日本キリスト教会 広島長束教会
そのことは民族、人種、文化、社会的身分、男女の区別など関係ありません。キリストにあって人間同士を隔てる壁は存在しないのです。なぜなら、私たちの全てがキリストのものであり、キリストの霊が私たち一人一人の中で働いておられるからです。
貧しい労働者が欲深い資本家に酷使される時、キリストがそこにおられます。無抵抗の黒人が威圧的な白人の警官に一方的に殴られる時、キリストがそこにおられます。米軍の基地建設に反対する沖縄の人々が機動隊によって引きずり出される時、キリストがそこにおられます。福島から必死の思いで避難してきた子供が、「放射能がうつる」と言って虐められる時、キリストがそこにおられます。満員電車の中で痴漢に遭った女性が恐ろしくて声も上げられずに震えている時、キリストがそこにおられます。
青年が、卑猥な映像を観る自分を汚れたと感じ、そっとスマホのスイッチを切る時、キリストがそこにおられます。自分の手で稼いだと思っていたお金が、実は神から頂いたものだと知る時、キリストがそこにおられます。どうしても許せないと思っていた相手と和解の握手を交わす時、キリストがそこにおられます。神などいるものか、信じて何になる、そう言っていた人が、悔い改めて神に立ち帰る時、キリストがそこにおられます。他人を傷つける言葉しか知らなかった人が、慰めと励ましの言葉を語る時、キリストがそこにおられます。その人たちは、キリストに出会って変えられたのです。
そうしてキリストのものとされた者たちは、新しい生き方へと招かれています。今日の箇所でパウロは人間の悪徳について語っていますが、それに続く12節以下では、キリスト者が身に着けるべき五つの徳、すなわち「憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」を並べ、互いに忍び合い、赦し合うことを勧めた後、14節で言います。「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」。私たち人間の利己的な愛情ではなく、信じる者が一人も滅びないように、神がその独り子であるイエス・キリストをお与えになったほどに世を愛された、その限りない愛が、私たちをキリストに結びつけ、また私たち同士も結び合わせます。キリストと共に死んだ私たちは、キリストと共に生きるために、ただひたすら「上にあるもの」、御心のままに働いてくださる聖なる霊を願い求めましょう。聖霊が私たちの中で悪しき思いと行いを滅ぼし、神の愛を実らせてくださるからです。では祈りましょう。
いつもあなたがたと共にyoutube
マタイ28:16~20 2017.4.16
今ここにいる保育園児や小学生の皆さんは、これまでに偉人伝を読んだことがありますか。偉人伝とは偉い人の伝記です。たとえばエジソンやヘレン・ケラー、野口英世やナイチンゲールなどなど、その本を読めばその人が生まれてからずっとどう生きてきたかがわかります。…偉人伝の中にはたとえば野球のイチロー選手のように、今もばりばり活躍している人の伝記もありますが、それ以外はずべてその人が死んだところで終わっています。イチロー選手にしたって、200年後に伝記が書かれたとしたら、やはり死んだところで終わっているはずです。人間は誰でも最後に死んで終わるからです。…けれども一つだけ例外があります。イエス様の伝記だけは、イエス様が死んだところで終わっていません。イエス様は死なれたあとよみがえって、永遠に生きておられるからです。
毎年クリスマスになると、私たちは教会で、イエス様がお生まれになったことをお祝いしています。イエス様は今からおよそ2000年の昔、天からこの世界に降って、ユダヤの国でお生まれになりました。イエス様は大人になったあと、ユダヤの地をまわって神様のことを教え、病気の人をいやし、ひとりぼっちで悲しんでいる人の友だちになられたことは皆さんもよく知っていることと思います。しかしイエス様の評判が高くなればなるほど、イエス様がうっとうしくてたまらないという人も増えてきました。その結果、イエス様はとうとうつかまえられて、十字架にはりつけにされて死んでしまわれたのです。…ふつうだったら、これでイエス様の話はおしまいです。イエス様がなさったことも素晴らしい教えも、やがて消えてしまったことでしょう。
ところがイエス様が亡くなられからちょうど三日目の日に、信じられないようなことが起こりました。お弟子さんたちが集まっていると、女の人たちが息せき切ってかけこんできて、「イエス様は甦られました。お墓にご遺体はありません。」と言うのです。…その日の朝、この女の人たちはイエス様のお墓に行ったのです。そして天使に会ってイエス様が復活されたことを聞きました、そして戻ってくる途中で、生きているイエス様ご本人に会ったのです。この時、イエス様は言われました。「怖がらなくていいんです。男の弟子たちにガリラヤに行くように伝えなさい。」
この話を聞いたお弟子さんたちは信じられませんでした。それもそのはず、世界の歴史の中でそれまで、死んだ人がよみがえったなんてことは一度も起こったことがなかったのですから。皆さんだって、まさかそんなことがって思うでしょう。でもイエス様は本当によみがえられました、復活されたのです。
その日の夕方、弟子たちが集まっているところにイエス様が現れました。みんな、自分の目でイエス様が本当に生きておられるのを見たのです。それは、魂が揺り動かされるような体験でした。
さて、弟子たちはかねてイエス様に言われた通りに、ガリラヤに向かいました。山に登るとそこにイエス様が現れたので、みんなひれ伏して拝みました。いまそこにおられるイエス様こそ神であり、救い主であられます。人生のすべてを捧げても悔いのないお方です。…ところが、イエス様を拝みながら、心の中で疑っているお弟子さんがいました。「これは本当に十字架にかけられて死んだイエス様なのか。おれたちは夢でも見てるんじゃないか」と思ったのです。イエス様が復活されて以来、あまりに不思議なことばかり起こるので、自分が見ていることが本当なのか、それともこれは夢の中のことなのか、わからなくなってしまったようです。イエス様の弟子でさえも何が本当なのかわからない、復活というのはそれほど信じがたいことだったのです。けれどもイエス様が近くまで寄って来られた時、心の中で疑っていたお弟子さんも、それが本当にイエス様であることを信じることが出来たのです。…その理由は聖書に書いてありません。だから想像するほかないのですが、先生は、イエス様が死んでよみがえった方として弟子たちに現れて下さり、天の父なる神様もこの方が確かにイエス様なのだということを示してくれたからだと思います。
こうしてイエス様は、死に打ち勝った方として、弟子たちに語ります。「わたしは父なる神様から、宇宙と世界のすべてを治めることを許されました。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」イエス様は弟子たちに、世界のどこにでも出て行って、すべての人がイエス様を信じるようにしなさい、とおっしゃったのです。
イエス様が言われたことは途方もないことでした。だから弟子たちは、心の中で、「イエス様、そんなことを言われても、たった11人の私たちで何が出来るんですか」と思ったかもしれません。でも大丈夫です。イエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言って下さったからです。
イエス様は十字架にかけられる前、私たちと同じ生身の人間でした。だから同じ時刻に違う場所にいることなど出来ません。広島にいながら同じ時に東京にもおられる、なんてことはないのです。しかし復活された今、イエス様は自由に、世界のどこにでも行って、イエス様を祈り求める人のそばについておられるのです。
弟子たちはこのあと世界の果てまでも出かけて行って、イエス様のことを語り伝えました。イエス様を信じて、罪と死から救われ、幸せな人生を歩むよう呼びかけていったのです。そうして人々に洗礼を施し、教会を建てて行きました。それは死んでよみがえられたイエス様が一緒におられたからこそ、出来たことでした。
イエス様を弟子たちを遣わされました。その弟子たちがいなくなったあとは、弟子たちの弟子を遣わされました。そうしてイエス様を信じる人を世界中に起こして下さったのです。その中に、ここにいる皆さんがいます。イエス様を信じる信仰はユダヤの国からヨーロッパに伝わり、ヨーロッパからアメリカに、そして日本に、広島に来ました。イエス様は今ここにいるみんなに、幸大くんにも大気くんにも言って下さいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
死を打ち破った、命満ちあふれるイエス様の恵みが皆さん一人ひとりにありますように。
(祈り)
天の父なる神様。今私たちがこのイースターの礼拝に集められ、神様を礼拝することの出来る恵みを心から感謝します。
イエス様は本当に復活なさいました。十字架にかけられて死んでしまわれたのに、死を打ち破って復活されたのです。そのイエス様が私たちと共におられることを今日知ることが出来ました。有難うございます。神様、どうか私たちが復活されたイエス様について行くことが出来ますように。イエス様がよみがえられたことをもって、私たちに生きる望みを与え、弱い心を強くして下さい。こうして私たちみんなが、明るく幸せな、いのちの道を歩むことが出来るようにして下さい。また教会の外にいる多くの人たちにも、死を超える希望があることを示して下さるようにと願います。
いまここに出席している子供たちのために祈ります。みな、神様の大切な子供たちです。どうかこの子供たちが神様の御守りの中、復活されたイエス様に導かれ、すこやかに成長していくようお願いします。
とうときイエス様のお名前によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
貧しくても利口な少年は、老いて愚かな王に代わって人々の熱狂的な支持を集めましたが、今やこの少年について喜び祝う人はいません。現代史の中でこれに似た人をあげると、例えば毛沢東の例があります。かつて輝ける星のように現われ、中国のみならず世界的にも熱狂的な信奉者を産み出した人ですが、今やその権威は地に落ちつつあります。この人をどう評価するかについてはさらなる議論が必要だとしても、あの文化大革命が終わって以来、理想の社会への性急な呼びかけと個人崇拝が危ないということは、世界の多くの人が感じ取ったことと思います。
新しい王が出現してやがて没落する、こういう歴史の移り変わりはコヘレトをして、世の中は結局は変わらないのだと思わせることになりました。古代の人々が新しい王に熱狂したことも、近現代の人々の一部が革命のロマンに心酔して、それに向かって行ったことも、大して変わらないのではないでしょうか。…そういたしますと、私たちにとっても、特定の政治勢力に世界を変えるような望みをかけることは無駄だということになりはしませんか。それもまた空しく、風を追うようなことなのです。
このように変転極まりない社会の中で、教会は、そして信仰者はどこに立っているべきかということが問われます。
まず言えることは、教会は国家や特定の政治団体と一体化したり、それ過度にのめりこむべきではないということです。この点がしっかりしないために、これが本当にキリスト教会かと疑われる例が多々見られます。
1996年に中国で行われた教会の全国会議で、中国の政府公認教会の指導者がこういう発言をしました。「私が中国のキリスト教に対して希望したいことは、第一に団結であり、第二に倫理道徳を重視することです。これは私たちの信仰が要求するところであるばかりでなく、私たちの国・私たちの党が要求するところでもあるのです。現在、(共産)党の提起している精神文明の建設ということは、私たちのキリスト教と少しも衝突しません。私たちキリスト教は精神文明に関心を持たなければなりませんし、倫理道徳を提唱しなければなりません。」
中国の教会としてはこういうふうに言うしかなかったかもしれませんが。…共産党がどうこうではありません。自分の信仰を特定の政党のスローガンに結びつけて、根拠づけているところが問題で、あやういものが感じられます。ただ私たちは中国の教会を笑ってもいられません。
1940年に開催された皇紀二千六百年全国基督教信徒大会で、日本基督教会の富田満牧師はこのように発言しました。「私共は実にこの二千六百年の歴史の大なる感謝を神に献げなければならぬと存ずるのであります。
我国は今や誠に東洋の平和、否世界の平和のため、実に崇高な理想目的をもって国をあげて国運を賭して戦っているのであります。…今日国家の新体制、国策の根本原理は滅私奉公、私をすてて国のために奉ずるということにあるといっております。これは実にキリストの御精神であると存ずるのであります。私共基督者は世人に先んじてこの困難に際して滅私奉公の誠をいたさなければならぬと存ずるのであります。」これも、信仰を政府のスローガンに結びつけて根拠づけています。
政府がすることを教会が全面的に賛同し、賛美していたら、まずは疑ってかかった方が良いのです。国家も政府も政党も変わりうるものです。それに対し、キリストは永遠に変わりません。私たちは信仰の根拠を置く場所を現実の政治勢力ではなくキリストに置かなければなりません。
私のこれまでの経験では、政府が行っていることを教会が全面的に称賛できるようなケースはたいへん少ないです。しかし、かといって教会が政府に抵抗する政治団体に全面的に肩入れすることも出来ません。(教会が自分の国とは全く違う国を「地上の楽園」などと言ったとしたら、これもおかしいです。)(私が)靖国神社問題に関わって政府を批判したりすると、国がやることに口をはさむべきではないと言われたり、また、これは短絡しすぎですが、中国や北朝鮮の支持者ではないかと思われたりすることもあります。しかし、中国や北朝鮮の教会もそれが本当の教会である限り、政府べったりにはならないはずで、あちらでも、こいつらは日本の回し者かと言われているかもしれません。…つまり、どんな国にあっても、本当の教会は政府や体制派の人々から、そればかりでなく反体制的な人々からもけげんな目で見られることが多いのです。本当の教会が特定の政治勢力と一体化することはありません。どんな社会改革であれ革命であれ、それは人間そのものを変えはしません。それが出来るのはただ神の言葉です。本当の教会は、国家や政治団体の言うことではなく、神の言葉に従っているのです。世の移り変わりを見つめたコヘレトは、政治に対して失望し、「これまた空しく、風を追うようなことだ」とつぶやきます。それならば結局、すべては古いままに留まるのでしょうか。
理想の社会を建設することを目指してなされる人間の努力は、何にもならないのでしょうか。
…人間の力に頼っている限り、その通りだと言って良いでしょう。しかし、コヘレトが知らないことが起こりました。コヘレトや人々が期待をかけただろう新しい王はやがて没落してしまいました。しかし、この王とは違う、本当の王がいることが聖書によって示されているのです。この方、まことの王イエス・キリストは、いま天にあって、全世界を治めておられます。…歴史の中ではまことに残念なことに、キリスト教国と称する国がたいへんな悪事を行ってきました。そのためクリスチャンが大多数を占める国であっても、やはり国というのは信じがたいのです。半分疑ってかからなければならないところがたくさんあります。しかし、その責任をキリストに負わせることは出来ません。世の中が変わらないということは一面の真実ではありますが、しかしキリストが来られてからというもの、古い世界が滅び始め、それと同時に、愛と正義と平和の新しい世界の建設が開始されたことも確かなのです。新しい社会は、キリストに従う新しい人間が築いていくのです。その中に私たち一人ひとりの政治参加があり、また、教会の、社会の中での役割もあります。キリストを信じる者は、挫折を重ねても再び立ち上がり、そこから身を引くことはありません。
(祈り)
愛と恵みに富みたもう父なる神様。いま、私たちはみことばの恵みにあずからせて頂いたことを感謝いたします。私たちが生活しておりますこの世の中は、めまぐるしく移り変わって、時代の動きについてゆくだけでも困難を覚えます。しかし、それでいて、神様から離れ、罪の中で苦悩する人間の姿は昔からちっとも変わっていないのです。ここから救い出される道はイエス・キリストのもとに立ち返ることだけなのですが、その道を見出していない人がたくさんいます。世の中はこれからもどんどん変わってゆくでしょう。しかし、それに振り回されず、どんなことが起こっても、ゆらぐことのない救いの岩の上に私たちが立ち続けることが出来ますようにと願います。
広島長束教会とこの教会に関わるすべての人たちが、移り変わるものではなく、永遠に変わらない神様の愛と正義にこそ目を開くことが出来ますよう、お導きをお願いします。主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
ひとりの指導者の誕生youtube
コヘレト4:13~16、ヨハネ18:37 2017.4.23
コヘレトの言葉は大昔に書かれたものなので、意味がとりづらいところが多いのですが、きょうも謎めいた言葉の前に皆さんをお連れすることになりました。今日与えられた4章13節から16節までの言葉は、私たちにいったい何を伝えようとしているのでしょうか。今これを読んでみて、言われていることがわかったという人がいたら、たいへん鋭い感覚を持った方で、私にかわって説教してもらいたいぐらいです。私は初め、何が書いてあるのかわかりませんでした。ここの言葉とにらめっこしながら、やがてこれは一国の政治に関係することなのだと理解出来たのですが、…しかし、それがなぜ、空しく、風を追うようなことなのでしょうか。ご一緒に考えてまいりましょう。
コヘレトが生きていた古代イスラエルは、現代の日本とは当然ながらずいぶんと違っているので、当時の人々が国のありかたについてどう考えていたかということは、私たちにはなかなか想像できないところでしょう。そのことは逆に、当時の人々が、今の日本のことを知ったら仰天してしまうだろうということです。…今、わが国は憲法で国民主権を謳っており、18歳以上の国民に男女を問わず選挙権があり、選挙の季節になると候補者たちが自分への清き一票を呼びかけています。普通選挙が実現するまでには先人たちの不屈の努力があったわけで、これは昔の人にとっては驚きであると思いますが、しかし今日、選挙で棄権することを選び、せっかくの選挙権を行使しない人が多数いるという事実も昔の人から見たら驚きであるにちがいありません。…このように昔と今とではずいぶん違いますが、しかし昔起こったことは今も起こります。歴史を通して、根底に流れているものは変わらないはずです。
もしもわが日本国がすぐれた指導者のもと、国民も成熟していたとしたら、たいへん素晴らしいのですが、現状はどうでしょうか。もしも指導者がその器でなかったり、国民の幸せを露ほどに顧みない人であって、しかもこの指導者に国民が簡単にだまされてしまうようになると、国は間違った方向に進んでゆくことになります。かりにそうした状況に陥ったなら、教会は、またキリスト者はどうあるべきなのかが問われることになります。
こういうことを念頭に置いた上で古代のイスラエルの状況を見ることにいたしましょう。
コヘレトが生きていた時代に民主主義という言葉はありません。歴史の教科書では、民主主義は古代ギリシアの都市国家で紀元前5世紀頃に誕生したことになっています。しかしながら、それ以前に民主主義がなかったのかどうか、旧約聖書を細かく調べてゆけば、民主主義につながる芽生えのようなものが見つかるかもしれません。大多数の国民が何を考え、何を望んでいるかということがきわめて重要なのは言うまでもないからです。
イスラエルはもともと神御自ら治める国でありました。ですからアブラハムの時代、出エジプトの時代、カナンの地に定住した時代を通して、イスラエルにはずっと王がいなかったのです。アブラハムは族長でした。ギデオンとかサムエルとかいう人は士師と呼ばれています。……ところがイスラエルの民の間から、わが国にもほかの国と同じく王が必要だという声があがりました。…今日、世界の中で王制をとる国は少なくなり、王がいても政治的実権のないところがほとんどではないかと思いますが、当時は国に王がいて、王が権力をふるうのは当たり前のことだったので、王のいないイスラエルこそ大変に変わった国だったのです。…王がほしいという人々の声を聞いたサムエルは、これは良くないことだと思いました。神ご自身も、イスラエルの民が王を求めるのは、ご自分が民の上に君臨することを嫌っているからだと見抜いていました。つまり人々は、神様を退け、神様のかわりに王を立てて、これに服従しようとしたのです。ただし神は、人々の本心を知りつつ、深いみこころによってその願いを許可しました(サムエル記上8章)。こうして生まれた最初の王がサウルです。その後ダビデ、ソロモン、そして国が二つに分裂してからは南のユダと北のイスラエルそれぞれに、たくさんの王が登場してくるのです。
