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ザカリヤはアビヤ組と書いてありますが、これはアロンの系統だということがわかっています(歴上24:10)。妻のエリサベトもアロン家の娘です。

ということで、二人とも由緒正しい家柄の出で、生涯を神に仕えて暮らしてきたのです。二人とも律法を守る正しい人で非のうちどころがありませんでした。……ところがこの夫婦は子どもをほしいほしいと願いながら、与えられないまま、すでに年老いていました。今の日本では、初めから子どもはいらないという夫婦もたくさんいますが、この時代、夫婦に子どもがないというのは大きな悲しみだったのです。

 さてザカリヤはある日、神殿の聖所に入って香をたくことになりました。最近の研究によると祭司は7000人以上もいると推定されていて、それが24組に分かれていました。7000人の祭司を24で割ると1組に292人になります。それぞれの組が1年に2週間、神殿に入って香をたく務めを受け持つことになっていました。その年、ザカリヤが属するアビヤ組が、2週間の神殿の務めを毎日1人ずつ行うためにくじを引いて14人を選んだ時、その中にザカリヤが入ったのです。一つの組が292人、その中で毎年14人が選ばれ、1度選ばれた者は二度とくじに参加できないことになっていたので、ザカリヤは一生に一度あるかないかという光栄ある務めについたことになるのです。

 エルサレム神殿には大祭司しか入れない至聖所があり、ザカリヤの仕事はその手前の部屋で香をたくことでした。彼が香をたいている間、大勢の民衆が神殿の外で祈っていました。たいへん厳かな時です。ザカリヤの祈りと彼がたいたお香が、人々の祈りと共に天に昇って、神にささげられていたのです。

 ザカリヤはたいへん緊張しながらで務めについていたことでしょう。その時、思いがけないことが起こりました。主の天使が香壇の右に立ったのです。ザカリヤは不安になり、恐怖の念に襲われました。いったいザカリヤのように一生を神に捧げた人が、なぜ神の使いに会って恐れるのでしょうか。でも、それは当然のことなのです。神と人間の間には超えられない壁があります。神を神とも思わない人なら恐れはしませんが、神を神とする人なら恐れるのが当たり前なのです。

イエス様が誕生された夜、羊飼いたちも天使を見て恐れましたが、天使はその時と同じように、ザカリヤに「恐れることはない」と告げて下さいました。神の栄光の前に立っていられない人間に向って、神自ら手を差し伸べて下さったのです。

 主の天使はここでザカリヤに「あなたの願いは聞き入れられた」と言うと、エリサベトが男の子を産むことを告げ、その子をヨハネと名付けなさいと命じ、またその子の将来のことを予告しました。

 今度は事の経過をペトロとヨハネを逮捕した側から見ることにしましょう。ユダヤの議会である最高法院は、内心では大きな心配ごとをかかえていました。彼らは先に、ナザレのイエスの言動は神を汚すものだと決めつけ、民衆と総督ピラトを動かして、ついにイエス様の十字架刑を執行させました。彼らはこれで一件落着だと思ったはずですが、まもなく、イエスが復活したという噂が広がって行きます。お墓が空になっていたことは隠しようがなかったのですが、これだけなら、弟子たちが遺体を盗んだのだと言いはることが出来ます。ところがそうこうしている内に、「イエス・キリストの名によって歩め」と呼びかけられた人が立ち上がり、歩き出すという事件が起こりました。

 その事件は多くの人の目の前で起こったので、イエスの名には人を立ち上がらせ、いやす力があることが知れ渡ります。またこの奇跡によって、イエス様の復活も間接的に証明されたものと受け取らなければなりません。…ペトロたちは今度は、あなたがたが殺したイエスを神が復活させられた、と説教し始めました。…イエス様が復活されたとすると、それはユダヤの指導者の権威と名誉を地に引きずりおろすことはもちろん、天地がひっくり返るほどのことでありました。

 そこでペトロとヨハネを尋問したユダヤの有力者たちは、あれこれ考えた上で、最も無難な解決をはかったのです。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。」…事実を打ち消すことはできません。議会がこの二人をそのまま牢獄に閉じこめたり、死刑にしたりすれば、エルサエムの民衆の怒りが自分たちに向けられることになるでしょう。だから釈放せざるをえません。しかし、二人は同じことをまたしようとするでしょう。民衆もそれを望んでいます。だから二人がまた奇跡を行っても黙認するほかありません。…でも、イエスの名を語ってはならないということにしよう!

(祈り)

天の父なる神様。あなたが私たちをここに集め、今日もあなたを礼拝することを許して下さった恵みを感謝いたします。

神様、私たちの中にはさまざまな悩みや苦しみで心が折れそうになり、溺れる者がわらをもつかむような思いで、ここに来た人もいるかもしれません。しかし、どうかその人も含め、ここにいる全員が、神様が自分にして下さったことを静かに思い起こすことが出来ますように。そうすれば、自分の人生はやることなすこと失敗ばかりだったとしか思えない人であっても、背後に神様の深い導きがあったことに気づくにちがいありません。それどころか、自分はこんなに恵まれていたのだと驚くかもしれないのです。

イエス・キリストによって、人間の罪を根源のところで滅ぼされた神様は、罪から来る苦しみをも滅ぼされます。私たちがどうか苦しみがなくなるより先に、まず罪から清められることを喜びとする者として下さい。その喜びを人に話さずにはいられないほどになった時、悩みも苦しみも、すでに恐れるほどではなくなっていることを信じます。

とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。

話さないではいられない youtube  

 

申命記10:20~21、使徒4:13~22  2016.11.6

 

 ペトロとヨハネは、ユダヤの議会でいならぶ実力者を前に大胆に語りました。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」二人は話すなと言われても、決して話すなと脅されても、誰がなんと言おうとも話さずにはいられません。皆さんは今日までの人生で、それほどの思いで話したいということがありましたか。…私たちときたら、誰かほかの人の隠しておきたい悪事をしゃべることでは熱心ですが、神様の素晴らしいみわざを話すということではどうでしょうか。また、今の日本でそんなことはないと思いますが、自分の思いを口に出すことで逮捕されたり拘束されたりする可能性がある時が来たら、貝のように黙ってしまうのではないかと思います。そんな私たちですが、み言葉が照射する光のもとに来る者となりましょう。

 

 まず、これまでの経過を簡単に振り返ってみましょう。使徒ペトロとヨハネが生まれつき足が不自由で、物乞いをして生きていた男を「イエス・キリストの名によって」癒したことが事の発端です。これを見て驚いて集まってきた人たちに向かってペトロが、「このことを起こしたのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させたイエス・キリストを信じる信仰によるものです」と説くと、二人はそのために逮捕され、牢に入れられてしまいました。

 翌日、最高法院と言われるユダヤ人の議会で、議員、長老、律法学者、そして大祭司が集まり、裁判が始まりました。ペトロとヨハネは、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問されたのです。この時二人は委縮したり弱気になるどころか、むしろイエス様こそ救い主であることを力強く論証しました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 その場にいた人たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の者であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であることもわかりました。二人を取り囲んでいる人々の中でも特に律法学者や大祭司は、長年、旧約聖書を研究して解釈し、これを民衆に教えると共に、神殿での儀式を行ってきました。その道の権威です。

これに対しペトロもヨハネも漁師の出身で、聖書について学校で専門的な教育など受けたことはないのですから、専門家集団は驚いたのです。彼らは、二人がイエス様の仲間であることも、この日初めて知ったようです。計略をめぐらしてやっと死刑にしたイエスの仲間が現れ、これほど大胆にイエスのことを語っていることも驚きの理由でした。

 ここでペトロとヨハネの大胆さについて考えてみましょう。彼らは議会の有力者に対して、つまり雲の上にいるような人たちに向かって大胆な態度で語り続けました。なぜそんなことが出来たのか、二人がもとからそういう性格であったのではありません。二人ともイエス様が逮捕された時に逃げ出してしまったほどの弟子だったのです。とするとやはり、復活したイエス様と会ったことが、二人の性格を根本的に変えたと考えられるのですが、ここで注意したいのが8節の言葉です。「ペトロは聖霊に満たされて言った」と書いてあります。ペンテコステの日に下った聖霊が引き続き使徒たちの上にあったのです。…実は使徒言行録全体も、聖霊の働きの記録です。…聖霊はイエスをキリストと信じる者の誰にも与えられていますが、ふだんそのことを忘れている人も多いのでないでしょうか。神の霊が働いていることを信じて歩む時、それまでと違う人生が始まります。

 従ってペトロとヨハネの大胆な態度というのは、二人が強引な態度をとったということではもちろんないし、また、もともと気が強かったということでもありません。…聖霊に満たされ、生きて働く聖霊の御導きのもとで、口ごもった言い方とか、何かをはばかったようなおずおずした言い方ではなく、信ずるところを率直に、単刀直入に言ったということです。

 さらに、少しあとになりますが4章29節で、釈放されたペトロとヨハネを迎え入れた信者の人々がこう祈っています。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」ここからも判断できることは、聖書はただ大胆に語りなさいということだけを教えているのではありません。「彼らの脅し」という言葉でわかるように、脅しがあるという状況下でも大胆に語ることについて教えている、そうとしか考えられません。

 私たちはふだんそういうことを考えないかもしれません。しかし聖書はたびたびそういう場面を描き、読者に注意をうながしています。マルコ福音書13章9節から11節までを読んでみます。

 「あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。

しかし、まず福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。」

 ここでは大胆に語るという言葉こそ入っていないものの、実際にはそのことが起こっています。ここで主役を演ずるのが聖霊であす。これは使徒言行録と一致しています。

 地方法院に引き渡され、総督や王の前に立たされるということは、宗教的な、また政治的な権威の前に立つということです。そのような権威の前で証しをさせられることがあります。…皆さんは、まわりの誰かから「あなたは神なんか信じているのか」と言われたことがあるかもしれません。かりにそうした一つひとつのことで委縮してしまっている人は、嵐が襲ってきた時にとうてい対処することができないでしょう。…先の大戦に至る激動の世界の中で、ドイツの教会は「キリストが主なのか、それともヒトラーが主なのか」という問いに直面させられました。日本でも「キリストと天皇陛下とどちらが偉いか」と尋問されたということがありまして、そういう時に、少数ながら信仰を貫き通した人は投獄されたり、中には殉教した人も出ました。いろいろなケースがありますが、根本は、どんな脅しがあっても、イエス様を主と信じていると告白することが出来るか、ということにあります。

 マルコ福音書では、「何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない」と教えていましたが、これを間違って受け取ってはなりません。ふだん心配ばかりしている人には聞かせてあげたい言葉ですが、反対に、ふだん先のことを考えない人は、何が起こっても何とかなるだろうというふうに受け取ってしまうかもしれません。イエス様はここでノーテンキでありなさいと教えているのでしょうか。…この箇所と並行しているルカ福音書21章14節は、「前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい」と言います。これはマルコ福音書と同じですが、そのあとに「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしはあなたがたに授けるからである」と続いています。イエス様が授けて下さる言葉こそ聖霊が語らせて下さる言葉なのです。

 それでは考えてみましょう。ふだん信仰生活をおろそかにしている人が何かのっぴきならない危険な状況に陥った時に、聖霊が誰も反論できないような言葉を授けてくれるでしょうか。そうは思えません。やはり、ふだんから信仰生活に励み、真剣に救いを求めている人が危険な状況に陥っても、聖霊が言葉を授けて下さる、だから今からあまり心配しすぎるのは良くないということなのです。

 続けて28節、「そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められたことを、すべて行ったのです。」ちょっとわかりにくい文章ですが、この日までに起こったことを総括しています。ユダヤの最高法院は、ユダヤの宗教的権威であっただけでなく、ローマ帝国の国家権力の一部を構成していました。最高法院はその源をたどれば神の命令によりモーセが設置したものですが(民11:16)、イエス様が来られた時にこれを迎え入れることをしませんでした。そのため宗教的権威としての役割を喪失し、どこの国にもある政治権力の一つとなったと見ることが出来ます。…これが、イエスの名によって話したり、教えたりするなと命令してきました。…では教会としては、お上がそう言っているんだからということで、従わなければならないのでしょうか。そんなことはありません。…上に立つ権威は尊重すべきですが、間違いを犯すことがあります。その時、教会は上に立つ権威に対して考え直すことを求めます。抵抗することがあります。いつもそうしなければならないわけでは決してないのですが、信仰においてどうしても譲れないことが出て来た場合はそうする、それが最初の教会が行ったことでした。

 人々が権力からの圧迫にあっても、少しもひるむことがなかったのは、彼らが特別に強靭な精神を持ち合わせていたからということではありません。…すでにお話ししたように、みんな、すでに詩編の2編を勉強していました。そこには地上のいろいろな勢力が主なる神とメシアに逆らうと書いてありますが、これは人々がその目で見てきたことでありました。

 

では、使徒言行録で引用されなかったこのあとの部分を見てみましょう。詩編2編4節、「天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り」、6節、「聖なる山シオンでわたしは自ら、王を即位させた」、そして8節、「わたしは国々をお前の嗣業とし地の果てまで、お前の領土とする」…。メシアを苦しみの底に落とした諸勢力は騒ぎ立ち、むなしいことを企てますが、神はこれをお笑いになります。…彼らの勝利はつかのまのことに過ぎず、メシアは全世界を治めることになると言われているのです。ですから今起こっている出来事は、神様のみこころが一歩一歩実現している、その現れなのです。今災難が襲ってきているといっても、その先があるのです。みんな、そのことがわかっているので、あわてふためいたりなどしません。

 もろもろの力が主とそのメシアに逆らう、これがイエス様を十字架へと追いやったのですが、そのところから神のみこころが実現されてゆきます。私たちも教会にもしも嵐の日々が訪れた時に屈しないためには、イエス・キリストの受けた苦しみを思い、そこから神のみこころが実現されていくのだという信仰を、堅く保つことが必要です。…そのことをパウロも言っています。「わたしたちは、四方八方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされないわたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。」

(Ⅱコリント4:8~10)

 こうした信仰の上に堅く立った教会の人たちが祈ったことは、神様、迫害をやめさせて下さいということではありません。まさにその反対でした。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」

