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   天を見つめてyoutube  

詩編31:2~6、使徒7:54~50    2017.4.9

 

その日、ゴルゴダの丘の上に3つの十字架が立っていました。右に強盗、左にも強盗、そして真ん中がイエス・キリストです。イエス様が十字架にかけられたのは朝の9時、昼の12時頃全地は暗くなり、それが3時まで続きました。神のみ子で救い主であられるお方が極悪人と一緒に、十字架という最も呪われた刑に処されたのです。この方を殺した人たちにとっては、そこには神を冒涜したからだとか、にせのメシアだったからだとか、ローマ皇帝の敵であったとかの理由すけがされていました。では、イエス様に従った人たちはどうだったのでしょう。おそらくそこで何が起こっているのか、わからなかったと思うのです。男の弟子のほとんどは逃亡中で、主の十字架の死を見届けたかどうかもはっきりしません。マグダラのマリアなど女性たちも、泣くばかりだったのです。

イエス様の十字架とはいったい何か、それが世界に、また自分たち一人ひとりにとって何を意味しているのかということは、その日一日の体験だけではつかみとることが出来ません。三日目の復活、そして聖霊降臨を経て少しずつ明らかになっていったのです。今日お話しするステファノの殉教の死もその一つです。…皆さんも彼の死を通してイエス・キリストの十字架の出来事がさらにはっきりと見えてくると思います。

 

これまで3回にわたってステファノの説教を学んできました。皆さんの中には、この説教は当たり前のことしか書いてないと思っていた人がいたかもしれませんが、実際にはそうではありませんでした。イスラエル民族の歴史を語るにもいろいろな語り方があり、ユダヤ教の祭司などステファノを尋問している側の人が語ったら、そこで取り上げる事実も、また解釈も違っていたはずです。ステファノは、栄光の神がどこにでもいましみこころをもって歴史を導かれていること、モーセを通して与えられた律法は命の言葉であってモーセを信ずるならモーセが預言したメシアを信ずべきこと、またどんな立派な神殿であっても神をお納めすることは出来ないことを語りました。ステファノを尋問していた人たちは、ステファノが聖書の言葉を盾にとって自分たちを批判していることがわかり、我慢しながら聞いていたのですが、ついに黙っていられなくなります。

7章51節から53節までにはこんなことが書いてあります。ステファノは、イスラエルの長い歴史を振り返りながら告げます。「あなたたちこそ神殿で形ばかりの儀式を行うばかりでまことの礼拝を捧げていない、そうして今、神が遣わされたイエス様を殺して、神に逆らう者となったのだ」と。

そこにいる人々はステファノが神を冒涜しているとして告発したのに、今や自分たちこそ神を裏切ったのだと言われて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりしました。これは彼らの立場に立つならわからなくはないですが、ただそれだけではステファノ目がけて一斉に襲いかかるまでにはなりません。人々の怒りに火をつけたのが、その直後にステファノが見せた態度と言葉でした。

 

最高法院の人々がステファノを殺したことについてはわからない点があります。この人たちには死刑を執行する権限があったのでしょうか。…イエス様の裁判においては、最高法院はイエス様が神を冒涜しているという判決を出したあとで、イエス様をローマ帝国の総督ピラトのところに連れて行きます。ヨハネ福音書18章31節によると、ピラトがユダヤの長老たちに「あなた方は彼を引き取って、自分たちの律法で裁くが良い」と言うと、ユダヤ人は「私たちには人を死刑にする権限がありません」と答えています。つまり犯罪人を死刑にする権限はローマ帝国にだけあったわけです。そうするとステファノも最高法院のあと、ローマ帝国の裁判を受けて処刑されるという手続きを踏まなければならなかったはずですが、その部分が見当たりません。

 そこで考えられるのが、一つがステファノは正規の手続きを踏んだ上で死刑になったがその記録が欠落しているというもの、もう一つがステファノは正規の手続きを踏まずにリンチにあって殺されたというものです。ただどちらも証明するのは困難です。この問題は、それ以上はわかりません。

 ステファノが天を見つめたことに注目しましょう。これは空のかなたを見上げたのではないと思います。というのは、ステファノが尋問されたのは建物の中で、そこに窓がなかったとすると、空を見上げることは出来ません。私たちは、天を三次元空間の中にあるどこか特定の場所に特定することは出来ません。四次元空間、五次元空間であっても同じです。天は人間の目でもカメラでもとらえることが出来ません。

そこはただ信仰によって見えるところです。すべてに勝利され、すべてを支配しておられる主イエスがおられ、神の栄光が満ちているところです。

ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言いました。ステファノは、地上の人間の目には見えない、神の栄光と主イエスのお姿を見ることが許されましたが、この発言がきっかけとなって、人々が大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノに襲いかかることになったのです。

ステファノの言葉を聞いた人々は、自分たちが処刑したイエス様の勝利が語られたことで怒り心頭になったのです。そこには生前のイエス様の言葉の記憶があったのだと指摘されています。ルカ福音書22章69節には、最高法院に連れて来られた主イエスの言葉が記録されています。「今から後、人の子は全能の神の右に座る。」今ステファノの前にいる人々はその言葉を聞いていました、人の子とはメシアを表す言葉で、主イエスはご自身のことを人の子と言っておられました。主イエスは十字架にかかられる直前に、ご自分が全能の神の右に座る、つまり父なる神から全権を委託され、世界のすべてを統治すると宣言されたのです。これはイエス様に反対し、イエス様をメシアとは認めない人たちにとってはとんでもない発言でありまして、こんなことを言う奴は許せない、十字架にかけてしまえ、となったわけです。

つまり天で、神の右にイエス様がおられるということは、殺されたイエス様が「正しい方」であられる証拠なのです。イエス様はあの時の言葉通り、いま神の右に立っておられる、世界を治めておられる。そのことは同時に、イエス様を手にかけた人たちこそ、神にそむいた者になったということでありました。

ただ、一つ、イエス様の言葉とステファノの言葉で違っているところがあります。イエス様は「神の右に座る」とおっしゃったのに、ステファノは「神の右に立っておられる」と言っています。座っているはずのイエス様がなぜ立っておられるのか、いくつかの説がありますが、その一つに、イエス様が愛する僕を迎えるために、立ち上がって、手を差し伸べておられるのだというのがあります。いずれにしても、イエス様を仰ぎ見たことが、ステファノに殉教の死を耐え抜く力を与えたことになったのです。

怒り心頭に達した人々はステファノに襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めました。石打ちの刑を宣告された人はまず町の外に引き立てられて、むち打たれ、それから人の背丈の倍以上ある崖からまっさかさまに突き落とされます。それで死ななければ、石を投げつけます。その石は、二人の手で担がなければならないほど大きいので、上着を脱いでからということになります。証人たちが、自分の着ている物を若者サウロの足もとに置いたのはそのためです。

ステファノは、そのような苦しみと痛みを受けながら、二つの祈りをしました。その一つが、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください。」という祈りです。これはイエス様の祈りとよく似ています。ルカ福音書23章46節にこう書かれています。「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」

この二つの祈りは、どちらも死ぬ直前の祈りでありまして、自分の霊をさしだすことでは同じですが、イエス様は「父よ」、ステファノは「主イエスよ」と呼びかけています。イエス様にとっては父なる神以外に呼びかける対象はないのですが、ステファノにとっては、死んだけれども復活し、天において人間の罪を赦し、永遠の命を与えて下さるイエス様がいます。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」というのはステファノの信仰告白です。そこには、生と死を超えて自分の主であるイエス様のもとに行くことができるという喜びも見てとれます。…この世には死を前にして、自分がどこへ行くのかわからず、いったい何のために生きて労苦してきたのかわからない人もいますが、私たちはステファノと同じ喜びにあずかっているのです。

ステファノのもう一つの祈りは、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」です。これもイエス様の祈りとよく似ていますね。主はルカ福音書23章34節で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈っておられるのです。

自分が死のうとしている時に、自分を死に追いやった者のために祈るのがたいへん困難であることは言うまでもありません。私たち自身、日常の小さな出来事においてさえ、自分を傷つけた人を赦せないわけですから、まして殺されるような状況に陥ったとしたら、呪いの言葉が赦しの言葉を押しのけてしまうでしょう。

たいへんな無理をしなければ、赦しの言葉が出ることはありません。では、ステファノもたいへん無理をして、怒りの気持ちを押し殺してそのような祈りをしたのでしょうか。そうではありません。…ステファノがこのような祈りをすることが出来たのは、まずイエス様がそのように祈って下さったからです。…イエス様の「父よ、彼らをお赦しください」、ここで赦しの対象となった者の中にはステファノも含まれていたのです。イエス様は苦しみの中でステファノのためにも祈られ、十字架によってステファノの罪をその身に背負って下さいました。そして今ステファノと共にいて、彼を支えて下さっています。ステファノがイエス様と同じような祈りをすることが出来たのは、彼がイエス様のみこころを自分のものとすることが出来たからにほかなりません。

ステファノは自分が死ぬ前に、それも殉教の死をとげる前にみごとな祈りをすることが出来ました。ひるがえって私たちは殉教のために召されているということはないと思いますが、しかし死を前にしても信仰の言葉を口に出すことが出来るでしょうか。そのためには、ふだんから信仰を人生のもっとも大切なものとして、自分の中ではぐくんでいなければなりません。

聞くところによると、ある人は、「あいつ香典をくすねるかもしれないから気をつけろよ」と言って死にました。また別のある人の最後の言葉は「だって、しようがないじゃないか。」…これではあまりにさびしいではないですか。

イエス様の十字架の死があり、祈りがあったからこそ、ステファノはまさに殺されようとしている時においてもイエス様を見上げ、イエス様にならった祈りが出来ました。

ステファノは最後の力をふりしぼって祈ったあと、がっくりとこうべをたれて息を引き取りました。聖書は「眠りについた」と書きます。眠りについたというのは、このあと目が醒める時があるということを指し示しているように思います。

この世界にキリストが来られたことで、罪と死に対する勝利が宣言されました。主イエスはかつてヤイロという人の娘が死んだという報せを受けた時にこう告げておられます。「娘は死んだのではない。眠ったのだ」。キリストにあって死ぬ者は、死んだのでなく眠ったのです。だから神のみ手の中で永遠に生き続けるのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。主のご受難を思うこの日の礼拝に私たちを招き、イエス様の十字架において始められた尊いみこころを聞かせて下さいまして感謝申し上げます。

今改めて、主イエスのお苦しみを深い悲しみをもって聞くと共に、イエス様の十字架が、ステファノに死に対する勝利をもたらしたことを喜びを持って聞くことが出来ました。ステファノの祈りは、その場にいたパウロをやがて回心へと導くことになります。その恵みはまた、時と場所を超えて私たちの中にも注がれているのです。

神様、いま私たちは頭(こうべ)を垂れて、ただ罪を悔い、主の恵みにすがります。主が究極の苦しみの中でなお罪人(つみびと)を赦して下さったことに対し、私たちは何をもって応えることが出来るのでしょうか。どうか私たちの心に、繰り返し繰り返し十字架の主を思わせて下さい。

 主イエス・キリストの御名を通して、この祈りをおささげします。アーメン。

    まことの神の家youtube 

イザヤ66:1~4、使徒7:44~53 2017.4.2

 

 今日は、エルサレムの最高法院に連れて行かれたステファノが語った言葉の最後の部分をお話しします。ステファノはそれまで「栄光の神」について、また「モーセとその律法」について語ったので、今度は「まことの神の家」とは何かということを語ります。…6章14節で、彼はすでにこのように訴えられていました。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」

 この聖なる場所とかこの場所とかいうのは神殿です。ステファノは自分への告発に対して弁明するのですが、しかし自分の思いを最後まで語ることが出来ませんでした。彼の話を聞いていた人々の怒りが限界に達して、殺されてしまったからです。

 

 今日のお話を理解するためには、まず当時の人々が神殿に対して抱いていた思いを知っていなければなりません。いまエルサレムに行くと嘆きの壁が残っているだけですが、二千年前、そこには壮麗な神殿が建っていました。マルコ福音書13章1節では、弟子の一人がイエス様に向かって、「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」と言っています。それはどれほどの建築物だったのでしょうか。設計図は残っていませんし、寸法もはっきりしないようですが、ある程度のことは推定されています。インターネット上には神殿の復元模型の写真がありました。それを見た限りでは、もしも自分がその神殿の前に立ったとしたら、やはり驚嘆してしまっただろうと思います。それだけの素晴らしい建物で、昔のユダヤ人は礼拝していたわけです。神殿は神が住んでおられるところと考えられました。そうして建物自体が神聖なものとして崇拝されるようにもなっていったのです。

 こうした状況の中で、それにもかかわらず主イエスは人々を仰天させるようなことを語られました。ヨハネ福音書2章19節、「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』」…これはユダヤ人でなくてもびっくりする言葉ですね。この時、ユダヤ人が「この建物は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と答えたのは当然といえば当然です。イエス様はいったい何をおっしゃりたかったのでしょうか。…そのあと21節に種明かしが書いてあります。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」

 イエス様ご自身が神殿です。イエス様は「私を殺してみよ。三日でよみがえってみせる」と言われたのです。そのことは、もともとの神殿での礼拝が意味がなくなり、新しく出来る、キリストの体と言われる教会での礼拝にとってかわられたことと緊密に関係しています。…ただ、これはなかなか理解しがたいことでありまして、まして神殿を愛してやまない保守的な人たちが本当にその通りですとなるのは大変難しいわけです。ステファノはイエス様の言葉を伝えていったものと思いますが、それは神殿という神聖なものを冒涜する言葉だと受け取られてしまったのです。

 

 そこで次に、ステファノが自分に対する告発にどう答えたかということを見ることにしましょう。ステファノはまず「証しの幕屋」を取り上げます。「幕屋」と言うことが多いのですが、ステファノは特に「証しの幕屋」と呼びました。証しというのは神ご自身の証し、それが律法です。律法がそこに保管されていたのです。…ステファノは、話を神殿から始めないで、神殿が出来る前の幕屋を取り上げたのは、神殿を相対化しようとする意図があったからだと思います。

 幕屋はモーセの時代に、ほかならぬ神の命令によって造られました。それは持ち運びの出来る、長方形の形をしたテントで、その中に聖所と至聖所があります。至聖所には十戒が入った箱、契約の箱とも神の箱とも呼ばれるものが置かれていました。神はそこで、どのように働いておられたかを出エジプト記25章22節の言葉から見てみましょう。「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。」

 イスラエルの民は荒れ野の40年の旅の間、幕屋で礼拝をしましたが、その礼拝が今の教会にまでつながっています。幕屋自体は小さなものでしたが、モーセがそこに入って神の言葉を受け取り、それを民に取り次いでいたのです。

 さて45節は言います。「この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。」その頃、人々は戦争に出る時、幕屋の中心に置かれた契約の箱をかついで戦場に出ました。そこには神が共にいまして勝利を得させてくれるという信仰があったのですが、ステファノは、それは当時としてもおかしな信仰だったと言いたかったのかもしれません。というのはサムエル記上の初めに書いてあることですが、ペリシテ人が襲って来て負け戦になった時、イスラエルは神の箱を担いで持って来させました。

これで次の戦いは勝てると踏んだわけですが、その結果は惨憺たる敗北で、神の箱は敵軍に奪い取られてしまいました。神の箱さえあれば戦争に勝てるという単純な信念は砕けてしまいましたがそれも当然、そんなのはご利益信仰でしかなかったのです。

 イスラエルのために神殿の建築を思い立ったのはダビデ王です。ある時ダビデ王は、「わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」として、神殿建築を思い立ちました。自分は豪邸に住んでいるのに、神の家がみすぼらしいとは言わないまでも質素なものであることを心苦しく思ったからですが、神はダビデに神殿建築を許可されませんでした。理由は、ダビデが戦争で多くの人を殺したからです。神殿の建築は息子のソロモン王によって行われました。…ステファノがわざわざそうしたいきさつのことを言及するのは、神殿の建設はそれほど急ぐことでなく、幕屋の礼拝でも大丈夫だったことを言いたいためでしょう。

 ソロモンはありったけの情熱をかたむけ、7年の年月をかけて、壮麗な神殿を完成させました。まさに国をあげての大事業だったのですが、ステファノはそういうことには一切ふれず、代わりにもってきたのが、「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。」これは、献堂式の時のソロモンの祈りの一部です。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおさらふさわしくありません。」…ソロモン自身が、いと高き方が神殿にお住みにならないことを承知していました。ソロモンは、神様が天も、天の天も届くことのない人間の想像を超える所から、この神殿に目を注がれることを願っています。神殿は、神様が御名をとどめられるところです。そこで見えない神のみことばを聞けるとしても、神をそこに押し込めてしまうことは到底出来ないのです。

 それと同じことを預言者も言っていました。49節と50節はイザヤ書66章1節2節からの引用です。…イザヤがその預言をしたのは国が滅び、ソロモンの神殿が破壊されるという恐ろしい出来事が起こる直前でしたが、その預言自体はイスラエルの民が再び神の民として復活する輝かしい未来を指し示しています。…国を失い、異国に連れて行かれる民が再び約束の地に戻って来た時に神殿は必要でしょうか。神は、「あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てうるか」と言われます。どんなに立派な神殿を造ったところで、それは神様を納めることは出来ません。神様にどれほど高価なものを献げたとしても、それで神様が喜ばれることはありません。

かえって神様が喜ばれるのは、神様の前に自分の犯した罪を思って苦しむ人、心の砕かれた人、みことばをおののくほどに崇めている人でした。それは、世の常識をくつがえすことでした。

 ステファノの言葉を聞いていた人たちは、旧約聖書については全部そらんじているほどのベテランだったはずです。従って、ソロモンの祈りやイザヤの預言についてもステファノに言われなくてもよく知っていたわけで、それだけにステファノの言葉に敏感にならざるをえません。私たちの場合はにぶくて、ステファノのどの言葉が彼らを怒らせたのかと思ってしまうのですが、この人たちはステファノが聖書を用いて自分の考えを根拠づけるごとに、怒りが燃えさかっていったのです。

 ここからは皆さんにも、ステファノを尋問する人々の気持ちを想像していただきたいと思います。ステファノはこの人たちが愛してやまない神殿について、神経を逆なですることばかり言っています。それも聖書の言葉を根拠に。…ステファノの言葉に従うと、神殿は絶対的なものではなくなります。しかし、それは信仰者だったらわきまえていなければならないことでした。

 すでに紀元前586年、エルサレムの陥落と共にソロモンの神殿は破壊されていました。それから約70年ほどたって再建されるのですが、その間は神殿は存在しなかったわけです。もしも神様が神殿にお住まいなら、神殿が破壊されたら神様も住むところを失ってホームレスになられたのでしょうか。そんなことはありませんね。たとえ神殿がなくても神はおられるという単純なことを、怒りに燃えた人々は見えなかったのです。

 人間は神を神殿に納めることは出来ません。神殿はただ神の名をとどめるところとしてあり続けたのです。そして神はいけにえや高価なものではなく、神の前に心を砕けた人を喜ばれますが、そこからはずれた信仰は、容易に偶像礼拝へと変わってゆきます。

イザヤ書66章3節はそのことを語っています。ステファノの前にいた人々は聖書の専門家ですから、1節2節を聞いただけで3節の言葉を思い出したのではないでしょうか。だとすると、彼らはステファノが聖句を使って自分たちを当てこすっていると受け取ったはずです。

 「牛を殺してささげ、人を打倒す者、羊をいけにえとし、犬の首を折る者、穀物をささげ、豚の血をささげる者、乳香を記念の献げ物とし、偶像をたたえる者」。この時代に犬や豚はたいへん嫌われた動物でしたから、「犬の首を折る」とか「豚の血をささげる」というのは最悪の行為ですね。…そんなことをする者はだれか、偶像崇拝者であるあなたたちではないか、…そんな声が聞こえてくるようです。もう黙っていられなかったと思うのです。

 そうして51節から53節の言葉が最後のダメ押しとなりました。ステファノは、激しい非難の言葉を口にしました。あなたがたの先祖が神に逆らったように、あなたがたもそうしている!あなたがたの先祖は預言者を迫害したが、今やあなたがたがこれの総仕上げをする者となった。正しい方、キリストが来られたのにあなたがたはそれを裏切り、殺す者となった!