さてコヘレトは言いました。「貧しくても利口な少年の方が、老いて愚かになり、忠告を入れなくなった王よりも良い」。……ここに老いて愚かになり、忠告を入れなくなった王が登場します。年を取るにつれて知恵が増してくる人も多いのですが、この王はそうではありませんでした。権力の座にしがみつき、国民がどんなに苦しもうが意に介さず、国の将来を思ってなされる家臣の忠告を聞き入れないのです。国民にとってこの王は恨みつらみの対象であり、心から従ってゆける指導者ではありませんでした。
…そんな時、人々の目に、貧しいけれども利口な少年の姿が映りました。
この少年はそのとき捕らわれの身であったのかもしれませんが、そんなことは問題ではありません。虐げられた人々は、この少年こそイスラエルの新しい指導者であると信じて、彼に国を救う望みを託したのです。「太陽の下、命あるもの皆が代わって立ったこの少年に味方するのをわたしは見た」。彼は新しい王となりました。
コヘレトがここで書いているのは、明らかに革命的な出来事です。腐り切った権力者は、その腐敗のゆえに倒れます。こうして、この国は生まれ変わることを余儀なくされます。貧しい、虐げられた人々を代表する人物が現われて、大衆の熱狂的支持を獲得し、こうして、新しい王の世の中になるのです。…人々の期待はふくらみます。新しい時代が訪れました。…今や以前の苦しみは昔話となり、国全体が理想の未来へと向かって進んで行こうとするのです。そして見て下さい。確かに新しいことが始まりました。素晴らしい出来事が立て続けに起こります。事実、貧しくても利口な少年の方が、老いて愚かになり、忠告を入れなくなった王より良かったのです。
革命はいくばくかの良いものをその国にもたらすでしょう。…しかし、その時にこそ冷静さが必要です。革命には行き過ぎとそれに伴う失敗がつきものだからです。…やがて、新しい社会が打ち出した夢と希望に満ちた計画は次々に挫折し、革命は後退し始めます。そして、初めの時には見えなかった、新しい世の中にはびこる暗黒面が白日のもとにさらされます。…事態がこのように進行してゆきますと、人々の熱狂は醒め、王の人気も急速にしぼんでゆくことになります。人々の思いはもはやこの王のもとにはありません。「民は限りなく続く。…この少年について喜び祝う者はない」という結果になるのです。…人々はこの王に代わる次の王を求めるようになります。そうして出て来た王に熱狂する人もいるでしょう。しかし、その人が本当に国民を幸せにしてくれるのかどうか、…また同じことが繰り返されるのではないでしょうか。
コヘレトがここで明らかにしたことは、古代のイスラエルから現代の世界まで共通して言えることです。大昔から今日まで、古い社会を作り変え、新しい指導者のもと理想の社会を打ちたてようとする試みが数多く行われてきました。その結果、素晴らしいことがもたらされたとしてもその多くは長続きせず、逆に改革の行き過ぎが悲惨な結果をもたらすことも多かったのです。
命の痕跡が全く失われた、干からびた骨の集まりが生き返ることが出来るのか、絶望におおわれている人々がもう一度立ち上がり、生きて働き、喜び、愛し合うことが出来るのか。…こう問われて、エゼキエルははっきり答えることが出来ません。そうなってほしいとは思っていても、それは不可能だと思っています。しかし「あり得ないことです」と言うことも出来ません。もしもそう言ったなら、彼自身も枯れた骨であることを認めることになるのではないか。…そのため「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」と答えたのです。神様の判断と力に委ねるほか、もうどうにも出来ません。
けれども、ここで驚くべき大転換が起こります。神は命じられます。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。」
枯れた骨の満ちた谷、それは死の世界を象徴しています。「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせた。」と言っている人々は、すでに亡くなった人々と共に死の世界に住んでいるも同じです。彼らはこちら側の世界、命ある世界からの声が届かないところにいます。こちら側からいくら気を落とすなと言っても、自分たちがついていると言っても、そのためにどれほど力を尽くしても無益です。死者に福音を語ることは出来ません。死と生は断絶しています。教会も生きている人には伝道しますが、死者に語りかけることはありません。
しかし、ここで神の言葉は死という障壁を乗り越えています。人間はこんなことは出来ませんが、神は、神のみは、生と死を支配する権威を持っておられますから、死者に呼びかけて、みこころを実現されます。そのことは少なくとも、死者にひとしい人間であったのが神の呼びかけによって全く新しい人間に変わりうることを教えているはずです。
神は骨に向かって呼びかけられます。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
この預言が実現して行く過程が7節から10節までに書かれています。それまでばらばらになっていた骨が結合すべき相手を見出します。カタカタと音を立てながら近づいて、互いに結びつきます。
今度は、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚で覆われます。ただその中に霊はなく、息をしているわけではありません。
続く次の段階で、神は「霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ」と言われます。これらのことはみな神の言葉によって起こるのです。こうして枯れた骨の集まりは、驚くべきことに復活して、非常に大きな集団となりました。神は天地を創造された時、土の塵で人間の体を造り、そこに命の息を吹き込んで生きたものとして下さったのですが、私たちはこれと同じようなこと、新しい創造のみわざを見るのです。
枯れた骨たちの復活について神は12節で、「わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へと連れて行く」と約束なさいました。つまりこれは、死んだも同然なイスラエルの民を神が捕囚の苦しみから解放して、祖国へと連れ帰るということを示しています。その意味で、これは直接的にはイスラエルの民の救いを語るものですが、そこに「お前たちはわたしが主であることを知るようになる」という言葉が何度か繰り返されていることを見落としてはなりません。枯れた骨が生き返った、それはただ以前と同じ状態に戻るということではありません。そうではなくて、主なる神を信じて新しく生きるということにほかならないのです。
神は生と死を支配する権威を持っておられます。その権威はそのまま御子イエス・キリストに委ねられました。キリストはヨハネ福音書5章25節でこう言っておられます。「はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」
ここでの死んだ者というのは本当の死者でしょうか、それとも死者にひとしい者たちでしょうか。カルヴァンの注解書によると、ここで語られているのは霊的な死です。本当の死者がキリストの恵みを受けるかどうかは大変に難しい問題なので、私は何も言えません、カルヴァンの説に従うと霊的に死んだ者、エゼキエル書が描いた「我々の骨は枯れた」と言っている人が
キリストの声を聞く時が来る、今がその時で、その声を聞いた人は骨の上に筋と肉と皮膚が生じ、神の霊が吹きつけられます。するとその人はキリストを遣わされた方、父なる神を信じて、永遠の命を得て生きるのです。
ここで教えられていることをどうか自分に与えられた言葉として聞いて下さい。私たちはとかく、自分は骨が枯れた人間ではないし、霊的に死んだ者でもないと思いがちで、そのために、死から命へと移ることの出来る千載一遇の機会を失ってしまってはなりません。枯れた骨の復活の出来事はイエス・キリストの出来事を通してさらにはっきり、具体的な形で私たちの前に示されました。私たちはこの出来事を信仰において追体験することで、主の恵みにあずかるのです。
(祈り)
恵み深い神様。神様が私たちの飢えた心を今、礼拝によって満たして下さっていることを覚え、心から感謝いたします。
主イエス・キリストの十字架と復活は私たちの信仰の何よりも大切な二つの柱のはずですが、なかなかここに近づくことが出来ません。特に復活になると、
皆目わからなくなってしまうのです。復活がただのお題目になってしまい、口では信じると言っていても、実際には復活を信じていない人と少しの違いもない生活をしていることをざんげいたします。
神様、今ここにも、復活を信じられないために、未来にほとんど何の希望も持てない人がいるのではないかと思います。どうか枯れた骨を復活させた力をもって、その人を力づけて下さい。
キリストは死に勝利してよみがえられたのです。それなら、この世にこわいものは何もないはずではありませんか。どうか弱い、臆する心の一つ一つに希望の灯をともして下さい。そしてこの希望を広島長束教会が日本の他の教会と共に掲げることが出来ますように。
神様、いま朝鮮半島を巡って緊張状態が続いています。どうか必死に平和のために祈っているだろう韓国の教会、厳しい統制の中で活動している北朝鮮の教会、大きな力があるもののそれゆえに問題をかかえているアメリカの教会の上に、平和を愛する神様の御導きと恵みをお願いいたします。
十字架と復活の主イエス・キリストから生まれる平安、尽きない川の流れのように全地にあふれさせて下さい。この祈りを尊き主イエス・キリストの御名によって、み前におささげいたします。アーメン。
枯れた骨の復活youtube
エゼキエル37:1~14、ヨハネ5:24~25 2017.4.30
私たちの教会では4月16日にイエス・キリストのご受難を記念する礼拝を、続いて23日にイースター礼拝と祝会を行いました。来る6月4日はペンテコステです。そこでペンテコステを迎えるまでの間、復活ということについて集中的に学び、感謝し、賛美する場を設けたいと考えております。
教会に通っていたある人が、復活だけはわからないと言っていました。たしかに復活は教会で何回聞いてもわかりにくいものです。それもそのはず、主イエスの復活に直接立ち会った弟子たちでさえそうだったのです。目の前にイエス様が現れてもなお疑っている弟子もいたくらいです。ただその弟子たちも、イエス様の復活を確信して以後は少しも迷うことなく、それこそ世界の果てにまで出かけていって復活を宣べ伝えて行ったことは、よく知られています。
当然のことでありますが、イエス様の死なくして復活はありません。イエス様が十字架上で仮死状態になって、それが三日目に蘇生したということではないのです。これでは教会の信仰が成り立ちません。完全に死なれてから復活なさった、そのことはイエス様を救い主と信じて救われた者たちにも、これから信じて救われるだろう者たちにも大切なことを教えています。…主イエスが死んで復活されたことは、この方を信じる者を全く新しい人間に作り変えます。それは、部分的な修理とか修復ではありません。罪に染まった人間はそんなことではどうしようもないのです。古くなった電気製品が新しいものに買い替えられなければならないように、私たちにも古い自分が死に、新しい命に生かされるということが起こります。現に起こっているのです。
世界の歴史の中心にイエス・キリストの十字架と復活があります。歴史は天地創造以来、この時を目指して時を刻んできました。…そういたしますと、新約聖書だけでなく旧約聖書の中にも、十字架と復活を指し示すところがあるはずです。そこで旧約聖書を調べてみますと、これはイエス様のご受難を言っているんだなというところがいくつか見つかるのですが、復活についてはどうでしょうか。
なかなか見つけにくいのですが、ないわけではありません。その一つが今日の、枯れた骨の復活の話です。これは直接イエス様の復活を預言したところではありませんが、これに関連し、何より人間一般の復活に密接に関わるところであると言えます。
ダビデ王とソロモン王が治めたイスラエルは、ソロモン王の死後、北のイスラエルと南のユダに分裂しました。北のイスラエルは紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされ、それから百数十年たった586年、南のユダもバビロンによって滅ぼされてしまいました。エゼキエルはユダの滅亡に数年先立って捕囚としてバビロンに連れてゆかれた人です。彼は祖国を遠く離れた地で召命を受け、預言者となりました。
37章1節、「主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。」主なる神はエゼキエルを連れて、空中を飛んでいかれたのでしょうか。エゼキエルが降ろされたところは谷の真ん中で、そこは骨でいっぱいでした。エゼキエルがよく見ると、そこにある骨は甚だしく枯れていました。…枯れた骨というのは、あまり見たことがないでしょう。骨つき肉をしゃぶったあとに残る生きのいい骨ではありません。地面に横たわった死体の中で、肉はやがて土に還って行きますが、腐り切れず、溶け切れないまま残った骨が風雨にさらされて久しくなっています。それらを土に埋めてくれる人もいません。それは何なのか、神様は9節で、「霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ」と言われていますから、おびただしい骨は直接的には戦争の犠牲者ということになります。バビロンと戦って死んだユダの兵士のことがまず考えられます。
ただ、それらの枯れた骨がみな戦争の犠牲者だとすることは出来ないと思います。そもそもエゼキエルが見させられたものが、現実の光景なのか幻なのかもはっきりしないのです。私たちは、引き続き神様の言葉から判断したいと思います。神様は、今度は11節で「これらの骨はイスラエルの全家である」と言われます。殺された者なのかイスラエルの全家なのか、おそらく、殺された人たちを含めたイスラエルの民すべてということになるのでしょう。
だとすると、イスラエルの民の中には戦いで倒れた人ばかりでなく、その時生きている人が含まれるわけですから、それらがみな骨になっているのはどうしてかということになります。そこでもう一度神様の言葉を見ましょう。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。」
イスラエルの人々がその当時、置かれた状況は、まさにそのように言うしかないものでありました。国がイスラエルとユダに分裂したと申しましたが、北のイスラエルは滅びてその民が行方知らずになったため、残されたユダの人々にとっては血を分けた兄弟を失ったと同じことになりました。その後ユダは大国の間で翻弄され続け、頼みの神様も助けてくれず、戦いで多数の人命を失った上、神殿は破壊されて、みな祖国を追われ、難民のようになっていたのです。望みを失うのも当然です。「我々の骨は枯れた」、これは聖書以外では聞いたことのない言い方です。昔、「骨まで愛して」という歌がありましたが、その骨が枯れたというのは、「我々はもう死んだのだ」というよりさらに深刻な状況です。それほどに絶望がきわまっていたのです。
もっとも、これは、この時代のイスラエルの民だけの話なのでしょうか。枯れた骨に埋めつくされた谷は、程度の差はあるとしても今の世界と日本、今の私たちにも通じているのかもしれません。そうでなければ幸いなのですが。
テロや戦争、難民の発生は、世界的範囲で社会のあちこちが崩壊している兆しのようにも見えます。…私たちは亡国の民になっているわけではありません。毎日、十分な食事もとっています。しかし日本には戦争の危険が迫っているかもしれず、また、通り魔事件などに現れているように絶望と怒りが社会に満ち、心を病む人が増えています。箴言の17章22節は、「喜びを抱く心はからだを養うが、霊が沈みこんでいると骨まで枯れる」と言います。まさに骨まで枯れるような思いで生きている人も多いのではないか、「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる」というイスラエルの民の嘆きはひとごとではないのです。
神はこの冷厳な現実の中でエゼキエルに問いかけられます。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」
さて、イエス様を迎えに行ったマルタは、こう語ります。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
マルタの嘆きの言葉です。マルタはイエス様さえいて下さったならラザロは死ななかったでしょうと言うのです。…そこには、もしもイエス様がいて下さったなら、イエス様の祈りを神様がかなえて下さいますから、ラザロは死ななかったでしょうという信仰があります。マルタはイエス様の祈りの力に信頼しているのです。でもラザロは死んでしまった、もう今となっては、いくらイエス様であってもどうしようもない、ということです。
私たちはマルタが自分の思いを率直にイエス様にぶつけたことは評価できます。しかし彼女は、神が死に打ち勝たれるお方であるとまでは信じていません。マリアと同じく絶望の中にいるままなのです。とはいえ、この時点でそこまでの信仰を要求するのは無理でしょう。そこでイエス様は彼女の心の重い扉を開こうとされるのです。
イエス様は「あなたの兄弟は復活する」と語ります。これに対しマルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えます。当時、多くのユダヤ人が世の終わりの日の復活を信じていました。死者は終わりの日までずっと眠っていて、その日が来ると復活し、神の審判を受けると教えられていたのです。そのことはダニエル書に示されています。しかし、終わりの日の復活の教えはマルタを絶望から救うものではありませんでした。…そのことは存じております。でも、それを知ったとしても、今の私にどんな慰めになると言うのですか。…そのようなマルタに対して、主イエスは言われます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」
ここでイエス様は、マルタが「存じております」と言った復活について、「わたしは復活であり、命である」と言われます。これはいったいどういうことでしょうか。…イエス様がもしもこの時「あなたの兄弟は死んだけれども大丈夫だ。私は彼を復活させよう」と言われたとしたら、もっとわかりやすかったでしょう。
でも、そうは言われなかったのです。私たち人間が求めるのは、イエス様が自分に何かして下さるという言葉です。しかしイエス様は、ご自分が何をなし得るかではなく、何であられるかということをお示しになります。
イエス様はこののち「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われるのですが、これと同じような言い方ですね。イエス様はご自分が復活そのものであるから、ラザロの上で復活となられます。ご自分が命そのものであるから、ラザロの上で命となられます。これは具体的に言うと、イエス様に結ばれて生きることにこそ死を超える真の命があるということにほかなりません。
もっともこのことは、イエス様の十字架と復活を知っていないと理解することは出来ません。だからマルタもこの時点ではわからなかったと思いますが、あとになってあれはこういう意味だったのだとわかったことでしょう。
主イエスは人間の罪のために十字架にかけられて死なれ、その死から復活なさることによって罪と死に勝利なさいました。十字架と復活は、神とひとしいお方がご自分の尊い命を捨てることによって、罪に対する裁きをご自分の身に引き受けて負って下さり、その罪による死を克服された出来事です。このことがあって初めて、イエス様を救い主と信じる者は神様との関係が回復されて、死を超えた命、永遠の命が与えられます。この恵みを受けた人間にとって、肉体の死はもはや絶望ではありません。