 今後イエスの名によって話したり、教えたりしてはいけないと言われて、そこで委縮してしまうなら、それは主なる神のみこころに反し、教会を停滞させ、一人ひとりの信仰を風が吹けば飛んで行く落ち葉のように軽いものとしてしまうでしょう。思い切って大胆に御言葉を語ることで、初代教会はいよいよ激しくなる迫害の中で、未来を切り開いて行こうとしたのです。…むろん教会に敵対する勢力をあなどることは出来ず、賢くふるまわなければなりませんけれども、どんな時も十字架に立ち返り、このことを通して神のみこころが実現して行くという確信を保ち続けることが大切です。

 ここで現代における迫害について少しお話しします。中国の牧師が証言したところによりますと、1966年に文化大革命が起こって宗教活動は全面禁止となりました。政府に公認されていた教会も閉鎖され、聖書は没収、牧師たちは地方の工場や農村で働かされて苦労しながら、しかし心に蓄えたみ言葉によって信仰を養われました。また彼らが絶望しないで困難に耐え続けていたのを見て、文革終了後、多くの人が教会に集まるようになったということです(「中国のキリスト者はかく信ず」丁光訓ほか著 新教出版社 1984年 151ページ)。…この牧師たちも、もしも十字架とそこから始まって実現されて行く神のみこころに確信が持てなかったら、苦難のとしつきの中で持ちこたえることは出来なかったでしょう。

 使徒言行録に戻ります。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」

 人々が熱心に聖書を学び、祈る、これはもちろんなくてはならないことですが、それだけでは苦境を脱し、大胆に神の言葉を語りだすまではなりません。神がそこにおられて、祈りを聞いて下さり、聖霊を一同に注いで下さったのです。聖霊はペンテコステの日だけ降ったのではありません。かつてダビデを通して詩編の2編を与え、驚くべきみわざを予告して下さった神は、今度は困難に直面した、誕生したばかりの教会になくてはならない恵みを与えて下さいました。神の霊が注がれた時、初めて人は大胆に神の言葉を語ることが出来るのです。ここに信仰者の喜びがあります。この教会に連なる私たちの上にも、聖霊の恵みが与えられますようにと願います。

 

(祈り)

 主なる神様。神様が私たちの礼拝を受け入れて下さっていることを感謝いたします。今日私たちは、最初の教会が伝道に向かって力強く歩みだしたところを学ぶことが出来ました。これは教会のための教えであると同時に、私たち一人ひとりへの教えでもあります。

 私たちは世界を創造され、そのすべてを御手の内に治めておられる神様の御手の中にいることをもう一度心に刻みつけなければなりません。私たちは困難に遭うと、そのことで頭が一杯になり、不安と恐れの中で、その困難を取り去って下さい、と祈ることが多い者です。それはもちろんして良いことです。神様には何でも祈り求めて良いのです。しかし私たちが、その困難の向こうにある、すべてを支配しておられる神様のみこころに心を向けることが出来るなら、今よりもっと前向きに、大胆に歩んでいくことが出来るのではないでしょうか。このことは私たち一人ひとりにおいても、また教会のあり方においても同じだと思います。神様、どうか私たちを信仰のいちばん大切なところに立ち返らせて下さい。私たちを聖霊でもって満たし、心に蓄えたみ言葉を語り続け、そのみ言葉に支えられて生きる者として下さい。イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

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詩編2:1~12、使徒4:23~31  2016.11.13

 

 私たちは先週、ここで、ペトロとヨハネが逮捕されてユダヤの最高法院で尋問され、今後イエスの名によって話したり、教えたりしてはいけないと厳しく命令されたあと、釈放されたことを学びました。これはキリスト教会の誕生のあと最初に起こった迫害となりますが、今日はこの二人が、釈放されて仲間のもとに戻ったところから始まります。仲間たちは二人のことを心配して待っていたと思います。では二人が戻ったあと、「ああ無事で良かった」と喜ぶのは当然として、「もう、あんな危ないことはしないで下さい」となったでしょうか。ご覧の通り、全然そうなっていないのです。普通なら、逮捕されたことでびびってしまうとか、次はつかまらないような別のうまい方法を考えるということがあるのですが、そういうことは一切ありません。かえって、思い切って、大胆にみ言葉を語れるようにとお祈りするわけです。私たちは、それはなぜかということを聞き取って行きたいと思います。

 

 ペトロとヨハネは釈放されると仲間のところに行きました。ここで仲間というのはどの注解書を見ても使徒たちということになっています。33節に「使徒たち」と書いてあって、それに対応しているというのですが、私は使徒以外の信者はいなかったのかと疑問に思っています。もっとも、これは大きな問題ではないので先に進みます。

 二人は、祭司長たちや長老たちから言われたことを残らず報告しました。その中でいちばん肝心なことというのは、今後イエスの名によって語ることは一切まかりならぬと言われたこと、つまり福音宣教の全面禁止ということであったのです。

 皆さん、考えてみて下さい。教会がイエス様の名によって語らないとはどういうことか。それはイエス様抜きのみ言葉、イエス様抜きの説教、イエス様抜きのお祈りです。それは教会と言えるでしょうか。お店に例えてみるとラーメン屋さんのメニューにラーメンが入っていない、パン屋さんに行ってもパンが出てこないと言ったらよいでしょうか、つまりキリスト教会はその発足の時に、活動を一部制限されるどころではなく、いわば首根っこを押さえつけられそうになったのです。

これはダビデを通して語られた預言でありまして、使徒言行録は「ダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました」と言っています。これは神がお語りになったことであり、そこに書いてあることから見て、それは来たるべきメシアのことにちがいありません。だとすると、メシアであるイエス様が世に現れたこの時にこそこれを読まなければならないということになるでしょう。

 使徒言行録の方を読みます。「なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。」

 「主とそのメシアに逆らう」、主は天の父なる神で、メシアは旧約聖書の方では「主の油注がれた方」になっています。旧約時代、油を注がれた者が王となりました。サウルがそうでしたし、ダビデもそうです、ほかにもいたのですが、最後にして最大の方がイエス・キリストであることはいうまでもありません。ユダヤ人は虐げられた同胞を救い出すメシアの到来は何百年も間待っていたのですが、この方がついに現れたとき、異邦人と一緒になって十字架につけて殺してしまいました。まさに主とそのメシアに逆らったのです。

 27節は言います。「事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。」…ポンティオ・ピラトはわかるにしても、ここになぜヘロデが出て来るのかと思う人がいるでしょう。この人はイエス様ご降誕の時にいたヘロデ大王ではなく、その息子の一人でありまして、当時ガリラヤを治めていました。ルカ福音書23章によると、イエス様がピラトから尋問されていた時、彼はちょうどエルサレムに滞在していました。ピラトはイエス様がガリラヤ出身であることを確かめると、身柄をヘロデのもとに送りました。お前やってくれということですね。ヘロデはイエス様を尋問するとイエス様を守ることをせず、そのままピラトのもとに送り返しました。聖書には「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。」と書いてあります。二人はもともと仲が悪かったのですが、メシアに逆らうことで一致したのです。まさに「指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう」という預言の実現です。

 これは伝道の全面禁止を申し渡されたに等しい状況ですが、その中で伝道が始まったということなのです。…こういうことは初代教会の時代ばかりでなく、歴史の中でたびたび起こってきました。現在でもそれに近い状況にある国があります。…しかし、それに屈してしまうわけには行きません。福音を伝えることは、イエス・キリストご自身から下された命令だからです。…そこで29節に出ているように、「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈ることが必要になります。

 この状況にどう対処すべきかと考えることは必要だとしても、小手先の工夫ではどうにもなりません。しかし祈りが道を開くことは、ここで明らかです。そして祈りを準備するのは聖書の学びなのです。

 

 ペトロとヨハネから報告を聞いた人たち、その大部分が使徒たちだと思いますが、彼らが動揺したとか、ふるえあがったというようなことは聖書には全然書いてありません。それどころか、みんな心をひとつにして、神に向かって祈ったのです。

 「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。」主とは、主権を持っておられる方、神のことです。この方以外に、祈りを呼びかける対象はありません。主なる神が世界の一切を創造されました。ほかのどんな神々でもないのです。そして、世界を創造された神は世界を治めておられるのです。…しかし主なる神がおられて、世界を治めておられるのに、なぜ神に従う者たちに苦難がふりかかってくるのでしょう。現に、自分たちの大切な仲間であり同志であるペトロとヨハネが逮捕され、尋問されたのです。… 実は、主なる神はすでにこうしたことを預言しておられたのです。それが詩編の2編です。おそらく人々はその日までずっと聖書の学びを続けていて、頭の引き出しに入れていたので、すぐにこれを出すことが出来たのだと思います。

 ご覧の通り、詩編の2編には作者の名前が書いてありませんが、この歌はダビデが書いたと信じられていました。ただ、そこで言われていることはダビデのことではありません。例えば8節に「地の果てまで、お前の領土とする」という言葉があります。ダビデはイスラエルの王でしたが、これではあまりにもスケールが大きくて彼にはあてはまらないと考えられます。

また、これほど大きな歴史の出来事を持ってこなくても、欲に取りつかれた人間のあさましさを表わす出来事はこの時代にも無数にあって、枚挙にいとまがありません。たとえば王の偉大な業績を証しする記念碑が立てられると、王の死後、後継者によって破壊されてしまうことがあったそうです。後継者にとってみれば、自分の業績をきわだたせるために前の王のしたことは消してしまいたいのです。それでいて、遺産はがっちりいただこうとします。コヘレトはこういうことをよく知っていました。…遺産をめぐる醜い争いは昔も今も変わりません。もしも皆さんがその一生をかけ、心血を込めてたくわえた財産が、死んだ後でばかな人間の手に渡ってしまい、くだらないことで浪費されてしまうとしたら、自分が一生懸命働いたことはいったい何だったのかということです。これでは死んでも死にきれません。

 

コヘレトは「太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していた」といいます。もうここまで来たら、望みはなさそうです。絶望したまま生きるのがいやなら、いっそのこと死んでしまうという道もあるのかもしれません。……けれども、ここに思いもかけない全く別の局面が展開するのです。

ここでコヘレトはもはや肩を怒らせることも難しいことを考えることもありません。静かな、平凡な幸福に立ち返るのです。

「人間にとって最も良いのは、飲み食いし、自分の労苦によって魂を満足させること」。

飲み食いをするのは日常生活の中でのごく普通の喜びです。飢餓に直面している場合を除き、それは万人に与えられています。高級レストランで食べるぜいたくな食事でなくて結構です。自分で作ったご飯とみそ汁の中にも人を生かす喜びがあります。それをありがたく受け取るべきなのです。またここで、「自分の労苦によって」とあるのは、労働の喜びのことを言っているのでしょう。

労働には苦役という面もありますが、労働が労働である限り、必ず喜びが伴います。それは、働かなくてもぜいたくな暮らしのできる身分の人には絶対にわからない喜びなのです。

コヘレトはここで、つつましい生活に満足することを勧めています。死後、自分のなしとげたことがどうなるかなんて心配することはないのです。地道に働いて飲み食いする、それ自体が、知恵の探究や快楽の追求よりもとうといのです。あのときと違って、ここには魂を満足させるものがあるのですから。

「しかしそれも、…神の手からいただくもの」。このような人生はすべて神の賜物です。コヘレトはやっとここで神様の愛を認めたようです。コヘレトはこれまで、人間を絶望の淵に追い込む神しか見ていませんでした。そのため、自分の力だけに頼って魂を満足させようと多大の努力を払いましたが、出来ませんでした。探していた青い鳥は身近なところにいたのです。神の導きの下、静かな落ち着いた生活の中に捜し求めていたものがあったのです。

 

さて、このときに重大な問題となるのが26節の言葉です。「神は、善人と認めた人に知恵と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた空しく、風を追うようなことだ」。

最後にまた、いつもの不吉な言葉が出てきます。「これまた空しく、風を追うようなことだ」。実はこの句をどう解釈するかによって、結論が全く違ってしまうのです。

その句はいったいどの部分について言っているのでしょう。もしも24節と25節で言われていることがその中に含まれるとしますと、飲み食いし、自分の労苦によって魂を満足させることも、結局は空しいことでしかないことになってしまいます。

しかしその句が、ただ「だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる」だけについて言われているのだとしますと、空しく風を追うようだというのは悪人の生き方についてだけ言われているのだという結論になります。従いまして、飲み食いし、労働の喜びを味わうつつましい生活は、決して空しく、風を追うようなことではなく、これこそコヘレトの見出したものということになります。

こういうところが「コヘレトの言葉」の難解なところです。皆さんはどちらが正しいと思われるでしょうか。…注解書にも両方の解釈があるのでたいへん厄介です。……ただ私は「コヘレトの言葉」全部を読み、祈って考えてみたところ、個人的な考えだとことわっておきますが、後の方の解釈が正しいという結論に達しました。限りある人生の中、神の手から与えられる喜びは感謝して当然ですし、それが神から与えられている限り、決して風を追うようなむなしいことにはならないからです。

コヘレトは読者の前に二つの生き方をかかげていると思います。一つが、役に立たない知恵、はかない喜び、自分の労苦してきたことが何にもならないという、空しく、風を追うような人生です。そしてもう一つが、大きなことは出来なくても、神を信頼し、神の御手から日ごとに喜びを受け取ってゆく人生です。どちらが好ましいか言うまでもありません。死がすべてを奪い去ってゆくように見えたとしても、神からいただく日ごとの小さな喜びは、誰も、死でさえも打ち消すことは出来ないのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。きょうも礼拝が守られ、みこころに深く接し、賛美を捧げることが出来ますことを心から感謝申し上げます。どうか、コヘレトの書を通して教えられましたように、私たちも神様からいただく日々の小さなつとめによって、魂を満足させて生きてゆくことが出来ますようにとお願いいたします。死という誰も逃れることの出来ない定めの中にあって、毎日を大切にし、いっときいっときを神様に感謝して生きる、そこに平凡ではあっても死をのりこえる歩みがあることを信じます。どうかこの発見が、悩み苦しみながら、しかし神様を見出すことの出来ない日本の多くの人たちにも与えられますようにと願います。

私たちの人生を、風を追いかけるような、空しい人生とはしないために、イエス・キリストにおいて私たちを選び、主にある人生を導いて下さった神様をたたえます。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

 風を追うような人生youtube  

 

コヘレト2:12~26、使徒9:36~42 2016.11.20

 

 コヘレトの歩みは、人がこの世に生きる意味とは何なのかを求めてさまよう歩みです。「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」とつぶやいたコヘレトは、空しさからの脱出を求めてまず知恵の探究に心を傾けましたが、求めている答えは得られませんでした。いくら勉強しても悩みは深まるばかりだったのです。この世に起こることすべてを知ったからといって心の平安は得られません。