 こうして黙っていられなかった人々が、ついにステファノを殺すことになります。私たちは、この人たちの気持ちもわかると思います。ユダヤ教の最高指導者なのに、自分が一生かけて信じ、行ってきたことを全部否定され、偶像崇拝者の汚名を着せられたのですから。…しかし本当は、その屈辱の中から彼らは立ち上がらなければならなかったのです。

 ステファノを尋問していたユダヤ教の最高指導者たちは、壮麗な神殿に対する思いが迷信じみたものになっていました。それは建物を神聖視することで神様をそこに閉じ込めようとする信仰でした。自分は正統な信仰を継承していると言いながら、先祖の間違いをさらに上塗りするようなことをしていました。もし、そうでなければイエス様を十字架にかけることはしなかったでしょう。ユダヤ教徒の人々は、現在もなお神殿にこだわっています。

 神殿は確かに重要なものでしたが、その使命は終わろうとしていました。やがてキリストの体である教会が世界に広がって、人はそこで礼拝をささげることになります。むろん教会といえども、そこに神様を閉じこめ、人間の思いのままにあやつることは出来ません。私たちの広島長束教会は一昨年、きれいに改修され感謝しておりますが、だからといってこの建物を偶像にしてはなりません。私たちも、外面的な何ごとよりもまず、自分の罪のことで苦しみ、心砕かれ、み言葉をおののくほどにおそれる者となりたいと思います。

 

(祈り)

 喜びの源である天の父なる神様。私たちに、礼拝の場である広島長束教会が与えられ、神様が私たちの礼拝を受け入れて下さることを心から感謝いたします。まことに神様はどんな神殿にも、またどんな教会にも、閉じこめてしまえるようなお方ではありません。しかし、それにも関わらず、この教会にとうとい御名をとどめおいて下さいます。神様の目から見てあまりにも小さな私たちに出会って下さいます。そして、山あり谷ありの人生を共に歩んで下さるのです。神様、どうか私たちそれぞれが自分の信仰を深くかえりみることが出来ますように。誰もが自分に甘いのです。そうして神様をとうとんでいるはずが、いつのまにか自分をとうとぶことに変わってしまっているのです。ステファノを尋問した人たちを食い尽くした偶像崇拝の罠から、私たちを救って下さい。

主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

  二人は一人にまさる 

 

コヘレト4:1~12、ヨハネ5:17  2017.3.26

 

 今はイエス・キリストのご受難を思うレントの時期ですが、その時にどうしてコヘレトの言葉なのかと思われた方がいらっしゃるかもしれません。コヘレトの言葉にイエス様の名前は出て来ません。イエス様の十字架の死とは全く関係のないことばかりが書いてあるように見えるのですが、しかし深いところではどうでしょうか。コヘレトを通して、イエス様に至る道もあるかもしれないと思って、これを読んでゆきたいと思います。

 

 コヘレトの言葉の4章は、初めの部分に絶望の叫びがあって、印象づけられます。コヘレトは、「既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。」と言います。続けて、「いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。」とダメ押しをします。私たちをゆううつな思いにさせる言葉ですが、皆さんは同じような言葉を聞いたり言ったりしたことがあるでしょうか。

 聖書の中では、ヨブが似たような言葉を口に出しています。ヨブは「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。…なぜわたしは、葬り去られた流産の子、光を見ない子とならなかったのか」とつぶやいています。 ヨブがそんな言葉を口にしたのは、家族と全財産を失い、自分も重い皮膚病にかかってしまったためでした。…としますと、コヘレトもヨブやその他の人たちと同じく、苦しみの果てに死を願うまでに至ったのでしょうか。…ところが、そうは思えないのです。

 ここまで皆さんと一緒に読んできたコヘレトの言葉には、確かにゆううつで気が滅入ってしまいそうなところがたくさんあります。しかしコヘレト自身が災難にあって苦しんでいるところは見つかりません。かつてコヘレトは学問に励んだ一時期がありました。快楽を追求した時がありました。人間は動物にまさるとは言えないのではないかと考えこんだ時もありましたが、彼自身が災難にあった記録はありません。だから、コヘレトが苦しみの果てに死を願ったと考えることには無理があります。…では何が原因だったのでしょう。

そこで、もう一度聖書本文を点検してみましょう。4章1節は言います。「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。『見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。』」また3節は、生まれて来なかった者が幸福であることの理由が書いてあります。「太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。」

 皆さんは、これでおわかりになったでしょうか。コヘレトは、太陽の下、すなわちこの世のいたる所で見られる不正、虐げとか悪い業を見て、そのためにこの世に別れを告げたいという気持ちになってしまったのです。…この世の不正の中にはもしかしたらコヘレト自身に責任があることがあったかもしれませんが、それはあとから考えれば良いことです。コヘレトは災難にあったわけでもないのに、自分が見聞きした、他の人々の上に生じている不正を見て、そのために絶望に陥ってしまったのです。

 私たちは苦しみに陥った人が死を願うことは理解できるのですが、この時のコヘレトについてはどうでしょう。自分が見聞きした社会の不正のためにこれほどまでに心を痛めていたのか、と驚いてしまうでしょう。…私たちときたら、この世のいたる所で見られる不正、虐げとか悪い業に対して目が見えないようにされているか、見えたとしても世の中ってそんなものさと思って妥協しているわけです。…もしも、まともにそういうことに関わって、これを正そうなどとしたら、たいへんな努力をしなければなりません。…この私たちと比較するなら、コヘレトが普通の人間なら目をそむけてしまいがちことに目を向けて、心を痛めていることはすばらしいことですが、しかしだからと言って一直線に死を賛美するのを認めるわけにはいきません。死に最終的な解決を見出すのは安易な道にすぎません。コヘレトは、神の正義がこの世の中に貫かれることをこそ祈り求めるべきであったのです。

 

 もっともコヘレトはそのあとで、死に最終的な解決を見出す思いを封じこめたようです。そうして、彼なりに人間観察に励むことにしました。社会のいたる所で見られる不正、それは人間とは何であるかという問題と深いところで関係があるからです。

 コヘレトは言います。「人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということもわかった。」

 

ここには多忙で有能な人が出てきます。彼らはその人生を何かに追い立てられるかのように過ごします。口では仕事によって社会に貢献したいなどと言っているかもしれません。しかし実際には、ほかの人より優位なところに立ちたいという競争心に突き動かされているのです。 競争心というと皆さんは、これとは別な競争心を思い浮かべるかもしれません。それは貧しい人たちが裕福な人たちに対して抱くねたみです。それが爆発して革命となって現れることもあるのですが、コヘレトはこれにはふれていないと思います。…昔もいまも世界と日本のいたる所で、休む間のない多忙な生活を強いられている人が数え切れないほどいます。その中に私たちの多くも入っているのですが、コヘレトはそういう社会を作り上げるのが競争心だと言うのです。

 私たちがコヘレトの分析をすぐに現代社会に当てはめるのは単純化しすぎかもしれませんが、大きな要因であるのは確かです。あの人には負けたくないという思いは強力で、その結果が、子供の尻を叩いて勉強勉強とせきたてることに始まり、出世をめぐる競争、企業の間の生き馬の目を抜くような争い、さらに戦争のような重大なことへとつながっていくわけです。その中で人は優越感にひたったり、逆に劣等感にさいなまれたりするのですが、そのような競争人生を生きて最後に獲得するものが、宝くじのはずれ券のようなものだったということが起こります。コヘレトは例によって、「これまた空しく、風を追うようなことだ」と断言するのを忘れません。

 ただ、世の中はそんな忙しい人ばかりとは言えません。コヘレトは次にこれと対照的な人を登場させます。「愚か者は手をつかねてその身を食いつぶす。」コヘレトはただ競争のためにあくせく働く人をむなしいと言いましたが、その反対の怠惰な人が良いのではないのです。

 愚か者とは、ここでは何もしないでぶらぶら過ごしている人です。これは失業者でも病人でも老人でもなく、働く能力と機会があるのに働こうとしない人です。箴言に「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」(箴言6:6)という言葉があります。こういう人は自分の財産を食いつぶしてしまっても、それまでの生活を改めることは難しく、その結果として、社会の不正や悪を生み出してしまうことがあります。

 コヘレトは次に、孤独な男のことを例に出しますが、それは先にあげた多忙で有能な人ともかなり重なっているものと思います。

 「ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。」友も息子も兄弟もないと書いてありますが、この人が独身だとは限りません。結婚し、子供がいても状況は同じことです。お金にとりつかれた人には、友情も兄弟も、家族も見えなくなっているのです。自分の役に立つ時には大事にするけれども、用がなくなれば捨ててしまってもかまわない、そんなことでは友も息子も兄弟もいないのと同じことで、一人ぼっちと言うしかありません、…かえって天涯孤独な人であっても、他の人たちと一緒に生きてゆこうとする気持ちがあるのなら、一人ぼっちとは言えないのです。

 コヘレトは言います。この人は、「『自分の魂に快いものを欠いてまで、誰のために労苦するのか』と思いもしない」。たとえ心に人間らしい思いが芽生えたとしても、すぐさま力づくで抑圧してしまうのです。そのことをじっくり考える時間もありません。「これまた空しく、不幸なことだ」と言うしかないのです。

 「自分の魂に快いものを欠いてまで、誰のために労苦するのか。」これは私たち一人ひとりにも向けられた問いかけです。私たちが労苦するのはいったい何のためでしょう。ただ金もうけのためだけに人生のすべてを費やすのはむなしいです。主イエスは愚かな金持ちというたとえ話で、大金をいだいたまま死んでしまう人を取り上げて、こう教えられました。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(ルカ12:21)

 神の前に豊かになることで、人は自分の魂に善いものを満たすことが出来ます。それは、その人と隣人との間を改善させ、結果的に社会を良い方向に進める役目を果たすのです。

 改めて言うまでもないことですが、人は人と人との交わりの中で生きるものです。人間という字が人の間と書かれるように、人は人間関係の中で生きます。ただ人間関係にはわずらわしく面倒なことが多く、そこから逃れるためにわざわざ孤独を選び取る人もいますが、その人たちがそれで幸せになれるとは思えません。

孤独を選び取ったことで、さらに大きな問題をかかえてしまうことになるからです。

 天地創造の物語の中で、神がアダムを見て「人がひとりでいるのは良くない」と言われたことはよく知られていますが、その神がコヘレトに「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。」と言わせました。ほかの人との交わりの中で、人は人間になるのです。それは男女関係に限ったことではありません。

 「共に労苦すれば、その報いは良い」ということを、コヘレトは3つの例で示します。第一の例が「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。」、どちらかが倒れた時、残った方がその友を助け起こすということ。第二の例が「ふたりで寝れば暖かいが、ひとりでどうして暖まれようか」。これは夫婦のことを言っているのかもしれませんが、一般的には旅のたとえだと考えられています。パレスチナの冬の夜は冷え込みます。旅人たちは寒さをしのぐために身を寄せ合って寝ていました。第三の例が「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する」です。一人で旅をしている時に、盗賊や追いはぎに遭遇したら打ち負かされてしまうでしょう。しかし、助けてくれる友がいたら、悪人に立ち向かうことが出来るのです。

 この3つの例は、どれも同じことを言っています。共に労苦する友がいれば、困難に合った時互いに助けあうことが出来るということです。そうしてコヘレトが持ってきたのが、「三つよりの糸は切れにくい」。三人は二人より優っているということ、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざとも共通しています。大事なことですが、ただそれだけのことなら、多くの人が知っていることで、何も教会で教えられなくても良いことかもしれません。

 しかし、この句の中に、自分と友とそして第三の人、イエス・キリストを見ることが出来るのは、キリスト者だけが持つ格別な恵みです。

…コヘレトがそこまで見通すことは出来なかったでしょう。彼は、ただ二人より三人の方が良いというごく当たり前のことを言いたかっただけなのかもしれません。しかし、私たちはここに大切な心の拠り所を見出すのです。

 人と人との間をいくらうまく泳いで渡ったとしても、そこには必ず限界が生じます。しかし、もしも人と人との交わりの中にイエス・キリストが加わられ、三つよりの糸のようになったとしたら、どれほどの強さになるでしょうか。主イエスは「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とおっしゃっています。死んでよみがえられたイエス様が人と人との交わりの上に織り込まれることを、祈り願いたいと思います。私たちの間に、そしてコヘレトを絶望させた社会のいたる所に。

 

(祈り)

天の父なる神様。神様が高いところにただ一人おられることを望まず、私たちを礼拝に召して、神様と人間が出会うこの時を与えて下さったことを心から感謝いたします。

神様、私たちには、救い主でまことの友であられるイエス・キリストがおられます。しかし、そのことを今まで軽く見ていたところがなかったとは言えません。私たちにはまた同じ信仰を持つ友がいます。しかし、そのことを感謝することがあまりありませんでした。神様、一人よりは二人が良く、二人よりは三人が良いということはよくわかりました。どうか、イエス様が切れにくい三つよりの糸の一つとなられますように。イエス様という糸を私と友の上に新たに織り込んで下さい。

神様、近畿中会のために祈ります。私は先週、中会に出て、各教会が伝道のために奮闘しつつも、前途になかなか希望を見出しえない状況を改めて知ることになりました。しかし、こうしたことはキリスト教会2000年の歴史の間、何回も起こり、そのたびに乗りこえられていったものと思います。神様、どうか各教会一人ひとりの信徒が心の疲れを取り去り、信仰の喜びを取り戻すことが出来ますように。聖霊の恵みを豊かに注いで下さい。

とうとき主のみ名によってこの祈りをお捧げいたします。アーメン。

私たちに伝えられた命の言葉  

 

申18:15~18、使徒7:17~43 2017.3.19

 先週に引き続き、ステファノの説教を学びましょう。信仰と聖霊に満ちている人ステファノは、イエス・キリストを証しし、伝道の上で目覚ましい働きをしていましたが、それをみていらだったユダヤ人が人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせました。さらにステファノを捕らえて最高法院に連れて行くと、偽りの証人を立てて、「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。」などと訴えさせたのです。

 ステファノが冒涜したとされたのは一つは神です。二つ目がモーセと、モーセが神から頂いてイスラエルの民にもたらした律法です。三つ目が「この聖なる場所」、すなわち神の家である神殿というように整理できます。しかし、どの批判も筋違いであって、何の根拠もないということをお話ししたいと思います。

 今日のお話はモーセが中心になります。ヨセフの時代にエジプトに移住したイスラエルの民は国中に増え広がりましたが、やがて虐待され、奴隷としてこき使われるようになりました。その苦しみから彼らを解放し、約束のカナンの地へと導いて行くために神様がお立てになったのがモーセでした。モーセについては申命記34章10節に「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」という言葉があります。申命記はイエス様が誕生される以前に書かれたので、これは「イスラエルには、イエス・キリストを除いて、再びモーセのような預言者は現れなかった」と、受け取るべきでしょう。モーセはイエス様を別にすれば、空前絶後の人物でありました。

 

 ステファノはモーセを冒涜などしていません。反対派の言うことはみんな間違いなのですが。…ステファノはここでモーセの120年の生涯を、40年ずつ3つに区切って語っています。

 第一の時期が誕生から40歳になる前までの時期です。モーセが誕生した頃、ファラオは「イスラエルの民に男の子が生まれたらナイル川に投げこめ」というとんでもない命令を出していました。モーセの両親は赤ん坊を三か月の間、隠れて育ててきましたが、ついに隠し切れなくなって籠に載せてナイル川に流したところ、エジプトの王女に拾われて、王女の子として育てられたのはよく知られています。

 ステファノは32節で「モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをするものになりました」と言います。…私はここで、なぜエジプト人の教育について高く評価するような言葉があるのかという疑問を持ちました。モーセはやがて、王族という誰もが羨む身分を捨てて、虐げられた民と共に険しい人生を選び取ったのですから、エジプトで受けた教育などすべて投げ捨ててしまったのではないかと思ったのです。…しかしよく考えてみると、エジプト人の考え出したものを何もかも悪とみるべきではありません。エジプトは当時、世界最高と言って良い文明国で、モーセはそこで最高の教育を受けたのです。その中身は推測するほかないのですが、まず文章の書き方とか帝王学とかを学んだことでしょう。ピラミッドを建設するための工学や数学、ナイル川の氾濫から農地を守るための河川の管理なども学んだかもしれません。それが独裁国家の支配階級のために蓄えられた知恵だったとしても、むげに投げ捨てるべきではないでしょう。それらはかなりあとになってから、モーセが神様の前に打ち砕かれてから役に立つことになったと思います。ステファノがこの段階のモーセについて、「すばらしい話や行いをする者になりました」と言うのは、彼のそのあとの時期を語るための伏線となっています。

 モーセの第二の時期が40歳から、80歳になるまでです。自分がイスラエル人であることを自覚したモーセはある日、同胞を虐待していたエジプト人を見て義憤にかられ、打ち殺してしまいました。次の日、イスラエル人同士がけんかしているところを通りかかったモーセが仲裁に入ると、仲間を痛めつけていた男は彼を突き飛ばし、「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」と言ったのです。モーセは、誰も見ていないと思っていた自分の悪事が露見していたことを知って恐れ、エジプトから逃げ出しました。

 この出来事から私たちは、モーセが自分では正しいと考えて実行したことが簡単に破綻してしまったことを知るのです。モーセには、虐待されていた同胞を救い出そうという熱い思いと勇気がありました。最高の教育を受けただけの知恵もありました。しかし、それらはこの時、役に立たなかったし、同胞のイスラエル人にすら理解してもらえなかったのです。モーセが逃亡したのには、自分がどれほど身の程知らずだったか知ったということもあったはずです。 こうしてミディアン地方に行ったモーセは、そこで40年を過ごします。

羊飼いとしての生活を送り、家庭も持ちます。その期間にモーセの胸に去来したのが何であったか、彼が何を学んだのかはわかりません。確かなことは、神様がことを始めるまで、イスラエルの民が置かれた状況は変わらなかったということです。今は時を待つしかありません。私たちはモーセが40年エジプトに戻らなかったことから、奴隷制というたいへん大きな問題に対して、人間の知恵ではどうにも出来なかったことを見ることが出来ます。

 モーセの第三の時期が彼が80歳の時に始まります。虐げられた同胞を救おうとする気持ちなどとうに失ってしまっただろうモーセに神は突然、天使を通して現れなさいました。その声は、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と告げます。かつてイスラエル民族の祖先たちをメソポタミアから導かれた主なる神が、いまその子孫を救い出そうとして、モーセを選び、指導者として立てられたのです。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。」主なる神様のこのみ心によって立てられ、イスラエルの民に遣わされたモーセはこのあと目覚ましい活躍をしましたが、ステファノはその中で大事な点を簡潔にまとめています。

 まず「この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。」。全くその通りです。

 次がモーセの言った言葉で、「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。」これは申命記18章からの引用ですが、少し説明しましょう。これは申命記5章の後半に書いてあることがもとになっています。そこには長老たちの声が記録されています。神がモーセに語りたもう声を自分の耳で聞いた長老たちが非常に恐れ、死の危険を感じたために、この恐ろしい声を二度と聞かなくてよいようにと願うのです。神はその願いはもっともだとされて、長老たちが直接神の声を聞くことがないように、預言者を通してみ言葉を語ると言われたのです。こうしてそれ以降、普通の人間が神のみ声を聞くことはなく、預言者が神の声を取り次いで語ることになったのです。…もっとも預言者というのは旧約時代に何十人もいるのですが、しかしモーセほどの人は出ませんでした。そのことは皆さんも旧約聖書から確かめることが出来ます。

 モーセは神と直接語り合い、人間が罪を犯した時、神の前でとりなしました。神がイスラエルの民のことを怒って、これを滅ぼされようとした時、モーセがそれこそ命をかけて必死にとりなしたので、神が怒りを鎮められたということが何度もあります。そこでモーセが、神はわたしのような預言者を立てられると言う時、それは普通の預言者のことではなく、何よりイエス・キリストのことを意味していると言わなければなりません。イエス・キリストはとうとい命を差し出して神の人間に対する怒りを鎮められたのですから、モーセと同じような、いやモーセを超える方であられます。ステファノはここで、大祭司を初めとするユダヤ人に向かって、あなたがたが尊敬してやまないモーセがすでにイエス様のことを預言しているのだ、と告げたのです。

