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  神の強い手 youtube 

出エジプト 5:1~6:1  マタイ 10:16 2018.9.30

 

 今日、私たちはモーセを通して現された神の力を見ることが出来るでしょうか。

 出エジプト記の中から、あまり知られていないお話を紹介いたします。この時までの内容はこうでした。エジプトに寄留していたイスラエル民族は奴隷の民とされ、強制労働を課せられて苦しみぬき、助けを呼び求めるその声がついに神に届きました。そこで神はモーセをイスラエルの指導者として召し出し、モーセを通してこの民族を救おうとなさいます。モーセはそのときすでに80歳、弁が立つ方でもなく、こんな重大な務めは自分には無理ですと再三辞退しましたが受け入れられず、神の前についに屈服しました。モーセは兄のアロンと一緒に、いよいよ自分の民族を解放する闘いに立ち上がりましたが、その中に、いま長老に読んでいただいたところがあります。ここでモーセとアロンは人々から抗議されています。「どうか、主があなたたちに現われてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです」。実際は、これよりもっときつい言葉であったと思います。二人に激しい怒りの言葉が浴びせられました。なぜ、そのようなことが起こったのでしょうか。

 

 神の山ホレブで、神からイスラエル民族解放の使命を与えられたモーセとアロンはエジプトに戻ってきてまず、イスラエルの民の前に現われました。二人が、神の言葉を告げ、しるしを行ったところ、人々は彼らを信じ、ひれ伏して神を礼拝しました(4:29~31)。奴隷として虐げられた人々は、神が自分たちを顧み、解放して下さることを知ったのです。こうして人々の信頼を勝ち得た二人は、人々が期待をもって見守る中、ファラオのもとに出かけてゆきました。この時の二人は、イスラエルの民の解放はすぐにでも実現すると信じていたのでしょう。

 モーセとアロンは王宮に乗り込んでゆきました。そうしてファラオの前に立って言いました。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』」。

 いったい、それまでファラオの前でこんなことを言った人があったでしょうか。あるはずがありません。ファラオはモーセとアロンの大胆さにあきれかえったのではないかと思います。ファラオはいうまでもなくエジプトの最高権力者でありまして、当時どれほど大きな力を持っていたかはピラミッドを見るだけでわかることです。エジプトでファラオは、神として崇拝されていましたが、その人物に対してモーセとアロンはイスラエルの神の命令を突きつけたのです。

 ファラオは答えました。「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」。

 ここには二つの世界の対立が見えます。杖のほか何も持たないで来た二人の兄弟と一国の絶対的な君主、主の名によって語る者とその存在さえ知らない者。イスラエルの神、主のほか何も頼るもののないモーセたちと、自分自身が神として崇められているファラオ、この二つの間に何の共通点もありません。

 「主とは一体何者なのか」、ファラオの心に沸き起こったのは軽蔑の思いでしょうか、それともいらだちでしょうか。ファラオは、自分よりもモーセの言う主なる神が勝っているなどとは想像したこともありません。だから、そのような主など知らないし、その言うことを聞いてイスラエル人を去らせはしないと言い放ちました。ファラオにとって、奴隷であるイスラエルの民は大切な財産です。絶対に手放すわけにはいかないのです。

 

 ファラオにとって、無礼千万なモーセたちを牢獄に放りこんだり、部下に殺せと命じることはたやすいことでした。しかし、彼はそのようにはせず、その日、イスラエルの民を追い使う者と下役の者を呼んで、命じました。「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」。この時代のエジプトのれんがは今日、私たちが目にするものよりも大きかったということです。それは粘土と、それを固めるためのわらを混ぜて作られました。

 イスラエルの民を追い使う者と下役の者はただちに、イスラエルの民にファラオの言葉を伝えました。「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」。

 ファラオの命令は絶対です。これを聞いたイスラエルの人々の間に大きな嘆きと失望が生じたのは間違いありません。しかも、どうしてこんな命令が下されたのか、理由は告げられないのです。それなのに、それまで以上にきつい労働に従事しなければなりません。そこでどういうことが生じたでしょうか。

 エジプトの労働現場では、上からファラオ、イスラエルの民を追い使う者、監督として置かれた下役の者、イスラエルの民という命令系統の下、業務が進められていました。イスラエルの民を追い使う者というのはエジプト人です。

監督として置かれた下役の者はイスラエル人です。ファラオの命令を受けて、民を追い使う者と下役の者はイスラエルの民に、従来通りのノルマを果たすようせき立てました。しかし、ただでさえきつい仕事がわらを集めることでさらに増えたのですから、そうはなりません。するとエジプト人の、民を追い使う者たちは、監督として置かれたイスラエル人の下役たちに「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、打ちました。鞭で打ったのだと思います。

理由もわからないまま、れんがを作るためのわらまで集めなくてはならなくなった人々が不満を抱くのは当然です。特に監督として置かれた下役の人たちは、上からは過酷な締め付けがあるし、同胞のイスラエルの民の苦しみも知っていますので、精神的にもまいってしまったようです。そこで、勇気を出してファラオのもとに行きました。そして、わらが与えられないのに前と同じ量のれんがを造れと要求され、それが出来ないために自分たちは打たれています、間違っているのはエジプト人の方です、と訴えたのです。

このように物事が動いてゆくことは、ファラオにとってすべて計算済みでありました。ファラオはここで、この時を待っていたかのように、命令を下した理由を説明します。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ」。すなわち、モーセとアロンが「わたしの民を去らせて」、つまり仕事を休んで、「荒れ野で主のために祭りをさせてほしい」と言ったことを盾にとって、お前たちはみな怠け者だ、そんなわがままは許さん、今まで以上に働け、と言ったわけです。

ファラオの言葉を聞いて、下役の人たちはやっと事の経過がのみこめました。つまり、モーセとアロンがファラオを怒らせたので、こういう事態が起きたのだと。……悪いのはあの二人だ、あいつらが自分たちにとんでもない災難をもたらした、となるのです。モーセとアロンがこの人たちに非難されたのは当然の成り行きです。

 

聖書って本当にすごい本で何でも書いてあるんですね。社会のしくみや、権力者がどのようにして国を統治しているかということも勉強出来るのですから。…私たちはこの話から、古代エジプト社会の実態を知ることが出来ます。ファラオは絶対的な君主であるだけでなく、実に狡猾な人物です。ファラオが統治するエジプトは、奴隷となったイスラエルの民の悲惨な犠牲の上に繁栄を謳歌しています。イスラエルの人々の人権は考慮されず、きつい労働を軽くして下さいと言っても聞きいれられません。イスラエルの人々にとっては、支配者の言いなりになるしか生きる道はないのです。そこでもしもファラオに不満を表明したり、抵抗するようなことがあると、ここで起こったように、ファラオは奴隷の民同士を分裂させるので、抵抗する側は大きな力を持つことが出来ません。

「お前たちは怠け者なのだ」、これは支配者に典型的な言い方です。ファラオが懸命に働いているとは思えませんが、悪いのは怠け者のイスラエル人だと言うことによって、問題のすりかえをしているのです。ファラオはおそらく、エジプト人とイスラエルの民との間での憎悪をあおっていたと思いますが、それと共に、イスラエルの人々同士も互いに対立させることで、この国を実に巧妙に統治していたのです。かりにモーセとアロン、奴隷となっている民、監督として置いた下役の者たち、これら3者が一致団結すると侮りがたい力となるでしょうが、そうはさせないのです。こういう政治を行っている国は、そう簡単にはひっくり返りません。

ファラオは言いました。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ」。自分の信ずる神を拝むことが、上の者からは怠けているようにしか見えないということが古今東西あると思います。皆さんも職場などで、礼拝に出席するから日曜日の仕事は出来ないと言って怠けていると見なされたという経験はありませんか。しかし礼拝こそ何にもまさって重んじられなければなりません。

 

このように、モーセとアロンが立ち上がってイスラエルの民を解放しようとしても、ファラオの方が一枚も二枚も上手なので、二人は容易ならざる状況に追いこまれてしまいました。……この状況をどう打開するのか、……もしも以前のモーセだったら、また逃げ出して、外国に亡命していたでしょう。しかし、荒れ野で40年の訓練を受け、また神との直接の出会いを経験したモーセはもはや昔のモーセではありません。この問題をどこに持ってゆくかという所を、彼は知っていました。神様が言われる通りにしたのになぜこんなことになってしまったのかという思いを持ちながら、それでも神様がすべてをみこころのままに行われることを信じて、祈るのです。

「わが主よ、あなたはなぜ、この民の上に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか」。

モーセは、神御自らイスラエルの民を救われると言われたのに、救いどころか困難が来ているではないですかと訴えました。……主なる神様、あなたは本当にわが同胞を救い出すお気持ちがあるのですか。私があなたからいただいた使命を達成するために、いったいどうしたら良いのですか?

…この時、モーセに神の答えが与えられました。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる」。

ここでわたしの強い手という言葉が2回も使われています。神のお気持ちは変わりません。神は決して冷酷な独裁者でも権力者でもありません。そうでなければ神のみ子を地上に送ることはなかったでしょう。…ファラオの手は寄留民イスラエルを掌握しています。しかし、それより大きな力が民を解放させる日が近づいています。虐げられた民の解放こそ神の変わらないご意思です。

目の前を覆っている、あらゆる困難な状況にもかかわらず、神のみこころは確かです。イスラエルの民は必ず解放されます。ファラオ自ら民を去らせるでしょう。いやそれどころか彼らを追い出すようになるでしょう。

神はモーセの訴えを聞かれ、ファラオとの交渉が成功する確信を与え、イスラエルの人々を救い出されることを再び約束して下さいました。この国でどうしてそれが可能なのでしょうか。それを成し遂げるのが神の強い手なのです。神の強い手が実際、どのように働いてゆくのかは、聖書をこの先読んでゆく時に明らかになります。神は、ご自分が全能の神であられることをファラオに、そして全世界に示されようとしておられます。

 

神に従い、自分に与えられた務めを誠実に果たしてゆこうとするとき、予想に反して失望落胆させるような出来事が起こることがよくあります。そんな時、人は神を疑いたくなりがちです。しかし、何があってもその場所から逃げ出してはなりません。またその機に乗じてやってくるサタンの誘惑に乗ってしまってもなりません。大切なことは、モーセのように神に向かって自分の状況をありのままに訴えることです。そうして神の励ましの言葉を聞くことです。苦しみの時を神から遠ざかるのではなく、神に近づく機会として用いるべきです。モーセは神から素晴らしい励ましの言葉をいただきましたが、私たちが同じ恵みにあずかれないはずはありません。人間が困惑して神のもとに来る時、それは神が全能の力をふるう時だからです。祈りましょう。

 

(祈り)

天にいます父なる神様。台風が荒れ狂う中ですが、神様が私たちをこの礼拝に集め、この週を礼拝によって始めて下さったことを感謝し、み名を賛美いたします。

今日、聖書には何でも書いてあるのだと知って驚きました。ファラオを頂点とする古代エジプトの社会の中で生きてゆくのはまことに困難としか思えません。しかし、その中にただ神の言葉をたずさえて、虐げられた民族を救おうとする人が現われました。彼がしようとしていることは、人間の目にはとても不可能なこととしか思えません。案の定、すぐに大変なことになってしまいました。しかし、神様はみこころを貫徹なさいます。

神様の強い手があるなら、どんな暴君のもとでも、どんなに複雑な人間関係の中でも生き抜いてゆけるのです。私たちもそれぞれ厳しい社会の中で生きておりますが、どうか神様の強いみ手の中に置いて下さい。…私たちが神様の力を信じることが出来ない、弱い人間となりませんように。神様ではない別の力を、神様よりこわがる人間となりませんように。自分がそんな人にならないことはもちろん、そんな人を勇気づけてあげる者として下さい。

イエス・キリストが下さる救いというのは、ただ心の中だけに関わることではなく、私たちの全生活と結びついた具体的なものです。神様、どうか私たちが家族や友人や同僚の前で、またこの国の中で、不器用であっても、少しでも神様の強い手の働きに仕えて行く者とさせて下さい。

いま台風と闘っている人々を守り、力づけて下さい。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名を通してお捧げいたします。アーメン。

  役人生活を試みたコヘレト youtube 

 

コヘレト10:1~20、Ⅰテモテ6:15~16 2018.9.23

                              

 コヘレトの言葉の10章はなんともわかりにくい文章が綴られているようにも見えますが、おおざっぱに言って、賢者と愚者について、そのことを社会の現実の中で語っているのです。

 コヘレトの思索の旅は「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」というところから始まりました。どんな人にも訪れる死によってすべてが失われてしまうのか、…この究極の空しさに直面し、絶望しながらコヘレトは歩んできました。学問に精を出す、快楽にふける、事業を始める、彼がこういうことに一つひとつ取り組んできたのは、ひとえに人が生きてゆく意味は何かという問題の答えを求めてのことでありましたが、10章に書いてあることもこれに続くことです。

10章では初めのうち、主人と主人に仕えるしもべが出て来ますが、後半には王と王に仕える役人が出てくるので、自分より地位が上の人のもとでいかに身を処してゆくかということが最大の関心事になっているようです。その中に賢者と愚者がいていろいろなことが起こってきますが、コヘレトはこういったことを頭の中だけで考えて、書き残したのでしょうか。それとも、ここにはコヘレト本人の体験が反映されているのでしょうか。…聖書を研究する人の中には、コヘレトは実際に役人になり、王のもとで宮仕えを経験したとし、10章はその体験をもとに書かれたのだと考える人がいます。はっきりした証拠はありませんが、そう考えてもおかしくないほど、ここに書いてあることはリアルで真に迫っているのです。コヘレトは10章に入る前にも王について何度か言及しています。私はこれらを見た上で、コヘレトが実際に役人生活を体験したと考えて、今日の説教題を「役人生活を試みたコヘレト」としました。

コヘレトが心に大きな志をいだいて役人となり、王に仕えたということは十分に考えられることです。その仕事を行ってゆく中で、大きな功績をあげて王に賞賛されると共に、社会に貢献し、国民を幸せにすることが出来たならばこんな素晴らしいことはありません。しかし役人の世界も、それ以外の世界と同様、理想や夢がそのまま実現するところとは言えません。

役人の世界にも不正がありますし、地位が高くなればなるほど多くの誘惑にさらされます。これは古今東西、言えることでありまして、最近の日本でも収賄があったり、記録の改ざんとか破棄が行われたのは、記憶に新しいことです。このように役人の世界は、見たところはきれいでもひと皮剥けば何が出て来るかわからないところだと言えます。

…もちろん、そのことはすべての役人がそうだと言うことではなく、まじめに仕事をしている多くの役人がいることを否定するものではありません。

コヘレトが役人であったとするなら、この人のことですから、信仰の道に立って誠実に仕事をしていったに違いないのですが、しかしその生き方を最後まで貫くことが出来たとは思えません。役人の世界もやはり生易しいところではありません。うるわしい香油の中に死んだ蝿が一匹入り込むだけで、その香油がだめになってしまうように、大勢の良い人々の中に一人の悪人がいたとしても、その社会はけがされてしまいます。その悪人の地位が高ければ高いだけ、影響は深刻です。…建築物でも人間関係でも、積み上げるのはたいへんですが、こわしてしまうのは簡単です。そしてこわれたものはなかなか元通りにはならないのです。

社会の中で賢い人が地位が高く、愚かな人が地位が低ければ理想的ですが、そうとは限りません。高い地位にある人の中に愚者がいるのです。「愚者は道行くときすら愚かで、だれにでも自分は愚者だと言いふらす」、この人たちは自分の愚かさを恥じる様子もなく、しゃべればしゃべるほど自分の馬鹿さかげんを天下にさらすことになるのですが、そのことに気がついていません。もしも自分の上に立つ人がそんな人だったら悲惨です。4節にあるように「主人の気持があなたに対して高ぶってもその場を離れるな。落ち着けば、大きな過ちも見逃してくださる」、…こんな時は忍耐していなければなりません。

コヘレトは役人の世界をもむしばむ、愚かな人たちのことで悩みました。王に仕える役人たちは国を背負ってゆく大切な役目を与えられているのに、愚かな人が高い位にあげられているのです。それは君主たる者に知恵がない時に起こります。その結果、愚かな人が国を牛耳ることになり、今度は賢い人が低い地位に甘んじてしまうのです。もしもそんな国のために一生懸命働かなければならないのだとしたら、役人の仕事とは何とむなしいものでしょうか。

しかし、だからといって、そういう現実に対してむやみやたらに抵抗してもどうにもなるものでないことをコヘレトは悟ります。出る釘は打たれると言います。しっかり考えることなく理想を唱えても、愚かな人たちにつぶされてしまうだけです。…落とし穴を掘る者がそこに落ちることがあり、石垣を破ろうとする者がすきまに隠れている蛇にかまれることがあります。石を切り出す者が石で傷つき、木こりが上から落ちてくる木に当たることもあります。落とし穴を掘る者も石垣を破ろうとする者も、石を切り出す者も木こりもみな専門の職人ですが、それでも失敗することがあります。だからよくよく気をつけなければなりません。この世の不正を正そうと、地位のある愚かな人たちに抵抗し、間違った決定をした王をいさめようとしても、それで無事にすむことはない、とコヘレトは考えました。

10節の「なまった斧を研いでおけば力が要らない」は、なかなか鋭い言葉です。かたい木や石を切る時、前もって斧を研いでおかなければ、無駄な労力を費やすことになってしまいます。11節:「呪文も唱えぬ先に蛇がかみつけば、呪術師には何の利益もない」。中近東にも蛇使いがいたのでしょうか。蛇使いが呪文をかけるタイミングを誤ると、蛇にかみつかれることがあります。これは蛇が悪いのではなく蛇使いが悪いのです。ここではコヘレト自身が蛇使いに、コヘレトが対峙している権力者が蛇にたとえられています。人を動かし、懸案になっていることを前に進めようとするなら、しっかりした準備とタイミングが大事だと言っているのです。

要するにコヘレトは、焦ってことを仕損じる前に、まずじっくり考えようとしたのです。自分の理想を実現するためには、すぐに行動に打って出るのではなく、しっかり準備しようとしたのです。こうするよりほかに方法がなかったのでしょう。…ではコヘレトの努力は実を結んだのでしょうか。10章の終わりまで見るてゆくと、どうもそうではなかったようです。

このあと12節から15節にかけて、コヘレトは賢者と愚者を比べます。賢者の口から出る言葉は恵みです。しかし、それが広く人々の耳に届くようになっているのでしょうか。…これに対し、愚者の口から出るのはたわ言とうわ言で、しかも口数が多い、そんなものが世にまかり通っているのが現実です。……とはいえ、愚者が幅をきかせているのはこの世で生きている間だけです。未来のことはだれにも分からないし、死んだあとどうなるか教えてくれる人はいません。「愚者は労苦してみたところで疲れるだけだ」というのは、愚者がたとえ高い地位につき権勢をふるったとしても空しい限りだということでしょう。

 

コヘレトの言葉が書かれたのがいつだったかということは、諸説いろいろあってはっきりしませんが、それがイスラエル民族にとって激動の時代であったことは確かです。日本のように外敵から守ってくれる海はなく、まわりを強国に囲まれながら生きてゆかなければならない小国にとって、政治がどうなるかということは国民にとって生きるか死ぬかの大問題でありました。

16節:「いかに不幸なことか。王が召し使いのようで、役人らが朝から食い散らしている国よ」。人は往々にして、社会的地位が高い人はそれなりの見識をそなえた、素晴らしい人だと考えるものです。今でも多くの人が、「国がやることに間違いはない」と考えていますが、現実はどうでしょうか。…コヘレトの時代、国民から尊敬されている社会的地位の高い役人が、朝から宴会ざんまいで大いばり、王でさえもこの人たちの前で小さくなっていたということがあったのです。

こういうことは当時の封建道徳に照らしても間違いであり、身分制度を基本とする時代においては、あってはならないことですが、それがまかり通っていたのです。…これに対するあるべき国の姿とは、「いかに幸いなことか。王が高貴な生まれで、役人らがしかるべきときに食事をし、決して酔わず、力に満ちている国よ」ということになるのですが、コヘレトがいた国はそうではありませんでした。

このことを踏まえて、コヘレトが18節で、「両手が垂れていれば家は漏り、両腕が怠惰なら梁は落ちる」ということをわざわざ言うのは、家屋の管理を怠っていれば雨が漏り、やがて住めなくなってしまうように、国も愚かな人間をのさばらせておけばやがて滅びてしまうからです。コヘレトの生きた時代、亡国ということが差し迫った問題となっていたのでしょう。…ひるがえって今の時代の日本を一軒の家に例えたとき、雨漏りの危険があったり、家を支えている横木が落ちそうになっているということはないでしょうか。国を支える役人が腐敗していれば、どんなに堅固な国家であってもやがてくずれて行くのです。

 

愚かな人間がのさばって国の根幹がゆらいでいる時に、コヘレトのように、国を憂え、良心的に考える人が国の指導的な地位につくことが出来れば良いのですが、それはなかなか難しいことです。もしもその国の国民が目覚めていれば良いのですが、権力者の言うままになっているなら、社会が良い方向に変革される望みはきわめて薄いと言えます。…では、そんな危機的な状況に陥ったら、どうしたら良いのでしょうか。

私たちがそういう問題意識を持ちながら19節の言葉を見ると、意外に思うにちがいありません。コヘレトはここで、「食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる」と言うのです。それは、社会の大きな矛盾を前にして、闘うことをいったん中止した姿です。

コヘレトがこういう結論に達した理由を示すのが、「親友に向かってすら王を呪うな。寝室ですら金持ちを呪うな」という言葉です。コヘレトがいた国では、小声でつぶやいたことすら密告されてしまうからです。愚者がのさばる国で監視の網が張りめぐらされているというのはよくある話で、王や権力者を批判していることが当局の耳に入りでもしたら、それこそ命を失うことも覚悟しなければなりません。危ないことは口にするな、黙っているのが安全で、むなしいけれども仕方がないではないかというのがコヘレトの得た結論のようです。

体制を批判する言動が監視されているというのは現代にもありますね。ある日本人ジャーナリストが北朝鮮の平壌に駐在していた時のことを回想して、自分が監視されていることを知って恐怖におびえたことを告白していましたが、こういうことはなにも北朝鮮だけではありません。スノーデンという人が告発したのは、アメリカがインターネットを使って厖大な個人情報を収集しているということでした。…今でもネットで買い物すればデータが蓄積されて、「あなたにお勧めのものがありますよ」という案内が来ます。

もしも図書館で借りた本についてのデータが悪用されたら、だれがどの本を借りたかということでその人の思想信条がわかってしまいます。い今やどこの国でもその気になれば、コンピューターに蓄えられた情報から、その人の思想信条などを特定することが可能ですから、警戒を怠ってしまうと、私たちが想像できない規模の監視社会が出現する可能性も出て来ます。その意味でコヘレトが抱いた恐れは、決して過去のものではありません。

内村鑑三先生は、「かくして、コヘレトの役人生活は何の良いこともなかった。彼が免職になったか自分からやめたかはわからないが、ともかく役人をやめて、普通の人の戻った」と書いています。…こうして、コヘレトの言葉の10章は、私たちに大きな問題を投げかけたまま終わってしまいます。皆さんはこの章がこういう結論を導いたことについてどう思われるでしょうか。

 

昔から、大きな望みをいだいて役人になったものの、その世界にはびこる不正に耐えきれなかった人はたくさんいました。日本でも中国でも、役人生活をやめてから故郷に帰ったり、また山の中で隠居し、詩を作ったり文章を書いて過ごす人がいたのです。それも一つの生き方ですが、現実逃避と紙一重です。ただ、コヘレトは役人生活から離れても、現実の世界から逃げることはありませんでした。彼は国王ではなく、世界を治めたもうまことの王、神に仕える道を選ぶことになるのです。…このことが今日与えられたみ言葉から見えてくるのですが、この時、信仰が現実逃避の手段でないことは覚えておきたいことです。

愚者のはびこる、間違った国のあり方を正そうとしたコヘレトの企ては失敗したようです。彼はいったんそこから退いて、新たな態勢づくりを模索することになります。しかし、そこからどのような道が開かれるのでしょうか。その答えを見いだすのは並大抵なことではありません。賢者の上にも愚者の上にもつらぬかれるキリストのご支配の中に私たちがいることを感謝し、コヘレトの歩みをたどって行く中で、私たちに備えられた道を探ってゆきたいと思います。

 

(祈り)

 天地の父なる神様。み名があがめられますように。きょう私たちは、コヘレトの言葉から大きな課題を与えられました。コヘレトの時代とは違いますが、いま私たちが生きている社会も理想の社会ではありません。この社会が腐っている時、神様があらゆる方面のご自分に仕える人を起こして、不正を正してゆく道を開いて下さいますように。私たちの中にも、そのみこころに従う勇気と知恵を与えて下さい。私たちが世の中の動きに対し無批判のままただ流されて、罪を増し加えてゆくことがありませんように、常に前に立って導いて下さい。私たちの信仰が現実逃避とならず、この世の中で生きて働く信仰でありますことを願います。神様を信じる者だけでなく、信じていない者の主でもあられるとうとき主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

信仰に生きる人々  youtube

創世記15:6、ガラテヤ3:1~9 2018.9.16

 

 本日はガラテヤの信徒への手紙の一部と取りあげて、学ぶことにいたします。ガラテヤとはどこでしょうか、皆さんは聖書のうしろにある地図をご覧下さい。「7 パウロの宣教旅行 1」は上の方にガラテヤと書いてありますね。「8 パウロの宣教旅行 2,3」にも「9 パウロのローマへの旅」にも出て来ます。このガラテヤ地方に含まれる町がアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベになります。

 パウロは第1回の伝道旅行でこの4つの町を順に訪ね、同じ道を通って帰って行きました。2回目の伝道旅行でも3回目の伝道旅行でもこれらの町を通っていますから、ガラテヤには3回行ったことになります。それではガラテヤの信徒への手紙をいつ書いたかということになりますが、2つの説があります。1つは第2回伝道旅行の途中、ギリシアのコリントにいる間に書いたとするもの、もう1つが第3回伝道旅行の途中、エフェソで書いたとするものですが、どちらが正しいのか決着がついていませんし、今はこういう議論をする時ではないのでこれ以上はふれません。

 ガラテヤ書1章6節はいいます。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」

 いま使徒言行録で学んでいますが、パウロはバルナバと共にアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベの町をまわり、福音を語り伝えました。その中の多くの町でユダヤ人を中心とする反対派の妨害に遭い、迫害を受けます。石を投げつけられ、半死半生になった時もあります。しかしそのためにパウロたちがしたことが消えて無くなってしまったのではなく、その状況の中で主イエスを信じる者が起こされます。弟子が出来ます。教会が誕生します。その教会が成長して行くのですから、神がなさることは人間の思いを超えています。

 …しかしながら、その教会に大きな問題が起こりました。パウロはそのことを見て知ったのでしょうか、それとも聞いて知ったのでしょうか、どちらにしてもこれはただごとではないと判断したことで手紙を書き送ります。…ガラテヤの諸教会のありさまにあきれはてているということと、それでもみんなが悔い改めて正しい道に帰ってほしいという思いを伝えたのがこの手紙でありまして、私たちはここから信仰に生きるとはどういうことかについての指針を見いだすことが出来ます。今日は、使徒言行録で学んでいることの助けになると思って、この箇所を取りあげました。

ここでパウロはこみあげる思いを吐露します。「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」

 物分かりの悪い、これについて「愚かな」と訳している聖書もあります。この手紙が教会で読み上げられた時、むかっとした人は多かったのではないでしょうか。…しかしガラテヤの人たちは、べつに不品行を行っていたわけではなく、大酒を飲んだり、かけごとにのめりこんでいたわけでもありません。「神な存在しない」と言っていたわけではないし、本当の神に代えて偶像を拝んでいたのでもないのです。しかし、その信仰内容をパウロが問題にした時、「物分かりの悪いガラテヤの人たち」と言うのです。

 私たちは、パウロの「だれがあなたがたを惑わしたのか」という言葉から教会に何者かが入り込んで、人々を正しい信仰からそらしてしまったことがわかります。…それではどれが正しい信仰で、どれがそこからそれてしまった信仰なのでしょうか。パウロはまず、人々が信仰を受け入れた原点がどこにあったかをクローズアップさせています。

 パウロは言います。「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。」

 パウロはガラテヤの諸教会で、十字架につけられた主イエスの姿を浮かび上がらせたのでしょうか。だとしたら、そのためにどういう方法があったのでしょうか。…人々は幻の中でイエス様を見たのでしょうか、まるで映画のように、イエス様のお姿がリアルに映し出されたのでしょうか。…しかしそのような超自然的な体験を裏付けるようなことは使徒言行録にも聖書のどこにも書いてないので、実際のところはおそらくこういうことだろうと思います。

 パウロは第一コリント書の2章2節以降でこういうことを書いています。「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も語るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは…ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」これはパウロがコリントの人々に送った言葉ですが、私はガラテヤの人々にも当てはまるものと判断します。パウロが語ったのは、何より、十字架につけられたキリストでした。言葉たくみにということではなかったでしょう。また、パウロが人々に幻の中でイエス様を見させるようなことはしていないはずです。

しかしパウロが語る言葉を助けるために、聖霊が力強く現れて十字架上のキリストをはっきりと証ししたのです。

聖霊は十字架のキリストを心の目にはっきりと見せてくれました。…このことではガラテヤの人々も異論はなかったはずです。人々は聖霊を受けて強烈な体験をしたのです。パウロはこのことを踏まえた上で、さらに言います。「あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。」

 “霊”を受けたとはもちろん聖霊を受けたことですが、使徒言行録でいま学んでいるガラテヤ宣教旅行には書いてないのですが、確かに起こったものと考えられます。…これまでにもそのようなことが起こっています。

 ペンテコステの日、120人ほどの人々が一つになって祈っているところに聖霊が降りました。

 フィリポはサマリアに行って福音宣教を行い、その結果、サマリアの人々が神の言葉を受け入れました。エルサレムから2人の使徒がかけつけて、人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けました(8:17)。

 異邦人である百人隊長コルネリオもいます。この人と家族や親類、親しい人たちがペトロの説教を聞いていた時、…聖書にはこう書いてあります。「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。」

 これと同じようなことがガラテヤで起こらなかったとは思えません。おそらくガラテヤの人々は、パウロたちの語る言葉を聞き、イエス・キリストが十字架につけられた姿を心の目で見て、信じたのです。そこに聖霊の働きがありました。彼らが福音を信じることと同時か、あるいはそのあとで聖霊を受けたのだと考えられます。

 使徒言行録で聖霊を受けるところを見て行くと、それは神秘的な体験だったようです。そこで聖霊を受けるというと何か神秘的な体験をすることだと考え、現代のわれわれにもそういう体験がなければだめだと主張する教派があるのですが、ただ日本キリスト教会は、神秘的な体験がある人であれ、また、そんなことがまったくなかった人であれ、イエス様をキリストと信じた者は聖霊を受けるのだと考えています。…そこでパウロの言葉に立ち返ると、ここでは、聖霊を受けたことが何によって起きたかということが大事です。…ガラテヤの人々は律法を守っていたから聖霊を受けたのでしょうか。旧約聖書に書いてある律法を守り、良い行いに励んだから聖霊を受けたのでしょうか。…それとも、パウロたちの語る言葉を聞いて、イエス様を信じたから聖霊を受けたのでしょうか。…もちろんあとの方が正解です。信じることによって聖霊を受けたのです、良いことに励むことによってではない、そこのところの順序を間違えてはいけません。

聖書には、律法と律法主義をめぐる議論がえんえんと展開されていて、これでへきえきしていしまう人が少なからずいます。どっちでも良いじゃないかと思っている人もいるかもしれませんが、この問題を放置してしまうと教会はパウロがあきれはて、心配し、反対した方向へ向かってしまう可能性が十分あります。そうしてそれが行き着くところ教会の死にほかなりません。私としてはこの問題について、できるだけわかりやすく、日常の生活に根ざした言葉で語ることを、自分の課題にしようと思っています。

 では、パウロがここで訴えていることを私たちが日常使う言葉に翻訳するとどうなるでしょうか。これはですね、「私はこれこれのことをしなければ」とか「自分は立派な人間にならなければ」と考える、そしてこれを達成したらキリスト者としての祝福にあずかれること考えることです。逆に言うと、自分は何もできないからとか、立派な人間じゃないからという理由で信仰から遠ざかるのは間違いだということです。…「自分はまだまだだめですから、洗礼を受けられません」という人はその典型です。それではイエス様を信じることも、聖霊を受けることも出来ません。

 数年前、「ありのままで」というフレーズを繰り返す歌がヒットしましたが、信仰的には慎重に考える必要があります。…ありのままの自分、不十分、不完全、それこそ傷だらけの自分のままキリストの十字架の前に立ち、信じて神に受け入れていただくのです。…このことは洗礼を受ける前だけでなく、洗礼を受けたあと、信者になってからも、生きている限り続きます。

 ガラテヤの諸教会の信者は、聖霊によって新しい人生が始まった人たちです。それは律法に従って何か立派な行いをしたからではなく、イエス様を信じることによって始まったのです。神がキリストの十字架によって人間の救いのための決定的な出来事をして下さったので、それを信じて聖霊を受けたのです。…出発は素晴らしかった、ところがそのあと、これからは自分たちの良い行いによって神様に認められるようにしようとなりました。これが「“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとする」ことです。律法を全部守って行こうとすることはわずらわしいことでもあり、人間には不可能です。しかし、何者かにそそのかされそのことをやり遂げようとしたのがガラテヤの諸教会です。…そのことによって柔軟性を欠いたカチンカチンの教会が出現します。信仰の原点を見失ったことがもたらす当然の帰結に向かっているのです。

 福音を信じて聖霊を受ける信仰者の歩みはこの方向とは全く違います。聖霊による導きは、何かをすることではなく、十字架上で死に勝利の内に復活されたキリストの恵みにとどまることによって始まります。…ですから、何もしない、できない人であっても信仰生活はあるのですが、聖霊に導かれて人が良いことをすることはあるわけですね。…ややこしいので事柄を整理します。つまりパウロが憂慮しているガラテヤの諸教会の信仰というのは、人は神様に認められなければ救われ、だから神様に認められるために良いことをするのだというものです。

…そうではなくて、神様に受け入れられたということへの感謝を胸に、そこから新たに歩み始めるのです。その時、良いことをすることも義務感ではなく、喜びの内にわきあがってくることなのです。

 パウロはこのことを説得するために、ユダヤ人が尊敬してやまない、信仰の父アブラハムを登場させました。この人は良いことをしたから神に認められ、信仰の父になったのでしょうか。そうではありません。もちろん良いことはいっぱいしたのですが。聖書に「アブラハムは神を信じた。それは神の義と認められた」と書いてあるのです。良い行いをすることで自分の救いをいよいよ確かなものとしたいと考えていた人は、アブラハムについてこう書いてあることを知って驚愕したのではないでしょうか。

 私たちの多くは、福音を信じて、洗礼を受けました。聖霊が働かれたからこそ、私たちはイエスを信じ告白することができるようになったのです。聖霊が私たちの心のうちで働かれなければ主を信じることはなかったのです。ところが、私たちは信仰を始めていくばくも経たないうちに、信仰のマンネリ化に陥ります。スランプになります。そのままで良いと思っている人の中で信仰を棄てる人がいます。そうならなくても、信仰を強くするために、何か努力をしなければならないと考え出します。難行苦行を自分に課する。熱心に善行を行なう。自分を厳しく律する。こういう営みをしなければ信仰は成長しないと考えるのです。その一つひとつは立派なことであっても、それをすることの喜びはうすく、やがて信仰はひからびてしまうのです。ガラテヤの人々と同じく私たちにとっても信仰の成長は、私たちの何らかの努力によるものではなく、聖霊なる神の働きによります。私たちが自分の自由な意思で、神様の恵みに対する応答として自分の人生を神様にささげることを願いたいと思います。

(祈り)

 私たち皆の主なる神様、

 日野美枝子さんが天に召され、悲しみの中にある私たちですが、しかしその中でもこのように礼拝が守られ、とうといみ言葉で力づけて下さったことを感謝いたします。

 神様、今ここにいる人たちがみな喜びの中で神様を礼拝していることを望みますが、全員そうだとは限りません。もしかすると、悩み苦しみの中で必死に神様の助けを求めているものの、まだ神様のお答えを得ていない人がいるかもしれません。また信仰がマンネリ化したり、律法主義的なものを求めるようになっている人がいるかもしれません。神様、限られた人生の時間を、私たちみなが信仰によって輝くことが出来ますよう、私たちそれぞれの、罪との闘いと悔い改めを信仰の勝利へとつなげて下さい。このことをイエス・キリストの十字架と復活によって根拠づけて下さい。

 とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

神にされそうになった使徒 youtube 

詩編135:18、使徒14:8~18  2018.9.9

 

 パウロとバルナバは、アンティオキアから追い出されてイコニオンに来ましたが、そこも追い出されてリストラに来ました。この町でもアンティオキアやイコニオンで起こったのと同じことが起こったことはたしかです。パウロとバルナバは、やはりここでも安息日に会堂に入ってみ言葉を語ろうとするでしょう。それを聞いた人の中で、イエス様を信じる人と信じない人が出るでしょう。そしてやはりここも追い出されそうになるでしょう。

 しかし、同じことを繰り返し書くことをしないのが、使徒言行録の作者のやり方のようです。前と同じことは出来るかぎり省き、ここだけに起こったことを書きとめた、それが記録されているのです。

 

 パウロとバルナバが神々にされてしまったというのが、この町で起こった大事件です。群衆が「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言ってまわり、そこにゼウスの神殿の祭司までが加わったのです。

 私たちはもちろんパウロとバルナバが神でないことを知っていますが、しかしここで考えさせられることがあります。というのは私たちも、神が人間の姿をとって、私たちのところにお降りになったということを教えられて、信じているからです。神が人間の姿をとってこの世界に現れた、それがイエス・キリストにほかなりません。私たちの誰もがイエス様の来臨を喜び、クリスマスには盛大なお祝いをしているのですが、ただ教会の外の人々、特に強固な無神論者にとっては、パウロとバルナバを神々と信じた群衆も、われわれキリスト信者も、似たようなものに見えているかもしれません。…私たちは彼らとは違うんだということを示すことが出来るでしょうか。こういうことをちょっと頭に置きながら、ことの経過を見てゆきたいと思います。

 事件のきっかけは、生まれてから一度も歩いたことがない、足の不自由な人を、パウロが一言のもとにいやした奇跡でした。この人は座って、パウロの話すのを聞いていたといいますから、この奇跡が起こったのは会堂の中であったのかもしれません。

 皆さんはすでにいくつもの奇跡の話を聞いて、ご存じです。使徒言行録の3章にも、ペトロとヨハネが生まれながら足が不自由で物乞いをしていた人をいやした話があります。そこでは、この人が何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロが「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立ち上がらせました。すると彼は躍り上がって立ち、歩き出したのです。

 いまパウロの前にいる人も、パウロから声をかけられると、躍り上がって歩きだしているので、二つの話は似ています。しかし、よく見ると大きな違いが見えてきます。先の話に出て来た人は物乞いでしたが、こちらの方は物乞いだったかどうかはわかりません。施しを求めた人とは違い、こちらはパウロの話すのを聞いています。説教を聞いているのです。

 ここで注目されるのは、「パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め」と書いてあることです。いったい「いやされるのにふさわしい信仰」というのがあるのでしょうか。信仰が段階づけされて、ある程度以上であればいやされるに値する、それ以下ではだめだ、というようなことは、聖書全体から見て考えにくいのです。現にペトロたちが立ち上がらせた物乞いの男性も、何かもらえると思っていたらいやしが行われたわけで、この人の信仰の程度が問われたわけではありません。

 だとすると、これはいったい何でしょうか。おそらくこれは、ペトロたちの奇跡とは別のケースなので、パウロは、ペトロの言い方とは違う言い方をしているのです。…そこには、パウロの説教を聞いて、イエス・キリストによる救いのみ言葉を心から信じて受け入れ、その救いにあずかりたいと真剣に願い求めていた足の不自由な人がいます。パウロは彼を見つめて、救いを求める熱烈な信仰が彼の中にあることを見て、救いへと導いたのです。ですから最も大事なことは、彼がイエス様を救い主と信じたことにあるのですが、そのことのしるしが、踊りあがって歩き出すということでありました。

 これはイエス・キリストの勝利、信仰の勝利を現わすものですから、その場にいあわせた群衆は、このことを通してイエス・キリストと彼を遣わされた神を賛美すべきであったのです。

 パウロを通して語られた神のみ言葉が、この出来事を起こしたのです。ところが群衆は神のみ言葉もイエス・キリストも父なる神のことも意に留めません。パウロが指さした方向を見るべきであったのに、それをせずパウロの指を見てしまった、つまり生身の人間を見てしまった、それはちょうど手を上げ指をさして「何が見えるか」と聞いた時に、「爪の垢が見えます」と答えた人に似ています。そのために「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」といって騒ぎだしたのです。

 ここにはユダヤ人はいなかったのでしょう。11節は群衆がリカオニアの方言をしゃべっていたと書いています。これはどういうことかと言いますと、パウロたちの知らない言葉でしゃべっていたということです。パウロたちにとって奇跡を行った時に人々が驚いたり、声をあげたりするのは想定内だったはずですが、彼らが話している言葉はさっぱりわかりません、その内に声がどんどん大きくなって行く、ゼウスとかヘルメスとか神々の名を叫んでいるのでようやく変だと気づいた、

これは只事じゃないとあわてているところに今度は神殿の祭司が雄牛数頭と花輪を運んで来て二人にいけにえを献げようとしたのです。これはバルナバとパウロを礼拝するということで、これは大変だ、となったのです。

 ゼウスは言うまでもなくギリシャ神話で有名な神様で、神々の中でも代表格とされていました。ヘルメスはゼウスの子で雄弁の神とされていました。パウロとバルナバでは、バルナバの方が年長で、話をするのはもっぱらパウロだったので、バルナバがゼウスに、パウロがヘルメスにされてしまったのです。

 その当時、こんな話があったそうです。…昔、この地方のある貧しい農夫の家に、ゼウスとヘルメスが人間の姿をとって訪れたことがありました。夫婦は見知らぬ旅人が神々であることなど夢にも思わず、精一杯もてなしました。…その後、この地方を洪水が襲いました。その時、この夫婦はゼウスとヘルメスのご加護によって救われた、というものです。…この話を知っていたリストラの人々は、いつかまたゼウスとヘルメスが人間の姿に身をやつして訪れるかもしれない、と思っていたようです。そんな時に、見知らぬ二人の人によって奇跡が行なわれたのを見て、この機会を逃してはならないとなってしまい、すぐに神殿の祭司に通報すると、祭司の方でも神々をお迎えするためにと準備を整えてやって来たのです。

 

 パウロたちはいま起きていることが、自分たちを神々として礼拝することで、まことの神に対するたいへんな冒涜であることに気がつくと驚愕し、服を切り裂いて群衆の中に飛び込んで行きました。こうして語られたのが15節からの言葉です。

 バルナバとパウロは、「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません」と叫びました。二人はまことの神を伝えるためにはるばるここまで来たのに、自分たちが神とされてしまえばすべてが台無しになってしまいます。…自分たちはあなたがたと同じ人間だと言うのです。

 「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。」二人は、私たちは神ではないのだから礼拝などしないでくれ、と言うだけではなくて、こんな馬鹿なことはやめて生ける神に立ち帰れ、と勧めます。…石や金属などで造った偶像は目があっても見ることが出来ない、耳があっても聞くことが出来ない、口があってもしゃべることが出来ないわけですからこんなのが神でないのはもちろんです。では人間はどうなのか、目も耳も口もあってこれを用いることが出来るわけですが、それでも神にはなりえません。人間の願望を投影したにすぎないものだからです。今でもいくつかの国では指導者に対する個人崇拝が行われていますが、その人間でも死から逃れることは出来ません。

人間は死すべき存在にすぎません。では、これとは違う、生ける神とはどのようなお方なのでしょうか。

 「この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。」

 生ける神、まことの神こそ天地万物の創造者です。宇宙も地球もその中にあるすべてのものも、この神が造られたものです。人間も神によって造られました。神が造られたものを人間が造ることは出来ません。

 「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。」

 神はこれまで、ユダヤ人を除くすべての民族がまことの神のことを知らずにいるままにしておかれました。だからそれぞれの民族が、勝手に自分たちの神々を考え出して、礼拝していたのです。神はそのことを大目に見ておられました。

 「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。」神はそれでもすべての民族の上に働いておられました。人間にご自身を示して下さっていたのです。それが「恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」、まことの神は雨を降らせ、実りの季節を与え、食べものを与えて、人々の心を喜びで満たして下さる。…あなたがたは知らなかったかもしれないが、生ける神があなたがたの生活を支え、生きる喜びを与えて下さったのだ、ということです。

 こうしてバルナバとパウロは、群衆が自分たちにいけにえを献げるのを、やっとやめさせることが出来たというのですが、…私は、ここには記録されていない言葉があるのではないか、そうでなければ、人々はこの言葉の奥にあることを聞きとったのだと思っています。というのは、過去の時代に生ける神がなさったことを知るだけでは、新しい行動を起こすきっかけにはならないと考えるからです。

 「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれた」、しかし今、神は全く新しい時代の扉を開かれました。それなら、これまで大目に見られていた偶像を捨て去り、生ける神にこそ心を開くべきではないか!…群衆は、バルナバとパウロはどうも神々ではないらしい、あれほどまでにやめろやめろと言っているからには、自分たちが間違っていたようだとやっと気づいて、鉾をおさめたのだと思われます。

 ギリシア神話を読めばわかりますが、そこに出て来る神様というのは、知恵の化身であったり、力の象徴だったり、美の女神であったりと、人間の願望や理想が体現されています。それでいて人間と同じような男女関係もあり、これを羨ましいと思ってしまう人がいるかもしれませんが、人間にとっての指針になることも模範となることも見つけることは出来ません。これが神様のなさることか、というようなことがいっぱいだからです。そこにあるのは人間の頭が考え出した神々にすぎません。

 これに対し聖書は、神が人間の常識を超えた存在であることを教えています。過ぎ去った時代に神は、雨を降らせ、実りの季節を与え、食べものを与えて下さるという仕方でご自身を示しておられましたが、そうした時代は過ぎ去り、新しい時代が始まったのです。それは生けるまことの神様が、全く新しい仕方でご自身を世界に示し、証しして下さる時代で、その証しというのが、神のみ子イエス・キリストにおいて与えられたのです。イエス・キリストは人間となって下さった神です。人間が神になったのではなく、神が人間になったのです。人間の姿に身をやつして来たのではなく、まさに私たちと同じ人間になってこの世界に生まれて来て下さったのです。それは、私たちの罪を全て背負って、私たちの代わりに十字架にかかって死んで下さるためでした。ここに、神様の言葉に尽くせない恵みがあります。しかしこの恵みは、人間の頭では決して考えられなかった常識外のことなので、私たちでも頭の切り替えは容易ではありません。

 人間となった神、主イエスの前で私たちも、バルナバとパウロの前に押しかけた群衆と似ているかもしれません。ご利益を期待しているのです。主イエスはしかし、ギリシア神話の神々のようなご利益を下さりはしません。そのかわり、私たちをご自身の十字架のもとに連れて行かれるのです。むごい、見たくもないものを私たちは見させられます。しかしその先に主イエスの復活があり、私たちも永遠の命にあずかることが出来るのです。

 パウロによっていやされた生まれつき足の不自由な人は、主イエスの十字架と復活を信じて、躍り上がって歩き出した、私はそう信じています。私たちも、主イエスに出会い、主イエスと共にあることで、このことを彷彿とさせるようなしるしがありますように、と願います。 

 

(祈り)

 私たち皆の主なる神様、

 台風21号が近畿地方を中心に猛威をふるい、北海道では大地震が起こった中ですが、私たちが健康を守られ、この場所に集められ、神様を礼拝できる恵みを心から感謝いたします。

 神様、この災害を通し、この国の人々の中に人間以上の力に対するおそれをもたらして下さい。そしていま自然災害にさらされている人々を慰め、強めて下さい。

 神様、ここには信仰歴何十年の人もいますが、しかし心の中に偶像崇拝の思いが残っている人は意外に多いのではないか思います。もしも私たちが、パウロが奇跡を起こしたところに居合わせたとしたら、やはり神々が現れたと思ってしまうかもしれません。しかしまことの神様は、人々の悲しみ、苦しみの中にこそ現れます。私たちが、生まれつき足の不自由な人がいやされ、躍り上がって歩き出したことを思う時、この人のそれまでの苦しみにも目を注ぐことが出来ますように。この人に、また私たちに生きる喜びを与えるためにも、イエス様が十字架につけられたということを心に刻ませて下さい。

 生ける神様を賛美します。この祈りをとうときイエス・キリストのみ名によってみ前におささげします。アーメン。

主を頼みとして勇敢に語る youtube

詩編146:5~10、使徒14:1~7  2018.9.2

 

 今日のお話は、パウロとバルナバがアンティオキアを追い出されたところから始まります。その町でパウロが、イエス・キリストを信じる者は誰でも、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと救われると説教したことは、これを歓喜して受け入れる人々と猛烈に反対する人々を産み出しました。異邦人はパウロの語る言葉を喜んだと書いてありますが、ユダヤ人はみんながみんなでないにしろパウロたちを迫害する方に走りました。こうして二人はアンティオキアを追い出されたわけですが、このことはこの町での伝道が失敗に終わったということではありません。13章51節には、「二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニウムに行った」と書いてありますが、それでも、二人がこの町を見捨てたということではないのです。というのは、あとになって二人はまたアンティオキアに戻っているからです。

 14章21節以下に書いてあることですが、東の方に向かった二人はまた、もと来た道を引き返して行きます。「イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、…弟子たちのため教会ごとに長老を任命し」と書いてあるところから、アンティオキアにもすでに教会があったことが確認できますし、ここで長老が任命されたこともわかるのです。

 ですからパウロとバルナバが追い出された時、アンティオキアで与えられた信徒たちがすっかり打ちのめされ、みじめな状態になって、くもの子を散らすように逃げてしまったと思ってはなりません。かりにそうだったとしたら、13章の最後の節で、なぜ「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」と書いてあるのでしょうか。

 たしかにアンティオキアの出来たばかりの教会は大きな痛手に見舞われました。しかし、それにもかかわらず、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていたのです。…彼らはパウロとバルナバが追い出されたことにも、自分たち自身が町中の反対派から脅迫を受けたり、悪い噂を流されただろうことにも、また地域の人々や友人、また家族との関係において何が起こったとしても、そのことで動揺させられることなく、信仰の確信を保ち続けたのです。…「神の言葉が伝えられた時、反対が起こることは当たり前でたたかいは始まったばかり、大変なことがあってもこうして私たちの町に信仰者の群れが誕生したのは神様のお恵み以外のなにものでもありません。

パウロ先生もバルナバ先生もがんばって下さい。イコニウムでも何が起こるかわかりませんが大丈夫、神様が必ず助けて下さいます」、…このようにして二人を送り出したのではないかと思います。

 パウロたちがアンティオキアでしてきたことは、例えてみると、暴風の吹きすさぶ中、杭を打って足場を築くこと、いわば橋頭保を打ち立てたことです。反対派はいきりたっていても、福音宣教の確かな土台が出来たのですから、喜ばずにはいられないのです。

 ただ、ここで考えていただきたいのですが、こうしたことはパウロたちが、自分たちが訪れた町を次々に征服していったとか、またそういうことを目指していたということではありません。ちょっと違うのです。二人はアンティオキアで追い出され、イコニウムでも追い出され、次のリストラでは石を投げつけられてあやうく死ぬところでした。そのあともフィリピで投獄されるなど、これから使徒言行録を学ぶうちにいろいろ出て来ますが、あちこちで騒動が引き起こされています。彼らの前に何千人、何万人も集まったり、一つの町の住民全体が一挙に信者になったり、ということはありません。考えてみれば、効率の悪い伝道を続けていたわけです。

 そこで、パウロたちはどうしてこんなやり方をしたのか、自分だったらもっとうまくできるという人が、牧師の中にも信徒の中にもいるのではないかと思うのです。たとえばメッセージの中で、ユダヤ人を批判する言葉を極力おさえる、この教えを信じると幸福になれると約束する、あるいは力づくで信者を獲得するなど…。

 2000年の教会の歴史の中では、教会の伝道をビジネスのようなものにしようとする人がしばしば登場しました。伝道のたたかいとは、ビジネスのように顧客にいちばん必要なものを提供することであり、そのためにはその地のいちばんの有力者を味方につけるのが早道で、集会では出席者を興奮させて一挙に多数の信徒を獲得したい、…それらは現実の社会で行われている方法を持ちこんできたものです。その立場に立ってみると、教会では人々に好まれ、人々を引きつける魅力的な話をすべし、ということにならないでしょうか。現在アメリカの一部の教会にはそうした傾向があり、この世で成功した人は神様から祝福されている人だというようなことを言って、人々を取り込んでいるということです。今の大統領のトランプ氏が若き日に出席していた教会など、あの教会に行けば億万長者と知り合いになれるという噂が立って多数の女性が集まってきたそうですが、私たちの教会がそういう教会になる能力も意思も持っていないことは幸いなことでした。

 5年前、2013年の伝道礼拝でお呼びしたアライアンス教会の吾郷重春牧師は、ヨーロッパではキリスト教が定着するまで500年かかったと言われました。これに比べれば日本の伝道は150年かそこらで、まだこれからだということなのですが。ヨーロッパでキリスト教が定着するまで、パウロを筆頭に、いっけん労多くして実りが少ない働きが続けられていったものと思われます。

その時代、人々を自分の意のままに征服してやろうと考えた教会、伝道をビジネスだと考えた教会は生き残ることが出来ず、地道で堅実な伝道を行った教会の働きが実って、500年かかってキリスト教が定着していったのだと思います。いま異教社会の中で孤軍奮闘する日本の教会は、キリスト教が定着した国における教会の伝道よりも、パウロたちが切り開いていった道をこそ学ぶ必要があるのではないでしょうか。広島長束教会も、この地に伝道の足がかりとなる橋頭保をつくっている最中なのです。厳しいたたかいはまだまだ続きますが、そこに喜びと聖霊が満たされていることが約束されているのです。

 

 さてパウロたちが次に向かったイコニオンの町で採用した伝道の方法は、基本的にアンティオキアと同じだったので、聖書は詳しく書くことをしていません。すなわち、その地にあったユダヤ教の会堂に入って、福音を語ったわけです。そして、その結果起こったこともアンティオキアとよく似ています。大勢のユダヤ人と異邦人、この場合ギリシア人が信仰に入ったのですが、この信仰にあくまでも反対するユダヤ人が異邦人を扇動し、パウロたちを迫害し、さらに別の地に追いやったのです。そして、ここでも教会が誕生しました。

 ただ、ここにはアンティオキアにはなかったことも記録されています。3節:「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」

 ここではっきりしている第一のことは、二人がかなり長期間そこに踏みとどまったことです。何日、あるいは何か月滞在したのかはわかりませんが。それがかなりの忍耐を要したことでしょう。

 第二が「勇敢に語った」ということです。「勇敢に語った」というのは13章46節にも書いてあるようにアンティオキアでもあったことなのですが、これは無鉄砲な大胆さということではありません。単にわかりやすく、巧みに語ったということでもありません。その言葉の前に「主を頼みとして」というのがつけられています。彼らは、主によって、つまり彼ら自身の力に支えられてというより、イエス・キリストの恵みに支えられて、勇敢に語ったのです。

 「主を頼みとして」というのは、自分は何もしないでただ主に頼り切ったというのではありません。もちろん、自分を前面に出して主がうしろに隠れているわけでもありません。主と共にということです。主イエスとこの二人が共になる、一緒になっているのです。

 ここでは特に「主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」と書かれていることに注意して下さい。パウロとバルナバは、しるしと不思議な業がなくても勇敢に語ったことでしょう。しかし主イエスは、二人の手を通してこのことをなさることによって、彼らが語っている教えが軽んじられるべきものでない、真実の教えであることを示して下さいました。そのことは二人をさらに奮い立たせることになったのです。

 しるしと不思議な業については、議論の的になることが多いのですが、これがパウロとバルナバの偉大さを示すものでないことは踏まえておかなければなりません。今日でも、奇跡を行うということで評判を集める宗教家がいますが、これとは違うのです。というのは、主はしるしと不思議な業によって、「その恵みの言葉を証しされた」からです。…主は奇跡だけを起こされるのではありません、奇跡を行う人間を神格化されようというのでもありません。イエス様ご自身、病人をいやしたりという奇跡を行われましたが、十字架につけられた時は奇跡をなさらなかったのかお出来にならなかったのか、自分を救い出すことはされなかったではありませんか。聖書の中に記録されている奇跡は、み言葉が真実であることを証しするためにこそあるのです。

 さらに申しますならば、日本語でも印鑑の印の字に「しるし」という読み仮名があります。テサロニケの信徒への手紙二の3章17節で、パウロは「これはどの手紙にも記すしるしです」と書きます。印鑑の印という字に「しるし」という読み仮名がつけられています。だからしるしとは、印鑑とかサインを意味します。主はパウロたちに「不思議な業」を行わせることによって、彼らの語る言葉が主のみ言葉であることの印鑑、サインをなさったのです。それが「証しされた」ということです。

 印鑑は、一度押して証明すれば、二度、三度と押し直す必要はありません。何回も押したりすると、かえってその印鑑は信用を失ってしまうでしょう。同じように、主のみ言葉であるという証明のしるしである印鑑も、一度押してしまえば、繰り返し押し続ける必要はありません。だからその後の教会は、パウロたちがやって見せたような奇跡や不思議な業がなくても、み言葉を受け入れているのです。 それでは、パウロたちのその後を見ましょう。しるしと不思議な業は、二人の語る言葉が真実なものだと証ししましたが、それが彼らをその町で安全に守ることにはなりませんでした。「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた」、その結果、二人は石で打たれそうになり、別の町に逃れて行ったのです。

 イエス・キリストのことが語られる時、これを喜びをもって受け入れる人と、猛烈に反対する人が出て来ます。イコニウムの町は、両派に分裂しました。どちらが正しいのかわからないという人がいたとしても、それはごく少数であったのでしょう。

 ひるがえって、わが日本ではどうでしょうか。いま表立って、キリスト教への迫害があるわけではありません。ただこの状況は、キリスト者でない大多数の人たちにとっては、キリスト教は放っておいてもそんなに力はないから、そのままにしておけ、ということではないのでしょうか。存在が無視されているような気がします。もしもこの先、キリスト者の人口が増えて、社会の中で一定の存在感を示すようになったとしたなら、キリスト教を受け入れる人と反対する人が激しく対立するということが考えられます。教会は、反対者が出るほどに力強くならなければ、と思わせられるのです。

 ただ、今のこういう宙ぶらりんの状況がいつまで続くのでしょうか。これからの世界と日本、また私たちの行く手に何が待っているのかわからない、この複雑で危機をはらんだ時代の中で、私たちは主を頼みとして勇敢に語ることを求め、目指して行きたいと思います。そういう人たちこそ、自分の道を切り開くことが出来、試練の中を生き抜いてゆけるのです。

 

(祈り)

 慈しみ深い天の父なる神様。今日、聖書から、パウロとバルナバが反対派の迫害をものともせず、主を頼みとしてみ言葉を勇敢に語っていったことを、喜びをもって受けいれることが出来ました。

 私たちの中には、未信者である人々を前にして、イエス様のことを語ってもとてもわかってくれないだろうとか、そんなことを言うと変に思われないか、という思いが起こることがあります。キリスト者とそうでない人たちを隔てる壁はとても厚いのです。おシャカさまは穏やかに死なれたのに、イエス様はなんであんな死に方をされたのかね、というのが多くの人の思いでありましょう。そうした壁を突き破って、イエス様と共にある喜びを分かち合うことのできる、磨き抜かれた言葉を紡ぎ出すことが出来ますように、私たちみんなに主の霊である聖霊を満たして下さい。

 神様、いま猛烈な台風21号が日本に迫ってきています。もしもこの台風の発生が異常気象の一つでそこに人災の要素があるのなら、どうか人知を結集して現代文明のゆがみをただす道を示して下さい。そして、台風とたたかう人々を支え、とうとい命がこれ以上失われることのないよう、格別の顧みをお願いいたします。

 主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメ

 知恵は武器にまさる youtube 

コヘレト9:11~18、ルカ12:32  2018.8.26

 

 これまでのキリスト教の歴史の中で、突然の回心ということを体験したり、そのことの大切さを唱える人がいました。たとえばイギリスの偉大な伝道者、ジョン・ウェスレーは1738年5月21日午後9時15分に突然の回心を体験したと言います。それは激しい心の変化で、彼は心の温まるのを覚え、ただキリストのみに信頼する心境になったそうです。真理を悟ったのです。ウェスレーはその状態のままで、生涯を最後まで歩み通しました。

もしもウェスレーのような体験が出来たなら素晴らしいことで、そういう体験をお持ちの方は、それをぜひ大切にしていただきたいと思います。…ただ現実には、私を含め、突然の回心を体験したくてもなかなかそうはなりません。真理を悟ったかなあと思ったら次の瞬間にはまた元の状態になってしまう、その繰り返し、それが大部分の信仰者の人生かもしれません。

実はコヘレトもそうでした。人生のむなしさを底の底まで見つめ、そこから解放されることを求めるコヘレトの歩みは、曲がりくねったものでありました。ある時は「わたしは生きることをいとう」(2:17)と言うほど落ち込んでいるのに、次の瞬間には「さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい」(9:7)と明るくなっています。しかしその明るさも長続きしません。暗い気持ちになって、また明るくなるということを繰り返しているようです。

前回は暗さの中から始まり、明るい光のもとで終わりました。きょうはそれがまた一転し、暗いところに戻っています。……皆さんがこういう部分を説教で聞いて、明るい気持ちになることは難しいと思いますが、最後までついてゆかれると明るさの予感があるかもしれないということだけは申しておきましょう。

 

初めに9章の11節から12節をみましょう。そこには私たちの聞き慣れない言葉があります。

「足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない」。

現在、インドネシアのジャカルタでアジア大会が開かれていて、バドミントンや水泳などで日本選手の戦いぶりに注目が集まっています。いったいこういうスポーツの世界で勝敗を決するものは何でしょうか。長い間積み重ねてきた努力、生まれつきの素質や才能、勝とうとする強い気持ちがあるかどうかなどいろいろ考えられますが、ことはそう簡単ではありません。勝負が誰も予想できない結果になることがありますが、それが勝負の醍醐味ともいえそうです。

強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えないということは、現実の戦争の中にもあります。私はヴェトナムに旅行した時、背が低く、体の小さな人が多いことに驚きました。しかしこの人たちが力を合わせた時、世界最強のアメリカ軍でも勝つことが出来なかったのです。

「知恵があるといってパンにありつくのでも、聡明だからといって富を得るのでも、知識があるといって好意をもたれるのでもない」。

知恵のある、聡明な人であっても、もしも貧しい国の貧しい家に生まれたら、一生貧乏で、毎日の食事にもことかく暮らしをおくるかもしれません。…学校の成績が良い人がお金もうけがうまいとは限りません。…また、知識がある人は、そのことで、あまり勉強してこなかった人たちから反感をもたれてしまうことがあります。

