。…しかしながら諸民族の間では偶像崇拝が盛んになってゆきます。まことの神の言葉を聞いていたイスラエルの民の中にも偶像崇拝に走った人が多かったわけで、ましてそれ以外の諸民族はということです。

神はこのような人々、天地万物を造られた神を見失った人々に対して、いわば目をつむっておられたのですが、しかし今や新しいことが始まりました。そのことがパウロの30節の言葉に示されています。「神はこのような無知の時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。」

悔い改めるとは、自分のしていたことが間違っていると悟って態度を改めることですが、何がそれをさせるのでしょう、そのことがあいまいなままでは悔い改めは起こりません。それはまことの神を仰ぐことによって起こります。まことの神は世界にその姿を現わそうとされました。そのためにイエス・キリストが来られたのです。

神は過ぎ去った時代に偶像礼拝に走る人々を大目に見て下さいましたが、これからはそうは行きません。もはや大目に見ることはないのです。まことの神がまことの神として礼拝される世界をつくるために神がなさったことを、人はいいかげんな思いで見ることは出来ません。神は「この世を正しく裁く日をお決めになった」からです。

パウロが語ったことは、おそらく使徒言行録に記録されたことよりずっと多かったことと思います。ですから、私たちは行間を読むことを心がけましょう。パウロはアレオパゴスの丘に立つ前から、イエスと復活について語っていました。この場所でも同じことを語ったのは確実です。…神は、世界の人々を偶像礼拝から救い出し、まことの神を示すために、主イエスをこの世に送り出されました。主イエスは地上の生涯で驚くべき奇跡を行われ、人々を驚かせましたが、しかしそのことをもって、主イエスを他の自称生き神さまと同じくすることは出来ません。聖書が示しているところでは、主イエスは永遠の昔から天におられ、父なる神、聖霊と共に天地創造のみわざを行われました。従って、主イエスは天地を造られた神であられます。…この主イエスが地上で生きておられた時、ほかの偶像と明らかに異なっていたことは、自分の名誉を求めることは少しもなさらなかったということです。ほかのもろもろの偶像神は、力とか富とか美とか、人間が憧れてやまないものの化身として造られています。ところが主イエスはその正反対で、自分の名誉を顧みず神と隣人への愛を貫き、その結果が十字架という最もおぞましい刑を受けて殺されることでした。

神がこのあと主イエスを復活させたことを、パウロはすべての人の復活というところから語っていると考えられます。「神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」…そのことというのがわかりにくいのですが、31節の、神がこの世を正しく裁く日をお決めになったということを指しています。つまり、すべての人が死んだあとに復活することを言っているのです。パウロは最後の審判にまで話を進めています。 

すなわち、まことの神は、偶像から人々を解き放ち、まことの神がまことの神として礼拝される新しい世界を造るために主イエスを遣わされ、その死と復活によってこの方を信じる者たちを起こされました。イエス様を主と信じる者も信じない者も、人間である以上等しく死にます。しかし歴史の終り、最後の審判が行われる時には、誰もが、イエス様を主と信じる者も信じない者もすべて復活して、父なる神とさばき主(ぬし)イエス様の前に立つのです。

こうして、救われて永遠のいのちを与えられる者とそうでない者がよりわけられます。自分が救われることを望んでやまない人は、主イエスを通して父なる神と向かい合い、自分の罪を認め、悔い改めの人生を歩まなければなりません。

だからパウロがこの時に語った死者の復活というのは、主イエスの復活ばかりだけではなく、最後の審判の時の、すべての死者たちの復活のことも含んでいるのです。

アテネの人たちはそれまでこんなことを聞いたことはありませんでした。この人たちが人間の死後についてどう考えていたのか、冥界に入ってずっとそこにいる、もう出て来れない考えていた人がいました。一方、その場にいたエピクロス派は唯物論の先駆者で、無神論的な傾向があったようですから、死ねばすべてが無になるということだったのかもしれません。このどちらにしても、死んだ人が復活する、自分たちも復活してさばきを受けるなどということは夢想だにしませんでした。だからパウロが語ったことは想定外の、常識を超えることであったのです。

 

主イエスのことであれ、自分たちのことであれ、死者の復活ということを聞く人の態度は、昔のアテネでも今の日本でも変わりません。それは3通りの反応に行き着くのです。

第一の人々は、「あざ笑う」という反応をしました。この人たちは、イエス様が最後の審判において、この世を正しく裁くために来られることなど考えもしません。イエス様なら復活してもおかしくないとは思いもよらず、まして自分たちが復活するなどとは想像も出来ず、そんなことは見たことも聞いたこともないから信じない、と頭から笑い飛ばすのです。…たしかにイエス様の復活はそのことの証人でない限り見ていませんし、死者の復活も将来のことですから、それを理解するのは困難で、彼らは自分たちが復活を信じないことを科学的な態度だと思っていたのでしょう。ただ、復活がないとしたら、それが果たして神が創造された世界の正しいあり方なのでしょうか。死がすべての終りであるとすると、人生はまったく空虚なものになるしかありません。

第二の人々の反応は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」というものでした。この人たちは、パウロの言葉をいちおう尊重はしているのですが、人生でいちばん大切なことを後回しにしています。「今は仕事で忙しいから、退職して時間が出来てから、信じることが何か役に立つのかな」、さまざまな理由で逃げまわっている人がたくさんいます。結局、時間切れになって、何も信じないままで終わってしまうのです。

