日本キリスト教会 広島長束教会
申命記18:15~22、使徒3:17~23 2016.9.11
使徒ペトロとヨハネはエルサレム神殿の「美しい門」という門のそばで、生まれつき足が不自由で物乞いをしていた男の人をいやしました。ペトロが、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って、手を取り、立ち上がらせると、足の不自由な男もその働きかけに応じて、立ち上がり、歩きまわったり躍ったりして神を賛美しました。これを目の当たりにした民衆はたいへんに驚いて、集まってきました。この時の人々を前に、ペトロは、これは自分たちの力で起こしたのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるものだと宣言したのです。
ペトロの説教をもう一度最初から見てゆきましょう。12節のところになりますが、ペトロは「イスラエルの人たち」と言って語り始めます。これを見て、福音はすべての人に対するものなのに、なぜイスラエルだけに限定するのかと思った人がいるかもしれません。確かにその通りではあるのですが、しかし最初はこの民族に呼びかけなければなりませんでした。世界のすべての民族の中から神の憐みによってただ一つ選ばれ、神からメシアすなわちキリストが与えられる約束を受けて、その約束を待っていた民がいたのです。その民こそ、まずペトロの説教を聞かなければなりませんでした。私たち異邦人は、ペトロの説教を、イスラエルの人たちのあとから聞くのです。
13節に「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」という言い方があります。アブラハムはイスラエル民族の祖先であり、息子イサク、孫ヤコブと共に広く尊敬されていました。こういう言い方は日本人にはなじみが薄いかとは思いますが、神ご自身が良しとされ、認めて下さった呼び方です。もちろん、この3人だけにとって神が神であられるということではありません。だから、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」に続けて「わたしたちの先祖の神」と呼ばれています。それはアブラハムが信じ、イサクが信じ、ヤコブが信じた神はまた子孫である私たちイスラエル民族にとっても神であるということの表明なのです。
ヨブの悔い改め
ヨブ42:1~6、マタイ5:8 2016.7.17
ヨブ記の説教もあと残すところ2回のみとなりました。42章はヨブが悔い改め、そうしてついに幸せを取り戻すことを書いています。今日はその中で、ヨブの悔い改めについて学びます。
ヨブは、友人たちとの議論の間ずっと、自分は間違っていないと叫び続けていました。自分が陥った運命を呪い、自分をこんな目に合わせた神様を責め立て、神様と対決しようとしていたのですが、皆さんもご覧になったように、神様の声を聞くやいなや態度を変えて、私が間違っていましたと、兜を脱ぐことになったのです。…それでも初めの内は口に手を当てていました。口では神様に恭順の意思を示しながた、うっかりして本心をもらすことがないよう気をつけていたのですが、今日のところで私たちが見ているのは、神様の前に本心から悔い改めたヨブの姿です。いったいヨブを変えてしまったのは何だったのでしょうか。それを考えるためには、神様が現れてからあとの部分をもう一度ふりかえってみる必要があります。
皆さんは、40章と41章で読んだことを思い出して下さい。神はヨブに「見よ、ベヘモットを。見よ、レビヤタンを」と言います。ベヘモットやレビヤタンが何かというのははっきりしませんが、おそらく怪獣で、世界を覆う混沌を象徴しているのです。…怪獣は昔の人によっては恐怖の的でした。いまの日本では怪獣が出て来るたくさんの映像作品があるので怖さが半減してしまいましたが、それでももしも自分の前に本当に怪獣が出現したら恐ろしさのあまり心臓麻痺を起こしてしまうかもしれません。そういう思いで神様の言葉を受け取って頂きたいと思います。
ヨブ記に出て来る怪獣は世界を覆う混沌を象徴していると言いましたが、いまの世界はまさにそのような混沌の中にあるのではないでしょうか。三日前にフランスで悲惨なテロ事件がありました。ヨーロッパでは、大勢の難民が地中海を命からがら渡ってくる中、民族間・宗教間の対立をあおる人たちがいて、一方が罪のない人々に無差別テロを実行すれば、これに対し、イスラム教徒の入国の禁止だとか、戦争という最後の手段に訴えようとする人がいて、このままではさらなる重大な事態が展開して行くことも考えられなくはありません。
ヨーロッパはこの問題以外にも、力と力が対峙して、軍事衝突が起きかねないところがありますが、そういう問題では中近東はもとより、インド・パキスタンも危ない、何より日本もその中に含まれる東アジアがたいへんな緊張をかかえています。導火線に火をつけるような人がないことを望んでいますが。
そんな人間が、神の深いみこころをくみ取ることなど出来るでしょうか。出来るはずがないのです。
ヨブは主なる神に答えて言います。「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。」…ヨブはそれまで、神が全能とは思っていなかったのですね。自分をこんなにも苦しめただけでなく、貧しい人が悲惨な境遇に追いやられるのを見て見ぬふりをしている神様が全能のはずはないと思っていたようです。しかし、ここには、あのベヘモットやレビヤタンすら創造し、み手のもとに治め、みこころのままに用い給う神を賛美する思いが込められていると思われます。「御旨の成就を妨げることはできない」との告白には、神のみわざの計り知れない大きさと深さと神秘の前に立ち尽くし、それをまことに小さな人間の義をもって裁こうとしたことへの悔い改めの思いが込められています。
3節:「『これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。』そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。」
この中の「わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業」というのは何でしょうか。一つは、神が世界を創造し、支配しておられ、混沌を象徴する怪物すら支配なさっておられるということです。…ただし、それがわかっただけで、ヨブが神様に心服し、悔い改めるに至るとは思えません。神様はすごいんだなあというだけで終わってしまった可能性が多いのです。ヨブが心からの悔い改めに導かれたことの根底には、何かヨブ自身に関係することがなければなりません。では、それは何でしょうか。…ベヘモットもレビヤタンも、神のみこころに反することをもって神に挑戦しようとしています。しかし彼らとて神によって創造されたのです。神が彼らに力を与えたのです。とすれば、彼らがいくら神に刃向かおうとしても、それは神様の手の平の上で踊っているだけということになりはしないでしょうか。怪物が彼ら自身の力でもって、神に対抗しているわけではないのです。で、そのことがわかると、神とヨブの関係もいっそう明らかになってくると思います。
かつてヨブはこう言いました。「見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。…わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し、君主のように彼と対決しよう。」(31:35、37)しかし、ヨブはいったい何をもって神と対決しようとしたのでしょう。ヨブもベヘモットやレビヤタンと同じく神が造られたものにすぎませんでした。ヨブは自分には正義があると主張しました。しかし、神に物申すことが出来たそのこと自体も、神の恵みの賜物でしかなく、ヨブも神様の手の平の上で踊っているだけだったのです。そんな存在が神に何を言うことが出来るでしょうか。
ヨブはもともとしっかりした信仰を持った人でしたが、苦しみの中で信仰が揺らいでいきました。
もっともそれは、苦しみが不信仰の原因だったということではありません。ヨブはどんな苦しみにあったところで、それで信仰を投げ棄てるような人ではなかったのです。そうではなく、ヨブが自分はあくまでも正しいとして、神のなさることに疑問を表明するようになったことが信仰の揺らぎの原因だなことを許しておられるのかという思いから神への疑いが生じていったのです。
もちろん神はそのことを見抜いていました。そこで神は40章8節でこう言われます。「お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪とするために、わたしを有罪とさえするのか。」
神はヨブが蒙った苦しみに対しても「わたしが定めたこと」と言っていると思います。実際にヨブに手をかけたのはサタンですが、それを許したのは神ご自身でありました。それならば、このことに対する責任は神様ご自身が負っておられるとことになります。ヨブは神様とサタンのやり取りは知らされていなかったものの、神様が関わっていることはわかっていたはずですから、「神様はなんの理由があって私をこんな目に合わせるのか」と叫び続けていたわけです。
ところが神様の方では、ヨブの問いかけに対し、とうとう最後まで直接的な回答を与えてはくれません。もしも神様が、「全部わたしの責任でしたことだ。しかし、それにはこういう理由があったのだ。つらい思いをさせてすまなかったな」などと言って下さったら、ヨブの方もすぐに納得したと思われます。ところが神様の方ではそんなことはひとことも言われません。かえってヨブのことを「全能者と言い争う者よ」、「神を責め立てる者よ」と、まことに厳し
い態度で臨み、とうとう「お前はわたしが定めたことを否 定し、自分を無罪とするために、わたしを有罪とさえするのか。」と言われるのですから、ヨブにとっては立つ瀬がありません。 ところがヨブは怒ることも、反論することもなく、神様の前に兜を脱ぐのです。その理由は何なのか、私もはっきりはわからないのですが、5節の「しかし今、この目であなたを仰ぎます」ということがたいへん大事なポイントであると思われます。
これは神がヨブに会って下さったということです。神様は自分のことなんか忘れていると思っていたのに、その神様が自分のもとを訪れて会って下さったのです。その時、ヨブの心に大きな変化が生じました。…ヨブはおそらく、神様がなぜ自分に苦しみを与えたのかいうことについては最後までわからなかったでしょう。しかし、それにも関わらず、神様のなさることは賛美すべきことであると理解したのです。
いまヨブに限らず、数限りない人々が、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか、神様はいったい何をしておられるのだ、と思っていることでしょう。その答えはなかなか見出すことが出来ず、わからないまま一生を終える人だって少なくありません。しかし、それにも関わらず、神様のなさることは賛美すべきであるということを、神様との出会いの中で体得する人は、ヨブがそうであったように未来を開いて行くことが出来るのです。まことに苦しい時の神への賛美の声ほど神様を喜ばせることはなく、神様はその時、もっとも大切なこと、信仰でもって、その人を支えて下さるのです。
(祈り)
天の父なる神様。きょう私たちをみもとにお招き下さり、私たちがこれに応えてここに来ることが出来たことを、あなたの恵みの賜物と信じて心から感謝申し上げます。
私たちはみな、神様の前で心にぶく、取るに足りない者にすぎません。ヨブの受けた苦しみもなかなか想像出来ませんが、一方ヨブの心に再び芽生えた信仰の喜びもつかみきれません。しかしヨブが神様を第一として生きたことに習う者として下さい。ヨブは神様に出会う恵みが与えられ、それによって長い苦しみから脱しました。私たちはヨブに比べてはるかに恵まれています。こうして毎週、神様の下に集められ礼拝することが出来るのですから。しかし、もったいなくもその恵みをふみにじっているような気がいたします。どうか十字架の主が、私たちの怠慢の罪を滅ぼして下さい。
ヨブ記を学ぶことで、私たち自身の苦しみからの救いの道を示されますように。苦しみの中でも神様に帰ろうとしないために、さらに余計な苦しみをこうむることを私たちの多くが経験しています。二度とこういうことがありませんように。それと共に、苦しみからの救いの体験を、どうか教会の外の、いまだ神様を知らない人たちに伝える恵みを得させて下さい。
とうとき主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
(祈り)
天の父なる神様。暑い日々が続く中、私たちがここに来ることの出来る健康と時間を与えて下さったことを、み恵みとして心から感謝いたします。
神様は今日、ヨブ記の最後の部分を見せて下さいました。
私たちはヨブの苦しみを見ながら、自分自身が受けてきた苦しみの日々を思い、また日本とこの世界の虐げられている人々の叫びに思いをはせることとなりました。そうして、その根底に、イエス・キリストの苦しみがあることを、おぼろげながら理解することが出来たことと思います。あらゆる苦しみの根底には罪の問題があり、それは神様のみ子を十字架につけたほどです。み子は十字架の苦しみを引き受けて人類の罪と闘って下さったのです。…ただし、これがすべてではありません。人類の罪のために死んだイエス・キリストは、罪と死に打ち勝ち復活なさいました。そして今、天におられ、終わりの日の祝宴に信仰者を招くべく、いま準備をされていることと思います。罪を覆ってあまりある神様の恵みは想像も出来ないほどで、それはヨブに最後に与えられた恵みをもしのぐものでありましょう。
神様、どうか私たちがたとえ苦しみの中にあっても心をしおれさせてしまうのではなく、神様の持っておられる無尽蔵の富の分け前にあずからせて下さい。それとともに、これを自分ひとりで独占するのではなく、他の貧しい人々と共に分かち合う恵みを得させて下さい。
尊き主イエス・キリストのみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
ヨブは最後に、苦しみの果てに幸せを授かりました。どうして幸せでないはずがありましょう。しかし、その幸せの中身について、人は往々にして誤解してしまうのです。…ヨブ記をさっと読んだだけの人は思います。ヨブが最後に幸せになったのは、神様がこの世の幸福をすべて下さったからだと。…ただ、ヨブ自身は決してそのような幸福を望んだのではありません。ヨブは塵と灰の中で悔い改めました。その時、病気はまだ治ってはいませんでしたが、そのままで充分に幸せになったのです。そうして神に祈って友人たちと和解し、病気がすっかり完治したら、それから再度働き始めることも出来るわけですから、それでほとんどの問題は解決したように思われます。ですから、その後、神様からたくさんの財産を与えられたことは、ヨブ記全体から見るならつけたしにしかすぎないように見えなくもありません。
ならば、神様はなぜヨブを以前にもまさる大富豪となさったのでしょうか。…私は、これは神の国の豊かさを示しているのではないかと考えます。信仰者は往々にしてこの世の富を信仰の敵のように見なします。確かに神と富は両立しがたいのです。しかし信仰に固く立っている限り、富がその人をむしばむことはありません。神様がご自分に従う人に下さろうとされているのは、単に精神的な富だけでなく、物質的な富もあるのです。神様は無尽蔵の富を持っておられ、これを人間に分け与えようとされておられます。このことは、人間の、利益を求めがちな信仰とは別のところで起こることです。
ここにいる皆さんが生きている内に、大富豪になるという恵みが与えられるかどうかはわかりません。…ただ、たとえ物質的には貧しくとも神様から頂く豊かさの中に生きています。そして人生をまっとうし、死んで天に集められた時、神様から頂く無尽蔵の富の中にいることになるでしょう。ヨブの最後の満ち足りた日々は、そのことを先取りして見せてくれたのです。
まずヨブの兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞってヨブのもとを訪れ、食事を共にし、ヨブをいたわり慰め、贈り物をしたということですが、この人たちについては、どうせ来るのだったらヨブがいちばん苦しい時に来るべきだったと言ってやりたい気がします。ヨブ自身、そう思っていたでしょうが、そんなことはおくびにも出さず、彼らを歓迎し、食事をふるまってもてなしたのなら、人間の器の大きさを感じさせられます。
主なる神はヨブを以前にも増して祝福されたので、ヨブは羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになりました。すべて苦しみを受ける前の二倍です。ヨブはまた七人の息子と三人の娘をもうけました。ヨブも奥さんも年を取っていたと思うのですが、その奥さんから生まれたのかどうかは何も書いてありません。ヨブは新たに10人の子どもが与えられたとはいえ、失った10人の子どものことを忘れることが出来たのでしょうか。そうは思えないのですが、ある人がこういう説明をしました。「以前の七男三女はすでに天に行っており、今神は再び七男三女を与えたのです。天に十人、地に十人、倍でないことがありましょうか」。…ここでは特に娘たちの美しさが強調されます。これはヨブが受けた祝福がいかに大きかったかを示しています。日本キリスト教会のある牧師は、女の子が産まれた時、えみまと名づけました。きっと素敵な女性になっていることでしょう。なお3人の娘たちもその兄弟たちと共に父親の財産の分け前を受けています。この時代、息子にしか財産を与えないのが普通で、娘が相続にあずかるのは息子がいない場合に限られていました(民27:8)その意味でこれは時代を先取りするものだったと考えられます。ヨブはその後140年の長きを生きて、死にました。
皆さんはヨブの最後の年月(としつき)のことをどうご覧になったでしょうか。自分もこんな幸せにあずかりたいと思う人がいるでしょう。一方、ヨブ記はこんなハッピーエンドで終わらない方が良かったという人もいるのではないかと思います。
幸せを取り戻す
ヨブ42:1~17、黙示録21:3~4 2016.7.24
私たちは2年半かけてヨブ記を読んでまいりましたが、はからずも今日が最終回となりました。ヨブは、私たちが想像も出来ないほどの苦しみを体験させられましたが、ついに苦しみの日々が終わり、繁栄と幸せな日々が与えられたのです。
この42章7節から17節にかけて、皆さんはヨブが苦しみから救い出されたことを喜ぶ一方で、なんか腑に落ちない思いにもなるかもしれません。とってつけたような話だなという感想を述べた人がいます。特に12節以降で、ヨブは以前にもまさる繁栄を享受する身になるのですが、この部分はなかった方が良かったんじゃないかという人も多いのです。…そもそもヨブが苦しみにあったのは、サタンが「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか」と言ったためでした。多くの人は信仰することで利益があれば信仰をしますが、そんなものがなければ信仰を棄ててしまいます。しかし、ヨブはそうではなかったのです。いささか問題はありましたが、信仰に利益が伴わなくても、いや、それどころか耐え難い苦しみに遭わされても信仰を守ったのです。だからヨブの闘いは、人はたとえ利益がなくても神を敬うということが出来る、との証明になったのでした。…それなのに、物語の最後になって、ヨブは誰もが羨むような幸福を授かるのですから、そうするとヨブ記のテーマはどこに行ったのかということになりかねません。
またこういう問題もあります。神はヨブの3人の友人に対して怒りを発せられましたが、そこに4番目に登場したエリフが入っていないのです。神はエリフに対しても一言あるべきなのに、何も言われてないのはどうしてなのかということがあります。これはヨブ記の成立に関わる大きな問題で、学者の中にはこういうことを考えたあげく、42章7節以下はヨブ記には本来なかったもので、後世の人が余計なつけたしをしてしまったのだと主張する人がいますが、学問的には決着がついていません。ただ、聖書によけいな部分があるものでしょうか。…今日は、ヨブ記にこの最後の部分がどうしても必要だとするなら、そこに神様からのどんなメッセージがあるのかということを考えたいと思います。
先週学んだことですが、ヨブはついに神の前で自分の罪を認め、悔い改めました。ヨブの目は開かれました。宇宙と自然の中にあるあらゆるものは神が創造され、神が治めておられるのです。世の中で起こるすべてのことも、ヨブを襲った苦しみもみな神の深いご計画の中にあるのですから、神のなさりようが人間から見てわからないからと言って、人間が神を批判することなど出来ることではありません。
ヨブは全能の神のみ前で人間は謙虚にならなくてはならないことを学びました。ヨブの苦しみがどんなに同情されるべきことだったとしても、彼の中にも高ぶりの罪があったのです。自分は何も悪くない、神様が悪いのだと言っていたヨブの態度は。神ご自身によって打ち砕かれました。
ヨブは42章5節で「この目であなたを仰ぎ見ます」と言いました。神を仰ぎ見るというのがどういうことかはっきりしませんが、これは神がヨブに与えて下さった特別な恵みで、ヨブはその恵みの中で悔い改めたのです。
ことわっておきますが、この段階ではヨブの病気は以前のままでした。ヨブは相変わらず死にかかっているようなありさまで、皮膚のあちこちがかゆくて耐えられないような状態でした。だから、6節で「塵と灰の上に伏し」と言っているのです。しかし、その中で、絶望は希望へと変わりました。それはどうしてなのか、…そうです。神を仰ぎ見たからです。神がヨブの前に降りてきて、会って下さったのです。
神はヨブに語りかけることによって、ヨブを神の前の人間として立つべきところに立たせられました。神はヨブの高ぶりの罪をわきまえておられ、悔い改めへと導かれました。しかし神は、そうするに当たってヨブを一方的に断罪してはおられません。神はテマン人エリファズに言われました。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ」。
ここはなかなか複雑なところです。いったいエリファズたちが語ったことは正しくなかったのでしょうか。またヨブは神様から間違いを正されたにも関わらず、言っていたことが正しいとされたのでしょうか。
この時、エリファズたちはこう思ったかもしれません。自分たちはヨブが災難にあったと聞いて心配してやってきたんだ、不信仰なヨブに反対し神様の正しさを守るために全力を尽くしたのに、その神様から怒られて、すんでのところで罰を受けるところだったとはいったいどういうことか、と。
私たちがすでに見て来たように、エリファズたち3人は因果応報論に立って、議論をしてきました。神は善人には善をもって報い、悪人には罰をもって報いる、ヨブが神様からこれほどの苦しみを受けているのは、彼が何か大きな罪を犯したからなのだ。偉大な神が、善人をいわれなき苦しみに追いやることは絶対にないのだと。…この議論に対してヨブは、自分はこれに当てはまらないし、社会を見渡してもそのような現実がたくさんあると主張しました。ここにいる私たち自身も、因果応報論ではとても説明出来ない現実がたくさんあることを知っていますし、自分自身で体験もしてきています。そして因果応報論でもって苦しみの中にある人々を一刀両断してしまうこと
が、いかに大きな罪であるかということも知ることが出来ました。 しかしエリファズたちにとっては、因果応報論を守ることがすなわち神の正しさを守ることでした。彼らは、神様のために闘っていると信じていたのです。一方、ヨブは神様の裁きは不当だと言ったわけですね。これは、神様について正しく語ったことになりますか。…神様はヨブの中にあった間違いをご存じですから、ヨブに対して「お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪とするためにわたしを有罪とするのか」(40:8)と叱責したのです。…その同じ神様が、エリファズたちに「お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかった」というのはなぜかという疑問が起こります。
このことに対して浅野順一先生という方はこう書いておられます。「友人は正しくあったが誤っており、ヨブは間違っていたが正しくせられた。」どういうことでしょう。…友人たちはおおむね正しいことを言っていたのです。しかし、いくら正しいことを言っていてもそこに愛があったかどうか、真実があったかどうか…。逆にヨブの場合、言っていることに間違いがあったとしても、神様に向かう真剣で真実な態度があったことは認めなければなりません。信仰とはこのように、理詰めで割り切れるものではありません。そしてヨブとしても、だから自分が正しいのだと神様に要求できるというのではもちろんありません。あくまで神様の自由な恵みの中でその正しさを認められたにすぎないのです。
神様は、正しくはあったかもしれないけども真実と愛に欠けていたヨブの3人の友人に対しお怒りになられましたが、彼らを厳しく罰するということはなさらず、雄牛7頭、雄羊7頭を取ってヨブのところに行き、ヨブを通していけにえをささげるよう命じられました。ヨブはこの3人に対して複雑な感情があったでしょうが、彼らのために祈りました。神はおそらく、このことを通してヨブと友人たちを和解させようとしたのでしょう。ここを読みますと、イエス様が山上の説教の中で、兄弟との和解を勧めているくだりを思い出します。「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。」(マタイ5:23-25)まさに神の前で一緒に祈ることが、互いに争いあったり、わだかまりのある者たちを一つにするのです。
こうしてヨブが務めを果たし、友人たちとの和解が成立した時、神はヨブを元の境遇に戻し、さらに財産を二倍にされました。さて、ここからが特に、余計なつけたしではないかと考える人がいるところです。