能力があったり、知恵があったり、努力した人が必ずしも人生で勝利を得たり、金持ちになるとは限りません。そのような例は無数にあります。なぜでしょうか。それは人生にはさらに別の要素があるからです。…そのことは偶然の出来事とか運といった言葉で表されることが多く、そうしたことに恵まれなければ成功はおぼつかないわけです。そしてこれを人間が自分の思う通りに動かすことは出来ません。偶然の出来事と思えることでもそこには神のみこころが働いているのですが、コヘレトへそうした出来事を見て絶望に陥っています。

人生には、万事が順調で、間違いなく成功だと思った時に、全く予期しないことが起きてしまうことがあります。スポーツ選手が勝利を目の前にした時に予期せぬ足のけいれんに襲われてしまう、このまま行けば大成功という時に思わぬ不祥事が起きてしまう、さあこれから新しいプロジェクトを始めようという時にもっとも頼りにしていた人が死んでしまう、といったことです。…もちろん、思ってもみない良いことが転がり込んでくることもあります。高額の宝くじが当たるということもあるのですが。人生何が起こるかわかりません。

私たちはみな子供の頃、こんな人生を送りたいという夢があったと思いますが、どれだけの人がその夢を実現出来たでしょうか。人生、努力すれば必ず実を結ぶとは限りません。戦争のために人生を狂わされたり、病気のために何年も寝ていなければならなかっりなど、予期せぬ出来事のために思わぬ人生を生きるしかないということがあるわけです。そして、そのような予期せぬ出来事の中でも最大の出来事が死ということではないでしょうか。

魚が網にかかったり、鳥が罠にかかったりするように、人は突然不運に見舞われ、死んでしまうこともあります。そこには計り知れない神のみこころがありますが、人間の無力を痛感させる出来事でもあります。コヘレトはこのようなことを冷静に見ていました。

 

知恵があるといってパンにありつくのでもない、このことに関連して、次にコヘレトは彼の知っていた実例をもってきます。

「ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった」。

一人の賢人によって町は救われました。しかし、この人のことは忘れられてしまいました。記念碑が建てられることはありません。賢くはあっても貧しい人だったからです。…これはいかにもありそうな話です。結局、この人ではない別の誰かが、町が救われたことを自分の手柄にしてしまったのでしょう。

もっとも、この話には翻訳上の問題が指摘されています。これとは別のもう一つの訳し方が可能です。それは、「その町の貧しい賢人が町の人に尊重されていたならば、町を救えたかもしれない」というものです。その貧しい賢人の言うことが顧みられなかったために町は滅び、すべてが水の泡になってしまったというものです。いくら正しいことを言っても、その人に多くの人々を納得させる肩書がなかったために人々の聞き入れられることにならず、町は滅びたというものです。これも、いかにもありそうなことだとは思いませんか。

どちらが正しいかを決めるのはたいへん困難なので、翻訳の問題についてはこれ以上は言いません。いずれにしても、そこには知恵についてコヘレトが感じた疑いが表明されています。

「主を畏れることは知恵の初め」、これは箴言1章7節に出て来る有名な言葉です。知恵を賛美する、これは旧約聖書を通して中心的なことの一つでありました。確かに、知恵は賛美に値するものです。貧しい賢人は町に襲いかかる難局を救う知恵を持っていました。…しかし、一方で知恵は無力です。その人に力だとか肩書などが備わっていないならば、人々から尊重されないのです。そこでコヘレトは言うのです。知恵は力にまさるというが本当にそうなのかと。

その場合、こういうことになります。コヘレトは賢者の静かに説く言葉が聞かれてほしいと思っていますが、現実にはその反対のことが起こっています。賢者の口から出る知恵に満ちた言葉より、支配者が愚か者の中で叫ぶ言葉の方がよく聞かれるものだからです。昔から、ヒトラーのように大衆を熱狂させることが得意な指導者がいて、国を間違った方向にもっていくということが起こりました。知恵が軽んじられている世界では、賢人の発言は軽く見られてしまい、愚か者の方が規範となります。…今の日本はどうでしょうか。人は知恵のある言葉よりも、テレビなどでいつも宣伝され、煽り立てられることに乗せられてしまうことが多いのではないでしょうか。もちろんその中にも正しい言葉はありますが。人は言われていることが正しいかどうかよりも、宣伝力のある方になびいてしまうのです。

ですからコヘレトが18節で「知恵は武器にまさる」と言っても、私はまともに受けとって良いのかとまどってしまいます。…「知恵は武器にまさる」のあとにどうして、「一度の過ちは多くの善をそこなう」という言葉が続いているのでしょうか。これは、間に「しかし」という言葉を入れるとよくわかります。「知恵は武器にまさる。しかし、一度の過ちは多くの善をそこなう」。知恵は武器にまさります、しかし、知恵ある正しい言葉が力を持つとは限らないのです。わずかの過ちが、すなわち罪がそれをこわしてしまう。これがコヘレトの出した結論であるように思われます。

 

こうしてコヘレトの思索はまたも行きづまってしまいましたが、私たちはこれをどう見たら良いでしょうか。

私は、コヘレトが考えぬいて出した結論は、しっかり受け取り、時間をかけて考え、本当にこれで良いのかと悩むだけの価値あるものと考えます。コヘレトが言うように、人生は予期せぬ出来事のために思い通りにはならず、魚が網にかかるように突然不運に見舞われることがあります。知恵ある言葉もそれをとうとばない人の前では力を持ちません。ただ、この厳しい現実の中を、それでもイエス・キリストを信じて生きる時、コヘレトの考えたことは克服されてゆくと、私は建前ではなく本当に信じています。

 

キリストは「小さな群れよ、恐れるな」と言われました。…私たち広島長束教会は小さな群れで、この世にあっては貧しく、軽んじられる群れです。ここで武器にまさる知恵が語られ、聞かれたとしてもそれがいったいどうだというのでしょう。私たちには世間に歓迎されるだけの肩書があるでしょうか。「貧しい賢人」とさえも言えないように思います。そして、私たち自身にも、魚が網にかかるような予期せぬ出来事がおこるかもしれません。…しかし、それにもかかわらず、キリストが「恐れるな」と言われたからには、恐れなくて良いのです。…神は小さな群れを用いて大きなわざを行われます。…一人ひとりの人間は無力であっても、神は全能だからです。そのことがまずキリストの弟子の一団から始まり、世界に拡がりました。これはコヘレトの知らなかったことでありました。

私たちはコヘレトと共に絶望をくぐった時、キリストの与えて下さる恵みに出会うことでしょう。本当の知恵は、人生の中に起こる予期せぬ出来事に耐えさせ、愚か者の心にも響き、世界の中に輝くものです。それは滅びることはありません。「知恵は武器にまさる」、コヘレトが半分疑いながら言った言葉が本当のことになるのです。

 

(祈り)

 父なる神様。神様は私たちのごとき者にたくさんの良きものを預けて下さり、それをもって神様の御用の一端に参加することが出来るようにと、信仰を求めておられます。

 私たちの人生にはさまざまな予期せぬ出来事が起こって、そのたびに翻弄されます。本当の知恵を見いだすことにうとく、ただこの世で力のある人の言うことについていくだけのようなこともあり、また本当の神様を知らない人の間で無力感に陥ることもあります。しかしどうか、神様の子として、勇気をもって信仰をまっとうし、信仰から来る知恵ある言葉を語ってゆくことが出来ますように。また、コヘレトのような深刻な悩みをかかえた人がいたら、共に悩み、共に祈ることで光を見いだすことが出来ますようにと願います。神様は私たちを歯がゆい思いでご覧になっておられると思いますが、どうか忍耐をもってお導き下さい。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。。

水を飲ませてください 山本盾伝道師 youtube

エレミヤ2:1~13 ヨハネ4:1~30  2018.8.19

 ヨハネによる福音書は、主イエスと様々な人々との対話を収めています。例えば3章のニコデモとの対話や11章のマルタとマリアの姉妹との対話などがあり、ファリサイ派の人々との対話も随所に記され、最後の晩餐の場面では弟子たちとの対話があり、20~21章では復活の主とマグダラのマリアやペトロとの対話が記されております。それらの対話は全て、私たちに信仰を与え、真理へと導いています。では今朝皆さんとお読みします4章の前半に記されたサマリアの女との対話は、私たちにどのような信仰を与え、どこへ導こうとしているのでしょうか。今日も聖書の御言葉に耳を傾けましょう。

 この章の冒頭では主イエスがユダヤを去ってガリラヤへ戻られたことが語られます。ファリサイ派の人々が主イエスの活躍の噂を聞いたから、というのが理由です。恐らく彼らは、洗礼者ヨハネより多くの弟子を獲得していた主イエスを危険視して捕えようと目論んでいたのでしょう。主イエスは十字架への道を歩んでおられましたが、まだその時は来ていなかったのです。ですから主イエスはファリサイ派と敢えて対決せず、彼らを逃れるために急いでガリラヤへ行かれたのですが、そのためには最短コース、つまりサマリアを通る道を選ぶ必要がありました。4節に「しかし、サマリアを通らねばならなかった」と書かれています。「ねばならない」とは、単に状況がそうさせたということを意味しているのではなく、神のお定めになった御計画に沿っている、ということです。例えば、3章のニコデモとの対話の中で、主は「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」と仰いましたが、これは主イエスが十字架にかけられることは神がお決めになったのであり、私たちの救いのために必要なことであったと言われているのです。同じように、主イエスはどうしてもサマリアを通らなければならないことになっていたのです。神の御子であられる主イエスは、父なる神のお定めになった時に従い、その御計画通りに進んで行かれました。辿り着かれたのはサマリアの町シカルにあるヤコブの井戸でした。早朝から長い道程を歩いて来られたのでしょうか。主イエスは旅の疲れを癒すために井戸の側に座っておられました。それは「正午ごろのことである」と6節に書かれています。正午はヨハネによれば主の十字架刑が決定した時刻です。やがて主が引き渡されることになるのと同じその時刻に、一人の女性の救いの物語が始まります。食べ物を買いに町に出かけた弟子たちと入れ替わりに、サマリアの女が水を汲みに来ます。日差しのきつい中東では普通、日中に水を汲むのは避け、井戸には夕方に出かけるものです。でも彼女は真昼間に来ました。町の中にも井戸はあったはずなのに。シカル、現在はパレスチナ自治区にありますアラビア語でアスカルという町ですが、そこからヤコブの井戸までは約1.5kmもあります。手ぶらなら大したことのない距離ですが、重たい水瓶を持って炎天下を歩くのは大変です。それなのに、わざわざこの時間を選んで来たのには、余程の訳があるに違いありません。主イエスは彼女に「水を飲ませてください」と仰います。すると彼女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と尋ねます。その様子は、列王記上17章の預言者エリヤがシドンのサレプタのやもめに水を頼んだ場面を思い起こさせますが、サマリア人は旧約聖書の律法の部分しか読みませんので、恐らく彼女はそれを知らなかったことでしょう。

ユダヤ人とサマリア人は元々一つでしたが、ソロモン王が死んでイスラエルが南北に分かれてから、対立の歴史を続けて来ました。アッシリア帝国が北王国を滅ぼして植民地としたために、サマリアでは異邦人との混血が進み、異教の習慣が入って来たために汚れていると考えられるようになりました。サマリアもユダヤも共にペルシア帝国の支配下に入ると、ユダヤ人はイスラエルに神殿を再建しますが、サマリア人はそれを妨害しつつ、ヤコブの井戸に近いゲリジム山の上に独自の神殿を建てます。ユダヤ人の祭司はそれを破壊しましたが、

サマリア人はなおもそこで礼拝を続けていました。4月に北朝鮮と韓国の指導者が会談し、両国の和解に向けて歩み出すという歴史的な出来事がありましたが、日本の敗戦以来、朝鮮半島は70年にわたって分断され、対立していました。サマリアとユダヤの対立はその10倍の長さがあり、非常に深刻でした。ユダヤ人はサマリア人を嫌ってその土地に入ろうとせず、ガリラヤへ行く際は2回ヨルダン川を渡って遠回りをするコースを選びました。現代のサマリア人はごく少数で、ユダヤ人と対立することもないのですが、パレスチナ人とユダヤ人の紛争が続いています。お互いの居住地は分離壁で分けられており、憎しみの火が燃え盛っています。アメリカの大統領があろうことかそこに油を注いで和平をぶち壊しにしようとしています。人間の知恵と力に頼っている限り、私たちに平和の希望などないのです。9節に「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」と書かれていますが、「交際しない」を直訳しますと、「一緒に使わない」となります。この場合は、互いの水瓶を共有することすら厭うという意味です。ヤコブはどちらにとっても先祖ですから、井戸はユダヤ人も使えるのですが、同じバケツを使えない。共用の釣瓶はないのです。ですから、旅人は誰か親切な人が水を飲ませてくれるのを待つしかなかったのですが、ユダヤ人がサマリア人に、しかも男性が女性にそれを頼むことなどあり得なかったのです。しかし、この奇妙なユダヤ人は不思議がるサマリアの女性にこう答えます。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」。これはいよいよおかしな話です。水を飲みたいと言う本人が水を与えるとはどういうことでしょう。女性は矢継ぎ早に質問をぶつけます。汲む物もないのにこの深い井戸からどうやってその「生きた水」を手に入れるのか。この井戸を掘ったのはあのヤコブなのに、あなたは彼より偉いのか。この時、彼女はまだ「生きた水」の意味を悟ってはいません。普通「生きた水」と言えば、井戸の底に溜まった水ではない泉から湧き出ている新鮮な水のことを意味しますので、彼女は誤解していました。そんな彼女に対して主イエスはこの水の素晴らしさを説明なさいます。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」。そんな魔法のような水があるなら是非飲みたいと彼女は思ったのでしょう。主イエスにこう頼みます。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」。この時点でも彼女は主の御言葉の意味を理解していません。皆さんはお分かりでしょうか。

そうです。「永遠の命に至る水」とは聖霊のことです。7章でこう言われています。「イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである」。そのように、「生ける水」とは、天からキリストを通して私たちに注がれ、信じる者を新しい命に生かす神の霊なのです。それは、十字架と復活による救いの出来事によって根底から変えられた神と人との関係を更に深い交わりに向って動かすばかりでなく、人と人との関係をも変えるでしょう。ですから主イエスはこうお命じになります。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」。「夫はいない」という彼女の答えから、主は全てを見抜いてあからさまに彼女にお告げになります。女性には五人の夫がいましたが、今は夫でない男性と暮らしていると言うのです。これについて教会は長い間誤解して来ました。有名な神学者や立派な説教者や尊敬される牧師でさえ、無意識の内に女性を見下し、次から次へと男を換えたふしだらで身持ちの悪い女がその罪を暴露されたのだと解釈したのです。しかし皆さん、聖書のどこにそんなことが書かれているのでしょう。主イエスは彼女に「あなたの罪は赦された。もう罪を犯さないように」と仰ったでしょうか。いいえ。むしろ主は「あなたは、ありのままを言ったわけだ」と仰ったのです。彼女のありのままとは何か。古代の社会ではよくあることですが、彼女は当時の慣習に従って、まだ少女の頃、自分よりずっと年上の男性に嫁ぎ、男性が死ぬとその兄弟に嫁ぐということを繰り返し、その内こう言われるようになったのです。「彼女は呪われている」と。想像だけで言うのではありません。創世記の38章には、夫を次々に亡くしたタマルが寡婦でい続けることを強いられたという話が書かれています。サマリアの女性と一緒にいた男性も、彼女と結婚すれば死ぬかも知れないと恐れたのでしょう。だから彼女の「渇くことがないように、ここに汲みに来なくてもいいように」命の水が欲しいというのは、心からの訴えなのです。こうも考えられます。ユダヤの律法は、妻を離縁できる正当な事例として、料理が下手だとか、もっといい女を見つけたとか、男子を生まないとか、男の都合だけを考えた理由を挙げています。勿論、聖書に書かれていることではなく身勝手な規定です。けれども当時の女性が独りで生きて行く道はなく、生活のため男性に頼る必要がありました。男たちに捨てられ続けた挙句、結婚出来ない相手と同棲するしかない彼女は、町の人々を避けて生きていました。主イエスはそんな彼女の苦しみ悩み、生きる辛さを全部ご存じだったのです。しかし、教会の男たちは彼女を非難し続けました。曰く、「この女の生活態度は根本的に歪んでいるから、寄りかかれる相手ばかりを求めて来た。その罪を隠すために『夫はいない』などと言ってごまかした」。そして自分たちこそが主の御言葉を聞くべきだと気付かなかったのです。ですから、私たちは今改めて聞き直しましょう。サマリアの女性は主イエスが預言者であると気づき、礼拝を献げるべき場所について質問します。これに対して主は仰います。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」。

問題は場所ではないのです。時折、「こんな教会では礼拝出来ない」と言って教会を渡り歩く人がいますが、神にはどこででもお目にかかれます。私たちがどこに行こうと神は私たちを訪ねてくださるのです。勿論、この女性の問いが真剣であったのと同じく、正しく信仰生活を守れる教会を選ぶのは大切ですが、肝心なのは私たち自身の心と態度です。ですから主イエスは仰います。

「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」。私たちは、信仰というのは人間の求めに神が答えてくださると信じることだと思い込みがちですが、信仰の問題はむしろ神が求めておられることに私たちがどのようにお応えするか、ということなのです。主は「霊と真理」による礼拝を強調なさいます。「霊」と言っても、内面的・精神的なことが大事だと言うのではありません。神の霊を吹き込まれ、私たちの内に神が活動してくださる必要があるのです。「真理」と訳されている言葉は、口語訳聖書では「まこと」となっていましたが、「まこと」と言っても、誠実に、真心を込めるのが大事だと言うのではありません。神の真理こそが必要なのです。では神の真理とは何でしょう。それは25~26節のやり取りで明らかになります。サマリアの女性が言う通り、メシアが来られる時、私たちに一切のことを知らせてくださるのですが、その方こそ主イエスに他ならないのです!すなわち、イエス・キリストこそ神を啓示する御方であり、救いの御業を実現するために神から遣わされて世においでになった御方である、キリストこそ世の救い主である、というのが神の真理です。そんな話をしていた丁度その時、弟子たちが帰って来て、主が女性と話しておられるのを見て驚きます。彼らは誰も「何か御用ですか」とは聞かなかったと書かれています。口語訳聖書ではこの問いが「何を求めておられますか」となっていますが、キリストの弟子である私たちは、まずそれを問わなければならないのです。主よ何をお求めですかと尋ねましょう。父なる神も御子キリストも、私たちに求めておられるのは、聖霊に導かれて献げる真実の礼拝です。

私たちはどうやってその求めにお応え出来るのでしょうか。それは何より、主のお与えになる賜物に目を注ぐことです。

十字架と復活の出来事を通して与えられる恵みを、感謝して受け取ることです。罪の赦しと永遠の命の約束に喜んで与ることです。神の救いは、ユダヤ人にもサマリア人にも分け隔てなく、それを受け取ろうとする全ての人に差し出されています。そのことを知ったサマリアの女性は、「水がめをそこに置いたまま町に行き」、人々に言います。「さあ、見に来てください」。置き去りにされた水瓶は、彼女が最早水汲みに来たのを忘れるほどの出会いを経験したことを示しています。彼女は今や、主の求めに応えています。まず、「水を飲ませてください」という主の願いに応え、ユダヤ人に貸すはずの無かった水瓶を明け渡しました。そして今、求められる者が求める者に、神のお求めになる礼拝を献げるための命の水=聖霊を求める者になりました。更に彼女は宣教の働きに召されます。ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人に呼びかけ、救いはユダヤ人である主イエスから来ることを告げ、彼らを主の御許に連れて来る、主の証人となったのです。驚くべきことです。彼女は町の人たちに会わないように、こんな時間にヤコブの井戸まで来たのではなかったでしょうか。その彼女が、どうぞあなたも自分の目で確かめてくださいと言うのです。彼女は「もしかしたら、この方がメシアかもしれません」と曖昧なことを言います。まだ確かな信仰を持っている訳ではないのです。それでも彼女は出て行きます。なぜそんなことが出来るのでしょうか。主が彼女と出会ってくださったからです。彼女は自分のことを全て知ってくださっている方がおられることを知り、安心してその方に自分の全てを委ねたのです。ですから私たちも、「水を飲ませてください」と言われる方から命の水を頂き、自分の中で聖なる泉の湧くものとしていただくため、「さあ、見に来てください」という呼びかけに応え、出て行きましょう。主イエスがおいでになって、神との新しい関係、人間どうしの新しい関係が始まりました。私たちもその交わりの中へ招かれています。

聖書の御言葉は今も私たちを誘っています。信仰生活に加わり、自分の体験として主イエスを知りなさい、キリストが何者なのかを発見しなさい、と誘われているのです。ですから私たちは傍観者でいることは出来ません。主の御前に出て行き、水瓶を持っていなくても言うのです。「水を飲ませてください」と。そうすれば、あなたにも必ず、命の水が注がれるでしょう。この恵みに感謝して祈りを合わせたいと思います。

  地の果てにまでも youtube

イザヤ49:1~6、使徒13:42~52  2018.8.12

 

 今日私たちは、ピシディアのアンティオキアの会堂で、パウロが語ったことがどういうことをもたらしたかということを見て行くことにいたします。

 パウロは遠路はるばるたどりついた会堂で、ユダヤ人と異邦人の聴衆を前に説教しました。それはイスラエル民族の歴史から始めて、イエス・キリストの十字架と復活に至り、最後に、信じる者はみなイエス・キリストによって神の前に義とされる、つまり正しい者とされるということでありました。…もしも神様が目の前に現れたら、どんな人間だって、一瞬の間も立っていられません。私たちも自分の罪のために滅ぼされても文句が言えない者たちの中に入るのですが、そんな人間たちに無罪放免の手形が、イエス・キリストから差し出されたのです。

 このことは教会にいつも来られている方なら何度も聞いたことでありますが、これは考えれば考えるほど、驚くべきことにちがいありません。人間からはひとり高いところに鎮座ましましておられるかのように見える神様が、イエス様となって人間一人ひとりのいるところにまで降りて来られ、十字架の苦しみをお引き受けになり、救いを指し示されたのです。

 パウロからこのメッセージを聞いた時の、人々の反応を見てゆきたいのですが、これは少くとも右の耳から左の耳に抜けてしまうようなことではありません。イザヤ書55章11節は言います。「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種播く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」

 自然現象の一つひとつがその当然の結果を引き起こすように、神様の口から出る一つひとつの言葉も空しく神様の元には戻りません。それは必ず何らかの応答を引き起こします。そのうちの一つが「アーメン」という言葉です。「まことにその通り」という意味で、私たちは祈りのたびに繰り返していますが、もともと神様の方で「アーメン、この通り真実だ」と言い出されて人間に教えてくれた言葉です。神様の真実が、それを受け入れる人の中に真実を呼び起こすのです。…その例の一つがパウロの語るメッセージを受け取った人々の反応にあらわれています。彼らはパウロたちが会堂を出る時、次の安息日にも同じことを話してくれるように頼み、その日に再び集まってきました。

 しかし一方で、パウロたちに反対した人がいました。

この人たちについて、主の言葉を聞こうとしている群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対したと書いてあります。…このように、神の言葉が語られるところには、それを喜んで受け入れる人と、逆に反対する人が現れるものです。反対する人が現れることは残念なことですが、それでも神様の真実がくずれてしまうわけではありません。それは初めから予期されていることで、どんな逆流が現れても、アーメンたる神の真実は貫徹されてゆくのです。

 

 パウロが語ったイエス・キリストが与えて下さる救いは、アンティオキアの人々が初めて聞いたことでした。彼らはこれにたいへん興味を示し、次の安息日にも同じことを話してくれるよう頼んだだけでなく、集会が終わったあともパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らに、神の恵みの下に生き続けるように勧めました。ただ、すべての人がその言葉通りにはならなかったことがやがて明らかになります。

 その次の安息日のことで、44節は「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」と言います。「ほとんど町中の人」が一つの会堂に集まることが出来るのか、少し大げさなように思いますが、パウロたちのメッセージが町中のほとんど人にとって大変な関心事だったことがうかがえます。そうして何が起こったのか。45節:「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」

 これはいったいどういう状況なのでしょうか。…アンティオキアの町はもともと異邦人の町で、そこによそからやってきたユダヤ人も住んでいました。最初の安息日にパウロは「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください」と言って、語り始めますから、そこにはユダヤ人と、そしてユダヤ人以外の神を畏れる異邦人がいたことになります。そして次の安息日、この人たちにさらに多くの人たちが加わって集まったことになります。新たに加わった人々の中には、当然ユダヤ人も異邦人もいたはずです。

 さて45節に「ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ」と書いてあるところから、すべてのユダヤ人がパウロに反対したと読む人がいます。そうなると、最初の安息日のパウロの説教に感激していたユダヤ人がみな、神の恵みの下に生き続けることが出来ず、たった一週間で反対の立場に立ってしまったことになります。なんともろい信仰かということなのですが、実際に起こったことは、主イエスを信じるユダヤ人がいる一方、主イエスを拒否したユダヤ人もいて、数としては主イエスを拒否したユダヤ人の方が多かったということではないかと思われます。

 それでは、主イエスを拒否したユダヤ人の、その理由は何だったのかということになります。

…彼らは群衆を見てねたんだのです。この群衆とは、どうも異邦人が主体のようです。

 彼らは、パウロがあんまり人気があるので嫉妬したのかもしれません。しかし、もっと大きな理由は、パウロが語っている福音の内容ではないでしょうか。ユダヤ人は、自分たちが割礼を受け、また律法をしっかり守ることで救われると信じていました。そのために懸命な努力も重ねて来ました。これは、彼らがユダヤ人数千年の苦難の歴史の中で、さまざまな試練を経験しつつ身につけたものだったのです。

 ところがパウロが語っているところによれば、割礼を受けていない、律法を守ることも知らない、今はじめて会堂に入ってきたような異邦人でも、イエス様を救い主だと信じて、受け入れるならば、罪を赦され、神様の前で救いにあずかることが出来るというのです。

 プライドの高いユダヤ人にとってみれば、それは自分たちが熱心に努力してきたことを無にすることにしかなりません。神様の前に努力も何もしてこなかった異邦人、自分たちが内心ばかにしていた異邦人に、神様が自分たちと同じように救いを与え、恵みを注がれるということは、とても悔しいことであったにちがいありません。…あとの者が先になる時、もともと先にいた者が受け入れられないということはしばしば起こります。…日本人も、どんな分野であれ、今まで自分より下に見ていたどこかの国の人に追い抜かれるようなことがあれば、面白くないわけでしょう。私たちにしても、信仰生活何十年という人をさしおいて最近信者になった人が教会で評判が良くなれば内心穏やかではいられません。これと似たようなことです。

 パウロたちはこうしてねたみを受け、口汚いののしりの言葉を浴びせられ、福音を語ろうとすれば妨害を受けることになってしまったのです。

 

 パウロとバルナバにとってみれば、同胞であるユダヤ人から、全部が全部でないにしても拒否され、反対されるというのは、例えていうと戦前の「非国民」の扱いに近かったと思われます。心に激しい悲しみと痛みがなかったはずがありません。しかし彼ら二人は憶することなく勇敢に語りました。…それが出来たのは、二人が聖霊に満たされていたからであり、また主を頼みとしていたからです。神ご自身が彼らに語る言葉を与えて下さいました。

 彼らの言葉を見ましょう。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために』。」

 ここで引用されたのは、イザヤ書49章6節の預言です。49章1節の前の見出しには「主の僕の使命」と書かれており、主の僕に対して「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた」と言われています。主の僕とは誰なのか、おおかたの人はお察しがついていると思いますが、これはイエス・キリストのことです。主の僕としてキリストが遣わされ、キリストが異邦人の光となる、地の果ての人々にまで救いをもたらすことが宣言されているのです。このキリストのみわざに仕えるために、パウロたちは今や異邦人の方に行くと言っているのです。

 神の言葉はまず、選民であるユダヤ人に向けて語られました。イエス・キリストはほかのどの民族でもなくユダヤ人のもとに来られたのです。イエス様を初め、使徒たちはみなユダヤ人であり、もちろんイエス様を信じたユダヤ人もたくさんいたのです。しかしユダヤ人の中では、イエス様を信じない人々の方が数においてまさっており、やがてその人たちが主流になって行きました。ねたみのためにイエス様を受け入れない、自分自身を永遠の命を得るに値しない者としてしまったユダヤ人を見て、パウロたちはこれからは異邦人の方に行くと宣言しました、それが神のみこころだったからです。

 これを聞いた時、ユダヤ人でパウロたちに反対している人たちは「勝手にしろ」とか何とか言ったことと思いますが、これに対し異邦人たちは喜び、主の言葉を賛美しました。なぜ異邦人が喜んだのでしょう。そこには私の想像が入っていますが、ユダヤ人のねたみと正反対の現象が起こったものと思われます。

 異邦人で本当の神を信じる人々は、ユダヤ人に対して引け目を感じていたはずです。自分たち異邦人を神様は本当に顧みて下さるのだろうか、割礼を受けていないし、律法のこともわからない、…神様の前に二等国民で甘んじていた人々に、しかし神が救い主を与えて下さったというのは思ってもみないことだったのです。

 こうして48節に入ります。「そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。」これは、予定説との関連で問題になるところのようです。予定説というのはカルヴァンが提唱したもので、「神は救われる人と滅びにいたる人を初めから定めておられる」と理解されることが多く、そのために歴史上、たいへんな議論を巻き起こしてきました。神が救われる人を定めておられることについては良いとしても、じゃあ神は初めから滅びにいたる人を選んでおられるのか、その人はあまりに悲惨ではないかということからです。

 しかし、あまり難しく考えることはありません。すでに信仰に入った人、これから信仰に入るだろう人は、神が永遠の命を受けるようにあらかじめ定められている人でありまして、パウロたちの話を聞いていた異邦人にこのことがわかったのです。

…自分たちは生まれが良くない、異邦人で割礼を受けていない、律法も守っていない、つまり自分たちの側からは救われて永遠の命を受けるべき理由が見つからない者たちです。しかし偉大な神はこんな自分たちを永遠の命を得るように定め、選んで、救いに導いて下さった、これがどうして喜ばずにはいられましょう。

 その後まもなく アンティオキアの町においても迫害が始まり、パウロとバルナバはイコニオンに逃げて行きます。二人はその町でも迫害を受け、また次の町へ行かなければなりませんでした。しかし、そのようなことは、結果的に福音の種を播くことになり、さらに多くの人々を信仰に招いて行きました。こうして、やがて地の果てにいる日本の私たちにも福音が伝えられたのです。

 皆さん一人ひとりはパウロたちを迫害したユダヤ人と、福音を受け入れた異邦人とどちらに近いものを覚えますか。もちろん私たちの信仰の祖先は、ここに出て来た異邦人ですが、一人ひとりの中にはこのユダヤ人と同じ部分も、また異邦人と同じ部分もあるでしょう。ユダヤ人が自分たちを選民だとみなして高ぶっていたように、私たちもそれぞれ、自分がより頼んでいる過去の栄光があると思います。そのこと自体は良いとしても、それが自分の手をしばることになるとかえってマイナスですから、この時の異邦人のような思いを持ち続けたいものです。神様はこんな私を永遠の命を得るように定めて下さった、という感謝と賛美をもって、生きてゆきましょう。

 

(祈り)

 天の父なる神様。今日、パウロとバルナバが始めた世界伝道の偉大な企ての中に、広島長束教会と私たち一人ひとりの信仰があることを知って、みこころがなんと広く、深いものであるかと思わさせられました。

 神様、イエス・キリストを信じる者が罪を赦され義とされるということは、私たちがこれまで何度も聞いてきたことかもしれませんが、これを新たな思いでもって受け留めさせて下さい。あの時パウロを迫害した人たちのように、ねたみが沸き起こることがあるからです。私たちそれぞれ心に頼みとしているものがあります。それは才能であったり、財産であったり、そういうことが信仰の世界にまで持ち込まれることがあります。神様から頂いたものが自分の手柄にされてしまうのです。

 ですから神様、もしもそれらが信仰とは関わりないものであれば、思いきって捨てるという決断ができる者として下さい。何より神様からいただいたものを神様のために使うことが出来る信仰をお与え下さい。

 神様、まもなく終戦記念日がやってきます。どうか今の平和を感謝すると共に、戦乱の中で苦しむ人々をわがことにように感じる思いが与えられますように、そしてこの国を二度と戦争に向かわせないために私たちがすべきことを示して下さい。

 主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

 キリストによって義とされる youtube

ハバクク1:5、使徒13:38~41  2018.8.5

 

 私たちはアンティオケという町の会堂でのパウロの説教を学んでいます。この説教は、パウロが、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」という求めに応じて、語ったものでした。そこで語られた内容は、神がイスラエル民族の祖先であるアブラハムを選ばれたところから始まり、イエス・キリストの十字架の死と復活に及びます。パウロはその時、聖書ではイエス・キリストについてすでにこう書いてあると言いました。旧約聖書を引用して、イエス様が救い主であることを力強く論証したのです。それも、神の民とされていたユダヤ人だけではなく、そこにいた異邦人にも語りかけており、イエスを主と信じる者はみな、どんな民族であっても、どんな人であっても救われると告げていったのです。

 

 この説教はもちろん、パウロが頭の中だけでひねり出したものではありません。

 主イエスの死と復活に立ち会ったイエス様の生前からの弟子たちは、言葉では言い尽くせないほど圧倒され、たいへんな衝撃を受けたことは間違いありません。だから彼らが伝道を開始した時、自分たちが見た十字架と復活が中心になったのは当然です。では十字架と復活の直接の目撃者でない人は何も語れないのでしょうか。そうではありません。直接の目撃者が語ったことは、やがて、イエス様に会ったことのない人、十字架上のイエス様も復活されたイエス様も見たことがない人々にも受け入れられ、共有され、語られて行ったのです。そのうちの一人、ステファノが迫害によって殉教した時、彼の信仰は消えはしませんでした。小さな火が大きく燃え広がるように、あちこちに飛び火してゆきました。その広がりの中で最も典型的なのがシリアのアンティオキアに出来た異邦人が主体の教会です。この教会はエルサレム教会と連携のもと、世界伝道という遠大なプロジェクトを始めることになります。

 パウロとバルナバはこの教会から出発し、キプロス島を経て、トルコを南から北へ縦断するという、当時としては困難な旅行をして、たどりついたのがピシディア州のアンティオキアの会堂でした。 パウロはここでの説教で、イエス・キリストを力強く論証しています。論証するというのは大切なことで、このことがなければ、彼がどれだけ懸命に語ったとしても「イワシの頭も信心から」、ということになりかねません。

しかしながら、論証する人がいればそれで人がイエス様を信じることが出来るとは限らないのです。聖書についての知識はないよりあった方が良いのは当然ですが、肝心なことは、イエス様が救って下さらなかったら自分には生きる望みがない、というような切迫した思いが与えられるかどうかということです。

 そこでパウロは、その説教の最後の部分で、イエス様が救い主であることを抽象的な真理としてではなく、そこにいる一人ひとりの身に向けて訴えました。「だから、兄弟たち、知っていただきたい。」、どこか遠い世界のことではなく、兄弟たち、あなたがたのことですよ、と言うのです。「この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」日本語としてはまわりくどい言い方ですが、こうして教えられたのが信仰によって義とされる、信仰義認という教えです。その教えは、つまるところ自分と関係ない誰かに語られたのではなく、めぐりめぐって皆さん一人ひとりに差し出されているのです。

 

 いま、ここに集まっている皆さん、いやそれだけでなくすべての人たち、信者であるかどうかを問いません、どこに住んでいるか、何をしているか、若いか年をとっているかに関わりません、すべての人にとって、それを自覚しているにせよしていないにせよ、生と死を通していちばん大きい問題は罪という問題です。

 罪の問題を、教会はくりかえしくりかえし、何度でも向き合って行かなければなりません。中には、教会に行くと「あなたは罪人(つみびと)だ」と言われ、それがいやだという人もいるかもしれませんが、罪の問題を言わないなら教会は教会でなくなってしまうでしょう。

 聖書の舞台である中近東、そしてキリスト教が深く根をおろしている欧米の人々に比べて日本人は罪意識が薄いと言われることがあります。それが本当のことかデータを取って確かめたわけではありませんが、思い当たるふしがないでもありません。汚職で摘発された政治家が次の選挙に当選して、みそぎはすんだということがあります。悪いことをしても水で流せばそれですんだという感覚で、罪意識の欠けたずいぶん気楽な話ですが、そういうことに対して神社が文句を言わないのもどうかと思います。…例えばこんなことを考えてみて下さい。よごれたものを川にもっていって洗い流せば、それはきれいになります。しかし、そこで流されたものは川をよごし海をよごしてしまわないでしょうか。

少量といえどもそれはたまって行くのです。よごれたものが積もり積もって、川や海を汚染し、海岸にゴミが大量に打ち寄せられているのを私たちは知っています。人間が捨てたものが、今度は逆に人間に襲いかかっているのです。

 もしも罪というものがちょっと洗い流せばそれで良いんだと思っている人がいたら、それがあやまりであることを知って下さい。それは次から次に人に伝染したり、また増幅して、いろいろなところで思いがけない災いをもたらします。そうであってはならないとするなら、罪を根本から断ち切ることを考えなければなりません。

 罪と悪とは同じではありません。誰も通らない深夜の横断歩道を車で走っていて、赤信号がついているところを横断しても、災難はふりかからないかもしれません。しかし交通法規に照らしてみると、この人は規則違反の罪を犯しています。もしも警察に見つかると、罰を受けなければなりません。もちろん、交通事故を引き起こすこともあります。悪を英語で言うと災いや不運とも訳すことが出来ますが、このように罪の結果として、さまざまな悲惨な出来事や災難が起こってくるのです。

 私たちは罪という言葉を、あの人に対して罪を犯したというように、人と人との間で使います。だから、悪いことをした時、その相手に対して謝罪が求められるわけです。しかし人間と人間の間で、謝ったり、謝りを受け入れることで困難がすべて解決するわけではありません。口先だけの謝罪もあります。謝ったあとで、それとは正反対の言葉がポロポロ出て来ることもあります。

 それでは、人間に備わっている良心をとぎすませば良いのでしょうか。人間には誰しも悪いことをした時に良心がうずくということがあります。ただ人といっても多種多様ですから、少しのことですぐに良心がいたむ人がいる反面、どんなに悪どいことをしても良心がいたまず、それどころか自分は良いことをしてるのだと自己正当化をはかる人もいます。ですから、万人に備わっている良心も、残念ながらそれだけではあまり頼りにならないのです。

 神様抜きで考えているから解決が見出せないのです。いや、自分は人間の力を信じている、神など想定しなくても人間の問題は人間が解決できると考える人もいますが、その道は遠すぎて、全くというほど展望がないのです。…そこで私たちとしては、人が人に対して罪を犯すというのは本当ですが、それは何より神様に対して罪を犯しているのだというところから考えなければなりません。

私たちが大なり小なり、罪を犯す時、それは何よりも先に神様に対して犯しているのです。こんな人間たちを正すために、神様は神様の掟を与えて下さいました。それがモーセに与えられた十戒を中心とする律法です。そこにはこうまとめられています。

 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。あなたの父母を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に対して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。

 パウロが38節の中でモーセの律法と呼ぶものは、この十戒を具体的に日常生活の中で実践するように展開され法律体系全体のことで、それはモーセと彼の後継者たちによって整えられました。イスラエルの人々はその長い歴史の中で、律法を守ろうとしたこともありましたが、律法に背いたこともたびたびあって、自分たちが亡びるかどうかという瀬戸際に追いやられた中で、やはり律法を守ことに目覚めました。こうしてファリサイ派や律法学者と呼ばれる人たちが出現しましたが、彼らが神のみこころに適った人たちだったでしょうか。パウロは自分のことをファリサイ派の中のファリサイ派と言ったぐらい律法を人一倍熱心に守ろうとした人でしたが、十戒のいちばん最後の「隣人の家を欲してはならない」、ひとことで言うと「むさぼるな」ということですが、これだけは守ることが出来なかったということを、ローマの信徒への手紙の中で語っています。

 律法を守れない以上、人は救われません。「モーセの律法では義とされえなかった」というのはパウロが体験したことです。ただパウロだけの体験ではありません。律法を守ることに人一倍熱だったなパウロがそうならば、ファリサイ派や律法学者もそうなのです。すべてのユダヤ人もそうです。そして、十の戒めを守ることが出来ているかどうか自分に問う時、すべての人が自分も同じだということを自覚することでしょう。つまりユダヤ人も異邦人も、日本人も、みな人であるかぎり十戒を守って神様のテストに合格すべきなのに、不合格と判定され、義とされなかったのです。どんな人もこの判決をくつがえしてほしいと望むならば、救い主イエス・キリストを仰がなければなりません。

 

 こんなことを言う人はいないでしょうか。「神様が勝手に自分を罪人だと認定して、それがいやならイエス様を信じろとはどういうことか」。…しかし、その人は神様と向き合っていません。人間と人間の間のレベルで神様を考えています。 かりに私たちの前に、神様がその真実の姿を現したら、誰も立っていることは出来ません。正義そのものである方の前では、私たちは自分が滅ぼされないよう乞い願うしか出来ないのです。どれほど善い行いに励んだ人であってもそうですから、まして私たちは、ということになります。…

そんな私たちの不義の認定が取り消し義と認定することが出来るのは、神のみ子でありながら罪人の一人のようになって、その一生を罪人とともに過ごし、罪と罪から来るあらゆる災いをご自分の身に背負い、ついに呪いの十字架にかかって下さったお方以外にありません。

 イエス様が罪人が受けるべき神の罰を引き受けて死んで下さったために、これを信じる人は誰でも「あなたの罪は赦された」と宣告していただけるのです。このことがあ本当だということを、父なる神は、イエス様を復活させることで世界に示して下さいました。

 もちろんイエス様を信じて罪の判定がくつがえっても、そののち昔の過ちを繰り返す可能性は残っています。洗礼を受けたその時から、まるで聖人のようになることはありません。しかし、決定的な一歩が踏み出されたのです。

 ここにいる人はほとんどすでに洗礼を受け、信者となった人たちですが、常にこの原点に立ち返って、日々を主にある新しい思いをもって過ごして行かれますように。パウロの説教をその場で聞いた人々と同様、皆さん一人ひとりがいま生きていると自覚して頂きたいと思います。それは、イエス様を信じることなしには考えられないのです。

 

(祈り)

 天の父なる神様。毎日毎日猛暑が続きますが、その中にあっても私たちが心折れることなく、健康も支えられて、神様を礼拝するこの場に集められたことを感謝申し上げます。

 神様、イエス・キリストを信じる者が罪を赦され義とされるということは、私たちがこれまで何度も何度も聞いてきたことかもしれません。しかし、くりかえしくりかえし心に刻みつけなければならないことにちがいありません。それは、私たちが罪の恐ろしさをまだ十分に知らないからです。ここまでは良いだろうと思って、罪と妥協したり、また明らかに悪いことをしていても自分を正当化してしまうからです。そうして、清く生きるなんてことはとうてい不可能だと思っているのです。

 私たちみな、そのご一生をかけて罪と闘い、罪を犯されなかったにもかかわらず、古今東西のすべての人の罪を一身に背負って十字架に上げられ、死んで復活されたイエス・キリストを心の奥底から仰ぐ者として下さい。

 まもなく原爆投下の記念日がやってきます。人類の罪が猛威をふるっているところに戦争が起き、それはついに核兵器を造り、同じ人間の上に落とすところにまで至りました。私たち広島市民は原爆の被害者でありますが、核兵器を生み出した狂気のシステムに加担していなかったとは言えません。平和を願う私たち一人ひとりの力は小さいとしても、思いと思いが結びつき、それを神様が支えていただくことで大きな力となりますように。神様の愛する平和が広島から世界に向けて発信されることを信じて、お祈りいたします。

 この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。

 神に召し出された人 youtube

出エジプト3:1~15、フィリピ3:12  2018.7.29

                             

モーセという人は虐げられたヘブライ人、すなわちイスラエル民族の解放を導いたリーダーとして、歴史に名高い人物ですが、今日はその生涯の中から、彼が神に召し出された時のことを学んで行きましょう。

 

モーセは赤ん坊の時、かごに乗せられてナイル川を流されてきたところをなんとエジプトの王女に救われ、ヘブライ人であったにもかかわらず王女の子として育てられました。そのまま何ごともなければ、王族の一人として、栄耀栄華をきわめることも出来たのですが、この国でヘブライ人が奴隷となって苦しめられているのを見て憤慨し、エジプト人を殺してしまったので逃亡し、ミディアンの地で暮らすことになりました。ミディアンとはシナイ半島から海を隔てて東側にある場所です。モーセはこの時40歳(使7:23)、その後80歳になるまで羊飼いとしての生活をおくりました(使7:30)。そこは木がほとんど生えていないような荒涼たる荒れ野で、その中を羊を引き連れながら過すというのは静かではありますが、過酷な毎日であったと思われます。その時のモーセは、自分がこのあとイスラエル民族の指導者になるなどとは夢想だにしていませんでした。このまま羊飼いとしての生活を続け、ミディアンの荒れ野に骨を埋めるつもりでいたのです。そんなある日のこと、神は思いもかけない方法でモーセの前に現われました。

モーセは羊の群れを追って荒れ野の奥に行き、ホレブという山に着きました。この山はシナイ半島の南にあるシナイ山だと考えられています。そこでモーセは不思議な光景に出会いました。

2節:「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」。主の御使いと書いてありますが、4節では主となり、神となっているので、すべて、同じ主なる神であると考えられます。好奇心にかられて近づいてくるモーセに対し、神は「モーセよ、モーセよ」と呼びかけられました。…神はものを言わない偶像ではありません。言葉でもって人間に語りかけられるお方です。モーセが「はい」というのを確かめてから、神はご自身が聖なるお方であることを示されます。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」。そして、また言われました。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。

神様はここで自己紹介をなさっています。この時代、神と称するものはそれぞれの民族ごとにたくさんあったので、ただ神と言っただけではどの神であるかわかりません。しかしモーセの父の神で、アブラハム、イサク、ヤコブというイスラエル民族の祖先の神であられるということは、この方がまさしく天地を創造された神であり、また先祖たちと契約を結ばれたまことの神であることを示しています。モーセは、まことの神の声を聞いたために非常に恐れ、顔を隠すと、さらに神の声が聞こえてきました。それはモーセに新たな、大きな使命を与える神の言葉でありました。

 

7節から、神がモーセをイスラエルの民の指導者として召したときの言葉が現れます。この神の言葉を読むとき、私たちは神とはどういうお方であるかということが、少しずつ見えてくることと思います。

神は第一に憐み深いお方です。7節をご覧下さい。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」。神は、人々の苦しみをよそに安楽椅子で休んでおられるようなお方ではありません。神はご自分の民の苦しみをご覧になります。彼らの叫びを聞かれます。痛みをご存じなのです。

これは決して昔のイスラエルの民に対してばかりではありません。だから聖書に記録されているのです。神は現代人に対しても、やはり憐み深いお方です。神は私たちの苦しみも見ておられます。叫びを聞いておられます。そして痛みをご存じなのです。

8節は、神がイスラエルの人々を奴隷の地からどこに導こうとしているのかを書いています。そこは「広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地」なのです。このことは私たちにとっても大きな意味を持っています。神は私たちも同じように、奴隷の地から自由な世界へと導いて下さるのです。もちろん私たちはいま奴隷ではありません。ただ重労働で虐待されていないとしても、いろいろな意味で奴隷となっていることがあるのです。少なくとも私たちはみんな罪の奴隷であるかそれに近いところにいるのです。しかし神は、そのような人間を本来あるべきところ、自由な世界へ導いて下さるのです。

神は第二に、人間一人一人に使命を与えて、派遣されるお方です。神はモーセに「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と命令されました。以前モーセは、自分の力で同胞を救い出そうとしてエジプト人を殺すという失敗したため、ミディアンの地に逃げて来たのです。しかし、今や神ご自身がモーセを遣わそうと言うのです。ついに、その時が来たのです。

モーセを遣わされた神は、こののちイエス・キリストをこの世界に遣わされました。こうして、キリストによって神の民となった私たちにも、使命を与えてこの世に遣わそうとされているのです。もちろん私たちには、モーセに与えられたほど大きな使命は与えられていないでしょう。私たちはおそらくみんな平凡な人間であり、中には病気などのために自分は何も出来ない、それこそ生産性がない人間だと思っている人がいるかもしれません。しかしそんな一人ひとりに対しても、神はその人だけにしか出来ない使命を与えて、世に遣わそうとされておられるのです。

神は第三に、人間と共にいて下さるお方です。神から派遣命令を受けたモーセですが、この時は辞退してしまいました。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」。モーセにはこれほどの大きな仕事は、自分には力不足だという思いがありました。昔、失敗した経験がありますし、80歳という年齢では新しいことを始めるのにおっくうになるのももっともです。しかし神は「わたしは必ずあなたと共にいる」と仰せられました。神は人をあちこちに派遣するだけでなく、必ず共にいて下さいます。……このことは聖書の中に出ているだけではありません。私たちキリストを信ずる者の人生の中でも、たびたび証しれていることなのです。

神は第四に、永遠から永遠にいたるまで存在される方であられます。モーセは神様にその名前を尋ねました。すると神は、ご自分が「わたしはある」という者であると答えられました。「わたしはある」とはずいぶん不思議な名前ですが、これは誰がつけた名前でもなく、神様が自ら名乗られた名前です。

「わたしはある」とはアルファベットではYHWHの4文字で表され、ヤーウェと発音します。昔はエホバと言われていましたがそれは間違いで、ヤーウェが本当だということになりました。これは、「ある」というベブル語の動詞の一人称で、しかもこの動詞は過去形にも現在形にも未来形にもなっています。だから「私はあった」、「私はある」、「私はあるだろう」と、どのようにも訳すことが出来るのです。これは、昔いまし、今いまし、これからも永遠にいます神様を表わすに最もふさわしい名前ではないでしょうか。…この名前については、まだまだ深い意味がありそうですが、今日はここまでにしておきます。永遠から永遠にいたるまで存在される神が私たちを心にかけて下さり、私たちの礼拝を受け入れて下さることを感謝したいと思います。

ここでモーセの前に現れた神は憐み深いお方であり、一人ひとりの人間にその人しか出来ない使命を与えて遣わすお方であり、また人間と共にいるお方、そして永遠から永遠にいたるまで存在されるお方です。この神と比べるなら、エジプトのファラオといえども小さな存在でしかありません。神がこれほどのお方であるということが、モーセにとって励ましにならなかったはずはありませんが、皆さんにも、神がこれほどに大きなお方であるということを思っていただきたいのです。人は往々にして神様の姿を見失います。どこにいるかわからない神様よりもサタンの方が大きく見えることがあります。しかしサタンが

どれほど猛威をふるっているとしても、それはごくしばらくの間、つかのまのことにしか過ぎません。神ののみこころこそが世界を動かして行くということが私たち皆に見えているでしょうか。

 

人は神に召されないでキリスト者になることは出来ません。伝道者になることも出来ません。モーセのように、一つの民族を救い出すことももちろん出来ません。

神を信じることに熱心な人なら、誰しも神に一生懸命お仕えしようと思います。しかし、ただ努力すれば良いというものではなく、人間のどんな努力よりまず先に、神の召しがあるのです。人間のどんな努力もどんな思いも、まず神のみこころの前に屈服することがないと、信仰の歩みは始まりません。 

モーセは神に召されて、イスラエルの民をエジプトから連れ出すよう命じられました。神の召しが最初にありました。では、モーセは素直に神の命令に従ったでしょうか。そうではありませんね。モーセは「わたしは何者でしょう」と言って辞退しました。モーセはこのあと、さらに何回も神の命令を辞退するのです。4章1節でモーセは、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言います。10節では「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません」。さらに13節、「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください」。

モーセは思いました。自分はエジプトの権力者の前では一介の羊飼いに過ぎない、年を取っているし、弁舌は苦手。だからこんな務めは勘弁して下さい、と。……この理屈はもっともなように見えます。しかし神は許しませんでした。わたしはあなたと共にいる、あなたが語るべきことを教えよう、またあなたの兄を助け手としよう。……モーセは神のみこころの到底動かないことを知り、神に強いられてやむを得ず、しかし積極的にそのみこころに従うことになったのです。

今日は神とモーセのやりとりを見てゆきました。私たちには、神からモーセに与えられたほどの大きな使命が与えられているということはないでしょう。私たち一人一人に与えられている使命は、ごくごく平凡な、小さなことかもしれません。しかし、それが大きいか小さいかは大して重要な問題ではないのです。どんな小さなことでも良いのです、自分に与えられた神のみこころに真剣に従ってゆくかどうかに、キリスト者としての人生の勝負があるのです。

モーセは神の命令を受け入れるまで、ずいぶん抵抗しました。しかし、いったん神に従うことを決意したあと、疑い迷いはありませんでした。かりにモーセが自分の力だけに頼ってイスラエル民族の解放を図っていたら、失敗に終わったことでしょう。けれどもモーセには神が共におられました。彼は神の力によって闘いぬきました。だから、勝利の人生を歩むことが出来たのです。

私たちは誰しも、一度しかない人生を生きていますが、これまでの自分の人生に満足している人がどれだけおられるでしょうか。悔いの多い日々を積み重ね、しかも自分の人生が残り少ないのではないかと考えて、暗く沈んだ思いでいる方もおられるかもしれません。しかし今日、私たちは神様がどのようなお方か、その輪郭だけはとらえることが出来たと思います。神は私たちの創り主であられるだけでなく、私たちについておられ、私たちの人生に責任を持って下さるお方です。だから、自分はこれまで神様と共に歩いてきたと思っている人はもちろん、そうでない人も、今この時、神様から自分だけに与えられている使命を再確認し、人生最後の日までその務めを果たしてまいりましょう。もはや疑い、迷っていることはないのです。

 

(祈り)

父・み子・みたまなる神様。台風が襲ってきて、多くの人が台風と果敢に闘い、そのために教会に来れない人も多い中で、こうして私たちだけでも共に礼拝をささげることが出来ますことを感謝いたします。

神様は永遠の昔から永遠の未来までいらっしゃいます。宇宙のすべてを支配なさっておられます。神様に比べれば、人間の力など何ほどのものでありましょう。しかし、多くの人が取るに足らない人間の力の前にひれ伏し、最もおそれなければならない神様の力を見くびっているのです。何とおろかなことでしょう。だから神様はモーセを派遣するに当たって、ご自分がどんな権力者もかなわない、絶大な力を持つお方であることを示されたのだと思います。

 どうか神様のみ名が全世界でたたえられますように。神様がモーセと共におられたように、私たちとも共にいて下さることを信じて、お願いいたします。私たち一人ひとりは世間の中では小さな者です。自分にはもう何の力もないと思っている人もいるかもしれません。しかし、たとえ寝たきりの人であっても、祈ることは出来るのです。キリストのとりなしによって、私たちが行う小さなことが大きな力に変えられることを心から祈り、求めます。

 神様、どうか死に向かってゆく私たちの人生が、最後の日までまっとうされ、感謝と満足の内にみもとに向かうことが出来ますように。そのためにも、ふだんから礼拝を怠らず、いつもみことばに親しみ、祈りの内にみこころを尋ね求めて生きる者として下さい。

 主イエス・キリストのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

命あるものには望みがある youtube 

コヘレト9:1~10、Ⅱコリ5:1~5 2018.7.22

 

 きょうは人間の生と死について、昔からいろいろと論じられ、語りつがれた中から、ひとつの話を紹介することをもって始めます。

 ロシアの教会は正教会と呼ばれ、私たちの日本キリスト教会とはずいぶん違っていますが、やはりキリストが始められた教会です。昔そこで、多くの人々から尊敬されていた一人の長老が亡くなり、その葬儀の席に一人の若者が参列していました。すると遺体から腐った匂いが漂ってきたのです。これはどこにでもありがちなことにはちがいないのですが、若者はたいへんな驚きとショックを受けたというのです。亡くなった人は、生前その若者をたいそうかわいがっておりました。若者にとっても長老は心から敬愛してやまない人でした。しかし、そのことが死という定めから人を免れさせるものではありませんでした。

自分が心から愛し、尊敬していた者であっても、このように蛆虫の餌食になってしまうというのがこの世界の現実です。敬愛する長老からの腐った匂いに直面して当惑した若者は叫びました。「僕は神に対して謀叛を起こしたんじゃない。『ただ神の世界を認めないのだよ』」。その意味は、自分は神様に対して逆らおうとは思っていない、だけども神様が創られた世界がこんな現状であることを認めることはできないということです。同じ思いを持つ人は多いのではないかと思います。コヘレトもそうでした。コヘレトも、あくまでも神を信じる人の側に立っています。決して神を否定したり、神に反逆するわけではありません。しかし神のなさることに納得がいかないのです。

 コヘレトは言います。「人間の前にあるすべてのことは、何事も同じ」だと。同じひとつのことが善人にも悪人にも起こります。良い人にも罪を犯す人にも起こります。いけにえをささげる人にもささげない人にも起こるというのは、礼拝をする人にもしない人にも同じように起こるということです。誓いを立てる人に起こることが誓いを恐れる人にも起こるというのは、神様の御名によって誓約をする人とそういうことを避ける人ですが、いずれにしても、すべての人に同じことが起こるということに他なりません。これは何のことでしょうか。

 イエス・キリストの有名な言葉に、神は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)というのがあります。そこでは神様がどれほど愛に満ちたお方かということが言われているのですが、コヘレトにはとてもそんなことは思いつきません。どんな人にも同じように起こることというのは、悪いことにちがいありません。コヘレトは言います。「太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと」、これは、死ということであると考えられます。

「その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後(あと)は死ぬだけだということ。」、人の心は生きている間、悪にとらわれ、そうして死ぬだけだと。これはすべての人について言ったのか、悪人についてだけ当てはまることなのかはっきりしませんが、罪の結果が死だということを言っている可能性もあります。いずれにしても、死がすべてを呑みつくしてしまうというのです。

 

 コヘレトはこのように、死という現実の前にすべてを悲観的に考えてゆきました。死というのは深い井戸のようなもので、このまま身を乗り出してのぞきこんでいったら、コヘレトはそこに落ちてしまうのではないでしょうか。絶望に打ちひしがれてしまうのではないでしょうか。場合によっては、自ら命を絶ち、他の人にも自殺するよう勧めるということも考えられないことではありません。

 ところが、そんなぎりぎりの地点に達した時、コヘレトは身をひるがえして、絶望に身を委ねることを拒むのです。この世界と人生のすべてを見てきたコヘレトは、死という深淵をのぞきこんでいる時ですら、人生に積極的な意義を見出そうとします。それが現れているのが、「命あるもののうちに数えられてさえいればまだ安心だ」という言葉です。

 実は、死の問題でコヘレトがこれほど深刻になるのは、これまでも何度かあったことでした。例えば4章2節に「既に死んだ人を、幸いだと言おう」という言葉があります。また6章3節でも言っています。「人が百人の子を持ち、長寿を全うしたとする。しかし、長生きしながら、財産に満足もせず、死んで葬儀もしてもらえなかったなら、流産の子の方が幸運だとわたしは言おう」。…すなわち、それまで人生のむなしさに直面して、死んだ方がましだと言っていたのが、今度は、それでも生きるのだと方向転換したのです。

 彼は「犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりもましだ」と言います。愛犬家の方には大変申し訳ないのですが、古代の中近東世界で犬は不潔な動物として軽んじられてきました。獅子はその反対で、百獣の王であり栄光の象徴であるのでたいへん尊ばれていたのです。しかし獅子がどれほど尊ばれていたとしても、死んでしまえば死骸となってハゲタカの餌食となるだけです。ですからコヘレトは、たとえ犬であっても生きてさえいるならば、死んでしまった百獣の王より良いのだというのです。それは落ちぶれて、どんなみじめな境遇にあっても、生きてさえいるならば、死んだ王様よりましだということでしょう。 

 生きていることは死ぬことにまさる、そこにはコヘレトの時代の人々の死生観も反映しています。当時の人々にとって死後の世界の様子ははっきりしていませんでした。もちろん今日でもはっきりしているとは言えませんが。

地球が丸いということがわかっていなかった時代、空のかなたに天があり、反対に地下深くに死者が住む世界である陰府があると考えられていました。

最後の審判や、生前良い行いをした人が天国へ、そうでない人は地獄へというのは、比較的のちの時代になってから示され、広まった考え方で、コヘレトのイメージしていたものとは違います。それでは死者は、陰府でどのように暮らしていると考えられていたのでしょうか。コヘレトは5節で「死者はもう何ひとつ知らない」と言っています。10節も「いつかは行かなければならないあの陰府には、仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」と言います。…ここで思い出すのは、ヨブも同じようなことを口に出しているということで、ヨブ記10章21節では、「二度と帰って来られない暗黒の死の闇の国」について、「その国の暗さは全くの闇で、死の闇に閉ざされ、秩序はなく、闇がその光となるほどなのだ」と言っています。わが国の古事記には、イザナギノミコトがイザナミノミコトを追って黄泉に行く話がありますが、そこでイザナギノミコトが垣間見たという黄泉の世界もそのような闇の世界で、共通する部分があるように思います。

皆さんはおそらく死後の世界について、これほど夢も希望もない見方はされないでしょう。中には、死んだあとも愛する人たちと共に過ごす楽しい生活を想像している人がおられるかもしれません。…それはイエス・キリストが死者の中から復活したということが、私たちのものの見方を転換させる上で決定的な影響を与えたからです。しかし、コヘレトはキリスト以前の時代に生きていた人です。死んだあとには一切の望みがないのです。…しかしそのことがコヘレトに、何があってもあくまでも生きぬこうとする気持ちをもたらしました。

 コヘレトは言います。「生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない」。死者が本当に何ひとつ知らないかどうかは疑問ですが、生きているものについては基本的に正しいことを言っています。私たち人間は、赤ん坊か幼児でもない限り、自分がいつか死ぬということを知っています。…皆さんは、自分の命に限りがあるということを知らないまま生きていたいと思われますか。そんなことはないでしょう。それはまっとうな人間の生き方ではありません。

自分がやがて死ぬことを知っている、そのことが人生にとってプラスとなり、人間としての自覚をもたらし、その人の輝きとなるのです。…こういう言葉を残した人がいます。「生死は一度あれば充分です。何故なら、この一度のために我々は全力を尽くすからです」(老舎)。コヘレトは人生に限りがあるということを知ったことで、かえってそこから反転して、人生を力強く生きる思いが与えられました。

 コヘレトは絶望の淵から命の側にジャンプしました。そこから7節以降に書いてある、生きることへの賛歌が生まれます。「さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい」、これはただ刹那的な喜びを勧めているものではありません。そこのところは感ちがいしませんように。…「どうせ我々の寿命は限られているんだから、いま生きている間に飲め、食え、楽しめ」と言っているのではないのです。その理由は、そのすぐあとに「あなたの業を神は受け入れていてくださる」、とか「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい」と書いてあることからわかります。…神から自分に与えられた役割を熱心に果たすことが先決です。飲んだり食べたりする喜びは人間の労働に対して神様から与えられた祝福なのです。

 古代の中近東には、コヘレトが7節から10節で言ったこととよく似た教えがあるそうです。ギルガメシュ叙事詩というものがありますが、しかしそれは喜べ楽しめと教えているだけで、労働の勧めもこれを神が受け入れて下さるということもありません。それだけ薄っぺらな教えになっています。