主イエスが「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われているのは、十字架と復活による救いを受け入れて、イエス様を信じて歩む者は、この地上において死を経験しつつも、神様と結び合わされていますから、永遠の命が約束されているということです。また 「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」というのは、この世で死ぬことがないというのではなく、イエス様によって与えられる永遠の命 に生かされているのですから、死は根本的には克服されているということなのです。
マルタはイエス様から、「このことを信じるか」と問いかけられて、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」と 答えました。マルタはイエス様が言われたことが全部わかったとは言えません。
しかしイエス様が「わたしは復活であり、命である」と言ってご自身を現して下さり、そのみ言葉に触れたことが決定的な転機となって、イエス様を心の底から神の子と信じて受け入れるようになったのです。…私たちも、マルタと同じところから出発したいと思います。目に見えないイエス様ですが、私たちは信仰によって出会っています。教会でそのみ言葉を受け取っています。生きるにも死ぬにも、復活であり命であるイエス・キリストと結ばれていることこそ、死がもたらす絶望から人間を解放するただ一つの道なのです。
(祈り)
恵み深い神様。いま私たちが天からの恵みにあずかったことを感謝申し上げます。
私たちもマルタとマリアのように死の力に翻弄される者たちです。愛する者の死に直面したりすると、マルタとマリアと同じく、いくらイエス様であっても、絶望から救い出してはくれないと思いがちです。そんな生き方を続けながら、その先に自分自身の死が待っていることを恐れています。何の希望もなく、絶望の中で死んで行こうとする命をどうか憐れんで下さい。
神様、こんな弱い信仰しか持っていない者たちですが、イエス様が復活そのもの、命そのものであられるということを心に刻んで下さい。「わたしを信じる者は、死んでも生きる」というみ言葉によって立ち上がり、生涯をまっとうするようにさせて下さい。
神様、今日のみことばで、私たちがみな死をもってすべてが終わるのではなく、神様のもとに迎えられる幸いを与えられていることを信じることが出来ました。ただ、一足飛びにそこに行くのでなくて、この世でまだまだやらなければいけない務めを立派に果たしてゆくことが出来ますようにと願います。
いま、広島長束教会には病気の人がいます。菅宏さんが入院しました。小川良江さんや日野美枝子さんも病気がちです。神様、どうか一人ひとりを恵みをもって顧み、健康を回復して下さるよう、心からお願いいたします。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
死んでも生きるyoutube
ダニエル12:1~3、ヨハネ11:1~27 2017.5.7
先週に引き続き、復活に関連した聖書の言葉を受け取ってまいりましょう。
復活というのはイエス・キリストに限って起こった、歴史上ただ一度の出来事ではありません。死んだ人が復活した話は、旧約聖書にも新約聖書にもいくつかあって、その一つがラザロに起こったことです。もちろんラザロはよみがえったあと永久に生きたわけではなく、やはり他のすべての人と同じように死んでしまいましたから、その意味でこの人の復活はイエス様の復活とは違うのですが、しかしそれはイエス様の復活とそこから起こることを指し示しているのです。
ベタニアはエルサレムの東にあった村です。15スタディオンほどのところと書いてありますが、計算すると3キロ弱になります。ここにマルタとマリアとラザロが住んでおり、イエス様はたびたびその家を訪れて食事をし、宿泊されたようです。有名な話があります。イエス様が訪れたある日、マルタは接待のことで忙しく、座ってイエス様の話に聞き入っていたマリアのことで文句を言うとイエス様は言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:38~42)ここから、マリアに比べてマルタはどうだとか比較する人がいるようですが、もとより接待も大切なことでありまして、姉妹に優劣をつけるのはあまり良いことではないと思います。この出来事が起こって以降も、二人は仲の良い姉妹であったことでしょう。
2節の「このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。」、これはこのあと12章に出て来る話です。ヨハネ福音書を編集する過程で順序が逆になったのかもしれません。
5節は「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」と言います。ここで、えーっと思った人がいるかもしれません。ここから男女関係にまで想像をたくましくする人がいるのですが、それはどうでしょう。…イエス様は抽象的な人間一般を愛しておられたとは言えません。それは何にも愛していないことと同じです。誰それという具体的な人間を神の愛でもって愛されたと考えれば良いのです。
この3人は、古今東西の人間たちの代表としてイエス様の愛を受けました。のちの時代の人間はイエス様の愛を3人から受け継ぎました。その中に私たちも入っているのです。
10章40節によれば、イエス様はその時ヨルダンの向こう側にいました。この頃、イエス様に敵対する勢力はイエス様を捕らえようとしていました。イエス様はおそらく、身の危険を感じてというより、今はその時期ではないという理由で、その場所まで逃れていたのです。そこにベタニアから人が来て、ラザロの病気の報せがもたらされました。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです。」と。これがもしも私たちだったら、「すぐに来て下さい。ラザロを治して下さい」と言ったことでしょう。そんな言い方をせず「あなたの愛しておられる者が病気なのです」、それだけで通じあえる関係だったのです。二人はラザロが、主が愛しておられる者だということを知っています。その主の愛を受けとめつつ、主がその愛でもってラザロのために最善のことをして下さるという信頼があります。だから、ラザロを治して下さいと言わなくても十分だったのです。
マルタ、マリア、ラザロとイエス様の間がそれほどまでに結ばれていたというのは、私たちにとって驚きです。もちろん私たちは地上でイエス様に会い、イエス様の接待をしたり、直接お話をすることが出来ませんが、この3人のようにイエス様への深い信頼があるなら、私たちの人生は違ってくるのです。
しかしながら、ラザロの病気を知った時のイエス様の反応は全く意外なものでした。自分の愛する者が病気だと聞いたなら、取るものもとりあえずすぐにかけつけるのが普通なのに、イエス様はなお二日間同じところに滞在されたのです。
ベタニアからイエス様がおられるヨルダンの向こう側まで、角度の急な登り道になっており、歩いて8時間くらいかかるそうです。私が計算してみると、イエス様がベタニアからの報せを聞いてすぐにかけつけたとしてもラザロが死ぬ前に会うことができたかどうかは微妙なところなんですが、ここでのイエス様のふるまいはたいへん冷たいように見えます。しかしイエス様はこの時、まったく違うことをお考えでした。イエス様のお言葉からは、それはまず「この病気は死で終わるものではない」ことが明らかになるためです。そして「神の栄光のためである。」と。
イエス様はラザロが死ぬことをご存じでした。ラザロは死ぬでしょう。しかし、それで終わるのではありません。…神の栄光のためというのは、具体的には「神の子が栄光を受ける」ということです。神の子とはイエス様のことです、イエス様がこれから行うことによって栄光を受けるのです。イエス様が神であることが明らかになるのです。
こうして2日経ったあと、イエス様はラザロのもとに行くべく「もう一度、ユダヤに行こう」と言われます。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く」とも言われます。弟子たちはそれを聞いて、ラザロがただ眠っているのであれば、助かるでしょうと答えるのですが、その時点でラザロはすでに死んでいたはずです。イエス様はご自分の言葉を理解しない弟子たちに、はっきりと「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。」と言われます。かりにラザロが死んではいないで、それをイエス様が治療し、病気を治したとしたら、その行為はこれまでにも行われた病気の治療に1ページを加えるだけに留まってしまいます。イエス様がそれをはるかに超えることをなそうとしています。死んで葬られたラザロを甦らせることによって、イエス様が死と戦い、これに勝利される方であることが示される、これが神の栄光をあらわすことなのです。
この時、弟子たちは怖がっていました。ユダヤに行けばイエス様の身が危険になることを知っていたからです。トマスが「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言ったのは、自分たちも危険な目に遭うだろうと思っていたからです。
こうして主イエスと弟子たちはベタニアの村に着くと、ラザロが墓に葬られて四日もたっていました。当時の習慣では、人が死ぬとすぐに墓におさめたということです。死後四日、もう完全に死んでいたのです。
多くのユダヤ人がラザロのことで慰めに来ていましたが、マルタとマリアは悲しみにくれていました。イエス様が来られるとマルタは迎えに行きましたが、マリアは家の中で座っていました。マリアは、姉を迎えに行かせて、自分はのんきに休んでいたというのではありません。地べたに座り込んで、悲しみにくれていたのです。ここには、死という絶対的な力の前で、どうすることも出来す、絶望するしかない人間の姿があります。
こうしてイエス様とサタンとの格闘が始まりました。「どこに葬ったのか」。イエス様は死と滅びが口を開けているところに行こうとされます。復活であり命である方がその場所に向かって行きます。そうして墓をふさいでいる石を取りのけるよう命じられると、マルタが死体がにおうことを心配しました。彼女はまだイエス様を信じ切れていません。そのため「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われてしまいました。神の栄光を見るためには、イエス様の約束の言葉から離れてはなりません。
主イエスはラザロの墓の前に立つと、天を仰いで祈られました。するとラザロが出て来るのですが、これをイエス様の驚くべき力の現れというように思ってしまうと、ことの本質を過小評価することになってしまいます。…ここでよみがえったラザロはそのあと永久に生きたのではありません。だからラザロの復活をイエス様の復活と同じものとみなすことは出来ません。しかし、そこに、死によっても滅びない命が指し示されています。
主イエスはこの奇跡を何のいたみも闘いもなしに行われたのではありません。イエス様は敵対する勢力から命を狙われており、ベタニアに来たこと自体、たいへん危険なことでありました。イエス様はまさに、十字架へと向かって行くその道の途上で、死と闘われたのです。
主イエスは十字架にかけられることで、人間だれもが味わわなければならない死という現実を究極の形で引き受けられることになります。申命記21章23節は「木にかけられた死体は、神に呪われたものだ」と書きます。十字架の死はまさしく神に呪われた死でありましたが、それをこともあろうに神のみ子であり、罪のない、神と等しいお方が体験されることになるのです。…しかしながら、主イエスは復活されます。それは死が滅ぼされるということです。
人は誰もが、遅かれ早かれ死を体験しなければなりませんが、しかし、イエス・キリストが死を引き受けて下さることにおいて、死はもはや私たちを支配するものではなくなるのです。イエス様はこの世界で人間となって人間と共に生きて下さっただけでなく、死においても人間と共にいて下さいます、そうして、そこから救い出して下さるのです。
私たちはそこから今度は、ラザロの復活によってイエス様が世に示されたものを見てゆきましょう。イエス様の言葉、「もし信じるなら、神の栄光が見られる」ということはそのあとの祈りの言葉によってさらに明らかになります。イエス様は父なる神がご自分の願いをいつも聞いて下さることを感謝されますが、そう言われてその時お願いされたことはラザロを復活させて下さいということに違いありません。ラザロを復活させる目的は周りにいる群衆のためであり、父なる神がイエス様をお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためでありました。…すなわちラザロを復活させることによって神の栄光が輝きわたります。イエス様が神から遣わされた方であり、神は死を打ち滅ぼされるお方であるということが全世界に示されるのです。
岡山伝道所の三瓶長寿先生が仏教のことをいろいろ調べて、こんなことを言われました。「仏教は死の不安からの解放を教えるけれども、死からの解放とは言わない。仏教はなぜ死の中に立ち入って問題にしないのでしょう。それは死の根本原因である罪を取り上げることができないからです。罪を取り上げれば、罪の解決を取り上げなければなりません、しかしそれを取り上げることができない、罪の贖いがないからです。だから死の解決ではなく、死の不安の解決なのです。」
仏教の深遠な教えをこれだけで片づけて良いのかどうかわかりませんが、ここにはたいへん大事なことがあります。イエス・キリストは御自ら死と闘い、死の中に入って行かれ、そうして死を打ち滅ぼされたということです。これは仏教を初めその他のどの宗教にもないことです。
イエス様が「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれると、死んだラザロが手と足を布で巻かれたまま出て来ました。ぐるぐる巻きで丸太ん棒のようなラザロがどうやって出て来たのか、ぴょんぴょん飛んできたのかという人がいるくらいで、実際の光景がどうであったかよくわからないところがありますが。死体という命のない物体は、「出て来なさい」というイエス様の言葉によって新たに命を吹き込まれて出て来たのです。
皆さんの中に、信仰を持ちながら復活は信じられないという人がおられたら、その信仰自体を疑う必要があります。
信仰を持つとは、無から有を生じさせる神のみわざが自分たちの上にも起こることを信じることではないでしょうか。広島長束教会の召天者の方々も、皆イエス様と出会って神様と結ばれた人生を歩み、死に臨んでもイエス様にすべてをゆだね、イエス様に名前を呼ばれて「出て来なさい」と言われる日を待ち望みつつ新しい命の中へと入ってゆかれました。ですから皆、何もない無の世界とか、私たちが全く手の届かない所に行ったのではありません。この方たちは私たち今生きている者と、ただ神様においてつながっています。
皆さんもいつの日か、この世でのつとめを終え、深い眠りにつくでしょう。しかし、いつまでも眠り続けるのではありません。あなたの名前が呼ばれるのです。「だれだれさん、出て来なさい」。その声を聞いたら、迷わず起き上がってそこに歩いてゆけば良いのです。そこに救い主イエス・キリストがおられます。イエス様のまわりには数限りない人々がいて、その中には先に世を去った私たちの愛する人たちもいることでしょう。
生と死を隔てる断絶は打ち破られました。イエス・キリストは召天者たちばかりでなく、私たちをも導いて下さるのです。
(祈り)
すべての命の源である主イエス・キリストの父なる神様。いま、ラザロの復活のお話を通して、私たちの愛する召天者の方々に与えられた神様の恵みを思って感謝いたします。召天者の方々が私たちの目の前から取り去られたことは、本当に悲しいことでしたが、この方たちが死に直面して何の望みも持たない人たちのようではなく、永遠の命を受ける喜びの中で生きて行かれたことを思い、心に光が指してくるのを覚えます。どうか私たちの心に、召天者たちが聞くことの出来た神様のみ声を聞かせて下さい。この人々にならって、死においてもとぎれることのない命を生きる者とさせて下さい。その恵みにあずかるためにも、神様の変わらぬ愛がいつまでもこの教会で語りつがれてゆきますようにと願います。
召天者のご遺族を特にかえりみ、慰めと励ましを与えて下さい。
この祈りを主イエス・キリストのみ名によっておささげいたします。アーメン。
イエス、ラザロを生き返らせるyoutube
箴言8:35~36、ヨハネ11:28~44
2017.5.14
私たちは今日の礼拝を召天者記念礼拝として神様に捧げております。ここで記念されている人たちは、覚えている人がほとんどいないような昔の方から、比較的最近亡くなられた方まで、すべて広島長束教会に関係のある方々です。 召天者とひとくくりにされていますが、その一人ひとりが、私たちや教会の諸先輩たちにとって大切な両親、配偶者、兄弟、姉妹、また自分の子供でありました。また親しい友人、先輩、信仰の友でありました。
死によって愛する者との別れを経験していない方はここにはおられないはずです。その悲しみは、世を去った方への愛情が深ければ深いほど、大きな傷となって残っています。この人たちは私たちの手からもぎ取られるように去って行かれました。死という出来事がこの世界の中で吹き抜ける時、きのうまで元気で笑っていた者も呼吸を止め、冷たい死骸となって横たわっているのです。私たちは悲しみ、うろたえ、泣きながらこの方々を葬ってきました。
愛する人たちの死は残された者の心に大きな穴を開けます。しかし、人はそれを埋めるものを持っていません。…私たちも、あの人はどこに行ったのかと思いながらも、それを誰かに問うすべもなく、時の過ぎ行くままに悲しみの涙も次第に乾き、日々の営みに追われているうちにいつしか彼らの面影も遠くなってゆくということを経験しています。しかし、それは死という問題の本当の解決ではないのです。
死というのはいったい何であって、死んだ人たちはどこに行ったのでしょう。どうしたら先に世を去った愛する人たちと再び会うことが出来るのでしょう。しかしこれは大変困難な問題でありまして、死者と私たちの間は、絶対に越えられない断絶のようなものによって遮断されているのです。
先に世を去った愛する人と再び会いたい、これを実現させることを人間は昔からを考え、行ってきました。そこで考えられたのが、死者と直接会話しようとするものです。そのために霊媒とか口寄せと呼ばれる人が出て来るのですが、いったいそんなことで本当に死者と話が出来るのか、私はわかりません。霊媒は裏声を使って死者の声を出しているという説があり、ここから腹話術が誕生したそうです。ただ、トリックを用いていなかったとしても、いかがわしさをぬぐうことは出来ません。キリスト教では霊媒などを用いて死者と話をすることは厳しく退けられています。なぜならばそれは、神様を通さずに、神様以外の何か別の力を用いて死者と交わろうとすることだからです。
私たちはあくまで神様を中心に考え、行っていかなければなりません。そのために与えられているのがラザロの復活の話で、イエス・キリストが人間の生と死の問題にどういう解答を与えられたが示されているのです。
エルサレムの近くのベタニアという村に主イエスが愛しておられた家族がいました。マルタ、マリアとその兄弟ラザロです。このラザロが病気になったという知らせがイエス様のもとに届き、イエス様はその知らせから二日ののちに出発されましたが、ベタニアに到着された時、ラザロはすでに死んでいました。墓に葬られてから四日にもなっていたのです。
この時代、遺体は火葬にせず、洞穴の中に安置して入り口を石でふさいでいました。11章21節によると、イエス様が来られた時、マルタがかけつけて「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言います。あとからイエス様のもとに行ったマリアも同じことを言いました。イエス様はマリアたちが泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮し、泣かれました。そうして墓に出向いて、父なる神に祈りをささげると、大声で「ラザロ、出て来なさい」と叫ばれました。するとラザロが立ち上がって出て来たというのです。
これはたいへんなことでありまして、考えれば考えるほど不思議なのですが、ある意味で、そのこと以上に不思議なのが、そこにいたるイエス様の数々の言動です。これを考えることによって、この出来事の本質に迫って行きたいと思います。
主イエスはラザロが病気だという知らせを受け取った時、すぐにかけつけることをしませんでした。4節では、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるためである。」と発言されています。ご自分がなさることによって神の栄光が現わされる、それはつまり神の子であるご自分が栄光を受けるのだということです。そのためにはラザロが確実に死んだあとにベタニアに戻ることが必要です。つまりラザロを復活させることは予定の行動でありました。だとすると、イエス様がここで激しい感情の起伏を表されるのはどうしてなのでしょうか。