第一の人々と第二の人々を見て、パウロは立ち去ってしまいました。けれども、必ず第三の人々が起こされます。「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」ディオニシオは地位の高い人で、のちにアテネ教会の初代監督になったという話が伝わっています。ダマリスもその教会で奉仕したのでしょう。

私たちにとっても死者の復活の話を聞いた時に取る態度はこの3つだけです。これを聞いてあざ笑うのでも、後回しにするのでもないならば、まずは真摯に向いあって、このことが示している真理に身をゆだねて下さい。今の時代は、主イエスが来られてない時代とは違い、神は、どこにいる人々でも皆悔い改めるようにと、命じられておられるのですから、このことに応えて下さい。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。神でないものを神として尊び、こともあろうにまことの神様を遠ざけていた私たちを神様がそのままにしてはおくまいと思われて、イエス・キリストを遣わされ、救いの道を示して下さったことを感謝いたします。

イエス様が復活されたということは、誰にとっても、また私たちにとっても信じがたいことです。まして私たち自身が復活して、神様の前に立つなんてことはなおさら信じがたいのですが、どうかイエス様によって信じさせて下さい。

人が死んで無になると多くの人は思っています。そう考えるのは簡単ですが、そこには夢も希望も救いもありません。人が長寿をまっとうしたとしても、若くして命を断ち切られたとしても、限られた人生をそのままで終わらせず、輝かせるのは、イエス様が死に打ち勝たれたという事実にほかなりません。

神様、私たちが死者の復活ということをあざ笑うことなく、考えることを後回しにせず、まさに自分の問題として受けとめ、神様の前に罪を悔い改めながら、勝利の栄冠が与えられるように、どうかイエス様への信仰をこそ人生の最大の喜びとさせて下さい。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

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イザヤ46:5~7、使徒17:22~29  2019.7.14

 

宗教改革者カルヴァンは、「人間の心は偶像をたえまなく生産する工場である」と言ったそうです。私たちの国を見てもあちこちに偶像がありますが、それだけでありません。私たちの心の中にも偶像が住んでいるのです。…パウロは「おのが腹を神とする」人について語っています(フィリピ3:19)。腹を神とするとは自分の欲望を神とすることです。自分の欲望が思い描くもの、お金でも立派なお屋敷でも豪勢な食事でも何でも良いのですが、それが神となってしまって、本当の神を斥けているのです。

パウロはアテネの町を歩いてまわった時、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨しました。伝えられるところによると、この町には、人の数より偶像の数の方が多かったそうです。この時代に偶像崇拝がどれほど浸透していたかということは、これより3年ほど昔の第1回伝道旅行の時の出来事がみごとに物語っています。パウロとバルナバがリストラという町にいた時、パウロは生まれつき足が悪く、一度も歩いたところがなかった人をひとことでもって歩けるようにしましたが、それを見た人々は、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言って、バルナバをゼウスと呼び、パウロをヘルメスと呼んで礼拝しようとしたのです。二人はやっとのことで、この騒ぎを静めました。当時の人々にとっては、これほどまでに偶像の神々が身近な存在だったのです。

 

パウロがアテネの町の広場で討論した相手というのは、おそらく自由市民と呼ばれる人たちだったでしょう。受け売りの知識で間違ってなければ良いのですが、自由市民は奴隷でない人たちです。生きるために必要な肉体労働はほとんど奴隷がしており、自由市民は体を使って労働する必要がないので、議論をしたり、学問に打ち込んだり出来るのです。プラトンやアリストテレスといった偉大な学者も、生活のわずらいがなく時間があったので学問に打ち込めたのです。アテネの町にいたエピクロス派もストア派も、自由な時間がある人たちで、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのですが、学問において超一流の人たちであることは確かで、その影響は21世紀の今日まで残っています。パウロが相手にしたのはこのような人たちでありまして、これを現代に置き換えてみると、ずらりと並んだ大学教授の、それも一流の人たちを前にして弁論するようなものでありました。

エピクロス派もストア派も世界は何によって出来ているかというところから始めて。人間の理想とすべき生き方を考えていました。パウロはこの人たちにイエス様と復活について語るのですが、考え方の方向性が正反対なので議論がかみあいません。そこで人々はパウロをアレオパゴスの丘に連れて行き、そこで話を聞くことにしました。この場所は裁判をしたり、会議をしたりする所だったようで、発言の機会を与えられたパウロが語ったことを、今日と来週の礼拝で学びます。

 

「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」

この語り出しは、ギリシャで、昔から雄弁術の手本とされた公式通りだそうです。パウロは、初めから「あなたがたは間違っています」なんて野暮なことは言わず、礼を尽くしているわけです。ただ「あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」というところから、どんな神様を信じていたとしても、信仰のあつい人はいるのだと解釈して良いかどうかは疑問です。「信仰のあつい」と訳されている言葉はギリシャ語では「迷信深い」と訳してもいい言葉です。翻訳が難しいところですが、パウロは一種の皮肉を込めて、あなたがたは信仰のあつい方であると言ったのかもしれません。

では、その理由は何か、パウロは「知られざる神に」と刻まれている祭壇があったことを挙げています。普通は、祭壇には神々の像が立っているのです。でも、知られざる神なので像を造ることは来ません。そこで「知られざる神に」と書いた祭壇だけを造ったのです。本当にこんな祭壇があったのかとも思いましたが、古文書に「知られざる神々に」と書かれた祭壇があったことが確かめられています。