 そこで次に、もっぱら楽しみにふけろうと、大邸宅を造り、人間が喜びとするどのような快楽をも余さず試みたというのですが、それでも空しさを解消することは出来ませんでした。人間の罪がもたらす現実に突き当たったのですが、これは快楽を追求してゆくときに必ず出て来ることです。日本の源氏物語でも、光源氏は大きな池のある美しい庭園に四つの邸宅を建て、四人の奥さんをそれぞれに住まわせてこの世の楽園をつくろうとしたのですが、それが出来たと思ったのもつかのまに過ぎず、そんな身勝手な夢はもろくもくずれてしまう、楽園は崩壊してしまうのです。それと同じようなことです。

 きょう与えられた箇所はこの続きです。…では知恵を追求し、次に快楽を追求していたコヘレトがここでは何を追及しているのかということになりますが、これがちょっとはっきりしないと思います。12節でコヘレトは「わたしは顧みて、知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした」と言います。いったい知恵を求めているのか、それとも狂気と愚かさを求めているのか、……まるで全く違うものが一緒になっているように見えるのですが、これはコヘレトがもう一度、自分の歩みをふりかえって考えているということなのです。コヘレトは知恵を探究しているとき、単なる学者ではありませんでした。快楽を追い求めているときも、やみくもにバカなことばかりしていたのではありませんでした。彼は何をしているときも、常に、醒めた目で人生の空しさに向かい合っていたのです。……コヘレトはこれまでの自分の歩みをふりかえって考えぬいた結果、光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさるという結論に達しました。

 知恵は愚かさにまさる。賢者は愚者にまさる。愚行に身をまかせ快楽に身を焼くよりも知恵の中に身を置く方が良い。それは光が闇にまさるように確かなことなのだと言うのです。……これは、皆さんも賛成して下さると思います。それは一つに、知恵があればよい暮らしが出来るだろうからです。だから私たちも外国語を勉強したり、パソコン教室に通ったり、またそれぞれの分野で研鑽を積もうとするし、子供に勉強しなさいとも言うわけです。知恵があることが幸せの秘訣であると知っているからです。…もっともコヘレトは、知恵は愚かさにまさるということを、そのような功利的な理由だけで言ったのではないと思います。自分にとって何ら利益がないとわかっていても、人は知恵を求め、愚かさをしりぞけようとするものです。知恵自体に価値を見出すからです。そうでなければ、なぜ人は金銭的利益を度外視しても学問や芸術、またスポーツなどに精魂を傾けるのでしょうか。……しかし、それでもよく考えてみましょう。……知恵も限界を持っているのです。

 ピエール・キュリーという人は夫人のマリー・キュリーと共にラジウムという物質を発見し、1903年にノーベル物理学賞を受けた著名な科学者です。しかしそれほどの人が、混雑の中で道を渡っている時、ちょうどそこを通りかかった荷馬車にぶつかって転び、車輪に頭を押しつぶされて、死んでしまいました。46歳でした。人間は必ず死ななければならないという現実の前に、その人が賢者であったか愚者であったかということは何の関係もありません。人はすべて死にます。まるで牛が一頭ずつ引っ張られていって殺されるように、一人ずつ、帰らぬ旅に出てゆくのです。

 これはコヘレトにとって我慢できないことであったに違いありません。コヘレトは知恵の探究と快楽の追求を行って、知恵と愚かさの両方をきわめた結果、やっと知恵は愚かさにまさるという結論を導きだしたのです。しかし死が最後の勝利者であるならば、知恵を求めることは何の意味もないことではありませんか。

 そこでコヘレトは、「わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる」と言うしかありませんでした。そこには賢者も愚者も同じように死ななければならぬという現実の前にくずおれた魂がありました。

 コヘレトは自分に知恵があることでうぬぼれるような人ではなかったにしろ、知恵を求めることを生きがいにしたいと思っていたのではないでしょうか。それなのに、死がすべてを否定してしまったのです。こうなった以上、生きることは、まるで風を追いかけるようなむなしいことにすぎません。

では、そのことはコヘレトをどこに向かわせるのでしょうか。

コヘレトは、賢者にも愚者にも等しく死が臨むなら、人が生前つくりあげたことがどうなってしまうかということを検討しようとします。……その時、コヘレトの心にひらめいた希望があったのかもしれません。コヘレトにはまだたくさんの財産が残っていたようです。それは彼が一生を費やし、

労苦してたくわえてきたもので、彼の汗と涙と、そして夢がこもっています。これを後に続く人に残し、それを増やしてもらえば、自分の人生は無駄ではなかったということになるでしょう。……しかし、コヘレトはそこにも、心にひっかかるものを覚えました。自分が死んだのち、財産が他の人の所有になったときのことを想像してみると、「知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか」。…それでも遺産を受け継いだのが賢い人ならまだ良いのですが、もしも愚かな人だったらと考えると、…まったくやりきれなくなってしまいます。

「コヘレトの言葉」の著者は、1章1節によりますとエルサレムの王、ダビデの子です。ダビデの子で王となったのはソロモンです。これが本当にソロモン王が書いたのか、誰かが自分をソロモン王になぞらえて書いたのかはともかくとして、歴史の事実は告げています。ソロモン王はイスラエルを古代オリエント世界で最大の強国に造り上げました。しかし、偉大な王の死後に起こった王位継承をめぐる争いはついに国の分裂を引き起こしました。そして分断国家の二つとも、やがては滅びてしまうのです。…ソロモン王が心血を注いできたことはいったい何だったのでしょうか。いま残っているのは、つわものどもの夢の跡でしかないのではないでしょうか。

私たちもついこう言ってしまいます。聖書に書いてあることは難しい。訳が分からない。神さまの考えておられることなんて人間には知りようがない。私は何をしたらいいんでしょう?何が善いことか知っていれば、間違いなくそれを行うはずなのに。そう言って、なかなか実行しようとしません。

神さまの御心を知るのに、特別な才能は必要ありません。聖書にはっきりと書いてあるからです。あなたの全てを尽くして、神を愛しなさい。あなたの隣の人を、自分自身のように愛しなさい。言葉にすれば簡単です。でも私たちは躊躇して、「本当にこれだけですか?何かもっと条件はありませんか?」と聞いてしまいます。

この律法学者も同じでした。「しかし、彼は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか』と言った」。ここで「自分を正当化しようとして」と訳されております言葉を直訳しますと、「自分を義とすることを望んで」となります。自分で自分を義とすること、それこそが罪の正体です。神の御前では、誰も本当には正しくあり得ません。主なる神のみが義なる方、正しいお方です。そのことを知らずに生きる時、私たちはいつの間にか、神に責任を負わせ、まるで戒めの方に問題があるかのように、「ここまでは守らなくてはならない」とか「この人たちは隣人には含まれない」とか言い出すようになってしまいます。律法学者も、律法の教えを定義の問題にすり替えてしまいました。戒めを守れば天国に行ける、と勘違いしていた彼は主イエスに尋ねます。「『隣人』の定義は何ですか?まさかどんな人でも愛しなさい、なんて言いませんよね?悪い奴、罪深い、汚れた人間でも愛せますか?」こう言って、自分に愛がないことを、愛が欠けていることを、神を愛さず、人を愛していないことを、ごまかそうとします。

でも、愛さなければ聖書の教えに反しています。永遠の命を失います。それは、命を与えて下さる方、天の神さまとの繋がりを失ってしまうということです。それを認めたくないので、私たちは自分を正当化します。神さまではなく、自分を正しいとしてしまうのです。私に愛がない訳じゃない、愛する価値のあるのはどういう人間なのか。それを教えてもらえれば、喜んで愛します。そう言って、人間を上から順に並べて、自分から見て下の方に並んでいる人たちに×をつける訳です。これはとても恐ろしいことです。けれども、私たちも時々、こういう考え方をしてしまうのではないでしょうか。

そこで主イエスは、一つの譬え話をなさいました。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた」。エルサレムからエリコというのは、今は車で1時間もかからないんですけれども、当時は大変寂しい道を、6時間位かけて歩きました。途中でよく強盗が出没したようです。さて、この人も強盗に身ぐるみはがされて、ほとんど死にかけていたんですけれども、そこに3人の人が通りかかります。

1番目は祭司です。神殿で大事な務めを終えて帰る途中です。2番目はレビ人です。祭司の下働きをする人で、普段は聖書を教えています。残念ながら二人とも、瀕死の怪我人を見て、道の向こう側を通って行きました。見て見ぬ振りをする卑怯者だ!と言って非難することは簡単ですが、なぜ彼らがそうしたのか、理由は書かれておりません。恐らく、「死体に触れる者は汚れる」という律法の言葉を思い出したのでしょう。3番目はサマリア人です。ユダヤ人から見ると、サマリア人は聖書の教えを正しく知らない、罪深い人たちであり、正しい祭儀を行わない、汚れた人たちです。近くに住んでいても付き合ってはいけないとされていました。ですから、ユダヤ人とサマリア人は、いつもいがみ合っていました。話を聞いていた人たちは皆、サマリア人の登場で憂鬱な気分になったことでしょう。絶体絶命だ。もうこの人は助からない。そう思ったに違いありません。でもこのサマリア人は意外にも、倒れている人を見ると、憐れに思って近寄りました。この「憐れに思う」という言葉は、腸とか内臓、はらわたを意味する言葉から出来ておりまして、単に同情するとか、

かわいそうに思うとかではなくて、体の奥から湧き出て来る思いを表しています。「断腸の思いに駆られた」と訳している人もいます。さあ、それ程の気持ちでこのサマリア人は、一生懸命、出来る限りの手当てをして、自分のロバに乗せて、宿屋に運びました。皆さんお分かりでしょうか。動かない人を担ぐのは凄く大変です!ぐずぐずしているとまた強盗が現れて、自分が襲われてしまうかも知れません。そういう心配も彼にはあったはずです。でも聖書には、その点は一言もなく、ただ「憐れに思い」と書いてあるだけです。また、倒れていた人は敵であるユダヤ人かもしれないのに、彼は躊躇せずに助けました。主イエスは、自分の敵を愛しなさい、と教えて下さいました。そんなことはとても出来ない、そんな勇気は自分にはない、と私たちは思います。お隣の国の人とも仲良くできません。それどころか、近所の人たちや職場の同僚、自分の家族とすらいがみ合ってしまう。それが人間の現実です。そんな私たちに、敵を愛することなんて出来るんでしょうか。なかなか難しいと思います。この譬え話の「サマリア人」というのは、実は主イエス御自身のことである、と言われます。彼は立ち去る時、宿屋の主人にデナリオン銀貨を二枚渡しました。この2デナリオンは神殿に納める税金である半シェケルと同額です。出エジプト記30章15節にはこう書かれています。「あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる」。つまり、このサマリア人は、命を贖うのに必要なお金を、本人の代わりに支払ったのです。確かに主イエスは、十字架の上で、私たちの罪を背負われました。御自分の命を差し出して、私たちの命を贖って下さいました。この方こそ、本当の「善いサマリア人」であり、罪のために瀕死の重傷を負っている私たちを癒して下います。しかも、サマリア人が「費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」と言って、追加の負担を申し出たように、イエスさまもまた、罪赦されながらもなお、罪を重ね続ける私たちのために、再び戻って来られるその日に、全てを清算しよう、と約束して下さっているんです。

では皆さん、私たちはどうでしょうか。「イエスさまに出来ることでも私たちには無理です」。そう言いながら、心のどこかで「敵でなければ愛せる」と思ってはいないでしょうか。祭司もレビ人も、倒れていた人を助けませんでした。旅人は同胞のユダヤ人であったかもしれないのに、見捨てて行きました。私たちも同じです。主イエスの譬え話を聞いて、自分も隣人を愛することが出来ないのだということに気づきます。

そんな私たちに、主イエスは最後の質問をなさいます。「あなたはこの3人の中で、だれが追はぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。ここで主イエスは、問答をすっかりひっくり返しておしまいになります。つまり、律法学者は、「私の隣人は誰か」と質問したのに、主イエスは「あなたは誰の隣人なのか」と仰います。全く逆さまなんです!律法学者は、自分を中心にして考えているために、「私が」愛を与える相手とは誰なのかと問います。しかし、隣人を求める人は、必ず誰かの隣人にならなくてはいけません。

愛するとは、関わりを持つということです。主イエスは「互いに愛し合いなさい」と仰いましたが、その新しい掟に従うことを、身を持ってお示しくださいました。すなわち、十字架の死によって、私たちへの限りない愛を貫かれたのです。そのことによって、主なる神が、愛の交わりの中へと私たちを招いて下さっていることを教えて下さいました。主イエスは、病の中にある者や、打ちひしがれている者を、憐れまずにいられないお方でしたけれども、ただ憐れむだけではなく、本当に人の苦しみを御自分の苦しみとして、誰かの痛みを御自分の痛みとして背負われた方です。ですからこの譬え話では、追いはぎに襲われた旅人もまた、主イエスを指し示していると言えます。十字架に架けられる直前、主は服を剥ぎ取られて、殴りつけられました。

逆にまた、強盗の立場にも立たれました。主は逮捕される時に強盗扱いされましたし、実際、二人の強盗と共に、十字架につけられました。そのように、全ての人の所へ、同じ低さにまで下って来られた方が、私たちがお互いを隣人として愛し合うことを妨げているものを、取り除いて下さいました。私たちは人間同士で敵対し、神さまにも敵対していましたけれども、主イエスは、その十字架の死によって、私たちを執り成して下さいました。ローマの信徒への手紙5章8~10節にはこう書かれております。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」。このように、神と人との間に和解をもたらして下さった方が、人と人との間にある隔ての壁を、打ち壊して下さらないはずはないんです。そして、私たちもまた、自分でなく神を中心に考えるなら、誰もが神に愛されていることが分かります。主の御前に悔い改め、その愛の大きさの前にひれ伏し、自分の罪の大きさに気づかされ、罪を赦して頂く時、私たちは神を愛さずにいられませんし、人を愛することが出来るようになるのです。律法学者は、主イエスのご質問に対し「サマリア人です」と答えるのが嫌なので仕方なく、「その人を助けた人です」と言います。このセリフを直訳しますと、「彼に憐みを行なった者です」となります。そうです。サマリア人でもユダヤ人でも、「憐みを行なった者」こそ、隣人になった人なんです。そのように、主イエスもまた、五千人の群衆を見て「深く憐れんで」パンと魚を分け与えて下さり、病に苦しむ人を「深く憐れんで」癒して下さいました。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と主はお命じになります。私たちにそんなことが出来るでしょうか。とても出来そうにない気がしますね。でも、そんな私たちをまず主が憐れんで下さったことを、思い起こしましょう。憐みの業は何より主の御業なのです。私たちはその憐みによって、救いを与えられました。私たちはまず、自分が主に憐れんでいただく他ない者であることを認めましょう。それともあなたは、サマリア人の手を振り払って、次に来るはずもない助けを待ち続けますか。このまま道端に倒れ伏していますか。「私が愛すべき隣人とは誰ですか」などと問う前に、私たちを愛してやまない方の御手に、すがりつこうではありませんか。