 8節の「どのようなときも純白の衣装を着て、頭には香油を絶やすな」、暑い気候のもとでは白い服が快適で、香油は乾いた肌への刺激を和らげました。そして9節の「愛する妻と楽しく暮らすがよい」は、結婚の重要性を教えます。結婚生活は、太陽の下で労苦する人間への報いなのです。男にとって女は、限りある人生の中の慰めであり励ましです。女にとっての男もそうでありましょう。コヘレトは以前読んだ7章のところで「死よりも、罠よりも、苦い女がある」などと女性不信をあからさまに述べていましたが、いまは女性と和解したようです。ここからコヘレト自身の結婚を想像する人もいます。結婚生活も神から与えられた祝福なのです。

 もちろん、これだけでコヘレトの思索の旅が終わったというのではありません。10節の後半、「いつかは行かなければならないあの陰府には、仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ」と言っているところから判断して、コヘレトはまだゆううつな人生観から抜け出していないことがわかります。

 しかしながら今日お話ししたことは、以前の繰り返しではありません。…生きているものは自分がいつか死ぬことを知っています。だから、あくまでも生きようとするのです。生きている限り、望みがあるのです。そのことは、キリスト以後の世界に生きる私たちにとって一層はっきりしています。

 仮に私たちが人生をはかなんで、死を願うようなところに陥ってしまったとしましょう。そうして「死にたい、死にたい」と思っている時、やはり自分と同じく死を考えている人に会ったとしましょう。

その人に対して、「死んでしまいなさい。その方が楽ですよ。よかったら私と一緒に」と言えるでしょうか。そうは言えないのです。やはり、「死んではいけない。生きていれば望みがある」と言うと思うのです。そこには自分で自覚していなくても隣人への愛があります。そして、他の人に対して「死んではいけない」と言った人は、その言葉によって自分自身も生かされるのです。コヘレト自身も、自分が言った「命あるもののうちに数えられてさえいればまだ安心だ」という言葉によって、生かされていったのだと思います。

 人は死んだあとどこへ行くのか、私は見てきたようなことを言うわけにはいきませんけれど、それはコヘレトが思っていたような闇の世界ではないのですから、私たちはなおさら早まった結論を出すことは出来ません。使徒パウロは、人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかがあることを語っています(Ⅱコリント5:1~10)。新約聖書全体が、人生は神に会うための準備のようなものであり、キリストを信じる者がそれぞれの人生をたたかいぬくことで、死んだのち神のみそばに行けることを教えているのです。ですから誰であれ、人生をはかなんで死に呑みこまれてしまうとするなら、それは人生の階段から転げ落ちることでありまして、すべてが台無し、元の木阿弥になってしまうのです。

 生きているものには望みがある、それは生きている限り、より高いところに向かってゆく可能性が残されているということです。そして、その先に永遠の命が待っています。だとすれば、私たちは少しでも長く生きながらえて、神様に出会う準備をするべきです。命のある間に神様を求めて行きましょう。

 

(祈り)

 父なる神様。一回一回の礼拝に神様が命を吹き込んで下さることを感謝いたします。きょうのみことばの中で、コヘレトが絶望の淵から、それでも生きることを選び取ってゆくことを学びました。私たちの心に、ここを通して絶望の虚妄なること、そして神様と共に生きる喜びを刻みつけて下さいますようにお願いします。

 神様、私たちのまわりに、そしてこの世界の中で、人生のむなしさの中でたじろぎ、望みを失っている人がいることでしょう。特に今回の豪雨水害の被災者の中に、そうした思いをいだく人がいるだろうことが心配されます。どうか私たちが望みを失っている人たちのために祈り、人生の重荷を共に担う中で、その人もそして私たち自身も生きることの尊さをつかみとってゆくことが出来ますように。神様はどんな人でも、むなしい人生を送ることを望んでおられません。このことを感謝いたします。私たちを神様のこのみこころにこそ心を開くものとして下さい。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

力、不公正、そして信仰の人生 youtube 

コヘレト8:1~17、ロマ11:33~35 2018.7.22

 

皆さんはコヘレトの言葉の8章を開く時、まず冒頭の言葉に注意を引きつけられるのではないかと思います。「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」。

この言葉に照らした時、私たちの現実はどうでしょうか。中にはこういう人もおられますが、皆がこのようであるわけではありません。これとは反対の、光の添えられていない顔、固い顔、暗い顔つき、愉快に笑ってはいても知性の感じられない顔といったものなら、…人通りがたくさんあるところに行って人間観察を行ってみると、そういう顔を見つけることが出来るでしょう。…もちろん、他人のことばかりあげつらってもしようがありません。鏡でじっくりと自分の顔を見てみたら、そこに何が見えてくるでしょうか。

ここには「人の知恵は顔に光を添え」と書いてあるのです。「人の知恵は固い顔も和らげる」と言うのです。それは顔のつくりが明るく出来ているということではないでしょう。内に秘められた知恵によって、顔全体が光り輝くのです。このような人に私たちはふだん、あまりお目にかかりません。自分自身も、そのような人であるとはとても言えないでしょう。いったい人の顔を変えるような知恵が本当にあるのでしょうか。それがどこかにあるのなら、私を含めみんながこれを探し当てたいと願っていることと思います。誰もが知恵によって光が添えられた、固いのが和らげられた顔でいたいのは確かなのですから。

もっともここで疑問が起こります。「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」と言ったのは誰なのでしょうか。コヘレトはこの言葉に続けて、「賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。それは、わたしだ」と言います。そこで私は、「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」がもともとコヘレトが言った言葉ではなく、聖書かあるいはどこかの文献にあるのではと思ったのですが、見つけることは出来ませんでした。もしかするとこれはコヘレト自身の言葉かもしれません。いずれにしてもコヘレトは、この言葉の解釈ができるのは私だと言って、胸をはっているのです。自分を賢者の位置に置いているのです。それでは、顔に光を与え、固い顔も和らげるような知恵はどこにあるというのでしょうか。

よく、学問をすることが人格をみがくと言われることがあります。孔子とか東洋の伝統の中で言われてきたことのようです。確かに何にも勉強しない人に知恵があるとは考えにくいわけで、勉強することが人格形成に大きな役割を果たし、知恵が与えられるのは本当です。

しかし、それだけで十分であると楽観的に語ることは出来ないでしょう。…誰もが知っているように勉強することでかえって悪賢くなる場合があります。ライバルとしのぎを削っているうちに、人間性を失ってしまうということもあります。知恵を身につけるということが悪事を行うための手段になっているのです。

コヘレトが言っているのは、そのような意味での知恵ではありません。人の顔をも変えるといわれる知恵は、難しい試験をパスする知恵でも、ライバルを蹴落とすための知恵でも、お金もうけのための知恵でもありません。

ここで思い出すのは出エジプト記に書いてあるエピソードです。出エジプト記34章29節30節に、モーセがシナイ山に40日40夜こもって神と語り終えたのち、山から下って行くと、彼の顔の肌が光を放っていたということが書いてあります。コヘレトはこの話を念頭に置いて語った可能性が考えられます。つまり、「顔に光を添え、固い顔も和らげる」知恵というのは、神に根拠づけられる知恵であり、神から与えられる知恵であることは確かです。コヘレトはこの言葉の解釈ができるのは私であると胸をはっています。そうしますと彼自身、顔が光輝くほどの人間でなければ一貫性がないことになるのですが、はたしてそうだったのか、このあとに書いてあることを皆さんにも判断して頂きたいと思います。

 

自分を賢者だとみなしているコヘレトが、自分に与えられた知恵でもって生きて行こうとする時に、見えてくるものはこうでした。「王の言葉を守れ」。王にさからうことは無益です。それは「だれも王に指図することはできない」からですし、また「命令に従っていれば、不快な目に遭うことはない」からです。

王というのは国の指導者です。コヘレトは国の指導者に従えと言っているのです。新約聖書のロマ書13章1節でパウロは言っています。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」。それと似たようなことをコヘレトも言っています。…ただ王であれ、選挙で選ばれた指導者であれ、善良で有能な人ならば良いのですが、いつもそうだとは限りません。上に暴君をいただくということもあるわけです。ロマ書13章は詳しく読み込んで行くと、王の上にも神がおられることを言っていることがわかります。…どんな王であっても、神の上に立つことは出来ません。自分を神よりも偉いとして、そのようなふるまいをする王に、それでも従って行かなければならない義務まで、要求されているわけではないのです。

…しかし、コヘレトにはそこまでの覚悟はありません。ここで王が善人であるか悪人であるかは問題ではありません。どんな王であっても従わなくてはならないとコヘレトは説くのです。王は望むままにふるまうのですから。だから、結局は身の安全が第一というような、どこにでもあるような結論になってしまっていると思います。

それでは5節後半から8節にかけては、何が書かれているのでしょうか。

コヘレトは5節で、「賢者はふさわしい時ということを心得ている」と言います。それは、今は何があっても王に従わなければならない、でも忍耐していれば良い時が来るというのでしょうか。6節の「何事にもふさわしい時があるものだ」という言葉からは、そのような知恵と希望が感じられます。しかし7節になると「何事が起こるかを知ることはできない」と言います。続けて、「どのように起こるかも、誰が教えてくれようか。人は霊を支配できない。霊を押しとどめることはできない。死の日を支配することもできない。戦争を免れる者もない。悪は悪を行う者を逃れさせはしない。」

皆さんは何を言ってるのかわからなくなってくると思います。そうです、5節で「賢者はふさわしい時ということを心得ている」と言いながら、7節では「何事が起こるかを知ることはできない」と言うのです。一方で賢者はふさわしい時を心得ていると言いながら、何事が起こるか知ることは出来ないと言う、賢者であっても知ることは出来ないのでしょう。前後が矛盾しています。結局、賢者であっても、時というものをすべて心得ているわけではない、としか読めません。というわけで、読者の心に一瞬芽生えた希望も消え去ってしまうのです。

 

このような状況の中で、顔に光を添え、固い顔も和らげる知恵を抱いて生きて行くことは可能なのでしょうか。だんだん難しくなって行きそうです。

 コヘレトは今度は世の中のことに目を向けます。世の中には人の顔を暗くし、悪人ばかりを喜ばせることがあります。それは悪人が栄え、善人が苦しむという現実です。

 「善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者があり、悪人でありながら、善人の業の報いを受ける者がある」。こんなことを神はなぜ許しているのでしょう。…コヘレトが見渡してみたところ、正義はどこにも見当たらないばかりか、かえって不正ばかりがはびこっています。悪事を働く人たちが罰せられないために、人は大胆に悪事を働いている、そのような、あってはならないことが世に蔓延しています。…それでも、このことは我慢できるとしましょう。問題はこのようなことが葬儀の場でも見られることです。

生前、悪いことばかりをしていた人の葬儀が行われます。おそらくそれは立派で、また丁重に行われた葬儀でありまして、多くの花がささげられ、追悼の言葉や弔辞が長々と述べられるのです。これに反して、「正しいことをした人が町で忘れ去られている」。立派な葬儀などもたれません。それどころか、葬儀が行われなかった可能性もあるのです。

 人が生きている時に差がつくのは許せるとしましょう。死んだ時までこんなにも差がつき、不公正がまかりとおっているとしますと、それこそゆりかごから墓場まで、この世は乱れきっていると言わざるをえません。それを知った時、コヘレトは絶望するほかありません。顔に光が添えられるほどの知恵など、望むべくもないのです。それでは、このままどこに進んでいったら良いのでしょうか。悪事を働くことによってこの世の幸福を得るという道に進むべきでしょうか。

                                                                                                                                       

 私たちがコヘレトに学ぶべきことがあります。それは、コヘレトが絶望の淵まで行きながら、悪に向かって進むことなく、信仰のもとに踏みとどまったことです。コヘレトは12節で言います。「にもかかわらず、わたしには分かっている」。「にもかかかわらず」ということが大切です。悪人が世にはばかり、善人が忘れられていく世の中にあって、葬儀においても悪人と善人で大きな差がつき、絶望に追いやられながらも、彼は神を信じぬきます。

コヘレトの目に映るのは不正が横行する世の中で、その程度は現代よりはるかにひどいものであったかもしれません。しかし、そのことは神がおられることを否定するものではありません。神はこの世の不正に対して、すぐに判決を下すようなお方ではあられません。…それはいつのことかわかりません。この世に起こるすべてのことを悟ることは、どんな賢者であっても出来ません。しかし、この世の矛盾に対して必ず正しい判決が下されるのです。いや、すでに下されているのかもしれません。

 コヘレトは言います。「にもかかわらず、…神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり、悪人は神を畏れないから、…影のようなもので、決して幸福にはなれない」。

この世は矛盾だらけで、悪人が幸せに暮らし、善人が不幸になっているように見えることが多いけれども、外から見えていることが実際にその通りだとは限りません。権力と財産を握っていて、誰もが羨望のまなざしで見ている人が実際にはこの世の誰よりも不幸で、反対に貧乏でその日の食べるものにもことかく暮らしの人が実は誰よりも幸せだということは、しばしば起こることです。コヘレトはそういった現実を踏まえた上で、表面的な幸不幸とは別の次元で、やはり悪人は不幸であり、善人は幸せなのだというのです。

皆さんはコヘレトのこうした考えに同意なさいますか。コヘレトは、悪人が不幸であり、善人が幸せであることを認める人の上に、信仰の知恵からくる光がさしこんでいることを教えているように思われます。

光輝くほどであるとは思えないのですが。

…その人は絶対的な権力者を恐れる必要はないし、悪人が世の中で大手をふるっていても羨んだり、嫉妬したりする必要はありません。コヘレトが思索の果てにたどりついた境地が15節の言葉、「人間にとって、飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない」と言うことです。それは一見ささやかなものに見えますが、それ以上の幸福はないのです。そこで言われている幸福とは、そのあとに書いてあるように、「神が彼に与える人生の日々の労苦に添えられたもの」なのです。

いま豪雨の被災地では、このささやかな幸福が妨げられ、押しつぶされています。その地の人々に、本来の幸せが戻ってきますように、そのために私たちのわずかな力でも神様によって用いられますようにと願います。

コヘレトがここでたどりついた結論は、平凡なように見えても大切なことであり続けます。人は、ただ神だけを畏れて生きるなら、神は社会のすべてをご支配なさると共に、その人に必要なものも与えていて下さることがわかるのです。

コヘレトはイエス・キリストを知らないという限界を持っています。ですからキリストからさらに深い知恵を与えられたとき、人はコヘレトの達した段階からさらに先に進んでゆくことになるでしょう。ただし、きょうのところはコヘレトの得た結論を心の財産として、味わいたくわえていただきたいと思います。「神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福にな」るのです。この場にいる私たちすべてに信仰の知恵が豊かに与えられ、神の与えて下さる幸せを喜び、楽しんでゆくことが出来ますようにと願っています。

 

(祈り)

 天の父なる神様。きょうコヘレトの言葉から神様の恵みを受けた私たちに、日々の生活の中で神様に感謝する思いをさらに増し加えさせて下さい。

自分のまわりのことだけを見ていったらきりがありません。あの人は良い思いをしているのに自分は、ということがたくさんあります。不平不満が積もり重なって、それを弱い人にぶつけることだってあるかもしれません。しかし今、この時にも豪雨災害の中でけんめいにたたかっている人がいるのです。神様、私たちがただ自分だけの幸せを願う思いから解放されて、より広い、もっと大きな世界の中で生きる者とさせて下さい。

神様は私たちを幸せにしようとされておられるのです。青い鳥を探しに行った兄弟が結局いちばん身近なところに幸せを見つけたように、幸福は手の届かないところではなく、ごく近くにあるのでしょう。神様、私たちが神様からいただく日々の恵みを数えて行くことが出来ますように。今日も神様から与えられた日ごとのかてを感謝いたします。どうか感謝の人生とその喜びを私たちに満たし、さらにそれを外の世界へ、特に望みを失い苦しんでいる人々、災害とたたかう人々に伝えて、共に分ちあう者として下さい。

とうとき主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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イザヤ55:1~7、使徒13:16b~37  2018.7.8

 

 今日私たちに与えられたパウロの礼拝説教は、アンティオキアという町のユダヤ教の会堂で行ったものでした。パウロとバルナバは危険な山道を登ってこの町に着きましたが、その時パウロは何かの病気にかかっていたようです。しかし会堂の人々は、パウロのそんな様子から目を背けることなく、励ましの言葉を求め、パウロはそれに応えたのです。その内容はイスラエルの民の歴史に関することでした。

 パウロは説教の冒頭で「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」と言って呼びかけます。イスラエルの人たちがユダヤ人であることは明白ですが、ではこれと区別されている「神を畏れる方々」を皆さんはおわかりですか。これは異邦人を指します。ユダヤ人ではないけれども、それまで信じていた神々に満足できず、ユダヤ人が信じている唯一の神こそ自分の神だと信じて宗旨替えをした人たちです。この人たちにとってもユダヤ人の歴史は、自分の民の歴史であったのですが、では皆さんにとってはどうでしょう。全然違う世界のことでしょうか、それともまさに自分たちの祖先のことでしょうか。

 

 イスラエル民族、すなわちユダヤ人が、世界の歴史に登場して以来現在まで、ほかの民族には考えられない波瀾万丈の歩みを続けてきたことは皆さんご存じの通りです。紀元70年のエルサレム神殿の崩壊以来、ユダヤ人は世界に散らばり、キリスト教徒からの差別や迫害の対象になりました。ユダヤ人は「キリストを殺した民」だとみなされ、その行き着いたところがナチス・ドイツによる600万人もの虐殺でした。…しかし、それほどの苦しみを味わったユダヤ人が、戦後は逆に他の民族に対し、情け容赦ない態度を取るようになったとしか思えません。1948年のイスラエルの建国はその地にもともと住んでいたパレスチナ人を追い出すことになりました。その後5度にわたる中東戦争、そして現在、聖地エルサレムを巡っての一触即発の状況が続いています。…イスラエルに対する怒りがイスラム教徒のみならず、世界的に拡がっていますが、このような中、教会がイスラエルを掲げていて良いのかという議論も起こっています。それはある意味で当然のことと言えましょう。今のイスラエルはあまりにひどいじゃないかというところから、じゃあ「教会はイスラエルやユダヤ人とは全く違うところでみ言葉を語って行こう」とする人々が出て来るかもしれません。

しかしながら、キリスト教会はどうあってもイスラエルやユダヤ人から離れることは出来ないのです。教会の根っこがそこにあるからです。

 昔ドイツの教会が、旧約聖書はユダヤ人が書いたものだからという理由で、これを聖書と認めなかったということがありました、これはもちろん極端な例ですが。…現代の世界で、国家としてのイスラエルを無条件に支持するような教会は困りますが、逆に反ユダヤ主義になっても困ります。私たちの教会としては、中東で今起こっている問題を遠い世界のことと思わず、ユダヤ人のたどった歴史を謙虚に学びつつ自分たちの居場所がどこにあるかを見定め、その上でユダヤ人とパレスチナ人双方のために祈ることが求められているのではないでしょうか。こうしたことが世界中の多くの教会で広がっていけば、それは中東問題の解決のための何らかの貢献になるはずです。

 

 パウロの説教ですが、これを見て実際にはもっと長かったのではないかという人がいます。旧約聖書の内容がたいへん簡潔にまとめられているからですが、本当のところはわかりません。

 使徒言行録にこれと似た説教があります。それはステファノの説教です。ステファノもユダヤ人の歴史を語りましたが、語った相手はユダヤ人のみ、彼は説教の途中で怒り狂ったユダヤ人に殺されてしまいました。ユダヤ人の罪を厳しく告発したためでした。これに比べ、パウロの説教はユダヤ人と異邦人双方を相手とし、また人々の罪を告発するよりも神の恵みの方に強調点を置いているようです。

 その説教は神の選びから始まります。「この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し」というのは、神が世界の人々、諸民族の中からアブラハムを選んで、カナンの地に連れてきて自分の民としたことを指しているのです。

 今アメリカの福音派と呼ばれる教会は、パレスチナの地は神がアブラハムを通してユダヤ人に与えた土地だからということで、イスラエルによるパレスチナ人の排除を認めています。これに反対して、パレスチナ人の人権はどうなるのかと言おうものなら、聖書にこう書いてあるじゃないかと言ってくるので、反論しにくいわけですが、こういうことはもう一度根本から考え直さなければなりません。…私がむかし北京で会ったエジプト人たちは、モスクで、アブラハムが息子イサクを捧げたことを記念するお祭りに参加していました。つまりイスラム教徒にとってもアブラハムは信仰の父なのです。アラブの人たちもアブラハムのもう一方の子孫なのです。

だとすればイスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、アブラハムという共通の祖先を通して対話することが出来るのではないか、神はユダヤ人にもアラブの人たちにもパレスチナの地を与えたのではないか、このような希望が与えられ、確かなものとなって行きますように。

 パウロはこのあと、イスラエルの民がエジプトに住み、そこから神によって導き出され、約束の地に入ったことを語ります。ここで問題になるのが「カナンの地では七つの民族を滅ぼし」というところです。こういうことを無条件に認めてしまうと、中世における十字軍は素晴らしかったとか、現代でもこういう戦争が許されているんだという危険な結論になりかねません。パウロ先生に直接、どうお考えなのか質問したいところですが、この問題は、主イエスが何を教えられたかを見るなら議論の余地はありません。イエス様は殺すなと言われるだけでなく、さらに敵を愛せよと命じられ、その教えをご自分の命をかけて実践されたのです。

 このあとイスラエルの民は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちの指導を受けました。裁く者とは士師、さばきづかさとも言います。士師記にその歴史が書いてあります。荒々しい時代ですが、ここにも神の導きがありました。 「後に人々が王を求めた」、これは不信仰によるものでした。人々は自分たちの上に神が直接君臨するのがいやだったので王を求めたのですが、神はそれを承知の上でサウルを王として与えました。サウルに続く王がダビデです。神はダビデについてこう宣言されました。「わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。」

 ダビデはイスラエル民族の歴史の中で、神のみこころに適う者、最も傑出した王でした。その王国は来たるべき神の王国のひな型となりました。偉大な王ダビデが打ち立てた王国は、イスラエルの歴史にとって画期的なものであることは間違いありません。イスラエルは軍事的にも政治的にも経済的にも発展し、イスラエルの名は諸国の間にとどろきわたりました。ダビデに対し神はこのようなことを約束なさっています。サムエル記下の7章11節以降にこう書いてあります。「主があなたのために家を興す。…あなたから出る子孫がわたしのために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(Ⅱサムエル7:11~13) これはダビデの子と呼ばれる人物が、メシア(救い主)として世に来て、永遠に続く王国を打ち立てるということです。

…ではそのことは、ダビデのような傑出した王の出現によって強大なイスラエル王国が再び建てられ、それが永遠に続くという意味でしょうか。多くのユダヤ人はそのように信じたのですが、それは実現しませんでした。神がこの民に送って下さったのはイエス・キリストです。キリストは軍事強国をつくりはしませんでした。しかしその王国は永遠に続くものとなりました。さらにそれはユダヤ人のためだけではなく、全世界の民族のものとなったのです。ダビデの話がイエス・キリストに直結している理由はここにあります。

 パウロは25節で呼びかけます。「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」と。ここで兄弟たちとはユダヤ人、アブラハムの子孫の方々もユダヤ人が意味されていますが、今日の視点から見るなら別の可能性も開けてきます。というのはアブラハムにはイサクとは別のもう一人の息子イシュマエルがいて、今日のアラブ人は自分たちはその子孫であると信じているからです。すなわちここでは、ユダヤ人と共にアラブの諸民族も想定されていると見ることが出来ます。そして「あなたがたの中にいて神を畏れる人たち」、これは民族に関係なく神を畏れる人たちで、そこには私たち日本人も入っています。…つまり、その日パウロの説教を聞いていた人は実際には少数だったとしても、これは実に全世界の人々に向けられたメッセージになっているのです。

 パウロはここで説教の中心であるイエス・キリストを語ります。「この救いの言葉はわたしたちに送られました。」イエス様ご自身が救いの言葉そのものでありました。しかし、エルサレムにいた人々やユダヤの宗教的指導者たちはイエス様が救い主であることを認めません。預言者の言葉を理解せず、つまり、この方が旧約聖書で預言されていた救い主であることを理解しません。そのために、正当な理由がないままイエス様を死刑にしてしまったのです。しかしこのことは、神のみこころとは別に世界が動いていった結果ではありません。これらすべてのことは、すでに聖書の中に書かれ、予告されたことだったのです。

 主イエスは木から降ろされ、墓に葬られました。しかし30節にあるように、神はこの方を死者の中から復活させて下さったのです。復活というのは、もちろんそれまでの歴史にはなかった驚天動地のことで、誰もがすぐに信じられることではありませんから、そこでパウロは、これを信じてもらうために、目撃証言を紹介し、その上でこれがどういう意味があるかということを聖書の言葉を引用することによって証明するのです。…まず復活の目撃証人ですが、これは使徒たちです。彼らは主イエスと生前から行動を共にし、十字架の死のあと復活された主と何度も出会って、そのことの証人となっているのです。パウロ自身も、復活した主イエスと出会って地に倒れ、その声を聞いたのですから、証人のひとりです。

 ここでパウロは聖書から3か所引用しています。最初が「あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを生んだ」。詩編2編の7節の2行から3節にかけて読んでみます。「主はわたしに告げられた。『お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。求めよ、わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする』」。「主はわたしに告げられた」と言いますが、「わたし」とは誰ですか、地の果てまで領土とするような者とは誰ですか。この詩に作者の名前は書いてありませんが、それが誰であっても、ふしぎな力でイエス様になりきって書いたものとしか思えません。これはイエス様が全世界の王に任職されたことを宣言する詩です。…その時は、十字架上で死んだ時ではありません。復活することで天と地の一切の権能を授かった時なのです。 パウロが2番目に引用した「わたしは、ダビデに約束した聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える」、これはイザヤ書55章3節からです。その場所を読んでみます。「わたしはあなたととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに」。

似ていないねと思われる方がおられるでしょうが、元は一つです。神はむかしモーセの時代にイスラエルの民と契約を結びましたが、今度新しい、永遠の契約、約束が結ばれ、それによって聖なる、確かな祝福が与えられました、それが主イエスの復活によって起こったことです。

 パウロが3番目に引用した「あなたは、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしてはおかれない」は詩編16編10節からです。その場所を読んでみます。「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず」。この詩の作者はダビデですが、ダビデは人間ですから朽ち果てました。墓穴を見ることになりました。やはりこれもダビデがふしぎな力で主イエスになりきって書いた作品で、一度は死んだ主イエスが死に打ち勝って復活したことを予告しているのです。

 この3つの引用に示されているように、旧約聖書は全世界の王の即位、永遠の契約に伴う聖なる、確かな祝福、そして死よりの復活を予告していました。しかしそれまで実現しなかったのです。偉大なダビデ王ですら、死という定めから逃れることは出来ませんでした。けれども、旧約聖書で予告されたそれらの素晴らしいことすべてが、イエス・キリストが復活されることで実現されました。そして主イエスは永遠の命をもって、全世界を治めておられるのです。イエス・キリストはユダヤ人であり、イスラエル民族の長い歴史の中に神が送って下さった方です。しかしその恵みに全世界の人々があずかることになりました。

 世界の歴史の中では、パウロが説教したのち、ユダヤ人の多くがイエス様をキリストと信じなくなったため、神の祝福は異邦人の方により多く注がれることになり、こうしてキリスト教世界が出現しました。現在、イスラエルを巡ってユダヤ人とイスラム教徒が激しく対立し、そこにおいてキリスト教徒がどうあるべきかが厳しく問われていますが、これは私たちにとって無縁のことではありません。神はすべての人間が、ご自身のもとに集まることを求めておられ、それぞれに役割を与えて下さっています。私たちは血筋の上では日本人であったりしますが、信仰の上ではみなアブラハムの子孫であり、今のイスラエルに対して反対することがあってもイスラエル民族に連なる者です。そして何より喜ばしいことは、この民族に与えられた方で、死に打ち勝って復活されたイエス・キリストの名をもって呼ばれる者たちなのです。

(祈り)

 天の父なる神様。

 西日本をおおうたいへんな豪雨の中、礼拝に出席したくとも出来ない友を覚えながら、いまこの私たちだけでも、礼拝に集められ、神様を拝み、み言葉を聞く恵みが与えられたことを、心から感謝いたします。

 私たちはそれぞれ日本人であったり、中国人であったりなどします。自分が生まれた国、その言語や文化、共に生きてきた隣人たちが大切なことは言うまでもありません。しかしながら、私たちも信仰においてアブラハムの子孫であり、イスラエル民族の歴史に連なる者であり、従ってイエス・キリストが打ち立てて下さった勝利にあずかる者だという自覚を新たにさせて下さい。そして、その上で、それぞれの生きる場において、おそれ多い事ですが神の栄光を現し、信仰の喜びと恵みを伝えて行く者として下さい。

 神様、今回の豪雨で、この教会関連で建物の損傷はなく、けがをした人がいなかったことを感謝します。しかし、職場に通うことが困難になった人、疲労がたまっている人もいます。どうか一人ひとりを顧みて下さい。まだ大雨はやんでいませんし、広島でも日本中でも被害は甚大です。どうか悲しみの中にある人々にいやしを、そして一刻も早く復興に向けての新しい歩みを始めることが出来るよう、神様のお支えを切にお祈りいたします。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

   励ましの言葉 youtube

ヨシュア24:16~17、使徒13:13~20a  2018.7.1

 

 使徒言行録の説教で前回、私たちは、パウロとバルナバが、幸福の島ともいわれるキプロス島で伝道し、魔術師と対決してこれを打ち破ったところを学びました。今日は、パウロたちがキプロス島から船出し、北に向かったところから始まります。

 聖書の巻末に地図がついている方はご覧下さい。「パウロの宣教旅行 1」に旅行図が出てます。キプロス島のパフォスを出発して着いたところがパンフィリア州のペルゲ、そこから北上して着いた所がピシディア州のアンティオキアで、ここでパウロが説教するのです。一行はこのあとさらにイコニオン、リストラ、デルベへと向かうのですが、これら4つの町はすべてガラテヤ地方ということでまとめることが出来ます。パウロはのちに「ガラテヤの信徒への手紙」を書きましたが、その宛先はアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベの教会ということになるのです。

 私たちが一人で使徒言行録を読む時、もしかしたらパウロたちはここに行ったんだな、こういうことがあったんだなというところで終わってしまうかもしれません。今の時代ならとても考えられないような過酷な旅であっても、パウロたちならやりとげたのだろうと軽く考えてしまうことがあるのですが、彼らとしても霞を食って生きていたわけではありません。今日は文章の行間に隠れているなまなましいことも探り出して、お話ししたいと思います。

 

 パウロとその一行には、パウロとバルナバ以外にヨハネがいました。ほかの箇所で、マルコと呼ばれるヨハネとも書いてある人です。エルサレムで自宅を開放して集会所にしていた女性の息子で、またバルナバのいとこでもあった若者です。パウロとバルナバはこの若者を助手として連れて行きました。ゆくゆくは自分たちの後継者として育て上げようという思いもあったのではないでしょうか。しかし彼はペルゲに到着したあと、エルサレムに帰ってしまうのです。伝道戦線からの脱落です。その理由は書いてないのですが、彼ら一行の行く手に立ちはだかる困難の前に恐れをなしてしまったのかもしれません。あるいは、古代教会の指導者であるクリソストムという人が言ったそうですが、お母さんに会いたくなったのかもしれません。

 理由はともかくヨハネは帰ってしまいました。これは特にパウロにとって怒り心頭、全く許しがたいことでありました。…この時からおよそ3年後、パウロとバルナバが2回目の伝道旅行に取りかかろうとした時、バルナバはこの若者をもう一度連れて行こうとしました。しかしパウロは、あの時自分たちから離れ、一緒に行かったような者は連れて行くべきでないと考えました。そこで二人は激しく衝突し、とうとう別行動を取るようになるのです。バルナバはこの若者を連れてもう一度キプロス島へ、パウロはシラスという人を選び、トルコ西岸のエフェソに向かいます。このことについては、のちにその箇所で詳しく学びます。今日のところで皆さんには、ダメな若者がいて脱落し、パウロたちに多大な迷惑をかけたということを覚えて頂きたいと思います。

 

 パウロたちが到着したパンフィリア州のベルゲという町はかなり大きな町でした。ここには1400人の座席がある劇場と2万人を収容できる競技場があったということです。ではパウロたちはここで伝道したのでしょうか。どうもその形跡がなく、すぐに北に向かって出発したようです。

 パウロたちが目指したのはピシディア州のアンティオキアです。皆さんはアンティオキアの名を聞いたことがあるでしょう。そうです、パウロたちが出発したのもアンティオキアでした。アンティオキアというのはアンテオコスという王にちなんで名づけられた町で、この時代あちこちにあったということです。

 ベルゲからピシディア州のアンティオキアまで、地図上では一瞬の間に着いてしまいますが、実際はそうではありません。アンティオキアは海抜1100メートルの高地にあり、ここに行くためには山また山の中、困難な道を通って行かなければならなかったのです。しかもこの道は盗賊や山賊が出没することでも有名な、危ない道だったので、若者ヨハネがこれに恐れをなして逃げ帰ったという可能性も考えることが出来るのです。

 パウロたちがなぜ海岸沿いの大きな町にとどまらず、すぐに危険な道を通ってアンティオキアに向かったのか、ヒントになりそうなことがガラテヤ書にあったので週報に掲載しました。これはパウロがのちにアンティオキアを含むガラテヤ地方の諸教会に宛てた手紙の一部です。「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。」(ガラテヤ4:13)

 パウロがガラテヤ地方の諸教会をめぐった時、彼は病気だったと思われます。そしてその病気は、彼をその後長い間、苦しめることになるのです。…その病気がなんであるかについては、てんかんだったとか、目の病気だったとか言われることもありますがはっきりしません。ただ、キプロス島では元気だったパウロがトルコに渡ってから病気になったらしいということで出て来た有力な説があります。それはペルゲのあたりでマラリアに感染したというものです。

 マラリアのことを私は知らないので受け売りの知識になりますが、この病気は低地で気候不順のところでかかりやすいのです。これにかかった人はふだんは何でもなくても、ときどき頭痛の症状が出ます。それも真っ赤に焼けた棒が頭を突き通すような痛みが来るのだそうです。ですからパウロたちがこの病気を払い落とすために、低地を離れて高原地帯に向かったという可能性が考えられるのです。

 ガラテヤ書4章14節はさらにこう言っています。「そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練となるようなことがあったのに、さげすんだり忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました。」パウロの病気は、「あなたがたにとって試練となるようなことがあったのに」と言われているように、人々に嫌悪の気持ちを引き起こすものがあったのでしょう。これは人と人の関係でマイナス材料になりうるものですし、また福音を伝えて行く上に大きな障害となります。

 のちにパウロは、コリントの信徒への手紙二の12章7節以降でこう書いています。「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。」

 パウロは自分の病気のことをとげだと言います。そして、このとげを取り去って頂きたいと三度も祈ったのですが、神は応じられませんでした。しかしこれは、神が非情であるということではありません。神のお答えは、パウロからそのとげを取り去るのではなく、それに耐える力を与えるという形で示されたと思います。このようにして神の恵みが示されることがあるのです。…病気で苦しんでいる時に祈ったら、神がそれに応えて病気を治して下さるということは確かにありますが、パウロに現れたような方法によって恵みを示されることも確かにあるのです。

 パウロは失礼ながら、男前ではありませんでした(Ⅱコリント10:10)。おまけに病気持ちで、それが見てすぐにわかったのだと思います。しかし主は「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と言われます。パウロのこの弱さを、強さとされたのです。弱さを弱さのまま、強さとされたのです。だから人々はパウロの病気につまずくことはありませんでした。「ああ可哀そうに」というような上から目線の憐れみではなく、かえって弱いところを全うされる、神の恵みを見たからこそ、パウロをあたかも神の使いかキリスト・イエスを迎えるように迎えたのです。それはパウロにとって忘れがたい喜びであり感激であったでしょう。

 

 パウロとバルナバは、危険な山道をたどり、困難な旅の果てにアンティオキアに到着し、安息日にユダヤ人のために会堂に入りました。そこですぐに依頼されて、パウロは説教を行います。ユダヤ教では、現在はどうなっているのか知りませんが、当時、説教者として任職された者しか説教出来ないということはありませんでした。ユダヤ人であるなら、子どもでない限り、誰でも御言葉を人々に読み聞かせることが出来、説教も出来たということです。ただ、初めて会う旅人が会堂長から説教を頼まれるというのは驚きを覚えます。会堂長は前もって二人のことを知っていたのか、紹介状があったのか、そうでなければ二人を見た瞬間にこの人たちは神様から遣わされた人だという確信が与えられたのかもしれません。

 この場で礼拝が行われていました。律法と預言者の書、つまり旧約聖書が朗読されたのち、会堂長たちが人をよこして、「励ましのお言葉があれば、話してください」と頼みます。会堂長というのは、会堂の管理人というよりは礼拝全体を取り仕切っていた人です。その人たちがパウロとバルナバに励ましの言葉を求めてきたのです。

 「励まし」という言葉は、他に「慰め」とか「勧め」という意味も持つ言葉です。私たちは励ましと言うと、応援するとか、元気づけることを思い浮かべますが、ただそれだけのことが求められていたとは思えません。会堂の人々が求めた励ましの言葉とはまさに神の言葉であり、パウロはそれに応えたのです。ここでパウロが語った「励ましの言葉」とは、絶望している人に希望を与え、癒えることのない傷を癒し、赦されることのない罪を赦す、すなわち人間存在そのものを励まし、慰め、生かしていく、そのような神の言葉であり、またその恵みを受けるようにとの勧めの言葉なのです。

  パウロはここで、旧約聖書に記された、イスラエルの民の歴史をたどります。今日は、神がこの民の先祖を選ばれたことから始まり、エジプトで奴隷になっていたのを救い出しで約束の地に導き入れたところまでを読みました。この民族に対する神の救いの歴史はその後も貫徹され、やがてイエス・キリストに及びます。イエス・キリストこそ、イスラエルの歴史を導いてきた神が送って下さった救い主である、ということを語っていくのです。      

 皆さんは、かつてステファノがした説教のことを覚えておられるでしょう。ステファノも、イスラエルの民の歴史を語りましたが、そのことで殺されてしまいました。パウロはその時、その場にいてステファノを殺すことに賛成していたのですが、そのパウロが今やキリストを信じる人となり、かつて自分が反対した信仰を大胆に人々に語っています。キリストとの出会いは、彼を全く新しい人に変えました。彼に罪の赦しと新しい命を与えた、その「励ましの言葉」を、今度はここで語ろうとしているのです。

      
 ここで語られている、イエス・キリストにつながるイスラエルの民の歴史、それはまさにこの私たちのためにも、神がご計画し、導き、成し遂げて下さった「励ましの言葉」であるのです。

 私たちが誰かに励ましの言葉を語ろうとしても、口先だけの言葉になってしまうことがあります。本当に絶望の中に沈んでいる人に対して、自分の言葉がなかなか届かないということを、私たちは体験することがあります。しかし、神様が与えて下さる励ましの言葉は、口先だけの言葉ではありません、イエス・キリストそのものです。私たちのいる低い所にまで降りてきて下さり、神に呪われた死をも私たちの代わりにその身に引き受け、ご自分の命を与えて下さった、イエス・キリストご自身が、神の言葉なのです。

 今日はこのあと聖餐に与ります。神の国の食卓です。これは、私たちの罪のために十字架で裂かれたキリストの肉、また流された血を覚え、私たちがそのキリストの体と一つにされて救いに与っていることを味わい知る時となります。共に聖餐に与る者は、洗礼を受け、同じキリストの体に結ばれた、一つの神の民なのです。説教は耳で聞く神の言葉、聖餐は目に見える神の言葉です。私たちが励ましの言葉を礼拝説教ばかりでなく、聖餐においても受け取ることが出来ますように。      
(祈り) 天の父なる神様。

 7月になりました。今年、神様から与えられた恵みの中で今日、私たちにこの礼拝の時間を与えて下さり、私たちの礼拝を受け入れて下さっていることを感謝申し上げます。

 神様、今日のお話の中で、パウロたちが、私たちが想像も出来ないような困難を乗り越えて伝道の旅におもむいたこと、そしてパウロたちを温かく迎え、励ましの言葉を求めた人たちがいたことを知りました。伝道者がそれほどの思いをもって福音を語り伝え、それを励ましの言葉として受け取ろうとする人がいるところで、真実の教会形成がなされてゆくのでしょう。神様の言葉が私たちに与えて下さるのは知識でもなく処世術でもなく、何より人間存在そのものを励まし、慰め、生かしていく、そのような言葉であることを悟り、これを求め、これによって生かされる恵みが私たちの広島長束教会にありますようにと願います。

 渡孝芳さんの娘さん、倉重智恵さんが先月24日に男の子を出産されました。どうかこの新しい命の上に、健康と神様の愛の中で生きて行く喜びを与えて下さい。また日本中の小さな命とこれを育てている人々を励まし、顧みて下さい。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

善人すぎるな、賢すぎるな youtube

コヘレト7:15~29、Ⅱコリ2:10~11  2018.6.24

 

 皆さんが聖書を読んでいて、なぜこんな言葉が聖書に、と思ったことはありませんか。その時、これでも聖書の言葉かと幻滅を味わうかもしれませんし、逆にこういう言葉があって安心したと思うかもしれません。そのような言葉の一つを私たちはいま目にしています。「善人すぎるな、賢すぎるな」、これは物議をかもすことの多い言葉です。

この言葉は16節にありますが、ご覧の通り、16節は15節の「善人がその善のゆえに滅びることもあり、悪人がその悪のゆえに長らえることもある」に続いています。…そしてもう一つ、「善人すぎるな、賢すぎるな、どうして滅びてよかろう」は17節の、「悪事をすごすな、愚かすぎるな、どうして時も来ないのに死んでよかろう」と対になっています。17節の言葉は誰でもわかります。悪事を行ったり、愚かすぎることが戒められているのは当然だからです。ところが善人でありすぎることと賢すぎることが戒められているので、わからなくなってしまうのです。

口語訳聖書はここを、「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない」と訳していました。……それまで聖書をずっと読んできてここにたどりついた人、その中でも特に正義感が強い人は、自分がそれまで培ってきた信仰ではとても理解出来ない言葉にぶつかることになります。…正義を追い求め、そのためには自分の身が犠牲になってもかまわないくらいの人がいたとしたら、こんな言葉はとうてい納得出来ないでしょう。では、この言葉がなかったことにしたり、読み飛ばしてしまうのが良いのでしょうか。…そこで、いくつかの考え方が出て来ることになります。

私の見るところ、15節に書いてある、善人が滅びることもあり、悪人が長らえることもあるということをいちおう認めている人は多いと思います。…「いや、正義は絶対に勝つんだ」、という人も中にはおりますが。

善人は栄え、悪人は滅びるべきなのです。しかし残念ながら、現実は必ずしもその通りにはなっておりません。もちろん世の中で成功している人にはそれだけの理由がありますから、悪人ばかりが栄えると言うことは出来ません。善人で栄える人がいることは事実です。しかしそれに当てはまらない例は多いということです。その点を踏まえた上で、「善人すぎるな、賢すぎるな」という言葉を見る時、まず、これは間違っているという人がいるでしょう。信仰とは人を罪と愚かさから遠ざけ、悪人を善人に、また賢くするものだから、これを否定しようとする言葉は断じて認められない。

善人すぎて、賢すぎて、そのためにたとえ滅びてしまうことがあっても、それを受け容れるのがキリスト者ではないか、というわけです。

しかし、聖書の言葉を簡単に否定出来るでしょうか。そこで次に、これはコヘレトが書いた言葉ではあっても神の言葉ではないから、その点を慎重に判断しようという考えが出て来ます。もしも神が直接、「善人すぎるな、賢すぎるな」と言われたのなら話は別です。でもこれは、あくまでも人間コヘレトの言葉です。しかもコヘレトが長い探索の果てに、真理をつかんだ時の言葉ではありません。これは神の啓示ではありません。従って、これをうやうやしく拝聴する必要はないということになります。……確かに聖書に書いてある言葉すべてが神の口から出た言葉ではありません。不信仰な人の不信仰な言葉がそのまま載っているところもあります。ですから、聖書に載っているからと言って、それはすべて神の言葉としないのは当然なのですが、だからと言ってこの言葉を全面否定して良いでしょうか。

一方、これとは反対に、コヘレトの考えが自分の考えにぴったりだと賛成する人がいるでしょう。善であれ、悪であれ、度が過ぎてはいけない、度が過ぎると逆効果になり、かえって身に禍いを招く、これは人間の現実的な生き方だと思うからです。悪の道にのめりこんで身を滅ぼしてしまったら元も子もありませんが、逆に、清く、貧しく、美しくで世の中を渡ってゆくのも困難です。人生でいろいろ決断が迫られる時に、あまり潔癖にあれかこれかを決めてしまわず、中庸の道を選ぶのが良いということです。

このような考え方は、おそらく誰でも年を積み重ねてゆくうちに自然に身につけているのではないかと思います。ただ、それをわざわざ聖書から教えてもらわなければならないのでしょうか。…善人すぎるな、賢すぎるな、ということを悩みに悩んだ末に認めるならともかく、あまり簡単に認めてしまうのは危険です。そういう生き方をしていると人生は妥協の連続となり、人は次第に信仰を失ってしまうでしょう。これくらいは良いだろうというわずかな罪であっても、全身をむしばむのは確実だからです。いまざっと見てきましたように、コヘレトが言っていることは多くの問題を含んでいますが、しかし、これが聖書に入っているということはゆるがせには出来ません。…確かにこれは神の啓示ではない人間の言葉でありまして、その意味で自由に批判できるものですが、この中にも耳を傾けるべき真理があるということを、これからお話してゆきたいと思います。

人が善人であることは良いことです。賢いことも良いことです。私たちの中でそのことに反対できる人はおりません。私たち皆が善人で、また賢くあることを神ご自身が望んでいるはずです。しかしまず、善人すぎるとか賢すぎるとはどういうことかということから考えることにしましょう。

コヘレトは20節のところで「善のみ行って罪を犯さないような人間は、この地上にはいない」と言います。コヘレトは完全な意味での善人は、地上にはいないと言うのです。また23節で、「賢者でありたいと思ったが、それはわたしから遠いことであった」と言うところからは、コヘレト自身、賢者になろうとして相当の努力を重ねたのに出来なかったことがわかります。…善のみ行って罪を犯さない人間はいない、またコヘレトですら賢者にはなれない、これは神の前に欠け多い人間に出来ることではないのです。…しかし、それにも関わらず、現実には自分を善人や賢者だと見なしている人がいます。善人すぎるとか賢すぎるとはそういう人たちではないか、そう考えることによって、コヘレトの言っていることの一つの意味が解けてゆくように思います。

コヘレトは極端な善や賢さに警鐘を鳴らします。絶対的な正義は完璧な知恵と同様、到達することは不可能にちがいありません。それは世界の歴史の中でイエス・キリストだけが体現されたのでありまして、そこに達することはどんな人であっても出来ません。そのことを踏まえないで、自分がまるで完全な人でもあるかのように行動するならばいったいどうなってしまうでしょう。自分を絶対化することはたいへん危険なことで、それは正しさが変じて不正とさえなります。

そうしたことがいちばん重大な形で現われるのが戦争です。二つの国が戦争を始める時、どちらの国民も自分たちは善で相手は悪、自分たちは絶対に正しく、相手は絶対に間違っていると考えるものです。そのため正義の名の下に、敵国に残虐行為を行ってもそれを正当化してしまいます。

戦争まで行かなくても、そうしたことは多数あります。ある人が弁解できないような罪を犯した時、社会がよってたかってその人を集中攻撃し、インターネットの世界でもその人の情報が暴露され拡散されるというのはどうでしょうか。…そこまで行かなくても似たようなことは会社でも学校でも、家庭内でもまた教会でも起こる可能性があります。自分は100パーセント正義の側に立っている、相手は100パーセント悪い、そこにサタンがしのびよってきます。ここには赦しがありません。

どんな人にも罪があるのに、罪人(つみびと)である人間が正しすぎるということこそ問題ではないでしょうか。正義に取りつかれた人の目に、しばしばその人自身の罪が見えなくなってしまいます。誰だって自分に罪はないと主張できない以上、自分を絶対に正しいとするのは間違っているとコヘレトは言います。その時、罪人が神よりも正しい人間になっているのです。…主イエスの十字架によって明らかにされた人間の罪は高慢であると言った人がいたそうです。その時も人々は、天に替わりて不義を討つという気持ちで主を十字架にかけたのです。罪人が正しすぎるというナンセンスがそこにあるのです。

                                                                                                             

なお私が調べた限りのどんな本にも書いてなかったのですが、こういうこともあるはずです。たとえばここに大変憐れみ深い人がいて、困った人のために熱心に施しをするあまり、財産を失ってしまうというケースです。その人の善意につけこんで、お金をだましとろうとする人もいるかもしれません。この場合、「善人すぎるな、賢すぎるな」を、主イエスが言われた「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイ10:16)に結び付けて受け取るのが良いでしょう。善人が滅びてしまうことは、神は望んでおられません。

 

「善のみ行って罪を犯さないような人間はこの地上にはいない」、これはコヘレトが知恵を尽くして探究したことから出てきたことでした。彼はすべての人が罪人であるということを知ったのです。そのことがさらに7章の後半にも書いてありますが、そこに皆さんにとって気になるだろう言葉があるので、少しふれておきます。

「死よりも、罠よりも、苦い女がある」。確かにそういう女もいるでしょうが、それでは死よりも、罠よりも、苦い男はいなかったのかという疑問が起こります。…コヘレトはさらに、「千人に一人という男はいたが、千人に一人として、良い女は見いださなかった」と書きます。これは女性にとっては、とうてい納得できない言葉でしょう。女のために苦しむ男がいるのは事実だとしても、男のために苦しむ女がいることも確かだからです。

男でも千人に一人にしかすぎませんが、それでもゼロよりはましです。ここには時代的な制約に基づく女性への偏見があったとか考えられません。27節の2行目に、はっきり「コヘレトの言葉」と書いてあります。私たちは、これもやはり神の言葉ではなく、人間の言葉であるということを踏まえているべきです。…新約聖書には「あなたがたは皆、キリストを着ている…。そこではもはや、男も女もない」(ガラ3:27、28)などの言葉があります。神のみ前では男も女もないことが確かめられていますから、皆さんはここでつまずかないようにお願いします。

最後になりますが聖書には、神について不思議なことが記されています。大洪水が起こる前、「主は、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」(創6:6)と書いてあるのです。また「主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された」(出32:14)とか、「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ」(サム上15:11)という言葉もあります。神様に誤りなどあるはずはありません。それなのに、後悔したり、思い直されたりしたというのは、神は後悔されるほど正しく、思い直されるほど賢い方だということではないかと思うのです。神様でさえそれほど謙虚になっておられるのに、罪人である人間が自分を絶対化してしまったら、自分を神より正しいとすることになるのです。

第二コリント書2章10節と11節を読みます。「あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。わたしがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです」。

サタンは罪人を神よりも正しいと思い込ませることで自分の陣営にからめとろうとするものです。本当の善と賢さは神とキリストのもとにありますから、私たちはサタンの謀略にひっかからないよう、注意をしなければなりません。

 

(祈り)

天の父なる神様。先週の18日には大阪を中心に大地震が起こり、犠牲者が出ました。地震のために大きな打撃を受けたり、今も不自由な生活をしている人々の上に神様の愛の手がさしのべられますように。教会関係ではけがをした人やくずれた建物はなかったようでほっとしておりますが、どうかこのことを通しても、神様のみわざが世に現れますことを願います。

神様、今日与えられた聖書の言葉から、私たちが神様に喜ばれる人間となるために、まだまだはるかな道を歩かなければならないことを思わせられました。私たちはとても善人とも賢い者とも言える者ではありません。それなのに、自分は絶対に正しく、自分と考えがちがう人は絶対に間違っていると思ってしまうことがあるのです。自分が、自分がという気持ちが、正しい道を踏み外す原因となっているように思い、悔いる者でございます。そんな私たちにどうか謙遜な心を与えて下さり、自分の内にキリストが生きていることを悟らせて下さい。

今日、午後からはみんなで祈って準備してきましたコンサートが開かれます。どうか神様が与えて下さった音楽を通して、生きることの喜びを分かち合うことが出来ますように。3人の演奏家を力づけ、また教会に集まるすべての人に音楽のメッセージを聞きとる耳を与えて下さい。

主イエス・キリストのみ名を通して、お捧げいたします。アーメン。

「信仰の創造者、完成者」 

菅 宏長老 ヘブライ人への手紙

11章1節2節7節8節17節39節40節 、12章1節2節 2018.06.17

主イエスは信仰の創造者、完成者  ヘブライ人への手紙 11章1節2節7節8節17節39節40節 、12章1節2節 2018.06.17 - 長老 菅 宏
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魔術師との対決 youtube  

ミカ5:9~12、使徒13:4~12  2018.6.10

 

 今日は、アンティオキア教会を出発したバルナバとサウロたちが、地中海を渡ってキプロス島で伝道したところを学びます。

 キプロスについては最近ここから国際的なニュースが出て来ることもないようですし、またテレビ番組でも見た記憶がなく、私は何の知識も持ち合わせていませんでした。そこで調べてみると、面積は山形県や鹿児島県と同じくらい、人口は2016年の時点で117万人、ここは美しい、素敵な国のようで、旅行すると古代遺跡や世界文化遺産となった教会に会うことが出来るということです。…ただ、この島にはギリシャ系住民とトルコ系住民の争いというのがあります。ここは国際的にはキプロス共和国として認められていますが、トルコ系住民が島の北部で独立を宣言して北キプロス・トルコ共和国を作ったために、一つの島が分断され、南北の境界線上に国連平和維持軍が駐留しているという、美しい島に似合わぬたいへん困難な現実に直面しています。

 紀元1世紀のキプロス島はローマ帝国が統治しており、銅を産出し、また船舶を建造することで有名でした。気候が非常に温和で、さまざまな資源と産物に恵まれていたので、まわりからは「幸福の島」と呼ばれていたということですが、そのことと人々が本当に幸福だったかどうかは別の問題です。ここはギリシャ神話で愛と美の女神とされるヴィーナスが誕生した島とされ、中心都市のパフォスはヴィーナスを祭る神殿がありました。…皆さんはヴィーナスというと、「ミロのヴィーナス」など素晴らしい芸術作品を思い浮かべるかと思うのですが、ギリシャ神話にはヴィーナスについての眉をひそめるような話も出て来ることから、ヴィーナスに倣って不道徳な生活に走った男女がいたことも考えられます、ヴィーナスを信仰することで、人々に幸福がもたらされたとはとうてい思えないのです。

 この島にはユダヤ人も住んでいました。元々の住民はフェニキア人ですが、この時代、それに匹敵するほどのユダヤ人が住んでいて、各地にユダヤ教の会堂があったということです。…バルナバはキプロス島出身のユダヤ人です(4:36)。助手のヨハネはバルナバのいとこでした(コロサイ4:10)。

 アンティオキア教会からバルナバとサウロは送り出されましたが、それは4節で「聖霊によって」と書かれていることと矛盾しているのでしょうか。そうではありません。人間が送り出したことと聖霊によって送り出されたことはこの場合、一つです。これらの関係を整理してみると、人、教会、聖霊の3つが、それぞれ違ったものでありながら一つになっていることがわかります。

…使徒言行録に書いてある多くのこともこれと同じく、人間がしたことが個人を超えて教会の取り組みであり、それはまた何より聖霊の導きであるのです。…同じことは、私たちの人生にも当てはまります。私たちがこれまでしてきたこと、今していること、これからしようとしていることを見た時、自分の意思で行ったつもりのことでもそれは教会と無関係でなく、聖霊によって動かされていた、つまり神様のみこころであったということがたくさんあるのです。

 

 バルナバとサウロはアンティオキアからおよそ一日の道のりにある港町セレウキアから船に乗ってキプロス島に向かいました。そうして到着したサラミスは、以前キプロスの中心都市でしたが、やがて、すぐ後に名前が出て来るパフォスに中心の座を奪われており、地方総督はパフォスに滞在していました。

 バルナバとサウロはまず、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせました。バルナバもサウロもユダヤ人であり、しかもバルナバはこの島の出身ですから、ユダヤ人社会は喜んで彼らを迎えたでしょう。こうしてこの島に福音がもたらされました。…もう少しあとの時代になると多くのユダヤ人はキリスト教を排斥するようになるのですが、この段階ではユダヤ教とキリスト教の違いははっきりしていませんでした。

 私たちは、サウロが回心した時の神のみ言葉話から、サウロが異邦人伝道のために神様によって特に立てられた使徒であることを知っています(9:15)。だとすれば、バルナバとサウロはなぜ最初から異邦人のところに行かなかったのでしょう。なぜユダヤ人の伝道から始めたのでしょうか。…それは、福音宣教は神の民であるユダヤ人から始められなければならないからです。イエス・キリストご自身がまずユダヤの中で伝道され、福音がやがてそこから世界に拡がって行くことを展望されていました。バルナバもサウロもその方向で進んでいったのです。…初めはユダヤ人です。でもそれは、自分たちの同胞だけを優先するということではありません。世界の何千、何万と言われる諸民族の中から神様がただ一つ選んでご自分の民としたイスラエル、つまりユダヤ人は、イエス・キリストが与えて下さる救いのメッセージを真っ先に聞かなければならない、それが神のご計画であり、サウロたちの信念でもあったのです。

 ただそのことは、今日の世界の中でイスラエルとユダヤ人が行っていることを何でも支持するということではありません。神がユダヤ人を選ばれたことは今も変わりません。しかし最近アメリカが強行し、イスラエルが認めている米国大使館のエルサレム移転はとんでもないことです。

 バルナバとサウロは島全体を巡ってパフォスまで行きました。

おそらく会堂があるところを順次訪れて行ったのでしょう。パフォスはキプロス島の西端に近い港町でこの島の中心都市、二人はそこでユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会いました。

 今日の世界で、魔術師は存在するのでしょうか。…マジシャンが行うマジックは魔術から出たものですが、今日、魔術とは全く別のものになっています。腹話術はもともと霊媒や口寄せが死者の声をまねて語ったことと関係が深いのですが、今日ではおどろおどろしいところは全くなく、むしろ福音宣教のために用いられています。こういうものを楽しむのは個人の自由です。それらとは違う本当の魔術ですが、私は広島の大型書店や古書店にその手の本が置いてあるの見つけました。だから、細々とではあっても現代にも残っているものと思われます。

 聖書には魔術をしりぞける神の言葉がいくつもあります。ミカ書5章もその一つです。魔術とはサタンの力を用いて自分の欲望を実現しようとすることですから、打ち倒されなけれなりません。

 この魔術師で偽預言者であった人物の名前はバルイエス、それはイエスの子という意味です。イエスとは「主は救い」という意味で、当時ヨセフとマリア以外にも、子どもにイエスという名をつける親は多かったのです。なお8節に出て来る魔術師エリマですが、バルイエスをギリシャ語にしたもので、バルイエスとエリマが同一人物だと考えて間違いありません。

 7節:「この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。」セルギウス・パウルスは賢明な人物なのになぜ魔術師と交際していたのかと思ってしまいますね、日本語としては妙な文章です。これは魔術師と地方総督の間に接触があったものの、地方総督の方は魔術師にだまされるまでにはなっていなかったということのようです。地方総督は魔術師の言葉に興味を引かれたもの、それに満足することは出来なかった、だから今度はバルナバとサウロを招いて神の言葉を聞こうとしたように思われます。

 魔術師バルイエスはバルナバとサウロが地方総督に福音を語っている様子を見て、地方総督をこの信仰から遠ざけようとしました。妨害行為をしたのには、彼がこれまでしてきた悪事が露見し、人々をだましてかすめ取ってきた利益が損なわれる心配があったからでしょう。…福音が告げ知らされる所には必ず妨害が入るものです。それは魔術師のような明らかな悪人とは限らず、普通の人によって行われることもあります。明治時代のことを見ても、やって来た外国人宣教師に誰も宿を貸さないとか、せっかく教会を建てても住民が押しかけてこわしてしまったということもありました。…今日、教会がそういう妨害を受けていないとすれば、それは周囲から問題にされないほど軽く見られているからかもしれません。あるいは妨害の方法が昔と比べてはるかに巧妙になっているからかもしれません。

 さて9節になって初めて、パウロという名が登場します。彼はユダヤ人としての名前がサウルとサウロの二つありまして、それをギリシャ語にするとパウロになります。また、これまでバルナバ、パウロという順番だったのが、これからは順位が入れ替わり、パウロ、バルナバの順になって行きます。なぜここででそうなったのか、その理由として、彼にとって人生の転機となるべき大きなことが起こったからだという人がいます。その大きなこととは彼が魔術師を斥けたことです。これ以降、彼はまるで人が変わったかのようになって、目覚ましい働きを成し遂げて行きます。ということで、ここからはパウロという名前を用います。

 パウロは聖霊に満たされ、魔術師バルイエスをにらみつけて言いました。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」

 これはパウロが個人的な怒りをぶつけたということではありません。そう受け取ると的外れになります。この言葉は彼の感情から発したものというより、何より聖霊が語ったものであり、イエス・キリストが語らせた言葉なのです。だから信仰のない人が同じことを語っても口真似以上にならず、その言葉に力を持たせることはありません。

 パウロはその言葉の中で「悪魔の子」と言っていますが、彼の名はバルイエス、イエスの子というが実際は悪魔の子ではないかということです。…「主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか」。魔術師はユダヤ人です。神の民の一人として、キリストが開いて下さるまっすぐな道を歩むべきなのに、お前はよりによってその道をゆがめようとするのか、ということです。

 「お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」、これを、目の不自由な人に対する裁きの言葉と受け取ってはなりません。思い出して頂きたいのは、パウロがかつてキリスト教の迫害者だった時、天からの光によって地に倒れたことです。パウロはその時、打ちのめされ、目が見えなくなってしまいました。パウロ自身が体験したことなのです。…ここで注目したいのは、パウロは「時が来るまで」と言っていることです。「時が来るまで日の光を見ないだろう。」魔術師はたちまち目が見えなくなりましたが、それは時が来るまでの間であって、彼が死ぬまでということではありません。パウロは目が見えなくなったあと、悔い改め、回心し、イエス様への信仰を持つことで再び目が見えるようになりました。魔術師のその後がどうなったかはわかりませんが、神が悪魔の子と呼んだ人間にさえ、救いへの道を用意していたことを私たちは見ることが出来るのです。

 12節は言います。「総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入りました。」私たちは、総督がパウロの奇跡に驚いて信仰に入ったかのよう思いがちですがそうではありません、「この出来事を見て」のあと、「主の教えに非常に驚き」と書いてあるのが重要です。主の教えが決定的意味を持つのです。…私は、総督はキリストの十字架と復活についてすでに聞いていたのではないかと考えています。

 地方総督はその名前から異邦人だと判断されます。彼はそれまで多神教の世界の中で生きていました。好奇心が旺盛だったからか魔術師が語ることにも耳を傾けましたがそれを信じるまでには至らず、ここに来て初めて本当の、唯一の神に出会いました。彼は地方総督という高い地位におりました。キリスト教を信仰することは、ローマ帝国の中にあっては危険だということをわかっていたはずですが、それにもかかわらず勇敢に、新しい信仰に飛び込んでいったのです。

 

 私はこの箇所の説教を作るにあたり、昨日までここからどんな話が出来るのかと思って悩んでいました。しかし実際に作業に取りかかってみると、ここからもまだまだ語り尽くせないものがあることに気がつきました。まことに聖書には無尽蔵の富が隠されています。その中に語られているのが主の教えです。主がなさった驚くべき出来事を見た私たちもまた、「主の教えに非常に驚き、信仰に入る」者でありたいと願います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。