33節、「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた」。35節、「イエスは涙を流された」…。イエス様にはこういう面もあったのかと思われた方がおられたかもしれません。ここで私たちは、イエス様の感情の高ぶりが何に対してであったかということを考えましょう。…イエス様は泣いている人たちを見て憤られたのではありません。イエス様がマリアたちと同じ思いを共有していることは確かですが、しかし、それにとどまるものでもありません。
イエス様は、愛する者の死を通して、さらに根源的なものを見つめておられます。…ラザロを奪い去った死、それによって表される罪の勝利、人間をこのような悲惨な状態に陥れてしまうサタンの力に対する激しい怒りがそこにあるのです。…そのことがわからないユダヤ人たちは、「御覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか」と言いましたが、「愛しておられた」ではなくて、「愛しておられる」のです。イエス様の愛は、その人が死んだからといって断ち切られてしまうものではありません。
しかし、そんな中において、これ以上心強いことがないと言えるのが、神がわたしたちの味方となって下さったことです。では、それはどういう方法でなされたのでしょう。私たちが何かよからぬことを企てた時に、突然お腹が痛くなってそれが出来なかったとしたら、そこに神のご意向が働いていたのでしょうか。…パウロは神のなさったことを単刀直入に述べます。それが「その御子をさえ惜しまず死に渡された」ことでした。み子イエス・キリストが十字架にかかって死んで下さることによって、神は敵と戦って下さったのです。…イエス様が人間の罪に対する神の怒りを一身に引き受ける以外に、私たちを訴える敵と戦うことは出来なかったのです。
私たちの敵であるサタンが、直接的なのか間接的なのかわかりませんが、父なる神のみ前で、この人はこんなよごれた心の持ち主で、こんな悪いことをしていましたと言う時、その訴え自体は正しいのです。私たちは誰も神のみ前に立つことが出来ない者たちです。神のみ前では誰も立っていられない、目を開けていられない、滅びに落とされるしかない、…それが私たちです。そんな私たちをイエス・キリストは神のみ前でとりなして下さいます。…それは、法廷ドラマに出て来るような悪徳弁護士のようにではありません。悪徳弁護士なら黒を白と言いくるめて、真犯人を口先三寸で無罪にしてしまうのですが、そのような不正な方法を用いることはありえません。神はご自分の独り子を私たちの身代わりとして死に渡して下さったのです。神の独り子主イエス・キリストが、私たちの全ての罪を背負って十字架にかかって死んで下さり、本当なら私たち罪人(つみびと)が受けなければならない罰を代って担って下さったのです。御子キリストのこの身代わりの死に免じて、私たちは罪を赦されます。だから、サタンがこの人はこんな悪事をしましたと訴えたとしても、神はその人を罪に定め、永遠の滅びに落とすことは出来ません。
神はこのようにして私たちを訴える敵と戦い、勝利して下さったのです。
イエス・キリストがこのような働きをされるためには、十字架の死のあと、復活され、そして天に昇り、父なる神の右に座られることが必要でした。34節はこう書いています。「死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」
神が私たちを義として、罪を赦して下さる恵み、すなわち神が私たちの味方となって下さる恵みは、主イエスの十字架の死によってばかりでなく、復活によって、そして天に昇り、父なる神の右に座っておられる主イエスが今もして下さっている執り成しによって与えられているのです。
私たちは、主イエス・キリストによって与えられる救いを、ただ十字架の死においてだけ見ていたかもしれません。もちろん十字架は、私たちの救いにおいて決定的に重要な出来事です。しかし、パウロは「死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエス」ということを強調していることに注目して下さい。死んだイエス様が復活しないで、そのまま神の右に座って、私たちのために執り成しているというのではありません。神の右におられるのは、たしかに復活して今も生きておられるイエス様なのです。
復活し、いま天におられるイエス・キリストの執成しのお働きというのは、いつ訪れるのかその時がわからない終わりの日だけに関わるものではありません。自分は救われることが決まっている、だから少々悪いことをしても大丈夫などと思いませんように。神に選ばれて、救いの恵みにあずかった者たちが、(そして、これから、そのような恵みにあずかるだろう者たちが)、だからといってなおも罪の中にとどまることは出来ません。
私たちは死んだ方、否、復活させられた方であるイエス様によって、神様と結ばれています。そうであるなら、自分が死へと定められた者であると思うことはないし、その先の永遠の滅びも恐れる必要はないのです。復活されたイエス様が私たちをご自分のものとして下さいました。私たちは言葉では尽くせぬこの恵みによって生かされ、イエス様の似姿へと変えられて行くのです。
(祈り)
イエス様を信じる者に永遠の命を賜う神様。今み言葉を聞いて、これまで、まるでイエス様の復活などなかったかのように、あきらめの中で生きている心が私たちの中にあったことを知り、み前にざんげいたします。私たちがみな夢と希望にあふれる人生を送っていれば良いのですが、中には、自分の前に死とその先の滅びしか見えない人がいるかもしれません。神様、どうか私たちそれぞれに残された人生の日々をたいせつに生きていくことが出来ますように。そして死に直面した時であっても、その先にある神様からの光を見せて下さい。イエス様は私たちに先立って、死の中に分け入って下さり、死を打ち破って下さいました。このイエス様を主として礼拝する恵みを感謝いたします。
とうとき主のみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
神と結ばれて生きる
詩編44:23、ロマ8:31~39
2017.5.21
イエス・キリストがこの世界においでになった頃、毎週土曜日が安息日でありまして、その日に礼拝が行われていました。それが日曜日に礼拝するように変更されたのは、イエス様が日曜日に復活なさったためでした。キリスト教会は2000年にわたる歴史を通して、イエス様の復活をお祝いし続けているのです。
教会にとって、これ以上ないほどに大切な復活の出来事ですが、実際にはイースターの日以外、語られることが少ないかもしれないと思います。礼拝説教においてそうですし、信仰者のふだんの会話の中でもそうです。復活という言葉を出さなくてもいいのです。イエス様が復活なさった、だから自分の人生も死で終わることはないということが、その人の生き方とか口から出る言葉のはしはしから現れ出ていくことを願っていますが、中にはイエス様の復活など全くなかったような人生を過ごしている人がいないとはいえません。そこで私は、ふだんの礼拝の中でも復活を意識して語ることを心がけようと思って、その一環として今年も、イースターのあと復活を主題としたお話をしてきたわけです。
私たちは聖書から、イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなられたあと、陰府にくだり、復活され、40日後に昇天して、全能の父なる神のもとに行かれたことを教えられています。ただこれらのことは、信者であるなしに関わらず、どの一つを取ってみても大変な、驚くべきことに違いありません。…それまで福音に全くふれていなかった人が聞いたら、これは本当なのかと疑う前に、いったいそのことが、自分にとってどういう意味があるのかと思うのではないでしょうか。人が汗水流して働いて、お金をかせぎ、ご飯を食べたりする生活の中に突然、雲をつかむような話が飛び込んでくるのですから。ふだん目にしている世界とはまるで違う次元の話ですから、とまどうのは当然です。けれども教会につながっている人ならば、それが架空のものでも空想が作りあげたものでもないことが、だんだんわかってくるのです。…聖書が語っている目に見えない世界のことが私たちに届いて、私たちの人生を導くのでなければ、人は、自分はいったい何のために生まれて何のために苦労を重ね、何のためにこの世を去っていくのか、本当のところがわからないまま人生を終えることになるでしょう。
十字架上で亡くなられたイエス・キリストが復活なさったことは、なかなか信じにくいことです。イエス様の弟子たちでもそうでしたから、まして私たちはということになります。教会の中でも復活を頭では理解していても、心の中ではそうでない人がいますが、復活を本当に信じている人とそうでない人とでは、人生がまったく違ってしまいます。
パウロはフィリピ書3章10節で、「わたしは、キリストとその復活の力とを知り」たいと書いています。パウロはこの時なぜ十字架の力と言わなかったのでしょう。パウロは別の場所で、「十字架の言葉は、わたしたち救われる者には神の力です」と書いてますが、十字架の力という言葉が直接出て来るところありません。私たちはキリストの復活から力を受け取るべきですが、現状はまだそこまで行っていないようです。それは日本国内の多くの教会でも言えることでありましょう。
日本のキリスト者の中で復活を信じない人がおり、神学者と呼ばれる人の中にもそういう人がいるようです。その人はイエス様を救い主だと信じていますから、イエス様が罪人(つみびと)の身代わりとなって神の怒りを引き受けて死んだことは認めているのです。しかし、もしもイエス様が復活なさらなかったとしたら…、死んだイエス様はどこに行かれたのでしょう。本当に天に昇られたのでしょうか。もしかすると、ずっと死の世界におられることになるのかもしれませんね。…そうしますと今度は、イエス様の死が本当に罪人(つみびと)の身代わりの死だったかどうかもはっきりしなくなるのです。
かりにイエス様が復活されなかったとしたら、その死は十字架にかけられた他の人々とほとんど同じことになってしまわないでしょうか。それは死の勝利を示すこと、イスラエル民族に与えられた信仰の中では神に呪われた死のままで終わるということです。イエス様を信じる人にとっても、果たしてその死が人間の罪を赦すものであるかどうか確証が与えられないのです。…そうしますと、私たち人間にとって、永遠の命が与えられる道が開かれたかどうかも定かではなくなってしまうでしょう。…けれども神はイエス様を復活させました。そのことは、神がイエス様の死を受け入れられ、ここにこそ救いへの道があることを証明されたことを意味しているのです。
こんな話を聞きました。ある高齢の女性がだんだん体が弱っていくにつれて、「死にたくない、死にたくない」と言うので、家族の人も暗い気持ちになって、「おばあちゃんの部屋に行くのがいやになる」と言うようになったそうです。
この人は自分が死んだあとどうなるのかわからず、どこか暗いところに落ち込んで行くのではないかと思って不安でたまらなかったのでしょう。
これとは逆に、日曜学校に通っていた子供が重病にかかって死んだ時、「イエス様が側にいて下さいます。お父さんもお母さんも心配しないで下さい」と言って息を引き取ったそうです。その顔は本当に安心しきって、美しく、清らかだったので、両親も心を打たれ、悲しみの中にもやがて教会に足を運ぶようになったということです。老婦人はおびえ、子供は平安の中で、共に死を迎えています。この違いはどこから来るのでしょう。
…老婦人は天地を創造した神を知らず、キリストの復活も知らないから、死とは暗黒そのものでありました。一方、子供の方は、天地を創造した神を知っており、キリストの愛のうちに生きていましたから、死を超えた永遠の命に包まれて、平安の内に旅立って行ったのです。キリストの復活の力がこの子供には与えられていたのです。
それでは、私たちにキリストの復活を疑わせ、永遠の命から遠ざけ、滅びのふちへと追い落とそうとしている力について、考えてみましょう。それは、ライバルとか商売がたきではありません。パウロは33節で、「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう」、34節で「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう」と書きます。パウロがそこで見ている敵というのは、私たちの行く手を邪魔している人ではありません。神の前で私たちを訴え、罪に定め、永遠の滅びへと引きずりこもうとしている力なのです。聖書はそれをサタンとか悪魔とか呼んでいます。
サタンはそれ自身永遠の滅びに定められた存在で、今が最後の悪あがきをしている時期にあたります。サタンの力は本当は小さいのですが、人がこれを恐れるので、実際以上に強く見積もられています。サタンは今も世界中から、自分の道連れとなって一緒に滅びの道を進んでくれる人を探しまわっています。その誘いにのって何より大切な自分の魂を売り渡し、栄耀栄華を極めた人生をおくったところで、その最後はみじめなものでしかありません。その人が「しまった、サタンのせいで自分は一生をだいなしにしてしまった」と悟った時にはもう遅すぎるのです。サタンは高笑いしていることでしょう。サタンがしていることというのは、神の前で神に選ばれた者たちを訴え、罪に定めることと言ってさしつかえありません。サタンがその証人なのです。
私たちは、姦淫の罪を犯していないからと言って神の前で誇ることは出来ません。
あの姦通の女に石を投げようとしていた人々が、主イエスから「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われるまで気づかなかった罪、すなわち自分で自分を正しいとする自己義認の罪、偽善の罪、人を裁こうとする罪です。自分を神の位置に置き、他人を見下して罪に定める。それが叶わない時に出て来る悪しき思いと行いを、パウロは列挙します。
「怒り、憤り」は神の御業なのに、驕り高ぶった人間は神に代わって怒ることが当然であるかのように振る舞います。「そしり」と訳されている言葉は、神を汚すことを意味しますが、また同時に、神のかたちに造られた人間をののしることをも意味しています。私たちがこのような罪の力をどうにも出来ないことについては、ヤコブ書(ヤコブの手紙)3章にこう書かれています。「舌を制御できる人は一人もいません。・・・わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」。皆さん、これが人間の現実なのです。憎しみという野獣を折に閉じ込め、飼い慣らすことが出来ると信じ込んでいるのです。それを私たちは殺さなければならないのに、それらはまだ生きており、時々牙をむいて、飼い主を脅かしているのです。怒りの言葉は草花の種のように、ばら撒かれて落ちた場所で、更に怒りを生み出します。怒りによって不安が増すと、人は他人を支配することでそれを抑えようとしますが、それによって更に大きな不安と恐れに沈んでしまいます。では私たちはどうすれば良いのでしょうか。
9節後半から10節に答えがあります。「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」。「脱ぎ捨てる」と訳されている言葉は、聖書ではここともう一箇所、この手紙の2章15節だけでしか使われていません。そこにはこう書かれています。「(神は)もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました」。この「武装解除する」というのがこの言葉の意味です。つまり、私たちを操っている様々な悪しき力は、もはや戦う力を失っているのです。キリストが十字架と復活の出来事によってこれらを打ち負かしてくださったからです。その勝利は、神の御子であるキリストが、その栄光の衣を捨てて私たちの所に来てくださり、服を剥ぎ取られて十字架にかけられることによって実現しました。ですから私たちは何も恐れることはありません。私たちを神の恵みから遠ざけようとする敵は、いわば切られたトカゲの尻尾みたいなもので、暫くの間、のた打ち回っているだけなのです。後はただ私たち自身が神の恵みに抵抗するのを止めればいいのです。
そして私たちは既に、新しい人であるキリストを身に着けています。洗礼を受ける者が、水に浸される前に服を脱ぎ、新しい衣を着るように、キリストの御姿を纏っているのです。神はかつて、御自分に象って人間を創造なさいました。私たちは神の似姿として造られながら、それに相応しくあることが出来ませんでしたが、キリストによって造り直されたのです。キリストにあって、ついに人間は神の意図された通りの者になることが出来るのです。私たちが自分で自分を新しくするのでなく、神がそうしてくださいます。それだけでなく、「日々新たにされる」のです。それは、第二コリント書の4章で、パウロがこう書いている通りです。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」。もし私たちが新しい命に生きる者でないなら、老いることは滅びに向かうことであり、嘆き悲しむ他ありませんが、キリストと共に死んで、キリストと共に復活させられたなら、古い体が朽ちて行くのはむしろ喜びであり、感謝すべきことなのです。この体がキリストに似たものに変えられて行く、しかもそれは「真の知識に達する」まで続くという約束を私たちは与えられています。「真の知識」とは神を知る知識、キリストを通して神の思いを知り、行うための知識です。ですから、私たちは希望を持つことが出来ます。私たちは上からキリストを着ました。それはぴったり引っ付いて離れません。無理に脱ごうとするなら、つまり、私たちがなおも罪を犯そうとするなら、痛みを感じるでしょう。それなら、私たちはもうキリストの体の一部であり、やがて復活の命に与る者とされるはずです。今はまだ、復活の命は神の内に隠されていますが、終りの日に明らかにされます。この新しい命は、私たちが誘惑に負けないように戦った結果として与えられるものではありません。そうではなく、これは出発点なのです。まず神が、私たちに新しい命を与えてくださいました。それを私たちは無償で受け取るように招かれています。そこから始まるのです。キリスト者の行いは、良い人であろうとする努力の結果ではありません。そうではなく、キリストの体に結びついた結果なのです。
かつて神なしに生きていた私たちは、神のかたちを失い、人間性を失い、様々な欲望の奴隷となり、生きていても死んでいるのと同じでしたが、天から、上から、新しい命を与えられました。キリストは復活された後、天に挙げられましたが、それは父なる神の御許から、私たちに聖霊を降すためでした。それによって私たちは、私たちの一部ではなく私たち自身が、私たちの業の全てが、私たちの生き方が新しくされるのです。このように新しくされた私たちは、キリストを通して、父なる神の栄光をこの世で現す者とされるのです。
上にあるものを求めなさい
詩編11.1~3 コロサイ信徒3.1~11
2017.05.28 山本盾伝道師
愛する兄弟姉妹の皆さん、私たちは今日、復活節最後の主の日の礼拝を守っています。教会の暦では、一昨日金曜日が昇天日でした。つまり、復活なさった神の御子イエス・キリストが、地上を離れて天に昇られ、父なる神の御許にお帰りになった後、残された弟子たちが、主から受けた約束を信じて御霊の注ぎを待ち望んで祈りを献げていた、その日々を今私たちは過ごしている訳です。ですから、こうして皆さんと一緒に、コロサイ書3章から「上にあるものを求めなさい」という教えを学ぶのは、この時期に相応しいことだと思います。今日の箇所を示してくださった主に感謝しますと共に、聖霊が私たちに御言葉を説き明かしてくださることを願います。では、今日も聖書のメッセージに耳を傾けましょう。