さて、律法学者に、そして私たちに、主イエスはこう仰います。「行って、あなたも同じようにしなさい」。御言葉に与った者は、主に派遣されて出て行きます。主イエスと弟子たちの喜びの輪の中に、主を試みようとして侵入してきた、この律法学者でさえ、主に倣う者となるよう招かれているのです。まして、主イエスを信じ、弟子として従うならば、御命令を拒むことは出来ないでしょう。

とは言え、何も特別なことをする必要はありません。サマリア人は、自分に出来ることだけをして、そのまま旅を続けました。宿屋の主人は、サマリア人に託された仕事、つまり怪我人の介護を続けることが出来ます。怪我人を背負ったロバの役目もあるでしょう。油やぶどう酒、包帯、それにお金も用いられます。そして私たちは今、教会という宿屋にいて、主イエス・キリストという本当に憐れみ深いお方が、再び帰って来られるのを待っています。

今日から教会の暦はアドベント、待降節に入ります。主イエス・キリストの御降誕を待ち望むこの季節、私たちはいつも主の再臨、キリストが再び来られるのを待ち望んでいることを覚えます。全ての人を隣人として愛してくださる主が戻って来られる時を待ちつつ、私たちもまた、み恵みによってお互いを隣人として愛し合う者とされますよう、祈り願って歩みたいと思います。では、一言お祈り致します。

イエスのたとえ話 善いサマリア人 山本盾伝道師

申命記6:4~5 ルカ10:25~37 2016:11:27

 今朝、皆さんと御一緒に読んで参ります御言葉は、よく知られた物語であります「善いサマリア人」と呼ばれる譬え話を含んでおります。教会に長く通われた方は皆さん、この譬え話に思い入れがあるのではないでしょうか。また、今日初めてお聞きになる方にとっても、大変印象深い物語であろうかと思います。聞くところによりますと、アメリカには「善いサマリア人法」という法律がありまして、例えば、急病人の心肺蘇生でうっかり肋骨を折ってしまっても訴えられないとか、誰もが安心して人助け出来るようにするための決まりがあるそうです。そんな風に、ここで語られます主イエスの教えは、「善行の勧め」であり、どんどん良いことをしなさい、もし困っている人がいたら、躊躇せずに手を差し伸べなさいという教えである。そう、理解されていることが多いように思います。 

しかし、本当にそれだけ、なのでしょうか。私たちはここから、そのような道徳や教訓を学ぶように、求められているのでしょうか。皆さんと一緒に、聖書の御言葉に聴きたいと思います。

ルカによる福音書の10章は、最初に「72人を派遣する」という小見出しが付いておりますように、主イエスが弟子たちを任命して、町や村に派遣なさった時のことを伝えています。つまり、今日お話するエピソードは、伝道活動の最中の出来事なんですね。そこで弟子たちは伝道の成功を主イエスに報告し、主イエスは父なる神に感謝なさいます。その時の様子を、ルカは「72人は喜んで帰って来て」と17節で記します。その弟子たちに対し主イエスは「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と仰いますけれども、21節でルカは、その主イエスが祈られる様子を「イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた」と述べています。つまりここには、弟子たちを派遣なさいます主イエスの喜びと、派遣された弟子たちの喜びとが、響き合っている訳です。祈りを終えたイエスさまは、弟子たちの方を振り向いて祝福なさいます。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ」。

そんな風に、神の国が近づいていることを目の当たりにして、喜びに溢れている人たちのところに、「律法の専門家」、律法学者が加わります。彼の登場で、ガラっと雰囲気が変わるような気が致します。実際、原文では「すると」の後に、「見よ」「見なさい」と訳せる言葉が入っております。イエスさまの方を見ていた弟子たちが振り返って、後ろに立っているこの律法学者の方を見たように、私たちもまた、彼の方に注目したいと思います。なぜならそこには、これからまた再び、この世へと遣わされようとしている私たちの受け取るべきメッセージが、彼の問いと主イエスのお答えを通して、語られているからです。

福音書には、主イエスとの対話の場面が幾つか記されております。5月最後の主の日の礼拝でお話しました「富める青年」のエピソードもそうなんですが、今日の箇所も主イエスへの質問で始まっております。しかも、質問の内容もほぼ同じでありまして、「永遠の命」について尋ねています。これは、当時のユダヤ人にとってよほど興味・関心のある事柄であったと言うことが出来るかも知れません。

しかし考えてみますと、例えば現代の仏教徒でも、「どうすれば成仏するのか」「どんな徳を積めば極楽往生出来るのか」と問うことはよくあるでしょう。そうしますとこれは、古今東西、誰もが尋ねたいと願っている疑問であり、実際に口にしないまでも、心に浮かぶ問いなのではないでしょうか。律法学者はこのように尋ねました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るでしょうか」。

先生!と呼び掛けるのは、日本でもそうですけど、相手を尊敬しているとは限らないんですね。実は見下しているんだけれども、一応失礼のないように、あるいはおだてるために、「先生、教えて下さい」と言って近づくんですね。彼は主イエスに教えて頂こうなんて思っていません。自分は律法の専門家だし、子供の頃から勉強して来たんだ。少なくとも、このイエスとかいう田舎者よりは聖書に詳しいはずだ。そう思っていました。では、なぜ質問したのでしょうか。25節には「イエスを試そうとして言った」とありますね。この「試す」という言葉は、福音書では他に、主イエスが悪魔に試みられる場面に出て来ます。「ここから飛び降りてみろ」という悪魔の誘いに対して、イエスさまは、申命記を引用してお答えになります。「あなたの神である主を試してはならない」。この「試す」と同じ言葉が、律法学者の行動を表現するのに使われております。つまり、悪魔がしたように、律法学者は主イエスを罠に嵌めようとした訳です。「イエスは最近、沢山弟子を集めて調子に乗っているらしいじゃないか。さ~てどれだけ賢いか、テストしてやるか。下手な答え方したら追及してやろう」という積りでした。

ところが、主イエスはそれには直接お答えにならずに、逆に彼にこうお聞きになったんです。「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」。この「どう読んでいるか」というのは、「どういう風に理解しているか」、つまり、聖書の教えの中で本当に大切な肝心要の部分はどこだと、あなたは思うのか、という質問です。きっと律法の専門家は内心慌ててしまったでしょう。質問するはずが、質問される側になって、テストする積りがテストされることになったんですからね。でも、そこは専門家ですから、きちんと正解出来ました。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」。

ユダヤ人の家にはこの前半を書いた紙を入れた箱が玄関にあります。敬虔な人は手にも額にもつけています。ですから当然この聖句をみんな知っていてよく覚えています。つまり、誰でも知っていて当たり前のことを答えた訳です。勿論、合格です。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」と主イエスは仰いました。律法学者は拍子抜けしたことでしょう。彼の気持ちは何も書かれていませんけれども、恐らくこんな感じだったのではないでしょうか。「こっちは真剣に聞いてるんだ。今まで聖書の教えはきちんと守って来たんだ。だから、あと何を付け加えれば天国に入れるか、それを知りたいのに、いや、どうせイエスにはそんな難しい議論は出来っこないから、こっちが教えてやろうと思ってたのに、「良く出来ました」なんて言われたら、こっちの立場がないじゃないか」。

でも皆さん、この人は特別傲慢な人だったんでしょうか。そうではないと思います。大体、福音書の中では、この「律法の専門家」、律法学者というのは、主イエスに敵対する勢力として登場することが多いようです。けれども、彼らは何も間違ったことを教えていた訳ではありませんでした。マタイによる福音書の5章20節で、主イエスはこう仰います。「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない」。彼らは本当に律法をよく学んでいましたから、正しい行いとは何か、ということについては、誰よりもしっかりと弁えていましたし、律法についての正確な知識に従って生きていましたから、正確な知識を持たない人たちを、教え導く役割を担っていると思っていました。しかし、正しい知識が、人を正しい行いに導くのでしょうか。正しい知識を蓄えなければ、正しく行うことは出来ないのでしょうか。

11月27日伝道集会のお知らせ

 というのは、聖書にはザカリヤとエリサベト以外にも年を取ってから奇跡的な形で子宝を授かった人がいます、たとえばアブラハムとサラですが、彼らも子どもが与えられるという神の言葉を疑いました。しかし、だからと言って罰を受けてはいません。アブラハムやサラに起こらなかったことが、なぜザカリヤに起こったのかというのは不思議なのです。

 そこでもう一度天使の言葉を見てみましょう。天使が伝えてきたのは、19節によれば喜ばしい知らせです。そこには、深い、豊かな内容があります。喜ばしい知らせということで言われているのは、単に年取った夫婦に子どもが与えられるということではありません。その程度のことではないのです。ここで生まれる子どもがやがて主の御前に偉大な人となり、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼は主に先立って行き、父の心を子に向けさせる。…そこで言われているのは大変なことで、皆さんは一回聞いただけではなんだか意味がわからなかったと思います。ザカリヤもそうだったのです。…何がなんだかわからなかった、だから信じることが出来なかった、…そのことをザカリヤの不信仰と言うことは出来ます。しかし、口が利けなくなったというのが、彼の不信仰に対する罰だとか、はたまた神の裁きだと決めつけるのは厳しすぎるのではないか、それが今日私が問題提起したいところです。

 

 ではここで、仮に、天使がザカリヤの口を封じなかったとしましょう。その時にどういうことが起こるでしょうか。ザカリヤは聖所を出たあと、天使が語った言葉をそのまま繰り返すことになるでしょう。多少説明も入れるでしょう。しかし、自分ではその意味がわからないままなのです。…神はご自分の言葉を、信じてもいない人が語ることを望まれません。天使の言葉を全身全霊をあげて受け取り、それを人々に取り次ぐことこそ神様が求められることです。今の段階では、ザカリヤにそれを要求することは出来ません。

 そこで神はザカリヤに沈黙の時を与えられたのではないでしょうか。「この事の起こる日まで話すことができなくなる」。神はザカリヤに命令されます。……語るべき時が来たら語りなさい。でも、沈黙すべき時には沈黙していなさい。エリサベトが出産するまでほぼ10か月の時間がある。その間、祈りつつ、私の言葉の意味を考えなさい。あなたの願いを私は聞き入れた。子どもがほしいというあなたの願いを、あなたがあきらめたあとにかなえたのは、ひとえに私の民を救おうとする思いから起こしたことなのだ。この私の思いをあなたが本当に受け止めた時に、私はあなたの口を開こう。あなたは私が行うことを語ることになるのだ、と。 この先、聖書を読んで行くとわかることですが、口を利けなくされたザカリヤは、エリサベトが息子を出産した時、口が開け、そこから発せられたのは、実に神を賛美する言葉でありました。

 こうしてみると、ザカリヤに起きたことが本当に神の罰だったのかどうか、疑わしく思えてきます。これは罰というよりは、神の恵みだったのではないでしょうか。ザカリヤとエリサベトの、自分たちの子どもがほしいという願いは聞き入れられました。それも彼ら二人の思いをはるかに超えた形で。

 

 これから誕生するヨハネは主イエスの出現に先立って世に現われ、主イエスのことをユダヤの国中に伝えることになります。自分が主役ではないのです。先ぶれです。前座です。露払いです。このあと現れるお方をさし示すことに人生をかけた人ですが、このヨハネが世に現れるに先立って、ザカリヤとエリサベトの祈りと、これに応えて下さった神のみこころがあったことを私たちは忘れてはなりません。

 ザカリヤとエリサベトの、子どもが授からないという長年の悩み、口を利けなくされるという苦しみ、これらすべて最後には恵みに転じることを私たちは見ることになるでしょう。…私たち自身も、ザカリヤとエリサベトとは違う形でありましょうがさまざまな悩みと苦しみに直面しています。

しかし、それが神のみ手の中で起こっているのなら、最後には喜びに変わるという希望を持つことを神は許して下さるはずですし。今、この時点でもその恵みが与えられているのです。だから神からいただく苦しみがあったとしても、それは喜びに通ずることを信じて下さい。…クリスマスは喜びの中に喜びが加えられた日ではなく、苦しみの中に喜びが与えられた日なのです。

(祈り)

私たちの主イエス・キリストの父なる御神様。み名を賛美いたします。昔いまし、今いまし、やがて来たりたもうイエス様ご自身がこの礼拝を導き、私たちにクリスマスを迎える心の準備をさせて下さいました。

神様、今年、どうか私たちが不平不満や絶望の中でイエス様をお迎えするのではなく、イエス様が世界と自分の上にもたらして下さった良いものへの感謝を捧げつつ、イエス様をお迎えすることが出来ますようにと願います。

ザカリヤとエリサベトの願いは聞き入れられました。それも彼ら二人の思いをはるかに超えた形で。ひるがえって私たちはというと、みこころに沿わない、身勝手な、自分の幸せばかり願う祈りばかりしているかもしれません。神様は私たちの祈りを忍耐して聞いてなさっていることと思います。神様が私たちの祈りを、そのままの形でかなえて下さることは多くないでしょう。しかし、私たちの思ってもみない形でかなえて下さることがあるのです。祈りは聞き入れられることを信じます。神様のそのような恵みを、私たちが沈黙の中で深く受けとめることのできますように。そうして時が満ちれば、それを自分の口で語り、信仰の喜びを他の人と分かち合うことが出来ますようにと祈ります。

この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン。

あなたの願いは聞き入れられた youtube

 

マラキ3:23~24、ルカ1:5~25 2016.12.4

 