 今日、私たちがこの礼拝に出席しようという思いと健康と時間が与えられ、神様から恵み深いみ言葉が与えられたことを、心から感謝いたします。

 いま私たちのまわりに魔術師で預言者だと称している人はいません。しかし、私たちがいつそれに類した教えにからめとられるか、わかったものでありません。正しい信仰のよそおいを取りながら、人を悪魔の子にする教えもあるかもしれません。神様、私たちの中に、これぐらいは良いだろう、神様も赦してくれるだろうと考えて、心の一部を悪魔に譲り渡して平然としているようなことがありませんように。賢い人でさえ誘惑の前に心が揺れ動くことを覚え、私たちを神様の前にもっともっと謙遜な者として下さると共に、間違った教えに対しては主の教えによってたたかう者として下さい。

 神様、今週は世界が注目する米朝首脳の会談が開かれます。東アジアはこれまで緊張し、不安定な状態が長く続いて来ました。米朝会談の結果がどうなるか予断を許しませんが、どうかこの会談が成功することで、東アジアに平和に向けての大きな潮流がうまれ、その中に日本の生きるべき道が与えられますようにと祈ります。神様が愛する平和が世界に、日本に、そしてそこに生きる一人ひとりの人間の上にあふれて行くことを願います。

 主イエス・キリストの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

  キリストに派遣された人 youtube

イザヤ52:7~10、使徒13:1~3  2018.6.3

 

 使徒言行録は以前、使徒行伝と呼ばれていましたが、この時もう一つの言い方がありました。それは聖霊行伝というもので、いわばあだ名のようなものですが、その本質をみごとに言い当てています。それは、ここに書いてあること、すなわち教会の誕生とそれが世界に広がって行ったことがすべて、聖霊の働きによるものだからです。

 父なる神とイエス・キリストから発せられた聖霊は、ペンテコステの日に、心を合わせて熱心に祈っている人々の上に降って教会を誕生させました。聖霊はイエス・キリストを証しして、福音を宣べ伝えます。聖霊はまずエルサレムに、次にユダヤ人と犬猿の仲だったサマリア人に、エチオピアに、カイサリアにいた異邦人コルネリウスの上に、そしてさらにアンティオキアの人々に福音を伝えて行きました。今日は、このアンティオキアで起こったことを学びます。…そこに書いてあることをひと言で言うなら、この教会が伝道者をさらに外の世界に送り出したということです。……もしかしたら、そんなことには興味がないという方がおられるかもしれません。教会が伝道ということを強調するのは当然ですが、自分には関係ないことだとか、牧師とか一部の人だけがやっていれば良いのだと思ってしまう人がいないとは限りません。しかし、それで良いのでしょうか。まずは、この教会で起こったことを聞いて下さい。

 

 アンティオキアは地中海に面した港町で、今は戦乱の中にあるシリアの領内にあります。…交易で栄え、紀元1世紀には人口50万ほどある、当時としては大都市だったということです。

 アンティオキア教会の成り立ちはこうでした。エルサレム教会の傑出した指導者であったステファノが殉教したその日、大迫害が起こり、多くの人々が各地に逃れて行きました。しかし、この人たちは難民とは言えないと思います。各地に散って行きながらも、その土地その土地で福音を告げ知らせていったのですから。その中にはるばるアンティオキアにまで行った人たちがいました。彼らはそこでも、十字架につけられたイエス様が復活したこと、この方こそ救い主キリストです、と語っていたのですが、これを語る相手は初め同胞のユダヤ人だけに限られていました。ところがその人々の中にキプロス島や北アフリカ出身の人たちがいて、ギリシャ語を話す人々、つまりユダヤ人から見て異邦人にあたる人々にも福音を伝えていったのです。

 この時代、ユダヤ人は独立国家を持つことが出来ず、ローマ帝国の支配に甘んじていたとはいうものの、自分たちは神の民であるという強烈なプライドがあるので、内心では異邦人をばかにしていました。それは民族的偏見以上のもので、異邦人は同じ人間とはみなされないくらい貶められていたようです。そのため、その人々に福音を語るというのは大変なことであったのです。…まあ、こんな場合、自分を高い所に置いて、遅れている、かわいそうな人々に恵みを施してあげようなんて人がいたかもしれませんが、これでは本当の伝道は出来ません。同じ目線に立つ、相手に対して上から恵みを施すのではなく相手からも学ぶ、そうして共に恵みにあずかるということがあったからこそ、異邦人が心を開いたのだと思います。こうして異邦人が多数を占めるアンティオキア教会が成立しましたが、その時、教会にはさしあたっての解決すべき課題があったのです。

 異邦人キリスト者というのはみな、ギリシャの神々の世界を飛び出してこの信仰に入った人々ですから、ユダヤ人と違って聖書の知識は乏しかったはずです。そのため、聖書の教えによる指導と訓練を必要としていました。そこでエルサレム教会から来たバルナバ、立派な人で、聖霊と信仰とに満ちていたと書かれている人を迎えて、その指導を受けました。こうして、さらに多くの人々が信仰を持ち、教会に迎え入れられたところで、バルナバはサウロを探しにトルコの方に向かいました。サウロはユダヤ人に殺されそうになって、逃亡していたからです。バルナバがサウロを連れ帰って来ると、アンティオキア教会は有力な指導者二人を迎えてさらに成長し、今度は飢饉や迫害のために苦しむエルサレム教会に援助の品を送るほどになったのです。

 バルナバとサウロは援助の品をたずさえてエルサレムに向かい、その品を届けて任務を果たし終えると再びアンティオキアに戻って来ました。その時、一人の若者を連れて行きました。…以前ペトロが投獄され、天使の導きで救い出されたことがありましたが、その時ペトロが訪ねたのがマリアという人の家で、その息子、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行ったのです。マルコがギリシャ語でヨハネはそのへブル語ということでややこしいのですが、この若者はこのあとも大事なところで出て来るので、覚えておきましょう。

 13章1節にアンティオキア教会の主要メンバーの名前があります。バルナバの次が「ニゲルと呼ばれるシモン」です。

ニゲルからニグロという言葉が出ました。肌が黒いということなので、北アフリカに住んでいたユダヤ人のようです。…「キレネ人のルキオ」、キレネは北アフリカで、今のリビアの出身ということになります。…「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」ですが、領主ヘロデはヘロデ大王の第4の妻の息子、バプテスマのヨハネを投獄して、その首を切った人物です。マナエンという人は貴族の出身でしょう。領主ヘロデと一緒にいたらこの世の栄華をきわめることも出来たはずですが、それを投げ捨ててイエス様を主とする貧しい人々の群れに身を投じたことになります。最後がサウロなどとなっています。

 この人たちは預言する者や教師たちでしたが、5人の内、誰が預言する者で誰が教師かは判然としません。預言する者とはどんな人たちなのか、旧約聖書にある預言者のように神の言葉を直接に受けて取り次ぐ人だというものともう一つ、聖書を解釈するすぐれた恵みを持っている人だという二つの考え方があり、はっきりしませんが、ただ今日の箇所を見る限り、神の言葉を直接に取り次ぐ人のように思われます。3節に「聖霊が告げた」とあるのは、預言する者が神の言葉をそのままとりついだということでしょう。もしも預言する者を聖書を解釈するすぐれた恵みを持っている人だと仮定すると、教師とどう違うのかということになりかねません。「聖霊が告げた」時にこれをどのようにして受け止めたかというのがよくわかりません。…なお、神の言葉を直接に取り次ぐという意味での預言者は初代教会の時代にはいましたが、やがていなくなってしまい、今日(こんにち)の教会にそういう人はおりません。

 さて、預言する者や教師たちは主を、つまりイエス・キリストを礼拝し、断食していました。私は断食を行ったことがありませんが、話に聞くことはあります。20数年前、日本キリスト教会九州中会の牧師たちが断食して祈ったということがありましたが、このように断食と祈りは切り離すことが出来ません。祈りに集中するために断食するのです。…確かにおいしいものをたらふく食べながら、祈りに集中するのは難しいと思います。アンティオキア教会の人たちはこの時、ふだん以上に祈りに集中していたのです。では何を祈っていたのか、ここに書いてはないのですが、おそらく教会の次なる使命は何かということを神様に尋ね求めていたのでしょう。

 これに対して聖霊が告げた答えがこうでした。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」

 聖霊は神の霊であり、またキリストの霊でもあります。だから「聖霊が告げた」というのは、父なる神とキリストのご意思が聖霊によって伝達されたことになるでしょう。先ほど申したように、預言する者たちが取り次いだのだと思います。そして彼らが礼拝していた主はイエス・キリストですから、「わたしのために選び出しなさい」、「わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」の中の「わたし」とは、キリストであると理解すべきだと思います。すなわちバルナバとサウロは、キリストによって選び出され、キリストが前もって決めておられた仕事、さらに広い世界に出かけての伝道の仕事に任命されたのです。

 ここで注意したいのは、バルナバとサウロが自分で立候補し、神様と教会の人々の前で、この仕事をやらせて下さいと言ったのではないのです。そうではなくて、キリストご自身がこの二人を、「わたしが前もって決めておいた仕事に当たらせなさい」と命じておられるのです。…ただ、それではバルナバもサウロも自分の意思を持たない、あやつり人形のような人なのでしょうか。そうではありません。キリストを信じるすべての人もあやつり人形ではありません。バルナバとパウロがその仕事について、初めからやりたいやりたいと思っていたのか、それともこんな仕事やりたくないなと思っていたかどうかわかりませんが、そんなことはどうでも良いことです。聖霊のお告げがあったあと、バルナバとサウロを含む全員は断食して祈りました。もう一度、集中して祈ったのです。そのことで、神様のみこころと彼ら自身の思いが一致へと導かれたことこそが重要です。バルナバとサウロは、二人に与えられた仕事を畏れをもって、また喜びをもってやりとげる決意へと導かれました。他の人たちだって、バルナバ先生とサウロ先生がいなくなったらうちの教会どうなるのだろうなんて心配はしません。ほかの地域でキリスト信徒が起こされるなら、それはうちの教会も強くすることになると、信じることが出来たのです。

 こうして教会の人々はバルナバとサウロの上に手を置きました。これは按手と言って、今日でも教会で誰かを大切な務めに任命する時に行われる儀式です。日本キリスト教会では牧師が任職される時、また長老が任職される時に按手が行われます。これは創世記の時代から長く受け継がれてきたもので、教会による祝福と、伝道の務めを担う者として神に献(ささ)げられたことを表すのです。教会が祝福し、教会が務めに任命するということは、教会のかしらであるキリストが祝福し、キリストが任命したことになります。

 

 こうしてバルナバとサウロは教会の人々に送り出されて出発しました。正確にはもう一人、マルコと呼ばれるヨハネが同行したので3人ですが。この時のことを、14章26節ではこう書いています。「アンティオキアに向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。」

…二人は神の恵みにゆだねられて伝道の旅へと出発したのです。それはキリストによって祝福されたということでもあります。

 この話から私たちが学ぶことは何でしょうか。今の時代、日本においてキリスト教伝道は困難で、どの教会も苦闘していますが、そのためにどうしても内向きになりがちです。自分の教会のことだけで精一杯なのに、どうしてほかの地域やほかの教会のことなど考えることが出来ますか、となるのです。…しかしアンティオキア教会は、人材の上でも財政の上でも余裕があったから、バルナバとサウロを送り出したということではないと思うのです。少なくとも有力な指導者二人を送り出すことに痛みがなかったはずはありません。大事なことは彼らが主を礼拝し、断食し、祈っていたことです。そこに霊的な生命の躍動が見えて来ないでしょうか。

 赤ん坊が大きくなる時、体が成長し、内臓とかいろいろな器官が一人前になるまで、外に向かって手足を伸ばしたり体を動かすことをやめさせる親はいません。外に向かって運動し、鍛えられる中で、体も同時に成長するのです。キリストの体である教会も、また私たち一人ひとりも、それが成長するためには、中を固めることばかりでなく、外に向かって働きかけることがなければなりません。

 私自身、反省しているのは、キリスト者同士のつきあいが多くて、そうでない人とのつきあいが少なくなりがちだということです。もちろん信者でない人に語りかける時は、考えぬかれた言葉を発しなければなりませんが、最初からどうせわかりあえないのだと思って内に閉じこもっているばかりでは何も生まれません。もしも私たちが心からキリストによる救いを信じ、神様をたたえて過ごすなら、それは教会の外にいる人に対する態度の変化を呼び起こすでしょう。自分が喜んで受け取っているものを、他の人とも分かち合う、そのことで喜びを2倍、3倍にさせてゆくことを信じて、祈りたいと思います。

 

(祈り) 

 恵み深い天の父なる神様。

 今日、神様がアンティオキア教会に与えたみことばを、私たち自身に与えられたみことばとして受けとめることが出来たことを感謝いたします。私たちの生きる場所は、不信仰の中にではなく、イエス・キリストと共なる信仰の中にあります。ですから、どうか、この世の楽しみに心とらわれることなく、信仰の喜びの中で毎日の生活を積み重ねて行く者として導いて下さい。イエス様から命じられることを重荷と思わず、喜んで従う者となることが出来ますように。

私たちの中にある弱さ、臆病、あきらめ、優柔不断な心を滅ぼして下さい。

 とうとき主イエス・キリストのみ名によって祈ります。

 十字架の力は神の力 山本盾伝道師 youtube

​イザヤ29:13~14 コリント一1:18~25 2018.05.27

使徒パウロは、彼の伝道活動によってコリントの町に建てられた教会が、深刻な分裂騒ぎを起こしているという噂を耳にします。そこで彼は、教会の和解のために手紙を書き送ります。その一つが、今朝皆さんとお読みしますこの「コリントの信徒への手紙一」です。彼は、16章ありますこの手紙の1章で、もうキリストの十字架について語っていますけれども、キリストの復活については、15章になってからようやく語られます。私たちの教会でも、主の日毎にキリストの十字架と復活の福音が語られていますが、私たちは十字架と復活の御言葉をセットで聴かないとどうも落ち着かないような気がいたします。神が御子イエス・キリストを復活させて死に勝利なさったことは、神の力を示す出来事でありますし、私たちも復活の命に与り、神と共に永遠に生きるという約束を信じております。ですからこれこそ正に私たちが宣べ伝えるべき福音(良い知らせ)だと思う訳です。一方、十字架はなぜ福音なのかと言えば、それは勿論、キリストが私たちに代わって私たちの罪を背負って十字架にかかられ、血を流されたことによって私たちが贖われ、罪赦され、救われたという恵みの事実があるからなのですが、パウロはここでそれに触れていません。しかし彼は、十字架の言葉は神の力、十字架のキリストは神の知恵であると言い切ります。それは一体なぜなのでしょうか。今日も聖書の御言葉に聴きましょう。

 18節でパウロは「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」と書いていますが、原文で読みますと最初に「なぜなら(というのは)」という意味の言葉が置かれていますので、17節の内容を受けていることが分かります。つまりパウロはこう言っているのです。キリストが自分を遣わしたのは、キリストの十字架が空しくならないよう、言葉の知恵によらずに福音を告げ知らせるためなのだ、なぜなら十字架の言葉は神の力だから。「キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように」と彼が強調するのは、当時の教会でも「言葉の知恵」によって福音が語られており、キリストの十字架が空しいものとされる恐れがあったからでしょう。人間の言葉、人間の知恵は空しいものです。それは聖書の教えを、人間の理屈によって、誰にでも納得できるように説明してしまいます。例えば「我々は十字架を見てキリストの犠牲の精神に学ぶべきだ」と言います。あるいは「キリストは偉大な教師であったが、彼の教えを理解しない人々によって処刑されてしまった。しかし、神は彼を復活させ、天に上げられたのだ」などと言います。これはうっかりすると筋の通った話に聞こえるかも知れませんが、実は、キリストの十字架を、英雄の勇敢な死や高潔な人の立派な死とみなしたり、逆に敗北や失敗とみなしたりする間違った考え方なのです。そこには救いはありません。しかし、キリストは私たちの罪のために仕方なく犠牲となってくださったが、本来はそうなるべきではなかった、というのではなく、犠牲となったからこそ勝利者なのです。それは神のご計画なさったことであり、み心に適う救いの御業ですから、復活だけでなく十字架においても、神のみ力は現わされたのです。この真理を伝えるためにパウロは、十字架の言葉は神の力だと言うのです。

神の力は今、福音を通して世界に滅びと解放をもたらしつつあります。裁きと救いが同時進行しています。神の言葉が全ての人間を二つに分けるからです。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなもの」です。それは人間の知恵によって飾られていないために、私たちの目にはみすぼらしいものに見えます。キリストは、十字架によって私たちを罪の奴隷から解放し、御自分のものとして獲得なさったのですが、そのことを知らなければ、キリストの死は全く惨めなものです。こんな死に方をして一体何の意味があったのだ、と言わざるを得ません。世界の歴史上、キリストほど損をした人がいるでしょうか。いないと思います。しかし、私たちはそこに神の知恵が光り輝いているのを見るのです。けれども、大変興味深いことに、パウロは福音を「神の知恵」と呼ぶよりも前に、まず「神の力」と呼びます。なぜでしょうか。それは、十字架の言葉、すなわち福音とは、私たちが何をすべきか教えてくれる良いアドバイスでもなければ、神の力を知らせてくれる情報でもなく、神の力そのものだからです。十字架の言葉こそ、実際に私たちを救い出す力なのです。そういう風に考えれば安心できるという意味ではありません!私たちは本当にこの力によって救われたのであって、今も私たちは十字架の言葉に支えられて戦っているのです。

 パウロはそのことを、19節以下で旧約聖書を引用しながら説き明かします。「わたしは知恵のある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」というのは、(先ほど司式者に読んでいただいた)イザヤ書の29章に記された聖句です。ユダの王は神に信頼せず、エジプトと軍事同盟を結ぶという人間の知恵によってアッシリア帝国からユダ王国を守ろうとしますけれども、それに対して預言者イザヤは「賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される」と告げたのです。パウロはそれをもっとはっきりと神のなさることとして語ります。知恵が滅ぶのは、主なる神がそれを滅ぼしてしまわれるからなのです。パウロは更に20節でこう問いかけています。「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか」。「知恵のある人」とはギリシアの哲学者、「学者」とはユダヤ教の律法学者、そして最後の「この世の論客」の「論客」とは、修辞学や討論の知識を教えていた人のことでしょう。「この世」という言葉は前の二つにもかかっていますので、どういう区別をつけるにせよ、この三者はいずれも、御言葉によって神の御霊に心を開かれておらず、ただこの世の知恵のみを頼りにしている人々なのです。彼らは全員が行方不明です。なぜなら神の知恵であられるキリストが来られたことによってこの世の知恵は去って行くからです。神はこの世の知恵が愚かであることを証明なさったばかりか、それを「愚かなものにされた」のです。ここで「愚かにする」と訳されているのと同じ言葉が、「地の塩」の譬えの中で「味を失わせる」という意味で使われています。塩に塩気がなくなればもはや何の役にも立たない、と主イエスは仰いましたが、そのように、十字架の言葉の前では、人間の知恵はその存在意義すらも失うのです。人間は誰でも、自分の賢さに頼って御国の奥義を知ることは出来ません。それは人間の理解力から隠された事柄だからです。主イエスは、派遣された弟子たちが帰って来て報告をした際、喜んで賛美の祈りをお献げになり、このように仰いました。

「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」。ですからパウロも21節でこう言います。

「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵に適っています」。「神の知恵に適っている」という部分を直訳しますと「神の知恵の中で」となります。つまり、世は神の知恵に囲まれているにも関わらず、神を知るには至らなかったのです。神はこの世界という作品を、全ての被造物を、御自身の知恵を映す美しい鏡として提供してくださっていますから、私たちはそれによって神を知ることも出来たでしょう。しかし、人間は皆堕落して神を知る手順を覆してしまいましたので、神はまず私たちに愚かになることをお望みになります。21節後半にはこう書かれています。「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」。「宣教という愚かな手段によって」と訳されていますが、口語訳聖書では「宣教の愚かさによって」となっています。こちらの方が原文の意味をよく伝えていると思います。つまり、宣教は手段として愚かなのではなく、そもそも十字架の言葉を宣べ伝えるというのは、愚かなことなのです。それは、何が救いであるかを自分で決めようとする人間の知恵を否定していますので、この世の人々には愚かなこととしか思われないでしょう。しかし、神は敢えてその愚かさによって私たちを救うことを喜びとなさいます。創造と摂理の御業から神を知ろうとしない人間に、神は御自分を啓示なさいます。十字架の言葉は、神を見出すことのない知恵など知恵の名に値しないこと、神を見出させ、救いに導く知恵こそが真の知恵であることを私たちに教えます。この世の知恵や人間の賢さによって神を発見することの出来ない私たちには、幼子のように愚かになって、ただ十字架の言葉のみによって示される福音を受け取るより他に、神を知り、救いに至る道はないのです。

 22~24節でパウロは、この世に留まっているが故に滅んでいく者と召されて救いに至る者との違いを説き明かしてこう言います。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。しるしを求めるユダヤ人は、キリストの十字架につまずきました。では、しるしを求めるのは悪いことなのでしょうか?そうではありません。士師ギデオンは、神がイスラエルを救うという約束のしるしとして、羊毛が濡れたり乾いたりする奇跡を神に願いました。アラムとエフライムの連合軍がエルサレムを攻めようとした時、主なる神はユダの王アハズに「しるしを求めよ」と仰いました。しかし王はしるしを求めませんでしたので、預言者イザヤは主御自ら与えてくださるしるしとしてインマヌエル(神共にいます)の預言を語りました。ですから、信仰を保つ手段としてしるしを求めること自体は問題ありません。けれども、不信仰な人々は神を試みるために絶えずしるしとして奇跡を求めることによって、神を自分の欲望に従わせようとする罪を犯しているのです。

主イエスを信じない人々はしるしを求めますが、主は「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがる」と仰います。彼らの考えでは、メシアの証拠は神の力を示す奇跡の御業でしたので、自分を救わずに十字架につけられたメシアというのは矛盾そのものであり、彼らにとって十字架は期待外れのしるしだったのです。実は十字架こそまさに神の奇跡の力の証明だったのですが、信仰なしに見るなら、それはただの弱さにしか見えないでしょう。しかし、キリストは弱いからこそ強く、また十字架の上で苦しまれたからこそ、苦しみの中にある者を救うことがお出来になります。一方、ギリシア人は知恵を追究します。すなわち合理的であることこそ正しいと信じているのです。これは私たち現代人の特徴でもあります。神に敵対するサタンの特徴はその合理性にあると言います。キリストの死を馬鹿らしいと言って嘲笑い、理屈に合わない非常識な迷信だと言って、神に逆らう罪を犯しているのです。

 しかし皆さん、私たちはキリストを、しかも十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。この「十字架につけられた」の「つけられた」には完了形が使われています。もうすぐ5月が終わりまして6月に入りますと「夏が来た」と言いますが、「来た」と言っても過去ではなく、今まさに夏なのです。同じように、キリストは十字架につけられ、今もつけられているのです。つまり、ただ単に、昔十字架の出来事があったというだけでなく、キリストは、今も十字架につけられたままの御姿なのです。先日、福山のカトリック教会へ参りました。あそこでは講壇のこちら(会衆から見て右側)に十字架が立っておりまして、それは私たちプロテスタント教会の十字架のように二本の木を組み合わせた形だけでなく、そこにイエス・キリストが磔になった形の彫像があるんですね。これは偶像崇拝に繋がるというので、宗教改革によって取り除かれた訳ですが、そのために私たちはついつい忘れてしまいそうになります。十字架はただの飾りではなく、神の御子が私たちの罪のために死んでくださった、しかも最も悲惨な死を死んでくださったということを。十字架は教会のシンボルに過ぎないのではありません。それは福音として聞くべき「言葉」なのです。当時の人々にとって十字架は、恥辱にまみれた最悪の刑罰でした。申命記の21章に「木にかけられた死体は、神に呪われたもの」であると書かれている通り、神の御子は私たちに代わって呪いを受けてくださったのですが、ユダヤ人にとって、十字架にかけられた主イエスは呪われるべき忌わしいものであり、「つまずかせるもの」でした。

「つまずかせるもの」という言葉の元々の意味は、罠や落とし穴です。神のみ心は聖霊の働きによって照らされるみ光によって初めて把握されますので、信じない者は暗闇を歩いており、自ら罠に嵌り、落とし穴に落ちてしまうのです。また異邦人にとっても、十字架は最悪の犯罪者に相応しい処刑法であって、キリストは軽蔑されるべき人間であって、それを拝むことなど愚の骨頂なのです。そうです。キリストは十字架につけられた罪人です。哲学の教師ではありません。しかし、このキリストの十字架にこそ、私たちは救いの御業を見るのです。なぜなら主が私たちを召し出してくださったからです。「召された者」という言葉は強調されていまして、口語訳聖書では「召された者自身」と訳されています。ユダヤ人だから異邦人だからというのではなく、召された者それぞれがその人自身としてキリストに出会い、聖霊に導かれて目を開かれたのです。それは決して、私たちが自分自身の知恵や賢さによって十字架の真理を見出したということではありません。神に召されたからこそ、信仰が与えられたのです。まず神の恵みが先にあって、救いに与ったのです。

そして最後、25節でパウロは、私たちが「神の力、神の知恵であるキリスト」を宣べ伝えている理由についてこう語ります。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」。ギリシア人は自らの知恵を称えており、コリント教会の信徒たちも、自分たちの賢さを誇りにして他人を見下していました。パウロも、神の知恵や力は人間の知恵や力と比べて優秀だという話をしているのでしょうか。そうではありません。彼の言う「愚かさ」「弱さ」とは、キリストの十字架を意味しています。つまり、他の何者でもなく、十字架のキリストこそが賢く強い、だからこそ私たちは救われたのだ、私たちにはキリストの十字架以外に誇るべきものなどない、これこそ神のなさった驚くべき御業であり、私たちが信ずべき拠所なのだ、という宣言なのです。神の愚かさこそ真の知恵、神の弱さこそ本当の神の力です。私たちはこの力と知恵によって滅びから救い出され、今も守られています。第二コリント書4章にこう書かれている通りです。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。十字架の言葉は神の力、十字架のキリストは神の知恵です。この福音を信じ、この恵みに感謝し、今日も祈りを合わせたいと思います。

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創世記11:1~9、使徒言行録2:1~4   2018.5.20

 

 皆さんは高層ビルを見たことがあるでしょう。広島駅のそばに高層ビルが建っています。日本中に高いビルがいくつもありますが、東京に行って新宿駅の西口付近を歩くと、それこそ天を突くような高層ビルがいくつも立ち並んでいて驚きます。東京には高さ634メートルというスカイツリーもありますね。…こういうところに行ってみるとすごいなあ、人間の力って大したものだなと思います。…でも、この世に絶対はないのです。昔その名を歌われた大都会で、今では砂の中に埋もれてしまっているというところもあります。バベルの塔もその一つです。

 

バベルの塔が造られたのは、今イラクという国があるところです。広い広い砂漠の中にチグリスとユーフラテスという、二つの大きな河が流れて良い土地がつくられ、農産物がたくさん取れます。そこは世界で初めて、文明が花開いたところでした。

昔その土地に生きていた人たちは、みな同じ一つの言葉を使っていました。今のように、世界中にいろんな言葉があるのではないのです。…みんな力を合わせて働いたので、立派な町や村がいくつも出来ました。科学技術が発展しました。それは良いことなのですが、問題は何をめざしてそうするのかということです。

この人たちは「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合いました。このあたりでは大きな石がなく、石造りの家を建てられません。そこで粘土を取って形を整え、日に当てて乾かしました。さらに火で焼きあげて固めました。こうしてれんがを造ります。また石油からアスファルトを取り出して、接着剤にしました。れんがとれんがをアスファルトでくっつけることで、堅くて丈夫な建物を造れるようになりました。この人たちのパワーには目を見張るものがあります。でも、ほめてばかりいれません。

ある日、みんなはこんな相談をしました。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」。

天まで届く塔を造ろうというのは、神様がおられるところにまで届く、高い高い塔を造ろうということです。これが出来たら、「おれたちはこんなに偉いんだ」ということを、世界に見せつけることが出来るのです。…おれたちはすごいんだ、人間はすごいんだということですが、それだけではありません。おれたちは、神様と並ぶくらいすごいんだということなんですね。

こうしてバベルの塔の建設という一大プロジェクトが始まりました。たくさんの人たちがれんがを造ったり、運んだり、積み重ねたりして汗を流し、こうして塔はどんどん高くなってゆきました。

ではこの時、神様はどうなさったでしょうか。神様は天から降りてきて、バべルの塔を見に来られました。この言い方に注意して下さい。地上から見ると、バベルの塔ほどすごい建物はありません。それは天に向かってそびえているのです。でも神様から見れば、天から降りて来なければ観察できないほど、丈の低い建物でしかありません。神様は人間の悪だくみを見抜かれました。神様は、人間が神様より偉くなるためにこの塔を造っていることがわかったので、こう言われました。「あの連中は一つの民で、みんな一つの言葉を話しているから、悪いことをし出すのだ。よし、あの連中の言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしてしまおう。」

神様は人間たちの話す言葉をばらばらにしてしまいました。こっちで英語を話す人がいるかと思えば、あっちでは中国語、アラビア語が出て来たかと思えばスペイン語で話す人もいるという具合です。みんな、ほかの人の話がわかりませんから、一緒に働くことが出来なくなってしまいました。…もっとも言葉が通じなくなる前から、みんな心がばらばらになってしまったのかもしれませんね。工事を進める間に足の引っ張り合いやけんかが起きたり、楽している人がいる一方で過労死するほど働かさせる人がいたりしたのかもしれません。要するに、言葉が通じなくなったのは人間の悪い心がもたらしたことで、それは同時に神様から下された罰でもあるのです。こうしてバベルの塔の建設は途中でとりやめとなり、造りかけの塔はやがて朽ち果て、砂の中に埋もれてしまいました。人々は世界各地に散って行って、ますます言葉が通じなくなりました。言葉が違うことで、さらに心も通いあわなくなってしまいます。そのため国と国の間で、しばしば戦争まで起きているのです。

 

 さてバベルの塔の出来事から何千年もたってからですが、イエス様がこの世界においでになりました。イエス様がして下さったたくさんのことの中から、お祈りを一つ紹介しましょう。「父よ、すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17:21)、これがイエス様の切なる願いでありました。

 十字架につけられて死んで、復活されたイエス様が天に帰られたあと、ペンテコステの日にイエス様の弟子たちなどおよそ120人の人たちが心を一つにして、熱心に祈っていました。すると突然、激しい風が吹いてきたような音が天から聞こえ、家中に響いたかと思うと、炎のような舌が一人ひとりの上にとどまったのです。聖霊が降りました。

するとまことに不思議なことが起こりました。…みんな立ち上がって外に出ると、世界のいろいろな言葉で神様のすばらしい恵みを語り始めました。

アラビア語を話している人がいるかと思うと、こちらではヘブライ語、エジプトの言葉、ギリシアの言葉というように。その日、世界中からその場所に集まっていた人たちはびっくりしてしまいました。これまで自分のわからない言葉で神様のことが語られるのを一生けん命聞こうとしていたのに、いまそこにあるのは自分の言葉だからです。こうして神様のもとでみんなが一つになりました。イエス様の「父よ、すべての人を一つにしてください」というお祈りが実現したのです。

 21世紀のいま、世界には数千という言葉があります。言葉が違う人同士わかりあうのが難しいことは昔も今も変わりません。今は小学校の5年生から英語の勉強をすることになって、みんな苦労しています。

 でも言葉と言葉の違いというのは、いちばんの大きな問題ではありません。神様を礼拝し、イエス様を信じることで、人は一つになること出来るのです。ペンテコステの日に三千人の言葉が違う人たちがイエス様を信じて、一緒に洗礼を受け、教会が誕生しました。今や教会は、アメリカにもロシアにも中国にも、アフリカにもオーストラリアにもあります。そしていま私たちは日本の教会で礼拝をしているのです。言葉が違い、考え方が違い、皮膚の色も違う、世界のすべての人たちがイエス様によって一つにされ、本当の自由への道が開かれたことを感謝したいと思います。

 

(祈り)

天にまします私たちの父なる神様。あなたは全宇宙を治めておられるたぐいなきお方でありますのに、銀河系の片すみの地球という小さな星に生きる、私たち人間をかえりみて下さいます。大昔、バベルの塔が建設されつつあったことは神様にとって馬鹿らしいこと、笑うべきことだったかもしれません。でも神様はわざわざ降りてきて、人間にふさわしい罰を与えられました。そしてそれから数千年ののち、今度は聖霊を降されることで、世界を再び一つにしようとする偉大な企てを始められました。

神様、今も世界の中で言葉の違う国と国、民族と民族のたたかいがあります。同じ日本語を話している私たちの間にも、けんかの種はたくさんあります。しかし神様が、イエス様を信じることですべての人が一つになる道を開いて下さいました。神様、私たちをバベルの塔を造った、自分のことばかり考えて最後にはばらばらになってしまった人のようにではなく、聖霊を受けて、世界に向けて神様をたたえる言葉を発信して行く人へと導いて下さい。

神様、今ここにいる子どもたちのために祈ります。この子どもたちが、神様のお守りとお導きの中で、心身共に健やかに成長して行きますよう、お願いいたします。とうときイエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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箴言16:9、使徒21:20~25 2018.5.13

 

 今年はイースターの次の日曜日から、ヨハネ福音書を読み続けてきましたが、今日はそのしめくくりの話になります。

 その日、ガリラヤ湖で漁をしていた7人の弟子たちの前に復活されたイエス・キリストが現れ、みんなで共に朝の食事をとったあと、イエス様とペトロの間で会話がかわされました。イエス様がペトロに3回にわたって「わたしを愛するか」と問いかけられ、ペトロが答えるとイエス様は「わたしの羊を飼いなさい」という言葉で、伝道の仕事に邁進するようお命じになりましたが、その時、ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかも示されました。「あなたは、…両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」と。…昔から、ここで「両手を伸ばして」というのは、はりつけにされることだと考えられてきましたが、その言葉通り、ペトロはのちに殉教の死をとげることになります。…しかしペトロは、それで大きな衝撃を受けたわけでもないし、そんなの勘弁して下さいと懇願したのでもありません。…そのことは、使徒言行録に書かれている、その後のペトロの力強い歩みを見れば明らかです。以前、3度にわたってイエス様を裏切ったペトロは、イエス様への愛を新しくされ、バージョンアップというよりも、根本的に作り変えられて、今や殉教の死をも恐れぬ人間になったのです。たとえイエス様のために死ななければならないとしてもかまわない、それ以上に価値あるものがあるのですから。

 ただし、その直後にペトロの心の揺れを感じさせることが起こりました。彼が振り向くと、イエス様の愛しておられた弟子がついて来るのが見えたのです。そこで彼は、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と尋ねました。

 ペトロがその直前まで、主イエスと真剣に向きあっていたことは間違いありません。その時、彼の中にあった思いは、イエス様以外になかったのです。ところが後ろを振り向くと、そこに一人の弟子がついて来るのが見えました。その弟子とはイエスの愛しておられる弟子で、伝統的にヨハネだとされてきましたが、最近ではいろいろな説が出てきて、謎が深まっています。とりあえずこの人はヨハネだとして、少し説明しましょう。

 主イエスが生前、最初に弟子として召されたのは、ペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネでありました。ヤコブとヨハネの父親はゼベダイ、母親は聖書の記事をいろいろ照合するとサロメという人で、彼女はイエス様の母マリアの姉妹でありました。

 ヨハネについていくつもの話があります。主イエスは弟子たちの中でも特にペトロとヤコブとヨハネを重んじられ、この3人だけを連れて行った話がありますが、ふしぎなことにヨハネ福音書にはヨハネの名前は出てきません。ヨハネと推測される人物は、みんな「イエスが愛しておられた弟子」になっているのです。

 最後の晩餐の席で主イエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言われた時、この弟子はペトロの合図に答えて、イエス様の胸もとによりかかったまま「主よ、それはだれのことですか」と尋ねたと書いてあります(ヨハネ13:21~25)。研究者によると、この時代の人々は食事する時、左のひじをついて上半身を支え、脚はななめ右後ろに伸ばし、横たわる姿勢だったそうです。ちょっと想像しにくい格好で、私が自分で実験してもとても食事をとれるものではなかったのですが、とにかくそう書いてあります。私は、この場面は、この弟子がイエス様の前の位置にいたことで、イエス様の胸もとに寄りかかっているように見えただけではないかと思うのですが、よくわかりません。…次にこの弟子が出て来るのは21章7節、「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに『主だ』と言った。」、そして今日の場面です。

 24節のところで、「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」と書いてあるところから、ヨハネ福音書の著者はヨハネということになります。そうすると、自分の名前を出さないというのはわからないでもありませんが、でも自分で自分のことを「イエスが愛しておられた弟子」と書くものでしょうか。その理由がわかりません。自分がイエス様のお気に入りだったと言いたかったのでしょうか。

 ただ24節の「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である」、これを書いたのは明らかにヨハネではありません。私は、この人物がヨハネの書いたものに手を加えて、「イエスが愛しておられた弟子」と書いた可能性があるかもしれないと思っています。

 いちばん難しいのは「イエスが愛しておられた」の意味でありまして、ヨハネはいちばん年少だったので可愛がられたのかもしれません。あるいはイエス様が神としての特別な愛でもってヨハネに接したのかもしれません。さらに今日では、こんなことを言うと衝撃を受ける人がいると思うのですが、ここにLGBTということを見出そうとする人がいて、そんなことあるはずがないという人と論争になりそうな状況です。いずれにしても聖書にはまだまだわからないことがありますから、今後さらに深く読み込むことが必要ですし、それと共に、教会もLGBTの問題について真剣に考え、取り組んで行くことが求められていると言えます。

 

 ペトロに話を戻します。ペトロが自分は主イエスに従って行くのだ、殉教の死に至るまでついて行くのだという堅い覚悟のもとに歩み出したことは確かです。しかし、それはそれとして、「この人はどうなるのでしょうか」という気持ちが心に芽生えたのです。これに対し主イエスは、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」と答えられました。イエス様が言いたかったことは、「ヨハネのことがあなたと何の関わりがあるのか。あなたはあなたではないか。あなたは私に従って来れば良いのだ」ということだろうと思います。

 ここで、イエス様は冷たいと思われた人がいたかもしれません。ペトロがせっかく同僚のヨハネのことを心配しているのに、それがいけないと言うなんて、…しかし、そういう問題ではありません。

 主イエスはもっとも重要な掟として、「隣人を自分のように愛しなさい」と命じられました。たしかに隣り人を愛することは尊ばれなければなりません。ただ、主イエスは、その前に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と言われているのです(マタイ22:37~39)。…私たちは第一に神、次に隣人、という順序があることを心得なければなりません。ペトロにとっては、イエス様について行くことだけが関心事であるべきでした。イエス様は彼に「あなたは、わたしに従いなさい」と言われたのです。それ以外のことは関係ないのです。

 

 もっとも、それでは隣人への愛はどうなるのかという反論が出て来ます。神様、神様とばかり言っていて、世の中がどうなろうが無関心、自分の兄弟姉妹が生きようが死のうが関係ない、というのは信仰者の態度ではなく、私たちも神様が愛しておられる隣人を愛するべきですが、そのことでペトロの言葉を正当化するわけにはいきません。この時のペトロには、「自分は殉教の死まで、キリストについて行くのだ」というしっかりした覚悟が出来ていました。しかしそれはそれとして、「ヨハネはどうなるのだ。イエス様のお気に入りのヨハネは安らかに長寿をまっとうするのか」という思いがあったように思われるのです。だとすれば、これはヨハネの今後を心配しているというよりも、余計な好奇心で、お節介に類することでしかありません。ヨハネがどうなるかというのは、ペトロに与えられた使命に関しては、副次的な問題にすぎません。イエス様の言葉は、いちばん大事なことを差し置いて、二番目、三番目のことに関心を持ちすぎるすべての人に対する戒めだと考えることが出来るのです。

 それでは「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても…」というのは何のことでしょうか。イエス・キリストが再臨されて、全く新しい世界が始まることを、弟子たちや初代教会の人たちは教えられて、信じていました。それも、その日がすみやかに訪れると信じていたのです。主イエスご自身は、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」(マタイ24:36)と言っておられます。この終わりの日というのは、もしかしたら明日かもしれないし、また1万年後かもしれません。その日がいつかと言うことは出来ないはずですが、しかし多くの人はその日がまもなく来ると思っていました。使徒言行録の1章6節には、弟子たちがイエス様に「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねていますし、パウロも自分が生きている間に世の終わりが来ると信じていたようです。そんな時代でしたから、主イエスの言葉を聞いた他の弟子たちの間に、ヨハネは死なないそうだ、主の再臨を生きて迎えることが出来るのだから、という噂が広まったのです。

 イエス様がせっかくペトロに「あなたに何の関わりがあるか。あなたは、わたしに従いなさい」と言われたわけですから、他の弟子たちも、じゃあ余計なことしないでおこう、自分は自分の道を進んで行こうとなるべきだったのに、そうはならなかったのです。イエス様はそもそも、「わたしが来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても…」と仮定法で言われています。ヨハネが死なないということではないのです。

 ヨハネのその後について、聖書は書きとめています。使徒言行録にはヨハネがペトロと共に活躍したことが書いてあります。…これはペトロが知らなかったことだと思いますが、パトモス島というところで、彼が神様からビジョンを与えられて書き留めたのがヨハネの黙示録とされています。彼は長寿をまっとうしたものと思われます。ペトロのように信仰のために殉教するのも立派ですが、ヨハネのように長生きして、生涯にわたってキリストを証しし続けることも、たいへん価値ある生き方であるのです。

結局、人は人、自分は自分、しかし両者とも神様の導きの中で出会い、時にはぶつかったり仲直りしながらそれぞれが与えられた人生を全うして行くのです。そこに優劣の差はありません。

 

 最後に、イエスのなさったことの一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう、というところを考えましょう。

 これは大げさな言い方に見えないでもありません。イエス様のなさったことを記録する紙というのは、羊皮紙であれパピルスであれ、またどんな紙であれ、もともとこの世界の中にあるものですから、世界の中に収まってしまうのではないか?…しかし、そんなことではありません。

 パウロは、コロサイ書2章3節で、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」と言って、神を賛美しています。キリストの内にある知恵と知識の宝を探り当て、これを広めようと、二千年来数え切れない人々が礼拝に集い、祈り、日曜日ごとの礼拝で語り、それを口から口へ伝えました。キリストにある新しい生き方が広まり、社会が変革され、厖大な数の本が書かれました。ただ、そうした企てが終わったのではありませんし、もちろんキリストの内にある宝がすべて掘り尽くされたのでもありません。死んでよみがえられたイエス・キリストが世界にもたらしたものを、世界が収めきれるはずがありません。そのことはまた私たちが、イエス様の教えはわかったから卒業しようなどと言えるものでは決してないことを教えています。

 私たちは霊的なスランプに陥ることがあるかもしれません。聖書が教えていることに疑いを持つようなことがあるかもしれません。しかし、それは自分がまだイエス様のことを知り尽くしていないからなのです。ですから信仰生活というのは、長ければ長いほど良い、別に短いのがだめだと言うことではありません、あとの方が先になるということもありますが、やはり信仰生活の長さに対応する形で恵みが積み重なっていくということがあるのです。

 どうか私たちが、生涯の終わりまで、いや生と死を超えてイエス・キリストに結び付き、この方からこの世にはない知恵と知識を与えられつつ、それぞれの前に差し出された人生の旅を続けて行けますように、と切に願っています。

 

(祈り)

世界を創造し、今もみこころのままに治めたもう主イエス・キリストの父なる神様。あなたがイエス様を十字架の死の中から復活させ、満ち溢れる命を注いで下さる時、そのイエス様によって一人ひとりに対し、「わたしに従ってきなさい」と言って下さることを心から感謝いたします。

私たちはペトロのような殉教の死は、とても考えることが出来ず、殉教せずに、長寿をまっとうしたヨハネの生き方の方が望ましいのはもちろんですが、それでもヨハネがいる高さに達することは出来ません。神様が私たちの平凡な人生を、ほかの誰にも出来ないかけがけのない人生として大切に守り、祝福して下さいますように。そのために、これをなし崩しにしようとする、神様への疑いや自分の利益だけを願う気持ちを消し去り、神様のみを畏れ、自分の罪をはっきり見つめ、悔いて、これを克服しようとする思いと力を与えて下さい。

とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

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エゼキエル34:11~16、ヨハネ21:15~19 2018.5.6

 

 ガリラヤ湖の岸辺で、復活されたイエス・キリストが特にペトロを名指しして、お語りになったところを学びます。

 ヨハネ福音書の21章はその全体が、復活した主イエスが弟子たちの前に現れたお話ですが、皆さんは何となく重苦しい話のように思っていなかったでしょうか。他の福音書、マタイもマルコもルカも、イエス様が復活なさったことで最後は晴れやかに終わっていますが、ヨハネ福音書はなかなかそのようには見えないようです。1節から14節までのところは、このようなイメージがありました。イエス様の十字架の死で意気消沈し、挫折し、伝道の仕事を投げ出した弟子たちが漁に出たところ復活されたイエス様に出会い、一緒に食事はしましたが、みんなコチンコチンになって食卓での楽しい会話もなかったと。そこで先週の説教では、弟子たちが伝道の仕事を投げ出したのではないこと、またイエス様と一緒の食卓に静かな喜びがあったことをお話ししました。しかし15節以降、今日の箇所になるとまた重苦しい言葉が出て来ます。ペトロが自分の行きたくないところに連れて行かれ、それが、ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかが示されているというのです。…そこで私たちとしては、ペトロはイエス様から自分の死に方を聞かされてショックだっただろうなあと思うのです。…そういう意味で、ここに書いてあることは、私たちにとってあまり歓迎したくない話になっているのです。…しかしそういう思い込みからこの話を遠ざけて良いのでしょうか。皆さんには、先入観を捨てて、まずは向き合って頂きたいと思います。

 

 ペトロが復活された主イエスに会ったのは、これで4度目になります。イエス様は弟子たちの前に、十字架につけられてから三日後に現れ、その一週間後にも現れ、そうしてこの日になるのですが、最初に弟子たちの前に現れた日に話を戻します。クレオパともう一人がエマオからかけ戻ってエルサレムの弟子たちのもとに行くと、弟子たちは「本当に主は復活して、シモンに現れた」と言っていたのです。シモンとはペトロのことです(ルカ24:34)。つまりペトロは他の男の弟子たちに先がけて、ひとりだけ、イエス様に会ったことになるのです。…ところがその出会いでイエス様が何をお話しされたか、ペトロが何と答えたかというのは、聖書のどこを探しても書いてありません。

つまり二人が会ったという事実だけがあって、その中身は謎のままなのです。そこで二人の会話を大胆に想像すればこういうことになります。

 皆さんご存じのように、ペトロは三度、自分はイエスなど知らないと言ってイエス様を裏切った弟子です。このペトロがどんな顔をしてイエス様とお話し出来たかと思うのですが、まさに穴があれば入りたい思いでイエス様と会って謝罪したのでしょう。ではこのふがいない弟子に対してイエス様が何と言われたのか、どなりつけたかどうかも全然わからないのですが、私は、おそらくイエス様の口からペトロの罪に対する赦しの言葉が出て、ペトロがそれを全身全霊をもって受けとめたように考えております。その後イエス様は弟子たちを前にして、「あなたがたに平和があるように」という罪の赦しの言葉を発しておられますから、ペトロとの最初の出会いもそうだったと推測するわけです。

 こうして4度目の出現となる今回、イエス様はもはやペトロに対して罪の赦しの言葉は発せられません。もう必要ないのです。そのかわり、ペトロを伝道の仕事に派遣するにあたっての心構えを問う言葉を発せられたのです。

 「ヨハネの子のシモン、この人たち以上にわたしを愛するか」、皆さんはイエス様がなんでこのような質問をされたのかと思われたのではないでしょうか。イエス様のこの質問にはいくつもの深い意味があるのですが、まず心得ておきたいのは、これが弟子たちすべてにではなく、シモン・ペトロひとりに向けられているということで、そのことは、19節に「ペトロがどのような死に方で…」と書いてあることからも明らかです。

 では、「この人たち以上にわたしを愛するか」という言葉で、主イエスがほかの弟子たち以上の愛を確かめておられるのはなぜでしょうか。これは、イエス様が弟子たちに自分への愛を競わせているということではありません。…あの最後の晩餐の席で、ペトロは自分のイエス様への愛を語っています。マルコ福音書によると、イエス様が「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われた時、ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と答えます。その時彼は、ほかの弟子にまさる思いを高らかに語っていたのです(マルコ14:27~30)。その思いはまもなく崩れ去ってしまうのですが。…イエス様はそのことを覚えておられますから、この時「この人たち以上にわたしを愛するか」と尋ねられたのです。するとペトロは恥ずかしくて、もはや「この人たち以上に」とは言いません。「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」とだけ答えます。

イエス様の方でも、そのあと二度、三度とペトロに問う中で、「この人たち以上に」とは言われません。イエス様はそのような競争を願っておられないからです。

 続いて、主イエスがペトロに3度にわたって「わたしを愛しているか」と言われたことですが、これはイエス様がしつこいお方であったということを意味するものではありません。これもやはりペトロがイエス様を裏切ったことと結びついているのです。

 イエス様が大祭司のもとに連行された時、ペトロは屋敷の中庭に入りました。女中が「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と言った時、ペトロは「違う」と答えました。たき火にあたっていると、人々から「お前もあの男の弟子の一人ではないか」と言われて「違う」と答えました。大祭司のしもべから「園であの男と一緒にいるのをわたしに見られたではないか」と言われると、またもそれを打ち消してしまいました(ヨハネ18:15~18、25~27)。今

回、イエス様はこれを意識して、「わたしを愛しているか」と3度くりかえされたのです。ペトロは悲しくなりました。それはペトロにあの事件を再び思い起こさせ、心の傷に触れたからだと思います。

 このように、主イエスのペトロへの問いは、ペトロの3度にわたる裏切りを思い起こさせる形になっています。私は先に、復活したイエス様がペトロとの最初の出会いの中でペトロの罪を赦したと言いましたが、その赦しというのは、イエス様の言葉ひとつですべて帳消しになるような安っぽいものではなかったはずです。だから、ペトロの方でもこれで万歳、無罪放免だということにはなりません。主イエスはペトロに彼の重大な罪を見つめさせ、悔い改めさせた上で、新たな課題を与えられます。その一回目が「わたしの小羊を飼いなさい」、二回目が「わたしの羊の世話をしなさい」、三回目が「わたしの羊を飼いなさい」ということなのです。一回目が小羊、二回目と三回目が羊になっていますが、違いは無視してかまいません。

 羊を飼いなさいというのはもちろん羊飼いになって牧畜業に従事せよということではなく、比喩であるわけですけれども、ではそこで言われた務めとは何でしょうか。それは聖書の時代の羊飼いを調べることである程度明らかになりますが、いちばん肝心なことは主イエスが語っておられることを見ることです。主イエスは「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11、14)と言われました。イエス様の言葉とそのなさったことを見れば、それが羊飼いというたとえで示されたことなのです。

 羊飼いについては、99匹の羊を置いて1匹の迷い出た羊を探しに行く話が有名ですね。今日、迷い出た1匹よりも残っている99匹の方が大事ではないかという議論が幅を利かせているようで、そんな時代にこそこれは大切な教えです。ただこの話があまりに有名になった結果、ただやさしいだけのイエス様のイメージばかり増幅してしまったような気がします。羊は野性を失った家畜で、本能によって餌を見つけることが出来ません。必ず羊飼いに導かれなければ、食べ物も、飲み物も自分で獲得することは出来ません。人間はその羊にたとえられる愚かな生き物で、羊飼いに導かれなければ生きる道はないのです。…有名な詩編23編でダビデは、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と歌っていますが、続けて読んで行くとその羊飼いはやさしいだけのお方ではないことがわかります。そこの4節に「あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」とあります。羊飼いはそれだけの指導力が必要とされるのです。

 人間の群れは、羊が羊飼いに導かれなければ生きて行くことが出来ないように、主イエスと主イエスが任じた羊飼いに導かれなければ霊的な命を得ることが出来ません。すなわち教会です。ペトロはそうした仕事をする羊飼いの一人として、主イエスに任じられました。その仕事は多岐にわたりますが、第一の務めはまことのみ言葉を語ることにほかなりません。

 

 それでは今日の最大の問題である、ペトロの最期について主イエスが言われたことを見てみましょう。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」。これだけ読んだら、ペトロは年取った時、自分のことが出来なくなって、他の人にどこかの施設に連れて行かれるように思えるかもしれません。しかし、そのあと「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして」、イエスが言われたのだと書いてあるのです。

 そこで昔から多くの人が、「両手を伸ばして」というのははりつけにされることだと考えてきました。聖書には書いてないのですが、古代のいろいろな記録にペトロが殉教したことが書いてあり、それは確かな事実です。ある伝説では、ペトロは殉教の際、「自分は主イエスを裏切った者であるから、主イエスと同じ十字架にはかかれない。だから頭を下にしてくれ」と、自ら逆さ十字架を志願して死んで行ったと言われています。…ペトロの殉教の死は主イエスのみこころだったのでしょうか。その通りです。

 ヨハネ福音書の13章の終わり、36節以下に、血気にはやるペトロとイエス様の会話があり、今日のところと関連します。「シモン・ペトロがイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのですか。』イエスが答えられた。『わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。』」… その時が来るのです。イエス様が十字架につけられた時にとてもついて行くことの出来なかったペトロでしたが、彼のために祈り、彼の罪をかわりに背負って下さったイエス様が甦って現れた今、彼はイエス様への愛を胸に、殉教の死までもついて行ける人間となったのです。

 殉教は誰にでも命じられていることではありません。主イエスの弟子たちにしても全員が殉教したわけではないので、普通に老齢や病気で死んだ人もいたでしょう。ですから神様によって殉教に定められているわけではない普通の人間は、何があっても最後まで生き抜かなくてはなりません。だいたい殉教、殉教と言う人ほど、他の人を死に追いやる反面、自分は殉教しないものです。そういうことはキリスト教の歴史の上にも、またわが日本を初めとする幾多の戦争の歴史の中にもたくさんあったので、注意が必要です。そのことを踏まえた上で、この時のペトロの心情に思いをはせることにしましょう。聖書にはイエス様の言葉に対するペトロの反応は何も書いてありませんが、ペトロがそんなのとんでもないとか、おれはいやだよとか言ったとは考えられません。このことについて今日の週報の「今週の言葉」をご覧下さい。

「死の恐怖に負けての愛の断念は、ペトロに既に深い悔恨、悲しみの傷を残

していたでしょう。そのペトロと向かい合い、このペトロの殉教を視野に入れつつ、ここでも死を見据えつつ、その死の絆を断ち切って甦られた主が、三度、愛を求めておられる。ペトロの愛を新しくされる。この問いに応えるとき、ペトロはそこで初めて真実の悔改めに至る。そして、愛を新しくしていただく。しかもこの時、また死に打ち勝つのであります(加藤常昭)。」…ペトロはだから、主イエスの言葉を喜んでとまで言えるかどうかわかりませんが、畏れをもって受け入れたのです。繰り返しますが、誰もがペトロと同じ最期をとげる必要はありませんし、それをすることが罪になる場合もあります。ただペトロは主イエスに、最後は殉教をもって信仰をまっとうすることを示された時、そこから逃げだすことなく、その道を勇気をもって歩み、最後に主イエスと同じように十字架につけられることによって神の栄光を現したのです。そこまで見てゆけば今日の話は重苦しい話ではありません。これは信仰の勝利の話なのです。

 

(祈り)

主イエスの父なる天の神様。5月の最初の礼拝を、私たちが全世界の教会と共に喜びの中に行うことが出来たことを感謝申し上げます。私たちは初め、今日の聖句を読んだ時、そこにペトロに対する死の予告があるのを見て、心が重くなりました。しかし今、ペトロがイエス様に対してした3度の裏切りを心の底から悔い改め、イエス様への愛を新しくされたことを喜ぶ者です。ペトロは死を予告されてもそこで心がくじけるどころか、ますます勇気をもって、与えられた自分の務めに励み、殉教の死において神の栄光を現しました。

私たちは殉教などとても考えることが出来ません。信仰者であることを他の人から笑われたらそれだけで心が折れてしまうくらいですから、かりに迫害の時代が来たら、まっさきに良心を曲げて、逃げ出してしまうようになることを恐れます。しかし神様はペトロを通して、信仰者の見本を示して下さいました。私たちそれぞれ神様の前に失敗ばかりしている者たちです。失敗はしないに越したことはないのですが、避けられない場合もあります。問題はそこからどう立ち直るかということでしょう。どうかペトロに倣って自分の罪を悔い改め、復活された主のお導きのもと、主が敷いて下さった道を力強く歩んで行く者として下さい。とうとき主イエス・キリストの御名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

ガリラヤ湖畔のキリスト youtube

イザヤ43:1~7、ヨハネ21:1~14 2018.4.29

 

 私たちがイースター以来、読み続けてきたヨハネ福音書は20章で、エルサレムにおけるイエス・キリストの復活を語って、いったんそこで終わっています。21章はあとから書き加えられたものです。

 お話の舞台は、21章1節でティベリアス湖畔となっていますが、これはガリラヤ湖です。ガリラヤ湖にはローマ皇帝の名前をとったティベリアス湖という名前もあったのです。登場人物はイエス様以外では、ペトロとトマス、ナタナエルというのはヨハネ福音書1章に出て来る人で12弟子以外の弟子です。ゼベダイの子たちはヤコブとヨハネ、このヨハネは7節の「イエスの愛しておられたあの弟子」にあたります。ほかの二人の弟子の名前はわかりません。

 復活された主イエスについて4つの福音書に書いてあることは微妙に違っていて、時系列順に並べるのは簡単ではありません。マタイ福音書では、イエス様は弟子たちにガリラヤに行くよう促し、11人は山でイエス様に会います。マルコ福音書には弟子たちのガリラヤ行きはなく、ルカ福音書にも、イエス様は「都にとどまっていなさい」と言われており、弟子たちのガリラヤ行きはないのです。ヨハネ福音書はガリラヤ湖でのこの出来事を書きます。では実際はどうだったのか、…弟子たちはイエス様復活の日から一週間以上エルサレムにいましたが、そのあとガリラヤに向かい、またエルサレムに戻ったと考えるほかありません。

 4つの福音書を比較して、これ以外にも違いを感じる人がいます。それはマタイもマルコもルカも、最後のところはたいへん明るく元気に終わっているのに、ヨハネはなんだか暗く、元気がなく見えるということです。…今日のお話では、ガリラヤ湖にいたのは7人、ほかの弟子たちがどこにいたのかわかりませんが、それは置いといて、彼らはなぜそこにいたのでしょう。聖書にはその理由が書いてないので想像するほかないのですが、皆さんはこんなことを聞いたことがありませんか。「この弟子たちはイエス様が亡くなられたことで意気消沈してしまい、伝道の仕事をやめて、また元の漁師になろうとして湖で漁をしていたのだ」と。…そう思ってみると、やはりこれは暗い、わびしい話に見えて来ます。……中にはヨハネ福音書の最後が明るい調子でないのがかえって良いのだ、この弟子たちは最後まで迷いや悩みの中にいたのだからそうなったのだという人がいて、その考えにも一理ありますが。

 ただ、ヨハネ福音書の最後の部分は、本当に暗くて、元気がないところなのでしょうか。…この疑問は、ここを学ぶうちに次第に明らかになるでしょう。今日のところで疑問なのは、弟子たちはすでに復活されたイエス様に会うという驚くべき体験をしているわけです。イエス様から聖霊を吹きかけられ、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われていたことを私たちも学んでいます。…彼らはその日からいくばくも経たない内に、イエス様の言葉を投げ捨て、伝道への志をすっかり失い、挫折してまた漁師に戻ってしまおうとしたのでしょうか。

 そこで、そうではないとすれば、弟子たちは2度にわたって復活された主イエスに会ったことの感激と伝道への志を心に持ち続けていたとなり、おそらくそれが正しいと思われます。…でも、それならどうして漁に出たのか、やはり生活していかなければならなかったからです。パウロは伝道だけで生活できるようになる前、テント作りという仕事もしていました。この弟子たちもお金を稼がなければ食べていけないわけですから漁をしたのでしょう。…ただ弟子たちがそうやって自活しながらしっかり伝道できるのでしたら、イエス様が現れる必然性はありません。彼らにはまだまだ足りないところがあり、イエス様が教えてあげなければならなかったわけです。…そうすると、これは「ガリラヤに行け」というイエス様の命令に従った旅の中で起こった出来事だと言えるように思います。

 

 この時代の漁というのは夜中に行うものだったようです。弟子たちが一晩中漁をしていたのに何も取れず、イエス様の指図通りにしたら大漁になったという話はこのほかにもあり、皆さんはご存じでしょう。イエス様が4人の漁師を弟子にした有名な話でルカ福音書5章に出て来ます。そこではイエス様の指図に従ったら、網におびただしい魚がかかって取れて船が沈みそうになったと書いてありますが、それを思い起こすような話がここで再び起こっています。

 ペトロが漁に行くと言うと他の6人も一緒について行きました。ペトロ、ヤコブ、ヨハネはもともと漁師でしたが、トマスとナタナエルはそうではなく、漁をするのははじめてだったと思われます。彼らは夜通し漁をしましたが、何も取れませんでした。このことは彼らの漁のやり方が下手だったということでないことはもちろんです。これは聖書ですから、ここで象徴的に示していることを見て行かなければなりません。これも想像が入ってきますが、そこには弟子たちの中にあったむなしさが現れているようです。先にお話ししたように、彼らは挫折して、伝道の仕事を投げ捨ててしまったのではありません。

復活されたイエス様に会ったその喜びは残っています。しかしそれはだんだん薄まって行ったのではないかと思います。イエス様は本当に復活されたのかという疑いも芽生えてきたかもしれません。皆さんは、あれほどの体験をしながらなぜ、と思われるかもしれませんが、それが人間の実情なのです。

 この弟子たちに、私たち自身の姿を重ねることが出来ないでしょうか。一晩、一生懸命努力したけれど、何にも得るものはなかった、何日も何日も、それどころか何年もやっているのに何も得られない。「主よ、いつまでですか」という思いをいだいている人もいると思いますが、そうした人間の縮図としてこの弟子たちがいるのです。

 弟子たちは、労多くして実りのない仕事で疲れ切っていたでしょう。しかし、実はその時、主イエスが岸に立っておられたのです。弟子たちはそのことがわかりませんが、それに気づく時がまもなく来ようとしています。そうすれば、彼らの労苦は報われるでしょう。それは今の私たちにも起こりうることです。

 

 主イエスが来ておられます。距離はそう遠くありません。陸から200ペキスと書いてありますが、1ペキスが45センチなので90メートルという近さです。それでもイエス様だとはわかりません。イエス様の方から声をかけられました。「子たちよ、何か食べるものがあるか」。声を聞いてもイエス様だとわかりません。船の右側に網を打ちなさいと言われて打ってみると、魚があまり多くて、網を引き上げることが出来なくなりましたが、これは主イエスが持っておられる無限の力を示す出来事にほかなりません。