ここで注意しなければならないのは、私たちはご褒美を期待して、取り敢えず捨ててみるのではない、ということです。一切を捨てて何も持たなくなること、自分を全て主に明け渡すことこそが、恵みだからです。多く捨てた者が、多く報われる訳ではありません。 そして29節には「わたしの名のために」と書かれていますね。そうです。私たちは、ただ捨てるのではありません。フィリピ書2章によれば、キリストは、神の身分を捨て、自分を無にして、僕の身分になり、十字架の死に至るまで従順であったので、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。そうやって遜って下さった方、イエス・キリストの名のためにこそ、持つ者も、持たない者のように生きることが出来ます。財産のあるなしに関わらず、必要なのは、ただ主イエスに従うことです。惜しみなく与えて下さる、天の父なる神様の恵みに信頼して生きるならば、私たちもまた「完全」を目指す方へと、向きを変えられます。「青年」から成長して、大人の信仰を与えられます。なぜなら、「完全」に欠けのない、唯一の聖なる生贄として、御子イエス・キリストが既に捧げられたからです。私たちは、そのように大きな代価を払って買い取られ、罪の奴隷から解放されました。これほど惜しみなく私たちを愛して下さる神様が、私たちに約束して下さる天の国を、私たちはただで、何も持たずに受け取るよう、招かれています。
神の御子が人となって、しかも幼子の姿でこの世に来られ、更に死の淵にまで降りて下さったからこそ、主イエス・キリスト以外に何も頼れない私たちもまた、永遠の命を、受け継ぐ者とされるのです。この途方もない大逆転が起こったからこそ、今日の箇所の最後、30節に書かれておりますように、「先の者が後に、後の者が先になる」という訳ですね。
ここまで皆さんと「金持ちの青年」の話を読んで参りました。主イエスは「はっきり言っておく」の後に「重ねて言うが」という形で繰り返し、金持ちが天の国・神の国に入ることの難しさを強調なさいました。私たちは、神様から与えられた少なからぬ財産を持っておりますが、天の国から締め出されたと考えずに、不可能を可能とする神のみ力に信頼し、新しい世界において与えられる、大いなる恵みの約束を喜び、感謝すると共に、どこまでも主イエスに従う者とされますよう、祈りたいと思います。
本当にそんなことが起こるんでしょうか。私たちはどうしても疑ってしまいますよね。しかし、主イエスは仰います。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」。私たちの中に可能性はありません。それは人間ではなく、神様のなさることなんです。永遠の命は、得るものではなく、与えられるものです。神様が救って下さるからこそ、私たちは救われます。ここに慰めがあります。希望があります。
最後にもう一点、気になることがあります。主イエスは青年の問いに答えて下さいましたけれども、ただ一つだけ、逆に青年の方に質問なさいました。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである」(17節)。善い方は父なる神お一人だから、善いことについては父なる神に尋ねなさい、というのが、イエス様の仰りたいことなんでしょうけれども、イエス様も、父なる神と共におられる、子なる神なんだから、善い方なんじゃないのか、イエス様に善いことについて尋ねてもいいんじゃないか、という気がしますね。しかし、そうではありません。主イエスはここで、父なる神と同じ立場に立つことを、拒否なさいました。主イエスは神の栄光を捨てて、子供を祝福し、最も小さな者たちと共にいる方であることを示して下さいました。私たちは、何も捨てられないと言って嘆くことはありません。なぜなら、天の父なる神様が、私たちのために、愛する独り子を下さったからです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。ヨハネ3:16の、この御言葉にある通り、永遠の命が得られるのは、私たちが何か善いことをしたからではありません。ただ神の愛によるのです。その愛の神が、天の国に入るのに不要な物を捨てさせて下さり、必要な物を与えて下さいます。主イエスは神の身分を捨ててこの世に来られ、命を捨てて私たちを罪から贖い出して下さいました。私たちは最早、滅びるべき古い命に生きる者ではありません。それはもう既に、キリストと共に、十字架につけられました。ですから、古い命を支えるために必要な物に、しがみつかなくていいんです。なぜなら、私たちを限りなく愛して下さる神様が、それらの物を百倍にもして、返して下さるはずですから。
しかし、天使は言います。「神にできないことは何一つない」。私たちも、自分の現実しか見ないなら、否定するしかありません。主イエスに従うことなどできない、完全になることなどありえない、と考えます。しかし、神にできないことはありません。告げられた言葉通りに、御子イエス・キリストが誕生しました。
栄光に満ちた王としてではなく、赤ん坊という人間の中で一番無力な存在として、この世においでになった方が、そして、十字架刑という人間の中で一番惨めな姿で死なれた方、その方が、「神には何でもできる」と仰います。これはとんでもないことです。
いつも、主イエスの教えは、人々を驚かせます。しかし、本当に私たちを驚かせるのは、その御業です。愛と慈しみに満ちたお働き、病を癒し、悪霊を追い出し、嵐を鎮める奇蹟は、まさに主なる神が、私たちと共にいて下さることを示すものでした。主イエスは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言って、伝道を始められました。私たちが神の国に近づいて行くことは出来ないけれども、神の国は確かに到来しつつある。御子イエス・キリストが来られ、御言葉と御業とによってそのことをお示しになったからには、誰もがそこに招かれているんです。
その主イエスに対し、ペトロが少し自慢げに質問します。「このとおり、私たちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、私たちは一体何をいただけるのでしょうか」。なかなかずうずうしい言い方に聞こえますが、主イエスはこの要求を、拒否なさいませんでした。それどころか、素晴らしい約束を与えて下さいました。イエス様に従ってきた十二弟子が、イスラエルの十二部族を治めるという約束です。しかも、その約束は、話を聞いていた一同に向かって、「はっきり」言われたことでした。但しそれは、今ではなく、「新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき」なんですね。ここで「新しい世界になり」と訳されております言葉は、直訳しますと「再生に於いて」という意味であります。再生、再び生きること、即ち復活なんですね。私たちがキリストに結ばれて、復活の命に与る時には、主イエスが王様として支配して下さる、新しいイスラエルが始まるというんですね。
2016年7月31日 尾道教会 山本 盾伝道師
「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」。これは今日、私たちに与えられた御言葉の前半に登場致します、いわゆる「金持ちの青年」が、最初に主イエスに尋ねた問いであります。彼は自分の満足する答えは得られなかったようでありますが、私もこんな風に率直に、イエス様に質問をしてみたいものだと思います。もし皆さんがこの青年なら、どんなことを聞いてみたいですか。想像して下さい。
「私ならこんな質問はしない。この青年は、何か善いことをすれば永遠の命を得られると考えている時点で、間違っている」と言う人もいるかと思います。確かに、彼のセリフには問題があります。永遠の命を、まるで取引できる商品であるかのように、思っている節があります。「金持ちが天の国に入るのは難しい」と主イエスはおっしゃいます。そうしますと、これは金持ち特有の問題なのでしょうか。この青年は金持ちだったために、永遠の命を得ることが出来なかった、私たちは金持ちでなくて良かった、ということになるのでしょうか。そうではありません。主イエスは、青年の問いを拒否された訳ではないのです。「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい」と言って、答えを与えて下さいました。
考えてみますと「永遠の命」を求めるというのは、立派なことですね。青年は「どうすればもっと豊かに、幸せになれますか」とは尋ねませんでしたし、人生で成功する秘訣を、尋ねたのでもありません。「どんな善いことをすればよいのでしょうか」というのも、真剣で深い問いです。彼は決して、人に褒められるために、善いことをしたいのではないのです。
ところで、皆さん既にご存知のことかもしれませんけれども、このエピソードは、マタイだけではなくて、マルコとルカの福音書にも、ほぼ同じ内容で書かれております。今日は、その3つが元々同じ話で、別々に伝えられたと考えてお話させて頂きますけれども、マルコによりますと、旅に出ようとしていた主イエスの前に「ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた」のだそうです。つまり、主イエスの行く手を遮ってまで、どうしても今聞かなければ!とばかりに走り寄って尋ねたのであります。彼は大変熱心に、道を求めていたのであります。しかも跪いたのでありますから、態度も模範的であったと言えましょう。では一体なぜ、彼は悲しみながら立ち去らなければならなかったのでしょうか。私たちは何を問い、何を求めるべきなのか、そして何を問われ、何を求められているのか、皆さんと一緒に、御言葉に聴きたいと思います。
青年と主イエスのやり取りは、対話が進むに連れて、青年の思い違いがだんだんと露わになってゆくように思います。「どの掟ですか」というのが、青年の2つ目の質問でありますけれども、ここには、律法には重いものと軽いものがあって、一生懸命守るべきものとそうでないものがある、という考えが透けて見えているのかも知れません。これは、主イエスを試そうとして尋ねた、あの律法学者の質問「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」(マタ22:36)と同じであります。律法学者に対する主イエスのお答えは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」。この第一の掟と同じように重要なのが「隣人を自分のように愛しなさい」である。そう仰いましたけれども、この第二の掟が、青年への答えとして、守るべき戒めの最後に挙げられております。
主イエスのお答えは十戒の後半を纏めたものでして、旧約聖書の十戒と順番も同じですけれども、皆さんお気づきでしょうか。実は第十戒、10番目の戒めが省かれています。「隣人の家を欲してはならない」、口語訳では「隣人の家をむさぼってはならない」という戒めがありません。その代わりに、先程の「隣人を自分のように愛しなさい」が来ている訳です。これは一体どういうことでしょうか。恐らく彼はいつも有り余る程の富に恵まれていて、隣人の家や物を欲しがる、貪るということが本当になかった。他人の物を自分の物にしようとしたことは、一度もなかったのでしょう。しかし、彼がやがて相続するであろう親の財産は、元はと言えば、貧しい人たちから搾り取ったものです。ですからもし彼に欠けているところがあるとするなら、隣にいる貧しい人、何も持たない人への愛であります。その点を主イエスは問われます。
そして、主イエスの教えに対する青年の反応と、3番目の質問に、決定的な問題点が明らかになります。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか」。マルコによる福音書によりますと彼は「子供の時から守ってきました」と言ったそうですから、恐らく、信仰深い両親に育てられて、順調な信仰生活をしてきたのでしょう。しかしこの「欠けているところがない」というよりも「欠けていない」と思い込んでいるのが、まさに、彼の欠点でした。因みに、主イエスが戒めを守れとおっしゃる時の「守る」と、青年が「私は守ってきた」と言う時の「守る」とでは、使われている元の言葉が違います。青年の言う「守る」は、本来は、羊が逃げないように見張るという意味で、クリスマスの礼拝でよく読まれますルカ2:8で、羊飼いが夜通し羊の群れの番をしていた、という時の、「番をする」というのがそれです。そして青年が「まだ何か欠けているでしょうか」と尋ねる時の「欠けている」というのは元々、「競争に遅れている」という意味の言葉で、劣っている、不足する、取り逃がすという意味でも使われます。つまり青年は、自分の持っている物を何一つ失うまい、そうして他人に後れを取るまい、としてきたんですね。自分の囲いから、羊が一匹でも逃げ出さないように、模範的で立派な自分、罪に汚れたことなどない、パーフェクトな自分を守り抜いてきた、もし何か取り逃がしているなら教えて下さい、と言うんですね。課題さえ示して貰えれば、自分の力で何とか出来る、と彼は思っているんですね。
しかし、戒めが守れなければ、自分の価値は下がってしまうから、もう天国に入れないんだとか、戒めは守るべき戒律であって、守れなければ駄目な人間だ、永遠の命を得られないんだ、というのは誤解です。
実は、18節で主イエスが引用なさった戒めの内、原文でも命令形なのは「父母を敬え」だけでありまして、他は全部、未来形になっております。つまり「あなたは殺さないでしょう。姦淫しないでしょう。盗まないでしょう。偽証しないでしょう。父母を敬いなさい、そして、隣人をあなた自身のように愛するでしょう」というのが本来の意味です。そもそも律法は愛の恵みとして私たちに与えられましたし、まず出エジプトという救いの出来事が先にあって、それから十戒が与えられました。「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。神様のこの宣言の後に戒めが告げられました。あなたは私が奴隷から解放した者だ、あなたは、罪から救われた、そのあなたは、もはや殺さないでしょう、姦淫しないでしょう、盗まないでしょう、偽証しないでしょう、するはずがない。という御言葉です。
ところで、皆さんはもうお気づきでしょうか。彼はこの20節で初めて「青年」と紹介されているんです。マルコでは「ある人」、ルカでは「ある議員」、マタイでも「一人の男」だったのに、ここからはなぜか「青年」なんですね。この「青年」というのがどの位の年齢なのかは、残念ながら、よく分かりません。最近は教会も高齢化が進んでいまして、私などはどうやら青年に入るようです。イエス様も弟子たちもみんな青年ですから、なぜここでわざわざ「青年」と書いているのかが、気になります。それは、主イエスの次の教えで明らかになります。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」。ここで「完全な」と訳されておりますギリシア語は元々、捧げ物にする動物に「欠けがない」ことを意味する言葉だそうです。また「完全になる」とは、人間で言えば大人になるということであります。一コリ14:20で「悪事については幼子となり、物の判断については大人になって下さい」とパウロが勧める時の「大人になる」というのも同じ言葉です。私たちは、成長して大人になり、完全な者となるよう、招かれております。いわゆる「山上の説教」で、主イエスはこう、お命じになりました。マタイ5:48です。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。主イエスは、欠けている所があるかという青年の問いには答えずに、「もし完全になりたいのなら」と仰います。当然、欠けているんです。神様の目から見て欠けのない人などいません。誰もがまだ大人になっていない「青年」なんです。金持ちだろうが、議員だろうが、同じです。律法の戒めを知りながらも守れない、弱く、罪深い者なんです。
そうしますと、この青年の姿は、私たち自身の姿でもあります。毎日豊かに快適に過ごし、日曜日の礼拝を守ることに満足している自分もまた、何も捨てられない点では同じなのではないだろうか。そう考えざるを得ません。一体どうすれば、「完全」になれるのでしょうか。
青年は、命じられた通り、全財産を貧しい人々に施せば、完全なのでしょうか。彼が望んだように、永遠の命が手に入るのでしょうか。そうではありません。主イエスは、彼には到底不可能だということを、御存じだったからこそ、それをお命じになったのでしょうし、仮に出来たとしても、青年はその善行を、自分の誇りとしたに違いありません。
今日の箇所の直前に、イエス様が子供たちを祝福して下さった、というエピソードが記されております。その時主イエスは、「天の国はこのような者たちのものである」と仰いました。子供たちのように、小さく、弱く、何も持たず、受け入れて下さる方にただ頼り切る他ない者こそ、御国を受け継ぐに相応しいとされているんですから、私たちが求められている「完全」とは、人間が考えることとは全く逆であるということになります。つまり、大人の信仰を持つことは子供になること、自分を低くして、全てを主に委ねることです。
肝心なのは、全てを捨てて、完全に依り頼むこと、主イエスに従って、どこまでも隣人を愛する道を選ぶことですけれども、青年は貧しい人々より財産を愛していました。彼の捨てられなかったものは、富というよりも、富に価値を置く自分自身、築き上げて来たものに信頼を置く、その生き方だったんですね。
「青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った」とありますけれども、彼は一体、何が悲しかったんでしょう。主イエスの御命令に従えない自分が情けなかったのか。或いは今までの生き方が全部否定されて、ガラガラと音を立てて崩れていくのを見るのが、悲しかったのか。恐らく彼は、本当は律法を守っていないという事実を突き付けられて、この時初めて、自分の破れを悟ったのでしょう。彼にはそれが必要でした。しかし彼は、主に、どん底に立って受け止めて下さる方に、自分を投げ出して憐れんで頂こうとはしません。彼はまだ、自分の力に頼ることから離れていません。
「真理はあなたたちを自由にする」という、主イエスの教えがあります。逆に言いますと、真理ではないものは、人を奴隷にする、縛るということです。青年は、戒律は自分の力で守るべきもので、守れなければ救われない、という考えに縛られ、また、財産の奴隷になっていました。本当は、そこから解き放たれて、自由にされた喜びを味わうはずだったのに、青年は主イエスに従うことが出来ませんでした。
そうやって立ち去る青年を見送った後、主イエスは弟子たちに「金持ちが神の国に入るよりも、駱駝が針の穴を通る方がまだ易しい」と仰います。大きくて瘤まである駱駝が、糸を通すのも難しい針の穴を通る、これは即ち、不可能だということです。それよりも難しいのですから、金持ちが神の国に入れる可能性は、全くありません。それどころか、神の御前に、何か誇れるもの、評価されるべきものを持っていると考えているなら、何も持たない自分を、神の恵みで満たして頂こうとしないなら、誰もが天の国に入ることを諦め、悲しみながら立ち去る他ありません。針の穴を通り抜けるには、何よりも小さくなければならないからです。話を聞いていた弟子たちは、仰天しました。このように立派な青年が救われないなら、一体誰が救われるのか。神によって祝福されているからこそ、彼は金持ちなのではないか。そういう驚きです。
しかし主イエスは、その慈しみに満ちた眼差しで、弟子たちを見つめて仰います。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」。人間に出来ると思うから、絶望してしまうんです。不可能なことだと知るところから、全能なる神に依り頼む、信仰の歩みが始まります。神に出来ないことはありません。
旧約聖書創世記に、こんなエピソードがあります。「信仰の父」と呼ばれますアブラハムの妻サラは「男の子が生まれる」と告げられた時、密かに笑いました。年老いた私に子供なんて出来るはずがない!しかし、主はサラに仰います。「主に不可能なことがあろうか」。私たちも笑ってしまいます。「駱駝が針の穴を通る?御冗談を!」しかし、主に不可能なことはありません。100歳のアブラハムと90歳のサラに、子供が与えられたように、私たちの可能性が尽きた所に、主の恵みが注がれます。
ルカによる福音書の、いわゆる「受胎告知」の場面で、主イエスの誕生を告げた天使ガブリエルに、乙女マリアはこう言います。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。
プロテスタント教会はだいたい同じです。カトリック教会はパンだけでブドウ酒はいただけないのですが、それでも毎週聖餐を行っています。しかし、どちらにしても初代教会には及びません。現代の教会が聖餐式をひんぱんに行うことが出来なくなったのはなぜかということを考えていく必要がありそうです。
そして4番目が「祈ること」です。これは個人で行う祈りだけでなく、神殿の境内の中での祈りや、食前の祈りなどを含んでいて、これらすべてについて熱心だったということです。…紀元1世紀のユダヤ人はいまの私たちほど忙しくなかったでしょう。しかし、それにしても、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」というのは簡単なこととは思えません。考えてみましょう。昔の人が毎日神殿に行くために時間をつくり出すことと、私たちが毎週、礼拝するために日曜日の午前中をあけておくこととどちらが簡単かということを。礼拝を守ることの難しさは、決して現代になって始まったのではありません。ただ、その困難を克服させるだけの信仰の喜びが今あるのかということが問われているのです。
世界で初めて出現した教会の様子は、外の世界の人々の目をそばだてるものでありました。こうして「すべての人に恐れが生じ」、また信者たちは「民衆全体から好意を寄せられた」のです。
恐れと好意、これはこんにちの教会のまわりにも起こっています。ここの近所でも教会に恐れをいだいていて、一歩も足を踏み入れようとしない人がいるようです。
しかし、その人が教会を嫌っているとは限りません。好意を持っている場合も多いのです。信仰の世界は素晴らしいと思うけれども、飛び込んでいくには勇気がいる。入りたいが入りづらい、そうやって遠巻きに教会をながめている人々がいつの時代にもいるのです。
そのような状況の中で最初の教会は大きくなって行きました。「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。…ここに教会成長の理由があります。この教会には確かに素晴らしい信徒がいたのでしょう。それを見ていた民衆も好意をもっていました。しかし、それでもって信者が増えていったのではありません。主が、つまりイエス・キリストご自身が働かれて、救いのみわざを進めて行かれたのです。
それゆえ、教会が量的な面で成長するかどうかということは、牧師と教会員によって決まるのではありません。もちろん、それも重要なことですが、教会のために牧師と教会員を動かすのは何より主イエスであり、主イエスご自身が教会のために力をふるって働いておられることに信頼することが大切です。…そのことは決して、主にすべてを任せて自分は何もしないということではありません。
私たちの広島長束教会も、聖霊において働かれる主イエスのお導きの下、不充分ながらも使徒の教えを学び、相互の交わりをなし、聖餐式を行い、祈りを絶やしたことはありません。どうか信仰生活がマンネリに陥らず、常に主イエスから命の水の供給を受けて、新しく成長して行くものでありますように。
かりに教会に来ている人がいつも暗い顔で、互いにいがみあっていたら、教会の発展はありません。初代教会のそばにいた人たちは、ここにはいったいどんな素晴らしいことがあるのだろう、たいへん厳しい世の中でこの人たちは何をそんなに喜んでいられるのか、と思って関心を寄せたに違いありません。そのような喜びと真実の生活への第一歩が礼拝から始まって行きますように、と願います。
(祈り)
天の父なる神様。今日、聖書から最初の教会の様子をうかがいました。私たちの心の中には、教会のことなんかどうでもよい、それより自分の生き方を支えるメッセージがほしいという思いがあったかもしれません。しかし聖書を通し、教会について考えることが自分の生き方を考えることであることを知りました。まさにペンテコステの日に誕生した教会が私たちの広島長束教会につながっており、広島長束教会での礼拝こそが私たちの魂にとって決定的な重要性を持つものであることを信じます。イエス様が私たちの教会のためにも心を砕き、働かれておられることを知って、感謝します。厳しい時代の中、私たちと私たちの家庭の中にもさまざまな問題やあつれきが起こります。しかし、暗いトンネルの中にあっても、前方の光を見せて下さり、希望を与えて下さる神様がたたえられますように。
主イエスの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
喜びと真実の生活が始まる
ネヘミヤ8:9~10、使徒2:42~47 2016.8.7
今日はペンテコステの日に起こった驚くべきことが、その後どう展開していったかということを学びます。
ペンテコステの日、一心に集まって祈っていた120人に聖霊が降りました。すると彼らは神の偉大なみわざを語り始め、その中から使徒ペトロが立って説教をしました。それを聞いた多くの人々が心を打たれ、悔い改めて洗礼を受けました。こうして歴史上初めて教会が誕生したのです。
その日、洗礼を受けて仲間に加わった人は三千人ほどでありました。いったい三千人の洗礼とはどういうものだったのでしょう。私たちは驚きもし、羨ましくもなってしまうのですが、こういうことがこの世にないことはありません。キリスト教2000年の歴史の中では、これに似たことはたびたび起こっているはずです。日本キリスト教会でも渡辺信夫先生がインドネシアのニューギニア島に行った時、日本では考えられない数の人々がみ言葉を聞くために集まってきたそうです。その時、洗礼式が行われたのかどうかは知りませんが、それだけみ言葉に飢え渇いた人々がいるわけですから、世界は広いのです。
こういうことは神様がその時と場所を備えて下さらなければ、起こることではありません。よくリバイバル、リバイバルと言っているグループがあります。その人たちの集会は、聖霊の助けを祈りつつ、一挙にたくさんの魂を獲得しようとして開くもののようで、たいへんに熱狂的、時には熱に浮かされたような雰囲気になることがあります。今はどうだかわかりませんが、かつてのアメリカでは、一つの町全体がそういう熱狂的な雰囲気になることがあったようです。