 待降節、すなわちアドヴェントの第二主日となりました。教会では11月30日に近い日曜日から始まって、4回の日曜日を経てクリスマスに至る間を待降節、アドヴェントと呼んで、イエス・キリストのご降誕をよき備えをもってお迎えしようとしています。それは、ご降誕に先立つ700年以上も昔から、人々が救い主の到来を待っていたからでありまして、私たちもこの人々の思いを自分の思いとしたいのです。

 もっともアドヴェントにはもう一つの意味があります。それはイエス・キリストがもう一度この世界に来られるのを待つということです。イエス様はこの世界に、二千年前においでになられただけではなく、いつの日かもう一度おいでになられるお方です。…ですから今のこの時期は二千年前にお生まれになったイエス様をお迎えするだけでなく、再びおいでになるイエス様をお迎えするためにもあるのです。私たちはイエス様を待つということを、この二つの意味で受けとめる者となりましょう。

 

 広島長束教会は今年、アドヴェントからクリスマスに至る時を、ルカ福音書の1章と2章を読んで過ごして行きたいと思います。と言っても全部取り上げることは出来ません。そこには二人の男の子の誕生が書いてあります。一人は言うまでもなくイエス様で、もう一人はヨハネ、のちにバプテスマのヨハネと呼ばれるようになった人物です。今年はヨハネの誕生に関わることを中心に3回の説教を行おうと考えています。皆さんはここでヨハネの誕生とイエス様の誕生を切り離して考えることがありませんように。ヨハネの誕生がイエス様ご降誕の物語の付け足しのように考えてしまうと聖書の大切なメッセージを聞き逃すことになります。クリスマス物語という大きな枠組みの中にヨハネの誕生の話も入っているのです。

 ヨハネの父はザカリヤ、母はエリサベトで、二人はユダヤの王ヘロデの時代に生きた人でした。ユダヤは当時ローマ帝国の支配下にあり、ヘロデはローマ帝国に任じられて紀元前37年にユダヤの王となった人物で、その治世は彼が死ぬ紀元前4年まで続きました。ヨハネやイエス様が誕生したのは紀元前7年前後と考えられています。

 ザカリヤはエルサレムにあった壮大な神殿で働いていた祭司でした。昔、奴隷の民イスラエルを解放に導いたモーセの兄にアロンという人がいて、その子孫が代々祭司を輩出した家系でした。

…悪事を行うのでない限り、何をしても良いのです、

…ただイエスの名を語るな!今回は見逃してやるけど、今度こんなことをしたら容赦しないぞ、という解決法だったわけです。 これに対してペトロとヨハネは言いました。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」

 教会が、そして一人ひとりの信者が、宗教的な、あるいは政治的な権威の前に屈してしまおうとする時、正しい道に立ち返らせるのは、いつもこの言葉でありました。

 今も、教会が何かやろうとする時に「これは国が決めたことだから教会が関わるべきではない」と言う人がいます。他の宗教に対しても、おそれはばかる人がいるかもしれません。…そういうことが問題になった時によく持ち出されるのが、ロマ書13章1節の、「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」という言葉です。上に立つ権威に従え、ならばペトロもヨハネもそうすべきだったのでしょうか。…しかし上に立つ権威といっても、すべて神によって立てられているのです。神によらない権威はありません。つまり、たとえどれほど大きな力を持った権威があったとしても、それは神様を超えるものではないのです。そのことを私たちは知っていなくてはなりません。…ロマ書はまた、13章7節で、権威を持っている人を敬うことを教えています。大切なことですが、それは、権威を持っている人を崇めることではないのです。この点を取り違えることが大変多いようです。崇めるべきなのは神のみです。

 ペトロとヨハネはどんなに大きな権威を前にしても、臆することがありません。神を崇めていたからそれが出来たのです。…神が素晴らしいことをして下さいました。そのことを知ったからには……。

 主イエスの名によって立ち上がり、歩くこと、それはペテロとヨハネが経験し、足の不自由な男がそれに続きました。私たちはどうでしょうか。本当にそのことを体験した人は、話さないではいられないのです。

 ここには、よく考えてみなければならないことがたくさんあります。まず「あなたの願いは聞き入れられた」ということですが、いったいザカリヤの願いとは何だったのでしょうか。…私たちが最初に思いつくことは夫婦の間に子どもが授かることです。ザカリヤとエリサベトが結婚以来長い間、子どもを与えて下さいと祈っていたことは間違いないでしょう。しかし二人とも年を取ってしまってからはそうした祈りは次第に少なくなっていったものと考えられます。神様はもはやこの祈りをかなえては下さらない、とあきらめてしまっていたのかもしれません。…もっとも、この時点でまだあきらめていなかったとしても、皆さんはザカリヤが神殿の聖所の中でこのことを祈っていた、と考えることができますか。ザカリヤが一生に二度とはないかもしれない大切な務めをしている時に、「私たち夫婦に子どもを授けて下さい」と祈るなどということは考えにくいのです。

 そうであれば「あなたの願いは聞き入れられた」というのは、どういうことになるのでしょうか。…ザカリヤはこの時おそらく、イスラエルの民の救いを求めて祈っていたものと思われます。歴史の中で。たびたび神に背いて苦しみを受けてきたイスラエルの民は、その時もローマ帝国の支配下にあって飼う者のない羊のように弱り果てていました。ですから同胞の救いを求める祈りは切なるものがあったと思います。神はその祈りを聞かれた、イスラエルの救いが現実のこととなることを示された、その結果がザカリヤに子どもが与えられるということだったのです。…神はザカリヤとエリサベトの子どもを求める祈り、もうあきらめて口にすることもなかっただろう祈りを覚えておられ、それをこのような形で報いて下さったのです。

 

 聖書はこのあと、ザカリヤが口が利けなくなったことを伝えています。天使は言いました。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

 ザカリヤは口が利けなくされたことは、伝統的に、神の罰として説明されることが多かったと思います。自分たち老夫婦に子どもが与えられるという神のお告げを信じられないザカリヤは不信仰だった、「何によって、それを知ることができるでしょうか」としるしを求めたのはけしからん、と言われます。…ただ、果たしてそれだけで説明できるのでしょうか。ザカリヤの不信仰に対する神の罰というのは大事な考え方ですが、もう一つ別なことを見て行くことにしましょう。

 にぎやかな祝の宴の雰囲気は一変したことでしょう。ザカリアの口が開いたことは、その場にいる人たちを震撼させ、神への畏れを抱かせたのです。

 この話はまたたく間に広がって、ユダヤの山里中で話題になりました。ザカリアとエリサベトが住んでいたところは、古くからの伝統や慣習やらを大切にするところだったと思います。しかし、古い世界は新しい世界に変わりつつあります。

 一連の出来事を聞いた人々は、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言いました。ここで生まれたヨハネはやがて成長した時、イエス・キリストの前に道ぞなえをする者となって、新しい時代の扉を開くことになるのです。

 

(祈り)

天の父なる神様。あなたは、歴史を通して世々変わりなく憐れみをお忘れにならず、その憐れみをイエス・キリストを通して世界に、そして私たち一人ひとりにも与えて下さいました。このことは口で言うのは簡単ですが、そこに神様のどれほどまでの思いが込められているのか、想像もつきません。いったい人間の言葉で神様がなさっていることを語ることが出来るのでしょうか。今ここにいる者たちは、牧師を筆頭にみんながしじゅう不信仰な言葉を口にしているのかもしれません。神様、どうか私たちを、神様の前に沈黙すべき時は沈黙させて下さい。しかし語るべき時が来たら、語る勇気をお与え下さい。いま自分の口から出るのがいかに貧しい言葉であるかを痛感しています。言葉によって他の人を傷つけることもしてこました。神様、私たちにどうか聖霊によって、語るべき言葉を与えて下さい。神様を賛美し、聞く者の益となる言葉を語ってゆくことが出来ますよう、お導きをお願いします。

この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン。

彼は沈黙の10か月を、神に自分の思いを集中し、魂を注ぎ出して神の前に自分自身を置く時として用いたに違いありません。

 その時に、その信仰をエリサベトと分かち合うことが出来たことは重要です。エリサベトはどうしてヨハネという名前を出すことが出来たのか、聖書には書いてありません。それまでザカリアと筆談で会話していたのか、あるいは神がエリサベトの上にヨハネという名前を示したかのどちらかだと思いますが。…エリサベトは口と耳をふさがれたままの夫をじゃけんに扱うことはしませんでした。けんめいに夫を支え、共に祈ることで、夫が神殿で見たものを見、夫の信仰を自分の信仰とすることが出来たからこそ、大事な時に二人一致して、ヨハネという同じ名前を出すことが出来たのです。

 それでは、ザカリアの口が開けたことはどう考えたら良いでしょうか。彼は沈黙の10か月を過ごしましたが、それは、そのままずっと沈黙したままでいなさいということではなかったのです。10か月何もしゃべらなかったザカリアは、口が開けたとたんそこから神を賛美する言葉がほとばしり出ました。今度は逆にしゃべり続けたということに注目して下さい。

 聖書は、沈黙だけを良しとしているのでも、また逆にしゃべり続けることだけを良しとしているのでもありません。人生には沈黙する時と語る時があるので

す。沈黙すべき時には沈黙していなければなりませんが、語るべき時には語ることが求められます。…ザカリアの例からわかることは、彼が終始神と向かいあい、沈黙を徹底して行った、そのところから言葉が湧き出てきたということです。神の前で沈黙したザカリアに、聖霊が神をたたえる言葉を満たして下さいました。…こうして、以前の、神の全能の力を信じることの出来なかったザカリアは、今度は新しく生まれ変わったザカリアとして神の前に立ったのです。

 ザカリアが「この子の名はヨハネ」と書いた、その意味は、神から頂いた子どもの名前と、神がザカリア夫婦になさったことすべてを感謝して受け取るという思いの表明であったと考えられます。ちなみにヨハネとは、「主は憐み深くあられる」ということを意味します。ザカリアにとって、口と耳がふさがれたことは苦しい体験であったにはちがいありません。しかし、それにもかかわらず、そこには神の憐み以外のものはなかったのです。

 初め、天使の言葉を聞いた時にあまりのことに信じられなかったザカリアですが、沈黙の10か月は心を静め、み言葉を味わい、祈りに集中するまたとない時となりました。…ザカリアはまず、人間のこざかしい思いでは到底とらえることの出来ない神の実在に触れ、圧倒されたのです。そこから沈黙が始まりました。沈黙の中でザカリアは、天使が取り次いできた言葉が真実であることを悟り、神は憐み深くあられるという信仰が与えられて、それを確かなものとしていったのです。

 沈黙というと、私たちは消極的なことのようにとらえがちです。…実際、何かの会で本来誰もが自由に発言するべき時に、みんな黙っていて、司会者が発言を促しても誰も口を開かないとなると、その会はうまくいっていないことになります。これは、参加者がみな人を恐れることから起こったことです。誰もが、この人の前では何にも言えないとか、発言したらみんなから浮いてしまうとか思っていたら、全然進歩はないわけです。しかし、神の圧倒的な力の前に沈黙するというのは、これとは違う、いわば積極的なものです。ハバクク書2章20節に、「全地よ、御前に沈黙せよ」という言葉があります。神がなさっていることを心の底から知ることが出来るなら、人間は何も言えなくなってしまうでしょう。…そのことを考えると、たとえ意図的ではなくても、結果的に神を汚してしまう言葉を口に出すくらいなら、何もしゃべらない方が良いのです。ザカリアはそういう状況に置かれたわけですが、それは恵みでもあったのです。

 もっともこういうことについては、あまり几帳面に考えなくても良いという人がおり、私もそう思っています。ここでは、集まってきた人たちが親を差し置いて名前をつけようとしているのではなく、わいわいがやがやきっとこういう名前だろうと話しているということではないでしょうか。…また、旧約時代でも、みんながみんな、子どもが生まれてすぐに名前をつけたのかどうか、と思います。もしかしたら、そこにいた人たちが知らないだけで、エリサベトはすでに「ヨハネちゃん、ヨハネちゃん」と呼んでいたのかもしれません。…さらに父の名をつけるということですが、これは父祖の名をつけると訳したら良かったように思います。日本でも徳川家の男性の名前にはほとんど「家」がついていますね。一族がみな似たような名前をつけるということがあり、そこからはずれないことが求められるわけです。現に、エリサベトが「名はヨハネとしなければなりません」と言った時、人々は「あなたの親類にはそういう名の付いた人はだれもいない」と言っています。親類縁者にない名前をつけるというのは、前例がなかったのでしょう。

 祝の宴もたけなわになり、さあ赤ん坊の名前をどうしようかと話が盛り上がった時、エリサベトはきっぱりと言いました。「名はヨハネとしなければなりません。」…みんな驚いてキョトンとしたでしょう。何も、そんなにムキにならなくても、と思ったのではないでしょうか。

 この場を白けさせるわけにはいきません。そこで、人々はザカリヤに尋ねることにしました。するとザカリヤは、板の上に「この子の名はヨハネ」と書いたので、みんなはまたまた驚いてしまいました。ザカリヤは口が利けないだけでなく、耳も聞こえないのです。だから人々とエリサベトが話していたことを聞くことは出来ません。それなのに同じ名前が出て来た、人々は不思議に思ったのです。「夫婦の間で何があったのだろう」、「いったいなぜ、ヨハネという名前にこだわるのか」。

 そうして、さらに人々に追い打ちをかける出来事が起こりました。「すると、たちまちザカリアの口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」その場は大騒ぎになったでしょう。みんな、仰天してしまいました。

この書き方では、マリアが帰ったあとにエリサベトが出産したように読めてしまいますが、カルヴァンなどは、マリアはエリサベトの出産を見届けたあとナザレに帰ったと考えています。マリアは妊娠して少なくとも六か月のエリサベトのもと来て、三か月ほど滞在しました。何かと不自由なザカリヤ夫婦を手伝っていたのに、出産を見届けない内に帰ったとは考えにくく、その可能性は十分にあると思います。

 さて、エリサベトの妊娠を知った近所の人々や親類は驚き、喜び、そして心配もしたことでしょう。妊娠自体は幸いなことだとしてもなにしろ高齢出産ですから「無事に生まれるだろうか」、「大事はないだろうか」と思っていたにちがいありません。やがて、月が満ちて、エリサベトは元気な男の赤ちゃんを産みました。一気に喜びが広がります。それは、「主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜びあった」と書いてある通り、主なる神に信頼の根拠を置いての喜びでした。「ああ、良かった」、ただ、出産直後に訪ねて行くのははばかられます。当時、出産後一週間はお見舞いしてはいけなかったのです(レビ12:1~4)。