 するとその時、イエスの愛しておられたあの弟子、すなわちヨハネが「主だ」と叫びました。ヨハネは自分がイエス様から召命を受けた時、やはりおびただしい魚が取れたということがあったので、イエス様だとわかったのでしょう。彼はイエス様の出現に驚きはしても、その前でおびえたりしません。すでに復活したイエス様に会っており、復活は真実であると知っていたからです。

 ヨハネの言葉を聞いた他の6人も心の目が開かれて、イエス様の姿を認めました。…ペトロは急いで上着をまとい、湖に飛び込んでイエス様のもとに向かいました。彼は一刻も早くイエス様のところに行こうとしたのですが、そこには彼だけの特別な事情があったと思います。ある人は言っています、ここでペトロは気づいたのだ、主はまさにこの自分のためにここまで訪ねて来られたのだと。いうまでもないことですが、ペトロは自分がイエス様を三度も裏切ったことを忘れることは出来ませんでした。

 ところで主イエスは、弟子たちに何か食べるものがあるかと問われましたが、復活された方がお腹が減って、漁師に食べ物を乞い願うものでしょうか。そうだとしたら少し変です。夜明けに、行きずりの人が「食べ物を下さい」と言うこともちょっと考えられません、だとすると主イエスがそう言われたのは、弟子たちから食事をもらうためではありません。食事をふるまうためだったと考えられます。

                                                                                                                    

 こうして7人が主イエスのもとに集まります。みんなが陸に上がってみると、炭火が起こしてあって、その上に魚が乗せてあり、パンもありました。どういう方法を用いたかはわかりませんが、これらはみなイエス様の方で用意して下さったものです。イエス様は、それだけでは足りないと見て、「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と言われます。弟子たちの労苦を忘れるわけには行きませんが、それらすべてを含めて、すべてがイエス様の恵みのもとにありました。

 夜通し働いても何も取れなかった弟子たちは、主イエスの助けによって労苦の実りを獲得しました。ペトロが網を引き上げます。153匹もの大きな魚が入っていました。…153というのは不思議な数で、1足す2足す3足す、とやって行って17まで合計すると153になります。また1の3乗と5の3乗と3の3乗を合計しても153となって、数学の好きな人の興味を引くのですが、それが聖書のメッセージと関係があるのかどうかはわかりません。…今日ここでは、いちいち数まで数えるということが、これが主イエスによってなされた奇跡の確認であることを知っておきましょう。主イエスは以前、ペトロたちを弟子にした時に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われていました(マルコ1:9)。これから弟子たちの伝道によって、救いに入れられる人々はおびただしい数にのぼり、それが一人ひとり数えられて行くことが約束されているのです。

 弟子たちはイエス様の前で大騒ぎをすることはありませんでした。つまり、みんながイエス様のもとにかけよって、抱きつかんばかりに喜びあうというドラマチックな場面はここにはありません。では、みんなイエス様の前で固くなっていたのでしょうか。弟子たちがだれも「あなたはどなたですか」と聞くことがなかったことから、みんなコチコチになっていたと連想される方があるかもしれませんが。…おそらくみんなイエス様の前で畏れに満たされ、しかもそこには深い静かな喜びがあったものと思われます。

 そこにパンと魚がありました。…福音書には主イエスが5000人の食事を準備された有名な話があり、あの時もパンと魚が用いられましたが、パンと魚という組み合わせについて考えすぎる必要はありません。私たちは、主ご自身が「私の記念としてこのように行いなさい」と言われたパンと杯を第一に考えなければなりませんが、魚についても尊重しています。魚は古来イエス・キリストを表すシンボルとして用いられてきました。

 いずれにせよ、ここでの食事にはいくつもの意味があります。一つには、復活されたイエス様がここでパンや魚を口にされたことで、これはイエス様が幽霊ではないという新たな証明になります。たださらに大事なことがあります。それは弟子たちが甦えられた主イエスから食事をふるまわれ、命を養われたということです。

 弟子たちは初め自分たちだけで仕事をして、自分たちの力で収穫を得ようとしましたが、その成果はありませんでした。しかし復活された主イエスは彼らが知らない内にそばに来て下さり、なくてはならない食べ物をふるまって下さると同時に、ご自分と弟子たちとの結びつきをそれまで以上に確固としたものにして下さったのです。

 死に打ち勝って復活された主イエスから食事をふるまわれ、命を養われていく、そのことを私たちは礼拝のたび、みことばをいただくことと聖餐によって確認しているのですが、忘れがちな時もあります。甦られたイエス様は集合体としての私たちでなく、一人ひとりの私たちのもとに来て下さっています。そのことに気づかない心があれば、神様が正して下さいますように。私たちはペトロのように湖に飛び込む必要はありませんが、イエス様のもとに真っ先にかけ出して行く者でありたいと思います。

 

(祈り)

憐れみ深い父なる神様。今日も全世界の教会と共に、主イエスの復活を祝う礼拝の恵みを頂いたことを、心から感謝申し上げます。

イエス様の弟子たちは、甦られたイエス様と出会い、聖霊を受け伝道のために派遣されながら、しかしイエス様を信じきれないところがあったと思います。

イエス様を全く知らない人ならともかく、復活ということを目の当たりに見ながら、まだ心が定まらない、それは弟子たちばかりでなく多くの信徒の姿でありましょう。しかし、そんな者たちを訪ねて、イエス様が自らおいでになるとは何ともったいないことでしょうか。

神さま、私たちが死によっても失われることのない望みの中に生きていることをもう一度確認させて下さい。労多くして実り少ない人生に疲れて、「主よ、いつまでなのですか」としか言えない心があったら、イエス様からいただくみことばと食事によって養って下さい。ここには年取った者や、病気がちな者や、その他多くの重荷を背負った者たちがおり、それぞれがさまざまな課題に直面していますが、どうか神様から与えられイエス様によって価値を与えられたかけがけのない人生を喜びと勇気をもって生きて行く者として下さい。

広島長束教会をかえりみ、ここから人を永遠の救いに導くメッセージが力強く発信されて行きますように。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。

 信じる者になりなさい youtube

 

詩編86:11~13、ヨハネ20:24~29 2018.4.22

 

 私たちは先週、甦られたキリストが弟子たちの前に現れた話を学びましたが、先週の説教では語れなかったことがあって、それを教えてほしいという声が寄せられました。それは20章23節のことですが、22節についても語ることが出来ませんでした。先週は与えられた聖書の箇所の半分しか説き明かしが出来なかったからです。そこで今日は、トマスについて語る中で、先週語れなかったことも含めてお話しすることにいたします。

 

 「主はよみがえられました。まことによみがえられました」これは古くからイースターの時に交わされた挨拶です。復活されたイエス・キリストに最初に会った女性たちによってまず男の弟子たちにこの知らせがもたらされ、弟子たちからその時代の人々に、そして時と場所を超えて私たちのところまで伝えられてきているのです。…十字架にかけられて死んだイエス様が復活されたことほど驚くべき出来事はありません。これは世界の歴史の上でも空前絶後の大事件であるのです。しかし人間の常識を超えたことですから、いったいどのように考えたら良いのか、誰もがとまどうことでしょう。これが本当のことであるなら、ここから全く新しい人間の生き方が始まります。すべての人間を根本から変える力がそこにあるのです。しかし、仮にこれが真っ赤なうそだったとしたら、それは歴史上最大のいかさまとなり、そんなことをまじめに信じているキリスト者は世界の中で最も哀れな人たちだと言われても仕方ないのです。

イエス様の復活を疑ったり、否定する人は昔も今もたくさんいます。弟子たちがイエス様のご遺体を盗み出して隠してしまったのだとか、仮死状態だったイエス様が目をさましただけだとか、あるいはみんな幻を見ていたんだとか言う人がいます。キリスト教に反対する人が言うのならともかく、キリスト者の中にもそんな人がいます。しかも聖書そのものが、イエス様の直接の弟子でさえ初めから復活を信じていたのではなく、まっこうから否定したり、疑ったりしたあげくに信じる者となったことを伝えています。その典型がトマスです。

トマスは、イエス様の復活を聞かされた時、それを信じないで、頑強に抵抗しましたが、しかし彼の前に本当にイエス様が現れた時、自分の考えが間違っていたことを悟り、イエス様への信仰を告白したと書かれています。

私はこのお話から、あの疑い深いトマスでさえ信じた、だから復活は事実なのだ、などと簡単に結論を出してしまおうとは思いません。ここでトマスを変えたのは何だったのかということを考えてゆきたいのです。

 

トマスとはいったいどういう人だったのでしょう。聖書でトマスについて書いてあることは多くなく、このお話以外で記録されているトマスの発言は2回だけ、その一つがヨハネ福音書11章16節です。

主イエスのもとにベタニア村のラザロという人が死んだという知らせが届き、イエス様が彼のところに行こうとした時です。「すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、『わたしたちも行って、一緒に死のうではないか』と言った」。イエス様がこの時、反対派の出現が予想されるベタニア村に出かけるのは危険きわまりないことでした。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」とは、われわれも先生と一緒に死のうではないかということです。…トマスは勇敢な人だったかもしれませんが、向こう見ずなところがあったようです。

 トマスのもう一つの発言はヨハネ福音書14章5節です。最後の晩餐の時、主イエスが、「わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言われると、トマスは恥ずかしいという思いを押えて質問します。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道を知ることができるのでしょう」。ここからイエス様の重要な教えが引き出されることになるのですが、トマスに目を向けると不安が表れているようです。それは彼の中にあった、死に対する恐れであると思われます。

 イエス様はこの直後に逮捕されます。その時、トマスも、他の弟子たちと同じように逃げてしまいました。ついこの前の、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言う言葉はどこに行ったのかと思います。……イエス様がつかまって十字架につけられた時、トマスの信仰もくずれてしまいました。

 

 主イエスは十字架にかけられて三日後の日曜日に復活され、弟子たちのもとに出現されました。驚き、おびえる弟子たちの前で、イエス様は「あなたがたに平和があるように」と言われ、また手とわき腹を見せて、確かにご自分であることを証明されました。主イエスはそのあと「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われ、弟子たちに息を吹きかけられて、こう言われました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないままで残る。」

 主イエスが弟子たちに息を吹きかけ、聖霊を受けなさいと言われたことは、聖書学者に厄介な問題を与えることになります。というのは、ここで聖霊が降ったのなら、このあとペンテコステの日に起こったことは何だったのかということになるからで、いろいろな議論がありますが今日は立ち入ることはしません。おそらくここで降った聖霊は、ペンテコステの日に降った聖霊と同じものでありましょう。

 それより注目したいことは、「わたしもあなたがたを遣わす」と言われているように、聖霊が弟子たちの派遣のために与えられたということです。考えてみれば、イエス様を裏切った弟子たちが再び伝道のために遣わされるということは信じられないようなことです。…イエス様は十字架上で、弟子たちの情けないあり様を見ながら、死んでも死にきれない思いで死んで行かれたのではないでしょうか。それにもかかわらず、この弟子たちを再び派遣される、そこにはイエス様が弟子たちの罪をかわりに担って下さったということがなければなりません。こうしてまことの平和が与えられた弟子たちだからこそ、再び立ち上がることが出来、全世界へと派遣されて行くのです。

 その次の言葉、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないままで残る」ですが、これも昔からたいへんな論争になってきました。ていねいに検討して行くときりがないのですが、ここからカトリック教会は、聖職者が罪を赦したり、赦さない権限を持つことを主張するようになりました。告解というのがありますね。信者が洗礼を受けたあとに犯した罪を司祭に告白する、すると司祭はその罪を赦したり赦さなかったりするのです。しかし、これに対し、プロテスタント教会は、これは聖職者ではなく教会に約束されたものであるとし、そして罪を赦す赦さないというのは、なにより説教において行われると答えました。なぜなら説教は、罪の赦しを告げる宣言であり、福音だからです。そこで語られる神の言葉を信じて受け入れる者は罪が赦され、逆にこれを拒否する者は罪が赦されないままで残って行くのです。

 

 復活された主イエスが現れ、弟子たちを派遣された大切な場所にトマスはいませんでした。何か用事があったのかもしれませんが、ともかく、彼が戻ってきたのは良いことでした。…他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言ってもトマスは信じません。従って、イエス様による弟子たちの再びの派遣にもトマスは加わりません。

 ここでトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのです。ここから、トマスは合理的で科学的な精神の持ち主だと思われることが多いのですが、それだけで片づけることが出来るとは思えません。というのは、トマスの中には死への恐れがあり、死がすべての終わりであるという人生観を持っていたようなので、これをひっくり返してしまう、イエス様の目撃証言を受け入れられなかったのでしょう。…そのような人は私たちのまわりにもおります。科学的にどうこうというより、死がすべての終わりであって、それで良いと思っているので、それに反するようなことは頭から信じられないのです。

 聖書はこのトマスに、復活された主イエスが現れたことを告げています。それは初め弟子たちに現れてから8日ののち、つまり今の数え方では一週間後の日曜日のことでした。主イエスは弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ、次にトマスに向かって語りかけられます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。

 私は今日、本当にイエス様が復活したかどうかを検証するつもりはありません。神様がなさることなら不可能はないと言うのみです。ここではトマスの内面に起こった変化を見てゆきましょう。…主イエスが逮捕された時に逃げ出してしまい、十字架の主を見ることもなかったかもしれないトマスが、十字架の本当の意味をわかっていたでしょうか。そうは思えません。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、…」と言った時、彼はイエス様が十字架にかけられた事実は知っていましたが、そこにどういう意味があるのかということはわからなかったのです。ところが、今ここで十字架の傷跡が示されました。トマスが、イエス様が言われた通り、十字架の傷跡に指を当てたり、手をわき腹に入れたとは書いてありません。そんなことをしなくても十分だったのです。それを見るだけで、トマスの前に主イエスの十字架の死が圧倒的な力で迫ってきたのです。

 かつて、イエス様と一緒に死のうではないかと言ったトマスは、遅まきながら気がついたと思います。「自分はイエス様のために死ぬことなど出来はしない。自分がイエス様のために死ぬのでなく、イエス様が自分のために死なれたのだ。自分はこれまでイエス様をどれほど苦しめてきたことか。イエス様の十字架はみがわりの死、罪人(つみびと)である自分を救うための死であったのだ」と。

 主イエスの十字架の意義がはっきりするのは復活においてです。もしも十字架の死だけがあって復活がなかったなら、神様のこの世界へのなさりようはまだまだ不透明で、イエス様の死を敗北の死だと考える人も出てくるでしょう。しかしながら復活があったことで、神は主イエスの十字架の死を認め、受け入れて下さったことを世界に示されたのです。神は主イエスの十字架に免じて、主イエスを信じる人が救われることを宣言して下さったのです。

 「わたしの主、わたしの神よ」、…圧倒的な力をもって迫ってくるイエス・キリストの前にトマスの口から出たのがこの言葉です。死がすべての終わりだと思い、それゆえ復活などありえないと考えていたトマスの固く閉ざされた心の扉がその時、開かれました。イエス様は自分の主であるばかりなく神でもあられます。イエス様の前では人間にこびりつく罪も、疑いも、死も、打ち破られるしかありません。

 私たちは最後に、主イエスの言葉、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」、と「見ないのに信じる人は幸いである」がどういう意味なのかを考えてみましょう。ここから、疑い深いトマスのようにならず素直に信じなさいと言われることがあるのですが、それはイエス様の真意ではないと思われます。仮にそうだとしたら、人はうそやいい加減な説、デマでも信じなくてはならなくなってしまうからです。

 まず言えることは、人は間違ったことを信じてだまされることがありますが、逆に何も信じないことで失敗することもあるのです。特に今の時代、宗教というと頭から敬遠する人がいます。もちろん間違った教えにだまされてはなりませんが、何も信じないことで自分が生きる意味もわからず、自分がどこから来てどこに行くのかのかわからないままで漂流するだけなら、いったい何のための人生でしょうか。

 皆さんは、主イエスの言葉が後世の人々に対して言われた言葉であると考えて下さい。というのは主イエスの弟子たちは、復活の目撃証人として特に選ばれた人たちです。…トマスの場合、復活を他の弟子たちから聞いた時に信じるのがいちばん良かったのですが、それが出来なかったためにイエス様の再出現となったわけですが、…彼らは自分が見て、聞いたことを全世界に向けて語りました。その確かな証言があるわけですから、のちの時代の人々は、イエス様復活のニュースを聞くだけで、見ないで信じることが出来るのです。

 ペトロの手紙一の1章8節9節の言葉を読みます。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」。…私たちは魂の救いを得ています。死んですべてがおしまいになるのが人生ではなくて、罪と死を超えるいのちが皆さん一人ひとりの中に生きています。それは主イエス・キリストが確かに復活され、今見ることは出来なくとも皆さんに出会っておられるからです。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる御神様。いま私たちの心と体を、死からいのちへと導く言葉によって養って下さったことを心から感謝いたします。イエス様は今も生きて、私たちの中で働いておられます。どうかイエス様の復活によって、何かが起こるたびに意気消沈し、打ちしおれがちな心に希望を与えて下さい。イエス様がトマスによって行われたことを、私たちのうちにも行って下さい。

 神様。十字架上で亡くなられた主イエス・キリストが三日後に甦られた、これは聖書が伝える福音の中心的メッセージです。復活がなければ私たちの信仰はないのです。しかし、私たちにとって復活ほど理解しにくいことはありません。神様。十字架上で亡くなられた主イエス・キリストが三日後に甦られた、これは聖書が伝える福音の中心的メッセージです。復活がなければキリスト教はないのです。しかし、私たちにとって復活ほど理解しにくいことはありません。本当にそんなことがあるのかと思ってしまうのです。考えてもわからないから言われたように信じれば良いのだと思っている人もいます。しかしながら、復活を信じられない者も神様の愛に包まれていることを思い、感謝いたします。

 神様、どうか信じられない心を信じることが出来るようにして下さい。すでに信じている人はその思いが深まるよう導いて下さい。このようにして、神様がイエス様を通してなさった言葉に尽くせない素晴らしいみわざがもっともっとたたえられますように。

 この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名を通して、お捧げします。アーメン。 

 あなたがたに平和があるようにyoutube

創世記2:7、ヨハネ20:19~23 2018.4.15     

 

  私たちは今、すでに世を去った私たちの愛する人々を思い、礼拝を行うためにここに集められています。ここで記念される人々の中には、覚えている人も少なくなったような昔の方から、最近亡くなられたばかりの方まで、名簿では全部で26人おられます。広島長束教会では、この方たちが亡くなられるごとに葬儀をしてきたわけですが、教会でこのようにすべての召天者をひとまとめにして記念礼拝を行う意味は、この方たちがみなイエス・キリストを信じ、クリスチャンとしての人生をまっとうされたということにあります。

召天者の方々には、若き日に信仰を持った方も、年を取ってからという方も、洗礼を受けておられなくともクリスチャン家庭で育った方もおられますが、みな神の恵みにあずかり、聖書を土台にして生きてゆかれました。いうまでもなく、それはたいへん幸いなことで、一人ひとりはそれぞれ違った人生を歩まれましたが、みなイエス・キリストにおいて価値づけられ、意義を与えられた人生を生きて行かれたのです。

イエス・キリストに出会うことのない人生というのは、自分で思っているほど幸せではありません。それがたとえ傍目にはどんなに立派な人生であったとしても、自分がどこから来て、どこに行くのかがわからないからです。…しかし、ここに記念されている召天者たちはみな、キリストのものだったので、自分がどこから来て、どこに行くかを知っていました。古来、人間は死という敵の前にはなすすべもなく立ちすくんでいることしか出来ませんでした。現在もそういう人がたくさんいて、自分がどこから来て、何のために生きて死ぬのか、そのあとどこに行くのか、わからないまましぶしぶ世を去っているわけです。

私たちはこの問題に対し、イエス・キリストがどうあられたかということを見る必要があります。あれほど素晴らしい教えを語り、奇跡を起こして、この国を救うのはこの方しかいないと思われていたイエス・キリストが十字架につけられてしまった時、イエス様を愛して従っていた人たちも、ああイエス様でさえも死の問題を解決することは出来なかったのかと思ってしまったのですが、それは正しかったのでしょうか。今日そのことを確かめることが、召天者を記念する私たちにとって意味あることとなりますように。

イエス・キリストがゴルゴダの丘に引いて行かれ、二人の強盗と共に十字架につけられたのは、人類数千年の歴史の中でも最大の出来事でありました。この時に、主イエスに従っていた人たちがどうしていたかは皆さんご存じです。…12弟子のひとり、ユダはイエス様を敵に売り渡したあげく自殺、イエス様が逮捕された時、残りの弟子はみな逃げ去り、そのあと様子をうかがいに来たペトロは、自分はイエスを知らないと言って3度も否認してしまいました。これに対し、女性たちは最後までイエス様につき従ってご最期を見届けたので、よけいに弟子たちのふがいなさが印象づけられるというものです。

主イエスが亡くなられてちょうど三日目、弟子たちは多少の出入りがあったとしてもだいたい一箇所にまとまっていたものと思われます。その日の夜明けにマグダラのマリアがイエス様を葬ったお墓に出かけましたが、ご遺体がないと言うので、ペトロとヨハネが走って行きましたが、やはりご遺体がなく、戻ってきました。そのあとマグダラのマリアがもう一度やってきて、「わたしは主を見ました」と告げたのですが、弟子たちがその証言を信じることが出来たとは思えません。

この日に起こったことを他の福音書も参照して、正確に再現することを試みてみます。ルカ福音書には有名な「エマオのキリスト」の話が載っています。二人の弟子がエルサレムからエマオに向かっていて、その内の一人がクレオパという12弟子以外の弟子です。二人はエマオの旅館で自分たちが復活されたイエス様に会ったのだとわかると、すぐに引き返して、エルサレムの弟子たちのところに戻りました。従って、今日のお話の登場人物の中にこの二人がいたと思います。…ルカ福音書には二人が戻ると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活してペトロに現れたと言っていたと書いてあります。そこで私は、それならば、弟子たちは復活されたイエス様の出現をわくわくしながら待っていても良いと思ったのですが、実際にはそうではありませんでした。…ヨハネ福音書は弟子たちがユダヤ人を恐れていたと書いています。ルカ福音書は、弟子たちが復活したイエス様を亡霊だと思って恐れおののいたことが書いてありました。…こんな一日があったとは、と思います。朝から信じられないようなことが次から次に起こって、みんな大混乱していたことだけは確かです。

そこでヨハネ福音書の本文に戻ります。弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。原文では家の戸は複数形になっているので、家じゅうのすべての戸に鍵をかけたことになります。

弟子たちはユダヤ人を恐れていました。自分たちもユダヤ人なので変なのですが、ヨハネ福音書では何度か見られる表現で、やがて起こるキリスト教会とユダヤ人の厳しい対立を予告しているかのようです。…弟子たちがユダヤ人を恐れた理由は、ユダヤ人は策略を弄してイエス様を殺したが、それだけでは満足せず、今度はわれわれを襲撃してくるだろう、ということにありました。実際には、そんな危険はなかったのですが。

この時の弟子たちの心の中にあった思いをさらに探ってみましょう。イエス様が十字架にかけられて亡くなられたのは、彼らにとってたいへんな衝撃であり、悲しみ、苦しみでありました。イエス様でさえ死に打ち勝つことが出来なかったとすれば、すべてがおしまいなのです。そして、そのことを思う時、自分たちは先生を見捨てて逃げてしまったのだということが突き付けられます。…さらに、自分たちはこれからどうしたら良いのか、ということがありました。イエス様をメシアと信じて、これまで懸命に従ってきたことはいったい何だったのか、こうなってしまった以上、自分たちの人生にもう何も残っていないではないか……。

このような弟子たちに、マグダラのマリアなどからイエス様復活の報せが寄せられましたが、それは彼らの心を動かすものではありませんでした。死んだ人間がたとえイエス様であっても、復活するなんてありえないと思っていたからです。すると、そこにイエス様が現れて弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ、また手とわき腹とを見せて下さいました。ヨハネ福音書はその時の弟子たちについて「主を見て喜んだ」とだけ書いていますが、そこにいたる過程を詳しく見て行きましょう。

この場面をルカによる福音書ではこう書いています。
 「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。『なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。』こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」(ルカ24:36~43)。

 ここに書いてあるように、復活された主イエスを目にした弟子たちはすぐに喜んだのではありません。恐れ、おののき、亡霊を見ているのだと思ったのです。ただそれにしても、なぜこれほ

ではイエス様の方では、恨みつらみを述べるために現れたのでしょうか。そうではありませんね。「お前たち、なんで私を裏切ったのか」とも、「恨めしや」とも言われません。そうではなくて「あなたがたに平和があるように」と言われたことが重要なのです。これは原文ではシャロームという言葉で、今では挨拶の言葉にもなっていますが、イエス様の言葉はただの挨拶ではありません。そこに、弟子たちの上に平和があることを願う思いがあることは確かですが、単なる願望の表現とは言えません。イエス様は罪と死に打ち勝ったお方です。このイエス様が言われる時、そこには本当の、確かな平和があり、それが現実となっているのです。

弟子たちは、復活されたイエス様を認め、その言葉を受け取ったことで、死が打ち破られるという驚天動地のことが本当に起こったことを知りました。また、それに劣らず驚くべきことは、イエス様が自分たちの裏切りの罪を赦して下さったということで、ここに神の愛とまことの平和を見出しました。だから、喜んだのです。ここには「弟子たちは、主を見て喜んだ」ということで想像される以上のことがあったのです。

 

復活されたイエス様に会うまでの弟子たちは、身の危険を感じてふるえており、これにイエス様の死による衝撃や、彼ら自身の人生の挫折もあって、もうどこにも行き場がないような閉塞状況の中にありました。イエス様の復活の知らせを聞いても心が動かされない、これは心が死んでいた状態と言えましょう。しかし、イエス様との再びの出会いが、彼らの死んだ心をよみがえらせました。イエス様はそんな彼らに聖霊を吹きかけ、新たな任務を与えられました。…私は、この時の弟子たちの思いを表現する言葉を紡ぎ出すことが出来ませんが、一つ言えるのは、そこにこそ本当の平和があったということです。平和というのは、単に戦争がない状態を言うのではありません。死を超える力を持つ神が自分の神であり、この神が自分の罪を赦して下さり、それを心から感謝し、賛美して受け入れるところにあるのです。

どまでに怖がらなければならないのでしょう。相手が幽霊であっても、その人と生前親密な仲であれば、これほどには怖がらないはずで、「よく来ましたね」なんてところで終わるはずです。

…弟子たちは心にやましいところがあったから、恐れたのです。イエス様を裏切っていたからです。

皆さんは、いまここで記念している召天者が生きておられた時、この方たちとどのような交わりがあり、どのような関係を結んでいたでしょうか。…これは仮定の話ですが、Aさんは召天者のBさんが生きていた時、とても悪い関係にありました。だからAさんはBさんのことを思い出したくない、かりにBさんが幽霊となって出てきて、恨みつらみを言われることを想像すると恐ろしくてしかたがないかもしれません。

しかし、今ここで記念している召天者の方々と私たちが、そんな関係でないことを神様に感謝します。この召天者の方々はいま天において、神様が与えて下さる平和の中におられます。そして私たちは、この方々に与えられたのと同じ平和がイエス様のもとから差し出されていることを知って、喜ぶのです。

私たちが召天者の方々のことを思う時、死んで復活され、まことの平和を与えて下さった主イエスがこの方々の人生を、天にまで導かれたことを知ります。そのことを思う時、残された私たちに与えられたまことの平和がますます確かなものとなるように、と願うのです。

 

(祈り)

 すべての命の源である主イエス・キリストの父なる神様。いま、弟子たちの前に現れた復活されたイエス様のお話を通し、私たちの愛する召天者の方々に与えられた神様の恵みを思って感謝いたします。召天者の方々が私たちの目の前から取り去られたことは、本当につらいことでありましたが、この方たちが死において何の望みも持たない人たちではなく、イエス様が与えて下さる平和の内にあったことを思い、悲しみの中にも心が明るくなるのを覚えます。どうか私たちの心に、召天者たちが聞くことの出来た神様のみ声を聞かせて下さい。この人々にならって、死においてもとぎれることのない命を生きる者とさせて下さい。そのためにも、神様からいただく平和がいつもこの教会で語りつがれてゆきますように、またそれを私たちが大切に育んで行くことが出来るように、確かなお導きをお願いいたします。

召天者のご遺族とそれに連なる人々を特にかえりみ、慰めと励ましを与えて下さい。

この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン

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詩編22:28~30、ヨハネ20:1~2、11~18

                               2018.4.8

 私たち命あるものは、今どれほど元気であっても、遅かれ早かれ死を迎えることになります。地上での生涯は死によって幕を閉じる、この、どんなに避けようとしても避けようのないことが、私たちに地上の命の限界を有無を言わせず突きつけています。死という絶対的な力を前にして、人間、なすすべがない、たとえイエス様であっても同じだ、と誰もが思っていました。こういう人間たちに対して、聖書は何を教えているでしょうか。マグダラのマリアを通して、考えてゆくことにいたしましょう。

 

 マグダラのマリアは謎の多い女性で、後世、いろいろなことが言われています。たとえば大ヒットした小説「ダヴィンチ・コード」では、マグダラのマリアをカトリック教会の陰謀によって不当に貶められた女性だと書いていました。彼女をめぐる話題には事欠きませんが、興味本位にあれこれ調べたところで実りがあるようには思いません。

 マグダラというのは地名で、ガリラヤ湖近辺の村のようです。彼女が主イエスに従うことになったきっかけが何だったかということが、ルカ福音書8章1節から書いてあるので、読んでみます。

 「すぐそののち、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

 マグダラのマリアについて、七つの悪霊を追い出していただいたと書いてありますが、聖書にはそれ以上の説明はありません。この話のすぐ前に、罪深い女が主イエスのもとに来て、泣きながら香油を塗った話があり、この罪深い女こそマグダラのマリアだと考えた人がいて、そこから彼女が娼婦だったという話が出て来ました。しかし、この話とマリアを結びつけるのには無理があります。主イエスが娼婦を救って弟子としても少しもおかしくはないのですが、マグダラのマリアがそうだったという話には根拠がありません。

 それでは、七つの悪霊を追い出していただいたとは何なのか、…たいへんに重い精神的な病気だったのかもしれません。マリアの前半生には私たちの想像もつかないようなことがあるのでしょう。主イエスに救われるまで彼女はサタンの支配下にあったのです。

マリアにとって、主イエスに出会う前の悲惨な状態と、救われたあとの恵まれた生活は、天と地ほど、いや天と地獄ほどに違っていたのです。彼女の喜びはどれほど大きなものだったでしょうか。…私たちの中に、彼女の言い尽くせないほどの喜びと、自分の体験した喜びを重ね合わせる人もいることと思います。

 マリアはイエス様によって与えられた新しい人生を、イエス様のために用いようという決意をもって、イエス様に従って行きました。主イエスの一行は、主イエスを筆頭に、男の弟子たちと婦人たちとで構成されており、婦人たちは自分の持ち物を出し合って一行に奉仕しました。その奉仕の中身については料理や洗濯をしていたと見なされることが多いのですが、それだけに限ってしまい、だから女性はそういうことだけしていれば良いとなると問題発言になってしまいます。聖書に書いてないのでわかりませんが、婦人たちは実際に伝道の仕事をしたかもしれません。…いずれにせよ婦人たちの名前の最初にマグダラのマリアが載っているということは、彼女が婦人たちの間でリーダーだったからだと思われます。

 

 主イエスに従った婦人たちは、ゴルゴダの丘に引かれ行く主イエスのあとに泣きながらついてきて、十字架上のご最期を見届け、ご遺体が墓におさめられるところまで立ち会いました。

 主イエスが亡くなられたのが金曜日、次の土曜日が安息日です。3日目の日曜日、マグダラのマリアは夜明けを待ちかねたようにイエス様のお墓に出かけて行きました。当時の墓は、竪穴に墓石で封をしたようなものでしたが、驚いたことに墓石は取りのけられ、ご遺体はなくなっていました。マリアが急いで戻ってそのことを告げると、ペトロとヨハネが墓まで走って行って確かめますが、やはりご遺体のありかはわかりません。ペトロたちは帰ってしまい、マリアは墓の外に立って泣いていました。

 マリアにとって、自分を闇の中から光の世界へと連れ出して下さったイエス様がすべてであったのです。イエス様に仕えることこそ生きがいだったのです。それが十字架の死によって奪い取られてしまいました。…そのことの衝撃は語り尽くせないものがありますが、こうなってしまった以上、残された道は限られています。15節の「わたしが、あの方を引き取ります」という言葉が示しているように、マリアとしてはせめてものこと、イエス様のご遺体に丁寧に油を塗って正式に墓に納め、イエス様に対する誠意を示したいと願っていたのです。

 マリアは思ったのです。イエス様の死によって自分の一生は終わってしまった、この先、自分には何の喜びも希望もない。…そこで、これからどうやって人生を過ごそうかということになるのですが、仏教の言葉で言うなら、イエス様の菩提を弔いたいと願ったのです。…ところが、そのご遺体さえなくなってしまいました。マリアはいったいどうして良いかわからなくなってしまったのです。

 マリアは身をかがめて墓の中をのぞきこみます。墓は死と滅びが支配している領域です。マリアはそこにご遺体があると思って、探し求めました。彼女自身、死の世界に魅入られているかのようです。

 するとそこに二人の天使がいて言いました。「婦人よ、なぜ泣いているのか」。これは、泣くようなことはないですよということなんです。…天使はこう言いたいのだと思います。あなたはイエス様を見失っています。それも、ただ見失っただけではありません。あなたはイエス様がだれであるか、どういう方であるか、なんにも気づいていないではありませんか……。

 マリアは天使に、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と答えます。これはとんちんかんな答えでした。というのは、その言葉は、遺体が見つからないだけじゃなく、イエス様がどういうお方であるか、マリアがわかっていないことを示しているからですが、…その時、主イエスご自身が彼女のうしろに立っていました。…人間は墓穴の中にイエス様を探そうとしますが、そこには見つかりません。イエス様を見ても、それがイエス様であるとはなかなか気がつきません。マリアは初め、主イエスを墓苑を管理する人だと思っていたのです。マリアがなぜ、目の前にいるのがイエス様だと気がつかなかったのか、不思議ですが、復活されたイエス様は生前とは違うお姿で人間に出会われるのです。

 主イエスは、先ほどの天使と同じ言葉をかけられます。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを探しているのか」。人間の常識では、イエス様の十字架の死は敗北の死にすぎません。イエス様が生前、死刑にあたるようなことは何もせず、十字架刑が冤罪であることが明らかだとしても、死刑を執行されてしまえばもうどうしようもありません。すべてが終わってしまったのです。

 しかしそのような常識は、主イエスご自身によってくつがえされます。イエス様はマリアが立っている位置、見ている方向が全く誤りであることを教えられるのです。主イエスが「マリア」と呼びかけたことで、マリアははじめて目の前に立っているお方が誰なのかを悟りました。復活された主イエスに呼びかけられることで心の目が開いのです。

 墓穴を見ていたマリアが後ろを振り向くとイエス様が見えたがイエス様とは気がつかなかった、「マリア」と呼びかけられると彼女はイエス様と向かい合っていたはずなのに振り向いて「ラボニ」と言った、…これでは180度と180度で360度、また元に戻ったようで変なのですが、ここから象徴的な意味を読み取って下さい。…すなわち、マリアが墓穴や死の世界にイエス様を探し求めていた時、イエス様は見つかりません。イエス様はこれとは正反対の命の領域、神が神である世界におられたからです。従って、マリアが死の世界から振り向いて命の世界に目を向けた時、イエス様をイエス様として見ることが出来たということなのです。

 

 復活の出来事はまず主イエスご自身の中に起こりました。イエス様の死は、すべての人々の罪のための身代わりの死であって、その死によって神と神にそむく人間たちとの間に和解が成立しました。これは全く驚くべきことなのです。従ってイエス様の死は、そのまま墓の中で朽ち果てる敗北の死ではなく、神はそのことを、イエス様を復活させることによって世界に示されました。

 イエス様の復活を知ったマリアは喜びのあまり、イエス様にすがりつこうとしたのでしょう。イエス様から「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われてしまいます。ここは口語訳聖書では「わたしにさわってはいけない」となってますが、誤訳といえます。さわってはいけないであれば、イエス様がその後、弟子のトマスに対して「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」と言われたことと矛盾してしまいます。マリアにはさわるな、トマスにはさわりなさい、では公平を欠くというものです。マリアは「すがりつくのはよしなさい」と言われたのです。その理由は「まだ父のもとへ上っていないのだから」というところにあります。 主イエスはマリアに、自分はこれから天に上っていくのだから、すがりつくな、引き留めるなと言ったようです。…そこで思い出して頂きたいのですが、先週の説教でガリラヤの山でイエス様が弟子たちと会ったことを学びました。あの時イエス様は言われましたね「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と。復活された主イエスが地上におられたまま天と地の一切の機能を授かるということは考えられず、これはすでに天に昇られたあとのような言い方ですね。

…こういうことを総合的に考えると、イエス様は復活されてから40日目に昇天されるまでの間に、天に昇られ、また降りて来られたのではないかと思われます。まことに不思議なことで、私も先週気がついたばかりなのですが、こういうことがあるということをお知らせしておきます。

 復活された主イエスは言われます。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。」

 死に打ち勝って復活された主イエスはこれから神がおられる天に上られる、マリアにはそのことの意味がわからなかったかもしれませんが、それが世界の歴史を変える空前絶後のことであり、死というサタンの最後の砦が打ち倒されたを見たことでしょう。マリアはこの喜びのしらせをたずさえて、弟子たちのところに向かい、「わたしは主を見ました」と告げたのです。

 それまで人間は死ということの前に、ふるえるばかりでした。しかし、主イエスが一度は死んだものの復活なさったことで死が打ち破られました。それは、死に定められていた人生がそうではなくなり、命へ向かうものとなったということです。神がなさったことの中でも最も驚くべき、また偉大な出来事、そのことの歴史上最初の証言者となったのがマグダラのマリアなのです。

 

(祈り)

 主イエスを信じる者を心に留め、永遠の命に至る門を開いて下さった神様。今み言葉を受け取って、これまで、まるでイエス様の復活などなかったかのようにあきらめの内に過ごしていた心が私たちの中にあったことを知り、み前にざんげいたします。私たちの中には悩み苦しみが多く、心が折れそうになることもたびたびあるのですが、しかしそんな時であっても、私たちは死と滅びに向かう道ではなく、命に通じる道を歩いています。このことをまず心に刻ませて下さい。

 神様はマグダラのマリアがもっとも大切に思っていたイエス様を死と滅びの中に捨ておかずに復活させられ、マリアに、かつてイエス様と共に過ごしていた日々をさらに上回る喜びを与えて下さいました。イエス様のご復活こそ、私たちの信仰の根幹とならなければなりません。神様、どうか私たちのひからびた信仰を命の水をもってうるおし、死を超える命への希望に生きる者として下さい。とうとき主イエスのみ名によって、この祈りをおささげします。アーメン。

いつもあなたがたと共に youtube

イースター家族礼拝

マタイ28:16~20  2018.4.1

 

 今日はイースター、日曜学校の子どもたちはイースターがどんな日だか知っていますか。そうです、私たちの救い主イエス様が復活された大切な日です。

 

 イエス様が十字架につけられて死んでしまわれたことは、大変な出来事でした。それまでイエス様のそばにいた弟子たちや女の人たちにとって、イエス様が亡くなられてしまったことは、これ以上悲しいことはなく、また大変衝撃的なことでありました。それまでみんな、イエス様に望みをかけていました。イエス様がおられたから生きてこれたのです。そのイエス様がいなくなってしまった世界には、なんの喜びも楽しみもありません。

 ところがイエス様が亡くなられからちょうど三日目の日に、信じられないことが起こりました。弟子たちが集まっているところに女の人たちが息せき切ってかけこんできて、「イエス様はよみがえられました」と言うのです。…その日の朝、この女の人たちはイエス様のお墓に行ったのです。するとお墓は空になっていて、イエス様のご遺体はありません。そうして戻ってくる途中、生きているイエス様ご本人に会ったのです。この時、イエス様は言われました。「怖がらなくていいんです。弟子たちにガリラヤに行くように伝えなさい。」

 こんなことってあるでしょうか。話を聞いた弟子たちは信じられません。それもそのはず、世界の歴史の中でそれまで、死んだ人がよみがえったなんてことは一度も起こらなかったのですから。皆さんだって、まさかそんなことがって思うでしょう。

 でもイエス様は本当によみがえられました、復活されたのです。

 イエス様は、そのあと弟子たちの前に何度も現れました。みんな、自分の目でイエス様が本当に生きておられるのを見たのです。それは、魂が揺り動かされるような体験でした。その中のひとつのお話が、いま聖書で読んだところです。

 イエス様は復活されたその日、女の人たちを通して弟子たちにガリラヤに行くようにと言われましたが、弟子たちはその言葉通り、ガリラヤに向かいました。そして山に登ると、イエス様が現れました。みんなひれ伏してイエス様を拝みました。…いまそこにおられるイエス様こそ神様であり、救い主であられます。私たちが、自分の持っているすべてを捧げても足りないお方です。

…ところが聖書は、イエス様を拝みながら、疑っている弟子たちがいたことを書いているのです。…「これは本当に十字架につけられて死んだイエス様なのか。おれたちは夢でも見てるんじゃないか」と思ったのです。イエス様が十字架につけられて以来、あまりに不思議なことばかり起こるので、自分が見ていることが本当なのか、それとも夢まぼろしなのか、わからなくなってしまったのです。

 イエス様の弟子であっても何が本当なのかわからない、イエス様の復活はそれほどに不思議な、信じられないようなことだったのです。…けれどもイエス様が近くまで寄って来られた時、おれたちは夢でも見ているんじゃないかと疑っていた弟子たちも、これは夢じゃない、本当にイエス様であると信じたのです。…その理由は聖書に書いてありません。だから想像するほかないのですが、先生は、天の父なる神様が一人ひとりの弟子たちの心に、この方が確かにイエス様なのだということを示してくれたからだと思っています。

 

 こうしてイエス様は、死んで甦った方として弟子たちに命令されます。「わたしは父なる神様から、宇宙と世界のすべてを治めることを許されました。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。そうして洗礼を授けなさい」と。    

 イエス様は世界の王であられます。いま世界にはトランプとかプーチンとか習近平とか安倍晋三など、力を持った人たちがいますが、この人たちが束になっても、足元にも及ばないのがイエス様で、このイエス様が弟子たちに、世界中に出て行ってすべての人をわたしの弟子にしなさい、どこにでも出かけてすべての人がイエス様を信じるようにしなさい、とおっしゃったのです。

 イエス様が言われたことは、途方もないことでした。だから弟子たちは一瞬、「イエス様、そんなことを言われても、たった11人の私たちで何が出来るんですか」と思ったかもしれません。でも大丈夫です。イエス様は最後に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言って下さったのです。

 皆さんは、心の中であきらめていることがありますか。自分はあれも出来ない、これも出来ない、どうせなるようにならない、と思っていることがないでしょうか。それはイエス様の弟子たちだって同じです。人間、逆立ちしたって出来ないことがたくさんあります。

そうしたことの中でも最大のことが、人間は死に打ち勝ことは出来ないということです。

 しかし、これは間違いです。イエス様は十字架につけられ死んでしまったのに復活なさいました。神様は死よりも強い、このことを全世界に見せて下さったのです。イエス様こそ勝利者です。チャンピオンです。このイエス様が弟子たちを世界に派遣して、すべての人がご自分を信じて洗礼を受けるように力を尽くしなさいと命じられました。それはすべての人の中にある、神様にそむく心が退治されて、この世で生きている時はもちろん、この世にさよならしたあとも神様のもとで永遠に生きるようになるためです。

 

 イエス様の命令を受けて、11人の弟子たちは世界に出て行きました。その弟子たちがいなくなったあと、弟子たちの弟子たちがあとを継ぎました。そうしてイエス様を信じる人を世界中に起こし、教会を建てて行ったのです。その中に、広島長束教会があり、皆さんがいます。

 復活されたイエス様は今ここにいる皆さんにも言って下さいます。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのです、と。

 十字架をもってしても打倒すことが出来なかった、命満ちあふれるイエス様の恵みが皆さん一人ひとりにありますようにと願います。

 

(祈り)

 天の父なる神様。今日私たちがこのイースターの礼拝に集められ、神様を礼拝している恵みを心から感謝します。

 イエス様は本当に復活なさいました。十字架にかけられて死んでしまわれたのに、復活されたのです。死をも打ちやぶったイエス様は、私たちにもある、疑いの心やあきらめや絶望を吹き飛ばします。私たちは神様以外に、恐れるべきものは何もないことを思い、神様を賛美いたします。有難うございます。神様、どうか私たちを、復活されたイエス様を信じる者にして下さい。イエス様がよみがえられたことをもって、私たちに生きる望みを与え、弱い心と体を強くして下さい。こうして私たちみんなが、明るく幸せな、いのちの道を歩むことが出来ますように。また教会の外にいる多くの人たちにも、死を超える希望があることを示して下さるようにと願います。

 いまここに出席している子供たちのために祈ります。みな、神様の大切な子供たちです。どうかこの子供たちが神様の御守りの中、死をも超える神様の愛によって導かれ、すこやかに成長していくようお願いいたします。

とうときイエス様のお名前によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

永遠の命を得るために 山本伝道師

​民数記21:4~9 ヨハネ3:13~21 youtube

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。ヨハネによる福音書の3章16節に記されたこの御言葉は、聖書の中でも特に大切な言葉という意味で「黄金の聖句」(ゴールデン・テキスト)と呼ばれています。皆さんの中にも、これを暗唱聖句として覚えていらっしゃる方も多いでしょうし、書いた物を額に入れて飾っているという方もおられるかも知れません。宗教改革者マルティン・ルターはこれを「福音のミニチュア」と呼びました。聖書全体の福音を凝縮した言葉だという訳です。その聖句を含みます13節から21節までを今朝こうして皆さんと御一緒にお読み出来ます幸いを主に感謝致します。ただし、私たちにはこれに聞き飽きて、陳腐な言葉だと思い込んでしまう危険があります。信仰の初歩の段階では重要だけれども、成長すればもうそれは卒業して、もっと難しい、別の聖句に進んだ方が良いなどと思ってしまうのです。しかし、ルターはこの箇所から何度も説教をしました。私たちも、分かっているふりをしないで、また新たにこの黄金の聖句から福音を聴き取り、事ある毎に自分自身に説き聞かせ、日々心に刻んで、何度でも慰めと喜びを与えられたいと思います。では今日も聖書の御言葉に耳を傾けましょう。

3章13節から21節までは、1節から始まる対話に続いています。それは主イエスと、主の許に来たユダヤの指導者の一人、ニコデモとの対話です。主イエスは彼に「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と仰います。「新たに生まれる」とは上から、天から、神によって生まれる、霊によって生まれることであり、単に人生をやり直すという意味ではありません。けれどもニコデモはそれが理解できず、話し合いはすれ違いに終わります。その後、いつの間にかニコデモは消え去り、主イエスの独り語りが始まります。ではその聞き手は一体誰なのでしょうか。それは勿論、この福音書の読者である私たちです。ニコデモと主イエスとの対話は、私たちを主イエスとの対話に招き入れます。福音をなかなか受け入れられないニコデモの立場に身を置いて、私たちも主の教えに耳を傾けるのです。

主イエスがエルサレムで所謂「宮清め」をなさったことが2章にかかれていますが、その時ユダヤの指導者たちは主イエスに「しるし」を見せるよう要求しました。「しるし」とは、ヨハネによる福音書では奇跡を意味していますが、ユダヤ人にとっては信じるための保証であり、主を信じる私たちにとっては啓示の御業、神が私たちに真理をお示しになることです。2章23節以下では、その「しるし」を見た多くの人が信じたけれども、主イエス御自身は彼らを信用なさらなかったということが書かれています。私たちは奇跡を否定すべきではありません。しかし、私たちが信じるべき真の奇跡は、主イエス御自身です。天から降り、十字架にかかることによって天へと挙げられた人の子こそ、本当の「しるし」です。 3章13節にこう書かれています。「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない」。面白いことに「天に上った」と書かれています。「天に上るであろう」ではないのです。

すなわちこれは、主の復活以後の視点で見られているのです。私たちは復活を通してのみ、啓示された真理を悟ることが出来ます。十字架と復活という「しるし」を見るまでは、何も理解できないのです。

十字架と復活のキリストを見ることが生まれ変わりを可能にします。

「新しく生まれる」ということは、決して敬虔な行いや感情の問題ではなく、信仰の事柄です。父なる神と共におられる主イエスが地上に降って人となられ、十字架にかけられて天上に上り給うことを告げる御言葉を聞き、それを信じることだけが、私たちを生まれ変わらせます。

主イエスを復活させ、天に引き上げてくださった父なる神が、私たちをも御国へ至らせてくださいます。

主イエスを死人の中から立ち上がらせてくださった方が、私たちを甦らせ、新たな命に生かしてくださいます。天上の事柄だけが、私たちの信仰の根拠なのです。  

主イエスが御自分を「人の子」と言われるのは、これで二度目です。この福音書で最初に「人の子」という言葉が現れるのは1章の最後です。そこで主イエスはこう仰います。「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」。これは創世記に登場する族長ヤコブが逃亡の最中に見た夢に由来する御言葉ですが、主イエスはここで天と地を繋ぐ梯子になっておられます。人の子は天地を行き来して、その間に橋をかけています。主イエスは天から降って来られたからこそ、天上のことをよくご存じなのです。父なる神の御許から地上においでになったからこそ、御子は御父の御心を全て知っておられるのです。私たちはこの御方に聴き従わねばなりません。自分たちは神をよく知っている、御言葉に聴き従っていると思い込んでいた人たちは、この御言葉に躓きました。主イエスは「天に上った者はだれもいない」と仰いますが、本当でしょうか。他にも天に上った人がいるのではないでしょうか。ユダヤ人はモーセこそ高みに上って天上の知識を受けた人であると信じていました。モーセはシナイ山に登り、神の戒めを授かって下りて来ましたので、ユダヤ人は彼が神から特別な地位を与えられたのだと信じていましたけれども、主イエスはそのように誤解している人々に対して、このようにお教えになります。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」。これは、先ほど読んでいただきました民数記21章に記された、イスラエルの民の故事に由来する御言葉です。民が罪を犯した際、神から蛇が遣わされ、罪を犯した者を噛んだため、人々は耐えきれずに自分の罪を認めます。その時神は、青銅の蛇を旗竿の先に掲げて人々に見せるよう、モーセに仰せになります。蛇は民を裁くものであると共に、生かす力を持つものとなりました。裁きのしるしであった蛇は、悔改めた者がこれを仰ぎ見た時、逆に命をもたらすものとなったのです。言うまでもなくこれは十字架の主イエス・キリストを表しています。

「人の子も上げられねばならない」と主は仰います。「ねばならない」とは、そうする義務があるというのではなく、神がお定めになった御計画の通りである、という意味です。私たちの救いのために、神の御子は人の子として私たちの罪を背負い、十字架の上に掲げられねばならない。それが父なる神の御心であり、主イエスが死なれることは神のお望みになったことなのです。ですからそれは決して敗北ではありません。人の目にはただ屈辱的な出来事である十字架こそ、主の勝利であり栄光なのです。私たちはこの御業によって滅びを免れ、新しい命を与えられました。それは永遠の命です。永遠の命と言っても、地上のこの命が限りなく続くということではありません。ただいつまでも生きているのではなく、永遠なる御方と共に生きることです。神の無限の御臨在の中で、神の子としての命が与えられるのです。この福音書の1章13節には、主を信じる人々について「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」と書かれています。そのように、神によって生まれることが永遠の命を得るということです。「命を得る」と訳されていますが、原文では「命を持つ」となっています。しかも現在形で書かれています。つまり、永遠の命は私たちが獲得するものではなく与えられるものであり、未来まで待ってようやく受け取られるものではなく、私たちの中に今始まっているものなのです。そうです。信じる者は永遠の命を今既に持っているのです。

 16節以下では更に、永遠の命をお与えになる神の御業の奥義について詳しく語られています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。最初に、この御言葉は大変よく知られているとても大切な聖句であると申しました。

これはまさに福音の真理の素晴らしい要約です。この一節に、キリストの教えの本質が示されています。けれども、果たして私たちはそれをよく理解しているでしょうか。もし私たちがこの聖句の告げる福音を十分に理解し、悟っているのであれば、荒れ野で主の民が不平不満を呟いたようなことはしないはずです。しかし、私たちは日頃、病気になれば「神さまは私のことがお嫌いなんだ」と言い、仕事や人間関係で挫折を味わえば「神など信じても何の役にも立たない」とまでは言わなくても、他人を恨んだり自分を責めたりするばかりで、神が私たちに解決の道を備えてくださっていることを信じず、神の深い愛を見ようとしません。でも皆さん、そのように神の愛を見失っている私たちの不信仰が明らかになるまさにそのところで、神の愛が見えて来るのです。それが十字架です。神の御子を十字架にかけて殺すという恐ろしい罪を私たち人間は犯しました。しかし神はその罪すらもお赦しくださり、私たちに御子のお命、すなわち父なる神と共に生きる命をお与えになり、それによって私たちに愛をお示しくださいました。「永遠の命」とは、単に死なないというだけでなく、永遠の滅びを免れているということです。そのことが起きるのは、私たちが滅びないようにという神の愛ゆえです。「一人も滅びない」ことを神はお望みです。「滅びる」と訳されている言葉は「失われる」とも訳されます。主イエスは、失われた者が取り戻されることについての譬え話を幾つもお語りになりました。百匹の羊の内の一匹が迷子になった時、羊飼いは必死で探し出しました。放蕩息子の父は帰ってきた息子を見て喜び祝いました。神はそのように、私たちを失いたくないとお思いになり、私たちを取り戻すために、御子の命を与えてくださいました。「永遠の命」とは父なる神の懐に抱かれて生きることです。神の懐を飛び出して失われた私たちが、一人残らず立ち帰ることを神はお望みです。信じる者が皆、一人も滅びないで救われることが神の御心です。私の敵、憎らしいあの人のためにすら、御子は死なれました。そして、神の敵であったこの私のためにも主は死んでくださったのです。この福音書の12章で、主イエスは弟子たちにこう約束しておられます。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」。ですから、御子を信じる私たちは全て、漏れなく、今これを聞いておられるあなたも皆、永遠の命の賜物によって変えられ、新しくされるのです。愛する独り子の尊いお命を私たちに与えてくださった、それほどまでに深く、強く、この世を愛して、愛し抜いてくださった、その父なる神の愛は、御子イエス・キリストの十字架に示されているのです。第一ヨハネ(ヨハネの手紙一)4章にはこのように書かれています。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました」。また5章にはこのように書かれています。「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです」。さらにヨハネは、福音書を書いた目的をこう記しています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」。そうです。キリストを信じることは、主イエスが神の御子であり、父なる神はその御子を賜物としてお与えになったほどにこの世を愛してくださった、その愛を信じることです。私たちは愛されています。御子の命をお与えになるほどに愛してくださる神は、私たちがその賜物を受け取ることを求めておられます。それを受け入れるなら、その人は永遠の命を受けるでしょう。

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と17節に書かれています。あの蛇が、誠実でないイスラエルの民を裁くものであったと同時に、それを見上げる者を生かす力を持っていたように、本来滅ぶべきであった私たちは御子によって裁きを免れ、新しく造り替えられて生きるのです。そうして神に敵対していたこの世が救われるのです。そのことは遠い将来に起こるのであって、私たちはそれを待ち続けるしかないのでしょうか。そうではありません。

「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」と18節に書かれています。ですから皆さん、今、あなたが信じるなら、今、救われます。今、信じていない者は、信じていないことでもう今、裁かれているのです。「裁く」と訳されている言葉には元々「分ける・選ぶ」という意味があります。神は、私たちに御子をお与えになった時、私たちを区別なさいませんでした。人間を選り分けて、正しい行いに励んでいる者だけにキリストの十字架をお示しくださったのではなく、御心を思わない私たちをも、お見捨てにはなりませんでした。ところが、人々はそれを知らず、御子を選びませんでした。独り子を信じないことによって自らに裁きを招いたのです。それは主イエスを十字架で処刑した者たちだけではありません。弟子たちもまた、主を裁き、捨てたのです。神が御子をお遣わしになることによって、世は神に敵対し、闇となったのです。神が世を愛して主イエスが救い主となったからこそ、この世は主イエスを憎み、退けたのです。

 そのことは19~21節で更に語られます。「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それがもう、裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」。人が光を退けるのは、光よりも闇を、つまり自分自身を愛しているからです。信仰は光を求め、罪は光を避けます。それはあのエデンの園でアダムが神の顔を避けて身を隠したのと同じです。人は光が来たという奇跡によって生きようとせず、自分で生きようとしています。それが聖書の言う悪い行いなのです。世に対する神の裁きは、御子キリストがこの世に来られた時に開始されました。そしてそれは現在進行中なのです。神が御子を世に遣わされた時、決定的な決断の機会が与えられました。私たちはそれぞれ、差し出された救いの申し出を受けるかどうか、決めなくてはなりません。神さまはこの世を愛してくださった、では私たちはどうするか。光を憎み、闇を愛するのか。それとも光に向かって歩み出すのか。自分の行いはどうせ咎められるに違いないと考えて、光の方に来ないなら、裁きをその身に招きます。裁きと不信仰とは同じなのです。

しかし、「真理を行う者」、すなわち御子を信じる者、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われ、また「恵みと真理はイエス・キリストを通して与えられた」と言われる主イエスを信じる者の行いは、神に導かれてなされたことが明らかにされます。「その行いが神に導かれてなされた」という文を直訳しますと、「神の中でその行いがなされた」となります。キリストを信じる者は自分の中ではなく神の中に生きています。だからこそその行いは光に照らされるのです。そして最早裁きを恐れる必要はありません!信仰によって義とされているからです。私たちも悪に打ち勝って正しい者とされるのです。ガラテヤ書(ガラテヤの信徒への手紙)の冒頭にこう書かれています。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」。また、この福音書の冒頭に書かれていますように、「光は闇の中で輝いて」います。そして光は闇に打ち勝ちました。この世の闇の中に、暗く閉ざされた私たちの心の中に、光が射し込んでいます。それこそが私たちを変えるのです。私たちが新しく生まれ変わるのは、私たちが個人的に心を入れ替えて、人格を変えるのではなく、神に導かれて、神の愛による賜物を受け取るということです。これは決して難しいことではありません。ただ信じて、受け入れるだけなのです。神さまが是非あなたにこの贈り物を受け取ってほしいとおっしゃる御言葉に、お応えすれば良いのです。差し出された御手にただ縋り付くだけで良いのです。それは二度目の人生を始めるということではなく、この私の存在そのものが、上から、天から、天の父なる神の御力によって霊から、新しく誕生することなのです。第二コリント(コリントの信徒への手紙)5章にはこう書かれています。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」。天から降って来られ、また天に昇られた方、十字架と復活の主イエス・キリストを見上げて、私たちも新たに生まれさせていただき、神からの賜物である永遠の命に生きる者とならせていただくために、今日も祈りを合わせたいと思います。

本当に、この人は神の子だったyoutube 

 

詩編22:2~3、マルコ15:33~41 2018.3.18

 

 受難節第五主日になりました。私たちが今日与えられたみことばを心に深く受けとめて、本当の意味でイエス・キリストのご受難をしのぶことが出来ますようにと願っています。

 パウロが「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています](Ⅰコリ1:23)と語っているように、キリスト教の信仰の中心がまさに十字架であることは言うまでもありません。しかし、それゆえに、十字架は古来数知れぬ人々をつまずかせてきました。かりに教会が、主イエスがたいへんすごいお方で、素晴らしい話をし、誰にも出来ない奇跡を行ったということばかりで十字架を語らないとしたら、イエス様に引き寄せられることになる人は本当にたくさんいると思うのですが、そんな人々の熱をさましてしまうことになるのが十字架なのです。

 ミニバラ(*広島長束教会の会報)にも書いたことですが、ある教会が子どもたちにイエス様の生涯を描いたスライドを見せた時に、十字架の場面で「うぇっ」という声があったんですね。気持ち悪くなってしまった子供がいたのです。私はそういう反応が出るのは当然だと思いました。…十字架は人間の本性をさかなでします。人間はふつう、こんな残酷なことを見たくないのです。……十字架のことなんか知りたくもない、見たくもない、そういう思いは教会の外の人々ばかりでなく教会の中にも浸透していますが、神様はそれにもかかわらず、十字架が語られ、聞かれることをお望みになっておられるのです。

 いったい十字架を直視出来るのはどんな人たちでしょうか。2000年前のエルサレムにさかのぼって考えてみても、誰もが十字架と向き合っていたわけではないことがわかります。

 十字架を見ていたのは、第一が主イエスに対して悪意を持っていた人たちです。十字架につけろ、十字架につけろと叫び、イエス様が十字架につけられると今度は「十字架から降りて自分を救ってみろ」などと悪意をもってののしった人たちです。そこには群衆とこれに加えて祭司長たち、律法学者たちがいました。祭司長たち、律法学者たちは、イエス様とのっぴきならない対立に陥ってしまったわけですからイエス様をののしったのはある意味、当然だとしても、群衆については、つい数日前までイエス様の話を熱心に聞いていたのが突然これほどまでに豹変してしまったのです。祭司長、律法学者などイエス様の反対派の扇動に乗ってしまったからで、本当に十字架に向き合っていたのかどうか、彼らは自分が何をしているのか知らない状態であったと思われます。

 十字架を見ていた第二の人たちは、主イエスを見守っていた人たちで、マグダラのマリアなど女性たちです。もはや見てられない、…直視するのが耐えられないような状況ではありましたが、イエス様への思いゆえに、最後までイエス様についていった人たちです。

 ではこの時、主イエスの弟子たちはどこにいたのでしょう。そうです。逃げてしまっていたのです。…自分の身が危険だと思ったからですが、そこには、先生のむごたらしい死を見てられなかったということもあったかもしれません。…ヨハネ福音書に、一人の弟子が十字架のイエス様のすぐそばまで来たことが書いてありますが、それ以外の弟子たちについては、どこにいたのか聖書には書いてありません。ということは十字架上のイエス様を見なかったか、あるいは遠くからチラッと見ただけ、ということも考えられます。…この弟子たちのことを考えると、十字架を描いた絵とか映像とかが怖くて見てられないという人がいたとしても、仕方がないことのように思えてきます。人それぞれ違うからです。

 ただ、この人たちとは別に、職務上イエス様の十字架を、最後まで見届けなければならなかった人がいました。それが百人隊長です。この人は総督ピラトの命令を受けて、百人の兵士と共にイエス様の十字架刑を執行しました。私たちは彼を通し、またそのわずかな証言から、十字架の真相に迫ってみることにしましょう。

 

 百人隊長はローマ帝国の軍人であって、異邦人です。もともと、イエス様への信仰はもとより、ユダヤ教の信仰も持っていなかった人のはずです。彼と百人の兵士に与えられた任務は、イエス様と二人の強盗を十字架につけること、そしてユダヤ人がこの件で騒いで暴動になったりしないようにすることでした。

 その日は過越祭の日でした。祭りのたびごとに囚人を一人釈放することになっていたので、ピラトはイエス様を釈放しようとしたのですが、群衆の叫びに押されてそれに屈し、イエス様を十字架につけることにしました。ピラトはイエス様を鞭打ってから、兵士たちに引き渡しました。そのあと兵士たちは、イエス様に紫の服を着せ、茨の冠をかぶらせて侮辱したのですが、それを百人隊長は黙って見ていました、つまり認めていたのです。