日本には八百万の神々を信じている人々がいますが、これまでの歴史の中で「知られざる神」を求めた人がいたのかどうか、ご存じの方がいたら教えて下さい。そして今、どこかに本当の神様がいると思いつつも見つけられない人がいたら、それも教えて下さい。教会は手を差し伸べなければなりませんから。

それでは、アテネの人たちもどこかに本当の神様がいるに違いないと思っていたのでしょうか。その可能性もなくはないのですが、神々が至るところで祀られている中では別の可能性が考えられています。それは、祟りへのおそれです。ゼウスやヘルメスやヘラクレスやアフロディテなどなどたくさんの神々を祀って、供え物もあげているのですが、もしかしたら自分たちの知らない神様がおられて、その神様をお祀りしていないために罰を受けるかもしれない、と。手抜かりがあってはいけないと恐れた人によって造られたのです。

「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」…これはもちろん、あなたがたが祟りを恐れている神様をお知らせしましょうというのではありません。あくまでも、アテネの人々の神々への思いを糸口にして、まことの神様を知らせようとするものです。…こうしてパウロが、「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です」と言った時、人々は驚いてしまったはずです。そんな神様のことを考えたこともなかったからです。ギリシャ神話に出て来る神々は、人間を造ったことになっていますが、しかし天地を創造したのではありません。…話のついでに申せば、日本の古事記に出て来る神々も、万物を造ったのではありません。高天原の上に現れた神々になっています。…近年、世界では手を変え品を変え、いろいろな神々が宣伝されています。2年ほど前、県民文化センターの中に、太古の昔、宇宙人が地球にやって来て、人間に文明を与えたという展示があったのですが、こういうことを本気で信じている人がいるんですね。この人たちにとっては宇宙人が神なのです。…宇宙人がいるのかいないのかわかりませんが、たとえ宇宙人がいても、誰が宇宙人を造ったのかという問題が出てきます。また宇宙人であれ何であれ、宇宙とそこにある一切のものを造ることは出来ません。…これに対し、聖書が証しする真の神は初めからおられ、宇宙のすべてを創造し、時間も創造されたのです。

「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。」この時代、ギリシャの神々は人間が造った神殿に住んでいると考えられていましたが、世界とその中の万物を造られた神ならそんな所に住むことはないのです。…もちろん、この時にもエルサレムには神殿がありましたが、そこに神の像はありません。神が住まわれるところではありません。紀元前10世紀、ソロモン王はエルサレムの神殿を奉献する時に、こう祈っています。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。」(列王上8:27)ソロモンは続けて祈ります。「僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください」(同8:30)。神がおられるのは天であるということを明らかにしているのです。

次の「何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」ですが、この箇所だけでも礼拝説教1回分にあたる内容があると思います。…エルサレムの神殿では動物を焼いて捧げていたし、今も私たちは礼拝し、献金をし、また自分の人生を神様に捧げようとしているのに、神様はそれも必要としないのか、と疑問を持つ方がいるはずです。

…昔のアテネの人たちは自分たちが何かしなければ神々はやっていけないと思っていたのかもしれません。何しろ偶像ですから、耳があっても聞こえず、口があっても話すことが出来ません。人間が助けてあげなければなりません。これを破壊しようとする人が来ても、人間が守ってやらなければ何も出来ないのです。…これに対し、まことの神様は、人間が何もしなくても神様であり続け、そのために神様が困るということはないのですが、そのかわり人間の方が大変なことになるのです。人が神様に仕えようとするのは、それがないと神様が困るからではありません。神様がイエス・キリストによって自分たちを救って下さった、これほどの大きな恵みを受けたのだから、それにわずかでも報いるために、自分は礼拝するし、献金もする、自分の人生を神様に捧げます、ということなんです。ギリシャ人の考えとは違って、聖書の教えでは、神がすべての人に命と息と、その他すべてのものを与えて下さった、これに対し人間が出来ることはごくわずかにすぎませんから、私たちの貧しい捧げ物でも神様が受け入れて下さるとすれば、それだけで大きな喜びなのです。

パウロは次に言います、「神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を定め、彼らの居住地の境界をお決めになりました」。…これは人々には衝撃的なことだったはずです。昔からどの民族も、自分たちは特別なのだと考える傾向がありましたが、ギリシャ人も自分たちこそ世界で最も優秀な民族で、自分たち以外はみんな野蛮人であると見下していました。だから、自分たち以外の人々が同じ祖先から出て来たことなど思いもしなかったわけで、「神々は動物を造ったように、あの野蛮人を造った、われわれギリシャ人はそれらとは別に神々によって特別に造られた」と考えていたようです。世界とその中の万物を造られた神、つまり創造主なる神を考えることは、この世界とそこに生きる諸民族に対する神様のみこころを受けとめることなのです。だからパウロは、この世界を観察することで、神を見いだすことが出来ると言うのです。…パウロはその一つの例を取りあげます。皆さんのうちのある詩人も創造主なる神の働きを歌っているではないかということです。「我らは神の中に生き、動き、存在する」、「我らもその子孫である」、…これは聖書の教えを聞いたことのない二人のギリシャの詩人の言葉です。二人とも、ギリシャの神々を意識してそう歌ったのですが、はからずも創造主なる神の働きに迫っているではないかということなのです。神が世界のすべてを創造された方であり、この神によって諸民族が生み出され、あなたがたも神の導きの中で生きているなら、神を小さなものに閉じこめるなんてことが出来るはずはない、…神が金や銀や石などの像であるはずはないのです。