 やがて八日目がめぐってきました。ザカリアの家は朝からお手伝いの人が来たりして、にぎやかだったはずです。この日は生まれた男の子に割礼を施す日でした。それは、このことによって正式に神の民の一員となることを意味します。割礼自体は長い時間はかからなかったようです。これが終われば、あとはお祝いの宴です。みんなが上機嫌でお酒を飲み、料理に舌鼓を打ち、会話はおおいにはずんだに違いありません。その中で、「名前をどうしようか」という話が出たのです。

 この辺りのことについて、聖書の専門家からはいろいろ疑問が提出されています。一つは、名前というのは親がつけるのが普通なのに、ここでは集まってきた人たちがつけようとしている、これはおかしいということですね。第二に、旧約聖書を見ると、生まれてすぐ名前をつけることが普通なのに、ここではなぜ八日目まで待ったのかということです。第三が、父親の名を取ってザカリヤと名付けたら、お父さんも子どももザカリヤとなって混乱するはずで、そんなばかなことするはずないじゃないか、というものです。

 沈黙する時、語る時youtube  

コヘレト3:1~8、ルカ1:57~66  2016.12.11

 

 今年のアドヴェントは、ザカリアとその家族に起こったことを中心にお話ししています。先週は天使から、子どもが生まれることを告げられたザカリアがそれを信じられなかったことで、口が利けなくされてしまったことを学びました。今日のところでは、人々はザカリアに手振りで尋ねていますから、ザカリアは口が利けなくなっただけでなく耳も聞こえなくなってしまったことがわかります。…ザカリヤの身に起こったことはこれまで、彼の不信仰に対する神の罰と思われることが多かったのですが、しかしそれだけで説明が尽くされるとは思えません。ザカリアはおよそ10か月の間、沈黙の時を過ごしましたが、今日はその沈黙が打ち破られて、言葉がほとばしるに至るまでを見ることになります。

 

 ザカリヤが神殿の聖所で務めを行っていた間、外で祈っていた民衆はザカリヤが出て来るのが遅いので、不思議に思っていました。ザカリヤはやっと出て来たけれども、話すことが出来ません。そこで人々は、彼が聖所で幻を見たのだと悟ったのです。

 その後、ザカリヤの妻エリサベトは身ごもって、五か月の間、身を隠していたといいます。天使は今度はガリラヤのナザレに向かい、マリアに向かって受胎告知をしました。天使の言葉に驚き、いぶかしんでいるマリアに天使は告げます。「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

 天使の言葉を受け取ったマリアが次にしたことは、エリサベトに会うことでした。会わずにはいられなかったのでしょう。マリアはナザレの町から出かけて行って、直線距離だけでも100キロはある場所にいたエリサベトのもとに向かいます。マリアとエリサベトの感動的な出会いについては、皆さん聖書を読んでおいて下さい。

56節に「マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った」と書いてあります。56節に「マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った」と書いてあります。

夜が永久に続いていくと思っている人に対して、「朝が来るぞ!」と言ってまわったのがヨハネです。

ザカリアは朝が来ることと共に、息子がそのための務めを果たすことを教えられて喜んだのです。

 皆さんは、あけぼのの光が訪れると聞いたら、どうなさいますか。あけぼのの光を避けて、暗闇に逃げて行くのは最悪の選択です。あけぼのの光の下(もと)に立つことを喜びたいと思いますが、その時、ヨハネのように「朝が来るぞ!」と言ってまわるのも、クリスマスの時期における私たちの応答ではないでしょうか。心に留めて頂きたいものです。

 

(祈り)

 主なる神様。暗闇と死の陰に座している者たちとは、まさに私たちのことです。この世で生きて行くためにさまざまな困難に遭遇し、また死への恐れの中にある人間すべての中に、私たちもいます。しかし神様は、こんな人間たちを憐れんで、イエス・キリストというあけぼのの光でもって照らして下さったことを、心から感謝いたします。

 神様、どうぞ私たちがこの神様の恵みの中に立って、人間本来の平和と安らぎの心を取り戻すことが出来ますように。自分の罪のために苦しむ人には赦しを、病に苦しむ人には健康を、心が折れそうになっている人には希望を与えて下さい。

 神様。クリスマスシーズンの今、どうか本当のクリスマスの喜びがこの国にありますように。そのためにも日本中の教会を強め、今の、この不安な時代にもっとも必要とされるみ言葉を語らせて下さい。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 ザカリアは最後に、神の憐れみの心が働くところをあけぼのの光にたとえて賛美します。「この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、…」

 イエス様がお生まれになったことは、私たちの世界に対する上からの、天からの働きかけ、神の圧倒的な介入であったのです。これがただの赤ん坊の誕生ではないことを私たちは知らなければなりません。イエス様の誕生を、本当に畏れを持って迎えることによってのみ、私たちはクリスマスを祝うにふさわしい者となるでしょう。

 救いの角であり、いと高き方であるイエス様は、暗闇と死の陰に座している者たちを照らすことになります。地は苦しみと悩みに満ちており、自分の力ではそこから抜け出すすべはなかったのです。暗闇の中にどっぷりつかっていると、本当に自分が暗闇の中にいるのかどうかすらわかりません。光に照らされることによって、そこが暗闇であることがわかります。そして、光のもとに行こうとする思いが起こされるのです。

 ザカリアが生きていた世界はまさに暗闇の世界でありました。そして私たちの中にも、自分が暗闇の世界で生きていると思っている人がいるかもしれません。しかし、そこにイエス・キリストが来て下さるなら、どうでしょうか。キリストは世界を照らすことによって、そこが暗闇であることを知らせて下さっただけでなく、暗闇を追い払って下さる方なのです。そして、そのために準備したのがヨハネです。ヨハネは、あけぼのの光の前に伝令のような役を果たした人物だと言えるでしょう。

 よく、明けない夜はないと言われることがあります。誰が言い出したのかわからないのですが、聖書と関係があるのかもしれません。

では、ヨハネの、いと高き方の預言者としての務めは何でしょうか。それが「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」ということにあります。

 皆さんご存知のように、ヨハネはこれからおよそ30年ののち、荒れ野に出現することになります。らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていたという、野性味あふれる人物です。彼が「悔い改めよ、天の国は近づいた」と告げると、その声はユダヤ全土に響きわたりました。人々は続々と彼のもとに集まってきて、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けるのです。

 ヨハネは全世界が、いと高き方、イエス様を救い主として受け入れるよう道備えをした預言者です。彼は、自分をイエス様を証しする声として位置づけました。決して、自分自身が人々に救いを与えることが出来るとは考えず、一人ひとりがイエス様を信じることによって罪の赦しを得るものとされるために、人間の、自分たちの罪深さを知らせる働きをしました。それは、人々が神に立ち帰るための準備をしたということです。イエス様自身、ヨハネについてこう語っておられます。「(彼は)預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ」(ルカ7:26~27)。イエス様に人生をささげ、自分自身のことを顧みなかった人物として、ヨハネがいるのです。

 

 ヨハネが誕生し、預言者として立てられ、いと高き方イエス様のために道備えをすることで、主の民に罪の赦しによる救いがもたらされます。これは神の憐れみの心によるものです。神が民を憐れみ、大昔に結んだ契約を果たして下さったのです

 イエス様はメシア、すなわちキリスト、救い主であられます。このお方が到来されることは、何より神の愛の現れにほかなりません。メシアは敵の手から自分たちを救って下さるわけですが、これは72節に書いてあるように、主なる神が自分たちユダヤ人の先祖を憐れみ、聖なる契約を覚えていて下さったことによって起こったのです。イザヤ書49章15節は言います。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」たとえ母親が自分の産んだ子を忘れることがあっても、あなたを忘れることは決してないと宣言される神は、イスラエルの民を顧みて下さったのです。イスラエルの民は国を失い、連れて行かれたバビロンから先祖伝来の地に帰ってきたものの、その時もローマ帝国の支配下で苦しんでいました。神はいま、この民にメシアを与えられたのです。 

 ザカリアはそのことを悟って、賛美を歌います。「こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える。生涯、主の御前に清く正しく。」ここには、救いの角を与えられた民のあるべき姿が歌われています。…神は約束通りのことをして下さった。神は真実であって下さった。この神を自分と同胞にとっての神と信じることが出来るのは、言うまでもなく素晴らしいことにちがいありません。ザカリアの見るところ、ユダヤの人々はまだまだ暗闇の中を歩む民です。その中に、彼自身と家族もいました。しかし、神は自分たちを見捨ててはおられなかった。神は契約を覚えて下さり、それを実行して下さった、だからもう、恐れることなく神に仕えることが出来るのです。

 ザカリアは当時のユダヤの人々に先駆けて、神様から、何にもかえがたい素晴らしい約束の言葉を受け取りました。それはイエス様の誕生によって事実となり、やがて時代と民族の壁を超えて私たちまで伝わってきているのです。

 それでは、メシア誕生のまるでおまけのような、ヨハネについての言葉を見ることにしましょう。

 「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。」呼ばれると書いてありますが、人々が承認してそうなるのではなく、まず神様からそう呼ばれるようになるのです。神様が呼んで下さらなければ、召して下さらなければ、預言者が生まれることはありません。ヨハネは神様から300年ぶりに遣わされた預言者となるのですが、ただ彼は一人、独立独歩のまま、み言葉を取り次いで行く人ではありません。彼はいと高き方の預言者であり、いと高き方がいらっしゃらなければ存在意義はないのです。

 そこで69節を見ると、主は「我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた」と書いてあるのがわかります。僕ダビデの家から起こされるのは、もちろんダビデ家から生まれるイエス様で、それ以外のことは考えられません。ザカリアは何よりもまずイエス様について語っているのです。…ヨハネについては、76節にあるように「いと高き方の預言者」という位置づけで、いと高き方イエス様より格下であることに注意して下さい。

 イエス様はこの時まだ誕生しておられませんが、ザカリアはすでにイエス様がおいでになることを知っていました。知らされていたのです。ですから、ザカリアがここで歌ったのは、まさにクリスマスの喜びであったのです。

 

 私たちがこの歌について知りたい、ザカリアと共に歌ってみたいと思うなら、まず神がして下さったことを受けとめることから始めなくてはなりません。

 62節:「主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。」主なる神は偉大なことをして下さいました。ここにある「訪れる」という言葉は、何しろ神様がなされることですから、人間を罰するために来られるというこわい意味で用いられることがあるのですが、この場合はむしろ特別な愛をもって、慈しみと恵みを施すために来て下さったということになります。「解放し」、これは口語訳聖書では「あがない」となっていました。主はその民を訪れてあがない、それは元々の意味から言えば、奴隷とか捕虜にされている者を身代金を払って買い戻し、自由にすることです。この時代、ユダヤ人は奴隷や捕虜までにはなっていませんから、ここは罪の中にある者たち、すなわち罪の奴隷を罪から解放するということになります。

 次に「救いの角」という言葉ですが、私たちにはあまりなじみのない表現です。エゼキエル書には「角を生えさせ」と書いてあって、これは何だろうと思われた方がいたでしょう。私たちがふだん角を見る機会は、動物園にでも行かない限りありません。うちに帰ったらおつれあいが角を出して待っていたなんてことはないでしょうから。…中近東には角のある動物はたくさんおり、聖書ではどうも野牛の角を意識しているようです。角というのは、その獣の力がいちばん集まっているところです。角で敵を倒すのです。だからこれは力の象徴です。そこに「救い」という言葉がついて、「救いの角」となるともはや鬼に金棒、これにかなうものはありません。ザカリアは救いの角であるイエス様が与えられた喜びを語っているのです。

 あけぼのの光が我らにのぞみyoutube 

 

エゼ29:21、ルカ1:67~80  2016.12.18

 

 この朝、私たちは、ヨハネが誕生した日に父ザカリアの口からほとばしり出た言葉を学びます。これは「ほめたたえよ」という言葉から始まっています。新共同訳聖書では「ザカリアの預言」という小見出しがついていますが、これは「ザカリアの賛歌」と言っても良いものです。預言であると共に神への賛美が歌われているからです。

 

 ザカリアとエリサベトに待望の赤ちゃんが生まれました。長い年月の間、待ち望んでも与えられなかった子どもです。まわりの誰も「赤ちゃんはまだ?」と言わなくなって久しくなってからの、突然の妊娠と出産ですから、当人たちはもちろん、近所の人や親類もみんな驚いて、神の慈しみを喜びあうこととなりました。

 しかし、ヨハネ誕生の意義というのは、これに尽きるものではありません。…ザカリアが神殿の祭司として働いていた時代は、救い主の到来が待ち望まれつつも、どこに向かって行くかわからない先行き不透明な時代だったようです。ユダヤにはすでに300年近く預言者が遣わされていませんでした。神の言葉が久しく与えられないという重い事実を背負いながら、ザカリアは神殿での務めに黙々とたずさわっていたのです。…そんなところに突然、天使が出現して、あなたから生まれる子が主の御前に偉大な人となり、イスラエルの多くの子らを主のもとに立ち帰らせると告げました。…これをすぐには信じることが出来なかったザカリアは、耳と口をふさがれてしまいます。ところが、彼が「この子の名はヨハネ」と書いたとたん、神は彼の封じられた口と耳を開かれました。ザカリアが沈黙の10か月の間、心にたくわえた言葉がここでほとばしり出たのだと言えます。

 

 人が真実の思いで神について語る時、そこに自分の幸せだけしか見ないということは決してありません。私たちは、ここでザカリアが歌っているのが息子の誕生の喜びだと思っていたかもしれません。しかし、よく見て下さい。ここには、ヨハネについての言及が意外に少ないのです。ヨハネが出て来るのは76節の「幼子よ」から、そして78節の「これは我らの神の憐れみの心による」までです。そうすると、これは何を歌っているのかということになります。

 羊飼いたちのクリスマスyoutube  

イザヤ9:1~6、ルカ2:1~20 2016.12.25

 

 今年も皆さんと一緒にクリスマスを迎えることが出来たことを、感謝いたします。…今年は世界も、日本の国にもいろいろなことがありましたが、皆さんにとって今年はどんな年だったでしょうか。嬉しいことや楽しいことがあり、反対につらいこと、思い通りに行かないこともあったでしょう。しかし今年、どんなに大変なことがあったとしても、クリスマスは人の心にあかりを灯してくれます。クリスマスは、世界中の人に神様のメッセージを伝えているのです。これを受け取って、新しい年に向かって羽ばたいて行くことが出来ますように。それではクリスマスの話を聞きましょう。