 兵士たちはイエス様に十字架を担がせました。いよいよゴルゴダの丘に着くと、イエス様をその十字架につけます。地面に置かれていた十字架に、イエス様を釘で打ちつけ、そのあと十字架を立てたのだと思いますが、兵士たちに命令してその過程を最初から最後まで行っていったのが百人隊長です。

 ゴルゴダの丘の上に3つの十字架が立ちました。

イエス様が真ん中で右と左が強盗です。そこを通りがかった人々、祭司長たち、律法学者たちがかわるがわるイエス様にののしりと侮辱の言葉をかけていきます。百人隊長はその全過程を見ていました。

   

それではここで、百人隊長が目で見て、耳で聞いた主イエスのご最期はどうだったのかということを見てゆきましょう。

主イエスが十字架につけられたのが午前9時、昼の12時になると全地は暗くなり、それが3時まで続きました。そのあと、イエス様は大声で叫ばれることになりますが、皆さんはイエス様は9月から3時まで、いったい何をしていたと思われますか。

主イエスはたたかっておられたのです。私たちが想像もできないような激痛の中で、父なる神に対して絶えず祈りの言葉を注ぎ出しておられたのです。主イエスのたたかいとは、ここに語られた言葉が祈りであることからも明らかなように、祈りのたたかいでありました。6時間、主イエスは祈り続けておられ、そうして死のまぎわになって口から出てきたのが、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉でした。

マタイ福音書には、この言葉は、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と書いてあるので、こちらで記憶している方が多いでしょう。「エロイ、エロイ」というのはイエス様がふだん使われていたアラム語で、「エリ、エリ」というのはへブル語になります。

主イエスが死のまぎわに「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とおっしゃったことは、古来大きな問題になりました。イエス様ともあろうお方が、どうして、こんな、弱音にも聞こえる言葉を吐かれたのでしょう。これをキリスト教に反対する側から見ると、「それみたことか。イエスは結局そんな男だったのだ。これはイエスがメシアなんかじゃない明白な証拠だ」ということになりかねません。

そこで、これはイエス様にはふさわしくない言葉だと思った人が考えた解決法はこうでした。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は詩編22編の初めの部分と同じです。ここから、「イエス様は詩編22編をそらんじておられ、これを全部唱えるつもりだったが、途中で息絶えてしまわれた」という説が出て来ました。詩編22編は出だしこそ深刻ですが、読んでいくうちに次第に明るくなって、最後は父なる神への賛美と喜びとをもって終わります。だから、イエス様が本当におっしゃりたかったのはこの最後の部分であって、「なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉に大きな意味はないというのです。

…しかし、十字架上の最後の言葉が、舌足らずで、言うべきことを言いつくさないうちに終わってしまうものでしょうか。…そうなると、「わが神、わが神…」はイエス様の真実な思いであり、事実、イエス様は父なる神から見捨てられたと考えるほかないのです。

このことは十字架上のイエス様をののしり、あざ笑う人にさらにお墨付きを与えるようなことでしょうか。…確かにイエス様は十字架から降りて自分を救うことは出来ませんでした。他人を救ったのに自分を救うことが出来ませんでした。そうしてイエス様が自ら叫んでおられる通り、神がイエス様を見捨ててしまわれたのだとしますと、ふつうなら、イエス様は神の子でも救い主でもなかったのだということになります。…もしも、神から見捨てられた人物がそれでも神の子であり救い主であるとしたら、それは歴史上前例のないことです。しかし、その誰も考えつかなかった逆転が起こったのです。

そのことを説き明かすための鍵となるのが、主イエスの6時間に及ぶ祈りのたたかいです。主イエスはその間(かん)、父なる神様に対して、人々の救いのために祈られたのです。

主イエスはご自分が逮捕された時に逃げ出してしまった弟子たちのために祈られたことでしょう。…ご自分をののしり、侮辱する人々のためにも祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という言葉がルカ福音書に記録されています。…主がご自分を苦しめている人たちのために祈られたのは、それにもかかわらず人々を愛しておられたからです。…その愛の対象の中に、私たちが入っています。…そういう意味で、私たちも主の十字架によって、すなわち主の十字架上の祈りによって守られていることになるのです。主が十字架の上で繰り返し、繰り返し続けられたその祈りが、私たちの救いの力になっているのです。

ここで私たちは、主イエスがもともと天におられ、神の御子として、神に等しい存在であったにもかかわらず、いやしい人間となってこの世界においでになったことを思い起こしましょう。主イエスはおそれ多くも、罪という一点を除いて、あらゆるところで人間たちと同じところに立たれたのです。

よく考えてみましょう。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか」、これはイエス様が口にされる前に、私たち罪深い人間の口から出て当然の叫びではないでしょうか。神様から見捨てられるのは何より、神様に反抗し、神様から離れて自滅への道を歩む古今東西のあらゆる人々ですが、イエス様がその一人となられたということに大きな意味があります。

 人間は誰もが罪にからめとられて生きています。私たちもたとえ警察につかまるような重大な罪を犯していないとしても、それはたまたま運が良くてその機会がなかったということにすぎないのかもしれません。自分は善人で何も悪いことはしていないと思っている人ほど、神の光に照らされた時、身の置き所がなくなります。神から滅ぼされても何も言うことが出来ない人間一人ひとりの立場にイエス様が身代わりに立って下さいました。

イエス様は神様から見捨てられ、命を断たれましたが、その結果として人間一人ひとりが命をまっとうすることになったのです。

 

こうして主イエスは、神から見捨てられるという究極の苦しみの中、息を引き取られましたが、この時、百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていました。そして主イエスの死を見届けると、「本当に、この人は神の子だった」と言ったのです。

百人隊長は十字架刑を執行し、イエス様をきちんと殺さなければならない、その責任を負っていた人です。信仰の面では初心者だったのでしょうが、この場にいたことで、イエス様が神の子であるかどうかが問題の焦点であることはわかっていたと思います。百人隊長は、兵士たちがイエス様を侮辱するのを見逃し、自分も十字架刑に関わることで大きな罪を犯しながら、最後には苦しみながら死んでいったイエス様の方を見て、つまりイエス様を直視してそばに立っていました。そして、「本当に、この人は神の子だった」と言うことが出来たのです。それはイエス様がまさに自分と同じ罪人(つみびと)のところに降りて来られ、この自分のために苦しみ、死なれたということを理解したからにほかなりません。「本当に、この人は神の子であった」、これは十字架の中に神の愛を見出した者だけが、語ることができる言葉です。
 

私たちは主イエスと同じ苦しみを味わう必要はありませんが、主イエスの苦しみに心を寄せ、祈る者でありたいと思います。イエス様は神様から見捨てられたからこそ、私たちの救い主となられたのです。…どうか私たちがイエス様の十字架から目を背けている者、無関心な者でなく、もちろんイエス様をあざ笑う人の一人としてでもなく、イエス様の方を向くことを心がけ、そこに自分のまごころを注ぐ者となりましょう。繰り返し十字架に立ち返ることが、私たちの人生のたたかいを支えてくれるのです。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる御神様。主のご受難を深く思うこの日の礼拝に、私たちを集め、みこころを聞かせて下さいましたことを心から感謝申し上げます。

今改めて、主イエスのお苦しみを深い悲しみをもって聞くことが出来ました。ひざまづいて、ただ罪を悔い、主の恵みにすがります。主がすべての人のためにとうとい命をささげられ、神に見捨てられるという究極の苦しみを受けて下さったことに対して、私たちはあまりに無関心でありました。どうか言い尽くせない主の恵みをむだにするのではなく、繰り返し十字架に立ち返ることによって、神のみ子イエス様をますます深く心に刻み、今日から始まる毎日を新しい思いで歩ませて下さい。

神様、今の日本の国ほど、神様の言葉が必要とされているところはありません。今日、日本全国の教会で行われている主の十字架を記念する礼拝を祝し、この国を再生させるため、みことばの力を発揮させて下さい。

この祈りを主イエス・キリストのみ名によっておささげします。アーメン。

   神に栄光を帰せよ youtube 

詩編115:1~8、使徒12:18~25  2018.3.11

 

 私たちは礼拝で、ヘロデ王によって捕らえられたペトロが、明日は処刑されるという日の前夜、主の特別なはからいによって助け出された次第を見てきました。牢獄の中で、四人一組の兵士四組によって厳重に監視されていたペトロが救い出されるのは人間の力をもってしては不可能で、私たちはそれゆえにペトロが生還したことに驚き、不思議に思います。しかし私たちの神様が全能の神であられることがわかれば、不思議でも何でもありません。

 今日はこの出来事に付随して起きた一連の出来事を見て行くことにしましょう。

 その第一のことが、ペトロを監視していた兵士たちです。夜が明けるとペトロが見当たらないので、牢獄は大騒ぎになりました。当然、この兵士たちの責任が問われます。ヘロデ王はペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べた上で死刑にするよう命じました。ペトロを監視していた兵士16人はみな死刑になったものと思われます。

 この兵士たちにペトロのことで責任がないことは確かです。彼らは王の命令に従って、忠実に見張りの務めを果たしていましたが、神が超自然的な方法で介入してペトロを助けられたのですから、防ぎようがありませんでした。それなのに彼らは死刑に処されてしまったのです。

 このことについてある本は、番兵たちが「気の毒にも思えます」とした上で、こう書いています。「番兵が死刑にされたのは、彼らがヘロデという神に逆らう側についていたからだと言って差し支えないと思います。」…ただこれは問題です。神に逆らう側についている人なら死刑になってもやむをえないと言っているようなものだからです。

 私たちはここから、むしろ、神様がその全能の力を発揮される喜ばしい時に、往々にして悲惨な事件が起こることを学びます。典型的なのはイエス様が誕生された時、その陰で起こった凄惨な出来事です。当時のヘロデ大王は、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺してしまったのです。もちろんこの子どもたちに殺されて良い理由は全くありません。イエス様は、天使が夢でヨセフに与えた警告に従ってエジプトに避難したので無事でしたが。イエス様がお生まれになった喜びは、ベツレヘムの無残な出来事と結びついているのです。

 番兵たちが死刑にされたことは決して小さなことではありません。

これはベツレヘムの幼児虐殺と同じく不条理としか言いようがないことでありまして、私たちは神様がなぜこんなことをお許しになるのかと、立ちすくんでしまうのです。…その答えはなかなか見えてきませんが、ヘロデ王の急死ということが一つの回答であるのかもしれません。

 

 ヘロデ王が死んだ出来事は、聖書に書いてあることを読むだけでだいたい理解できるのですが、これがわかりやすいだけに、このようなことばかり強調しすぎるとまた別の問題を引き起こしかねない気がします。というのは、キリスト教二千年の歴史の中で、「神にさからう者の末路はこうなる」というメッセージが行き過ぎを産んでしまったことがあるからです。

 イエス様をキリストと信じる者たちが受ける恵みの中で最大のものは、罪の赦しとこれによって与えられる永遠の命です。永遠の命は今も私たちに、聖霊の働きにおいて与えられていますし、地上の生涯を終えたあとも私たちを生かし続けて行くのです。そうして終わりの日の最後の審判において、私たちに、完全な永遠の命が与えられることを、私たちは教えられています。

 ただその時、イエス様をキリストと信じない人、この方に従わない人はどうなるかという問題があります。ヨハネの黙示録には、信者が神とキリストと共に永遠に生きるのに対比して、そこからはずれた人たちことをのこう書いています。「おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」(黙示録21:8)

 さてキリストを信じる者が救われ、信じない者は滅びるという教えは、論理的には正しいのですが、注意深く語られる必要があります。なぜかと言うと、それは一種の脅迫をもってする伝道になるからです。…18世紀のアメリカだったと思いますが、信仰覚醒運動、リバイバルがたびたび起こりました。その中で、ある伝道者の説教が地獄で受ける罰を目に見えるように語り、キリストを信じない者は滅びるということをこれでもかこれでもかと強調するものだったので、これを聞いている人たちの間で、あまりの恐ろしさのために失神する人が続出したということです。…こうしたことから、恐怖によって信仰を持った人、信仰を持った理由が滅びへの恐怖だった人がいたことが予想されます。…ヘロデ王の死についてもそうしたところから語られ、受け取られることが予想されるのですが、私は恐怖によって信仰を持ったとしても、先に進めないと考えます。

むしろ自分の罪に対する自覚の方が大切です。

 使徒言行録の初めにペトロの説教が2つ入っていますが、それを見ると、人々にイエス様を殺した罪の自覚を迫り、そこから救われる道を示すものです。それを聞いた人々は自分が滅びることへの恐怖よりも、自分が犯した罪の大きさに驚いて、そこから罪の悔改めへと導かれていってます。だからその説教は決して恐怖をあおるようなものではありませんでした。…もちろん地獄も何もどうするものぞという人には少し恐怖を味わわせた方が良いとは思いますが。私たちとしては神様を正しく、おそれかしこむことを身につけたいと思います。私は、ヘロデ王について、彼の身に起こったことより、彼の犯した罪の大きさを見てほしいと願っています。

 

 このヘロデ王は有名なヘロデ大王の孫にあたり、正式にはヘロデ・アグリッパ一世と申します。ヘロデ大王の死後、ユダヤは彼の3人の息子に分割統治されましたが、その後いろいろなことがあって、ヘロデ王は祖父のヘロデ大王に勝るとも劣らない広い領土を支配していました。

 ヘロデ王はエルサレムとカイサリアに居所をかまえていました。カイサリアは地中海に面したギリシャ風の都市で異邦人コルネリウスがいたところです。ヘロデ王はカイサリアに住む時間の方が長かったのですが、外国かぶれと思われてはユダヤ人に嫌われてしまいます。そこでエルサレムにもたびたび来ていました。ヘロデ王はエルサレムにいた時に使徒ヤコブを殺し、次にペトロを捕らえ、過越祭の次の日に処刑しようとしたのですが逃げられてしまい、番兵たちを死刑にするよう命じるとそそくさとカイサリアに戻って行きました。

 その頃ヘロデ王は近隣のティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていました。これはユダヤとこの2つの都市がまずい関係になったということで、ヘロデ王はこれを武力によって解決しようというところまで来ていたのですが、その問題は急転直下解決しました。飢饉が起きたためにティルスとシドンはユダヤから食糧を買わなければならないことになり、背に腹は変えられず、ヘロデ王に和解を申し出たのです。こうして大きな問題を解決したヘロデ王は、得意の絶頂に立ちました。

 「定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた」。定められた日はローマ皇帝に関係する祭りの日のようです。王は見るからに素晴らしい衣装を身につけて現れました。

 ヘロデ王は決して「私は神だ、私を拝め」とは言いませんでした。この人はいちおうユダヤ教の信徒ですから、神以外のものを神としてはならないことは知っていました。しかし、自分を神格化したい思いがあったことはたしかです。もしもそうでないなら、「神の声だ」と叫ぶ人々を制止すべきだったのです。それをしなかったのですから、自分を神とするよう演出していたと言われてもしかたがありません。ヘロデ王は主の天使に打たれて、息絶えました。「神に栄光を帰さなかったから」です。

 ヘロデ王の最期については、当時の歴史書にも書いてあります。ヨセフスという人が書いた「ユダヤ古代誌」の一部をご紹介します。

 「さて、見せ物の二日目のことである。アグリッパス(井上記:ヘロデ王のことです)は銀糸だけで織られたすばらしい布地で栽った衣装をつけて、暁の広場へ入場した。太陽の最初の光が銀糸に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめる人に畏怖の念を与えずにはおかなかった。すると突然、各方面から、佞人(井上記:人にこびへつらう人)どもが―本当にそう思ってではないが―『ああ神なる方よ』という呼びかけの声を上げ、そして言った。『陛下がわたしたちにとって吉兆でありますように。たとえこれまでは陛下を人間として恐れてきたとしても、これからは不死のお方であります。わたしたちはこのことを認めます』と。

 王はこれらの者たちを叱りもしなければ、その世辞を神にたいする冒涜として斥けることもしなかった。」

 ユダヤ古代誌はこの直後、「彼は心臓に刺すような痛みを覚え、その激しい痛みが全身に広がり、5日間もだえ苦しんだあげく54年の生涯を終えたことを伝えています。使徒言行録に書いてあることと比べると細かい点で違いがありますが、人々が彼を神にひとしい方だと言ってたたえたこと、彼自身それを認めていたこと、そして無残な死に方をしたことでは一致しています。

 ヘロデ王の一生をふりかえってみますと、この人は表向きはユダヤ教徒として、神を信じる者としてふるまっていましたが、神のみこころがどこにあるかということについては少しも考えていません。彼にとってローマ皇帝を別にすれば、自分のまわりに世界が回っているも同然だったのです。使徒ヤコブを斬り殺し、それがユダヤ人から喝さいを浴びたので、今度はペトロを殺そうし、ペトロに逃げられると腹いせに番兵たちを殺しました。これ以外にもいろいろあったようです。そしてカイサリアで晴れ舞台に立ち、人々が称賛と崇拝を一身に集める中で自分を神になぞらえたことは、この人が一生の間積み重ねた悪事の集大成であり、これほどの罪はありません。

 その罪が極大値に達した時、神の手が介入し、彼は息絶えました。私たちは彼の死のありさまより、彼の犯した罪に対しておののく者でありたいと思います。

 最後に24節25節をちょっと見ておきましょう。「神の言葉はますます栄え、広がっていった」、これがヘロデ王の最期とどう結びつくのでしょう。直接的なつながりとか因果関係がよくわからないのですが、二つの世界が対比されているのが見えます。

 その一つは神に栄光を帰さない世界です。これはヘロデ王だけではありません。ティルスとシドンの住民もなんだかおかしいのです。彼らは何の問題かわかりませんがヘロデ王と対立していましたが、食糧問題が起きるとあっさり自分の主張を引っこめ、王の臣下に取り入って和解に動きました。王にこびへつらったのです。そのため、お祭りの日に王の前で「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた人々の中にティルスとシドンの住民もいただろうと予想している人がいます。

 こうした人々に対比する形で、バルナバとパウロがエルサレムのために任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れてアンティオキアに帰ったことが記されています。パウロとバルナバが来たのはアンティオキアの教会からの援助の品をエルサレムの教会に届けるためでした。そして、その務めを果たすと新たな一名を加え、再び伝道の旅へと出発していったのです。

 そこには生身の人間を神とすることも、食糧のために人にへつらうこともありません。キリストの愛で結ばれた教会どうしのつながりがあります。これこそが、いっけん地味なことばかりやっているようですが、神に栄光を帰す世界なのです。

 神に栄光を帰すとは何か壮大なことを言ったり、行ったりするばかりではなく、私たちの日常の小さな営みからも生まれて来るのです。

 

(祈り) 

 天の父なる神様。

 昔、人々は天にまで達する高い塔を建設しようとして、罰せられました。神に背いたソドムとゴモラは滅ぼされました。自分の権力に酔ったネブカドネツァル王は人間社会から追放され、ヘロデ王は神様の前に息絶えました。

 本当の神を認めず、自分が神になりたいと願う人はいつの世にも出て来ます。そして、そういう偽りの神に熱狂し、崇拝する人も絶えることがありません。

戦前の日本がそうでしたし、今の北朝鮮やいくつかの国でも同じようなことが行われています。今の日本にもその危険が存在します。本当の神様を知らない人は自分で偶像をつくりだしてしまうものだからです。

 神様、どうか広島長束教会と全国の教会を強め、まずキリスト者から、神様を神様とするたたかいを始めさせて下さい。

 主イエスのみ名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。

   主のみ業と教会の祈り youtube  

詩編91:9~16、使徒12:11~17  2018.3.4

 

 使徒言行録の前回のお話を思い出しましょう。ヘロデ王がキリスト者に対する迫害を実行していました。…使徒ヤコブは剣によって殺されました。そのことがユダヤ人に喜ばれるのを見たヘロデ王は、今度は使徒ペトロを捕らえました。四人一組の兵士四組といいますから16人の兵士によって厳重に監視させた上で、過越祭のあと民衆の前に引き出し、公開処刑を行うつもりだったのです。ところがペトロが処刑されようとする日の前夜、主の天使が現れて、牢獄からペトロを連れ出しました。それはペトロ自身、いま自分の身に何が起こっているかわからなかったほど不思議な出来事だったのですが、天使が離れていったあと、ペトロは我に返って言いました。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」

 ペトロは主が自分を救い出して下さったのがわかった時、新たな自覚へと導かれたものと考えられます。それは、ここは何としても生き延びなければならないということです。主イエスが天使を遣わしてまで救って下さった命をむざむざ落としてしまうようなことがあってはなりません。そのためには、すぐに安全なところに逃げて行かなければなりません。しかし彼は、すぐにそうしようとはしませんでした。教会の人々のことを考えたからです。…教会の人たちに黙って逃げて行ってはいけない、みんな自分のことを心配して祈っているのだから。…そこで先ず教会に行って、自分が助けられたことを人々に説明し、そのあと身を隠そう、としたのです。

 当時のエルサレム教会は、市内に自分たちの会堂を堂々と建てることはなかったようです。すでに教会は迫害の時代を迎えていました。市内に集会場はいくつもあったのですが、それらは大きな家を持っている信徒が自分の家を開放して集会場にしたものと思われます。

 ペトロが行ったのは牢獄から最も近い集会所でしょう。「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」です。ややこしい言い方ですが、ここでマルコというのはギリシャ語、ヨハネがヘブライ語で、いろいろな言葉が飛びかっているところでは、こんな面倒なことがあるのです。母マリアは、教会のために献身的に尽くしている女性だったと思われます。その息子、マルコと呼ばれていたヨハネは、すぐ下の24節にも出て来ます。

エルサレムに来ていたバルナバとパウロは、この青年を連れてアンティオキアに帰って行きましたが、後日譚があります。そののち、彼はパウロをたいへん怒らせてしまい、パウロはこんなやつ伝道旅行に連れていかないと言うのですが、バルナバがまあそう怒りなさんなと執成して、彼を再教育することになります。そのことはいずれまた学ぶことにいたします。

 

 ペトロがマリアの家に行ったとき、すでに大勢の人が集まって祈っていました。その日は過越祭の直後でした。過越祭の当日にイエス様が十字架にかけられたので、みんなご受難を思って祈っていたことは確かですが、イエス様のお苦しみに重ねあわせて、ペトロのために熱心な祈りが捧げられていました。ペトロは、ヘロデ王が立てた予定では今、まさに処刑されようとしていましたが、この最後の瞬間にも、人々はマリアの家に集まり、くじけることなく、あきらめることなく、熱心な祈りをささげていたのです。

 私たちはいつも使徒信条で、「聖徒の交わりを信じます」と告白していますが、その具体的なあり方がここで示されています。キリスト者は、キリストのみ名のために苦しめられ、闘っている兄弟姉妹のために、熱心に祈ることで援護射撃をしなければなりません。皆さんは、そんなことはすでにやっているよと言われるかもしれませんが、改めて自覚する必要があります。牧師のために祈るということもあるのです。…ある教会の牧師の話ですが、小さな教会での伝道がとにかく苦労が多いので、教会員を前に、牧師のために祈ってほしいと言いうと、「そんなこと言わんで下さい。先生がそんなことを言うと教会の士気に関わる」と文句を言う人がいました。でも、牧師がそのあと聖書を調べてみるとパウロだって同じようなことを言っているのです。…「語るべきことは大胆に語れるように、祈ってください。」エフェソ書6章20節。パウロでさえも、自分のために祈ってください、と言っているのです。まして牧師でも長老でもその他だれであっても、自分のために祈ってほしいと言ってならないわけがありましょうか。

 私たちは主の日ごとに集まって、主のみ力と勝利を賛美いたします。同時に、いまさまざまなことで闘っている友を覚え、また自分の課題も明らかにされ、こうして互いが互いのために祈る課題を与えられて、それぞれの家庭と職場に帰って行きます。主の日に兄弟姉妹と交わる喜びは、互いに祈ってもらうことにあると言っても良いかもしれません。

 ペトロは牢獄の中で厳重きわまる監視下にあっても、教会の友が自分のために祈っていることを知っていたはずです。それが彼にこの世にはない平安を与えていました。そして今、人々の祈りに対し、神が本当に応えて下さったことを知ったのです。

 

 マリアの家で大勢の人が集まって祈っていた時に、ペトロが到着しました。ペトロが門の戸をたたくと、そこに出て来たロダという女中さんが、声を聞いただけでペトロだとわかったというのですから、ペトロはこの家に集まる人たちとふだんたいへん親しくしていたのでしょう。

 それにしても、人々のあわてようを皆さんはどうご覧になりますか。

 ロダは、姿を見ないのに、声だけでペトロとわかったのですが、喜びのあまり門を開けることを忘れ、みんなのところに駆け戻ってしまいました。冷静に考えたら、ペトロを家の外に置いておくことは危険だし、寒い季節ですから体にもよくありません。だから、ロダはペトロをすぐに家に招き入れるべきだったのですが、これは小さな失敗と言って良いでしょう。

 一方、人々の方は、ペトロのために祈っていたのにペトロが来たことを事実とは認めませんでした。彼らはロダに「あなたは気が変になっているのだ」と言い、それでもロダが本当だと言い張っているので、「それはペトロを守る天使だろう」と言う言葉で片付けようとします。誰それを守る天使というのは、いわゆる守護天使のことで、この当時広く行き渡っていた考え方です。イエス様もマタイ福音書18章10節、迷子の羊のたとえ話の中で、小さな者たちに天使がついていることを語っておられる(マタイ18:10)ので、解釈が難しいのですが、今日はここまでにしておきます。

 人々が議論している間、守護天使でなく生身のペトロが戸をたたき続けるので、人々は議論を止めて戸を開くと、そこに本当にペトロがいたのでみんな非常に驚きました。腰を抜かしてしまうようなことだったのでしょう。ペトロはてみじかに事の次第を語ります。…ペトロは我に返ってから「今、初めて本当のことが分かった」と言いましたが、その本当のことを語ったのです。主が天使を遣わして、ヘロデとユダヤ民衆のあらゆるもくろみから彼を救い出して下さったということです。そして、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えない」と言い残して、さらに安全な場所へと逃れて行きました。ここでヤコブというのは殺された使徒ヤコブではありません。イエス様の弟でのちに教会の有力な指導者になるヤコブのことです。

 さて、ここでひとつ疑問点が見えてきます。それまでペトロのために熱烈な祈りをささげていた教会の人たちが、ペトロが現れた時そのことが信じられず、ロダのように取り乱してしまったり、またロダを気が変になっていると言ったり、そしていざペトロを見た時にたいへんに驚いてしまったのはどうしたことでしょうか。意地悪く考えると、彼らは祈りはかなえられないと、最初からあきらめたまま祈っていたことになります。そんな祈りならば熱心な祈りとはとても言えないのではないでしょうか。

 ただ私たちのように、教会員が逮捕されるという経験のない者があまり理屈っぽいことは言わない方が良いようです。たとえばロダはペトロを門の外に置き去りにするのではなく、もっと賢くふるまった方が良かったわけですが、使徒言行録の著者ルカは、彼女の失敗が「喜びのあまり」であったと、あたたかい目で書いています。

 人々がロダの報告を信じなかったことについても、ペトロが解放されるのを信じてない祈りをしていたと言い切ることは出来ないように思われます。人々がペトロのためにしていた祈りは、ただ単にペトロが解放されるのを求めるものであったとはいえないでしょう。牢獄の中でも平安でいて下さいとか、たとえ処刑されることになっても、イエス・キリストにならい信者の模範となる死に方をして下さい、というものであったかもしれません。そして、少なくとも、ペトロがそうした祈りに支えられ、過酷な牢獄生活の中でも平安であったことは確かなのです。

 これらの点を踏まえ、ただ、それでも、私たちは祈りについてもっともっと深めていかなければならないでしょう。

 主イエスは生前、少しも疑わずに山に向かって海に飛び込めと祈ったらその通りになると教えられました(マルコ9:23)。これに続けて、「祈り求めるものは既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ9:24)とも教えられました。……初めから、神様はこの祈りをきいて下さらないだろうなと思いつつ祈る祈りは力を持ちません。神様の全能の力をあなどっているからです。といたしますと、ペトロが牢獄から連れ出されたことがいかに超自然的で、信じがたいことであったとしても、それを信じられなかった人々はやはり神様が祈りをかなえて下さるということにおいて、やはり足りない部分があったと考えざるをえません。

 しかし、だからこそ私たちはこの人々に親近感を持つことが出来るのです。そこには、私たちが話しかけることも出来ないような完璧な信仰者がそろっているのではありません。神様の全能の力を確信できず、それでも祈っている人々とはまさに私たちと変わらぬ人々です。神様はこの人たちの思いを超えることをなしとげて下さいました。

そのことは神様が、私たちの思いを超えるしかたで祈りをかなえて下さることを思わせます。祈りをかなえて下さるかどうか、最終的な主導権は神様のもとにあるからです。

 エフェソ書3章20節以下は言います。「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように。」

 これほどの力を持っておられる主が与えられているのがキリスト者です。…ですから信者はヘロデ王や、彼がペトロにしたような厳重きわまる監視に負けることはないのです。人々の熱心な祈りが、そこに足りない部分があったとしても、神は人々の思いをはるかに超えることをして下さいました。ここに登場する人々は、その驚くべき体験から、祈りについて、ただ自分の願望を神に訴えてゆくのではなく、神のみこころに自分の心を合わせて行くことだということを学んだのです。

 私たちも、私たちの前に差し出された祈りの道を、共に歩んでいく者となりましょう。

 

(祈り)                                                    

 恵み深い天の父なる神様。今、とうとい御子イエス様を十字架にかけてまで、打ち立てて下さった礼拝にあずかっている恵みを感謝いたします。

 神様、私たちはこれまで、みこころにかなわない祈りをどれほど重ねていったことでしょう。私たちは自分の幸せだけを祈ることがはなはだ多いです。しかもそれは口だけ、神様に10のお願いをしたら、1つぐらいかなえて下さるだろう、なんて思いもあったかもしれません。神様の全能の力を信じていない祈りをしてきたことを懺悔いたします。

 神様、そんな私たちですが、これから祈りによって本当に、神様の前で生かされてゆくことを願います。祈りが神様のみこころに近づき、そのことで祈りがかなえられる喜びを幾度となく体験することが出来ますように。

 主イエスのみ名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。

モーセの誕生 youtube  

出エジプト1:22~2:25、

使徒7:17~21  2018.2.25 

 

先週に引き続き、出エジプト記の最初の部分からお話ししましょう。今日の主人公はモーセです。

モーセという人は、「十戒」という映画の主人公になったこともあってたいへん有名です。虐げられたイスラエルの民を率いて紅海を渡った英雄モーセのイメージは多くの人の頭に焼きついています。人類のその後の歴史の中で、苦しみにあえぐ民を解放した英雄とか指導者を何人も数えあげることが出来ますが、その人たちのイメージは大なり小なりモーセと重なっています。いわばモーセが原型となって、その後の大きな歴史を導いていったと言うことが出来るでしょう。

モーセが出現するに至るまでの時代背景はおおよそ次のようでありました。

神の民イスラエル、すなわちヘブライ人はアブラハムに始まり、イサク、ヤコブへと続きます。ヤコブと息子のヨセフ、そして11人の兄弟は、不思議な神の導きによって、一族そろってエジプトに移住しました。…やがてヨセフや兄弟たちは死にました。その世代の人たちも皆死にました。イスラエルの人々は数を増し、エジプトの国の中でますます多くなってゆきました。

この時代のイスラエルの人々の生活については、まだまだわからないところがたくさんあるのですが、私たちにはあまり必要ないと思いますので、ここで2つのポイントだけをつかんでおきましょう。…一つはイスラエルの民に対する迫害です。エジプト王ファラオはイスラエルの人々を奴隷とし、強制労働で苦しめ、虐待したあげく、それでも数が増えてゆくのを見て、ついにこの民族を絶滅させる政策に着手しました。…もう一つのことがイスラエルの民の信仰です。彼らはエジプトにいる間に純粋な信仰を失い、エジプト人が拝んでいた神々を拝むようになっていたのです(ヨシュ24:14、エゼ20:8)。

イスラエルの民がこのままで良いはずがありません。虐げられた人々は解放されなければなりません。しかし、それはただエジプトの圧制から解放されればよいということではありません。モーセを中心として行われた闘いは民族解放の闘いではありますが、ただその言葉だけに尽きるものではありません。人間にとって、奴隷の身分から解放され、政治的・経済的自由を獲得するだけでは本当の解放はないのです。間違った信仰からも解放されなければならないからです。

このようなことを念頭に置いた上で、モーセの誕生の記事を見てみましょう。イスラエルのレビ族にある夫婦がいました。二人の名前はわかっていて、お父さんがアムラム、お母さんがヨケベドと言います(6:20)。

この夫婦にはすでに息子アロンと娘ミリアムがいましたが、そこにまた男の子が生まれました。この子について、出エジプト記は「かわいかった」、使徒言行録は「神の目に適った美しい子」、さらにへブル書11章23節も「(両親は)その子の美しさを見」と書いています。それは親のひいき目ということ以上に、神の計画がこの子の中に輝き出た美しさでありました。二人はその子を三か月の間隠しておきました。並大抵なことではなかったと思いますが、しかしそれも出来なくなったので、パピルスの籠の中に入れて、ナイル河の岸の葦の茂みの中に置きました。…ファラオはすでに、イスラエルの民に男の子が生まれたらナイル川にほうり込め、女の子だったら生かしておけ、と命令を出していたのです。

20世紀になってナチス・ドイツが、ユダヤ人問題の最終的解決と称して、ユダヤ人600万人を殺したのは良く知られています。たとえば1940年代、ドイツ占領下のポーランドにいたユダヤ人はゲットーという狭い地域に押し込められ、高い壁で外の世界から遮断されてしまいました。そこから列車に乗せられて出てゆく人々がいましたが、生きて帰ってくることはありませんでした。行き先はアウシュビッツの強制収容所だったのです。

こうした人類が忘れてはならない忌まわしい出来事のルーツを探ってゆくと、古代エジプトにたどりつきます。ファラオは一つの民族を滅ぼしつくそうとしました。重労働で苦しめ、生まれた男の子を川に投げ込ませる一方で、エジプト人に対してはこの民族はこわい、何をするかわからない、悪の根源だと言い続け、偏見を刷り込んでいったのでしょう。…しかし、神の救いの手は、この民に差し出されました。

 

ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来ました。籠が目に止まりました。開けてみると、男の赤ちゃんが泣いていました。王女は赤ちゃんを見てふびんに思いました。この子がエジプト人ではなく、死に定められているヘブライ人だったからです。

するとその時、この様子を見ていた姉のミリアムが飛び出してゆき、大胆にも王女の前で申し出ました。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょう」。何とはしっこい、機転のきく子供でしょう。王女が「そうしておくれ」と言ったので、ミリアムは大急ぎで、そして大喜びで母親のもとに飛んでゆきました。そして母親を王女のもとに連れてゆきますと、王女は、この子を連れて行って自分にかわって乳を飲ませて下さい、私がお金を出しますからと、にわかには信じられないような提案をしたのです。すべては神の恩寵でした。母と娘は、王女の前でひれ伏したことでしょう。

ここに私たちは、人間の思いをはるかに超越し、悪を善に変える神の力を見るのです。これはファラオにとって、最も皮肉な出来事となってしまいました。自分の娘が、敵の指導者を育てることになってしまったのですから。

王女を親不孝と言うべきでしょうか。エジプトにとって裏切り者と言うべきでしょうか。もしも世界がエジプトだけのものであれば、この批判は当たっていますが、世界はエジプトだけのものではありません。…平安時代の末期、池の禅尼という人は平家に属する人でありながら、少年源頼朝の命を救いました。その結果、のちに平家は滅ぼされてしまいましたが、では池の禅尼は間違っていたのでしょうか。…日本は平家を犠牲にしても頼朝が必要だったのかもしれません。世界はエジプトを犠牲にしても、モーセを必要としていたのです。王女がしたことは、奇しくも聖書に記されて永遠に記念されることになりました。

このようにして赤ちゃんの母親は、誰はばかることなく自分の息子を育てることが出来るようになりました。それは1、2年という短い期間だったかもしれませんが。やがて、その子が大きくなったとき、母親は王女のもとに連れて行きました。その子はモーセと名付けられ、王女の養子となりました。

 

モーセは王女の庇護のもと、エジプトの宮廷で何不自由のない生活をすごすことが出来ました。また、当時としては最高の教育を受けることが出来、これはモーセののちの生涯に役立てられることになりました(使7:22)。このまま宮廷での生活が続いていたら、彼の人生はどうなっていたでしょうか。ひょっとしてこの国の王とか権力者になっていたかもしれません。しかし、モーセに流れている民族の血と自覚は、彼にそのような人生をおくることをゆるしませんでした。

モーセがエジプトの宮廷から逃げ出すきっかけになった事件について、出エジプト記は「モーセが成人したころのこと」、使徒言行録は「四十歳になったとき」と書いています。出エジプト記の方は「成人したのち」と解釈することも出来るので、40歳の時と考えましょう。ある日、モーセは同胞であるヘブライ人のところに行き、彼らが重労働をさせられているのを見ました。そしてエジプト人がヘブライ人を打っているのを見ると憤慨して、このエジプト人を打ち殺してしまいました。…次の日、また出てゆくとヘブライ人同士がけんかをしていました。「どうして自分の仲間を殴るのか」。モーセは「今は仲間同士で争っている時ではない。同胞が結束してエジプトに反旗を翻すときだ」と言いたかったのだと思います。ところが同胞の反応は思いがけないものでした。「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」。

モーセの心は、虐げられている同胞を救いたいという情熱で燃えたぎっていました。しかし、そのための条件はそろっていませんでした。第一に、モーセはあまりに軽率でした。いくら同胞を救うためという目的があったとしても、殺人を犯してしまったことは、彼が本当の信仰を持っていなかったことを示しているものと思われます。社会を変えようとしてただ暴力に訴えても、望んでいる結果は得られません。第二にヘブライ人の様子や言葉からは、奴隷根性と言いますか、とても卑屈な態度がうかがえます。ヘブライ人はエジプト人に反対する以前に、すでに仲間割れしてしまっていたのです。

つまりモーセの側にもヘブライ人の側にも、ふさわしい時が来ていなかったのです。イスラエルの人々を救うための神の時は、まだ熟していませんでした。

 

モーセはエジプトの宮廷で40年間暮らす間に最高の教育を受け、すばらしい話や行いをする人となりました(使7:22)が、それだけでは、イスラエルの人々の指導者となるには十分でありませんでした。

エジプト人を殺したことがばれ、ファラオに殺されそうになってエジプトを脱出したモーセがたどりついたのはミディアンの地です。そこはシナイ半島のさらに東、アカバ湾に面する地方です。ミディアンの地で、モーセは井戸に水をくみにきた娘たちを助けたことで、祭司リウエルの家に住むことになりました。そして祭司の娘チッポラを妻にめとり、やがて二人の息子を持つようになりました。

それまでエジプトの王宮でぜいたくな暮らしをしていたモーセは、ミディアンの地で今や貧しい羊飼いとなりました。この地方は今でも荒れ野ばかりで何もないところのようですから、とても寂しい土地であったにちがいありません。そのかわり、夜空には数え切れないほどの星が輝いていました。その土地でモーセは、労働と瞑想の日々を送ることになったのです。…血気にはやって暴力に訴えても社会は変わらず、同胞を救い出すことは到底出来なかった、ではどうすることも出来ないのか、同胞の苦しみは永遠に続くのか、神はいったいどこにおられるのか、…答えのない問いの中で、彼は過ごしたのでしょう。その期間は40年とされています(使徒7:30)。そして、おそらくその間に彼の性格も次第にまるくなっていったものと思われます。…民数記12章3節に、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」という言葉があります。私は、かつて殺人を犯した人がだれにもまさって謙遜であるということが信じられなかったのですが、彼の羊飼いとしての生活を思ったとき納得できました。…つまりミディアンの地での40年というのは、神がモーセを訓練した歳月だったのです。

モーセはエジプトの宮廷で40年、続いてミディアンの地で40年を過ごしました。モーセがミディアンの地に住んでいた間、エジプトではファラオが亡くなりましたが、イスラエルの人々の苦しみは変わりませんでした。重労働で苦しみ、助けを求める人々の叫び声が神に届きました。

「神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」。これはエジプトにおける罪悪が極点に達すると同時に、モーセに対しての神の訓練がついに新しい段階を迎え、神が御自らイスラエルの人々を解放する時が来たことを表しています。ただ、この時モーセはすでに80歳に達しようとしていました。神はこのあとモーセの前に現れて、彼をイスラエルの民を解放するための指導者にしようとされますが、モーセは自分は口下手で弁が立つ方ではありませんと言って辞退しようとします。モーセの頭には自分の年齢のこともあったに違いありません。けれども神にとって、不可能なことはありません。神はこのモーセを選んで、イスラエルの人々を導いてゆかれたのです。

私たちは今日のところで、神が人を選んで事をなそうとされる場合、それにふさわしい時を備えていて下さることを、覚えておきましょう。皆さん一人ひとりにも、神様が訓練の時を与え、また立ち上がるべき時を与えていて下さるのです。

 

(祈り)

恵みに富みたもう父なる神様。神様が今日という日を、私たちのために準備され、私たちの礼拝を受け入れて下さったことを、とうとき恵みのたまものとして感謝申し上げます。

私たちが今日学んだモーセの話ははるか昔のことです。古代エジプトと今の日本とはずいぶん違いますが、どうか聖書から私たちが今の時代を生きる指針を与えて下さい。

私たちの国には古代エジプトと違って奴隷はいないことになっていますが、それでも重労働があり、長時間労働があります。会社から帰ってくるのが、毎晩12時、そんな人がたくさんいます。日本で差別を受けている外国人もいます。そんなことを見聞きしたり、自分が経験するとき、どうかあなたのなさった出エジプトの出来事から、教訓をくみ出すことが出来ますように。

モーセが憤りにかられてエジプト人を殺してしまいましたが、それは同胞を解放するためには何の役にも立ちませんでした。ここから私たちも、何か問題に遭遇した時、猪突猛進したり、暴力に訴えたりするのではなく、思慮深い、正しい判断をすることを学ばせて下さい。…そして神がモーセを訓練したことが、何よりモーセとヘブライ人を本当の信仰に導いたことを知り、信仰の大切さを心に刻むことを得させて下さい。

広島長束教会にモーセの勝ち取った信仰を与えて下さい。この祈りを主イエス・キリストのみ名を通し、み前におささげします。アーメン。

神をおそれて生きるyoutube 

井上豊牧師 松田玲子代読  

出エジプト1:15~21、マタイ10:28 2018.2.18                               

 私たち人間にとって最も大切なこと、それは本当におそれるべきものをおそれるということではないでしょうか。

 ここに集まっている皆さんには、何かこわいもの、おそれているものがありますか。おそらくどんな人でも、何か一つはあるはずです。ふだん、いくら怖いもの知らずの人でも、この人の前に出たら気持ちを引きしめるということがあるでしょうし、もしも自分が命の危険にさらされているとわかったときには、最悪の状態にならないように細心の注意をはらうことでしょう。このように、おそれるものを持っているということは人間として全く当然のことです。

 しかし、中には、おそれる必要のないものをおそれている人がいます。その中には、心配ばかりして命をすりへらす人もいます。人間は自分がおそれている対象に従おうとしますから、おそれるべきものを取りちがえた人生はそうでない人生と、天と地の違いが出てくるものです。

 世の中には、その前に立った時に体のふるえが止まらないような多くのおそるべきものがあります。しかし、救い主イエス・キリストは、神こそが本当におそれるべき方だとおっしゃいました。主イエスの言葉はこうです。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)。神以外におそれるべきものは何もないと教えて下さっているのです。

おそれること、この気持ちがなければ信仰はありません。信仰とは、その基本が神をおそれることにあるのです。しかし、神へのおそれは恐怖の恐と一方において重なりながら、必ずしも同じではありません。おそれるという言葉を辞書で引きますと、恐怖の恐という字と並んで、畏敬の畏、かしこまるという字があります。キリスト教で言うところの「神をおそれる」には両方の意味があります。神をおそれかしこむと言いかえても良いでしょう。

 私たちは神のみをおそれかしこみたいものです。神をおそれかしこむ行為の第一が礼拝です。礼拝について多くのことが教えられています。例えば毎週休まないで出席をとか、遅刻しないようにとか、礼拝中の態度はどうでなければならないとか、あまり厳しく言われたりするとうるさく思ってしまうこともあるでしょう。

しかし礼拝の態度についてなぜ注意されることがあるのか、それは牧師や長老をおそれることを学んでほしいからではありません。神をおそれることを学んでほしい、そのことを何よりも望むからです。

 キリスト教以外の信仰の中では、神へのおそれがそのまま恐怖をあらわすことがよくあります。そこでは神をまつるというのは、神をなだめてその怒りを鎮めることなのです。さもないと祟りを引き起こします。

 こんにちの日本は、さずがに「祟りじゃ、祟りじゃ」と叫ぶ人は少なくなりました。かえって人間の傲慢さが目につくことが多くあります。しかしこわいものがない人などなく、どんな人でも何かをおそれています。…まわりから自分がどう思われているか、仕事で失敗しないか、子供が良い学校に入れるか、病気にかからないか、…ありとあらゆるおそれが私たちのまわりにあります。もちろんそのことを考えるのが良くないということではありません。しかし、神様抜きでしてほしくないのです。私たちは神様のことを脇にのけたまま、目の前の悩みで頭がいっぱいになっているということはないでしょうか。

 そこで、もう一度考えてみますと、そうした、実にさまざまなおそれの根底にあるものが死に対するおそれです。この世に自分の場所がなくなってしまう、これほど恐ろしいことはありません。その気持ちは本能的なものです。そこで私たちは自分を絶体絶命の窮地に追いやらないためには、どんなことでもします。そのためには神に背き、自分の大切な友を裏切ることさえ珍しくありません。

 実際には命の危険がすぐそこまで来ているという状況に遭遇することは、そう多くないでしょう。そういう体験がなければ素直に神様に感謝すれば良いのです。しかし、もしもそういう場に引き出されたなら、その時、その人の信仰が本物であるかどうかが試されることになります。私たちはそんな時にも神をおそれる気持ちを貫いてゆくことが出来るでしょうか。

 

 神をおそれ、生命の危険もを顧みずに神に従った人々のもっとも美しい例の一つとして、きょう出エジプト記から、神に従った助産婦の物語を紹介出来るのは説教者にとって大きな喜びです。…なお助産婦という言葉は今は助産士となりましたが、聖書の訳に従って助産婦と言うことをお断りしておきます。

 それは紀元前12世紀、ヘブライ人すなわちイスラエル民族がエジプトに寄留していたときの出来事です。この出来事の背景には、エジプトの王が、日に日に数が増えていくイスラエルの民を恐れたということがありました。

王は初め、イスラエルの民を過酷な強制労働に服させることによって虐待し、人口増加を抑えようとしました。しかし、これがうまくいかないとわかった時、一つの民族を絶滅させようとしたのです。

 シフラとプアという二人の女性が出てきますが、大勢の民の中で助産婦がたった二人だけのはずはないので、彼女たちはきっと助産婦たちの監督のような立場にいたのでしょう。…エジプトの王は彼女たちに命じました。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」

王がヘブライ人の男の子を皆殺しするよう命じたことは、彼女たちを王に従うべきか、それとも神に従うべきかという重大なジレンマに追いこみました。しかし彼女たちは、ついに王の命令に従わないことを選びとったのです。

 皆さんは、「助産婦たちは神を畏れていた」という言葉が2回、17節と21節に書かれていたことにお気づきになられたでしょうか。17節は、「助産婦たちはいずれも神を畏れていたので」、21節にも「助産婦たちは神を畏れていたので」と書いてあります。彼女たちは目に見えない神をおそれたのです。目に見える財宝も宮殿も戦車も持っていない神をおそれたのです。もちろん彼女たちにとって王がこわくなかったはずはありません。エジプトで、王は太陽神の子とされていました。ファラオと呼ばれ、絶大な力を持っていました。王が助産婦たちを処刑しようとしたら、いとも簡単なことだったでしょう。しかし彼女たちは、王の命令に従って生まれた男の子を殺すことは神のみこころに反する、と確信していました。この世の王の命令が神のみ旨に反する時には、王に従うことこそが罪になることを知っていました。ですから、自分たちみんなの命に比べたらこんな赤ん坊の命なんて、と思うこともなかったのです。ここに、人間に従うよりも、神に従うことを選び取った人たちがいます。

 助産婦たちは赤ん坊が男の子であっても生かしておきました。これを聞いて怒った王に呼びだされたとき、彼女たちは嘘を言って言い逃れしました。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです」。このところから、緊急時に嘘をついて良いかどうか、論争が起きたそうです。もとより嘘は良いことではありません。けれども神は、この嘘を引き起こした非常の場合をご存じでした。神は助産婦たちが、絶対的な権力者にさからってまで神のみこころに従おうとしたその勇気を認めて下さいました。それゆえに神は助産婦たちを祝福し、彼女たちの家を栄えさせられたのでした。

 今に残るエジプトのピラミッドやスフィンクスは、王の絶対的な力を表す建造物として、知らない人はありません。しかし、この時代に神をおそれる助産婦がいたということは、それ以上に重要なことではないでしょうか。エジプトの王は神をおそれることを知りませんでした。彼がしたこと、すなわち一つの民族の生存権を認めないことは、20世紀になってナチス・ドイツによって行われたことに通じています。

 いのちは神から来ます。いのちを与えたり取り去ったりするのは神がなさることで人間が介入してはなりません。神からの贈り物である赤ん坊の命を守るために、自分のいのちの危険も顧みなかったこの助産婦たちのしたことは聖書に記され、永遠に記念されることになりました。神をおそれることを知っていたからこそ、神以外の力がどんなに強くとも、それに勝つことが出来たのです。絶対的な権力にも屈せずに小さないのちを守り抜いてゆく愛の素晴らしさを、彼女たちは伝えています。

 

 助産婦たちのたたかいは神の目に届きました。エジプトの王はこのあとも執拗にヘブライ人を滅ぼしつくそうとしますが、神はついに指導者モーセをつかわして民族の解放をなしとげさせて下さいました。人間に従うよりも、神に従がうことを選び取る人に、神は必ず応えて下さるに違いありません。

 私たちは、聖書によって示された神に対して、まず、私たちのからだも魂もこの神様によって滅ぼされることがあるのだということを謙虚に知ることが大切です。神をおそれるということは、自分が滅びることをおそれるという意味がやはりあるのです。神は私たちのすべてを知っておられます。私たちが悪事を働き、それでいて世間をごまかすことが出来たとしても、神から逃げるおおせることは出来ません。助産婦たちがもしも王に従っていったなら、神が彼女たちを罪に定めたことは確実です。神は私たちの罪をさばき、地獄で滅ぼすことが出来るお方です。その意味で、恐怖の対象としての神を考えることが出来ます。

 

 しかし、続いて覚えてほしいことは、人間の罪に対して少しも容赦されない神が人間のことを徹底して愛し、最後まで責任を持とうとされていることです。もしも神が恐怖の対象だけの存在であるならば、私たちはあやつり人形のようにただ従うしかないでしょう。しかし神は人間との交わりを求めておられます。神に従って善をなそうとしながら、それを阻もうとする周囲の圧力や自分の弱さに悩んでいる人たちに、神はいつもついておられ、慰め励まして下さいます。…神は自分たちの味方である、それを知っていればエジプトの王を恐れる必要はありません、神の教えに反対する人々を恐れる必要はありません、そして自分の心に巣食う弱さも恐れる必要がないのです。

 神が人間をどこまで徹底的に愛そうとされているかを、私たちは神のみ子イエス・キリストにおいて見ることが出来ます。キリストは私たち人間の身がわりとなって罪の裁きを受け、十字架につけられました。このキリストが父なる神の前に人間一人ひとりの罪をとりなして下さいます。だから私たちは、罪のために滅ぼされて当然の者であるのに、滅ぼされないのです。キリストに出会い、キリストの愛が圧倒的な力で迫ってくるとき、私たちはもう神以外のものに対する恐怖という気持ちを克服しています。その時、心の中は感謝と賛美に満たされているのです。

 神に従ってゆくのは、このような、神への感謝と賛美から生ずるところのまったく自由な行為です。そこには少しの偽善も窮屈さも入る余地はありません。神をおそれ敬いさえすれば、他の何ものもおそれる必要がないからです。

 神は古代のエジプトで神を畏れる助産婦を誕生させましたが、今の時代にももちろん神を畏れる助産婦が必要とされています。そればかりでなく神を畏れるサラリーマン、神を畏れる老人、神を畏れる婦人、神を畏れる子どもなどあらゆる種類の神を畏れる人々を神は必要とされているのです。神を畏れるということの中には、時と場合によっては、国家と対決するということも含まれます。どうか私たち一人ひとりみな、神を畏れる人となって、今の、このきびしい時代の中を勇敢に生きぬいてゆくことが出来ますようにと願います。

   神に従う人の幸いyou tube  

詩編91:1~8、使徒12:1~12  2018.2.11

 

 使徒言行録の説教では前回、アンティオキアの町に教会が誕生し、めざましい成長があったことについてお話ししました。アンティオキアで信徒たちが初めて、キリスト者とかクリスチャンと呼ばれるようになりました。またアンティオキアの教会がエルサレムの教会に、援助の品を送り届けたことも見てきました。こうしてみると発展するアンティオキアの教会に比べ、エルサレムの教会があまりぱっとしていないように見えるかもしれません。しかしエルサレムの教会が停滞していたとはいえません。私たちはアンティオキアの教会で一連の出来事があった時に、エルサレムでは何が起こっていたかということを学ぶことになります。

 

 今日のところではまずヘロデ王が登場します。ヘロデ王と言うと私たちは、イエス様ご降誕の時のユダヤの支配者であった、悪名高いヘロデ大王を思い出すのですが、この人はヘロデ大王の孫にあたります。ヘロデ大王が紀元4年に死んだあとユダヤは3分割され、大王の3人の息子が領主に格下げされましたが、それぞれ統治しました。その後いろいろなことがあった末、41年に大王の孫、このヘロデが全ユダヤの王になったのです。

 こちらのヘロデ王は、人心をつかむのがなかなか巧みで、はで好みのわりにはユダヤ教の儀式には熱心だったので、ファリサイ派にも慕われたということです。彼が使徒ヤコブを剣で殺したところ、それがユダヤ人に喜ばれました。そこで王は、今度はペトロを捕らえたのです。 

 ヘロデ王によって斬り殺されたヤコブはヨハネと兄弟でした。福音書にこういう話があります。ある時、二人が主イエスのもとに行き、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」とお願いしました。イエス様が「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲み、このわたしが受けるバプテスマを受けることができるか」と尋ね、二人が「できます」と答えると、イエス様は言われました。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない」(マルコ10;35~40)。

 この預言の通り、ヤコブは今、主イエスの飲んだ杯を飲み、主イエスが受けたバプテスマを受けて、12使徒のうち最初の殉教者となりました。ヨハネの方はその後長く生きたようですが、しかし彼としても安楽な生涯を送ったわけではなく、主イエスが飲む杯を飲み、主イエスが受けるバプテスマを受けたことには変わりありません。

…主イエスのもとで立身出世と栄達を望んだ二人は、こうして、それとは全く違う人生をおくることになったのです。

 

 ヘロデ王はヤコブを殺したあと、次にペトロをつかまえました。ペトロは牢に入れられ、鎖でつながれました。王はペトロを四人一組の兵士四組に引き渡して監視させました。これは四組の兵士が交代で寝ずの番をしたということで、一組四人というのは囚人の両側に一人ずつ二人、そして牢の入り口に二人が見張りとして立っていたということでしょう。このあとの経過を見てわかる通り、ペトロの前には第一、第二の衛兵所があり、さらにその先に鉄の門がありました。要するに、脱獄は不可能なのです。

 ヘロデ王は、ペトロを厳重な監視のもとに置き、過越祭のあとで民衆の前に引き出すことにしていました。群衆の目の前でペトロを処刑し、それでもってキリスト者を憎むユダヤ人を喜ばせ、自分への支持を固めようとしたのです。

 普通に考えると、この時のペトロほど不幸な人間はいません。絶体絶命、あらゆる望みが断ち切られているのです。心の弱い人なら、ここで絶望してどうにかなっているかもしれません。しかし、ここに神の恵みが与えられました。それはもちろん、天使が彼を助け出したことにあるのですが、実はそれ以外にも二つの恵みを見出すことが出来ます。皆さんはおわかりになられたでしょうか。それでは、ペトロの受けた恵みを順に述べることにしましょう。

 第一の恵みは、ペトロには彼のことを覚えて祈ってくれる教会があったということです。

 5節は、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」と書いています。この時ペトロは牢におり、他の信徒たちは教会にいました。ですから苦しみを受けているのはペトロ一人で、あとの信徒たちは苦しみから免れていたことになるのですが、信徒たちはその群れに属する人が苦しみを受けている時に、その人のために祈ることを知っていました。いまペトロは牢獄でたたかっています。信徒たちは祈ることでペトロと連帯していたのです。そのことは信徒たちが、ペトロが牢獄から解放されるために、出来ることはすべてしたということを示しているのです。

 祈ることは、教会にとってもっとも基本的なことです。初代教会はたびたび迫害にさらされましたが、その指導者や信仰の兄弟姉妹が牢獄に入れられた時に、その人のために祈ることで苦しみを共にしました。へブル書の13章3節は教えています。

「自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。」 このような祈りがなされている時、ペトロは牢獄の中にいても、決して孤独ではありませんでした。かえって牢獄が、ペトロと教会の結びつきをさらに強めたといえましょう。ペトロは彼のために祈ってくれる、教会という真のよりどころを得ていたのです。

 このことに関連して、最近沖縄で起こったことをお話しします。沖縄で辺野古の米軍基地建設に反対している人の中に、日本キリスト教団の牧師がいますが、この人は2年前、反対派のリーダー山城博治さんらと共に逮捕され、釈放されるまで牢獄で過ごさねばなりませんでした。問題は、この牧師が働いていた教会が、牧師の逮捕を受けて彼を解雇してしまったことです。教会としては言い分があったでしょう。…牧師が伝道と関係ないことにうつつを抜かしている。逮捕されたことで教会に多大の迷惑をかけた。こんな牧師はいらん、…といったところだろうと思いますが、でもほかに方法がなかったのかということです。少なくとも、逮捕された牧師のために熱心な祈りをささげることが出来なかったのか、という問題があるわけです。

 ペトロに与えられた二番目の恵みは、彼が困難のただ中にあっても平安が与えられていたということです。6節をご覧下さい。「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは2本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた」。ペトロが、明日お前は処刑されるのだと告げられていたかどうかはわかりません。ただ、処刑されるとすれば過越祭りの当日かそのすぐあとだろうということはわかっていたと思うのです。ペトロが不安で眠れなかったとしても当然です。まして、鎖につながれているのですから、そんな状態で眠っていられるというのが不思議です。

 ここで思い出されることがあります。それは主イエスが弟子たちと共に小舟でガリラヤ湖を渡っておられた時のことです。激しい嵐が起こって、舟が波にのまれそうになった時、イエス様は眠っておられたのです。イエス様は弟子たちに起こされると、起き上がって風と波を叱り、嵐を静められました(ルカ8:22~25)。ペトロはその時、恐怖で泣き叫んだ弟子の内の一人だったのですが、その彼が、明日は処刑されるかもしれないという時に、大胆にも眠っています。これは、ペトロが疲れ切っていたということではないでしょう。神様にすべてを委ねたところから来る平安が彼をつつんでいたのです。

 使徒パウロもたびたび投獄されました。彼が牢獄の中で書いたものにフィリピの信徒への手紙がありますが、その中に次の言葉があります。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

(フィリピ4:6~7)。…パウロがこのように書くことが出来たのは、彼もまた獄中生活という普通に考えれば最も悲惨な状況の中で、「あらゆる人知を超える神の平和」に満たされていたことを証ししています。

 皆さんが投獄されたり処刑されたりということはないと思いますが、しかし生活上の小さなことにいつもいつもおびえて、神経をすり減らしてしまうというのは十分にありえることなのです。だいたい大きなことを恐れている人はゆうゆうとしているように見えるものです。小さなことを恐れている人はいつもくよくよしていなければなりません。今ここにいる誰もが、あらゆる人知を超える神の平和という幸いを受け取ることが出来ますように。

 ペトロが受け取った三番目の恵みはもちろん、彼が牢獄から救い出されたことです。7節から10節に書いてあること、すなわち主の天使がペトロのもとに現れ、彼を牢獄の外に連れ出したことは、ペトロ自身、「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った」ほどでした。ペトロは天使が離れ去った時に我に返って、「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」、と言うことが出来たのです。ここに書いてあることは、あまりにも超自然的で、信者でない方はもちろんのことキリスト者であっても首をかしげてしまうことになります。

 私もうまく説明することが出来ないのですが、ここからは少なくとも、ペトロが助け出されることが神のみこころであること、また神が教会の人々の熱心な祈りに応えて下さったことを見ることが出来ます。神の助けというのはたしかにあります。それが超自然的なものか、そうでないかは別にして、神がその全能の力を発揮されることがあることを知っておきましょう。

 列王記下6章にこのような話があります。預言者エリシャが住んでいた町が敵軍によって包囲された時のことです。エリシャのしもべがこの様子を見てあわてふためき、「ああ、だんな様!どうしたらよいでしょうか」と言うと、エリシャは「恐れるな。わしらの軍隊は彼らよりも多く、強いのだ」と言います。しもべはそのことが信じられません。そこでエリシャが「神様、どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください」と祈ると、若者の目が開け、「火の馬と火の戦車が山の上に目白押しに並んでいる」のが見えたのです。(列王下6:15~17、リビングバイブル)

 これも不思議な話ですが、妄想として片づけてしまうことは出来ません。要するに、信仰の目を開く時、ふだん見えないことが見えてくるということです。神はご自分に従う者たちをさまざまな方法を用いて助けられます。神様の助けは確かにあります。神様は祈りに応えて下さるのです。

 

 さて、最後に一つ、私にとっては気にかかることがありました。ペトロは救い出されましたが、ヤコブは殺されました。これは、神がペトロについての祈りには応えられたものの、ヤコブについては見捨てられたということでしょうか。そうではありません。神様には神様のお考えがありますから、人間が勝手に、自分の願いどおりになったから良かった、ならなかったからだめだ、と決めるようなことは出来ません。神様はヤコブを天の、ご自分のみもとに迎えられました。ペトロが生きて戻ってきたと同様、ヤコブの死についても、そこに何か大きな意味があるはずです。

 神様は私たち一人ひとりにこれから、どんな人生を見せてくれるでしょうか。私たちが生きるにしても死ぬにしても、神様のみこころこそがそこに貫徹されていることを信じ、教会員同士互いに祈り合うと共に、困難の中にあっても天から来る平安が与えられますように。

 

(祈り)

 天にいます父なる御神様。神様が私たちのような者にご自身を礼拝することを許され、そして私たちの礼拝を受け入れて下さっておられ、そこに今日のこの礼拝があることを、喜び、感謝いたします。

 神様、私たちはそれぞれ、人生でうまくゆかないことや、さまざまな悩み、苦しみを背負っておりますが、そのことなら初代教会の人々もかわりませんし、私たち以上の困難とたたかっていたことと思います。教会の指導者の内の一人は殺され、一人は投獄される、普通ならここで心が折れて、信仰から脱落する人も出てしまうところですが、そんな時にあっても教会を持ちこたえさせたのは何だったのでしょう。私たちはあらためて、祈りの持つ力を覚えさせられます。エルサレムの教会の人々の祈りを、神様が聞き届けて下さって、ペトロの上に平安と助けが与えられました。