本日お読みします「コロサイの信徒への手紙」は、使徒パウロがエフェソの町で投獄されていた時、コロサイ教会の信徒に宛てて書いた手紙であると言われております。パウロはコロサイを訪れたことはありませんでしたが、彼の同労者であり、コロサイ教会の創設者であるエパフラスという人が、獄中のパウロを訪ねて指示を仰いだ結果生まれたのが、この手紙です。第二コリント書(コリントの信徒への手紙二)の1章でパウロ自身が語っているところによりますと、彼はエフェソで耐え難い苦難を被ったために生きる望みさえ失っていましたが、死の危険から救われて、「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」(Ⅱコリ1:9)。その信仰によって、出来たばかりの若い教会を励ます内容となっております。コロサイの信徒は異邦人でしたから、私たちと同じように、異教の教えに由来する間違った考え方に影響され易いところがありました。また、聖書の正しい理解に立たずにキリストの福音を拒んでいた、律法主義的なユダヤ教徒に惑わされることもあったようです。そんな彼らにパウロはこう勧めます。「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」。キリストを信じる私たちは、キリストと共に復活させられました。ここで大事なことが三つ語られています。第一に、私たちは将来、終りの日に復活することを信じていますが、それはただの約束ではないということです。復活の命は既に私たちの中で生きているのです。第二に、キリストは勝手に復活なさったのではなく、神によって「復活させられた」のです。私たちもそうです。ですから、復活の命に生きるということは、神の御旨に適うことであるはずです。私たちを復活させてくださった神の御心は、真の人間、つまり、神に仕える思いと行いが一つとなった人間を造り出すことにあります。第三に、だからこそ私たちは、「キリストと共に」復活させられたのです。真の神であり、真の人であるキリストと結ばれて復活したからこそ、私たちは新しい命に生きることが出来るのです。そのような私たちは「上にあるもの」を求めなければなりません。「上」とは、父なる神のおられる天を指しています。パウロはこの手紙の冒頭で、コロサイの信徒たちの信仰と愛は、「あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づく」と書いています。天は希望に満ちたところなのです。一体どんな希望でしょうか。1節の後半でパウロは言います。「そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」。
天では私たちの救い主、イエス・キリストが、私たちの代表として父なる神から栄光をお受けになっておられます。私たちもまた、キリストに結ばれている故に、その場に招かれているのです。私たちは今、地上におりますが、遥かにそれを仰ぎ見て、希望を持つことが出来るのです。
そのような私たちにパウロは更に勧めます。「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」。「上のもの」「地上のもの」と言っても、精神的なものと物質的なものという意味ではありません。「上のもの」とは天のもの、すなわち神から頂くもの、キリストを通して与えられたもの、私たちに注がれた聖霊であり、私たちを生かす命です。反対に「地上のもの」とは、この手紙の2章で詳しく説明されていますが、「人間の言い伝えにすぎない哲学」であり、「人の規則や教えによるもの」であり、「世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません」。ですから、それらは皆やがて滅びてしまうものなのです。そのような空しいものを私たちが求めないために、パウロは3節と4節で復活の奥義を明かします。「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう」。皆さん、私たちは死んだのです。私たちの古い命は死にました。これは洗礼を意味しています。パウロはこの手紙の2章でこう語っています。「あなたがたは・・・洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」。人は誰でも死にます。それは避けられませんけれども、神によって救いへと招かれた私たちは、もう一つ別の死に方を選ぶことが出来ます。それはキリストの死に与る死に方です。洗礼はそれを指し示しています。私たちの教会では、古代の教会で行っていたように、受洗者を水に沈めたりはしませんが、元々洗礼は、水によって私たちが罪を洗い流され、清められることを意味していると同時に、私たちが一度死んで生まれ変わることをも意味しています。キリストは私たちの罪を背負って十字架におかかりになったと私たちは信じておりますが、それはまた、罪に支配されていた古い体が滅ぼされたことを信じている、ということでもあります。私たちはキリストの十字架によって贖われ、罪の力から解放され、自由にされました。それは、キリストと共に生きる自由です。私たちは新しい命を得ましたが、それはこの世で直接目に見えるものではありません。それは「天に蓄えられている」のであって、父なる神の内におられるキリストによってのみ、見ることが出来るのです。
パウロはこのことを根拠にして、5節から4章6節まで、倫理的な勧めを語っています。今日はその最初の箇所だけですが、一節ずつ見てまいりましょう。まず彼はこう言います。「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨てなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない」。この文章の前半は、口語訳聖書では次のように訳されています。「だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい」。こちらの方がより原文に近い翻訳になっています。ここにはいろいろな悪徳が並べられていますが、それらは地上の肢体、すなわち、手や足など体の一部であるとパウロは言います。
つまり、私たちの悪い行いは人間に付属している性質などではなく、人間そのものなのです。ですから私たちはそれを殺してしまわなければならないのです。
私たちには、パウロの言うことは少し厳し過ぎるように感じられます。しかし、主イエスも弟子たちにお命じになりました。「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい」。五体満足でいようとして滅びの道を選んでしまうよりは、片手片足、片目になっても命に与る方が良い、と主イエスは仰います。それは、裁きはそれほど厳しいものだからというよりも、キリストと共に生きる永遠の命とはそれほど尊いものだから、だから何としてでも救いに与りなさい、という教えなのです。
「みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望」とは、主に性的な不品行、男女や夫婦の間の自然な性的関係を逸脱した思いや行いを意味します。これらの罪は、私たちの手には負えないものです。勿論、ここにお集まりの紳士淑女の皆さんには全然当てはまらないことなのですが、若い頃この罪に苦しんだ経験を持つ人は少なくないのです。例えば、アウグスティヌスが若い頃に快楽に身を任せていたことを『告白』という本の中で綴っているのは有名です。また現在でも、多くの青年がこの罪のために信仰の成長を妨げられて躓いてしまっています。私自身もその例に漏れず、悩まされてきたことを告白しない訳にはいきません。そして、現代は甚だしく性の商品化が進んでおり、劣情を掻き立てるあらゆる情報が巷に氾濫しております。この罪の力に抵抗するのがますます困難になっている状況なのですが、これに対して弱い私たちはついつい、「本能だから仕方ない」とか「誰でもやっていることだ」などと言い訳してしまいます。しかし、姦淫は、神が合わせてくださった男女の尊い関係である結婚の秩序を汚し、私たちの人間性を破壊してしまう恐ろしい罪なのです!それは私たちの気づかない内に、私たちの魂を腐らせてしまいます。例えて言うなら、壊疽を患った手足のようなものです。それは体全体を蝕む前に切り落とさなければなりません。それなのに私たちは、心を誘惑に委ね、欲望を直ちに殺さないばかりか、むしろそれを大切に守ろうとしてしまいます。なぜでしょうか。パウロは五つの悪徳の最後に貪欲を置いて、それを「偶像礼拝にほかならない」と説明します。貪りの罪は、神とは違うものを神として、身を捧げることです。貪欲に溺れている人は、物を神としています。また、不品行に陥っている人は、不倫の相手をもいわば自分の神のようにして奉ります。しかし、そのようにして命の源である方から顔を背け、別の道を歩む者は、死を追い求めているのです。このような悪がそれを行う人々を殺す前に、それら自体を殺す必要があります。そうしなければ、「神の怒りは不従順な者たちに下ります」。神さまはこのような行為がたまたまお嫌いなので、気まぐれに人を罰するのでしょうか?そうではありません。義なる神は、どこまでも正しいお方ですから、この世で人間の欲望の犠牲になり、権利を奪われ続けている人たちの側にお立ちになり、御心に従わずに貪り続ける者たちに、天から怒りを下されるのです。
パウロはそのように警告した後、8節9節で次のように勧めます。「今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません」。
知られていない神さまyoutube
使徒17:22~34 2017.6.4
私たちはいま教会でこうして礼拝していますが、何を礼拝しているのでしょう。もちろん神様です。…でも教会から外に出てみると、神様と言われているものはほかにもたくさんありますね。神社には何があるでしょうか。神主さんなら、ここには神様が祀られていますと言うでしょう。お寺にある仏像を神様のように崇めて拝む人もたくさんいます。…そればかりではありません。太陽を神様だと信じている人がいます。生きている人間が神様にされてしまうこともあります。…そうしますと、日本は神様だらけになってしまいますね。本当の神様とそうではないにせの神様が混じっていて、どれが本当の神さまでどれがにせの神様か、なかなかわからなくなっているのです。同じようなことは、世界中にあります。
皆さんはパウロさんという人を知っていますか。パウロさんは今から約2000年の昔、鉄道も飛行機もなかった時代に、海を越え、山を越えて、それこそ世界中をまわってイエス様のことを伝えていった人です。パウロさんはギリシアの国のアテネの都までやって来ました。アテネには、知恵の女神アテナを祭る神殿があって、今も残っています。ギリシアでは昔、アテナの他にもゼウスとかビーナスとかヘラクレスとかいった神様を信じる人がたくさんいたのですが、パウロさんはそんな町で本当の神様のことを伝えようとしました。
アテネの人たちは、何か新しいことを話したり聞いたりすることが大好きでした。パウロさんが話しているのを見ると、アレオパゴスという大きな石のところに連れてきて、「ここでしゃべって下さい。私たちはあなたが語っている教えがどんなものなのか知りたいのです」と頼みました。そこでパウロさんは話し始めました。「アテネの皆さん、私はこの都に来て、あなたがたが真剣に神様を求めていることがようくわかりました。道を歩きながら、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。」
パウロさんが見つけたものが何だったのか、考えてみましょう。…パウロさんはアテネに着くと、まず町を歩いてみました。すると大きな神殿があるだけではありません。町のいたるところに金や銀や石で造った神様の像があって、それを拝む人がたくさんいたのです。パウロさんはそんな神様など信じていませんから、腹が立ってしかたがありません。ところがそんな時ふしぎなものを見つけました。おそらく石でつくられた祭壇で、そこに「知られざる神に」と刻まれていたのです。「知られざる神に」とは「知られない神に」、つまり「私たちが知らない神様に」ということなんです。
アテネの人たちはなぜそんなものを造ったのでしょうか。この町にはすでにたくさんの神様の像がありました。多くの人がその神様たちを信じていたのですが、しかし、中には信じられない人もいたのです。…ゼウスの神様も、アテナの神様もにせものの神様にちがいない。本当の神様はどこにいるのだろう。本当の神様を礼拝したいなあ。でも本当の神様はどこにおられるかわからないから、自分たちが知らない本当の神様のために祭壇を造っておこう、と考えたのでした。「私たちが知らない本当の神様、どうか私たちに恵みを与えて下さい。私たちを救ってください」、この祭壇の前に集まった人たちはきっと、そんなことを祈っていたのでしょう。
皆さんは、この人たちの願いはかなえられたと思いますか。…そうです。かなえられたのです。パウロさんが来たからです。パウロさんは言いました。「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」
アテネの町のあちこちにあった金や銀や石で造られた神様たち、それは話すことが出来ません、誰かがこわそうとしてもやめさせる力ももっていないのです。そんなものが神様ですか。…では人間が神様になることは出来ますか。出来ません。…太陽は、人間がこわすことのできない大きな力を持っていますが、では神様だと言えますか。もちろんそれらみんな神様とは言えません。金や銀や石や、人間や太陽、それらすべてを造られた方こそが本当の神様なのです。
皆さん、考えてみて下さい。皆さんが座っている椅子、これはひとりでに出来上がったものですか。そんなことはありませんね。誰かが作ったから椅子が出来あがったのです。…では次に人間の体を考えてみましょう。人間の体というのは知れば知るほどふしぎで複雑なしくみを持っています。人間が同じものを造ろうとしても出来ないのです。これが、誰も作っていないのにひとりでに出来上がるなんてことがありますか。ありませんね。じゃあ、誰が人間の体を造ったのでしょう、…それは神様以外にないのです。
宇宙と世界のすべて、地球も、山も川も大陸も海も、そして人間も、動物も、植物も作られたのが、パウロさんが伝え、教会で語っている本当の神様です。この神様を石などで造ることは絶対に出来ません。
世界のすべてを創られた神様が、次になさったとっても大事なことがイエス様をお遣わしになったことです。イエス様は十字架につけられて死なれましたが、神様はイエス様を復活させました。そうして、すべての人に向かって、この方を救い主として信じなさいと呼びかけておられるのです。
パウロさんの前にいた人たちは、初めの内は静かに聞いていたのでしょう。本当の神様がおられるというのは素晴らしいことですから。ところがパウロさんがイエス様が復活されたことを語り始めると、「イエス様が復活したって。そんなばかなことがあるか」とあざ笑う人が出ました。「その話はまたあとで聞かせてもらうことにしよう」と言ってそのまま帰ってしまった人たちもいました。ではみんな帰ってしまったのでしょうか。そうではありません。パウロさんの話を聞いて、私たちが知らなかった本当の神様とはこの方なのだとわかって、神様とイエス様を信じた人たちがいました。
こうして、アテネの都の暗い夜が去って明るい朝が来ました。本当の神様を信じる人たちが起こされ、教会が出来たのです。
今日はペンテコステ、世界で初めて教会が出来た日、教会の誕生日です。それまで世界ではさまざまな神様が信じられていました。でもそれらはみんな人間が頭で考えた神様でした。本当の神様は宇宙と世界のすべてを造られたばかりでなく、イエス様を遣わされることによって世界を救おうとなさり、教会をたてられました。こうして、すべての人が本当の神様を礼拝し、幸せな人生をおくることが出来るようにして下さったのです。
神様は、私たちが知らないお方ではありません。私たちを愛して、私たちの前に来て下さる神様に感謝いたします。
(祈り)
天の父なる神様。
太陽は神様ではありません。石などで造ったものも神様ではありません。生身の人間が神様になることも出来ません。そのようなにせものの神様ではなく、本当の神様が私たち一人ひとりのことを愛し、私たちの前に現れて下さったことを感謝いたします。
神様はイエス様を派遣して、教会を建て、私たちが本当の神様に出会うことが出来るようにして下さいました。本当の神様でなければ、私たちを救うことは出来ません。
神様、今ここには赤ちゃん(子供)から、おじいちゃんおばあちゃんまでいます。どうかここにいるすべての人の上に聖霊が注がれて、今よりさらに多く神様の素晴らしさに目覚めることが出来ますようにして下さい。この祈りを、イエス様の御名によってみ前にお捧げいたします。アーメン。
エルサレムから散っていった人たちの行き先ですが、ユダヤは近隣ですが、サマリアというのはユダヤ人がもっとも嫌っていた民族でした。だから、良きサマリア人の話があるのです。そこに入って行くというのはそれまでの常識では考えられない、想像を絶することであったでしょう。
サマリア人は昔イスラエル王国が南北に分裂していた時の、北王国の生き残りです。北王国が紀元前586年にアッシリアによって滅ぼされた時、おもだった人々はアッシリアに連れ去られ、そのまま行方知らずになってしまいました。で、連れて行かれずに残った人々と入植したアッシリア人が混血して出来あがったのがサマリア人。ユダヤ人は、お前たちは異邦人の血が混じっているから神の民とは認めないという態度を取りました。そこで彼らは自分たちで神殿を建て、旧約聖書の最初の5つの書物だけを正典とする信仰を守っていたのです。
ユダヤからサマリアに向かうというのは、私たちで言えばどこかの仮想敵国に向かうようなものです。どうしてそんなことが出来たのか。ここで復活後のイエス様の言葉を思いだして頂きたいのですが、使徒言行録1章8節にこういう言葉があります。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」…イエス様は、神の子たちをユダヤに、そして近くて遠い民の地サマリアに、そして地の果てという順序で遣わそうとされていたのです。
皆さんは、4節の言葉に注目して下さい。「さて、散っていった人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」…この人々は迫害から逃れて行ったわけですから、いわば難民と言えます。旧約時代の偉大な預言者エリヤでさえ、迫害から逃げて行った時に自分の命が絶えることを願って、神様に泣き言を言いました。エルサレム教会の人々が、意気消沈して絶望に陥ったとしても何らおかしくない状況だったのです。少なくとも信仰の中心であるエルサレム教会には当面帰ることが出来ません。けれども、そんな中で、福音を告げ知らせながら巡り歩いた、これは驚くべきことではないでしょうか。
いったい彼らは意気揚々として福音を語っていったのでしょうか。それとも、苦しい生活の中で声をふりしぼるようにして、それでも神様から与えられる恵みを語っていったのでしょうか。これについては残念ながら想像するほかありません。
ただ5節からはフィリポの伝道の話になっています。フィリポはステファノと一緒に選ばれた人々の一人で教会の指導者ですから、キリストを宣べ伝えたのはわかるのですが、伝道はフィリピひとりに託されているのではありません。「散っていった人々は」と書いてますから、すべての信徒が主体となって福音を告げ知らせていったことがわかります。
これまでの世界の歴史の中で、このようなことがたびたび起こっています。昔イギリスではピューリタン、清教徒と呼ばれる人々が迫害され、とうとうイギリスにいられなくなって、メイフラワー号などに乗って大西洋を渡って行きましたが、これがキリスト教国とされるアメリカの基になっています。…隣の朝鮮半島では、北朝鮮を逃れたキリスト者が韓国の各地に散らばりました。私が韓国をバスで巡った時、小さな村にも立派な教会が建っているのを見て驚きましたが、そういう背景があったのです。…中国でも1966年から10年続いた文化大革命の時、政府に公認された教会も閉鎖され、聖書も没収されて、牧師も工場や農村に送られて労働に従事させられました。しかし、心に蓄えたみ言葉によってかえって豊かに信仰を養われ、また彼らが絶望しないで困難に耐え続けたのを見て、文革終了後多くの人が教会に来るようになったことが報告されています(「中国のキリスト者はかく信ず」新教新書151ページ)。
つまり迫害や、迫害によって散らされてゆくことは、人間の目からはたいへんな災難に見えるのですが、神様から見て決してそうではないのです。それは信仰の種を各地に蒔いてゆくことであるのです。エルサレムから逃げて行った一人ひとりは、とりたてて力があるわけでもなく、学問があるわけでもなく、いってみれば普通の人々だったでしょう。しかし、そこに神の全能の力が働いていたのです。
教会に対して迫害が起こり、信徒が各地に散らされるということは、今の日本ではちょっと考えられませんが、そこまで行かずとも信仰によって不利益をこうむるということはあるでしょう。しかし信仰者は転んでもただでは起きません。困難な時にこそ神が支えて下さるからです。神の働きは、それまで失った損害を取り戻して余りあるものとなるのです。