もっとも熱に浮かされただけなら、さめてしまうのも早いわけです。いっときの情熱で終わらないものがなければ、信仰は長続きするものではありません。その点、歴史上最初の教会は、信仰への熱心さはもちろん、核となるものがしっかりしていました。それが「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」ということで、それをさらに説明したのが43節から47節にかけての部分となります。
さて、私たちはこうして初代教会の様子を見ることになるのですが、ここにとまどいを覚える人が少なからずいると思うのです。ここに書いてあることが、いま私たちが知っている教会とはあまりにも違うからです。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われたというところもそうですが、特に、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合ったというところが驚きをもって受けとめられたかもしれません。
この点については4章32節以下でも説明されます。そこでは、信者の群れは「心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」とか、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配された」などと書いてあります。
初代教会のこういう姿を見て、現代の教会もこうあらねばならないと考える人がときどき出て来ます。その中には、現代の教会が奇跡を起こせなくなったのは、教会が信仰的に堕落して、キリストからいただくいのちを枯渇させてしまったからだと考える人がいます。また、信者は初代教会に倣って生活共同体をつくるべしと考えて、そこから共同生活を始めたグループもあるのです。…しかし、そういうことが聖書の正しい読み方なのか、私たちは初代教会そのままの教会をつくるべきなのか、こういうことは慎重に考えてみなければなりません。
結論から申しますと、ここに書いてあることはこの時代特有の条件に基づくものです。ですから、これをそのまままねすることは出来ません。同じことをしようとしても、出来るものではないのです。ただ、だからと言って、ここに書いてあることは現代の教会とは何ら関わりのないことだと言って無視することも出来ません。
神はこの時代の教会に特別の恵みを与えられました。だから使徒たちは多くの奇跡としるしを行うことが出来たのですが、神がこれを許した理由は、人々をして教会の存在に気づかせるためでした。もしも不思議な業もしるしも行われなければ、教会は社会から、処刑されたイエスの残党がかろうじて集まっているだけだ、と判断されてしまったことでしょう。それではいけないのです。
イエスは死んだけれども復活し、今この時も生きて働いているということを世界に示さなければなりません。そのために不思議な業としるしが行われたのです。…また、一人も貧しい人がいないような信仰共同体が出来たのも、イエスを主とする神の国とはまさしくこういうものだということを、神が世界に示したことになるのでしょう。
まさに神の特別な恩寵のもとに出現した教会は、使徒たちが世を去ったあと、不思議なわざもしるしも行われなくなり、財産や持ち物の共有も行われなくなって、今日に至っています。現代の教会にとって初代教会とは、どうしてもたどりつけないような理想の存在としてあるのです。しかし私たちは、その現実の中から出発しなければなりません。
こうして新しく誕生した教会に生きる人々について、聖書は、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」と書きます。一つひとつ見てみましょう。
第一が「使徒の教え」です。当時の人々はイエス・キリストが御自ら任命された使徒の教えを直接に受け取り、また使徒の書いた手紙が教会で読み上げられることによっても教えを受けました。…その後キリスト教会には多くの偉大な指導者が与えられましたが、たとえルターやカルヴァンであっても使徒たちの上に立つものではありません。使徒はこの時代だけに存在し、教会の基を打ち建てました。その教えの中心は、イエス様がまさに神が遣わして下さった方であり、救い主キリストである、誰もがこの方の前に自分の罪を悔い改め、その名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさいということに尽きます。
第二のことが「相互の交わり」です。主イエスに従う者は、それぞれ個別に信仰生活を送るのではありません。教会の群れに加わり、自分と同じように救われた兄弟姉妹とも、愛し合い、助け合い、祈り合って、信仰の歩みを続けて行くのです。
初めて教会に来られた方なら、「交わり」という言葉を聞いて不思議に思われるかもしれません。交わりというのは事実上、教会用語になっていますが、それは単に仲良くするとか、交流するということではありません。原文では、そこには「共にあずかる」とか「共有する」という意味があります。これが具体化されているのが44節です。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて皆がそれを分け合った」。ここで大切なことは、信者たちが「皆一つになった」ということです。キリストに結ばれて一つになる、そこから与えられたものを共有することが始まります。かりにキリストに結ばれず、皆が一つにならない内に財産を共有したら、とんでもないことが起こってしまうでしょう。…私たち、今ここにいる20数名の者が財産を共有することは出来ないでしょう。しかし、それぞれに与えられている賜物、持っている能力、そして弱さも困難も共有して、互いに助け合い、励ましあって前に進むことは出来ると思うのです。
三番目の「パンを裂くこと」、これは聖餐式でしょうか。実は別の解釈もあります。聖餐式ではなく、食事そのものだと言うものです。また、こんなことを言う人もいます。昔は食事と聖餐式はきっちり分離されてはいなかった。こういうことがあるので、聖書の言葉は一字一句きちんと意味を調べていかなくてはなりません。では実際はどうだったのでしょうか。ここからは判断がつきませんが46節を見るとパン裂くことと食事をすることがはっきり区別されていますから、やはりパンを裂くのは聖餐式でありまして、普通の食事とは違っていたのだと判断出来ます。
当時としても、少なくとも3000人の信者が一堂に会して聖餐式をすることの出来る会堂なんてありませんでした。だから家ごとに集まっていたのです。それも毎日です。…いま私たちの教会は月に一回、聖餐式を行っています。
ペトロとヨハネは実に真剣な思いでイエス・キリストの名を口にしました。そのことを知った私たちは、ですからいい加減な気持ちでこの名を唱えるべきではありません。使徒言行録ではこの先、イエス様を信じていないのに、いい加減な気持ちでその名を唱えて悪霊を退治しようとした人が、悪霊からこっぴどい目にあわされるという話が載っています(19:11~17)。これはキリストの名前を呪文にしてしまった人への見せしめです。
それでは、使徒たちに出来たことが今の教会では出来ないということをもう少し考えてみましょう。先ほど、私は、使徒たちはキリストから特別に病気をいやす力を与えられた人たちで、この力は甦られたキリストから彼らだけに与えられた、一代限りのものであったと申しました。…しかしながら、私たちもイエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩いていることは事実です。そしてそれは決して、小さなことではありません。
19世紀のドイツにヨハン・クリストフ・ブルームハルトという牧師がいました。彼の前に現れた、精神の病にかかった若い娘の話が伝えられています。幻覚に苦しみ、数時間もけいれん状態に陥るその女性を見て、ブルームハルトは彼女の病気と真剣に戦おうと決心しました。しかし、良い方法があるわけではありません。素朴だけれども真剣な信仰をもってその戦いに飛び込んだのです。
ブルームハルトは女性の耳もとで言いました。「祈りなさい、祈りなさい。主イエスよ、私をお助け下さい。主が何をすることができるかを、今、われわれは見ようではないか」。…このような戦いが2年間続いたということです。そして、ついにこの病人の口から「イエスは勝利者である」という言葉が出てきて、それと共に病の力も打ち砕かれたということです。
なぜ、こんなことが起こったのか、これは奇跡なのかそうでないのか、私にはうまく説明することが出来ません。ブルームハルト自身もそうだったのではないでしょうか。少なくともこのことは、得意になって言いふらすようなことではないので、ブルームハルトはひかえめにしていましたが、大事なことは、奇跡が起きたかどうかではなく、イエス・キリストが生きて働いておられるということです。…
この牧師は書いています。「イエスという名を書くやいなや、聖なる畏れが私を満たす」。イエスという名が、人間には思いもよらないことをなしとげたのです。それは人間の目に超自然的なことに見えたとしても、そうでなかったとしても、大きな違いではありません。皆さんはイエス・キリストの名による働きが今も継続していると信じておられますか。もしそうなら、それは必ずや教会のあり方や私たち自身の生き方に影響してくるはずです。
イエス・キリストの名による働きで、私たちが聖書から見逃していたかもしれないことをまずお話ししましょう。それは、使徒たちが生まれつき足の悪い男に示した態度です。二人は初めから、こんなに情け深かったのではありません。…イエス様が生きておられた頃の弟子たちのふるまいを思い起こしてみましょう。その頃の彼らだったら、物乞いに「あっちへ行け」と言って追い払おうとしたでしょう、そしてイエス様から怒られていただろうと思います。…しかしこの時、使徒たちはこの人をじっと見つめています。相手にしないのではなく、上から見下ろすのではなく、対等の立場に立って、自分たちの持っている最も大切なものを差し出すのです。二人にとってこれは大変な変化なのです。イエス・キリストがそれをなさしめたのです。
では、使徒たちの築き上げたものの上を歩んでいるはずの今の教会に、「イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言えるだけのものがあるでしょうか。使徒たちとは逆に、いろいろな言い訳をしながら、悲惨な出来事や、病気の中で苦しむ人から目をそむけてはいないでしょうか。今日の日本では、障害者に対する大量殺人事件が起きたほどで、弱い立場の人々がますます疎外されて行く傾向があります。私たちは時々募金をすることがあります。もちろんそれも大事ですが、たとえお金がなくても、出来ることがあるはずです。
ペトロとヨハネの、それまでの傲慢な態度を一変させたものに私たち自身も生かされるように、また生まれながら足の不自由な男を立ち上がらせ、神を賛美させたものに私たち自身も生かされるように。イエス・キリストの名が私たちの教会とここに集まる一人ひとりの上に働き続いて行くことを切に願います。
(祈り)
天の父なる神様。すでにバプテスマを受けて信徒となった者も、これから受ける者も、きょうのみ言葉によって養われたことを感謝します。私たちは、昔、使徒たちによって行われた素晴らしい奇跡は、もう今の時代には起きないのだとあきらめていたかもしれません。しかし私たちがこうして教会に集められ、み言葉によって作り変えられていることも、ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩いてきた結果であると思います。私たちの多くは立派な肩書も、たくさんの財産も持ち合わせておりません。若さも健康も、つかの間のものであるかもしれません。しかし人が本当の意味で生きるとは、そうしたものに寄りかかることではなく、神様に向かって生きることなのです。そしてそれは、この社会の中でキリストの御名を高く掲げて生きることでもあるのです。
神様、私たちにイエス・キリストの名が与えられていることを、何より大切な宝物が与えられていることだと信じ、心から感謝申し上げます。どうか、この宝物を持ち続け、さらに大きなものとして下さるように。厳しい人生の中にあっても、いつも祈り、そして祈りがかなえられる喜びのもとに生きるものとして下さい。主イエスの御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
リストの名によって歩け イザヤ35:1~6、使徒3:1~10 2016.8.21
きょうのお話の舞台はエルサレムの神殿で、時期はペンテコステからあまり遠くたっていない日ではないかと思われます。その頃、歴史上初めて誕生したキリスト教会は勢いよく発展しておりました。使徒言行録2章の終わりの部分に書いてありますように、信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられていました。2章47節の「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」という言葉からも、希望にあふれた教会の様子をうかがうことが出来ます。
しかしながら、そのような幸福な状態は長くは続きませんでした。今日の、生まれながら足の不自由な男がいやされたお話は素晴らしい出来事ですが、これだけで完結する話ではありません。このことがきっかけとなって、やがてペトロとヨハネの逮捕という事態に発展して行くのです。そこにはユダヤ教の指導者たちと生まれたばかりの教会の間で対立が起き、それが抜き差しならないものになっているという問題があります。こうして教会は、今度は迫害の時代を迎えることになるのです。
ここに書いてあることを、私たちはただ過去の出来事だと思って聞き流してしまってはなりません。使徒言行録の著者であるルカは、当時の教会のこのような歴史を手際よくまとめて、適切な教訓を残してくれました。すなわち、教会はしばしば教会の外の世界との緊張関係に陥るのだということです。
初代教会の生き生きとした姿は、私たちにはたいへん好ましいものに見えるかもしれませんが、それは平和で安全な、波風立たない環境の上に咲いた花ではありません。時には殉教者を出してしまうほどの、危険きわまりない社会の中で、それでもイエス・キリストの名によって立ち、挫折を繰り返しながらも力強く歩み始める人々が作っていったのです。
現在、キリスト教会には、厳しいこの世の中から逃れる場所を求めて訪ねてくる人が時々います。その人にとって教会が居心地が良い場所なら、それはおおいに結構なのですが、だからといってもう一度この世の中に出て行く気持ちを失ってはならないのです。信仰は現実逃避ではないからです。疲れた者、重荷を負う者が主イエスのもとに来て休むと、そこから力を得て、新しい人生のたたかいに出て行くことが出来ますように。使徒言行録はそのような問題意識をもって書かれています。だから生き生きとした信者の姿と、教会の内外で起こった厳しい現実とは切り離すことは出来ないのです。
「ペトロとヨハネが、午後3時の祈りの時に神殿に上って行った」。ペトロとヨハネが足の不自由な男に会ったのは午後3時の祈りの時でした。この時刻には神殿で夕べのいけにえが捧げられます。多くの人々が、この時、神殿に詣でて、祈っていました。たいへんな人出だったと思われます。
エルサレム神殿は紀元70年に破壊されて今は嘆きの壁しか残っていませんが、それが建っている時はたいへん壮麗なものでありました。神殿の境内は東西に280m、南北に440mで、一説では東に向かって開いている門が「美しい門」ではないかと考えられています。そこは、他の門よりもずっと値打ちのある金銀で飾られていたということです。足の不自由な男は、人の目を惹きつける門のそばで、それもお参りする人がいちばん多い時刻を見計らって、施しを請うていたわけです。
生まれながら足が不自由な人というのは、今日でも生きるための厳しい闘いを強いられていますが、当時にあっては、なおさら厳しい状況の中にありました。肉体的な不自由は、精神的な不自由にも直結していました。この人は、自分の労働によって人間らしく働き、パンを得ることが出来なかったからです。
さらに、体の傷害が罪の結果とされるような偏見と差別にもさらされていました。4章22節には、この人がその時40歳を過ぎていたことが書いてあります。もの心ついてからずっと、その年になってもなお物乞いをするしか生きるすべがない、そんなことがあって良いはずがありません。少なくとも、これは神のみこころではないのです。
この人がペトロとヨハネに施しを請うた時、ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言いました。使徒たちはなぜ、「わたしたちを見なさい」と言ったのでしょう。
使徒たちは、決して自分たちを自慢しているのではありません。二人ともお金持ちではないし、そのように見えることもなかったでしょう。「わたしには金や銀はないが」と言っている通りです。またこの二人は、4章13節によると、無学な普通の人でしかありませんでした。世間の人が喜ぶような財産も肩書きも持ち合わせていないのに、「わたしたちを見なさい」と言う、それは私たちを生かしているものを見なさいということなのです。そこには「ナザレの人イエス・キリストの名」で表されるものがあったのです。…「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。こう言って、右手を取って立ち上がらせると、その人はたちまち歩けるようになりました。
信仰は現実逃避ではないからです。疲れた者、重荷を負う者が主イエスのもとに来て休むと、そこから力を得て、新しい人生のたたかいに出て行くことが出来ますように。使徒言行録はそのような問題意識をもって書かれています。だから生き生きとした信者の姿と、教会の内外で起こった厳しい現実とは切り離すことは出来ないのです。
使徒言行録の著者ルカは医者でした。そのせいか、この奇跡を生き生きと、目に見えるように伝えています。「足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして…」。私たちだって病気で何日も寝ていたら、起きた時足がふらつくでしょう。それなのに40年以上足が不自由だった男のうずくまっていた膝が伸びて、飛び上がり、立ち上がったのです。そしてさらに歩きまわり、はねあがったりしたのです。医者の目から見るとこれはたいへんな奇跡です。
しかもそれは、単に足が治ったでは終わらない出来事でした。この人は元気になったばかりではありません。神を賛美しています。8節に「歩きまわったり躍ったりして神を賛美し」と書いてある通りです。そうして今度は、ペトロとヨハネと一緒に神殿の境内に入って行きました。この人はこれまで、信仰とは遠い所にいたかもしれません。しかし今や、キリスト者の仲間入りをしたことがうかがえるのです。
ペトロとヨハネはこのあと逮捕されます。そして取り調べの時に、この出来事の目的を表明しています。4章10節以降を読んでみましょう。「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」。
12節:「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。
ここでは、この人が良くなるということと、救いを得るということが見分けがつかないほど一つになっていることがわかります。つまり、この出来事は、人がイエス・キリストの名によって救いを得ることを指し示すものであり、そのしるしなのです。
私たちは、ここでいくつかの疑問点を整理してみましょう。
初代教会の時代、使徒たちはイエス・キリストの名を唱えることによって奇跡を起こしましたが、今の時代、同じことが出来ないのはなぜかということです。なるほど私が使徒と同じことを言っても、足の治療が出来るとは思えません。しかし、そのことをもって私をにせ牧師とは思わないで下さい。使徒たちは、キリストから特別に病気をいやす力を与えられた人たちです。この力は甦られたキリストから彼ら使徒たちだけに与えられたものでありました。
では、使徒たちが唱えたイエス・キリストの名というのは何でしょう。それはどんなことにも効力を発する呪文のようなものでしょうか。そうではありません。イエス・キリストの名がそこにある時、この方がおられます。足の不自由な男をいやしたのは、聖霊となって現れたイエス・キリストであると言って良いのです。
現代社会では常に新しい製品が現れます。携帯電話やインターネットが普及したことは、昔は考えられなかったことで、みんなこれによって全く新しい時代が始まったかのように思ったものです。しかし、人間は変わりません。新しい情報通信技術が出現すると、新しいタイプの凶悪犯罪も出て来ました。何も変わっていないのです。人類の歴史の中では、かつて活版印刷術が普及したり、自動車が発明されたり、飛行機が飛んだりといろいろなことがありました。これらはみな人類の進歩を象徴する偉大なことには違いないのですが、世界に多大な恩恵をもたらすと共に、とんでもない副作用ももたらしてきたのではないでしょうか。
もう一つ、いろいろな意味でこの世は生きづらいものです。そこで、こうすれば理想の社会が実現するという社会運動が昔からたくさん起こりました。その中で、究極の理想社会をつくったと自画自賛する運動もありましたが、実際には理想社会どころか地獄のような社会でしかなかったということがありました。結局、ユートピアは夢に過ぎないのです。しかし、同じようなことは繰り返し起こって、また同じように挫折してゆきます。
このように見て行くならば、人生に何か望みを持っている人というのは、偽りを真実と信じているおめでたい人か、そうでなければまるで何も知らない人ということになるのではないでしょうか。コヘレトが見るところ、夢も希望も、理想も、絵に描いた餅に過ぎません。では、真理はどうなのか、正義はどうなのか、愛はどうなのか、ということになりそうです。
11節:「昔のことに心を留めるものはいない。これから先にあることも、その後の世にはだれも心に留めはしない」。このことは、戦争の歴史において最も残酷な形で見ることが出来ます。戦争があってたくさんの人が犠牲となりました。戦争が終わると人々は二度とあやまちは繰り返しませんと誓うものですが、不幸なことに戦争体験はなかなか継承されません。戦争を知らない後(あと)の世代は、かつての戦争の惨禍を忘れてしまい、迫りよってくる危機に心を留めることもありません。そうして、同じことが未来永劫に繰り返されるのです。
私たちが墓場に行って、居並ぶお墓の前に立つとき、コヘレトの一つ一つの言葉が実感をもって身に迫ってくるかもしれません。人は、出てはすぐ消えてしまう息のように、地上に生まれ、死に、やがて骨と化します。自分が墓に入ったあと、記憶してくれるのは家族くらいのもので、そのわずかな記憶も、家族が死んだあとにはまるで跡形もなく消えてしまうことでしょう。むなしくはかない、つかの間の人生を、悩み、苦しみ、労苦して生きていかなければならない人間とはいったい何者なのでしょうか。
こうしてコヘレトの、全人生をかけた心の旅が始まります。この人が直面した悩みについて、きょうこの場で答えを見つけることなどとても出来ません。皆さんの中には、コヘレトとは全く違う思いを持つ方もおられるとは思いますが、どうかご一緒にコヘレトの歩みを追体験して頂きたいと思います。…というのは、コヘレトのような空しさの極致に陥らないと、そこから救い出されたいという願いも起きないかもしれないからです。
さて今日、コヘレトの言葉にふれて、この人はいったい神を信じているのかと思った方がおられるに違いありません。いったい「すべては空しい」と言う人が信仰を持っているのでしょうか。…しかしこの人は信仰を持っていました。次回に読むところですが、1章13節の後半にこう書いてあります。「神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ」。コヘレトの言葉の中に、神という言葉が何回使われているか数えてみたら40ほどありました。
最後に申しておきたいことがあります。私たちがコヘレトと一緒になって、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と唱えながら、そこから抜け出せないまま一生を終えるとするなら、それはとても残念なことです。逆に、人生のしっかりした基盤がないまま、ただ若さと夢と希望に生きるというのもたいへん危うい、もろいことです。むしろ私たちは、コヘレトが知らなかったことを示されていることを喜びたいと思います。神であられるイエス・キリストは人となってこの世界に降りて来られ、十字架の死に至るまで人と共におられました。キリストは、コヘレトが体験した究極の空しさも体験されたのです。
とすると、そこから解放される道も示して下さったということではないでしょうか。結論は急ぎますまい。どうか私たち皆が自分の人生をかけてコヘレトの言葉を学ぶことが出来ますようにと願います。
(祈り)
天地の造り主であられる神様。神様は私たち人間に命を与えて下さいました。神様の前で生きる人生を与えて下さいました。しかし私たちには神様のなされることがわからなくなるときがあります。目の前にある苦しさに押しつぶされて、自分の人生っていったい何だと思ってしまうことがあるのです。こんなことは不信仰ではないかと思いつつも、そこからなかなか出ることが出来ないのです。そしてどんなに素晴らしい、幸せな人生を送った人にも、死は平等に訪れます。私たちは今日コヘレトの言葉によって、またしても人生の空しさということに直面いたしました。私たちは思います。神様がご支配なさる世界がなぜ空しさにおおわれているのでしょうか。これも神様が人間に与えたものならば、どうかこれを超える道、空しさを超える人生を示して下さい。その時こそ、人生の空しさで悩んだことも、神様からの恵みであったと気がつくでしょう。
今この日本には、神様を知らず、人生の空しさに悩み、苦しんで、自ら命を断ってしまう人も少なくありません。しかし私たちには、空しい人生の中でどんなに悩み、苦しんでも、神様がおられ、神様が遣わされたイエス・キリストがおられることを感謝いたします。どうか広島長束教会と全国の教会を強め、悩み苦しむ多くの魂の前に救いの道を開いて下さい。
主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
空の空
コヘレト1:1~11、マタイ27:45~46 2016.8.28
今日から、ご一緒に「コヘレトの言葉」を学んでゆきたいと思います。