 

 救い主イエス様は今からおよそ2000年の昔、ユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。

ベツレヘムは都のエルサレムから南に7キロほどのところにあります。でも、にぎやかなエルサレムに比べ、忘れられているような小さな町でした。その町にヨセフさんとマリアさんが旅をしてやって来ましたが、宿屋には二人が入れる部屋がありません。それでも二人がたくさんのお金を持っていたら、何とかなったかもしれないのですが、そうはなりませんでした。二人がやっと入れたところが家畜小屋で、マリアさんはその場所でイエス様を産んだのです。

世界の救い主が生まれたというのに、エルサレムの人は誰もお祝いにかけつけませんでした。この家族のことを気にかけていた人などほとんどいなかったのです。でも神様は、この出来事を知らせたいと思っていました。

 

同じころ、ベツレヘムの郊外で、羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていました。その時間、たいていの人は休んでいました。やはり羊飼いたちのことを気にかけていた人など誰もいませんでした。

皆さんは羊を見たことがあるでしょう。羊は強い動物ですか。そうではありませんね。弱くて、その上食べるとおいしいので、いつも狼に狙われています。羊飼いの仕事は、この羊たちを養い、守ることですが、休みの日はなく毎日働きずめ、その上危ないことも多いです。羊飼いは、誰もやりたがらないような仕事をしているので、ほかの人たちからは見下されていたのです。……暗闇がその場所を覆い包みました。夜通し火をたいて、羊の群れを守っていた羊飼いたちはさびしかったことでしょう。「町のあかりは消えてしまった。

みんないいなあ、すやすや眠っている。おれたちは夜中起きていなくちゃいけないんだ。」……しかし、この人たちに救い主誕生の知らせが与えられたのです。

突然、空が明るくなったかと思うと、天使が現れて、その光で羊飼いたちを照らしました。羊飼いたちはびっくりしたり、恐ろしくなったり、どうして良いかわかりません。すると天使は「怖がることはありません」と言うのです。そこでみんなが心を落ち着けたのを見て、天使は言いました。「怖がることはありません。それどころかみんなが大喜びすることを教えてあげましょう。今日、ダビデの町で、救い主がお生まれになりました。いま、牛や馬と一緒の小屋で、布にくるまって飼い葉桶の中で寝ています。その方を見て、神様のみこころが何かということを悟りなさい。」

すると突然、この天使のもとにさらにたくさんの天使がかけつけて、大空の上で大合唱が始まりました。「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」、それは、神様に栄光がありますように、世界が平和でありますように、という歌でした。このとき地上は不気味なほど静かだったのですが、これとは反対に天は喜びにわきかえっていたのです。

 

神様がお知らせしてくれたことを、見にゆかないわけには行きません。天使たちが帰って再び静かになったとき、羊飼いたちは相談しました。「天使が言っていたダビデの町はベツレヘムだ。さあ、ベツレヘムに行ってみよう。そうして、その不思議な赤ちゃんに会ってみよう」。ベツレヘムは小さな町なので、羊飼いたちは赤ちゃんの声がする家を訪ねていって、ついにその赤ちゃんを探しあてました。

「救い主というのはこの赤ちゃんですね。おめでとうございます。」

「よくぞ、訪ねてきて下さいました、有難うございます。…でも、いったいどこで私たちのことを知ったのですか。」

「さっき天使が現れて、教えて下さったのです。お名前は何と言うのですか。そう、イエス様、良い名前ですね。素晴らしいです。神様が私たち普通の人間をどれほど愛して下さっておられるか、身にしみてわかりましたよ。」

そこは立派なお屋敷でもなんでもなく、動物の匂いがたちこめるところでした。…皆さんの中には、もしかしたらたいへん貧乏な人がおられるかもしれません。でも家畜小屋で、牛や馬の間で生まれたという人はいないでしょう。そんな汚いところでイエス様はお生まれになりました。でも、それだからこそ、イエス様がすべての人のため、いやそれどころか牛や馬や羊のためにも、天から降りて、救い主になって下さったことがわかるのです。

羊飼いたちは、天使が告げてくれたことがその通り起こっていることを知って、イエス様を救い主と信じました。…すると嬉しくて嬉しくて、喜びを押さえることが出来なくなりました。あふれる喜びをどうしても人に伝えたくなったのです。そこでみんな、外へ出るとまわりの人たちに話して聞かせました。

「救い主がお生まれになったんだ。本当だよ。おれたちはこの目で見たんだよ」。

この羊飼いたちを見ていると、まるで、空のかなたの大合唱が地上に移ってきたようではないですか。それまで羊飼いたちは人前でお話しすることなどまるでなかったのです。でも今は違います。寂しがり屋の羊飼いたちは、その日を境に、神様がなさったことを語る、明るい、元気な、幸せな人々になったのでした。

クリスマスの出来事は神様から人に、そして人から人へと伝わってゆくのです。静かなベツレヘムの町に、救い主が誕生されたというにぎやかな声が響き渡りました。その声は流れ流れて、いま皆さんの前にも聞こえてきているのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。あなたが私たちの広島長束教会を祝福し、今日ここで喜びの内にクリスマスを迎えることが出来ることを心から感謝いたします。今年、世界と日本は揺れ動き、私たちもそれぞれいろいろな中を通ってきましたし、これから何が待っているかもわかりません。しかし、私たちは滅びと死に向かっているのではありません。救い主がこの世界においでになられました。だから私たちは決して一人ぼっちではありません。いつも神様と、そして神様が愛しておられる人たちと結ばれているのです。幼な子イエス様に現れた神様の愛が、ここにいるすべての人の中にありますように、そして今だイエス様と出合っていない人々にも、どうか神様からの平和がありますようにとお願いいたします。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。

(祈り)

天の父なる神様。新しい年2017年をあなたが開いて下さり、あなたの導きの中で始められたことを心より感謝いたします。

神様、この年が、神様と人、人と人の間、さらに人と自然の間に平和が与えられ、平和な一年でありますようにと、多くの人々の祈りに合わせて私たちもお願いいたします。どうか憎しみのあるところに愛を、絶望している人の心に希望を、飢えている人のところに食べ物を与えて下さい。

神様、私たち広島長束教会に集まる者の主イエスを信じる心をますます確かなものとして下さい。もしもくずれ落ちそうな信仰を見かけたら、死に打ち勝つ神様の力によって希望と喜びを与えて下さい。教会に集まる者たちが信仰の喜びを分かち合い、苦しい時は助け合い、嬉しいことがあれば喜び合う、本当の聖徒の交わりが打ち立てられ、その中に教会の外の人々も入ってきますように。神様がここに働いておられることを、さらに教会の外にも見せて下さるようにとお願いいたします。

神様の前に貧しく、弱く、何のとりえもない私たちですが、神様には出来ないことはなく、この神様につながれていることを心の支えとし、また誇りとして、この年を歩んでゆきたいと思います。

私たちとこの教会につながるすべての人を、この年、恵みをもってお導き下

さい。この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン

 イエス・キリストは私たちすべての身代わりとなって十字架上で死なれ、そして復活なさいました。人は民族や言葉や男女の違い、貧富の違いなど一切の違いに関わらず、イエス様を救い主と信じることで罪と死から救われます。主イエスは、罪と死のために亡びるばかりであった人間たちに、命の道を切り開き、先頭に立って歩いて下さるのです。だからイエス様を信じる者には永遠の命が保障され、これは大変なことなのですが、イエス様の恵みはそれだけにとどまりません。人は地上の人生においても、強く、雄々しく生きる力が与えられます。草は枯れ、花は散り、人はすべて死ぬことから免れることは出来ません、イエス様を通して罪と死を打ち破った力は、信者の死んだあとばかりでなく、地上の人生をも導いて下さるのです。

 神様はこれほどの恵みを提供して下さっています。そうしますと、信仰とは、神様の恵みを受け取る手のようなものではないでしょうか。2017年にどんなことが起こるかわかりません。私たち自身にも何が起こるかわかりません。しかし新しい年を開いて下さった神は、主イエスを私たちの先頭に立たせて下さって、この年を信仰をもって生き抜くことを求めておられると思います。この年が、神のみこころに信頼して歩む一年でありまように。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと…」。

 朽ちない種というのは、天から降ってきた神の種です。それは、この世のものとは違う特別な種です。それは、生ける、いつまでも変わることのない神の言葉でありまして、ペトロは、あなたがたはその種によって新たに生まれたのです、と語りました。

 イエス・キリストはニコデモという人に会った時、こう言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。(ヨハネ3:3」この時ニコデモはイエス様が言われたことの意味がわからず、「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と答えたのですが、皆さんはおわかりでしょう。新たに生まれるとは、朽ちない種から、すなわち神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれることなのです。人はみな、朽ちる種から生まれますが、そのままでは滅びに至る人生を送ることになります。イエス・キリストに出会い、この方を救い主と信じて信仰を与えられた者は、朽ちない種から新たに誕生した人となるのです。ですから、すでに信者となった人は自分の信仰の出発点を思い起こして頂きたいし、今まだ信者になっていない人は、神が自分に何を求めておられるかを考えて頂きたいと思います。

 では朽ちない種、神の変わることのない生きた言葉とは、具体的に言うとどういうことになるのでしょうか。もちろん神の言葉は聖書全体にわたって書かれているのですが、その中でも特に中心となるべきところをあげてみましょう。パウロはコリントの信徒への手紙一の15章3節以下でこう語っています。

新しい年を祝うyoutube 

イザヤ40:6~8、Ⅰペトロ1:21~25  2017.1.1

 

 新しい主の年、2017年が始まりました。この年を、神様の確かなお導きとお支えのもと、皆様と共に、日曜ごとの礼拝を中心に希望と喜びをもって歩んで行きたいと願っています。

 広島長束教会の小会では毎年、その年の主題聖句というものを定めています。今年の主題聖句として選ばれたのが、ペトロの第一の手紙第1章23節の言葉です。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」

 昨年、私たちの教会が主題聖句としたのは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」というみ言葉でした。イエス・キリストから頂いた大変力強い言葉です。「勇気を出しなさい」、これはただ単に、気を強く持てということではありませんね。そこには、神が共におられることから来る勇気というものがなければなりません。そうでないと、持ちあわせている力をふりまわすだけのことになってしまうでしょう。そこで昨年の主題聖句を通して与えられたことを継続し、今の広島長束教会にいちばん必要な言葉は何かということを協議した時に出会ったのがペトロの第一の手紙の言葉でありました。

 そこに種のことが出て来ます。どんな植物も種から芽が出てきて、それが大きくなって、葉をつけ、花が咲き、実を実らせるわけです。…ただ、無作為に選ばれた種を見て、それが成長したらどんな花が咲き、どんな実を実らせるかを言い当てることができる人はたいへん少ないと思います。それだけ、種と成長したあとの植物では形が違っているのです。

 種には、その植物を成長させるプログラム、遺伝子情報が組み込まれています。それによって樹木になるものも、野菜になるものも、また茨や雑草になるものもあるわけです。

 ペトロの手紙は種を使って語っていますが、もちろんこれは植物のことを語った文書ではないので、種によっていったい何がたとえられているのかを考えさせられることになります。…植物がそうであるように、あらゆる生物は自然発生によって生まれるものではなく、人間についても「種を宿す」という言い方があるように、最初は種の状態で、それが成長して行くと考えることが出来ます。生物学的な意味においてだけでなく、精神的な意味においても、人は無からではなく種から生まれます。それがどんな種だったかということが問題になるのです。

そこで、難しいことはぬきにして、人を人たらしめるものを考えて行くなら、朽ちる種から生まれた人と朽ちない種から生まれた人が出て来ます。その違いは天と地ほどに大きいのです。 朽ちる種とは何でしょうか。それは、この世の知恵と言って良いでしょう。人間が自分で考えだしたものです。どのようにしたらことがうまく行くか、成功するか、というものです。…これは、多かれ少なかれ、誰もが持ち合わせているものですし、ふだんから心に思い、口に出していることで、そこからその人の人生観や価値観が形成されます。これを書いてまとめるとハウツー本とか成功哲学のようなものになります、学問的な装いをもって現れることもあるわけです。

 私たちとしても、こうしたこの世の知恵をむげに斥けることは出来ませんし、そうすべきでもありません。この世の知恵が教えてくれることに、それなりに一生懸命取り組んでゆけば、その人の内から芽が出て、それが成長し、花も咲けば実を結んでゆくでしょう。…もっとも注意を怠るとこの世の知恵に足をすくわれて失敗するということがあります。たとえば事業に成功したりして巨額の富をたくわえた人が、好事魔多しといいますか、自分を見失って失敗し、転落するということがよくあるのですが、そうならないよう自分をきちんとコントロール出来るなら、…それが難しいのですが…その人は自他共に認められる成功者となって、人生に満足することが出来るでしょう。この世の知恵がもたらすものをあなどることは出来ません。…けれども、それがすべてにわたって有効であるとは言えないのです。

 人は誰も死を避けることは出来ません。死が目の前に迫っている場合とまだまだ遠い未来の場合、いろいろあるのですが、どうであっても人が死を前にして立っていることでは変わりありません。人は、必ず死ななければならないという厳然たる事実の前に、恐れや不安、そして罪の意識を持つようになるのです。たとえふだんそんなことを考えない人でも、いざ死の瞬間を迎えた時はそうは出来ません。…神も仏も何も信じない人が生涯の終わりに臨んで、何の不安もなく、眠るように死んで行くということはあるでしょうか。そんな人も中にはいるかもしれませんが、それは正常な状態とは言えません。…つまり、この世の知恵が教えてくれることは多いとしても、それはどうしても罪と死の問題を解決することが出来ないのです。そうなっているのは、朽ちる種には限界があるからなんです。 それでは、朽ちない種というのは何を指しているのでしょうか。23節は(あなたがたは)「朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」と書いて、「朽ちない種」と「神の変わることのない生きた言葉」が同じであることを教えています。

 聖書の他の箇所には「朽ちない種」という言葉はありません、ただ似ている表現があります。ペトロの手紙一の1章4節には、「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産」という言葉がありますし、またヨハネの手紙一の3章9節は言っています。「神から生まれた人は皆、罪を犯しません。神の種がこの人の内にいつもあるからです。」