 ステファノはさらに言います。「この人、すなわちモーセが、荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」

 モーセが伝えてくれた命の言葉の言葉とは何でしょう、それが十戒を中心とする律法であるとステファノは言うのです。…ところで皆さんは律法が命の言葉であるということを聞いたことがありますか。おそらくないと思います。その場にいたユダヤ人にとっても、驚くような言い方であったに違いありません。

 ユダヤ人にとっては、律法とは神から一方的に与えられた命令であったでしょう。神は人間からはるかに離れた場所で孤独の中に鎮座まします方で、その方から与えられた命令である律法の前に人間はただ恐れおののいて従うほかありませんでした。…しかし、ステファノが見ている神はそのような神ではありません。神は三位一体の神で、父、子、聖霊が互いに交わりあいながら一つとなったお方です。この神は決して孤独の中に鎮座まします方ではありません。人間を礼拝へと召し、その礼拝を受け入れて下さる方です。そうしますと、神の言葉は一方的な命令ではなく、語りかけとなります。律法も語りかけです。

私たちが旧約聖書の中の律法を読む時、冷たい、一方的な命令にしか見えないこともあるかもしれませんが、本当はそうではないのです。神は律法を与えることを通して、人間と礼拝を介した生きた交わりを持とうとされています。従って、律法を機械的に守って行くことが重要なのではありません。

律法という神様からの語りかけに応えて生きることで、人間の側からも神様との交わりを持つことが出来ます。こうして神と人間とは互いに語り合う関係になるのです。

 そこに「命の」ということがついています。「命の言葉」とは、私たちを本当に生かす言葉、律法は人間を神様の前で本当に生きるようにさせる言葉です。だから律法を与えられた民は、規則に縛られた不自由な、窒息しそうな生活を送ることではなく、神様とのいきいきとしたコミュニケーションの中で、日々生かされることこそが求められているのです。…モーセは、このような「命の言葉」としての律法を、神様から受けて人間に伝えてくれました。しかし今ユダヤ人、特にその指導者たちは、律法を神の絶対の掟として位置づけ、神とのいきいきした交わりなしにそれを守ることが神の民の印だと主張しています。ステファノは、それはモーセに従ったことになるのか、と問うのです。

 すでに、モーセがひとりで神から十戒を受けていたちょうどその時、イスラエルの人々はモーセが帰ってくるのを待ちきれず、若い雄牛の像を造って拝んでしまいました。皆さんには意外かもしれませんが、人々は、これを主なる神とは全く違う神とは考えていませんでした。これがイスラエルの神であり、自分たちをこの所まで導き出して下さった神だと信じたのです。そのようにして、目に見えない神を目に見えるものとして手元に置きたかったのです。正しい信仰のはずが実はそうではなかった、それがイスラエルの民が陥った偶像崇拝の恐ろしいところです。

 42節以下、これはアモス書5章25節以下の引用で、そこではイスラエルの民が信じた偶像神が出て来ます。モレクの御輿やライファンの星を担ぎ回ることには、自分たちの手で造った神々によって救いを得たい、という思いが現れています。神はそんな背信の民のことを怒って、外国の軍隊によって国を攻め滅ぼし、異国に連れてゆかせました。

 ステファノの話を聞いていた人々は、自分たちは若い雄牛の像を拝んだような連中とは全く違うと自負していたはずです。しかし、本当にそうでしょうか。

まことの神の民なら、律法を命の言葉として受け取り、その導きに身を委ねて歩む者であるはずです。しかし実際にはそうなっていません。律法の一つひとつの言葉をまるで偶像のように見なし、それを守って行くことに汲々としているのです。

そこでは、肝心の神様との交わりがおろそかになっています。もしもその人たちが、命の言葉によって生かされているなら、ほかならぬモーセが告げている「わたしのような預言者」、イエス様を受け入れないということは絶対にないはずなのです。

 イスラエルの民は、モーセをたたえながらモーセが言っていることを退け、偶像を拝むようになりました。その態度は、命の言葉に信頼せず、自分で造った偶像に依り頼もうとした、ということです。39節によると、若い雄牛を造った人たちは、自分たち出て来たエジプトをなつかしく思ったということです。エジプトは奴隷の国であると共に偶像崇拝の国でもありました。そしてこの時、イエス様を退けて十字架につけた人たちも、やはり神様からいただいた本当の自由を投げ捨て、奴隷の国、偶像崇拝の国をなつかしみ、そこに戻って行こうとしているのではないでしょうか。

 ステファノの話を聞いている人たちの怒りが高まってくるのが見えるようです…。私たちは今、どこにいるのでしょう。ステファノと一緒なのか、それともステファノを糾弾する側にいるのか、…その答えは私たち一人ひとりの今後の信仰生活が証明してくれるはずです。神様のお守りがありますように。

 

(祈り)

 天の父なる神様。先週、私たちは一人の姉妹を天に送り、悲しみの続く中にありますが、しかしその思いに主イエスが寄り添って下さり、今日もこうして礼拝を通してこの世にはない恵みを下さっていることを感謝申し上げます。

 神様、昔のユダヤ教の指導者たちは、モーセを崇めながらモーセの示した道から離れてしまいました。そのことを知った私たちが、イエス様を崇めながらそれが建て前だけの信仰となってしまい、実際にはイエス様から離れてしまうことが決してありませんように。自分の信仰をひからびた信仰としないで下さい。そのためも自分自身の信仰を冷静にかえりみる時間を与えて下さい。神様と隣人に仕える生き方を貫徹させるために、何より十字架につけられた主イエスを仰ぎ、悔い改めの人生を歩ませて下さい。この祈りを尊き主のみ名によって、お捧げします。アーメン。

   神の約束を信じyoutube    

         創12:1~7、使徒7:1~16 2017.3.12

 

 今日からステファノの説教を3回にわたって学びます。聖書には説教がいくつも収録されていますが、イエス・キリストの説教を除くとこれは分量においていちばん大きなものといえます。もっとも量だけがすごいのではありません。ステファノはこの説教を語っている間に石を投げつけられ、殉教の死をとげました。だからこれはステファノが死の前に命をかけて語った言葉であり、遺言であるのです。…ただ、その内容については、キリスト者の間でもまだまだ理解されていないような気がします。…この説教が、イスラエル民族の歴史を雄弁に語っているのはわかります。どれ一つとして重要でないところはありません。しかし、…ステファノの説教を聞かされていた側のユダヤ人にとっては、そこで言われていることなど耳にタコができるくらいに頭に入っていたのではないでしょうか。その人たちはきっと「わざわざお前に教わらんでも、そんなことはとうに知ってるわい」と思っていたにちがいないのです。それなのになぜ、ステファノは語ったのでしょうか。

 当時のユダヤ教の中で、旧約聖書に書いてある民族の歴史をまとめた説教があったかどうかわかりませんが、ただ、そういうものがあってアブラハムやヨセフのことを語ったとしても、ステファノの説教とはだいぶ違ったものになっていたはずです。歴史は見る角度によって違ってしまうからです。

 私たちはイスラエル民族の歴史をどこにでもある民族の歴史の一つとは考えませんが、ユダヤ教徒のように、過去・現在・未来を通して世界で唯一無比の民族の歴史と考えることもしません。イスラエル民族は確かに神の民であった、しかし今、神の民はユダヤ人キリスト教徒を含む、イエス様をキリストと信じるすべての人々でありますから、そうしますとステファノの説教が語っていることはまさに私たちの先祖のことなのです。自分にもつながっている人々の歴史として、見てゆきましょう。

 私たちはまず、この説教がステファノにとって弁明であるということを確認しましょう。

大祭司が「訴えのとおりか」と尋ねたことに応えて、説教が始まったのですが、では何が訴えられたのでしょう。ここでステファノが逮捕されたいきさつを振り返ってみることにします。

 信仰と聖霊に満ちている人ステファノは、イエス・キリストを証しし、伝道の上で目覚ましい働きをしていました。ローマ帝国の元奴隷で、ユダヤ教を信じている人たちが立ち上がってステファノと議論したのですが、歯が立ちません。そこで彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせました。さらにステファノを捕らえて、最高法院に連れて行くと、偽りの証人を立て、「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。」などと訴えさせたのです。

 ここで、ステファノが冒涜したとされるのは一つは神です。二つ目がモーセと、モーセが神から頂いてイスラエルの民にもたらした律法です。そして三つ目が「この聖なる場所」、神の家である神殿というように整理できます。

 ステファノは大祭司から「訴えのとおりか」と言われて、もちろん「その通りです」なんて言うはずはありません。それらの訴えが間違っていることを論証してゆく中で、イスラエルの民の歴史を民族の祖先アブラハムから順に語ってゆくのです。…残念ながら、ステファノは自分が語りたいことを最後まで語ることが出来ませんでした。もしもそれが出来たなら、彼はきっとイエス・キリストの到来とそのみわざ、十字架、復活、教会の誕生を語ったことでしょう。しかし、これを語る前に激高した人々によって殺されてしまいました。ですから、この説教は未完成で終わっているのですが、ここからキリスト教会の敵に対する弁明を読み取ることができます。ステファノが冒涜したと言われる神、モーセと律法、神殿、これらに対する弁明は説教全体にわたっていると考えなくてはなりません。ただ説教全体を細かく見てゆくと煩雑になるので、私たちはこの説教を3つに分けて考えたいと思います。最初の区分が7章2節から16節までの物語で、ここでは特に神とはどのようなお方であるかということが強調されているように思われます。

 ステファノは「兄弟であり父である皆さん、聞いてください」と、丁重に語り始めます。自分がよそ者でもイスラエルの伝統にそむく者でもなく、あなたたちの同胞であり息子であることを表明しているのです。

 この呼びかけのあと、アブラハムの名前が出て来ます。アブラハムはいうまでもなくイスラエル民族の祖先です。初めカルデアのウルに住んでいたアブラハムは神の命令でそこを出発しハランに、さらに父親の死後カナンに移り住みました。現代の地図ではイラクからシリアに、さらにイスラエルに移住したことになります。…私たちはここで、アブラハムのことを語っても主語は神であることに注意しましょう。「わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき」というのは、次の言葉にかかる修飾語のようなもので、この文の中心は「栄光の神が現れ」てアブラハムに命令を下したということです。ステファノは神を冒涜しているということで訴えられたわけですが、これはそんな言いがかりを封じるだけの信仰の告白になっています。

 神はたしかに栄光の神であられます。聖書には神がシナイ山に降りられた時、

山全体が激しく震えたと書いてあります。…神はそのお姿が見えないにもかかわらず、その声は地球全土に響き渡っているのです。

 それでは、ステファノは栄光の神の特質がどこにあると言っているのでしょうか。第一に、土地とか場所とかに束縛されず、世界のどこにもいまし、どこにも現れ、どこにおいても栄光を現す方であられるということです。東洋では土地神というのを考えついた人がいました。自分の土地より遠くへは行かないのです。古代中近東においても、それぞれの民族にそれぞれの神が想像されていたわけで、行動範囲は決まっていました。ところが栄光の神は、アブラハムがメソポタミア地方にいた時に現れ、ハランにいた時にカナンの地まで連れ出されました。エジプトにいたヨセフのもとを離れられません。その後、モーセがいるところ、シナイ山でも、エジプトでも、紅海でも、40年の荒れ野の旅でも、神は共におられたのです。

 6章13節によると、ステファノは偽証人から「この聖なる場所…をけなして、一向にやめようとしません」と言われていました。偽証ですから、どこまでが本当でどこまでがうそかはっきりしませんが、おそらくは「礼拝は神殿でなくてもできる。二人でも三人でもイエスの名によって集まるところではどこでも礼拝ができる」などと教えて教会での礼拝を勧めたことが、神殿をけなしたと見なされたものと思われます。しかし神は神殿に閉じこめられるお方ではないのです。ユダヤではそれまで神殿で、神殿だけで動物を捧げて礼拝が行われていたのですが、新しい時代にはその必要はありません。世界のどこにもいます神は、世界のどこにおいても人間のささげる礼拝を受け入れて下さるのです。

  私たちは栄光の神の二番目の特質を、神がアブラハムやヨセフなどにして下さったことから見ることができます。それは世界のすべてをご自分のみこころによって導くということです。この、神の働きを摂理といいます。ステファノに敵対した人たちはそのことがわかっていたかどうか、…もしもわかっていたならステファノを殺すことはなかったはずです。

 アブラハムは神の命令を受けた時、行先も知らずに生まれ故郷をあとにしました。メソポタミアからカナンの地まで、当時としては大旅行であったわけですが、それは神にとっては、アブラハムを異教の地の異教の神々から離れさせ、唯一の神への礼拝を確立させる、それによって神の民を作り上げるということでありました。そうしてカナンの地に着くと、神はアブラハムに対して「いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる」と約束されました。アブラハムはこれを信じましたが、…アブラハムと奥さんの間に長い間子供が出来なかったわけです。だから、子供が出来たあとで、神様がアブラハムにこの土地を子孫に相続させると言うのならわかります。しかし、そうではありません。子供が出来ないまま、もう生まれることはないだろうとしか思えない状況で、神様は子供のことを約束なさり、アブラハムはそのことを信じたのです。神の約束が先行します。それをアブラハムは信じた、それが信仰です。後世の人々は、神様の言われる通りアブラハムに子孫が与えられたことを知ることになりました。私たちはここからも、まさに神様のみこころこそがあらゆる障害に打ち勝って貫徹されることを知るのです。

 6節以降に書いてあることも同じ線が貫かれています。神はアブラハムに、彼の子孫が外国で400年の間、奴隷にされて虐げられると告げました。実際、その通りになりました。

奴隷にされた民にとってはまことにつらい、苦しいことですが、そこにも神のみこころが現れています。それを7節の言葉が示します。「彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。」神は人間が人間を奴隷にすることを許されません。それと共にイスラエルの民を奴隷の国から脱出させるのは、彼らの間にまことの神への礼拝を確立させるためなのです。奴隷制度の廃止と礼拝の確立、ステファノは、出エジプトという出来事の本質を、神の言葉から的確にまとめています。

 その次がアブラハムから数えて4代目、ヤコブの12人の息子のことですが、皆さんはよくご存じだと思います。父親にえこひいきされたヨセフを兄たちはねたんで、奴隷商人に売ってしまいました。父親には、ヨセフは野獣に食い殺されたらしいと報告するのですが、何という家族でしょうか。神の民と言っても実際はそんなものなのです。その後の展開はヨセフにとっても、また父親や兄たちにとっても、全く予想だに出来ないこととなりました。ヨセフはエジプトの大臣になります。世界的な飢饉がおそってきたために、食料調達のためにエジプトに向かった兄たちは、大臣である弟ヨセフとめぐりあい、その結果、一族みんながエジプトに移り住むことになります。

 ヨセフ物語の中で最も重要なのは、ヨセフがこの一連の出来事に与えた意味づけです。それは創世記45章7節8節に書かれています。ヨセフは兄弟たちに、私はあなたがたがエジプトへ売ったヨセフですが、今はそのことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありませんと言ったあと、こう述べています。「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」人間ではない、神こそがこの一族を動かし、導いておられます。

 このあとヤコブはエジプトに移住し、そこで最期を迎えます。約束の地カナンで死ぬのならともかく、年を取ってから全然違う土地で死ぬのですから、それはヤコブにとって不本意な死だったのでしょうか。そうではありません。ヤコブは死ぬ時に自分の葬りについて指示を与えていました。それがカナンの地シケムにある、かつてアブラハムが大金を払って買い取った墓に葬ることでありました。このことはヤコブはエジプトで死んでも、心は神が約束して下さった地にあったことを示しています。…死はすべての終わりではありません。

ヤコブは人間の生と死を貫いて働く、神の救いのみわざを仰ぎながら、希望の内に人生をまっとうしたのです。 ステファノの説教の最初の部分を学びました。ステファノに敵対している人たちは、自分たちこそアブラハムの子孫だと信じていたはずです。しかし、ただ血のつながりだけを重んじ、神が世界のどこにもいますことも、またみこころをもって歴史を導いておられることを見ていない人はアブラハムの子孫とは言えないでしょう。これに対し私たちは、アブラハムと血はつながっていなくとも、生ける神を見ている限り、アブラハムの子孫なのです。だから私たちはここに書かれていることを自分の先祖が経験したこととして重んじ、人生のかけがえのない拠り所とすることが出来ますし、そうしなければなりません。神の約束はただ大昔にだけ関わるものではなく、私たちにも与えられているのです。

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。神様が私たちの礼拝を受け入れて下さり、私たちにみ言葉を語って下さったことを感謝申し上げます。私たちが自分の怠惰やこの世の誘惑とたたかい、自分にとって大切なものを犠牲にしながらもこの場に来たのは、ただ神様に会い、み言葉を聞きたかったからです。今がその時だ、近くにおられるうちに尋ねよと、神様が呼びかけて下さっているからです。どうかみ言葉が一人ひとりの心の奥深くに届けられますように。そうして、これを私たちの人生のかけがえのない拠り所として下さいますように。 アブラハム、イサク、ヤコブなどのイスラエル民族の族長たちは、それぞれ失敗もし、罪を犯してもきましたが、世界を救おうとなさる神様のみこころの中で生きて自分が、自分がという思いが打ち砕かれ、みこころの前にひれ伏す体験をしました。私たちはともすれば、神様が自分と共におられることを忘れてしまいます。外からは模範的な信者のように見られながらも、心の中は虫食い状態になることだってあります。祈りがかなえられないことで失望し、祈りがおっくうになることもあります。どうか神様、イスラエルの族長たちがそうだったように、私たちもみこころの前にひれ伏す者として下さい。

 私たちの目の前が苦しみばかりのように見えたとしても、それは神様のみこころではなく、その先に神様からの光があることを見せて下さい。神様がイエス・キリストを通して示して下さった約束を信じて、希望をもって歩んで行こうと思います。尊き主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

   恵みと力に満ちてyoutube

   詩42:2~3、使徒6:8~15   2017.3.5

 

 今日は受難節第一主日となります。受難節はもともとレントと言い、イースターの前、日曜日を除く40日前から始まることになっていて、イエス・キリストのご受難をしのび、節制と悔い改めをもって過ごす期間とされています。私たちは、今日からしばらくステファノのことを学びますが、ステファノは多くの方がご存じのように信仰のために殺され、キリスト教会最初の殉教者となった人です。ステファノの背後に十字架におかかりになったイエス様がおられます。だからステファノを通して、十字架のことがより一層心に迫ってくるのではないかと思いますし、そのことを願っています。

 前回は、エルサレム教会で新しい役員が選出されたことを学びました。教会で食事の世話をするために選ばれたのがステファノを初めとする7人でした。ステファノについて、聖書に信仰と聖霊に満ちている人と書いています。新役員が決まって以来、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムに非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入ったのです。

 ステファノたち7人は食事の世話をするために選ばれました。だから、その仕事は今でいう執事に当たるものとされることが多いのですが、彼がその後いろいろな人々と議論して相手を論破したことや、7章に収録されている説教を見て、本当に執事だったのか、長老ではなかったかと考える人がいます。…聖書にはステファノについても他の6人についても、執事だとも長老だとも書いていないので本当のところはわかりません。…もっとも食事係が立派な説教をしたっておかしくないわけです。ステファノは心をこめて食事の世話をする人だったからこそ、教会のために偉大な働きをすることが出来たと言えるのではないでしょうか。

 ステファノは自分では意図していなかったと思いますが、結果的にキリスト教会最初の殉教者となりました。そこで初めに、殉教ということに触れておきたいと思います。

 殉教という言葉は信仰の証しのような意味で使われることが多いです。殉教者というのは、不信仰な人間にとっては、爪の垢でもせんじて飲まなければならないような人ですから、大いにたたえられるわけですね。…日本キリスト教会の大会でも、いつだったか、「我々は殉教する覚悟がなければならない」という発言が出たことがありました。

 ステファノがキリスト教会最初の殉教者となったことは、昔からずっと記憶され、記念され続けてきました。ステファノのあと、使徒ヤコブが殺され、ペトロもパウロも殺されました。初代教会の時代、ローマ帝国による想像を絶する、すさまじい迫害の中で、さらに多くの殉教者が出ました。その後ローマ帝国ではキリスト教が公認されるなどして迫害の嵐は治まったものの、歴史を通して見ると現在まで殉教者は出ています。教会はカトリックであれプロテスタントであれ、こうした人々を覚えて、記念しているわけですが、その時、彼らに先立って主イエスが十字架におかかりになったことが確認されています。