コヘレトとは耳慣れない言葉ですが「集会を召集する者」とか「集会の中で語る者」を意味する言葉です。これまで「伝道者」と訳されることが多く、そのためこの文書も「伝道者の書」とか、口語訳聖書のように「伝道の書」と呼ばれてきました。ただ、その内容からは、どうも伝道という言葉から受け取るものとは違った感じがいたします。もしも、これから信仰を持とうかと考えている人たちの前で、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」などと語ったら、ちょっと伝道にはならないんじゃないかと思うのです。ここには伝道というより、むしろ、それまであった伝統的な信仰を問い直そうとしているところがあるようです。そこから何が見えてくるかは一回一回の礼拝説教で明らかになることとして、「伝道の書」という呼び名ではその内容を適切に表しているとはいえないと考えられるようになりました。そこで最近では、コヘレトという言葉を固有名詞として扱って、「コヘレトの言葉」と呼ぶことが一般的になってきています。
コヘレトとは集会を招集する者、集会の中で語る者なのですが、それが誰であったかのヒントがあります。1章1節をご覧下さい。「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」と書いてあります。また1章12節にも「わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた」とも書いてあります。そのためこの書の作者は、永らくダビデ王の跡を継いで2代目の王となったソロモンであると考えられてきました。…ただ、ここに出てくるコヘレトとソロモン王を同一人物と見なすことが出来るのかという問題があります。現在、これはあくまでもソロモン王の著作だと主張する学者がいますが、一方、これは無名の作者が自分をソロモン王になぞらえて書いたのだという説があり、こちらの方が有力になっています。ソロモン王の生涯は列王記などに書いてあるので、皆さんは、コヘレトの言葉に書いてあることがソロモン王の一生と一致するかどうか、実際に聖書を開いて読み比べてみるのが一番良いことと思います。
さて、コヘレトの言葉の中で、何といっても一度聞いたら忘れられないのが2節の言葉です。「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。」これがコヘレトの第一声で、コヘレトの言葉全体に、繰り返し繰り返し主題歌のように流れています。コヘレトは、この言葉が、好むと好まざるとに関わらず自分とあなたがたすべての人生の主題歌だと言っているのです。
「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。」これは口語訳聖書では「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」となっており、こちらの方が頭に焼きついている方もいらっしゃるでしょう。昔の文語訳聖書では「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」となっていました。そこで本日の説教題は「空の空」といたしました。
口語訳聖書も文語訳聖書も、なぜ「空(くう)」という言葉を持ってきたのでしょうか。ためしに漢和辞典で「空(そら)」の字を調べてみると、そらの他にむなしい、うつろ、むだなどの意味があり、最後に仏教用語としての「空(くう)」がありました。むかし聖書を翻訳した人たちは、仏教用語の「空(くう)」を持ってきたのではないかと思います。
仏教でいう「空(くう)」の思想は深遠で、私も聞きかじりしたことをお話しするだけしか出来ませんが、般若心経には有名な「色即是空」という言葉があります。色(しき)とは目に映るものすべて、人間を含めた現象世界ですが、これは永遠の実体ではない、すなわち空であると言うのです。仏教では、一切のものが空であるということを知ることで達観する、そこに迷妄からの解脱があり、悟りが生まれると言っているようです。
そこでコヘレトの言う「空しさ」とか「空」ですが、これはヘブル語ではヘベル、元の意味は「息」です。息をするの息、詩編144篇4節に「人間は息にも似たもの、彼の日々は消え去る影」と歌われています。「息」は現れてはたちまち消え去ってしまう、はかないものにすぎません。コヘレトは、人生は息のようにはかなく、むなしい、そればかりでなくこの世の一切のものもそうだと言うのです。ここには言いようがないまでのむなしさがあります。
仏教では一切のものが空(くう)であるとしても、これを否定的なものとしては見ていません。むしろ肯定的なことで、そこのところから本当の人間の自由が始まると考えているようですが、これ以上のことはお坊さんに聞いて下さい。…コヘレトは、すべてが空しいということを肯定的な意味で言っているのではありません。だからそれは、仏教のようにすべてが空しいというところで達観して、人生を明るく生きなさいなどと勧めているのでは決してありません。これは人を行きどまりの道のような、一寸先も見えないような所に引っぱってゆく言葉です。
コヘレトは、この書全体の主題歌、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」を語ったあと、これを具体的に実証して行きます。
「太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう」。
コヘレトは、地上での私たちの人生とその労苦にいったいどんな意味があるのかと問うのです。早い話が、人生でどんなに労苦したって、何にもならないではないかということです。人はだれもが死という定めを背負っていますから、どれほど力を尽くして働いたとしても、死によってすべてが消えてしまう。とどのつまり、人生は生きるに値するのかと言うのです。
「一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地」。
一つの世代が去り、また一つの世代がやってきます。時の過ぎ行くままに現れては消えてゆき、そして忘れ去られる、それが人間の現実です。しかし大地は変わりません。人間の営みがいかに空しいものかと思わせられます。
「日は昇り、日は沈み、あえぎ戻り、また昇る」。ここから「日はまた昇る」という小説が生まれたそうです。いつも同じことを繰り返し、無意味な現象が未来永劫に反復されるだけのような大自然の中にぽつんと置かれた人間も、同じように無意味なことを繰り返して生きているに過ぎません。
こうしてみますと、風がただ南に北に、めぐり巡って吹いていることも、空しさのきわみです。いったい風の動きに何か目的があるのでしょうか。意味もなくただ行ったり来たりしている、それはただ忙しく動きまわっているだけの人間の姿を彷彿させます。
「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく、どの川も、繰り返しその道程を流れる。」古来、川は人生の象徴でした。日本でも鴨長明が「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」と書きました。コヘレトも、いつも同じようにただ海に向かって流れてゆく川に、人間のあわれな姿を見たのです。
コヘレトは「何もかも、もの憂い」と言います。高齢の方や、人生で苦しみ、悩みを重ねて来られた方なら、コヘレトの思いに共感できるのではないでしょうか。もっとも今の日本では、若い人たちや子供たちの中にまで、こういう思いが入りこんできているかもしれません。
「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。……見よ、これこそ新しい、と言ってみても、それもまた、永遠の昔からあり、この時代の前にもあった」。
いくつか例をあげてみましょう。
だから人々の苦しみを見かねて立ち上がった革命家だというような好意的な見方もないわけではありません。しかしそうだとしても、その手を血で染めた人物には違いありません。ここで、聖なる正しい方イエス様に代えてバラバを選んだことの愚かさが突き付けられています。同じようなことはいつの時代にも起こっています。
神の僕イエス様は、神から栄光を与えられた方、聖なる正しい方、そして命への導き手であられます。「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいました」。ここではイエス様が命の根源という意味で考えられています。この方から命が流れて来るのです。…とすれば、イエス様が殺されてしまったら、命に至る道は断たれてしまったのでしょうか。また、こともあろうにこの方を十字架につけるという大罪を犯してしまった者たちは、滅ぼされるしかないのでしょうか。…普通に考えればそうなります。ペトロの説教を直接聞いていた人々の内の多くが、そのような恐怖感を持ったことだろうと思います。…しかし、そうではありませんでした。大罪を犯した者たちにもう一度悔い改めへの呼びかけがなされるのです。
ペトロはおごそかに宣言します。「神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。」
ここでは、自分たちはイエス様の復活の目撃証人だということが言われています。これだけでも大きなことです。しかしながら、これは、ペトロが見た事実を語っただけの言葉ではありません。
死者の中からの復活には特別な意味があります。それはイエス様おひとりが復活なさったということではありません。そうだとしたら、復活とは歴史上イエス様だけに起こったことであって、その他すべての人には関係ないものになってしまいます。
そうではありません。ここで死者の中からの復活とは、その初穂であるイエス・キリストから始まったということも含めて、言われているのです。
その時まで、人は最後には死に呑み込まれてしまい、死の力に抵抗することは出来ないと考えられていましたが、イエス様の復活は、彼を信じる者たちをも死から命へと引っぱりあげるものであるのです。…しかも、その場所にいたのは、命への導き手を殺し、どこまでも死と滅びの内に落ちて行こうとする者たちでした。これほどの大罪を犯したからには、神の罰を受けて滅ぼされても文句は言えません。…しかし神は、命への導き手を殺した力をこの方を復活させることによって逆に滅ぼされました。死の力に勝利されたことを世界に宣言された神様は、今度はご自分の前でふるえている罪びとに対して救いの道を提供されたことを、私たちはしっかり見ておきましょう。
ここでペトロの説教は、先ほど起こった奇跡に帰ってきます。「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。」
ペトロは、あなたがたが殺したイエス様を復活させた力がここに働いていると言うのです。…生まれつき足の不自由な男を立たせて、神の子の一人としたのは、ペトロたちのイエス様への信仰によるものです。その信仰とはペトロたちの持っている力ではありません。自分が、自分がではなく、空の手を持ち上げてイエス様をお迎えするところにイエス様が生きて働かれたのです。その力を見たあなたがたは、罪を悔い改め、新しい命に生きよ、チャンスはまだある!
ペトロの呼びかけに、皆さんも耳を傾けて頂きたいと思います。
(祈り)
憐れみに富みたもう天の父なる神様。私たちは今日、昔のイスラエルの人たちに語られた勧告を、自分にも語られたこととして聞くことが出来ました。
イエス様がおられる所で「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫び、イエス様に代えて人殺しのバラバを選んだ人たちは、ペトロの説教を聞いて魂を震撼させたのではないでしょうか。私たちは直接その場にいなかったとはいえ、その人たちと大して変わりありません。違うとすれば、自分に突きつけられた罪に対して鈍感なことで、そのためにせっかく神様が提供して下さった救いに対してもこれを見過ごしにしがちであるということです。
神様、時代と場所を超えて、今も生きて働いておられるイエス様に対して、私たちはどうあるべきかということを教えて下さい。イエス様が愛しておられる人を愛し、イエス様が憎んでおられる罪を憎むことが出来ますように。そのことによって、人生の厳しさに打ち勝たせて下さい。
神様、私たちにイエス様の名前を信じる信仰を与えて下さい。救いの道は開かれています。しかし私たちは自分でその道を閉ざしてしまうことが多いのです。こんな私たちを神様は歯がゆく思っておられる、いや怒りを込めて見守っているような気がします。どうかイエス様に免じて、私たちの神様への反逆を押しとどめ、罪を滅ぼし、そこに信仰の喜びをお与え下さい。
とうとき主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
イザヤ52:13~53:5、
使徒3:11~16 2016.9.4
天の父なる神様は今、み言葉を聞き、み名を賛美するために集まっている私たちの群れのことを、ご覧になっていることでしょう。私たちがこうして礼拝できることはまことに天から頂く恵みです。主イエスが命をかけて切り開いて下さった信仰の道がなければ、私たちはここにいることは出来ません。神様はどんな人間もなしえぬことをなしたもうお方であられます。太古の昔、世界を創造し、そこにみ子を送って下さった神はいまご自分を信じて生きる者を起こそうとなさっています。私たちの不信仰を打ち砕く神様の力を信じて、み言葉に耳をすます時を持ちましょう。
前回、私たちは生まれながら足が不自由で、神殿で物乞いして生きていた男が使徒ペトロとヨハネと出会って、歩くことが出来るようになったところを学びました。その人は歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、使徒たちと一緒に境内に入って行きましたが、それは彼が足をいやされただけでなく、何より大切な信仰をも与えられたことを示しています。民衆は彼の身に起こったことを知って、我を忘れるほどに驚きました。
今日のところに入ります。この人が二人の使徒につきまとっていたのが「ソロモンの回廊」と呼ばれる所で、そこに民衆が集まってきました。4章4節によると「二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」ということです。実際には女も子どももいたわけですし、話を聞いたけど信じなかった人もいたかもしれません。この人たちに対して、ペトロがマイクもなしに語った説教が12節から書いてあるわけです。私たちはこれを3回にわたって学んで行くことといたします。
まず全体的なことからですが、ペトロの説教はこれが2回目となります。1回目というのはペンテコステの日、天から聖霊が降ってきて、そこから始まった出来事に驚いて集まってきた人たちに向かっての説教です。今回は、足の不自由な人が自由に歩けるようになったのを見て、驚いて集まってきた人たちに向かって説教しており、状況がよく似ています。また説教自体、両方とも、あなたがたがイエス様を殺したのだということと、このイエス様を神は復活させられたのだということを語っていますから、内容的にたいへんよく似ています。しかし、だからと言って学ぶ必要がないとは言えません。大事なのはそこで語られた教えです。
キリスト教会2000年の歴史の中では、初代教会の素晴らしさを見るにつけ、それに比べて今の教会は…、と嘆くことがよくあったものと思われます。
しかし、昔と今を比べて嘆くことは、あまり意味がありません。…神様は初代教会には特別な保護を与えていました。その一例が、使徒たちが奇跡を行うことが出来たことです。後の教会は同じことをしようとしても出来ません。…しかし、奇跡を通して指し示されたものは後の時代にも受け継がれています。それが使徒たちの口から語られた教えです。これを教会は2000年保ち続け、現代に至っています。これこそが最も大切なものです。
かりに広島長束教会が、社会の変化に伴う何かのブームに乗っかってどんどん成長していったとしても、ひとたびブームが去ると衰退してしまいます。しかし、教えの根本さえしっかりつかんでいるなら、良い時も悪い時も含めて、教会はこの世の中でしっかり立ち続けて行くのです。それは私たち一人ひとりにおいても同じです。
今回の説教で、ペトロはまず、「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか」と問いかけました。奇跡を目の当たりにした人たちは、これが使徒たち自身の持っている力や信心の深さによるものだと思ったのです。平たく言えば、二人を見てすごいと思ったのです。しかし、ペトロはこれを否定します。自分たちではない、イエスという御名にこそ力があって、それがこの人をいやした、ということで、だから16節で、「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました」と言い切るのです。…ただしそのことは、イエスという名前に何か魔術的な力が宿っているということではありません。イエスという名前を持っているお方が、ここにおられて、働きたもうということです。…もちろんそれは、イエス様がここで目に見える形で現れておられるということではありません。見えなくても良いのです。見えなくてもおられるのです。それは、聖霊においておられると言っても良いでしょう。
その名が呪文のように唱えられることで力が働くというのではありません。信仰をもってイエス様を受け入れるところに、この方は主としておいでになり、働かれます。このことは2000年後の私たちの上にも起こっています。…足の不自由な男の上に奇跡が起きたことは、そのことを指し示すしるしなのです。
ペトロの説教は、18節からいわば本論が始まります。私はそこに出て来る一つひとつの言葉を見て行きたいとも思ったのですが、そうすると時間的にとても無理なので、大事な言葉を二、三取り上げて、それを手がかりに説教全体のメッセージに迫って行くことにいたします。
その初めが13節の「僕イエス」という言葉です。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。」
「僕イエス」というのは、「主イエス」とか「御子イエス」という、教会ですでに定着してしまった言い方に比べ、聞きなれない言葉です。しかし26節にも「御自分の僕」という言葉があるように、初代教会においては使用頻度の高い言葉だったようです。
今日は、イザヤ書の言葉を朗読しました。イザヤ書52章の13節は「見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。」と言います。わたしの僕とはもちろんイエス・キリストのことです。神の僕イエスは高く上げられ、あがめられました。…しかしこの方は、「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった」ということを、身をもって体験しなければなりませんでした。
もう一つ、フィリピ書2章6節から。これはキリスト賛歌と呼ばれているところですが、ここにもイエス様が僕であることが書かれています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
イエス様は神であり、父なる神と等しいお方でしたが僕の身分となり、人間の姿となってこの世界に現われ、人間と苦楽を共になさいました。神であるにも関わらず死を体験されました。それも十字架の死を体験されたのです。
使徒言行録に戻ります。13節、神は「その僕イエスに栄光をお与えになりました。」ここで「栄光をお与えになりました」と言うのは、イエス様は生前、すなわちキリストであられることが隠されていた時、すでに栄光を得ておられたという意味です。…見たところ、普通の人と変わらないのでわからない人にはわからなかった、けれども信仰をもってみ言葉を聞く者には見えたのです、栄光が。しるしとしての奇跡も行われました。
「ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し」。あなたがたはイエス様を神の僕とは認めず、キリストだと認めることを拒否し、ピラトが釈放しようとしていたのにそれに反対し、十字架につけてしまったのです。
「聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。」イエス様こそ聖なる正しい方です。聖なるということも、正しさということも、イエス様を見ないで、つかみとることは出来ません。一方、人殺しの男とはイエス様のかわりに釈放されたバラバです。彼についてはルカ福音書23章19節に「都で起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである」と書いてあり、単純な殺人犯ではなく政治犯だったのかもしれません。
今やメシアであることが明らかになったイエス様は、ご自分を殺してしまった者たちの罪を無知のためであるとして赦し、父なる神様の前にとりなして下さるのです。これは、信じられないほど大きな恵みに違いありません。そこにいた人たちは、すぐには信じられなかったかもしれません。イエス様はこの恵みを与えるためにとうとい命を差し出して下さったのです。だから、もしもそこにいた人々が、これほどの恵みを投げ捨てるとしたらそれはもってのほかのことでありまして、ここまで来たからにはイエス様の愛に応えて、罪が消し去られるよう、悔い改めて神に立ち帰る以外にないということになのです。
さて、これまでペトロの説教をイスラエルの人たちに向けられたものとしてお話ししてまいりました。ペトロから直接話を聞いたのはイスラエルの人たちです。しかし私たちは、イスラエルの人たちが聞かされたことを今度は自分に向けて語られたこととして受け取らなければなりません。なぜなら私たちはこの人たちの子孫であるからです。血のつながりがなくても、罪から救われなければならないということにおいては、私たちはこの人たちとかわりありません。
ペトロは、「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と言います。私たちもこの言葉に従いましょう。なぜなら私たちも、彼らと同じようにイエス様をメシアとは認めず、この方を殺してしまったからです。ただ、2000年前のエルサレムにいたのでもない私たちがどうしてイエス様を殺したと言えるのか。それは、罪とはその本質において神を殺すことだからです。
私たちは直接イエス様を十字架につけたわけではありません。いばらの冠をかぶせたり、「十字架につけろ」と叫んだのでもありません。しかし、ここにいる誰も、自分は罪を犯したことがないと言うことは出来ないのです。神様の前に胸をはることの出来る人など誰もおりません。小さな罪であれ大きな罪であれ、その罪を忘れていても覚えていても、罪という罪はみな神を殺すことに向かって行きます。キリストを十字架につけることに向かって行きます。
人は神に背き、神のみこころに反することを思ったり、行ったりするたびに、ほかならぬ神を玉座から押しのけ、神の権威を否定しているのです。心の中で神を殺しているのです。
それでも無知のために罪を犯したというなら、まだ救いの道があるでしょう。もしも神様のことを全く聞かされなかったとすれば、信仰のことなど考えたこともなかったすれば、罪がどんなに恐ろしいか知らないわけですから、知らないで犯した罪に対して情状酌量もあるでしょう。ところが無知が蔓延していた時代は終わりました。世界中に福音が宣べ伝えられる時代となりました。まして私たちは教会に集められ、神を礼拝し、み言葉と聖餐の恵みにあずかっています。もはや無知であるとは言えないのです。それなのに、まだ罪に心をひかれているようなら、こんな私たちに対して、使徒たちなら今度はこう言うでしょう。「かつてあなたが暗闇の中でしたことを、今度は明るみの中でするのですか」と。
私たちも以前は無知であり、暗闇の中を歩む者たちでした。しかし今はそうではありません。昔に帰ることは出来ません。私たちはすでに天からの光が注がれている中にいるのですが、それでもサタンのいるところになびいて行こうとするなら、その姿はちょうど頭隠して尻隠さずというのに似ています。そんな人についてイエス様は教えています。「わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。」(ヨハネ15:22)言い逃れする道は閉ざされているのです。だから、使徒たちは光に背を向けている人に向かっても同じように言うでしょう。「自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい」と。これは私たちみんなに向けられている言葉です。私たちも決断しなければなりません。自分の中にある罪を憎むか、それとも罪と妥協し、あるいは罪を愛してそちらと一緒になってしまうか。二つに一つでその中間はありません。人がもしも罪を憎むなら、神様はその人を愛されます。しかし罪と妥協して、一緒になってしまうなら、神様が見えなくなるところまで行ってしまうことでしょう。
最後に20節の「主のもとから慰めの時が訪れる」というところですが、その時、「主は、メシアであるイエスを遣わしてくださ」います。また、そのあとに「このイエスは、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。」と書いてあるところから見ると、イエス様が遣わされるのが終わりの時であることがわかります。
それは世界のすべてが神の祝福の下に置かれる時です。未だ実現してはいませんが、いつか必ず訪れる時、主なる神が下さる慰めの時です。この時を迎えるために、まずイスラエルの民が神とイエス・キリストに立ち帰らなければなりません。そのためにまず彼らに福音が宣べ伝えられたのですが、これまでのところイスラエルの民はイエス様を信じず、その務めを果たしていません。この先どうなるかはわかりませんが。
イエスをメシア、キリストと信じ、教会に結集する者たちは新しいイスラエル、神の民と呼ばれます。私たちもその中にいる神の民は世界に拡がり、それぞれの地で、無知のためにイエス様を痛めつける人と対決しながら、地の塩としての役目を果たし、主のもとから来る慰めの時を待ちつつ、歩んでいるのです。世界の希望と慰めの根拠は教会にあります。これは大げさなことでも何でもありません。私たちもそこに属する者として、悔い改めつつ常に神に立ち帰る人生を進んで行く者でありますように。
(祈り)
アブラハム、イサク、ヤコブの神様、それゆえ私たちの先祖の神でもあられる神様。私たちは今日、イスラエルの人たちに語られた勧告を、自分たちにも語られたこととして聞くことが出来ました。