私たちの、これまであまり順調とは言えなかった人生であっても、それが主イエスと父なる神によって用いられたら、それは大きく花開くものとなるのです。私たちの誰も、自分のためだけに生き、自分のためだけに死ぬのではありません。生きるなら主のために生き、死ぬのなら主のために死にたいものです。生きるにしても死ぬにしても、私たちのすべてが主のものだからです。
(祈り)
恵みと憐れみに富みたもう神様。今日の礼拝において、迫害に遭遇した教会に起こったことを学びましたが、私たちがそこにおいて恐怖ではなく、力と勇気を与えられたことを感謝申し上げます。今の日本で、信仰を持つことで迫害されることはありませんが、日本にはかつてキリシタンの弾圧という出来事があり、また今日でも信仰者であることで損をすることがないとはいえません。神様の力が働いているのを見たとき、サタンがこれを切り崩そうとするのは当然だからです。どうか私たちに勇気を与えて下さい。
一方、私たちが自分は正しい信仰を持っていると過信するあまり、自分とは違った信仰を持つ人への迫害に手を染めてしまうことがないとはいえません。そうなることもサタンの誘惑でありましょう。
神様、どうか私たちが主イエスの十字架のもとに堅く立つことで、自分の罪を滅ぼしていただくと共に、イエス様の望まれる平和への道へと導いて下さい。とうとき主イエスの御名によって、この祈りをささげます。アーメン。
福音を語りながらyoutube
列王上19:1~8、使徒8:1~8 2017.6.18
今日は、ステファノの死をきっかけに何が起こったかということを学びましょう。
信仰と聖霊に満ちている人ステファノは、みことばを語ることにおいても、不思議な業としるしを行うことにおいても目覚ましい働きをしていましたが、とらえられて最高法院に連れて行かれ、形ばかりの裁判を、それもが終了しない内に激高した人々によって殺されてしまいました。ステファノはこうしてキリスト教会最初の殉教者となったのですが、私はたびたび申し上げているように、むやみに殉教をたたえることには慎重でありたいと考えております。キリストのために死ぬことが必要な場合は確かにあります。しかしキリストのために生き抜くことが必要な場合があり、こちらの方がはるかに多いのだということをまずわきまえて頂きたいと思います。…とはいっても、やはり殉教が神様によって用いられることがあります。イエス・キリストご自身がそうでありました。イエス・キリストは、十字架の死に先立ってこう教えられています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)。一粒の種、それは見たところ小石と変わりません。しかしそこには将来芽を出し、大地に根を伸ばし、花を咲かせ、信じられいほど大きくなって、豊かな実を結ぶだけのものがそこに入っているのです。キリストという一粒の麦は死なれることによって、全世界の人々をご自分のもとに集めるだけの大きな実が実ることになったのですが、それはキリストを殺した世界が思いもよらないことでありました。ステファノの死も、これに連なることだったのです。
使徒言行録の8章は「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」というところから始まります。サウロはご存じのようにのちのパウロです。まずこの人についてお話ししましょう。
サウロに最初に登場するのは7章58節です。「証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」ステファノが殺される時、サウロが主導的な役割を果たしたかどうかはわかりませんが、彼がステファノの殺害に賛成していたことと、人々の着ているものをあずかることでこれに協力していたことは確かです。
この時期のサウロについては、のちに彼自身が証言しています。22章3節からこう書いてあります。「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。
そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。」
サウロの先生であったガマリエルという人は、ファリサイ派に属する教師でした。サウロはこの人のもとで熱心に神に仕え律法を学ぶうちに、イエス様の教えとイエス様に従う者たちがどうしても許せなくなりました。異端の教えが広がってゆこうとしている、そう判断したサウロは、積極的に迫害のわざに加わっていたのです。
サウロにとって、神に熱心に仕えることと異端を撲滅することはかたく結びついていました。私たちはサウロがのちに劇的な体験をして回心し、今度は自分が迫害したイエス様の教えを説くようになることを知っており、神のなさりように驚くと共にたたえています。もちろんそのこと自体は正しいことであり、当然のことでもあるのですが、ただ、今のこの時代にあってさらに考えなければならないことも多いと思われます。というのは、私たちは、自分を迫害の被害者の立場からだけ考えることが多く、よもや迫害の加害者になっているかもしれないとは思ってもみないからです。自分がいじめられている時は迫害、迫害と言い立てながら、自分がいじめている時は頬かむりすることがありませんように。
サウロは異端を撲滅することに精魂をかたむけましたが、同じようなことは歴史の中で繰り返し起こってきています。今年はマルティン・ルターによる宗教改革から500年の記念の年ですが、ルターが改革を始めると、ルターと彼に従うプロテスタント教会は厳しい迫害にさらされました。しかしプロテスタント教会が雪のように純白だったのではありません、今度は、カトリック教会や、また同じプロテスタントの中の別のグループを迫害するということが起こりました。今も世界のどこかで起こっているかもしれません。
…神に忠実なのは自分たちだけだと見なす時、自分とは違う教えはサタンから来たものと考えて、その信徒たちを迫害することこそ神のみこころだと信じることになりがちなのです。…実際、サタンの教えとしか思えないものがありますから、事は非常に複雑です。例えばアメリカでは、19世紀に、従来のキリスト教各派と、自分ではキリスト教だと称しているモルモン教の間で、激しい憎悪と迫害、殺人事件を含む衝突が起こりましたが、相手が完全に間違っているとしても全面否定したり、殺しても良いかと言われると、そうではないのです。
先日、イエズス会長束黙想の家で行われた、宗教改革500年「争いから交わりへ」祈りの集いは、こういう問題に対して、一つの答えを与えてくれました。ルーテル教会とカトリック教会は、信仰の一致に向けて第一歩を踏み出しました。かつて互いに異端だとみなしていた教会同士が対話、相互理解、そして宣教のために共に働くことを目指しているのです、この動きに、私たち改革派につらなる教会も大きな関心を寄せています。この日の集会では、まずキリスト教各教派の間で信仰の一致を目指し、それと共に他宗教、たとえばイスラム教との対話ということもかかげられました。そこに私たちが異端とみなしている教派との対話も入ってくるのかどうか。もちろん私たちは、信仰の根幹を揺るがせにすること出来ないので、問題はたいへんに難しいのですが、神様が望んでところまで一歩でも二歩でも進んで行かなくてはなりません。
さて、ステファノが殺されたその日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こりました。教会員の数はそれまで、ペンテコステの日に三千人、ペトロとヨハネの語った言葉を聞いて信じた人が男だけで五千人ということですから、どんなに少なくとも八千人を超える人々が大混乱に陥りました。牢屋に放りこまれる人がおり、殺された人もいたはずですが、むざむざ相手の手の内に入るわけには行きません。そこで、ユダヤとサマリアの地方に散って行ったのですが、そこでどうやって生計を立てていくかも大問題であったでしょう。
12人の使徒たちはエルサレムに留まりました。その理由は想像するほかないのですが、参考になるのはかつてイエス・キリストが言われた言葉です。「羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っている。」(ヨハネ10:12~14)…自分の羊を置いて逃げ出すわけにはいかない、ということではなかったかと思います。
2節は、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだと書いています。これはちょっとわからないんですね。ある人は、教会の信徒が皆、各地に散って行ったのだから、この人々は信徒じゃない、これはステファノが教会の外の人たちにまで尊敬されていた証拠だと考えました。もっとも、信徒たちがエルサレムから逃げ出す前にステファノを葬り、大変悲しんだと考えられなくもありません。真相は不明ですが、石打ちの刑に処せられたステファノのことで当局に申し出て、遺体を引き取り、葬るというのは、身の危険が伴う、たいへん勇気のいることでした。
私たちは、もの言わぬ偶像に向かってお願いごとをしているのではありません。祈りは神様との対話であって、神様の応答が必ずあります。それがすぐに与えられる場合も、何十年もあとになって与えられる場合もありますが。…祈りによって人は少しずつ変えられて行きます。その意味でも、言葉数が多く、一方的にぺらぺら、くどくどと述べる祈りはほめられません。
この世では、たとえば平社員が会社の社長と話す時に、くどくどぺらぺらということはまずないでしょう。相手が神様であればなおさらのことです。…言葉数は少なくて良いのです、あれもこれも全部言わなくて良いのです、…そのかわり心をこめて祈りましょう。神がその祈りに応えて下さることを信じて祈りましょう。
神は天にいまし、私たちは地上の低いところにいます。神と自分の間にある無限の隔たりを見つめ、み前に沈黙することから、本当の祈りが始まるのです。神はその時、沈黙した口を開いて、祈りの言葉を与えて下さるでしょう。
コヘレトは三番目に、誓いに関することを語ります。「神に願をかけたら、誓いを果たすのを遅らせてはならない。…願をかけておきながらも誓いを果たさないなら、願をかけないほうがよい」。
こんなことが言われるのは、当時、実行の伴わない誓願がとても多かったということなのでしょう。それでいて、そのことをあまり気にするふうでもなかったとすれば、神様がずいぶん軽く見られていたことになります。コヘレトが失望するのも当然です。
神に願をかけることの具体的な例としては、一つは創世記に出て来るヤコブの祈りがあります。「ヤコブは誓願を立てて言った。『神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。』」(創世記28:20~22)
サムエル記上の初めにハンナの祈りというのがあります。不妊に悩む女性ハンナは涙ながらに神様に、男の子を授けて下さるなら、その子の一生を主におささげしまうと誓っています。神様は彼女に御心をとめられたので、ついに男の子が与えられました。新約聖書では使徒言行録18章18節に「パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。」と書いてあります。パウロが何を願って誓願を立てたのかは不明です。
神様がこれをして下さったらこれこれのことをします、あるいはこれこれのことをしますから神様こうして下さい…これが願をかけるということです。では、私たちはそのような祈りをして良いのかという疑問が起こります。それは何か神様と取引しているように思えなくもないですし、実際にそんな祈りもあるでしょうが、ハンナの涙ながらの祈りをみると、願をかけることがあっても良いように思えます。こういう祈りについては、単純に全部まとめていい悪いと言えるものではないようなので、別な機会に改めてお話ししたいと考えています。
ただ、いずれにしても、神様に願をかけながら、誓いを果たさない人間の姿をコヘレトは見ました。そこには、神様に向かって私はこれこれのことをしますからと言ったのにそれをしない人、また神様に願ったことがかなえられたのに自分が約束したことはすっかり忘れてしまった人がいたのでしょう。そんなことでは、初めから願をかけるな、となるのは当然です。
コヘレトのことですから、神殿での礼拝が形骸化し、言葉数の多い、くどくどぺらぺらしゃべる祈りが横行したり、願をかけておきながら誓いを果たさない人間を見ることは、彼をまたしても絶望に追いやることだったでしょう。…みんな神様をみくびっています。今そこにある信仰の堕落、これを何とか元の状態に戻そうとコヘレトは、絶望の中に一縷の希望を込めて「神を畏れ敬え」と呼びかけるのです。
「神を畏れ敬え」、この言葉を私たちも誠実に受けとめなければなりません。
先に私は、礼拝は私たちの罪をあばく場所だということをお話ししましたが、これを聞いて改めて神への畏れの気持ちをいだいた人がいたはずです。神は不信仰な者たちを滅ぼすことの出来るお方です。けれども、神はそんな人間のためにイエス・キリストをおくって下さいました。コヘレトはキリストのことを知りませんでしたが。キリストがおられることで、私たちは足を慎まないで教会に行くことが出来ます。言葉数ばかり多い祈りをしなくてすみます。さらに神の前での誓いの言葉を実行することが出来るのです。私たちは、そのことを知った時に、さらに神への畏れの気持ちが増していくのではないでしょうか。
もしもキリストが来られなかったなら、恐るべき神の前にどうしてよいかわからない私たちですが、キリストがおられるがゆえに、神をおそれつつも、自由に、のびやかに生きる生き方が出来るのです。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる御神様。いまキリストの恵みの中で、コヘレトの言葉を学ぶことが出来ました。コヘレトはこの世のあらゆることに絶望したあと、再び信仰の世界を求めましたが、そこでも絶望せざるをえませんでした。私たちも自分を見つめれば見つめるほどコヘレトの絶望がよくわかります。何より神様への畏れが足りません。そこから出て来ることは、口に出せないほどです。
しかしながら、神様はイエス・キリストによってその絶望から救い出される道を備えて下さいました。まことにキリストこそ教会を清め、私たちを神様の前で罪が滅ぼされた者として立たせて下さる方であられることを思って、神様を賛美いたします。
広島長束教会の礼拝も神様を怒らせるさまざまな問題があるかと思いますが、神様、どうか私たちに教会への足を慎むようなことを命じないで下さい。この教会で、私たちの口から出る祈りの言葉をどうか清めて下さい。そうして、ここに集う私たち一人ひとりの生活を顧みて下さい。特にいま病床で危険な状況にある信仰の友に、病と闘う力を与えて下さい。主のみ名によって、この祈りを捧げます。アーメン
言葉数を少なくせよyoutube
コヘレト4:17~5:6、ヤコブ3:9~12 2017.6.25
これまで皆さんに、人生の空しさを見つめ、思索を続けるコヘレトの旅につきあって頂きました。その中には聞いていて憂鬱になるような言葉が多くありました。しかし今日のところには、そういう言葉はないようで、少しほっとしている人がいるかもしれません。そのかわり、奇妙な言葉が並んでいます。
17節をご覧下さい。「神殿に通う足を慎むがよい」。これは不思議な言葉です。そうではないでしょうか。……昔のイスラエルの人たちは、一年のうち何度も神殿に行って礼拝しました。その足を慎むがよいと言うのです。これは今の私たちに置き換えると、教会に通う足を慎むがよいということになります。
私たちが夜の街を歩こうとする時にコヘレトが出てきて、あそこは誘惑が多いし、車がたくさん通って危険だから、足を慎むが良いと言われるならまだわかります。しかし「神殿に通う足を慎むがよい!」。よりによって、教会に足を運ぶことを慎めとは!…私も皆さんも、一人でも多くの人が教会に来てほしいと願っています。それなのにこんな言葉が出てくるので面食らってしまうのです。
コヘレトはこれまで、死によって終わってしまう、空しい人生が価値ある人生になることを求めて、知識を探求し、事業を始めたり、快楽を追求したりしましたが、それらはすべては空しいことでありました。そこで彼は、自分を取り巻く社会に目を転じるのですが、そこは矛盾に満ち、虐げられた人々があふれていました。では、理想の社会を来たらせるために立ち上げれば良いのでしょうか。…しかし「偉大な指導者」に熱狂したり、革命の理想を信じてそこに全身全霊、身を投じたとしても、やがてはそれらすべてが歴史の中で埋もれてしまうのです。コヘレトは、政治的行動もやはり空しさに覆われていることを知ったのです。
そこでコヘレトは、もう一度、信仰の世界に救いを求め、そこから慰めを得ようとしたのです。しかし、それですぐに彼の真理探究の旅が大成功の内に終わったのではありません。というのは、万人にとって心のよりどころとなるべき信仰そのものが堕落していることを見たからです。そのことは彼を絶望に追いやったと考えられるのです。
エルサレムにあった神殿では、過越祭など年に三度の大きな祭りを初めとしてさまざまな活動が行われていました。積極的に宮詣でを行うことは敬虔な信徒の常でありました。当時、宮詣でが礼拝だったのです。むろんそれはたいへん善いことでした。
…ところがそれが半ば習慣化し、義務となり、機械的に守られるということが起きていました。信仰がマンネリ化していたのです。…そんなに信じてもいないのに、義務だから、みんながやっているからということで礼拝を守ろうとする人が多かったのだと思います。そんな信仰ではコヘレトを満足させることは出来ませんでした。
この時代は今と違って、いけにえの動物を焼いて神に捧げる礼拝が行われていました。それはそれで、心を込めて礼拝すれば良いのですが、しかしコヘレトはその中にある偽善を見破っていました。「悪いことをしても自覚しないような愚か者は、供え物をするよりも、聞き従う方がよい」。いったいそんな人の供え物を神はお喜びになられるでしょうか。…同じようなことは預言者サムエルも言ってました。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。」(Ⅰサムエル15:22)
コヘレトは、ただ習慣に従って神殿でいけにえの動物を捧げるより、祭司の言葉をしっかり聞いて、神に従うことこそとうといのだと言うのです。神殿で祭司を通して神の言葉に耳を傾けることが、供え物をするよりはるかに大切だと。供え物がいけないのではありません。供え物さえしてればいいのだと思ってしまうことが戒められているのです。それは神が喜ばれる信仰ではありません。
この時代と今では、礼拝の仕方は大きく変わりました。いけにえをささげる礼拝は、イエス・キリストがご自身を十字架上でささげられてから必要がなくなりました。しかしみ言葉に聞き従うことは、あの時代と変わらず、いやあの時代以上に求められるようになっています。
もしかしたら私たちは軽い気持ちで、教会に集まっているかもしれません。初めて教会に来る人ならそれで良いのですが、そうでないなら、「足を慎むがよい」と言われたことの意味をかみしめて頂きたいのです。…私たちが会議に出たり、講演会や音楽会に行ったりする時に「足を慎むがよい」などと言われることはありません。私たちは必要なら国会議事堂の前まで行って、集会に参加することも出来ます。人間が人間と向かい合う時には、足を慎むようなことは必要ないのです。しかし、はるか昔にこういうことがありました。神がモーセの前に初めて現れた時、神はおっしゃられました。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
神殿は、そして教会は、人間が人間に語りかける場ではありません。
もちろん私は、自分の人間としての限界の中でみ言葉を語っているのですが、
神がこの欠けた器を用い、これを通して皆さんに語りかけているのです。この場に神がおられ、この集まりを導いて下さっている限り、「神殿に通う足を慎むがよい」との言葉は意味を持っているのです。
神がみ言葉をもって語りかけて下さる礼拝の場、これはいくぶん裁判所に似たところがあります。皆さんは礼拝で生きたみ言葉にふれたとき、自分の罪が明るみに出されるような感じになったことはないでしょうか。神の言葉はまるで鋭利な刃物のように、私たちの罪をあばきだします。礼拝は私たちに対する神様からの、有罪判決が発せられる場所です。このことを知ったら、誰が恐れないでいられましょう。