主イエスこそすべての殉教者が模としたお方です。       

 主イエスは教えられました。「人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」ルカ福音書6章22節23節のみ言葉です。聖書はさらに、弟子たちの殉教を予告するような主イエスの言葉を記録しています。

 キリスト者は主イエスから頂く恵みにあずかるだけでなく、彼のあとに続かなければなりません。それは主イエスと苦難を共にするということです。私たちは5章41節で「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」というのを読みました。常識では考えられないことですが。使徒たちは悪事を行ったことでひどい目にあわされたのではありません。だから恥じることはありません。イエスの名のゆえにこういうことになったのです。すでにイエス様ご自身が、追い出され、ののしられ、汚名を着せられていました。こうして使徒たちはイエス様と一体化することを喜びとしたのです。

 使徒たちは最高法院で鞭打ちの刑を受けましたが、ステファノの時はさらに程度が進んで、石打ちの刑に処せられました。ステファノが罪なくして殺される時、主イエスと同じく死ぬことになったことを喜んだかどうかわかりませんが、ある意味でそれは喜びであったと言えます。ステファノの死は教会にとって、敗北ではなく、むしろ勝利でありました。そういうことを私たちはこれから学ぶことになるでしょう。

 しかしながら私たちは、一足飛びにそこに入る前に、もう一つのことをしっかりと見ておかなくてはなりません。それをしないで、ただ殉教者をたたえるばかりなのは危険です。いま世界には、自爆テロを起こしながらそれを殉教と見なしている人がいます。

私たちも最悪の場合、そうした考え方に引きずりこまれる危険があるので、仮にも誤った道に引きずりこまれることがないよう、まずは聖書から訓練を受けることが必要です。そこで、創世記22章にある、アブラハムがイサクを捧げた出来事を思い出してみましょう。神はアブラハムの信仰を試そうとして、彼にモリヤの山に行って、愛する息子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげるよう命じられます。アブラハムにとってそれは、何よりつらいことでしたが、神に従いました。アブラハムが刃物を取り、まさにイサクを殺そうとするその瞬間、御使いが現れて、イサクの命は守られたのです。

 この話で、アブラハムは山に登る途中、イサクから「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」と問われて、「きっと神が備えてくださる」と答えています。実際その通りになりました。神は羊を備えて下さったので、アブラハムはこれを焼き尽くす献げ物としたのです。

 これは何回聞いてもよくわからない話です。いったい、神はなぜアブラハムにあんな大変な命令を下したのでしょうか。神は最後にイサクの命を助けたけれども、あんな命令を出すこと自体、残酷ではないかと思っている人が大勢いるはずです。…ここにはヒューマニズムといったことではとうてい推し量ることの出来ない、神のみこころがあるのです。アブラハム本人は最後までわからなかったのではないかと思います。しかし、神がなされたことは真実でありました。

 この話でアブラハムは、自分にとってもうこれ以上はない宝物を神にささげました。息子を捧げるということは、アブラハムにとって自分の命をささげるよりもっと難しいことでしたから、これは殉教をさらに超える行為と言えます。アブラハムは考えられる限り最も価値の高いものをささげた、しかし神はこれを受け入れなかった、…神が望まれる以上のものを人はささげることが出来ないのです。そうして代わりに神が用意されたものをささげた、それがことの本質です。
 もう一度振り返ってみましょう。アブラハムは献げ物をしました。私たちは普通、献げ物の価値が高ければ高いほど神はお喜びになると考えます。とするとアブラハムは、自分の命より大切なものをささげたのです。古来、殉教者を神に献げられた犠牲と見なす考え方がありました。それなら神は、アブラハムの最高の献げ物を喜んで受け取るというふうになりませんか。実際、他の宗教の中には、人間を殺してささげ、それを神だか悪魔だかわかりませんが、喜んで受け取るということがありました、人身御供ですね。

ところがアブラハムの場合そうはならなかったのです。神はアブラハムがささげようとしたものを受け取られませんでした。ならばどうしたか。神おん自ら犠牲の羊を備えて下さったのです。…やがてこの出来事は、イエス・キリストの十字架につながっていることが見えてきました。もちろんすぐにではなく何千年もたってからですが。それはこういうことです。アブラハムは息子をささげなくて良くなったわけですが、しかし本当に息子をささげた方がおられた、それが他ならぬ父なる神であったのです。アブラハムの苦しみは愛する御子イエス様を十字架上にささげた父なる神の苦しみを指し示しています。それは同時に、人の命を神にささげるということにおいて人間ではなく神に主導権があることが示されているのです。

 私たちはこのような方向から考えていかないといけません。日本の教会はかつての戦争中、信仰の本筋から逸脱してしまいました。1944年、戦時下の日本基督教団の新聞に書いてあったことを紹介します。そこで殉教について触れていました。「今国民総武装の時である。我々一億国民は皆悠久の大義に生き、私利私欲を棄ててひたすら困難に殉ずることを求められている。然るにこの困難に殉ずる処にこそ福音への『立証』があり、『殉教』がある。吾々基督教信徒は何を躊躇することもない。前線に召された者は前線に於いていさぎよく大君の御盾となって国難に殉ずべし。之即ち殉教である。」

 ここでは戦死することが殉教とされています。他の人に、神様のために命を捨てるよう勧めること自体問題をはらんでいますが、そこでは「大君の御盾となって」死ぬことが信仰の証しとなっているのです。こうした言葉に鼓舞されて、戦場へと向かい戦死したキリスト者の兵士も少なくなかったでしょう。殉教ということを美化していくと、このように自分や他の人の命をいたずらに失わせる結果を生むことがあるのです。こんなことを言うと、祖国のためにということで敵艦に突っ込んでいった兵士に対して非礼でしょうか。そんなことはありません。…キリストのために死ぬことが必要な場合は確かにあります。しかしキリストのために生きることが必要な場合があり、こちらの方が圧倒的に多いということを知っておきたいと思います。

 前置きがずいぶん長くなりましたが、こうしたことを踏まえた上でステファノの話に入って行きましょう。

 8節:「さて、ステファノは恵みと力とに満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の中で行っていた。」ステファノは恵みに満ち、上からの、神からの恵みに満ちていました。力に満ち、そこには聖霊が注がれたことによる力がありました。ステファノはこの恵みと力によって、すばらしい不思議な業としるし、すなわち奇跡を行っていたわけですが、それは彼の言葉に知恵を与えることにもなりました。

 「解放された奴隷の会堂」に属する人々と書いてありますが、解放された奴隷とは、もともと奴隷であった人で、自分を解放するだけの身代金を払ったか、他の人に払ってもらったかした人で、その人たちの出身地は各地に散らばっていましたが、エルサレムに集まってユダヤ教の信仰を続けていたということです。この人たちが立ち上がって、ステファノと議論したのですが、ステファノが知恵と“霊”によって語るので、歯が立たなかったのです。

 議論によってキリストの真理を明らかにすることが、昔は重んじられていたと思いますが、現在は敬遠される風潮にあります。やはり議論は必要です。これは理屈っぽいことを言って相手の逃げ道をふさぎ、やりこめることではなくて、意見の全く違う相手に対しても敬意を失わず、諄々と説得していくことです。ステファノもそうしたのだと思いますが、その結果は彼が最高法院に連れてゆかれることになりました。

 ステファノの裁判の様子は主イエスの裁判とよく似ています。どちらも議論では勝てなかった人々が数を頼み、偽りの証言を並べて、被告を死に追いやってしまうのです。この裁判については、来週の説教でも触れることにします。

 15節の、ステファノの顔はさながら天使の顔のように見えたというところです。これは彼の内に天よりの恵みと力があふれ出て、この人はまさしく神から遣わされた人であってそこに偽りのないことが皆の前に明らかになったということだと思われます。それなのになぜ石で撃ち殺されることになったのかが疑問ですが、これから先明らかになることを望みます。

 最後にまた殉教の話になります。殉教をたたえる信仰者は昔から今までたくさんいるわけですが、その人が見ていることが死によって終わってはならないと考えます。ステファノは死ぬことになりますが、それは彼が滅びたことを意味しません。それはイエス・キリストがその十字架にもかかわらず、今も生きて世界を治めておられるのと並行しています。殉教の死の向こうに復活と信仰の勝利を見る、それがあってこそこれが私たちを生かす道しるべとなるのです。

 

(祈り)

 父、御子、み霊なる神様。今日、み言葉とその説きあかしによって、自分では思ってもみなかった、考えようともしなかったことに目が開かれたことを思い、感謝いたします。

 数年前、日本のキリスト者に大きな波紋を投げかけた出来事がありました。高橋哲哉という人が、日本人は福島と沖縄を犠牲にして自分たちだけの身の安全をはかっているといういわゆる犠牲のシステム論を展開した時に、キリスト教会はキリストの十字架を錦の御旗にして、キリストに倣えということで特定の人たちに犠牲を強いてきたのではないかと問題提起したのです。その考えは日本の教会に衝撃を与えましたが、しかしそのことによって、もう一度十字架を根本から考え直してみようという機運が生まれたのは、教会にとって幸いなことだったのかもしれません。

 神様、私たちの信仰をご利益信仰にも、建て前だけ並べたてるいのちの欠けた信仰にもしないで下さい。受難節にあたり、私たちをステファノの死を通してキリストの十字架を見つめるようにさせ、さらにその先にある復活の光のもとまで導いて下さるようお願いいたします。

必要なことはただ一つ      2017:2:26

詩篇27:4  ルカ10:38~42 山本盾伝道師

 愛する兄弟姉妹の皆さん。教会ではこのように、お互いを「兄弟姉妹」と呼び合うことがありますね。そして実際、私たちは主の家族、主にある兄弟姉妹なのですけれども、本日皆さんとお読みしますルカによる福音書10章の最後に記されたエピソードには、血の繋がった本当の姉妹が登場します。マルタとマリアです。主イエスは、この姉妹とその兄弟ラザロを深く愛しておられました。しかし、主イエスとの愛の交わりの中に置かれていたこの姉妹にも、一つの問題がありました。それは、奉仕をめぐる葛藤です。共に主に仕えようとしていた姉妹の間に、なぜこのような緊張関係が生じるのでしょうか。血を分けた間柄のせいでしょうか。それとも、何か別の原因があるのでしょうか。そして、主イエスはここで何を私たちに教えようとなさっているのでしょうか。今日も聖書のみ言葉に聴きましょう。

 福音書に記された主イエスの御教えの中には、腑に落ちないと言いましょうか、一度読んだだけでは納得できないような話が幾つもあります。ガダラの豚が湖で溺れ死ぬ話や、主に呪われた無花果の木が枯れてしまう話とか、不正な管理人が主人に褒められる話などを聴くと、私たちは戸惑ってしまいます。そしてこの「マルタとマリア」の話にも、素直に聞き取れない内容が含まれているように思われます。神学生の頃、ある教会の青年にこう尋ねられたことがあります。「マルタは一生懸命働いていたのに咎められて可哀想じゃないですか。どうして何もしていないマリアの方が評価されるんですか。納得できません」。別の教会でも、あるご婦人からこう聞かれました。「マルタの奉仕の業も大切ではないのですか。マリアに手伝わせようとするのは間違いでしょうか。腑に落ちません」。なるほどもっともな意見です。私はそれぞれに説明しまして、その場では納得してもらったのですけれども、どちらも即興でしたし、正しく回答出来たかどうか、正直自信がありませんでしたので、いつかこの話にじっくり取り組んで、キリストの福音に則ってきちんと解き明かす機会があればいいのにと思っておりました。

 私、昨年の5月から2ヶ月に一度、交換講壇という形でこちらの教会で主日礼拝説教の奉仕をさせていただいておりますが、当初の予定ですと、来月末の礼拝で説教をすることになっておりましたので、受難節に相応しい聖書箇所ということで、「ナルドの香油」の話をしようと思っておりました。ところが、先月の教会総会で、新しい長老が選ばれたものですから、任職式をしなければならないということで、今回、尾道西教会に井上先生をお呼びしまして、私も1ヶ月早くこちらにお邪魔した訳です。そのため急遽、聖書箇所を変更する必要があったんですけれども、その時に思い浮かんだのがこの箇所でした。

皆さんよくご存じだと思いますが、ヨハネによる福音書では、ナルドの香油を主の御頭に注いで葬りの準備をするのはマルタの妹マリアとなっております。これは丁度いいじゃないかと考えまして、今日の説教で取り上げさせていただいた次第ですが、私はこのように計画を変えさせてくださった神様に感謝しております。それは、何を語るにしても、私の思いではなく御心に従って語るべきだからなのですが、もう一つ理由があります。この箇所から説教するためにある注解書を読みましたら、そこには「マルタとマリアの物語は善いサマリア人の物語と補い合う関係にある」と書いてありました。つまり、ここに記された聖句が何を意味するかは、その直前に語られているメッセージから引き出されねばならない、ということです。昨年11月末に、ルカ福音書10章25~37節の所謂「善いサマリア人」から皆さんの前で語らせていただきましたけれども、それで終っては片手落ちと言いましょうか、折角「善いサマリア人」の説教をしたのなら、それに続く箇所も説教しなければ勿体ない、ということが分かったのです。11月の説教では、互いに愛し合うためにはまず私たちを贖ってくださった方の憐みに縋る必要があると申しました。今日も、私たちに求められている「必要なこと」について語りたいと思います。

 前置きが長くなりましたが、1節ずつ見てまいりましょう。「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた」と38節に書かれています。

「ある村」とは、ヨハネによる福音書によりますとベタニアです。エルサレムの近くにあり、主イエスはその御生涯の最後の週、ここからエルサレムに通われたと考えられています。ルカによる福音書でも、既に9章で2回、主の御受難が予告されておりますので、これは十字架への道の途中の出来事であったと言えます。この時、主を出迎えたのはマルタです。「マルタ」とは「女主人」という意味の名前ですので、二人の姉妹の内、マルタは姉であったと思われます。ラザロが病死した時も、主イエスを出迎えたのは彼女の方で、マリアは家の中で座っていました。そのマリアについて39節にはこう書かれています。「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」。危うく読み飛ばしてしまいそうになりますが、当時としてはこれはとんでもないことなのです。まず、男性が女性の住む家に招き入れられているという点、そして女性がその足もとに座っているという点は、古代イスラエルの社会ではあり得ないとされていました。足もとに座るのは、弟子の態度を示しています。少年の頃の主イエスも、使徒パウロも、そうやって学んだと聖書は語っています。しかしそれは男性の特権でした。マリアはここで男性と同様に振る舞っているのです。世間的には、女性としての立場を弁えず、境界線を踏み越える行いです。

またそれは短時間のことではありませんでした。39節を直訳しますと「彼女は主の足もとに座ってからずっと彼の言葉に聞き続けていた」となります。ですから彼女は長い間聞くことに没頭していたのです。しかも、姉から見れば、彼女は食事の準備を手伝うという義務を怠っているのです。マリアが主イエスに、他の弟子たちが聞いた話を自分にも聞かせてほしいと願ったかどうかは分かりませんが、主イエスは彼女にも「善いサマリア人」の譬え話と律法学者とのやり取りを聞かせてくださったかも知れません。「誰が隣人になったと思うか」と問われた律法学者は答えます。「その人を助けた人です」。主イエスは仰います。「行って、あなたも同じようにしなさい」。ここまで片耳で話を聞いていた姉は我慢できなくなってついに手を止めます。ちょっと待って!私だって今、食事の準備で目が回って倒れそうなのよ。助けに行くのが主の御命令なら、どうして妹は私を助けてくれないの?「姉さん、手伝いましょうか」の一言くらい、あってもいいじゃない。隣人を愛することの中には兄弟愛も含まれるでしょ?だったらマリアはここに来るべきよ。大体イエスさまはどうして妹を甘やかしているのかしら。これは贔屓だわ。と思ったかどうかは分かりませんが、40節にはこう書かれています。

「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。『主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください』」。

 さあ皆さん、このマルタの抗議は正当なんでしょうか。それとも不当なんでしょうか。オリンピックが東京で開催されることが決まってからというもの、この国では「おもてなし」の大切さが強調されることが多くなりましたけれども、そうでなくても、もてなしの心は蔑ろにされてはなりません。しかもこの場合、接待の相手はイエスさまなのです。マルタが張り切るのも無理はありません。十字架の時が近づいているなら尚更です。もう二度と主にお会いできなくなるかも知れないという予感が二人の中にはあったのかも知れません。また、「もてなし」と訳されているのは、ギリシア語の「ディアコニア」、つまり奉仕の業、あるいは執事の務めを表す言葉です。使徒言行録の6章によりますと、初代教会は、日々の分配のことでやもめたちが軽んじられることのないように、また使徒たちが祈りと御言葉の奉仕に専念できるように、食事の世話をする七人を選び出したのですが、そのように教会は、信徒の生活に配慮できる仕組みを整えました。そのことを考えますと、マルタの働きは評価されなければなりません。

 では、一体何が問題なのでしょうか。ルカはマルタが「せわしく立ち働いていた」と言います。

ここには、聖書でここにしか出て来ない「散らす」「引き離す」「脇へ逸らす」という意味の言葉が使われています。つまり、マルタはこの時、「いろいろのもてなしのため」に忙殺され、主から心を引き離され、本来なら主の御言葉に向けるべき注意を散らされ、取り乱していたのです。

しかし、それならばなおのこと、妹は姉の苦境を察して台所へ急ぐべきだったでしょう。「姉さん、ここは私が代わるわ」と言ってマルタを座らせれば良かったはずです。でも皆さん、主イエスはそれをお求めになったのでしょうか。

そうではないと思います。もし、マルタの方がマリアより正しい行いをしているのであれば、主イエスは途中でお話を切り上げてくださったでしょうし、逆にマリアの方がマルタより正しかったのであれば、こう仰ったでしょう。「マルタ、接待は後でいいから、私の所に来て、妹と一緒に私の言葉を聞きなさい」。でもそうすると、誰が食事の準備をするのでしょう。イエスさまや弟子たちがエプロンをつけて台所に立つのでしょうか。それも良いかも知れません。最近は「女子力」という奇妙な言葉が流行っていますけれども、家事をそつなくこなしたり、細やかな気配りをすることが出来るということを指すようです。男性でも、煮物が上手だったり、ケーキを焼くのが趣味だったり、洗濯物を綺麗に畳めたりしますと、

「男子なのに女子力高い」などと変な褒められ方をします。けれども、ここで私たちが問うべきなのは、家事を担うのは誰か、ではなく、何のためか、ということです。私たちは何のために奉仕の業に勤しむのかと言いますと、それは勿論、主のためです。マルタも初めは主のために働いていたはずです。でもいつの間にかそれは、自分のために変ってしまいました。だからこそ彼女は言うのです。「何ともお思いになりませんか」。主の御心、主の思いではなく、私の心、私の思いの方が大事になってしまったのです。私がこんなに一生懸命尽くしているのに、イエスさまは私を見てくださらない、褒めてくださらない。

妹はイエスさまを独占して、するべき仕事を放りだして、私に押し付けている。いつも私ばっかり損をしている。私は大切なことをしているのに、評価されない。妹だけおいしい思いをしている。自分だけが忙しいのは不当だ。そういう自分中心の思いのために心が脇へ逸らされてしまったマルタは、ついに主イエスに命令してしまいます。いら立ちのあまり、主に矛先を向けてしまい、「手伝ってくれるようにおっしゃってください」と言うのです。それは主を自分の思い通りに動かそうとする企てであり、神に成り代わって物事を自分の考えに従わせようとすることです。彼女は女主人ではありますが、主イエスに命令することは出来ません。むしろ彼女こそ主の御命令に従わねばならないのです。