 私たちはこれらのところから、朽ちない種が、この世の知恵である朽ちる種とは明らかに違って、神に由来するものであることを悟ります。これは、神の言葉になって世界に、そして私たちの前に差し出されているのです。

 

 朽ちる種と朽ちない種について、ペトロはイザヤ書40章を取り上げて、語ります。まず朽ちる種についてはこう言っています。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。」

 ここで言うところの、人に備わった華やかさとは美しく着飾ること、健康な体、若さ、さらに名声とか富といったものが考えられます。どれも多くの人が憧れているものにちがいありませんが、しかし永遠に残るものではありません。

 イザヤ書のこの言葉は紀元前680年頃に発せられたと考えられ、そうしますと圧倒的な力を持つ大国の脅威を前にしてふるえていた小国ユダ王国の人々に向けて語られた言葉ということになります。自分たちの国は亡びるかもしれないとおびえている人々に与えられた神からの慰めの言葉です。…でも、なぜこれが慰めの言葉なのでしょうか。草は枯れ、花はしぼみ、人が心の支えとしていた華やかなものの数々がくずれさるということで、自分たち自身も永遠ではないということを突き付けられます。しかし、一方でこれは、彼らをおびやかす力についても言えるのです。イザヤ40章6節は「肉なる者は皆、草に等しい。」と言います。いまユダ王国の人々を脅かす超大国、彼らとて草に等しい、つまり彼らの支配は永遠ではないのです。私たちは、そのことがわかってこそ、恵みの言葉を受けることが出来ます。「主の言葉は永遠に変わることがない。」歴史は揺れ動き、覇権を狙ってしのぎをけずる国々が興亡を繰り返しますが、主の言葉こそが勝利者です。それは永遠に変わることはありません。ユダ王国が亡んだとしても、この国を亡ぼす大国は絶対ではなく、その国もやがては亡びます。そうして主の言葉は生き続けるのです。歴史が示すことは、確かにその通りになったということでありましたし、私たちを苦しめるこの世のあらゆる力においても、同じことが言えるのです。

 ではいよいよアナニアとサフィラの事件に入ります。皆さんもすでに感じておられると思いますが、この事件にはいくつもの謎があります。まず、こんなことが本当に起こったのか、ペトロはどうしてアナニアの嘘を見破ることが出来たのか、アナニアとサフィラがしたことは死ななければならないほどの罪だったのか、ペトロは別の仕方で対処すべきではなかったか、…このように考えて行くわけがわからなくなります。注解書や説教集を見ても、言っていることがばらばらでした。そこでわからないことはわからないままにしておき、確かなことだけをお話ししたいと思います。

 まず、アナニアとサフィラのどこに問題があったのでしょうか。彼らは自分の土地を売りました。そして、その一部を捧げました。聖書に「代金をごまかし」と書いてあるので、おそらくはペトロの前で、「私は自分の土地をすべて売って神様に捧げます。これがその代金です」と言ったのでしょう。

 彼ら二人の行動の背後にあるのは、当時の教会で、土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置いたということです。その中で、バルナバが莫大な献金をしたということもありました。しかし、すでに申し上げた通り、献金は強制ではありません。信者たちは、土地を売っても売らなくても良い、それは自由だったのです。また売ったあとの代金についても、全額を捧げても、一部だけを捧げても、どちらでも自由だったのです。…だとしますと、教会の皆がしたこと、持ち物を共有したり、土地や家を売って代金を捧げたりしたことの本質は何だったのでしょうか。すでに申し上げたことの上にさらに一つ加えるべきことがあります。皆さんの中にはすでにお気づきの方がおられるかもしれませんが、こうした話は、彼らが聖霊に満たされたという出来事に続けて書かれているのです。使徒言行録のすべてが聖霊の働きを語っていると言えるのですが、その中でも4章31節は「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。」と言っています。…信者たちの具体的な生活に現れている信仰は、すべて聖霊の満たしから生まれてきました。彼らは聖霊に満たされた結果、神の愛に満たされ、財産に固執する思いから解放されました。これは自分のものだ、あれも自分のものだ、と思い続けることから、今度はこれは神様のものだ、あれも神様のものだという思いに変わったのです。そうして初めて神様から託された自分の財産を、神様のため、隣人のために用いることが出来たということです。

 そこでまたアナニアとサフィラに戻りますと、私たちは注目すべき言葉に出会います。5章3節:「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。」ここは日本語ではわかりにくいのですが、直訳すると次のような言葉になります。「アナニア、なぜサタンがあなたの心を満たしたのか」

 家や土地を売って全額を捧げた人も、アナニアとサフィラも、やっていることは同じ素晴らしいことに見えます、しかし一方は、聖霊に満たされて行ったのに対し、一方はサタンに心を満たされて行ったのです。

 その違いは外側ではなくて内側にあるのです。外から見えるところではなくて、心の中の、外から見えないところに。…では、アナニアとサフィラはどうして代金をごまかしたのでしょう。どうして「実は、全部を捧げることが出来ませんでした、これは一部です」と言えなかったのでしょうか。彼ら二人が欲張りで、自分の財産に固執したことは確かですが、それに加えて考えられる有力な理由があります。…それは、人々の賞賛を得たかったということです。バルナバのことが頭にあったかもしれません。土地を売って多額の献金をしたことで人々の賞賛を得たい、尊敬されたい、そうすれば人々の信頼を得て、教会の指導的な立場に立つことも出来るだろう。サタンはこのような誘惑をしかけてきて、彼らはそれに屈したのです。そうして嘘をついたのですが、これがただ人と人との間でなされた嘘ではあれば、これほど悲惨な結果にはならなかったでしょう。彼ら二人がしたのは、神のみ前でなされた嘘だったのです。

 ペトロが嘘を見破ったことで、結果的にアナニアとサフィラは倒れて息絶えました。死んだのです。どうして死んだのか、これもはっきりしません。

 まず考えられるのは、彼ら二人が神の裁きを受けたとするものです。これを支持する人はマルコ福音書3章28節、29節を持ってきます。「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」ペトロに聖霊を欺いたと言われている以上、二人は聖霊を冒涜する、まさに赦されない罪を犯したのだと言うのです。

 これが正しいかどうかは別にして、ただ神の裁きということが強調されすぎてはなりません。たとえば私たちの周りで悲惨な死に方をした人がいたとして、その人について「神の罰を受けたのだ」と言うようなことがあってはなりません。神の裁きというのは、人間が安易に触れてはならないのです。

 アナニアとサフィラの死を神の裁きとは考えない人もいます。その場合、二人はショック死したことになります。自分の犯した罪の恐ろしさにおののき、神への恐れのために死んだというものです。…ただ、そうだとすると、二人をショック死させた責任が問われるということになりかねません。名東教会の井上一雄先生はこの箇所の説教で、ペトロはせめてサフィラが死なずにすむよう、悔い改めに導くべきではなかったかとしてペトロを批判し、使徒たちの言動がすべて正しいわけではないと結論づけていました。

 このようにきわめて複雑な問題が出て来て、しかもそれを解決するための材料がなかなか見つかりません。現状では、最終的な解決は神様におゆだねするしかないと思います。しかし繰り返しますが、アナニアとサフィラはほかならぬ神の前で嘘をついたのです。それが彼らの罪です。そのことの持つ恐ろしさを肝に銘じつつ、私たちは自分たちの神に対するささげものについて、もう一度考える者とならなければなりません。神様がそのための道を準備して下さいますように、

(祈り)

 天の父なる神様。神様が私たちの礼拝を受け入れて下さっていることを感謝いたします。今日私たちは、最初の教会が力強く歩んでいることを学ぶことが出来ました。自分の財産が多ければ多いほど、それにしがみついている私たちは、初代教会の人々が土地や家を売った代金を神様に捧げていることがとてもまぶしく見えます。自分にはそんなことはとても出来ないと思います。大切なお金を捧げてしまったら、自分はどうやって生きていけるのかと思うのです。しかしながらお金は神様ではありません。いま礼拝している神様こそが本当の神様なのですから、どうか自分のお金をどのように使うのが神様のみこころにかなうかということを教えて下さるようお願いいたします。

 神様、いま私はアナニアとサフィラの事件におそれを感じています。嘘が人と人との間にある時、嘘をつくことは良心に痛みをもたらします。しかし、ほかならぬ神様に対して嘘をつくことが何と多いことでしょう。どうか罪深い私たちを憐れみ、神様に対して誠実な人生を導いて下さい。イエス・キリストの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

共に恵みを分かち合うyoutube 

 

詩編49:2~9、使徒4:32~5:11  2017.1.8

 

 新年になって2回目の主日となりました。私たちは再び使徒言行録の学びを始めたいと思います。

 ペンテコステの日に誕生した教会は勢いよく成長して行きました。使徒たちを先頭とする一団の人々は聖霊を受け、力強いしるしをもって足の動かない人を立ち上がらせ、権力者につかまっても屈することなく大胆にみ言葉を語り続けました。その数も最初は120人ほどだったのが、ペンテコステの日に3000人が加わり、さらにペテロとヨハネの話を聞いて信じた人が男だけでも5000人いたということです。

 教会の成長に伴って、素晴らしいことがいくつも起こりました。しかし一方、残念な、恐ろしい出来事もありました。今日のところは、アナニアとサフィラの事件が心に強く印象づけられ、それは当然なのですが、これだけがすべてではありません。4章32節から35節まで、当時の教会生活の全般的な姿が語られており、その良い例としてバルナバが紹介されたあとに悪い例としてアナニアとサフィラが取り上げられているのです。ですから、その順序でお話しすることにいたします。

 

 初めに32節から35節までです。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」、これとよく似た文章はちょっと前にもありました。2章43節から47節までのところです。そこでも「すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」などと書いてあります

 初代教会のこうしたありさまは新鮮な驚きをもって迎えられることが多いのですが、では現代の教会も彼らに見ならって同じようなことを実践しようとすると、とたんに多大な困難にぶつかってしまうことになるでしょう。…私が子どもの頃、札幌近郊でキリスト村を作ろうという運動がありました。

札幌北一条教会の西村久蔵長老、三浦綾子の小説「愛の鬼才」の主人公ですが、この方が中心になって1948年頃から進めたもので、入植者はクリスチャンに限る、酪農でもって自立するという村の建設を目指しました

この村での集会のために奉仕したのが、1960年代が私の父の井上平三郎牧師、70年代が三輪恭嗣先生ということですが、いま何の噂も聞こえてこないことをみると消えてしまったようです。

…キリスト村は西村久蔵長老の熱烈な祈りをもって始められ、信者の村を作ることから始めて、やがては使徒言行録に書かれたような信仰共同体を目指そうというロマンあふれるものでしたが、消えてしまった理由はわかりません。長いキリスト教の歴史の中では、これに類した運動はいくつもあって、その中には信者が共同生活をおくるというものもあったはずですが、はたしてうまく行ったのかどうか、それぞれにそれぞれの事情がありますから一概に言うことは出来ませんが、簡単に実現できるものではないことだけは確かです。

 一方、キリスト教とは別なところから、似たような実践をするところもたくさんありますね。マルクスは、共産主義の高い段階では、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会が出来るものと予想し、世界を巻き込んで壮大な実験を始めました。日本では武者小路実篤が始めた「新しい村」、これは今も続いています。またヤマギシ会があります。オウム真理教も出家した信者が共同生活を送っていました。ということで、それぞれの性格も、その運動がもたらしたものも千差万別です。

 このように見てゆくと、使徒言行録が描いたような信仰共同体をすぐにでも実現しようと急ぐのは危険で、よほどしっかりした計画を立てなければならないし、またその運動に伴って、重大な人権侵害が起こらないようにしなければならないことがわかります。…ただ、だからといって、聖書に書かれているのは意味がないことだとか、理想の共同体を目指す必要はないとすることも出来ません。

 大切なことは、こうしたことは少なくとも「信じた人々の群れ」だけに可能であるということです。その原動力はただ信仰だけです。実際は信仰者同士であっても難しく、まして信仰を抜きにしたまま持ち物を共有するような共同体をつくるのは不可能ではないかと思います。…この生活は、信仰により、「心と思いを一つにして」初めてできることで、その結果として一人も貧しい人がいなくなったのです。単なるヒューマニズムから出たものではありません。使徒たちが大いなる力をもって主イエスの復活を証しした、そのところから起こされた信仰がなしとげたものです。

 人々から捧げられたお金は使徒たちの足もとに置かれ、そのあと必要に応じて、おのおのに分配されました。決して、金持ちから貧乏な人へのお恵みでも一方通行でもありません。お金は神に捧げられ、神と教会の名によって供出されました。

 なお、ここでは財産をすべて捧げることが求められているのではありません。そのことは5章4節のペトロの、「売らないでおけば、あなたのものだった」という言葉が示しています。…聖書は、信者は全財産を捧げるようにと命じているわけではないのです。しかし同時に、財産を全部自分と家族だけでかかえこんだり、教会の兄弟姉妹が貧困のために苦しんでいる時にわれ関せずで良いのだと言っているわけでもありません。ささげものは、信仰によって罪から解放された者たちが、ほかの誰から強いられたわけではなく自由な行為として行うべきこととしてあるのです。

 

 さて、ここで、初代教会の信仰生活の素晴らしい例として書きとめられたのがバルナバです。彼については、ヨセフというのが本名で、バルナバ、慰めの子というのはニックネームのようなものだと考えられています。そのような名前がつけられるほどの人格者だったのでしょう。聖書には、バルナバの親類の家に大ぜいの人が集まって、祈っていたことが書いてあります(コロサイ4:10、使徒12:12)。親類にそんな大邸宅の持ち主がいたことから見て、バルナバ自身も裕福な人で、彼が畑を売って得た代金は相当な額だったものと想像されます。

 バルナバの活躍は、使徒言行録でこのあと詳しく見てゆくことになります。彼はパウロと一緒に最初の伝道旅行をした人で、異端と論争し、パウロとも激論をたたかわします。慰めの子と言われてはいるものの、ただ柔和なだけではない、激しいところもあったようです。ですから彼が教会に対して多額の献金をしたことを、ただセンチメンタルな思いが現れたものとすることは出来ません。彼は、今の教会にはそれだけの金銭の必要があると判断したからこそ、大きな決断を下したのです。その時のエルサレム教会には、多くの貧しい人たちが救済の手を待ちわびていたのでしょう。人々の善意に基づく寄付くらいではとうてい間に合わないだけの金銭の必要があったのを見て、祈って決断したのがこのことであったと思われます。

広島長束教会十字架cross
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