もちろん、だからと言って、神殿に入らないのが良かったわけではなく、教会の前まで来ながら、決心がつかずに帰ってしまうことを勧めているのではありません。……神が聖なるお方であることをわきまえて、畏れと賛美をもって教会に入り、礼拝する人こそ、まことに教会に足を運ぶ人なのです。
さてコヘレトは続けて、神殿での祈りについて語ります。神殿は祈るためにもあるからですが、その時に注意しなければなりません。「言葉数を少なくせよ」、これは日常生活の中でぺらぺらしゃべることを言っているのではないんですね。コヘレトが注意を呼びかけるのは祈りの言葉についてです。当時、やたらに長くて饒舌な祈りがあったのでしょう。「言葉数を少なくせよ」、これは信仰に入ってから相当の年月が経ち、自他ともに深い信仰を持っていると認められている人こそかみしめたい言葉です。
祈りが価値を持つかどうかは言葉が多いか少ないかではありません。皆さんの中には、自分は祈りの言葉がなかなか出て来ない、それにひきかえあの人の祈りは言葉がよどみなく出て羨ましいと思ったことがあるかもしれません。しかし神はそんなことで祈りに優劣を定めることはなさいません。…主イエスも「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない」と教えられました(マタイ6:7)。…聞いた話ですが、ある教会のAという人は祈り会の時にいつも10も20も願い事を並べていました。次に祈る人は困ったそうです。というのは自分が祈ろうとしていたことがみんな先に祈られてしまうからですが、それはともかくとして、もしもAさんが一回の祈りでたくさんのことを願いながら、その時に、神様は自分の願いを全部かなえては下さらないだろう、10のうち1つだけかなえて下さったらいいとしよう、なんて気持ちだったとしたらどうでしょう。Aさんは、神の全能の力を信じていません。この人の軽い、口先だけの祈りを神様が喜ばれるとは思えません。
ペトロとヨハネが手を置いて祈ると、人々は聖霊を受けたのですが、ここは解釈がなかなか難しいところです。第一に不思議なのは、ここでは、人は洗礼を受けてから、聖霊を受けているのですが、その順序がすべてにおいて当てはまるわけではないのです。このあと10章の終わりの方では、ペトロが語り続けている時に聖霊が降り、そのあと、そこにいた人々が洗礼を受けたと書いてあります。使徒言行録の中で、洗礼を受けてから聖霊を受ける話と、聖霊を受けてから洗礼を受ける話があるので、いったい本当の順序はどうなんだということになります。
第二に、ある人はここから、フィリポには聖霊を与える権限がない、それは使徒たちしか出来ないのだ、と考えました。そうなると、使徒たちがサマリアに向かった目的も、フィリポには出来ないことを行うためだということになります。しかし聖書の中には、この先9章に、使徒ではないアナニアがサウロの頭に手を置いて祈ると、サウロが聖霊に満たされたという話があります。ですから、誰が聖霊を与える権限を持っているのかと考えると、行きづまってしまいます。
人間が聖霊をコントロールできると考えるところから、間違いが起こります。仮に、低い位の聖職者ではだめで、高い位の聖書者だけが聖霊を与える権限があるとなりますと、高い位の聖職者はだから偉いんだとなりそうですが、聖書はそんなことを教えているのではなのです。聖霊は神であられますから、人間の意向とは関わりなく自由に、思いのままに活動されます。日本基督改革派教会の榊原康夫先生は、大胆に想像することを許されるならという前提で、ユダヤ人が嫌っていたサマリアに誕生した教会と、エルサレムにあるユダヤ人の教会が、二つの別な教会ではなく、一つの教会であることを悟らせるために、聖霊はわざわざ、エルサレム教会の使節が来た時に降られたのではないかと言っておられます。…どの国、どの民族の中にあっても、教会は一つであることがこの時初めて教えられたのです。
さて、ここでもう一度シモンについて見てゆきたいと思います。シモンで不思議なのは、彼が洗礼を受けたことです。シモンはおそらくフィリポが行った素晴らしいしるしと奇跡を見て、洗礼を願い出たのでしょうが、フィリポはなぜそれを許可したのかがよくわかりません。もしも私がフィリポの立場にいたら、シモンが洗礼を願い出てから、洗礼を執行するまでに相当の期間を置くのですが。
カルヴァンは、シモンがキリストを信じたのは、彼自身だけのためより全民衆のためであった、神はサマリア人が神と信じたこの人を打ち負かそうとしたのだ、と解釈しています。カルヴァン先生は、シモンはただ信じているふりをしていたとまでは見なしていません。少しは信じていた、ただ本当の信仰と全くの見せかけの間に中間的なところにいたために、ほどなく馬脚を現すことになったのだというのです。
シモンは、使徒たちが人々の上に手を置いて祈ると、人々が聖霊を受けたのを見て、金(かね)を持ってきて、自分にもその力を与えて下さいと申し出ました。シモンの間違いはまず、自分に聖霊を与えられることを願わなかったことにあります。彼は洗礼を受けましたが、聖霊を受けてはいませんでした。聖霊の恵みを求めてもいなかったのでしょう。彼は自分に聖霊が与えられるよう申し出るべきでしたが、それをすることもなく、いきなり聖霊を下す力を得ようとしました、それもお金でもって。
聖霊が降るかどうかは、聖霊の自由な働きによるのです。たとえペトロやヨハネであっても、聖霊に指図することはできません。二人は人々の上に手を置いて祈りました。それに応えて聖霊が降ったのです。かりに聖霊が降ってこないということがあっても、それは人間の力でどうすることも出来ません。シモンの罪は、神の賜物である聖霊を自分の力でコントロールし、よからぬ目的のために使おうとしたところにあったのですが、同じような間違いは歴史の中で繰り返されてきました。私たちの教会も心しておかなければなりません。
初代教会の時代、聖霊は目に見えるはっきりした顕著なしるしをもって働いていました。今の時代にそんなことはめったに見ることがありません。そこで、現代の教会も初代教会のようであらねばならないと考える人がいます。そうやって聖霊を求め、礼拝が熱狂的になることがあるのですが、ただ熱が下がると、今度は死んだようになってしまうものです。皆さんの中には、この教会に、また自分の上に聖霊が働いているのだろうかと思った人がいるかもしれませんが、聖霊は働いているのです。そもそもこの場所にこの教会が建てられたこと自体、聖霊の働きです。目に見えなくても、確かに働いている聖霊に促されて、私たちの歩みがあることを信じて、祈りましょう。
(祈り)
世界を支配したもう、イエス・キリストの父なる神様。迫害によってそれまで足を踏み入れたことのない地に追いやられながら、その中で力強くみ言葉を語って行った人々の上に、聖霊の生きた働きがあったことを覚えて、神様を賛美いたします。
私たちは、この人々よりはるかに安全な境遇にいます。しかし、信仰にも勇気にも欠けていることを覚えます。魔術から解放されて、新しい世界に飛び込んで行ったサマリアの人々の喜びにも縁遠いかもしれません。神様、どうか私たち一人ひとりを聖霊によって導き、信仰の初心を思い起こさせて、自分がもともとどこにいたのか、そして信仰を与えられたことでどれほどの恵みが与えられたかを確かめることが出来ますように。現在、信者になっていない人には、救いを乞い求める思いを与えて下さい。
神様、私たちは自分のことで精いっぱいで、教会のこととかこの国のことなどなかなか自分の問題として考えることが出来ない者たちです。しかし、どうかそれぞれが生きている場所に光を照らし、そこが苦しみの中であっても神様の力が働く場として下さい。そうして自分に与えられた課題と誠実に取り組むことによって、おそれ多いことですが、私たちを神様の栄光を輝かす者として下さいますように。
とうとき主イエスの御名によって、この祈りをささげます。アーメン。
魔術師シモンyoutube
ミカ書5章9~12、使徒8:4~25 2017.7.1
今日のお話の題名は「魔術師シモン」です。説教を作る前は、ここで魔術のことを多少調べてお話ししようと思っていたのですが考えが甘すぎました。ある牧師が言うには、「魔術を題材にして語ることは面白いかもしれないが、われわれの救いにとってそれほど意味があることだとは思われない。」…確かにそうでした。そこで、魔術のことより、これと対決した信仰者に力点を置いて、お話ししようと思います。
ステファノが殉教の死をとげたその日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こって、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散らされてしまいましたが、その中にフィリポがいました。
12使徒の中にもフィリポがいますが別人です。こちらのフィリポは以前、ステファノと一緒に教会の仕事のために選ばれた7人の内の一人です。彼はサマリアの町に行きました。ご存じのように、ユダヤ人とサマリア人は犬猿の仲でした。先祖をたどれば同じ人々に行き着くのですが、仮に動物に例えるとユダヤ人は純血種でサマリア人は雑種、サマリア人はユダヤ人と違って異邦人との混血民族でした。信仰的にはユダヤ人が旧約聖書を全部信じているのに対し、サマリア人は旧約聖書の最初の5つの書物だけを信じています。ユダヤ人にはエルサレム神殿がありますが、サマリア人はゲリジム山というところに自分たちの神殿を持っていました。…というわけで、ユダヤ人がサマリアに行くのはなかなか勇気がいることだったと思います。サマリア人は怖いとか、あそこに行って無事に帰って来れるだろうか、なんて思いが共有されていたのでしょうが、フィリポはあえてその場所に向かったのです。
そもそもユダヤ人とサマリア人の壁を取り払ったのは、イエス・キリストでありました。イエス様はサマリアの町で、井戸に水くみに来たサマリアの女性にこう言われました。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」(ヨハネ4:23)と。イエス様が切り開いた道を今フィリポが歩いています。フィリポは迫害を逃れてきたわけですから、命からがら、とるものもとりあえずということだったかもしれません。普通なら、人々から憐れみを受けても、自分から人々に差し出せるものは何もないようなところですが、その状態で彼は人々にキリストを宣べ伝えていったのです。
…キリストを宣べ伝える、それは、かつてキリストがこういうことをしました、このように生きました、そして死んだということではありません。今も生きて、働いておられるキリストを語っていったのです。
この時、しるしが伴いました。汚れた霊に取りつかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行ったというのがそれです。十字架上で殺されたけれども復活されたキリストの力がそこに現れているのです。汚れた霊、すなわち悪霊というのは、ある意味、聖なるお方をもっともよく知っています。だから、キリストが本当に生きて働いているところから、ほうほうのていで逃げ出すしかなかったのです。…もう一つ、多くの中風患者や足の不自由な人がいやしてもらったというのも、キリストがおられるからこそ起きたことです。そこに神の国が誕生したことを私たちは見ているのです。
フィリポの宣教は、このサマリアの町を根本的に変えることになりました。
この町には以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、自分で自分を偉大な人物だと言っていました。人々は「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言っていたのです。この「偉大な人物」というのは、研究者によると他の宗教で、神々が自分を呼ぶときに使う言葉らしいのです。「偉大なものといわれる神の力」、これも「神々」と結びついた言葉です。シモンは、自分で自分を神々の一人にしていたようなのです。また、魔術を使って人々を驚かせた、この「驚かす」というのは原文ではエクセステーという言葉が使われています。ここからエクスタシー、恍惚という言葉が生まれました。シモンは人々をびっくりさせ、我を忘れさせて自分のとりこにし、そのことで人々の心を支配していたのです。
サマリアの人々は、魔術などを信じてしまう、単純な、だまされやすい人々だったのでしょうか。そんなことは言えません。現代でも、魔術が手を変え品を変え、人間の心を支配しようとしているのです。さすがに、堂々と魔術だと宣言しているのは少ないのですが。…オウム真理教は魔術という言葉は使わなかった、でも超能力と言ったのです。教えを信じて修行すれば超能力を身につけることが出来ると。これで多くの若者がころっとだまされてしまった…。
今でも、魔術が本当の顔を隠して活動しているのではないでしょうか。…私たちにしても、占いに頼ったり、縁起をかついだり、神様を介さずに死者と話をすることを求めたり、ということはごく身近にあるわけです。
…私もそうでした。私が結婚する時、この二人には子どもが生まれないという占い師の声が聞こえてきました。で結婚すると、なぜか、妻がなかなか妊娠しません。私は、占いが当たっているのかなという思いが一瞬心をよぎったのですが、これではだめだと、祈って神様に謝ったものです。結局、子どもは結婚4年目に生まれました。…魔術的なものに心が引かれるというのは、多くの人の心にあります。それは神様ではない、何か別の、得体の知れない力に自分の心をゆだねていることから起こる現象です。
それでは、魔術に心を奪われていたサマリアの人々がどうして、フィリポが宣べ伝えるイエス・キリストを信じて、洗礼を受けるようになったのでしょう。聖書に書いてあることから、おおよそ次のように考えられます。皆さんは、ここでシモンとフィリポの違いに目を留めて下さい。シモンは魔術を行って、自分は偉大な者だと称していましたが、これに対しフィリポは、神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせていたのです。魔術とはそのからくりはどうあれ、ふつうの人が汗水流して働いて獲得するものを、一挙に、ほとんど苦労することなく手に入れることだと考えられます。シモンは魔術を行って、あっと言う間に名声を手に入れ、自分を神のように見なして人々の心を支配しましたが、フィリポは自分の名声など求めてはいません。むろん自分を神とすることはなく、ひたすら死んでよみがえったキリストを語り伝えていました。そして、そこにキリスト御自身が聖霊において現臨されていたのです。キリストの名によって人々は生まれ変わり、救われました。新しい人生が始まったのです。もはや魔術が人々の心につけ入るすきはありませんでした。
エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞いて、ペトロとヨハネを向かわせました。エルサレムの教会の方では、おそらくサマリアでの伝道が進展するなんて予想していなかったのでしょう。思いもかけない嬉しいニュースが飛び込んできたので驚いて、あわてて二人の派遣を決めたのではないでしょうか。サマリアに行って、実際にその場を見て喜びを分かち合いたいし、フィリポだけじゃ手が足りないだろう、使徒が直接行くことで生まれたばかりのサマリアの教会の土台を確固なものにしたいという目的があったのだろうと思います。
ペトロとヨハネはサマリアに着くと、聖霊を受けるようにと人々のために祈りました。その理由は16節によると、人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからでした。
そして大金をはたいてイザヤ書の巻物を買うと帰国の途につき、馬車に揺られながらそれを読んでいたのです、
この人がフィリポと会った時に読んでいたのはイザヤ書53章ですが、イザヤ書にはここ以外でこの人の心に強く印象づけられたにちがいない言葉があります。少し寄り道になるかもしれませんが、56章3節からの言葉を読んでみます。
「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな、見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる、宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに、連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら、わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」
律法のもとでは、神の前から排除され、神殿での礼拝からはじき出されている異邦人と宦官が、ここでは神の恵みの中で救いにあずかっています。エチオピアの宦官がここを読まなかったはずはないでしょう。そして読んだ時に慰めと希望が与えられたはずです。異邦人でありまた宦官であるために聖所に入ることが出来ず、壁の外側で礼拝するしかないこの人にとって、自分にはまだ望みがあるのではないかと思わせるみ言葉でありました。
本筋に戻ります。道を歩いているフィリポに聖霊が「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と命じました。フィリポが走って行くと聞こえてきたのがイザヤ書53章7節8節の言葉でした。宦官が読んでいたのは、へブル語の原文ではなく、ギリシア語訳だったと考えられます。
宦官が自分で聖書を買って読んでいたのは、たいへん素晴らしいことです。私たちはすでに、この人がどれほど熱心に救いを求めていたかを見てきました。
異邦人であり宦官であることで、せっかくエルサレムに来ても神殿に入ることが出来なかったわけですが、それでもあきらめなかったのです。…私たちは聖書が簡単に手に入るために、かえって読もうという気持ちが薄れているのかもしれません。…もっとも聖書は、ただ読めと言われても、読めるものではありません。そこに書かれていることと自分の生活の間に接点がなければ、なかなか読む気持ちにはなれないものですが、宦官はそれを見出そうとしていました。
……自分は唯一のまことの神以外に神はないと信じているが、それまで教えられていたのは自分は救いからはずされているということだ。しかし、それが本当に神のみこころなのだろうか。これを確かめるためには、自分で聖書を読んで調べなくてはいけないと、このような問題意識があったに違いありません。こういう読み方は、私たちにとってもおおいに参考になります。
しかしながら、宦官は自分で聖書を理解することが出来ませんでした。…実際、わたしたちも、自分ひとりで聖書を読んでいく時、次々に疑問がわいてきてわからなくなるというのはよくあることです。逆に一人で聖書を読んで、すべてわかったという人がいたら、その方がおかしいと言わざるをえません
神は宦官を助けるためにフィリポを遣わされました。フィリポが「読んでいることがお分かりになりますか。」と尋ねると、宦官は「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と答えています。彼は、イザヤ書になぜ苦難の僕(しもべ)が出て来るのかわかりません。聖書が神の言葉である限り、すべての人をひざまづかせるような英雄が出てきて当然なのに、ここに出て来るのはそれとは正反対の、誰も見向きもしないような人だからです。この人がだれなのか、神はこの人を通して何を教えておられるのか、それはいくら聖書を読み解こうとする意欲があったからといってわかるものではありません。人間の知恵では到底到達しないこと、神に任じられた人から教えられて初めて明らかになることなのです。こうしてフィリポの説き明かしが始まります。
エチオピアの宦官を通して、私たちは人が信仰に入るまでのプロセスを凝縮された形で見ているのです。初めに何かのきっかけがあります。
異邦人であり宦官であるこの人は、真剣に神を、救いを求めていました。そこで聖書を読んでいたのですが、読んだだけではほとんど何もわかりません。読むだけでなく、その言葉が説き明かされなければなりません。そのためにフィリポが遣わされたのです。フィリポを遣わしたのは聖霊において現れて下さった神であられます。
神がエチオピアの宦官に何を示し、その結果彼がどうなったということを、来週、引き続いて学ぶことにいたしましょう。
(祈り)
教会の主なる天の父なる神様。
今日、聖書を通し、一人の信仰者が生まれるまでのみこころを示して下さり、感謝いたします。エチオピアの宦官は、それまで人に言えないような苦しい人生を生きてきました。人に陰口を叩かれながら、そして神様の前から締め出されているという思いをもち、それでも神様を追い求めずにはいられない…。私たちは幸い、自分が救いから締め出されているなどとは考えません。それぞれがいろいろな所に生を受け、違った人生を歩んできましたが、今こうして神様の下に迎えられていることを神様のおおいなる恵みの現れと信じて、心から感謝いたします。