さて今日のところは時間に限りがあって、私は言いたいこと全部を言うことが出来ません。そこで一つ。自分が見聞きしたことを申し上げます。

昔、青年たちのキャンプか何かで、こんな歌詞の歌が歌われました。

「美しいこの空を、愛らしいこの花を、浮んでる白い雲、香りよき青草を、じっと眺めるだけで、ただ眺めているだけで、ほら君もわかるでしょ、神さまがわかるでしょう」

なかなかいい歌だと思ったのですが、これにかみついた人がいました。神学生でした。「これでどうして神様がわかるのか。イエス様のことがわかるのか」ということなんです。皆さんも考えて下さい。

結論から言うと、これだけでは創造主なる神様はわかっても、イエス様のことはわかりません。…ここに机があります。椅子があります。オルガンがあります。これらは自然に出来上がったものではなく、造った人がいます。当たり前のことですが。では人間の体はどうでしょう。絶妙なバランスの上に生命が維持されている人体、これが自然に出来上がったはずはありません。造り主である神様がいるのです。山も海もこのようにしていくと、世界とその中にあるすべてを造った神様にたどりつくことが出来ます。しかし、ここからイエス様ことを導き出すことは出来ないと思います。

そのことはパウロも心得ていまし。だから、ここで創造主なる神について語ったあと、次の段階でイエス様と復活について語るのです。その内容については、来週学びます。

神は宇宙とこの世界のあらゆるものを創造されました。私たちが想像もできないほどの大きな方が金や銀や石にしろ生身の人間にしろ、そんなものになるはずがありません。神は人間がどうこう出来るものではありません。神の手の平の上で私たちは生きているのです。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。神でないものを神として尊び、こともあろうにまことの神様を遠ざけていた罪深い私たちをどうかお赦し下さい。

私たちの中に、神様を見ることは難しいと思っている心があります。神様が目に見えないことをいいことにして、神様から離れてゆこうとするのです。しかし、そんなやり方がいつまでも続くはずはありません。目に見えない神は、実は目に見えるどんなものよりも強いのです。神様、どうか目に見えないと思っていた神様は実は私たちのすぐそばにおられ、それどころか神様なしに私たちの毎日も人生もないことに気づかせて下さい。

この国で偶像ではなく、まことの神様こそたたえられますように。

主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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箴言3:1~15、使徒17:16~21  2019.7.7

 

アテネはギリシャの首都、言わずと知れた国際観光都市です。人口が66   万人ほど。ギリシャは近年、EUの中で巨額な借金が返せないために厳しい状況にありましたが、現在どうなっているのでしょうか。アテネの町の真ん中にはアクロポリスの丘があります。官公庁をはじめとする都市機能はすべてそのまわりにあって、そこから見上げると、丘の上に有名なパルテノン神殿が立っています。そもそもこの町は、ギリシャ神話で知恵の女神とされるアテナに捧げられたことで、アテネと名乗るようになったということです。ギリシャ神話の神々を信じている人は今はひとりもいませんが、その昔をしのばせるものがたくさん残っています。

パウロはマケドニアのペレアで伝道していましたが、そこにもパウロに反対するユダヤ人が押しかけてきて騒ぎを起こしたので、ペレアの信徒たちはパウロを守って、彼を350キロ離れたアテネまで連れてゆかなければなりませんでした。パウロの同労者、シラスとテモテは誕生したばかりのペレアの教会を放っておくわけにはいかず、しばらく留まることになりました。パウロをアテネまで連れてきた人々は、パウロからの、シラスとテモテに対する、できるだけ早く来るようにという伝言を受けて帰って行きました。

パウロにとってアテネはシラスとテモテとの待ち合わせの場所でした。しかし、この町で何もしないで、ぶらぶらしているわけにはゆきません。そこで、この町がどんなところか、歩きまわって観察してみたのです。

アテネは古来、学問と芸術の町として世界的に名高いところです。もしもそこにいたのがパウロではなく別な人だったら、アテネの華やかで洗練され、発展したありさまを見て、驚嘆してしまったことでしょう。しかしパウロは、この町のいちばんの問題点を見抜きました。それが、「この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」ということです。パウロは偶像を見てもちろん拝みはしませんが、かといってああこんなものかと妥協して通りすぎるのでもありません。いきり立つ思い、こんなことがあっていいのかという思いが、心の奥底からわき出てきたのです。

「それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じあっていた」。それまでのパウロは、新しい町に来ると、まずユダヤ教の会堂や祈りの場所を探してそこに行って、聖書を論じ、伝道していました。アテネでも会堂を訪れましたが、それだけでなく、広場に出かけて行って、相手がだれかれかまわずに論じ合うという、まるで、いても立ってもいられないような姿を見せているのです。

 偶像崇拝のことは、皆さんご存じのように、旧約聖書ではこれでもかこれでもかと言うように警告されています。偶像を造って拝むことは、十戒の「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」に背くことにほかなりません。

人間はつねに本当の神から離れて、自分の願望の前にひざまずこうとします。そこで自分にとって都合の良い神様を考え、それを形にして、その前にひざまずこうとするのです。

 パウロが偶像を見て憤慨したこと自体、私たちへの警告ではないでしょうか。

 日本は、この時のアテネほどではないかもしれませんが、やはり偶像がたくさんある国です。昔の牧師の中には、信者に対して、神社や寺における集まりに参加することを禁止するばかりか、そこに入ることもいけないと教えた人がいたそうです。今ではそんなことを言う人はほとんどいないようです。私たちは神社でもお寺でも平気で中に入っていますね。葬儀だから入らないわけにはいかない、芸術としての仏像を鑑賞したい、神社の境内には緑がたくさんあって心が休まる、また日本の伝統文化にふれてみたいなどの理由があって、そういう思いを一律に否定することは出来ませんが、しかしそこにあるのが偶像だということはしっかりわきまえておかなくてはなりません。私たちは偶像に対して、ものわかりが良すぎてしまってはいないでしょうか。本当の神を信じているなら、偽りの神々の像を見た時、憤りを覚えて当然なのです。