神様はこれまで、無知な時代に無知な人々が犯した罪を大目に見て下さいました。私たちがイエス様と出会う前に犯した罪も、イエス様に免じて、無知のためであったと認めて下さることを感謝します。しかし、これからはそうは行きません。イエス様を信じると言って、洗礼を受けても、罪はあとからあとから襲ってきます。表では信仰者を装いながら、実は罪と妥協していることがありますし、罪と妥協しなければ生きていけないのかと悩むことがたくさんありますから、神様、どうか私たちに蛇のようにさとく、鳩のように素直な心をお与え下さい。こうして本当の神様を知らない多くの人たちの中でも、神様の愛と正義に生きる者として下さい。
神様、いま広島はカープのリーグ優勝で沸き立っています。神様が広島の人々に喜びと希望を与えて下さったことを感謝すると共に、その喜びと希望がさらに神様と神様が遣わして下さったイエス様へと向かって行くようにと、心から願います。主の御名によって、この祈りをみ前にお捧げします。アーメン。
これから先、日本もアジアも、世界全体も、ますます混沌とした時代になっていくことが危惧されるのですが、こうしたこととヨブ記で言われていることは無関係ではありません。つまり、今のこの世界にもベヘモットやレビヤタンが跋扈しているのです。
ただし、そのことは、世界がこのまままっすぐ破滅に向かっていくことを意味しません。神はベヘモットについて、ご自分がこの獣を造ったと言われました(40:15)。またレビヤタンについて語った言葉の中で、「天の下にあるすべてのものはわたしのものだ」(41:3)と言っておられます。つまり混沌を象徴する怪獣がどんなに巨大で、また恐ろしいものだとしても、それは神が造られたものであり、それゆえに神のご支配の下に服しているのだということです。ヨブの時代にも、また現代でも、そのことは変わらず真実であり続けます。
ヨブは善人であったにもかかわらず、その身につりあわない苦しみを受けました。悪人が栄える一方、正しい人が落ちぶれてしまうということがあったし、強い国が弱い国を容赦なく攻め滅ぼしてしまうことがありました。この時代は混沌とした時代でした。しかし、それが世界の決定的な破滅にならなかったのは、神がそれでも混沌の怪獣を抑えていたからです。
現代ではどうでしょうか。毎日のように衝撃的なニュースを見聞きしていると、もはやこの世の終わりではないかと思ってしまうこともあるかもしれません。すでに末期的な出来事が世界的な範囲で進行しているのかもしれませんが、それが例えば核戦争のような破局に帰着するのかどうか、…世界の将来がどうなるか断言することは出来ませんが、少なくとも、やられたらやりかえせ、殺されたら今度は相手を殺すという復讐の連鎖の中で、死中に活路を切り開くことは出来ません。混沌の怪獣が世界をいくら脅かしていても、これを支配する神がおられます。だから神なき解決法は火に油を注ぐだけに終わってしまいます。だから世界は再び神に立ち帰り、神にこそ自分の行く手をゆだねなければならないのです。
神は、ご自分の創造のみわざをくりかえしくりかえしヨブの前に示されました。…神が世界を造られました。そしてヨブも造られました。沈黙を破ってついに現れた神は、ヨブに向かって立て続けに質問を浴びせます。「わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。」、こういう質問をされた時、ヨブは答えることが出来ません。それは神が大地を造られた時、ヨブが生まれていなかったからですが、理由はそれだけにとどまりません。地球が出来たのは46億年前ということですが、神が気が遠くなるほどの年月をかけ、渾身の努力を傾けて天地創造のみわざを続けられた、そこに人間は参与していないということです。神が大地を造られてからはるかあとの時代になって生まれ、短い人生を生きて、あっと言う間に飛び去ってしまうのが人間です。
この民族にははるか昔からメシアが与えられることが約束されておりました。例えば「ひとりのみごりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」(イザヤ9:5)というのはたいへん有名で、クリスマスの時によく読まれところです。ただ神の約束はそれ以外にもたくさんあるのです。今日朗読した申命記のところもその一つです。
ペトロが引用したところを読んでみます。「あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。この預言者に耳を貸さない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。」
モーセについては皆さんはご存じと思いますが、それまでのイスラエル民族の間で彼ほどの人物はいませんでした。もちろん預言者というのはモーセだけではなく、他に何十人もいるのですが、モーセのように神と直接語り合い、神と人との間に立ってとりなしの仕事をするような人はいませんでした。出エジプト記には、神がご自分に背いたイスラエルの人々のことで怒って、この民族を滅ぼさんとした時に、モーセが必死になって神にとりなしをしたため、神は怒りを鎮め、民は滅ぼされずにすんだという話が何度も出てきます。歴史の上でモーセに迫るような預言者は現れませんでした。しかも旧約時代、最後の預言者マラキのあと、イスラエルには預言者は与えられなくなり、すなわちみ言葉に対する飢饉という状況が400年も続いていたのです。…ただ、メシアが与えられるということは誰もが信じていました。ヨハネ福音書4章にイエス様がサマリアの女と会う場面がありますが、その時、女は言いました。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」(ヨハネ4:25)この女性は特に信心深かかったわけでもないし、学識があったわけでもありません。しかもユダヤ人から嫌われていた兄弟民族のサマリア人だったわけですが、その人でもメシアが来られることを知っていました。それほど神の約束は広く知れわたっていたのです。
しかし本当にモーセのような預言者、正確に言うとモーセを超える預言者であるイエス様が現れた時、人々はこの方をメシアとは認めませんでした。
ペトロはイスラエルの人たちに告げます。あなたがたは神の僕で聖なる正しい方、命への導き手を殺してしまったのです、と。…これを聞いた人々が、自分たちは何百年も待ち望まれていたメシアをその手で殺してしまったということを知ってどれほどの衝撃を受けたか、想像に難くありません。…では、人々はなぜそれほど恐ろしいことをしてしまったのでしょうか。
もしも教会でイエス・キリストの十字架の死について語られず、そこから目をそらしたような話ばかりがされていたとしたら、それは教会とは言えません。人をしてキリストの死と直面させることが、福音の宣教にとって最も重要なことです。パウロはのちに「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」(Ⅰコリ1:22~23)と書いていますが、そのことを言っています。使徒たちの前にいるのは、キリストの十字架の死に直接関与していた人たちでした。「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ人たちです。みんな取返しがつかない失敗をしてしまったのです。こうしてメシアが殺されてしまった以上、みんな、神様から滅ぼされても文句は言えないのか、……そうではないということが教えられます。
「ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしたちは分かっています。」
この言葉を人々は地獄に仏、いや地獄に神様のような思いで聞いたのではないかと思います。これは、知らないでやったことなのだから赦されるということです。……もっとも、それでは甘すぎる、知らないでやったことでも罪は罪なんだという人がおられるかもしれません。ただあまり難しいことを考えないで聖書を調べてみると、すでに十字架上のイエス・キリストご自身が「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23:34)と祈っておられるのです。ご自分を殺した者のためになされた主イエスの祈りが、ここでのペトロの言葉にも反映されているのですが、私たちはこれをイエス様が思いやりのあるお方だったというような人情のレベルで判断してはいけません。もとよりイエス様は思いやりのあるお方であって、私たちが当然見倣うべきところでありますが、もっと大事なことは、イエス様がすべての人のための仲保者、神の前に人間の罪をとりなしたもうお方であられるということです。
こんにちの世界を見るなら、人間は宇宙にまで飛んでゆく能力まで獲得出来たのに、目の前で起こっている戦争を止めることを出来ません。社会はますます息苦しくなっているのかもしれません。私たちにしても、かりに万巻の書を読み尽くしたとしても、そこには空しさしか残らないのではないでしょうか。コヘレトなら、知恵と知識が人を救えるわけではないと言うことでしょう。
こうしてコヘレトは知恵と知識の探究に区切りをつけるのですが、さてここから、私たちもこれに習おう、勉強はもういいんだ、知恵と知識の習得に意味はないという結論になるでしょうか。……実はそうはなりません。コヘレトは紀元前のイスラエルで、つまりキリストがまだおいでにならないという時代的制約の中で最大限の努力をしましたが、私たちにはこの人が探り当てたさらに上を目指してゆくことが求められているのです。
私たちにはコヘレトの知らなかったものが与えられています。それは新約聖書の教えです。パウロの書いた第一コリント書の8章2節を見ましょう。「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は知らねばならぬことをまだ知らないのです」。
このことはまず、「わたしは知恵を深め、大いなる者となった」と言っているコヘレトの知らないことでありました。どんなに学問をきわめた人であっても、知らないことがあるのです。コヘレトの心は知恵と知識を深く見極めたと言うのですが、それは彼の思い過ごしでしかありません。多くの一流の学者が言っているように、深く見極めたというその先に、さらに大きな世界の謎が拡がっているのです。…それでは本当の知恵と知識はどこにあるのでしょう。第一コリント書1章25節に「神の愚かさは人よりも賢く」とあります。神のなされることがたとえ人間に愚かに見えたとしても、神はどんなに知恵のある人よりはるかに賢いのです。そのことは人間にとって悔しく、嘆かわしいことではありません。
かえって大いに喜ぶべきことなのです。人間がどんなに知恵をふりしぼっても、神のおられるところにたどりつくことは出来ません。…神様抜きの人間の知的な活動はある程度のことはなしとげることが出来ますが、結局堂々めぐりになるか、恐ろしい破局を招くものとなるでしょう。バベルの塔の物語から福島の原発事故までがそのことを物語っています。……しかし、神のうちに本当の知恵や知識があることを認め、それを求めてゆくとき、コヘレトの陥った空しさの底を突き抜けることが出来るはずです。……このように言うと、いつも同じ結論だと思われるかもしれませんが、それが本当である以上何度でも言わなければなりません。第一コリント書1章30節の言葉を読みます。「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです」。
知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないという、コヘレトがたどりついた結論は、最終的には神の子イエス・キリストによらなければこれを打ち破り、解決することは出来ません。イエス・キリストの言葉と行いそのものが本当の知恵であり知識であるからです。
「すべては空しい」と言いますが、キリストは空しさのきわみを生きられたのです。「人生は不可解なり」と言いますが、キリストの人生こそ不可解そのもの、その究極の姿ではないでしょうか。しかしキリストは勝利されました。死で終わってしまう人生に、死をもってしても終わらない命を注入なさいました。そのことは、キリストにあって知恵と知識は滅びないということです。
いま知恵と知識を深く見極めることとは、私たちにとってキリストを知ることです。そこに立ってみる時、知恵も知識も、これを獲得しようとする努力も決して空しいものではありません。かえって人生を喜びの内に全うさせ、世界を救うものとなることを信じましょう。
(祈り)
主なる神様。私たちはコヘレトほど一生懸命、世界に起こることのすべてを知ろうとしたことはありません。昔はそういう気持ちも少しはあったのですが、面倒くさくなってやめてしまったのです。それなのに自分は何でも知っているという気持ちがありまして、自分がちょっと知っていることについては得意になり、知らないことについてはそんなこと知っていてもしょうがないと思いがちです。
神様、どうか自分が知るべきことを知っていないという謙虚な思いを与えて下さい。そして、それと共に本当の知恵と知識を求める心を起こして下さい。
忙しい現代社会にあって、私たちの前に有用な、また無用なありとあらゆる情報が入ってきます。よほどしっかりしていないと私たちは情報に流され、踊らされてしまいます。誰かが煽り立てた不安に乗せられることもあります。神様が与えて下さる知恵と知識が横に追いやられた結果、荒波に漂う木の葉のように揺れてしまうのです。しかし本当に神を信じ抜いているものはゆらぎません。
神様、イエス・キリストにあるものが、決して空しくはない、永遠に滅びることにない知恵と知識であることを感謝します。どうか私たちがイエス・キリストを学ぶ続けることが出来ますように。それをもって人生の苦しみ、空しさと狂気に打ち勝つことが出来ますよう、私たちを憐れみ、恵みをもって導いて下さい。
主の御名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
コヘレト1:12~18、Ⅰコリント1:30~31 2016.9.18
一度この悩みに取りつかれたが最後、もとの安定した状態に戻るのは至難の業だというたいへん厄介な悩みがあります。
それまでごく普通の、落ち着いた生活をしていた人が、何の因果かこの悩みに取りつかれてしまうと、とたんにそれまでの生活が出来なくなってしまい、その結果、道を踏み外してしまうということが起こります。どうして安全な道を歩かないのか、そっちの道は危ないから行くな、と言っても聞きはしません。そうして、ほとんど手にしかけていた人生での成功を取り逃してしまうということも少なくありません。中には命を失った人もいます。
では、それはいったい何の悩みかということになるのですが。なんと言いましょうか。それまで当たり前だと思っていたことが何もかも信じられなくなると言ったらよいでしょうか。…ひとつの例を紹介しましょう。私が日光の華厳の滝に行ったときのことです。今は亡き私のおじいさんが指差して、「藤村操はあそこから飛び込んだんだ」と教えてくれました。藤村操という人は1886年、明治19年に、「万有の真相はただ一言にして尽す、いわく『不可解』」と書いてここで投身自殺をしました。この人の死は「人生は不可解なり」という言葉と共に、社会に大きな衝撃を与えたのです。……普通の人はそこまで思いつめることはありません。人生は不可解であるという思いはあったとしても、仕事や家庭のことに追われて、そんなことを考えるひまがないのです。逆にそんなことを考えていたら、まともに生活することは出来ないでしょう。
今日の日本では、仕事でも勉強でも、与えられた課題を効率的に仕上げてゆくことが求められますから、受験生が「自分はいったい何のために勉強するのか」と、そればっかり考えていたら勉強になりません。セールスマンが「これを売りさばくことが、いったい宇宙全体の歴史の中でどういう意味があるのか」と考えていたら商売になりません。良い学校に合格したいなら、商売繁盛を目指すなら、職場の上司に認められたいなら、余計なことには関わらない方が良いのです。人生の道を踏み外す危険まであるわけですから、よほど注意しなければならないでしょう。
ところが、どんな時代にも、人生の出来上がった軌道からそれて、この道に入っていく人が必ずいるのです。それは人間の人間たる証しかもしれません。傍目には、その人はわざわざ不幸を選び取ったとしか思えなくても、それ以外に通る道がない、…それどころかあえてこの道を通っていって世界の歴史に大きな光を与えてくれた人もいるのです。たとえばブッダは王子として生まれ、この上ない恵まれた生活をしていたにもかかわらず、この悩みに取りつかれて、すべてを捨てて出家しました。そのことで歴史を切り開いたわけです。聖書にもそのような人が出て来ますが、とりわけコヘレトこそ、その最も典型的な例だと言えるでしょう。
コヘレトとは誰でしょう。12節はコヘレトはイスラエルの王であると書いています。1節にも「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレト」とあるので、永らく、コヘレトはダビデ王の子ソロモンのことだと考えられてきました。
ソロモン王は、その名が周りのすべての国々に知れ渡ったほど有名な人でした。彼は神から与えられた知恵によって賢明な政治を行ったばかりでなく、列王記上5章12節以下によると、「彼の語った格言は三千、歌は千五百首に達した。彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた」ということで、ソロモンの言葉に耳を傾けるために世界中からたくさんの人が集まってきたということです。
それでは、このソロモン王が「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた」にもかかわらず、「どれもみな空しく、風を追うようなことであった」という認識に達したのでしょうか。列王記などを調べてみましたが、そのことを証明するところは見つかりませんでした。それほど深刻に思いつめるタイプには見えないのです。そういうこともあって、「コヘレトの言葉」の著者が本当にソロモン王かどうか疑問視されています。おそらく無名の作者が自分をソロモン王になぞらえて、これを書いたものと思われます。
コヘレトがたとえソロモン王ではないとしても、この人は不可解として思えない人生に意味を見出そうと、この世界に起こることの一切を知ろうとしたのです。……イスラエルには昔からの知恵の伝統があり、またエジプトなど他国の学問もコヘレトは学んだかもしれませんが、この人はそれだけでは満足せず、どこまでも新しい知恵を求め、知識をたくわえていったのでしょう。……しかしそれは大変な仕事で、自ら志したとはいえ苦しみに満ちたことでありました。
コヘレトは「神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ」と言います。ここには深い思いがこめられているようです。世界に起こることをすべて知ろうと努めるのは、苦しく、つらいことにちがいありません。……人はなぜ勉強しなければならないのか。どうしてこんなつらいことを努力して続けてゆかなければならないのか。…これは勉強嫌いの小さな子供から、本に囲まれた大学者まで、みんな心に思うことでありましょう。紀元前6世紀に生きた中国の思想家に老子という人がおります。「大器晩成」というのはこの人の言葉で、たいへん深淵な、驚くべき教えを説いています。私は老子を読んでいて、その中に「学を絶たば憂い無からん」という句を見つけました。「学を絶たば憂い無からん」、これは「学ぶことをすてよ。そうすれば思いわずらうことはなかろう」ということで、私は何かほっとする思いになりました。この言葉は奇しくもコヘレトの言葉とよく似ています。「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す」。確かに本など読まず、何も考えることがなければ、人間は幸せで、社会ももっと平和で、楽しいものとなるのではないでしょうか。老子もコヘレトも、共に「勉強なんかしないでいい」と勧めているのです。
しかし人間はたいがいの場合、小さい時からいやでも勉強しなければなりません。そのことは一方で、科学技術の発展とか文明の進歩といったことをもたらしました。ただそれが本当に人類全体にとって意味があるのかということは、よくよく考えなければなりません。
コヘレトは、「太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった」と言います。そうなった理由は、「ゆがみは直らず、欠けていれば、数えられない」。コヘレトがどんなに考えてみてもどれも空しかった、人間世界にある不条理を正すことは出来ない、ということのようです。
前回も見てきたように、コヘレトには「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」という問題意識がありました。そこから、空しくないものを求めてすべてを知ろうという探究を始めたのですが、知恵と知識をいくら極めても空しさを克服する道は見つからなかったのです。「知恵と知識も狂気であり愚かであるにすぎない」ということでしかありませんでした。空しさを克服できなかったばかりか、かえって貴重な時間を空費してしまい、精神的にも行き詰まってしまうだけでした。いくら勉強し、考え、研究したからと言っても、コヘレトの悩みを解決することは出来ませんし、そのことで人間が幸せになるわけでもありません。
しかし、驚くべきことに、神の正しい裁きを実行したのは、この裁判官なのです。自分の身を守ろうとした彼の利己的な動機を通してすら、神の正義が実現していくのであります。悪と不正が支配しているように見えても、主なる神の御旨だけが成るのです。妨げることは出来ません。それどころか、不正な裁判官の意志さえも、変えておしまいになるのです。
私たちはついつい、真に正しい裁判官であられる方を、まるで、不正な裁判官であるかのように思い込み、どうせ神様は聞いて下さらない、答えて下さらない、祈りなど役に立たない、と言ってしまいがちであります。しかし、不正な裁判官は重い腰を上げました。「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」と主イエスは仰います。「叫び求めている」という言葉は、同じ18章の最後で、エリコの盲人が「ダビデの子イエスよ、私を憐れんで下さい」と叫んだ、という個所でも使われております。つまり、人々に見捨てられて誰にも頼れず、必死に叫ぶ者の叫びなのであります。その叫び声を主なる神がお聞きにならないはずはないのです。
では、後半の「彼ら」とは誰でしょう。「いつまでもほうっておく」と訳された言葉は「辛抱強く待つ」「寛大である」「引き延ばす」という意味を持っておりますから、「彼ら」が選民=選ばれた民であるならば、裁判を引き延ばして選ばれた人たちを長く待たせることがあろうか、となりますし、迫害者であるとすれば、神は悪人どもに寛大にしておられるだろうか、という意味になるでしょう。しかし、不正な裁判官がやもめの訴えを「暫くの間」取り合おうとしなかった様に、神様も、全く別の理由で、正しい裁きを遅らせることがあるのです。それが今なんです。ペトロの手紙二の3章には次のように書かれています。「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」。神がその御怒りを延期しておられるのは、私たちも含めて全ての人々に悔い改める機会を与えておられるのです。
とは言え、主の日は必ず来ます。「言っておくが、神は速やかに裁いてくださる」と、主イエスは仰います。この「言っておくが」というのは、イエス様が結論を宣言なさる時の決まり文句です。神様が急いでおられることは、間違いありません。主は私たちの祈りに答え、敵に報復して下さいます。詩編68編で、詩人はこう歌っております。「神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる」。また箴言の15章には「主は傲慢な者の家を根こそぎにし/やもめの地境を固めてくださる」とあります。本当にそんなことあるんでしょうか?勿論あります。と言うより既に決着はつけられたのであります。神の子イエス・キリストが地上においで下さり、人の子として、私たちと共に歩んで下さり、数々の奇跡とみ教えとによって、御国の到来を告げて下さいました。そして、十字架と復活の出来事によって世に勝利なさいました。だから「ほうっておかれること」はありません。
奪われた正義は、必ず回復されます。その、確かな保証があるからこそ、信じて祈り続けることが出来るんです。しかもその裁きは、決して、私たちの信仰が根拠となって行われるのではありません。
主イエスは最後にこう仰います。「人の子が来る時、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。なんと、この問いは、否定の答えを予期する「~ではないだろうね」という形で問われております。つまり、「人の子が来ても、この信仰を見いださないだろうね」というのです。でもそれは、私たちの信仰が消え失せるだろうというのでなく、信じる力の弱い私たちを、主が憐れんで下さるということなのです。私たちは、この主の問いかけに、何とお答えすべきでしょうか。「信仰のない私をお助け下さい」。そう叫びたいと思います。そして、選ばれた人たちが日夜叫び求めていることを、主はご存知です。やもめはしつこく要求し続け、ついに、裁判官を動かしました。彼のセリフにある「ひっきりなしにやってきて」という言葉を直訳しますと、「終りまで来つづけて」となります。終りまで、終末まで、私たちも執拗に求め続けましょう。「気を落さずに絶えず祈らなければならない」のは、聞いていて下さる方がいらっしゃるからです。この譬え話は「私は耳を傾けて聞いている」という、確かな主の約束であり励ましなのです。
聖書には、これを信じて祈り続けた、沢山の人々が登場します。例えば、ソドムの町を救うため
神に食い下がるアブラハム。「祝福して下さるまでは離しません」と言って神と格闘するヤコブ。民を執成して、神を宥めるモーセ。神に抵抗して、啓示を引き出すヨブ。「パンくずは頂きます」と主イエスに答えたカナンの女。そして誰よりも主イエス御自身が日々祈られ、特に御受難の直前にはゲツセマネで、ゲツセマネというのは「油搾り」という意味ですけれども、まさに油を搾るようにして、血の汗を滴らせて熱心に祈られました。そのような祈りは信仰の偉人だけのものでしょうか?