神様のまことは尽きることなく、いのちの泉は教会から湧き続け、み国の姿をうつしてゆく、その喜びの中に私たちの生きる場所があります。これからも私たちが聖書を熱心に調べ、わからないことは礼拝を通して神様が教えて下さり、こうして自分の生活とみこころが一致することを求める中で、自分自身が幸せにあずかり、神様にも隣人にも喜ばれる者とならせて下さい。
いま日本はさまざまな困難の中で揺れています。地震があります。先週から、九州を中心に洪水が起こっています。さらに人心の荒廃がもたらす悲惨な事件や社会問題が連日起こています。しかし、その中にあっても私たちは、人と人が助け合うところに神様から与えられる希望を見出すことの出来る者たちであることを感謝いたします。神様のもとにある希望がさらに大きくなりますように、日本中にある教会と共に私たちを強めて下さい。
主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
手引きしてくれる人がなければyoutube
イザヤ53:1~12、使徒8:26~33 2017.7.9
今お読みした聖書にはエチオピアの高官が出て来ましたが、エチオピアは私たちにとって遠い国です。マラソンの選手を見る以外、ほとんど接点がないかもしれません。しかし、この国にはエチオピア正教会というキリスト教会があり、調べてみるとキリスト者の割合は総人口の60%を超えているということです。その教会の起源はたいへん古く、エチオピアの高官がフィリポに会ったところから始まると言う人がいるのですが、それは本当のことなのかそれともあとから作った話なのか、今では確かめようがないようです。想像力をふくらませながら、お話を聞いて下さい。
ステファノが殉教したその日、エルサレムの教会に大迫害が起こり、各地に散っていった人々の中にフィリポがいました。フィリポはまずユダヤ人が最も嫌っていたサマリア人の地に向かいました。するとサマリアの人々が神の言葉を受け入れて、男も女もこぞって洗礼を受けたのです。では神様は、目覚ましい働きをしたフィリポに対し、じゃあお前はこの地でずっと働きなさいと言われたでしょうか。そうではありません。天使を通して、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへと下る道を行け」と命じられました。ガザはよくニュースに出て来るところです。2014年には、イスラエルとパレスチナ自治政府が統治するガザ地区の間で武力衝突が起こり、イスラエルはガザ地区に大規模な空爆を行っています。
エルサレムからガザまで、直線距離で80キロ、高低の差は900メートルほどあります。フィリポが歩いていたのは寂しい道でした。それまでサマリアで数知れない人々に伝道していたフィリポがここで会ったのはたった一人です。ふつう、一人より大勢の人の方が大事ですから、これはたいへん効率の悪いやり方だと言えます。しかし神様は、ただ一人の人に会わせるために、フィリポをサマリアから連れ戻されたのです。…フィリポはむろん、エチオピアに将来、大きな教会ができるなどとは思ってもいませんでした。
ここでフィリポの前に現れたのがエチオピアの女王カンダケの高官で、女王の財産の管理をしていた宦官です。カンダケというのは固有名詞ではなく女王を示す称号です。宦官とは古来、中国やユダヤを含む中近東、古代ギリシャ・ローマなどにおりましたが、日本の歴史には登場しません。宮廷にいる女性たちを管理するために人為的に男性機能を喪失させた人で、その中から高い地位に昇る人もいました。
この人はエルサレムから帰る途中でした。はるばるエチオピアからエルサレムに来たのは神殿で礼拝するためです。ここで彼が朗読している預言者イザヤの書はエルサレムで購入したのでしょう。今の時代とは違って手書きの本ですから、値段は相当高かったはずです。この人が信仰熱心だったことは見ての通りですが、では、その思いはどこから来たのでしょうか。
このエチオピア人が、かりに宮廷で出世することもなく、また自分の国から一歩も外に出なかったとしたら、福音との接点はなかったかもしれませんが、時代は大きく変わろうとしていました。そこにはユダヤ人の活躍があったのです。主イエスの誕生以前にエジプトに向かったユダヤ人がいて、エジプトのアレキサンドリアにシナゴーグ、つまり会堂を立てています。ユダヤ人はさらに、先祖伝来の信仰を世界に広めようと、へブル語で書かれた旧約聖書のキリシア語への翻訳を進めていましたし、異邦人に聖書を教えてもいました。エチオピアの宦官にも、こういう動きが伝わっていたのではないかと思います。
こういうことが外的要因だとしますと、この人自身に関わる要因が何かあったにちがいありません。ここからは推測になるのですが、当時の世界は多神教の世界で、世界でただ一つこれと違っていたのが一神教であるユダヤ教です。宦官は多神教にあきたらなくなっていたのかもしれません。というのは神様がたくさんいるということは、神様の数だけ真理があるということです。そうしますとどれが正しくてどれが正しくないのか、区別もあいまいにならざるをえません。この人がそうした世界観に問題を感じ、あきたらなくなって、ユダヤ人が信じるただ一つの神を求めていったという可能性があるのです。
そしてもう一つ、彼が宦官であったことがここで大きな意味を持ってくるものと思われます。もし彼が普通の男性であったとしてもこの話は成り立つと思いますが、インパクトが違ってしまいます。…この人は宮廷の中で高い地位にあり、金持ちであったとしても、宦官であるがゆえに陰では人からばかにされていたことでしょう。人並みの家庭を築くことも出来ませんでした。この人の悲しみ、苦しみに思いをはせて頂きたいと思います。
宦官はエルサレムに礼拝するために来ました。当時、エチオピアからエルサレムまで来るのはたいへんなことでした。行って帰るのに何か月もかかり、道中に危険な場所もあったかもしれませんが、そのことが彼の決意をとどめることは出来ませんでした。
こうして、エルサレムに到着した時に、彼が見て、聞いて、体験したことは何だったでしょうか。皆さんは、この人が一般のユダヤ人と一緒に神殿の中に入って礼拝することが出来たと思いますか。…そうではなかったのです。
私たちは教会にはどんな人が来ても礼拝できると思っています。しかし、エルサレムの神殿はそうではありません。この人はそこからはじき出されていました。第一の理由は彼がユダヤ人でなくて外国人、つまり異邦人だったからです。…エルサレム神殿の境内には広い庭があり、異邦人の庭と呼ばれていました。異邦人が入れるのはそこまでです。そこから先、門を通ると神殿の聖所があるのですが、異邦人が入ることは出來ません。だから聖所の外側で礼拝するしかなかったのです。…それなら割礼を受けてユダヤ人になればよいのか、それが出来ない理由がありました。申命記23章2節に、宦官のような、いわば肉体的な欠陥を持っている者は主の会衆に加わることが出来ないという規定があるのです。…つまり彼は宦官であるために、どんなに熱心に求めても、神様の民に加えられることが出来ません。最初の段階ですでに救いからしめだされていたのです。
そこに彼の深い悲しみがあったわけですが、しかし彼はそれですっかりあきらめるわけでも、自暴自棄になるわけでもなく、また「差別だ」と言って騒ぎだすわけでもありません。この神のもとにしか救いはないのだと確信し、神にすべてをゆだねながら、自分の行く手に光を与えて下さいと祈っていたのでしょう。
フィリポはこのように語ったと思います。「自分には何の罪もないのに人々の罪を引き受け、形ばかりの裁判を受けて殺されたこの人は、神様の独り子イエス・キリストにほかなりません。この方が私たちの身代わりとなって懲らしめを受け、打ち砕かれ、殺されたことによって、罪人(つみびと)である私たちが罪を赦されます。…子孫のことが言われているのは、この方を信じる信仰によって数え切れない人々が神様の下に迎えられて、新しい神の民が生まれるからです。もはや男も女もなく、ユダヤ人も異邦人も、宦官もありません。イエス様が十字架にかかって死んで復活され、いま世界を治めておられることで、このことすべてが実現したのです。…今やあなたも、イエス様のもとに招かれています。あなたがイエス様を救い主と信じる信仰を告白し、洗礼を受けることによって、この恵みにあずかることが出来るのです。」
フィリポの説き明かしを聞いた宦官に、それまで彼が求め続けてきたもの、救いがイエス・キリストのもとにあることが示されました。自分が異邦人であり、また宦官であるために越えることが出来なかった厚い壁が取り去られたのです。もはや自分は、神様から斥けられてはいない、それを知ったら、もう居ても立っても居られません。ちょうどそんな時、水のあるところに来たので、フィリポに願い出ます。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」…これに続く37節は有力な写本には欠けているので、本文から外されて272ページに置かれています。そこも合わせて読んでみましょう。「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた。」…本当にこういうやり取りであったか確認できないものの、宦官が心からの誓約をしたのは確かです。彼はこのように、イエス様をメシアとする信仰が与えられ、それを告白して洗礼を受け、神の民の一員に加えられたのです。
39節には、宦官が洗礼を受け、二人が水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去ったので、宦官はもはやフィリポの姿を見なかったと書いてあります。しかし彼は、喜びにあふれて旅を続けました。
フィリポが消えてしまったのは不思議ですが、これは神様のみこころから見ると不思議でも何でもありません。
宦官は、異邦人であり、宦官であるために、エチオピアで政府の高官であっても、それまで言うに言われぬつらい人生を過ごしてきました。神殿の聖所に入れず、神の民にもなれませんでした。しかし今、洗礼を受けたことで、全く新しい人生が始まりました。彼は神の民の一員となり、神のもとに身を寄せる者となりました。子どもを作ることが出来ないことは変わり
ませんが、血はつながっていなくとも、彼の心を受け継ぐたくさんの子孫を作る道が与えられたのです。いまエチオピアにいるたくさんの信徒は、彼の子孫であると言って良いのではないでしょうか。
自分は枯れ木にすぎないと思っていた人が、イエス・キリストの十字架の死と復活の恵みにあずかる者とされて、息子、娘を持つにまさる記念の名を神様の家、教会の中に刻まれました。その喜びは、ほかの何ものにも代えがたいものなのです。
伝道者はその喜びに仕える人間です。聖書は、手引きしてくれる人がいなければ分かるものではありません。「どうぞ教えてください」、こういう人がいるところには、どこであってもかけつけます。そして、自分の役目を果たしたら、退場して行って良いのです。大事なのは伝道者ではなく、イエス・キリストが伝わるかどうかということなのです。
(祈り)
世界の主である天の父なる神様。
今日、聖書を通し、一人の信仰者が生まれるまでのみこころを示して下さったことを、心から感謝いたします。エチオピアの宦官は、人に言えないような苦しい人生を歩んできましたが、ついにイエス・キリストにめぐりあい、神の家の一員となることが出来ました。真剣に救いを求めるこの人のもとにフィリポを遣わされた、神様の偉大なお働きが、また私たち一人ひとりの上にも現れていることを思い、神様を賛美いたします。
神様の前にはだれも閉め出されることがないということは、当たり前のことではありません。イエス様がこの世におられた時代、異邦人、宦官、さらに重い皮膚病の人、徴税人、遊女などが救いにあずかれないと信じられていましたが、イエス様がすべての壁を打ち破って下さいました。その恵みを受けている私たちが、人と人との間に壁を作るもくろみに加担することが決してありませんように。私たちも一人ひとり、神様に立てられた者として、自分の口でイエス様を信じる喜びをあらわして行く者として下さい。
先週、私たちがよく知っている小川良江さんが天に召されました。神様が、小川さんの93年の生涯を導いて下さったことを感謝しますと共に、ご遺族の上に神様からの慰めがあり、また小川さんを知る人の中でその信仰が受け継がれることを心から願います。
とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。
どうぞ教えて下さいyoutube
イザヤ56:1~8、使徒8:32~40 2017.7.16
エルサレムからガザへの道をくだっていたフィリポの前に、馬車に乗ったエチオピア人の宦官が見えました。フィリポが聖霊に促されて走って行くと、宦官はイザヤ書の巻物を読んでいました。その箇所はイザヤ書53章7節と8節でした。フィリポが「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねると、宦官は「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、フィリポを馬車の中に招き入れました。そこから今日のお話が始まります。
宦官はエチオピア人でありながらユダヤ人が信じる唯一の神を信じる人で、礼拝するためにエルサレムの神殿に行ったのですが、礼拝の場からは締め出されていて、外にいるしか出来ませんでした。異邦人であり、また宦官である者は神殿の聖所に入ることは許されていなかったのです。彼はそれでも不満を爆発させるわけでもなく、イザヤ書の巻物を高いお金を出して買うと、自分の国に向かって帰途につきました。
宦官が読んでいたイザヤ書53章は、「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか」という言葉から始まっています。誰も信じられないようなことが語られているのです。ここは教会に長く通っている人ならよく知っている箇所で、頭に焼きついているかもしれませんが、決して読みやすいところではありません。…この中には、出来るなら、一生知らないでいたかったと思っている人がいるかもしれません。読んでいて、途中で目を背けたくなってもおかしくないところなのです。
そこには、屠殺場に引かれていく羊のように、苦しめられて、殺されていく人が描かれています。しかもその人は、人々から同情されるどころか、軽蔑され、見捨てられてしまうのです。イザヤ書53章3節と4節は言います。「わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに…」 ……これは「主の僕の歌」あるいは「苦難の僕の歌」と呼ばれているものです。
エルサレムでイザヤ書の巻物を買った宦官は、おそらくそれを初めから読んでいたのでしょう。そして53章に至って、どうしてもわからなくなった時にフィリポが来たので、こう尋ねました。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
たいへん大雑把なまとめ方になりますが、イザヤ書は初めからイスラエルの民の救いを語ってきました。イザヤ書の背景となっているのは、紀元前8世紀から6世紀にわたる激動の時代です。
イスラエルの民は不信仰で、偽りの神々のもとに走って神を怒らせ、そのことが国の滅亡を引き起こしたのですが、この、まことに厳しい現実の中で神のみこころを示された預言者イザヤは、この民が再び神の民となることを神に示されて語っています。その中で「主の僕」であり「苦難の僕」である方が出て来るのです。この方がおいでになられることによって、イスラエルの民は救われます。…だとするとこの方はメシア、すなわち救い主とならないでしょうか。しかしそれは、人間の常識を超えることでありました。
紀元1世紀、自分の国を持てず、ローマ帝国の占領下にあったユダヤの状況はたいへん悲惨なものであったと思います。福音書は、人々が飼う者のない羊のように打ちひしがれていた様子を書いています。…それでも人々は、いつの日かメシアが現れて、自分たちを救って下さると信じていました。そのことが民族の悲願となっていたのです。…それは根拠のない空想ではありません。イザヤ書53章以外にも、神様がメシアを送って下さることを何度も約束されていたからです。
では、メシアはいったいどのような方なのでしょうか。ユダヤの人々は、国を立て直し、戦いを勝利に導く英雄のイメージでメシアを思い描いていました。そのような人物が出てきて自分たちを救うのだと考えることは、ごく普通で、人間の思いにかなっています。
ところが、ここに出て来るのは、それとは似ても似つかぬ人物です。はっきり、命が取られると書いてあります。…それまで誰も、こんな弱々しいメシアを思い描くことはなかったし、求めてもいませんでした。…では、イザヤはなぜ、こんな人物のことを預言したのでしょうか。神様がそう語れと言われたからと言えばそれまでですが。…1世紀のユダヤ教の指導者たちも、もちろんイザヤがこう言っていることは承知していました。その上でどう解釈したのか、どうも、これは自分たちのことだ、自分たちユダヤ人の苦しみが語られているのだと考えていたようです。そうやって自分たちを納得させていたのでしょう。
では宦官はどうであったか。宦官にとっても、そこで言われていることが全く意外な、想像もつかないことであったのは間違いありません。彼自身もメシアを輝かしい英雄の姿で思い描いていたはずですから、こんな、悲劇的というには足りない、みじめな人物が出て来るので驚いてしまい、これはいったい誰のことかと思ってしまったのです。
さて使徒言行録で引用されたイザヤ書の言葉と、イザヤ書そのものに出て来る言葉は、読み比べるとわかりますが若干違っています。それは、宦官が読んでいたイザヤ書がヘブライ語の原書ではなくギリシア語に訳されたものだったためです。ここでイザヤ書53章8節を見るとこうなっています。
「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命あるものの地から断たれたことを。」
この部分は、使徒言行録ではこうなっています。
「卑しめられて、その裁きも行われなかった。
だれが、その子孫について語れるだろう。
彼の命は地上から取り去られるからだ。」
違いがおわかりになりましたか。イザヤ書で「彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか」というところが、使徒言行録の引用では「だれが、その子孫について語れるだろう」となっています。皆さん、どうしてこんなに違うのかと思っておられるでしょうが、調べてみるとイザヤ書の原文は難解きわまる文章で、翻訳において正解がなく、いろいろな訳が可能なのだということです。
宦官はギリシア語訳を読んでました。そうすると、暴虐な裁きによって命を断たれたこの人物に、それでも子孫がいるということでさらに驚いたのではないかと思います。…彼自身は男性の機能が摘出されています。子どもをもうけることなど到底出来ず、自分の子孫など考えられませんから、彼の中には自分は枯れ木のような者だという思いがあったことでしょう。その彼が、苦難の僕のことを身につまされる思いで読んでいた時に、子孫のことに気がつかなかったはずはないと思うのです。…なお、補足しますとイザヤ書53章10節にもこう書いてあります。「病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。」…このように、殺されたために子どもを作るどころではなかったはずのこの人に、子孫が与えられることが約束されているのです。宦官は、いったいどういうことなのかと思ったにちがいありません。そしてその時、心にかすかな希望が芽生えたのではないでしょうか。…この人は殺されたけれども、その死はむだではなく、たいへん大きな意味を持つことであった。そのことは、枯れ木のような自分にも大きな希望を語っているのではいだろうか、と。
宦官の求めに応じて、フィリポによる聖書の説き明かしが始まりました。「預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。」いわれのない苦しみを受けて殺され、そのことによって子孫が末永く続くのを見ると約束されている人とはいったい誰なのか。これに対してフィリポは、「聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた」とあります。つまり、苦難の僕と呼ばれている人は、つい最近十字架につけられて死んだイエス・キリストのことなのです。