 マルタのような思い違いは、私たちの中でもよくあることです。家庭の中だけのことではありません。教会でも起りがちです。

私、神学生の頃は横浜の鶴見教会に通っていたのですが、あそこは大きな教会で、教会員の数も大変多いです。一年に一回、教会員全員で大掃除をするんですが、会堂も大きいので掃除の分担も大変なんですが、仕事にあぶれている人が必ずいまして、掃除の間暇を持て余している訳です。それは仕方ないですが、掃除を手伝わない人たちが、立ち話をしているんですね。皆が掃除機をかけたり埃をはたいたりしているのに、お喋りに夢中になっているんです。頭に来ますね。「邪魔だからどいてください!」って言っちゃってから、頭を抱える訳です。しまった!また人を裁いてしまった!と思ってももう遅い。私を動かしていたのは隣人を思い遣る心ではありませんでした。自分のしていることが何よりも大切。正しいのは自分で、間違っているのはあの人たちだ。懲らしめてやらなければ、という間違った正義感です。

聖書の言う罪とは、自分中心主義です。私のしていたのは愛の業ではなく、自己義認でした。すなわち自分で自分を正しいとすることです。マルタも、自分を正しいとするあまり、主にお仕えする喜びよりも、マリアに対する妬みや憤りの方が大きくなってしまっていたのです。

 さて皆さん、この事件の核心はここからです。主イエスを操ろうとするまでに高ぶっていたマルタに対して、主が何と仰ったかに注目してください。その前に、まず41節にはこう書かれています。「主はお答えになった」。「主」という言葉が出て来るのはこれで三度目です。僅か5節の短い箇所でこれほど繰り返して「主」という言葉が繰り返されるのは、決して偶然ではありません。マリアは主の足もとで主の御言葉に聞き従っていました。逆にマルタは、主に対して上から見下ろすような態度を取りました。そんな二人の間を裁くようなことを、主は仰いません。41節・42節は、マルタの非難からマリアを弁護する言葉ではありますが、決してマリアの行いがマルタに優るとは言っておられないのです。よくこの箇所を姉妹の優劣の問題と捉えてしまう人がいますけれども、主はここでマルタを叱っておられるのではありません。そうではなく、優しく諭すように、目を覚まさせるように、二度呼びかけておられます。

このように二度呼びかけるのは、あの最後の晩餐の席で主イエスがシモン・ペトロの離反を予告なさる場面にも見られます。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。主イエスは今、マルタの言葉の中に信仰の危機を感じられてこう仰います。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。「必要なことはただ一つだけである」。これが主がマルタに、そして私たちに与えてくださった教えです。以前の口語訳聖書では「しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである」となっていました。これは新共同訳聖書とは別の写本による翻訳だからなんですが、「多くのことに思い悩み、心を乱している」マルタにとって、「多くはない、いや、一つだけだ」と気づかせようとしたという点で、こちらも主イエスの御言葉に違いないと思われます。イエスさまと十二人のお弟子さんたちが食事するには、お皿は何枚必要かしら。まずどの料理を運ぶべきかしら。そういう心遣いも必要です。「わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」という主イエスの御言葉があるように、主イエスや弟子たちを歓迎することは信仰者の証しです。でももし、そのことで人を責めたり、まして主の責任を問うようなことをするなら、一体何のための奉仕でしょうか。マルタは主に指図するのではなく、まず彼女のすべきことを主に語っていただくべきでした。一方、今必要なのは、食べ物ではなく神の言葉だということをよく知っていたマリアは、他の全てを置いて主イエスの御教えに聞き入ることを選びます。主はそれを評価して「マリアは良い方を選んだ」と仰います。でもマリアは奉仕の業をしなくて良いのでしょうか。いいえ。実はマリアは奉仕しているのです。主イエスは仕えられるためにではなく、仕えるためにおいでになったのですから、その御業を受け入れる者こそ、主の御心に従うことになるのです。つまり、御言葉に聞く時、私たちは主イエスの奉仕を受け入れ、そのことによって主にお仕えしていることになるのです。

ただ、間違ってはならないのは、主イエスがマリアの側にお立ちになったのは、御言葉に聞き入ることが彼女にとって主を愛する行いだからであって、

家事に勤しむのは主を愛することにはならないなどとは言えないということです。

もしマリアがその行いを姉の接待の仕事より優っていると思ってしたのであれば、それは自分の誇りのためであって、結局マルタと同じことをしているに過ぎません。

では、私たちが選ぶべき「良い方」とは何でしょうか。実は、「方」と訳されているのは元々、分け前を意味する言葉です。その同じ言葉が、コロサイ書(コロサイの信徒への手紙)の1章では「相続分」と訳されています。使徒パウロはそこでこのように勧めています。「光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように」。私たちは皆、主の掟を守ることが出来ず、本来なら約束に与ることなど許されません。けれども神は私たちを憐れんで、キリストの十字架によって、罪深い私たちを主の民としてくださり、御国の相続人としてくださいました。そのことについてパウロはガラテヤ書(ガラテヤの信徒への手紙)3章でこう語っています。「あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です」。また4章でもこう宣言しています。「ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」。そうです。私たちは皆、罪の奴隷であったのに、御子の血によって贖われ、永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。私たちはただ主を信じることによってそれを約束されました。マリアが選び取り、私たちが信仰に入った時に選んだのはその約束です。それこそが、私たちにとって、また誰にとっても必要なただ一つのことなのです。そして主イエスは最後にこう仰います。「それを取り上げてはならない」。命令形で訳されていますけれども、原文では未来形の受身です。つまり、「それは取り去られないだろう」ということです。同じ言葉が、主イエスの逮捕の場面で使われています。使徒ペトロが大祭司の手下マルコスの耳を「切り落とす」というところです。私たちが御国を相続し、主の家族とされることは、既に私たちの体の一部であり、私たちを生かす命なのです。もしそれが切り落とされるならば、血が噴き出すでしょう。けれども神はそれをお許しになりません。私たちの救いは、神の定めによって、固い御意志によって決められていることなのです。ですからそれは決して「取り去られないだろう」と主イエスは仰るのです。

「良いサマリア人」の譬え話に入る前の対話の中で主イエスは、永遠の命を受け継ぐためになすべき行いは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」という掟を守ることであると示してくださいました。その後半、すなわち隣人愛の教えを説いたのが「善いサマリア人」の物語でした。そして今、それぞれ違った形で主に仕える姉妹を通して、主なる神を愛することについて私たちに教えてくださったのです。どちらもなくてはならないものですが、これらは二つの別々の教えではありません。隣人を見捨てず、憐れんで助けることによって神を愛する。また神の言葉に聞き従うことによって隣人を愛する力を得るのです。なぜなら、主イエス御自身が、そうやって神を愛し、隣人を愛するお方だからです。私たちはその主のものです。私たちは様々なことで思い患い、それによって信仰の成長が妨げられることもありますが、私たちにとって必要なことはただ一つであり、それを聖霊の導きによって選び取らせていただきました。その恵みに感謝して、全てを主に委ねるために、今日も祈りを献げたいと思います。では祈りましょう。

  人は獣にまさるかyoutube  

コヘレト3:18~4:3、ロマ8:18~23  2017.2.19

 

 私たちがコヘレトの言葉を読む時、そこには自分の人生に対して何かの知恵が与えられるのではないかという期待があるものと思います。……「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と言ったコヘレトにとって、人間の命には限りがあって、誰も死から逃れることが出来ないということは、何としても解決しなければならない最も切実な問題でした。死によってすべてが奪い取られるのだとしたら、人がこの世に生きる意味はどこにあるのかと。この問題に対する答えを求めてコヘレトはこれまで、知恵を探求したり、快楽を追いかけてみたりとさまざまな試みを重ねてきたのですが、今回さらにもう一つの問いの前に立ち尽くすことになりました。

 

 昔も今も、少しでもものを考える人なら、この世にたくさんの不正や理不尽なことが満ちていることに怒ったり、心をいためないでいることはないでしょう。…その意味でコヘレトがこの世に失望したのは当然でありました。

 前回読んだところになりますが、16節をご覧下さい。「太陽のもと、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを」。この世にさまざまな理不尽なことがあったとしても、裁判所がしっかりしていれば、まだ救いがあるというものです。ところがコヘレトが見たのは、不正を暴き正義を貫くべきはずの法廷で、不法がまかり通るという現実だったのです。「太陽のもと」を覆うのは邪悪と不正でありました。悪人が栄えて権力を握り、正しい者が虐げられている、その権力構造の中に裁判も組み込まれていました。ですから法廷も、権力を握った強い者の利益を第一に考えて裁判を行います。力を持たない弱い人たちにいくら正義があっても、それが現実を動かし、社会を変えてゆくことはなかなかないということを、コヘレトは知ったのです。

 コヘレトがこうした現実を見た時、悩みはますます深くなってゆきました。彼は人間がどれほど自己中心的であさましく、残忍であるかということを知ったのです。自分の利益のためには他人のことなど考えない人間、そのために正義を曲げてもかまわない人間、……それは果たして人間の名に値するのでしょうか。

 そこでコヘレトはつぶやきました。「神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ」。

 コヘレトは思いました。人間は自分では動物よりすぐれていると思っているけれども、実際にはそんなことはない、人間は動物と変わらないのだと。

 コヘレトが生きた時代は科学が成立する前のことですから、動物のことは現代ほどにはわからなかったはずですが、しかし常識となっていることはあったでしょう。強い動物が弱い動物を襲って食べることは誰もが知っています。動物の世界は弱肉強食・優勝劣敗という掟が支配しているように見えます。…これは現代の科学から見ると単純化のしすぎかもしれません。これに当てはまらないような現象があるとしても、それは無視して、動物の世界はそのようなものだとしてみましょう。…そこで目を人間の世界に転じてみると、やはりそこにも弱肉強食・優勝劣敗という掟が支配しているのです。  

 コヘレトの時代の社会の状況がどうであったかは、4章1節の言葉から想像できます。「見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。」

 コヘレトの見るところ、この世で大きな力を持つ人は神のしもべでも善人でもありません。むしろ他人を押しのけ、虐げて、のしあがっていく人たちです。彼らは自分の権力を守るためにはどんなことでもするのです。

 今日の世界はどうでしょう。強大な軍事力と経済力を持って他国にものを言わせない国があり、その国に従うほかない弱い国があります。権力を握るために自分の肉親さえ殺す指導者がいます。毎日たらふく食事を食べている先進国の人々がいる一方で、毎日の食べ物に事欠き餓え死にするほかない貧しい国の人々もいます。日本の国内でも厳しい競争を勝ち抜いた人々とそうでない人々との間に大きな格差が出ています。

 人間の世界が弱肉強食・優勝劣敗の世界で、ライバルを倒して勝ち進んでゆくか、そうでなければ負け犬と呼ばれるような人になってしまうかの二者択一でしかないとしますと、人間と動物のどこに本質的な違いがあるのでしょうか。コヘレトにとって人間が動物にまさるところはないのです。 「神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ」。これを裏付けるもう一つの理由は、人間も動物もみなひとしく死ぬという厳然たる事実です。

 コヘレトは先に、賢い者も愚かな者も等しく死ぬとは何ということか、と言っていました(2:16)。それでも人間同士ならまだ良かったのです。死ぬということでは人間も馬も、鳥も魚も昆虫も何ら変わるところがありません。「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ」。人間が動物よりもすぐれていると考える人は、この言葉をどう読むのでしょうか。 

 創世記の2章では、神が天地を創造された時に、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた、人はこうして生きる者となった、と書いてあります(創2:7)。…いま命の息と言いましたが、原文では息と風と霊は同じ言葉で、日本語に訳すときに、訳し分けがされています。…人間に命の息が吹きこまれたことを踏まえてコヘレトは言います。動物も人間と同じように息をしている、だから同じ霊を持っているではないかと言うのです。

 コヘレトはさらに、「すべては塵から成った。すべては塵に返る」と言います。人間も動物も死ねば塵に返ります。その意味でも、人間も動物も変わりありません。

 こうして、答えの出ない問題の前に立ち尽くすこととなったコヘレトは、再び以前と同じような結論に達します。「人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。それが人間にふさわしい分である」。

 神がなさることの意味は結局、人間には知りつくすことは出来ません。ですから、まっとうな労働をしながら楽しみを得ることだという、この結論は私たちを納得させるものがあると思います。…しかし、これで満足して良いのでしょうか。…コヘレトの言うことは、何か気休めのように見えてきます。それは、3章の最後の「死後どうなるのかを、誰が見せてくれよう」、そして4章2節の「既に死んだ人を、幸いだと言おう」という言葉に現れています。私たち読者としては、コヘレトが自分の業によって楽しみを得るということを決めたのなら、それをずっと通して行ってほしいのです。この人に幸せになってほしいのです。そうすれば安心出来ます。…しかしコヘレトは、また元の、憂鬱なコヘレトに戻ってしまいました。ということは、コヘレトが、まっとうな労働をしながら楽しみを得るということではとても満足出来なかったことを示していると思われます。「既に死んだ人を、幸いだと言おう」、こんな気持ちから抜け出せないとは本当にお気の毒です。

 それでは、人間は動物と変わらないのかということを、現代の世界の中で考えてみましょう。

 コヘレトの言っていることには、大事なことが含まれています。今日でも、人間は自分を動物よりはるかにとうといものだと考えて、おごっています。動物を殺しても何とも思わない、そのために多くの生物の絶滅を招き、地球規模で環境を破壊しているのは皆さんご存じの通りです。

 ある時、進化論に反対するキリスト教団体のパンフレットを見たら、こんなことが書いてありました。「ダーウィンの進化論が正しいとするなら、人間はサルや鳥やトカゲや虫と親類になってしまいます。そんなことがあるものですか」と。キリスト者の中に、どうしても人間とそれ以外の生物を区別して、人間をいちばん高いところに置きたい人たちがいるのです。

 この人たちは、創世記に神が人間をご自分にかたどって創造され、続けて「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と言われたことを根拠にして人間優越論を主張していると思われます。…たしかに創世記には、そのように書いてあります。しかし、人間がすべての生物の中で特別な位置にあるからといって、人間が自分をいちばん高いところに置こうとするのは危険です。神は人間に「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じられることによって、人間に託された責任がどれだけ重いのかを教えておられるのです。神は、人間が自分こそ地球の主人だとうぬぼれて他の生物や自然環境を破壊するのを認めているわけではありません。

 

 では、こういうことに関連する別の問題を考えてみましょう。動物一般に関してだと問題が大きすぎるので、ペットについて取り上げてみます。

 いまペットを飼う人がたくさんいます。ペットがかけがえのない家族になっている家庭も多いです。しかし、どんなに愛された動物でもいつかは死ぬ時が来ます。そこで、こういう問いが出て来るのです。「私が大切に飼っていた犬が死んでしまいました。この犬は天国に行けるのでしょうか。」

 これに対し、従来の教会ではこう答えるところが多かったのではないかと思います。「天国に入るのは、イエス様を信じた人だけです。動物はイエス様を救い主と信じる魂自体がないので、天国には入れません。土に帰るだけです。」 しかし、このように割り切って考えて良いのでしょうか。ペットとの間に生と死を超える絆を求めている人にはとても納得できない答えです。

 もちろん私も天国を見てきたわけではないので、断定的なことは言えませんが、聖書の学びと最近の諸教会の主張を知ったことから、次のように考えるようになりました。

 人間には動物が持っていないすぐれた能力があります。何より、神を礼拝できるのは人間だけの特権です。人間の一生と動物の一生は違いますし、人間の死の重さと動物の死の重さは違いますから、人間と動物を一緒には出来ません。しかし、すべてのものが神から出ています(Ⅰコリント8:6)。そして詩編36篇7節には、「主よ、あなたは人をも獣をも救われる」という言葉があります。今日お読みしたロマ書も書いています。「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」。被造物の中には当然、動物が含まれています。とすると、神からいただく救いの恵みから動物が除外されるとは言えないのです。犬や猫が天国に行けないとは言えません。

 日本のプロテスタント教会の中に、カンバーランド長老キリスト教会があります。この教会が作った礼拝の式文の中に「動物の埋葬のための祈り」があったので、一部を読んでみます。

 「神様。御子イエス様は、小さな一羽の雀さえ、あなたのお許しがなければ、地に落ちることはないと教えて下さいました。あなたの愛の支配が、小さな生き物にも及んでいることを思い起こし、感謝をささげます。あなたは、私たちにこの動物と共に過ごすときを与え、私たちの生活に美しい装いを増し加えてくださいました。…愛してきたものの死に遭遇して、私たちは深い悲しみを覚えています。…どうか主よ、私たちを憐れんでくださり、魂の平和を回復してください。私たちは、聖書の偉大なドラマの中で動物を豊かに意味づけてくださった神さまに、(この動物)を委ねます。」

 イエス・キリストはただ人間のためだけに十字架におかかりになったのでしょうか。それにとどまるとは考えられません。この地球に生きるすべての生物、地球全体、あるいは宇宙にも及ぶ神の愛の現れが十字架となったのです。

 それであるなら、人間と動物は地球上で共に生きる、お互いにかけがえのないパートナーなのです。だからコヘレトのように、人間も動物に過ぎないと言って嘆くことはありません。人間と動物が大して変わらなくてもかまわない。人間とサルが親戚であってもかまわない。…私たち人間は神の恵みにあずかっていますが、動物たちも、私たちにはわからない仕方で神の恵みにあずかっているのです。こうして、人間も動物も共に、神のみこころの中に生かされていると知ることが、コヘレトの陥った袋小路から脱却する道となるのです。

(祈り)

 すべてのものを創造し、キリストの愛によって生かしたもう父なる神様。私たちが人生の空しさとつらさに耐えられなくなる時、神様がいつも私たちによりそって、お前の人生は祝福されていると教えて下さることを思い、感謝いたします。あまりにも早く飛び去って行く時の流れの中で、死という定めの前になすすべもない私たちに勇気を与えて下さるのは神様です。そして神様は人間だけではなく、動物たちも導いておられます。人間と動物たちが心を通わせることを願っておられます。神様、どうかこの地球に生きる人間たちが、自然を大切にし、動物たちと共存し、そして人間同士も思いやりと助け合いに満ちた社会を築いてゆけますように。私たちにも身近な動物たちとの心温まる年月(としつき)を与えて下さい。コヘレトは空しさの究極のところに陥っていますが、しかし神様はご自分を信じる者たちをそこから救い出して下さることを信じます。神様こそたたえられますように。この祈りを主のみ名によってお捧げいたします。アーメン。

  祈りと御言葉の奉仕youtube

 

  出18:13~26、使徒6:1~7  2017.2.12

 

 今日は、初代教会の教会制度に関係するお話になります。私たちがいま使徒言行録を読んでいるのには、初代教会の歴史を学び、そこから得たものによって私たちの教会生活や信仰生活をより豊かな、より高いものにしてゆこうということがあると思います。現代の教会がもしも閉塞状況に陥っているとしたら、それは初代教会のあり方から逸脱してしまったためかもしれず、それならば、初代教会の制度がどのようなものであったかを探求するのは当然です。

 教会制度というと日本キリスト教会は長老制を取っています。各教会に小会があり、それが集まって中会となり、4つの中会が集まって大会をつくっています。カトリック教会は監督制と言って、ローマ法王を頂点とするピラミッド型の構造になっていますね。一方、会衆制といって、すべての会員が平等で、直接民主制のような形をとっている教会もあります。現代の教会は長老制か監督制か会衆制か、そのどれかに分類されるのです。ただ初代教会はどちらのタイプなのでしょうか。これに答えるのは簡単でありません。

 現代の3つのタイプの教会はそれぞれ、自分たちこそ初代教会の制度を受け継いでいるのだと自負しています。そこで、まず私たちがすべきことは、使徒言行録から初代教会の制度はどういうものだったかということを謙虚に学ぶことです。そうすれば次の段階で、では現代における教会の制度はどうあるべきかということまで考えることが出来るはずです。

 もっとも、今ここには教会制度なんて興味がないし自分には関係ないという方がおられるかもしれません。自分のことだけで精一杯で教会のことなんかどうでもいい、その気持ちはわからないでもありません。しかしながら、「教会なくして救いなし」という言葉があります。これはキプリアヌスという人の言葉です。みごとに真実を現しています。どんな人も、教会を通してでなければキリストに出会うことも、罪から救われることもないのです。そのことがわかれば、教会制度なんて関係ないというのではなく、これはまさに自分の問題だとして受け止めていただきたいと思います。