主イエスは最後にこう仰います。「人の子が来る時、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。なんと、この問いは、否定の答えを予期する「~ではないだろうね」という形で問われております。つまり、「人の子が来ても、この信仰を見いださないだろうね」というのです。でもそれは、私たちの信仰が消え失せるだろうというのでなく、信じる力の弱い私たちを、主が憐れんで下さるということなのです。私たちは、この主の問いかけに、何とお答えすべきでしょうか。「信仰のない私をお助け下さい」。そう叫びたいと思います。
そして、選ばれた人たちが日夜叫び求めていることを、主はご存知です。やもめはしつこく要求し続け、ついに、裁判官を動かしました。彼のセリフにある「ひっきりなしにやってきて」という言葉を直訳しますと、「終りまで来つづけて」となります。終りまで、終末まで、私たちも執拗に求め続けましょう。「気を落さずに絶えず祈らなければならない」のは、聞いていて下さる方がいらっしゃるからです。この譬え話は「私は耳を傾けて聞いている」
という、確かな主の約束であり励ましなのです。
聖書には、これを信じて祈り続けた、沢山の人々が登場します。例えば、ソドムの町を救うため神に食い下がるアブラハム。「祝福して下さるまでは離しません」と言って神と格闘するヤコブ。民を執成して、神を宥めるモーセ。神に抵抗して、啓示を引き出すヨブ。「パンくずは頂きます」と主イエスに答えたカナンの女。そして誰よりも主イエス御自身が日々祈られ、特に御受難の直前には
ゲツセマネで、ゲツセマネというのは「油搾り」という意味ですけれども、まさに油を搾るようにして、血の汗を滴らせて熱心に祈られました。そのような祈りは信仰の偉人だけのものでしょうか?そうではありません。キリストの花嫁である教会は、夫を失ったことを悲しみ続けている、やもめでしょうか。それとも「主は生きておられる」と告白し、主人の帰りを待ちわびる乙女でしょうか。
勿論、後者ではないですか。その教会がキリストの体として立てられる時、聖霊が下されるのです。エフェソの信徒への手紙の6章には「どのような時にも〝霊〟に助けられて祈り・・・根気よく祈り続けなさい」という勧めがあります。私たちは、私たちの中に生きて働いておられる聖霊によって祈るのです。
聖霊が私たちの呻きを執成して下さいます。またパウロは、コリントの信徒への手紙二の4章で、主の霊に仕えるという栄光に満ちた務めを委ねられた私たちは落胆しない、と語っています。
気を落さずに絶えず祈ることを教えるため、譬え話を語って下さった方は、聖霊の賜物を約束して下さった方でもあります。私たちが失望しやすいことを知っておられる主は、気落ちしている私たちに聖霊を送って下さいますから、たゆまず祈り続けましょう。
私たちは、この話のやもめのようでありたい、と思いますけれども、どちらかと言えば、不正な裁判官になりがちなのではないでしょうか。そんな風に、自分勝手に神と人を裁いているけれども、むしろ、その罪を裁かれるべきであった私たちのために、キリストはおいで下さいました。そして「神は速やかに裁いて下さる」と主イエスが宣言された通り、たった一晩の裁判で、主は裁かれ、十字架につけられました。けれども主は復活し、私たちの最大の敵である死に勝利し、不義の力に打ち勝って下さいました。神はこの驚くべき御業を通して、御支配を啓示なさいます。
だから私たちも、主に心から信頼し、終わりの日に至るまで粘り強く、失望しないで、祈り続けましょう。物分りの良いふりをして簡単に引き下がってしまうことを主はお望みではありません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」テサロニケの信徒への手紙一の5章に記された聖句です。主イエスは、御受難を前に、ペトロの信仰が無くならないよう祈って下さいましたし、御自分を十字架にかけた者たちのために「父よ彼らをお許しください」と祈って下さいました。そのように私たちを執成して下さる方に、私たちの全てを委ね、御心を尋ね求めましょう。神の御意志を知るために、祈りをもって神と格闘しようではありませんか。ではお祈り致します。
神は速やかに裁いてくださる 2016:09:25
山本盾伝道師 詩篇88編2~3節
ルカによる福音書18章1~8節
P.T.フォーサイスというイギリスの神学者が、ある本の中で「祈らないことは最大の罪である」ということを言っています。この言葉には、私たちの胸に突き刺さる、重い響きがあります。日々祈りの時を備えて下さり、祈りの言葉を与えて下さる神に、私たちは感謝を捧げなければならないと思いますけれども、どうしても祈りを忘れてしまう時、祈る気になれない時、祈りたいけれども祈りの言葉が出て来ない時があります。また、「神様は本当に私の祈りを聞いて下さるんだろうか?」と疑いながら祈ったり、「何度も何度も祈ったのに、結局、私の願いは神様には通じなかった。私の求めていたものは与えられなかった」と嘆き、失望して祈りをやめてしまうこともあるでしょう。
しかし、神に祈らないということは、他の何かに祈っているということであります。私たちが心の中で、密かに崇めている偶像―富や知識や名誉や欲望、あるいは自分自身に祈りを捧げ、それに頼り、今抱えている問題を解決してもらおうとしているのです。そのような偶像崇拝が罪でないと言えるでしょうか?もちろん、言えません。神との対話のない信仰生活はあり得ません。ですから、私たちはどうしても祈らねばならないのです。
では、私たちが祈り続けることを妨げているのは、一体何なのでしょうか?そして、神が私たちに求めておられるのは、どんな祈りなのでしょうか。聖書の御言葉に聴きたいと思います。
先程読んで頂きましたのは「やもめと裁判官」という、主イエスの語られた有名な譬え話の一つであります。この話は、これだけで読むことも出来ますけれども、今日はまずその直前、17章20-37節の「神の国が来る」という話との関連に注目したいと思います。と申しますのも、どちらも「人の子」が来る終りの日、すなわち終末に触れているからであります。
「神の国はいつ来るのか」という質問に、主イエスは直接お答えにはなりませんでした。私たちは時期も、場所も、予め知ることは出来ません。私たちに出来るのは、ただ信じて待つことだけであります。しかし、そうして待っている内に、希望が失望に変わり、「主イエスはもう来られない」「再臨などない」と考えて諦めてしまうかもしれません。
なぜなら、この世では多くの苦難があるからです。この福音書を書いたルカのいた教会も、そうだったのかも知れません。迫害はだんだん激しくなるのに、主はいつまでたっても来て下さらない、私たちは見捨てられたんだ、もう祈っても無駄だ、そのように嘆く人たちのために、ルカが伝えた主の御言葉が、今日の聖句です。
それは、主イエスの三度目の受難予告を前に、語られました。人の子が殺されるという話に怯えて、終末の恐ろしい話に不安を募らせていた、弟子たちへの教えであります。
この譬え話の登場人物は二人おりまして、一人は不正な裁判官、もう一人はやもめであります。このやもめはただのやもめでありまして、慈悲深いのか冷酷なのか謙虚なのか高慢なのか、どんなやもめかは全く分かりません。それに対し裁判官は「不正」であると言われております。一体何が不正なのでしょうか。「不正」と言いますと、16章の「不正な管理人の譬え」を思い起こしますね。この不正な管理人は、主人から預かっている財産を無駄遣いした上に、自分の身を守るために更にばら撒いたのですけれども、そのように、託されたものを本来の目的通りに使わないのが「不正」ということです。この裁判官の場合は、人を裁くという神から与えられた権限を、正しく用いていませんでした。しかも彼は、正義を守る立場にありながら、「神を畏れず人を人とも思わ」なかったのであります。4節によりますと、彼自身、そのことを自覚しておりました。裁判官としては全く不適格であるという他ありません。けれども、皆さんご存知の通り、この世の中はそのような不正に満ちております。ここで「不正な」と訳されております言葉は「不義の」と訳すことも出来ますけれども、神の目から見れば全ての裁判官が義に価せず、本当に正しい裁判官、正義の裁き手は、ただ神おひとりなのであります。
一方、やもめは無力の象徴のような存在であります。今は「やもめ」という言葉はあまり使われません。「寡婦」とか「未亡人」と言いますけれども、どちらも否定的なイメージの強い言葉でして、やもめが社会の中で虐げられてきたことを示しておりますし、現在でも、旦那さんに先立たれたら、残された奥さんが自立して生活していくのがどれほど困難なことか、私は男性ですので、想像するしかありませんけれども、非常に大変なのではないでしょうか。古代イスラエルでも、事情は同じでした。やもめには夫がいないので、何か問題が起こっても、全て自分で対処しなければならない弱い立場にありました。そのため旧約聖書でも新約聖書でも、幾度となく、やもめを保護し、その権利を守り、要求を聞くように命じられています。ところが実際には、例えば主イエスが律法学者を「やもめの家を食い物にし」ていると非難しておられるように、やもめが虐げられることは残念ながら多かったようです。実は、「やもめ」と訳されているギリシア語は元々「奪われた者」を意味する言葉です。夫の命を奪われたやもめはたちまち、様々な権利を奪われました。
しかし皆さん!既にお聞きの通り、ここに登場するやもめは、ただ黙ってこれに耐えていた訳ではなかったんです!彼女は行動に出ました。
3節には「裁判官の所に来ては」とありますが、ここには「繰り返し繰り返し・何度も何度も」というニュアンスが含まれております。そして彼女は「相手を裁いて、わたしを守って下さい」と訴えますけれども、この「相手」というのは訴訟相手を指す言葉です。そして「裁いて、守る」と訳されている言葉は、「権利を擁護する」という意味の他に「仕返し・復讐・報復する」という意味も持っております。恐らく、このやもめは誰かから訴えられていて、先祖伝来の土地と夫が残してくれた財産を奪われそうになっているのでしょう。しかし、貧しい彼女は、裁判官に賄賂も贈れず、圧力をかけてくれる保護者もおらず、持っている武器と言えば、自分の方が明らかに正しいという事実だけでありました。当然、裁判官には無視されます。何しろ、「不正な」裁判官ですから、賄賂なしに動くことはありえません。「取り合おうとしなかった」というのは「意志しなかった」という意味です。忙しかったからではなく、そもそもやる気がなかったんです。
ところが、どういう訳か、彼は裁判をする気になりました。なぜでしょうか。「自分は神など畏れないし、人を人とも思わない」と呟いていますから、悔い改めた訳ではなさそうです。「うるさくてかなわない」というのが理由ですけれども、これは「面倒を掛けるから」「苦悩をもたらすから」とも訳せる文章です。一体何がそんなに面倒なのでしょうか。このやもめが、新聞記者のように夜討朝駆けでもしたんでしょうか。裁判官の悪い噂を言い広めたんでしょうか。あるいは公衆の面前で泣きわめいたんでしょうか。彼女がどんな必殺技を繰り出したのかは、一切書かれておりません。しかし裁判官に打撃を与えたことは確かです。彼は言います。「さもないと、ひっきりなしにやってきて、私を散々な目に遭わすに違いない」。これはなかなかうまい訳でありまして、「さんざんな目に遭わせる」を直訳すると「目の下を殴って青あざを作る」という風になるんですね。まあ、目の下を殴るなんて完全に反則ですし、実際にこんなことをしたら、それこそ、このやもめは傷害罪で訴えられますよね。ですから恐らく、彼女のしつこさに参って、疲れ果てて、目の下に隈が出来るほどだ、と言いたいんでしょう。私はここにイエスさまのユーモアを感じざるを得ません。それと同時に、「神を畏れず人を人とも思わない」裁判官は最後にはこうなるのだ、と示すことによって、主イエスは、弱い者を守ろうとしない者たちへの怒りを表されたのだと思います。
さて、6節以下は、この譬え話の解説になっています。「それから、主は言われた」という言葉で始まっていることに注意して下さい。「イエスは言われた」ではありません。ここでは復活された方、主権者としてのイエス・キリストがお語りになるのです。その主が「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい」とお命じになります。実は、裁判官が不正である、と言われているのは、ここだけなのです。やもめの訴えを聞き入れて、法的措置を取って、正義を回復したにも関らず、彼は不正なのです。
アブラハムに与えられた神の言葉は、イスラエル人なら誰もが聞いたことがあったでしょう。ただその時、彼らは二つの思い違いをしていました。第一が、地上のすべての民族は、アブラハムの子孫と同じ祝福を受けることを望むだろう、と考えたことです。誇り高い神の民は、諸民族が自分たちと同じ祝福を受けることを願うことはあっても、決して自分たちと同じにはならないと考えていました。…第二のことが、皆さんおわかりですね。アブラハムから生まれる者というのを他に探していて、それがまさかイエス様であるとは思っていなかったということです。…しかしながら、神のみこころは地上のすべての民族がイスラエル人と同じ祝福を受けることであり、それをもたらす方がほかならぬイエス様であったということです。
カルヴァンはこう書いています。「全人類は呪われたものであるが、キリストによってのみ与えられる、驚くべき救いが、わたしたちには約束されているのだ。」…キリストのみが祝福の源です。その祝福は人を悪から離れさせます。その恵みは全人類に及ぶものでありますが、神はまずキリストを神の民イスラエルに送り込まれました。キリストの恵みはやがて世界中に拡がります。こうして神の民はもはやイスラエルの人々に限定されることはなくなりました。イスラエルとは血のつながりのない人々が、イエス様をキリストだと信じることによって、次々に神の民に加わって行くのです。
さて、ペトロとそれにヨハネも加わって、このようなことを話していたのですが、その時、二人が捕らえられて牢に入れられるという事件が起こります。その日は使徒たちが、家の中を出て大勢の人々に向かって公然と説教した二回目でしたが、もう迫害が始まってしまったのです。しかしこれは驚くようなことではありません。むしろ、一回目の説教の時に妨害が入らなかったことの方が不思議だったとも言えます。
イエス・キリストは十字架にかけられて死なれたのですから、イエス様のあとに続く者たちも、信仰の道において、たとえ迫害までならなくとも、何らかの困難が待ちかまえていることを覚悟しなければなりません。
どんなことであっても、何か新しいことが始まると、それをつぶしてしまおうという動きが起こるのはよくあることです。キリスト教会なら当然です。サタンが教会の成長を座して見ているはずはないのです。では、使徒たち自身は迫害をどう受けとめたのでしょうか。これからあとで学ぶことになりますが、ペトロもヨハネも厳しい取り調べに対して、実に堂々としており、まことにみごとに信仰を証しして行きました。一連の迫害の最後になりますが、5章41節以下にこう書いてあります。「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び…、絶えず教え、…福音を告げ知らせていた」。…もうこれで懲りました、二度といたしませんというのでなく、喜んで、さらに伝道に邁進して行くのです。
…教会に加えられる迫害、これは私たちが恐れていることだと思いますが、今日のところはまず、使徒たちはそんなことは恐れなかった、かえってイエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んだということを覚えておきましょう。
ペトロとヨハネを捕らえたのは祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々でした。みんな二人の話を聞いていましたが、それが神から自分に届けられた言葉とは考えませんでした。この人たちにとって、自分たちと違う教えに大勢の人たちが引き寄せられていくのは不愉快であったことは間違いありませんが、それ以上に注目したいのは、使徒たちが「イエスに起こった死者の中からの復活」を宣べ伝えていたことです。実は、ここにいるサドカイ派というグループは、死者の復活ということを否定していました。サドカイ派は、ファリサイ派とも違って、死者の復活ということを全く認めていなかったので、使徒たちがこれを堂々と説いているのは我慢のならないことであったのです。
私たちは、イエス・キリストの復活とはただイエス様お一人の復活にとどまるものでないということ、この方を信じるすべての人が復活し、永遠の命が与えられることを教えられています。…サドカイ派の人々が使徒たちの発言を聞いた時、ただイエス様が復活したということだけでも許しがたいのに、このことがさらにイエス様を信じる者の復活や永遠の命にまで教えが広がってゆくことを見通したために、よけいに神経を逆なでされたのではないかと思います。…つまり、ここで起こったことは、生まれたばかりの教会への弾圧であると共に、死者の復活という信仰の根幹に対する挑戦であったのです。
最後に、再びペトロの説教に戻ります。ペトロが語ったのは、まず神はイスラエルの人々に、イエス・キリストからの祝福を与えようとされたということです、この方を殺したにもかかわらず。ただその恵みはイスラエルに留まることなく、地上のすべての民族に及びます。…イエス・キリストが下さる祝福の中心にあたるものが復活です。死者の復活と聞くとあざ笑ったり、いらだちを見せたり、いきりたったりする人もいますが、そのようなものすべてに打ち勝って、福音は広がって行くのです。
私たちは使徒信条の中で、「からだの復活を信ず」と唱えています。からだの復活、それはキリストの復活のことではなく私たち自身の復活です。これを唱えることで、この方を信じる者たちに約束されている恵みを、信仰をもって受け入れると告白しているのです。死んだらそれで全て終わりではありません。死に勝利する復活が約束されています。人は死んでも甦り、死は永遠に滅ぼされ、死に対する最後的勝利が訪れることを、私たちは見ているのです。
私たちはイスラエルから見ると異邦人ですが、しかし神の民となりました。
世界の人々と共に、イエス・キリストの恵みにあずかっていることを感謝しましょう。
(祈り)
天の父なる神様。今み言葉を頂く恵みにあずかり、イスラエルの人たちに語られた勧告を、自分にも語られたこととして聞くことが出来ました。
自分たちこそ世界で唯一の神の民だと信じていたイスラエルの人々にとって、イエス・キリストがもたらす祝福が全世界に及ぶということは信じがたいことであったでしょう。神様の驚くべきみこころによって、イスラエルから見て世界の果てのような日本にも福音が伝えられ、現代のさまざまな困難な状況の中でも宣教が続けられておりますことを神様の恵みと信じ、心から感謝いたします。
主イエスの恵みが地上のすべての民族に及んでいるわけですから、日本人も神に選ばれた民族となったことを信じます。しかし、それは日本人が他民族に優越しているということではありませんし、力でもって世界に君臨すべしということでもありません。日本が世界の平和のために貢献し、日本人が国内にいても海外に出かけても、世界の人々の幸せのために仕えることが出来ますようにと願います。何より、死を超える命を輝かすことで、この国が世界で名誉ある地位を占めることが出来ることを求めて行きたいと思います。そのためにも全国の教会とそこに集まる信徒を復活の主のみ名によって立ち上がらせで下さい。神様、日本を本当の意味で神の国にして下さるようにとお願いいたします。主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。
創22:18、使徒3:24~4:4 2016.10.2
世界には総数5000とも6000ともいわれる民族があるそうですが、聖書はその中で、ただイスラエルの人たちだけが神に選ばれた民族だと教えています。イスラエル人はヘブライ人ともユダヤ人とも言います。この民族は数が少なく、弱く、いくつもの民族にまわりを囲まれており、その中には彼らとは到底比較にならない、強くて力のある民族もいました。だからイスラエル人には、神が目を留められるだけのすぐれたものは何も持ち合わせていなかったのです。しかし神のなさることは人間の知恵を超えています。神は格別の恵みでもって、いつ滅び去ってもおかしくないこの民族をご自分の民、すなわち神の民として選び、そして導かれたのです。
では、イスラエルの人たちは自分たちが神に選ばれた民であるということをどう思っていたでしょうか。…これは日本の場合を見てもだいたい想像がつきます。戦前・戦中において、日本は神の国であると教えられ、ほとんどの人がそのことを信じていました。和製漢語で八紘一宇という言葉がありますが、それは日本が先頭に立って世界を一つの家にするという意味でありました。
このような、自分たちが特別な、世界に冠たる民族であるという考え方は、世界のいろいろな民族の間で見られますが、自分たちが特別の民族であると意識することは、しばしば他の民族に対する優越意識となって現れます。イスラエルの人たちにとって、自分たちが神の民であるということは大きな誇りとなっていました。それはバビロンによって国が滅ぼされた時のような困難きわまる時代に彼らを支える力になったことは確かですが、その反面、まわりの諸民族を自分たちより劣る人々と見なして軽蔑することが起こりました。劣っていると見なされた人々からは、あいつらは鼻持ちならないと思われていたころでしょう。…ただ、そういう問題があったとしても、イスラエルは依然として神の民であり続けました。イエス・キリストによってもたらされた福音はまず、この民に告げ知らされたのです。
都エルサレムに建っていた壮麗な神殿は今は残っていません。しかしその神殿こそイスラエルの人たちにとって、自分たちが神の民であることを実感させる場所でありました。神殿とは何より神がいます場所でありました。人々は、その場所で行われる神殿礼拝を。人生の最も大切なものとしていたのです。
その日、午後3時の祈りの時にたくさんの人が集まっていましたが、その人たちの前で奇跡が起こりました。使徒ペトロとヨハネが生まれつき足が不自由な男に向かって、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言うと、この人はすぐに立ち上がり、歩き回ったり、躍ったりして神を賛美し始めました。驚いて集まってきた人々にペトロが語った説教が3章12節から26節まで書いてありまして、これを私たちはすでに3回にわたって学んでいます。ペトロは「イスラエルの人たち」と言って、話を始めました。自分たちの先祖の神がしもべイエスに栄光をお与えになり、またイスラエルの人々が尊敬してやまないモーセもイエス様のことを語っておられたことを告げながら、この聖なる正しい方、命への導き手をあなたがたは殺してしまったということを突きつけます。…しかし神はイエス様を死者の中から復活させて下さった。あなたがたは悔い改めて立ち帰りなさい、と呼びかけるのです。
今日のところはその続きとなります。24節:「預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。」
私は旧約聖書の中のサムエルの言葉を調べたのですが、恥ずかしいことに彼が今の時、つまりイエス・キリストによって始まった新しい時代のことを預言した言葉がどこにあるのかわかりませんでした。少なくとも直接的な預言はないと思います。間接的な預言した言葉はあるかもしれません。関心のある方は、トライしてみて下さい。
…もっともその後の預言者、ちょっと思いついただけでも、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル、ヨエル、マラキ、みんなイエス様がおいでになることによって始まる新しい時代について語っています。
「あなたがたは預言者の子孫であり…」、そこにいる人々はみなイスラエル人であり、これらの預言者を尊敬し、彼らが取り次いだ神の言葉によって生きているはずです。その神の言葉の中にイエス様によって始められる新しい時代の告知があったわけですから、みんなそのことを信じて生きるべきということになります。
そして、「あなたがたは、…神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。」神はイスラエルの民の先祖と契約を結ばれました。その契約は当然、イスラエルの民全員に関わっていることになります。…主なる神は民と契約を結ばれました。つまり神と民は約束したのです。それは神に対してはこの民を守ること、民に対しては主なる神のほかにいかなる神も信じず、拝むことをしないということでした。歴史の上で、イスラエルの民は何度も神から離反し、神を怒らせましたが、神は忍耐され、約束を破棄することはなさいませんでした。
神とイスラエルの民との間で結ばれた最初の契約が、民族の祖先アブラハムとの間で結ばれたものです。神はアブラハムに「地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける」とおっしゃいました。…神様からいきなり、こんな途方もないことを言われて、アブラハムは理解できたのでしょうか。それは皆さんが自分の身になって考えてみれば、すぐにわかることです。神様から「あなたの子孫によって、地上のすべての民族は祝福される」なんて言われたら、腰を抜かしてしまいますね。アブラハムもそうだったと思うのです。しかし彼はわからないまま信じました。それが神の言葉だったからです。そこで言われたことは、アブラハムから約二千年のちに、本当のこととなりました。
では、神の口から出たその言葉は何を語っているのでしょうか。パウロが書いたことから見ることにしましょう。ガラテヤ書3章16節以降の言葉を読んでみます。「兄弟たち、分かりやすく説明しましょう。人の作った遺言でさえ、法律的に有効になったら、だれも無効にしたり、それに追加したりはできません。ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して『子孫たちとに』とは言われず、一人の人を指して『あなたの子孫とに』と言われています。この『子孫』とは、キリストのことです。」
ペトロたちの前にいるのは、ユダヤ教の最高指導者を含むお偉方の面々です。これに対し二人は、最近神を冒涜する者として処刑されたイエスの弟子であり、無学な、普通の人々でした。しかし彼らは憶することなく語ります。