 ただし、これとは逆に、アフガニスタンのタリバンや壊滅したイスラム国のように、歴史的、文化的に価値あるものまで偶像崇拝だという理由で破壊してしまうのも間違いです。日本にも、由緒あるお寺に何かを吹きかけてよごしてまわった人がいました。…長い目で見た時、こうしたものは信仰の対象としてではなく文化財として博物館入りするのが望ましいと思いますが、それは神様がなさることです。

 

 ペトロの手紙一の3章15節以下にこういう言葉があります。「あなたがたのいだいている希望について説明を要求する人に、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。」

 私たちはキリスト者が圧倒的に少数である、日本の社会の中で生きています。そのため信仰を理解していない人から、どうして日曜日に礼拝に行かなければならないのかとか、信仰するのが何の得になるのかとか、またイエス様はなんで十字架につけられたのかとか、問われることがあるでしょう。穏やかに質問してくるならいいのですが、時には批判や攻撃を受けることもあります。そうした時に、自分の信仰をきちんと説明できなければなりません。その時、私たちはキリストの証人(あかしびと)として良い働きをすることが出来ます。相手はすぐに納得してくれるとは限りません。しかし、この時のことがその後その人を変えるきっかけになることがあるのです。それが、質問されても何も答えられないようでは、私たち自身はもとより、イエス様が軽んじられてしまうことになってしまうでしょう。

 パウロは偶像だらけのアテネの町を見て憤慨して、この町の人々と論じ合いました。会堂にいたユダヤ人や神をあがめる人々だけではありません。広場に行って、そこにいた人たちとも論じ合ったのです。

 アテネの町には広場がありました。古代の都市には神殿、劇場、競技場、市役所など重要な施設がありましたが、広場はそれらにもまして重要で、市民の生活の中心であったということです。広場はただの空き地ではありません。ラジオも、テレビも、スマホもなかった時代、人々は毎日のようにそこに出かけては、ものを売ったり買ったり、取引したり、議論したり、また新しい情報を仕入れたりしていたのです。

 18節には、パウロと討論した人々の中に、エピクロス派やストア派の哲学者がいたことが書いてあります。…エピクロス派とは、紀元前4世紀から3世紀にかけて活躍したエピクロスが始めた教えで、自然界はすべて原子から構成されており、それらがやはり原子からなる魂を刺激して感覚が成立すると考えていました。唯物論者です。エピクロスが死について語ったことを紹介します。「死はわれわれにとって何ものでもない。というのは善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。」…簡単に言うと、われわれが生きている間には死はなく、死んでしまえばわれわれは消滅していて、何も感じることがない、だから死を恐れる必要は全くないのだ、と。実にあっけらからんとしたものです。

 もう一つのストア派とは、エピクロスと同時代に生きたゼノンという人が始めたもので、この人たちは、世界それ自体が神であると考えました。「神はどこにいるのか?あなたの心の中に」(エピクテトス)、ここから人間は、自然の中に貫かれている英知を自覚し、自然の秩序にのっとって生きることによって、幸福になると考えたのです。この派に属するセネカと言う人は、「問題は、どれだけ長く生きるかではなくどれだけ立派に生きるかである」と言いました。良いことも言っているようです。

 エピクロス派とストア派について興味のある方は自分で調べて見て下さい。この二つは、それはそれですぐれた哲学であり、その影響は今日にまで及んでいます。特にストア派については、キリスト教とは違うものですが、キリスト教神学の形成にあたってここから取り入れた考え方がたくさんあるということです。

 パウロが討論した相手の中に、このようにしっかり勉強して、深い学識を備えた一流の哲学者がいましたが、彼らが自分たちとはそもそもの立脚点が違うパウロの話、イエス・キリストによってもたらされた福音を聞いて、すぐに理解できなかったとしても不思議ではありません。「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」という者がいました。また「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」という者もいました。「外国の神」と言わずに「外国の神々」というところに、多神教の世界に生きていた人々の意識が現れています。

 先ほどお話ししたように、エピクロス派もストア派も、世界は何から出来ているかというところから探究を始めました。そこから、人間はどのような生き方をすれば幸福になれるかということを考えていったのです。…これに対してパウロは、イエスと復活についての福音を告げ知らせていました。それは、神が御子イエスをこの世に遣わされた、イエスは私たちの身代わりとなって十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられた、このことを信じるすべての人に罪の赦しと永遠のいのちが与えられる、ということに尽きます。…エピクロス派やストア派とは、議論の出発点と方向が正反対です。だから議論がかみあわないとしても当然です。一流の哲学者であっても、パウロが語ることをすぐに理解することは難しいと言わざるをえません。

 そこで彼らは、パウロを、その教えがどんなものか知るためにアレオパゴスに連れて行きました。アレオパゴスというのはアレオパゴスの丘です。アクアポリスの丘のふもとにある小高い岩山、と言っても高さは5,6メートルほどですが。古来そこで評議会とか裁判が行われましたが、パウロはここでさらに語ることになります。