 歴史上最初に誕生した教会、エルサレム教会にもめごとが起こりました。それは日々の分配のことが原因でした。

 私たちはこれまでこの教会がすべての物を共有にし、お金が捧げられるとそのお金は必要に応じて分配されたことを見てゆきました。ここでは食事の世話が問題になっています。

 そのころ、弟子の数が増えてきていました。使徒たちが逮捕されるということがあり、迫害の足音がしのびよってきていましたが、それでも信者は多くなっていたのです。…集会に集まる人が多ければ当然、ささげものも多いはずです。そこで私たちは、エルサレムの教会は大教会だったから貧しい人々を助けることが出来たと考えるかもしれません。まずは財政に余裕があってこそというのが前提条件、…しかし、それは間違いです。この教会は誕生した時から奉仕のわざを行っていました。当然、初めの内は捧げられるものが多くはなかったのですが、それでも分かち合っていたのです。財産がたくさん集まるのを待ってからということではなく、わずかの財産しかなくてもそれを分かち合い、貧しい人に捧げていたということを知って下さい。かつてイエス・キリストは、五つのパンと魚二匹を五千人で分かち合うことをさせて、皆を満腹させました。持ちあわせているものはたとえわずかであっても、それを他の人と分かち合う時、それは人間の思いを超えて大きくなるのです。

 

 エルサレム教会は人数が増えてくるに従い、生まれも育ちも異なるいろいろな人たちが入ってきました。そこにはギリシア語を話すユダヤ人がいました。これは先祖伝来の地を離れ、ユダヤから見て外地で生活していた人たちです。先祖伝来の言葉を忘れ、ふだんギリシア語で会話していました。その中で、過越祭の時にエルサレムに行って、そのまま戻らなかったり、また年を取ってから望郷の念にかられ、先祖伝来の地に骨を埋めたいと思って帰ってきた人もいたでしょう。教会内でその人たちは自分たちの集まりを作って助けあっていたと思われますが、その中でも社会的地位が低く経済的にもっとも苦しいのがやもめたちでした。

 ヘブライ語を話すユダヤ人というのは、外地に出て行かないで先祖伝来の地にそのまま住んでいた人たちです。同じユダヤ人であっても、言葉が違い、生活習慣が違い、文化も違うとお互いわかりあえなくなってしまいますが、主イエスが復活されたことを聞き、この方が救い主であると信じたことで、同じ教会のメンバーになっていたのです。

 さて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対し、日々の配給のことで、仲間のやもめたちが軽んじられているという苦情が出ました。やもめたちはヘブライ語を話す人の間にも同じくいたはずですが、ギリシア語を話すやもめたちはエレサレムではよそ者に近い人たちで、頼るべき親類縁者もなかなか見つからないわけですから、よけい苦しい立場にいたのでしょう。

 エルサレム教会では使徒たちの足もとに捧げられたお金を使徒たちが管理して、ギリシア語を話すやもめたちの食事にあてていたと思われます。教会の人数が増えていったということは、教会の仕事も増えていったということです。それなのに働き手は已然として12人の使徒たちだけだったとしますと、手が回らないところが出て来るのは当然です。

 そこで使徒たちは弟子を、すなわち教会員をすべて呼び集めてこの問題について協議しました。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 私たち自身、あるいは私たちのまわりに、本来ほかの人に回すべき仕事まで全部自分でかかえこみ、その結果にっちもさっちも行かなくなってしまう人がいませんか。そういう人たちに、ここは実用的な知恵を与えてくれますが、それで終わってはなりません。使徒たちの言葉は、ただ、忙しくて身が持たないから役割分担しましょうというだけの提案ではないのです。教会で神の言葉がないがしろにされてはならないということを第一に考えていたのです。使徒たちは食事の世話という仕事を軽視したのではありません。

それはもちろん大事な仕事ですが、これはほかの人たちにしてもらうことが出来ます。使徒たちは自分たちでなければできない仕事をするのです。

 使徒たちは、七人を選びなさい、彼らに食事の世話の仕事を任せようと告げたあと、「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」と言います。使徒たちが担っていたのは一つは祈りの奉仕であり、もう一つは御言葉の奉仕です。これはもちろん礼拝を指し示しています。使徒たちは礼拝において祈ると共にイエス・キリストの十字架と復活の福音を語る務めを担っていました。…礼拝があって、そこから隣人に対する愛のわざが出て来るのです。…ただ、祈りの奉仕というのは礼拝の時だけに限られません。主イエスは少しでも時間があれば祈るお方でしたが、使徒たちにとっても、ふだんの祈りがなければ御言葉の奉仕も出来なかったでありましょう。祈りは生きること、祈らないことは罪です。

 エルサレム教会に食事の世話をする人がいて、はじめて使徒たちは祈りと御言葉の奉仕に専念出来るようになります。そこで使徒たちは、「あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」と提案します。それまで使徒たちのほかには何の役員もいなかったので、新しい職務を定め、組織化を進めようとしたのです。これは教会内に組織・制度が整えられ、いろいろな職務と奉仕の分業が進められるきっかけとなりました。

 それでは新役員はどのようにして決定されたでしょうか。これは、くじで決まったのではありません。ペンテコステの直前、イスカリオテのユダの代わりの使徒をくじで選ぶことで、マティアという人が選出されました。その時、くじは神意、神のみこころを問うものだったのです。しかし、そのあとくじは用いられません。くじを用いない時代に入ったのです。

 では次に、7人の選出が私たちがやっているような選挙で決まったのかどうかを検討してみましょう。…私たちは、まずこれが使徒たちが主導して行われたことを確認しましょう。人々が自分の思いでもって選んだのではありません。もしそうなら人気投票に近いものになってしまいます。新役員の資格を「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」と定め、その数を7人と決めたのは使徒たちです。祈って7人の上に手を置いたのも使徒たちです。つまり新役員の選出を準備し、その資格を定め、任命したのは使徒たちです。ただ、使徒たちが7人を選んだのではありません。全員出席のもと一同は7人を選びました。

ただし、全員一致で決まったのかとか、出席者の3分の2以上の賛成があったのかといったことは、ここからは判断出来ません。

…7人が、人間の思いではなく神のみこころによって決まったことだけは言えます。

 こうして選ばれた7人、ステファノ、フィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオですがみなギリシア風の名前です。シモンやユダといった名前があると、これはヘブライ語を話すユダヤ人だなということになるのですが、どうもギリシア語を話すユダヤ人が選ばれたようです。7番目のニコラオはユダヤから見て外地であるアンティオキアの出身、もともと異邦人だったのが割礼を受けてユダヤ教徒となり、さらにキリスト教徒になったのだと考えられています。

 まあ、ここらへんのことは学者にまかせておいて、気になるのは7人がこのあとどういう仕事をしたかということです。それは食事の世話だったのでしょうか。そう考える人は、7人は最初の執事だったとみなします。ですから執事の任職式には、よくこの箇所が読み上げられるのです。

 ただ、使徒言行録をこの先読んでいくとステファノが目覚ましい働きをするのです。逮捕され、反対派の前で説教し、ついに殉教します。フィリポもエチオピアから来た宦官に洗礼を授け、エチオピア伝道の発端を作るのですが、ステファノもフィリポも食事の世話をしたことは何も書いてありません。あとの5人については、名前以外何もわからないままです。そこで、与えられた情報から判断して、7人は長老だったと考える人がいますが、皆さんはどう思われますか。

 使徒言行録で長老という言葉は11章30節に初めて登場します。「そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。」ここに出て来るエルサレム教会の長老とはなのか、先に選ばれた7人と重なっているのか、どういう方法で選出されたのか、というのは聖書に書いてありません。

 従って、7人が執事なのか、長老なのか、あるいはそれとはまた違う別の職務に任じられたのかという問題は解決していません。皆さんそれぞれで考えてみて下さい。確実なことは、ここから教会の新しい職務が始まり、組織化が始まったということです。

 初代教会の時代、人々は使徒たちから直接教えを受けることが出来ました。これはのちの時代とは全く違うことですから、現代の教会がどんなにがんばってみたところで初代教会と同じ組織と制度をもった教会をつくることは出来ません。

それでもどの教会も、出来るだけ初代教会に近い教会をつくろうとしています。日本キリスト教会も、その理想を掲げて、現在の組織と制度をつくったのです。

 ステファノなど7人を選出し任職したことで、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入りました。神のみこころが使徒たちを通して教会に現され、人々がこれを受け入れて教会の組織化が始まったことで、神の祝福を受けたのです。…組織化によって、使徒たちは祈りと御言葉の奉仕に専念できるようになりましたし、それと共に最も弱い立場にいる女性たちも日々の分配のことで軽んじられなくなりました。その結果としての神の祝福です。

 広島長束教会が初代教会の歩みを謙虚に学び、組織や制度の面でも改革すべきところが改革されてゆくことを願いますが、その前提となるのが祈りと御言葉の奉仕が真剣になされること、そして隣人に対する愛のわざであります。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。私たちは決して一人だけで信仰生活を送ることは出来ません。教会に行かず、一人で聖書を開いて祈っても、それで救いが与えられるわけではありません。そのことをたくさんの人が証ししています。…最近も、ヨナか放蕩息子のように神様のもとから逃げ、教会から離れて自由を満喫したあげく、どうしても心にあいた大きな穴を埋めることが出来ずに教会に戻ってきた人の話を聞きました。まさに、教会なくして救いなしというのは本当です。

 日本には教会がない町もある中、私たちにこの教会が与えられていることを感謝いたします。教会には、これをとうとび、教会のために労を惜しまない人が絶対に必要です。すべての教会員が、教会の行く末に自分の人生がかかっていることを思い、礼拝と愛のわざに心をくだく者でありますように。長束教会は1月に定期総会があり、今年度の役員が決まりました。役員が神様から頂いた務めにいそしむと共に、教会に属する者皆が役員のために祈り、支え、こうして皆が神様の下、一つの心になって、教会をこの地に輝かせて下さい。とうとき主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

  人間からか、神からかyoutube  

 

イザヤ40:6~8、使徒5:33~42  2017.2.5

 

 私たちは、12人の使徒たちが、大祭司などユダヤ教の指導者たちによって逮捕されたものの、命の言葉を告げなさいという天使の言葉に従って牢獄を出て民衆に教えたこと、再び逮捕されても、ひるむことなくこの命の言葉を語ったところを見てきました。イエスの名によって語ってはならないと迫る大祭司に対し、使徒たちは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と力強く宣言します。そして、さらに、神が十字架につけられたイエス様を復活させられたこと、神はイエス様を信じる者が救われるようになるためにこの方を導き手とし、救い主として御自分の右に上げられた、自分たちはこのことの証人であると語ったところから今日のお話が始まります。

 

 人間なら誰もが、神に従うか人に従うか決断が迫られるということが起こります。それはたまにしか起こることではありません。睡眠中は違うとしてもしじゅう起こることです。もしかしたら一瞬一瞬、このことが問われているのかもしれません。

 信仰者であるなら、自分は神に従っている、人に従っているのではないのだと言いたいはずです。しかし、実際にその通りにするのは簡単なことではありません。かりに、神に従うことが自分の身を危うくすることだったとしたらどうでしょう。江戸時代のキリシタンは踏み絵を踏むかどうかというところに立たされましたし、戦前・戦中の日本でも神社参拝を拒否した信者が投獄されるということが起こりました。幸い現在の日本はそういう状況ではないので、私たちはぎりぎりの場面で信仰を試されるということを経験しないですみます。

 しかしながら、私たちは迫害のような目に見える困難を経験していないにもかかわらず、信仰第一の人生をまっとうできているわけではありません。かつての日本で、恐ろしい顔をして信者の前に立ちはだかったサタンは、今は私たちの前にやさしい顔で現われて、滅びにいたる広い道へといざなっているのかもしれません。信者にとって、たとえ命の危険はなくても、巧妙な誘惑がはりめぐらされているということがあり、そのために、神様に従っているつもりが、いつのまにか人間に従っているということが起こるのです。逮捕された使徒たちをめぐって起こっていることもこうしたことと関係があり、こんなことは今の日本には起こらないと言い切ることは出来ないのです。

 再び逮捕されて大祭司たちの前に引き出された使徒たちは、自分たちは人ではなく神に従うと宣言すると共に、イエス様が救い主となられたこと、自分たちはその証人であることを語りました。これを聞いていた人々は、その時、自分たちが実に、救いの恵みへと招かれていたことを悟るべきでありました。ところが彼らは、その得難い恵みを受け入れず、激しく怒って、使徒たちを殺そうと考えたのです。それは、なぜでしょうか。

 その場にいたのは5章17節によれば、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々であり、またファリサイ派のガマリエルもいました。みんなユダヤ教の最も権威ある人々です。まことの神がおられることを、誰よりも信じて、学び、教えていた人たちです。ですから彼らは、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」ということ自体には反対ではないはずで、むしろ自分たちこそその言葉通りに生きているという自負があったと思います。

 しかし現実問題になると、何が神に従うことなのかということを正しくつかむのは難しいと言わざるをえません。この人たちにとっては、イエス様こそ神を冒涜した人物だったので、イエス様を十字架にかけたことは神のみこころにかなった行為だったわけです。それなのに使徒たちがイエス様の復活を言い広めているわけですから、我慢が出来ません。特にサドカイ派は、死人の復活など金輪際ありえないということを主張していたグループだったので、イエス様の復活と昇天は全く考えられないことだったのです。

 ユダヤ教の最高権威である自分たちは、イエスを殺すことで正義を貫いたのだ、それなのにいったい何を批判するのだ、と思っていた人々がいたのです。そこには、使徒たちへのねたみも大きな要素を占めていました。無学な普通の人間である使徒たちが、自分たちをさしおいて人気を集め、エルサレムを信者だらけにしようとしている、という思いも真実を見る目を曇らしてしまったのです。

 さて、使徒たちを殺すかどうかという緊張で張りつめた場面で、ガマリエルという人物が登場します。この人について34節は、民衆全体から尊敬されていた教師で、ファリサイ派に属していたと書いています。

 ガマリエルの薫陶を受けた人物に、使徒言行録でこののち登場するパウロがいます。パウロは回心する前ガマリエルの弟子でした。パウロは22章3節でこう語っています。「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」パウロを育てたほどですから、ガマリエルはよほど優秀な教師だったものと思われます。

 このガマリエルが議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じた上で、「あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい」と言いました。その理由を示すために、彼は二つの歴史的事実を取り上げます。

 「以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。」

 ユダヤ古代誌という、この時代の歴史書によると、テウダは民衆をヨルダン川までついて来させ、「われこそは預言者であって、自分の命令でこの川を裂き、人々をやすやすと渡らせてみせる」と告げ、多くの人をたぶらかしたということです。

 「その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。」住民登録と言いますと、思い出すことはありませんか。そうです。マリアとヨセフは住民登録の時にガリラヤからベツレヘムに向かったのです。なお12使徒の一人に熱心党のシモンがいますが、ユダはこの熱心党の創設者の一人、ユダヤ民族主義をかかげてローマ帝国に抵抗した人物でした。

 ガマリエルはこうした歴史的事実を見せた上で「あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい」と言います。その理由は、「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」ということでありました。

 その結果、ユダヤ教の指導者たちは使徒たちを殺すのをやめました。大祭司もサドカイ派もファリサイ派も納得し、使徒たちは命びろいしました。…万事がうまくいったようです。こうなるとガマリエルの登場はまるで「地獄に仏」のようにも見えてきます。そこで皆さんの中に、こういう感想を持つ人が出て来るのではないかと思います。「ガマリエルはキリスト者ではないけれども実に素晴らしい人だ。みんながいきりたっている時にそれを鎮め、自分とは異なる信仰の持ち主に対して寛容な精神を示した。なかなかできることではない。ガマリエルのような人物こそ、宗教間の対立が激しくなっている今の世界にほしいものだ」と。

 確かにガマリエルが登場することによって、使徒たちの命は守られました。激高して使徒たちを殺そうとする人々に比べ、ガマリエルが何倍もすぐれているのは本当です。しかし、ここで疑問が起きてくるのです。聖書はガマリエルを無条件でたたえているのでしょうか。

 もしもガマリエルが言ったことがすべて真実で、信じるに値するものであったとしたら、人々はどうして使徒たちをむちで打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたのでしょうか。私はむちで打たれた経験がないので、よくわかりませんけども、これはしばしば死者を出したほどの過酷な刑罰だそうです。使徒たちは以前つかまった時よりも厳しい刑を受けました。そうして、そのあとの経過を見るならキリスト者への迫害はますます激しくなってゆきます。

…それがガマリエルに説得された結果であったとするなら、ガマリエルが教えたことは、決して現代人が考えるほど単純なことではなかったことになるのです。

 そこでガマリエルが言ったことをもう一度検討してみると、二つの歴史的事件に共通点があることがわかります。テウダは殺され、ユダも滅びました。彼らに従っていた人たちも一方は散らされて、跡形もなくなり、もう一方はちりぢりにさせられました。…これと使徒たちに起こったこととを比べてみましょう。…この時点で使徒たちとそのグループは盛んに活動しています。でも運動の創始者であるイエス様は殺されました。ガマリエルはそのことを暗に示しているのです。つまり、「テウダが殺され、ユダが滅びたと同じように、イエスも殺された。だから、次に起こることは、イエスに従った者たちもちりぢりばらばらになることだ」、と言っているわけです。彼は決してキリスト教会を好意的に見ていたのではありません。イエス様の復活と昇天を否定し、むしろ冷徹な計算をしていたことを見逃してはなりません。

 ただ、それでも、教会内にはガマリエルに説得されてしまう人がいると思います。…「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれない」、この発言をもって、ガマリエルを称賛する人が多いようです。

その言葉には確かに説得力があります。…しかしながら、ガマリエルがそこまで考えを深めながら、そこから次の一歩を踏み出すことをしなかったことこそが問題です。…ガマリエルがもしも、キリスト教を弾圧することが神に逆らうことになるかもしれないと思ったのなら、今度はそのことが本当かどうか確かめなくてはなりませんでした。

使徒たちの証言を真剣に検討し、聖書を調べ、祈るということが、一生を神に捧げたこの人のすべきことでしたが、ここで彼は判断を放棄したのです。

 それとも彼は、教会がこの先どうなるかを見極めた上で判断するつもりだったのでしょうか。歴史は、教会が自滅するどころか、迫害の中でも成長していったことを示しており、彼が知らなかったはずはないのですが、そのことで何かをしたわけではありません。ユダヤ教側の記録では、ガマリエルは紀元50年頃、ファリサイ派の教師のまま死んだことになっています。

 そこには神に対するおそれがありません。…実はこのような人が今日、たくさんいるのです。キリスト教で教えている神様は本当の神様かもしれないと思ってもそこでとどまってしまう…。もしもそう思ったら、そこで判断を放棄しないで、真実がどこにあるかつきとめようとすることが絶対に必要です。そこに、自分の人生がかかっているのですから。…肝心なところで判断を放棄してしまう人は、神からではなく、人間から出たものにからめとられてしまうことになるのです。


 イエス・キリストの十字架と復活、そして昇天は、それを聞いた者に重大な決断を迫ります。主イエスの敵とならず、判断停止にも陥らず、この方を受け入れて信仰を告白しつつ生き抜いたのが使徒たちです。彼らは釈放されると、喜びながら出て行きましたが、その喜びの理由は、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことでありました。…普通の常識では考えられないことですが。

使徒たちはイエス様から教えられていたことを思い出していたのでしょう。「人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」と。ルカ福音書6章22節23節のみ言葉です。

 使徒たちは悪事を行ったことでひどい目にあわされたのではない、だから恥じることはありません。

イエスの名のゆえに、こういうことになったのです。すでにイエス様ご自身が、追い出され、ののしられ、汚名を着せられていました。こうして使徒たちはイエス様と一体化するのです。しかしそれは、辱めを受けたままで終わってしまうということではありません。辱めは栄光へと変わります。「わたしはすでに世に勝っている」と言われたイエス様はいま栄光に輝いておられます。その光の中に私たちも入れられており、私たちはその中を歩むのです。

(祈り)

 恵みに富みたもう天の父なる神様。み言葉に飢えかわく世界の中で、私たちがこうして主日ごとに神様を礼拝し、まさに生きて働く聖書の言葉が与えられる恵みを感謝いたします。

 神様、どうか私たちを神様の敵としないで下さい。また、真理を目の前にしながら判断停止に陥ってしまう者にもしないで下さい。私たちの前には、みこころに従うかそれともこれに背くか、二つの道があるだけです。もしも、分かれ道のところで動かなくなってしまえば、それは神様に背くことだと心に思い知らせて下さい。