8節は、ペトロは聖霊に満たされて言った、と書きますが、このことはすでにルカによる福音書12章11節以下で、予告されていたように思えます。主イエスこう言われていました。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
聖霊の力によって、大胆にペトロは語ります。「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。」
私は先ほど、使徒たちが奇跡を起こしたことと、もう一つイエス様に起こった死者からの復活について語ったことが問題とされていると申しました。ただ、ペトロの言葉にあとの問いに対する直接の答えは見当たりません。もしかしたら、あとの問いに対する答えが書き留められなかったことも考えられるのですが。そういうわけで、ここにあるのは初めの問いに対する答えだけということになります。
ペトロはまず、「病人に対する善い行い」という言葉で、善いことをしたのだから、このことで逮捕されるいわれはない、ということを遠回しに語っています。次に、「何の権威によって、だれの名によって」との質問に対し、それが足の不自由な男が何によっていやされたかということであるなら、それは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものだ、と宣言しました。
ここでの「いやされた」という言葉は、原文では「救われた」という意味も含まれています。足の不自由な男は、ただ歩けるようになったのではありません。主イエスの名によって、神の前に立ち、礼拝する者となったのです。最も大切なことは「いやし」ではありません。いやしは「しるし」であり、この人に本当に与えられたのは信仰です。それらすべてのことは、「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるもの」でありました。
私は先ほど、使徒たちが奇跡を起こしたことと、もう一つイエス様に起こった死者からの復活について語ったことが問題とされていると申しました。ただ、ペトロの言葉にあとの問いに対する直接の答えは見当たりません。もしかしたら、あとの問いに対する答えが書き留められなかったことも考えられるのですが。そういうわけで、ここにあるのは初めの問いに対する答えだけということになります。
ペトロはまず、「病人に対する善い行い」という言葉で、善いことをしたのだから、このことで逮捕されるいわれはない、ということを遠回しに語っています。次に、「何の権威によって、だれの名によって」との質問に対し、それが足の不自由な男が何によっていやされたかということであるなら、それは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものだ、と宣言しました。
ここでの「いやされた」という言葉は、原文では「救われた」という意味も含まれています。足の不自由な男は、ただ歩けるようになったのではありません。主イエスの名によって、神の前に立ち、礼拝する者となったのです。最も大切なことは「いやし」ではありません。いやしは「しるし」であり、この人に本当に与えられたのは信仰です。それらすべてのことは、「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるもの」でありました。
ペトロは詩編118編の言葉を引用し、このことがすでに預言され、聖書に書留められていたことであり、ユダヤ人たちが捨ててしまったこの方こそ救い主である、ということを証しします。イエス様こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」である、と。隅の親石とは、石造りの建物を建てる時に土台となる石です。この親石がなければ、建物を建てることは出来ません。それは建築において最も重要な石なのです。
ユダヤ人は神の民であり、本来は神の家を建てるべき人たちです。しかし、その家を完成させるための親石となるべきイエス様が来られても、この方を受け入れずに殺してしまいました。しかし、神の救いのご計画は進められました。イエス様は死者の中から復活して、神の右に座し、救いの御業を完成させて下さいました。こうして新しい神の家である教会の隅の親石となられたのです。このイエス・キリストが生まれつき足の不自由な男をいやして下さったのですが、それはここから始まる全世界に及ぶ救いのしるしなのです。ペトロは言います。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
ほかの名前ではだめなのです。よく、どの宗教も同じだという人がいますが、そういう人はどの一つの宗教すらわからないまま終わってしまうのです。どの宗教も同じということは絶対にありません。試しに、世界に存在するあらゆる宗教を調べてみたら良いでしょう。神の御子が十字架につけられて死に、復活したことを教える宗教は、キリスト教以外にありません。この方から救いがもたらされます。救いはイエス・キリスト以外にないということを、自分自身キリストに出会って罪を赦され、聖霊を受けて再び立ち上がった使徒たちが証言しているのです。
この、ただお一人の救い主の名を、すべての人が知らなければなりません。 主イエスはそのことのために使徒たちを立て、エルサレムを出発点に全世界にまで遣わして、ご自分の体なる教会を建てて行かれたのです。すべての人が、主イエスの名によって救いにあずかり、主イエスと一つに結ばれるために、教会は終わりの日に至るまで、その名を宣べ伝えて行くのです。
私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか与えられていません。私たちにその名が与えられていることを感謝すると共に、同じ恵みがさらに多くの人の間に伝わって行きますように。
(祈り)
天の父なる神様。この世を支配しているかのように見える大きな力と、また自分の中にある弱さと不信仰に悩む私たちにとって、世界で最初に生まれた教会について聞くことは大きな励ましであり、心の支えとなります。最初の教会は決して、当時の社会全体が歓迎する中で成長していったのではありません。使徒たちが逮捕され、投獄されたことはやがて過酷な迫害となって、当時の全教会をおおうことになります。
当時の教会と私たちの教会の今を比べることは難しいです。現代という複雑な時代の中で私たちも幾多の困難に直面していますが、しかし信仰によって逮捕されるとことまではないのです。問題は、私たちが自己規制してしまうことです。迫害がないのにまるで迫害があるかのように、自分で自分の道を閉ざしてしまうことだと思います。ここにもしも、神様を知らない人々の間で、自分はキリスト者なのだということを言えないで隠している人がいたら、どうかその人の心を強めて下さい。私たちが救われるべき名はイエス様のほかにないのです。だから、その名を口にすることさえ私たちが避けることがありませんように。信仰に生きることを人生のこの上ない喜びとさせて下さい。とうとき主イエスの名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。
詩編118:22~25、使徒4:5~22 2016.10.9
ペトロとヤコブ、この二人の使徒たちがエルサレム神殿に行って、生まれつき足が不自由で物乞いをして生きていた男性の足を立たせるという奇跡を行うと、この人は自分の足で立ち、躍りあがって歩き、神を礼拝する人になりました。驚いて集まってきた人々に向かって、ペトロとヤコブは説教をしたのですが、途中で二人は逮捕され取り調べを受けることになります。初代教会は、こうして初めからたいへんな困難に見舞われることになりました。しかし、それは当然のことでもあったのです。世界に初めて教会が誕生した、これを教会の敵が黙って見過ごすはずはないからです。…使徒たちは苦境に追いやられますが、しかしそのことで打ちひしがれたようには見えません。それはいったい何故たったのかということを考えて行きましょう。
二人の使徒が逮捕された次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まりました。そこには大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司の一族も一緒でした。この顔ぶれを見て、皆さんは思い出すことがありませんか。
この数か月前、イエス・キリストは夜中にオリーブ山のゲツセマネで逮捕されましたが、まず大祭司の家に連れて来られ、夜が明けると、今度は長老、祭司長たちや律法学者たちが集まってイエス様を最高法院に連れ出したのです。最高法院はギリシャ語でサンヘドリンと言い、ユダヤ人社会での立法、行政、司法の権限を与えられていたところでした。つまり、ここに登場する人たちは、つい最近、イエス様を裁判にかけ、十字架刑に追いやった人たちとほぼ同じ人たちです。彼らはイエス様が神を冒涜する者であると判断して死に追いやったのですが、同じような厳しさをもって使徒たちを裁こうとしたのです。
裁判が始まりました。彼らはペトロとヨハネを真ん中に立たせて尋問しました。「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか。」
ここで「ああいうこと」というのは、使徒たちが足の不自由な男にしたことと人々にみ言葉を語ったことの一切を指すものと考えられます。
ペトロとヨハネは奇跡を起こしました。足の不自由な男が自由に歩けるようになったこと自体はとがめることは出来ません。しかし、意地悪く考えると、そこで何かのトリックが用いられたのかもしれません。悪霊のわざである可能性もあります。…また、そのあと二人が語ったことも問題です。そこでは神を冒涜する者として処刑されたナザレのイエスがほめたたえられています。そのことは、イエス様が死罪にあたると判断した最高法院の権威を傷つけたことになるのです。
ところで細かなことになりますが、前日、使徒たちがイエス様に起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、いらだった人たちがいました。そこにはサドカイ派の人々がいたのです。サドカイ派は復活ということを一切否定していたのです。ただ、翌日に登場した律法学者のほとんどはファリサイ派に属しており、この人たちはイエス様の復活は否定するものの死者の復活自体はは認める立場でした。このように死者の復活についてサドカイ派とファリサイ派は対立していたのですが、使徒たちを排除するという点では一致していました。そのためこの裁判では、サドカイ派の立場に配慮して復活のことは取り上げなかったものと思われます。…私たちはファリサイ派についてはある程度知っていますが、サドカイ派についてはよく知りません。いずれ使徒言行録の説教の中で取り上げる予定する。
ユダヤ教の聖職者や有力者で構成される最高法院は、使徒たちが自分たちの教えを否定することを語ったことで、彼らが議会の権威を傷つけたものと考えました。それは大胆きわまることで、この議会が持っている以上の権威に基づかなければ出来ないことです。だから、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と言ってきたのです。お前たちは、われわれ以上の権威を持っているのか、ということです。
では今度は、使徒たちを見てみましょう。…つい数か月前のことを思い出していただきたいのですが、主イエスが逮捕され、裁判にかけられた時にみんな逃げてしまって、誰ひとりイエス様に従っていった人はいませんでした。特にペトロは、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と勇ましいことを言っていたにもかかわらず、それからわずか数時間後、心が折れてしまい、「わたしはあの人を知らない」と三度も裏切りの言葉を繰り返したことはよく知られています。
そのペトロが、裏切り者ペトロがいま裁判の席に引き出されています。かつて自分が裏切ってしまったイエス様が復活してメシアとなられたことを証言したためです。…ペトロは、自分がイエス様を裏切ったことを知った時、激しく泣きました。イエス様の十字架刑の時、何もすることが出来ず、その後イエス様復活の知らせがもたらされても信じることが出来ず、それどころかイエス様を殺した人たちが自分たちのもとに来ることを恐れて、家の戸を固く閉めていたほどだったのです。
ほかならぬイエス様を裏切ってしまったという後悔の思いは、長い間ペトロの中にあったはずです。ところが、ここにはまるで別人のようなペトロの姿があります。いったい何が、彼を変えたのでしょうか。…それは、時間の経過と共に後悔の思いが薄れたということではありません。…ペトロは生まれ変わったのです。彼は復活された主イエスと会い、そして聖霊を受けたのです。甦った主イエスはペトロの罪を赦して下さいました。十字架によって、自分の裏切りの罪が赦され、救いにあずかったことを知ったペトロは、さらに主イエスが聖霊において今も生きて働かれ、自分と共におられることを悟ったのです。
生まれつき足の不自由な男が主イエスの名によって立ち上がったことは、すでにペトロが体験したことでありました。ペトロも、イエス様を裏切り、見捨ててしまったという大変な挫折、一生後悔し続けなければならないような絶望の中から、イエス様が救い出して下さったから、今日があるのです。
以前のような、ペトロ自身の決意や覚悟によっては、主イエスに従って行くことは出来ませんでした。それは私たちにとっても同じです。もしも私たちが、自分の決意や覚悟だけに頼ってイエス様に従って行こうとしたら、ある程度のところまでは行くかもしれませんが、ひとたび嵐のような日々が襲ってきたら、そこで挫折してしまうでしょう。イエス様を裏切ってしまうでしょう。しかし自分の罪を担って十字架にかかって下さり、死者の中から復活された、その主が自分と出会い、共に歩んで下さることを悟ったなら、それは本物の信仰となります。そのような人生が、皆さん一人ひとりに与えられますように。…そうして、「今この自分を立たせ、歩ませて下さるのは、イエス・キリストというお方です」と証言する時、それは力強い伝道の言葉となります。
かえって重大な対立が起こることがありました。
それが神学論争というもので、当事者でない者にはなかなか理解しにくいところで対立が先鋭化し、教会の分裂を招いてしまうことがあります。5世紀から6世紀にかけては、カトリック教会とギリシア正教会が分かれ、16世紀にはカトリック教会からプロテスタント教会が独立、そのプロテスタント教会も考え方の違いから多くの教派に分裂してしたことは皆さんご存じの通りです。
それぞれが聖書に基づき、キリストの思いがどこにあるのか真剣に求めたにもかかわらず、激しい対立が起き、教会の分裂を招いてしまうことはまことに残念ながら起こりうることです。…しかしながら、この現実の中にあって、それでもキリストのみこころがどこにあるのか求めることを怠ってはならないのです。…教会の分裂を引き起こす意見の対立、その根底に人間の罪が見え隠れしています。現在、遅まきながら、分裂したままの教会間で対話が進められているのは、今の状態はキリストのみこころとは異なるという意識の現われでしょう。
さらに教会から一歩外に出ると、人間関係をめぐる問題はいつ、どこにおいても起きています。教会の外では神学論争こそありませんが、考え方の対立がいつ、どこにおいても起きていて、それはしばしば激烈なものとなり、国と国、国民と国民の対立が戦争まで引き起こすことは誰もが知っています。
教会の中であっても外であっても、人間関係がこじれたり意見の対立が深刻化するのはよくあることで、その中でおそらく誰もが悩み、苦しんでいます。……この先、時代がどう動いてゆくか、教会や私たちの生活がどのようになっていくのか、まことに先の見えにくい時代ですが、その中で、私たちはどうあるべきでしょうか。やはり、それも、キリストによる励まし、愛の慰め、”霊“による交わり、慈しみや憐みの心を持ち続けながら、皆が同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにすることを求めるところにあるのでしょう。まず教会をこのようなところにすること、そうなればキリストの恵みは教会の外へと広がって行きます。これはきれいごとでも何でもなく、神様が聖書を通して私たちに示して下さった確かな現実なのです。
(祈り)
私たちの父なる神様。私たち一人ひとりの置かれている場所は違い、かかえている重荷や関心もそれぞれ異なっています。しかし、ひとりの主、イエス様が与えられていることによって、私たちが心を一つに合わせることが出来ますようにと願います。広島長束教会の中で、もしも同じ思いになれない人たちがいたら、どうかイエス様によって結びつけて下さい。世界の教会もそれぞれ異なった課題と重荷を負っています。しかし、ひとりの主、イエス様のもとに、分裂を克服し、一つの教会となる道を歩ませて下さい。この世界にある人と人、国と国の対立を思います。すべての人が同じひとりの主を仰ぎ、平和への思いに心が満たされるということは、現実にはたいへん困難です。しかし神様はキリストを信じる者たちを結びつけて下さり、さらに違った信仰を持っている人々の上をも深いみこころを持って導いていて下さることを信じます。
神様、神様にさからう世界は、イエス様の輝きを消してしまおうとはかります。どうかイエス様本来の輝きがこの世界に現れてゆきますように。そのために世界と日本の教会を聖霊の導きによって満たして下さい。また私たちのようにイエス様によってかろうじて神様につながっているだけの者も、キリスト者の名に恥じない者として強めて下さいますようにお願いいたします。
主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
詩編122:1~9、フィリピ2:1~2 2016.10.16
今日は、パウロがフィリピの教会の信徒たちに送った手紙の中の一節を学びます。
今日の礼拝説教に備えて前もって聖書を読まれてきた方は、読んだあとで、なんだか当たり前のことを言っているな、と思われたかもしれません。「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」ここにあるのは、聞き飽きた言い方ではないでしょうか。いつもと同じ、いわばきれいごとにすぎないのではないでしょうか。ここから何か新しい発見が出てくるのか、と思わせるところがあったかもしれません。…しかし、ここには実はとても深い意義があるのです。もしも私たちが、ここで言っていることを本当に理解することが出来たら教会は変わりますし、私たち自身の生き方も変わるのです。
1節の言葉は、2節の言葉が根付くための畑であり、土壌のようなものです。どんな人も空中に種を蒔くことは出来ません。土の中に種を蒔いてこそ、芽を出し、成長して、空に伸びてゆきます。だとすれば、1節の言葉は種が育ってゆく畑でありまして、これがあってこそ2節に書いてあることが実現されるのです。
ここで、1節の中から試しに「キリストによる」という言葉を消してみましょう。「そこで、あなたがたに幾らかでも、励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら」、…この場合、文章は成り立ちません。キリストによることなしに、皆が同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、パウロの喜びを満たすことが出来るのか、それは絵に描いた餅にすぎません。とうてい不可能なのです。
「キリストによる」ということが最も大切です。パウロによれば、キリストによる励ましが幾らかでもあるなら、キリストによる愛の慰めが幾らかでもあるなら、さらにキリストから来るところの“霊”による交わり、慈しみや憐れみの心が幾らかでもあるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにすることが出来るのです。
キリストによる励ましが皆さん一人ひとりの中にあるでしょうか。キリストによる愛の慰めや、“霊”による交わり、慈しみや憐れみの心があるでしょうか。
それではパウロから直接手紙を受け取ったフィリピの人たちはどうだったでしょう。記録が残っていないので想像するほかないのですが、すぐにはうなづけないということもあったかもしれません。もしかしたらフィリピの人たちはこう答えたかったかもしれないのです。「パウロ先生のおっしゃることはごもっともですが、私たちにはこれを行うことが出来ません。私たちはキリストではなく、ただの人間なのです。どうやったら、ここで言われていることを実現することが出来るでしょう。そんな力はありません。いくらイエス様の恵みが注がれていたとしてもです。自分にとって気の合う人と同じ思いになり、同じ愛を抱くことは出来ますが、どうしたって性格の合わない人だっているわけですから。」
パウロは、こういう反応が返ってくることも織り込み済みだったと思います。だから、「あなたがたに幾らかでも、キリストによるなになにがあるなら」と言うのです。さまざまな違ったタイプの人間がいる中で、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにということを、人間が自分の力でやりとげることは出来ないでしょう。何かやりとげたと思ったら、とたんにけんかを始めるのが人間の常だからです。ですから、そういう人間には外から力が供給される必要があります。ある人はうまい言い方をしました。人はほかの人に対して「もっと力を出すように」と勧める。けれども自分はむしろ「もっと力を取り入れるように」と助言する、と。
人が元気で働くためにはしっかり食事をとることが必要です。もしも人が食事によって自分の外から力を取り入れることがなければ、どうして生きることが出来るでしょう。同じことが人の心についても言えます。心も、いつだって外から栄養を取り入れなくてはなりません。それがキリストなのです。パウロはキリストの中にこそすべての善いものがあると教えています。キリストから受け取った素晴らしい恵みがあなたがたを生かしているのだ、キリストの恵みがいくらかでもあるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つに出来るのだと。
ただこう言いますと、見たことも会ったこともないキリスト様から、どうやって励ましや慰めやその他のことを受け取ることが出来るのかという人も出て来るでしょう。しかし、夜空に輝く星が昼間見えないからと言って存在しないとは言えません。そのように目に見えないものであっても、だから存在しないのだとか、妄想だとかいうことは出来ません。誰でも、教会に来て礼拝しているなら、すでにキリストの恵みが時空を超えて与えられているのです。…問題はそれを素直に受け取ろうとしない一人ひとりの心ではないでしょうか。
もしも私たちがキリストの外にいるなら罪人(つみびと)です。しかしキリストの中にいるので、救われています。キリストの外にいるなら、昨日も今日も明日も全く変わりばえしません。しかしキリストの中にいて、キリストから日夜心の食べ物を受け取っている人は、自分ではとうてい出来ないと決めてかかっていたことが出来るようになるのです。
キリストからの恵み、すなわち励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、慈しみや憐みの心がある時、その結果、「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つに」するということに、一歩一歩近づいてゆきます。それはパウロにとっての喜びであり、また神様にとっての喜びです。
それは具体的にはどのようになることでしょうか。同じ思いとなるということについて、人はよくこう考えるのです。それは、自分の思いと他の人の思いが違っているときに、自分の思いをその人の思いに合わせる、あるいはその人が自分の思いに合わせる、ということです。そうすることで、二人の間の摩擦をなくすることが出来ます。しかし、二人の間で出来ることでも、三人、四人となっていくにつれて困難になります。これが百人、二百人、さらに千人、一万人といった大きなグループになってゆく時、いったい同じ思いになることが出来るのでしょうか。
しかしパウロによれば、そんなに難しいことではありません。キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、慈しみや憐れみにあずかっている限り…。二人が同じ思いになれない時は、自分の思いを捨てて相手に合わせるか、相手が自分に合わせるかということではなく、二人が共にキリストの思いを受け入れるべきなのです。自分の思いがキリストの思いと同じで、相手の人の思いもキリストと同じ、こうしてみんなの思いがキリストと同じ思いなら、たとえどんなに多くの人がいても同じ思いとなることが出来るのです。
だから私たちがあることをしようとして、自分には自分の考え方があり、他の人にはその人の考え方がある時、自分が他の人に服従すべきということではなく、また他の人が自分に服従すべきということでもありません。…どちらも、神様の求める道ではありません。パウロによれば、両者ともキリストに服従すべきなのです。
ただしその時、キリストの思いはこうだからと言って、キリストの権威をふりかざして自分の考えに人を従わせようという人がもしかしたら出てこないとも限りません。そうならないために、ふだんから、キリストの思いがどこにあるのかということを謙虚に学んでゆくことが大切です。
キリストはいま天におられて世界を支配なさっている、偉い偉いお方であられます。しかし、この世界に来られて私たちと同じ人間となられたばかりか、極悪人の汚名を着せられて十字架にかけられました。低い低い、底の底まで降りて来られた方なのです。このキリストの姿を見ながら、キリストの権威を振りかざして自分を偉く見せようとする人がいたら、恥じるべきでありましょう。
さて、フィリピの教会には、パウロから、同じ思いとなるように注意されなければならない問題があったのでしょうか。私は以前、フィリピの教会は問題の少ない、たいへん良い教会だと思っていました。しかし人間がやっている以上、問題の起きない教会はありません。そのことが窺えるのが、4章2節3節の記事です。「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いをいだきなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください」。