 神様、私たちもエルサレム教会の人々のように、困難にある人々のことを覚え、みこころにかなう祈りをしてゆく者として下さい。そうして祈りがかなえられる喜びを体験させて下さい。

 とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

キリストの名によって呼ばれる者youtube

 

イザヤ43:3~7、使徒11:19~30 2018.2.4

 

 イエス・キリストを信じている人のことを、キリスト者とかクリスチャンと言ったりします。どちらも同じことなのですが、教会の外ではクリスチャンという言い方の方が一般的かもしれません。皆さんも、自分から「私はクリスチャンです」と言うことがあるでしょう。…また、「あの人はクリスチャンだよ」と人から言われることもあるでしょう。この場合、クリスチャンは素晴らしいという意味で言われるのなら良いのですが、いつもそうとは限りませんね。かりに「あれでクリスチャンなの?」という意味あいで言われるとしたら、自分のためにイエス様の顔に泥を塗ってしまうことになりかねません。私たちはキリストの名によって呼ばれる者たちです。自分で意図するしないにかかわらず、自分の言動がイエス様の評判にも関わってしまう、それほどにイエス様と結びつけられているのです。

 

 キリスト者、あるいはクリスチャン、この呼び名が初めて誕生したのが、いまお読みしたアンティオキアの教会です。

 アンティオキアに教会が出来たいきさつはこうでした。私たちは以前、エルサレム教会の有力な指導者、信仰と聖霊に満ちている人ステファノが殉教したことを学びましたが、ステファノが殺されたその日にエルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかはみな、ユダヤとサマリアに散って行きました。ただし、それは、信者たちがちりぢりばらばらになってしまったということではありません。8章4節は書いています。「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。普通に考えると、この人たちは難民とは言わないまでも、たいへんに苦しい境遇の中にいるわけです。周囲から、神様に見放された人たちだと見なされることだってあったと思うのです。しかし、そんな中で、十字架につけられ復活されたイエス様が救い主だということを告げ知らせていったというのは、驚くべきことではないでしょうか。彼らの声が聞こえてきたらと思います。

 彼らはフェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きました。聖書の巻末にある地図で、「新約時代のパレスチナ」をご覧下さい。フェニキアはガリラヤの西の地中海側の地方です。次に「パウロの宣教旅行1」を見て下さい。地中海に浮かんでいる島がキプロスです。バルナバもキプロスの出身でした。…アンティオキアはシリアの中で見つかります。ここは古代ローマ帝国の中では、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ大都市で、80万の人口を擁していたと伝えられています。

アンティオキアにはもともと多くのユダヤ人が住んでおり、人口の1割だったと言われています。そこにはすでにユダヤ教の会堂がいくつもあって、ユダヤ教の礼拝が行われていました。エルサレムから逃れてきた人々は、まずユダヤ人の中に入っていって、イエス様のことを語ったのです。…私たちはフィリポがエチオピア人の宦官に、またペトロがイタリア人のコルネリウスに会って、伝道し、洗礼を授けたことを知っていますが、アンティオキアまで来た人々がそのニュースを聞いていたのかどうか、知らないままであった可能性が高いようです。彼らにとっては、同胞であるユダヤ人に福音を語ることは当然のことであったわけですが、異邦人に目を向けることはなく、異邦人に福音を語ることはなかったのです。

 ところがこの人々の中に、キプロス島やキレネ出身の人々がいました。キレネは今のリビア領内にあります。…この人たちがめざましい働きをするようになりました。ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、主イエスについての福音を告げ知らせたのです。ギリシャ語を話す人々とはこの場合、ギリシャ人、つまり異邦人のことです。…キプロス島やキレネ出身の人たちが、いったいどういう理由でもって、古来からの伝統と自分の殻を打ち破って異邦人に伝道するようになったかはよくわかりません。ペトロが体験したような劇的な出来事があったのでしょうか。聖書は「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」とだけ書いています。彼らの努力が実ったのは、何より主イエスが助けられたからです。聖霊が彼らと共にあったからです。

 こうしてアンティオキアに、異邦人が大半を占める教会が誕生しました。

 

 では次に、アンティオキア教会にバルナバが派遣されたことを見てゆきたいと思います。…バルナバが聖書に初めて登場するのは4章36節です。「レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」

 その次が9章26節27節です。サウロが回心したのち、エルサレムに来て使徒たちの仲間に加わろうとしたのですが、みんなサウロを怖がって会おうともしません。その時バルナバは、サウロを連れて使徒たちのところに案内しました、彼はサウロと使徒たちをつなぐ役目を果たしたのです。

 バルナバは模範的な人物で、聖書の中から彼の欠点や失敗を探そうとしてもなかなか見つからない、稀有な人物です。14章14節では、彼が使徒の一人に数えられています。

使徒というのは12使徒とパウロの13人のはずなので、なぜバルナバが別格の扱いをされているのか、新聖書大辞典には、その理由はわからないと書いてありました。これほどまでに祝福されたバルナバの人生の秘訣について、聖書は「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。」と書いています。

 バルナバがこれほど立派な人物であり、しかもアンティオキアの教会で重要な働きをしている人たちと同じキプロス島出身であることから、私たちはこの教会に最もふさわしい人材が派遣されたと思ってしまいますが、しかし教会が人を派遣し、それを別の教会が引き受けるということについて、もう少し見ておきたいと思います。

 エルサレム教会は大迫害のために大多数の信徒が出て行ったあと、困難の中で、使徒たちを中心に少数の人たちが必死になって教会を守っていたものと思われます。エルサレム教会に残った人々は、各地に散っていった人たちのことを、身が引き裂かれるように案じていたのでしょう。…そんな時にアンティオキアから知らせが来ます。新しい教会が出来て、異邦人がどんどん入ってきていると。エルサレム教会は喜んでバルナバを派遣しました。

 このことを、親にあたる教会が子どもの教会を視察し、監督するためであると考える人がいると思います。これは必ずしも間違いとは言えないのですが、これで全部説明できるわけではありません。

 間違いではないと言ったのは、新しく生まれた、しかも異邦人の多い教会にはすぐれた指導者が必要だからです。ユダヤ人の信者であれば、少なくとも旧約聖書は知っており、神とイスラエル民族の間に長い歴史を通して何があったかを知っています。イエス様を受け入れる素地はあるわけです。ところが異邦人の場合、ギリシャの神々を拝んでいたりという、全く違うところから教会に飛び込んでくるわけですね。旧約聖書など全く知らない人たちが主体となる時、キリスト教信仰が正しいところからそれてゆくという可能性もないではないので、しっかりした指導が必要です。…もちろんユダヤ人の信者がまさにユダヤ人であるがためにイエス様を認めにくいということもあって、異邦人とユダヤ人とどちらが良いかと比較するようなことではないのですが。

 こうしたことを踏まえた上で、しかし皆さんに知っていただきたいことは、教会と教会の間に上下関係があってはならないということです。エルサレムは総本山なんだから、あとから出来た教会は従わなければならないということはありません。…ただ、それぞれの群れが思い思い勝手にやっていいということでもありません。支配と従属ではないのです。互いに相手のために仕えることが大切です。生まれたばかりの教会には、みことばに従った適切な判断が出来る人材がまだそろっていないかもしれません。

だから先に出来た教会が助けの手を

差し伸べたのです。エルサレム教会でも大切な人材であったバルナバが送り出されたのは、アンティオキア教会を助けるため、仕えるためであったのです。

 バルナバのことでもう一つふれておかなければならないのは、サウロを探しに行って、連れ帰ったことです。先にお話ししたように、バルナバはサウロを使徒たちに紹介する役割をしたわけですが、サウロはその後、反対派から命を

狙われて、現在トルコの領内にあるタルソスに逃れていたのでした。

 バルナバが、サウロがかつて回心した時の状況を知らなかったはずはありません。主イエスはその時、サウロについて「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と言われていました(9:15)。異邦人が大半を占めるアンティオキアの教会において、今もっとも必要とされているのがサウロである、神が彼を必要とされていると、バルナバは確信していたのではないでしょうか。

 バルナバとサウロは丸一年間、アンティオキアの教会に共にいて、多くの人を教え、信仰へと導きました、こうしてこの教会は、やがて世界的な伝道の拠点として、大きく成長していったのです。

 

 さて、アンティオキア教会の信仰の様子を表す話がここに入っています。アンティオキアにエルサレムから預言者たちが来て、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告しましたが、果たしてその通りになったのです。おそらくユダヤの窮状が伝わってきたのでしょう。その時、アンティオキア教会の人々は、それぞれ自分の力に応じて、ユダヤに住む兄弟たち、すなわちエルサレム教会に援助の品を送ることを決め、これをバルナバとサウロに託して、エルサレム教会の長老たちに届けました。

 異邦人が大半の、出来てまもない教会にとってエルサレムの教会というのは、バルナバとサウロを通して知っているだけの教会です。そこの信徒たちとは民族が違うし、顔を見たこともないのです。アンティオキアの人々は、遠くの教会よりも自分たちの教会の方が大事だとは考えなかったのでしょうか。しかし彼らは、まだ見ぬ兄弟たちのために、一人ひとりが自発的に、それぞれの力に応じて献げものをしました。ここに、神から頂いた恵みを共に分かち合い、また苦しみをも共にしようとする、まことの主イエス・キリストを頭(かしら)とする教会が築かれていることがわかります。(ちなみに、2014年の広島土砂災害の時、日本国際飢餓対策機構はまず被災地にある教会を助け、そこから、その恩恵が付近に及ぶようにしていました。)

この教会の人々が、世界で初めて「キリスト者」、「クリスチャン」と呼ばれた人々です。 それまで、イエス様を主と信じる人々はユダヤで、ユダヤ教の分派か異端のように見なされていました。しかしアンティオキアで、教会のまわりの人たちは、彼らにあだ名をつけて呼ぶようになり、それが世界に広がったのです。

…このようなあだ名をつけられた理由は、彼らがしじゅうキリスト、キリスト」と語っていたからだと考えられます。…聞いていた人々は、「また始まった。この人たちはキリストのことばっかり喋ってるよ」、「口を開けばキリスト、キリストと言っている」、そんな感じで「あいつらはキリストのことばっかり言う、クリスチャンだ」と。ちょっとからかうような意味合いがあったかも知れません。
 しかし教会の人々は、そのあだ名を喜んで受け入れました。そうして、自分でもキリスト者だ、クリスチャンだと言うようになったのです。…私たちは、イエス・キリストの十字架によって罪が赦され、復活の新しい命を頂き、終わりの日の希望を持って生きている。キリストが人生の中心におられ、キリストによって生かされている。エルサレム教会に援助の品を送ったのもその現れで、キリストから頂いた恵みの一部をお返ししたにすぎないのだ、と。

 

 私たちもまた、アンティオキア教会の人たちと同じ呼び名で呼ばれる者たちなのです。

 私たちは今日このあと聖餐に与ります。それは今も生きておられるキリストの体と血を頂き、キリストに結ばれていることを目に見えるしるしによって確かにされる時です。これは、私たちがキリストと一つにされ、生かされている。その恵みを共に味わう時です。
 「わたしはキリスト者です。クリスチャンです。」、私たちがこのことをためらいがちにではなく、はっきりと、喜んで語って行くことが出来ますように。また私たちを通して、キリストがさらにたたえられるようになりますようにと心から願います。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。あなたが備えて下さった礼拝を通して、私たちが神様から尊い恵みを頂いていることを知り、心から感謝いたします。それは、私たちがキリストの名をもって呼ばれるほどです。おそれおおいことだと思います。教会の外の人たちが私たちを見た時に、クリスチャンは素晴らしいとか、あの人はさすがクリスチャンだねと言われたら、こんな嬉しいことはありません。しかし、実際には、私たちのことで、あれでもクリスチャンかと思われて、イエス様の評判を落とすようなことがあるかもしれません。

神様、私たち一人ひとりがキリストから送られた手紙であり、キリストの香りであるということの重みに耐え、かえってこれを喜ばしいことと受けとめつつ、キリストの名に恥じない、キリストの名にふさわしい者となってゆけますように、格別のお導きをお願いいたします。

神様、広島長束教会に集まる人々は、若い人は少なく、社会的地位が高かったり資産家である人も少なく、皆が健康な体を持っているわけでもありませんが、どうかこの私たちを用いてもキリストのみわざがなされますように。骨折した渡部牧子さん、入院中の日野美枝子さんを顧みて下さい。この祈りをとうとき主の御名によって、お捧げいたします。アーメン。 

 順境の日と逆境の日youtube  

コヘレト7:7~14、フィリピ4:10~14、2018.1.28

 

 コヘレトの言葉はなかなか読みにくい書物です。日本語に翻訳するのはたいへんな作業だったようで、ためしに口語訳とか新改訳とか別の翻訳に当たってみますとまるで違うような文章が出て来ることがあり、それだけでも翻訳した人の苦労がしのばれますが、さらにコヘレトの言うことがその時々で変わるので混乱させられます。

コヘレトは、人がこの世に生きる意味は何かということを探求しましたが、コヘレトの考えることは、らせん階段のようにたえず変化してゆきますので、ある時点で結論であったことが、次の時点では乗り越えられるということも珍しくありません。また前の結論に戻ってしまうということもあります。そのため、あれ、井上が説教で言っていることが前と違うぞと思われることがもしかしたらあるかもしれませんが、目標とするところはただ一つなので、ご承知下さい。

 

 そこで昨年10月に学んだ7章1節から6節までの部分をちょっと思い出していただきたいのですが、そこの4節のところに「賢者の心は弔いの家に、愚者の心は快楽の家に」という言葉があります。私はここから、死ということから目をそらさないのが賢者で、その反対に死から目をそむけて目の前の楽しみばかりを追いかけているのが愚者だということをお話しいたしました。賢者と愚者ははっきり違っているのです。

 ところが7節に入ると、その区別はあやしくなります。「賢者さえも、虐げられれば狂い、賄賂をもらえば理性を失う」。

 どんなに賢い人でも、状況によっては愚かになることがあります。賢者と呼ばれる人であっても、もしも虐げられて自分の命が危なくなるようなことがあれば取り乱すでしょう。また、誰かが大金を差し出して自分のために便宜を計ってほしいと言われた時、心が揺れないでいることが出来るでしょうか。魔が差すということがあるのです。

 私たちはこれまで、賢者と愚者は天と地ほどに違っていると考えていたかもしれません。しかし実際には多くの共通点があります。その内、最大のものは、コヘレトがかつて語ったように(2:16)、賢者も愚者も等しく死ぬということです。死という共通の定めの前には、大学者であろうが、全然勉強しなかった人であろうが関係ありません。

 そして、次に言えることは、賢者であっても愚者であっても、罪の誘惑の前にはもろいということです。どんな災いにあっても信仰を守り通したヨブのような人は本当に稀有な存在で、普通はそうはゆきません。…箴言30章にアグルという、箴言に名前を出すくらいですから賢者だと思いますが、その人の言葉が載っています。8節の後半から読んでみます。「貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません」。…たとえ賢者であっても、金持ちになれば傲慢になって神から離れる危険があります。また、貧乏のどん底に陥った時、泥棒にならないという保証はありません。この人はそのことを知っていたのです。

 

 賢者と呼ばれる人でさえ、虐げられれば狂い、賄賂をもらえば理性を失うとするなら、まして私たちは、自分がそうならないよう常に自覚していなければならないでしょう。

 7章8節以下に、人生を生きぬくためにコヘレトが見出した知恵が書いてあります。「気位が高いよりも気が長いのがよい」、「気短に怒るな」、これらの言葉の背景を探ってみたいと思います。

 今ここにおられる方々にわざわざ申し上げるまでもないことではあるのですが、人生には忍耐が必要です。せっかちで待つことが出来ない、なにごとも性急に行おうとする、…こういうことは、他の人を傷つけると共に、自分自身の心にも傷を負わせることをコヘレトは洞察しています。

 実際、人が罪を犯す危険が最も多いのはどんな時でしょうか。急いでいる時です。待つことが出来ない時です。…自分の言いたいことだけを鉄砲玉のように相手に浴びせかけている時、相手の話を聞いてあげるだけの心の余裕はありません。…親が子供の心を踏みにじってしまうのは、自分の言い分だけ並べ立てて子どもの言い分を聞こうとしない時です。…職場で、上司が部下をののしったりするのはどんな時でしょうか。やはり急いでいる時です。……さらに、かつての日本では、「あの国は許せない。国民も許せない」という思いが国中に満ち、撃ちてし止まんといったスローガンに乗せられて戦争へと突き進んでいったのですが、もしもその時、ちょっと待てよ、敵国の意見もいちおう聞いてみることにしようとなったら、違う歴史の展開となったかもしれません。

 畑で野菜を作ろうとする時、雑草の方が早く成長することがよくあります。そこで、雑草がある程度大きくなった時に、まとめて引き抜いてしまいますが、しかしせっかちな人だったら、雑草も野菜も一緒に引き抜いてしまうことでしょう。

 人生をより良く生きるためには、待つことが出来なければなりません。すぐに良い結果を出そうとしてもうまくゆくとは限りませんから、せっかちな人は自分のしていることうまくゆかないと、その時点ですべてを投げ出してしまうということが起こります。それが一回二回だけなら良いのですが、そんなことが積み重なってしまうとどうなるでしょう。「昔は良かった」というのが口ぐせの人生になってしまうかもしれません。

 

 「昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない」(7:10)。これを見ると、現代ばかりでなく、いつの時代にもこういう人がいたんですね。

 コヘレトの立場に立って考えると、昔の方がよかったなどというのはナンセンスです。なぜか。……コヘレトにとって、太陽の下、新しいものは何もないからです。昔も今も何も変わらない、今あることは昔すでにあった、これから起こることもその繰り返しに過ぎない、だから昔が良く見えるのは幻想にすぎないことになるのです。

 昔の方が良かったというのは、昔の人間の方が良かったということですね。よく「今の若い者は…」という言い方がされますが、これは昔の方が良かったということと重なっています。…「今の若い者は」と言っている人も、昔は同じ言い方をされていたのです。昔、そんなことを言っていた人も、やはり同じことを言われていたのです。そういうことが太古の昔から連綿と続いてきたように思います。

 昔の方が良かったというのは、その人が今の時代を良いと思っていないからです。今の時代に大きな問題や困難があると見ているのです。しかしその人に、今の時代の問題や困難を克服しようとする思いや決意、祈り、それを実行する手立てなど一切を見ることは出来ません。昔をなつかしむことは当然あって良いのですが、それのみで今の時代の問題や困難に立ち向かうことは出来ないのです。…要するに、「昔の方が良かった」などと言ってもそれは現実を正しく見ていることにはならない、現在の状態が不満だらけであるために過去が実際以上に美しく見えているだけだ、というのがコヘレトの言いたいことなのです。

 こうしたことの原因をたどってゆくと気短であることとかなりの関係があるように思います。なにごとも性急に解決しようとし、それがうまくゆかないと今度はあきらめ人生に変わってしまうのです。それは根底において、神様のなさりようを信頼しないことでもあるのです。私たちは、何事にも神様が決めた時間と場所があることを知っていたいものです。

「忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる」、これは箴言14章29節の言葉です。短気な人はますます怒りっぽくなり、不幸になります。それは根底のところで、神様のなさることを信頼していないからです。…神が歴史を導いておられ、私たち一人ひとりを顧みていて下さるとすれば、人生多少の困難があったからと言って、どうして焦る必要があるでしょうか。

 神が与えて下さる道は私たちの目には、曲がって見えることがあるかもしれません。神様に従ってゆく時に、どうしてこんな面倒なことをしなければならないのだろうとか、あの人は世の中をすいすいと渡っているのに、自分はどうして苦労ばかりしなければならないのだろうと思うことだってあると思います。しかし、神様が与えて下さった道なら、感謝して受けとめ、まっすぐに歩んでゆく者となって下さい。

 

 昔の方が良かったなどとつぶやく人はよく言います。今の自分には何の楽しみもないと。しかし聖書は、人が昔をなつかしみ、過去の思い出にふけったままで一生を終えなさいとは命じていません。暗い性格だと思われがちなコヘレトでさえ、そんなことは言っていません。コヘレトは言うのです。「順境には楽しめ。逆境にはこう考えよ。人が未来について無知であるようにと、神はこの両者を併せ造られた、と」。

 どんな人の人生も死で終わってしまうという現実の中、逆境の日もありますが、それでも人生には順境の日があるということをコヘレトは知っています。神様がおられる限り、未来が、坂を転げ落ちるように悪くなってしまうということはないのです。未来がどうなるかわからないということは救いです。未来がわからないから、人は未来を良いものにしようと努めるのです。

 そこでコヘレトは、今が順境の日なら、その幸せを感謝して楽しみなさいと言います。…では、今が逆境の日だとしたら、…この機会に自分の人生をしっかり考えなさいと言うのです。自分の努力次第では、また良い日が来るかもしれないのだから、ここであきらめてしまうことはありません。私たちはさらに、この先のことを考えましょう。順境の日が来ることは誰でも願っていることですが、その日は、「昔は良かった」などと嘆いているようでは永遠にやって来ないでしょう。

 

 …私たちはみな過去に生きるべきではなく、未来に向かって生きるべきです。神は未来におけるイエス・キリストの最終的な勝利を約束されておられます。…ですから私たちにとって、神のみわざを仰ぎつつ前向きに生きる時に与えられるのが順境の日ではないかと思います。…むしろ、「昔は良かった」などと嘆いているのが逆境の日でありまして、そんな時こそ、自分の信仰そのものを問い直してみると良いのです。

 最後に8節の「事の終わりは始めにまさる」で、今日のお話のまとめとしたいと思います。これは、「終わり良ければすべて良し」という格言以上のことです。コヘレトはそこに人生の終わりまで含ませていると思います。人生の終わりをまっとうするためには、気短であっても、また、ただ過去に生きているだけでもいけません。昔いまし、今いまし、いつの日か再び来られたもうキリストを仰ぎ見つつ、今ここにある一日一日を大切に生きてゆく者となりましょう。

  (祈り)

 天の父なる神様。

 神様のご支配の中に世界の歴史があり、私たち一人ひとりの人生があることを思います。私たちがいつも不満たらたらで生きていたり、過去をなつかしむだけで今この時なにもしようとしないならば、そこに神様が求められる信仰者の生き方はありません。どうかイエス・キリストの中にある希望を示して下さい。キリストは過去のお方であられるだけでなく、今この時、そして将来にわたって私たちの救い主であることを信じます。私たちがキリストを仰ぎつつ、与えられた毎日毎日を大切に生きてゆく者でありますよう、その恵みの中に広島長束教会がありますようにと祈ります。今日、午後からこの教会の定期総会がもたれます。日本の社会の中で、吹けば飛ぶように見えながらも決して倒れず、この地に根をはってやがて大きな実を実らせるキリストの枝の一つとして、この教会と私たちを恵み、導いて下さい。とうとき主イエス・キリストののみ名によって祈ります。アーメン。

主を信じなさいyoutube 

イザヤ42:5~7 使徒16:25~34 20180121

 「真夜中ごろ」、すなわちユダヤの暦では、午後9時から12時にかけて、その出来事は起きました。暗闇の中で、ただ声と音、そして言葉だけが響いていたのです。しかし、その声と音、そして言葉が、劇的な回心へと続くのです。声とは、囚われの身でありながら神に賛美を献げる声、音とは、突然の大地震、言葉とは、福音です。牢獄の伝道者たちはなぜ神を賛美していたのか、そして彼らは、どのような福音を告げ知らせたのか。それによって何が起き、何が始まったのか。聖書のみ言葉に聴きましょう。

いわゆる「第二回伝道旅行」の最中に幻を見た使徒パウロは、海を渡ってマケドニア人に福音を告げ知らせることが神の召しであると確信します。アジアからヨーロッパに足を踏み入れたパウロが最初に滞在し、伝道を始めたのがフィリピの町でした。そこではすぐに改宗者が与えられ、順調なスタートを切ったかに思えました。けれどもパウロは、悪霊に憑りつかれていた占い師を、主イエス・キリストのみ名によって癒したために、占い師を利用して金儲けをしていた連中に恨まれ、同行者シラスと共に、無実の罪で訴えられました。彼らは正式な裁判を受けることなく、鞭打たれ、投獄されました。

私は幸い、今まで牢屋に入ったことがありませんので、囚人の気持ちはよく分かりませんけれども、放り込まれたばかりの時は、もうこれで人生終わりだ、お先真っ暗だ、そう思うんじゃないでしょうか。

しかも、パウロとシラスは鞭打ちの刑を受けた後です。耐え難い痛みに苦しんでいたはずです。足には足枷もはめられていました。立ち上がるのも辛かったはずです。ところが、そんな彼らが何をしていたかと言いますと、唄っていたというんです!「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。こんなことあり得ますか?まず、二人がこの状況で歌っていられたのが不思議です。祈っていられたのが驚きです。そしてまた、その歌声と祈りの声に、囚人たちが耳を澄ましていたというのですから、全く訳が分かりません。普通なら、誰もが寝静まる時間に歌など聞かされたら、苦情の一つも言いたくなるものです。「おいやめろ!静かにしろ!」二人はそう言われてもおかしくなかったと思います。「聞き入る」というのは、聖書ではここにしか使われていない言葉で、声のする方に耳を向けてしっかりと聴くという意味です。私は正直申し上げますと、これほど真剣に、讃美の声や祈りの声を聞いたことがありません。自分が歌うことや自分が祈ることに気を取られているからです。けれどもこの囚人たちは、寝る暇も惜しんで、使徒たちが神を褒め称え、神に祈りを捧げる声に、耳を傾けていたのです。二人はなぜこの時、讃美をしていたのでしょうか。

投獄という悲惨な状況を忘れるためでしょうか。傷の痛みをごまかすためでしょうか。そうではありません。賛美には、力があるのです。どんなに辛い目に遭っても、いやむしろ、どん底に落とされているからこそ、神を褒め称えることは私たちを力づけ、励まし、希望を与えてくれるのです。それは二人にとっては勿論、牢獄にいた他の囚人たちにとっても同じでした。ところで、二人はどんな讃美をしていたのでしょう。この時代の讃美歌と言えば詩編です。詩編には、救いを求める歌と共に、救われた喜びを歌う歌が沢山あります。例えば27編では「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう」と唄われます。真っ暗な牢獄にも希望の光がともる歌です。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ/なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう/「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ」と唄う43編も、信仰者の勇気を奮い立たせてくれます。讃美の力を、二人は知っていたのです。そして囚人たちは、初めて知りました。私たちは知っているでしょうか。賛美は決して、礼拝の飾りではなく、気分を盛り上げるために歌うものでもありません。それは私たちを動かす力なのです。そして言うまでもなく、祈りの言葉には力があります。「絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」という勧めの御言葉のように、二人は眠らずに祈りました。その祈りは確かに聞かれていました。

 突然、大地震が起こりました。神が天から介入して下さったのです。それは、獄中からの讃美と祈りに対する答えでもありました。主イエスが十字架上で死なれた時、また復活の朝、地震が起きたように、それは神の起こして下さった奇跡でした。勿論、全ての地震が奇跡だというのではありません。先週の水曜日、1月17日は、今から23年前に神戸で大きな地震があった日でした。阪神・淡路大震災です。大きなビルや高速道路が崩壊し、町が火の海となる恐怖を、多くの人が経験しました。科学によって、私たちは地震発生のメカニズムを知っていますけれども、やはり恐怖を感じます。しかし、全ての自然現象は、世界を創造なさった神の御手の中にあります。そしてそれらは、私たちの魂の救いのために、時には奇跡として用いられることがあるのです。「牢の土台」すなわち、人間の自由を奪い、閉じ込めるものの基礎が揺り動かされました。そして「たちまち」、時間を置かずに「牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」のです。「すべての囚人の鎖も外れてしまった」という文を直訳しますと、「あらゆる拘束が解かれた」となります。これは解放の宣言です。私たちを固く縛り付けている結び目が解かれたのです。自由への扉が開かれ、罪の縄目に拘束されることなく、私たちは出て行けるのです。

 

 ようやく看守は目を覚まします。彼はあの讃美と祈りの声を聞いていませんでした。牢の戸が開いているのを見た彼は、剣で自殺しようとします。ローマ法によると、牢の看守には、脱走した囚人と同じ刑が待っていました。死刑囚を逃がした看守は死刑を科されます。使徒言行録27章には、ローマへ護送されるパウロの乗った船が難破し、兵士たちが囚人たちを、泳いで逃げないように殺そうとする場面があります。それほど、囚人の脱走は何としても防がなければならないのに、全員逃げてしまったならば、もはや厳罰は免れない、看守はそう考えたのでしょう。しかも彼は居眠りをしていたのですから、責任を取って死なねばならない、そう判断したのです。彼は絶体絶命の窮地に追い込まれていました。

人はなぜ、自ら命を絶つのでしょうか。本当のことは誰にも判りません。本人ですら分からないままに、発作的に自死という道を選んでしまった、ということもあると言います。それぞれ抱えていた事情や悩みの深さは異なりますけれども、その人の心を絶望が支配していたということは、共通しているのではないでしょうか。捕えられた人を監視する恐ろしい看守でありながら、彼は恐怖に囚われ、もはや自分に出来ることは、自分で自分に裁きを下すこと以外にないと思い込み、剣を鞘から引き抜きます。  

その時、パウロは大声で叫びます。「自害してはいけない」。自殺は良くないことだというお説教ではありません。原文では「何もあなた自身に悪をなしてはならない」という意味ですが、最初の単語は「何もするな!」という言葉です。説得するというより、とにかく止めようとしてとっさに出た叫びです。これに続いてパウロは、「わたしたちは皆ここにいる」、つまり誰も逃げてはいないと伝え、看守に自殺を思いとどまらせます。これを聞いた看守は「明かりを持って来させて牢の中に飛び込み」とありますが、原文は「光を求めて飛び込んだ」という意味です。「牢の中」という言葉はありません。光を求めて、絶望の暗黒から希望の光の差す方へと飛び込んだのです。「悪をなすな」というそのたった一言が、彼を劇的な回心へと向かわせたのです。彼はもはや、これまでの死への恐怖ではなく、聖なる者への畏れに震えながらひれ伏します。本来なら、こういう対話があっても良いのではないでしょうか。「あなたがたは鎖に繋がれていたが、今やそれを解かれて自由になったのではないのか。一体なぜ逃げようとしないのか」「そうではない。私たちは元々自由だ。あなたの方が鎖に繋がれていたのだ」。聖書にそのようなやり取りは記録されていません。けれども看守は悟りました。独房の鍵を握り、囚人たちの自由を制限する立場にありながら、縛られていたのは自分の方であったと。私の知らない自由がここにある。どうすれば私はこの人たちのように自由になれるだろう。その秘密を知りたい。そう思ったのです。

看守はこう尋ねます。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。「先生方」と訳されているのは「主よ」という意味の言葉です。彼はまだ、「主よ」と呼びかけるべき相手を知りません。主イエス・キリストこそ真の救い主であることを知らなかったのです。けれども、「どうすべきでしょうか」という問いは真実でした。この言葉は、あの最初のペンテコステの日に、使徒ペトロが語った「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」という説教を聞いた人々の「わたしたちはどうしたらよいのですか」という問いと同じです。そして使徒言行録22章に記された、復活の主と出会って回心に導かれたパウロ自身の証言による言葉、「主よ、どうしたらよいでしょうか」という問いと同じです。救われるために何をすべきか。その問いに対して与えられた答えはこうでした。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

パウロは、看守自身だけではなく、その家族もまるごと救いに入れられる必要があることを見抜いていました。ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。本人の信仰でなくても救われるのかと。救われます。聖書がそのように証言しています。例えば、中風で寝たきりの病人が主イエスのおられる家に入ることが出来ず、男たちがその家の屋根を剥がし、穴を開けて彼を寝床ごと吊り下ろした時、主イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に「あなたの罪は赦される」と仰いました。また、会堂長ヤイロの娘が死んだ時、主イエスはこう仰いました。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」。またパウロ自身も、第一コリント書(コリントの信徒への手紙一)の7章でこのように書いています。「信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされている」。ここにお集まりの皆さんの中にも、礼拝にはお一人で出席されて、ご家族がまだ信仰に入っていないという方がおられるでしょう。しかし、皆さんの信仰を通して、既にご家族も清められ、祝福されているということを信じて下さい。あの看守もそれを信じました。皆さんが信仰を守っておられる限り、皆さんのご家族も主のものとして取り分けられ、主の道に導かれているのです。神が私たちを清めてくださる恵みの御力は、私たちと共に生きる者たちの不信仰よりも遥かに強いのです。勿論これは、キリストを信じないでも滅びを免れる道があるという話ではありませんし、私たちが信じさえすれば自動的に家族も信者になるとか、そうなるよう努力すべきだとかいうことでもありません。そうではなく、誰かが信仰に入る時、ただその人だけが救われれば良いのではなく、家族も救われることが大事であり、私たちに与えられる救いは家族にも及ぶほど大きいということなのです。

さて、パウロとシラスは看守の家に行き、一家全員に主の言葉を語りました。「主の言葉」、すなわち主イエス・キリストの十字架と復活の福音を語ったのです。彼らは福音の宣教を、傷の手当てを受けることよりも優先しました。そして数日前、リディアとその家族が洗礼を受けた川へ下り、看守は二人の打ち傷を洗った後、家族と共に、「すぐに」、時間を置かずに洗礼を受けました。もう決してあの暗闇に、絶望に戻らないよう、素早く決断したのです。看守本人はともかく、彼の家族には心の準備はなかったでしょう。しかしそれでも彼らは共に御言葉に聴き、信じて洗礼を受けました。パウロの言葉どおり、確かに家族も救われたのです。神は私たちの決意や、教理の正しい理解、礼拝生活を正しく守ること、洗礼に向けた備えが十分にないという私たちの側の事情を越えて、私たちを救いへ招かれます。私たちに必要なのはただ、主イエスを信じること、それだけなのです。

この後、看守は二人を自分の家に案内して共に食卓を囲みます。それは神が整えてくださった恵みの食卓であり、信徒の交わりであり、彼とその家族が救いに入れられた喜びを表すものでしたが、聖餐式であったと考えても良いかも知れません。賛美と祈り、主の御言葉、洗礼と聖餐。礼拝に必要なことがこの一夜の出来事の中に全て揃っています。そしてこの一家は、神を信じる者とされたことを喜び合いました。ギリシア語で「喜ぶ」という意味の言葉は実にたくさんありまして、新約聖書だけでもなんと20種類以上も出て来るんですが、34節に使われている「喜ぶ」と同じ言葉を探しましたら、あの、山上の説教の主イエスの教えの中に、こんな聖句がありました。「わたしのためにののしられ、迫害され、身の覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。第一ペトロ書(ペトロの手紙一)

の1章と4章にも同じ言葉が使われています。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです」。この夜、新しく信仰に入った一家を包んだのはこのような喜びだったのです。キリストのために迫害され、キリストの苦しみに与る者とされたことを、彼らは共に喜んだのです。看守の務めはパウロとシラスを見張ることだったのに、今彼は二人をもてなしています。彼らの受けた傷を洗いながら、彼の心は喜びで満たされていました。  

この夜が明けたら何が起こるでしょう。看守はその職を失うかも知れませんし、厳しい処罰も覚悟しなければならないのです。けれども彼は救われて、本当に自由に生きる喜びを知りました。本当の自由、それは主イエスを信じ、信仰によって生きることです。主イエスはかつて、こう語られました。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。私たちはかつて、罪の奴隷でありました。罪の縄目に縛られて自由を失い、虜になっていました。けれども、神の御子イエス・キリストの十字架の血によって贖われ、解放されて、キリストのものとなりました。使徒パウロはその手紙の中で、何度も自分のことを「キリストの囚人」と呼んでいます。キリストに捕えられ、キリストを主として生きる。主イエスこそ救い主だと信じる。この信仰があったからこそ、パウロとシラスは、獄中でも讃美し、祈りを献げることができました。

この真夜中の救いの出来事は、フィリピの町で起りましたが、後にパウロは、この町の教会に宛てて、一通の手紙を送ります。フィリピの信徒への手紙です。その1章の終わりで、彼は次のように書いています。「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」。信仰の道は険しい道です。試練の連続です。けれども主は、私たちに讃美と祈りの言葉を与えて、それを乗り越えさせて下さるだけでなく、私たちの信仰を通して、更に多くの人を救い出そうとしておられるのです。このことを信じて、祈りを捧げましょう。

では一言お祈り致します。

   命の光の中を歩く youtube  

詩編67:2~5、使徒11:1~18  2018.1.14

 

 聖書に収録されている書物は、もともとパピルスと呼ばれる巻物に書かれていました。パピルスは植物の繊維で作られており、その巻物は幅が広くない上に大きさが限られており、いちばん長いものでも11メートルくらい、それはちょうど使徒言行録を書くのに必要な長さだったのです。イエス・キリストがなさったこと一つひとつすべてを書いていったら、世界もその書かれた書物を収めきることが出来ません。使徒言行録の作者ルカは、限られたスペースに大事なことをどれだけ書き入れることが出来るかと、細心の注意を払って書いていったと思うのですが、それにもかかわらずペトロとコルネリウスに起きた出来事については、10章だけでなく11章にも、二度も繰り返しています。それだけの価値がある出来事だったのです。

 

 私たちはエルサレム教会の指導者であった使徒ペトロが北のカイサリアに向かって異邦人コルネリウスと会ったこと、彼らの上に聖霊が降り、ペトロが彼らに洗礼を授けたことを見てきました。異邦人がイエス・キリストを信じたことはたちまち噂となって広がったようで、ペトロの一行がエルサレムに帰ってくる前に、すでに多くの人たちが耳にしていました。その人たちはみんな、ペトロを歓迎して迎えたでしょうか。私たちの感覚では、異民族だとはいえ一度に大勢の人たちがイエス様を救い主と信じて信者となり、仲間に加わったわけですから、喜んで、ペトロたちを大歓迎するのが本当だと思うのです。しかし、そのようにはなりませんでした。ペトロを非難した人たちがいたのです。

 この人たちのことをわからず屋の、頑迷固陋な人たちだったと思った人がおられるかもしれませんが、実際はどうだったかは微妙です。もしかすると、穏やかでまじめで、信仰に熱心な人たちだったかもしれません。ここで何が問題になっているのか、風俗習慣の異なる私たちにはわかりにくいところがあるので、まずそこから明らかにいたしましょう。

 

 ペトロのカイサリアでの伝道は、大成功と言われてもおかしくない成果をあげました。大勢の異邦人が洗礼を受けたと聞いて、エルサレム教会の中で喜んだ人は多かったことでしょう。しかし、その人たちも含めて、「これで良かったのだろうか」とか、「そこまでやる必要があるのか」と疑念を持つ人がいたということです。というのは、ペトロが行ったことは、それまで前例のないことだったからです。

 

 私は、ペトロがエルサレムを出発し、各地をまわっている時、エルサレム教会の人たちはペトロのことを覚えて、伝道の実りがあるようにと祈っていたものと想像しています。

ペトロはカイサリアに行く前はリダとかヤッファとかいうところにいましたが、両方ともユダヤ人の町です。当時、キリスト教に対するユダヤ教の側からの抵抗とか迫害が、多かれ少なかれあったと思うのですが、エルサレム教会の人々にとって、ペトロがユダヤ人を対象として伝道してゆくことには問題ありません。

 しかしカイサリアに行ったというのは、エルサレム教会の人々だけでなくペトロにとっても予定外の行動でした。ちょうど北海道の各地で伝道していた牧師がひょいと足を伸ばしてウラジオストックにまで行ってしまったようなことで、それだけでもびっくりするようなことだったのです

 割礼を受けている人たちがペトロを非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言いました。神がアブラハムに命令して以来、ユダヤ人の男性はみな割礼を受けることになっており、このことが神に選ばれた民のしるしだったのです。一例をあげると、巨人ゴリアトと戦ったダビデは、決戦の前に、私は羊を守るために獣を倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそうした獣の一匹のようにしてみせましょう、と豪語しています。…割礼は民族の誇りでもあったようです。…現在のユダヤ教徒の間では、これを必要だとする人も必要ないという人もいるようですが、ペトロが生きていた時代、ユダヤ人の男性が割礼を受けているのは当たり前で、割礼を受けていない者たちとは異邦人だったのです。

 この時代に、異邦人がユダヤ教を信じて、唯一の神への信仰に生きようとすることがいくつもあったのですが、信者として認められるためには割礼を受けていなければなりませんでした。ペトロを非難した人たちもこの考えに立っていて、コルネリウスたちに割礼を受けさせるならともかく、それがないままで洗礼を授けるというのは、ありえないことでした。もっとも、この人たちは洗礼のことは言っておりません。もしかすると、スペースがなかったのかもしれませんが。…ルカは、ペトロが異邦人と一緒に食事したことで非難されたことを書いています。なぜ、一緒の食事ぐらいのことで非難されたのでしょうか。それは、この時代、ユダヤ人が無割礼の人たちと一緒に食事をすれば汚れると考えられていたからです。

 この時代、ファリサイ派や律法学者と呼ばれている人々に広く見られ、また初代教会の人々にもしばしば見られたのが、自分たちは潔いけれどもあの人たちは汚れているという思いでした。

私たちの中にもそういう思いがあるかもしれません。昨日のニュースでは、ハイチやアフリカの国々を屋外便所にたとえた大統領がいるくらいですから、こういうことは古今東西あるとみて良いでしょう。私たちは主イエスがこういう問題にどう対処されていたかを見なければなりません。

 主イエスは当時、ユダヤ人から汚れた者として差別されていた人々に近づいて行かれました。そこには徴税人、重い皮膚病の人などなど、私たちが関わりを持ちたくないと思っている人々もいます。…イエス様はマタイ福音書21章21節でこうおっしゃっています。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」これは現代人が聞いても衝撃的な言葉ですが、こういう疎外された人々の中に異邦人も入っていたのです。

 主イエスのこういう言動は、当時多くの人々にとってつまづきのもとになりましたが、、それはある意味で当然と言えるのかもしれません。反対派は、イエスがそういうことをするのは聖なる民にはありえないことで、自分から求めて汚れた者になろうとすることだとして排斥したわけです。…しかしイエス様はそういう声に動かされず、汚れた者と見なされた人たちと共に生きようとされました。自分を正しいと見なす人間より、汚れた者とされた人たちの方が救い主を必要としているからです。

 では、イエス様が天に帰られたあと、教会の人々はイエス様と同じようにしたのでしょうか。中にはそういう人たちもいたでしょうが、教会全体としてはそうならなかったことは確かです。ガラテヤ書には、ペトロの中に異邦人への偏見にとらわれている行いがあったことがばくろされ、パウロに叱られるということが出て来ます。ペトロでさえ偏見から自由ではなかったのに、ましてその他大勢の人々がイエス様と同じことが出来たとは思えません。

 ユダヤ人が異邦人を汚れた人々と見なしていたことは、私たちにも他人事でありません、私たちの中にも特定の国の人々を軽蔑したり、逆に過度に怖がる心があるかもしれません。国と国、民族と民族の前に立ちふさがるそうした障壁をなくすために、市民同士の一対一の交流を初めとして大切なことがたくさんありまして、そのために働いているキリスト者も多くいます。

 日本の教会の中には、さらに刑務所に出かけて受刑者に伝道する人とか、また苦界に身を沈めた女性を救うことに情熱を傾けている人がいますが、こうした活動もイエス様の教えと実践がなくてはとうてい出て来なかったものです。もちろん、こういう活動には困難が多く、なまはんかな信仰ではどうにもなりません。

 外国人や社会から疎外された人々を間違っても汚れた人と見なさず、共に生きることを進めて行こうとすることは、このように現実にはかなりの困難があります。イエス様はわれわれが決して出来ないことを命令されているんじゃないかと思いたくもなります、しかし私たちはそれでもイエス様その方に立ち返らなければなりません。人を「潔い者」と「汚れた者」に分けることは許されないという究極的な規範は、イエス・キリストにおいて確かなことだからです。

 

 さて、非難を受けたペトロは、自分が見聞きしたことを語ります。ヤッファにいた時に幻を見たこと、異邦人のコルネリウスにも天使が現れてペトロについて告げたこと、ペトロとコルネリウスが会った時、神は聖霊を降らせ異邦人を受洗に導いたという、次々に起こった驚くべきことです。これらは使徒言行録の10章に書いてあることをまとめたものですが、ただの繰り返しではありません。ペトロが伝道の成果を自慢しているのでもありません。

 15節以降をご覧下さい。「わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように彼らの上にも降ったのです。そのとき、わたしは、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。」ペトロは異邦人コルネリウスを回心に導いたのは、自分の手柄ではない、自分と共にあった聖霊の働きであり、聖霊を注いで下さる天の父なる神とイエス・キリストの働きであると証言しているのです。

 ペトロが異邦人への聖霊降臨の時に思いだした言葉は、もともと1章4節5節の、復活されたイエス様の言葉の中にありました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである。」父の約束されたものというのが聖霊です。聖霊が降ることは主イエスによってあらかじめ約束されていましたが、それが実際に起こったのは、あのペンテコステの日に限りません。ペトロは異邦人コルネリウスが聖霊を受けたことの上にも、主イエスの約束が実現したことを認めています。ユダヤ人が受けた聖霊も異邦人が受けた聖霊もかわりない、本質的に同じものであったということです。つまり、自分たちユダヤ人も、コルネリウスたち異邦人も、天から同じ神の恵みを受けた兄弟姉妹なのです。そこで、ペトロは言うのです。「主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

 今日の箇所の中で、見過ごされやすいところではあるのですが、もっと注目して良いと思われるのが、ペトロの話を聞いた人々が静まり、そして神を賛美したということです。

 人々はまず静まりました。沈黙しました。それまでペトロがしたことは信仰に反すると信じていた人たちが自分は間違っていたと知ったのです。彼らにとってつらいことですが。…神がなされたことが示されました。神ご自身が、異邦人を悔い改めさせ、命を与えられた、ということが分かりました。神がなさることの前に、自分の中から出た思いは克服され、言葉は奪われ、沈黙するほかありません。…しかし、彼らが神のみ心を受け入れたということは、彼ら自身の思いや、こだわりや、とらわれていたことから解放されたことも意味しています。ですから、神様によって自分の考えを変えさせられることは決して敗北ではないのです。
 神のみ業は、死んだも同然な罪人(つみびと)を赦し、汚れた者とされた人をきよめ、命の光の中を歩ませて下さる、まことに大いなるみ業ですが、そのことが今、人々の前に示されました。一度は沈黙した人々は、これを見て神を賛美するほかありません。
 神がなさったことを知った時、人はいっときは沈黙しても、神を賛美するようになります 教会に連なって、神のみ心に従って歩むということは、この素晴らしい神のみ業に用いられ、その素晴らしいみ業を目撃し続けることです。神の前に偏見とか自分の小さな思いが沈黙させられても、神の大きな恵みに支配され、神をほめたたえずにはいられなくなる、そのような経験を誰もが持ってほしいと願います。

  

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。神様が人を分け隔てなさらず、すべての人に差し出された救いの恵みの中にもともと異邦人である私たちも入っていることを感謝いたします。

私たちには誰も、もってうまれた偏見があります。それが教会の中にも持ち込まれているかもしれません。自分を潔いと見なし、特定の人々をそうでないと見なすことは、どんな人間の集まりにもあることです。そしてその克服は簡単なことではありません。自分を変えることなど不可能だと思っているのが私たちです。しかしペトロを通して伝えられた神様のなさりようが、これを聞いた人たちを本当に変えたのです。自分の考えが間違っていたと知らされるのは、ふつう、誰にとっても悔しいことですが、これを教えて下さったのが神様であるなら、むしろ感謝しなければなりません。

神様、もしも私たちの口が間違ったことを語るなら、その口を閉じて下さい。しかし、それで終わるのではなく、その次には神様を賛美する言葉をこそ与えて下さい。

自分が幸せだったり、生活がうまく行っている時ばかりでなく、こんなことを追い求めているわけではありませんが、たとえ不幸であったり、逆境に立ち向かっている中にあっても、くちびるから神様を賛美する言葉を絶やさないようにして下さい。神様はどんな時でも、賛美されるべきお方だからです。

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。 

   神が開きたもう新しい年 

イザヤ5:1~7、ヨハネ15:1~10 2018.1.7

 

 新しい年を迎え、この年、神の恵みが広島長束教会の上に惜しみなく注がれることを願いつつ、みことばを聞いて行きたいと思います。

 広島長束教会が今年の主題聖句として選んだのは、ヨハネ福音書15章5節の言葉です。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

私たちがこのみ言葉に導かれ、心に刻まれ、養われて、実り豊かな一年を過ごすことは、私たち自身の願いであるだけでなく、何よりイエス・キリストその方の願いでもあるのです。

 

 ただ今、司会者に読んでもらったのはたいへん長く、これを語り尽くすのは1回の礼拝説教だけではとうてい無理なので、おおまかな話しか出来ないことはあらかじめご承知下さい。

 ぶどうという果物は、皆さんお好きな人もいればそうでない人もいるかもしれませんが、ただ、聖書を通して垣間見えるぶどうに対する人々の思いは、私たちの想像以上のものがありました。聖書にはぶどうについておびただしい言及がありますが、その一つ、詩編4編8節に、「人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください」と書いてあることからも、ぶどうの取り入れがどんなに大きな喜びであったかが想像されるのです。…私は昔、中国の西北部にあるトルファンという、世界的に有名なぶどうの名産地に行ったことがあるのですが、えんえんと続く砂漠の中にオアシスのような農村地帯が開けていて、そこで3000年来労苦の内に栽培されてきたぶどうの一粒一粒が、人々の夢を乗せてまるで宝石のように輝いていました。…中近東も同じで、雨があまり降らない乾燥地帯において、ぶどうは今も、私たちが感じる以上の慕わしい果物なのです。

 詩編80編9節に、「あなたはぶどうの木をエジプトから移し、…これを植えられました」という言葉があるのですが、これは神様がぶどうの木であるイスラエル民族をエジプトの地から連れ出し、カナンの地まで導いて下さったことを述べています。このように、ぶどうはイスラエル民族の象徴にもなっていたのです。

 主イエスがお生まれになる前、ユダヤで発行されていた貨幣には、ぶどうの図柄が浮き彫りにされており、またエルサレムの神殿の門には、人の背丈より大きな、金で造られたぶどうの木が置かれていたということです。…こうしたことから想像されるのは、神様がぶどう園の豊かな収穫になぞらえてイスラエルの人々を祝福なさる言葉です。

…「あなたは私の畑でよく育ったぶどうの実、私はあなたを喜ぶ」、聖書にこんな言葉があっていいと思いませんか。そこで調べてみたのですが、ぶどうやぶどう園についてのこんな喜ばしい、祝福に満ちた言葉というのもあまり多くありません。反対に、くりかえし出て来るのは、神様がおいしいぶどうの実を期待して一生懸命育てたのに、出来上がったものは酸っぱいぶどうだったということです。イザヤ書5章の言葉がその典型です。

 「よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」そのため、「わたしがぶどう畑のためになすべきことを何か、しなかったことがまだあるというのか。」ということになるのです。つまり、神が世界の民の中からただ一つ選んだイスラエル民族は、神様が手をかけて育て、大いに期待されながら、出来損ないのぶどうに等しいものになってしまったということです。これは無論、この民族が身分の高い者から低い者まで、神に背いて偶像に心を寄せ、堕落してしまったことを言っているのです。

 それでは、神様は出来損ないのぶどうをどうされるのか。「囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、わたしはこれを見捨てる。枝は刈り込まれず、耕されることもなく、茨やおどろが生い茂るであろう。雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。」ということですね。

 ぶどうの木というのは、樹木の仲間にも入れてもらえないほどのなよなよした木です。これを使って、何かを作るということは考えられません。ぶどうが尊ばれるのはおいしい実がなるからでありまして、もしも酸っぱいぶどうしかならないのなら、もうほとんど何の役にも立ちません、集められて、焼かれるだけの情けない木なのです。これが実際にイスラエルの民に起こったことでありまして、彼らは神に背いたあげく、国は滅び、異国に連れて行かれ、やっと戻ることが出来ても国の独立を勝ち取ることは出来ず、イエス様の時代も強大なローマ帝国に支配下でうめき苦しんでいたのです。

 

 主イエスが「わたしはまことのぶどうの木」と言われた時、これを聞いていた弟子たちは、自分たちは主イエスに結ばれている限り、出来損ないの酸っぱいぶどうではなく、豊かな実りをもたらすぶどうの枝であるという自覚を深めたでありましょう。

 主イエスが天に帰られたあと、紀元50年代になってパウロは第一コリント書を執筆しましたが、その3章9節で、コリント教会の人々に向けて、「あなたがたは神の畑なのです」と書いています。畑と言ってもいろいろありますが、パウロはここでおそらく、ぶどう畑を意識したのではないかと思います。

そうだとすると、あなたがたキリスト教会は実に神のぶどう畑なのです、と言っていることになりますね。

 この時代、おおよそこのような考えが広まっていったと考えられます。…神様がもともと作られたぶどう畑、イスラエル民族すなわちユダヤ人はだめになって、もう望みがないのだと。全部が全部ではないけれども、彼らはイエス様をキリストだと認めないことで、先祖が犯した悪事をさらに上塗りして、神様の選びからもれてしまった。そこで神はユダヤ人のかわりにキリスト教徒を選ばれた。イエス様を信じる者たちは、どんな民族であってもよい。これこそが、新しい、神の、本当のぶどう畑なのであると。

 2000年のキリスト教の歴史の中で、多くのキリスト者がこのことを誇らかに信じていたことと思います。私たちはあのユダヤ人とは違う、私たちこそ神のぶどう畑、私たちの中にまことのぶどうの木であるイエス様がおられ、私たちはイエス様と結ばれている、私たちは良いぶどうの実を結ぶ枝なのだと。

 実際に、その言葉とたがうことのない教会もあったでしょう。それは素晴らしいことです、私も、広島長束教会がそのような教会であることを望んでいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。主イエスの弟子たちやパウロが間違っていたとは言いませんが、私たちはその内実を深める必要があるのです。

 

 ヨハネがこの福音書を書いたのは1世紀の末、パウロがコリント教会に手紙を書いた50年代から40年ほど経った時代でした。教会はすでに60年ほどの歴史を経ていましたが、そこではいろいろな困った問題が起きていました。私たちも新約聖書を調べるだけで、初代教会にいろいろな問題があったことがわかります。ある人が独裁者のように君臨して教会を牛耳っていたり、教会に異端的な教えが持ち込まれたり、と。…教会は間違いを犯さないか、残念ながらそうは言えません。教会を信じている人を幻滅させてしまうことがたくさんあったのです。

 つまり、教会の歴史に初めにあっただろう「神のぶどう畑キリスト教会」という、胸をふくらませるような理想が一つひとつはがれ落ち、これも全部が全部でないにしろ、自分たちもやはり酸っぱいぶどうを実らせる枝にすぎなかったのではないか、そんな現実がいやおうなく突き付けられるということになっていたのです。…私たちはそういう時代背景を踏まえて、イエス様の言葉を受け取る必要があります。…おそらくヨハネは、そんな時代だからこそ、みんな真剣になってイエス様の言葉に立ち返ろうという思いを込めて、これを書いていったと思われるのです。…ですから私たちも、自分の教会や自分の信仰を自画自賛するためではなく、いまの自分たちの信仰を問うためにここを読むべきであると思います。

ここでやっと新約聖書の本文に入ります。これは主イエスが最後の晩餐の時に語られた告別説教の中に入っているものです。

 主イエスは「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」とおしゃいます。これは簡単なようで奥の深い教えです。イエス様がぶどうの木であるなら、父なる神はこのぶどう園を管理されている農夫です。まことのぶどうの木があるなら、にせのぶどうの木もあります。イスラエルの人々はにせのぶどうの木になっていました。そこで神はこれらの木をいったんは見捨て、踏み荒らされるにまかせたのですが、それだけでこの人たちが悔い改め、神に立ち返ることはありません。人間は、自分の力だけで立ち直ることはないのです。そこで神は、まことのぶどうの木であるイエス様を地上に送られて、酸っぱいぶどうの枝でしかない人間たち、そこにはユダヤ人も異邦人もおりますが、この人間たちをイエス様につなぐことを始められたのです。

 主イエスは「まことのぶどうの木」であられます。だから私たちはこの方以外のぶどうの木とつながることは許されていません。では、主イエスが弟子たちに、ご自分とつながることを求めているところを見てみましょう。4節をご覧下さい。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。よく考えてみると、これは不思議な言い方です。イエス様の弟子たちにとってみれば、それは私たちにとってということですが、ぶどうの枝である限り、もともと主イエスにつながっているわけです。それなのになぜ「わたしにつながっていなさい」と言われるのでしょうか。…つまり、つながっているものに対し、つながっていなさいと命令されているので、私たちはこれは矛盾しているのじゃないかと思ってしまいがちです。しかし、ここに信仰の本質が示されているのです。

 信仰とはわたしたちが幹である主イエスにつながれ、支えられ、守られ、生かされているというところから始まります。主イエスが最初に手を差し伸べられました。だから、どんな人でも、俺は自分の力で信仰を勝ち取ったんだとは決して言えないのです。そういう意味で、信仰は受動的なものです。

 しかしながら、それがすべてではありません。信仰には、この自分に手を差し伸べて下さる主イエスの恵みを自覚し、感謝し、これに応えて行くということがなければなりません。神様がやってくれるのだから、果報は寝て待て、自分はじっと待っていよう、そんなものは信仰とは言えません。そういう意味では、信仰は能動的なものであるのです。

 それではもう一つ、大事なことをお話しします。キリスト教信者なら誰でも、主イエスにつながれ、つなぐことを切望しますが、それは具体的にどういう形を取るのでしょう。ある人は、神秘的な方法で主イエスと結びつこうとします。神がかりと言いましょうか、恍惚状態になって、イエス様のお名前を呼び求めるのがイエス様と結びつくことだと考えているのです。

そんな人には3節を読んでもらいたいです。「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。」これに続く4節が「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」となっているのは、すでに見た通りです。つまり神秘体験がどうのと言うより、主イエスの言葉が重要なのです。

 7節は重ねてこう言います。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にあるならば、…」。つまり私たちにとってまことのぶどうの木である主イエスにつながるということはそのみ言葉によるのです。主イエスの方でも、み言葉によって私たちとつながっています。このことが起こるのが礼拝の場であることは、言うまでもありません。

 

 神のぶどう畑である教会にも、やはり実を結ばないで、切り取られ、焼かれてしまう枝が出て来たことを知った福音書の著者ヨハネは、ぶどうの枝である一つ一つの教会と個人が主イエスとつながれることを願って、その言葉を書き留めました。その具体的な方法が、主イエスの言葉なのです。ここに集まる私たち皆が、主イエスのみ言葉によって主イエスとかたく結ばれ、豊かに実を結ぶことを願います。

 

(祈り)

 主イエス・キリストの父なる神様。2018年の初めに当たりまして、神様が新しい年を創造し、人間ばかりでなく生きとし生けるもの、すべての造られたものに与えて下さったことを喜び、感謝いたします。神様は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるお方であられます。新しい年はどんな人にとっても、恵みであるのです。私たちはみな、この年に大きな望みを持ってここに来ました。今年はこれをしたい、あれをしたいというひとりひとりの計画や願いをどうか顧みて下さい。何よりそれがみこころにかなったものとなるようにして下さい。

 今日、主イエスがまことのぶどうの木であることと、ぶどうの枝としての私たちの信仰のあり方を教えられました。み言葉によってイエス様からつなげて頂いた者たちが、み言葉によってイエス様につながるよう求められているのです。どうかこのみ言葉に現れた神様の真理が私たちを打ち砕き、征服し、私たちの中で生き続けることを祈り求めます。神様のこの恵みが今日ここに来ることが出来なかった人にもひとしくありますように。

 神様を賛美します。この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン。 

 世の罪を取り除く神の小羊youtube

イザヤ53;6~10、ヨハネ1:29~34 2017.12.31

 

 私たちの広島長束教会は、今年のクリスマスを祝福のうちに終えることが出来ました。クリスマス家族礼拝、祝会、子どもクリスマス会などが、ある人はこのために祈り、ある人は司会をし、ある人は食事を準備し、ある人は聖書を朗読し、それ以外にも紙芝居を作る、奏楽をする、クイズを出すというように、ひとりひとりの力を合わせて行われ、そこに神様のお支えがありましたことを心から感謝いたします。…ただそれと同時に、やっとの思いで教会に来た人や、教会でクリスマスを祝うことを願いながらも病院から出ることが出来なかった人のことも覚えます。教会に入りたかったけれども、あと一歩足を踏み入れることが出来ない、ザアカイのような人もいたかもしれません。これらすべての人の上に、主の慰めと癒しが与えられることを祈ります。私たちは今、今年最後の礼拝をささげながら、この一年の恵みを感謝しつつ、新しく来たる年を迎えたいと思うのです。

 

 今年はアドベントからクリスマスまで、ヨハネ福音書からイエス・キリストご降誕の意義を語ってまいりました。そこにある聖書の言葉の中に、イエス様のお名前は出て来ません。言とか光とか命といった、いわば抽象的な用語によってイエス様が言い表されているのです。言であり光であり命である方は、初めから、つまり天地創造の昔から父なる神と共におられたのですが、歴史の頂点である今、肉体をまとってこの世界に降りて来られたのです。…その方が今日のところで初めて、イエスというお名前が明かされ、なま身の人間としての姿を現されます。

 主イエスを紹介する役目を果たすのがヨハネです。ヨハネについては、すでに1章の6節から8節にかけて紹介されていました。「彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」、つまり彼は救い主ではなく、救い主について証しをするため神から遣わされた者だということでした。

 ヨハネはヨルダン川沿いで悔い改めを呼びかけ、人々にバプテスマを施していましたが、そのことがイエス様をお迎えするために道を備えることでありました。そんなある日、ヨハネは、自分の方へイエス様が来られるのを見て、言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と。

 今日の箇所からは、ヨハネの方に近づいてきたイエス様が、そのあとヨハネとどのような言葉のやりとりをしたかはわかりませんが、二人がそれ以前、すでに会っていたことが明らかになります。ヨハネはイエス様に会って、洗礼を授けていたのです。

…イエス様の洗礼は大事なところですが、今日はヨハネがイエス様を見て、言った言葉を中心に学ぶことにいたします。

 ヨハネはイエス様を見て、言とも光とも命とも言わず、メシアとも言わずに、「世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。ここで「神の」というのは、神が備えて下さったとか、神に属するという意味です。…「小羊」ですが、これを、小という字ではなく子どもの子の字を使って書くこともあり、どちらが本当かが問題になりました。これは英語ではラム、1歳ぐらいの羊のことを言います。新共同訳聖書でも口語訳聖書でも小の字を使っていますが、新改訳聖書では旧約聖書に子どもの子、新約聖書に小の字が使われていて、今年出た改訂版ではすべて子どもの子に統一されました。私が調べたところ、日本語の用法としてはどちらも正しいようです。ちなみに「こいぬ」を漢字で書く時は、小の字も子どもの子の字も両方使います。

 話は変わりますが、皆さんにはそれぞれイエス様がどういうお姿だったのかそのイメージというのがあるでしょう。そこにはやせて小さなイエス様もいれば、筋骨隆々のイエス様もおり、聖書に何にも書いていないので想像に任せるしかないのですが、ただそれが本当に歴史上のイエス様の姿と一致していたとしても、それでイエス様を本当に知ったことにはなりません。人は見た目が何割とか言う人がいますが、少なくともイエス様についてはあてはまりません。

 ヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊」と言うことが出来たのは、彼が自分で考えたということではなく、神が示して下さったからです。今日のところで、ヨハネは2度も「わたしはこの方を知らなかった」と言っています。ヨハネの母エリサベトとイエス様の母マリアとは親類同士です。だからヨハネとイエス様は子どもの時、会って、一緒に遊んだかもしれません。しかし、そのことでヨハネがイエス様を知っていたことにはなりません。ヨハネがイエス様を知ったと言えるのは、まさにイエス様に洗礼を施した時です。神の声が聞こえ、その言葉通り、霊が、すなわち聖霊が天から降ってイエス様の上にとどまるのを見たことで、ヨハネをこの方を本当に知ることとなったのです。

 ヨハネはなぜイエス様を小羊だと言ったのでしょうか。今日の説教題「世の罪を取り除く神の小羊」が外に掲げてありますが、私は、通りがかりの人がそれを見た時、「なんのこっちゃ」と思うのではないか、そんな気がしてきました。ふつうの日本人には突拍子もない言葉です。小羊と聞くとかわいいと思う人がいるでしょう。あるいはおいしそうだなあと、条件反射的に唾液が分泌される人もいるかもしれませんが、これではとんでもない誤解に陥るのではないかと思います。イエス様はペットではありませんし、ごちそうでもありません。

 ヨハネの口から出た「世の罪を取り除く神の小羊」、これはヨハネ自身が考えたものではありません。神が示して下さったこと、神の啓示によって出て来た言葉です。そこにはおおよそ3つの意味があります。

 第一が過越の小羊です。主イエスの時代より1200年から1300年の昔、神はエジプトで奴隷にされて苦しんでいたイスラエルの人々を救い出すために、エジプト人に災いをもたらされました。エジプトの家々で、人間も家畜も、すべての初子を殺されたのです。ただし、その前にイスラエルの人々に対し、小羊を屠って、その血を家の入口の二本の柱とかもいに塗ることをお命じになりました。それが目印です。神は血がついている家を過ぎ越し、入って行かなかったので、イスラエルの民は難を免れることが出来ました。イスラエルの民は、この出来事を決して忘れることがないようにと、毎年春、過越祭という祭りを続けていったのですが、イエス様が十字架につけられたのも過越祭の当日でありました。

 コリントの信徒への手紙一の5章7節は、「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られた」と告げています。昔エルサレムにあった神殿では毎日、小羊が焼かれて神に捧げられていました。それは人間たちの罪のあがないとしての供え物だったのです。神に背いた人間の罪に対する罰を、人間にかわって引き受けたのが小羊でした。しかし、この供え物は主イエスが十字架につけられることによって必要がなくなり、終わりをつげました。主イエスが過越の小羊として、一回かぎりでかつ完全な供え物となって下さったからです。イエス様がとうとい命を捧げて下さったことで、それと引き換えに、神は私たちイエス様を信じる者に罪の赦しと永遠の命を与えて下さるようにして下さいました。「神の小羊」という言葉には、そのような、歴史上唯一無比の救済の内容が込められています。

 神の小羊という言葉が表している第二のこととして、苦難のしもべがあります。これがイザヤ書53章に描かれています。そこに出て来る、人々から見捨てられ、みじめな最期をとげた人物が小羊にたとえられているのです。

 イザヤ書53章7節は告げます。「苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。」

 イザヤ書は、人々がこの人物について、彼自身の罪のために神の罰を受けて死んだものと思っていたことを書いています。その死は天罰だと見なされたのですが、このことがまさにイエス・キリストにおいて起こったことだったのです。「彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。」

 主イエスが天に帰られたのち、フィリポがエルサレムからガザに下る道を歩いていると、馬車に乗ったエチオピアの宦官が聖書を朗読していました。それがちょうどイザヤ書53章7節と8節のところでした。エチオピア人はこの人物はいったい誰のことかと思っていたので、フィリポは、この箇所から説きおこして、これがイエス・キリストにほかならないことを説き明かしました。イエス様は屠り場に引かれる小羊のように、ご自分が犯したのではない罪に対する罰をその身に引き受けられたのです。エチオピア人はこのことを知って、まごころからイエス様を信じ、洗礼を受けました。

 神の小羊という言葉が表している第三のこと、それは意外に思われる方もあるかもしれませんが、勝利者を意味するのです。…私たちはつい、勝利者ならば猛獣の方がいいのではないかと思ってしまいます。野球チームでライオンズやタイガースはありますが、小羊の名をかかげたところはありません。しかし、小羊のままで勝利者となられるというのが聖書の信じがたく、すごいところだと思います。

 新約聖書の最後にヨハネの黙示録がありますが、そこには「屠られた小羊」が何回も出て来ます(5:6と12、13:8)。この小羊は父なる神と共に天の玉座におられます。決しておとなしい小羊ではないし、敗北者でもありません。屠られたわけですから、死んだはずなのに、生きており、立って進み出て、神に従う者たちから賛美を受けています。

 黙示録5章12節には、天使たちの声が記されています。「屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」

 黙示録で小羊は父なる神の右の手にある巻物を受け取り、7つの封印を開きます。こうして世界を揺るがす戦いが始まります。10人の王が出現しました。彼らは、自分たちの力と権威を神を冒涜する数々の名で覆われている獣にゆだねると書いてあるので、サタンの側に立つ者たちです。こうして17章14節を見るとこうです。「この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」

 黙示録に書いてある、神とサタンとの、この世の終わりに起こる最終決戦について語ることは別の機会に残しておきますが、小羊がこのように天の玉座におられ、たたえられ、勝利されるということを私たちは決して忘れてはならないのです。 繰り返しますが、「世の罪を取り除く神の小羊」というのは、ヨハネが考えたものではありません。神がヨハネの上に示され、ヨハネはそれを語ったのです。そこには、イエス様が十字架上であまたの人々の罪を一身に担い、悲惨な死をとげながらも、罪と死に打ち勝って復活され、天で父なる神の右に立ち、最終的な勝利者となられることが告げられているのです。

 フィリピ書2章10節、キリスト賛歌と呼ばれているところを読みます。「こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは王である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

 イエス・キリストの勝利、その中に私たちの勝利があります。私たち、ふだん、たとえ楽しいことは少なく苦労することばかり多かったとしても、神の小羊であるイエス・キリストにつながっているなら幸いです。人生を登山にたとえるならもうすぐ山頂が見えるところまで来ている人が、この中にもたくさんいることと思います。主にある望みを抱いて、新しい年を迎えたいと思います。

 

(祈り)

 イエス・キリストの父なる神様。楽しいこと、つらいこと、いろいろありました2017年がまもなく過ぎ去ってゆこうとしています。私たちは時がこんなにも早く過ぎ去っていくのを残念に思うことがあります。しかし、これもすべて神様のご支配の中で起こっていることを思うとき、きのうより今日、今日より明日に向かって、神様が一番良い方法で私たちの人生を導いて下さることを、心からの感謝をもって知るのです。

 昔、エルサレムには大きな神殿があって、礼拝するためには皆そこに行かなければならず、また毎日動物を捧げなければなりませんでした。しかし今や世界中に教会があって、私たちにもこの教会が与えられ、主イエスがご自分を捧げ物として下さったことで、私たちは心おきなく神様を拝み、お祈りすることが出来るようになりました。神様がもったいなくもイエス様によって私たちと共におられるからには、私たちをこれから今以上に信仰にはげみ、神様から受け取った愛と正義を他の多くの人々と分かち合う者とさせて下さい。

 世界と日本、そして多くの人々が不安とかりそめの慰めの中でこの年を終えるように見える今、神様が世界のすべての教会を強め、神様の確かなみこころを語るところとして下さい。イエス・キリストの勝利を信じて歩む、広島長束教会の一人ひとりの上を聖霊によって支え、力づけて下さい。とりわけ、この礼拝を覚えつつ、今それぞれの場所でたたかっている友の上に格別な恵みをお与え下さい。主イエス・キリストのとうとき御名によって、この祈りをお捧げいたします。アーメン。

  神の御子の降臨 youtube   

イザヤ55:8~11、ヨハネ1:14~18 2017.12.24

 

 今からおよそ2000年の昔、救い主イエス様はユダヤの国ベツレヘムでお生まれになりました。イエス様のことを正確にはイエス・キリストと言いますが、キリストを日本語で言うと救い主です。キリストがお生まれになった日がクリスマスなのです。

 広島長束教会では12月16日の子どもクリスマスの日に、聖誕劇をしました。マリアさんのもとに天使が来て、「おめでとう、マリア。神様があなたとともにおられます」と告げたところから始まり、羊飼いや博士たちがベツレヘムの馬小屋に集まり、みんなでイエス様のお誕生を喜びあいましたね。

 クリスマスというとだいたい、こういう話が多いのですが、今日はちょっと違う切り口から、イエス様ご降誕のお話をしましょう。

 

 皆さんは「アラビアンナイト」の中の「アリババと40人の盗賊」という話を知っていますか。このお話では不思議な岩が出て来ました。その岩に向かって「開け、ゴマ」と叫ぶと、岩が二つに割れて、洞窟の入り口が現れます。盗賊はその中に金銀財宝を蓄えていたのです。岩に向かって「開け、ゴマ」と言わなければだめなんです。「開け、大根」と言っても、「開け、とうもろこし」と言っても、岩は全然動きません。

 もちろん、こんなことはお話の中だけのことです。でも、こんな話をしたのは、皆さんに、言葉というものがどれほど大事か、知ってもらいたかったからです。心の中で思っていただけではだめなんです。しゃべったとしてもぼそぼぞ言ったりするようではだめです。声を出した以上、はっきり言う、それも間違えずに正しく言わなければならないのです。そうでなければ何も起こらないのです。

 言葉って不思議です。人間だけが言葉を使います。人間だけが言葉を使って、ものに名前をつけたり、お話ししたりします。私たちが使っているのは日本語という言葉です。世界にはたくさんの言葉があります。例えば「おはよう」という言葉を英語で言うとグッドモーニング、フランス語ではボンジュール、中国語ではツァオシャンハオ、ロシア語ではドーブルエウートラ、スペイン語ではブエノスディアスとなります。毎朝、世界の国で人々がそれぞれの言葉で「おはよう」と言います。そうすると心が明るくなります。心のこもった言葉のやり取りは、世界を明るくします。…けれども反対に「あんたなんか嫌いだ」とか「お前の母ちゃんデベソ」とか言ったらどうでしょう。みんなむかついて、けんかになってしまうでしょう。

 言葉はふしぎな力を持っています。言葉でもってみんなを幸せにすることが来ますが、反対に人と人を仲たがいさせたり、けんかさせたりすることもあります。言葉でもって失敗した人もたくさんいます。ふだん心の底に隠していた醜い思いが何かの拍子にぽろりと外に出てしまうからです。だから私たちはふだんから言葉に気をつけなければならないのです。

 私たちの話す言葉にまごころがあれば、人の心に働きかけて、これを動かしたり、清めたり、また強くすることが出来ます。…例えば言葉を並べて歌を作ることがありますね。昔の人は、歌というのは力も入れずに天地を動かし、こわい兵隊の心もやさしく出来るのですと言いました。歌は、まごころがこもった言葉で出来ているからです。

 

 皆さんは、人間の使う言葉にまごころがこもっている時、力を持つことがわかりましたね。では神様の言葉はどうでしょう。…もちろん神様の言葉は人間の言葉をはるかに超える力を持っています。もしも私たちの耳に、直接神様の声が聞こえたとしたら、こわくて立っていることも出来ないでしょう。

 神様はそのお言葉によって、宇宙のすべてをお創りになりました。太陽も月もこの地球も、山も川も海も森も、あらゆる生き物も、また皆さん一人ひとりも神様がそのお言葉でもってお創りになったものです。神様はご自分が言われたことを、必ず実行されるのです。

  

 さて、私たちは今日、聖書から、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」というところを読みました。これを見て、何を言っているんだろうと思った人が多かったでしょう。ひとことで言うと、これはイエス様がこの世界に来られたことを言っているのです。イエス様こそが神様の言葉なのです。

 いったいどういうことでしょうか。イエス様と、神様の口から出る言葉、全然違うとしか見えないものが同じものにされているのです。なかなかわからないかもしれませんが、ここでヒントを出します。

 皆さん、さっきはアリババと40人の盗賊の話が出て来ましたが、今度はアラジンと魔法のランプの話に助けてもらいます。アラジンが魔法のランプをこすると大男が出てきて、なんでも出してくれましたが、それと同じように神様から差し出されたランプをこするということもあると思うのです。「サンタさんがすてきなプレゼントを持ってきますように」、そう言って、願い通りのものを受け取れたら嬉しいですね。では、「サンタさん、神様にお願いして神様の言葉をもってきて下さい」、と言ったとしたらどうなるでしょう。魔法のランプの中から神様の言葉が次々に出て来て、鼓膜が破れそうになるのでしょうか。

そうではありません。

そこから出て来たのはイエス様なのです。

 イエス様は神様の言葉そのものなのです。宇宙のすべてを創られた神様の言葉がイエス様となって現れました。だからイエス様のやることなすことすべてに無限の力がこもっています。信じられないようなことですが本当なのです。

 今から2000年の昔、神様の言葉そのものであるイエス様は、この世界においでになりました。そのことをお祝いする日がクリスマスです。イエス様は、神様にそむいてみすみす暗い穴に落ち、もがき苦しんでいる人々を救い出し、本当の幸せを教え、天の父なる神様のもとに連れてゆくために来られました。そして、今もそのお仕事を続けておられるのです。イエス様が皆さん一人ひとりの心の中に住んで下さるように。お祈りしましょう。

 

(祈り)

 天の父なる神様。あなたが私たちの広島長束教会を祝福し、今日ここで喜びの内にクリスマスを迎えることが出来たことを心から感謝いたします。今年、世界と日本は揺れ動きました。私たちもそれぞれ楽しいこと、苦しいことを体験し、笑って泣いて、いろいろな中を通ってきました。これから何が待ちかまえているかわかりません。不安もあります。しかし、私たちはつらい目にあって、泣いたり叫んだりするために、この世に生まれたのではありません。イエス様がこの世界においでになられ、本当の幸せを教えて下さいました。だから私たちはいつも神様と一緒です。イエス様をこの世界に送って下さった神様の愛が、今ここにいるすべての人、とりわけ子どもたちの上にありますように、そして今日この日、まだイエス様と出合っていない人々と世界の上にも、どうか神様からの平和がありますようにとお願いいたします。この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。

すべての人を照らすまことの光youtube 

イザヤ9:1~5ヨハネ1:9~13 2017.12.17

    

 先週に引き続きヨハネ福音書の初めの部分を学びましょう。ここには「言」、「命」、「光」といった単語が並んでいて、書いてあることがたいへん抽象的なのですが、皆さんにはそれらがすべてイエス・キリストを指し示していることが示されたことと思います。今日のところでも「まことの光」が出てくるとすぐ、「言が」、「言が」となっていますが、すべて同じイエス様のことをと言っているということで理解して下さい。

 

 9節、「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」今日はこのことを中心に受け取って、考え、味わい、感謝したいと考えています。…これは聖書について信仰について、何の知識もない人が見ても、素晴らしい言葉ではないかと思います。世の中にはいろいろな光がありますが、その光こそまことの光です。その光がどこか遠い彼方の世界にとどまっているのではなく、世に来たのです。おそれおおくも私たちが生活しているこの世に来て、すべての人、従ってこの自分をも照らして下さったのです。

 ただし、そのことですべての人が、まことの光を信じるようになったのではありません。そのことは、そのあとの「世は言を認めなかった」とか、「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」と書いてあるところから明らかです。…イザヤ書に書いてある「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」というのは本当ですが、その光を見た人がすべて、そのもとに集まってきたわけではありません。中には、かたくなに拒否した人もいたのです。では、まことの光が世に来ても何にもならなかったのでしょうか。そうではありません。こうしたことを順次明らかにして行きたいと思います。

 

 聖書が語る光について述べる前に、まず私たちがふつう見ている光のことから、話を始めることにしましょう。私たちのまわりには太陽の光、電気の光、ろうそくなど火を燃やした時の光、さらにはほたるの光など、たくさんの光があります。そして光が差し込んでこないところを闇と言ったり、暗闇と言ったりするのです。

 光と闇とどちらが好ましいかと尋ねたら、たいていの人は光だと言うでしょう。光は明るいし、暖かいわけです。これに対し、闇は暗いし、寒いし、その中に入ると自分がどこを歩いているかわからないので、危険で、怖いわけです。

…私たちは、このような、人間としてはごく当たり前の感覚を大事にしたいと思います。

 自分の家にいる時、部屋に太陽の光が入るようにしたり、そこを明るく保とうとするのは精神的にも健全な証拠です。…ところが昼間からカーテンを降ろし、電気もすべて消して、暗いところでじっとしていたとしたらどうでしょうか。家族は心配になって、心の状態を気遣うようになるにちがいありません。…このように光と闇というのは、人間の心のもちようと密接なつながりがあります。おおざっぱに言って光を求める人には肯定的な評価が、闇を求める人には否定的な評価が与えられる傾向があります。……もっとも、これはずいぶん単純化した言い方でありまして、人生のいろいろな場面で、ただ明るいだけではものたりない、少し暗がりがあった方がいいということもあるのですが、話が複雑になるのでこれ以上はふれません。私たちがふだん目にしている光と闇、これが聖書で言っているところの光と闇を考えるための大事なヒントになります。

 ヨハネ福音書1章5節は言います。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」…暗闇は光を理解しなかったというのは妙な日本語ですね。「理解する」という動詞は、把握するとか捕らえるという意味があります。口語訳聖書では「やみは光に勝たなかった」となっており、どう翻訳するとしても暗闇は光にかなわないことを言い表しているのです。

 光が来たなら、闇の中にあるすべてのものが照らされます。闇は遠ざけられます。闇は光に勝つことが出来ません。このことは自然現象としては当然のことですが、神様がイエス・キリストを通してなさったこともこの通りです。

 聖書は、光でイエス・キリストを表すと共に、暗闇で罪に覆われたこの世を表しています。光、すなわちイエス様が来られた時、暗闇である世界が照らされました。まさに「死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」のです。…それでは、この世をおおう罪がなくなって、救いへの転換が起こったのか、そうとは言えません。かえって光に対する反発が起こりました。それが「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」ということにほかなりません。

 朝、日が昇って光が射してくると、暗闇の中にあった万物が光に向かって躍り始めます。そのように、イエス様が来られることを人々が歓喜して迎えるということはあります。しかしながら、それとは逆のことも起こります。光が射してくると、闇はますます濃くなるのです。…そのようなことを、私たちも見聞きしたり、その渦中にいたりしたことがないでしょうか。

 

…たとえば、どんな集まりでも良いのですが、そこが清濁併せ呑むという感じで、良いことも悪いこともしながらみんな仲良くやっていたとします。するとそこに、正しさのかたまりみたいな人がやって来てその集まりを正しい方向に向けようとし、改革を始めるとします。すると、その改革に身を投じていく人もあれば、反発して、改革を妨害する側にまわっていく人も出るでしょう。このように、以前はみんなが同じだったのが、改革者が来た時に、その集まりが二つに分裂してしまうというのはよくあることです。

 イエス・キリストが来られた時、この方を素直に信じて受け入れた人がいましたが、逆に反発し、イエス様の敵になってしまった人もいたのです。イエス様ご自身、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである](マタイ10:34~35)とおっしゃっています。イエス様を受け入れるか反対するかで人々は分裂し、しかも反対する人はどんどん多くなっていきました。まことの光が射しこんだことで暗闇が反発し、かえって猛々しくなり、その活動を著しく活発化させてしまったのです。こうしてイエス様は十字架につけられて、殺されました。…暗闇はこのことで光に勝ったと確信したはずです。しかし結局、暗闇は光に勝つことが出来なかったのです。

 

 ここでまことの光であるイエス・キリストについて、もう少しみることにしましょう。

 1章1節の「初めに言があり、言は神と共にあった」、ここで言う「初め」というのは永遠の昔のことになります。従ってここは、永遠の昔にイエス様が天において父なる神と共におられたことを意味しています。創世記の1章1節には「神の霊が水の面(おもて)を動いていた」と書いてあり、これらを一緒にまとめると、永遠の昔に父・子・聖霊の三つが一つの神としておられたことになります。

 イエス様はこのように永遠の昔からおられた方なので、マリアの胎に宿った時にはじめて命の誕生となったのではありません。「世は言によって成った」と書いてある通り、イエス様によって世界は出来上がったのです。このことはコロサイ書1章16節においても、「万物は御子によって、御子のために造られました」と告白されています。…イエス様そのまま天におられても良かったお方でしたが、人間となって、暗闇そのものの世界、苦しみ叫ぶ人の声が響いているこの世界に降りて来られました。そのために道を掃き清める仕事をしたのがバプテスマのヨハネです。

 イエス様はまことの光であられます。イエス様ご自身がそのことを自覚し、おっしゃっておられます。ヨハネ福音書8章12節は言います。「『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ』」。十字架につけられる少し前、12章35節以下も紹介しましょう。「イエスは言われた。『光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。…光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。』」光であるイエス様は、ご自分を信じて光の子になるようにと呼びかけておられるのです。

 もう一つ、「まことの」、これにも注目したいと思います。これは原文では真理という名詞に由来する言葉です。イエス・キリストは真理でいましたもう。イエス様は総督ピラトから尋問された時に「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と言われています。

 イエス様はまことの光であられます。この世にはまことの光ではない光がたくさんありますが、その中でただ一つのまことの光です。多くの宗教が、自分たちは光であると言っています。しかしその中には、人々にご利益を与えることだけを約束するものが多く、そうでないまじめな宗教であっても、神であるお方がこの世に来られ、十字架の死を引き受けるまで神の愛を貫いたものはありません。まことの光以外に私たちのよって立つべき方はないのです。

                                                                                                                                          

 まことの光であるイエス・キリストはすべての人を照らすにあたって、世界のすべての民に対する祝福の源として神によって特別に選ばれたユダヤ人のところに来られました。ところが「民は受け入れなかった」、すべてのユダヤ人ということではないのですが、ユダヤ人の大多数の人々がイエス様を斥けてしまったのです。…ただ、それはユダヤ人だけが暗闇に呑み込まれたということではありません。ローマ人など他の民族がそこに加担してしまったことも確かです。

 それではまことの光を受け入れ、救いにあずかった人はいなかったのでしょうか。そうではありません。まことの光に照らされてもまた闇の奥に入ってゆこうとする人々が多い中で、その流れに逆らって、まことの光のもとに留まり続けた人々が出たのです。福音書は告げます。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってではなく、神によって生まれたのである。」

 それまでのユダヤ人は自分たちのもって生まれたところを誇りとし、その口ぶりは、自分たちは聖なる、由緒ある血すじに生まれているから、生まれながらに聖なる者であると言わんばかりでした。それでも彼らが、イエス様を心から受け入れていたなら、自分たちの出自を誇ることも出来たかもしれませんが、そんなことは、大きなことではないのです。「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってではなく」、この三つはほぼ同じことを言いかえているようです。…ユダヤ人であっても異邦人であっても、貴族の家に生まれた人でも最下層の身分に生まれた人でも、能力や財産がどれほど違っていても関係ありません。まことの光に照らされた者がそこに留まり、神の子となるためにはどんな条件も必要ありません。また本人が思い立って、精進して、救いを獲得するというのでもありません。ただまことの光であるイエス様をキリスト、救い主として受け入れること。その人は神によって、聖霊によって、新しく生まれるのです。

 

(祈り)

天にいます、主イエス・キリストの父なる御神。今日の礼拝を待降節礼拝として、この世界においで下さったイエス様をお迎えする心の準備をさせていただいたことを、心より感謝いたします。 

もしもイエス様がおいでにならなければ暗闇に覆われた世界は救済されませんでした。神様がこれほどまでに世界と人間を愛していることに人間は気づかず、自分のことをさしおいて神様に対して不平不満を並べたて、結局は滅びへの道を歩んでいたことでしょう。

今年、世界も日本にもさまざまな困難なことが押し寄せ、現在もその中にあります。一人ひとりの私たちの目の前にも、さまざまな厄介きわまる問題が立ちふさがっています。そのために、望みを失って、また闇の奥に入って行こうとする人がいないとは限りません。しかし、あきらめるのはまだ早いということを教えられました、まことの光に一度照らされた者がまた闇の奥に去ってゆけば、今度は以前よりもっとひどい状態に陥ることを恐れます。

イエス様は2000年の昔、遠いパレスチナでお生まれになりました。私たちはイエス様のお姿を見たことはなく、お声も聞いたことがありません。けれども、時と場所を超えて、今ここにいまし、私たちが捧げる礼拝を受け入れて下さり、何より大切な信仰を与えて下さることを感謝申し上げます。

神様、どうか私たちが、イエス様のもとにある命の恵みに満たされ、一人ひとりが社会や地域や家庭において、自分の人生に対する責任と共に生きる人々に対する責任を果たしつつ、今日からクリスマスに至る毎日を感謝と喜びの中に過ごすことが出来ますようお導き下さい。主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。

 光について証しする者YouTube  

イザヤ40:1~5、ヨハネ1:6~9  2017.12.10

 

ヨハネ福音書は、「初めに言があった」というところから始まりました。先週は、そこにある「言」とは原文でロゴスと言い世界の法則性をあらわすものであること、神と共にあり、それ自身が神である言がイエス・キリストにほかならないということを学びました。…ただ、そうはいっても、これほどスケールが大きく、驚くべき出来事を、私たちが1回や2回の礼拝で理解できるようになるとはとても思えません。そこで、このことをくりかえし学んでゆきたいと思いますし、それも頭の中だけでなく、自分の生き方全体で受けとめる者でありたいと願っています。

 

ヨハネ福音書は今日のところで初めて人名が登場します。それがヨハネです。イエス様のお名前はもっとあとにならないと出て来ません。イエス様に先立って紹介されるヨハネのことを、皆さんは芝居に例えると前座であって、主役が出て来る前の引き立て役のように思っていることでしょう。ヨハネにはたしかにそのような役割が与えられているのですが、しかし、だからといって、前座はおつきあい程度に見ていれば良いというわけではありません。

まず初めに、聖書に地図がついている方は、新約時代のパレスチナというページを開いてみましょう。北にガリラヤ湖、南に死海があり、ガリラヤ湖から死海に向かってヨルダン川が流れています。ヨハネが活動したのは死海の北側に面したヨルダン川沿いの地方です。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていました。まるで原始人か野人のような姿で現われ、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と語って、集まってくる人々に洗礼を授けていったのです。

ヨハネの出現は、時代の転換点を意味するものでありました。なぜかと言いますと、ヨハネが出て来るまで、ユダヤでは長い間、神が沈黙されたままで、み言葉を聞くことの出来ない飢えと渇きが続いていたからです。

 皆さんは、神様が預言者の口から出る言葉を通して、みこころを告げて行かれたことをご存知です。旧約聖書にはイザヤ、エレミヤなど幾多の預言者が語った言葉が記されています。ところが、預言者が出なくなって久しくなっていたのです。…マラキ、ヨエルなど最後の預言者に続く人が出ないまま、すでに300年以上がたってしまいました。苦難の歴史を歩んでいたユダヤの人々は、預言者が現れて神様のみこころを知らせてくれることをどんなに待ちこがれていたことでしょう。しかし、それは求めても与えられません。

神の言葉を聞くことの出来ない飢えと渇きがずっと続いている、…これほどつらいことはないのです。…そんな時に、預言者ヨハネが出現し、神から頂いた言葉を伝えていったのですから、これは青天の霹靂のようなことであったと思います。ユダヤの人々は、ここに新しい時代の始まりを見たのです。

 6節の「神から遣わされた一人の人がいた」、これは当たり前のことではありません。…昔からどの民族の中にも、自然界を眺め、人間が生まれて老いて病んで死ぬさまや社会のありさま、歴史を観察して、世界はどうして出来たのか、人間はどこから来てどこへ行くのか、人間はどう生きるべきか、ということを考えた人々がいました。そこからさまざまな神話が出来たり、宗教や哲学が現れたりしたのです。その中には、たいへんに優れたものもあります。

 しかし聖書は、そこに現れた人間の知恵がどれほど優れたものであったとしても、神様のおられる高さには到達しないと言うのです。人間の知恵にはどうしても限界があります。人間から神に至る道はありません。神様の方から示していただかなければ、人間はほとんど何も知るところはないのです。…その意味で、ヨハネが神から遣わされたことは、まことに神の知恵にかなっています。聖書が教える信仰は、このように、人間が探究して探り当てた真理ではなくて、神から遣わされた人に教えられることで初めて知ることの出来た真理なのです。

 ヨハネは証しをするため、光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるために来ました。…光については、4節で「言の内に命があった。命は人間を照らす光である」と書いてあるところから、イエス・キリストのことであると判断できます。ヨハネはイエス様を証しし、すべての人がイエス様によって神を信じるようになるために、神から遣わされてきたのです。

 イザヤ書40章の3節は「呼びかける声がある」と言います。これがヨハネのことですね。ヨハネのことがすでに預言者イザヤの書に書いてあったということは、彼の出現がすでに神のご計画の中にあったということを示しています。

「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。」

昔、中近東で国王がその国土を巡回する時は、まず先に伝令が遣わされ、王の到来を告げてまわりました。王が通るところでは、谷は埋められ、山と丘は低くされなければなりませんでした。また曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らにされなければなりませんでした。

…ヨハネはそのような伝令なのです。イエス・キリストが来られることを告げてまわる伝令なのです。

キリストが来られる時、それに先立って呼びかける声が派遣されますが、それを聞いた人間たちの心の中の荒れ野が耕され、良い地にされなくてはなりませんでした。これがヨハネがめざしたことです。ヨハネはイエス・キリストについて証しをしました。その終局の目的は、すべての人々がイエス様を通して神を信じるようになるためです。

 

ところで、証しとは何かということを、少し考えてみましょう。それは本来、裁判に関係する言葉で、真実を証言するという意味の言葉です。これが信仰の世界でも用いられるようになって、神の真理や恵みを語ることで神の素晴らしさを明らかにすることになります。

日本キリスト教会以外で、証しをよく行う教会があります。礼拝や集会の中で証しの時間を設けたりしています。日本キリスト教会では証しの時間というのは聞いたことがありません。35年ほど前、私が横浜海岸教会にいた時、クリスマス礼拝で証しを行うことを提案しました。反対意見もあったのですが、証しは行われ、それがとても良い話だったので、結果的に、恵みに満ちた時間になりました。

日本キリスト教会ではなぜ証しの時間がないのか、それは証しが往々にして、神の真理や恵みを語ることよりも自分の宣伝になってしまうからです。例えば、神様が自分の家庭に素晴らしい恵みを与えて下さったと語ることが、結果的に家族を自慢することになってしまったりするのです。それを聞いて、ひがむ人が出るかもしれません。…本当の証しはそうではありません。それは自分を語るのではなく、常に神を、イエス・キリストを語るのでなければならないということです。そのことを抜きにした証しはありません。

ヨハネは光ではなく、光について証しをするために来ました。そのことをヨハネ自身がわきまえていました。具体的な例が19節以下に書かれています。「エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させたとき、彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表した。」…ヨハネは証しをする際、自分を中心には置きません。自分は救い主なのではない、あくまでも救い主に仕える者だということを貫いたのです。

人間なら誰でも、程度の差はあれ、自分を格好よく見せようとしたり、ほかの人から賞賛を浴びたいという気持ちを持っています。社会の中で生きるとき、そういう気持ちがあって良い場合もあるかもしれませんが、しかし証しの場でそれがあってはなりません。私たちは、誇大妄想症にかかっているのでない限り、自分をメシアだなんて言うことはありません。

しかし、イエス様をさしおいて自分を主としていることは、よくあることなのです。自分について語ることがあっても、それは自分を宣伝するためではなく、救い主キリストの光を輝かすことでなければならないのです。

 

ヨハネの生涯のおおまかなところは、皆さんご存じでしょう。ヨハネは主イエスに6か月ほど先立って生まれました。主イエスのために道をはき清める役割を果たし、その過程で主イエスに会い、洗礼を授けました。それからしばらくたって後、イエス様の一団が人々に洗礼を授けていることを聞いた時も、はりあうようなことをせず、「わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない(ヨハネ3:29、30)」と言って、イエス様に栄光を帰しました。その後、領主ヘロデによって、殺されました。

さて、ここで考えてみたいことがあります。ヨハネ福音書の1章は、1節の「初めに言があった」に始まり、14節の「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」というクライマックスに向かって進んで行きます。そこでは、イエス・キリストがこの世界に来られた、その深遠な意義を明らかにしようとしていることがうかがわれます。

しかし、それなら福音書は、イエス様について書きながら、なぜヨハネについてわざわざ触れているのでしょうか。福音書はもちろん、ヨハネがイエス様に並び立つような存在だとはしていないものの、まるでイエス様に迫ってくるかのように書いています。そうするより、ヨハネの部分を大幅にカットして、イエス様だけを全面に押し出して書いていっても良かったのではないでしょうか。……でもそれは違うのです。世界の救い主であるイエス様について語る時、イエス様に仕えたヨハネのことも語られなければなりませんでした。ヨハネがいなければ、イエス様は何も出来なかったということではありません(5:36)。が、それでも、神のなさったことは書き留められなくてはなりませんでした。

ヨハネが人生をかけて証しした光は、まことの光、世に来てすべての人を照らす光でありました。この世界にはまことの光とそれ以外の光があり、それ以外の光も重要で一定の役割を果たしておりますが、私たちはまことの光にこそ目を注いでいなければなりません。

オリンピックやパラリンピックの聖火リレーで用いる火は、太陽光線を大きなレンズを使って、集約してつくります。この場合、太陽の表面で日夜爆発している火がほんもので、まことの光に例えることが出来るとすれば、聖火ランナーがかかげているのは、火には違いありませんが、まことの火ではなくあかりのようなものなのです。

ですから、まことの光が世に来てすべての人を照らしている時に、あかりの光の方が良いと言っているなら、その人はことの本質が見えていないということになります。ヨハネはまさにあかりをかかげた人で、自分の本分がわかっていたので、まことの光が出現した時にいさぎよく身を引いたのです。

そのことを信者の側から見ると、ヨハネを素晴らしいと思っていた人も、イエス様が現れた時には、イエス様の方に行かなければならないということです。

私たちがどのようにして信仰を持つにいたったかを考えてみますと、信者の家庭に育ったとか、心から尊敬できる牧師や信者に出会ったとか、いろいろな理由があったと思うのですが、そこでとどまってしまってはなりません。素晴らしい信仰者に会って、あの人のようになりたいと思って自分も信仰を持つということはあるのですが、その人はまことの光から受けたものを輝かしている、いわば月のような存在です。だから、いくらその人のファンになっても、そこで満足してしまうのではなく、その人に注ぎ込まれているまことの光をこそ追求しなくてはならないのです。

ヨハネの働きというのは、神様がいつの時代にも、人間に託されている働きを現したものといえます。イエス・キリストのために証しすることは、伝道者や牧師だけの務めとはいえません。すべての信仰者が、それぞれの場所でキリストの証し人としての働きをなしてゆくことを神様は期待し、その力を与えてくれているのです。

 

(祈り)

私たちの主イエス・キリストの父なる御神様。み名を賛美いたします。昔いまし、今いまし、やがて来たりたもうイエス様ご自身がこの礼拝を導き、私たちに、ご降誕を迎える心の準備をさせて下さったことを感謝申し上げます。

神様、私たちの中には口に出すことはないとしても、自分が、自分が、と自分の栄光を求める気持ちがあり、そういう思いからは、ヨハネの、ただイエス様だけに栄光を帰そうとする態度が何かつまらなく思えてしまうのです。イエス様のことよりまず自分のことを考えろよ、と言いたくもなります。しかし、このヨハネの生き方の中にこそ、人間としての本分と喜びがあるということを教えられました。

神様、自分だけを第一にし、なになにファーストと言ってはばからない人が大手をふるって歩いている世界の中で、どうかイエス様を主とする教会を強めて下さい。私たちをバプテスマのヨハネのように、自分の栄光を求めず、主の栄光のために仕える者として下さい。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

   初めに言があったyoutube  

創世記1:1~5、ヨハネ1:1~5  2017.12.3

 

 2017年の待降節が今日から始まりました。待降節は11月30日に近い日曜日から始まり、4回の日曜日をへて12月25日のクリスマスに至る期間です。待降節のことをアドベントと言い、これは来臨、来られることを意味しています。それはもちろんイエス・キリストがこの世界に来られたことなのですが、しかし来臨は2000年前の出来事だけを言うのではありません。キリストは、世の終わりに再びこの世界においでになると約束なさっています。従って、私たちにとってのアドベントの過ごし方は、昔この世界においでになられたイエス様をお迎えすることだけではありません。再びおいでになるイエス様を待ち望む時でもあるのです。

 

 クリスマスのお話というと、私たちはマタイ福音書とルカ福音書に書かれていることに親しんでおりますが、今年はヨハネ福音書から語ってゆきたいと考えています。そこには、羊飼いも東の国の学者も、マリアやヨセフの名も出て来ないので、抽象的なことばかり書いてあるように見えてしまうかもしれません。しかし、そこにあるのはまぎれもなく、イエス様がこの世界に来られたということなのです。

 ヨハネ福音書は「初めに言があった。」というところから始まります。教会に来て日の浅い方なら、まずここでつまづいてしまうかもしれません。こんな文章は、聖書が翻訳されるまで、日本にはなかったのですから。

 ヨハネ福音書は、このような不思議な文章をつづりながら、14節になって「言は肉となって、わたしたちの間に現れた」といいます。次に、これを受けて、今度は「この方」という言い方をしています。「言」といわれたものが、ひとりの人格を持つお方になっており、その方こそイエス・キリストであることが示されるのですが、このように展開されていく教えをいっぺんに理解できるものではありません。

 そこで言についてお話ししてから、それが肉になり、私たちの間に宿られたということを、礼拝説教を通して順次解き明かしてゆきたいと思います。

ヨハネ福音書で「言」と訳されている単語は、英語の聖書では「the Word」、Wが大文字になっています。新約聖書はギリシャ語で書かれており、原文ではロゴスと言います。ユダヤの言葉ではありません。

…英語では心理学のことをサイコロジー、社会学のことをソシオロジー、工学のことをテクノロジーと言いますが、それらの語尾につく「ロジー」というのが、実はロゴスから来ています。

紀元1世紀、キリスト教がユダヤから世界に広がっていった時、福音をギリシャ人に対しどう伝えるかという問題が起こりました。ギリシャ人は、ソクラテス、アリストテレスを初めとして幾多の学者を輩出したきわめて優秀な民族で、相当な論理的・哲学的な素養があるわけで、この人たちに対して、素朴な信仰を語ってもなかなか通用しないわけです。そこで、ギリシャの哲学者が考えた概念でもって信仰を明らかにするという作業が必要となり、こうして歴史的にはキリスト教神学が組み立てられてゆくことになるのですが、ロゴスが新約聖書に入ったということもその流れの中にあるように思われます。ここらあたり、研究者はたいへん複雑な議論を展開しています。

ロゴスを日本語に翻訳するのは簡単ではありません。江戸時代に、日本で初めて翻訳された聖書は「初めに言があった」を「ハジマリニカシコキモノゴザル」と訳しています。1872年にヘボン・ブラウンらによって翻訳されたヨハネ福音書を日本キリスト教会の久米三千雄先生が復刻されましたが、それを見るとロゴスが言霊になっていました。「言」(げん)の字に聖霊の「霊」です。これだと1章1節はこうなります。「元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり、言霊は神と共にあり、言霊は神なり。」明治時代には、道という字を書いてふりがなを「ことば」とした翻訳も出て、これを週報に出しました(文末の注をご覧下さい)。いろいろ試行錯誤を経て、最終的に現行の形に落ち着いたということのようです。

このようになったのには、ロゴスにいくつもの意味が含まれているからです。それは「言葉」、「ことの葉」を意味することは確かですが、それと共に、世界の法則性を表す用語でもあるのです。

 

ここからは、言葉、葉っぱの葉の字がつく言葉の働きについて考えましょう。   

人間だけが言葉を使います。人間は言葉を使えますから、ものに名前をつけたり、覚えたりできるのです。ものでも人でも、名前を知ることが第一歩です。赤ちゃんから科学者まで、人間はこのようにして情報を交換し、知能を発達させ、文明を発展させてゆきました。

言葉はそれと共に、人と人とのコミュニケーションのためになくてはならないものです。この頃、寒くなってきましたが、以前こんなうたがはやったことを思い出します。

寒いねと言えば寒いねと答える人のいるあたたかさ(俵万智)

 

「寒いね」と言われて、それを無視したり、「そうかね」と返すのではだめです。「寒いね」と言ったらそれに応答する人がいる、そうするとあたたかくなるんですね。…たとえ凍りつくような寒い日でも、人と人の心が通い合えば、気持ちがあたたかくなる、もしかしたら体の中まであたたかくなるかもしれない、これが言葉を使ったコミュニケーションの一例です。

言葉は単なる記号ではありません。それを語る人の心を表わし、他の人との交わり、コミュニケーションを作り出します。言葉は神様からの贈り物です。もしも語る言葉に真実がこもっていれば、それは真実のこもった応答を呼び起こし、人と人との間に対話や人格的な関係を成り立たせます。

しかしながら、言葉をとりまく状況は、実際にはどうなっているでしょうか。私たちの口から出る言葉は今言ったような意味で用いられているでしょうか。

世の中には、真実の伴わない言葉があります。…言葉によって人をだましたり、やりこめたり、傷つけたり、他の人に対して心を閉ざしてしまう言葉もあれば、心ない言葉が人を殺すことさえあるのです。……そういうことが積み重なってゆきますと、言葉が信じられなくなるということが起こります。…空疎な言葉が氾濫しています。今の時代は、そういう意味で、言葉がたいへん軽くなっている時代です。言葉のインフレーションが起きているのではないでしょうか。

人の口から出る言葉は、その人が生きている世界をいやおうなしに反映しています。たとえ全く同じ言葉であっても、それを話す人によってそれが重みをもったり、逆にそうはならない場合があります。人が本心とは裏腹の立派な言葉を語るとき、言葉は薄っぺらなものになってしまいます。隠していた本心を何かのきっかけでポロリとしゃべってしまうこともあります。もちろん誰もが納得する立派な言葉もありますが、総じて言うなら、人間の言葉は不完全なものでしかないのです。

 

このようなことを踏まえながら、聖書に記録されている神の言葉について思いを向けてみましょう。…神に関しての限りですが、葉っぱの葉がついていても、ついていなくても同じです。「初めに言があった」、ここで初めというのは天地創造の時です。この時すでに言がありました。神の言葉が発せられていました。

天地創造の第一日目について、「神は言われた。『光あれ』、こうして光があった」と書いてあります。二日目、三日目、四日目、神は次々に言葉を発せられることによって、地球を、そこに生きる植物や動物を、そして人間を作ってゆかれました。神がひとこと語られるとその通りになるのです。そこには神がお語りになることと、それによって生じる出来事との間に、少しのずれも狂いもないことが教えられています。

神がお語りになる言葉には、薄っぺらな、口先だけのことは一つもありません。そこには神様ご自身の思いや力や、圧倒的な存在の重みがかかっています。だからこそ、神の言葉が語られるとき、そこには神が意図される何事かが生起するのです。…旧約聖書の原文では言葉のことを「ダーバール」と言いますが、これには出来事とか行為という意味もあります。ことばと出来事の本来の関係をよく示していると思うのです。…そのようなこととしてイザヤ書55章11節に神ご自身の次の言葉があります。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」。

このように見てゆきますと、神の言葉とは神のみこころや力のこめられたもので、行動する神ご自身であると言っても良いのです。…ですから、このことを1章1節にあてはめてみるなら、こうなるでしょう。「初めに神の言葉があった。神の言葉は神と共にあった。神の言葉は神であった」。…そうして14節で「言は肉となった」と言われるとき、この神の言葉が肉体をまとって、この世界に現れたことを告白しているのです。それがイエス・キリストにほかなりません。

 

長年教会に来ておられる方は、神の言葉がキリストになったと言うことをよくおわかりになっていらっしゃるかもしれませんが、これは考えれば考えるほど深遠な意味を持ったことです。…神の言葉はもともと形のないものなのに、キリストは目で見ることの出来るお方です。形のないものが形のあるものに変わるなんてことが、どうしてありえるのでしょうか。

神の言葉がキリストになった、これを受肉といいます。受ける肉と書きます。古代の教会の人々はこのことを徹底的に考えぬくことによって、この世界と神との関係を探求して探究してゆきました。現代の神学者になりますと、アインシュタインの相対性理論まで持ちこんで、その画期的な意義を追求していますが、そのことはさておきまして、人間の全く理解しがたいことが起こったのだということをまず心に刻みましょう。

大昔、父なる神は預言者を通してそのみ言葉を述べられました。人々はそのようにして神の言葉を聞くことは出来ましたが、神を直接見ることは出来ませんでした。しかし2000年前、神の言葉がビジュアルな形で世に現われました。イエス・キリストの中に神の言葉がすべてつまっています。神の言葉そのものであられるのです。

イエス様がお語りになることばはもちろん、この方のやることなすことすべてが神の言葉を伝えています。十字架と復活にきわまる、その人生そのものが神の言葉でありメッセージです。主イエスは神とはどんな方であるかということを示して下さいました。そしてこの方自身が神であられるのです。

 

罪ある人間の口から出る言葉は、うすっぺらなものでしかありません。しかし主イエスから出て来る言葉には、口先だけの薄っぺらなものはありません。主イエスはご自分の全存在をかけて、その言葉に生きられました。だから、その言葉は奇跡を呼び起こしたのです。

神が言葉を発せられるとき何かが起きる、それならば神の言葉がイエス・キリストとなってこの世界に現れたとき、いったい何が起こり、また起こりつつあるのでしょうか。神の言葉は私たちの周りの世界だけでなく、私たち自身の中にも何ごとかを起こします、主イエスはこの世に来られることで、私たちの内に新しい創造を始められました。そのことを確かめ、祝う、そのようなクリスマスが皆さん一人ひとりの上にありますように。

 

(祈り)

恵み深い天の父なる神様。寒い日が続いていますが、私たちの健康が支えられ、ここに集められて神様のみ言葉を聞く幸いが与えられましたことを、心から感謝申し上げます。

神様、あなたには出来ないことは何もありません。あなたはみ言葉によって世界を創造され、イエス・キリストによって本当の人間を創造されるのです。私たちの心にキリストが救い主としておられます。この幸せを私たちは他の何ものとも取り替えようとは思いません。いまそう思ってない人も、やがてそのように導かれることでしょう。

主イエスは「あなたがたの口から出るものがあなたがたを汚すのである」と言われました(マタイ15:18)。どうか私たちの口から出る言葉が、神様の愛と正義を伝え、人と人との間に平和をもたらすものでありますように。そのためにも神の言葉そのものである主イエスによって、私たち自身をさらに作り変えて下さい。

神様、今この教会で行われるクリスマスの準備をお支え下さり、神様の御子の誕生を一人でも多くの人にわかってもらうきっかけとして下さい。

この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。

 

(注:は、:に。2つとも変体がなです。)

「太(はじ)初(め)に道(ことば)あり道(ことば)神と偕(とも)にあり道(ことば)ハ即ち神なり この道(ことば)太(はじ)初(め)神と

偕に在(あり)き 萬(よろづ)物(のもの)これに由(より)て造らる造られたる者に一(ひとつ)として之(これ)に由(よ)らで造(つくら)

れしハ無(なし) 之に生(いのち)あり此(この)生(いのち)ハ人の光なり 光は暗(くらき)に照り暗(くらき)ハ之を暁(さと)らざりき」                     (新約全書 1887年)

2018:11:26  山本盾伝道師  あなたはどこにいるのか 創世記3:1~24 ローマの信徒への手紙6:15~23youtube

 昨年の5月からこの教会に招いていただき、交換講壇としてこうして皆さんの前で説教奉仕をさせていただくようになりましてから、今回で10回目となります。これまではずっと、新約聖書から御言葉を語らせていただいておりましたが、以前からいつか旧約聖書からも語ってみたいと願っておりました。今日その機会を与えてくださった主に、心から感謝申し上げます。本日は創世記の三章全体を取り上げます。先程司式者に朗読していただきましたけれども、やはりかなり長いです。けれども、私は敢えてこの個所は途中で切らずに一気に読むべきだと考えました。誘惑と堕落、罪と罰、滅びと救いの物語を、それぞれの部分ではなく全体をまるごと味わいたいからです。そうすれば、私たちはこの箇所を、大昔のおとぎ話としてではなく、まさに私たちのために書かれた、私たち自身の物語として受け取ることが出来るはずだからです。では今日も、神の言葉である聖書が告げるメッセージに耳を傾けましょう。

 「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」と1節に書かれていますが、私たちはこの蛇を悪魔あるいはサタンの化身であると考えがちです。勿論、誘惑する者の背後に悪魔の企みがあったと想像しても構わないのですが、聖書は決してそうは言っていません。けれども私たちは、自分の犯した罪の責任を免れようとして、「悪魔が唆したから」「サタンが騙したから」という言い訳をするために、これは単なる蛇ではなかった、実は闇の世界の怪物だったのだ、という解釈を好みます。しかし、聖書はこの蛇について「主なる神が造られた」被造物に過ぎないと語っているのです。主なる神が悪を創造なさったという意味ではありません。人を迷わせるようなことをする蛇もまた、神の御手の中に置かれており、私たちがその力に抗えない恐ろしい敵であるとみなす必要はないということです。しかも「最も賢いのは蛇であった」と言います。因みに口語訳聖書では「へびが最も狡猾であった」と訳されています。「狡猾」という言葉は、英語ではcunningと訳されますが、カンニングと言いますと、テストの時こっそり答えが分かる物を見ることですね。ですから「賢い」というのは良い意味ではなく、「ずるがしこい」ということでしょう。そしてそのようなずるがしこさは、蛇が一番だったとしても、他の生き物にも見られるということです。当然、人間にもあります。私たちが注意しなければならないのはむしろ、蛇のずるがしこさに応じてしまった人間の行動の方です。蛇は女に言います。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」。言われていませんね。2章17節で神がお命じになったことを思い出してみましょう。神は人に「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と仰いましたが、全ての木の実を食べることを禁止されたのではありません。それどころか、16節では「園のすべての木から取って食べなさい」と言われているのです。蛇は掟を歪め、神による制約を印象付けようとします。蛇は知識の木について自分からは口に出さず、蛇の企みに気づいていない無邪気な女が自分の方からそれを話題にするように仕向けます。女はまんまとその罠にはまってしまいました!

 そもそも、蛇が喋るのは変ですね。女は、蛇が喋り出したこと自体、既に何か間違っていると気づくべきでした。人間だけが神によって話すことの出来る存在とされたのに、蛇はその創造の秩序を侵して喋り始めます。そのことによって、自らを造った神を否定しているのです。ですから女はその声を聞くべきではなかったのですが、聞いてしまっただけでなく、蛇にこう答えてしまいます。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」。園の中央には命の木もあったのですが、女は禁じられた木の方だけを考えていました。わざと否定を強調した蛇の言葉に、既に影響されていたのです。そして思わず「触れてもいけない」という言葉を付け加えてしまいます。決して神はそんなことを命じておられないのに!女は、蛇の誤りを正そうとするあまり、神の厳しさを大袈裟に伝え、誇張によって自分から律法を作り出してしまったのです。そして彼女は神の警告を不正確に引用します。神は「食べると必ず死んでしまう」と仰ったのですが、その言葉を「死んではいけないから」と言い換えています。女は木の実を食べてもなお生きる可能性があると勝手に判断していました。

これは全く私たち現代人の考え方と同じではないでしょうか。私たちは、神を信じなくても生きられると心のどこかで思っています。でも、私たちは一体、神以外の何者から命を得るというのでしょうか。

 蛇は女を陥れることに成功しました。神の言葉は我々の判断でどうにでもなる、という考えを密かに持ち込んだのです。そして蛇は女に言います。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」。蛇は、信じ切って服従している女よりも自分はずっと神についてよく知っているのだと言い張り、神の裁きを否定します。現代でも、誘惑する者は同じことを言います。「神様はそんなに厳しい御方じゃないよ。神様はただ人間に嫉妬しておられるだけなんだよ。もっと自由に考えてごらん」。しかし皆さん、主イエスは弟子たちにこう教えてくださったのではないでしょうか。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広い」。惑わされてはならないのです。 

主イエスも試みに遭われましたが、御言葉の力によって悪魔を撃退しました。「神の子なら、パンを石に変えてみよ」と悪魔に言われた主は、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と、申命記の聖句によってお答えになりました。女も御言葉を正しく語るべきでしたが、そうしなかったのです。神から直接聞かなかったからでしょうか。アダムがきちんと伝えていなかったのでしょうか。そうではなく、彼女は「神のようになりたい」という欲望に負けたのです。信頼よりも知識を得たいと思ったのです。善悪を自主的に区別したかったのです。人間にとって何が良いことか何が悪いことかを決め、それによって人間を守っているのは神です。それなのに、今や人間は自分自身のことを自分で決定しようとし始めました。蛇が脅迫も強制もしないのに、あっさり罪を犯したのです。

 罪とは、神が私たちにお望みのことを行なわず、お望みでないことを行なうことです。罪とは、神が私たちにお与えになったものに満足しないことです。罪とは自惚れです。神よりも自分たちの方が物事をうまくやれると考えることです。そして、罪とは反逆です。神の役割を奪い、神を私たちの生活から追い出すことです。これは私たちの物語です。誰か他の人のことでなく、私たち自身の罪の姿なのです。

「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」と6節に書かれていますが、木の実が人を誘惑するなんてことがあるでしょうか。むしろ問題は、人間が神の言葉でなく自分の感覚に頼り、創造主ではなく被造物の印象に依存したことにあります。更に「女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた」とあります。誘惑された者が直ちに今度は誘惑する者になったのです。取って食べ、分かち合う、という動作で私たちが思い浮かべるのは聖餐式です。今日、尾道西教会の主日礼拝では、井上先生の司式によって、久しぶりに聖餐式が行われることになっております。私たちは主の食卓に与ることが許されておりますけれども、そのやり方は、最後の晩餐で定められました。その席で主イエスは仰いました。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。そのように、私たちはキリストの御体を食べることによって、命の恵みを受けているのですが、楽園にいた男と女は、罪を分かち合い、死を味わったのです。おいしそうに見えた禁断の実は、残念ながら、見た目ほどおいしくなかったどころか、大変苦いものでした。蛇の言葉通り、二人の目は開けましたが、彼らが見たのは、拠り所を失った者の悲惨でした。そして彼らは何が起ったのかを把握する間もなく、恥と恐れに囚われ、「自分たちが裸であることを知」ったのです。自分たちはもはや裸で走り回る無邪気な子供ではなく、罪に汚れた大人であると気づいたのです。彼らは慌てて無花果の葉を綴り合せて腰を覆いますが、それは罪の現実を更に意識させたでしょうし、それはすぐに萎れて役に立たなくなるはずです。そんな時、私たちはどうすべきでしょうか。罪とは魂の病気です。治療しなくてはなりません。もし、定期健診でガンが見つかったらどうしますか?患者が求めるのは、何よりも病気が治ることです。医者に頼り切る必要がありますが、医者のように、病気についての詳しい知識を持つ必要はありません。健康な時でもそうですし、死の病に侵されているなら尚更です。ところが私たちは、死の病である罪を認めず、自分を健康だと勘違いしてしまいます。

その上、命を救ってくださるお方を蔑ろにして、自分が一番正しいとさえ思ってしまうのです。最初の人間も同じでした。「主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた」ので、アダムと女は隠れました。庭師として園を守る務めを負っていたはずの人間が、園に守られたいとさえ願ったのです。神はこの時、天から降って来られたのでなくまだ地上におられて、人間のすぐそばに、足音が聞こえるほど近くにいてくださいました。それなのに人間は、神に向かって救いを求めず、罪を告白して赦しを請うのでなく、神のみ顔を避けたのです。そのような人間に、神は呼びかけてくださいました。

「どこにいるのか」。口語訳聖書では「あなたはどこにいるのか」と訳されています。道を見失い、罪の闇の中をさまよっている私たちを、神はいつも探し求めておられるのです。勿論、神はアダムがどこにいるかご存じないのではありません。断たれた交わりを回復する糸口を差し出してくださったのです。アダムは恐ろしくて隠れたことを白状しますが、その理由を「罪を犯したから」ではなく「裸ですから」と言います。これに対して神は「取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問われます。ところがアダムは、懺悔する代わりにこのように言います。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」。彼は自己弁護のために、畏れ多くも神を非難したのです。更に彼は女を裏切り、罪をなすりつけようとします。皆さん、これが私たちの罪の姿なのです!自分の罪を認めず、人のせいにし、神のせいにするのです。ヘブル語の原文を見ますと、この時の彼の答えは全部「私は・・・」になっています。その心を占めているのは「私」です。そんなどこまでも自己中心的なアダムの言い訳をお聞きになった神は、女に問い質します。「何ということをしたのか」因みにこの言葉は、次の4章でもまた出てまいります。弟アベルを殺した兄カインに対して「何ということをしたのか」と神は問われます(他にも創世記の重要な場面で何度か出て来ます)全く私たちは何ということをしたのでしょうか。それは取り返しのつかない、言い訳のしようもない罪です。しかし神は罪を認識させ、悔改める機会を与えてくださいます。これに対して女は、蛇に騙されたと言って、責任転嫁を図ります。一方、蛇は何も言いません。悪魔の手先から、喋れない只の蛇に戻ったのでしょうか。そうではなく、蛇には神に対して語る権利などないので、弁明の機会が与えられなかったのです。蛇にはただ刑の宣告だけが与えられます。それは「生涯這いまわり、塵を食らう」という呪いでした。それ以前の蛇には足があったというのではありません。生物学者によれば、大昔は蛇にも足があったのだそうですが、今は退化して無くなってしまったということです。けれども聖書がここで言おうとしているのは、そういうことではありません。地を這うという最も卑しめられた状態に落とされたのは、自らを高い所に置こうとした罪の故だという判決なのです。

続く15節で神は「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く」と言われますが、敵意は既に、禁断の実を食べた時や、責任を転嫁した時にもあったのではないでしょうか。そうです。神がそれを改めて「置く」と仰るのは、人が敵意を誤った方向、つまり神の方へ向けていたからです。人は本当の敵である悪魔にこそ敵意を持つべきですが、人は罪を犯して神から離れてしまったために、自ら敵意の対象を変えることすらできません。そこで神自らここでそれを変えさせてくださったのです。この御業はこれ以後ずっと続けられるのですが、人間と蛇の争いが終わる時が来ます。救い主イエス・キリストがおいでになるからです。この個所ではそれが明確には示されていません。仄めかされているだけです。「彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く」とは、人類が苦しい闘いの末に悪魔に勝利することを預言していますが、その勝利はキリストの十字架によってのみもたらされます。キリストが十字架で死なれたように、女の子孫のかかとは砕かれます。ロマ書16章にこう書かれています。「平和の源である神はまもなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう」。ただし、神の啓示は段階的に進みますから、その秘密は歴史の中で少しずつ明らかにされるのです。

16節は女に対する判決です。そこではまず出産の苦痛が告げられていますが、子供を産むこと自体が裁きの結果なのではありません。

1章で神が何度も「産めよ、増えよ」とお命じになっているように、それは最初から神の御心に適うことです。

また「お前は男を求め/彼はお前を支配する」という女性の不幸な状態は、女性が特に罪深いために負わねばならない十字架なのだと決して思ってはいけません!男と女の犯した罪の力が、愛することや大切にすることを求めることや支配することに変えてしまったのです。教会は長い間、女性差別を正当化するためにこの聖句を利用して来ました。私たちはその歴史を恥ずかしく思います。けれども私たちは今、聖霊に導かれて聖書を正しく読めるのですから、それを終わらせなくてはなりません。そして私たちは全ての男女が悔い改めて救われることを願っています。

17~19節は男に対する判決です。神はまず、アダムが神の御声に従うのではなく女の声に従ったことを責められます。そして、その罪の故に土が呪われ、雑草しか生えなくなった土地を懸命に耕し、苦労して働かなければならないことを宣告されます。しかし、決してこの時労働そのものが呪われたのではありません。2章15節に「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」と書かれておりますように、働くことは最初から人に与えられた務めでした。けれども、アダムが犯した罪の故に土(アダマ)との親しい関係は破られ、自然は人間の意志に逆らうようになりました。労苦と悲惨は、人間が死んで再び土に還るまで続きます。禁断の実を食べることによって人が得た知識は、人もまたいつか死ぬはずだということでした。ただしそれは、2章17節の「食べると必ず死んでしまう」という主の言葉とぴったり合っているという訳ではありません。と言いますのも、本当はその日の内に死ぬはずだった二人は、なお生きているからです。ですから私たちが驚かされるのは、彼らが罰せられたことではなく、罰は受けたけれども、呪われはしなかったということです。神の恵みは、まさにこの判決そのものの中に示されています。確かに、彼らの犯した罪によって死が入り込んで来たのですが、命がこの神によって私たちの中に入って来たのです。

20節でアダムは女をエバ(命)と名付けます。彼は、女の子孫が蛇の頭を砕くであろうという約束を、信仰を持って聞いたのです。裁きの中の恵みを理解し、希望を告白したのです。アダムは主の御言葉を聞き、他に何の保証もないのに、神が人間を全く滅ぼし尽くそうとなさらず、自分を生かしてくださることを知って、信じました。人はやがて塵に返る存在だと悟りながら、命は失われないと信じたのです。そんなアダムとエバに、主なる神は「皮の衣」を作って着せてくださいます。神は死ぬしかない運命に定められた人間を受け入れ、裸のまま晒すのではなく、覆ってくださいます。堕落した人間をそれでも守ってくださいます。何の獣の皮なのかは分かりませんが、人間のために犠牲の血を流した動物がいたことは間違いありません。これがやがて、主の民が動物の犠牲を捧げる贖いの儀式に繋がるのですが、それは決して人間を死の恐怖から解放することはありませんでした。しかし、ついにキリストが来られ、十字架の上で血を流し、アダムとエバ、そして私たちの犯した罪の償いを成し遂げ、救いの御業を完成してくださったのです。その時が来るまで、人は楽園から遠ざけられました。この楽園は可哀想な人間から奪われたのではありません。神が折角提供してくださったのに、人間はそれを叩き返したのです。そこで神は人を追放したのですが、それは刑罰であると同時に、永遠の死から免れさせようとする恵みでもあります。命の木は、ケルビム(聖所を守護する)と「剣の炎」とによって厳重に守られていますが、それはまさに回復への望みを保証するものです。アダムとエバは塵に返りましたけれども、遥かに命の木へ続く道を望み見て眠りについたのです。私たちも同じように、やがて塵に返るとしても、命を贖うために立てられた木であるキリストの十字架を仰ぎつつ、歩みたいと思います。その十字架の上で主イエスは、同じ死刑囚として刑罰を受けている一人の犯罪人に向かってこう仰ったのです。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。神が私たちに「あなたはどこにいるのか」と問われるなら、この主の御言葉を信じ、「私たちは今日、キリストと一緒に楽園にいます」と答えたいと思います。使徒パウロはガラテヤ書3章でこう書いています。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」。私たちも、キリストによって罪を覆われて、赦され、楽園へ帰る道を示されています。この約束を信じ、恵みに感謝して祈りを献げましょう。

広島長束教会十字架cross
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