 人間ではなく神に従った使徒たちは、十字架と復活の主に出会い、昇天も見届けています。私たちが同じ経験をすることは出来ませんが、どうか神様が心の目を開いて下さって、このことを見ることが出来ますように。もしもイエス様を見ることが出来なければ、イエス様と結ばれていなければ、私たちは、自分自身から来る罪に負けてしまい、神様はこうおっしゃっているけど自分はとても出來ないと思ってしまうことになるだけだからです。

 神様、今日み言葉を受けた私たちが、使徒たちの勝利を自分たち自身の勝利とすることが出来ますように。

 とうときイエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

  何事にも時がある  

 

コヘレト3:1~17、Ⅱコリ6:1~2  2017.1.29

 

 時間とはいったい何なのでしょう。人は過去に戻ることは出来ませんし、現在も一瞬にして過去になってしまいます。ああ今年ももうひと月が過ぎてしまったかと思っているうちに、やがて半年が過ぎ、年の暮れになり、新しい年を迎えることになります。

 時は不可逆的に流れてゆきます。人によって時間がたつのを早く感じる人も遅く感じる人もいますが、いずれにしても時間が過去から現在、そして未来へと一方的に流れてゆく中で、私たちはそれぞれに年を重ねてきました。もう一度人生をやり直せたらとか、若くなりたいとか、どんなに願ったとしても過去の自分になることは出来ません。

 私たちにとってと同様、コヘレトにとっても時は重要な問題でありました。彼はここで何度も時について言及しています。「生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時……」、この章で時という言葉は31回も繰り返されています。時というのは人間、どんな人にとっても重要でありますが、神との関係においても重要です。時を創造されたのは神であり、コヘレトは神を信じる人でありました。

 

 時間とはそもそも何かということを考えていくとたいへん難しいのですが、ただ神が創造されたことは間違いありません。宇宙は今から137億年ともいわれるはるかな昔、ビッグバンという大爆発によって始まりました。科学者によるとそれ以前の時間というのは考えられないそうです。ちょうど絶対零度であるマイナス273度以下の温度が考えられないように、ビッグバン以前というのは考えられないということです。つまり時間は空間と共に神によって創造されました。神は全くの無から宇宙を造り、それと共に時間が流れ始めたのです。創世記の初めの天地創造の物語の中に、神が光を造られ、そうして夕べがあり朝があったこと、大空に太陽と月を造って季節のしるし、日や年のしるしとなれと言われたことが書いてあります。ここでは神話的な表現ながら、神が時間を造り、いわば世界の時計をみ手のうちに掌握されていることが主張されています。…宇宙に、地球に、神から与えられた時があります。私たち一人ひとりの人生にも同じように神から与えられた時があります。それは人間にとってどういう意味を持つのかということをコヘレトは問いかけます。

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」ということは、コヘレトが語ったさまざまな例から明らかになるでしょう。

 まず「生まれる時、死ぬ時」を見てみましょう。人は誰も自分が生まれる時を選んで、生まれてくるわけではありません。自分は生まれる時代を間違ったと言ってもどうしようもありません。死ぬ時も同じです。自殺という場合がありますが、これは神にそむく行為ですので論外です。自分の意思とは関係なく、ある時代のある時に生まれ、死という終着点に向かって定められた軌道の上を走ってゆく、それが人生でありまして、人間は時の流れの中に放り出され、また取り去られるのです。生も死も自分の意思や努力ではいかんともしがたいものがあります。

 そのことは人間一人ひとりばかりでなく、人間と関わる生物についても言えることです。「植える時、植えたものを抜く時」、……植物も同じです。種まきには定まった時があり、刈り入れの時もそうです。

 次の「殺す時、癒す時」というのは難解です。いのちのことば社の注解書にはこう書いてありました。コヘレトは、人が意図的に他人を殺すのも、反対に他人の命を救うのも、人の理解を超えたところで定まった時があるとさえ主張する、と。殺人にも定められた時があるとしたら、私の理解を超えます。ここだけはコヘレトは間違ったということなのかもしれません。…「破壊する時、建てる時」は建築物について言われていて、人がこれをこわし、また建てるのですが、これにも定まった時があるのです。

 「泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時」。喜怒哀楽にも神の定めた時があります。愛する人の死に際して泣き、嘆き、結婚とかおめでたいことに出会って笑い、踊る、…それぞれの人生絵巻があります。「石を放つ時、石を集める時」、石を放つことについては、それによって土地を荒らすことだとか、軍隊の攻撃を意味するとか諸説あります。石を集めることが何かは解明されておりません。ここも意味がはっきりしないところです。

 「抱擁の時、抱擁を遠ざける時」は、男女の関係を指していると見て良いです。いま日本では結婚しない人が多くなる傾向にありますが、その中には時を生かすことが出来ない人がいるようで、私はある独身男性に言ったことがあります。君は女の子がサインを送ってきても、気がついていないんじゃないかと。チャンをつかむこと、それを逃さないことが教えられています。

 その次の「求める時、失う時、保つ時、放つ時」は、財産や持ち物について、またそれと共に人間関係についても言っていると考えることが出来ます。それがモノであれ人であれ、自分のところにあるかどうか、いるかどうかは定められた時の中でのことなのです。 「裂く時、縫う時」、聖書には大きな悲しみがあった時に衣を裂いたということが出て来ますが、これと関係があるようです。…「黙する時、語る時」は私たちにとっても大事なことですね。私たちは、黙っているべき時にべらべらと発言してしまうことがあるかもしれません。あとでしまったと思っても遅いのです。逆に、ここでこそ発言しなければいけないという大事な時に黙ってしまって、あとで後悔するということもあるのではないでしょうか。人はどんな時に黙っているべきか、いつ語るべきか、その時をわきまえなければなりません。

 最後の「愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時」。人は互いに愛したり、憎んだりしますが、これは国と国、民族と民族のレベルでも起こります。戦争が起こったり、平和がもたらされたりということにおいても、それらすべてが個々人の意思を超えたところ、神が定められた時の中で行われているのです。

 

 こうしてみますとコヘレトは、この世界で起こることすべてにわたって、神が定められた時があるということを言っているように思われます。人間はそこからはずれることは出来ません。神の前に人間の力は遠く及ばないのです。……たとえば人は、不老長寿を願ってどんなに努力したとしても、神の定めた死ぬ時から逃れることは出来ないのです。神にさからうことは出来ません。…そうしたことから9節の、「人が労苦してみたところで何になろう」という言葉も出てきます。

 しかしながら、コヘレトは運命論者ではありません。よく自分は悪い星の下に生まれたんだと言って人生をはかなむ人がいますが、コヘレトは星が自分の人生を決定してしまうとは考えません。世の中には、未来に起こる出来事を予知する力があると言って人々を信じこませる人がいますが、こういうこととも無縁です。…ノストラダムスの予言などが如実に示しているように、占いとか予言が示す世界観は最終的にはたいへん暗い、恐ろしいものでありますから、もしもコヘレトが、そのような得体の知れない力に頼って語っているとすれば、ここに書いてあることはもっと暗い、絶望的なものになったはずです。…コヘレトが信じているのはそんなものではなくて神であったことはたいへん幸いなことでありました。

 コヘレトは、神の定めた時の前に人間は無力であることを知りました。けれどもコヘレトは、しょせん神様がすべてをお決めなさるのだから、人間が何をしたところで無意味だと言っているのではありません。…彼は深く深く探究した結果、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」という結論に達しました。…この前半の部分は、口語訳聖書で「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と翻訳されています。

 コヘレトはこの世界で起こるすべての出来事には神によって定められた時があり、すべて神の決定によって起こっていることを承認します。ただし、そのことが人間にとって災いであるとは考えません。以前はそう考えたかもしれませんが、今はそうは考えません。

人が自分の意思で行っていると思っているようなことですら、人間の手の中におさまりきれるようなものではありません。自分の思いを超えたところで神が働いておられます。その結果、自分が予想もしていなかった大変なことが起こって、神のみこころはどこにあるのかと悩むことが起きて来ます。神のなさる業を始めから終りまで見極めることは出来ませんが、しかしそれは、それぞれの時にかなっているのです。…今、神様はなぜこんなことを自分に求められるのだろうと思っていることであっても、あとになって、あの時あの経験をしたのは自分にとって良かったと感謝するようになるのです。神に信頼すべきです。人間がすることは、神の定めた時を受け入れ、その中で最善の道を尽くすことにちがいありません。

 このような境地に立ったコヘレトにとっての具体的な生き方が12節以下に示されています。「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ。」これは、この時点でコヘレトが得た結論です。

コヘレトの探究はこのあともずっと続いてゆきますから、この結論もまた微妙に変化してゆきますが、私たちはこの結論を尊重し、ここに至った経過をたどってみましょう。 人間にとっての幸福が喜び楽しんで一生を送ることだというのは、コヘレトがここでまた遊び人になったということではありません。ただ快楽を追求する人生がどんなにむなしいことかということを、彼はすでに知っています。ですからこれは、快楽のための快楽ではありません。まっとうな仕事をして、そこから得た収入によって生活を楽しむということです。

 神が定めた時の中にすべてがあることを承認すると、人間は無力だと知ってあきらめきってしまう人が出て来ます。逆に、そんな神様にいやだという態度を示す人もいるでしょう。しかし最も望まれることは、神が定めた時の中で、神のみこころを追い求め、それを感謝しつつ生きることです。コヘレトはそこに向かって進んでいます。彼は、神様の力に対するあきらめから出発して、いま、まあ難しいことは考えんでも、まっとうな仕事をして毎日を楽しんで暮らせば良いというところに立ちました。そして、さらにもっと素晴らしい生き方へと向かって行こうとしています。それは14節に書いてある通り、コヘレトの根底に神がおられるからです。

 「神は人間が神を畏れ敬うように定められた」、これこそきょうの所においてコヘレトが一番言いたかったところではないかと思います。神を畏れ敬うと言っても、それはお題目を並べたのではありません。時の流れの中に現れている神のみこころを見出したコヘレトが、そのことをもって神を畏れ敬うということです。結局のところ、人は神のなさることをすべて理解することは出来ません。神様がおられるならどうして、と思ってしまうこともあるのですが、あとになってから、あの時ああなったことが良かったと思うようになるのです。

つまるところ、人は隠された時の意味を知りつくすことは出来ないのですから、時を導いて下さる神様を畏れ敬って、与えられた日々を感謝しつつ、喜び楽しんで生きてゆくのが良いのです。

神様がご自分を信じる者たちに理不尽なことをなさるはずがありません。

時を導いて下さる神様を畏れ敬って、与えられた日々を感謝しつつ、喜び楽しんで生きてゆく、こういう生き方に派手なところはありませんが、しかし、このように生きる人々こそが、教会を、家庭を、そして社会を支えてゆくのです。

私たちもこういう生き方を見出してゆきましょう。神を畏れ敬っている限り、神はさらに高い段階へと私たちを導いて下さるに違いありません。今や恵みの時、今こそ救いの日です。

(祈り)

 すべての時を治めたもう神様。み名を崇めます。神様は、私たち一人ひとりにそれぞれ人生の時間を与えて下さいました。私たちの日々の暮らしの中のさまざまな出来事にも、またどんなことをする時にも、神様のみ手が及んでないことはありません。しかし、私たちがそのことを忘れがちであることを懺悔いたします。

 神様、私たちに、時の早く過ぎ去ってゆくことをいたずらに嘆き悲しむことなく、ただ神様がすべてを良いように導いて下さることを信じる信仰を与えて下さい。私たちが神様のご支配の中で毎日を生きているということを、喜びとさせて下さい。そうして、この世の務めを終え、天に召される時に、自分の人生を良い人生だったと感謝してふりかえることが出来ますように。主のみ名によってこの祈りをささげます。アーメン。

キリストの愛はあなたを離さない

詩篇118:5~9 ローマ8:31~39 29.1.22 

山本盾 伝道師

使徒パウロは、初代教会最大の宣教者として知られていますが、各地の教会に宛てた数多くの手紙を残したことでも知られております。彼は、自分の建てた教会に問題が起こっていると聞くと手紙を書き、教会の人々を叱ったり励ましたりしました。ところが、今朝皆さんと一緒にお読みしますこの『ローマの信徒への手紙』の場合は、少し事情が違います。実は、これを書いた時のパウロはまだローマへ行ったことがありません。彼が行く前に、既にローマには教会が出来ていました。この手紙の15章に書かれているところによりますと、彼はそれまでにも、何度かローマへ行こうとしたけれども、その願いは叶いませんでした。彼の伝道旅行は、人間的に見れば失敗も多かったのですが、パウロは希望を失わず、それどころか、スペインにまで行きたいと思っていたようです。当時そこは、世界の果てと考えられていましたから、「全ての民を弟子とせよ」という主イエスの御命令に従い、御国の到来を早めたいという思いがあったのでしょう。それで、ローマの教会の支援を受けて更に西へ派遣されるために、彼はこの手紙を書いたのです。一方、彼はこの頃、他の教会から集めた義捐金を持って、飢饉に苦しんでいたエルサレムの教会を尋ねようとしていました。当時、エルサレムの教会には、パウロの異邦人伝道に反対する勢力がありました。異邦人、すなわち聖書の神と律法を知らなかった民も、キリストを信じる信仰によって救われる、という福音をパウロは宣べ伝えていましたが、それを否定し、信仰だけではだめだ、律法を守らなければ救われない、と考える人たちが、既にガラテヤやフィリピの教会にも入り込んでいたために、それぞれの教会が惑わされて道を踏み外さないように、指導する必要がありました。

パウロが募金をエルサレムの教会に届けに行ったのも、彼を認めない人たちともそれによって和解できるかも知れないという期待があってのことでした。しかしそのエルサレムで、彼は無実の罪で逮捕され、皇帝の前で裁判を受けることになり、鎖に繋がれたままローマへ連行されることになります。手紙を書いた時のパウロは、まさかそんな形でローマへ行くことになるとは、全く思っていなかったことでしょう。神さまのなさることは本当に不思議です。最期にパウロがどうなったかについて、聖書は沈黙していますけれども、伝説によると、皇帝ネロによる迫害の中で処刑されたようです。という訳で、最後に書かれた『ローマの信徒への手紙』は、パウロの遺書であるとも言われております。今日はその中から、全体で16章ありますこの手紙の丁度まん中、

前半の最期を締め括る、いわばクライマックスとなっている箇所を取り上げました。キリストの福音に敵対し、教会を分裂させかねない間違った教えが、パウロより先にローマに到達するかも知れない、そのような危険に晒されていた人々に対して、彼はどのような福音を伝えようとしたのでしょうか。そして私たちは、そこから何を学び、何によって勇気づけられるのでしょうか。皆さんと一緒に、み言葉に聴きたいと思います。

 「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか」と読者に問いかけながら、パウロはキリスト者の慰めと確信について、雄弁をふるいます。そこで彼は、神の愛と恵みのゆえに私たちが救われることは確かであるということを語っていますから、「これらのこと」とは、ただ単に直前の文章だけでなく、この章全体を指していると考えて良いでしょう。すなわち8章は、「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」という言葉で始まり、罪を赦された者がどのように生きるのか、そしてそのために聖霊がどのように働いて下さるかについて論じられているのですが、それらの言葉によってもなお不安を打ち消せずに、「私は本当にキリストに結ばれているのだろうか」「私は本当に罪に定められることはないのだろうか」と思い悩む読者がいるかもしれない。そう考えたパウロは、更に言葉を重ねて彼らを励まそうとしているのです。「何も善いことをしていない私など、神さまは守って下さらないでしょう。本当に信仰だけで救われるのでしょうか」という不安が私たちの中にはあります。そのような不安に対してパウロは言います。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」。私たちに敵対する者は沢山いますけれども、神さまが私たちの味方としてそばにいて下さり、私たちのために戦って下さるならば、彼らは何も出来ないのです。敵対者たちは言うでしょう。「不信心な者を神が守って下さるはずはない。神はお前の味方ではない」。しかしパウロは言います。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。「御子をさえ惜しまず」と言う時、彼の頭の中にあったのは、旧約聖書・創世記22章に記されたイサク奉献の出来事ではないでしょうか。「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、主なる神に命じられた通り、独り息子のイサクを献げようとしますが、彼が刃物を振り下ろそうとした瞬間、天から呼びかける声によって妨げられます。主なる神は御使いを通してこう仰いました。「あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」。イサクは犠牲にならず、その代わりに一匹の雄羊が献げられました。しかし、こうしてアブラハムには免除されたことが、ご自身の場合には中止されることなく、実行されたのです。すなわち、父なる神は、御自分の最も大切な、愛する独り子、御子イエス・キリストを、私たちに与えて下さったのですが、それは、私たちを罪と死と滅びから救い出すために、贖いの供え物として献げられたということなのです。パウロは、父なる神が御子を「死に渡された」と言います。ここには「引き渡す」「任せる」「委ねる」という意味の言葉が使われておりますが、「死に」という言葉はありません。ですからただ単に主イエスが死なれたということだけを言っている訳ではないのです。実はパウロは、他の箇所でこの同じ言葉を「神が人を裁きに渡す」という意味でも使っています。人が受ける裁きを受けさせるために、父なる神は御子を引き渡されました。私たちは本来、自分の罪のために裁かれなければならないのですが、その代わりに、罪のない神の御子が私たちの罪を背負って、裁きを受けて下さったのです。

主イエスは御自分を正しくお裁きになる方にお任せになり、身を委ねることによって、完全な救いを成し遂げて下さいました。このように大きな恵みに私たちも与ることが出来るのでしょうか。パウロは「わたしたちすべてのために」と言います。また、この手紙の5章では「キリストは・・・不信心な者のために死んでくださった」「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった」「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた」と言います。私たちは皆、不信心な罪人で、神の敵であったのに、御子の命によって救われると言うのです。これでも神は味方ではないと言えるでしょうか。そして、私たちを罪から救うために御子を与えて下さった方は、全てのものをお与え下さいます。罪の赦し、救い、永遠の命、限りない愛、それら全ての恵みを与えるために、私たちの味方であり、私たちの側に立って罪の力と戦って下さる神さまは、御子イエス・キリストを裁きと死に引き渡されたのです。

これほど確かな保証を示されても、なお疑いを拭えない私たちに対して、パウロは更にこう問いかけます。「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成して下さるのです」。ここでは裁判用語が幾つも使われています。それは終末、終わりの日における最後の審判を暗示していますが、パウロはここで、厳しい裁きに耐えられるよう善行に励めと言うのではなく、このような裁きがそもそも成り立たないことを明らかにしているのです。

天の法廷が開かれて、告発する者が現れたとしても、主なる神自ら私たちを選り分けて、召し出して御自分の民として下さったのならば、一体誰が私たちを訴えることが出来るのでしょうか。確かに私たちには、ありとあらゆる過失と違犯があります。私たちを断罪しようとする者たちは、数限りない罪状を述べ立てるでしょう。裁きの座に引き出されたなら、私たち自身にはなす術がありません。しかし皆さん、裁判長である神さまが、私たちを義として下さいます。つまり、神との関係において私たちを正しい者として下さるのです。私たちの中に何か真実なものがあって、神さまがそれを御覧になって私たちの罪を見逃して下さるのではありません。ただキリストの故に、私たちは罪を赦されているのです。有罪判決を下す権威と力をお持ちのただ一人のお方、父なる神と御子イエス・キリストこそが、私たちを守って下さる方に他ならないのです。ヨハネによる福音書8章には、主イエスが、石打ちの刑を逃れたあの「姦通の女」に向かって「わたしもあなたを罪に定めない」と仰ったということが書かれておりますけれども、私たちもまた、罪に定められることがありません。それは、私たちのために十字架にかかって血を流し、それによって罪の力を滅ぼし、復活して死に勝利して下さった方が、私たちの弁護人として父なる神に無罪を訴えて下さっているからなのです。そしてまた、天でキリストが執り成して下さるように、地上では聖霊が、私たちの内にあって執り成して下さっていることが、今日お読みした箇所の少し前に書かれております。