そこでは二人の婦人について、主において同じ思いをいだきなさいと勧められています。これはおそらく、教会の中で二人の婦人が対立し、そうとう深刻な問題となっていたために、パウロが手紙で二人を説得しなければならなかったのだと思われます。こんな時にパウロは、対立しあう内の一方を追い出せとか、あるいは両方を教会から切り離してしまえとは考えません。この二人になされた勧めが「主において同じ思いをいだきなさい」という訴えでありました。
このところから私たちは教えられます。教会の中でもめごとが起こった時、特効薬はありません。あるのはただ一つの基本のみ、神がイエス・キリストによって示してくださったところに立ち帰り、キリストの恵みの中で同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにすることです。この場合は二人の婦人だったのですが、男性同士、また男性と女性の間にもいさかいや対立が起こるわけです。解決の道筋はすべて同じです。
なおこれらことは教会の中の人間関係をめぐって起こったことです。それでは考え方の違いがのっぴきならないところにまでなってしまった場合はどうすれば良いのでしょうか。信仰の世界においては、キリストの思いがどこにあるのかということを突きつめて考えていった時、
それでは聖書から、私たちへの警告と神の憐れみを伝える放蕩息子の話をいたしましょう。父親の財産を分けてもらって家を飛び出した弟息子が、放蕩の限りをつくして財産を使い果たしてしまいました。食べるのにも困って豚の世話をしますが、豚のえさを食べたいと思ったほどで、そこでとうとう父親のもとに帰りますが、意外なことに父親はこの息子を喜んで迎えてくれたのです。皆さん、よくご存じのお話です。
これは主イエスが語って下さったたとえ話で、主はこのとき父親によって神様のことを、弟息子によって罪人である人間を表わされました。弟息子も自分の楽しみを追い求めていった人間です。彼は神様からいただくものはつまらないと、遠い国に出かけて行って酒と女で身を持ちくずし、一文無しになってしまいました。しかし、そのことは実は彼の魂にとって幸せなことだったのです。
弟息子は父親と会う前、父親に何と言おうかと考えました。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」。…ところが父親はその言葉を最後まで言わせませんでした。「雇い人の一人にしてください」とは言わせなかったのです。そのかわり父親は言いました。「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」。
ここで弟息子が尊大な態度に出て、「おやじ帰ったぞ、さあめしを出してくれ」なんて言ったなら、父親はこうまで息子を歓迎することはなかったでしょう。自分自身の中に楽しみと喜びを持っている人に神の恵みは必要ありません。弟息子の中にはもう何も残っていませんでした。神様の前での物乞いにすぎませんでした。しかし、だからこそ神の恵みにあずかったのです。
父親は弟息子を迎えて祝宴を始めました。神は彼を雇い人ではなく息子として認め、彼が戻った喜びを皆と分かち合おうとなさったのです。そこから神様には何にも代えがたい大きな楽しみがあることがわかります。それは人が救いに導かれることです。罪人が救われ、神様と共に歩んでゆくとき天にどれほどの喜びがあるでしょうか。神様はこの喜びに生きておられるのです。
神様の持っておられるこの楽しみを自分の楽しみとする、それが礼拝を中心とする私たちの信仰生活です。詩編43編4節はこう歌っています。「神の祭壇にわたしは近づき、わたしの神を喜び祝い、琴を奏でて感謝の歌を歌います」。このように私たちも神をいちばんの喜びとし、信仰を一番の楽しみとするようになりたいものですが、その根拠となるのは何より神様ご自身からあふれ出る喜びなのです。
人が自分の楽しみを求めて、コヘレトがしたように、あるいは放蕩息子がしたように生きる時、心が満ち足りることはありません。その企てが成功しても失敗しても、それは風を追うようなことでありまして空しさから逃れるすべはないのです。…そうではなく、その場所から離れて、神様からいただくものを感謝して信仰に生きるとき、それまで知ることのなかった喜び、本当の楽しみを人は見出すでしょう。
なお、皆さんはこんなことを考えませんように。コヘレトのことも放蕩息子のこともわかった。だけど今すぐ信仰に生きるのは疲れそうだ。コヘレトだって放蕩息子だっていい思いをしたじゃないか。まずはひととおりこの世の楽しみを味わってからということでよくはないか、と。……思い違いをなさらないように。コヘレトも放蕩息子も、もう一度この世に生まれることが出来たとしても、同じ失敗を二度と繰り返したいとは思わないでしょう。
聖書から、快楽や自分の楽しみを追求して生きることの空しさを知った私たちは、今すぐそんな生活への未練から解放されるべきです。どうか神様の中にある楽しみが私たち自身の楽しみとなりますように。
(祈り)
主イエス・キリストの父なる御神様。今日のこの礼拝が祝されますように。神様は私たちの弱い、疲れきった信仰をよみがえらせ、力強く、豊かなものにして下さるお方であることを信じます。私たちは神様とイエス様に出会ったはずなのに、この世にだいぶ未練を残してきています。信仰に生きることはつまらないと思って、この世の楽しみを追いかけている人を羨ましいと思ったりするのです。こんな私たちを、神様のお力でもって、信仰の世界にまっすぐ飛びこんでゆく者とさせて下さい。捨てさったものではなく、神様からいただく永遠に新しいものの中に楽しみと喜びを見出してゆく者となることが出来ますよう、お導き下さい。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。
コヘレト2:1~11、ルカ15:11~24 2016.10.23
私は13年前に亡くなられた日本キリスト教会の牧師、小川武満先生が言った言葉が忘れられません。なんの時だったかはっきり覚えていないのですが、先生は「自分の楽しみは信仰だ」とおっしゃったのです。自分の楽しみは信仰、…これを聞いてすぐには納得できない方がおられるのではないかと思います。信仰は、楽しみとは全く別、それどころか楽しみとは対極にあるものだと思っている人が多いからです。しかし、信仰こそ自分の楽しみとなることが、人間本来の姿ではないでしょうか。
皆さん、自分の楽しみにしていることを何でしょうか。いろいろなことがあるでしょうが、それがはたして信仰と関係があるのかないのかということを確かめてみることは大事だと思います。
たいていの場合、人は神様からいただく楽しみを素直に受け取ろうとしません。そして神様以外のところから楽しみを得ようとするのです。コヘレトもその一人でした。
「なんという空しさ。なんという空しさ。すべては空しい」。人生の空しさの前に絶望し、それでも本当に確かな何かをつかもうとしてもがいているコヘレトは、「快楽を追ってみよう。愉悦に浸ってみよう」と考えました。この時のコヘレトはおそらく、「楽しいことを追っかけてみよう。愉快にやろうじゃないか」ぐらいの気持ちだったと思います。
しかし、その企ての結果はすぐに明らかになります。「見よ、それすらも空しかった。」コヘレトは「笑いに対しては、狂気だ」と言います。おそらく宴会の席などでばかげたことに興じ、度を超えてげらげら笑っている最中にふと我に帰り、これはまるで狂気の沙汰ではないかと思ったのでしょう。また、「快楽に対しては、何になろうと言った」というのは、楽しいことがいったい何の役に立つのかと思った、ということでしょう。
そこでコヘレトは、快楽の追求をさらに徹底的にしようと試みたのだと思います。人間は短い人生の間、何をすれば幸福になれるのか、ということを考えて、その問題の解決を酒に求めます。
「酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せようと心に定めた」。酒について申しますと、今の日本では、教会の内外に、クリスチャンには酒は禁じられていると思っている人がいますがそんなことはありません。何よりイエス様は酒を飲まれました。カナの婚礼で水をぶどう酒に変えるという奇跡も起こされています(ヨハネ2:1~11)。
ですから酒を飲むこと自体は禁止されていません。ただ誰もがご存じのように、これは節度を守ることが難しく、酒を飲むつもりがいつのまにか酒に飲まれているということがよく起こるものですから、聖書には酒を戒めた言葉があちこちにあります。「不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か、いさかいの絶えぬ者は誰か、濁った目をしている者は誰か……それは、酒を飲んで夜更かしする者」、箴言23章29節の言葉です。人がこの世で生きているかぎり、酒でも飲まなければとてもやっていけないということが確かにあるのですが、酒によって心のすきまが埋まり、問題が解決するとは思えません。けれどもこの時のコヘレトは、そのことがわかりませんでした。彼は酒によって自分を元気づけながら、新しいことを始めたのです。
それが「大規模にことを起こし」ということで、大きな事業を始めたのです。その財源がどこから来たかは書いてないのでわかりませんが、コヘレトは多くの屋敷を建て、ぶどう畑と果樹園と庭園を造りました。
コヘレトの生きた世界では、美しい豪勢な庭と立派な邸宅を持つことは、王や貴族階級にのみ許される特権でありました。コヘレトはぶどう畑と果樹園と庭園をそなえた屋敷に住むことになりました。そこには林がありました。夏でも涼しい木陰を用意したのでしょう。そこに水の流れを作りましたが、それはいくつもある池につながっていました。池で舟遊びをすることも出来たのでしょう。
コヘレトの果樹園ではぶどうやさまざまな果物が取れました。牛や羊も飼っていました。十分な財産があるので、贅沢な生活が出来たのです。金銀がたくわえられ、外国から取り寄せた宝物が置かれました。コヘレトのこの生活を維持するためにはたくさんの奴隷が必要です。庭園や果樹園や屋敷などを管理する人々の他、男女の歌い手は宴会のたびごとに座を盛り立てて、享楽的な雰囲気をかもしだします。こうした生活に女性は欠かせません。コヘレトは多くの側女を集め、こうしてそこはハーレムとなったのでした。
コヘレトがあらゆる努力を傾けてここでつくり上げたもの、それは根本において、自分の力で作り上げた地上の楽園にほかなりません。11節で彼は言っています。「わたしは顧みた。この手の業、労苦の結果のひとつひとつを」。彼は自分がなしとげたものを見渡したのです。皆さんはこのところから、何か思い出されることがありませんか。……それは創世記の1章です。神は天地のすべてを創造された時、ご自分のお創りになったすべてのものを御覧になり、満足なさいました。「見よ、それは極めて良かった」と書いてあります。
…コヘレトもこれだけのことを成し遂げたのですから、自分の造り上げたものを見て、神様と同じことを言いたかったのではないでしょうか。「見よ、それは極めて良かった」と。…しかし、そうはならなかったのです。彼の口から出たのは、「見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。太陽の下に、益となるものは何もない。」という言葉でしかありませんでした。
なぜコヘレトは楽しみの果てに空しさしか見出さなかったのでしょうか。私たちときたら小さな一軒家を建てるだけで一生の大仕事なので、コヘレトの悩みが想像しにくいのですが、本人にとっては実に深刻な問題でありました。
聖書にコヘレトがなぜそうなってしまったのかの理由は書いてありませんが、だいたい推測することは出来ます。というのは、古今東西このような企てがうまくいったためしはないからです。……コヘレトの家が平和だったとは思えません。側女たちの間でいさかいが起きたことは十分考えられます。奴隷たちも自分たちの境遇に不満をつのらせていったのかもしれません。…外からはいくら華やかに見えても、コヘレトをめぐって人々の不満や欲望、嫉妬や陰謀がうずまいているのです。…やがてそれは地上の楽園を崩壊へと導くことになります。
コヘレトは自分が始めたことによって、この世に罪を撒き散らしているばかりでなく、自分も罪によってむしばまれていることを知るのです。このまま行ったらコヘレトはいったいどうなってしまうでしょうか。
むかしアラビアで語り伝えられた千夜一夜物語の中に「真鍮の都」というお話があります。そこはかつて享楽の都と呼ばれ、栄華を誇った素晴らしい都でした。ところが、ある日突然、すべて生きとし生きるものが息絶え、時間が止まってしまったというのです。何百年もあとになって、そこに入った人は驚いて立ちすくみました。廃墟となった都の中で、道を歩いている人は歩いているまま、恋人たちは笑いさざめきながら、宴会に興じている人はそのままのかっこうで息絶え、金属の塊になっているのです。
恋と冒険にいろどられたアラビアンナイトの中にもこんな話があるので驚きますが、これが現実に起こったのが、聖書の中ではソドムとゴモラの滅亡です。またイタリアのポンペイの町が紀元79年、火山の爆発のため一瞬のうちに灰に埋もれてしまったことはよく知られています。自分の身勝手な欲望ばかりを追いかける人間は、永遠なるものの前になんとはかなく、もろいものでしょう。
ルターの始めた教会に権力との癒着という問題が起こりました。外には強大な軍事力と経済力を持つカトリックの勢力がひかえています。自分の教会を守るためには有力者と手を結ぶしかない、そうルターが考えただろうことは理解出来ますが、そこに問題がなかったのかどうか、……ルターの宗教改革に刺激されて、ドイツで大規模な農民の武装蜂起が起こりましたが、ルターは権力者の側に立ってこれに反対し、軍隊による鎮圧を支持しました。この結果、10万人とも言われる農民が殺されました。この時のルターの行動が正しかったかどうかは今も議論の的です。……もう一つ、ルター派の教会は20世紀になってドイツにヒトラーが出現したとき、その悪魔性を見抜くことが出来ませんでした。ヒトラーにすりより、ヒトラーによってうまく利用されてしまったのです。そうなってしまった原因は何か、教会は政治に関わるべきではないというルターの神学そのものに間違いがあったのではないか、と議論されています。……ただ、ではルターはどうすれば良かったのかというのはたいへん難しい問題です。これを考えるためにはさらにカルヴァンがこういう問題にどう対処したかということも含めて見てゆく必要があるのですが、それは別の機会に譲ることといたします。
私たちとしては、宗教改革は教会と世界の歴史に大きな光をもたらしたことを認めます。しかしそこに影があったことも見据え、では今の時代に教会はどうあるべきかということを追求することが大切なのではないかと思います。
ここで4節をみましょう。「しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる」。サルディスの教会に何人の人がいたかわかりません。しかし、少数ですがその中に純粋な信仰を保っている人がいました。生きているとは名ばかりの死にかけた教会であっても、それが教会である限り、神の恵みに応えて生きようとする人が起こされるのです。
これら少数の人たちの栄光は、その衣を汚さなかったことにあります。彼らは自分自身を世の汚れから、また教会の腐敗から守り通しました。……しかし、私たちがこの人たちを仰ぎ見る時、一方で不思議に思ってしまうのです。彼らは自分一人、世間から離れて救いの完成を求めて行った人たちなのでしょうか。修道院に入るとか、ひとり山の中にこもるのなら世の汚れに染まることはありませんが、それは誰もが出来ることではなく、私たちにはとうてい不可能です。…けれどもこの世界には、泥だらけになり、世間の中でのたうちまわりながらも、なおかつ人間であることをやめず、キリストからあふれ出る光を求めていこうとする人がいます。サルディスの教会の少数の人たちとはそういう人たちえはなかったでしょうか。人がどんなところで生活していたとしても、キリストの恵みの中で日々新しくされて生きているなら、たとえ罪との闘いの中で七転八倒しようとも、その人は衣を汚さなかった人、正確に言えば主イエスによって衣を汚さなくてすんだ人なのです。
「彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう」。教会が堕落し、死にかけていた時にあっても、そこで信仰が絶えたのではなく、少数でも勝利を得る者がいるなら、教会は死ぬことはありません。
イエス・キリストを満足させるに足る教会は、私たちの教会を含め、殆どないでしょう。しかし、ただの一人でもみこころにかなう人がいるなら、教会は死から免れ、改革されます。前進してゆくのです。少数ながら、衣を汚さなかった人、そこに私たちが入らないとは断言出来ません。もしも私たちが死に至るまで忠実であるなら、ある日キリストは私たちの名前を呼んで下さるでしょう。広島長束教会と私たち一人一人の上に、そのような恵みがありますように。
(祈り)
永遠にして変わらない神様。神様は私たちに、一週のうち一日をあなたの御名とみ子キリストの御名によって集まり、礼拝するようにお命じになりました。今日私たちは、あなたが建てた教会が死にかけた時、これを助け、甦らせて下さったことを感謝の内に思い起こすことが出来ました。イエス・キリスト以外のところから救いを得ようとする間違った信仰は、宗教改革において断罪されたのです。広島長束教会も宗教改革をなさった神様の愛と正義の内に建てられ、今日まで御導きのうちにあることを感謝いたします。
神様、どうか礼拝のたびに御子キリストによって、私たちの疲れた心を揺り動かし、奮い立たせて下さい。私たちの中には世間から見てとりたててすぐれた能力や資産を持っている者はおりませんが、しかし神様からそれぞれ世界に一つしかないたまものが与えられています。どうかそのたまものを生かし、教会のため、隣人のため、小さくとも価値ある生き方を選び取ることが出来ますように。神様が導かれる救いの歴史のほんの一端であっても、これをになう喜びを与えて下さい。
広島長束教会は小さな教会で、多くの困難をかかえています。教会の将来を思うとき悩むこともしばしばです。しかし最大の敵である罪と死を滅ぼした神様の力が注がれていますことを感謝いたします。私たちと教会に迫ってくる闇の力を打ち払い、ここを神様からいただく希望に生きる者の集まりとして導いて下さい。神様の愛とまこと、そして全能の力を信じます。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって、み前におささげいたします。アーメン。
エゼ3:16~17、黙示録3:1~6 2016.10.30
毎年10月31日は宗教改革の記念日です。私たちの信仰生活は教会を離れては成り立ちません。一人だけで信仰心を養うことなど不可能なのです。そこで今日は、死に瀕した教会を甦らせた、宗教改革に関わるお話をすることにいたします。
1517年10月31日、ドイツの一介の修道士マルティン・ルターは、カトリック教会が販売していた免罪符に反対して95か条の提題というものを書き、ヴィッテンベルクの教会の扉に釘で貼り付けました。これが宗教改革の始まりで、ここからプロテスタント教会が誕生したのです。広島長束教会が属する日本キリスト教会も、もちろんこの流れの中に入っています。
宗教改革とは教会のあり方を根底から改革するものでありました。そこから宗教改革によって誕生した教会を改革教会ということがあります。改革教会には二通りの意味があります。一つは、改革された教会で、もう一つは改革され続ける教会です。
かつてマルティン・ルター以前にも教会を改革しようとする動きはありました。中世において、腐敗した教会を正そうという動きがいろいろなところで起こりましたが、それらはことごとくつぶされてしまいました。ルターの登場によって初めて、改革への動きは現実を変革する力を持つようになったのです。それは、教会にとって偉大な体験でした。しかし、改革はその時、完成したのではありません。宗教改革を体験した教会はその時点で進歩を止めてしまったのではなく、現在まで改革され続けているのです。
さて、今日はヨハネの黙示録をとりあげました。ヨハネの黙示録は聖書の中でも、理解がはなはだ困難な、不思議なことが書いてあるということで有名な書物ですが、その初めの部分に7つの教会に宛てた手紙が載っています。これらの手紙を書き送れと命じたのはイエス・キリストなのです。…黙示録の1章でイエス様が光り輝くありさまで出現し、その口から「(わたしは)一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」という言葉が発せられます(1:18)。十字架上で死なれたキリストは、三日目に復活されて天に昇って神の右に座し、永遠に生きておられます。この方から7つの教会に手紙が送られました。7つの教会とはエフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの各教会で、すべて現在のトルコの中ににあった教会ですが、そこに書かれていることを一つの国の中に閉じ込めておくことは出来ません。
7つの教会への文面はそれぞれ違っています。一つ一つの教会の状況が違っているからです。皆さんもあとで7つの手紙をみな読んでみて下さい。私はこれらを読んでゆくうちに私は気がつきました。7つの教会は全世界、全時代の教会を代表しているのだと。私たちはこれらの手紙を、ほかならぬイエス様から届けられた手紙であることを心にとどめ、厳粛な気持ちで受け取らなければなりません。
サルディスの教会に宛てられた手紙を見てみましょう。そこに書いてあるように、主イエスは、神の七つの霊と七つの星とを持っているお方であられます。七つの霊を持っているとは、たくさんの霊的な実を結ぶ全き力を持っておられるということです。主は聖霊を用いて、今もこの世界で働き、みこころを行っておられるのです。主は七つの星も持っています。ここで七つの星は教会を表しています。だからこれは、教会のすべての権威と力が主イエスにあることを表しています。教会を治め、導かれるのは主イエス以外にないということを、まず心に刻んで下さい。これは当たり前のことではありません。教会がもしも主イエス以外の何か別なものを主とするなら、それは教会ではなくなってしまいます。そういうことがこれまでたびたび起こりましたし、今もどこかで起こっているのです。
教会のかしらである主イエスはサルディスの教会に言われました。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」。これは完全に死んでしまったということではありません。もしもそうなら、2節で「目を覚ませ」と言われるはずはありません。この教会が死にかけていて、生ける屍の状態にあるということです。
このことを宗教改革が起こる前の教会に当てはめることが出来ると思います。当時のカトリック教会は、死んだあとすぐ天国に行けるほど素晴らしくもなく、また、すぐに地獄に落とされるほど悪くもない魂は、煉獄という場所に送られ、そこで罪のつぐないを終えるまで罰を受ける、と教えていました。…誰でも罰を受けるのは恐ろしいわけです。地獄に落とされるのはもちろんのこと、煉獄で罰を受けるのも怖い、そんな人たちをターゲットに、教会は免罪符を販売しました。これを買うと煉獄での罰が免除されると言うのです。…カトリック教会は財政的な困難を解決するために免罪符を発行したと言われています。大聖堂を建築したいがお金がない、そんな理由で考えられ、発売された免罪符を人々は争って買い求めました。……しかし、そういう信仰生活は人間をどこに向かわせるでしょうか。信者の間に罪を犯すことを恐れず、罪の結果である罰だけを免罪符を買うことで逃れようとする傾向が強くなってゆくのをルターは苦々しい思いで見ていました。やがて、すでに死んだ人のために免罪符を買って、死者の受けている罰を軽減させることも行われるようになりました。
人間を天国に迎えるのは神だけが出来ることではないでしょうか。それを人間が自由に操作するようになってしまったのです。
教会が死にかけているという冷厳な現実の中で、ルターは「目を覚ませ」という主イエスの声を聞きました。…主はサルディスの教会に向って「あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない」と言います。たとえ自分では、素晴らしい教会だと自画自賛していても、主イエスから見てそうではなかったのです。このような教会に対する主の命令は何でしょう。3節を見て下さい。「だから、どのように受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ」。ここに教会を再生させる手がかりが与えられました。大切なのは自分が受けたこと、聞いたこを思い起こし、そこから悔い改めることです。教会はかつて神の恵みを受け、神の言葉を聞きました。しかし今や教会は、かつて与えられた恵みもみことばも忘れ、ずっと後ろに後退してしまたのです。
主イエスは教会に、かつてご自分から受けた恵みと与えられた言葉に対して責任を負わせられます。教会が改革されるという時、それは何か全く新しいことを始めるというのではありません。本来の立場に帰って、そこから外れた部分を見つめ、悔い改めるのです。ルターがなしとげたのは、まさにこのことでありました。
宗教改革によってプロテスタント教会が誕生したのは、主イエスの御導きの結果であり、世界史的な意義を持つことでありました。来年は宗教改革500年になります。世界中でルターを記念するさまざまな行事が行われることでしょう。
ただ、ルター以来の長いとしつきの中で、見えてきたこともあります。悔い改めなければならないのはカトリック教会だけではありません。私はカトリック教会の悪いところをあげつらって、プロテスタントについては口をつぐんでいようとも思ったのですがが、それでは公平ではありません。そのことをお話ししましょう。
ルターは勇気ある人でした。ルターが初め立ち上がったとき、彼はただ一人で全ヨーロッパを支配している力と闘ったのです。神のお支えがなければ、こんなことはとても不可能です。宗教改革が起こったことは、まことに信仰が生きていることの現れです。
けれども、そこにまもなく大きな問題が起こってきました。……ルターのまわりに多くの人が集まってきましたが、その中に諸侯と呼ばれる各地方の権力者たちが、おそらくカトリック教会の支配から逃れるという政治的目的もあってルターを支持し、応援しました。ルターは有力者と手を結びました。そのため、彼は心ならずも政治の渦中に巻きこまれてしまったのです。