 哲学者を中心とするアテネの人々がパウロの教えを知りたいと思った、そのこと自体は良しとしましょう。ただ、そこにこう書いてありますね。「すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。」

 人間として新しいことに興味を持ち、新しい流行があるとそれになびいていくというのはよくあることですが、節度を保っていなければなりません。この人たちは、新しい教えがあるとそれに飛びつき、一時的に夢中になってそれを消費しますが、あきてしまうとこれを捨て去り、今度はまた別の新しい教えを見つけて耳を傾ける、そうやって暇をつぶしては、さまざまな哲学や宗教の話をまるで余興のように聞いて時を過ごしていたのです。

 こういうことは現代の日本にもあります。日本ではかつてマルクス主義が流行しましたが、これが下火になると実存主義が流行しました。その頃、サルトルなんかの本を小脇にかかえているとかっこよかったようです。しかし実存主義は下火になり、今度は構造主義というのが出て来て、ポストモダンということを盛んに言うようになりました。哲学の分野でも、それこそキリスト教神学の分野でも流行があって、この人は時代遅れだ、今はこの人だということがよく起こります。昨今では、哲学書を小脇にかかえていても全然かっこよくなく、教養主義も力を失ってしまいました。

 結局、人が何を信じて生きるべきかということは、お店にならんだ品物をどれにしようかなと言って選ぶこととは全然違うのです。ただ新しいものへの関心だけでは、パウロが伝えようとしている教えを自分のものにすることは出来ません。しかしパウロは、そんな人たちにも少しでもわかってほしいと願って、福音を語って行くのです。

 パウロはのちに、コリントの信徒への手紙一の1章でこのように書いています。「知恵のある人はどこにいる、学者はどこにいる、この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。

それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(Ⅰコリント1:20~24)

エピクロス派やストア派がいくら優秀な人たちであっても、そこにあるのはこの世から出て来た知恵であって、これによって神を知ることはできません。神がイエス様を遣わされ、この方が十字架上で死に、復活されたということは、人間がいくら考えても考えつかないことなんです。それは上から、天から、神が遣わされた者の宣教のことばを通して知るほかないのです。人はいきなりそんな話を聞くと、なんて愚かなことだ、こんなことがあるはずはないと思ってしまうことが多いのですが、聖霊が人をとらえてうむを言わせず信じさせてくれることを喜びたいと思います。      

 パウロは福音を興味本位にしか受取ろうとしない人に対しても、真剣に向かい合って、自分をとらえ、人生をかけて信じている教えを伝えようとしました。私たちも信仰について尋ねてくる人に対し、それが興味本位のものであろうとなかろうと誠実に対処すべきです。しかしその前提となるのは、私たち自身が福音に対して誠実に向かい合うことです。私たちは神様が差し出されたイエス・キリストの出来事に対して、ただこれを消費するだけの人間ではないからです。

(祈り)

 天の父なる神様。イエス・キリストを信じるとは、目新しい教えに飛びついていくこととは違います。それはあきたからと言って捨てることの出来るものではなく、多少勉強したからといってわかるものでもありません。人が人生をかけて、そこに飛び込んで行かなければとてもつかみとることの出来ない、永遠に新しい教えなのです。

 神様は今、人間から出発して神に到達することは出来ず、哲学者がいくら考えてもわからないことを、神様が宣教の言葉を通して示して下さることを教えて下さいました。十字架にかけられて死んだ人のことを信じろと言われても、すぐにはそうなりません。しかし、私たちがこの方が神であることを知って、圧倒的な力につつまれていることを心から感謝いたします。

 神様、私たちが生きているところは、昔のアテネの町と同様、偶像にあふれている世界です。その中で本当の神様を信じる私たちは、少数者の悲哀を味わっていますが、どうかこの私たちを強め、根がなくてすぐに枯れてしまうような信仰者でなく、よい地に落ちて豊かな実を結ぶ信仰者として下さい。

 広島長束教会とそこに集う者たちを通し、この地で、罪と死に勝利したイエス様がたたえられてゆきますように。神様を賛美します。この祈りを主イエス・キリストのみ名によっておささげいたします。アーメン。

愛を急がないで youtube  

雅歌2:1~17、ルカ12:27~28b  2019.6.26

 

 先月に引き続き、雅歌を読み解いていきたいと思います。いま、長老が読んでいる時、自分の若い頃が思い出されて切なくなったという方もおられると思いますが、この年になって何を今さらということではなく、だれもが、今も青春を生きているつもりで聞いて頂きたいと思います。

 説教題の「愛を急がないで」は、岡村孝子という歌手の歌からもってきたものです。7節の言葉にぴったりだと思ったので、…その歌の出だしはこうなっていました。「言葉にできない想いに気付いた、そうね、あの日から二人魔法にかかっている。きらめく太陽、波間に光って、痛むほどの幸せを世界に注いでいる。…夢ならずっとさめず、このままでいて。そっとあなたを見つめてる。」…読んでいて気恥ずかしくなってしまいましたが、雅歌は、それ以上に気恥ずかしくなってしまう歌で、愛し合う二人の前であてられてしまいそうです。

 

 先月は、雅歌に対し、歴史上いろいろな考え方や見方、解釈があることをお話ししました。ただ、ここにある一つひとつの言葉を厳密に考えようとすると難しすぎて際限がなく、私の能力を超えてしまうので、一つの有力な解釈に沿って話を進めていくことにします。これによると、雅歌はだいたいこういうストーリーになります。ここにはソロモン王、シュラムの乙女、羊飼いの若者の3人が登場します。乙女は羊飼いの若者と相思相愛の仲でしたが、そこにソロモン王が現れて彼女を見初め、富と権勢をかさに結婚しようとします。しかし彼女は若者に対する純潔を全うして、真実の愛を貫いて行くというものです。