このように、父なる神、子なるキリスト、そして聖霊なる神が一体となって私たちの味方となっていて下さるのですから、何も恐れることはありません。

けれども私たちはとても弱く、このように大きな神の愛に包まれていながら、様々な苦難の中で迷い、救いを疑ってしまいます。私がこんなに辛い思いをしているのに、神さまは助けて下さらない。私の祈りを聞いて下さらない。不幸なことばかり起こるのは、きっと神さまが私を拒絶しておられるからに違いない。神さまは私を嫌っておられるから、こんなひどいことばかり起こるんだ。そのような考えに陥りやすい私たちに対して、パウロは最後の問いを投げかけます。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」。ここに挙げられたようなあらゆる災いを、彼が実際に経験していたことは、彼の書いた手紙や、使徒言行録から分かりますけれども、なぜパウロはこれらに耐えることが出来たのでしょうか。その力は一体どこから湧いてくるのでしょう。また、パウロよりずっと後の時代、ローマ帝国による迫害がもっと激しくなった頃、ローマ教会の執事だったラウレンティウスという人は、偶像に犠牲を捧げよという命令を拒否したため、裸にされ、縛られ、熱々の大きな焼き網の上に置かれた時、微笑みながら、死刑執行人に対してこう言ったそうです。「私の体をひっくり返すがよい。片側はもう十分に焼けている」。しばらくしてまた彼は言います。「料理は出来上がった。さあ、食べるがよい」と。こうして彼は殉教の死を遂げたそうです。その余裕はどこから生まれるのでしょう。ヒントは次の36節にあります。パウロは詩編44:23を引用して、信仰者が旧約の時代から絶えず死に直面してきたことを思い起こさせます。「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」。「あなたのため」というのは、「神のため」という意味ですが、パウロはこれを「キリストのため」という意味で理解しました。その証拠に彼は、第二コリントの4章で次のように述べています。「わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」。つまり彼は詩編のこの言葉を、苦難の中にある信仰者の嘆きとしてではなく、キリストに結ばれて生きる者が主の御苦しみに与るという恵みの福音として捉えているのです。ここで32節に戻ってみますと、神は御子と一緒に全てのものを私たちに賜らないはずがない、ということが書かれていますが、そこで「賜る」と訳されていますのは、カリゾマイというギリシア語で、「恵みとして与える」「恩恵として授ける」という意味があります。余談になりますが、私は神学校で学んでおりました頃、この単語を覚えるために、「私たちはこの地上では旅人であり、カリゾマイ、いや仮住まいの身なのだから、神の恵みの賜物を受けて生きよう」という駄洒落を造ったことを思い出します。

その同じ言葉を使ってパウロは、例えば、フィリピ書の1章で「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」と言っています。もしもこの「キリストのために」という言葉がなければ、不可解で、受け入れ難い教えであると言わざるを得ません。信仰者には、喜びや楽しみや安らぎも与えられるけれども、同時に悲しみも苦しみも不安も与えられるというだけでは、一体どうして恵みだと言えるでしょうか。もし、ただ自分のために苦しむというのであれば、何の慰めにもならないでしょう。私たちはやはり、苦しみたくはないのです。けれども、弱さ・辛さ・悩み・痛み・苦しみが「キリストのために」与えられるなら、それらは皆、恵みの賜物であり、私たちがキリストと一つであること、復活のキリストと共にあることを確かにしてくれるものなのです。

宗教改革者マルティン・ルターは、苦難とはキリスト者に着せられる婚礼の晴れ着である、と言います。また、ジャン・カルヴァンは、苦難とは神の子とされた者への証しの印である、と言います。

苦難とは決して刑罰ではなく恩恵なのです。なぜなら、キリスト者の苦しみはキリスト御自身の苦しみだからです。そして今日の箇所の少し前、8章17節でパウロは、「キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける」と言います。キリストのために苦しむ私たちは、御国の相続者として、復活の命ばかりでなく、天に昇られたキリストの栄光に与ることさえ、約束されているのです。それが神の御計画です。パウロが8章28節で「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」と言う通り、私たちに絶えず襲いかかり、私たちを神の愛から引き離そうとしているかに思える幾つもの災いすら、実は、私たちを救いへと導くために役立てられる道具に過ぎないのです。万事が、私たちが賜る全てのものが、より一層私たちをキリストに結びつけているのです。ですからパウロは続けて声高らかに宣言します。「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」。「輝かしい勝利を収めている」というのは、口語訳聖書では「勝ち得て余りがある」と訳されていましたけれども、原文では「私たちは超勝利者である」という意味の面白い表現になっております。聖書では、ここだけにしか使われていない言葉なんですが、そんな珍しい言い回しを使わないと伝えられないほど、あり得ないことがここで語られていると言って良いと思います。日々繰り返される迫害や虐待のために、まるで瀕死の重傷を負っているかのような私たちなのに、あらゆる試練に打ち勝って連戦連勝している、それどころか、圧倒的に余裕で勝利していると言うのです。それは勿論、私たち自身の力によってではありません。「わたしたちを愛してくださる方によって」です。キリストの愛は決して、逆境を回避させてくれる厄除けのおまじないやお守りの類などではありません。むしろ、逆境の中で私たちを守り、それに打ち勝たせてくれる力なのです。

ですから、数々の苦難があるにも関わらず勝利している、というのではなく、まさにそれら全ての中にこそ、私たちの勝利があるのです。

私たちがキリストの福音に生きる時、様々な困難や試練に出会います。誰からも理解されず、孤独で苦しい戦いを強いられていると感じる人も多いのではないでしょうか。しかし、この戦いは神の戦いですから、神が私たちの先頭に立って戦って下さいます。私たちの苦しみを、キリスト御自身がまず苦しんで下さっただけでなく、今も、主は苦しむ私たちと共にいて下さり、共に苦しんで下さるのです。苦しみというのは本来、他人には分からない、苦しんでいる人自身にしか分からないものですけれども、主イエスだけは、私たちの苦しみを理解して、知っていて下さいます。最後の晩餐で、主イエスがこう言って弟子たちを励まして下さったことを、私たちは是非憶えておきたいと思います。「あなたがたには世で苦難がある。

 

しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。またイエスさまは、一人の弟子が、御自分を逮捕しようとする大祭司の手下に切りつけた時、「剣をさやに納めなさい」と言ってたしなめた上で、「お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。

しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」と仰いました。

つまり、御子が執り成しの祈りを献げて下さるなら、天の大軍勢が私たちを助けるために派遣されるのですが、主イエスはそれを敢えて拒否なさり、引き渡されました。世に勝利して下さった方が十字架にかかり、私たちのために死んで、復活して下さいました。復活の主は十字架で苦しんで下さったその主なのです。その手足には釘で打たれた跡が、今も確かに残っているのです。

そして最後にパウロは、自らの信じるところを告白して、読者を勇気づけます。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。私たちは、私たちを破滅させる罪の力から解放されたのですが、神に逆らう勢力が最終的に滅ぼされる時が到来するまでは、なおそれらに襲われる危険は残っています。けれども、キリストを信じる者は誰も、苦しみや不安に圧倒されることはありません。そうではなく、私たちは神の愛に圧倒されるのです。なぜなら、存在する全てのものは、神がお造りになったのであり、それらは皆、御手の内にあって、キリストを通して私たちに委ねられたのであって、私たちに対する神の愛を妨げる力などないからであります。因みに「引き離す」という言葉は「離婚する」という意味でも使われます。結婚式では「死が二人を分かつまで」などと言いますが、神の愛は永遠です。たとえ私たちが死の恐怖に怯えるとしても、私たちとキリストを結ぶ絆は、死によっても断たれはしないのです。また命によっても出来はしない。天使も、主イエスの御受難の際には出陣せず、主が十字架で苦しみ、命を捨てられた時に、手出しできず、控えていたのです。もしそうでなければ救いは完成しなかった。けれども、愛の力がそれを成し遂げたのです。更にまた、全ての時間、全ての空間、どのような領域にあっても、神の愛が届かないなどということは決してないのです。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さは、人の知識を遥かに超えていると、エフェソ書に書かれている通りです。もし仮にあなたが、「私は信仰を失ってしまった。もう神さまに愛される資格はない」などと考えるなら、あなたが考える神の愛は小さすぎます!「どんな被造物も、神の愛から引き離すことはできない」とパウロは言います。そうです。私たちもまた被造物である以上、ことある毎に神の愛を裏切り、恵みに背き、逆らってきた、最終かつ最大の敵である自分自身から解放され、救われます。なぜなら、この手紙で語っているパウロ自身が、かつてはキリストの教会を迫害していた神の敵であったのに、復活のキリストに出会い、罪赦され、生き方を180度変えられて神に向き直り、悔い改めて新しい命に生きる者とされたという事実があるからです。たとえ私たちが、パウロのように確信していないとしても、キリストによる救いは確かなのです。なぜなら、私たちを救うために、神さまは御子イエス・キリストを、この世に遣わして下さいました。十字架で流された御子の血によって、私たちは贖われました。御子の命という途方もない代価が支払われ、私たちは買い取られ、神のものとされました。その大いなる神の愛の力が、私たち一人一人をしっかりとつかんで離さないのです。ですから私たちは、この愛に信頼し、全てを委ねて、終わりの日に備えつつ、「わたしは既に世に勝っている」と仰った主が再び来られるのを待ち望んで、歩み続けたいと思います。

   命の言葉を告げよyoutube 

 

出1:15~17、使徒5:12~32   2017.1.15

 

 使徒言行録は、使徒たちなど一団の人々の上に聖霊が降って教会が誕生し、成長していった、その過程において起こったいろいろな出来事を描いています。先週は、アナニアとサフィラの夫婦が献金のことで、神様をあざむく罪を犯したために死んでしまった事件を学びました。教会全体とこれを聞いた人々の間で、非常な恐れが生じたのは当然です。こうして教会が緊張を取り戻したあと、しばらくは伝道がうまく行って平穏な日々があったようですが、そのままですむことはありませんでした。今度は使徒たち全員が逮捕されてしまいます。先にペトロとヨハネが逮捕された時よりさらに危険な事態が起こったのです。

 私たちは誰もが、信仰することによって安心を得たいと思っています。もしも教会に加わることで迫害を受けるとわかっていたら、信仰を持とうとしなかったかもしれません。その点は使徒たちも、初代教会の他の人々も変わりありません。しかし人々はそのような思いを乗り越えていったのです。人々が難局にあたって、これをどう迎え撃っていったかということを、しばらくの間、学んで行こうと思います。

 

 今日の箇所で、私たちにはまず5章12節の言葉が目につきます。「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。」

 現代ではなかなかありえない光景で、いったいここから何を学べるのかとも思ってしまいそうですが、ただ、これは初代教会が奇跡ばかりやっていたということではありません。説教についてここには書いてないのですが、説教が軽んじられていたということではないのです。信徒たちは4章29節でこう祈っています。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」

続けて、「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」祈りが終わると聖霊が降り、一同は大胆に神の言葉を語りだしたと書いてあります。…ここから判断しますと、人々の祈りが応えられて聖霊が降った、その結果、人々が大胆に御言葉を語りだすと共に、病気がいやされたり、しるしと不思議な業が行われるようになったということです。5章12節以下に説教のことは書いてありませんが、これがなかったはずはないと考えられます。

 しるしとか不思議な業というのは、神のなされる救いのみわざそのものではありません。仮に、不治の病に陥った人が使徒たちのもたらす奇跡によってすっかり健康になったとしても、それでこの人が罪から救われるわけではありません。奇跡とは、神の救いのみわざが起こっていることに人々の注意を引きつけるという役割を果たしていたのです。

 では教会が大胆に御言葉を語り、一方でしるしと不思議なみわざによって人々の注意を引きつけている時、教会の外の人々はどうだったでしょう。13節は、「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。」それが14節になると「そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。」、文章の続き具合がよくわかりません。…もしかすると、それぞれ違う文章を合体させたためにこんなつじつまの合わないことになったのかもしれません。ただ、そうだとしても、ここは大事なことを教えてくれています。

 一つは、外の人たちにとって教会は敷居が高かったということです。教会は素晴らしい、教会の人々は素晴らしいと思っても、しかし自分がそこに入っていくことを考えると気おくれしてしまう。…それは教会が、外の一般の世界とは違うからです。俗世間にどっぷり浸った自分が教会に行っても、教会の人は歓迎してくれるだろうか、と思ってしまうのです。では、教会はどんどん世間に近づいていけばよいのか、…これだと一時的には良い結果を産んでも、結局は教会としての特質を失って、世間に埋没してしまいます。

 教会が教会である限り、そこに入ることを躊躇する人がいることは当然といえば当然です。しかし、それにも関わらず、教会に加わる人が出て来ます。それは、人々を教会に呼び寄せるのが人間ではなく神様であるからです。人間のもって生まれた性格では、自分から教会に入って行こうとすることはなかなかありません。しかし神が働きかけることによって、その人は教会の敷居をくぐり、信仰を持つようになるのです。

 聖書はこのあと、人々が病人を大通りに運び出し、ペトロが通りかかる時に、せめてその影だけでもかかるようにしたと書いていますが、これはひっかかるところです。影がかかると病気はいやされたのか、ペトロがそういう行為を認めていたのか、それともやめさせようとしていたのかが書いてないので、よけいにわかりません。…仮に、現代においてペトロの骨だとか、使っていた衣装などが残っていたとします。これをかかげて町を行進すると、ひと目だけでも見て恵みにあやかろうという人がたくさん押し寄せると思うのですが、皆さんならどうされますか。歴史的にカトリック教会には、聖遺物の崇拝ということがありました。プロテスタント教会はこういうことを斥けてしまったのですが、ここは解釈次第ではカトリック教会にお墨付きを与えかねない、とても難しい箇所で、私は皆さんを納得させられる説明が出来ませんが、ただ、これだけは言えることがあります。私は先ほど、奇跡というのは神の救いのみわざが起こっていることに人々の注意を引きつけるという役割を果たしていると言いましたが、それだけでは不充分です。16節にある、病人や汚れた霊に悩まされている人々が皆いやされたことと合わせて考えてみますと、使徒たちは病気や汚れた霊で悩まされている人たちを見ると、彼らの痛みを自分の痛みとして受け取り、神から頂いた力のすべてを使っていやそうとしたことが見えてきます。病人たちはみんな主イエスの命によって、生かされる者とされました。私たちはそのことに学びたいものです。…聖書にわからないことがあっても、しるしや不思議な業の出発点に愛があったことを知っていれば十分だと思います。

 さて、そんな時に、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は、使徒たち全員を捕らえて牢屋に入れました。その理由は、ねたみに燃えたからだと書いてあります。使徒たちはその後、主の天使によって牢から外へ連れ出され、また再び引き出されて尋問されますが、その最中に大祭司は、自分からねたみの原因となったことを明かしています。「お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」

 ここから、大祭司などユダヤ教の指導者たちにも認められるほど教えが広まっていたことがわかります。ただ、あの男、すなわちイエス様を殺した責任を我々に負わせようとしているというのは間違いで、使徒たちは彼らの責任を追及しようとはしていません。このことについては、あとでもう一度ふれます。

 世界で初めての教会の誕生にあたって、そこに妨害や迫害が起こらないということはとうてい考えられません。神が働かれてイエス様を主と信ずる人を起こされた時、それでは困る人が必ずいますから、植物に例えるなら芽のうちにつみとろう、人間に例えるなら赤ん坊のうちに息の根を止めようとするわけです。…妨害や迫害に全くあわない教会というのは、まわりの人からよほど信頼されているか、そうでなければ全く相手にされていないかのどちらかです。

  教会にとって、使徒たち全員が捕らえられてしまうというのは大変ゆゆしき事態ですが、そこに主の天使が現れて、使徒たちを牢から解放しました。これは奇跡というほかありませんが、そこで大切なのは天使の言葉です。天使はこう告げたのです。「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」

 迫害の中で、神が天使を遣わし、使徒たちを助けて下さいました。しかしそれは、彼らの脱獄を助けるためではありません。もしもそうだったら、牢から出た使徒たちは、すぐにユダヤ教指導者の手が届かないところに逃げていったことでしょう。使徒たちが牢にいないとわかった時、大祭司の側のだれもがそのように思いました。ところがみんな、夜明け頃さっそく神殿の境内で教えているのですから、使徒たちが解放されたのは脱獄のためではなく、ある使命を果たすための解放であり、それが命の言葉を残らず民衆に伝えるということであったのです。

 命の言葉とは何でしょう。使徒たちはこれを神殿の境内で教えましたが、記録されていません。しかし、次の機会に語った言葉は記録されました。再び捕らえられ、最高法院の尋問を受けた時に発した言葉、大祭司が、お前たちはあの男の血を流した責任を我々に負わせようとしていると言った時、それに答える形で発言されたものがそれです。

 ペトロとほかの使徒たちは言いました。「わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。」その言葉は、主イエスの死について大祭司に責任を負わせようとするものではありません。ペトロは、あなたがた十字架につけて殺したイエスを神が復活させられた、と語ることで、彼らの罪を超えて、あるいはそれすらも利用して、神様の救いのご計画が実現されたのだと言っているのです。…確かにイエス様の死について、そこにいる人たちには責任があります。ただし、イエス様が死んだままであられたなら、神のみこころがどこにあるかわかりません。しかるに神はイエス様を復活させられたことで、そのみこころを世界に示されたのです。

 「神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。」…神がイエス様を復活させた目的は、人をしてイエス様を十字架にかけた罪を見つめ、悔い改めに導くと共にその罪を赦すためなのです。神はイエス様を天に昇らせ、ご自分と等しい場所に置かれることによって、この遠大なみわざに着手されました。…だから、このことを信じて悔い改め、罪の赦しを受けて、命の道を歩みなさい、と勧めているのです。

 使徒たちはイエス様の復活をその目で見た証人として、命の言葉を語っています。また聖霊も、そのことを使徒たちを通して証しして下さっています。

 しかし大祭司を中心とする人たちは、残念ながら、この「命の言葉」に耳を傾けようとはしません。この人たちがかたくなだったのか、真剣に神様と向き合ってなくて自分の頭で考えた神様を拝んでいたのか、あるいは自分の評判ばかり気にしていたのか、…いずれにしても、神様の前で自分の罪を認め、悔い改めて赦しを受け、イエス様を救い主と信じて新しく生かされるという、命の道を歩むことが出来ないままなのです。それゆえに、この人たちの言葉は、自分をも人をも生かすことが出来ません。

 これに対して使徒たちは、自分たちが語る、いや聖霊によって語らされている命の言葉によって生きようとしています。そこには権力者のどんな脅しにも屈しないということがありますが、それに留まりません。使徒たちは、人間に従うよりも、神に従おうとしています。これは、自分たちの歩みにおいて、人間としての思い、つまりお金持ちになりたいとか平穏無事に暮らしたいとかいうのではなく、主イエスの十字架と復活において示された神様のみこころをこそ第一として、それに従ってゆこうとすることです。

 私たちがすぐに、使徒たちのように生きることが出来るわけではありません。

しかし主イエスはそのことを求めておられ、そのための導き手であり続けておられます。神が人間のどんな思い煩いにも打ち勝つお方であることを信じましょう。

(祈り)

 恵みに富みたもう神様。私たちが今日、神様の家、キリストの体である教会に来ることが出来るための健康と時間を与えて下さったことを感謝いたします。

初代教会の人々は、迫害と弾圧の中で教会を守りぬきました。使徒たちが逮捕されることがあっても、おびえたり、信仰を棄てることなく、神様が最後の勝利を与えて下さることを信じて、信仰の闘いを続けていきました。

 ひるがえって、私たちが置かれている状況はどうでしょうか。初代教会とは違って目に見える迫害も弾圧もありません。ただ、初代教会より恵まれていると言えるかどうかはわかりません。現代には現代の困難があります。おそらく1世紀の世界に比べ、はるかに複雑な世界の中で、私たちはある意味、単純素朴な信仰をいだくことが出来ないままでいます。心の中で虚無が大きな口をあけているような気がします。しかし神様は聖霊によって、現代人には現代人のためのみ言葉を授けて下さることと信じます。神様、教会が今も生きておられるイエス・キリストによって、現代人々にもっとも必要な言葉を語り続けて行くことが出来ますように。神様、あなたのもとにある命の言葉なくしては、誰も人生をまっとうすることは出来ないのです。

 とうときイエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

広島長束教会十字架cross
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