 違う考え方があります。それによると羊飼いの若者とはソロモン王の仮の姿で、乙女はソロモン王と結婚するのだそうです。…さらにソロモン王はキリストの化身であるとか、雅歌はキリストと教会の聖なる結びつきを歌った歌だとか、そう思って読めば、そう読めないこともないのですが、考えすぎたり、こじつけになることがないよう、この場では素直に読んで行きたいと思います。

 

 前回詳しくふれることの出来なかった1章ですが、その初めからしてなかなか複雑で、わかりにくいです。1章3節で「おとめたちはあなたを慕っています」と言いますが、この「あなた」というのはソロモン王でしょうか、それとも羊飼いでしょうか。…4節は、「お誘いください、わたしを、急ぎましょう、王様」とあります。この王様を乙女の目に映る羊飼いだと考える人がいるのですが、説得力に欠けます。ではソロモン王なのか、そうだとすると乙女は一時的ではあっても王に心惹かれたことになります。

 4節の後半、小見出しが「おとめたちの歌」になっています。この女性たちのことを、5節では「エルサレムのおとめたち」と言います。すると、それは、エルサレムの宮廷にいる女性の可能性が高くなります。…舞台はエルサレムで、そこに宮殿があります。主人公の乙女は、いったんはソロモン王によってエルサレムの宮殿に連れて行かれたのでしょう。その時、ソロモン王に心惹かれた可能性があります。浮気です。しかし、すぐに元の恋人を思い出します。7節、「教えてください、わたしの恋い慕う人、あなたはどこで群れを飼い、真昼には、どこで群れを憩わせるのでしょう」。これに対しエルサレムの宮廷の洗練された女性たちは8節でこう言います。「どこかわからないのなら、群れの足跡をたどって羊飼いの小屋に行き、そこであなたの子山羊に草をはませていなさい」。これは皮肉です。「元の恋人がそんなにいいなら、都にいることはないですよ。田舎に帰ったらいいでしょう」ということなのです。

 次のページ、9節の前の小見出し、「若者の歌」ですが、これは若者ではなく王様だと思います。「恋人よ、あなたをたとえよう、ファラオの車をひく馬に」。馬にたとえられて喜ぶ女性がいるのでしょうか。現代人の常識では考えられないことですが。…王は乙女を誘いますが、13節から14節にかけて、乙女の心に住んでいるのはやはり羊飼いの若者だということが明らかになります。なお13節:「恋しい方はミルラの匂い袋、わたしの乳房のあいだで夜を過ごします」、何のことかと思われる方がいるでしょうが、袋の中に香しい匂いのするものを入れる、それがミルラの匂い袋で、女性は胸の間にぶらさげておいたそうです。あなたはこの匂い袋のように、私に最も近い、香しい方だと言っているのです。

 

 こうして2章に入ります。「わたしはシャロンのばら、野のゆり」。ガリラヤ湖の西、地中海に面してカルメル山という山があり、その南の平野をシャロンと呼びました。シャロンのばら、野のゆりと言うと、何かとうといもののように見えるかもしれませんが、ここではありふれたものでしかありません。つまり乙女は、「私はどこにでも咲いているありふれた花なのよ」と言っているのです。…これに対し、若者はいったんは同意します。たしかにあなたはゆりの花、でも「茨の中に咲きでたゆりの花」なのですよと。2節をご覧下さい。「おとめたちの中にいるわたしの恋人は、茨の中に咲きでたゆりの花」、ほかの娘たちを全部合わせてもあなたの美しさにかなうものはないのだ、と言うのです。

 すると、乙女の方でも若者に言葉を返します。「若者たちの中にいるわたしの恋しい人は、森の中に立つりんごの木」、森にいろんな木がありますが、あなたはその中でもいちばん素晴らしい、花も実もあるりんごの木なのです、と。…皆さんの中で、おつれあいとこのように言い交した方がおられるのではないでしょうか。

 「わたしはその木陰を慕って座り、甘い実を口にふくみました」、これが恋人と一緒にいる時の彼女の喜びです。…「その人は、…わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。」、…愛の旗の反対が、ソロモン王が掲げている権力や財宝がらみの旗です。羊飼いの若者は、娘にぜいたくな暮らしを約束することは出来ません。しかし愛があるのです!…私たちの周囲では、愛という言葉が氾濫しているために、かえって愛が安っぽくなり、ともすると愛を信じられなっています。現実には、男性の、また女性の愛を信じたためにだまされるということが起きるので、うぶで世間知らずな人ほど気をつけなければなりませんが、しかし愛を信じられないようではあまりにさびしい、愛は確かにあるのです。

 お医者さまでも草津の湯でもと申しますが、乙女は自分が恋の病にかかっていることを隠そうともしません。片思いで悶々と悩むというのはよくあることですが、彼女は両思いなのに悩んでいます。その理由の一つに、彼女の場合、恋人といつも会うことが出来たわけではないということがあるでしょう。…恋に病んでいる時、やはり食が細くなってはいけません、ぶどうのお菓子やりんごを食べて元気を取り戻すことが必要です。…「あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ、右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに」、こんなことを言うのははしたないという反応があるでしょうが、これは自然な感情の発露であり、神様の前に肯定されているのです。

 さて7節のところで、乙女はエルサレムのおとめたち、つまり宮廷の女官たちに呼びかけています。それは、そこに王が関係するからです。「野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください」は議論があって、はっきりしません。「愛がそれを望むまで、愛を呼びさまさないと」、ここのところを西田幸雄牧師はこう書いています。「エルサレムの女官たちに対して、あなたがたは、王に対して、わたしの心を向けさせようとしているが、そうしたお節介は止めて下さい。それは無益なことだと言うのです。愛は扇情的な刺激でかき立てられるものではなく、内から自然に目覚めるものだからです。」乙女が若者に向ける愛を、王であれ誰であれ、ほかの人間に向けることは出来ません。

 乙女と若者は何か理由があって、毎日会うことが出来ません。しかし、会いたければ千里も一里だと言います。「恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます」。…エルサレムは標高790メートルの台地にあって、若者はここまでかけつけてきたのではないでしょうか。まるでかもしかのように、若い雄鹿のように走って来るのです。乙女はその声に気づいて、喜びに体をふるわせます。

 若者は格子窓から中をのぞき、乙女に立って出ておいでと呼びかけます。ここは全部読んで、味わってみましょう。「恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ、さあ、立って出ておいで。」

 若者はここでなぜ新しい季節の訪れをたたえるのでしょうか。パレスチナでは普通、4月の半ばぐらいに雨期が過ぎて、春が来ます。冬の間、眠っていたいのちが目覚めるのが春です。花も小鳥も果物も、みな春の訪れを喜び、祝い、それが全地に及ぶ、この喜びの中に二人はいるのです。…人の一生には限りがありますが、愛は死に抗い、これを超えるのです。冬の間、眠っていたいのちが目覚める、私たちは毎年その時期にイースターを祝っています。主イエスの甦りを祝っています。

 

 若者は家の外に立って、乙女に出て来るようにとさかんに呼びかけますが、彼女はすぐには出て来ません。そこで若者は「わたしの鳩よ」と呼びかけます。皆さんは、公園などに群がっている鳩を思い出すでしょうが、あれは人間に慣れてしまった鳩で、野生の鳩は岩の裂け目や崖の穴に臆病そうにひそんでいるということです。乙女は男性の誘いがあったからといってすぐに応じることはせず、鳩のように恥ずかしがって隠れています。…声をきかせておくれと言われて、彼女が最初に発した言葉が、ぶどう畑を荒らす狐たちをつかまえてくださいということでした。1章で、乙女がぶどう畑の見張りをさせられたことが書いてありましたが、恋人に対する第一声がそんな実務的なことだとは思えません。そこで考えられるのは、ぶどう畑を荒らす小狐とは彼女に言い寄ってくるほかの男性だということです。私に目をつけているほかの男性がいるから、あなた、しっかり見張っていて、私をほかの男性に取られないようにして下さい、と言うのです。本当に、そんな男性がいたのかどうかはわかりません。女性はよくこういうことを言って恋人をじらすようです。ふざけてからかっているのかもしれません。

 乙女が家から出て来たのかどうか、書いてありませんが、出て来ないということは考えられません。彼女にとって、ほかに言い寄ってくる男性がいたとしてもそれは小狐にすぎません。「恋しいあの人はわたしのもの、わたしはあの人のもの」だからです。この言葉はその後、古今東西の愛の歴史の中で繰り返されてきたことと思います。自分のために異性を愛するのは、本当に愛することにはなりません。これが愛の押しつけになったり、極端な場合、ストーカーにまでなってしまうのですが、もちろんそれは愛の本質を違えています。あの人は私のもの、私はあの人のものというのは、互いの存在そのものを所有しあうということで、皆さんには言わずもがなのことだと思いますが、これこそ愛の本質を現わす言葉として、聖書に掲げられているのです。…こうして乙女と若者が愛を確認したところで、若者は帰って行きます。二人の間に、道を踏みはずしたところは何もありません。

                                                                                                                                       

 今日は、雅歌をこのように乙女と若者の愛というところから読んで来ました。初めにお話ししたように、雅歌にはいろいろな解釈があります。山を越え、丘を越えてやって来るのは復活したキリストであるというのもその一つです。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。ただ、私たちには今それを判断する力はありません。現段階では雅歌をそのまま読んで、神様が男女の愛を祝福して下さることを喜び、祝うこととしたいと思います。そこから見えてくるのがきっとあるはずです。

 

(祈り)

 天にまします私たちの神様。神様は、私たち人間がこの世界で生きるために、あらゆる良いものを準備して下さいました。神様は私たちに、生きる糧としての食べもの、衣服、住居、お金を下さったばかりではありません。人はひとりで生きることは出来ないので、神様は共に生きる相手を与えて下さいました。私たちは職場でも地域社会でも、どんな所でも人と人との間で生きていますが、今日はその中で愛し合う男女を通して、神様の愛を示して下さったことを感謝いたします。

 神様、どうか私たちが生きる場において、男女がお互いを尊び、助け合うことが出来ますように願います。結婚している者には、神様が二人を合わせて下さった日の喜びが甦りますように。生涯の伴侶を天に送った者に、死によっても断ち切られることのない愛を確認させて下さい。(人生のパートナーを探している人がいたら、その努力が最高の形で報われますように。)独身の方にも自分がひとりではなく、多くの人に必要とされていることを示して下さい。

 男として、また女として生きる、私たちの人生の道を祝福のみ手をもってお導き下さい。

 主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

広島長束教会十字架cross
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